長いツイートのようなもの2307

このブログをせめて毎月1回は更新しよう、となんとなく自分に課しているのだけど、7月は、すでに6月から書き始めていた内容が複雑かつ重すぎて、書いて消してを何度繰り返しても全然書き終われなかったので、違う話というか、どうでもいいめの近況を一筆書きのようにばーっと書くことにした。
 
 
順不同。今月は、iPhoneを家に忘れたまま数日間のソウル旅行に行って、美術館を巡る他は食べに食べたり、良い漫画をいくつか読んだり、気になっていた新しいお店でタイ料理を食べたり、弾き語りが以前にも増してググッと面白くなってきたり、めちゃいいライブ見たり、でも新しい曲を作るのはなかなか難航したりしていた。友達とグリーンカレーを作って食べたり、海の近くで強いお酒を飲んだりもした。知り合いの後ろ姿を見つけて走って追いついて挨拶だけして、でもそのまま追い抜いて会話は短く済ませたり、初めてのメンバーでバーで朝までおしゃべりして牛丼(小)を食べて帰ったりもした。最近はジョギングして帰ってきて鏡を見ると自分の顔が真っ赤すぎて心配になる。夜、知らないお兄さんが自転車をこいでいるわたしを遠目に見て「きれいなお姉さん…」と呟いているのが聞こえた時、ちょうどわたしも「今なんか自分かなり良い感じだ!」と思っていたところだったから驚いた、ということもあった。ナンパ的に話しかけているんじゃなくてただの呟きっぽかったのがそれはそれでキモかったけど素直に嬉しかった。マスクをしていた約3年前にも友達と一緒に入った韓国料理屋さんで「美男美女ね〜」とオバチャンに言われた(珍しすぎて覚えている)けど、わたしは3年に一回くらい美女っぽい日があるのかもしれない。あと、通っている病院の用事を済ませたりいくつかのサブスクを見直したり、働いたり、お金を数え直したり、Vログ作ろうと思って撮ったまでは良かったけど編集を始める前からほぼ挫折していたり、壊れた家のドアを直すための材料を買いにパートナーと2人、炎天下を自転車でホームセンターまで走ったり、図書館で全然知らないジャンルの本を借りてみたり、延滞したのを謝りながら返したり、いくつか平行して動いている企画それぞれが活発になってきてオンラインミーティングが増えたり、ジリジリとした重めの口喧嘩から15分で見事に仲直りしたり、映画館で映画を見たり、家族に会ったり、近所に住んでる友達とコンビニの前で2時間ぐらいおしゃべりしたり、家のいくつかの細部をきれいにしたり、ちらけたり、酔っ払ってるのが醒めるのを待ってダラダラと漫画を読んだり、絵がなかなか思うように描けなかったり、なんかいろいろ、こう書くと本当に色々やっているみたいだ。
 
今日は仕事からの帰り「もう今日は21時に寝て明日の朝、5時に起きようかな、それで8時まで頑張って、それから家を出て、仕事いくとか…いやあ厳しいかなー」とぶつぶつ言いながら駅まで歩いた。ちょっと思っていた以上に自分のところに色々な"TO DO"が溜まっていて、ついにひとつ不義理をしてしまった。「まずい感じ、時間配分が下手かもしれない。SNSみんのやめよう」「ほんと無駄!」なども声に出ていて、自分のへとへとを実感した。疲れると、声にしないとやってられなくなってくる。
 
「豆腐麺食べようかなー」
「トマト買って帰って、もうそれでいっか」
「あ、納豆買って、明日の朝を楽しみにして早く寝よう。ちゃんと荷造りしてから寝たら気分いいかも」
「あーーまじで、もう、あー。体3つ欲しい」
「運動して痩せたい」
 
わたしは、夕飯をごく控えめにしておいて、はらぺこで寝ると次の日の朝すごく調子がいい、というのをもう何年も前に発見してから、いつも意識している。が、毎日そのようには全然できない。今日も、寄ったスーパーには豆腐麺はなかったので3倍くらいのカロリーの冷麺をしっかり食べた。寝る前3時間は何も食べないほうが睡眠の質が上がるらしいので、しっかり食べてしまった以上、ここから3時間は寝るわけにはいかない。よって今日21時に寝るというアイディアは却下だ。本当に寝る前の空腹は、次の日の朝の体の軽さ、肌の滑らかさに直結していて、マジで夕飯って概念いらないんじゃないかと思う。でも、人と食べるご飯って美味しいし楽しいよねえ、大好き
 
 
 
 
 
 
 

バレる速さとわかる遅さの温かさ

 
わたしは、たぶん正直者である。嘘をつくのが自分でも驚くほど苦手だし、好きや嫌いや嬉しい!が、人にバレバレのことが多い。
 
正直者はしばしば、親しい人たちにそれを褒められたり面白がられる。正直だ・素直だ、というのは基本的に素敵なことで、誇っていいと。その旨は、わかる。正直であったほうがいい場面はたくさんあるしわたしも素直な人が好きだ。でもこれは、本人にとっては、全部そのまま出ちゃってコントロールできていない、ということでもある。わたしはこの正直さのせいで、しょっちゅう困ったり傷ついたり恥ずかしいことになったりしている。ムカついている時にムカついているのを隠せないし、乗り気じゃない時に取り繕った振る舞いができないというのは、大人として胸を張れたことではない。
 
例えば最近、とある場でわりと理不尽な怒られが発生したことがあった。わたしは、まさか自分が怒られるとは思っていなかったので驚いて取り繕うのに失敗し、とっさに「すんませんww」みたいな謝り方をしてしまった。相手(偉い人)の心象が今まさに「最悪」の極に振り切ったのが手にとるようにわかった。
わたしの謝り方次第でもうちょっとマシな雰囲気になったはずなのに、空気を読むよりも早く売り言葉に買い言葉的な負けん気が出てしまった。こちらに謝る気がないのがバレバレだったと思う。相手は明らかに怒りのやり場を失っていた。それ以上は何も言われなかったし振り返ればそれほど大ごとではなかったけど、わたしは結局まあまあ気にしていて、もう週単位で日がたつのに、青アザみたいに、まだあの不味い気持ちが心に残っている。
 

そういうこともあったけど、ひるがえって最近は、後ろめたいことは何もない心底からの「うれしい!」でいっぱいの時が多い。正直さをそのままにしておけるのは健康的だ。おかげで心が明るい。多少の青アザ、擦り傷、炎症があったとしてもぜんぜん負けない大きな「うれしい」「好き」は巨大な元気をくれる!ただしそのぶん、コントロールが難しい。

恥ずかしいのでディティールをぼかすんですが、先日ある集まりで仲間とホストをつとめた時のことだ。始まる前、準備をしていて、来場予定者の名簿を見たZが「Q(共通の友人)来るんだ!」とわたしに言った。わたしは作業しながらだったので、ただ「うん!」と答えた。最近全然連絡とってなかったけどLINEしてみたら仕事の後ギリギリ間に合うかもって〜、とか言ってもよかったけど、そんなのは全部省いて、「うん!」とだけ言った。

言ってすぐ、わ、ヤベ〜!と思った。いや、全然何もヤバくないんだけど、その時の自分の声色が、おそらく表情までもが、我ながら嬉しそうすぎた気がした。
マンガだったら自分の背景にキラキラ…というダイヤ型みたいなマークが出ていたと思う。たった1つの音節にこんなに感情が乗ることあるんだ?!!と、自分で自分に驚いた。言ったそばから恥ずかしくなった。その後にどういう会話を続けたのかすっかり忘れてしまった。
極めつけは後日、それを「あなた多分覚えてないと思うけど、あれ恥ずかったんだワ〜」と少し思い切ってZに話したら「覚えてる、嬉しそうだな〜と思ってた!」と言われた点である。ひええ恥ずかし過ぎるちょっと待ってくれ〜と思いながら「へへ…」と鈍く笑って返し、その後はZが主体の話にそれていったのでホッとした。

バレバレだったのは完全に恥ずかしかったが、あのキラキラした無自覚な「うん!」の事故のおかげで、あ、わたしはこんなに嬉しいと思ってるんだ、と遅れて頭で気づけた。その素直さは、自分に必要なものだった。いつのまにか何となく疎遠になっていた友人に久しぶりに会えるのがうれしい、それ以上でも以下でもない、というシンプルなことを、しょうもない自意識を跳ね除けて素直に表明できたことで、何かがすごく楽になった。うん、嬉しいです。やっぱりそれは嬉しい。

わたしはバカ正直な上に恥ずかしいとすぐ顔が赤くなるので、Zに「覚えてる」と言われた時にお酒が手元にあって助かった。さっぱりしたビールだった。嬉しい気持ちをそのまま出せるのは、それをそのまま肯定できるのは、1人でいる時よりも、信頼できる人・油断できる相手と一緒にいる時なのかもしれない、と、それは今、書いていて気がついた。


「実は好きだけど嫌いって言ってみる」とか、そういうことが、本当にいよいよできなくなってきた。これは、子供っぽい素朴なバカ正直さというよりも、むしろ自分の年齢が着実にオバチャンに近づいている故かもしれない。ともかく、わかりやすく、ちゃんと伝わる感謝や愛が、本当に大事だと心底思う。
「次に会う時に謝ればいいやとか思っていて二度と会えなくなることだってあるんだぞ」という言説が、人生が少しずつ長くなるにつれて、身に迫るようになった。怪我や病気の話を、ひとりからではなくて色々な方面から聞く。高校の同級生がいつのまにか大病を患い、しかし一命を取り留めて社会復帰してすでに2年くらいたっていたことを知った時はなんかちょっと複雑だったけど、でも本当によかった。

だから、目の前の人の行動と具体的な発言は、素直に受け取って「ありがとー」と思っておくのが1番スッキリしていていい。なるべくその場で完結させる。人間関係はマンガの連載じゃないのでヒキとかいらない。大袈裟に言えばこれっきり永遠に別れることになっても、後腐れないように、スッキリ気持ちよくやっていきたい。


素直に受け取る、ということでいえば、ものをもらう・あげる、ということもこの頃、気になる。

先日ある人から仕事をいくつか巻き取ることになって、そんなに大したことでは全然ないのに「ご面倒をおかけします…」というコンセプトで急にお菓子などをもらった。某デパートの紙袋に入っていて、明らかに良い品だ。びっくりして、マジで心底実際全然それには及ばないので断ったほうがいいのでは!?と頭をよぎったけど、美味しそうなので受け取った。
それを何日かに分けて食べたりして、時間もたって忘れて馴染んだくらいの最近、なんとなく、以前よりもその人と話しやすい気がして、ああ、すごいな、こういうこと、めっちゃ大事なのかもしれないとジワジワ思ってきた。贈り物が、ゆっくり伝わる言葉みたいに作用している気がする。

最近知り合ったXさんという人が「過去に関わりのあった好きすぎる劇団の稽古に顔を出しついでに差し入れのお菓子とか持っていっちゃうんだけど、やりすぎてる気がしてソワソワする。でもほとんど無意識に持っていっちゃうし多分これがわたしのコミュニケーションのあり方なんだ…、ついやってしまうんだ…。」と話してくれた。本人は「ウザがられてないかな…」と気にしていたが、コミュニケーションの一環、と改めて言葉で聞いたら妙に納得して、数日後、わたしも小さい規模でさっそく実践してみた。
実践といっても、友達の職場に用事があって尋ねた時に自販機のジュースを買っていっただけだ。でも、一緒に飲みながら、多分ほんの10分くらいだったけど「最近どうよ」みたいなことをリラックスした気分でおしゃべりできて心地よかった。ジュースが残っているあいだはもう少しいてもいいかな、と、砂時計みたいなニュアンスが出た気がしたのも、あとひと息で短歌や歌にでもなりそうで、わたしは嬉しかった。でも確かに、あげる側の「ウザがられてないかな…」という懸念は、それもわかるなあと思った。

また、ある友人が、わたしが前に「それ読み終わったら貸して〜」と言っていた本を後日(わざわざもう一冊買って)くれたことがあった。本なんてなかなか頂くことがないので、びっくりした。急に手渡しながら「お礼に…」と言われて、正直なんのお礼だかあんまりピンときていなくていまだにやや謎だけど、やっぱりメッチャおもしろい本だったので、その点で完全に納得した。
その場で「このページのさあ」「どこ」と言って同時に各々の手元で同じ本を開いていたのも教科書みたいで笑えたし、次に会った時の「ここまで読んだんだけど」もすごく楽しかった。貸し借りして順番で読むならあるけど、同じ本を同時期に読み進めていることなんてめったにない。こういう遊びみたいだ。


何かを人に贈るという行為は、ほとんど言葉のように明確でありながら、もっとゆっくりと面的に効く気がする。
 
まず、それに込めた意味の有無は一旦置いておいて、単純に「あげる・もらう」は両者にとって新規の行動だ。あげた人は、もらう人を、ちょっとした出来事に巻き込んでいる。出来事は現実の世界で実際に起きるという意味で、時間的にも物理・身体的にも、確かな持続性がある。つまり「あげた・もらった」という事実は一度起きたら確定してその後ずっと揺るがない。
そして、その「あげる・もらう」の意味が、好きとか嫌いとかゴメンねとか、具体的な言葉になってもならなくても、それが相手に対して前向きな表明であることは(なぜか)間違いない(とされている)ので、かなりフワッとしつつ、ハッキリしてもいる。ふしぎなバランスで、感触のような抽象度の何かが伝わる。色とか、広い面でくる風圧みたいな、ダイレクトな伝わり方、といったらいいのかな…。ノンバーバル、言葉じゃないコミュニケーションと一般的に呼ぶんだろうけど、効き方とか伝わり方がじんわりと広くて長いのが、おもしろいような気がしています。記憶とか時間軸が絡んでくるのがけっこう重要なのかもしれない。ちょっと複雑すぎて自分にはまだよくわかんないですが…。
 
そして、特に、これに全ての思いを託す!みたいな入念な贈り物じゃなくて、急に気が向いたようなプレゼントが、シンプルゆえに「ゆっくりわかる言葉」みたいでいっそう興味深い。
 
高校生の時、自販機の前を通りかかったら呼び止められて「間違って甘いの買っちゃったんだよね」と甘い缶コーヒーをくれたAくんのことをいまだによく覚えている。あれは、もはやプレゼントと呼ぶのか微妙だし、なんならいらないものを押し付けられているわけだけど、あの無遠慮さと当たり前みたいな軽さは、イコール完全に親しさだった。普段はわざわざ確かめたりしない柔らかくて温かい気持ちが、急に鮮やかになるような、そういう嬉しさがあった。
 
まあ、わたしがチョロすぎるというのと、「びっくり」が「うれしい」に間違って計上されているんじゃないかという気もする。でも言葉の意味と声のニュアンスに任せた、直球の現在・今!ここ!みたいな速いコミュニケーションを頑張っては失敗しがちな自分にとっては、ああそっか、こういう風に行動で、ゆっくり効くような方法で「喋って」もいいんだ!というのが、今、大きめの気づきです。
 

そういえば春ごろ、久しぶりに母に会った時に、急に大きな花束をもらった。おもしろいくらい大きい花束だったので、そんなに盛大にお祝いされることなんかあったっけ?!とつい笑ってしまったけど、それは1ヶ月遅れの誕生日プレゼントだった。
こんなことを言うのは失礼だし大変野暮なのだけど、その時に母がくれた大きな花束は、一本ずつこだわって花を選んだというよりは、もう店頭で形になっているものを、急いでパッと買ってきたような、どちらかというと無難な面構えの花束で、しかもやたら大きくて、なんかその「とりあえずこれなら間違いないかな?!(息切れしながら)」みたいな間に合わせ感が(入念に選んでたらマジでごめんだけど)自分の母のそういう一面っぽくて、すごく愛しかった。「この花束どうしたの?これどうすんの?」と聞いたら「あんたのだよ!」みたいなちょっとつっけんどんな返しをされたのもウケた。めっちゃ嬉しかったな…。隅々まで行き届いた、考え抜いた完璧なプレゼントじゃなくても、なんか変な渡し方になってしまったとしても、あげることにした、という行動が、なんか届くようです。



さいごに

最近、たまたま古本屋で見かけてドサっとまとめて買った雑誌がある。大阪の国立民俗学博物館が隔月くらいのペースで発行しているという雑誌の、20年くらい前のものだ。これには、世界各国のあらゆる土地に残る伝統的な祭りや生活の様子や最近の環境的な問題など、あらゆるジャンルの、めちゃめちゃ熱意に溢れたレポートがたくさん収められていて、本当におもしろい。学術的な価値がきっとあるんだろうけどそれ以前に、その熱量がすごく良い。当然、全員が1人残らず現地でリサーチしているというのも、人類学者たち…という感じでアツい。

わたしはテレビを持っていないし、最近は、知りたいと思ったことを知る機会とツールはあっても、向こうから情報が飛び込んでくることは減っている。だからだろう、こんなふうに思いもよらない知らない土地の人々の日々の営みが、大きく鮮烈な写真とともにA4見開きサイズで次々に飛び込んでくると、すごくワクワクする。そういうえばこういう情報摂取の手法、あったわ〜〜という心地よい興奮がある。たまに、儀礼の写真などに動物の死骸や血がたくさん写っていたりすることもあるが、それも含み置いて、本当に楽しい。
古い言い方をすればこれは「異国趣味」なのかもしれない。でも、こうして色々なものをそれぞれに信じながら、それぞれのやり方で社会を作って生きている人たちがいる、という具体的な情報は、わたしにとっては本当に、救いといっていいほど頼もしい。
 
先述の、友人にもらった本にも、全然知らない異国の島の生活文化や環境が描かれていた。マジで全然知らん島と馴染みのない文化圏の話なので、笑ってしまうくらい、正直わからない。文庫本の本文中のモノクロの写真から知れることは多くない。でも、その土地に歴史があり人々の営みがある、そしてそれを伝えようと本を書いた人がいる、というのは希望があるし、頼もしい。人間いいじゃんと思う。数週間前、香港の凄惨な殺人事件をSNSで知って、その映像をうっかり見てしまってすごくダメージを喰らっていたのも、平行して思い出す。それでもやっぱり人間はおもしろいと、わたしは思いたいし、思っている。

人間って世界中にたくさん生きていて、それぞれ色々考えていて、わたしが今関わっている人たちは、本当に少ない、ごく一部の人間なのだということに思い至る。狂わずに済んでいる人たちと、狂わずに済んでいるわたしが、まともっぽい場で会って話せる。殺したり殴ったりしないで、喧嘩はするし泣いたりもするけど、一緒に座ったり、働いたり、ご飯を食べたり、景色を肴に酒を飲んだり、音楽を聴いて踊ったり、同じ歌を歌ったり奏でたりできる。なんてことだろうな…。


何度も言っている気がするけど、この頃また、人生における章が変わった。プライベートの進展もさることながら、自分の歌ったりするのもそろそろ「おっかなびっくり」の次のステージで動き出していると思う。日々の「主な登場人物」も少し変わった。
こんなにどんどん変わっていくし世界は広いのに、ほんのちょっとの今そばにいる人たちを前に、かっこつけたり恥ずかしがったりして愛を伝えそびれるのはめちゃくちゃ愚かなんじゃないかという気がする。だから伝えていこうと思います、愛、親しさ、怒ってないよ、など。隅々まで丁寧にできなくても多分大丈夫なので、とはいっても手を抜かずに、普通に。







どんどろ人形との出会いと、「自分で作る」ということ

 
この春、伊豆半島の東のあたりの伊東という地域に出かける機会があった。

思い切って前置きをぜんぶ端折るが、伊東には「東海館」という木造の古い建物がある。かつて温泉旅館だったという、かなり立派な建築物は現在は観光スポットになっていて、ここが面白いと聞いていたので、パートナーと2人で行ってみた。

玄関からしてけっこう迫力がある。ガラスがはまった引き戸を手で開けて入り、靴を脱いで入館料を払う。今回は時間がなくて諦めたが、古めかしい内装の日帰り温泉にも入れるし、昼間はカフェも営業しているらしい。全体的には、この建物が旅館として現役だった頃にどんなふうに使われていたか、1928年の開業から、時代ごとの要人たちが入れ替わり立ち替わりこの地を訪れたという諸々を解説するパネルや資料が展示してある。建物内部の至る所がかなり見事な作り(建築は専門外のわたしでも「これは多分すごいやつ」とわかるレベル)をしていて、ただ屋内を見て回るだけで確かにおもしろかった。海のそばの川沿いにあるので、常に窓からの眺めがよかった。高い建物がぜんぜんない土地で、山も海も一望でき、夕方ごろだったため、街灯の灯りが川面にうつってキラキラしていた。静かな海辺の温泉街、といった感じで、風情があった。

カフェ営業している時間帯に来られればよかったなあ、なんて思いながら、わたしたちは各階の展示を足早に(ホテルの夕飯の時間が迫っていた)見て回っていた。と、2階だか3階だったか忘れたけれど、建物の北側にあたる、キラキラした川が見えないほうに、油断したら通り過ぎてしまいそうな小さくて薄暗い部屋があった。なんの気無しに踏み込むと、そこには妖怪の頭部があった。

正しく言うなら「妖怪の頭部のような造形物」なのだけど、ぎょっとしながら見回すと、そういう頭部や面が、所狭しと並べられている。4畳半くらいの空間は、だいたいそれで埋まっていた。ひょっとこ、おかめ、天狗など、わりと見慣れたデザインのはずだけどかなりクセが強い。全然見たことのないデザインの顔もたくさんある。目をひん剥き、口を曲げて顔じゅうに深い皺を刻んでいる。素材も何でできているのかわからないけど、ごつごつでこぼこしていて、ずっしりした印象を受けた。実際の人間の頭の3倍くらいの大きさのお面、2倍くらいのお面、などが並べてあった。顔という顔ひとつひとつに気迫があり、ちょっと禍々しいとさえ思った。それまでチャラチャラとスマホで写真を撮ったり、軽口を叩いたりしていたのに、わたしたちは急に静かになってしまった。

写真とる感じじゃないな…とつぶやいて、しゃがみこみ、頭部以外の造形物にも目をやる。低い机の上にも作品が並んでいて、20センチくらいの高さに立てた木の枝に、蛇のように長い首を絡ませた、カラスかカッパの頭部のようなもの…、真っ赤な舌を出している。同じようなものが数体並んでいるが、明らかにクオリティの高いものが一体いた。え?何これ…。こわ……とか言いながら、同じ机の上に置かれていた安っぽいクリアファイルを手に取ると、新聞の切り抜きがまとめられていた。

たまたま開いてあったページの記事をまず読んだ。これは、伊東に住んでいた大久保一男さんという人が作った民芸品「どんどろ人形」だという。「どんどろ人形の起源は諸説ありますが、将軍・徳川家康から命を受け、伊東の唐人川河口にて日本で初めて洋式帆船を建造したウィリアム・アダムス(三浦按針)が、船大工の多くが疫病に罹り造船が立ち行かなくなった時、航海の途中に南洋の原住民からもらった『魔除けのどんどろ人形』を飾ったところ、病が治まったとの伝説に因んでいるそうです。」と、註釈がついている。そう、ついて、いるのだが、しかし資料を読んでいくと、これはフィクションである。というか、昔から伝わる民芸「っぽさ」を借りてきて、大久保一男氏が一代で築いた、いわば「でっちあげ」の民芸だという。えっどういうことだ…?と思ってさらに読み込む。新聞の切り抜きは、かなり昔のものから平成のものまで、けっこうな量があった。


ここで一旦、「どんどろ人形」についてわたしなりに要約します。
(※記憶や解釈違いがあるかもしれない点だけご承知おきください)

大久保一男(a.k.a.大久保喜生)さんは、埼玉に生まれ、いくつかの仕事を経験したのち、1918年に関東軍に召集された。19年にサイパンに向かうが船が撃沈され漂流、一命を取り留めたが、米軍の捕虜として南方諸島を転々としながら生活することに。22年に復員し、伊東に住みはじめ、1928年から「どんどろ人形」を作り始めた。戦争で足を悪くしてしまったので、手を使った仕事がしたかった。
どんどろ人形の「どんどろ」というのは、出発の「よーいどん」の「どん」と、肉体が死んで泥になる「どろ」まで、つまり一生のことを意味するという。これは魔除けの人形であり、魔除けは「生と死」のあいだに必要なものだ、と氏は語る。彼の娘が新聞紙を破いて遊んでいるのをみてインスピレーションを受け、水で溶かした新聞紙を紙粘土にし、ノリで固めながら造形するという手法をとるようになった。仲間の芸術家に後押しされて、幼い長女をおぶって伊東の土産物屋へ売り込みに行った。何軒も断られたが、伊東屋という店の海瀬氏が興味を持ち、店に並べてくれた。おどろおどろしい造形の「どんどろ人形」だったが、妙な愛嬌が人々を魅了し、その後、東京の百貨店や全国各地で展示を行うなど、商売は軌道に乗っていった。パートも雇ってたくさん作った。58年の狩野川台風で家もろとも作品が全て流されるなどの苦難も乗り越えて、73年オイルショックの頃には全国に知られるまでになった。
大久保さんは、母が理容室を営んでいた影響か、昔から造形の才があった。戦中、捕虜として生活していた頃にも、手近にあった紙を使って工作をし、周りの人々を楽しませた。作品をタバコや日用品と交換したことも、米兵たちが彼を名のある芸術家と思ってサインをねだってきたこともあったという。そんな生活をしながら南方の島々で見てきた彫刻や面などの造形物が、「どんどろ人形」のデザインの源になっている。
60年から70年代ごろまでの日本の、旅行ブーム、怪獣ブームなどの時代の気分にうまくのったのだろう。彼の「どんどろ人形」はけっこう流行ったようで、伊東の各地の土産物屋で取り扱われ、新聞にも「販売先は伊東市内および東京駅地下街、全国名産」と書かれていたように、ポップアップショップでも扱われるほどの人気土産となっていた。伊東には、どんどろ人形や大久保さんのあらゆる作品を展示する施設もオープンしていたらしい。また、「どんどろ踊り」なる歌と踊りも創作され、伊東の夏祭り「安針祭」のパレードで披露された。(「二つずつ面を持って歌いながら踊る軽快な楽しい曲」らしい)大久保さんが亡くなって、どんどろ人形は生産が途絶えたが、平成になってから復刻版が発売された。

要約ここまで。

わたしは新聞記事がまとめられたクリアファイルを最初のページから最後のページまで、後ろでちょっと持て余している様子のパートナーに申し訳ないと思いながらも大急ぎで次々読んだ。しゃがんでいた足が痺れるくらいの時間はかかった。新聞の記事ごとに重なる内容があったり、取りあげられ方がさまざまであったりするのを脳内で繋ぎ合わせて理解しながら、心の底から感動してしまった。薄暗い小さい部屋で、奇妙な顔たちに囲まれて新聞の切り抜きに目を走らせながら、わたしはちょっと泣きそうだった。胸がどきどきした。

まずは、ひとりの人間が、文字通り地に足をつけて、自分の身の回りのものを素材に、自分の見てきたものをモチーフに、すばらしい造形を生み出している、という力強さにやられた。まず大前提として造形の技術とセンスが半端じゃないのである。新聞記事にあった写真では、作者よりもひと回り大きな仁王像も作っていて、これがまた意味わからんぐらい上手いのだけど、これもおそらく新聞紙紙粘土で作っている。(新聞紙の紙粘土で作る、ということに彼はこだわっていて、(いわく「この世のニュースをひっくるめた新聞」)どろどろに溶かしてしまうんだったら新聞紙である必要もなさそうなのに、それを使い続けていた。めちゃくちゃ好感がもてる。どんどろ、というコンセプトを貫いている。)

わたしは、もともと民芸というものに全然馴染みがない。銀杏のカラで作ったひよことか、お土産屋さんにある、もう誰が買うんだよみたいなホコリかぶった大きなこけしとか、織物とか焼き物とか?そういう印象がざっくりあるだけだ。美術教育を受けていない人たちの作品をアウトサイダーアートと呼ぶのも知っていたけど、でも目の前のこれは、そういう横文字の文脈とも全然関係なく、とにかく、歴史も、家族も、人生もある1人の人間が、その手で作ったものだった。
ああ、これを民の芸と呼ぶんじゃないか、と、急に腑に落ちた。代々伝わる織り方とか、焼き物の技術とか、そういう難しい話や徒弟制の伝統ではなくて、芸術なんて高尚なことでも全然なくて、本当に個人のレベルで始まる民芸っていうものが、手作りというものが、世の中にはあるのだ。そして、これが民芸なのだとしたら、わたしはすごく民芸のことが好きだと思った。この日、わたしは民芸というものに初めて出会ったのかもしれない。辞書的な意味での、カテゴリーとしての民芸ではなくて、人間の営みとしての民芸が、極めて真に迫るものとしてそこにあった。


そして、彼の生活の、物質的にも精神的にも糧であった制作活動が、戦時中であったり旅行や怪獣ブームであったりといった、時代の状況と分かち難く結びつきながらこんなふうに展開していった、という数十年にわたる事実、史実。これは、「作る・作り続ける」ということのすごい作用だと思う。人ひとりの人生と世界の状況が同時に作品にこもって、造形に寄与し、あらゆる事実を引き連れてきて、後世のわたしにまで届いたのだ。本当にすごい。大久保さんはすでに鬼籍に入られたのでお会いすることは叶わないが、できるなら会ってお礼を言いたかった。この世にすばらしい作品を残してくれてありがとう。66歳の時に取材を受けた新聞記事には、「健康あっての仕事と、体力づくりに気を使っているだけに筋肉型、艶のいい顔、白髪もみられるがふさふさしている」とあった。どんなふうに喋る人だったのか、新聞の切り抜きからの想像しかできないけど、インタビューの最後にダジャレとか言ってるし、ああ、、会ってみたかった。


東海館の入り口で受付をしているおじいさんに、東海館の絵がプリントされたお土産っぽ100%の瓦煎餅を(応援する気持ちで)買いながら「どんどろ人形っていうやつ、あれすごいですね」と話しかけてみた。彼の作品が集められているという施設は今もあるのか聞いてみたけど、とっくに閉館していた。おじいさんは、さっきわたしが新聞で知ったこと以上の情報はもっていないようだったので、わたしたちはすぐホテルへの帰路についた。

これを読んでいる皆さま、伊東に行かれる機会があったら、ぜひ、東海館でどんどろ人形と数々のお面を目撃してください。
あと、もし、リサイクルショップや骨董市?か何かでどんどろ人形を見かけた際には、わたしに教えてください(けっこう欲しいけど通販で買うのは違う気がして)。





わたしがやっているのは歌で、最近はだいぶ音楽で、いわゆる造形作品ではない。でも、今回この作品と、それをとりまくいろんなことを知って、まがりなりにも何かを作ることをずっと考えて実践している人間の端くれとして、すごい量の勇気をいただいた。どんどろは「民芸」、それも、「ぽさ」をまとって成立したでっちあげの民芸だ。アカデミックな正当な芸術ではない。でも、正当な芸術かどうかなんて本当にどうでもいい。こうして「作る」ということが、その素材と手法の身近さや、わたしには想像できないくらい苦しかったであろう戦争の体験とそこでみた魅力的な造形が、彼の人生そのものと同時にこの世にあって、渾然一体となって、現れている。残っている。それってめちゃくちゃすごい。

あと、資料室の入り口で、異様な造形にゾッとして「写真とか撮る感じじゃないな」と直感的に思った、あれだけの迫力が一体どんなふうに醸造されたものなのかを、新聞記事が教えてくれたということにも、わたしはグッときていた。本人か、家族か、誰か、複数の人たちがいたのかはわからないが、数十年にわたって関連記事を切り抜き続け、それがここにまとまっている。ファイルの全ページのコピーが欲しいくらい、あれ自体もすばらしい資料だった。新聞記事の文字や印刷の濃さが、だんだん大きく読みやすく変わっていくのをみて、時代が移っていくさまを感じた。記事の文体もさまざまで、取材をした数多の記者たちの存在も、そこに確かに刻まれていた。

最初に見た時に、ずっしりとした印象があったどんどろ人形は、新聞を読んで知った上でもう一度見て(本当はだめですが)そっと持ち上げてみると、見た目の印象よりもずっと軽かった。ノリがすっごく大量に使われている、というかほぼ全体がノリなので、それなりの重さではあるけど、想像したよりは軽かった。これも造形と彩色の妙だ。そして、勝手に意味付けるようだけど、その軽ささえ、わたしには示唆的なもののように思えた。
同じ建物の上の階の広くて白い部屋には、木やブロンズやFRPを使用して彫刻作品を発表し続けている市内在住の作家、重岡建治さんの作品が、もっとシュッとした展示空間で、きれいなライティングのもと陳列されていた。こちらは完全にいわゆる正当な芸術だった。重岡さんは彫刻をイタリアの美大で学んでいる。さすがに洗練されていた。比べるものでもないけど、きっとここを訪れる多くの人の印象に残るのはこっちの美しい展示なんだろう、と思った。

旅館に帰ってから、インスタグラムで東海館のハッシュタグをみたら、カフェや庭の写真に混じって、なんか…、東海館で痴女の方が自らのノーパンを見せつけるグラビア風の写真を撮ったりしていて、それはめっちゃウケた(合法なの…?)。「そういう人もいるんだ………」の、想像もしなかった幅を急に見せつけられた。あーあ。本当に人間って面白い。ちなみにインスタグラムでどんどろ人形に言及している人は全然いなかった。Twitterにはちょっといた。


最近なんとなく、正しいとか、ちゃんと洗練されているとか、そういうことがあんまりおもしろくない。わたしは、色んなことを系統だって勉強したり誰かに習ったりして身につけたりしてきたほうじゃないけど、それでも本当に破天荒な人を前にしたらかなりまともで真面目なほう、つまんない正しさが全然抜けない、普通の人だ。正しく何かを積み上げて、誰も傷つけないやり方で、きれいに効率よく何かを達成していく、という昨今の風潮に、わざわざ抗ってやろうというパンクな気持ちも勇気も、今のところない。諦めて勉強とかしちゃう。

そう、インターネットのおかげで、今はあらゆる理論のことも、ハンドメイドやDIYにまつわるハウツーもすぐ知れるようになっていて、「作る」ということにまで「正しさ」「効率の良さ」といった価値観が強く侵入してきていると思う。もちろんそれは質の底上げにつながっていて、知るのも分かるのも楽しいことだし、全体的にみて、きっと良いことなんだろう。普通に色々なことがうまくできる。でも、どんどろ人形が「この世のニュースをひっくるめた」ものとして新聞紙を素材に選び、柔らかすぎて造形が難しいのにもかかわらず、こだわってそれを使い続けることで手に入れていた圧倒的な強度は、ハウツーに倣って作ることとは対極にある凄みだった。

最後に急に近況みたいになるけど、自分の制作も、最近やっと動き出したバンドも、そういうふうにあれたらいいなと思う。正しい作り方も、まあさすがに勉強はするんですけど、でも、自分にとっての、どんどろ人形における新聞紙のような、実存する素材をしっかり目の前に据えることを、忘れないようにしたい。逆に、目の前に素材になりうるものがあったなら、正しくなくても、試しに使ってみちゃえるような軽やかさが、そういうことが楽しくてイケてるんじゃないの、という気が、最近してます。

全方位に正しいなんてことは絶対無理だ。思うに、かっこつけたり気を遣ったりし過ぎてしょんぼりしていくくらいなら、軽薄にとりあえずやってみたほうが前に進める。語弊があるかもしれないけど、被害者みたいな顔をして何かを正しく表現しようとするなんておこがましい。何かを作ることは、喪失や加害の責任や悲しみや、過ぎていく時間や破壊を引き受けるということだと思う。描いた線は消せないし、出した音は引っ込められない。破った沈黙があったなら、その責任は自分がとる。逆に言えば、作ろうとする人は、消せない線を描き、引っ込められない音を出し、沈黙を破ることを選び続けている。そこには善いも悪いもない。あらゆる素材ーーそれは電気エネルギーだったり弦だったり、絵の具だったり紙だったり木だったり糸だったり土だったりするけど、そういうものーーを引き裂いて消費して傷つけて削ってくっつけて炙って溶かして組み上げていくことで、初めて何かができていく。発表するなら、観客の時間も奪う。お金もいただく。そういう事実はしっかり認めないと嘘じゃないか。

別に何かに怒っているわけじゃ全然ないです。ただ、視野を広くとってみると、わたし1人がやっていることなんて何にもならないんだなあ、という気持ちになる。歴史に名前なんてまず残らない。それは良いことだ。たぶん本当に好きにやっていっていい。そして好きに生きていい。
10歳くらい若かった時の自分には、きっとわかってもらえない気がするし、なんなら一昨年の自分だって窮屈な悩みでつぶれそうになっていたけど、いい構えです、これは。風が通っていくよう。
中途半端な下手具合がダサくて恥ずかしいけど、それでも1人で笑っちゃうくらい楽しいから、最近また絵も描いています。しょうもないプライドはだいぶ、ふやけてきました。




いわゆる大胆


先日、久しぶりに転んで膝をちょっと擦りむいた。自転車で近所の商店街まで出かけて、持ちにくい形の荷物をなんとかしようとしたら荷物と自転車と体が絡まったようになって、バランスを崩し、大きな音を立てて自転車を倒して自分も転んだ。ズボンの下にタイツを履いていたのでそんなに痛くなかったけど、家に帰ってから見たら少し血が出ていた。

怪我をする時ってたいてい一瞬で、でも治るまでの時間は長くて、なかなかダルい。しかし、治るまでのあいだに何度も思い出すからなのか、なんなのか、怪我をした時のことは、時間が引き延ばされたスローモーションのように覚えていることが多いような気がして、その点だけはちょっとおもしろい。

過去一番印象に残っている怪我(痛い話でごめんね)は、右手の親指の内側の関節のところをツナ缶のあいたフチでザックリ深々と切った時だ。怪我そのものは大したことはなかった(鋭利な刃物の傷ってけっこうすぐ治る)が、怪我をした時の引き延ばされたような時間を今も鮮明に思い出せる。
当時の私は料理に使った缶詰の缶を捨てる時、かなり律儀に綺麗にしていた。今は怪我が怖いという理由で水でゆすいだだけで資源ゴミに出してしまっているが、当時はスポンジと洗剤できっちり洗って乾かして捨てていた。怪我をしたその日も、茶碗やコップを洗うみたいに缶を洗っていた。スポンジごしに缶のフチを掴んで、ぐるりと回す。しかし、手の中のスポンジが思っていたよりずれていて、わたしの右手親指の内側の関節のところにツナ缶の鋭利なフチが刃物のように食い込んだ。その瞬間「あっ」と思ったのに、スポンジで食器を洗ういつもの慣れた動作を止め損ない、ゾーッ、と、0.3秒くらいの時間をかけて、わたしは自分で自分の皮膚と肉を深く切ってしまった。びっくりして「あああああ」と情けない声が出た。

あのゾーッとした感触を思い出すたび、皮膚がざわつくような嫌な心地になる。耳のあたりがヒリヒリするし、手首から先がスッと冷えるような気がする。こうして文字にするのもちょっと憚られる。でも、決定的な怪我の一瞬の、引き延ばされた、長さのような深さのような、立体的といったらいいのか、あの名付け難い体感はとても気になる。

これまでにしてきたいろんな怪我のことを思い出してみると、わたしの場合けっこう高い確率で、怪我をする瞬間に体がちょっと先に気がついている。怪我の予感があることが多い。その予感が確信に変わって怪我という体験が現在進行形になった時「あっしまった」と確かに思うが、体は追いつかず、怪我になる。たいていそういう段取りである。

予感がもうちょっと長かったのに無視して怪我したこともあった。もう何年も前だが、ハチに刺された時だ。バイトで雑草をとる作業をしていて、なんとなく感じが悪くて、疲れたかも、一旦離れたり作業を中断したりしようかな、とうっすら思っていたけど、勢いと惰性で作業を進めて、低い木の下へぐいぐい入っていったら、そこにあった巣にいたハチに刺された。いまだかつて自分の腕をナイフで思い切り突き刺したことなんかないけど、それくらい痛かった。(仕事だったのでポイズンリムーバーを持っていてひとりで応急処置でき、ぜんぜん大事に至らなかった)
あの時、刺された瞬間に、あっ嫌な予感が当たった!と思った。後付けかもしれないけど、ハチのわたしへ対する恨みや怒りみたいなものが「なんとなく感じが悪い」に作用していたような気がしてならない。昆虫に感情があるとはあまり思っていないけど、それでも周りの空気に染み出す気迫のようなものは、小さい虫にもある気がする。

あの時「今、なんか感じがよくないな」という予感にしたがって、ちょっと手を止めて周りに注意していたら。あの時もうちょっとだけ慎重にスポンジを握っていたら。力任せにしないで考えておけば、怪我せずに済んだのに……。という気持ちが、記憶の中の一瞬の経験を後から引き伸ばすんだろうか。

たぶん、わたしは自分の意識とか言語的な思考を過信せずに、体が危険を察知する能力のことをもうちょっと信頼したほうがいい。というか、したい。野生のカンみたいなものだ。わたしは過去に野生だったことなんかないけど、言葉にならない嫌な予感とか気配はかなり確かにある。そういうことについては、アタマよりも体のほうがちょっと鋭いのに、言葉を使って考えてばかりいるとそういうのは手薄になる。



話はそれていくけど、わたしにとっては、そういう野生っぽいカンとパフォーマンス中の集中力の使い方は形が似ている。時間や空間とは別の軸に意識が飛んで、そっちで考えたり判断したりしているようなところが似ていると思う。
そして、怪我の予感に似た、ゾワリとした「今、なんか感じがよくないな」という予感や気配は、リハでも本番でも、一定以上の緊張感のある場で演奏しているとたまにやってくる。自分の集中力が足りていなかったり、何か他のことで不安になったりしていると、くる。怪我の時よりも時間的な猶予があることが多く、この段階で対処できれば回避できるし、対処しそびれると呑まれて失敗する。

「集中力」にも色々あって、わたしが欲しい集中力は「良い散漫」だ。全部がただここにある、というような状態。これは昨年ごろに自分の中でクリアになった。視野を広く取り適切にリラックスし、いろんなことに気がつける生き物になると、自分も自分のことが客観視できるような気がするので、なるべくそういう姿勢でできるように臨んでいる。(確信に至った話、過去の記事。https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2022/01/23/154519
そして、ここ一年くらい、ライブの機会が多くあったなかで、先述のような不安がよぎった時、それを乗り越えるために<意図的に「感じ」を良くして、いやな予感をねじ伏せる>というのをたまにやるようになった。
集中に失敗するというのは強めの重力系攻撃を受けるみたいなもので、捕まるとズルズルとだめになるので早めに断ち切る必要がある。光や音の存在や向きを意識して集中力にブーストをかけたり、自分の表情筋を使って雰囲気を変えるようなこと、肌に浴びる光を味方にするような…、スピっていうと、オーラの色を変えるようなこと。こう書くと大袈裟だけどつまり、状況の捉え方を変えるということ。

そう、状況の捉え方って、けっこうかなり、だいぶ全てというか、もしかして生きるコツなのではないかと思う。

自分が理不尽に怒られている状況を「怒られが発生している」と茶化す言葉遣いがちょっと前にSNSで散見されだした頃があった。あんまり美しい言葉遣いではないと思うけど、自分を今のつらい状況から一歩引いた視点で描写する言葉が心の中にあるだけで、ずいぶんラクになるというのはすごくよくわかる。自分が怒られている今の状況を「いわゆる怒られ」であると定義してみる、というような、客観視の数ある手法(?)のうちの、それを既存の事象と照らし合わせたもののことを「いわゆる」と呼ぶとして、これには、嫌な予感や不安をもねじ伏せて物事を進める力がある。

仕組み上、とてもざっくりしているので乱暴になったり雑になったりするリスクもあるけど、わたしは最近この「いわゆる」を、けっこう上手に使えるようになってきたような気がする。

先述のように良い感じを演じることで本当に良い感じにする、とか、仲良いみたいに話しかけたら距離が縮むとか、そういうことも「いわゆる」の力を借りていると思う。形から入るとか、プレイなどとも呼べそうだ。対人応酬技術応用編。わたしはコミュニケーション強者が天然でやっている「いわゆる」コミュ強しぐさを、めちゃくちゃ考えて真似している。

例えば先日、ライブに1人で来てくれた人に何と話しかけるか迷って、でもここはバーだし、っていうチャラさで明るく「なにを飲んでるんですか?」と話しかけて近くの椅子に座って会話を始めたことがあった。我ながらかなり「いった」と思った。ナンパみたいな話しかけかたをしてしまったことに我ながら内心ウケたけど、あれは「いわゆる」の力を借りた振る舞いだった。「いった」というのは、「うまくいった」の「いった」じゃなくて、なんか、こう、思い切りがあったというニュアンスで…、躊躇の地面をえい!と蹴った、「いった」だ。


その時だけじゃなくて、この頃ずっとそういうムードが自分にある。ちょっと思い切ってかなり大胆になったりしながら、新しいことを進めている。

わたしはすぐお調子者モード(モードも「いわゆる」の一種だ)になっちゃうため、気を許した人の前ではふざけてばっかりである。もう誰も笑っていないのに変な声で喋り続けたり変な歌を歌い続けたりしてしまう。でも周りの仲間はそういうのを温かくスルーしてくれる。皆さんの優しさに支えられて、お調子者モードが持続できています!
たぶん、「いわゆる」の力を借りながら進もうとする時は共犯者が必要で、わたしの周りにはそういうノリで動いてくれる人が多い。わたしが「いわゆる」この感じでいきたいと思いまーす!というのを、けっこう的確に受け取ってそのまま一緒に歩いたり走ったり泳いだり踊ったり歌ったりしてくれる…。

そして、お互いに「いわゆる」が3割くらいあるまま始めたような会話が、いつのまにかすごく普通になっていたりすることが、わたしは嬉しい。前にも書いた気がするけど、仲が良いから一緒にいるとか連絡取るというより、一緒にいたり連絡をとったりすると温かくなれるのは本当にそう。どこまでが「いわゆる」だったのか、分からなくなるくらい、自分で自分を調子に乗せて、友達のこともそうやって騙して、少しずつ本当にしながら全部おもしろくなっていったらいい。


もう、春さえ終わりに近づいて、なんか寒い日もあるけど、いかがお過ごしでしょうか。わたしには夏が見えつつあって、最近は冬に蓄えてしまった脂肪をぜんぶエネルギーに変えるみたいに色んなところに足を運んでいます。うれしい。
自分のことがやれていると、まっすぐ人を好きになれる。体もそうだけど、心の体脂肪率も下がってきたみたいだ。少し体が軽くて、風通しがいい。




旨味の岬を呼べるか

最近、味わうことが自分なりにちょっと上達した。言葉が少し見つかって、以前よりも味覚の解像度が上がったような気がする。経験上、耳も目もこういうところがあるとわたしは思っている。身体とは別の次元で言葉も感覚器官を研いでくれるのだ、と思えば、身体が老けていくのにもビビらないでいられるかもしれない。


昨年12月半ばに大きな本番が終わって緊張の糸が切れ、食欲が爆発したまま年末年始をへて、その後の生活のなかでも多少ストレスフルなことがあったりライブが少ないからと油断もしていて、冬の寒さも手伝ってジョギングもサボり気味になったまま食べに食べ、わたしは珍しく、めっちゃ太った。
2月の半ばくらいにやっと体重計に乗ったら、そこに表示されたのは過去1番太っていた中学生の時以来の数字だった。さすがに体の重さとぶよぶよとした肉の存在感がうっとうしくなってきたし、このままでは写真に写った時の「食いしん坊なオラ」といった風情(なんて言えば良いのか、愛嬌はある)が強すぎるので、最近は痩せるほうへ舵を切って、わりと順調に元の数字に戻していっている。

さて、道がそれたけど、今回はそんなふうに欲望のままに食べに食べる日々を過ごして、ちょっと遠くへ行く機会も多くて、味って面白いな〜と改めて思ったという話です。


よく言われることだが、味を言葉にするというのはけっこう難しい。「基本の五味(甘味・苦味・塩味・酸味・旨味)」とか言われるけど、その言葉5つの強弱なんかでは到底表現しきれないほど複雑だ。匂いや食感や喉越しも大きな要素になってくるが、ここではそういうフィジカルな味の体験というよりは、言語的な味覚の話がしたい。感得の少し先の、認識する部分、つまり言葉で研げる領域のことだ。

味を捉える時の口の中には、今まさに味を「捉えつつある」というほんの短い時間的体験がある。食べ慣れたものを口にした瞬間の「あ、こういう味ね」と思う時にはそれは認識できないほど短い瞬間だが、新鮮な気持ちをもって初めてのものを食べる時や、複雑な味や香りや食感をもつものを食べた時などには、「こういう味」の像と実体が重なるのに時間がかかる。頻繁に食べているものや、はっきりと製品と呼ばれるような食べもの…例えば製菓会社が工場で大量に作りビニールの袋にパッケージングされたチョコレートなどは、食べる前に予想する「こういう味」という像と、実際の口の中の体験がすぐに一致する。
味にはそういう、輪郭のようなものがあると仮定したい。つまり、食べる直前に期待する輪郭と実体とが別々にあり、すんなり重なったりうまく一致しなかったりしながら、味わう=味をとらえる、という体験を作っているのではないか。


茶碗蒸しがあんまり好きじゃないという友人にその理由を聞いた時、子供の頃にプリンみたいな甘いものだと思って食べたら違ったからびっくりして、生臭いような気がして、それから苦手だ、と言っていた。<冷蔵庫の茶色い液体を麦茶だと思って飲んだらめんつゆだった>みたいな、よくある事件だ。これは期待した輪郭と実体がうまく重ならなかった例だ。
子供の頃にはたくさんあった「初めて食べる」という体験は大人になるとだんだん少なくなるが、それを寂しいことと諦めずに、目の前のものを能動的に味わいに行くことで、何か突破できるんじゃないかと思う。味を知っていくというのは、期待した輪郭と実体がちゃんと重なっているかどうか判断できるようになっていく過程だ。二つの像の重なりかたやズレかたを把握できるようになっていくことだ。

発達した味覚を持つ者は、想像していた味の輪郭と実体のどの特性がどのくらい合致しているか、経験をもとに照らし合わせることができる。「甘味が圧倒的に強い、青っぽい臭みが少しある、奥の方にピリッとした辛みを感じる蜂蜜!」みたいに、輪郭を描写することができる。味わった食べ物の数が増えていくほど、比べた体験が積まれていくほど、旨味の輪郭を捉えるのが上手になるはずだ。たとえば味という島があったとして、その地形や土の色や質感を把握していき、ここは!とハッとするような岬や山頂があったなら、そこに照準を合わせると「うまい」という判断ができるーーなんなら脳内でその旨味の岬や山頂を繰り返し眺めたり触ったりできる。それが「味わう」だ、というイメージです。……具体例があったほうがいいですね。

以前、中国料理の店で、とんでもなく臭いものを食べたことがあった。名前を忘れたけど、臭豆腐の上にくさや液みたいな、魚を発酵させた感じのグレーの塩っぱいドロドロがかかっているやつだ。「やつ」と呼んでしまうくらい、最初の印象が食べ物っぽくなかった。仲間とワイワイ飲んでいる席だったが、それが運ばれてきた瞬間、あまりの臭さに全員ドン引きしていた。一口でやめた人も何人かいたけど、何人かは意外とイケるね…と食べ進んでおり、わたしもその一人だった。
初めて食べるものを口に入れた時、この味はどっちにどれくらい尖っているのか、みたいなイメージを探る感覚があると幸先がいい。これが上手くいくと、脳がこれまでの味の経験と、今この瞬間の味の像とを紐づけることに成功する。つまり「あ、このテの美味しさですね!」というのが判断できる。そこへきて初めて、美味いか不味いかがジャッジできる。この時の臭豆腐みたいなやつは、わたしなりにその旨味の方向が見つかったので「イケる」判定ができた。

しかし、これはいつでもできることではない。数年前、インドネシアに二度目に行った時、ジャカルタの街中にでていた屋台で、初めてドリアンを食べた。日本人の先輩が「ここに来たならドリアンは食べとかなきゃ」と言って案内してくれたのだが、ビールを飲んだ後だったので死ぬんじゃないかとハラハラして気が気ではなかった(ドリアンとビールを同時にいくと腹が膨らんで破裂して死ぬという都市伝説がある)。
この時は、わたしはドリアンの美味しさの方向性が見つけられなかった。果物としての甘みと、野菜っぽい青い味と、酒のような発酵系の匂いを、あのヌチャッとした食感と共に同時に口に入れた時、どれを旨味として認識して伸ばしていくかーー見つけた旨味のほうへ向かっていく、とも言えるが、ともかく旨味を見つけたらそれをしっかり捉える、よく見つめるというような感覚がある。味わうことはかなり能動的な行為であるーーが、わからず、そのままになってしまった。初めて食べる味すぎて、美味しいかどうか判断できなかった。それを「不味い」と切り捨ててしまうのは簡単だったけど、半分は意地、半分は探究心で「ドリアンは不味い」と今決めてしまうのは時期尚早なのではないか、とその時は思った。先輩が面白がって「おいしい?」と聞くのに対し「なんかちょっとよくわかんないですね……」みたいに曖昧に返したのを覚えている。自分は目の前のものが美味しいか不味いかくらい判断できる、と思っていたので、珍しく確信が持てなかったことがけっこう悔しかった。

そして、数年後にまたドリアンを食べた時、美味しいドリアンだったからだろうか、甘みと臭みのベクトルやその角度がスッとわかった。あれっ?こんなふうに美味しいんだ!と理解してからは、普通に美味しく食べられるようになった。味の違いもわかるようになった。皮を剥いて冷凍して時間がたったものには特有の臭みが出て、それが前面に出てしまうと多分ちょっと美味しくない。ちょうど滞在していた頃にドリアンが旬だったようで、やや高価なフルーツではあったが、見つけるたびに食べて、わたしはその味の輪郭を把握していった。

やっぱり人間(というか少なくともわたし)は、言葉でわかるとか、理解できるということに安心するようだ。味は、かなり複雑な輪郭をしている。立体的だし、時間の概念もある。言葉にするのは難しい。それでも「あ、この感じのこのあたりをこっちに伸ばしていくと味がクッキリするな」というのが感覚的に掴める瞬間というのはあって、ああいう時に、食べるのって楽しいなと思う。

料理によっては、これはクローブの香りだとか、このハーブも効かせてあるよねとか、発酵した白菜の酸味っぽいんだよな…とか、かなり具体的に食材で分析することもできる。料理上手な人はレストランで食べたものの味をちゃんとそうやって分解して認識できるのだと思うし、以前インド料理を振る舞ってくれた人は、パクチーの使いかたがインドと東南アジアでは全然違っていて…というのを熱弁してくれた。インド料理のパクチーは味に奥行きを出すため(って言っていたと思う)に使われていて、東南アジアのはそうではないらしい。わたしはインド料理の調理工程に明るくないのであんまりよくわからなかったけど、そういう解像度で料理ができたら相当おもしろいだろうな〜と思った。

ただ、わたしが興味があるのは、作るよりも味わうほうで、その味についても、どちらかというともっと訳のわからないもの、混沌とした、たとえば精製されていないような野菜や肉や果物だ。料理は素材と工程の産物であり、これは具体的に説明可能な作りだが、ドリアンはただドリアンであるという以上に細かくすることができない。品種や育て方によって味をある程度操作できるにしても、ドリアンがドリアンになったその過程の1番奥には、人は介入できない。「こういうスパイスを組み合わせるとこういう風味になる」とかではなくて、もっと混沌とした、極めて命に近いところに、人の手ではないものが作った味の像がある。

混沌とした味の野菜や肉、精製されていない食材というのは、普通に生活しているとあんまり出会えない。スーパーで買ったニンジンだって、間違いなく土の下で育ったニンジンのはずだけど、雑味がほとんどない。味の精製度が高い。つまり料理には使いやすいのだけど、古くなって芽が出まくったジャガイモを料理して食べた時に、あ、限界ジャガイモの風味(酸味とか苦味みたいな渋さ)があるな〜、という時のほうが、なんかおもしろい。最近買った美味しいお米も、それまでの安いお米とは全然ちがってすごくおいしいけど、どこかで食べたことのある白米の味だった。もちろん、日常生活のなかではそれで十分だし、味の整った扱いやすい食材がいつでも手に入るなんて本当に豊かなことだけど、時々ちょっと物足りないし、なんか怪しいと思う。「ニンジン」という記号を買っているような気分さえしてくる。匿名性の高いニンジン、一年中ハナマサの店先にあって、お金を払えば手に入るニンジン…。変な感じ。

最近、伊豆大島に何度も行く仕事があって、ちょっと変わったものを食べる機会が続いた。伊豆大島はそれほど東京から遠くないけど、地元で採れた野菜を売っているところに行くと見慣れない野菜に出会えた。おそらく一番有名なのが明日葉。これは東京でも食べたことがあったし飲食店でもよく出てくるのですぐに慣れた。それから、別にここの特産というわけではなさそうだけど、オカワカメ、キクイモ、スティックブロッコリーフキノトウ。そういうのを買って帰って、ちょっと珍しがりながら食べた。くさやも食べた。某居酒屋の店主が作ったというかなり個性的な香りのヤマモモの焼酎とか、なんか謎の(やばい)焼酎とかも飲んだ。

そういうのをちょっと楽しく味わっていくなかで、わたしが気になるのは、マジで食材が野生っぽいやつ、か、あるいは発酵(それもドメスティックな)の工程を経ているもの、だな〜というふうに取り急ぎ整理された。わたしは多分「食べやすくないものを食べ、味わう」ということにそこそこ興味がある。おそらくこれは食における贅沢とか趣味のひとつの方向として珍しいものではないので、同志がたくさんいると思う。
最近たまたま友達と「やっぱりシュールストレミングを一回でいいから食べてみたい」という話にもなっていたし、なんかそういうのを食べたりすることを面白くやっていきたいです。趣味として…。

混沌とした味のなかに輪郭を見つけにいく旅、というと大袈裟だけど、味ってけっこう宇宙だ。道もないし距離もないし時間もあてにならない小さな体験に、自分で輪郭線を描くような、見つけたものに名前をつけて呼ぶような、そういうことを通してちょっと自分のものにできるような気がする。そして一瞬で消えていく。すごいな〜、味。目に見えないし形も音も持っていないけど、わたしにたくさんの刺激をくれる。

わたしは歌を歌うのが生き甲斐で、口のなかの空っぽの空間を使って声を響かせるのが大事な仕事なのだけど、美味しい〜と言って食べながらじゃ、どんなに嬉しくても歌い出せないのがけっこう可笑しい。だけど、口の中でいろんなことが起きている、それを楽しんでいる、というところで、歌うことと味わうことには近いものがあると思う。目に見えず、形を持たないけれど、極めて直感的に身体と関わり、生活と命のすぐ近くにある。



もらった景色と言葉と他にも

 
秋口、11月〜12月前半の個人的な大忙しが始まるちょっと前の頃に、飼っていた金魚が死んだ。

その金魚をわたしと同居のパートナーは「キンちゃん」と呼んでいた。映像作家の友人の撮影で活躍した後、行くあてを探していたところを引き取る、という経緯で、彼は我が家にやってきた。オスなのかメスなのかは知らない。キンちゃんはいわゆる金魚らしい明るい朱色の体で、背鰭や尾鰭をゆらゆらと揺らして泳ぐリュウキンという品種だった。

キンちゃんは今年の夏にうちに来て、秋に体調を崩した。だんだんヒレが小さくなって、泳ぐのが下手になり、水中に沈んでいられず水面近くまで浮いてくるようになった。水面に浮いてひっくり返っているのを初めて目撃した時は、けっこうショックだった。魚が浮いてきてしまうなんていうのは明らかに致命的だし、バチャバチャと音を立てて元の姿勢に戻ろうとしている様子が痛ましかった。放っておけず、割り箸でそっとつついて元に戻した。その日はそれでよかったが、だんだん元に戻しても戻らなくなった。近所にある熱帯魚屋さんに動画を見せたり、ネットで調べたりしたところ、おぐされ病とか転覆病とか、そういう名前がついた、金魚によくある病気を併発していたようだった。ひとしきり調べて、水を替えたりヒーターを入れて水温を上げたりエサの頻度を調整したりしたけど、もう手遅れだった。熱帯魚屋のお兄さんにもそう言われた。そして、キンちゃんは初めて転覆した日から2週間足らずで死んだ。


10月16日の朝に死んでいるのを見つけた。でも、その遺体をどうにかする時間はなく、とりあえずわたしはそのまま家を出た。仕事に向かう電車でググった。金魚はとても小さいし、燃えるゴミとして捨ててしまっても全然問題ないらしい。切り身の魚より小さいわけで、まあそりゃそうかと思う。でもその手段は選ぶ気になれず、その日の夜、とりあえず水槽から出した。

ちゃんと葬儀できる時まで、思い切って冷凍しちゃうことにした。このくらいの大きさなら紙に包んでジップロックに入れて冷凍庫に入れちゃえばいいや、と思いついて、きっとこういうの生理的に無理っていう人もいるんだろうな、と、架空の非難の声が頭をかすめた。シャケの切り身を食材としてスーパーで買ってきて冷凍しておくことと、飼っていた魚を冷凍することとの違いって、確かにあるけど、なんか変な話だ。でもとにかく、目の前の死んだ肉に腐らずに待っていてもらえる手近な場所を、わたしは冷凍庫しか知らなかった。


死んだキンちゃんは、水槽から出すとベタベタしていた。脆そうだった。ちょっと力を加えれば簡単に潰せてしまいそうだ。ひき肉を買った時の白い食品トレーの上にキッチンペーパーを畳んで、その上にそっと寝かせた。キッチンペーパーが水を吸って、キンちゃんの体の周りだけが少し沈んだ。料理の下ごしらえをしている時と同じ姿勢で、同じ道具で、全然違うことをやっている、というのが妙だった。

キンちゃんの丸い目には、他の多くの魚と同様に銀色の縁取りがある。もともとまぶたがないので「死体が目を見開いている」という激しい印象とかは特にない。こちらを見ているような怖い感じとか、嫌な感じは全然なかった。
体の色は、水の中で見るよりも透明感がなくベタっとしていた。彩度はむしろ高く見えた。頭のあたりが赤く内出血みたいになっていて痛そうだった。最期は衰弱死ではなくて事故死だったのかもしれない。魚も私と同じに血が赤いんだ、そういえば。全てのヒレが病気でほとんど溶けてなくなったので、全体のフォルムはリュウキンらしからぬちんちくりんだ。このちんちくりんのヒレで、必死にプリプリと泳ぐのが、悲しくも愛らしかったのだけど、死んだらそのプリプリ感もなくなっていた。プリプリっていうのは形というよりも、生きて動いている時の印象だった。死んだらもうプリプリじゃない。口は、生きていた時と変わらず尖っていて可愛かった。パートナーは仕事で居ない日で、わたしは深夜のキッチンにしばらく立ち尽くしてそれを見ていた。


その後、1週間くらいはけっこう落ち込んだ。ほんの数ヶ月の短期間だったけど、10年ぶりくらいに心臓のある生き物の世話をしたので、ちょっとダメージをくらっていた。わたしがもう少しちゃんと目を配って、もっと早く病気に気づいて対処できていれば、とか、色々思い、何もいない水槽を見ては、申し訳なくて悔しくて涙目になったりしていた。でも、幸い、忙しさがどんどん押し寄せてきて、次第にそれどころじゃなくなって、いつのまにか泣くこともなくなった。




キンちゃんを冷凍してから2ヶ月ほどがたって、先日、いろんな忙しさがひと段落した。濾過装置を回し続けたまま2ヶ月放置してしまっていた水槽は、臭いはギリギリないながらも玄関に置くものとしてはきっと風水的に最悪な状態で、それもやっと片付けることができた。そして、ようやく葬儀というか、どっかに埋めに行く時間と心の余裕ができた。というのも、今住んでいる東京のアパートの近所には、そういう生き物を迎え入れてくれるような土壌が全然なくて、その事実はけっこう心に重かった。なんて余裕のない場所で生活してんだろう。

12月某日、ついに葬儀決行。パートナーの仕事場の裏にはちょっとした山があって、金魚を1匹埋めるくらいなんの問題もないよ、と聞いていたので、彼の仕事を手伝いがてら、そこに向かうことになった。(厳密には山に埋めるのはダメらしいけどおねがい、大目に見て〜)
冷凍したキンちゃんの入ったジップロックをさらに保冷剤などと一緒に、旅先でかまぼこを買った時にとっておいた銀色の保冷袋に入れて、持っていった。かまぼこのお土産みたいだけど、キンちゃん1匹しか入っていないので袋はとても軽かった。


キンちゃんを埋めたのは用事が全て済んだ夕方、日が暮れかけた頃だった。山のほうに入っていくと、ほんの70メートルくらい住宅地から離れただけなのにグンと気温が下がった。わたしにとって今年初めての霜柱が、足元でバキバキ砕けた。

少し開けたのっぱらに着いた。そこの端のほうの、大きな木の下になんとなく足が向いたので、パートナーが持ってきてくれたバールのようなものを借りてそのへんを掘った。この辺りの土はとても柔らかく、歩くとブニャブニャで、掘っていても手応えがなかった。こんなに柔らかいと、土があまりにも生き物のフンっぽい。実際けっこうそうだよね〜ウンコの上に立っているんだね!などと思ったけど、神妙にしておいた方がいいような気がしたので口には出さなかった。
紙に包んだキンちゃんはすっかり自然解凍されていて、キッチンペーパーには体液が染みていた。なんとなくその中の姿を見る勇気がなかったし、ひどい姿になっていたとしたらそれを見るのは失礼な気もしたので、紙を開くことはせず、そのまま穴の底に置いて土をかけた。使い捨てのビニール手袋も持ってきていたので、手を汚すこともなく、作業はとても順調に終わった。





ここで、時間を少し巻き戻して書きたいことがある。11月末、わたしは未完成の歌をなんとか完成させようとしていた。
12月半ばに上演した舞台作品のなかで「ドンキホーテの店の前にある大きな水槽の中の南国の魚たちを眺めて、そこから想像力を宇宙まで飛ばしていく」というような終盤のシーンがあり、そこで歌う予定の歌だった。もうほとんど決まっていて、あと2行くらい詩が書ければ完成というところ、その最後の2行ができないでいた。夜中に自宅の押し入れ改造防音室で、ギターを弾きながらああでもないこうでもないとやっていた。

晴れた夜空に突き刺す星の光の色は
いつか見たあの魚の眼(まなこ)に似た透明な銀色の走る光だ

結局、この2行が25時ごろに書けた。書けたというか、歌いながら作ったので「できた」。とにかくできたかもしれないと思って、でも疲れていてこれでいいかどうか判断がつかない、けど時間もないし、うーん、きっとこれだな、と思いつつ共同制作中の悠さんに「これでいいかなあ、歌えば変じゃないんだけど文字で読むと日本語としてややキモくない?」などと珍しく弱気のLINEを送ったりしていたが、心はけっこう定まってきていた。
これで良いか確かめるために繰り返し口ずさんでいるうち、「いつか見た魚の眼に似た透明な銀色」が、わたしのなかでは、本来のモチーフである南国の魚だけではなく、キンちゃんの目のふちのところとも結びついているということに気づいた。あの色、というか、光のような、あの生き物のぬるりとした質感。

歌詞の意味を字義通りに辿るなら、これはキンちゃんとは全然関係ない魚の話だ。聞く人にとっても、これは金魚の歌ではない。でも、詩を書いた時、見たものや見たいものを言葉にした時にイメージが得た言葉は、さらに他のイメージを大胆に呼び込んでくる。詩の言葉は、イメージがまだ語られない事実や記憶だった頃には持ち得なかった新しい活路だ。言葉を定めた時、そこからイメージは改めて広がりなおすのだ。南国から来た魚をふまえて書いた言葉が、それが言葉であることを通してキンちゃんの眼の光を想起させたように。つまり、あの夜はイメージをもとに言葉を書くことと、読んだ言葉をもとに新たなイメージを得ることが短い時間で起きていた。
 
これは作品にとっては裏テーマですらない個人的なことだし、作り方として真摯ではないかもしれない、ような気がする。どうなんだろう。でもわたしには、こんなルール違反みたいなやり方で、あの小さな愛しい生き物がわたしに与えた印象を残せるんだということが、すごく嬉しかった。美化しすぎている感じもしてちょっと笑っちゃうんだけど、でも、その嬉しさが確かにあったので、この2行はこれで行こうと、繰り返し歌い、だんだんと確信していった。






12月半ばを過ぎた葬儀の日に戻る。キンちゃんを埋め終わって、この木を目印にしてまた来れるね、ここは春には桜が咲くね、などと話しながらその場を後にし、ついでにちょっと眺めの良い丘まで登ってみることにした。すごく寒かったけど、以前にもその丘から街を見下ろしたことがあって眺めがいいとわかっていたので、パートナーと2人で期待しながら登った。足元はライトで照らさないと見えないくらい暗かったけど、ワクワク登った。

その日のその眺めは、素晴らしかった!だいぶ日が沈んで、頭上は深い紺色で、西のほうの山々に続く空は濃いオレンジ色だった。1番目立つ山はどうやら富士山で、神々しいほど見事な形だった。富士山が見える時ってだいたい「わ〜!富士山〜!」みたいなノリになってしまうけど、この日はもっとずっしりと神々しかった。12月らしいツンとした寒さで空気は甘く澄んでいて、山の輪郭は遠くにあるはずなのに、版画のようにベッタリクッキリしていた。空のグラデーションの見事さも相まって、山影のコントラストはかなり浮世絵っぽかった。そして山の少し上のところに、一番星と呼びたくなる明るさで、金色みたいな星が、突き刺すように鋭く一つ、ぽつっと浮かんでいた。ほんとうに見事だった。

遠い山の手前には街が、こちらの山まで広がっていて、右手には以前行ったことのある大きなホームセンターの看板が見えた。規則正しく並んだ光、鉄塔の赤いランプ、家々の明かりや近くに見える街灯、昼間わたしたちがいた建物、駐車場。そして街の中で鳴る音のひとつひとつが、澄んだ空気を一直線に伝わってここまで飛んできた。これはあのバイクの音だ、と目で見て耳で聞いてわかった。

わたしはキンちゃんのことで頭がいっぱいだったので、月並みだけど、こんなに美しい夕方にお別れができてよかったと思った。土に埋めてしまったし、とっくに死んでいるのでこの景色をキンちゃんが見れるはずもないけど、よくあるフィクションの表現みたいに、墓から魂がふわ〜って空へ浮かび上がるんだとしたら、きっと今頃、山の上からこれを見ているはず……………(???)自分にとって都合のいいチープな想像力を発動させてしまうくらいには、わたしはベタに感動していた。

隣でパートナーが景色を写真に撮っていたので、わたしは撮らなくていいやと人任せに思って、目をちょっと見開いていた。素晴らしい景色を前にした時に、目をちょっと見開くと、もうちょっと景色がこちらに入ってくるような気がする。ここまで登った運動量で体が温まっていて、顔に触れる空気の冷たさが気持ちよかった。

古いアパートの玄関の靴箱の上にちょっと大きめの水槽を置いて、その中で少しのあいだ飼ったあの小さい魚が、巡り巡って、こんなに美しくて大きな景色をわたしに観せてくれた、ということに、無理矢理にでもしてみたい。させて欲しい。だってそのほうが嬉しい。




自分に言葉があってよかった。この件に関しては、詩を書くということが、何よりも誰よりも、まず自分に作用していた。歌にしたことで、わたしはキンちゃんを柔軟な形で覚えておけるし、たぶん、これからはあの日暮れの景色もそこに繋がって、何度でも思い出してみることができるだろう。

わたしは、詩(あるいはそれに類するもの)を書く友人が身近に何人もいるという事実がかなり嬉しい。すごくおもしろいことだと思う。以前、ふと見た景色から友人が書いた歌の歌詞を思い出して、あの歌詞ってこういう景色のことだったのね、と軽く連絡をしたら「そうだよ」と言っていた。彼はこれをあああう言葉に変換するんだなということを、意味的な理解とは違った方法でわかったような気がした。
人が書いた言葉の端々に、その人の世界への接し方が滲み出るわけだけど、それが作品そのものとは別の側面も知っている身近な人のものとなると、うまく言えないけど、言葉で理解するのとは違った方法でその人の見たものや考えが「わかる」ような気がする。
 
突然めちゃ勝手な願いを書くけど、わたしは街中のみんなに、世界中の人に、もっと詩を書いて欲しい。短歌とか歌詞とか、エッセイとか論文とか、なんでもいいからその人に合ったやり方で、その人の目の前や内側にあるイメージを、なんとか納得のいく形で人と共有しようとして欲しい。絵や写真もおもしろいけど、言葉は決して「そのもの」にはなりえないという点で他の表現と全く質が違うから、やっぱり詩がいいんじゃないかと思う。そういうことで世界が少し複雑に見えるようになったら、もっと生きることがおもしろくなるはず。なると思う、んだけど、でもそんな世界を未来に想像できるほど楽観的になれない現実の厳しさが切ないな、ああ〜

まあいいや。ともかくあれは、わたしが今年見た、人生でも指折りの、本当にきれいな景色だった。あの星と空と、黒い山と、詩のうえで地続きになった、魚の眼。もうひとつ歌ができてもいいくらい。あの夕方の景色とあの魚のことは、ずっと覚えておけそうです。
 
 


ようこそのおどけ

先日、ずっと憧れていた人(ボカして書く意味がほぼないけど以下Kさん)と会って話した。
Kさんはアーティストで、わたしは端的にいって彼のファンだ。4年半前に知ってからずっと、最新作が発表されるたびに嬉々としてチェックし、SNSもフォローして活動の動向をワクワク追っていた。そして、話をめっちゃ端折るけど、近々そのKさんと一緒に取り組む企画があるので、いっちょ顔合わせ的にお茶でもしましょうということになった。夢にも想像しなかったような展開なので驚きが大き過ぎてもはや嬉しいのかどうかもよく分からないけど、とにかくはちゃめちゃな気持ちになった。それだけで一万字くらい書けそうだけどここでは割愛します。

お茶当日。わたしはかなり動揺していた。何を話せばいいのか全然わからない。朝ふと「そういえばお茶するってなんだっけ?」と思い電車の中で一回ググってみたが、ググったところで何も解決しなかった。面接試験の前みたいな緊張。いや、準備や対策のしようがないので、試験よりも怖い。自信もない。今度のプロジェクトに関して聞くんだろうという見当はつくけどそれ自体は15分もかからないはず…、個人的にこちらから聞きたいことは正直そんなにない(アーティストのファンとしては作品があればそれで充分)。嫌われたくないとか余計なことを考えておしゃべりすると失敗するから気をつけないと、これでいきなり喧嘩とかして全部おしまいになったらヤバいな、もう、そうなったらそうなったで悲しいけど仕方ない!行くしかない!と、かなり余分な覚悟まで決め、全力で涼しい顔を作ってエイヤッという気分で待ち合わせの喫茶店に行った。

店の前に着いた時にちょうど向こうのほうにKさんの姿が見えて、彼もこちらに気づいて手を振っていたのでわたしも手を振り返して合流した。
店内は昭和からあるような雰囲気で、いい意味で誰かの実家みたいだった。まあまあ混んでいた。席に座る時に店を見渡したら、キッチンとホールを隔てるカウンターの、キッチン側の壁に設られた腰くらいの高さの棚に、透明の袋に入った食パンがたくさん詰めてあるのが見えた。サンドイッチの看板メニューでもあるんだろうか。わたしは、完全に緊張している+とりあえずなんか笑ってほしい+話すことない+えっ何あれw、が全部まざって、なんの脈絡もなく「食パンがいっぱい…」と口走った。
それに対してKさんは、今座ったばかりの椅子からヒョイと腰を上げて(でも完全には立ち上がらない中腰で)、たくさんの食パンを目で確認し、「ほんとだ笑」みたいな感じのことを言ってすぐ腰を下ろしてリアクションとしたのだけど、わたしはそれをみて、こんなタイミングで完全に変なんだけど、ワッと嬉しくなった。

そのヒョイとした一瞬の動作にはうっすらと、おどけた気分が滲んでいた。ノリが良かった。それはカジュアルな動きだった。こちらのぎこちない冗談未満の発言に目の前のKさんがノってくれた…という事実が、あっけなく現前していた。
ばかみたいに大袈裟に書いてしまったけど、これは至極マジで普通のどうでもいい会話の断片で、Kさんのリアクションも真っ当で妥当、なんてことないんだけど、彼に対して「ファン」だった時間のほうがずっと長い自分にとっては、そのほんのちょっとした運動神経のよさみたいなものが、舞台上で見てきた軽やかなパフォーマンスや、作品のすっきりとした印象や随所で読んできた言葉と、繋がっている気がしたのだった。あ、同じ身体だ!と思った。当たり前に本人だった。

それからの会話は、極めて正しく前向きな話題ばかりで、本当になんの心配もいらなかった。あんなに緊張していたのが嘘みたいだった。
 
そして、その時はすごく普通に喋っていたけど、わたしには「一致した目的のために人と人が仲良くなってみようとする」ということが久しぶりすぎて、後で1人になってからその尊さを思い返し、深くてあったかい気持ちで泣きたくなった。ちゃんと友達になれそうだということが素直に心底嬉しかった。


仲良くなるってなんだっけと思う。どうやってたんだっけ。
例えば大人になると、今までこうやって仲良くなった、という経験値がだいぶ溜まってきているから、かつてやったのことあるコミュニケーションの手法をそのまま使ってみたりする。こう書くと愚行っぽい感じがするけど、でも初対面の人と良好に時間を過ごそうとするとどうしてもそうなる。Kさんと話していた時も、わたしは、こういう感じで冗談を言われたら多分これぐらいの感じで笑っていい、の加減を推し量っていて、心はずっと中腰だった。いつでも走れるし左右にも前後にも素早く重心移動できます。これぐらいの馴れ馴れしさOKでしょうか?OKっすか!ありがて〜!あっ、ここツッコミいれるとこですね?!よし!いくぜ!「(ツッコミ的発言)!」キマった〜!田上碧選手、決めました!わたしは内心ハイになっている一方で「今自分は手持ちのカードを適切に出している」という戦術的な感覚もあり、しかし持ち前のパフォーマンス力(ぢから)で平静を装っていた。
 
そんなふうに見えないと良いな、と思いながら正直かなり真剣だった。余計なことを言わないようにとマスクの内側で口をピッと閉じて黙ったりもしていた。わたしは慣れない人と話す時、会話の沈黙を埋めようと余計なことまでペラペラ喋ってしまって失敗することが多いけど、真剣に口を閉じる作戦が功を奏してか、この日は多分大丈夫だった。Kさんも変にペラペラ喋ったりしない人だったので、たまに2人とも黙ってシーンとしていたけど、ピリピリしているわけじゃなく、あれはそんなに悪くない時間だったような気がする。

むしろお互いのそういう丁寧さが新鮮で嬉しかった。ひとつひとつ順調に言葉が交わされ、少しおどけたところに小さな笑いが起きていくたび、話せることが増えていくみたいだった。「話したこと」が増えると「これから話せること」が増えるんだ、と思った。

午前中「14時50分に新宿…」と頭をいっぱいにして緊張で気持ち悪くなったり脚に力が入らなくなったり手が冷たくなったりしていたのに、気づけばあっけないほど普通に喋っていた。こうやって他の友達と喋るのと同じように喋って笑えたら、もうこの人とも友達なのでは?とさえ思った。Kさんのコミュニケーション能力の高さで見事に調子に乗せてもらっていたような気も大いにしているけど、でも自分としては、ちゃんと話すというシンプルなことを久しぶりに頑張った日だった。大人として仕事の話をちゃんとしただけ、と言ってしまえばそうかもしれないけど、気持ちは、人間として歓迎されているみたいでうれしかった。



8月の終わりくらいから一緒に作品を作っているHさんとも、最近ようやく、かなり普通に喋れるようになった。ほぼ初対面で、最初の頃はオファーをいただいたという光栄さで妙に気負って「かっこいいこと言わなきゃ」みたいな気分があったけど、それでは知っていることしか話せないような感じで、しんどくて、途中で意識的に気負うのをやめた。
ちょっと歳上の彼女がわたしを「あおいさん」と呼んでくれるのを受け取ってわたしも彼女を名前で呼ぶようにしてみたり(まだ慣れなくてたまに苗字呼びと名前呼びが混ざってしまっていた頃のソワソワが懐かしいほど、今ではすっかり名前呼びが定着した)、ご飯を一緒に食べたり映像作品を一緒に見たりして、もちろん制作がメインだけど、同じ時間をたくさん過ごして、好きなものの話をして、関係ない話もして、やっぱり笑いあうたびに何かが開いていった。ここ数日の稽古なんてもう、何もなくても細かいふざけで笑っている。Hさんもふざけてくれるようになって、先日ついに彼女の顔芸で笑う、なんてことも起きて、いよいよ仲良い。うれしい。そうなったらアイディアもかなり出しやすくなって、単に段階が進んだからかもしれないけど、制作自体も作品もグングン面白くなってきている。(12月11日が本番です!きてね)(吉祥寺ダンスLAB.5『千年とハッ』|吉祥寺シアター


どうやら、おどける、ってすごい威力がある。笑う、も当然必要だけど、おどけて笑わせにいくのは、もっと効く。おどけるのは優しさのひとつの形だと思う。別に中身はおもしろくなくてもいい。ただ、状況をおもしろくしたいという態度は、君の色々なことを許すよ、なんでも言っていいよ、という優しさに繋がっていて、目の前の人を柔らかくするらしい。
 
どちらからともなくおどけるようになってから、「いちご味のポッキーは昔から売っているけど美味しくリッチになってきているような気がする」とか「アライグマはあんドーナツが好物らしいよ」とかいった情報が、ちょっとした笑みと一緒に、ひとつひとつ「Hさんが言ってたこと」として自分のなかに増え、記憶になっていく。こういうことの真偽なんて本当にどうでもよく、つまり会話は必ずしも内容ではないということですが、そういうコミュニケーションってすごく尊い



そういえばわたしは自分の周りの好きな友人たちと、なんで、どうやって、いつのまに仲良くなったんだっけ、と思い出していたら、やっぱり彼ら彼女らは、めっちゃ一緒に笑ってくれていた気がしてきた。たくさん笑わせてくれたし、わたしもなかなか笑わせにいった。最終回みたいな気持ちになってきた!!ともかく、おどけると人間が油断するのは間違いなさそう。そして油断を重ね、相手に委ねていくことで人は仲良しになるっぽい。

一緒に住んでいるパートナーはもう10年くらいの付き合いだけど、朝から晩まで基本的にずっと楽しそうにしていて(めっちゃ良くない?マジで生涯を共にしたい)、あれは、実際本当に楽しいのかもしれないけど、何割かはあえておどけてみせてくれていると思う。おどけてみせるって優しさの最上級の態度だ。敵意のなさを示し、笑っていいよと両腕を広げて許してくれている人を前に、攻撃なんかしようと思わない。もちろんわたしもおどけて返す。おどけにおどけを返すとずっとふざけて笑うことになる。仲がいいから笑うのか、笑っていたら仲良くなるのかわからないけど、そのOKな基盤ができてしまえば、いろんな具体的なことをスムーズに進めていける。

わたしが先日「食パンがいっぱい…」と言った時にKさんがひょいと立った「ひょい」の感じが嬉しかったのは、こういうことだったような気がする。ほんとにあのKさんだ〜!という不躾なファン的感想は表面的なもので、実際はこういう嬉しさだったんだと思う。おどけてみせてくれたら、こちらもおどけていいのかな、と思える。ようこそ、ちょっと一緒に笑ったりしてみませんか?という表明をもらって嬉しくないわけがない。わたしが犬だったら尻尾を振っていました。

そういえば、後から何を話してたんだか忘れちゃうくらい、会うとお互いずーっと喋ってしまう友人がいて、一日二日一緒にいたくらいじゃ話題が尽きないし(なんなら同じ話を平気で何度もしてさえいる)近くまで行く予定があるから会おうよ!といって1時間だけお茶とかもする仲なんだけど、いつの間に、こんなに何でも話せる感じになったんだっけ。
多分、こんなことも話してみちゃおうという一歩を踏み込ませてくれる「ようこそ」が、どこかにあったはずだ。わたしが、というよりは、彼が先に「ようこそ」という開けた態度で接してくれたような気がする。いくつかの歓迎にためらわずにノれたのはわたしの勇気と自負したいけど、「ようこそ」ができる人は愛されますね。わたしも見習いたい。
 
人と人、まずはおどけて開いてみせることなんだ、というのが今回の気づきでした。おどける優しさと、ノる勇気。こうやってまとめると、頭では知っていたようなことだけど、でも、笑いのほうが先だと思ってたから難しかったのかもしれない。つまり、スベってもいいんです!
 
最後の最後で、インドネシアに行った時、仲良くなりたくても言葉ができなさすぎたので、動物の声真似(近所のギエェーって鳴く変な鶏、夜に登場するトッケーという巨大ヤモリなど)を上手に披露して笑いをとりにいっていたことを思い出した。
 
いやいやそんな原始的な方法?って感じですが、ちょっと考えてもみて…。言葉が通じるうえで奇声を発するくらいのユーモアはあったほうが豊かじゃない?というか、かなりトラディショナルな手法では?歌や踊りもそういうことかもしれない。毎日のように歌って踊っていると疲れていても笑えるから、体がヘトヘトでも気分は強くて元気だ。
なんだか楽しく人生をやっていけそうな気がしてきた。ありがとうみんな、わたしもおどけて生きていきます。ギエェー