自分とこの世の最前線

 
数日前、弾き語りのライブを開催して歌った。今年一年間、毎月やってきた企画の12回目だった。このライブの時は、小一時間ほど曲をいくつか歌っていく合間に「演奏と関係があると自分では思うこと」を、概ねこの1ヶ月のあいだにあった出来事ベースで話すようにしている(だんだんそうなった)のだけど、先日はいつにも増して全くうまく話せなかった。
12回やってもいまだに毎回ぜんぜん話上手ではないのだけど、その時は、言葉の出てこなさをもどかしく思いつつ歌っていたら、歌っているあいだにススス…と整理されていく、という少し不思議な感じもあったので、新鮮なうちに書き留めておくことにした。

歌は、意味を含みつつも、全くそれとは別軸の、イメージのようなもの(メロディや声の音色)をよすがにして進む。一般的にいってそうである、とわたしは捉えている。そして、そのイメージのようなものの作用だと思うんだけど、適度に気が散っていて、3人くらいの自分が同時にいるような感覚になることが度々ある。歌の歌詞に準じて大きな想像の世界を前にしている自分と、めちゃくちゃ現実に立って客席や会場の壁を見ている冷静な自分と、このあと食べるもののことを考えているアホな自分、みたいなのがいる。必ずしも毎回そうなるわけではないけれど「3人くらいいる」時というのはいい状態だと思っている。
そういう時は、脳を含む体が日常的な感覚とは少し違う状態なので、何かに思いを巡らせたり、感覚が鋭敏になって新しいことに気づいたり、ぐちゃぐちゃしていたものが整理されたり、といったことが起きる。自分の歌さえ新鮮に聞こえて、何か発見したりする。歌詞の有無とはそんなに関係ないような気がする。ジョギング中とか、自転車に乗っている時、風呂に入っている時に似ている。歌っているのを誰かが聴いてくれていると、そういうことが起きやすい。先日はそういう日だった。そして、ほんとうにめずらしく、やるせなさと、怒りと、悔しさと、そういうのを滲ませてしまった瞬間があって、そこから頭の中がグググとなって、中途半端になってしまった内容が少し整理された。
1曲をそんなふうに歌い終わって「整いました!」みたいなことを言って、話してから、次の最後の一曲を歌ったけど、その時に途切れながら発した言葉が理路整然としていたとは思えず、全然伝えらんなかった……と、帰りにやや凹んだので、こんな場所で補足するのもおかしいけど、書きます。あの日に話したかったこと+αです。



先日、小宮りさ麻吏奈というアーティストの作品を観た。かなりかいつまんでいうと、「生殖」を暴力と支配の手段とする新しい兵器が戦争のなかで使われるようになってしまったとしたら、というSF的想像を、短い映像といくつかの要素から成るインスタレーションにしたものだった。それはSFの体をとっているけれど、現実の戦場で起きていることとそう遠くなく、こんな恐ろしいことがほとんど現実だ…とわたしは思った。(https://taliongallery.com/jp/press/91MCS.pdf)(目白で2/25まで開催)

内容について詳しく書かないけど、その作品は、とても恐ろしい想像力を掻き立てて、単純に鑑賞体験としてもショックな瞬間があったりして、わたしはだいぶ「喰らって」しまった。わたしは、自分のことを肝が据わった大胆で勇敢な人間だと思いたくて大きい声で歌っているようなところがあるのだけど、実際のところは全然そうではない。あらゆることを細かく気にしてしばらく凹んだりすぐ泣いたりする。怖いのが苦手です。それで、ハラハラしながら感想が言葉になる前に会場を出て、地下一階から地上にあがって、外の空気に触れたらボロボロ涙が出てきてしまった。でもこの涙は、このSFをフィクションとして受け取れる状況にいる人間の特権的なものだな…、とも思いながら、一緒に作品を観た人と、ひとつ遠い駅まで少し多めに歩いた。

表現というのは時として暴力になるし、何かを犠牲にして成立している、ということを以前ここにも書いたことがあった。何かを考え、作り、人に伝えるということは、自分の暴力性と特権を引き受けた先にある。(https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2023/05/27/171901 )小宮さんの作品は、そういうことを正面から引き受けに行っていて、だからこそわたしはダメージを喰らったけれど、これは社会にとって必要な仕事だし、いい作品だと思った。



音楽や美術や演劇や、そのほかあらゆる表現が社会的に担えることがあるとしたら、そのうちの大きなひとつが、ここにないもの、かつてあったもの、いつかあるかもしれないものについて、想像力を巡らせる練習を人に促すことだと思う。
想像力は鍛えられるし、それは自分を救う。宗教がすごくわかりやすい例だけど、自分の現実と教えとを照らし合わせ、それによればどうだとか、祈ったりとかして、心の平穏を保てたりする。あれは人の心を支える仕組みだ。想像力を発動させるのが上達すると、心を支えやすくなる。ここにない景色を想像したり、いくつかの出来事を結びつけて思考を前に進めることができる。大昔から音楽や美術は宗教のそばにあったし、瞑想や心理療法などでも言葉から想像力を働かせて心身の状態を変えていったりする。自分が取り組んでいる「歌」も、そういうものにわりと近いところにあると思っている。

こんなにすごい方法を人間はたくさん知っていて、長いあいだやってきた。表現を通して想像力を働かせる、その練習と実践…。これが全部うまくいっていたら、今ごろ世界はすごく平和なはずだ。でも全然そうじゃない。世界はずーっと、ぜんぜん平和じゃないし、誰かに対して酷いことをやってしまう人たちがいる。

大人になって少しわかってきた。何かが起きた時、そこに理由や経緯があるので言葉としては「結果」というふうに言えるけど、でも「そうなった」では、終わらないのだ。良くも悪くも、世界はその先も続く。事件は起きて終わりじゃない。言ってみれば当たり前だけど、結果の先に、まだ未来がある。



数年前から動向を追っている弁護士がいる。田中広太郎さんという人だ。全く面識はないけれど、わたしはインターネット越しに彼の書いたものを読んだりしている。ググっていただければすぐにわかるけれど、歴史のそれなりに長く、世界中に信者がいるキリスト教系の宗教の暴力的な部分について、現代の弁護士の立場から批判し、戦っている人である。
先日、その人のブログ(いくつかあるんだけど、すごく明晰な文章で、非常に読み応えがあるのでどれもおすすめです)に、19世紀から続いているその宗教の細かい歴史的動きについて不信感をもって言及する記事(https://ameblo.jp/exjw-2013/entry-12590440741.html)がアップされた。わたしはそれを読んで、すげえ〜と思った。
ある個人が、世界規模の宗教に対して、異を唱え、戦いを挑んでいる…。ということに、感動した。今は彼は一人ではなく考えを同じくする人たちと協働したりしているのだけど、きっかけは宗教2世としての個人的な経験で、それもブログに仔細に残されている。家族に対する個人的な感情と、弁護士としての職業的視点がどちらも強くある、あんまり読んだことがないバランスの明晰な文章だった。数年前に読んで、とてもグッときていたのを覚えている。
今回の記事を読んで、人間の歴史って、積もりに積もって今日この日に最新版なのだ、ということにわたしは改めて気付かされた。科学技術や医療もそうだし、芸術だって、ありとあらゆる分野が、ものごとが、今が最新だ。そんなの頭でわかっていたつもりだったけど、これを読んだ時すごくハッとした。
田中さんは弁護士の取り組みかたで、きわめて実直な戦いを具体的にやっている。それはアーティストの想像力云々とは全然ちがう手段だ。どちらが優れているとかではなくて、自分にはできない強さを頼もしく思うし、これからも動向を追っていきたい。


ここは最新の地球だ。一番新しい未来、歴史の先端部だ。歴史的な恐ろしいことをどうにかできる可能性も、明日の朝ちゃんと起きられるかどうかも、ぜんぶが「今」にかかっている。シンプルに、字義通りにそうじゃん、と思う。


先日、本当にすばらしい料理を食べた。広尾にある、主に中東〜ヨーロッパ圏のエスニック料理を出す「キッチンファイブ」という店だ。そこは、ゆうこさんというパワフルな女性が40年ひとりで切り盛りしている。(ブログもめっちゃいいです http://magazine.kitchen5.jp/
まず端的に、料理が信じられないくらい美味かった。あらゆる味の解像度が高く、すべてにピントがあっている。酸味ってこんなに色々あるんだ、とか、苦味ってこんなふうに美味いんだ、とか、そういうことに一口ごとに気付かされた。複雑かつ非常に洗練されていた、とか、もう何も言ってないようなことしか言えない……。
わたしは運良く「味ガチ勢」の友人に誘ってもらえてその店を訪れたのだけど、その日のその時はさらにラッキーなことに我々しか客がおらず(基本的に予約いっぱいの店)「う ま す ぎ る 」と感動をそのまま語りまくっている我々をみて、ゆうこさんがいろいろな話を聞かせてくれた。

曰く、「自分がした経験を人に伝えることはできない」。彼女は、何十年も世界中を旅しながら各地の飲食店で修行をして、この店を作ったそうだ。店を作ってからも、度々営業を休んで、研究のために数週間の渡航に出てしまうほど、料理に取り憑かれた熱い人である。現地のコレでなければ出せない味がある、ということで、現地で買った食材をトランクに詰めて持って帰ってくることも多々あるらしいし、玉ねぎを刻むのすらバイトには任せない(給仕だけ頼むスタッフを雇っていた時期もあったらしい)くらい、ストイックに一つ一つの料理を作っている。メディアの取材も「それで忙しくなって料理ができなくなるのが嫌」という理由で片っ端から断る。信じられない量の、料理の名前の書かれたカード(食事のメニュー表ではなく実際にすでに9割できている食事が皿やバットに載って並んでいて、それを目で見てオーダーするシステムなので、レパートリーの数だけカードが、あれ多分1キロぐらいある…)がカウンターに置かれ、旅先で撮った写真の束が店の片隅に、それもまた山になっていた。

彼女は「本当は絵描きになりたかった」と言っていた。広告代理店の仕事をへて現在は料理と並行して焼き物の作品を制作している。作品は店内の棚にたくさん置かれている。色合いの温かく鮮やかな、そしてかわいいモチーフの絵で埋め尽くされたお皿や陶板は、めちゃくちゃよくて、「作品集を作らないかという話をもらっている」らしい。(海底でお魚たちがおしゃべりしたり喧嘩したりしている絵の皿を詳しく解説してくれた)(作品集はほんとに作ってください…)また、彼女の作った陶板は、店の玄関のドアの上の壁に埋め込まれていたり、丸いテーブルに嵌め込んだ作品になっていたりする。内装にももちろん、自らの手とこだわりが詰まっている。「今度移転する先の店の階段にも焼き物を埋め込むつもり」とも仰っていた。これまでに訪れた国の国旗を、箸置きくらいの大きさの小さな焼き物にしたものもすごくかわいくて、ジャラジャラと音が鳴るほどたくさん、箱に入っていた。確かこれが階段につくってことだったと思う。忙しくて全然寝る時間がない!と楽しそうだった。


その人はすばらしい料理人でありアーティストだった。彼女は、その生涯をかけて、自分が見て、聴いて、浴びてきた、あらゆる国の光や音や風を、味を、色を形をイメージを、料理と陶芸にしている。確かに、そんなふうにしてできているあの味を、味だけを誰かに伝える(弟子はとらないらしい)なんてことは、そりゃあできない。経験を伝えることはできない。でも、確実にわたしたちは、ゆうこさんの料理を食べて、何かを受け取っていた。経験そのものは伝えられないけれど、違う形に変換して何かの出来事を新しく起こすことは、できる…。
 
最初はちょっと怖い人かと思ったけれど、喋り出したら止まらない人で、その凄みと厚さと熱さがすごく嬉しくて、眩しくて、話を聞きながらちょっと泣いた。ゆうこさんはマスクをしていたのでほとんど目しかお顔は拝見できなかったけど、その目が、日本のそのくらいの世代の人っぽくない黒い囲み目メイクで、印象深くかっこよかった。

わたしはその日は、本当に大感動してしまって、もうあの日(1月末の水曜日)から3週間が経つのに、いまだに会う人会う人にこの話をしている。3月いっぱいで移転するらしいけど移転先は一戸建てらしくて、ますます楽しみでヤバいです…



その店主が、何の話の流れだったか、声を強くして「今が一番若いんだよ!」と言っていた。
よく聞くような言葉だったけれど、彼女の口から放たれたら、あまりにも説得力があって、心に刻まれた。

人間はみんなが、一人一人それぞれ生きて、たまたま歴史を紡いでいるのだ、ということを、こんな形で目の前にしてしまうと、もう、背筋を伸ばさざるをえない。わたしはすっかり勇気を得て(今月は他のうれしい・たのしい・だいすきも数々ありましたが!)マジでずっとこの3週間キラキラ生き生きと暮らしていた。料理の栄養がこんなに長く作用するなんて、本当に凄まじい。これは、誰かが作ったものから人間が受け取る動きの中で活性化する、なんかそういう名前のない、でも確かにある、人が人として生きるための必須栄養素だ…。ん?勇気ってことか、勇気って栄養だったんだ(?)



このへんで、自らも表現をやる人間の端くれとして、何かできているんだろうかと、わたしは我が身を振り返り始める。さて自分は…。こんな凄い人たちに、そして今回は書いてないけど他にも本当に大勢の、すげえ人たちの表現や仕事に、心がプリプリになるくらいの栄養をもらってきた。もらってきた、のにも関わらず!!!ああもうマジで、自分マジでなにもかも足りねえ〜〜!!!です、でも、「肯定する」ということは、きっとキーワードだと、ちょっと自負みたいなのがこの頃じわじわと芽生えつつある。

長くわたしの歌を聴いてくれている人が、年末ごろにまた聴きにきてくれて「碧ちゃんの歌を聴いている人達を見てると、なんかみんなちょっと肯定されたみたいな、良い表情になって帰ってく」というようなことを言ってくれたことがあった(まず歌っているわたしじゃなく客席をみた感想をくれるところに年月を感じてグッときた)。うれしかった。いろんな謙遜は傍に置いといて、めっちゃ嬉しい。

そして変な言い方だけど、その言葉には心当たりがあった。景色を歌にするということはすなわち「景色を見ているわたしがそこにいることを確かにする」ということなので、それをしっかりした声で歌うということは、いかにも「肯定」らしい。つまり、体がここにあることの肯定。
 
もう8〜9年くらい?たってしまうのだけど、昔、長野県の限界集落と呼ばれるような過疎地域で、友人との制作合宿の最後の日に地域の人たちに場を開いてパフォーマンスをしたことがあった。全然ちゃんとしたアートイベントとかではなくて、わたしたちが勝手にやっているやつだったのだけど、区長?地区の行政的リーダーの人が歓迎してくれて、ささやかながら開催に至った。
わたしはある家の中から外の客席に向かって、自分の今いる場所を言葉にして大声で報告する(「屋根の上にいます」から始まり、「窓の前にいます」「階段です」「玄関です」「庭です」…そうしながら家を出て道をあるいて客席から延々遠ざかっていく)というパフォーマンスをやった。それを見ていた地域の方から「家で一人で黙って過ごしている時間が多いわたしたちは、ただ生きているということを肯定してもらうことって滅多にないんだけど、今日はそういうふうに感じてうれしかった」という旨の感想をいただいた。この辺に住んでいるのは大体が高齢者なので生存確認みたいな概念が日頃からあるんだけど、そういう時に「ここにいます!」と主張することすら、自信をもってやれる感覚があんまりないの、というようなことも言っていた。思い出したら色々考え始めてしまうけど、ともかく、あれは、表現を通して自分にも何かできると信じたくなった原体験かもしれない。
 
この文章の最初の方に、本当は弱々な自分のことを勇敢で頼れる人間だと思いたくて大きい声で歌っているようなところがある、というようなことを書いたけど、まさにそれで、わたしがわたしを肯定して、見た景色を確かにしていくことで、その場の全部を抱きしめられるのかもしれない。声は両腕よりも遠くまで届く、と4年前のステートメントに書いた自分の言葉を思い出す。いいこと言うやんけ…


キッチンファイブのゆうこさんは、「投資は自分の体にする。知識は盗まれない。」と言っていた。ブログにも書いていたし、初対面のわたしたちにも話してくれたので、彼女にとって大切な考え方なのだろう。はっきりした早口で話すその人の、焼き物の作品をひとつずつ手早く並べていく手は爪がすごく短くしてあって、カウンターの明かりでツヤツヤしていた。
 
体ということは、個人ということだ。そこに歴史があり、それは歴史である。
憧れの人が一人、二人と増えていく。これからもそういう人と出会っていける人生がいいし、わたしは、そういう人たちに恥ずかしくない自分でありたい…、と背筋を伸ばしなおし、首を一回まわして、ああ、とりあえず2月のがんばりワクワクウィーク(2日に一度ずつ全然違う全部楽しいライブがあった!HAPPY…)を終えて、ぐちゃぐちゃになった部屋を片付けたり、色々しまーす、あー、えへへ…。