全部がある!

ーー近況

先日、シェアアトリエからの帰り道を自転車で走っていて、あ、ここは10ヶ月くらい前の頃に桜が散っているなかを今にも崩壊しそうなシェアサイクルをぎいぎいいわせながら通った道だ、と思い当たった。引っ越してからもう何度も通っているはずの道だけど、こんな風に思い出したのは初めてだった。空気が似ていたのかもしれない。確かあれは3月、アトリエから家まで、そこそこ近いみたいだからと試しにシェアサイクルで帰ってみようとしたのだった。初めての道の「そこそこ近い」は「まあまあ遠い」で、自転車が壊れそうで怖かったし、汗もちょっとかいて、帰宅した時に達成感があったのを覚えている。

パートナーと新しい町で暮らす計画が動き出してから、ぼちぼち季節が一周する。あの時はまだ地図を見ながら走っては止まってなんとか辿っていたアトリエまでの道も、今はもう、何も見ないで迷わずに進めるようになった。駅までの近道も見つけた。お気に入りの銭湯も、かわいいパン屋も、いい整体も、悪くない美容室も見つけた。住民票も移した。知らなかった町の廃墟みたいだったアパートは、すごく暮らしやすいわけではない(ex.キッチンの水道からお湯が出ない/二箇所から同時に水を出すと水圧がなくなる/ほか)けど、常識外れの工夫の数々(ex.足場がないと登れないほど床が高いベッドを自作/押し入れを改造して防音室を施工/物置にジャストサイズの冷蔵庫を設置/ほか)によって、秘密基地みたいなとびきり楽しい家になった。まだまだやりたい改造は残っているけどやっと一旦けっこういい状態です。


ーー本題

小さい頃から「一年の計は元旦にあり」とよく母が言っていた。1月1日にぼんやり過ごしたり寝坊したりしているのを咎める文脈だったと思う。1月1日こそちゃんとして今年どうするかしっかり考えなさい!というような明るいお叱り。それがすっかり染み付いていて、1月1日はなるべく良い感じにしなきゃ、と毎年ぼんやり思ってきた。

そんな1月1日が今年はとても素晴らしかったので、かなり大丈夫な気がしている。ちゃんと朝に起きて、家族でお節料理を食べて初詣に行き、笑顔で家族写真を撮って、その後、わたしは友人と連れ立って寄席に行って笑って、日が暮れてからそのメンバーで買い出しをして皮から餃子を作って食べた。たくさん笑った。綿密に計画したというよりは、けっこうテキトーなノリでそうなったにも関わらず、あまりに良い元旦だったので、なんかもう今年はいけるぞ!と思った。

そして、その「今年はいけるぞ!」という気分で迎えることができた本番があって、それがちゃんとすごく良かった。1月9日、仙台でのイベントだった。このイベントは、この日までの会期でせんだいメディアテークで開催されていた「ナラティブの修復」という展覧会(https://www.smt.jp/projects/narrative/)にアーティストの磯崎未菜さんが出展していた映像+インスタレーションの作品を一緒に作ったメンバーで「やろう」と言い出して、磯崎さんがノリノリで盛り上げて企画してくれた会だった。展覧会の非公式打ち上げみたいな、半ば身内っぽいイベントではあったけど、とてもいいパーティーだった。
その日は、まず映像に出演していたメンバーで作品の戯曲を朗読し、次にわたしが弾き語りもやらせてもらい、最後に磯崎さんが自分のバンドのメンバーを東京から招集して(!)懐かしい曲や新しい曲を演奏するというプログラムだった。磯崎さんは、わたしが知っている10年前からずっと賢くて強くて明るい人だけど、この日は輪をかけて終始ずっと楽しそうで、みんなそのエネルギーを浴びて楽しくなっていたような感じがした。数年前に引っ越したこの仙台で、わたしは全然知らない街で、この人はしっかり人と出会って、考えて、愛されて、生活をしてきたんだな、というのが垣間見えたような気がして、よかった。好きな友達に良さそうな仲間がたくさんいるというのを目の当たりにすると嬉しい。東京からわたしとも共通の友人が数人来てくれていて、大集合って感じで、ちょっと結婚式みたいで可笑しかった。


あれはとてもいい会だったな〜、という感慨は、それはそれとして大きくあり、加えてそれとは別に、あの日の弾き語りのライブは自分にとっていろんな部分でちょっと特別になった。

まず東京近郊ではない街で自分の演奏をする初めての機会だったし、お酒と軽食を片手に聴けるような場所で自分の曲をギターを弾きながら次々歌うのも初めてだったし、持っていったCDをあんなに買ってもらえたのも初めてだった。終わった後に色んな人に感想をもらえたのも、コロナ以降とても久しぶりで、震えるほど嬉しかった。
正直めっちゃ感動してしまった。やっと自分の歌の弾き語りだけで30分超の「いわゆるライブ」ができるようになった、ということも自分にとってすごく大きな成長だった。演奏難易度とか変な事情じゃなくて、曲の中身を基準にセットリストを作れたのも嬉しかった。あと、今までは歌詞を書いた紙を譜面台に置いていたけど、それを置かずにやれたのも実は初めてだった。こういうことがやりたい、と心を定めてから2年半、やっと一旦、「できる」と思えるようになった。本当にいつも時間がかかる。


そして…、というかこっちが本題になってしまうのが自分の変なところだと思いつつ書くのだけど

イベントの前日、仙台に着いた午後、雪が残る川沿いの公園で練習のつもりで一人でずっとギターを抱えて歌っていた時間が、すごく良かった。

本当に良かった。あそこに、全てがあった!あの場には完全に全部があった。わたしにとっての歌の原初と、ただの現在と、笑顔と怖さと、夢と、寒さと暖かさと明るさと、過去と将来と、他人と動物と、影と、生活と、さみしさと。そういうのがもう、全部あった。生きているということはもうそれだけで「全部」なのかもしれない。そして、あの公園で得た「全部」の体感と、お酒を片手に聴くライブハウスの体感が似ていて、ライブの時に最高な気持ちになった。いや、ライブハウスを公園の体感で解釈して体験できたという感じ、とにかく、ああ!!こういうことです!!と思った。順を追ってもう少し書きます。


少し遡って2021年の12月の初め、円盤に乗る派(https://noruha.net/)という演劇チームの運営しているアトリエ「円盤に乗る場」(https://note.com/noruha)の活動報告会というイベントがあった。わたしはアトリエ利用のメンバーなので出演したのだけど、予想だにせずとても良い日になって、あの日を境にそれまでの落ち込んでいた気分がぐっと持ち直した。
この日はわたしは自分の弾き語りのほかに、作家・演出家の中村大地さんの書いた小説を朗読し、彼が昔作った歌(小説のもとになっている)も一緒に歌っちゃおうということになっていた。その歌の練習をやろうと、本番の前の空いた時間に会場から歩いていける川沿いの公園で、たぶん30分か40分くらい真面目に2人で練習した。中村さんは程よいタイミングで会場に戻ったので、そのあと寒くなってやめるまで、わたしは2時間くらい1人でそこにいた。

その日は、日差しがあって風がなくて、アイスカフェオレなんか久しぶりに飲んじゃうくらい暖かかった。人のそれほどいない川沿いとはいえ、公園で歌うなんてちょっと恥ずかしいような気がしていたけど、歌い始めてしまえば道ゆく人たちは全然自分たちに興味がないとすぐにわかって、気にならなくなった。そんなことよりとにかく天気が良かった!ギターをかかえてベンチに座っていると色んなものが見えて聴こえた。向こう岸の工事中の建物の屋上に人影がゆらりと見えてびっくりした。水面ぎりぎりを低空飛行する鵜みたいな鳥とか、橋を騒がせる電車とか、跳ねる魚、日差しが水面や川沿いの手すりにキラキラ反射していたり、時間がたつにつれてだんだん影が東に倒れて移動していくのとか、そういうのが、歌っているとどんどん現れては過ぎていって、ひとつ認めるたびに目の前が新鮮になっていくみたいで嬉しかった。

あれと性質の似た時間を、仙台の川沿いの公園でも過ごした。仙台の川沿いには、隅田川にはいなかったトンビがいて、わたしが座っていたベンチからは、低くなっている対岸の自動車教習所でゆっくり車が動いたり止まったり人が建物に入っていったりするのが見えた。ベンチは小高くてやや奥まったところにあったので、座っていると水面は見えなかった。対岸は街というよりいきなり郊外然とした雰囲気で、人よりも木や土や岩の勢力が強そうだった。スズメの群れがたくさん木に集まっていた時もあった。みんなずっと大騒ぎしていて面白くて、愛しいような可笑しいような気分で、なんかよくわかんないけど嬉しくてたまらなくなって歌いながら声を出して笑った。ゆっくり旋回しているトンビもたまに鳴く。歌いながら見上げると空が高い。目のピントが、真っ青な空の白い小さい飛行機にバッチリあう。気持ち良い。近くの小綺麗なマンションのベランダの奥にそれぞれのカーテン。対岸の教習所のさらに向こうには、遠くというより近くといったほうがしっくりくるような存在感を湛えて、どっしりと大きな山が寝ていた。上の方は白く雪が積もっていた。山の上にも町があるようだったから、あれは山とは呼ばないのかもしれない。町の建物のうちのひとつの窓が、ぎんぎんに夕日を反射してただの光になっていて眩しかった。地上は風があまりないのに雲の流れていくのはとても早くて、太陽が頻繁に出たり隠れたりしていた。日差しが陰ると一気に寒くなるので、雲の速さが肌でわかるようでおもしろかった。平日だったけど人もたくさん通り過ぎていった。子供が「あの人ずっといる」と言っているのが背中越しに聞こえたりした。誰かの落としたイヤリングをベンチの下の地面に見つけたので、拾ってベンチの座面の隅っこに置き直して帰った。安っぽいけど可愛いイヤリングで、透明の大きなビーズが長く連なってキラキラしていた。

あらゆる生き物や光や風やその音が、どんどん現れては去っていった。景色もどんどん姿を変えていった、と、その時にはそう思ったけど、今思い返すと、あれは、わたしがどんどん気づいていっていたんだと思う。その場にある運動や物体や空間に対して、見つめたり返事をしたり呼んでみたりするような能動的な感覚もあったけど、だいたい80%くらいは聴く気持ちと見る気持ちで、わたしは受動的に歌っていた。聴いたり見たりすることのほうが優位にあって、歌うことはその後ろにほんのりあった。その心地よさ!

ギターを弾きながら歌うといいのは、ギターの音が聴けるところだ。めっちゃ当たり前のことですが、自分の声の音を一本ぎゅーっと放ってそれを聴くのと、ギターの音の束や粒を聴いて声を出すのとは、かなり違う。ギターの音を聴きながら歌うと自分の声も「聴こえて」くる感じがする。声は自分から出ている音だけど、外でギターと混じった時の響きにまで神経が伸びるというか、全然うまく言えないけど。しばらくその「聴く」優位でギターを弾いたり歌ったりしていると、だんだん他の人が演奏しているのを聴いているみたいな状態に近づいていく。演奏している自分は、そのへんをぴょんぴょんしながら騒いでいるスズメたちと同じようにそこに座っていて、聴いている自分の耳には、全部「この場所の音」として聴こえてくる、というような…。

そうやって川沿いの公園で演奏をしていると、聴こえてくる音同士が偶然出会う。ギターとスズメも、わたしとトラックも、対等に出会う。音が重なって混ざって耳に届くってことが、なんかもう、本当におもしろい。心底おもしろい。ギターの音に合う音程でスズメが鳴いた気がした!とか、歌のなかのいいタイミングでトラックが通った!とか、そういうことは、空間で起きるただの足し算なのにこんなに嬉しい。自分も「聴こえてくる音」になれる感じがする。わたしはずっと自分の体のディティールを邪魔に感じていて、できればいつか声だけになりたい、みたいなことを思ってきたけど、これは、一歩近い気がする。

楽器を持たずに声だけで即興の演奏をする時にも聴く気持ちは強いけど、あれはかなり集中している。公園で歌う時って、あれよりももっと散漫で、演奏しているというよりも、散歩している時とかシャワーを浴びている時に近かった。歌が歌えるというより、ここにいて歌や他のいろんな音が聴こえるし見える、という感じ。全部に鋭く気づく必要もないから気持ちも楽だ。
 
まあでもとにかく、何よりもまず、歌がマジで超めっちゃ楽しいということにいまだに素朴に感動できたことがあの日は嬉しかった。



次の日のライブの時、会場は公園と似て、ぜんぜん静寂ではなかった。誰かがグラスを傾けた氷のカランという音、厨房からゴロゴロ製氷の音がしたり、客席の奥の方からひそひそ声がちょっとしたり、ケータイが鳴ったりしていた。人がちょっとたくさんいて、それぞれに息をしていた。初めて見るこの人がどんな歌を歌うんだろうと、それなりに興味を持って静かに聞こうとしてくれているのがわかった。

屋内のライブ会場は川沿いのベンチとはさすがにいろんなことが違うけど、前日に川沿いのベンチであれだけ感動してしまったから、雑雑とした音に混じって歌を歌えることの居心地の良さが思い出されて、今夜のここはすごくいい場所だと思った。真っ黒な壁の緊張感のある劇場とか、静寂を聴くタイプのライブとは違って、みんなよそ見をする余裕があって、きっとそんなに聞く気のない人もちょっといたんじゃないかと思う。そういう場所なら、わたしもよそ見をしていい。よそ見をしていいので、いろんなことに気づける。自分が今まさに歌っている歌のディティールにすら新鮮に気づいたり、それを楽しんだりできる。

川の体感でライブハウスを解釈して感動した、というのはこのことです。シャワーを浴びているような散漫な時に考え事がはかどるみたいなことともちょっと似ていると思う。わたしは、自転車に乗って思うがままに声を出したり歌ったりしている時が一番、純度の高い歌(鳴き声とか叫びとか呟きに近い)だと思っていたけど、ああいうことを演奏の場面でも再現できるってことかもしれない。

声は基本的に音がひとつしかないから、同時にいろいろなことが起きる世界に対しては挑戦者みたいな関係になりがちだ。あの音にこれを返す、あの光をこの言葉で呼ぶ、など。でも、ギターも抱えてベンチに座ってみると、わたしも、同時にいろいろなことが起きている景色のなかの一員になれる。それは心地が良い。わたしは人間の集団に属するのはあまり得意じゃないけど、動物とか木とか赤の他人とかもごっちゃに含めた景色という総体の一部にはすごくなりたい。なんの役割も要請されず、そこに居ていい、好き勝手にしていていい、という気がしてすごく、うれしい。こういうことを信じたい。

仙台で、広瀬川を眼前にして歌っていた時、自分が作った海の歌が、ここで歌うとちょっと違って響くんだと気づいて(※拙作「においだけの海」は2018年に陸前高田に行った時にヒントをもらって書いた歌でもあったのでここで初めて気づいたというと嘘ですが、しばらくそんな気なしに歌っていたので)、さっき見てきたメディアテークの展示の余韻も手伝って、なにか漠然とした切実さのようなものが胸に迫って、さみしいような悔しいような嬉しいような言葉にならない気持ちになって、歌いながらちょっと泣いた。
歌は、ただの音で、言葉で、具体的な色も重さも持たず、ほんとうに何でもないものなので、かえって何にでもなれるんだと実感した。歌のなかで語られる「海」は、いろんなところの海になれる。このことは次の日のライブのMCでちょっと話したけどあんまり上手に言えなかった。でも、何でもないから何にでもなれるというのはすごく大事で、自分にとっての歌う理由かもしれないし、歌がわたしだけのものじゃないってことでもある。歌は、わたしが川で感じたような「全部」を顕現させつつ同時にその一部になれる。

歌が自分だけのものじゃないと気付かされる場面ってこれまでにも時々あって、いつも嬉しい。めちゃくちゃ希望を感じる。友達が自分の歌を口ずさんでいるのを目撃したりとか、自分が歌うことで場が温まったのがわかったりとか。先日の円盤に乗る場の報告会で、しばらく人前で歌っていなかった中村さんに「一緒に歌いましょうよ」と提案できたりしたのは、歌が自分にとって、自分にだけ結びついた特権的で窮屈なものではなくなってきたからだ。昔は、それこそ自分にしか歌えないぐらいのほうがかっこいいと正直思っていたけど、今のこの感じのほうが今のわたしにはしっくりくる。みんなが歌える歌を作ろうみたいな次元はまだほど遠いし特に目指してもいないですが、、とにかく、自分が歌うことが、ひとつ先の段階に踏み込んだような気がする!それもなんかハッピーなほうに。そういうことにしたい。
 
2022年は弾き語りをやっていきますと各所でしつこいほど言ってきたけど、この方針でいくとすごく楽しくなっていく気がする。皆様ご贔屓に何卒…長くなりましたが新年の挨拶と代えさせていただきます(?)