インドネシア滞在日記①/タフな皮膚とシンプルな心

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記①

4/15(月)
早朝に出発。前日の準備がギリギリすぎて2時間睡眠。家を出る予定にしていた時間に目が覚めて死ぬかと思ったけど家族の協力により間に合った。ありがとう…。電車に乗ってからギターに緩衝材を巻いたのはマヌケだった。この1週間、録音やライブや何やら、毎日ギリギリまで色々やっていたので疲れが溜まっていて、7時間のフライトのうち5時間寝ていたので体感あっという間に着いた。なぜか一滴の水すら飲まなかった。乗り換えのシンガポールで、飛行機を降りた後、トイレにも行かずほとんど一度も立ち止まることすらせずに早足で出国し、Suicaみたいなものを買って地下鉄に乗り、2回くらい乗り換えて街に出て、美味い海南鶏飯を食べた。完全に気持ちが早すぎる。日本を出た格好からほぼ着替え損ねていたので暑くて倒れそうだったけどなんとかなった。マーライオンを見て空港に戻り、時間をつぶして朝の飛行機を待った。ベンチで少し寝た。

4/16(火)
乗り込んだ飛行機が飛ばず、ターミナルのはしからはしまで乗客みんなでゾロゾロ歩かされるも、また戻らされる、というトラブルがあった。謎時間…みたいになった時に、呆れ笑いで多くの乗客がニコニコしていたのが印象的だった。「ごめんねセット」みたいなニュアンスで、おやつが2種類と小さい水のボトルが入った袋を搭乗の際に入り口で渡されたので、離陸する前に乗客たちがお菓子を開封してしまい、飛行機内のニオイがやばかった上に、わたしの右隣の大柄な女性は弁当を食べだすし、左隣の男性もガタイがいいうえにめっちゃ日本語で話しかけてくるしで、とても疲れた。
予定を大幅に過ぎてジョグジャの新しい国際空港に着く。シンガポールの空港ほどWi-Fiが安定しておらず、まだ現地SIMカードも持っていないので、インターネットを頼れない。かなり緊張感をもちつつ前払いのタクシーに乗った。前払いのタクシーだからと安心していたら運転手が最悪で、左から追い抜く(これはインドネシアではしばしばある)のみならず、対向車線を逆走してまでさらに追い抜く(当然向こうからくる車にパッシングされたりクラクションを鳴らされる)というありえない運転をされた。さすがに途中で「ゆっくりでいいんで…」と伝えたら「怖い?」と返され、ブチギレたかったけど当然そんなことはできない。
大きい電話屋さん(何て呼ぶんだ、スマホの契約とかする店)でSIMカードを無事に手に入れたけど、取り出した日本のSIMをスタッフに雑に扱われてしまい、これ帰国して壊れてたら根に持ちそうだな…と思いながら、タクシーで滞在先へ到着。へとへと!明日イタリアへ旅立つというYさんと、今回お世話になるPさんに挨拶して、水浴びをして、Yさんとご飯を食べに行き、あとは荷解きをして早めに寝た。

4/17(水)
午前中に部屋の掃除をした。Pさんが連れ出してくれておしゃれなご飯を食べた。冷房完備のWiFiの強いカフェなので、何かPC作業とかあったらここを使うといいよ、と教えてくれた。生活の買い物をして帰宅。少し掃除の続きをして、汗だくになったので一度水浴びをして、のんびり支度をしているうちに約束の時間になり、5年ぶりに会う友人のAとご飯を食べに行った。Aとは来月バリで会うことになっていたけど、今はラマダン明けの休暇でジョグジャ(地元)のほうに戻ってきているから会えるよ!会おう会おう!と昨日くらいに決まった。うれしかった。ビールを軽く飲んで、互いの近況報告をしてスッと解散した。

4/18(木)
深夜に熱を出して、そのまま寝込んだ。熱が下がったと思って油断して、昼頃に一度、食事と、筆記用具を買いに出てしまったけど、あとは寝て過ごした。

4/19(金)
まだ熱があり、全然ダメ。汗をびっくりするほどかくけど洗濯に行けていないので、Tシャツが足りない。朝ご飯を食べたあともう少し頑張って道を歩いたらTシャツを売っていそうな店があった。店の入り口のガラスに「休憩に行ってるので連絡してね」と電話番号を書いた紙が貼ってある。早くTシャツを手に入れて帰りたいので、ほんまに連絡したろと迷わずスマホを取り出した瞬間「うちに用かな」という感じでお兄さんが登場。そうです!すぐに鍵をあけてくれて、マジの無音とお兄さんからの視線のなか、3分くらいで2枚のTシャツを選んで買った。お兄さん「From Korea?Japan?」日本語のできる人だった。栃木に技能実習生で行っていたという。
部屋ばきとしてお借りしていたビーサンで靴擦れしてつらかったので、近所のスーパーで適当なサンダルを買った。あとは寝て過ごした。

4/20(土)
悲願だったランドリーに行くことに成功。そのまま調子づいて少し遠い店へ歩いてGadoGadoを食べに行ったら、暑さのあまりクラクラして危なかった。店についてすぐお茶を飲み干し、動悸を落ち着かせながらGadoGadoを30分くらいかけてゼエゼエ食べた。味がわかんなかった…。悲しい。全然体調が良くないのでタクシーで家に帰って寝て過ごした。夕方ちょっとだけ元気になったので、近所のカフェに行ってメールを打ったりした。洗濯物を回収して、ナシゴレンを食べて帰った。

4/21(日)
まだ体が本調子ではない。なんやねんマジで…。でも思い返すと、出国直前、いろいろ本当に頑張っていたので、まあ、もういいや、休もう、と開き直っていたら夕方まで寝ていた。少し涼しくなったので夕飯はやや遠い食堂まで行ってみた。Nasi Godogというスープチャーハンみたいなものを食べた。その帰り道、人力車のおじさんが「Mau ke mana?(どこいくの)」と、わたしを観光客と判断した声かけをしてきて、それを完全に無視して通り過ぎたのだけど、その一連がものすごく寂しくて悔しかった。会話を広げるのも違うけど、にこやかに返す余裕が自分にないこととか、ナメられてむかつく気持ちとか、自分が外国人に見えることの悔しさとか、色々なタイプのバッドな気分がおしよせた。さすがに心にこたえている。

4/22(月)
さすがにちょっと元気になった。家で少しギターを弾いたり、部屋を掃除したりした。夕飯を食べに行った店で、食べ終わって出ようとしたらPさんがたまたま来店して、なぜか店のテレビでNetFlixをみんなで見て過ごした。日本の俳優が出ていて日本語なので日本の映画だと思っていたらネトフリオリジナルのドラマシリーズで、2時間半くらい観たけど、全然おわる様子がないので、わたしだけ歩いて先に帰った。忍者の家という作品だった。

4/23(火)
一昨日くらいから少し涼しい。人に連絡をとるのに必要な気力がようやく養えたので、もう絶対やるぞという気持ちで、遅めの朝食の後、Wi-Fiの強いおしゃれカフェへ行き、怒涛の連絡しまくりの午後を過ごす。今回の滞在に関係ない帰国後の予定に関しても色々連絡したりして、やっと気持ちが未来に向かい始めた。現在だけだとつらいんだね。午後じゅうアメリカン1杯(もしかして海外でコーヒーのことを「コーヒー」と呼ばないがち?韓国もインドネシアも「Hot Americano」と言うとホットコーヒーが出てくる)で粘ってしまったので、引き上げるタイミングで食事を頼んで、食べてから帰った。久しぶりに洋食?というかバジルチーズチキンカツみたいなの食べた。おしゃれな味がした。

4/24(水)
以前からインドネシアに来るたびお世話になっているMさんが、共通の友人(先輩)のスタジオに、わたしや近所のレジデンスにいた日本人のHさんを連れて行ってくれた。急に大勢の人に会ったらぜんぜん気持ちも言葉も追いつかなくて、みんなのインドネシア語や英語の速い会話をぼーっと聞いているだけになってしまった。ご馳走してもらった食事(骨つき焼き鶏肉とご飯)がめっちゃ辛くて、でも美味しかった。手で食べた。その会が解散した後、Hさんが自分の滞在しているレジデンスを案内してくれた。このままダラダラいたら友達作れるかもな…と思いつつ、疲れたのでスッと帰った。Hさんは明日からカンボジアに行くらしい。会う人たちがみんな旅人だ…。帰宅後は、引き続き久々の人たちと連絡をとりあい、来週の旅の予定を取り付けた。やっと始まりそうで嬉しい。


ーーータフな皮膚とシンプルな心

インドネシアに来て、あっという間に1週間がたった。あっという間だったのには理由がある。わたしは着いて1日だけ遊んだあと、熱を出して寝込んでいたのだった。

熱を出しても、滞在している家にはわたし一人で食べるものがないので、気合で毎日外に出ては食事をしたり食糧を調達してきたりしていた。そういう時、わたしは顔に日焼け止めだけ塗って家の外に出て、Warung(食堂)で食事をし、スーパーやコンビニに立ち寄る。こちらに来てから、思っていたよりも暑かったので適当に買った半ズボンとTシャツで街をうろうろしている。それが嬉しい。

やっぱりほんとに、見事に常夏の国だ。気がつくと汗をかいている。1日に3枚Tシャツを変えた日もあった。シャワーがないので、水を桶に溜めてそれを手桶で体にかけるというやり方で水浴びをするのだけど、なんとなく日本にいる時よりもこのハードルが低くて、わたしはちょっと顔を洗うくらいの感じで全身水浴びしている。挨拶みたいに交わされる「Sudah Mandi?(水浴びした?)」というフレーズがあるくらい、ここは水浴び文化圏だ。お祈りの前に身を清めるというニュアンスもある。
1週間、ほとんど家から離れられず、ただ熱と汗と空腹の面倒をみて、生きるだけの営みでいっぱいいっぱいだったのは、しんどかったし楽しくなかったけど、体を丁寧にこっち仕様に切り替えられて、よかったかもしれない。


わたしが今いるのはジョグジャカルタの市街地で、車通りが非常に多い道路がすぐそばにあって決して空気のきれいなエリアではない。きっと有害な物質がたくさん空気中に舞っているんだろうな、という、ガソリンぽいにおいがする。砂や埃っぽく、ベタっとする。
そういう環境で、半袖に短パンで過ごしていると、皮膚が自分を守っているような感じがする。いや、皮膚しかないというか、皮膚でなんとかせざるを得ないというか…。長袖を着て体を守ることもできるけど、暑いから皮膚でなんとかしている、みたいな…。

まず、街で会う人たちの皮膚の感じが東京とは全然違う。一年中ずっと夏で、日差しやその他の色々にさらされながら暑さのなかを生きている人たちの皮膚は、男性も女性も、ちょっとタフな感じがする。外界と自分の体内とを、皮膚で分けている、というか。皮膚に任せているものが違う。わたしが日本で服を着てやっていることを、ここでは皮膚でやる、みたいな。
うまく言えないけど、、例えば、インドネシアにいると、皮膚ってめっちゃ便利だな!と思う。汚れても洗えばすぐきれいになるし、濡れてもすぐ乾く。こういう機能を使う場面が多い。


ひるがえって思い返すと、日本、というか東京にいる時、わたしの皮膚は肌になっている気がする。

去年の夏は、わたしはあんまり半ズボンをはかなかった。6月に派手に転んで両膝を深く擦りむいたので、その怪我を気にしていたのだ。「長ズボン暑くない?半ズボンはかないの?」と男性の友人に聞かれて「怪我しちゃって汚いから…」と返したら「そっか」みたいになって、なんとなくちょっと気まずい気がした、ということもあった。

怪我をしたから半ズボンをはかないでおく(それも、怪我そのものというより見た目の問題で)という選択肢を、わたしは自ら普通にとっていたけれど、なんだか、そういう時の膝って、皮膚っていうよりも肌なのだ。わたしを守ってくれるものではなくて、わたしが面倒を見る、弱くて白くて薄い肌。

まあ、別にそれでもいいんだけど。でも、こっちにきてから買った30円くらいの半ズボンをはく時の膝って、もっとフラットなのだ。「女性の膝」というよりも「生き物の脚」でいられるような。自分がそう思いたいだけかもしれないけど、わたしが去年「膝が汚いから…」といって隠した膝とは全然違う顔をしている。少なくとも、たぶん、ここで過ごすわたしなら、膝を怪我していても普通に半ズボンをはいただろうと思う。


久しぶりの友人に会えるからうれしかった先週、あらゆる疲労で顔の肌がガサガサに荒れていた。真っ赤に炎症を起こしてさえいて、容姿のコンディションがすっごく悪かった。多分、日本にいるわたしだったら「会うの今度にしとこうよ…疲れてるから…」とか言ってリスケを提案したかもしれないくらい、肌はオワッていたし疲れていた。

でも、まあ、会いたいから会おう、と腹を括って、なけなしの扇風機の風を浴びながらガサガサなうえに汗だくの肌にファンデーションを重ねていた時、これほどの「今しかなさ」を前にしたら、全然、肌荒れとかどうでもいいなと思った。そんなことじゃない。実際、久々に再会した2時間くらいのあいだ、肌のことなんて1ミリだって考えなかった。ああ!!いつもこのようにありたい!!

似たようなことは、もちろんどこで生活していても起きる。日々、あらゆる瞬間が常に尊い。わたしがごちゃごちゃ考えるよりも世界はシンプルで、自分の肌荒れなんて自分しか気にしていなくて、肌だと思っている膝だってはたから見れば疑う余地なく皮膚だったりする。でも、わたしには、すっかり内面化してしまった規範があるので、いろいろな努力を重ねて、全身の皮膚を肌にして、生き物というよりも、社会的な役割を演じているみたいだ。きれいな肌って幻想、ほんと、なんなんだろうな。生き物としての健康的な皮膚で、本当はじゅうぶんなはずなのに。


こういうことを思い出すために来たのかもしれないです。わたしは、人並みにちゃんとしょうもないから、東京にいる時には東京に染まってしまう。志をもって脇毛を生やしたままにするとか、そういう勇気もない。人が薦めるスキンケアが気になるし、お金が貯まったら美容皮膚科にも行きたい。でも、そういうんじゃないところに、もっとちゃんと、大事なこととか、自分が心地よく生活できる基準があるのも知っている。思い出せる。

もうしばらく、ここでシンプルに過ごせるのがうれしい。正直、この気候と食生活で肌がきれいになるとか絶対ないので、せめて、いい面構えで生活して、いい表情で帰れるようにします!