静かな埃

一昨年の年末からずっと、ここに書きたいと思いながら書きそびれていることがあって、そのまま1年以上たってしまった。これだけ時間がたってもなお書いておきたいという気持ちが強くあるので、信じられないくらい些末なことだけど書きます。書かせてくれ!

突然ですが。ちょっと今、トイレットペーパーのホルダーと、それが設置されている壁のことを思い浮かべてみて欲しい。稀にペーパーホルダーを使っていないトイレもあるが、たいていの場合、トイレットペーパーはなんらかの方法で壁に取り付けられていることだろう。そして、ほとんどの人はそこに目を凝らしたことがないと思うが、わたしは一昨年の年末、あることに気がついてから、自分が入ったトイレの個室のその部分を見るようになってしまった。

そこにはーートイレットペーパーホルダーがついている壁のあたりにはーー、トイレットペーパーの紙の繊維が散った白い埃が溜まっていることがある。
そう、トイレットペーパーホルダーがついている壁のあたりには、トイレットペーパーの紙の繊維が散った白い埃が溜まっていることが、時々、ある!!!!!!!!!!!

初めてこれに気がついた時、わたしはけっこう驚いて、なんならちょっと感動した。2025年のまる一年ずっとこれを頭の隅に置いたまま言葉にしそびれ続けてきて、やっと今こうしてノリノリで文章にしているくらいには、この発見は自分にとって鮮やかなものだった。
あれは、友人の家に集まって年越しをした日だったから、2024年の12月31日だ。友人宅のトイレの壁は、大きめのタイルが貼られていて全体的にツルツルだったが、ペーパーホルダーの取り付けられた壁のあたりだけはなんだかモケモケしていた。それがふと目について、一瞬「?」が頭に浮かび、しかしちょっと考えたらすぐ「トイレットペーパーを引き出す時に繊維の一部が細かい埃になって空気中に散って、近くの壁につくんだ」とわかった。わかって、わかったことが嬉しかったしおもしろいと思ったのでダイニングに戻ってすぐ興奮気味に友人一同に伝えた気がするが、もう全員忘れていると思う。なお、その友人宅は常識的に掃除がされている普通に清潔な家であることも申し添えておきます。
そして、帰ってから自宅のトイレの壁、というかペーパーホルダーの背みたいな部分を確認すると、かなりうっすらとではあるが同じような埃が溜まっているのが見つかり、「あれはトイレットペーパーを引き出す時に〜」という自分の推測が間違っていないことがわかってもう一度嬉しかった。


埃ってけっこう気になる。あれって物質だけど、けっこうな割合で痕跡でもあって、そういう意味では現象にも近いような佇まいをしている。

気になるといっても、自分は「きれい好き」というわけではない。電気ケトルやブリタ(水道水を飲用にするために濾過するポット)のフタを開けっぱなしにして使って同居人に「埃が入るから閉めるようにして欲しい」と指摘されるくらいには、わたしの埃感覚はガバガバだ。それに、最近すっかりロングヘアになったので床に落ちる髪の毛には以前にも増して存在感があるが、その床をまめに掃除できているとは胸をはって言えない。髪の毛とホコリ、あるな…と思いながらただ見ている時がけっこうあります。ごめん。だが、そういうゴミや汚れや生活の垢みたいなものと、わたしが気になる埃とは少しだけ違う。わたしが気になるのは、誰もそれを気に留めなかった、という時間が一緒に積もった、いうなれば「静かな埃」だ。

地下鉄の駅のエスカレーターに乗っている時に目につく、何も置かれていない段差のような梁のような棚のような部分を思い出して欲しい。たとえばああいうところには、大抵なかなかの厚さの埃が溜まっている。掃除しようとすると人の動線と交差してしまうし道具がないと届かないので、日々エスカレーターや床をきれいに拭いている清掃員もそこまではやらないのだろう。わたしはどうもああいうのを「汚ね〜w」と思いながらなんとなく見てしまう。たまに、誰かが手や指で埃を拭って線を書いていたりすることもあるし、場所によってはその手法で落書きが残されていることもある。ああいうところの埃は、全く誰も気になっていないってことはないはずだけど、そのまま疎かにされていて静かだ。

まれに、かなり掃除が行き届いた、埃のない場所というのもある。昨年の一時期、仕事で出入りしていた美術館の収蔵庫がまさにそうだった。作品を適切な温度と湿度で保管し、虫や菌なども遠ざけておく必要があるので常にじんわり寒くて乾燥していたし、収蔵庫内では埃が舞わないように設計された特別な掃除機を使用していた。入り口すぐの床には、外の汚れを持ち込まないように、靴や台車の裏をきれいにするための(弱い鼠取りのような)全面がシールになった粘着仕様のマットが置かれていた。週に一度の掃除は掃除というよりも手入れで、埃はほとんど溜まる余地がなかった。ふわふわのハンディモップでさらっと撫でるだけで、埃はどこかへいってしまうみたいだった。あれって、埃はどこへ行っているんだろう。ある程度はモップが静電気で回収しているんだろうけど、全部を拭き取れているとは、なんとなく思えない。舞って、そして落ちてない?そのへんに……

ともあれ、埃はよく手入れされた空間には残らない。だが、誰にも触られずに放っておかれたところには、たちまち溜まる。言葉にしてしまえば当たり前だが、すっかり溜まるまではほとんど目に見えないという特性が、うっすら不思議だ。生活のそば、気づかないほど近くにあるのに、人間ひとりひとりの実生活とは異なる次元にあるような印象を受ける。静かな埃は、わたしたちと同じ空間にいながら、わたしたちの目や手の届かないところでひっそりと、いつのまにか育つ。



最近、中古のギターを買って、買ったその日に自分で手入れをした。店の棚の高いところにかけてあったギターは、しばらく誰にも触られずにいたのだろう、うっすら埃をかぶっていた。店頭では次々に他のギターを手に取って比べながら試奏していたのであんまり気にしていなかったけど、家に持ち帰って抱えてみたら、あらあら拭いてあげなくちゃねという薄汚れかただった。全体を拭いて、指板もフレットもきれいにして、新しい弦に張り替えたら、お金を払った時のぎこちなさ(わたしはお金を払っただけなんだけど、本当に持って帰っていいんだ…?みたいな、嬉しい買い物あるある)がようやくほどけて、一段階「自分のギター」らしくなった気がした。

手入れというのはあったかい。自分の肌や髪を手入れしたり、部屋を掃除したり、日々の道具をきちんとメンテナンスすることは、優しくてあったかい。あれは、体の一部や道具が自分のものであり、ちゃんと大切にすべきものです、という確認作業だ。手入れを怠るとどんどんガサガサしていくのは、肌も髪も部屋も心もそうで、日頃の身辺の手入れと気分の良し悪しはひとつの仕組みのなかにある。

ただ、身の回りの全てを大切にして丁寧に生活しよう!そんで素敵に生きよッ(ハート)というのだけだと、わたしにはちょっと意識高すぎてだるい。ので、わたしはトイレットペーパーホルダーを取り付けてある壁の部分には、モケモケの静かな埃をいけるところまで溜めてみたい。誰にも迷惑をかけないし、自分の観察からの発見をもう一度観察に戻して自分との関係を引き延ばすという選択は、静かなままではあれど、すでにただの放置ではない。少しあったかいことのような気がする。この一連に気づく前に壁のあの部分を拭いたことは正直いって一度もなかったけど、気づいて気にするようになって1年以上がたった今も、わたしはそれを一切触らずに生活を続けて、あの埃を育てています。





景色は全ての過去を抱いて

 
わたしは、景色を見て言葉と歌にしていく、というのを自分の表現の大きなテーマのひとつにしているのだけど、「景観」という考え方が全く頭のなかに無かったことに、最近気がついた。
景観、というのはわたしの理解では、景色とか風景よりも、だいぶ資本主義社会のコードにのっとった新しい概念だ。土地の開発や建物の建設などに際して「景観を壊す」とか「景観を保つ」とかいう使われ方をする。誰かひとりの視点というよりも、社会的や客観的な眼差しでみる景色のことを景観と呼ぶ。
 
春先に読んでいた本のなかで(わたしには全く自分の専門分野ではない本を分からないまま読んでみるという雑な趣味があり、その本は「社会経済学的な問題を民俗学的な視点で追うinインドネシアカリマンタン島」といった概要)その「景観」という概念の理解を個人的に少し深めたので整理しておきたい。
 
そこが住宅地になるにせよ、プランテーションになるにせよ、土地が新たに開発される時、そこには全く違う二つの視点が必ずある。
これまで、わたしが見てきたのは、ひとりの人間として出会う私的な「景色」だった。ひとりひとりの人間の生活と当たり前に密接な景色ーーたとえば毎朝仕事へ出かける時に曲がる道の角のところにあるあの木、といったようなミクロな物語と詩性に、わたしは惹かれてきた。ジャカルタで見た、都市開発のいざこざをうけて集落ひとつぶんの家家が更地にされてしまったスラムのことや、自分の家の近所の古い中華屋が更地になって白い塀が建ち、工事が進められていることなど、偶然出会った都市開発も、私的な視点によって、これまで自分の表現の源泉になってきた。歌う人間がわたしひとりであり、詩を書く人間もわたし個人である、ということと、普通に地続きだし、バランスが取れていて適切だと思う。
ただ、そういう視点ばかり採用してきた自分にとっては、更地になったスラムのことを「キレイになった方が普通にいいじゃん、あいつら汚いもん」と悪びれもせず言う友人のことが理解できなかった。けっこうショックだった。でも、8年くらいたってようやくわかった。あれは「景観」の思想からくる言葉だったのだ。
 
「景観」という考え方で景色を見ることは、支配的で、資本主義的だ。景観のことを考えて街をどうこうする、というのは開発者の視点であり、かなり大きな経済が動くような事業に拠る。そして、開発者というのは、者という形の単語だが、個人的な存在ではない。ひとりの欲望ひとつではなくて、それが寄り集まってできた、もっと巨大なうねりのようなものが動力源になって進行する営みだ。
読んでいた本のなかに、フロンティア(開拓地)は、開拓者にとっては何もない土地、まだこれからなんでもできる白紙の土地なのだろうが、すでにそこで暮らしてきた人間にしてみれば、いつもの木や道や過去の記憶が蓄積された複雑な場所だ、というようなくだりがあった。本当にそうだと思った。開拓って、知るとか理解するとか、そういうことから隔絶された精神だ。フロンティアは翻訳を必要とし、外部からやってくる…。
 
4月に『No Other Land』という映画を観た。これは、パレスチナ人の青年と、イスラエル人でジャーナリストの青年が(画面に写っていない仲間も合わせて確か4人のチーム)一緒に作ったドキュメンタリー映画だ。乾燥した田舎の町で、理不尽でえげつない破壊(家財は破壊しない(住民はテレビやベッドを家の外へ持ち出すことを強要される)が家を重機で粉々にしたり)を強行するイスラエル軍の姿と、それに抵抗する地元住民のパレスチナ人たちの様子が、極めて近い距離で撮影されていた。物事はなにも解決しないまま映画は終わる。
見終わって、わたしはそれまで正直あんまりピンときていなかった「地元」というものが、いかに人が人らしく生きるために重要で、手放せないものなのかが、ようやく少しわかった気がした。土地の空気や景色、暮らしてきた人々のあらゆる営みが自分を形成していて、それが己を確かなものにしてくれる。手放す・手放さないじゃなくて、それ自体がもう自分という人間の一部なのだ。それを他人に破壊されるというのは、めっちゃきつい。
 
急に卑近な例に聞こえるかもしれないが、最近、ゲーム原作とアニメ作品の有名な『CLANNAD』を見返していて、似たことを思った。主人公たちは高校生なので素朴に「地元」という感覚が作品世界の全体にあるのだが、物語が進んでいくと、地元に縛られている人と、才能があって土地を離れていく人、という二項が浮かび上がるくだりがある。(※特に今回ハッとさせられたのは本編に加えて制作された番外編 『もうひとつの世界 智代編』)
その土地で暮らし、その景色のなかで、その地域の人たちと一緒に生きていくつもりでいる主人公と、この街の外へ出て「上」を目指せる可能性と才能にあふれた智代。智代のほうが新進的でかっこいいような気がするし、主人公もそう思ってちょっと卑屈になったりしているが、作品全体を見ていくと、大事なことが他にあるというのがわかる。行ける人は外へ行けば良い。それはもちろん個人の自由だし選んで咎められるようなことでは絶対にない。でも、その土地に根を張って生きていくことの強さ、たくましさ、切実さは、違った重さで確かにある。人間が一人で生きていない感じ、というか、正直あんまり理論とかないんだけど、地元とか土地は、生活してそこで成長していく人間と分かち難くそこにある。
 
 
わたしは、生まれと育ちが別の土地だったり、地元の中学に行かなかったことなどもあり、どちらかといえば「地元」への帰属意識が低いタイプの人間だ。むしろ身一つでどこへでも行きたいし、いろんな土地に住んだらそのぶんおもしろいと思う。きっとどこへ行ってもなんとか生きていけるという自負すら正直あるけれど、最近やっと、全然その限りではないとわかってきたのでこうして言葉に残しています。
 
今年の2月末〜3月初旬にかけて、わたしは東北地方の南のエリアに少し滞在していた。三ヶ所を巡る自主企画の演奏ツアーだった。そのなかで、何の経緯も意味もない景色・景観なんてものはないのだ、という事実にバンバン直面した。演奏とは一見関係なく見えるが、これが、10日あまりの日々の中で、わたしにとって最も大きくて重要な気づきだった。
 
わたしが主に滞在していたのは、浜通りと呼ばれる福島県の海沿いのエリアだった。そこは2011年の東日本大震災と福島の原発事故の被害を大きく受けた地域でもあり、10年以上がたった今、その過去が深くそこにあるということをむしろいっそう強く感じさせるような「景観」を多く湛えていた。
津波の被害を受けた地域は、すぐにそうだとわかるほど住宅がなく、泣けてくるほど見晴らしがよかった。山のほうの町も、放射能の除染がようやくすっかり済んで(すなわち町中の建物が取り壊されて)更地になり、ほとんどの土地は新しい家がまだ建たないままだった。夕方に訪れた夜ノ森地区で、自分たちの普通の話し声がどこまでも響くほど静かだったのには、重い衝撃を受けた。
もちろん復興は進んでいて、新しい駅や商業施設や新しげな家も多少できていたし、大きな公園を作る工事も進められていた。地域には人が戻ってきつつあるとも聞いた。だが、色んな人の話を通じて、復興それ自体が破壊でもある、ということも同時に知った。数々の痕跡が、つるりとした質感で上書きされていく…。以前・以後でまるきり姿の変わった土地で、しかし、とにかく前を向いて進むしかないというような、多くのことが保留されたままのような、複雑な状況がそこにはあった。
 
わたしは、行きの電車に乗っていた時にはまだ、この旅で見た景色から歌を作ろう!とけっこう素朴に思っていたのだが、到着後この目で見たシンプルな現実の景色の先に、あまりにも多くの意味や理由、生々しいほどの過去があって、「見たものから作るって、こんなに複雑で難しいことだったのか」と衝撃を受けた。自分がやろうとしていることの大きさや深さが、自分の想定をはるかに超えていた。初日、富岡町に到着してすぐにそのことに気づいて「これはハードだな」と正直思った。
 
福島の滞在中とても世話になった友人から聞いた話が印象に残っている。海が見える場所に新しく文化的な建物をつくることになり、その事業のトップの、偉い人を案内した時のこと。自分の事業に相応しい土地を探して他所からやってきたその人が、「我々の新しい建物と海のあいだに民家などがないのがいい」と要望したという。その瞬間、俺びっくりしちゃってさ、そのことがこの土地においてどんな意味を持つのか、アンタは考えたことがないのか!? って…、あまりにも無自覚で無神経な発言だよね!と、友人は語気を強めて怒っていた。
本当にそうだと思った、が、わたしは、その怒りを理解するのにほんの一瞬、時間がかかってしまった。そのコンマ数秒の思考の時差があったこと、即座に「そうだよねえ!」と言えなかったことが、かなり強く記憶に残った。
 
あえてはっきりと書くが、つまり、ここは津波で流されて人も家屋もなくなった土地で、10年以上たってもまだ、そこに新しい家が建てられていないのだ。この状況で「それがいい」とケロッと言ってしまうのは、端的にいって配慮に欠ける。まあそれくらい無神経でなくては、フロンティアスピリットでガシガシ開発とか新事業とかやっていくなんてできない、ということでもあろう。
 
滞在中、わたしは近くの他の町へも、車を借りたり案内してもらったりして見に行った。資料館(役所が主体になって震災の記憶を残している地域ごとに設えの異なる資料館、東京電力の反省を伝える資料館、福島の地質や化石の研究成果を展示する小さい博物館、反核運動家たちの活動をまとめた資料館など)にも行ける限り足を運んだ。そのなかで、景色と景観には必ず、そうなった理由があるのだと知った。実際にわたしが訪れたいくつかの街は、もともと坂道だったところが埋められて全然違う地形になっていたり、名前がつくほど親しまれていた巨大な岩がなくなっていたりしていた。津波の被害の後、もう今後は人の住む家を建てるのをやめてしまった町だってあった。そこは、今後は工場や公園になる。大規模な工事が進められていて、夕方のコンビニではその仕事に就いているらしい男たちとすれ違った。海沿いには、まだ赤ちゃんみたいな背丈の松の人工林があった。あまりにも広い空と2月の冷たい空気と、山に沈む美しい夕日のなかに一人でいると、どうしようもない気分になった。「なんでもない風景」なんてものは実際にはない、ということを、繰り返し肝に銘じた。
 
そうしたら、自分がこれまでやってきたこと、やろうとしていることが、ハードどころか、とんでもない(すごく陳腐か、あるいは傲慢で暴力的な)ことのように思えてきて、勝手にプレッシャーを感じて、わたしは気分が静かになってしまった。旅から帰ってきてからも、重く捉えてしまって曲が作れなかったけど、4月に山に登って、ようやく少し心が進んだ。
 
 
登山といっても、登ったのは日本でも有数のチョロい山「高尾山」である。わたしは、なんとなく3年前くらいから、新年の気分で登るのが気持ちよくて毎年恒例みたいに1月に登ってきていて、今年もそうしたのだけど、4月の高尾山は初めてだった。
 
3ヶ月たっただけで、4月の山は、1月とは全く様子が違った。あらゆる枝の先で新芽がゆるみ、蕾が膨み、いくつかはすっかり咲いていた。細長い穴の奥から蛙の声を聞いた。茂みの奥のほうにきれいな色の羽の小さい鳥も見た。桜はもう散りつつあって葉っぱが青かった。水の流れがトロトロしていた。この日は、そういうのが目や耳に入るたびに「見て見て!」と立ち止まるメンバーばかりだった(5人で行った)こともあって山頂までいくのには思ったよりも時間がかかったけど、そのぶん、木々の合間から差す日差しの華やかさも、空いた腹の情けなさも、全部が全身に染みていくようだった。
下山してから入った駅のところの温泉とその後の夕飯も、とても幸福な時間だった。春というものを毎年のこととして30回ぐらい通過して、すっかり知ったつもりになっていたけど、この日、新たに味わった気分だった。全然知らなかった気がした。春ってすっごい季節なんですね!
 
それはシンプルな喜びだった。季節が進んで景色が変わるというのはうれしい。よくぞこうして、色々なものが生き残り、あるいは生まれたものだと思う。春のきらきらした山の景色ひとつずつに、数ヶ月前の冬の様子というのがあって、その続きに4月があった。すごく当たり前のことだ。過去を持たない景色はない。
 
季節の変化と自然災害と侵略と土地開発を等しく語ることはできない。だが、その全てが、景色と景観を変化させる因子という点では共通していて、地球の表面で絡み合っている。そして、誰かの目の前の景色というのは、あらゆる変化の先にたったいま存在し、たった今、観察されることでそこに現れ、居合わせた人間によって、読み解かれたり愉しまれたり、悲しまれたりしている。一人一人は、点のように小さくて短い機会で、そこに居合わせている…。
 
大きく捉えてみたら、少し気が楽になったというだけの話を長く書いてしまった!けど、つまりそういうことだ。大きく捉えたり個人的に凝視したりしながら、真剣にぶつかることでしか、真摯に表現なんてできねえのだ。本当に時間がかかるけど、わたしにできることを引き受けていきたいと思います。ということで急に終わります。
 
 
 
※表現に関して「引き受け」が必要、というのは以前にも書いているので補足的にリンク載せてみます
 
2023-05-27
『どんどろ人形との出会いと、「自分で作る」ということ』
 
2024-02-21『自分とこの世の最前線』
 
 
 
 
 

速い移動とでっかいview


わたしは、声と言葉を手法に、風景を主なモチーフに歌の作品を作ってきた。ヴォーカリストとかアーティストという肩書を名乗ることが多いが、やっていることはほぼシンガーソングライターだ。
自分の歌のモチーフは多くが「この目で見たもの」で、風景からヒントを得て歌を書いてきたし、それらを歌う時にも、この場の風景のなかにこの体で在るのだ、という感覚が頼りというか、根拠というか、礎みたいにある。もはや自分の表現と風景とは、切り離せない関係にあると思っている。
そんな人間として、先日みた現代美術の作品がとてもおもしろくて学びがあったので雑感を書いておきたい。


それは、加藤広太による《あなたにではない、何かに向けて》という作品だった。これは、取り壊し予定の数件の古い家屋を使った、若手美術作家を多く集めたグループ展「150年」に出展されています。会期は2025年1月27日(月)まで…。この記事に詳しいかも https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/150years-report-202501)(今回の文章はわたしが勝手に書いているもので、企画や他の作品については言及しません)(何か間違ってたらこっそり教えてください)

この作品は、3階建の建物の眺めの良い屋上に設置された巨大なディスプレイに映されている映像と、作品の解説をしている音声(1分程度の音声がメディアプレイヤーでループ再生され、トランスミッターを使って数メートル離れたところに置かれたラジオから聞こえるようになっている)で構成される。ただし映像は、人の身長を超える高さに設置された大きなディスプレイに写されているらしいのだが、画面はすぐそばを走る首都高速道路のほうに向けられている。観客にはディスプレイを支える金属製の什器の鏡のような裏側が見えるだけで、ここから映像を見ることはできない。わたしも見ていない。
解説の音声によれば、これは首都高速道路を走る車の中から見えるように設置された映像であり、風景を撮影した数秒を会期(たしか10日間)時間ぶんにまで引き伸ばす編集が施されている。つまり、ほとんど静止画にしか見えない映像なのだという。

作品の要素はこれで全てだ。とてもシンプルながら、わたしはかなり感動してしまった。


風景というものに、わたしは自分の身体で対峙することしかできないと思ってきたし、むしろそれがおもしろいと思ってやってきたけれど、加藤さんの作品は「車の身体」から発想されていた。(本人のことを少しだけ知っているのだけど、彼は車の運転が好き)
車は人間の足よりもずっと速く走る。運転手が車窓から見る景色は常に一瞬だが、そこで見られている景色というのは、人がそこを車で通ろうが通るまいがずっとそこにある、風景でもある。都市の風景は、里山の四季のような変化には乏しく、ほとんど止まった写真のような状態に見えながら、しかし、視点をかなり遠くに置き、広く都市を眺めるならば、ゆっくり動いている。まずこのことにだいぶハッとした。速い視点から巨大を経て、ゆっくりしたもの、長大な時間感覚に想像力が至るのがシンプルにおもしろい。

そう、速いということは遠くまで行けるということで、遠くまで行けるということは、土地の距離や広さがわかる、つまり巨人のような視点を獲得できる、ということでもある。

人間サイズのわたしの視点では、都市は全てのスピードが速いはずなに(特に夜は)季節感が薄く、ある意味では止まってるみたい、というイメージだったが、なるほど車の速さと距離をもった巨人の視点で見てみれば、人には観測できない速さでゆっくりと変化していると想像できる。

自分の足で歩いて立って、目で見て肌で感じる都市と、速くて巨きな「車の身体」で出会う都市とは、全く質が異なる。わたしにとって後者はかなり新鮮に感じた。
美術家をやっている別の友人が「車の免許をとった時に僕の父が言っていたんだけど」といって聞かせてくれた言葉を思い出す。曰く「車に乗る生活に慣れると、歩いたり自転車に乗ったりしていた時の視点やその時に見えていたもの・感じていたことが分かりにくくなると思うけど、そうならないように気をつけろ」と。そんなアドバイスをする父親ってなかなかいない(し、良い)と思う。交通事故に気をつけろとかじゃないんだ、と笑って言っていたけれど、すごく印象に残っている。また、わたしが最も影響を受けたアーティストの1人に村上慧さんがいるが、彼も、歩いて移動することを基点にして家や生活をテーマに制作していた時期が長い。他にもいろいろなものごとに感化されて、わたしにとって「身体感覚を大切にしないと色々なものを見落とす」ということは、かなり揺るぎない考え方だった。今も基本的にはそうだ。

だが、確かに、車に乗った身体からしかできない発想、生まれないアイディアというのはある。加藤さんの作品はそうだった。わざわざラジオを使って音声を電波に載せているのもおもしろくて、(本人の意図は聞いてないので想像だけど)これがわたしには「都市には人が目で見るのとは違うレイヤーが重なっていて、これは今そういうもののひとつにアクセスしている」というような表現に見えた。ちょっとSFっぽい想像力につながり始めるのがアツい。

加藤さんの作品を前にした屋上で実際に鑑賞者が目で見れるのは、彼の作った映像ではなく、屋上からの現実の景色だ。周りの多くの鑑賞者も「あっ映像みれないんだ」とわかるとすぐ景色を眺める方に移行していた。それは普通に眺めのいい都市風景だけど、作品を通して新しい視点を獲得すると、まるで違って見えてくるのだった。景色がこれまでとは違ってみえるというのは、良い表現にしかできない、しかしお決まりの、わたしの大好きな偉業です。



ところで、昨年の夏、千葉の山に遊びに行った時に見た現象が忘れられなくて、昨年の「ベストオブきらきら」だった。
山から降りていた時のことだ。歩いていた道の右手にあった、椿か何かの、濃い緑色の光沢のある葉っぱの表面に、ぎらぎら照りつける青空を伴った日差しが当たって、空色に光っていた。葉っぱの表面が鏡みたいにつやつやしていて、その程度が甚だしく、また、光も強烈だったから、空の青が写って見えていた。
椿の葉っぱの表面がそのように光を返すことをわたしはずっと前から知っていたし、歌ったこともあったくらい好きな現象だったが、青い色までもが映るというのはこの時に初めて知って「こういうことあるんだ!!」とかなりグッときた。

あまりに感動したので、それ以降も晴れた日はツヤツヤした葉っぱの木を気にして見ていたが、先日、また別の山に登った時にも、同様の現象が観測できた。「わりと普通にあるんだ」とわかって若干熱が冷めたが、素敵なもんは素敵である。木漏れ日、みたいに、なにか名前がついていそうなものだけど、その言葉をわたしは知らない。なんていうんだろう。これってたぶん、けっこうリテラルに「逆木漏れ日」なんだけど(太陽からくる光のうち木の葉にあたって溢れているものが木漏れ日なので、溢れずに木の葉の上に湛えられている光の姿は、逆木漏れ日といえそう…、あるいは木漏れず日?)全然詩的じゃなくてひどい。悔しい。木漏れなかった光…葉っぱ反射光……うーん


ともかく、わたしはこういうことに言葉をさくのが好きだし、こういう小さな気づきは風景をこの身体で確認しているからこその賜物だと若干誇りにすら思う。でも、それとは全く真逆の、むしろ巨大な都市を巨大なまま、圧倒的な時間的スケールを持った空間、飛行機から見下ろすようなどでかいフィールドとして捉えるような視点があって、そこからおもしろい表現がうまれることがあるんだ、というのが、今回は感動的だった。加藤広太さんありがとう。勉強になりました…。
 
私の場合だと、都市を前になにか作ったものといえば、数年前にこの曲(「モーターリバー(https://youtu.be/HmeVePU5XkE?si=wjw3-ZRD2t6TXxdr)を書いたけど、同じようなモチーフ(都市、高架高速道路)を据えておきながら、こんなにも違う視点が、あるんだ〜〜っ!という喜びがあった。表現って本当におもしろい。



また、何かを写真や映像に撮るとか描写したりする、などという表現の根本的な営みについても、加藤さんの作品には批評的な視点があったように思う。

ついさっき、わたしは先日やった焚き火の映像をiPhoneで撮影したのを見返していて、撮った映像のなかで火はいつまでも燃え続けるなあ、と思ったのだけど、ちょっと考えたらマジで全然そうじゃなかった。映像に撮ったら永遠になるんじゃなくて、永遠にある現実から、それこそcaptureしているだけ、切り抜いて扱い可能な状態にしているっていうだけなのだ。手に取れるようにしているだけ。
でも先日の加藤さんの作品は、そもそも観られない(作った本人さえ10日間にわたる映像を全編観てはいないだろう)構造で制作し、それを現実の都市に開いた屋上で提示することで、都市のでかさ、手に取れなさを教えてくれていたと思う。
 
焚き火も、都市も、山も海も、あらゆるすべての現実が、人間に切り取られようと切り取られまいと、言葉を持たないカオスとしてそこにただ在る。何かを撮ったり記録したり描写したりする時、目の前の現実はびくともせずにでっかくそこにあるんだぞということに、今回あらためて思い至った。


自分の話につなげてばかりで恐縮だが「歌をその場に起こすのでみんなで聞いてみませんか、というスタンスでいたいと思っているんです、火を囲んでるみたいに」というようなことを、昨年うけたインタビューで話したことがあった。(https://x.gd/cBIgP)これは正直ちょっと友人の受け売りだったのだけど、今回のことを通して、一段階深く自分のことにできた気がする。

現実に歌を起こす。それは町がそこにあるとか、火がそこで燃えているとか、山がこのようにそびえているといったことと同じ地平に投げ出された「生きている」という事実の延長に、どうやらあるみたいだ。

歌は、パッと考えるととても短くて刹那的なもののように思える。だが、わたしのような末端の音楽家が作った歌であっても、なんだかいつのまにか友達の口先で歌われていたり、会ったこともない人が演奏してくれていたり、海を越えた遠い国で録音が再生されたりしている現状をみると、どうやら短い現象ではないようなのだ。
歌はこの世に生まれて、歌われ聞かれ再生されるなかで、山とか家とか、海とか都市とか、そういうものみたいに、なにかどーんとしたものになれるのではないか。そして、たまに演奏されるたび、我々はその「どーんとしたもの」にアクセスしている……みたいなことなのかも。歌には大きさがない、と勇気を出せば言ってしまえるような気がする。歌には大きさがない!!

そう思うとやはり、風景について考えることと、歌を扱うことは、かなり親和性が高そうだ…ぜんぜんまとまらないけど、ともかくわたしは「歌」のほう、担当させていただきます!というところで〆ます。
 
 
 
 



インドネシア滞在日記11 5/25〜5/30(完)

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記11  5/25〜5/30(完)

5/25(土)

気合いで起きた!時刻は4時。まだ日の出前。目だけ洗ってマスクをして身支度ってことにして、荷物をまとめた。すでにカルトゥンさんも起きていて、他のみんなが寝ているので、わたしたちは黙って「ニヤリ」という感じで目だけ合わせて、悪巧みでもしているみたいにサッと出発した(こういうノリがいちいち良い…)。全員を起こすのはさすがにできないにしても、一番お世話になったタフタには挨拶したかった。が、なぜか姿が見当たらなかった(※ほんとうに謎)ので諦めて、やや過積載ぎみのバイク1台で山の家を後にした。

明け方の、暗い時間帯なので空気は冷たかった。Dingin(寒い)!!と叫んでそれで笑ったりしながら、1時間ほどかけてカルトゥンさんの家に到着。カルトゥンさんが玄関の外のタイルのところ(ジャワの家って高確率でこういうスペースがあって、日本で言う縁側みたいな役割を果たしている印象)にわたしのスーツケースを持ってきてくれた。ご実家の他の家族を起こさないように家の外で黙々とパッキングし直した。山の家に持って行っていた一週間分の荷物と、カルトゥンさんの家に置かせてもらっていた大きなスーツケースを組み合わせて詰め直すのだ。すでに時刻は5時過ぎ。飛行機は7時なので、国内線とはいえ、ちょっと焦る。大急ぎで荷物をまとめ、なけなしの梱包材でギターを包む。(ガムテープを借してもらった)荷造りが終わる少し前にアプリでタクシーを呼んでおいたら、ちょうどいいタイミングで来てもらえた。

カルトゥンさんとは、2018〜19年にわたしがスマランに半年いた時にかなりの偶然で知り合って、その時も今回も、本当にあらゆる世話を焼いてもらった。おもしろい場所にたくさん連れて行ってくれたし、すてきな人たちに会わせてくれたし、楽しいことを一緒に計画して実行した。わたしのボロボロの英語とノリしか合ってないインドネシア語に、いつでも最も辛抱強く付き合ってくれたのは彼だ。本当に感謝しかない。今回マジであなたのおかげでサイコーでした、と言ってハグして別れた。「Aoiのインドネシア滞在はいつでも最高でしょ!」アハハまじでそう、ほんとまた会おう。絶対に元気で!みんなにもよろしくお伝えください!

カルトゥンさんの家は空港からかなり近いところにあって(純粋にラッキー)、タクシーに乗ったら13分くらいで着いた。チェックインカウンターで自分の搭乗する便を探すと、Boading timeが06:33と表示されていた。は???早まっている………?!??しかも発券したら06:30と書かれていた。ええ〜??遅れるならわかるけど国内線が早まることあるんだ????それともわたしが何か勘違いしている????

とにかく、間に合うけどギリギリだし朝ごはんを食べる時間は完全にない。悲しい。しかも、わたしはうっかりハサミを手荷物に入れたままにしてしまっていて、保安検査でひっかかり「そのリュックにハサミをしまって、追加料金を払って預け入れ荷物にしたら乗れる」と係員からアドバイスをもらったので、大急ぎでパソコンなどの機器をエコバッグ(あってよかった)にいれて手荷物にし、ハラハラしながらカウンターに戻って経緯を説明し、リュックも預けた。一応なんとかなったけど、この時に英語でどう言ったかマジで思い出せず奇跡のように感じる…。

飛行機には間に合った。座ってすぐに寝て、目が覚めたらバリだった。

今日はホテルをとっておらず、友人のいない友人のアパートに一泊させてもらう。アディット(同い年の友達。5年前に知り合った時は大学卒業直後でジョグジャカルタに住んでいたけど、現在は就職してバリ勤務。銭湯で演奏した時のライブ音源(サブスク配信中です)のジャケットのイラストを描いてもらいました!)にバリに行く日付を伝えたら「その日だとまだ出張から帰ってきてないや、ってか俺の部屋せまくて汚いけど使って良いよ!」とのことだったので、ご厚意に預かることにした。一泊でも宿代が浮くのは正直いって助かる。明日アディットが帰ってくるので、それからは帰国の日までホテルに泊まる計画だ。

ひとまず、朝ごはんが食べたい。預けた大きな荷物をベルトコンベアーから引っ張り上げて、ゴロゴロ引きずりながら食べ物にありつけそうな店を探して歩く。いろんな店があんまりしっくりこなくて、すぐに空港の建物の外まで来てしまった。道を渡ったところに商業施設があって、その一番手前に窓の大きなA&Wがあった。山から急に空港に来た時点で、あまりの環境の違いと焦りと疲れで何かが狂った感じがあり、急に都会的なハンバーガーと変なコーラ(※ルートビア)とポテトに強烈に惹かれてしまい、それらを朝食とした。朝9時。五感がグラグラした。ハンバーガーには、スナック菓子みたいにカリッカリに焼かれたベーコンが挟まっていて、これはインドネシアっぽいアレンジなのかもと思った。※インドネシアの人たちはサクサク食感が好きすぎるため、食事にすらスナック菓子を添える。(タイ料理とかにもついてくるエビせんべいみたいなアレです、総称をクルポックといいます)


今日は本当に移動するだけの日で、他に予定がない。全然急いでいないので、タクシーの値段を比較して慎重に選んで乗ってみようと思い、いくつかのタクシー会社のブースで値段を聞いて回った。ングラライ空港オフィシャルタクシーの先払いシステムが無難な感じがしたので、それで向かうことにした。

タクシーの運転手がとてもフレンドリーに話しかけてくるタイプだったので、疲れていたけど色々喋った。バリ出身だそうだ。普通に良い感じの人だな、と思っていたが、終盤で「道がわからないから案内して」と言われ(出身地ちゃうんか〜い、アプリ見てくれ)、わたしだって全然わかんないのに気合いでナビした。降りるタイミングでチップを要求され、いくら欲しいのか聞いたら50,000ルピアという。昨日まで、一食10,000ルピア未満で満足な食事ができるジャワの田舎にいた人間からすると、それはあまりにも外国人観光客向けの価格で、なんかかなりムカついてしまった(※今思えば、ムカつくようなことではない)ので、30,000ルピアだけ払って降りた。疲れと緊張で気が立っていたし、飛行機に乗る時に重量の超過料金と後から加えた手荷物などで既に2700円くらい払っていたし、ハンバーガーも高かったし、急にビュンビュンお金が飛んでいっていて気持ちが乾いていた。


ともかく無事にアディット宅に着いた。敷地の入り口の重たい門を開けると、ちょっと広くなった庭のようなスペースに数台のバイクが停めてあった。建物は2階建てで、10戸くらいの単身者向けアパートだった。自分と同い年くらいの女性が庭に出ていて目が合ったので「アディットの友達です」というと「上の階だよ」と教えてくれた。

最後のひと頑張りで2階に上がる外階段を二往復して荷物を上げた。玄関先のすみっこに、メッセージで送ってもらった写真と同様に丸っこい石が置かれていて、その下に鍵があった。若干建てつけが怪しかったけど、ドアが開いた。ほんとに寝るためだけに帰るような、小さなワンルームだった。生活感が残りまくっていて、なんだか泥棒に入ったような気分だった。作り途中のミニラグ(かわいい)とか、描いた絵(リソグラフの作品、かわいい)とか、デザインしたピザ屋の箱(かわいい)、大量の服などが所狭しと、貼られたり置かれたり積まれたりしていた。アディットに「着いたよ、部屋お借りします」と自撮りを添えたメッセージを送った。


いくつか買い物がしたいし洗濯物も溜まっているので近くのランドリーに行きたいが、だいぶヘトヘトなので一旦、仮眠を取りたい。その前にシャワーを浴びよう…と靴下を脱いだら、足首の水脹れがビー玉くらいの大きさになっていた。

ここまであんまり書いてこなかったが、一週間前くらいから良くなったり悪くなったりしていた「腕と足の虫刺されが水脹れになったところ」は、この時、最もひどい状態になっていた。このコンディションで昨日の(昨日の?!)MV撮影を乗り切ったのは、かなりの頑張りだったと思う。実はあんまり映像に写っていないほうの腕が悲惨な状態だった。(※わたしも頑張ったけど、アルゴも完全に正しい気遣いと共に撮ってくれていました、ありがとう…)

ズキズキするなあと思ってはいたが、足首のこれは見た目がかなりキモい。足首にビー玉くらいのサイズの、体液で満たされた球がくっついている。キモすぎる。さすがにこのサイズの水膨れが知らないあいだに潰れると困るので、安全ピンで潰して、よく洗って薬を塗って絆創膏を貼った。ジョグジャからスーツケースに入れっぱなしにしていた大量のティッシュ(到着してすぐ買った、1kgくらいのBIGサイズのもの)をだいぶ消費したし、キャンプの帰りに買い足したボディソープも大活躍した。水脹れの中身を触った手で唇や目に絶対に触りたくない(先週、おそらくそれでウイルスだか菌だかが移って唇が腫れてしまったのだけど、焦って朝からビタミンとか飲んでいたら当日中に引っ込み、ライブ直前に鏡をみたら大丈夫になっていた/やっぱりわたしはコンディションを間に合わせる才能がある…)ので、ここからの数日は<患部をまめに石鹸で洗い流す><薬を塗ったら手を洗う>を徹底した。(後日談:帰国後すぐ治りました、痒みだけ1ヶ月残ったけど)


体をきれいにして、ちょっと寝て、15時過ぎに歩いて町へ出た。Googleマップで調べた最寄りのランドリーに服を預け、Babi Guling の店が近くにあったのでそこへ向かった。Babi Gulingというのは、バリ風の子豚の丸焼きである。ジャワは90%くらいの人がイスラム教徒なので、豚を食べる習慣がない。しかし、バリには「バリヒンズー」と呼ばれる独自のヒンズー教文化があり、伝統的な豚の料理がある。儀式の一環として豚の丸焼きを作ってみんなで食べたりすることも度々ある。これが普段の食事にも食べられるレストランが、街中にたくさん見られる。

せっかくバリに来たからバビグリンを食べようという気持ちで、たまたま近くにあった店に入っただけだったのだが、ここのBabi Gulingがめちゃくちゃ美味しかった。豚の皮とその下の脂身をパリパリに焼いたのとか、肉ももちろん美味しかったけど、付け合わせの野菜も美味しくて、一皿の栄養と味のバランスがとてもよかった。
閉店間際で串焼きがないけどいい?と聞かれて、頷くしかないので頷いたけど、明日きたら完全な状態のセットが食べられるってことか…。また来ようかなあと思いながら店を後にした。


腕や脚のビー玉水膨れなどをなんとかする飲み薬や絆創膏などを薬局で買い足し、暇なのでなんとなく海に向かった。道すがら、お祈りをした痕跡(チャナンと呼ばれる、花などの御供物が載ったバナナの葉の小さなお皿。一日に数回、これと一緒に線香を炊いて祈る)がいくつか見られた。バリだな〜。カイトがたくさん上がっていて、空をふわふわ浮かんでいた。

海に着くともう夕方で、風がやや肌寒いくらいだった。屋台が出ていたので、天ぷらのピーナッツソースがけを買った。可もなく不可もない味だった。道中で買ったスポドリとタバコと板状のプリッツみたいなお気に入りのお菓子(5年前ずっと食べていた)もあったので、ひとしきり石の上に腰掛けて、家族連れや若者のグループがワイワイ、海水浴や凧揚げをしているのを眺めて30分くらいモグモグぼんやり時間を潰した。


帰り道にフルーツジュース屋があったので、店頭でグァバジュースを飲み干した。もう今日の夕飯はこれでいいや。水浴びの時に髪をあげておくためのバンスクリップが壊れていたので、途中にあった化粧品などを売っている店で100円くらいのを買った。その後、路上でおばあちゃんに話しかけられ、そのままジャガイモ粉で作った40円くらいのドーナツを半ば強引に買わされたのだけど、これがものすごい甘さで凄まじかった。美味しいとか不味いとかのずっと手前に「甘い」がくるくらい甘かった。わたしは嫌いじゃないです。ランドリーに預けた服も無事に回収できた。山の日々から一転、急に買い物しまくってたくさんお金を使った。不思議な感じがした。



5/26(日)

朝のつもりで起きたらもう昼前だった。遅めの朝ごはんは昨日のバビグリンにしようと思い、日焼け止めだけ塗って家を出た。かなりしっかりと暑くて、時々立ち止まっては昨日買っておいたペットボトルの水を飲みながら歩いた。観光客っぽい感じに見られるのを承知で日傘をさした。

バビグリン屋のおばちゃんたちは、昨日来たばかりの外国人がまた来たからだろうか、なんだかフレンドリーだった。昨日は閉店間際で無かった串焼きも今日は載っていて、この店のフルバージョンの一皿にありつくことができた。ここ、何気に名店な気がするので、バリのサヌールに行くことがあればぜひ行ってみてください(https://maps.app.goo.gl/hpuiED21PB5vZTyMA
美味しいから今日も来ちゃったんだ、と言ってニコニコ会計して店を後にした。

明らかにゴミだろうというものは一緒に捨てておく、くらいのざっくりした掃除をして、アディットのアパートを後にし、さくっとホテルに移動してチェックイン。ホテルはめっっっっっっっっちゃ快適だった。家族経営の小さなホテルで、上品なおばちゃんが対応してくれた。室内はとても清潔で、ひとつの建物の1階と2階がひとつずつ客室になっているスタイルだった。私の部屋は一階で、フロントの目の前の部屋だったので防犯的にも荷物運搬的にもベストだと思った。感謝…。よく効くエアコンと真っ白で全然臭くないシーツとタオル、そしてドライヤーがあった。うおー!1ヶ月ぶりのドライヤーだ!
シャワー(1ヶ月ぶりくらいにお湯のシャワー!)を浴びて、ひとしきりボンヤリ休んで、もう早めの夕飯くらいのタイミングだったので、出張から帰ったアディットと合流することに。なんとギャリー(ジョグジャとスマランのライブにも来てくれた、ジャカルタ在住の友人)も来ている!というので、3人でご飯を食べる。有名な夜市があるというので、そこに集合することになった。わたしはバイクタクシーで向かった。久しぶりに友達に会えるのも、久々にドライヤーが使えて髪の毛がサラサラなのも嬉しかった。

屋台村で二人と合流して、とりあえず腹ごしらえをした。ギャリーはもはや「ひさびさ」感がないし、アディットにもすでにジョグジャについてすぐ会えているので、この日の再会にはたいした感慨はなく、普通に「ヨッシャ〜〜」みたいな感じだった。
食後、ちょっとつまめるものを買い足して、なんとなく浜辺に行った。二人はゆるいムスリムなので、普通にビールも飲む。近くの屋台で「高っ」と小声で言いながら瓶のビンタンビールを買って、真っ暗でなんにも見えない海の近くにあるベンチに座ってちょっと凍えながら3人で飲んだ。夜風はけっこう寒かった。ギャリーは数年前に日本に来たことがあって、わたしは東京でライブできそうな場所を紹介したりそれを聴きに行ったりしていたのだけど「あの日のライブの後、オーナーと飲みに行ったら飲みすぎてベロベロになってしまって次の日に乗った大阪行きの新幹線がとてもつらかった」「日本の人、お酒強すぎ……」という笑い話を聞いたりした。あと、先月のジョグジャであった音楽フェス(わたしは山にいて行きそびれた)で暴力沙汰に巻き込まれてやばかったという話の真実など……(彼が無実だとわかるまで警察署でスマホを取り上げられて一週間過ごしたらしい)(そういえば彼は東京のライブ当日もなかなかトラブル満載だった)(色々と心配)

そばに海亀の子供を保護して育てている施設があったので、3人でそれをちょっと見て、アディットは明日も仕事だし、ということで健康的な時間にサクッと解散した。明日はライブです!



5/27(月)

海からのぼる朝日が見てみたかったので、頑張って早起きした。わたしが滞在している宿は、ビーチまで歩いて5分くらいだ(ただしオーシャンビューではなく、そのぶん安い)。が、一番の近道を行こうとしたら、路上に野犬が2匹いて、野犬は病気を持っていそうで怖い(アディットにも「君が走ると犬も走るから怖くても走っちゃダメだよ」と言われていた。私が走ると犬も走るの、ちょっとおもしろい、やらないけど…)で到底近づけず、だいぶ回り道をすることになった。やっとの思いでたどり着いたビーチは、まだ暗いけどはっきり諦めがつくくらい雲が多く、朝日なんてとうてい拝めそうになかった。一応、遠回りついでにコンビニで買ったパンをかじって砂浜にあったブロックに座って待ったが、少し明るくなってきた頃に宿に戻って二度寝した。

この日のランチは、仕事の昼休みのアディットと合流することになった。せっかく来てるから!というシンプルな理由で、いちいち一緒にご飯を食べてくれるのがただただ嬉しかった。彼はいま仕事でバリに滞在しているけど、ジャワ出身なので、結局ここがおいしくてさあと、ジャワ料理の食堂に連れて行ってくれた。この店もほんとに美味しかったです!(https://maps.app.goo.gl/D8LcFpnLZErh6DH38
普通にちゃんと美味しいジャワ料理屋だった。できているおかずの大皿がカウンターのガラス越しにずらりと並んでいて、そこから好きなのを選んで、お店の人に米と一緒に皿に盛ってもらって食べる王道のスタイルなのだけど、盛り付けた人が値段の書かれた札(カウンターの内側の柱に値段ごとに色の違う札が何種類もバーッとかけてある)をレジの人に渡して仕事を分担しており、このシステムがとてもわかりやすくてよかった。外国人観光客に向けて仕組みを作ったのかもしれないけど普通の納得価格だったし、とても賑わっていて雰囲気のいい店だった。

ランチを済ませて、アディットが「僕の仕事場を案内する!」というので彼の仕事場に向かった。食堂からバイクで2分くらいの場所だった。海の環境保全と観光プランナーを兼ねているような会社で働いているようで、敷地のなかにいくつか建っている建物のうちの一つに、この辺りに生息している海の生き物や、環境保護のためのさまざまな取り組みを紹介する展示があった。ちょっとした博物館みたいな感じだ。海洋廃棄物を使った美術作品などもいくつかあった。小中学生が校外学習で来たりするらしい。展示のなかにはアディットが担当したコーナーもあって、ワクワクした感じでひとしきり説明してくれた。たくさん写真を撮った。

わたしは、出会った5年前当時、音楽とアートとたけし映画が好きなおしゃれ大学生だった彼が、ペンタブがないのでマウスで絵を描いていたあの彼が、絶対に暑いのにたぶんオシャレってだけでセーターを着てきてすぐ脱いでいた彼が、今じゃこんな立派な仕事を、しかも楽しんでやってんだ、というのが感慨深かったし、その姿を見せてもらっている状況がまるで親戚か何かみたいで、とてもうれしかった。誇りを持って楽しんで働いているみたいで何よりです本当に……
アディットは海洋生物のなかではマンボウ(Molamola)が一番好きらしく、展示や映像でマンボウが登場するたびにニコニコして「いつか海でマンボウに会いたいんだ〜」と言っていた。たまに仕事のリサーチや趣味でダイビングをやるらしい。インドネシアの海、良さそう〜!わたしはまだ潜ったことがない(海はこの国の観光資源のひとつのはずなのに、5年前も今回も山ばっかり行ってる)けど、次こそは…

ひとしきり案内してもらって解散。彼は仕事に戻り、わたしはおすすめされた美術館とアイスクリーム屋さんに行くことだけ決めて、徒歩で散策を開始した。

サヌールのビーチ付近はかなり観光地エリアで、本当に白人が多い。アジアからの観光客はほとんど見かけなかった。ここはヨーロッパか??と思うほどだ。アイス屋に入った時、一人だけ日本人らしき女性が同行者と英語で話しているのを見かけたくらいで、ここはどこ?という気分だった。どこも同じようなお土産屋や自然派っぽくて微妙に高価なブティックなどが並ぶばかりだ。少し歩いたけど、こういう場所は1人ではあんまりおもしろくないので、すぐミュージアムに行くことにした。Le Mayeurという画家の記念ミュージアムで、ここがとてもよかった!

Le Mayeurはベルギーの画家で、1932年にバリを訪れてその文化や自然に魅せられて移住し、こちらで出会った女性と結婚した。ミュージアムは、生前に彼が住んでいたバリ式の古い建物を敷地ごと使っていた。壁や内装などは当時のものをなるべく残しつつ整備され、壁にいくつもの作品が展示してあった。
それらの絵画は、日本の美術館やギャラリーで見るようなきれいな状態では全くなく、けっこうボロボロだった。キャンバスに描かれたものが大多数だったが、網目の荒いゴザのようなものに墨一色で描かれた作品なども多くあり、全ての作品の保存状態が、はっきりいって悪かった。こんな浜辺にあってガラスケースにも入っていないし部屋の湿度や温度の調整も特にしていない様子なので、今後もどんどん劣化していくだろうというのがじゅうぶんに察せられた。しかし、そんなこととは全く関係なく、そこに残った跡━━それはもう絵画というより「痕跡」に近かった━━から、わたしは目が離せなかった。短く言えばとても良い絵で、描いた人も描かれた人も、確かにそこに生きていたんだ、という感じがした。

彼の絵には、たくさんのバリの人々の姿が描かれていた。踊り子の姿も多かったが、祭りの儀礼の様子や、たしか農作業の姿もあったと思う。そして、その筆致が、いわゆるバリの伝統的な絵画とは全く違って、西洋の、いわゆるデッサンが基本にあるような描き方なのだった。わたしはこちらのほうがかえって見慣れているし、こういう描き方だと、筋肉のつき方や動きをコマで割った時の前後の像みたいなものが、映像的にいきいきと捉えられる。わたしがアジア人なのに西洋絵画風の筆致にしっくりきちゃうのとか、まあモヤモヤする部分もあるんだけど、でも、かなり感動した。ちょっと目の奥がツンとした。わたしの他にお客さんがいなかったのもよかった。時間がちょっと止まって、自分の態度が切り替わるというか、心が動かされているのがわかった。

うれしいような気持ちだった。今わたしは外国人として異国で過ごしていて、見るもの聞こえる音、すべてが新鮮に感じ、それがすごく魅力的で心底楽しいが、その反面「これって外国人の視点なんだよなあ」という気分があった。ずっとうっすら寂しく、少し後ろめたいように思っていた自分のモヤモヤについて、そういうもんだよ、それでいいよ、と言ってもらえた気がした。
ヨーロッパからアジアへやってきたこの画家も、きっと「おれの目はベルギー人の目でしかない」と思いながら自分なりの感動を、自分なりの筆致で残したんだろう、と勝手に想像して、わたしもこの目でここで見たものを、自分なりの筆致で残していいんだ、と思った。そうするしかできない…。否、そうすることならできるはずだ。


古いバリの家は、かなり扉が小さく、部屋も狭かった。天井も低い。かなり太った人だったら本当に通れないくらいの、細長い両開きの扉で部屋同士が仕切られていて、部屋ごとに「当時は〜に使われていた」といった解説があった。そういうのを含めてばーっと観て、閉館時間が迫っていたので外に出た。建物を出るとすぐビーチだ。

ミュージアムでの体験がなかなか重いパンチだったので、その興奮をスマホのメモ帳やSNSに書き留めるなどした。
今日はもうすでにだいぶ充実しているが、夜に違う街まで行ってミニライブをやらせてもらうことになっているので、一旦ホテルに帰った。

夕方。アディットとはすぐ約束の時間に合流できたのだが、あとの2人(ライブに出演予定のギャリーと、アディットの友人のアッコさん)がなかなか現れなくて出発が大幅に遅れた。そのうえ道が混んでいて、ゴリゴリに遅刻した。会場は、アディットの友達の友達くらいの距離の人の所有している、めっちゃいい感じのスタジオだった。2階が音楽スタジオ、3階がダンススタジオになっていて教育機関でもあるらしく、主にそこの教え子たちがお客さんとしてきてくれた。凍えるくらいクーラーが効いていた。
到着して早速準備にとりかかるのだけど、足元に置いてくれていた返しのスピーカーのそばにチャナン(バリのお祈りに使う、バナナの葉っぱでできたお盆にお花や小さいお菓子やタバコなどのお供物がのったもの)が置かれていて、あまりにもバリだった!これにはかなりグッときた。あと開場中だったか、何かのタイミングでSENYAWAの曲がかかっていて、わたしへの目配せみたいなものを感じた。多分わたしがルリーの知り合いだってアディットが伝えたんだろうな…

演奏は、かなり集中してけっこう良い感じにできたのだけど、MC(カタコトインドネシア語とオワった英語)に全く反応がもらえなかった気がしてめちゃくちゃ不安だった。が、終わってみたら大丈夫だったっぽかった。何人かのお客さんは終演後に話しかけてくれたし、アディットは目を真っ赤にしてウルウルしていた。こっちが泣きたいくらいだよ!!ありがとう…
イベントが終わった後、もう22時くらいだったけど喫煙所みたいなところに溜まってグダグダ過ごしたのが心地よかった。わたしもタバコを持っていたので、PAを担ってくれたジャヌさんと「銘柄が同じだ〜」とか言って喫煙者として振る舞った。

わたしの前に短い演奏を披露してくれたギャリーと、今回ほんとうに忙しいなか企画してくれたアディット(当日の18時まで例のオフィスで働いていた)と、アディットのイラストレーター仲間で日本とバリのダブルだというアッコさん(日本語が少しできる)とで、来た時と同様、Grabタクシーで帰路についた。みんなお腹が空いていたので、深夜24時だったが、アッコさんおすすめの店でカレーを食べて帰った。「辛いけど大丈夫?」とみんなに散々言われたので恐る恐る食べてみたら全然たいした辛さではなく、とても美味しい鶏カレーだった。みんながヒー!辛い!となっていたが、わたしはぺろっとカレーを食べ切って、みんながまだカレーを食べているあいだにアッコさんがプレゼントしてくれたそこそこのサイズのチーズケーキも平らげた。食欲が狂っている…(Aoiはそんな大食いには見えない…とアッコさんがびっくりしていた)

そこからサヌールまで帰る途中、タクシーの運転手に「へえ君たちライブの帰りなの」「どんな音楽やってるの」と聞かれる場面があった。助手席に座っていたギャリーが、良くぞ聞いてくれましたといわんばかりに、自分のスマホBluetoothでカーステにつないで、Spotifyで聴けるようになったばかりのわたしの曲「Urban Port」をかけてくれた。
歌詞のなかに月が登場するあたりで、ちょうど窓の外を見たら月が出ていた。わたしは「あ、ちょうど月がきれい、でも彼らは歌詞の意味で聴いてくれているわけじゃないんだよな…、いや、むしろこれは、多分すごいことだ……」と思いながら黙っていた。ギャリーはわたしが以前一緒に対バンで演奏したΣ°))))∈の曲もかなり気に入っているといって、次にかけてくれた。この曲のここ、いいよね〜!と言っててまじわかる〜〜って思った。タクシーで曲かけさせてくれるの、あったかいな〜

無事に深夜に帰宅。



5/28(火)

昨日はかなり遅くに帰ったので、朝は10時くらいに起きた。今日ものんびり過ごす。バリ滞在はもうバカンスでしょ!とは思っていたが、あまりにもバカンスで慣れない……
ほぼ昼の時間だが、朝ごはんを食べに出発。昨日アディットが教えてくれたジャワ料理の店にもう一度行った。相変わらずおいしい。近くに若いインドネシア人男性のグループがいて、なんとなく会話内容がわかるなあと思いながら食後の一服など吸い、けっこうのんびりした。その帰り、途中にあるオシャレカフェに寄って、さっきのメシよりも高いアイスカフェオレと、ブランデーの効いたナッツのパウンドケーキ(大きい)も買った。絶対に食べ過ぎなんだけど、この時期わたしは完全に食欲がバグっていて、ほとんど食の化け物になっていました!

ホテルにいると、気が向いたらちょっとギター弾いて歌っちゃうとか、笛吹いちゃうとか、そういうことができない、ということにふと気づいて、あ〜〜山のあの家、本当に最高だったんだなあと思い知った。ビーチだったら歌っていても大丈夫そうだけど、なんかちょっと違う気がしてやらなかった。

ホテルにいてもしょうがないので、1人だけど果敢に海へ。といっても1人ではしゃげるほど豪胆じゃないし、水着もないし、することもないので、浜でビールを飲むことにした。多くの人が気持ちよさそうに寝ているパラソルとベンチは、やたら値段が高かったので諦めて、地元のおっちゃんぽい人が仕事の息抜きに来ている感じの小さな売店のそばのところの固い椅子に座って、ぼーっと過ごした。屋台のお姉さんに「灰皿ありますか」と聞いたら、ちょうど自分が使っていた竹を切っただけの灰皿を、友達みたいにスッと手渡してくれてちょっとおもしろかった。

大きな流木が波に打たれていたので撮ってインスタにアップしたら、タフタ(そういえば、バリへ出る朝に挨拶しそびれてごめんねってメッセージきてた、また会いに行くんで全然いっす…)が「流木いーなー」みたいなDMをくれて、めっちゃ2024年のコミュニケーションだな……と思った。距離ってなんだっけ、ないみたいじゃん。でも山の空気はここにはない。ああ、それが距離か。


この時に屋台で買ったBIGサイズのビンタンビールが本当にでっかくて、おそらく600mlくらいあり、強いタバコと一緒にグビグビ飲んでいたら全部飲み終わる頃には悪いほうに酔ってしまった。頭がものすごく痛い。調子に乗ってすんませんでした…と思いながら、真っ青な顔でビーチを後にした。なんか今日のわたし、ずっと愚かすぎないか?ホテルが徒歩5分の場所でよかった。でも、この旅の全てのイベントが昨夜で済んで、ぜんぶいい感じに終わって、本当に本当によかった!その安堵があったので、己の多少の愚行は許せた。部屋に戻ってベッドで休んだ。ベッドに横になった時はけっこうしんどかったけど、ちょっと寝たらあっさり全快したので、また散歩に出ることにした。

夕飯は、アディット情報のバリ風お粥(Bubur Bali)を食べに出かけた。もしかして売り切れてるかも…と思ったが、ありつけた。ビーチにある屋台で、けっこう賑わっていた。水着姿の家族連れや若者たちが周囲に座り込んで食べている。編んだ浅めのカゴに、片面にロウかビニールかがコーティングされている紙のお皿を載せ、そのうえにお粥を盛っていた。サラサラのスープみたいな食べ物を浅い紙皿に載せて提供されるのにはだいぶ違和感があったが、なんとかこぼさずに食べられた。カレーっぽい味の、でもさっぱりしたお粥だった。ピーナッツが載っていて美味しかった。

今日は実はひとつだけやるべきことがあった。ギターの梱包材がボロボロなので、明日の夜の飛行機に乗るまでに新調したい。まあ最悪エアパッキンはなくても、丈夫な楽器ケースだから平気だろうけど、あったほうがベターだ。

梱包材屋さん(ここもアディットに教えてもらった)へ、バイクタクシーで向かった。バイクタクシーの運転手も道があんまり分かっていなくて、わたしも分かんないのでちょっと行き過ぎた。降りて10分くらい歩いて目的地まで戻ることにした。元気なので全然問題ないです。が、戻る道中で「Molen(バナナの包み上げ、ジャワで食べたものとちょっと違うスタイルだったので気になって…)」の屋台を見つけてしまい、ごま団子とハーフ&ハーフになったセットをひと箱(Rp.10000)買った。絶対に1人で食べる量ではないんだけど、これを1人で食べちゃうんだあ〜…フハハ…

この道が、ジャワで親しんだ田舎っぽい街と似ていてなんだか気分が落ち着いた。たとえば「日本の郊外の国道沿い」みたいな、みんなが「ああ、あの感じね」と思い浮かべられる、お決まりのなんでもない、よくある感じの路上というのがインドネシアにもあって、わたしはいつのまにかそれが好きになっていたんだ、ということに気づいた。

梱包材屋に向かう途中、さらにまた寄り道してしまった。バビグリンを出している店があったのだ。バナナの皮でじょうずに三角に包んである大きめのオニギリくらいの量のものがたくさん積み上げられていて、歩道に面したカウンターの向こうには、ちょっとした屋根の下に、買ったものを食べられる簡易テーブルと椅子もあった。バビグリンの隣にはCumiと書かれたのもあった。えっ「イカめし」ってこと⁉︎ 食べたい!でもここのバビグリンも気になる!こちらへ来てすぐ食べたバビグリンとは違うかもしれない!あんまり迷わずにどっちも買った。
Cumiのほうだけ、ここで食べていくことにして、お茶も頼んだ。開けると、なんとイカめしじゃなかった。白米と小さいエビの甘辛いのだった。パッケージ(バナナの皮に、文字が印刷された白い紙がホッチキスで留めてある)にCumi Suna Cekuhって書かれていて、Suna Cekuhいうのが何かわからないけど(後日調べ:にんにくとウコンを使ったバリの調味料)それのCumiのやつかなと思ったんだけど違いました。なんで〜

なんで〜?と思いつつ美味しくいただいた。ひとりで食べていたら、店のおばちゃん2人が話しかけてくれたのでインドネシア語で返事をしたら「あらインドネシア語ができるの〜」という感じであたたかく接してくれて、しばらくインドネシア語でお喋りが続いた。どこから来たの、とか友達に会いに来てて、くらいの内容だったし、半端な言語だったけど、わたしが落ち着くのは観光地エリアじゃなくてここだ……としみじみした。会計はRp.23,000だったけど、財布にちょうどのお金がなくてモタついていたらRp.22,000に負けてくれた。あ、ありがとう…ここのおばちゃんがあまりにキュートだったので「ノリノリでセルフィーを一緒に撮って別れる」という陽キャインドネシア人みたいなムーブを繰り出してしまった。

さあ!やっと梱包材屋についた!と思ったら、すでに店が閉まっていた。えっ、Googleマップに書かれた営業時間だとまだまだ営業中のはずなのに……、食べ歩きとかしてたわたし、本物のバカか???と情けない気分でもう一度スマホを確認すると、目的地はもう少し先の別の店だった。ほんとうにすぐの距離だった。エアパッキンを見つけたので声をかけたら、ちゃきちゃきした感じのお姉さんに「何メートルいるの」と聞かれ、ほんの一瞬だけ考えて、でも最初からそう決めていたくらいに迷いなく「3m」と答えた。彼女のちゃきちゃきのテンポを崩さずに答えられたのも、「ちょっとそこ持ってて(切るから)」と現地語で言われて「ほい」ってすぐ動けたのも、嬉しかった。


すっかり前向きな気分で、帰りのバイクタクシーに乗った。明日の夜には飛行機に乗ると思うと、何度か通ったホテルまでの道にも眺めがいがあった。

ホテルに戻り、部屋の外の縁側みたいなところでさっき買ったバビグリンを食べた。昨日のと全然ちがっていて、これも美味しい!豚のレバーがメインの一皿だった。残りのMolenと胡麻団子も完食した。なんか今日、ずっと食べてるな……。
食べ終わってタバコを吸っていたら、ホテルの人が話しかけてきて、タバコだめだったかなと焦ったが全然そんなことではなく、日本に妹が行きたいって言ってて〜みたいな話で、社交辞令かなとは思いつつ、マジの時はぜひご連絡くださいという感じでちょっと距離が縮み、そのままバビグリンのおいしい店情報を引き出すことに成功した。二軒教えてくれた。飛行機が?明日の夜の便ということは?朝と昼に行けば二軒とも食べられるな〜…ということで、明日の朝ごはんと昼ごはんのメニューがバビグリンに決まった。開店と同時に入ろうという気概で、シャワーを浴びて荷物を少し整え、ほどなくして寝た。



5/29(水)〜5/30(木)

ついにインドネシア滞在の最終日です。
朝9時オープンのバビグリンの店が、ホテルからけっこう離れた場所だったので、8時半くらいに家を出た。その店は、昨日のようないわゆる「国道沿い」みたいなのよりももっと車道が大きく、歩いている人間は誰もいないような、モールが立ち並ぶエリアにあった。新しげな大きい店だった。店の入り口を入ってすぐのガラスの向こうの厨房に、見せつけるように丸焼きの豚が一頭でんと置かれていた。すでに他の客も数組いた。

せっかくなら本気で「バビグリン食べ比べ」をするぜ!という理念をもとにメニューに載っているスタンダードな感じのものをざっくり網羅したら、中々の量が運ばれてきてしまった。インドネシアでありがちなミスなんですけど、この国で串焼きを注文すると、5本とか10本くらいの単位でくることが多い。日本みたいに一串単位で買うことはあんまりない(個人的体感)。ここでは5本だったのでセーフだった。米と、野菜などと一緒に数種類の部位の肉が盛られたスタンダードセット(※ここにも串焼きがあった)に加えて、5本の串焼きとパリパリになった皮(これは量的にはペロリだが脂質が非常に高い)を食べた。朝から食い過ぎだ〜!

あまりにも満腹なので、次の目的地のモールまで15分くらい歩いた。「スマホの保護フィルムはインドネシアのほうが安いので替えて帰るのがおすすめ」と岸さん(今回ソロとジョグジャで会えた日本人の友人、ソロに滞在中)から聞いていたので、保護フィルムを貼るのをやってくれそうなモールに向かう。一軒めのモールには服しか売っていなかったので、さらに少し歩いて二軒目へ。徒歩で移動している人間が全くいないエリアなので、なんか目立ちそうでイヤだなと思いながらさっさと歩いた。
10時くらいに着いたら、モールは開店したばかりで空いていた。ほどなくしてスマホ関連のグッズを売っている店を見つけたので店員に聞くと、あなたの機種は古いので商品がないという。が、この場でレーザーカッターで出力したフィルムを貼ることができるらしい。店頭におかれたレーザーカッターには、古今東西のあらゆるスマートフォンの画面サイズにあわせたデータが保存されており、ガラスのような強いものではなくビニールっぽいフィルムでよければ、これでできる。えっ、これは良いハイテクなのでは…?日本にもあってほしい。珍しいので面白半分でやってもらった。いままで貼っていたガラス製の保護フィルムがバキバキだったので、張り替えたら新品さながらになった!

そうこうしているうちに意外と昼になっていた。そんなに腹ペコではないけど食べられそうだったので、おすすめの店②にバイクタクシーで向かった。12時半くらいに到着。こちらは先ほどの店とは対照的に、古そうな店だった。地元の食堂っぽい雰囲気、なのだが、完全に外国人観光客向け価格だった。そのパターンがあるんですね……!だが、味は(たぶん)本物だった!付属のしょっぱいスープは、ご飯や肉と一緒に(お茶漬けみたいにして)食べるんだよ、と店の人が教えてくれて、こんな最後で正しい食べ方を知るなんて失態だったが、次回からは!(これまでスープ単体で飲んで毎回「しょっぱいな…」と思っていた)
ここのバビグリンは、まさに「豚の全身から食べられる部分をちょっとずつ集めてきました」といった様相で、さながら豚パフェだった。他の店ではなかった野菜と和えたミミガーっぽいのもあったし、メインの肉も、部位ごとの肉の特性に合わせた調理法がそれぞれの良さをバッチリ引き出していて、味も食感もバラエティに富んでいた。毛の残った皮(尾?)もあった。これは流石にキモすぎたので、見た瞬間にウヒャーッと勢いで食べてしまい写真を撮りそびれた。口の中がもしゃもしゃした…。バビグリン、というと、特にジャワの人は豚を食べないというのもあるし「え〜、アレ好きなんだ」という微妙な反応をされることがたまにあったけど、納得した。たしかに、グロかったりキモかったりするような要素がバビグリンにはある。というか、食肉文化全般にそういう部分が本来あるし、きっと儀礼の時に調理されて出てくるバビグリンって、これくらい全部食べるんだろうな(だから地元の人も苦手な人は苦手)と想像できたりもして、この店での食事にはひとつの経験と呼べる重量があった。リアルでかっこいい一皿だった。
ここです(https://maps.app.goo.gl/bNww3JFd6XPshXtx5


ここでもしっかり完食して、さすがに満腹だ。夕方にアディットとご飯たべよ〜とは言っているが、まだ時間がある。お腹を空かせたいので少しでも歩きたい。Googleマップで見ると、伝統的な衣装やお土産の卸売をやっている市場があるようなので、行ってみることにした。朝のバビグリンの店のほうにだいぶ戻ることになるが、まあいいやとバイクタクシーで出発。

そこは「いわゆる」なインドネシアの市場だった。その一角にある建物のなかに、衣類やお土産がたくさんガサッと陳列されていた。品物が山積みで、人が通れる通路がとても狭い。サヌールの観光地価格と比べるとたしかにだいぶ安い印象だった。でもそんなにスーツケースに空きがあるわけでもないし、こういうザ・お土産をあげる相手も思い浮かばなかったので、眺めるだけ、という気持ちでぶらぶらした。小さくてかわいい貝のお皿を2枚だけ買った。観光地と違って、店の人があんまりしつこく話しかけてこないので歩くのが楽だった。

だいぶひとしきり、全フロア見終わったので、建物を出て、路上の市場のなかを歩いた。この臭さ〜!と思ってそちらをみるとやっぱり肉が売られている。こういうのともしばらくお別れだ。山のように積まれた野菜や果物。狭すぎる道を無理やり進む過積載のバイク。とにかくたくさんの人。人。人…。さすがに息が詰まるし少し疲れたので、少し抜けたところへ逃れて、ちょっと調べたらそばにカフェがあったので行ってみた。一階が文房具屋になっていて、二階がカフェという作りで、おしゃれで清潔だった。若者がパソコンを広げたり宿題を広げたりして思い思いに過ごしており、なかなかいい場所だった。のどが乾いていたのでアイスコーヒーと迷ったけど、GulaArenの文字を見つけて恋しくなって、Gula Arenの入った甘いコーヒー牛乳をのんだ。それほど冷房が効いているわけじゃないけど、かなりマトモなお手洗いも借りられたし日焼け止めも塗りなおせたしスマホも充電できたし、一階の文具売り場でガムテープも手に入った。最後の最後で現金が足りなくなりそうだったので調べたら、ATMがこのカフェのすぐそばにあった。すっごい順調だ〜!できればここでお金を下ろさずに乗り切りたかったけどまあ、また来るだろうから、現金が余っても問題ないです!


ここで一度、宿に戻った。軽くシャワーを浴びて着替えて、パッキングを完成させてチェックアウト。スーツケースの隙間に、山で食べた思い出のあるココナッツウエハースのお菓子(近所のワルンで箱買いした)がぴったり収まって嬉しかった。夜の飛行機に乗るので、それまで荷物を置かせてください、とホテルの人にお願いして、再び軽い装備でビーチへ出かけた。アディットの仕事が終わるまで浜を北の方へひたすら歩いて過ごした。途中の屋台で買った瓶のジュースがあんまり美味しくなかった。

夕方、日が暮れる頃に無事にアディットと合流。最初にバリに来た夜に行ったのと同じ安くて賑やかな屋台村に行って、そこで思い思いのものを食べた。わたしは野菜が食べたかったのでGadoGadoみたいなの(野菜とピーナッツソースon米)が食べられて嬉しかった。フルーツジュース屋で、ミックスジュースのカスタマイズをアディットがやっていたのでわたしも真似した。そういえばギャリーはジャカルタに帰ったの?と聞くと、さあ?という感じだった。距離感わかんないなwwと思いつつ、3人いると2人が喋っちゃってわたしは黙ってる、になりがちだったので、2人で話せてよかった。

もうぼちぼち行かなきゃね、そうだお土産があるから!一瞬うちに寄っていいかというので、ホテルに戻る前にアディットの下宿先に寄った。わたしは門のところでバイクと一緒に待った。慌てて階段を降りてきたアディットの手には、かき集めてきた!!という感じでステッカーやキーホルダーやTシャツ(ぜんぶ彼の作ったもの)が抱えられていて「好きなの選んで!」ってことかと思ったら全部くれた。多いwwwと笑っちゃいつつも、ここ数年ずっとSNSごしにみていた絵柄の変遷と、最近作っていたTシャツ、あーこのステッカーもインスタで見た!などがいっぱいあって、うれしかった。でも、あんまり時間がないので喜ぶのもほどほどにして、全部をTシャツの入っていた袋に慌てて詰め込んで、ホテルまで送ってもらった。

車道からホテルの敷地へ入るところの道で、またね〜!と挨拶をして別れた。が、何歩か歩いたら、さっぱりしすぎていた気がして、戻ってハグした。普段あんまり考えない自分の背の低さがよくわかる。絶対にまた会おうね!と言って顔を見たら、アディットはめちゃめちゃ泣いていた。ちょっとおもしろいくらい号泣していて、そんなびしょびしょに泣かれるとこっちはなんか笑っちゃうんよ、、、Sampai jumpa lagi(また会おうね)と、言葉はもうシンプルなのしかわかんないけど、繰り返すことと声色で、なんとか気持ちを伝えたつもりにして、ちょっと急いでいるのを言い訳みたいにして、小走りでホテルの門へ、細い路地を小走りになって去った。
自分に「去った」っていうのは変だけど、そういう感じだった。けっこう爽やかに去れたと思う。


実際、そんなに急ぐ必要はなかったのだけど「行かなきゃ!」という気分で妙に心が急いていて、慌ててタクシーを呼んだ。呼んだらすぐに来た。ホテルの人に穏やかに見守られながら、あっさり車に乗り込んだ。このくだりが一瞬すぎてスポーツみたいだった。

タクシーに乗ってからは、もう、あっけないほど早かった。そもそもサヌールはデンパサールの空港までとても近いし、道も混んでおらず20分くらいで着いた。そのままの勢いでチェックイン、保安検査、と行きたかったが、飛行機が遅れていたんだっけ、それとも全然焦る必要なんかなかったんだっけ、忘れちゃったけど1時間くらい、チェックインカウンターの近くで待つ時間が発生した。座れる場所がなくてつらかった。夕方に買ったお菓子を食べて空腹を(空腹の才能ありすぎ)しのいだ。なんだっけ、待っているあいだに左にいた人に話しかけられた。子連れの、ちょっと感じの悪い(失礼)家族に列を抜かされたけど別にいいやと譲ったら意外にも感謝された。その後のチェックインや保安検査場をぜんぶインドネシア語で突破できて嬉しかった。お土産もサクッと買ったけど、乗る直前で飛行機が遅れているとアナウンスがあり、1時間半のロス、ビールを飲んで待った。ゲート変更もあるというので空港の絨毯の上をひとしきり歩いた。来た時もこんな感じだったな〜と思い出した。その後、無事に飛行機に乗れたけれど、誰かの食べ物の匂いがキツくて食欲がなくなり、ぐだぐだの体調のまま着いたマニラでの乗り換え。ビール好きな友達にお土産にしようかな〜と思ってバリの空港で買ったクラフトビールはマニラからの機内に持ち込めず没収された(解せない)(そしておそらくここでお気に入りのサングラスを落とした…)。しかも次の飛行機は遅れに遅れ、最終的に半日くらい待たされ、情報が新しくなるたびにお菓子や水やサンドイッチをもらった。いつどのように変更になるかわからないので空港内を動き回ることもできず、ひたすらベンチで待ったのでとても疲れた。ともかく、やっとの思いで5月30日、日付もいつのまにか変わった夕方、日本に着いた。

たまたま近くで仕事をしていたパートナーが空港まで車で迎えに来てくれた。とても疲れていたのでかなり助かった。車でちょっと行ったところの彼の現場をちょっと見て、コットで休ませてもらって仕事の終わるのを待ってからスーパー銭湯に行って、そこのレストランで山菜の載った温かい蕎麦を食べてから帰った。5月末の日本はインドネシアよりもだいぶ寒かった。帰国後即、風呂と蕎麦、大正解でした!ありがと〜!ただいま〜!





インドネシア滞在日記⑩ 5/21〜5/24

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑩ 5/21〜5/24

5/21(火)

わたしは昨夜というか今朝というか、朝4時のアザーンで一度目が覚めてしまったりしていたので、堂々と寝坊した。今日の夜にMVに向けたレコーディングが敢行されることになっている。

2階のわたしが寝ているエリアのそばの壁には、小さな窓(ガラスなし)があるのだけど、その内側に、麻でできた空色の布がカーテンのようにかかっている。今朝は、窓の外から手を入れてこの布をヒラヒラさせながらタフタが「Sarapan(朝ごはん)だよ〜」と声をかけてくれた。こういう細かいチョケに親しみがあって、いちいち嬉しい。あれ?カーテンあったっけ、と思って聞いたら、前からずっとあったよと笑っていた。

今朝は、先日タバコを買いに行った村でカフェを営んでいるというバリスタ(タフタの友人)がカップルで遊びに来ていた。たぶん20代半ばくらいの、若くておしゃれな二人だった。タフタのキッチンにはその友人からの差し入れのコーヒーがあって、それをすでに幾度となく飲んでいたので、ああ!この美味しいコーヒー、あなただったのか!!ってなった。いただいてます!と伝えた。

タフタは完成した笛をしまうための袋を作っていて(今日の夜に3本納品しに行くのでそれまでに仕上げなければならないらしい)、Aoiはこういうの得意?と手伝わされかけたけど、いや、それはあなたの作品だから…というのと、同じ縫い方を教わるのが面倒だったので手伝わなかった。(今思うと薄情だわ、ごめん)

バリスタ氏のガールフレンドが差し入れに持ってきてくれていた、バナナのシロップ漬け、Setup(ストゥップ)と、パリパリした薄い煎餅みたいなおやつをいただいた。もうこれ朝ごはんってことでいいね、と思っていたけれど、みんなでナシゴレンを作る流れになった。
相変わらず、ナシゴレンを作る段になるとタフタがいつのまにか姿を消して、シントロン(さっぱりした春菊みたいな香草)を摘んで戻ってくる。毎回シントロン入りで作ってくれるの、本当にうれしい。まずめちゃ美味しいし、いつのまにか摘んで戻ってくるお決まりの一連がおもしろすぎて、わたしはずっとツボです。ほどなくナシゴレンは完成したが、ガールフレンド氏がぜんぜん食べないのでわたしがほぼ二人前の量を食べた。

食後ののんびりタイム。バリスタカップルがわたしの曲をSpotifyでかけてくれていて、嬉しいけどなんか気まずいので、ひとり少し離れたところで山を眺めながら覚えたてのタバコを吸って時間をつぶしたりした。その後、2階でぼんやりしているとタフタが階下で笛を吹いているのが聞こえ、あっ…これはわたしの曲だ…という瞬間があり、嬉しすぎてこっそりiPhoneで録音した。


ここの庭でのんびりしていると、いろいろなものに気づく。料理に使うために庭に植えたんだけど、どんどん食べちゃうからすぐなくなる(笑)という唐辛子の花が下に向かって咲いているのがかわいかったり、コーヒーの白い花が先週はつぼみだったのに、もうすっかり咲いていたり。「コーヒーすごい咲いてるね〜!」と喜び伝えると、タフタが「ジャスミンみたいな香りするでしょ、お茶にできるよ!」というので、ひと握り摘んでみた。摘んだ花びらを皿に広げると虫がたくさんいたので、それを潰しまくって(グロ描写ですが、小さい虫なので指で潰してそのまま皿に擦りつけると消失する)から、天日に干した。あとで飲んだが、そんなに印象に残る味ではなく、その場にいたみんなで回し飲みして全員「まあこんなもんか…」というリアクションだった。


起きたのがほぼ昼だったので、髪を洗ったりのんびりしたりしているうちに時間が過ぎ、バリスタカップルはほどなくして帰っていった。今夜の録音、間に合えば2曲やりたいね、と言って、笛作りの休憩がてら、ちょっと練習した。拙曲『湾岸行々(Urban Port)』のラスサビをタフタがオクターブ下で歌ってくれて、かなり美しかった。彼は耳が良いし真面目なので、日本語の発音を繰り返し確認して、すぐに上達して、「航空障害灯がまばたきをしてる、透明になって山が寝ている」という一節を完璧に歌えるようになっていた。(この録音はわたしのiPhoneのボイスメモにしかないのだけど、嬉しすぎて飛行機とかでずっと聴いていました。宝物データ…)


夕方、暗くなる少し前にアントとルイージが遊びにきた。Bubur Pecelという、ピーナッツソースがけのお粥の美味しい店があるというので、そこへ一緒に夕飯を食べに行って、そのまま録音スタジオ(カルトゥンさんの友人が働いているという大学の音楽室)に向かう。バイク2台で、4人で山を降りた。

Bubur Pecel はめちゃくちゃ美味しかった!!Nasi Pecel と違って、これなら温かいし、胃にも優しいし、安いし、最高なのではないか!?3日に2日くらいこれ食べたい!!!と大興奮してしまった。ルイージは以前にもここに食べにきたことがあって今日ここへくる提案をしてくれたようで得意げだった。ありがとう。
インドネシアの庶民的な食堂の多くは、すでにできている揚げ物がテーブルや店の一角にどんと置いてあって、自分で好きなものを選んで皿に盛って食べるようになっている。この日はアントが揚げ物を山ほど皿に積み上げていて面白かった。そんなに食べるの?!と驚いているうちに食べ終わって2杯目のBubur Pecelをおかわりしていた。

さらに1時間弱ほどバイクを走らせ、4人で大学に到着。駐輪場にバイクを停めたあと、ルイージとアントはフルーツジュースが飲みたいからちょっと行ってくる!と街へ消えた。わたしは水だけ買って、大学内のモスクの前でタフタと一緒にカルトゥンさんを待った。

ほどなくしてカルトゥンさんとは合流できたが、録音の準備がまだらしいので、引き続き3人でそこにいた。月がすごくきれいに出ていた。わたしはムスリムではないので、モスクに来たことはほぼない。ミーハーな気持ちで入っていくのは失礼だし、特に用事もないのでいつも通り過ぎるだけだったけど、この日は建物の入り口のタイルの階段に腰掛けていて、ソワソワした。髪を隠していない女だけど大丈夫だろうかという気持ちと、一緒にいてくれる友人たちへの心強さと、そういえば、彼らの生活のなかのこの部分はわたしには遠いな、という寂しい気分も少しだけあった。

もうすぐ満月を迎えるようで、見上げると月が丸かった。スマホを見ていたタフタが、わたしが明け方に起きてしまった時にしていたインスタグラムの投稿を見て「え、今朝4時に起きてたの?全然気が付かなかった」と言って笑っていた。


さらに別の場所(校舎の玄関)に移動して、またドアの外のところのタイルの床に座って待った。アントとルイージがいつのまにか戻ってきていて、チョコレートのぱりぱりした薄いクレープ巻きみたいなおやつを分けてくれた。近くで工事をやっていて、この音が入っちゃうんじゃないの、と思った。通りすがりの学生らしき男の子が、5年前にスマランでやったライブに来ていた人だったらしくて「え?!」ってなりつつ握手した。そんな世間せまいことある…?

だいぶ待ってようやく、違う建物へまたまたみんなで移動した。
録音をする場所は、いわゆるスタジオというわけではなく、普通の講義室に手作りの防音を施したような一室で、20人ぶんくらいの椅子と机が置いてあった。細長い部屋を横向きに使っていて、長いほうの壁にホワイトボードや教壇がしつらえてある。入口から一番遠い奥のほうの、スポンジの貼られた壁のそばにパイプ椅子が置かれ、マイクスタンドを立てている人たちがいた。

ウスマンさんという人が、カルトゥンさんの紹介で今日のエンジニアをやってくれる。あと2人、助手みたいな感じで若い男の子がいた。よくわからんけど1人は途中で帰った。ただでさえ時間がおしているので、我々はすぐに楽器を出して、エンジニアたちの準備が終わるまでダメ押しでさらにちょっと練習した。
マイクを立ててPCにつないで、Aoiが普通に1人で演奏したものにあとからタフタが笛とコーラスを重ねる、というとてもシンプルな録音なので、何にそんなに手間取っていたのか不明だったが、録音が始まったのは22時をまわっていた。マイクスタンドは、言ってはなんだけど安い作り、かつ年季が入っていてボロボロだったけど、力一杯ねじを締めてなんとか使った。

わたしは一発でOKテイクを撮り(最後の1分くらいヘッドホンが頭からずれ落ちてきて焦ったが、耐えた)、すぐタフタに交代した。タフタもめちゃくちゃ優秀なので笛は2テイクで決めていたし歌もすぐで、始まってからはあっという間だった。聞きなおしてチェックしながら進めるので時間はかかったが、23時過ぎに終わった。2曲録る余裕はなかった!

レコーディングは楽しかったけど、タフタの表情が少し固くて気になった。山の家で何度も一緒に遊ぶみたいに演奏した時とか、バイクに乗って歌った時とか、ああいう時のほうがやっぱり圧倒的に輝いていたな、と思ってしまった。わたしは、ああいうふうに人が輝きながら奏でているのを「音楽」だと思っていて、そういうのを一番信じているし好きだ。タフタも「録音って緊張しちゃうからライブのほうが好きかも」と言っていた。わかる。超わかるよ。
今回の録音は、山の家で一発録りでやるアイディアもあったけど、自分たちの録音技術の限界と、後の編集のしやすさ・最終的な出来を考えてスタジオ録音にしたのだった。そう決めたのはわたしだったし、結果よかったと思っているけど、この日はまだちょっと不安だった。
振り返って聞いてもあの日の録音は素晴らしい出来だし、積み上げた輝きの先にあった演奏だったと思う。でも、奇跡みたいな瞬間そのものではなかった気がして、ほんの少し寂しかった。あの日わたしはマイクの前でひとりで1テイク歌っただけだった。それじゃあ日本にいる時とか、いつもと同じだ。ほんとは同時に、一緒に歌いたかった!

録音を終えて、空腹のまま帰路についた。まっすぐ帰ると思っていたら、途中から見物にきたマルノ(先週一緒に演奏したヴァイオリニスト)とタフタと3人で、彼らの友人のミュージシャンの家へ向かった。そうだった。笛を3本納品するというミッションがあった。ミュージシャン氏は気のいい若いニイちゃんで、笛を無事に渡した後も、ひとしきりタバコを吸いながら3人のおしゃべりが続いたので、わたしは完全に眠くてほとんど会話に入らずぼーっとしていた。トッケーが鳴いているのが聞こえた。その後の帰り道はすっごく眠かったことしか覚えていない。



5/22(水)〜23(木)

今日はキャンプに行くというので朝早いんだろうと思っていたら全然そんなことはなかった。月を見る(浴びる)のが主目的なので夕方に出発するらしい。
起きて階下へいくと、タフタとアントとルイージがのんびりしていた。めずらしくアントが朝食担当のようで、台所に立っていた。が、別に料理上手というわけじゃないらしく、おっかなびっくりという様子でなんとなくモタモタしていた。他のみんなは、居間のようなスペースのほうに座ってお茶を飲みながら待っていて、タフタはアントのギターを弾きながらゆったり歌っていた。黒い小さな蝶がそのまわりを飛んでいた。朝ご飯は、焼いた小さな魚とテンペと、野菜のスープ、白ごはんだった。スープの野菜の切り方がなんか下手くそな感じで愛しかった。

食べ終わってもなんとなくさっきまでみたいな時間が続いていて、タフタが引き続き知っている歌を次々歌っていたのだけど、急に知っている曲が聞こえてきてめちゃくちゃびっくりした。す、好きな曲だ!!!!Fleet Foxes の "Blue Ridge Mountains" という曲だった。一年くらい前に友人に教えてもらって聴いていて、これはアルバムのあとのほうに入っている超いいリフのある曲……英語の歌詞は覚えていなかったのでメロディーを一緒に鼻歌で歌った。この曲いいよね〜!ってこんなところでこんなふうに言い合えるのが嬉しすぎて、胸がいっぱいだった。しかもめっちゃいい声なのであった…。アントとルイージは知らない曲だったようで反応が薄かったけど、わたしがめちゃくちゃ嬉しそうにしていたら、タフタはもう一度はじめから歌ってくれた。


そろそろ出発かなあと思い始めたお昼すぎ、一度村のお父ちゃんたちの家に寄って、15時過ぎくらいに出発。1時間弱ほどかけて、この山を東の方へ移動する。(今いるのは山の西側)
途中、何度か屋台のお菓子(バナナをクッキーっぽい生地で包んで揚げたお菓子Molenがめちゃ美味しかった)や、天ぷらなどを食べる小休止を3回くらい挟んだ。どう考えても食べ過ぎだし、景色もふつうに郊外の街のままなので、3回目の休憩の時にルイージが大きい声で「これがインドネシアの登山ってわけ?!」と冗談めかして言っていた。そうだぜ、これが世界一歩かない国の登山だ!byカルトゥンさん

それでも道を進むにつれて少しずつ標高が上がって肌寒くなり、うっすら小雨に降られたりもしつつ、広大なバラの畑のあいだの道をぬけて、ようやくキャンプ場に辿り着いた。バラの畑は見事だったし、植生がはっきり変わったのがわかって嬉しかった。

キャンプ場はかなり混み合っていた。満月だし連休だからね…とみんなが言っていたけど、満月って理由で山が混むんだ…?ともかく暗くなる前にテントを張る。ほどよい場所をスッと見つけて、3チームに分かれてそれぞれのテントを建てた。テントは3つ、人は6人だ。わたしはカルトゥンさんのガールフレンドであるニサが自分と一緒に泊まってくれるのかな、と思っていたが、2人はカップルでテントを使うようなので、ちょっと戸惑っていた。散々家に泊めてもらってきたけどタフタの持ってきているテントは明らかに1人用サイズだし、これに2人で寝るのはさすがに仲良すぎっていうか物理的に無理がある。それをどう伝えたものか迷いながら近くで作業を眺め、たまに手伝った。タフタは、これは中国の友人がデザインして作ってくれたテントなんだ、といって迷いなく組み立てていた。(友達デザインのテントをもらうの、建築科出身エピソードって感じがする)
白くて形のいいテントが完成して、さすがタフタはセンスがいいね、君に似合ういいテントだ、とルイージも誉めていたが、やっぱりこれどう見ても1人用だ。うーーーん、と思っていたら、じゃあAoiはこれ使ってね!と言い残して、タフタはお茶を淹れるためにお湯を沸かし始めた。いやいやいやお前はどこで寝るんだ!とやっとツッコミみたいな気持ちで問うと「俺は外で寝て、満月のパワーをダイレクトにチャージする!一度やってみたかったんだ!」という。えええ〜〜?寒くない…?気の遣い方おもしろすぎなのか、ガチスピなのか、どっちもなのか……。でも代案がないので、ともかくお礼を伝えた。

とはいえ、満月と朝日を目当てに来ているキャンプなので、寝る時間はあんまりなかった。我々は食堂(キャンプ場までの道のりでたくさん食べていたのは、山に着いたら食べるものが何もないからなのかと思っていたが、全くそんなことはなく、食堂もいくつかあるし売店もトイレもちゃんとあった)で軽い夕飯を済ませた後、起こした焚き火でテイクアウトしてきた揚げ物をリベイクしたり、タフタとわたしは火のそばで笛を吹いて遊んだりした。こないだ吹いたデュオの曲みたいなのを思い出しながら演奏して、楽しかった!

ここはタフタの家よりもずっと電波がよく、インターネットも快速だった。我々の場合、もはや普段の日々のほうがずっとキャンプなのでは……。そんな電波状況のなか、昨日のレコーディングのラフミックスが届いた。爆速助かる〜!それをカルトゥンさんがBluetoothスピーカーでかけてくれて、みんなで聴いた。
わたしは、渡航前にアルバムの録音をしてきたばかりだったこともあって、ミックスの要望をまとめるための試聴だ…、というシャッキリした気持ちで聴き始めたが、みんなが口々に歌いだすしまあそもそも外だしで、全然そんなふうには聞けなかった。それがあまりにも嬉しくて、聞こえないじゃん〜!と指摘しながら大笑いしてしまって、それでもみんな歌うのをやめなくて、わたしはそのまま笑いが止まらなくなった。嬉し笑いしながらちょっと涙が出た。こんな幸せなことがあっていいのか……


朝日のタイミングを狙って山に登るため、夜中の3時に起きて4時に出発ね!ということで、わたしは22時くらいにはテントに引っ込んだ。みんなの話し声がまだ聴こえていたし、地面が斜めであんまり眠れなかったうえに、2時くらいに目が覚めてトイレに行って戻ってきたら、アントとルイージが元気にそのへんにいて、もう出発しようぜ!と言われた。ええ…4時間しか寝てないよ……(あと今書いていて気づいたけど、この2人も寝てないな)そしてタフタは本当に外で寝ていた。テントのそばに横になっていて完全に闇に溶けていたので踏みそうになった。タフタは、アントとルイージに起こされて急かされても「そんな急がんでも」という感じでのんびりタバコを吸って、お茶飲んでからにしよ〜、とゆっくり動いていた。ほぼ寝ていないので無理もない。アントとルイージはなぜかずっと元気だった。

あたりは真っ暗だ。他にもたくさんいる登山客が、みんなライトを手に持ったり頭につけたりしていて、その明かりしかないが、その明かりがかなりたくさんあるので迷ったりするような困難さはない。登山客の列は途切れることなく続いていた。そこにすっと加わって、4人で出発した。カルトゥンさんたちは普通に日が出てからちょっと登るにとどめるとのことだった。

わたしはカルトゥンさんのヘッドライトを借りて持たせてもらった。山道はかなりハードだった。夜なので視界が悪い。それに加えて、日本でわたしが登ったことのあるような整備された山と違って、道に手すりや階段がほぼない。ほとんどずっと「人間が歩いてできただけ」みたいな道を登り続けるので、かなりきつくて、早い段階で大汗をかいて上着ヒートテックを脱いだ。先頭をタフタが進むが、身長180超えムキムキ山男のペースに、20センチ以上体が小さい上に最近運動不足の登山ペーペーがついていけるはずがなく、たびたびAoi ストップが発生した。途中から、これは積極的に止まらないとマジで膝を壊す、という危機感が出てきたので、本当に無理になる3段階手前くらいで「休みたい!」と言うようにした。

登山客は若者が多かった。信じられないくらい軽い装備で来ている人もいれば、しっかりした格好の人もいた。ポータブルスピーカーから粗悪な音でガチャガチャした音楽をかけている人がなぜか一定数いて、それを見るたびにルイージが「信じられない、こんなに素晴らしい自然のなかに来ているのにバカなのか」と憤慨していて、わたしもこれには同意だった。あと、理解不能なのだけど、急に雄叫びをあげるのが山全体で流行っていた。誰かが急に「うぉうぉうぉうぉうぉ」などと吠え出すと、他の若者も応えて吠える、という、お前ら猿なの⁉︎ と言いたくなるような遊びがあちこちで多発していた。なんだったんだろうあれ…。日本で登山に行くと静かに爽やかな気持ちになるが、この日の登山は、せっかく夜登山なのにかなりやかましくてがちゃがちゃしていて、変な感じだった。わたしの知ってる登山とはニュアンスがだいぶ違っていておもしろかった。

登山中、アントが最後尾を守ってくれていてありがたかった。タフタは自分のペースでガンガン登っていくし、ルイージもそれについて先へ行ってしまったが、アントはわたしが休憩というほどではないにしてもたまに立ち止まるたびに、一緒にその場にいてくれた。ありがとう…。時々みんなで少し休んで、Gula Arenのかけらを分けて食べたり持参した水を飲んだりしたが、気持ちとしてはひと息に、上まで登った。


山頂付近にさしかかると、遠くに他の山と、街の明かりが少し見えた。若者がウホウホ叫んでいて耳は若干しんどいが、月が雲でぼやけて見えていて、とても美しかった。満月の1日前だ。

タフタがふいに「この景色、Aoiの歌にあったね」と言った。えっっ、はい!「透明になって山が寝ている」という一節がございます。そういえば、ここを一緒に歌いたくて歌詞の意味を話したことがあった。わたしの名前の漢字の話をした時もそうだった(「(碧の漢字は)空じゃなくて海の色だよね」)けど、何日か前の話なのにちゃんと覚えてくれていたことがまず友達として嬉しかった。それに、歌詞の描くイメージが目の前の景色と今まさにリンクしている、それも、異国で、外国人の友人の頭の中で!というのが、とてつもなく嬉しくて、めっちゃ感動した。これはさすがに一生忘れたくない。世界のどこへ行っても、夜になれば、山々は遠くで透明になって闇に溶け、横たわって朝を待っているのだ……………


頂上は寒かった。汗で体が冷える。山頂にはもう人がいっぱいで、みんな思い思いの場所に敷物を敷いて、何か食べたりしながら朝日を待っていた。満開の頃の上野公園の花見くらい混んでいた。ポータブルスピーカーで音楽をかけている人はここにもいて、アニメ"serial experiments lain"のOPの曲が聞こえてきた時はかなりおもしろかったけど、同行者の中に伝わる人がいないと思ったので黙ってニヤニヤしていた。わたしたちは留まれる場所を探しながら移動し、最終的に大きめの岩の近くにいることにした。敷物を持ってこなかったし、そこらは夜露でびしょびしょに濡れていて座り込む気になれず、ただ突っ立って日の出までの時間をつぶすことになった。

40分くらい立っていただろうか。ようやくあたりが明るくなってきた。が、霧だか雲だかが濃くて、日の出の時間を過ぎてもぼんやり明るくなっただけだった。タフタはちょっと草を分け入ったところで、みんなに背を向けて黙って立っていた。たぶん瞑想していたんだと思う。

朝日は見られなかった。しょうがない、帰ろう。少し道を進み「ここが頂上です」の看板のところで4人で写真を撮った。寒さに凍える我々に、タバコ吸えば寒さを誤魔化せるんじゃない、とめずらしく紙巻き(でも両切り)のタバコをタフタが差し出した。黒地に金の文字が押されたリッチなデザインの箱に、一本ずつ金色の紙に包まれたタバコが入っている(Dji Sam Soe のタール39mgくらいある激重タバコ)。ルイージはそれを珍しがって写真を撮っていたが、喫煙はしたくないようで、わたしがちょっともらっただけだった。山頂で吸うタバコはたしかに美味しかったが、それより寒すぎてとにかく早く下山したかった。出発した時にも寒かったので持っている布を全て体や首元に巻き付けてきたが、また同じ装備になっていた。わたしたちは、ルイージの提案で、心無い登山客が捨てていったゴミを見つけるたびに拾いながら降りた。途中で拾ったコンビニサイズのビニール袋がいっぱいになった。

降り始めてから、雲が晴れて太陽が出てきた。山頂エリアから山道にはいって少し行った頃、信じられないくらい美しい光景に出会った。あたり一面にうっすら霧がかかっていて、生い茂った木々の枝の隙間から太陽の光が何本も差していた。遠くで若い登山客の鳴き声もしたが、虫や鳥の声も多く聴こえた。湿度が高く、ああ、これは東南アジアの山だ!と思った。びっしり苔むした太い木の幹や枝や大きな葉っぱに、恵みのような強い輝きの太陽光がまばらに落ち、ところどころに小さな花が咲き、蜘蛛の巣や細い草についたしずくが立体的にキラキラしていた。美しかった。360度、目に映る全てが美しかった。わたしたちは立ち止まって、しばらくその場を味わった。

わたしは膝がかなり限界にきていて、もう老人のようにゆっくりとしか歩けなかった。スマホで動画を撮影するためにルイージはたびたび足が止まっていたし、それに付き合ってアントも下山ペースが落ちていたため、4人だった我々一行は2:2に分裂して、わたしはしばらくタフタと2人で歩いていた。たまに膝休憩をもらっていたが、次第に「まあ、もう道わかるっしょ」みたいな感じでタフタは振り向かなくなり先に消え、わたしは最終的に1人で帰った。途中で、登ってきたカルトゥンさんとニサと会ったので写真を撮った。

行って帰ってくるまで、だいたい6時間くらいの登山だった。高尾山くらいのノリっぽいのだけど、道が極悪なのと夜なのと完全に寝不足なのとで、かなりきつかった。みんな何となくバラバラにもどってきて、合流できたメンバー(タフタとアント)3人でSoto(お茶漬けぐらいの感覚で食べられて本当に助かる、米入り鳥スープ)を黙ってサッと食べ、テントのほうに戻って各自眠った。


そのまま昼過ぎまでだらだら過ごした。タフタはテントの近くの岩場みたいなところに薄いキャンプ用のマットを持って行って、そこでかっこよく片膝を立てて濃い色のサングラスをかけて寝ていて、ふざけているわけじゃないと分かっているんだけど、なんかめちゃくちゃおもしろかった。わたしはちょっと寝たら案外元気になったのでテントから出て、でも何かやるほどの体力はないので、昨日の夜に袋を開けてすっかり湿気てしまったお菓子をボーッと食べていた。ルイージが、びっしりの文字と少しの絵による日記っぽいものをイタリア語でノートに描いていて、けっこう絵が上手だということが判明した。タフタのテントを描いていた。わかる〜。外国に来て紀行みたいなのを書くの、楽しいよね…わたしもめっちゃやります。
お菓子をまとめて置いていたゾーンに、ニサかカルトゥンさんが買ってきたと思われる丸い小ぶりの菓子パンがあって、ものすごく甘いマーガリンとチョコレートの挟まったアンヘルシーなものなのだけど、全然美味しくないのに妙に旨くてついつい二つ食べてしまった。こんなに日々アクティブに過ごしているのに、わたしはだいぶ太りつつあった。

帰る段になり、テントをたたんで荷物をまとめていたら、寝袋がひとつ足りないことがわかった。わたしが借りていた(けどなんか使わなかった)のが、なぜかない。来る途中で撮った写真には写っていたので、途中で落としたのだろうか。カルトゥンさんが、え〜どうしたんだろう、と色々考えてから「……Jatuh(落とした)?」と言っていたのが妙に印象に残っている。Jatuh、なんか二度と見つからなさそうな語感で凹む…。借り物を失くすなんて酷い話だ。ほんとうに申し訳ない。ひと通り近辺を探したが、なく、諦めるしかないので、どんまい、という感じでみんなでバイクで出発した。


バイクの道中、わたしの口数の極端な少なさから凹んでいるのがバレていたみたいで、タフタが振り向きもせずに「もうそのことは考えないで」と言ってくれた。古かったし、手放すタイミングだったんだよ、みたいな励ましをもらった。本当にすみません。次に彼らを訪ねてここへ来る時には、絶対に寝袋を買って持参して、必ず弁償しよう、と密かに心に誓った。

帰り道、途中で少し雨が降ってきた。ざあざあ降りになる頃に、田んぼのなかにぽつんと立っているWarung(食堂)でお昼を食べつつ雨宿りすることになった。明日、MVの撮影をするので(MVの撮影をするので???)カメラマンのアルゴとここで合流して一緒に帰る。

午後15時半くらいの中途半端な時間だったので他に客はいなかった。Warungにしてはちょっと珍しく2階席があり、大きい建物だった。みんなNasi Rames(自由に選べるおかずwith白米)にした。わたしは知らないものを積極的に食べていく方針なので、Buletという小さいうなぎみたいな魚の、スパイス和え焼きみたいなものにトライした。Buletは骨が多くて食べにくかったが、味は美味しかった。

この日は本当〜に、全く雨が止まなかった!わたしたちはここで3時間くらい足止めをくらった。寝ていた人もいたし、ルイージが、アプリを使ったお題当てゲームみたいなのをやろう!と言ってみんなを集めてくれた場面もあったが、あんまり盛り上がりきらなかった。ルイージのイタリア語っぽい発音がおもしろいらしく、タフタが「マス・アントォー(アントの兄貴、の意)」と、ルイージのモノマネを連発していた。疲れて変にテンション高いみたいなのあるよな…

もはや外も暗くなってきて、あまりに長居して申し訳ないのでみんな2杯目のドリンクを注文した頃、タフタが口笛で拙曲『湾岸行々(Urban Port)』の二度目のサビのところ「冷たくない、なんていったの、なに、え?」の部分(ここです)(https://youtu.be/7CDhc-0-rMk?si=UIrSQutenk732auv&t=231)を口笛で吹いていて、ここ好き、と言ってニコニコしていた。え〜、うれし〜〜〜。カルトゥンさんに「なにそれ」みたいな反応をされ「え、Oishii song(※=いい曲、の意で二つ名がついていた)のあそこだよ〜」と歌って説明して「ああ〜」ってなったりしていた。


19時過ぎにようやく雨脚が弱くなり、アルゴも着いたので、全員で再出発。ボディソープなくなったので買いたいです!どっかでコンビニあったら寄って!というのだけ伝えて、タフタのバイクに乗った。

が、ちょっと進んだらまたすぐ大雨が降ってきた。とりいそぎコンビニの用事は済ませたが、その後もまだまだ雨脚が強く、途中で雨宿りすることにした。インドネシアには町の夜警のおっちゃんが常駐してテレビを見ている小屋みたいなのがあるんですが、それが無人なのを見つけたのでバイクを停めた。屋根の下にいると、すぐアントとルイージが追いついて、もうこれしばらく無理っしょ、ということで、靴を脱いで小屋のなかに入ってそこで休んだ。でも全員、登山で疲れているしずっと一緒にいすぎてもうお喋りする話題もなく、この場にいない人とメッセージをしたり、SNSを眺めたり、みんなほぼ無言だった。

しばらく待って、そろそろ行けるかな!と出発したが、やっぱり無理だった。また少し行った先で同じように雨宿りした。店のシャッターが閉まっている屋根の下に、なぜか置いてあったテーブルと硬い椅子で休む。ルイージが「なんでまだ降ってるのに行く判断したんだ!さっきのところのほうが居心地がよかったよ!」と笑いながら文句を言っていた。タフタが「これみんなで分けよう」と、とても小さい(5センチ四方くらい)袋に入った小さなアラレを鞄から出して、みんなでちょっとずつ食べた。アントもコーヒー味の飴を出してテーブルに置いてくれたが、なんかみんな飴って気分ではないらしく誰も食べなかった。
ひとしきりそこで時間を過ごしてから、ようやく再再出発。したが、タフタがバイクを30mくらい走らせてから「あっ鞄おいてきた!!!」と言って、我々は慌てて戻った。気づいてよかった。鞄は無事にそこにあったが、ずっと持っていた鞄を忘れる&それに気づかないって、わたしもこの人も相当疲れている。

カルトゥンさんたちは先に帰り着いたらしく、夕飯を買って来てほしいと頼まれたのでなんか買ってくよ、俺たちもなんか食べよう。ということで、家の最寄りの村のひとつ手前くらいのエリアの焼き鳥屋さんに向かった。が、目の前で売り切れたので、道を少し戻って、Bubur Pecelは?こないだ食べたおいしいやつか!いいね!最高!と向かったが、そこも閉まっていて、結局さらに別の屋台へ行き、ココナッツミルクぜんざい(Kacang Hijau)を食べた。冷えて疲れた体にあったかいぜんざいはすごく美味しかった。タフタと2人で外でご飯を食べているのが妙な感じだった。ご馳走してくれたので甘んじた。(ガソリン代はわたしが出したので…)

Kacang Hijauを食べている間に、隣の屋台でオーダーしておいた惣菜ができたので、それを持って帰る。わたしは疲れ切っている友人を前に、絶対ケンカしたり気まずくなったりしたくないのでもうずーっと空元気で笑っていて「これ持ってるとあったか〜い!」と明るく言って惣菜を抱き込んでみせたりしていた。ふざけていたけど切実だった。服が濡れていて寒い。とにかく無事に帰りたい。

雨もほとんど止み、すっかり見慣れた道を登って家に着くと、すでに21時半だった。雨で予定が狂うのはインドネシアあるあるだけど、ここまで大幅に狂ったのは初めてだった。かなりクタクタだったが、明日MVの撮影をするので(MVの撮影をするので???です、この時点でもいまだに)その打ち合わせをする。

アルゴはお土産を持って来ていて、わたしたちより一足先に着き、カルトゥンさんとお菓子をつまんでお茶していた。タフタは寝にいった。わたしは22時までに打ち合わせを終わらせて、そんで寝るんだ、と心を決めて、ロスタイムゼロですぐその輪に加わった。アルゴもカルトゥンさんもやる気十分だ。

アルゴは、タブレットを取り出して、イメージボード作ったんだけど、とPDFを見せてくれた。この完成度がめちゃ高くて、かなり驚いた。すごい!わたしが「やる」と決まってからすぐに送った歌詞の英訳に沿ってフリー素材の写真を並べ、ここはこんな画にしたらいいんじゃないかというアイディアを具体的に載せてくれていて、それが曲のはじめから終わりまで、ひと通り出揃っていた。
この短時間で、仕事が早すぎないか⁉︎という驚きと、けっこう長い曲なのに、曲のコンセプトまで汲んでここまで組み上げてくれたことに感動した。これならかなり話がしやすい!
「明日絶対に撮りたいシーンはこれとこれ、あとは良いロケ地があったら即興的に撮る。それ以外はAoiが居なくても撮れる映像と、俺の持ってるフッテージで構成する作戦でいこうと思う。」「いいね!これはあくまでインドネシアバージョンだから、歌詞に全て意味をあわせてモチーフを並べるよりも、インドネシアのこの地域の空気感とかそういうのを前面に出した方がいいものができると思う。ここで演奏していたんだっていう空気感を抽象度高めに見せたほうがいい。風とか吹いてるとなお良い。ここにはない海のにおいが風に乗ってやってくる、という歌なので…」
 
けっこう端的に要望を伝えられて、自分の成長を感じた。それに、アルゴは「日本で会いました?」ってくらいフィーリングが合うというか、見てきた映画や触れてきたカルチャーみたいなものが共通している、というような印象がふるまいの端々にあって話しやすかった。2人とも慣れない英語でがんばって話しているけど、なんとなく言葉の中身のようなところはちゃんと届いているような安心感があった。ここで最初に会った日、寝る前に咳が止まらなそうにしていたのでプロポリスキャンディーをあげた時は、こんな急に一緒に作品つくることになるなんて思ってなかったよ……。具体的に好きなバンドや映画の話をするような場面はなかったけど、なにか「わかる」感じがあって、表現という共通言語があってよかった、と思った。最初の週、カルトゥンさんが言ってた「俺らの信頼してるシネマトグラファーがいる(ので記録とってもらおう)」は本当だった。

わたしたちは時間どおりに打ち合わせを切り上げた。明日は6時に出発するという。容赦ないな〜と思いつつ、最低限の水浴びを一瞬で済ませた。昨日は水浴びできていないし登山で汗をかいていたので髪以外は普通に洗ったが、死ぬほど寒かった。頑張った。

タフタの小屋はめちゃくちゃ混み合っていて、あったかい気持ちになった。みんなで雑魚寝するのも今日と明日で最後だ。



5/24(金)

朝の光が必要だから6時に出発!と言われていたので5時に起きた。服はどれがいいか相談したりしていた(といってもTシャツの、白・黒・れんが色の三択しかない)ら、結局出発したのは7時前だった。誰かが買ってきてくれていた片面にチョコレートのかかった全粒粉クッキーを2枚だけ食べた。

バイクで山をぐんぐん登る。アルゴ・カルトゥン・タフタ・わたし。アントとルイージも、なんか手伝うことあればやるよ!という感じで朝早いのについてきてくれた。朝の光のなかをみんなでバイクで走り抜けていくのは爽快だった。天気は、昨夜の雨から一転、晴れ寄りの曇り、といった感じで、非常に良好だった。アルゴがめっちゃ高そうなカメラ(会社の)を、ゴロッとそのまま薄手の木綿のトートバッグに入れて抱え、重そうな三脚を肩に担いだ状態でカルトゥンさんのバイクの後ろに乗っていて、その雑な危ない感じが若々しくて良かった。アルゴとカルトゥンさんは、わたしよりは年上っぽいけど年齢不詳だ。


まずはお茶畑で撮影。空が広く抜けているので、ローアングルから撮影すると、曇り空がちょうどスタジオの白い背景で撮ったみたいになる。主に合成したりして使ったショットだ。また、お茶畑を映したショットも撮った。昨日届いたラフミックスをカルトゥンさんのスマホBluetoothスピーカーでかけて、アルゴが撮影の指揮とカメラマンを兼任した。必要なカットがどんなもので、どんなふうに撮ればそうなるかが全て決まっているし分かっているという様子で、とても順調に進んだ。かなり手際が良かった。

わたしは、ここまできてもまだ「タフタは本当にこれをやりたいと思ってくれてるのかな」とうっすら不安だったので、撮影中、彼が普通に楽しそうにしているのを見てけっこうホッとしていた。今回の曲はゆったりしたテンポの歌だけど、たまに待ち時間が発生すると、すごいノリノリな調子にアレンジして歌いながらふざけた動きで踊ったりしていて(カメラをセッティングしながらアルゴも一緒に踊り出していた、そのセッティングを待っているんだけど)、現場の雰囲気はずっとよかった。『The invisible sea』のDandut(インドネシアのノリノリ演歌みたいな音楽)アレンジ、聴きてえ〜

わたしとタフタの出演するところは全てリップシンクなので、何度も繰り返し音源に合わせて演奏した。レコーディング同様、ほとんどNGを出さずにサクサク撮影は進んだ。タフタは、おそらくほぼ即興で吹いた笛のフレーズをすんなり完コピして音源と同じ運指で映像に写っていて、サラッとさすがだった。あと、彼はとてもまつ毛が長くて、撮った映像を小さなモニターで見てもわかるくらいなのだけど、それをルイージとわたしが「タフタまじで絵になる」「まつげ長っ」とワイワイしていたら「みんなが起きる前にこっそりまつげ植えてんだ」と言っていた。アントは青い花を摘んできて、それをルイージとわたしの頭に載せたりしていた。思い返すとずっとふざけているな……

ひと段落したので、11時くらいに早めの昼休憩をとった。撮影した畑のそばにワルン(食堂)があって、みんなでぞろぞろそこへ行った。店内に、床から天井くらいまで積み上げられたでっかいコンピューターみたいなのがあり、店主がそれを指して「Wi-Fiあるよ!」と自慢げにパスワードを教えてくれておもしろかった。
わたしは目玉焼きをインドネシア語でなんて呼ぶのかいまだに覚えられなくて、炒り卵か目玉焼きどっちにするか?と聞かれてえーっと、となっていたところをみんなに口々に助けられたりしつつ、Nasi Rames(白ごはんとおかず各種を好きに盛って食べる)をいただいた。ここの料理はとても美味しかった!一緒に写真を撮ったり、インターネットが繋がるのでそれをすぐに送ってもらったりした。
食堂の一角におやつが並んだ棚があったので、ちょっと食べ足りない人たち(全員)はそれぞれ好きなものを選んでとってきて食べた。揚げ物もそうだけど、食べ終わってから自己申告でお金を払うシステムで上手くいっているの、すごい平和で好き…。
タフタが、青いパッケージの「Kalpa」というお菓子(チョコウエハースにココナッツがまぶしてあって激甘、ひと口サイズのものと、ロングバージョンがある)を食べていて「それ好きなんだ」「これめっちゃ好き」「一番最初、初めて来た時にわたしが持ってきたの、めっちゃどんどん食べてたよねww」「そうだっけwww」というくだりがあって、けっこう嬉しかった。そうです、わたしは3週間前、コンビニで手に入るタイプのお菓子をたくさん持ってこの山に来てしまって、ガチ自然派のタフタさんの舌には合わないんじゃないかとハラハラしていました。懐かしい。懐かしいと思える共通の過去が好きな友人とのあいだにある、というのは、ほんのちょっとしたことであればあるほど、温かくて嬉しい。


しっかり腹ごしらえを済ませて、次はどこへ撮りに行こうかという相談。わたしはずっとAren(ヤシの仲間で、大きいのは20mを超えるほど高くなる。この木から作られるGula Arenという砂糖が村で作られていてかなり美味しい)が気になっていて、今回いろいろな場所で出会ってすっかり好きな木になったので、映像にはぜひいれてほしいと要望していた。アルゴはこの辺に住んでいるわけではないので(彼の住むのはTemanggungというところ、わたしが5年前に住んでいたところの隣町で、タバコの名産地)タフタやカルトゥンさんにロケーションのアイディアを出してもらい、行き先が決まった。一旦、タフタの小屋へ戻り、服を着替えてから出発。戻ったらお客さんが来ていて、その女の子2人もなんかついて来た。

すっかり空は晴れていて、かなり日差しが強かった。田んぼを抜けて、先週タバコ屋に向かった道だ、と思っていたら知らないほうへ曲がった。ちょっとヒヤッとするような細い道を抜けると、川があり、そのそばに大きなArenの木があった。風に揺れるたびに影が大きく動いて、日差しがキラキラしていた。

アルゴがその木を撮影しているあいだ、わたしはいいロケーションを探して近くを散策した。人気のない林の奥へ進むとさらにArenがあったりして楽しかったが、静かすぎてちょっと怖かったのでほどほどにして戻った。カルトゥンさんとアントは川の舗装された岸辺で昼寝して待っていたが、タフタとルイージはもっと先まで探検してくる!と言い残して消えた。

風がとにかく気持ち良い午後だった。この場所で撮ろうか、と入った茂みで、ギターを取り出してカメラを回して歌った。風が吹くたびにざあざあと木々が鳴った。MVではちょうど「鼻から吸ったら海のにおい」という歌詞を歌って鼻から息を吸う場面で大きな風が吹いて、それがとても歌にあっていて一番気に入っています!

ここです、ざあざあという葉音が聴こえてくるようですね
https://youtu.be/r-OidvrDX5E?si=Ii_nU6A5K_2kEiTz&t=307

すでにできている音源にあわせて演奏しなくてはいけないので、木々のざわめきにかき消されないように画面に入らないぎりぎりのところにスピーカーを置いて撮ったのも、わたしのギターのストラップが壊れていたので、ちょっと無理して腕で抱えて弾いたのも、足元の悪いなか「もうちょっと右」「いきすぎ」と言われながら立ち位置や体の向きをあわせたのも、めっちゃ眩しいし暑いけど耐えたのも、細かい頑張りがいっぱいあった。いい風と、いい撮影だった。


ひと段落したので、再びタフタの家へ戻った。タフタとルイージは探検にいったままはぐれたので、わたしはアントのバイクに乗せてもらって、アルゴとカルトゥンさんと一緒に先に戻った。ついてきた女の子2人に「川に入って遊ぼうよ!」と誘われたが、まだ撮影があるのでさすがに無理ですごめんと言って断った。アントは遊びにいった。

朝早く起きてヘトヘトなので、家でちょっと休んだ。あとは夜のシーンだけ。一旦休憩。夕方17時くらいにみんなで村のお父ちゃんお母ちゃんちにご飯を食べにいった。このメンバーでわいわい食べるのも最後かあ、という感慨があった。お父ちゃんは明日バリへ出発するわたしに、Gula Arenと手製のお茶を1kgずつくれた。圧縮していないお茶の葉の1kgがけっこう大きな袋で、夏祭りの綿菓子くらいのボリュームだった。買うつもりだったのに頂いてしまった。たくさんお礼を言って、一緒に写真を撮った。

最後の撮影は19時くらいから、タフタの家の縁側のような場所で行った。そういえば、初めてここへ来た日の夜に自己紹介みたいに歌ったのもここだったし、次の週に日本人の友人・光さんが来て、タフタと2人で演奏したのを聴いてもらったのもここだった。(※これです- YouTube)期せずして思い出のグランドフィナーレじゃん…
準備をしているあいだにどんどん雨脚は強くなり、カメラが回り始めてから雷まで鳴り出した(MVにも写っている)けど、撮影は無事に済んだ。特別な照明機材はないけど、スマホのライトも動員して、あるものでいい画面を作ってくれた。アルゴは、こう撮りたいというビジョンがかなりはっきりある、そしてそこへの最短ルートもわかる人で、一緒に動いていてほんとうに頼もしかった。信頼できる作り手だ。

あ〜終わった終わった!すぐ水浴びして寝る〜!というタイミングで、着替えをまとめて家を出よう(水浴びとトイレの建物は家の外、歩いて10秒のところにある)としたら、先にさっぱりして戻ってきていたタフタが、カルトゥンさんと一緒にスマホでダンスっぽいビートをかけて、ノリノリバージョンの『The invisible sea』を歌って2人でふざけ始めた。なんなんwww早く水浴びしに行きたいんだけどwwwwと思いながら、わたしもその場で一緒に軽く歌って踊って、無事に撮影が終わったのを喜んだ。
 
戻ってくると、タフタがギターを弾きながらゆったり歌っていた。わたしはタフタの歌ラストチャンスだ!もう一回"Blue Ridge Mountains"が聴きたい!とリクエストもしたけど、取れた映像を確認しながらアルゴとも話すことがあって、完全にキャパオーバーしてどっちも聞けなくなってなんかぐちゃぐちゃしていた。

引き続きとても人が多い雑魚寝だが、荷物をまとめなければならない。寝ている人もいるので、スマホのライトでちょっと手元だけ明るくして、荷物を整理した。いうほど散らけているわけじゃないけど、本当に限界の疲労状態なので脳が働かなくなっていてすぐには手が動かせなかった。ただ座ったまま、3分くらいジッと荷物を眺めていたら、遊びに来ていたけどほとんどおしゃべりしそびれていた女の子のひとりが、何か手伝うことある?と言ってくれてマジ優しかった。が、ないので、ごめん大丈夫と答えて、でもその声かけのおかげで手を動かし始められた。ありがと…

たぶん22時くらいに寝た。明日は4時に起きて、1時間で山を降りて空港へ行って、7時の飛行機に乗る。一生に二度とないようなハードスケジュールの、でも、とんでもなく楽しくて美しかった一週間が、ついに終わる。






インドネシア滞在日記⑨ 5/18〜5/20

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑨ 5/18〜5/20
 
5/18(土)
朝、7時。ばっちり予定通りに起床。今日は全ての荷物を持ってスマランへ行く。ここから25日の明け方まで、つまり丸1週間、山に滞在する。ワクワクだ〜!
 
バスの時間までに、衣類とタオルとシーツと枕カバーをランドリーに出して回収まで(たたむサービスなしの最速で2時間)済ませたいので、ランドリーの開店(8時)に合わせた早起きだった。店の人が店に来るのを店の前で待ち、袋を渡してお金を払った。2時間後に回収しに来ます、と伝えて、朝ごはんを食べに行った。近くの店で、Bubur Ayam(鳥のお粥)を食べた。なんかここは店の人たちが全員あんまり元気がなくて店内もやや清潔感に欠ける感じだったので、ちょっと心配になった。味は普通だった。みんな低血圧だったのかな…。
 
甘くない美味しいブラックコーヒーが飲みたい…と思って、これまでしばしばWi-Fiを借りて長時間居座ってきたちょっとリッチなカフェに行き、ホットコーヒーをテイクアウトした。気合を入れるためのちょっとした贅沢です。帰宅してから冷蔵庫のものを食べきり、化粧をし、荷物を整理する。このくらいで1時間半が経過している。ランドリーの受け取りに向かう道すがら歩きスマホでランドリーから滞在先へ戻るバイクタクシーを予約する、という良い子はやっちゃダメな離れ業を使って、受け取り後ロスタイムゼロでバイクタクシーで戻ってきて、洗濯物を全て自力でたたみ、荷造りを仕上げ、滞在先を完璧な状態にして、爽やかな気持ちで出発した。11時過ぎ、計画通りだ!!(と、本当に思っていたんだけど、ガロン(ウォーターサーバー的な)の水をそのままにして来てしまって、数日後に来た方にご迷惑をおかけしました。飲んだ分を買っておき、途中の水は捨てて帰るのがマナーだった…ごめんなさい!!)
 
大きなスーツケースがあるので車のタクシーを使って、昨日サラティガから帰ってきた時と同じDayTransの事務所へ行った。昨日の確認の通り、荷物の重さを測り、超過料金を払った。大きな荷物はここにまとめておいて、とのことだったので、受付の壁の後ろの、舞台裏みたいなスペースに置かせてもらった。バスは12時発なので、飲み水を買いにちょっと事務所を離れた。意外にも、水が買えるような店が近くになく、しばらく炎天下を歩くはめになった。バスでおやつを食べたいとは思わないけど、血糖値が下がり過ぎて車酔いとのコンボでグラグラになる(以前、朝食を食べずにマゲラン行きのバスに乗った時つらかった)のは防ぎたかったので、紙パックのグァバジュースもひとつ買った。
 
時間になってバスに乗り込む。荷物が無事に乗って本当にホッとした。人間は満席だった。今回も端っこの席に座れた。自分のすぐ右隣が若い兄ちゃんで、彼もかなり気を遣ってくれているのがわかったけど、まあまあ気疲れした。わたしは暑い窓にびったりくっついて、なるべく隣の兄ちゃんと距離をとろうと努めた。
 
月曜の時点で、今度の日曜日(19日、もう明日)にスマランのカフェでライブをやらせてもらえることになっていた(カルトゥンさんの采配)のだけど、その情報がようやくインスタグラム上にあがっているのを見つけた。(カルトゥンさんはSNSをやっていない)
わたしのインスタから拾ったのであろう写真を使って告知画像を作ってくれていて、知らないあいだにライブにタイトルがついていた。"WHERE The River MEETS The Sea"…。これは、拙曲『湾岸行々』の英題が “Urban port” になる前にYouTubeに載せていた曲目で、おそらくカルトゥンさんがいつのまにか見て覚えてくれていたようだ。よ、よく見てくれてい過ぎでは、、、嬉しさで頭がどうにかなりそうだったが、店の人とインスタグラムで直接やりとりをして告知用の画像の高解像度のデータをメールでもらったりそれを投稿したりなど、スマホでやれる動きを全部やっていたらめちゃめちゃ車酔いした。すっかり温くなった甘過ぎるグァバジュースをほんのちょっとずつ飲みながら、外の景色を見て耐えた。
 
12時に出発して、15時半くらいにスマラン市内に着いた。え…?早…。(補足、インドネシアのこれくらいの距離のバスは、日本の長距離バスみたいな休憩が全くない。運転手の腰が心配…。)
バスを予約した時の地名を告げられたので、特に何の目印もない路上で降りた。ここからカルトゥンさんの家が近いらしいので、後で合流して、山で必要ない荷物はスーツケースごと1週間、家に置かせてもらう計画になっている。
 
ちょうど降りたところに屋台が出ていて、そこで食事を取ることもできそうだったけど、あまりにも疲れた(酔うバスは本当に疲れる)のでもう少しリラックスできるところ、壁と床のある建物がいい…と思って見渡すとちょっと向こうのほうにカフェっぽい建物があったので、Google Mapで確認すると飲食店だった。重いスーツケースをゴロゴロやりながら移動し、店を覗くと、かなり強風で扇風機が回っているだけでクーラーがない。ラッキー!けっこう快適そうだったので、ここに決めて食事をオーダーした。中途半端な時間なので客はわたししかいなかった。鶏皮のブラックペッパー炒めとご飯にした。ちょうどオーダーして待っているタイミングで、カルトゥンさんが「今どこ〜」と連絡をくれて、「着いたけどご飯食べて休憩してます…もうちょっと後で合流したい」と返したけど、それでも本当に近所だったっぽくてすぐに居場所を探し当てられてしまい、スーツケースだけ先に持って行ってくれた。マジでありがとう…。山にはスーツケースを持っていけないので、この1週間で必要なものとそうでないものを考えて荷造りをしてきたのだった。けっこう頭を使ったけど、持っていきたいものも多かったので、メインのリュックと着替えを入れたエコバッグとギターと、靴、入り切らなかったパソコン、というばらばらした大荷物になってしまった。
 
ご飯を食べ終わって、椅子が変な高さ、かつ硬くてつらかったけど、それでも疲れが勝っていたのでひとしきりボンヤリした。本当に虚空を見つめてボンヤリしていた。お店のお姉さんは「クーラーなくてごめんね〜」と言ってより多く風が当たる席を勧めてくれた。
30分後くらいに再び合流、出発。無様な大荷物だったけど、パソコンはカルトゥンさんがリュックに入れてくれたりして、バイクに乗れる形になんとかまとまった。我々は今晩、ここしばらく毎週やってきたスタジオセッションの最後の回をエンジョイしてから、山へ行く!
 
スタジオの時間までだいぶ余裕があったので、途中にあったちょっと良いカフェでWi-Fiを借りつつコーヒーを飲んで2人で休んだ。今朝は早起きしたし、もうすでに疲れていたけど、<自分の新しいアルバムのサブスク配信のため、ジャケットのイラストをアップロードする>という重要なミッションがあった。(※できれば明日のライブの時に「サブスクにあるんで!」と言いたいがために、こんなギリギリで動いている)最後の修正を頼んでいたイラストのデータが届いたらすぐにでもその作業をしたかったので、今か今かと待ち構えていたが、カフェにいる間にはデータは届かなかった。大きな犬を連れたお客さんが来ていて、珍しかった。あと、カフェのWi-Fiのパスワードが「コーヒー牛乳はおいしい」みたいなフレーズでおもしろかった。
 
ガソリンスタンドに寄ってから、三度目のスタジオへ。先週と同じく、カルトゥンさんがドラム、ジョハンがベース、マルノがヴァイオリンを演奏する。先週、時間が足りなかったので、今週は3時間とってもらった。カルトゥンさんとマルノは明日のライブも一緒に出演するので(ジョハンは楽しいから来てくれているだけ/最高)ひとしきり曲を練習するけど、即興のセッションもやりたいじゃんね、と言って色々やって遊んでいたら、3時間でもあっという間だった。
わたしが日本でたびたび一緒に演奏してきた人たちと今日のメンバーとは、当たり前だけれど親しんできた音楽も、現在進行形で聞いている音楽も得意な演奏も当然に全く違うため、同じ曲が全然違う感じになっておもしろかった。ロックバンドみたいなドラムとベースの『湾岸行々』は思い出深かった…。
別に日本でだって同じようなことは起き得るんだけど、「友達だから」という理由で集まっていることによる作用、という感じがして、嬉しかったしおもしろかった。とても良い経験だった。
 
スタジオを出て、いつものワルンで串焼きを食べた。ジョハンとは今日でしばらくお別れだ。ほんとありがとう。帰国したら『響け!ユーフォニアム』の新しいやつ観るよ!
マルノは今日は自宅に帰って明日は現地集合なので、わたしはカルトゥンさんのバイクにまた乗せてもらって、タフタの小屋まで山を登った。
夜は先週よりも寒くて、着いてからもだいぶ凍えた。満月の日が近づくと気温が下がるんだよ、とタフタが言っていて、どういうこと…?と聞いたら、統計でそうらしい。なんとなく腑に落ちなかったけど、実際に寒かった。満月は23日だ。
 
 
 
5/19(日)
スマランのカフェ「Mukti Cafe」でライブの日!!!
朝ごはんは、タフタ作・Sintrongの入ったナシゴレン。わたしは本当にこの香草が好き…。カルトゥンさんはご飯を食べてから、用事があるといって早々に山を降りて行った。夕方にタフタと一緒に来てね、現地で合流しよう、ということになった。
 
昨日の深夜に、アルバムのジャケットのイラストのデータがAdit(バリに住んでいる友人)から届いていたので、タフタに「こういう事情でインターネットが欲しいんです…」とわがままを伝え、バイクでちょっと山を登ったところにある「ここいらで一番Wi-Fiが早いカフェ」に連れて行ってもらった。タフタはカフェのおばちゃんに「この人にWi-Fiを貸してあげて」と頼み、おばちゃんが口頭で伝えるWi-Fiのパスワードをわざわざ伝票のすみに書いてくれた。ありがとう、でもそれくらい自分でできるよ〜〜!彼はカフェに用事がないし笛の制作が立て込んでいるらしく、わたしを置いて帰っていった。用事が済んだら連絡してね。はい!
 
せっかく来たので、あんまり知らないのを、と思い、Kunir Asamという飲み物を頼んだ。ウコンとタマリンドを使った、ジャムゥと呼ばれるジャワの健康ドリンクだ。甘酸っぱくて苦味があった。もちろん飲み干したけど、ギリギリのところでちょっとおいしくなかった、と正直に書きます…!そして、わたしはもうすっかり思考回路がデブになっていたので、パン粉をつけるタイプのピサンゴレン(揚げバナナ)って珍しい(たいてい天ぷら系)じゃん〜!という言い訳(言い訳にもなっていない)をして、それも食べた。
この頃になってくると、自分のインスタグラムを周囲のインドネシア人も見ているので「こいつ食い過ぎだろ」と思われるのも恥ずかしかったし、お金を無駄に使っているのを見られるのも恥ずかしいので(だったら食べなきゃ良いのに)、ピサンゴレンを食べたことは内緒にして、Kunir Asamの写真だけをアップする始末だった。人に隠れて食べだすのはちょっとヤバい兆しのような気がした。
 
しかし、カフェのWi-Fiは「ここいらで一番」というにはあまりにも遅く、映像のアップロードは到底不可能だった(調べたら、瞬間的にかもしれないけど 1.7Mbpsしかなかった。なんだそれ!テザリングしたほうが早い)。もっとも優先順位の高いジャケイラストのアップはできたし、1時間ぐらい粘ったけど動画は諦めることにしてタフタに「もう帰ります〜」と連絡した。歩いて戻れそうな気もしたけど、約束したので迎えに来てもらった。
ピサンゴレンを食べたのは内緒なので、そのままバイクでいつものおかあちゃんのところへ行き、平然とお昼ご飯も食べた。野菜の煮込んだ感じのや、テンペ。美味しかった。
 
家に戻り、タフタは1階で笛作りの作業に入り、わたしは2階でアルバムサブスク解禁を知らせるための種々の作業を地味に進めるなどした。各々にやることがあって各々で過ごしている、というのは一番居心地がいいです…。1時間くらいそんな過ごし方をして、ひと段落したので1階へ降りたらタフタが「昨日きた人が持ってきてくれた」という大きなグレープフルーツのような緑色の果物を、これ食べよう、と剥いてくれた。
絶対それは無理だろ…という厚さの皮を、爪でもなく指の腹でメリメリいく。皮を剥くと、実はグロテスクなくらい赤くムチムチとしていて、めっちゃくちゃ美味しかった!!かなり大きくて、中の白い皮も厚い。味はグレープフルーツ、仕様はブンタンに近い。Buah Bali(バリの果物)と言っていたけど、その名前でググってもあんまり情報が出てこなくて謎のまま。ただ、これが剥かれた状態でジョグジャのスーパーで売っているのをよく見かけていたのを思い出した。ちらっと見て「なんかグロいな」と漠然と避けていたのを後悔した。もっと早く買って食べておけばよかった…!
 
日々の目まぐるしさでなんとなく疲れていたけど、果物の酸味でかなり頭が冴えて、このあとかなり元気だった。美味しかった。もっと早くこの果物が美味いと知っていたら、きっと毎日食べていたと思う、本当にこれ好き、とタフタに伝えたら「おう!どんどん食え」みたいになってしまって次々に剥いてくれた。毎度すみません…
タフタは、わたしの腕が蚊に刺されて悲惨なことになっているのを知っているので「この皮を肌に擦って塗ると虫除けになるよ」と教えてくれた。さっそく腕や足に擦り付けたら体がいい匂いになった。効果のほどは不明…
 
スマラン市内までは、ここから1時間半くらいかかる。出発する1時間くらい前に、わたしたちは「もう散々やっていてかなりいい感じだけど、一応やっとこうか」と、拙曲『The Invisible Sea』をちょっと練習した。この時に「ここ、こうやってハモるのめっちゃ良くない?‼︎」というアイディアをタフタが発明して(その後のレコーディングにも採用)盛り上がった。忘れないように、といってiPhoneでそこだけ録音してから出発の段になった。
 
バイクに乗る時に、風から目元をガードするためにメガネをかけたりすることが一般的によくあるみたいなんですが(わたしもサングラスをいつもかけていました)、タフタが度の入っていないメガネをこの時に初めてかけていた(いつもの濃い色のサングラスだと夜道には暗い)。その姿が新鮮で、わたしはちょっと「ウッ」ってなってしまった。め、メガネも似合うんですね………
そう、もしかしたら失礼かもと思って全く書いてこなかったが、彼はとてもハンサムである。顔もかっこいいけど立ち方や仕草や体格もかっこいい。普通にしているだけでとても絵になる(わたしの惚れ補正も多少あるだろうけど、ルイージも大きい声で You're  so photogenic.って言ってた)ので、わたしは時々「ウッ」(※うっかり惚れそうで息が止まっている)ってなっていたし、恥ずかしさのあまり、これだけ一緒にいたのに「ツーショットのセルフィー」みたいなキラキラした写真は一枚も撮れませんでした‼︎‼︎ 
 
ともかく出発。そういえば初めて来た時には、バイクに乗る時にギターをうまく乗せられなくて腰を捻った状態で1時間くらい乗って、すっごくつらい思いをしたけど、もうこの頃にはわたしはすっかり慣れていて、ギターを背負っている時の上手い乗り方を習得していた。
道すがら、バイクを運転しながら「さっきのところ練習しよう」とタフタが言う。歌おうってことだ。たぶん、バイクの前後に乗っていると、後ろの人の声は前の人に聞こえるが、前の人の声は後ろの人にほとんど聞こえない。ほとんど練習にならないけど、でも楽しそう、いいアイディア!
 
風にかき消されないように大きい声で歌うので、歌のニュアンスなんか吹っ飛んでしまって、やっぱり全然練習になんてならなかった。それでも、さっきのアイディアのハモりのところを上手く歌いきるたびに、やっぱりめっちゃいい〜!うえ〜い!と2人で喜んだ。何度も同じところを繰り返して歌った。大きい声でワァーッと歌うのが珍しくて可笑しかったし、バイクの速さにも高揚した。頬がキラキラするみたいだった。標高の高い山を下って街へ向かうにつれて、夜の空気が湿度と熱を帯びていくのが肌でわかった。
 
その後さらにひとしきり走って、会場のカフェに到着。日はすっかり暮れているけど、暑い。バイク移動中に歌って笑ったさっきのシーンの比類なき尊さにわたしの心はすでに温まりきっていたが、このカフェがまた、とても素敵な場所で、さらに気分が上がった。
スマランは、華僑の多い街として知られている。とても大きな中国式の寺があるし、中華街もある。その中華街の入り口の門のすぐそば、提灯がたくさん灯っている通りの一角に、今日の会場はあった。ここ、Mukti Cafeは、コーヒー(シングルオリジンも出す本格派)の美味しいカフェであると同時に、煙草屋でもある。一階が煙草屋で、二階がカフェだ。店構えもちょっと中国風のレトロな感じで、煙草の葉っぱが入った大きな瓶が、棚にたくさん並んでいた。煙草入れや周辺の道具たちもかわいいのが置かれている。あと、巨大なパイプのオブジェ(大人2人分くらいのサイズ)があった。店の奥のカフェへ登る螺旋階段のそばには、煙草の葉っぱが入っているのであろう、大きな袋が米俵みたいにどしどし積み上げてあった。2階は、低めの椅子とテーブルの席に加えてバーカウンターがあり、コーヒーはそこで淹れているようだった。すでにけっこう人がいて、賑わっている。
 
会場に着くとカルトゥンさんがいた。店のお兄ちゃん(おじさん?)はめちゃくちゃ笑顔のやわらかい人で、到着したばかりの我々に「コーヒーを出すから好きなの選んで」といってメニューを渡してくれた。アルゴも来ていて、今日は撮影しないけど一緒に音響機材の設置を手伝ってくれたし、ボーカル用のマイクを1本貸してくれた。準備を進めているうちにマルノも来て、メンバーが揃った。マルノは、チャイナタウン合わせで、中国っぽい模様の入った赤いシルクのシャツでキメてきていた。普段ずっと山にいるタフタも珍しく襟のあるシャツを着ていたけど「街めっちゃ暑い…」と言ってボタンを多めに開けていた。カルトゥンさんは「ウルトラーメン」というカタカナとラーメンを食べているウルトラマンのイラストが描かれたふざけたロンTを着ていた。わたしは衣装不足なので、先週のホームパーティーの時と同じ、鎖骨のあたりに青っぽい花か草みたいな刺繍がはいった白いTシャツだった。スマランのモールで急いで買ったこのTシャツが、碧っていうよりもここでのAoiに似合う気がして、気に入っていた。みんな思い思いで良い感じ。
演奏が始まるまで少し時間があったので、店の人が出してくれたSingkong(キャッサバ)の柔らかく揚げたのをつまんで、ベランダみたいな席で一同のんびりした。近くのスナックか何かから、中国語っぽいカラオケの歌声が爆音で聴こえていて、ライブどころじゃなくない??という感じで最高だった。全然続けておいてもらってかまわないっす…「ザ・スマラン」という感じの空気が、嬉しかった。(5年前にもよく遊びに来た街だ)
 
開演前、ルイージと留学生仲間が来てくれた。昨日もお世話になったスタジオの受付の、日本語マスターのお兄さんも来てくれた。先週のパーティーにも来てたヴォーカリストのお兄さんも来てくれていた。ともかく、知っている人がたくさん、知らない人を連れて来てくれていたし、店の大部分の席は知らない人たちで埋め尽くされていた。完全に満席で、立ち見の人も、なんとなく来たような感じの人も大勢いる。集まりがよすぎる…どうなってんだ…
 
ライブの直前、カウンターのそば、ステージの下手側に、三脚に載せたカメラとPCをがっしりセッティングしているおじさんがいて、そういえばあの人は何者なんだろう、でもきっとカルトゥンさんの仲間だよな、と思って聞いたら、全く誰の知り合いでもないことが判明した。ぎょっとして本人に尋ねると、スマランで開催される音楽イベントに出向いて自主的にライブ配信をやる、という活動(????)をしている人だった。普通にありがたいので、よろしくお願いした。(終えてから、「配信、見てたよ!」と言ってくれた日本の友人が二人いました、ありがとう〜)
 
ライブが始まった。一曲目はひとりで弾き語り。ワイワイしていた客席がすっと静かになって少し緊張感が出たけど、曲の合間のわたしのグダグダMCとカルトゥンさんの茶々によって和らいだ。あんまり準備する時間がなかったのもあって先週のホームパーティーと同じセットリストで演奏した。音響的にはけっこう状況が厳しくて、スピーカーの数や向きが及んでおらず、カルトゥンさんにわたしのギターの音がほとんど聞こえていないっぽかったけど、目と気合いで乗り切ってもらった。さすがです…。わたしたちもチーム感が出ていたし、場の雰囲気が良くて嬉しかった。テーブル席の、ヒジャブを被った知らない女の子たちが真剣に耳を傾けてくれていたのが印象的だった。
 
終わった後に気がついたんだけど、なんとジョグジャのライブにも来てくれていたギャリーがまた来てくれた…!!友人と二人乗りのバイクで、今朝から丸一日かけて来たらしく、めっちゃ尻痛かったwwwと言って笑っていた。う、嬉しい〜。こないだとは違う友達と一緒に来てくれていたのも嬉しかった。アントも女性の友人を連れて来てくれたけど、彼らが到着したのは演奏が終わった後だった。タフタがそれを軽くからかっていて、なんかよかった。ルイージの留学生仲間たちも気のいい人たちで、インスタグラムを交換したり、一緒に写真を撮ったりした。
わたしはライブが終わったくらいから使い捨てコンタクトレンズの具合が悪くてちょうど写真を撮るタイミングで右目がものすごく痛くなってしまったが、痛みに耐えて目を瞑るのと、楽しい表情を作るのとを掛け合わせて、我ながら見事にごまかして写真に写った。が、痛い方の目から涙が出て止まらないのですぐバレてしまい、タフタがさっきのメガネを貸してくれそうになったけど遠慮した。帰りも運転する人が風から目を守ったほうがいいです。あとメガネ似合うから
 
終演後しばらくして、お客さんもけっこうのんびり残っているタイミングで、カフェのメニューにある塩ラーメンを出演者一同いただくことになった。すごい味が濃いから、味薄めって頼んだほうがいいよ、とカルトゥンさんが教えてくれたのでそのようにオーダーした。それでもかなり塩味が強かった。
ラーメンを食べながら、音響やばかったねえ、など色々と乗り切った気持ちでおしゃべりしていたら、アルゴとカルトゥンさんが「俺らでMV作らない?」と言い出した。インドネシアバージョンってことでさ!えー?!なにそれやりたい。やるとしたらどの曲?そりゃ『The Invisible Sea』でしょ、できればタフタと一緒に録りたい!でも彼がやりたいかどうかわたしはわからない。と答えたところ、アルゴとカルトゥンさんがちょっと向こうにいたタフタを呼んで、経緯を話し「mau nggak?」と聞いた。
この訪ね方を、カルトゥンさんはわたしにもよくやる。「Yes or No?」だ。わたしは言葉が下手なのでこうやって聞いてくれると答えやすくて助かるけど、この時はソワソワした。タフタはすぐ「やろう」と頷いたけど、いや、でもこれ「No」って思ってても言えない雰囲気じゃん、大丈夫かな?!(※わたしはタフタを好きになり過ぎているので、だんだん「嫌われたくない」と考え始めて1人でソワソワしていたが、後から振り返ると全く大丈夫そうでした。よかった)
それにしても、もうあと10日で帰国するしスマラン滞在は実質あと残り5日しかないのに、まだここから新しい企画が持ち上がるの、あまりにも、あまりにも、あまりにもパワフルすぎて、本当にこの人たちは、なんなんだ。愛と勇気がありすぎる友達だ……
 
 
さあ帰ろう。本当に楽しかった。ライブは20時スタートだったので、すでにけっこう時間が遅く、みんなでゾロゾロと23時過ぎにカフェを後にした。それぞれのバイクや車に乗って、手を振って別れた。
わたしはタフタと一緒にまた1時間半かけて帰る。めっちゃ喉乾いたね〜、なんか飲み物を買いたいね…、と言いながら出発した。タフタは、街まで来たついでに、バーナーのガスボンベを買って帰りたいらしく、カフェから5分くらい行ったところの路上に出ていた屋台に寄って、使い切ったものを回収してもらって新しいのを買っていた。こういう時の「ちょっとこれ持ってて」(鞄からボンベを出す時に邪魔だった上着)に、当たり前みたいな慣れがあって嬉しかった。飲み物はなんとなく買いそびれた。
 
街はめちゃくちゃ暑かった。スマランは、ジャワ島の北側(太陽の通るほう)に位置した港町で「暑い」ことで有名だったりする。実際、街の中心部は気候や地形の影響に加えて、コンクリートの舗装と高層ビルによる熱がすごい。夜になっても気温が下がらない。そんな街の中心部から離れ、山へ向かって標高が上がるにつれ、どんどん気温が下がった。半分くらい道を来たところで完全に寒くなったので、バイクを止めて2人とも上着を着込んでまた出発した。さっきまでの暑さが恋しいくらい寒かった。
 
眠くなったらやばいので、わたしたちはどうでもいいことを喋り続け、たまに歌ったりしながら帰った。話題が途切れるたび「dinginー!!(寒い!)」と叫んで寒さを散らそうとした。『Laskar Perangi』という2008年公開のインドネシアの映画があって、わたしは5年前に人に勧められてこれを観て、その主題歌のインドネシア語ポップスをちょっと覚えていたので、きっとタフタも知ってるはずと思って歌ってみた。もちろん知っていた。サビを一緒に歌った。その歌詞がシーンにぴったりだったので引用します。
 
Menarilah dan terus tertawa 踊り歌い続けよう
Walau dunia tak seindah surga この世は天国みたいに美しくはないけど
Bersyukurlah pada yang kuasa パワー(※神など)に感謝しよう
Cinta kita di dunia この世のわたしたちの愛は
Selamanya 永遠に
 
こういう「大きい愛と希望」みたいな歌は、人と声を合わせて歌うのにふさわしい感じがした。他にもいくつか歌ったけど、一緒に歌える歌はそんなに多くなかった。でも睡魔と戦う必要があったので、ドンキホーテの歌とか中島みゆきとか、キャッチーなメロディのものをわたしは手当たり次第に歌っていた。雰囲気が台無しである。でも、後ろに座っている人にとって眠気対策はめちゃくちゃ切実だった。行きのバイクで『the Invisible Sea』を歌った時みたいなキラキラはもはやなかった。寒さに耐えるのと、寝ないのに必死だった。
無事に、夜中の1時くらいに帰り着いて、顔だけ洗って着替えて、あるだけの布を体にかけてすぐに寝た。身体中がほとんど痛いぐらい疲れていた。
 
 
 
5/20(月)
朝!食材が何もないし、タフタは煙草の葉がなくなったのを買いに行きたいとのことで、朝一番(とはいっても8時半くらい)にバイクで出かけた。最初の週に遊んだ川辺をさらに奥へ進んで、大きなArenの木の斜め上を超えていくような山道を行き、田んぼを過ぎると別の村があって、もう少し行くと少し賑やかなエリアに出る。そこに彼の行きつけの煙草屋があった。
昨日のMukti Cafeもそういえば煙草屋だったが、タフタ曰く「街の煙草屋は値段が高いわりに味がやや劣る」らしい。この辺の村で買うほうが安いし新鮮で美味しい、だから街の煙草屋に用はない。ちょっと笑いながらハッキリ言い切っていた。
 
店に着くと、まだ準備中だった。店主の準備ができるまで待つ。バイクを店の前に停めて、一旦、店の向かいにある小さな屋台へ行き、バナナの皮で包んだ小さいおにぎりみたいなものや、袋に入ったBubur(ぜんざいみたいなおやつ)などのローカルな軽食を買った。
その朝ごはんを手に、また道を渡って店に戻り、扉をくぐる。中で待っていて良いらしい。サンダルを脱いで上がった。タイルの床だった。店内、めっちゃすごかった!細長くて小さい店の両側に、左手にはすべて煙草の葉っぱが、たぶん5キロくらいずつ大きな透明の袋に入って、床から天井までびっしりと積み上がっていた。棚板が渡してあって、一段に4つくらい縦に、横に6〜10こずつくらい置かれている。それが4段ある。200種類以上は確実にありそうだった。全ての袋にピンクや黄色の小さい紙が貼ってあって、そこに手書きで銘柄や産地や風味の具合が書かれていた。右手の棚には、巻紙や煙草ケースや葉っぱに混ぜて一緒に吸うスパイス各種などの小物が、本当に大量に、しかしよく見えるようにきれいに陳列されていた。その棚に挟まれて、店の真ん中には細長いテーブルと、屋台で見るようなプラスチックの椅子が置かれていて、試しにここで巻いて吸えるようにと、ライターや巻紙と灰皿が置かれていた。
 
わたしたちはさっき買った朝ごはんをこのテーブルで食べながら店主の登場を待った。食べ終わって手持ち無沙汰になり店内をウロウロしだした頃、さらに客がきた。制服を着た高校生の男の子二人と、おじさんだった(※インドネシアは喫煙の年齢制限がない)。大人気店じゃないか…!
わたしは、想像していた以上に煙草屋がおもしろかったのと、日本に愛煙家の友人がけっこういるな、と思ったので、自分には吸う習慣がないけどお土産としてちょっと買って行くことにした。選ぶ基準が何もないので、タフタが買うのと同じ葉っぱを買う。一緒に巻くといい、という cengkeh(クローブ)の砕いたものと、巻紙と、一応フィルターも買った。店の人が規定の一番スタンダードな量を半分に分けてくれたけど、なんかすごいナチュラルに全会計をわたしが払うことになった。タフタがちょっと「えっ」ってなっているのを店員が制したのをわたしは見逃さなかった。物価が高いほうから来ている外国人にお金を払わせようという傾向があるのには納得しています。確か全て合わせて合計700円くらいだった。マジで全然いいです…
 
煙草屋の斜向かいには八百屋があったので、そこでいくつか適当に野菜を買ってから帰った。再び田んぼのあいだを抜けて、山に戻る。本当に景色がいい。朝の光は栄養だ。
 
帰って髪を洗いたかったが、水道の調子が悪かったので直しに行った。ここは川からパイプで引いた水をシュロの皮のもしゃもしゃで作ったフィルターを用いて三度濾過して使っている。飲み水は買って来ているが、皿や体を洗うのはこの水だ。このDIY水道はすでに見せてもらったことがあったけど、暇なのでタフタの後をついて行った。何回見ても手作りすぎておもしろい。その帰り道で、スープに使える葉っぱと、安定して美味しいいつもの香草、Sintrongを採って帰った。
さっき煙草屋の向かいで買ったもののうち、まだ食べていなかったBuburを食べた。ブブル=お粥なのだけど、甘い味付けで、米ではなく豆、つまり「ぜんざい」だ。いつも使っているティーカップにちょうどの量だった。むにゃむにゃした透明のゼリーみたいなのが入っていて美味しいんだけど、なんだろうこれ、おそらく片栗粉の類…
 
朝ごはんがとても控えめな量だったので、髪を洗ってきたらもうけっこうお腹が空いていて、のんびりお昼ご飯を作った。さっき採って来た草や買った野菜で簡単なスープを作ってご飯と一緒に食べた。
 
タフタは、山本さんの笛(わたしの日本人の友人がインスタグラムごしにオーダーしてくれて、先週、名前を彫るところまで終えていた)に紐をつける作業をしていた。こんなに硬い床に座ってずっと作業していて腰が痛くなったりしないんだろうか。タフタは他の笛も近々納品の予定らしく、けっこう集中していたので、作業を眺めるのもそこそこにして、わたしは2階へ引き上げた。自分もやることがあった。先日必死でジャケットのイラストをアップロードしていた新しいアルバムが無事に配信リリースされているのが確認できたので、それをSNSで告知する投稿をしたりした。こういうのに意外と時間がかかる…

夕方になって、買って来た野菜がまだあるのでそれを使って、Kacang panjang(インゲン豆みたいなものだけど4倍くらい長い)やキャベツを炒めたものと、小さく切って揚げ焼きにしたテンペと卵焼きと白いご飯、という夕飯を作って食べた。
タフタは夕飯の後も笛の作業をしていた。が、不意に息抜きみたいに笛を吹き始めたので、わたしも自分の笛を持ってきて吹いた。しばらく一緒に適当に吹いているうちに、互いのアイディアを拾いあってちょっと曲みたいになってきて、短い繰り返しのメロディとアドリブを交互に奏でる2本の笛のアンサンブルができた。最終的に、なんかピョコピョコしたちょっと間抜けな曲になったけど、この素朴な遊びがすっごく楽しかった。タフタも楽しそうで「今度キャンプに行く時にも笛を持って行ってコレやろう」と言ってくれた。
 
わたしは、この人は本当に笛を作るだけで生計を立てているんだろうか…、というのが気になっていた。ここ数週間、かなりの日数を一緒に過ごしているが、彼が笛を作る以外の仕事をしている様子は一切なかったのだ。やっとこのタイミングで訊ねてみたけど、はぐらかされてしまった(わたしの質問の仕方が下手だったのか…?)。
でも、「自分のやりたいことがあったらそれを深く信じてひとつずつ行動していくと世界中が自分の味方をしてくれて、全部うまくいく」という話を、持ち前の真顔とガチの声のトーンでしてくれた。夜だし、自分たちしかいなくて静かだし、寒いくらいの落ち着いた空気のなかでそんな話をしていて、これはきっと今後もしばらく忘れない場面だ、と思った。本気の夢とか理想について友と語り合ってしまう、知ってるあのムード。
 
彼の言葉を受けて、めっちゃ「そうですよね〜〜〜」と思いつつ、わたしは本当にしょうもない卑近な発想で「なんか自己啓発系の本とかSNSアカウントとか成功した芸能人とかが言ってるやつ〜」とも同時に思ってしまって、そういう自分のダサい捻くれかたが恥ずかしかった。この人は、その言葉通り、実際に自分の理想の生活を実現して、周囲の人たちにも還元している。わたしもその輪にちょろっと入れてもらって、すごく良い時間を過ごしている。やろうと思ってもそう簡単にはできないことを、仲間と協力して楽しくやってのけている。やっぱりこの人はすごい。ちょっとスピってるけど、っていうかもしかして多少スピってるくらい、何かを素直に信じていられるほうが、ずっと生きやすいし、素敵なのかもしれない。
 
 
まあそうだよねえ…………と言って、深くため息をついてしまった。わたしには言えることがない。すっかり静かになってしまった。でも気まずいとは思わなかった。落ち着いている。もうピーナッツは食べ飽きたなあ、と思っていたら、タフタが昼間に買ったタバコを巻き始めた。あ、わたしも吸ってみたい、と言ったら、教えるように見せながら器用に一本作ってくれた。
 
わたしは酔っ払って帰って来た時の自宅のベランダぐらいでしか煙草を吸わない人間だけど、この煙草がめっちゃ美味しいことはわかった。フィルターを巻かないストロングスタイルなので、かなりキツいんじゃないかと思っていたけど、葉っぱの香りの良さが圧勝していて、全然キツい感じがしなかった。葉っぱにまぶして一緒に巻いたcengkeh(クローブ)の細かいカケラが、吸い込む時に小さく爆ぜ、唇に甘い風味を残した。
 
うわ〜!めっちゃ美味しいじゃん〜!と、わたしはやや大袈裟に喜んで、でもあとは黙って二人でプカプカやっていた。煙草を呑んだ後、ただ息を吸う時が一番気持ちよかった。夜の山のシンとした空気が、肺にいっぱいになる。煙草って、なるほど、こういうことだったのか。空気をゆっくり吸って味わう時に、ちょっと手を貸してくれるもの…。そういうことなら、煙草ってかなり素敵じゃん…!
暗くて何も見えないけど、わたしたちは西の山のあるほうを向いて、それぞれ壁にもたれてゴザに座っていた。沈黙の重みみたいなものが心地よく、喋りたい気分じゃなかった。わたしが喋る気分じゃない時に隣にいる人も黙っているのが、ずっしりと深く嬉しかった。
 
ここでは一日中ずっと虫の声が鳴り続けているけど、昼と夜とでは全然違う。昼はジージーギャーギャーギラギラという感じだけど、夜はなんというか、似たような音だけどもっと透き通って聞こえる。
光や空気と小さな生き物たちが、朝の時には朝を、昼頃になったら昼を、夜になれば夜を、全員で一斉に作り上げているような気がした。全部がお互いにとって腑に落ちているような、しっくりくる雰囲気があった。朝、昼、夜、って、いや、pagi, siang, sore, malam って、こうやってできているんだ、みたいに思った。みんなが各自のありたいようにある様が、つまり時の流れと景色ってこと…?
 
今週の夜は本当に寒い。日本だと10月くらいの寒さのような気がする。やっと持ってこれた長袖のTシャツが、寝巻きとして活躍した。
 
 
 
 
 
 
 
 

インドネシア滞在日記⑧ 5/13〜5/17

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑧ 5/13〜5/17
最後のジョグジャ滞在と、一瞬のサラティガ編です。
 
 
5/13(月)
朝、目が覚めたらもう皆とっくに先に起きて1階にいるようだった。顔など洗ってから降りて、昨日の残りのロントンサユールを米で食べた。アニサが、フライパンになみなみの油に卵を落として作る、ほぼ揚げたみたいな目玉焼きを作って載せてくれた。ありがとう。
 
タフタとアントは、今朝からJeparaという木彫で有名な街(ここから東へ片道半日くらい)で開催される勉強会に招待されたらしく、二泊三日の旅に行ってしまった。昨夜レンタカーがどうのとか言っていたけど朝の時点でもう出発してしまっていて会いそこねた。
わたしは今日は帰るだけなので、いつ帰ってもいい。山から降りるタイミングを合わせて、マルノのバイクに乗せてもらって下山した。マルノは私のことをだいぶ歳下だと思っていたらしく(むしろ、わたしのほうが4つくらい歳上だった)年齢を言ったらびっくりしていた。アホさで若く見えるんだよ……と情けなくなっていたら「あなたはホント強くて元気だよ」と笑いながら褒めてくれたので、強くて元気でいこ…と思い直した。ありがとう
10時半くらいにバス停からバスに乗り、来た時と同じ、スマラン市内のBalai kota(市役所)のバス停で乗り換え。この時点で11時くらい。そこからTrans jatengに乗り換えて、お馴染みのTerminal Bawenまで。ここで一回お昼ご飯を食べた。駅のスタッフもそこで飯を済ませる感じの小さい売店みたいなワルン(食堂)で、白いご飯にkacang panjangの炒めたのとテンペの甘辛炒めと卵焼きを載せてもらった。駅のスタッフらしきおっちゃんが外に通じる窓から顔と腕だけで登場してご飯を買っていて、その声がものすごいしゃがれ声で、食堂のおばちゃんもすごいチャキチャキで「ハイハイいつものね」みたいな感じのやりとりをしていて、いいシーンだった。
 
駅のトイレの床が、掃除したてなのかビショビショに濡れていて(よくある)、荷物が多いので入れなくてちょっと困った。さすがにトイレの濡れた床にギターケースを置きたくないけど、荷物を任せられるほど信頼できる人もいない。一人旅だとこういう細かいところが時々しんどい。結局、飲む水分を抑えて、帰るまで我慢しよう、と決めてその通りにした。お腹を壊したりしていなくてよかった。
もう疲れたし乗り換えはダルいのでジョグジャ直通のバスに乗りたい。バス停の人に教えてもらったりして(誰か一人に聞いた情報だとなんとなく不安なので、お兄さん、お姉さん、おっちゃん、の3人に聞いて確証を得た)結局1時間くらいベンチでお菓子(透明の袋にKacang atom、gajah(象)と大きく文字と象のイラストが描かれた豆菓子が、どこにでも売っていて安くて美味しくてめっちゃ好き)を食べ、小さいオレンジジュース(なけなしのビタミンC)を飲みながら待って、やっときたバスに乗った。バス停でいろんな人とちょっとした会話ができて、なんだかそれがスムーズだったのが嬉しかった。山で散々インドネシア語に揉まれて、だいぶ聞き取れるようになった気がする。これに「英語をインドネシア語訛りっぽく発音する」という謎スキルと、車の走行音に負けない大きい声も併せて、けっこう普通にやりとりができた。
 
14時半くらいに出発。バスは70,000ルピアだった。1時間くらいでマゲランまで来て、夕方にジョグジャ市内に入った。夕日が右手に見えていて、曇っていたけどきれいだった。もう全部終わったような達成感でいっぱいだったけど、また来週もあの山に行けるのがうれしかった。
前回、終点の駅から帰るのに苦労した(バス停にタクシーを呼べなかったり、人通りがなさすぎて怖かったり)のを思い出して、「より滞在場所に近い、ルート上の途中の路上で降ろしてもらう」という上級者テクを使った。もう他の乗客がほとんど降りていていなかったし、バスのスタッフのおっちゃんが外国人のわたしを気にかけてくれていたので、あ、次の交差点で降ります!と言って降ろしてもらった。けっこう大胆にいったと思う。おかげですんなりタクシーに乗り換えられて、スッと帰れた。夜の20時くらいに帰宅。ウンガランの山、普通にめっちゃ遠いな…。墨田区のレジデンスにいるのに小田原に通ってるくらいの感じ…(適当)
 
夕飯は近所のワルンで食べた。Nasi Godogという、お粥みたいなスープ飯。飲み物とあわせて20,000ルピアだった。お店の人がチャーミングなお姉さんで「ナシゴドーーーーッ♪」と言ってノリノリで皿を持ってきてくれてキュートだった。わたしの他にはマダムが二人組で来ていた。
 
 
5/14(火)
今日は休日なので目覚ましをかけずに眠り、昼ごろに起きた。洗濯物をランドリーに出した。野菜が食べたいのでGoogle mapで調べて、Lotekを食べに行った。ここで食べたのがめっちゃ美味しかった!「これこれ〜!」という味のピーナッツソースだった。ここ数日、確実に食べ過ぎなので、ちょっとでも歩こうと思って徒歩で帰ったが、途中でグァバジュースを買ったし急にソフトクリームも食べたので全然カロリーオーバーだった。
日本の人とオンラインミーティングがあったので、夕方はWi-Fiのある冷房の効いたカフェで過ごした。来週からの旅程を色々と整理して、スマランへのバスを調べたりサラティガの宿やバリへの飛行機を取ったりした。そういうのを色々やっているだけでこの日は終わった。2週間後の帰国まで全て見通しがたったし、インドネシア語でググって目的の情報を得られたりするのが誇らしかった。遅めの夕飯は、スーパーで買ったカットスイカプロテインドリンク。
 
 
5/15(水)
今日はジョグジャでライブです!!!!
5年前にジョグジャに来た時に一緒にセッションに参加したラジプタが、友人のカフェの奥の中庭を貸し切って不定期で開催している音楽のイベントで、演奏に本人のトークを交えて進めていくという、語学やばめの外国人が出演するにはややハードルの高い企画だが、こちらに来てだいぶ早い段階でやりとりして出演が決まっていた。ツーマンライブで、もう一人の出演者はチェリストのラリャさん。
 
昼前に起きて、もうジョグジャにいる日数も限られているので何の迷いもなく昨日の「これこれ〜!」なLotekを食べに、同じ店に行った。お店のお姉さんは奥の自宅で1歳くらいの子の面倒をみながら店をやっていた。わたしは、マジで食欲が爆発し始めていて、揚げ物を2つ追加して食べてしまった。食い過ぎだ〜。昨日とても美味しかったからまた来ました、ありがとう、とちゃんと伝えて帰った。ジョグジャでゆっくり過ごせるのは今日が最後かもしれないので、散歩しながら帰宅し、帰ってからちょっと練習した。
 
夕方ごろにライブ会場へ出発。19時からスタートだから19時くらいに来てね!と最初に連絡をもらって、そんなわけないだろwwwwと思ったのを思い出しながら17時半くらいに行ったらそれで正解だった。めっちゃおしゃれなカフェだった。タマンサリというとても有名な宮殿のある、白い壁が美しいエリアの一角だった。広々としていて、雑貨を売っているコーナーもあって、建物の奥に会場となる中庭があった。奥の会場も、このエリアの白い壁にあわせたような白壁に囲まれていて、都会的で手入れの行き届いた空間だった。
着いて速攻、サウンドチェック。先日の山のライブでもそうだったけど、毎回このタイミングで、私が使っているギター用マイク(OBANA MICROFONEという名で友人が制作・販売している)が「何これめっちゃ良い」と注目を浴びるのが本当に勝手に鼻が高い。あと、わたしがギターのストラップの部品を紛失していたので、紐とかないかな、と相談したら、PAを担当してくれたファイザル(普段はベーシスト)が、結束バンドを買ってきてくれた……。マジでありがとう。(でもこれは演奏一曲目の途中で弾け飛んでしまった。内心ウケながら平然と演奏して、思い出になった…)
 
だいたい音OKですね、ということになってから時間があったので、ラジプタがカフェのメニューをおごってくれた。お言葉に甘えて、野菜炒め(米ナシ)とWedang Uwuhをいただいた。Wedang Uwuhは、木の根や色々なスパイスを煮出して作るジャワの赤いハーブティーのようなもの。おいしいです。ありがとう。
 
テーブルがめちゃくちゃ斜めで、紙コップを置くのにヒヤッとしたけど、そこでしばらくのんびりした。少しして、お客さんやもう一人の出演者のラリャさんや彼の弟さん、そしてなんと先々週にソロでも会った日本人の友人、岸さんがほんとに来てくれた。ラリャさんたちと、ソワソワしながらガタガタの言語で自己紹介したりしているうちに演奏が始まる時間になった。ラリャさんのフィールドレコーディングのサンプリングや深めのディレイとリバーブを駆使したチェロの演奏と合間のトークで合わせて1時間弱の後、わたしの出番だった。4曲演奏した。
けっこうビックリしたんですが、この日すっごく演奏しやすかった。振り返って書いているけど、今回の滞在で演奏したなかではこの日が一番演奏しやすかった。変にハウったりモコモコしたりせず、すーっと気持ちよい白壁のリバーブも感じながら演奏できて、すごく嬉しかった。実際に何がどう効いたのかわからないけど、ファイザル氏の手腕によるところだろう、本当にありがとうございました。わたしのトークはボロボロだったけど、どんな時期に何を考えてこの曲を書いたのか、というのを一つずつ頑張って話したうえで演奏を終えたので、終演後に話しかけてくれたお客さんたちは感想に加えて具体的な質問をたくさんしてくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。司会を担ってくれたジタさん(彼女もシンガー)のコミュ力にも助けられまくった。(あとで気づいたけどわたしこの人が歌っていたのをソロのダンスフェスティバルで見てた……世の中が狭過ぎる〜〜!)
 
そして友人のギャリーがジャカルタから来てくれていた。ギャリーとも5年前に出会っていて(スマランで行ったライブの主催者の一人)、彼が日本に来た時に「ここだったら演奏させてもらえるかも」と場所を紹介したり(わたしが鬼忙しい時期であんまりサポートしきれなくて申し訳なかった…)もした仲である。昼間、彼のインスタグラムを見て「なんか…ジョグジャに向かってない?この人(※でも寝過ごしてソロに着いてしまっている)」「もしかして……」と思っていたので、めちゃくちゃ嬉しかった。「てか来る時がっつり寝過ごしてたっしょwww」「うん超焦ったww」みたいな話も笑いながらできた。今回ジャカルタには行けそうになかったので会えないと思っていた。まず会えて嬉しい。ギャリーは以前からわたしの曲をインターネットごしに聞いてくれていたらしく、「あの曲やって」と客席から声をかけてくれた場面もあった。盛り上げてくれてありがとう…!
 
演奏を終えて、23時くらいに岸さんと一緒に帰宅。空いている部屋に一泊してもらう。明日の朝、けっこう早い時間にソロで用事があるとのことだったので、一緒にソロまで行き、わたしはそこからサラティガへ行く、というプランだ。さらっと水浴びを済ませ、二人ともさっさと寝た。
 
 
5/16(木)
サラティガへ、友人と恩人に会いに行く日!
ちゃんと早起きしてサクッと荷物をまとめ、岸さんと二人でタクシーに乗り、ジョグジャの駅へ。数年前から、日本の一般的な電車のような形の、指定席のないタイプの電車がジョグジャからソロまで運行しているらしいので、今日は岸さんに案内してもらってそれに乗る。以前ソロに行った時にはこの電車のことを知らずに指定席のある電車に乗ったけど、こっちのほうが安い。かかる時間も1時間程度なので、全然これでいい!次からは毎回これを使いたい。
電車に乗る前に、ちょっと時間あるね…?と言って近くのワルンで朝ごはんを食べた。ナシクニンと飲み物で27,000ルピア。美味しく食べていたらけっこう時間ギリギリになってしまって、急いで電車に乗った。
電車はマジで普通だった。車内に警備の人がいて、荷物は上の棚に置いて、と言われた。めちゃくちゃ冷房が強くて凍えたこと以外は快適だった。岸さんはかなりインドネシア語ができるので、隣の席にいて話しかけてきたおっちゃん(大学の先生らしい)と急に知り合って連絡先を交換していた。すごい…
 
電車が無事にソロに着いて、電車に乗っているあいだに教えてもらったSIMカードのギガの補充をするため(ちょうどいい使い方がまだよくわかっていません…)コンビニに行くのに付き合ってもらったりしてから解散。短いあいだにこれでもかと色々助けてもらっちゃった。ありがとう…。日本でまた会いましょう。
 
そして、ソロのバス停から乗ったサラティガに向かうバスを、わたしはめちゃくちゃ寝過ごした。思い出のTerminal Bawenまで来てしまった。20分〜30分くらいで取り返せる距離の寝過ごしなので、そんなに焦るようなことじゃないのに、なんだかこの時、すごく焦ってしまって、サラティガへ向かうために呼んだバイクタクシーでめちゃくちゃ手間取ってしまった。まず運転手と合流するのに手間取ったし、最初に設定したアプリの目的地が間違っているのに途中で気づいて「???」になったしで、結局、約束の時間より1時間くらい遅く着いてしまった。
 
集合場所は、友人のアンドリャンの営むワルン(食堂)だ。彼は5年前にスマランで一緒に演奏した仲で、シンセサイザーを主に操るミュージシャンである。そして(本当にわたしは常々こういうところがあるんですが)Andriさんもここに呼びつけていた。(二人の名前が似ているのは偶然)
Andriさんは、わたしが5年前に働きに行っていた高校の音楽の先生だ。わたしが担当の日本語の先生と何となくうまく行かずにくすぶっていたところに「大野一雄わかる?(この時、カゾーノ、と言われて数秒ほど考えてしまった。韓国でナムジュンパイクって言っても通じなくて、パク・ナムジュンと言ったら伝わったのと似た現象…。)」と話しかけてきてくれて、その後の全てを完全に良い方に導いてくれた重要な人物である。彼は、職場でも持ち前の朗らかさでわたしの心を支えてくれたし、AmbarawaやここSalatiga、そしてSemarangにまで至る広いエリアの文化的な場所へ連れて行ってくれたり、自身の出演する演劇やバンドのライブに連れて行ってくれたりした。彼のおかげで、わたしはカルトゥンさん(先週の山へ連れて行ってくれた)やアディット(今回の序盤でも一瞬会った、イラストレーター。バリ編で登場します)に出会えた。5年前の滞在が素晴らしい日々になったのは完全に彼のおかげなのだ。絶対に会ってお礼を言いたくて、今回、彼の住むSalatigaまで来たのだった。
 
彼ら二人には共通の友人がいる。まず、アンドリャンの店の内装を担当したのが、Pak Men氏である。そして、そのPak Men氏のバンドでAndriさんはパーカッションを担当している。だから、きっと二人は友達だろうと思っていたら、この日が初対面だったらしい。だいぶ雑に人と人を引き合わせてしまった。(これを機に仲良くなってください...)
アンドリャンの店は、いわゆるワルンで、価格も手軽で店もそれほど大きくないのだけど、すごく良い空間だった。店の壁に、アンドリャンの人脈やセンスでセレクトされた若手アーティストのペインティングやテキスタイルの作品が多く飾ってあった。どこかから輸入してきたような漠然としたオシャレを目指すんじゃなく、庶民的で風通しの良い感じの店にカジュアルに若手作家のアートが置かれているの、素晴らしく良い。というかわたしの好みだ。こういう、地に己の足のついたやり方で芸術と親しんでいる人と場所って信頼しちゃうな…。
 
店には、Andriさんが連れてきてくれたようで(先々週にも会った、気まずくなかったほうの)日本語の先生も来てくれていて、再会を喜びながらバナナの花の炒め物やコロッケみたいなのや、色々食べた。急に彼女だけ日本語で話しかけてくれるので、ちょっと頭がバグる。
日本語の先生は、仕事があるからと早々に帰ってしまったけど、わたしは予定がないので「今日これからどうすんの」「え、どうしよ」とか言ってひとしきりぐだぐだした。アンドリャンが「うちのメニューには最近チキンカツが加わったんだけど、日本人の舌で美味しいかどうかジャッジしてくれないか」と言って、お腹いっぱいなのにさらにチキンカツを2枚出されてしまった。しっかり美味しかった!さすがに食べ過ぎなので1枚は包んで持ち帰らせてもらった。ついでにわたしが「これうま過ぎる」と言って食べる手を止められずにいた、シジミみたいな形の小さなクッキーのようなお菓子も包んでくれた。ありがとう…食べ過ぎててすみません…
 
夕方から日本の人とオンラインミーティングがあり、その後さらにもう一つ別のミーティングがある日だったので、もう今日はこれでおしまい、ありがとうin Salatiga!解散!と思っていたが、Andriさんと相談した結果「一度ホテルで休んでから、一つ目のミーティングに出席し、それが終わる頃にPak Menのアトリエに遊びにいこう、そんでそこから二つ目のミーティングに出席したらよくない?すぐ近くにインターネット早いWi-fiもあるよ」ということになった。ハードスケジュールすぎるけどPak Menには会いたかったので、迷わず決行することに。
 
ホテルは、前回のソロの安い臭い宿の反省を活かして、ちょっと良いところにした。部屋は白っぽくて清潔で、全く臭くなくてホッとした。サンダルの底が剥がれかけていたので、フロントのお姉さんに助けを求めたら強そうな接着剤を貸してくれた。ギターケースを重しにして接着した。一旦シャワーを浴びて仮眠をとり、ミーティングに出た。約束の時間に再びAndriさんと合流し、Pak Menのアトリエへ。
 
Pak Men氏とは5年前にも会っている。彼は、色々な形の笛や口琴のみならず、謎の弦楽器や家具、内装まで作る、かなり腕の立つ楽器職人であり、ミュージシャンだ。かの有名なSenyawaのWukirの竹の楽器も、設計をWukirが担当して、実制作はPak Men氏が担ったという。(聞き違いだったらすいません)遊びに行くと、家は前回お邪魔したのと同じ場所だったけど、家の周囲のアトリエの機材や物の配置が変わっていた。もうすっかり日が暮れていたが、Andriさんも参加しているバンド”Saung Swara”の面々が集まってばりばり音を出してセッションしていた。住宅街だけど関係ないんだ〜!?
 
Pak Men氏が相変わらずのハイテンションで「Aoi〜!やるか〜!?」とノリノリで自分の楽器(名前がわからないんだけどすごいかっこいい自作弦楽器、ギターと琴とSiter(ジャワのガムランアンサンブルで使う楽器)のあいだみたいな)をわたしに持たせてくれたので、適当に鳴らし始めたら、ハサンという青年(高校生くらいに見えたけど年齢不詳)が手作りの二胡のような楽器をすぐに合わせてくれて、さらに他のメンバーの笛や太鼓も加わって、いきなりむっちゃ楽しかった。全員が手練れだ〜!ギターを持ってきていたので、それを出して自分の曲も聞いてもらった。そんなこんなしていたら、Aulia氏がやって来た。彼とは、5年前にジョグジャの即興のライブで一緒になった。コテコテのエレキギターを弾いててウワ〜好きだわ〜と思っていたオッチャン…。え?!会ったことあるよね?!そう!ジョグジャのKomboで!うおお〜なんでSalatigaにいるんだ〜!(なんでだったんだろう)と、喜びの再会だった。
 
Auliaが私のギターを弾いて、なんか日本の曲やろう、といって「宇宙刑事ギャバン」を演奏してくれた。一緒に歌った。まさかの選曲があまりに渋すぎて(わたしがアニメ好きじゃなかったらポカンとしていたと思う、全く世代じゃない)その時点で爆笑なのだけど、Pak Menやハサンの楽器による、東南アジアっぽいサウンドが輪をかけてツボで、本当に楽しかった。ありがとう。
ほどなくしてミーティングの時間になってしまったので、奥の部屋を借りて通話会議をした。7月に東京でやるライブの打ち合わせだった。
 
わたしが1時間半くらい抜けていたタイミングで、どうやらアンドリャンが差し入れに揚げ物を持って遊びに来ていたっぽくて、私が彼とAndriさんを急に引き合わせたことが変な間違いじゃなかったっぽいことがわかって、ホッとした。よかった。
 
ミーティングを終えて戻ると、みんなで楽器をがっつり演奏する時間は終わって、アンドリャンの差し入れを食べたりコーヒーを飲んだりして、ぐだぐだタイムになっていた。明日ジョグジャに帰るんだあ、適当にバスに乗るよ、と言っていたら、「DayTrans」っていう直通のミニバスがあるからそれに乗りなよ、と全員に強くおすすめされたので、その場で進められるがままにバスを予約した。75,000ルピア。先日のTerminal Bawenからの直通バスとそれほど変わらない値段で、ここから直通なんだったらけっこう良いんじゃないか? バス停までは、明日の朝にファジャルが送ってくれるって。え、ありがとう…。このバンドメンバーの多くは楽器を作るようで、ファジャルも笛職人だった。わたしのインスタを見てだったか「ああ、タフタんとこ行ってきたんだ」みたいな反応だった。そこ繋がってんだ〜!世間ほんとうに狭いな!彼はファゴットみたいな形の大きな自作の笛を吹いていた。もうちょっとよく見せて貰えばよかったな〜
 
眠くなってきて、ほどなく解散。Andriさんに送ってもらった。ファジャルんちは、わたしがとったホテルのガチ近所だった。「ここがファジャルの家だよ」なるほどそういうことか…!それにしてもありがとうございました…。さすがにヘトヘトだったのですぐ寝たと思う。この日ホテルに戻ってからの記憶がない。
 
 
5/17(金)
ジョグジャに帰る日。バスは9時発なので、朝8時半にファジャルと待ち合わせる。朝ごはんを食べるため、8時くらいに部屋をあとにしてホテルのフロントに荷物を一旦預け、Google Mapで見つけた近くのワルンまで5分くらい歩いて行った。
ワルンに入ると、メガネをかけたおしゃれな感じのお姉さんが店番していて、メニュー表もしっかりデザインされていた。なんかSalatigaっぽい。そう、Salatigaは中部ジャワのなかでは、外国人にとって全く有名ではない町(たぶんこれといった観光スポットがないから)だけど、わたしはけっこう良い街だと思っている。キリスト教系の総合大学(音楽学部もある)があり、教会もあり、もちろんモスクもあるが、ムスリムじゃない人の割合が他の町よりも高くてなんとなく雰囲気が違う。学生の多い街だからか、飲食店の価格も比較的安く、オシャレな店構えのカフェが非常に多い。そして、街灯と小綺麗に舗装された歩道がけっこうしっかりあって、歩いて回って楽しめる街並みなのもけっこうすごい。なんならジョグジャより歩きやすい。あと、標高が高めなのでやや涼しく、街全体が坂になっているので要所要所で眺めが良い。そして、個人的にはジルバブ(ヒジャブ)を被っていない、髪を見せて生活している女性がたくさんいるというのも、なんとなく気が楽だったりする。個人的には「もし何年か住むんだったらここかもな〜」とすら思っています。長めにジャワへ行く機会がある人には、是非一度訪れてみてほしい街です。
 
そんなSalatigaっぽいワルンでSoto Ayamを食べた。ミニサイズがあって、お茶漬けみたいな感覚でサラッと食べられて良かった。食べた後は少し遠回りしながら散歩の足取りでホテルに戻った。朝の光が強くて、うっそうとした茂みに木漏れ日がキラキラと落ちていてすごく綺麗だった。家の庭を鶏が数羽歩いていた。少し開けたところからは、遠くに山と、モスクの屋根が見えた。大きな道沿いでも、ちょっと路地にはいるとすぐに山の雰囲気になるのが、このへんのエリアの楽しいところだ。
 
ファジャルと無事に合流した。彼は全くヘラヘラニコニコしないタイプなので、こちらはけっこうソワソワする。話題がなさすぎて気まずかったので、思いついて絞り出すように「タフタとどこで会ったの」と聞いたら、リマ・グヌン・フェスティバルで会った、と言っていた。これはマミさんの夫・タントさんが中心になって企画している大きなダンスフェスだ。ジャワ島のみならず、インドネシアじゅうのダンサーが集まって、各地方の踊りが披露される。たまにコンテンポラリーダンスもあり、地元の子どもたちのダンスもあり、すごい密度のプログラムが2日にわたって開催される。中部ジャワの「リマ・グヌン(5つの山)」の村をローテーションしていくので、毎年会場が変わる。
個人的には、わたしが初めて一人でインドネシアに来た時に「山は寒い」と身を持って学ぶことになった(硬くて埃っぽい2階の床で凍えながら二泊した)思い出がある。伝統芸能や色々な芸術に広くアンテナを張っている中部ジャワのインディーズのミュージシャンやアーティストたちはきっとほとんど全員が知っているし関わりを持っている、といって過言ではない、と思っています。(わたしがオーバーグラウンドのアーティストたちと全く縁がないので、一般的な認知度がどれくらいなのかは不明。)
 
リマグヌンフェスティバルか〜、いいね〜、ですぐに会話が終わったけど、無事、ファジャルにバス停まで送ってもらった。彼は「この人は9時のジョグジャ行きのバスに乗るから」とバス停の人に伝えるまでしてくれて、それでもう解散すると思っていたら、バスが出るまで一緒に待って、最後まで見送ってくれた。紳士じゃん…。バスを待つ間、わたしが話題を広げられなさすぎて、彼は近くにいたカリマンタン島帰りだというおっちゃんと話し始めてしまったりして、正直気まずかったけど、心強かった。本当にありがとう…。
バスは10人乗りくらいのサイズで、わたしのギターが大きくて恐縮だったが、窓際の席に座れて、快適だった。ウトウトしていたらあっという間に着いた。9時出発で、12時くらいにジョグジャに着いた!早い!最高!
 
到着したバスの事務所が明日乗るのと同じ場所のようだったので、「明日ここからバスに乗ってスマランに行くんだけど、大きいスーツケースがあるんだ。乗るか心配なんですけど、追加料金とかいるんですか?」というのをスタッフに確認した。わたしは言語がダメだったし、スタッフのお兄さんもそれほど英語が達者ではないようだったので、お互いにスマホを取り出して翻訳アプリを噛ませまくってなんとかした。優しい人でよかった。明日の朝、早めに来て重さを測ってお金を払えば大丈夫そう。飛行機とかもだけど、こういう交通機関で、誰かの荷物が大き過ぎて乗りきらなかったらどうなるんだろう…。まあ落ち着かないけど、なるようにしかならない。
 
OK、ということにして、お昼ご飯を食べに行く。バス停(というかDayTransの事務所)の近くのワルンに、Nasi Pecelがあった!ここのも「これこれ〜!」という味のピーナッツソースで、美味しかった。ちょっとムニャムニャになった天ぷらとピーナッツソースと米を一緒に口に運ぶのがマジで美味しくて、一皿のNasi Pecelを食べているあいだのいろいろな一口のなかで最も好きです。わたしが食べている途中で「ここ美味いんだよ」みたいなことを言いながら二人組のお兄さんが来店して、ちょっと嬉しかった。
 
帰宅すると、停電していた。電気がつかない。妙に静かだと思ったら冷蔵庫も動いていない。明日からスマランで、ジョグジャにいるのは今夜が最後なのに、タイミングが悪い…。クーラーは元々ないけど、夜はちょっと困る。ここの管理をお願いしているPさんに連絡をしたけど、原因はわからないので待つしかないということだった。
 
夜、アーティストの先輩である北澤潤さんと、友人のランガと会う約束をしていたので、夕方になってから家を出た。「完全に私のワガママで会いたい人に同時に会うやつ」第二弾である。本当にごめん過ぎる。今日しかなかったので許してください。
ランガは、7年前にインドネシアに来た時に仲良くなったアーティストで、当時は音楽学部生だったけどその頃から制作と発表をずっと続けてきていて、今はプログラミングを使ってビジュアルやサウンドを作っている。ライブも時々やっている。彼よりも早口の人にまだ会ったことがない、というくらい、すごい早口のオタク口調で喋る。賢くてめっちゃ気遣いができる。大変できた人です。わたしが予定を勘違いしていて今日しか会える日がなくなってしまい、無理やり会ってもらった。潤さんは、もう10年近くインドネシアに住み、アーティストとして活動している先輩だ。この人も、わたしが7年前にインドネシアに来た時からの縁で、その時はジャカルタのスラム(これ、「スラム」と簡単に言い切りたくない複雑な事情があるんですが泣く泣く省略…、※拙ブログの2017年の記事に書いてます)のリサーチに連れて行ってくれた。今はジョグジャにある大学で授業を持っている。インドネシア語で授業やってるの凄過ぎる…。わたしに文化人類学的な視点をくれたのはこの人です。
 
二人ともコンテンポラリーアート界隈の人だし、どっかで今後、接点があるかもしれないし、まあ、会っとこ?というわたしの雑なノリにより、ランガのガールフレンドと一緒に謎メンツの4人で会うことになった。ジャワ料理の店に行った。わたしは現金が尽きかけていたので、近くのガソリンスタンドのATMでお金をおろして、やや遅刻で向かったけどまだみんな着いていなくてホッとした。
ごはんは美味しかったし、みんな変わってなくて嬉しかった!ランガはコンブチャを飲んでいた。コロナのせいで、俺ら前に会ったの5年前っていうけど3年くらいの体感じゃない??とランガが言っていた。本当にそうだよね〜。5年前、アディットと友達と4人でジョグジャの海に行ってみたけど風が強くて何もできずに帰って来たことがあったね……。もうわたしは元気な彼らに会えただけでだいぶ満足で、主に潤さんとランガがお互いの作っているものについて紹介しあって、ものすごい勢いのインドネシア語を交わしているのを「ギリギリ内容がわかるけど入る隙がないな」とニコニコ聞いていた。俺らが喋ってばっかりでAoiぜんぜん喋れてないけど大丈夫?!みたいに言われたけど、本当に顔が見れただけで嬉しかった。ありがとう。
 
帰り、潤さんが滞在先まで送ってくれた。わたしは途中でMartabakを買わせてもらった。Martabakというのは、ムニャムニャした食感の卵多めの分厚いパンケーキのようなものにマーガリンやチョコレートやピーナッツ(選べる)を挟んだ、ものすごいハイカロリーの屋台菓子だ。なぜか昼に屋台が出ることはほぼなく、夜にしか手に入らない。友達にもらったことは何度かあったけど自分で買ったことないな…どっかで食べたいな…と思っていたので、バイクに乗り込んでから「Martabakの屋台を見つけたら寄ってもらえませんか」と潤さんに頼むのに迷いがなかった。ちゃんと良い感じの屋台に出会えたので、ワクワクしながら買った。紙の箱に入っていて、ずっしり200gくらいだろうか。重くてあったかい。家についてから食べた。一切れは潤さんが食べてくれたけど、甘過ぎぃ〜、一切れでいいわ…、という感じだったので、あとは全部わたしが食べた。これがペロっと食べきれてしまうのはけっこう恐ろしいことだ。留学生がこれにハマって10kgくらい太って帰る、というのがあるあるらしいです。
 
潤さんは、もうすっかりここでの生活に慣れてきて、飽きてきたかもしれないくらいにこれが日常になってきたけど、「まだ普通を作ってる途中」と言っていて印象に残った。真剣に考えながら、自覚的に人生をやっていないと出てこない言葉だ。文化人類学的には、むしろここから、なのだろう。
 
住む場所や生き方など、自分の人生の「普通」は自分で選んで作れるって、そういえばそうだ。自分の生活とかって、自分で選んで作れるし、作るもんなんだ。それが結果的に、振り返ったら暮らしや人生になっている、みたいな。
わたしは、この春のタイミングで、食べていくためにやっていた仕事を辞めたし、しばらくお世話になっていたシェアアトリエも離れることにして、Slackのアプリを消した。ここ3年くらいやっていた「普通」が一度リセットされるようなタイミングで、ほぼ何も決めずにここへ来てしまった。正直に言ってめちゃくちゃ不安で、帰るの怖いなと思っていたけど、そっか自分で選ぶんだよなあ。実際、選べるほど選択肢があるのかどうかは怪しいけど、自分がこれからどうしていきたいか、ちゃんと考えよう、と素朴すぎるけど素直に思った。
 
潤さんとしばらくおしゃべりして、解散。明日、ここを発ってスーツケースごとスマランへ行くので、部屋を掃除したり色々整理して、あとは明日、というところまで雑務をやっつけて、2時くらいに寝た。