インドネシア滞在日記⑩ 5/21〜5/24

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑩ 5/21〜5/24

5/21(火)

わたしは昨夜というか今朝というか、朝4時のアザーンで一度目が覚めてしまったりしていたので、堂々と寝坊した。今日の夜にMVに向けたレコーディングが敢行されることになっている。

2階のわたしが寝ているエリアのそばの壁には、小さな窓(ガラスなし)があるのだけど、その内側に、麻でできた空色の布がカーテンのようにかかっている。今朝は、窓の外から手を入れてこの布をヒラヒラさせながらタフタが「Sarapan(朝ごはん)だよ〜」と声をかけてくれた。こういう細かいチョケに親しみがあって、いちいち嬉しい。あれ?カーテンあったっけ、と思って聞いたら、前からずっとあったよと笑っていた。

今朝は、先日タバコを買いに行った村でカフェを営んでいるというバリスタ(タフタの友人)がカップルで遊びに来ていた。たぶん20代半ばくらいの、若くておしゃれな二人だった。タフタのキッチンにはその友人からの差し入れのコーヒーがあって、それをすでに幾度となく飲んでいたので、ああ!この美味しいコーヒー、あなただったのか!!ってなった。いただいてます!と伝えた。

タフタは完成した笛をしまうための袋を作っていて(今日の夜に3本納品しに行くのでそれまでに仕上げなければならないらしい)、Aoiはこういうの得意?と手伝わされかけたけど、いや、それはあなたの作品だから…というのと、同じ縫い方を教わるのが面倒だったので手伝わなかった。(今思うと薄情だわ、ごめん)

バリスタ氏のガールフレンドが差し入れに持ってきてくれていた、バナナのシロップ漬け、Setup(ストゥップ)と、パリパリした薄い煎餅みたいなおやつをいただいた。もうこれ朝ごはんってことでいいね、と思っていたけれど、みんなでナシゴレンを作る流れになった。
相変わらず、ナシゴレンを作る段になるとタフタがいつのまにか姿を消して、シントロン(さっぱりした春菊みたいな香草)を摘んで戻ってくる。毎回シントロン入りで作ってくれるの、本当にうれしい。まずめちゃ美味しいし、いつのまにか摘んで戻ってくるお決まりの一連がおもしろすぎて、わたしはずっとツボです。ほどなくナシゴレンは完成したが、ガールフレンド氏がぜんぜん食べないのでわたしがほぼ二人前の量を食べた。

食後ののんびりタイム。バリスタカップルがわたしの曲をSpotifyでかけてくれていて、嬉しいけどなんか気まずいので、ひとり少し離れたところで山を眺めながら覚えたてのタバコを吸って時間をつぶしたりした。その後、2階でぼんやりしているとタフタが階下で笛を吹いているのが聞こえ、あっ…これはわたしの曲だ…という瞬間があり、嬉しすぎてこっそりiPhoneで録音した。


ここの庭でのんびりしていると、いろいろなものに気づく。料理に使うために庭に植えたんだけど、どんどん食べちゃうからすぐなくなる(笑)という唐辛子の花が下に向かって咲いているのがかわいかったり、コーヒーの白い花が先週はつぼみだったのに、もうすっかり咲いていたり。「コーヒーすごい咲いてるね〜!」と喜び伝えると、タフタが「ジャスミンみたいな香りするでしょ、お茶にできるよ!」というので、ひと握り摘んでみた。摘んだ花びらを皿に広げると虫がたくさんいたので、それを潰しまくって(グロ描写ですが、小さい虫なので指で潰してそのまま皿に擦りつけると消失する)から、天日に干した。あとで飲んだが、そんなに印象に残る味ではなく、その場にいたみんなで回し飲みして全員「まあこんなもんか…」というリアクションだった。


起きたのがほぼ昼だったので、髪を洗ったりのんびりしたりしているうちに時間が過ぎ、バリスタカップルはほどなくして帰っていった。今夜の録音、間に合えば2曲やりたいね、と言って、笛作りの休憩がてら、ちょっと練習した。拙曲『湾岸行々(Urban Port)』のラスサビをタフタがオクターブ下で歌ってくれて、かなり美しかった。彼は耳が良いし真面目なので、日本語の発音を繰り返し確認して、すぐに上達して、「航空障害灯がまばたきをしてる、透明になって山が寝ている」という一節を完璧に歌えるようになっていた。(この録音はわたしのiPhoneのボイスメモにしかないのだけど、嬉しすぎて飛行機とかでずっと聴いていました。宝物データ…)


夕方、暗くなる少し前にアントとルイージが遊びにきた。Bubur Pecelという、ピーナッツソースがけのお粥の美味しい店があるというので、そこへ一緒に夕飯を食べに行って、そのまま録音スタジオ(カルトゥンさんの友人が働いているという大学の音楽室)に向かう。バイク2台で、4人で山を降りた。

Bubur Pecel はめちゃくちゃ美味しかった!!Nasi Pecel と違って、これなら温かいし、胃にも優しいし、安いし、最高なのではないか!?3日に2日くらいこれ食べたい!!!と大興奮してしまった。ルイージは以前にもここに食べにきたことがあって今日ここへくる提案をしてくれたようで得意げだった。ありがとう。
インドネシアの庶民的な食堂の多くは、すでにできている揚げ物がテーブルや店の一角にどんと置いてあって、自分で好きなものを選んで皿に盛って食べるようになっている。この日はアントが揚げ物を山ほど皿に積み上げていて面白かった。そんなに食べるの?!と驚いているうちに食べ終わって2杯目のBubur Pecelをおかわりしていた。

さらに1時間弱ほどバイクを走らせ、4人で大学に到着。駐輪場にバイクを停めたあと、ルイージとアントはフルーツジュースが飲みたいからちょっと行ってくる!と街へ消えた。わたしは水だけ買って、大学内のモスクの前でタフタと一緒にカルトゥンさんを待った。

ほどなくしてカルトゥンさんとは合流できたが、録音の準備がまだらしいので、引き続き3人でそこにいた。月がすごくきれいに出ていた。わたしはムスリムではないので、モスクに来たことはほぼない。ミーハーな気持ちで入っていくのは失礼だし、特に用事もないのでいつも通り過ぎるだけだったけど、この日は建物の入り口のタイルの階段に腰掛けていて、ソワソワした。髪を隠していない女だけど大丈夫だろうかという気持ちと、一緒にいてくれる友人たちへの心強さと、そういえば、彼らの生活のなかのこの部分はわたしには遠いな、という寂しい気分も少しだけあった。

もうすぐ満月を迎えるようで、見上げると月が丸かった。スマホを見ていたタフタが、わたしが明け方に起きてしまった時にしていたインスタグラムの投稿を見て「え、今朝4時に起きてたの?全然気が付かなかった」と言って笑っていた。


さらに別の場所(校舎の玄関)に移動して、またドアの外のところのタイルの床に座って待った。アントとルイージがいつのまにか戻ってきていて、チョコレートのぱりぱりした薄いクレープ巻きみたいなおやつを分けてくれた。近くで工事をやっていて、この音が入っちゃうんじゃないの、と思った。通りすがりの学生らしき男の子が、5年前にスマランでやったライブに来ていた人だったらしくて「え?!」ってなりつつ握手した。そんな世間せまいことある…?

だいぶ待ってようやく、違う建物へまたまたみんなで移動した。
録音をする場所は、いわゆるスタジオというわけではなく、普通の講義室に手作りの防音を施したような一室で、20人ぶんくらいの椅子と机が置いてあった。細長い部屋を横向きに使っていて、長いほうの壁にホワイトボードや教壇がしつらえてある。入口から一番遠い奥のほうの、スポンジの貼られた壁のそばにパイプ椅子が置かれ、マイクスタンドを立てている人たちがいた。

ウスマンさんという人が、カルトゥンさんの紹介で今日のエンジニアをやってくれる。あと2人、助手みたいな感じで若い男の子がいた。よくわからんけど1人は途中で帰った。ただでさえ時間がおしているので、我々はすぐに楽器を出して、エンジニアたちの準備が終わるまでダメ押しでさらにちょっと練習した。
マイクを立ててPCにつないで、Aoiが普通に1人で演奏したものにあとからタフタが笛とコーラスを重ねる、というとてもシンプルな録音なので、何にそんなに手間取っていたのか不明だったが、録音が始まったのは22時をまわっていた。マイクスタンドは、言ってはなんだけど安い作り、かつ年季が入っていてボロボロだったけど、力一杯ねじを締めてなんとか使った。

わたしは一発でOKテイクを撮り(最後の1分くらいヘッドホンが頭からずれ落ちてきて焦ったが、耐えた)、すぐタフタに交代した。タフタもめちゃくちゃ優秀なので笛は2テイクで決めていたし歌もすぐで、始まってからはあっという間だった。聞きなおしてチェックしながら進めるので時間はかかったが、23時過ぎに終わった。2曲録る余裕はなかった!

レコーディングは楽しかったけど、タフタの表情が少し固くて気になった。山の家で何度も一緒に遊ぶみたいに演奏した時とか、バイクに乗って歌った時とか、ああいう時のほうがやっぱり圧倒的に輝いていたな、と思ってしまった。わたしは、ああいうふうに人が輝きながら奏でているのを「音楽」だと思っていて、そういうのを一番信じているし好きだ。タフタも「録音って緊張しちゃうからライブのほうが好きかも」と言っていた。わかる。超わかるよ。
今回の録音は、山の家で一発録りでやるアイディアもあったけど、自分たちの録音技術の限界と、後の編集のしやすさ・最終的な出来を考えてスタジオ録音にしたのだった。そう決めたのはわたしだったし、結果よかったと思っているけど、この日はまだちょっと不安だった。
振り返って聞いてもあの日の録音は素晴らしい出来だし、積み上げた輝きの先にあった演奏だったと思う。でも、奇跡みたいな瞬間そのものではなかった気がして、ほんの少し寂しかった。あの日わたしはマイクの前でひとりで1テイク歌っただけだった。それじゃあ日本にいる時とか、いつもと同じだ。ほんとは同時に、一緒に歌いたかった!

録音を終えて、空腹のまま帰路についた。まっすぐ帰ると思っていたら、途中から見物にきたマルノ(先週一緒に演奏したヴァイオリニスト)とタフタと3人で、彼らの友人のミュージシャンの家へ向かった。そうだった。笛を3本納品するというミッションがあった。ミュージシャン氏は気のいい若いニイちゃんで、笛を無事に渡した後も、ひとしきりタバコを吸いながら3人のおしゃべりが続いたので、わたしは完全に眠くてほとんど会話に入らずぼーっとしていた。トッケーが鳴いているのが聞こえた。その後の帰り道はすっごく眠かったことしか覚えていない。



5/22(水)〜23(木)

今日はキャンプに行くというので朝早いんだろうと思っていたら全然そんなことはなかった。月を見る(浴びる)のが主目的なので夕方に出発するらしい。
起きて階下へいくと、タフタとアントとルイージがのんびりしていた。めずらしくアントが朝食担当のようで、台所に立っていた。が、別に料理上手というわけじゃないらしく、おっかなびっくりという様子でなんとなくモタモタしていた。他のみんなは、居間のようなスペースのほうに座ってお茶を飲みながら待っていて、タフタはアントのギターを弾きながらゆったり歌っていた。黒い小さな蝶がそのまわりを飛んでいた。朝ご飯は、焼いた小さな魚とテンペと、野菜のスープ、白ごはんだった。スープの野菜の切り方がなんか下手くそな感じで愛しかった。

食べ終わってもなんとなくさっきまでみたいな時間が続いていて、タフタが引き続き知っている歌を次々歌っていたのだけど、急に知っている曲が聞こえてきてめちゃくちゃびっくりした。す、好きな曲だ!!!!Fleet Foxes の "Blue Ridge Mountains" という曲だった。一年くらい前に友人に教えてもらって聴いていて、これはアルバムのあとのほうに入っている超いいリフのある曲……英語の歌詞は覚えていなかったのでメロディーを一緒に鼻歌で歌った。この曲いいよね〜!ってこんなところでこんなふうに言い合えるのが嬉しすぎて、胸がいっぱいだった。しかもめっちゃいい声なのであった…。アントとルイージは知らない曲だったようで反応が薄かったけど、わたしがめちゃくちゃ嬉しそうにしていたら、タフタはもう一度はじめから歌ってくれた。


そろそろ出発かなあと思い始めたお昼すぎ、一度村のお父ちゃんたちの家に寄って、15時過ぎくらいに出発。1時間弱ほどかけて、この山を東の方へ移動する。(今いるのは山の西側)
途中、何度か屋台のお菓子(バナナをクッキーっぽい生地で包んで揚げたお菓子Molenがめちゃ美味しかった)や、天ぷらなどを食べる小休止を3回くらい挟んだ。どう考えても食べ過ぎだし、景色もふつうに郊外の街のままなので、3回目の休憩の時にルイージが大きい声で「これがインドネシアの登山ってわけ?!」と冗談めかして言っていた。そうだぜ、これが世界一歩かない国の登山だ!byカルトゥンさん

それでも道を進むにつれて少しずつ標高が上がって肌寒くなり、うっすら小雨に降られたりもしつつ、広大なバラの畑のあいだの道をぬけて、ようやくキャンプ場に辿り着いた。バラの畑は見事だったし、植生がはっきり変わったのがわかって嬉しかった。

キャンプ場はかなり混み合っていた。満月だし連休だからね…とみんなが言っていたけど、満月って理由で山が混むんだ…?ともかく暗くなる前にテントを張る。ほどよい場所をスッと見つけて、3チームに分かれてそれぞれのテントを建てた。テントは3つ、人は6人だ。わたしはカルトゥンさんのガールフレンドであるニサが自分と一緒に泊まってくれるのかな、と思っていたが、2人はカップルでテントを使うようなので、ちょっと戸惑っていた。散々家に泊めてもらってきたけどタフタの持ってきているテントは明らかに1人用サイズだし、これに2人で寝るのはさすがに仲良すぎっていうか物理的に無理がある。それをどう伝えたものか迷いながら近くで作業を眺め、たまに手伝った。タフタは、これは中国の友人がデザインして作ってくれたテントなんだ、といって迷いなく組み立てていた。(友達デザインのテントをもらうの、建築科出身エピソードって感じがする)
白くて形のいいテントが完成して、さすがタフタはセンスがいいね、君に似合ういいテントだ、とルイージも誉めていたが、やっぱりこれどう見ても1人用だ。うーーーん、と思っていたら、じゃあAoiはこれ使ってね!と言い残して、タフタはお茶を淹れるためにお湯を沸かし始めた。いやいやいやお前はどこで寝るんだ!とやっとツッコミみたいな気持ちで問うと「俺は外で寝て、満月のパワーをダイレクトにチャージする!一度やってみたかったんだ!」という。えええ〜〜?寒くない…?気の遣い方おもしろすぎなのか、ガチスピなのか、どっちもなのか……。でも代案がないので、ともかくお礼を伝えた。

とはいえ、満月と朝日を目当てに来ているキャンプなので、寝る時間はあんまりなかった。我々は食堂(キャンプ場までの道のりでたくさん食べていたのは、山に着いたら食べるものが何もないからなのかと思っていたが、全くそんなことはなく、食堂もいくつかあるし売店もトイレもちゃんとあった)で軽い夕飯を済ませた後、起こした焚き火でテイクアウトしてきた揚げ物をリベイクしたり、タフタとわたしは火のそばで笛を吹いて遊んだりした。こないだ吹いたデュオの曲みたいなのを思い出しながら演奏して、楽しかった!

ここはタフタの家よりもずっと電波がよく、インターネットも快速だった。我々の場合、もはや普段の日々のほうがずっとキャンプなのでは……。そんな電波状況のなか、昨日のレコーディングのラフミックスが届いた。爆速助かる〜!それをカルトゥンさんがBluetoothスピーカーでかけてくれて、みんなで聴いた。
わたしは、渡航前にアルバムの録音をしてきたばかりだったこともあって、ミックスの要望をまとめるための試聴だ…、というシャッキリした気持ちで聴き始めたが、みんなが口々に歌いだすしまあそもそも外だしで、全然そんなふうには聞けなかった。それがあまりにも嬉しくて、聞こえないじゃん〜!と指摘しながら大笑いしてしまって、それでもみんな歌うのをやめなくて、わたしはそのまま笑いが止まらなくなった。嬉し笑いしながらちょっと涙が出た。こんな幸せなことがあっていいのか……


朝日のタイミングを狙って山に登るため、夜中の3時に起きて4時に出発ね!ということで、わたしは22時くらいにはテントに引っ込んだ。みんなの話し声がまだ聴こえていたし、地面が斜めであんまり眠れなかったうえに、2時くらいに目が覚めてトイレに行って戻ってきたら、アントとルイージが元気にそのへんにいて、もう出発しようぜ!と言われた。ええ…4時間しか寝てないよ……(あと今書いていて気づいたけど、この2人も寝てないな)そしてタフタは本当に外で寝ていた。テントのそばに横になっていて完全に闇に溶けていたので踏みそうになった。タフタは、アントとルイージに起こされて急かされても「そんな急がんでも」という感じでのんびりタバコを吸って、お茶飲んでからにしよ〜、とゆっくり動いていた。ほぼ寝ていないので無理もない。アントとルイージはなぜかずっと元気だった。

あたりは真っ暗だ。他にもたくさんいる登山客が、みんなライトを手に持ったり頭につけたりしていて、その明かりしかないが、その明かりがかなりたくさんあるので迷ったりするような困難さはない。登山客の列は途切れることなく続いていた。そこにすっと加わって、4人で出発した。カルトゥンさんたちは普通に日が出てからちょっと登るにとどめるとのことだった。

わたしはカルトゥンさんのヘッドライトを借りて持たせてもらった。山道はかなりハードだった。夜なので視界が悪い。それに加えて、日本でわたしが登ったことのあるような整備された山と違って、道に手すりや階段がほぼない。ほとんどずっと「人間が歩いてできただけ」みたいな道を登り続けるので、かなりきつくて、早い段階で大汗をかいて上着ヒートテックを脱いだ。先頭をタフタが進むが、身長180超えムキムキ山男のペースに、20センチ以上体が小さい上に最近運動不足の登山ペーペーがついていけるはずがなく、たびたびAoi ストップが発生した。途中から、これは積極的に止まらないとマジで膝を壊す、という危機感が出てきたので、本当に無理になる3段階手前くらいで「休みたい!」と言うようにした。

登山客は若者が多かった。信じられないくらい軽い装備で来ている人もいれば、しっかりした格好の人もいた。ポータブルスピーカーから粗悪な音でガチャガチャした音楽をかけている人がなぜか一定数いて、それを見るたびにルイージが「信じられない、こんなに素晴らしい自然のなかに来ているのにバカなのか」と憤慨していて、わたしもこれには同意だった。あと、理解不能なのだけど、急に雄叫びをあげるのが山全体で流行っていた。誰かが急に「うぉうぉうぉうぉうぉ」などと吠え出すと、他の若者も応えて吠える、という、お前ら猿なの⁉︎ と言いたくなるような遊びがあちこちで多発していた。なんだったんだろうあれ…。日本で登山に行くと静かに爽やかな気持ちになるが、この日の登山は、せっかく夜登山なのにかなりやかましくてがちゃがちゃしていて、変な感じだった。わたしの知ってる登山とはニュアンスがだいぶ違っていておもしろかった。

登山中、アントが最後尾を守ってくれていてありがたかった。タフタは自分のペースでガンガン登っていくし、ルイージもそれについて先へ行ってしまったが、アントはわたしが休憩というほどではないにしてもたまに立ち止まるたびに、一緒にその場にいてくれた。ありがとう…。時々みんなで少し休んで、Gula Arenのかけらを分けて食べたり持参した水を飲んだりしたが、気持ちとしてはひと息に、上まで登った。


山頂付近にさしかかると、遠くに他の山と、街の明かりが少し見えた。若者がウホウホ叫んでいて耳は若干しんどいが、月が雲でぼやけて見えていて、とても美しかった。満月の1日前だ。

タフタがふいに「この景色、Aoiの歌にあったね」と言った。えっっ、はい!「透明になって山が寝ている」という一節がございます。そういえば、ここを一緒に歌いたくて歌詞の意味を話したことがあった。わたしの名前の漢字の話をした時もそうだった(「(碧の漢字は)空じゃなくて海の色だよね」)けど、何日か前の話なのにちゃんと覚えてくれていたことがまず友達として嬉しかった。それに、歌詞の描くイメージが目の前の景色と今まさにリンクしている、それも、異国で、外国人の友人の頭の中で!というのが、とてつもなく嬉しくて、めっちゃ感動した。これはさすがに一生忘れたくない。世界のどこへ行っても、夜になれば、山々は遠くで透明になって闇に溶け、横たわって朝を待っているのだ……………


頂上は寒かった。汗で体が冷える。山頂にはもう人がいっぱいで、みんな思い思いの場所に敷物を敷いて、何か食べたりしながら朝日を待っていた。満開の頃の上野公園の花見くらい混んでいた。ポータブルスピーカーで音楽をかけている人はここにもいて、アニメ"serial experiments lain"のOPの曲が聞こえてきた時はかなりおもしろかったけど、同行者の中に伝わる人がいないと思ったので黙ってニヤニヤしていた。わたしたちは留まれる場所を探しながら移動し、最終的に大きめの岩の近くにいることにした。敷物を持ってこなかったし、そこらは夜露でびしょびしょに濡れていて座り込む気になれず、ただ突っ立って日の出までの時間をつぶすことになった。

40分くらい立っていただろうか。ようやくあたりが明るくなってきた。が、霧だか雲だかが濃くて、日の出の時間を過ぎてもぼんやり明るくなっただけだった。タフタはちょっと草を分け入ったところで、みんなに背を向けて黙って立っていた。たぶん瞑想していたんだと思う。

朝日は見られなかった。しょうがない、帰ろう。少し道を進み「ここが頂上です」の看板のところで4人で写真を撮った。寒さに凍える我々に、タバコ吸えば寒さを誤魔化せるんじゃない、とめずらしく紙巻き(でも両切り)のタバコをタフタが差し出した。黒地に金の文字が押されたリッチなデザインの箱に、一本ずつ金色の紙に包まれたタバコが入っている(Dji Sam Soe のタール39mgくらいある激重タバコ)。ルイージはそれを珍しがって写真を撮っていたが、喫煙はしたくないようで、わたしがちょっともらっただけだった。山頂で吸うタバコはたしかに美味しかったが、それより寒すぎてとにかく早く下山したかった。出発した時にも寒かったので持っている布を全て体や首元に巻き付けてきたが、また同じ装備になっていた。わたしたちは、ルイージの提案で、心無い登山客が捨てていったゴミを見つけるたびに拾いながら降りた。途中で拾ったコンビニサイズのビニール袋がいっぱいになった。

降り始めてから、雲が晴れて太陽が出てきた。山頂エリアから山道にはいって少し行った頃、信じられないくらい美しい光景に出会った。あたり一面にうっすら霧がかかっていて、生い茂った木々の枝の隙間から太陽の光が何本も差していた。遠くで若い登山客の鳴き声もしたが、虫や鳥の声も多く聴こえた。湿度が高く、ああ、これは東南アジアの山だ!と思った。びっしり苔むした太い木の幹や枝や大きな葉っぱに、恵みのような強い輝きの太陽光がまばらに落ち、ところどころに小さな花が咲き、蜘蛛の巣や細い草についたしずくが立体的にキラキラしていた。美しかった。360度、目に映る全てが美しかった。わたしたちは立ち止まって、しばらくその場を味わった。

わたしは膝がかなり限界にきていて、もう老人のようにゆっくりとしか歩けなかった。スマホで動画を撮影するためにルイージはたびたび足が止まっていたし、それに付き合ってアントも下山ペースが落ちていたため、4人だった我々一行は2:2に分裂して、わたしはしばらくタフタと2人で歩いていた。たまに膝休憩をもらっていたが、次第に「まあ、もう道わかるっしょ」みたいな感じでタフタは振り向かなくなり先に消え、わたしは最終的に1人で帰った。途中で、登ってきたカルトゥンさんとニサと会ったので写真を撮った。

行って帰ってくるまで、だいたい6時間くらいの登山だった。高尾山くらいのノリっぽいのだけど、道が極悪なのと夜なのと完全に寝不足なのとで、かなりきつかった。みんな何となくバラバラにもどってきて、合流できたメンバー(タフタとアント)3人でSoto(お茶漬けぐらいの感覚で食べられて本当に助かる、米入り鳥スープ)を黙ってサッと食べ、テントのほうに戻って各自眠った。


そのまま昼過ぎまでだらだら過ごした。タフタはテントの近くの岩場みたいなところに薄いキャンプ用のマットを持って行って、そこでかっこよく片膝を立てて濃い色のサングラスをかけて寝ていて、ふざけているわけじゃないと分かっているんだけど、なんかめちゃくちゃおもしろかった。わたしはちょっと寝たら案外元気になったのでテントから出て、でも何かやるほどの体力はないので、昨日の夜に袋を開けてすっかり湿気てしまったお菓子をボーッと食べていた。ルイージが、びっしりの文字と少しの絵による日記っぽいものをイタリア語でノートに描いていて、けっこう絵が上手だということが判明した。タフタのテントを描いていた。わかる〜。外国に来て紀行みたいなのを書くの、楽しいよね…わたしもめっちゃやります。
お菓子をまとめて置いていたゾーンに、ニサかカルトゥンさんが買ってきたと思われる丸い小ぶりの菓子パンがあって、ものすごく甘いマーガリンとチョコレートの挟まったアンヘルシーなものなのだけど、全然美味しくないのに妙に旨くてついつい二つ食べてしまった。こんなに日々アクティブに過ごしているのに、わたしはだいぶ太りつつあった。

帰る段になり、テントをたたんで荷物をまとめていたら、寝袋がひとつ足りないことがわかった。わたしが借りていた(けどなんか使わなかった)のが、なぜかない。来る途中で撮った写真には写っていたので、途中で落としたのだろうか。カルトゥンさんが、え〜どうしたんだろう、と色々考えてから「……Jatuh(落とした)?」と言っていたのが妙に印象に残っている。Jatuh、なんか二度と見つからなさそうな語感で凹む…。借り物を失くすなんて酷い話だ。ほんとうに申し訳ない。ひと通り近辺を探したが、なく、諦めるしかないので、どんまい、という感じでみんなでバイクで出発した。


バイクの道中、わたしの口数の極端な少なさから凹んでいるのがバレていたみたいで、タフタが振り向きもせずに「もうそのことは考えないで」と言ってくれた。古かったし、手放すタイミングだったんだよ、みたいな励ましをもらった。本当にすみません。次に彼らを訪ねてここへ来る時には、絶対に寝袋を買って持参して、必ず弁償しよう、と密かに心に誓った。

帰り道、途中で少し雨が降ってきた。ざあざあ降りになる頃に、田んぼのなかにぽつんと立っているWarung(食堂)でお昼を食べつつ雨宿りすることになった。明日、MVの撮影をするので(MVの撮影をするので???)カメラマンのアルゴとここで合流して一緒に帰る。

午後15時半くらいの中途半端な時間だったので他に客はいなかった。Warungにしてはちょっと珍しく2階席があり、大きい建物だった。みんなNasi Rames(自由に選べるおかずwith白米)にした。わたしは知らないものを積極的に食べていく方針なので、Buletという小さいうなぎみたいな魚の、スパイス和え焼きみたいなものにトライした。Buletは骨が多くて食べにくかったが、味は美味しかった。

この日は本当〜に、全く雨が止まなかった!わたしたちはここで3時間くらい足止めをくらった。寝ていた人もいたし、ルイージが、アプリを使ったお題当てゲームみたいなのをやろう!と言ってみんなを集めてくれた場面もあったが、あんまり盛り上がりきらなかった。ルイージのイタリア語っぽい発音がおもしろいらしく、タフタが「マス・アントォー(アントの兄貴、の意)」と、ルイージのモノマネを連発していた。疲れて変にテンション高いみたいなのあるよな…

もはや外も暗くなってきて、あまりに長居して申し訳ないのでみんな2杯目のドリンクを注文した頃、タフタが口笛で拙曲『湾岸行々(Urban Port)』の二度目のサビのところ「冷たくない、なんていったの、なに、え?」の部分(ここです)(https://youtu.be/7CDhc-0-rMk?si=UIrSQutenk732auv&t=231)を口笛で吹いていて、ここ好き、と言ってニコニコしていた。え〜、うれし〜〜〜。カルトゥンさんに「なにそれ」みたいな反応をされ「え、Oishii song(※=いい曲、の意で二つ名がついていた)のあそこだよ〜」と歌って説明して「ああ〜」ってなったりしていた。


19時過ぎにようやく雨脚が弱くなり、アルゴも着いたので、全員で再出発。ボディソープなくなったので買いたいです!どっかでコンビニあったら寄って!というのだけ伝えて、タフタのバイクに乗った。

が、ちょっと進んだらまたすぐ大雨が降ってきた。とりいそぎコンビニの用事は済ませたが、その後もまだまだ雨脚が強く、途中で雨宿りすることにした。インドネシアには町の夜警のおっちゃんが常駐してテレビを見ている小屋みたいなのがあるんですが、それが無人なのを見つけたのでバイクを停めた。屋根の下にいると、すぐアントとルイージが追いついて、もうこれしばらく無理っしょ、ということで、靴を脱いで小屋のなかに入ってそこで休んだ。でも全員、登山で疲れているしずっと一緒にいすぎてもうお喋りする話題もなく、この場にいない人とメッセージをしたり、SNSを眺めたり、みんなほぼ無言だった。

しばらく待って、そろそろ行けるかな!と出発したが、やっぱり無理だった。また少し行った先で同じように雨宿りした。店のシャッターが閉まっている屋根の下に、なぜか置いてあったテーブルと硬い椅子で休む。ルイージが「なんでまだ降ってるのに行く判断したんだ!さっきのところのほうが居心地がよかったよ!」と笑いながら文句を言っていた。タフタが「これみんなで分けよう」と、とても小さい(5センチ四方くらい)袋に入った小さなアラレを鞄から出して、みんなでちょっとずつ食べた。アントもコーヒー味の飴を出してテーブルに置いてくれたが、なんかみんな飴って気分ではないらしく誰も食べなかった。
ひとしきりそこで時間を過ごしてから、ようやく再再出発。したが、タフタがバイクを30mくらい走らせてから「あっ鞄おいてきた!!!」と言って、我々は慌てて戻った。気づいてよかった。鞄は無事にそこにあったが、ずっと持っていた鞄を忘れる&それに気づかないって、わたしもこの人も相当疲れている。

カルトゥンさんたちは先に帰り着いたらしく、夕飯を買って来てほしいと頼まれたのでなんか買ってくよ、俺たちもなんか食べよう。ということで、家の最寄りの村のひとつ手前くらいのエリアの焼き鳥屋さんに向かった。が、目の前で売り切れたので、道を少し戻って、Bubur Pecelは?こないだ食べたおいしいやつか!いいね!最高!と向かったが、そこも閉まっていて、結局さらに別の屋台へ行き、ココナッツミルクぜんざい(Kacang Hijau)を食べた。冷えて疲れた体にあったかいぜんざいはすごく美味しかった。タフタと2人で外でご飯を食べているのが妙な感じだった。ご馳走してくれたので甘んじた。(ガソリン代はわたしが出したので…)

Kacang Hijauを食べている間に、隣の屋台でオーダーしておいた惣菜ができたので、それを持って帰る。わたしは疲れ切っている友人を前に、絶対ケンカしたり気まずくなったりしたくないのでもうずーっと空元気で笑っていて「これ持ってるとあったか〜い!」と明るく言って惣菜を抱き込んでみせたりしていた。ふざけていたけど切実だった。服が濡れていて寒い。とにかく無事に帰りたい。

雨もほとんど止み、すっかり見慣れた道を登って家に着くと、すでに21時半だった。雨で予定が狂うのはインドネシアあるあるだけど、ここまで大幅に狂ったのは初めてだった。かなりクタクタだったが、明日MVの撮影をするので(MVの撮影をするので???です、この時点でもいまだに)その打ち合わせをする。

アルゴはお土産を持って来ていて、わたしたちより一足先に着き、カルトゥンさんとお菓子をつまんでお茶していた。タフタは寝にいった。わたしは22時までに打ち合わせを終わらせて、そんで寝るんだ、と心を決めて、ロスタイムゼロですぐその輪に加わった。アルゴもカルトゥンさんもやる気十分だ。

アルゴは、タブレットを取り出して、イメージボード作ったんだけど、とPDFを見せてくれた。この完成度がめちゃ高くて、かなり驚いた。すごい!わたしが「やる」と決まってからすぐに送った歌詞の英訳に沿ってフリー素材の写真を並べ、ここはこんな画にしたらいいんじゃないかというアイディアを具体的に載せてくれていて、それが曲のはじめから終わりまで、ひと通り出揃っていた。
この短時間で、仕事が早すぎないか⁉︎という驚きと、けっこう長い曲なのに、曲のコンセプトまで汲んでここまで組み上げてくれたことに感動した。これならかなり話がしやすい!
「明日絶対に撮りたいシーンはこれとこれ、あとは良いロケ地があったら即興的に撮る。それ以外はAoiが居なくても撮れる映像と、俺の持ってるフッテージで構成する作戦でいこうと思う。」「いいね!これはあくまでインドネシアバージョンだから、歌詞に全て意味をあわせてモチーフを並べるよりも、インドネシアのこの地域の空気感とかそういうのを前面に出した方がいいものができると思う。ここで演奏していたんだっていう空気感を抽象度高めに見せたほうがいい。風とか吹いてるとなお良い。ここにはない海のにおいが風に乗ってやってくる、という歌なので…」
 
けっこう端的に要望を伝えられて、自分の成長を感じた。それに、アルゴは「日本で会いました?」ってくらいフィーリングが合うというか、見てきた映画や触れてきたカルチャーみたいなものが共通している、というような印象がふるまいの端々にあって話しやすかった。2人とも慣れない英語でがんばって話しているけど、なんとなく言葉の中身のようなところはちゃんと届いているような安心感があった。ここで最初に会った日、寝る前に咳が止まらなそうにしていたのでプロポリスキャンディーをあげた時は、こんな急に一緒に作品つくることになるなんて思ってなかったよ……。具体的に好きなバンドや映画の話をするような場面はなかったけど、なにか「わかる」感じがあって、表現という共通言語があってよかった、と思った。最初の週、カルトゥンさんが言ってた「俺らの信頼してるシネマトグラファーがいる(ので記録とってもらおう)」は本当だった。

わたしたちは時間どおりに打ち合わせを切り上げた。明日は6時に出発するという。容赦ないな〜と思いつつ、最低限の水浴びを一瞬で済ませた。昨日は水浴びできていないし登山で汗をかいていたので髪以外は普通に洗ったが、死ぬほど寒かった。頑張った。

タフタの小屋はめちゃくちゃ混み合っていて、あったかい気持ちになった。みんなで雑魚寝するのも今日と明日で最後だ。



5/24(金)

朝の光が必要だから6時に出発!と言われていたので5時に起きた。服はどれがいいか相談したりしていた(といってもTシャツの、白・黒・れんが色の三択しかない)ら、結局出発したのは7時前だった。誰かが買ってきてくれていた片面にチョコレートのかかった全粒粉クッキーを2枚だけ食べた。

バイクで山をぐんぐん登る。アルゴ・カルトゥン・タフタ・わたし。アントとルイージも、なんか手伝うことあればやるよ!という感じで朝早いのについてきてくれた。朝の光のなかをみんなでバイクで走り抜けていくのは爽快だった。天気は、昨夜の雨から一転、晴れ寄りの曇り、といった感じで、非常に良好だった。アルゴがめっちゃ高そうなカメラ(会社の)を、ゴロッとそのまま薄手の木綿のトートバッグに入れて抱え、重そうな三脚を肩に担いだ状態でカルトゥンさんのバイクの後ろに乗っていて、その雑な危ない感じが若々しくて良かった。アルゴとカルトゥンさんは、わたしよりは年上っぽいけど年齢不詳だ。


まずはお茶畑で撮影。空が広く抜けているので、ローアングルから撮影すると、曇り空がちょうどスタジオの白い背景で撮ったみたいになる。主に合成したりして使ったショットだ。また、お茶畑を映したショットも撮った。昨日届いたラフミックスをカルトゥンさんのスマホBluetoothスピーカーでかけて、アルゴが撮影の指揮とカメラマンを兼任した。必要なカットがどんなもので、どんなふうに撮ればそうなるかが全て決まっているし分かっているという様子で、とても順調に進んだ。かなり手際が良かった。

わたしは、ここまできてもまだ「タフタは本当にこれをやりたいと思ってくれてるのかな」とうっすら不安だったので、撮影中、彼が普通に楽しそうにしているのを見てけっこうホッとしていた。今回の曲はゆったりしたテンポの歌だけど、たまに待ち時間が発生すると、すごいノリノリな調子にアレンジして歌いながらふざけた動きで踊ったりしていて(カメラをセッティングしながらアルゴも一緒に踊り出していた、そのセッティングを待っているんだけど)、現場の雰囲気はずっとよかった。『The invisible sea』のDandut(インドネシアのノリノリ演歌みたいな音楽)アレンジ、聴きてえ〜

わたしとタフタの出演するところは全てリップシンクなので、何度も繰り返し音源に合わせて演奏した。レコーディング同様、ほとんどNGを出さずにサクサク撮影は進んだ。タフタは、おそらくほぼ即興で吹いた笛のフレーズをすんなり完コピして音源と同じ運指で映像に写っていて、サラッとさすがだった。あと、彼はとてもまつ毛が長くて、撮った映像を小さなモニターで見てもわかるくらいなのだけど、それをルイージとわたしが「タフタまじで絵になる」「まつげ長っ」とワイワイしていたら「みんなが起きる前にこっそりまつげ植えてんだ」と言っていた。アントは青い花を摘んできて、それをルイージとわたしの頭に載せたりしていた。思い返すとずっとふざけているな……

ひと段落したので、11時くらいに早めの昼休憩をとった。撮影した畑のそばにワルン(食堂)があって、みんなでぞろぞろそこへ行った。店内に、床から天井くらいまで積み上げられたでっかいコンピューターみたいなのがあり、店主がそれを指して「Wi-Fiあるよ!」と自慢げにパスワードを教えてくれておもしろかった。
わたしは目玉焼きをインドネシア語でなんて呼ぶのかいまだに覚えられなくて、炒り卵か目玉焼きどっちにするか?と聞かれてえーっと、となっていたところをみんなに口々に助けられたりしつつ、Nasi Rames(白ごはんとおかず各種を好きに盛って食べる)をいただいた。ここの料理はとても美味しかった!一緒に写真を撮ったり、インターネットが繋がるのでそれをすぐに送ってもらったりした。
食堂の一角におやつが並んだ棚があったので、ちょっと食べ足りない人たち(全員)はそれぞれ好きなものを選んでとってきて食べた。揚げ物もそうだけど、食べ終わってから自己申告でお金を払うシステムで上手くいっているの、すごい平和で好き…。
タフタが、青いパッケージの「Kalpa」というお菓子(チョコウエハースにココナッツがまぶしてあって激甘、ひと口サイズのものと、ロングバージョンがある)を食べていて「それ好きなんだ」「これめっちゃ好き」「一番最初、初めて来た時にわたしが持ってきたの、めっちゃどんどん食べてたよねww」「そうだっけwww」というくだりがあって、けっこう嬉しかった。そうです、わたしは3週間前、コンビニで手に入るタイプのお菓子をたくさん持ってこの山に来てしまって、ガチ自然派のタフタさんの舌には合わないんじゃないかとハラハラしていました。懐かしい。懐かしいと思える共通の過去が好きな友人とのあいだにある、というのは、ほんのちょっとしたことであればあるほど、温かくて嬉しい。


しっかり腹ごしらえを済ませて、次はどこへ撮りに行こうかという相談。わたしはずっとAren(ヤシの仲間で、大きいのは20mを超えるほど高くなる。この木から作られるGula Arenという砂糖が村で作られていてかなり美味しい)が気になっていて、今回いろいろな場所で出会ってすっかり好きな木になったので、映像にはぜひいれてほしいと要望していた。アルゴはこの辺に住んでいるわけではないので(彼の住むのはTemanggungというところ、わたしが5年前に住んでいたところの隣町で、タバコの名産地)タフタやカルトゥンさんにロケーションのアイディアを出してもらい、行き先が決まった。一旦、タフタの小屋へ戻り、服を着替えてから出発。戻ったらお客さんが来ていて、その女の子2人もなんかついて来た。

すっかり空は晴れていて、かなり日差しが強かった。田んぼを抜けて、先週タバコ屋に向かった道だ、と思っていたら知らないほうへ曲がった。ちょっとヒヤッとするような細い道を抜けると、川があり、そのそばに大きなArenの木があった。風に揺れるたびに影が大きく動いて、日差しがキラキラしていた。

アルゴがその木を撮影しているあいだ、わたしはいいロケーションを探して近くを散策した。人気のない林の奥へ進むとさらにArenがあったりして楽しかったが、静かすぎてちょっと怖かったのでほどほどにして戻った。カルトゥンさんとアントは川の舗装された岸辺で昼寝して待っていたが、タフタとルイージはもっと先まで探検してくる!と言い残して消えた。

風がとにかく気持ち良い午後だった。この場所で撮ろうか、と入った茂みで、ギターを取り出してカメラを回して歌った。風が吹くたびにざあざあと木々が鳴った。MVではちょうど「鼻から吸ったら海のにおい」という歌詞を歌って鼻から息を吸う場面で大きな風が吹いて、それがとても歌にあっていて一番気に入っています!

ここです、ざあざあという葉音が聴こえてくるようですね
https://youtu.be/r-OidvrDX5E?si=Ii_nU6A5K_2kEiTz&t=307

すでにできている音源にあわせて演奏しなくてはいけないので、木々のざわめきにかき消されないように画面に入らないぎりぎりのところにスピーカーを置いて撮ったのも、わたしのギターのストラップが壊れていたので、ちょっと無理して腕で抱えて弾いたのも、足元の悪いなか「もうちょっと右」「いきすぎ」と言われながら立ち位置や体の向きをあわせたのも、めっちゃ眩しいし暑いけど耐えたのも、細かい頑張りがいっぱいあった。いい風と、いい撮影だった。


ひと段落したので、再びタフタの家へ戻った。タフタとルイージは探検にいったままはぐれたので、わたしはアントのバイクに乗せてもらって、アルゴとカルトゥンさんと一緒に先に戻った。ついてきた女の子2人に「川に入って遊ぼうよ!」と誘われたが、まだ撮影があるのでさすがに無理ですごめんと言って断った。アントは遊びにいった。

朝早く起きてヘトヘトなので、家でちょっと休んだ。あとは夜のシーンだけ。一旦休憩。夕方17時くらいにみんなで村のお父ちゃんお母ちゃんちにご飯を食べにいった。このメンバーでわいわい食べるのも最後かあ、という感慨があった。お父ちゃんは明日バリへ出発するわたしに、Gula Arenと手製のお茶を1kgずつくれた。圧縮していないお茶の葉の1kgがけっこう大きな袋で、夏祭りの綿菓子くらいのボリュームだった。買うつもりだったのに頂いてしまった。たくさんお礼を言って、一緒に写真を撮った。

最後の撮影は19時くらいから、タフタの家の縁側のような場所で行った。そういえば、初めてここへ来た日の夜に自己紹介みたいに歌ったのもここだったし、次の週に日本人の友人・光さんが来て、タフタと2人で演奏したのを聴いてもらったのもここだった。(※これです- YouTube)期せずして思い出のグランドフィナーレじゃん…
準備をしているあいだにどんどん雨脚は強くなり、カメラが回り始めてから雷まで鳴り出した(MVにも写っている)けど、撮影は無事に済んだ。特別な照明機材はないけど、スマホのライトも動員して、あるものでいい画面を作ってくれた。アルゴは、こう撮りたいというビジョンがかなりはっきりある、そしてそこへの最短ルートもわかる人で、一緒に動いていてほんとうに頼もしかった。信頼できる作り手だ。

あ〜終わった終わった!すぐ水浴びして寝る〜!というタイミングで、着替えをまとめて家を出よう(水浴びとトイレの建物は家の外、歩いて10秒のところにある)としたら、先にさっぱりして戻ってきていたタフタが、カルトゥンさんと一緒にスマホでダンスっぽいビートをかけて、ノリノリバージョンの『The invisible sea』を歌って2人でふざけ始めた。なんなんwww早く水浴びしに行きたいんだけどwwwwと思いながら、わたしもその場で一緒に軽く歌って踊って、無事に撮影が終わったのを喜んだ。
 
戻ってくると、タフタがギターを弾きながらゆったり歌っていた。わたしはタフタの歌ラストチャンスだ!もう一回"Blue Ridge Mountains"が聴きたい!とリクエストもしたけど、取れた映像を確認しながらアルゴとも話すことがあって、完全にキャパオーバーしてどっちも聞けなくなってなんかぐちゃぐちゃしていた。

引き続きとても人が多い雑魚寝だが、荷物をまとめなければならない。寝ている人もいるので、スマホのライトでちょっと手元だけ明るくして、荷物を整理した。いうほど散らけているわけじゃないけど、本当に限界の疲労状態なので脳が働かなくなっていてすぐには手が動かせなかった。ただ座ったまま、3分くらいジッと荷物を眺めていたら、遊びに来ていたけどほとんどおしゃべりしそびれていた女の子のひとりが、何か手伝うことある?と言ってくれてマジ優しかった。が、ないので、ごめん大丈夫と答えて、でもその声かけのおかげで手を動かし始められた。ありがと…

たぶん22時くらいに寝た。明日は4時に起きて、1時間で山を降りて空港へ行って、7時の飛行機に乗る。一生に二度とないようなハードスケジュールの、でも、とんでもなく楽しくて美しかった一週間が、ついに終わる。






インドネシア滞在日記⑨ 5/18〜5/20

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑨ 5/18〜5/20
 
5/18(土)
朝、7時。ばっちり予定通りに起床。今日は全ての荷物を持ってスマランへ行く。ここから25日の明け方まで、つまり丸1週間、山に滞在する。ワクワクだ〜!
 
バスの時間までに、衣類とタオルとシーツと枕カバーをランドリーに出して回収まで(たたむサービスなしの最速で2時間)済ませたいので、ランドリーの開店(8時)に合わせた早起きだった。店の人が店に来るのを店の前で待ち、袋を渡してお金を払った。2時間後に回収しに来ます、と伝えて、朝ごはんを食べに行った。近くの店で、Bubur Ayam(鳥のお粥)を食べた。なんかここは店の人たちが全員あんまり元気がなくて店内もやや清潔感に欠ける感じだったので、ちょっと心配になった。味は普通だった。みんな低血圧だったのかな…。
 
甘くない美味しいブラックコーヒーが飲みたい…と思って、これまでしばしばWi-Fiを借りて長時間居座ってきたちょっとリッチなカフェに行き、ホットコーヒーをテイクアウトした。気合を入れるためのちょっとした贅沢です。帰宅してから冷蔵庫のものを食べきり、化粧をし、荷物を整理する。このくらいで1時間半が経過している。ランドリーの受け取りに向かう道すがら歩きスマホでランドリーから滞在先へ戻るバイクタクシーを予約する、という良い子はやっちゃダメな離れ業を使って、受け取り後ロスタイムゼロでバイクタクシーで戻ってきて、洗濯物を全て自力でたたみ、荷造りを仕上げ、滞在先を完璧な状態にして、爽やかな気持ちで出発した。11時過ぎ、計画通りだ!!(と、本当に思っていたんだけど、ガロン(ウォーターサーバー的な)の水をそのままにして来てしまって、数日後に来た方にご迷惑をおかけしました。飲んだ分を買っておき、途中の水は捨てて帰るのがマナーだった…ごめんなさい!!)
 
大きなスーツケースがあるので車のタクシーを使って、昨日サラティガから帰ってきた時と同じDayTransの事務所へ行った。昨日の確認の通り、荷物の重さを測り、超過料金を払った。大きな荷物はここにまとめておいて、とのことだったので、受付の壁の後ろの、舞台裏みたいなスペースに置かせてもらった。バスは12時発なので、飲み水を買いにちょっと事務所を離れた。意外にも、水が買えるような店が近くになく、しばらく炎天下を歩くはめになった。バスでおやつを食べたいとは思わないけど、血糖値が下がり過ぎて車酔いとのコンボでグラグラになる(以前、朝食を食べずにマゲラン行きのバスに乗った時つらかった)のは防ぎたかったので、紙パックのグァバジュースもひとつ買った。
 
時間になってバスに乗り込む。荷物が無事に乗って本当にホッとした。人間は満席だった。今回も端っこの席に座れた。自分のすぐ右隣が若い兄ちゃんで、彼もかなり気を遣ってくれているのがわかったけど、まあまあ気疲れした。わたしは暑い窓にびったりくっついて、なるべく隣の兄ちゃんと距離をとろうと努めた。
 
月曜の時点で、今度の日曜日(19日、もう明日)にスマランのカフェでライブをやらせてもらえることになっていた(カルトゥンさんの采配)のだけど、その情報がようやくインスタグラム上にあがっているのを見つけた。(カルトゥンさんはSNSをやっていない)
わたしのインスタから拾ったのであろう写真を使って告知画像を作ってくれていて、知らないあいだにライブにタイトルがついていた。"WHERE The River MEETS The Sea"…。これは、拙曲『湾岸行々』の英題が “Urban port” になる前にYouTubeに載せていた曲目で、おそらくカルトゥンさんがいつのまにか見て覚えてくれていたようだ。よ、よく見てくれてい過ぎでは、、、嬉しさで頭がどうにかなりそうだったが、店の人とインスタグラムで直接やりとりをして告知用の画像の高解像度のデータをメールでもらったりそれを投稿したりなど、スマホでやれる動きを全部やっていたらめちゃめちゃ車酔いした。すっかり温くなった甘過ぎるグァバジュースをほんのちょっとずつ飲みながら、外の景色を見て耐えた。
 
12時に出発して、15時半くらいにスマラン市内に着いた。え…?早…。(補足、インドネシアのこれくらいの距離のバスは、日本の長距離バスみたいな休憩が全くない。運転手の腰が心配…。)
バスを予約した時の地名を告げられたので、特に何の目印もない路上で降りた。ここからカルトゥンさんの家が近いらしいので、後で合流して、山で必要ない荷物はスーツケースごと1週間、家に置かせてもらう計画になっている。
 
ちょうど降りたところに屋台が出ていて、そこで食事を取ることもできそうだったけど、あまりにも疲れた(酔うバスは本当に疲れる)のでもう少しリラックスできるところ、壁と床のある建物がいい…と思って見渡すとちょっと向こうのほうにカフェっぽい建物があったので、Google Mapで確認すると飲食店だった。重いスーツケースをゴロゴロやりながら移動し、店を覗くと、かなり強風で扇風機が回っているだけでクーラーがない。ラッキー!けっこう快適そうだったので、ここに決めて食事をオーダーした。中途半端な時間なので客はわたししかいなかった。鶏皮のブラックペッパー炒めとご飯にした。ちょうどオーダーして待っているタイミングで、カルトゥンさんが「今どこ〜」と連絡をくれて、「着いたけどご飯食べて休憩してます…もうちょっと後で合流したい」と返したけど、それでも本当に近所だったっぽくてすぐに居場所を探し当てられてしまい、スーツケースだけ先に持って行ってくれた。マジでありがとう…。山にはスーツケースを持っていけないので、この1週間で必要なものとそうでないものを考えて荷造りをしてきたのだった。けっこう頭を使ったけど、持っていきたいものも多かったので、メインのリュックと着替えを入れたエコバッグとギターと、靴、入り切らなかったパソコン、というばらばらした大荷物になってしまった。
 
ご飯を食べ終わって、椅子が変な高さ、かつ硬くてつらかったけど、それでも疲れが勝っていたのでひとしきりボンヤリした。本当に虚空を見つめてボンヤリしていた。お店のお姉さんは「クーラーなくてごめんね〜」と言ってより多く風が当たる席を勧めてくれた。
30分後くらいに再び合流、出発。無様な大荷物だったけど、パソコンはカルトゥンさんがリュックに入れてくれたりして、バイクに乗れる形になんとかまとまった。我々は今晩、ここしばらく毎週やってきたスタジオセッションの最後の回をエンジョイしてから、山へ行く!
 
スタジオの時間までだいぶ余裕があったので、途中にあったちょっと良いカフェでWi-Fiを借りつつコーヒーを飲んで2人で休んだ。今朝は早起きしたし、もうすでに疲れていたけど、<自分の新しいアルバムのサブスク配信のため、ジャケットのイラストをアップロードする>という重要なミッションがあった。(※できれば明日のライブの時に「サブスクにあるんで!」と言いたいがために、こんなギリギリで動いている)最後の修正を頼んでいたイラストのデータが届いたらすぐにでもその作業をしたかったので、今か今かと待ち構えていたが、カフェにいる間にはデータは届かなかった。大きな犬を連れたお客さんが来ていて、珍しかった。あと、カフェのWi-Fiのパスワードが「コーヒー牛乳はおいしい」みたいなフレーズでおもしろかった。
 
ガソリンスタンドに寄ってから、三度目のスタジオへ。先週と同じく、カルトゥンさんがドラム、ジョハンがベース、マルノがヴァイオリンを演奏する。先週、時間が足りなかったので、今週は3時間とってもらった。カルトゥンさんとマルノは明日のライブも一緒に出演するので(ジョハンは楽しいから来てくれているだけ/最高)ひとしきり曲を練習するけど、即興のセッションもやりたいじゃんね、と言って色々やって遊んでいたら、3時間でもあっという間だった。
わたしが日本でたびたび一緒に演奏してきた人たちと今日のメンバーとは、当たり前だけれど親しんできた音楽も、現在進行形で聞いている音楽も得意な演奏も当然に全く違うため、同じ曲が全然違う感じになっておもしろかった。ロックバンドみたいなドラムとベースの『湾岸行々』は思い出深かった…。
別に日本でだって同じようなことは起き得るんだけど、「友達だから」という理由で集まっていることによる作用、という感じがして、嬉しかったしおもしろかった。とても良い経験だった。
 
スタジオを出て、いつものワルンで串焼きを食べた。ジョハンとは今日でしばらくお別れだ。ほんとありがとう。帰国したら『響け!ユーフォニアム』の新しいやつ観るよ!
マルノは今日は自宅に帰って明日は現地集合なので、わたしはカルトゥンさんのバイクにまた乗せてもらって、タフタの小屋まで山を登った。
夜は先週よりも寒くて、着いてからもだいぶ凍えた。満月の日が近づくと気温が下がるんだよ、とタフタが言っていて、どういうこと…?と聞いたら、統計でそうらしい。なんとなく腑に落ちなかったけど、実際に寒かった。満月は23日だ。
 
 
 
5/19(日)
スマランのカフェ「Mukti Cafe」でライブの日!!!
朝ごはんは、タフタ作・Sintrongの入ったナシゴレン。わたしは本当にこの香草が好き…。カルトゥンさんはご飯を食べてから、用事があるといって早々に山を降りて行った。夕方にタフタと一緒に来てね、現地で合流しよう、ということになった。
 
昨日の深夜に、アルバムのジャケットのイラストのデータがAdit(バリに住んでいる友人)から届いていたので、タフタに「こういう事情でインターネットが欲しいんです…」とわがままを伝え、バイクでちょっと山を登ったところにある「ここいらで一番Wi-Fiが早いカフェ」に連れて行ってもらった。タフタはカフェのおばちゃんに「この人にWi-Fiを貸してあげて」と頼み、おばちゃんが口頭で伝えるWi-Fiのパスワードをわざわざ伝票のすみに書いてくれた。ありがとう、でもそれくらい自分でできるよ〜〜!彼はカフェに用事がないし笛の制作が立て込んでいるらしく、わたしを置いて帰っていった。用事が済んだら連絡してね。はい!
 
せっかく来たので、あんまり知らないのを、と思い、Kunir Asamという飲み物を頼んだ。ウコンとタマリンドを使った、ジャムゥと呼ばれるジャワの健康ドリンクだ。甘酸っぱくて苦味があった。もちろん飲み干したけど、ギリギリのところでちょっとおいしくなかった、と正直に書きます…!そして、わたしはもうすっかり思考回路がデブになっていたので、パン粉をつけるタイプのピサンゴレン(揚げバナナ)って珍しい(たいてい天ぷら系)じゃん〜!という言い訳(言い訳にもなっていない)をして、それも食べた。
この頃になってくると、自分のインスタグラムを周囲のインドネシア人も見ているので「こいつ食い過ぎだろ」と思われるのも恥ずかしかったし、お金を無駄に使っているのを見られるのも恥ずかしいので(だったら食べなきゃ良いのに)、ピサンゴレンを食べたことは内緒にして、Kunir Asamの写真だけをアップする始末だった。人に隠れて食べだすのはちょっとヤバい兆しのような気がした。
 
しかし、カフェのWi-Fiは「ここいらで一番」というにはあまりにも遅く、映像のアップロードは到底不可能だった(調べたら、瞬間的にかもしれないけど 1.7Mbpsしかなかった。なんだそれ!テザリングしたほうが早い)。もっとも優先順位の高いジャケイラストのアップはできたし、1時間ぐらい粘ったけど動画は諦めることにしてタフタに「もう帰ります〜」と連絡した。歩いて戻れそうな気もしたけど、約束したので迎えに来てもらった。
ピサンゴレンを食べたのは内緒なので、そのままバイクでいつものおかあちゃんのところへ行き、平然とお昼ご飯も食べた。野菜の煮込んだ感じのや、テンペ。美味しかった。
 
家に戻り、タフタは1階で笛作りの作業に入り、わたしは2階でアルバムサブスク解禁を知らせるための種々の作業を地味に進めるなどした。各々にやることがあって各々で過ごしている、というのは一番居心地がいいです…。1時間くらいそんな過ごし方をして、ひと段落したので1階へ降りたらタフタが「昨日きた人が持ってきてくれた」という大きなグレープフルーツのような緑色の果物を、これ食べよう、と剥いてくれた。
絶対それは無理だろ…という厚さの皮を、爪でもなく指の腹でメリメリいく。皮を剥くと、実はグロテスクなくらい赤くムチムチとしていて、めっちゃくちゃ美味しかった!!かなり大きくて、中の白い皮も厚い。味はグレープフルーツ、仕様はブンタンに近い。Buah Bali(バリの果物)と言っていたけど、その名前でググってもあんまり情報が出てこなくて謎のまま。ただ、これが剥かれた状態でジョグジャのスーパーで売っているのをよく見かけていたのを思い出した。ちらっと見て「なんかグロいな」と漠然と避けていたのを後悔した。もっと早く買って食べておけばよかった…!
 
日々の目まぐるしさでなんとなく疲れていたけど、果物の酸味でかなり頭が冴えて、このあとかなり元気だった。美味しかった。もっと早くこの果物が美味いと知っていたら、きっと毎日食べていたと思う、本当にこれ好き、とタフタに伝えたら「おう!どんどん食え」みたいになってしまって次々に剥いてくれた。毎度すみません…
タフタは、わたしの腕が蚊に刺されて悲惨なことになっているのを知っているので「この皮を肌に擦って塗ると虫除けになるよ」と教えてくれた。さっそく腕や足に擦り付けたら体がいい匂いになった。効果のほどは不明…
 
スマラン市内までは、ここから1時間半くらいかかる。出発する1時間くらい前に、わたしたちは「もう散々やっていてかなりいい感じだけど、一応やっとこうか」と、拙曲『The Invisible Sea』をちょっと練習した。この時に「ここ、こうやってハモるのめっちゃ良くない?‼︎」というアイディアをタフタが発明して(その後のレコーディングにも採用)盛り上がった。忘れないように、といってiPhoneでそこだけ録音してから出発の段になった。
 
バイクに乗る時に、風から目元をガードするためにメガネをかけたりすることが一般的によくあるみたいなんですが(わたしもサングラスをいつもかけていました)、タフタが度の入っていないメガネをこの時に初めてかけていた(いつもの濃い色のサングラスだと夜道には暗い)。その姿が新鮮で、わたしはちょっと「ウッ」ってなってしまった。め、メガネも似合うんですね………
そう、もしかしたら失礼かもと思って全く書いてこなかったが、彼はとてもハンサムである。顔もかっこいいけど立ち方や仕草や体格もかっこいい。普通にしているだけでとても絵になる(わたしの惚れ補正も多少あるだろうけど、ルイージも大きい声で You're  so photogenic.って言ってた)ので、わたしは時々「ウッ」(※うっかり惚れそうで息が止まっている)ってなっていたし、恥ずかしさのあまり、これだけ一緒にいたのに「ツーショットのセルフィー」みたいなキラキラした写真は一枚も撮れませんでした‼︎‼︎ 
 
ともかく出発。そういえば初めて来た時には、バイクに乗る時にギターをうまく乗せられなくて腰を捻った状態で1時間くらい乗って、すっごくつらい思いをしたけど、もうこの頃にはわたしはすっかり慣れていて、ギターを背負っている時の上手い乗り方を習得していた。
道すがら、バイクを運転しながら「さっきのところ練習しよう」とタフタが言う。歌おうってことだ。たぶん、バイクの前後に乗っていると、後ろの人の声は前の人に聞こえるが、前の人の声は後ろの人にほとんど聞こえない。ほとんど練習にならないけど、でも楽しそう、いいアイディア!
 
風にかき消されないように大きい声で歌うので、歌のニュアンスなんか吹っ飛んでしまって、やっぱり全然練習になんてならなかった。それでも、さっきのアイディアのハモりのところを上手く歌いきるたびに、やっぱりめっちゃいい〜!うえ〜い!と2人で喜んだ。何度も同じところを繰り返して歌った。大きい声でワァーッと歌うのが珍しくて可笑しかったし、バイクの速さにも高揚した。頬がキラキラするみたいだった。標高の高い山を下って街へ向かうにつれて、夜の空気が湿度と熱を帯びていくのが肌でわかった。
 
その後さらにひとしきり走って、会場のカフェに到着。日はすっかり暮れているけど、暑い。バイク移動中に歌って笑ったさっきのシーンの比類なき尊さにわたしの心はすでに温まりきっていたが、このカフェがまた、とても素敵な場所で、さらに気分が上がった。
スマランは、華僑の多い街として知られている。とても大きな中国式の寺があるし、中華街もある。その中華街の入り口の門のすぐそば、提灯がたくさん灯っている通りの一角に、今日の会場はあった。ここ、Mukti Cafeは、コーヒー(シングルオリジンも出す本格派)の美味しいカフェであると同時に、煙草屋でもある。一階が煙草屋で、二階がカフェだ。店構えもちょっと中国風のレトロな感じで、煙草の葉っぱが入った大きな瓶が、棚にたくさん並んでいた。煙草入れや周辺の道具たちもかわいいのが置かれている。あと、巨大なパイプのオブジェ(大人2人分くらいのサイズ)があった。店の奥のカフェへ登る螺旋階段のそばには、煙草の葉っぱが入っているのであろう、大きな袋が米俵みたいにどしどし積み上げてあった。2階は、低めの椅子とテーブルの席に加えてバーカウンターがあり、コーヒーはそこで淹れているようだった。すでにけっこう人がいて、賑わっている。
 
会場に着くとカルトゥンさんがいた。店のお兄ちゃん(おじさん?)はめちゃくちゃ笑顔のやわらかい人で、到着したばかりの我々に「コーヒーを出すから好きなの選んで」といってメニューを渡してくれた。アルゴも来ていて、今日は撮影しないけど一緒に音響機材の設置を手伝ってくれたし、ボーカル用のマイクを1本貸してくれた。準備を進めているうちにマルノも来て、メンバーが揃った。マルノは、チャイナタウン合わせで、中国っぽい模様の入った赤いシルクのシャツでキメてきていた。普段ずっと山にいるタフタも珍しく襟のあるシャツを着ていたけど「街めっちゃ暑い…」と言ってボタンを多めに開けていた。カルトゥンさんは「ウルトラーメン」というカタカナとラーメンを食べているウルトラマンのイラストが描かれたふざけたロンTを着ていた。わたしは衣装不足なので、先週のホームパーティーの時と同じ、鎖骨のあたりに青っぽい花か草みたいな刺繍がはいった白いTシャツだった。スマランのモールで急いで買ったこのTシャツが、碧っていうよりもここでのAoiに似合う気がして、気に入っていた。みんな思い思いで良い感じ。
演奏が始まるまで少し時間があったので、店の人が出してくれたSingkong(キャッサバ)の柔らかく揚げたのをつまんで、ベランダみたいな席で一同のんびりした。近くのスナックか何かから、中国語っぽいカラオケの歌声が爆音で聴こえていて、ライブどころじゃなくない??という感じで最高だった。全然続けておいてもらってかまわないっす…「ザ・スマラン」という感じの空気が、嬉しかった。(5年前にもよく遊びに来た街だ)
 
開演前、ルイージと留学生仲間が来てくれた。昨日もお世話になったスタジオの受付の、日本語マスターのお兄さんも来てくれた。先週のパーティーにも来てたヴォーカリストのお兄さんも来てくれていた。ともかく、知っている人がたくさん、知らない人を連れて来てくれていたし、店の大部分の席は知らない人たちで埋め尽くされていた。完全に満席で、立ち見の人も、なんとなく来たような感じの人も大勢いる。集まりがよすぎる…どうなってんだ…
 
ライブの直前、カウンターのそば、ステージの下手側に、三脚に載せたカメラとPCをがっしりセッティングしているおじさんがいて、そういえばあの人は何者なんだろう、でもきっとカルトゥンさんの仲間だよな、と思って聞いたら、全く誰の知り合いでもないことが判明した。ぎょっとして本人に尋ねると、スマランで開催される音楽イベントに出向いて自主的にライブ配信をやる、という活動(????)をしている人だった。普通にありがたいので、よろしくお願いした。(終えてから、「配信、見てたよ!」と言ってくれた日本の友人が二人いました、ありがとう〜)
 
ライブが始まった。一曲目はひとりで弾き語り。ワイワイしていた客席がすっと静かになって少し緊張感が出たけど、曲の合間のわたしのグダグダMCとカルトゥンさんの茶々によって和らいだ。あんまり準備する時間がなかったのもあって先週のホームパーティーと同じセットリストで演奏した。音響的にはけっこう状況が厳しくて、スピーカーの数や向きが及んでおらず、カルトゥンさんにわたしのギターの音がほとんど聞こえていないっぽかったけど、目と気合いで乗り切ってもらった。さすがです…。わたしたちもチーム感が出ていたし、場の雰囲気が良くて嬉しかった。テーブル席の、ヒジャブを被った知らない女の子たちが真剣に耳を傾けてくれていたのが印象的だった。
 
終わった後に気がついたんだけど、なんとジョグジャのライブにも来てくれていたギャリーがまた来てくれた…!!友人と二人乗りのバイクで、今朝から丸一日かけて来たらしく、めっちゃ尻痛かったwwwと言って笑っていた。う、嬉しい〜。こないだとは違う友達と一緒に来てくれていたのも嬉しかった。アントも女性の友人を連れて来てくれたけど、彼らが到着したのは演奏が終わった後だった。タフタがそれを軽くからかっていて、なんかよかった。ルイージの留学生仲間たちも気のいい人たちで、インスタグラムを交換したり、一緒に写真を撮ったりした。
わたしはライブが終わったくらいから使い捨てコンタクトレンズの具合が悪くてちょうど写真を撮るタイミングで右目がものすごく痛くなってしまったが、痛みに耐えて目を瞑るのと、楽しい表情を作るのとを掛け合わせて、我ながら見事にごまかして写真に写った。が、痛い方の目から涙が出て止まらないのですぐバレてしまい、タフタがさっきのメガネを貸してくれそうになったけど遠慮した。帰りも運転する人が風から目を守ったほうがいいです。あとメガネ似合うから
 
終演後しばらくして、お客さんもけっこうのんびり残っているタイミングで、カフェのメニューにある塩ラーメンを出演者一同いただくことになった。すごい味が濃いから、味薄めって頼んだほうがいいよ、とカルトゥンさんが教えてくれたのでそのようにオーダーした。それでもかなり塩味が強かった。
ラーメンを食べながら、音響やばかったねえ、など色々と乗り切った気持ちでおしゃべりしていたら、アルゴとカルトゥンさんが「俺らでMV作らない?」と言い出した。インドネシアバージョンってことでさ!えー?!なにそれやりたい。やるとしたらどの曲?そりゃ『The Invisible Sea』でしょ、できればタフタと一緒に録りたい!でも彼がやりたいかどうかわたしはわからない。と答えたところ、アルゴとカルトゥンさんがちょっと向こうにいたタフタを呼んで、経緯を話し「mau nggak?」と聞いた。
この訪ね方を、カルトゥンさんはわたしにもよくやる。「Yes or No?」だ。わたしは言葉が下手なのでこうやって聞いてくれると答えやすくて助かるけど、この時はソワソワした。タフタはすぐ「やろう」と頷いたけど、いや、でもこれ「No」って思ってても言えない雰囲気じゃん、大丈夫かな?!(※わたしはタフタを好きになり過ぎているので、だんだん「嫌われたくない」と考え始めて1人でソワソワしていたが、後から振り返ると全く大丈夫そうでした。よかった)
それにしても、もうあと10日で帰国するしスマラン滞在は実質あと残り5日しかないのに、まだここから新しい企画が持ち上がるの、あまりにも、あまりにも、あまりにもパワフルすぎて、本当にこの人たちは、なんなんだ。愛と勇気がありすぎる友達だ……
 
 
さあ帰ろう。本当に楽しかった。ライブは20時スタートだったので、すでにけっこう時間が遅く、みんなでゾロゾロと23時過ぎにカフェを後にした。それぞれのバイクや車に乗って、手を振って別れた。
わたしはタフタと一緒にまた1時間半かけて帰る。めっちゃ喉乾いたね〜、なんか飲み物を買いたいね…、と言いながら出発した。タフタは、街まで来たついでに、バーナーのガスボンベを買って帰りたいらしく、カフェから5分くらい行ったところの路上に出ていた屋台に寄って、使い切ったものを回収してもらって新しいのを買っていた。こういう時の「ちょっとこれ持ってて」(鞄からボンベを出す時に邪魔だった上着)に、当たり前みたいな慣れがあって嬉しかった。飲み物はなんとなく買いそびれた。
 
街はめちゃくちゃ暑かった。スマランは、ジャワ島の北側(太陽の通るほう)に位置した港町で「暑い」ことで有名だったりする。実際、街の中心部は気候や地形の影響に加えて、コンクリートの舗装と高層ビルによる熱がすごい。夜になっても気温が下がらない。そんな街の中心部から離れ、山へ向かって標高が上がるにつれ、どんどん気温が下がった。半分くらい道を来たところで完全に寒くなったので、バイクを止めて2人とも上着を着込んでまた出発した。さっきまでの暑さが恋しいくらい寒かった。
 
眠くなったらやばいので、わたしたちはどうでもいいことを喋り続け、たまに歌ったりしながら帰った。話題が途切れるたび「dinginー!!(寒い!)」と叫んで寒さを散らそうとした。『Laskar Perangi』という2008年公開のインドネシアの映画があって、わたしは5年前に人に勧められてこれを観て、その主題歌のインドネシア語ポップスをちょっと覚えていたので、きっとタフタも知ってるはずと思って歌ってみた。もちろん知っていた。サビを一緒に歌った。その歌詞がシーンにぴったりだったので引用します。
 
Menarilah dan terus tertawa 踊り歌い続けよう
Walau dunia tak seindah surga この世は天国みたいに美しくはないけど
Bersyukurlah pada yang kuasa パワー(※神など)に感謝しよう
Cinta kita di dunia この世のわたしたちの愛は
Selamanya 永遠に
 
こういう「大きい愛と希望」みたいな歌は、人と声を合わせて歌うのにふさわしい感じがした。他にもいくつか歌ったけど、一緒に歌える歌はそんなに多くなかった。でも睡魔と戦う必要があったので、ドンキホーテの歌とか中島みゆきとか、キャッチーなメロディのものをわたしは手当たり次第に歌っていた。雰囲気が台無しである。でも、後ろに座っている人にとって眠気対策はめちゃくちゃ切実だった。行きのバイクで『the Invisible Sea』を歌った時みたいなキラキラはもはやなかった。寒さに耐えるのと、寝ないのに必死だった。
無事に、夜中の1時くらいに帰り着いて、顔だけ洗って着替えて、あるだけの布を体にかけてすぐに寝た。身体中がほとんど痛いぐらい疲れていた。
 
 
 
5/20(月)
朝!食材が何もないし、タフタは煙草の葉がなくなったのを買いに行きたいとのことで、朝一番(とはいっても8時半くらい)にバイクで出かけた。最初の週に遊んだ川辺をさらに奥へ進んで、大きなArenの木の斜め上を超えていくような山道を行き、田んぼを過ぎると別の村があって、もう少し行くと少し賑やかなエリアに出る。そこに彼の行きつけの煙草屋があった。
昨日のMukti Cafeもそういえば煙草屋だったが、タフタ曰く「街の煙草屋は値段が高いわりに味がやや劣る」らしい。この辺の村で買うほうが安いし新鮮で美味しい、だから街の煙草屋に用はない。ちょっと笑いながらハッキリ言い切っていた。
 
店に着くと、まだ準備中だった。店主の準備ができるまで待つ。バイクを店の前に停めて、一旦、店の向かいにある小さな屋台へ行き、バナナの皮で包んだ小さいおにぎりみたいなものや、袋に入ったBubur(ぜんざいみたいなおやつ)などのローカルな軽食を買った。
その朝ごはんを手に、また道を渡って店に戻り、扉をくぐる。中で待っていて良いらしい。サンダルを脱いで上がった。タイルの床だった。店内、めっちゃすごかった!細長くて小さい店の両側に、左手にはすべて煙草の葉っぱが、たぶん5キロくらいずつ大きな透明の袋に入って、床から天井までびっしりと積み上がっていた。棚板が渡してあって、一段に4つくらい縦に、横に6〜10こずつくらい置かれている。それが4段ある。200種類以上は確実にありそうだった。全ての袋にピンクや黄色の小さい紙が貼ってあって、そこに手書きで銘柄や産地や風味の具合が書かれていた。右手の棚には、巻紙や煙草ケースや葉っぱに混ぜて一緒に吸うスパイス各種などの小物が、本当に大量に、しかしよく見えるようにきれいに陳列されていた。その棚に挟まれて、店の真ん中には細長いテーブルと、屋台で見るようなプラスチックの椅子が置かれていて、試しにここで巻いて吸えるようにと、ライターや巻紙と灰皿が置かれていた。
 
わたしたちはさっき買った朝ごはんをこのテーブルで食べながら店主の登場を待った。食べ終わって手持ち無沙汰になり店内をウロウロしだした頃、さらに客がきた。制服を着た高校生の男の子二人と、おじさんだった(※インドネシアは喫煙の年齢制限がない)。大人気店じゃないか…!
わたしは、想像していた以上に煙草屋がおもしろかったのと、日本に愛煙家の友人がけっこういるな、と思ったので、自分には吸う習慣がないけどお土産としてちょっと買って行くことにした。選ぶ基準が何もないので、タフタが買うのと同じ葉っぱを買う。一緒に巻くといい、という cengkeh(クローブ)の砕いたものと、巻紙と、一応フィルターも買った。店の人が規定の一番スタンダードな量を半分に分けてくれたけど、なんかすごいナチュラルに全会計をわたしが払うことになった。タフタがちょっと「えっ」ってなっているのを店員が制したのをわたしは見逃さなかった。物価が高いほうから来ている外国人にお金を払わせようという傾向があるのには納得しています。確か全て合わせて合計700円くらいだった。マジで全然いいです…
 
煙草屋の斜向かいには八百屋があったので、そこでいくつか適当に野菜を買ってから帰った。再び田んぼのあいだを抜けて、山に戻る。本当に景色がいい。朝の光は栄養だ。
 
帰って髪を洗いたかったが、水道の調子が悪かったので直しに行った。ここは川からパイプで引いた水をシュロの皮のもしゃもしゃで作ったフィルターを用いて三度濾過して使っている。飲み水は買って来ているが、皿や体を洗うのはこの水だ。このDIY水道はすでに見せてもらったことがあったけど、暇なのでタフタの後をついて行った。何回見ても手作りすぎておもしろい。その帰り道で、スープに使える葉っぱと、安定して美味しいいつもの香草、Sintrongを採って帰った。
さっき煙草屋の向かいで買ったもののうち、まだ食べていなかったBuburを食べた。ブブル=お粥なのだけど、甘い味付けで、米ではなく豆、つまり「ぜんざい」だ。いつも使っているティーカップにちょうどの量だった。むにゃむにゃした透明のゼリーみたいなのが入っていて美味しいんだけど、なんだろうこれ、おそらく片栗粉の類…
 
朝ごはんがとても控えめな量だったので、髪を洗ってきたらもうけっこうお腹が空いていて、のんびりお昼ご飯を作った。さっき採って来た草や買った野菜で簡単なスープを作ってご飯と一緒に食べた。
 
タフタは、山本さんの笛(わたしの日本人の友人がインスタグラムごしにオーダーしてくれて、先週、名前を彫るところまで終えていた)に紐をつける作業をしていた。こんなに硬い床に座ってずっと作業していて腰が痛くなったりしないんだろうか。タフタは他の笛も近々納品の予定らしく、けっこう集中していたので、作業を眺めるのもそこそこにして、わたしは2階へ引き上げた。自分もやることがあった。先日必死でジャケットのイラストをアップロードしていた新しいアルバムが無事に配信リリースされているのが確認できたので、それをSNSで告知する投稿をしたりした。こういうのに意外と時間がかかる…

夕方になって、買って来た野菜がまだあるのでそれを使って、Kacang panjang(インゲン豆みたいなものだけど4倍くらい長い)やキャベツを炒めたものと、小さく切って揚げ焼きにしたテンペと卵焼きと白いご飯、という夕飯を作って食べた。
タフタは夕飯の後も笛の作業をしていた。が、不意に息抜きみたいに笛を吹き始めたので、わたしも自分の笛を持ってきて吹いた。しばらく一緒に適当に吹いているうちに、互いのアイディアを拾いあってちょっと曲みたいになってきて、短い繰り返しのメロディとアドリブを交互に奏でる2本の笛のアンサンブルができた。最終的に、なんかピョコピョコしたちょっと間抜けな曲になったけど、この素朴な遊びがすっごく楽しかった。タフタも楽しそうで「今度キャンプに行く時にも笛を持って行ってコレやろう」と言ってくれた。
 
わたしは、この人は本当に笛を作るだけで生計を立てているんだろうか…、というのが気になっていた。ここ数週間、かなりの日数を一緒に過ごしているが、彼が笛を作る以外の仕事をしている様子は一切なかったのだ。やっとこのタイミングで訊ねてみたけど、はぐらかされてしまった(わたしの質問の仕方が下手だったのか…?)。
でも、「自分のやりたいことがあったらそれを深く信じてひとつずつ行動していくと世界中が自分の味方をしてくれて、全部うまくいく」という話を、持ち前の真顔とガチの声のトーンでしてくれた。夜だし、自分たちしかいなくて静かだし、寒いくらいの落ち着いた空気のなかでそんな話をしていて、これはきっと今後もしばらく忘れない場面だ、と思った。本気の夢とか理想について友と語り合ってしまう、知ってるあのムード。
 
彼の言葉を受けて、めっちゃ「そうですよね〜〜〜」と思いつつ、わたしは本当にしょうもない卑近な発想で「なんか自己啓発系の本とかSNSアカウントとか成功した芸能人とかが言ってるやつ〜」とも同時に思ってしまって、そういう自分のダサい捻くれかたが恥ずかしかった。この人は、その言葉通り、実際に自分の理想の生活を実現して、周囲の人たちにも還元している。わたしもその輪にちょろっと入れてもらって、すごく良い時間を過ごしている。やろうと思ってもそう簡単にはできないことを、仲間と協力して楽しくやってのけている。やっぱりこの人はすごい。ちょっとスピってるけど、っていうかもしかして多少スピってるくらい、何かを素直に信じていられるほうが、ずっと生きやすいし、素敵なのかもしれない。
 
 
まあそうだよねえ…………と言って、深くため息をついてしまった。わたしには言えることがない。すっかり静かになってしまった。でも気まずいとは思わなかった。落ち着いている。もうピーナッツは食べ飽きたなあ、と思っていたら、タフタが昼間に買ったタバコを巻き始めた。あ、わたしも吸ってみたい、と言ったら、教えるように見せながら器用に一本作ってくれた。
 
わたしは酔っ払って帰って来た時の自宅のベランダぐらいでしか煙草を吸わない人間だけど、この煙草がめっちゃ美味しいことはわかった。フィルターを巻かないストロングスタイルなので、かなりキツいんじゃないかと思っていたけど、葉っぱの香りの良さが圧勝していて、全然キツい感じがしなかった。葉っぱにまぶして一緒に巻いたcengkeh(クローブ)の細かいカケラが、吸い込む時に小さく爆ぜ、唇に甘い風味を残した。
 
うわ〜!めっちゃ美味しいじゃん〜!と、わたしはやや大袈裟に喜んで、でもあとは黙って二人でプカプカやっていた。煙草を呑んだ後、ただ息を吸う時が一番気持ちよかった。夜の山のシンとした空気が、肺にいっぱいになる。煙草って、なるほど、こういうことだったのか。空気をゆっくり吸って味わう時に、ちょっと手を貸してくれるもの…。そういうことなら、煙草ってかなり素敵じゃん…!
暗くて何も見えないけど、わたしたちは西の山のあるほうを向いて、それぞれ壁にもたれてゴザに座っていた。沈黙の重みみたいなものが心地よく、喋りたい気分じゃなかった。わたしが喋る気分じゃない時に隣にいる人も黙っているのが、ずっしりと深く嬉しかった。
 
ここでは一日中ずっと虫の声が鳴り続けているけど、昼と夜とでは全然違う。昼はジージーギャーギャーギラギラという感じだけど、夜はなんというか、似たような音だけどもっと透き通って聞こえる。
光や空気と小さな生き物たちが、朝の時には朝を、昼頃になったら昼を、夜になれば夜を、全員で一斉に作り上げているような気がした。全部がお互いにとって腑に落ちているような、しっくりくる雰囲気があった。朝、昼、夜、って、いや、pagi, siang, sore, malam って、こうやってできているんだ、みたいに思った。みんなが各自のありたいようにある様が、つまり時の流れと景色ってこと…?
 
今週の夜は本当に寒い。日本だと10月くらいの寒さのような気がする。やっと持ってこれた長袖のTシャツが、寝巻きとして活躍した。
 
 
 
 
 
 
 
 

インドネシア滞在日記⑧ 5/13〜5/17

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑧ 5/13〜5/17
最後のジョグジャ滞在と、一瞬のサラティガ編です。
 
 
5/13(月)
朝、目が覚めたらもう皆とっくに先に起きて1階にいるようだった。顔など洗ってから降りて、昨日の残りのロントンサユールを米で食べた。アニサが、フライパンになみなみの油に卵を落として作る、ほぼ揚げたみたいな目玉焼きを作って載せてくれた。ありがとう。
 
タフタとアントは、今朝からJeparaという木彫で有名な街(ここから東へ片道半日くらい)で開催される勉強会に招待されたらしく、二泊三日の旅に行ってしまった。昨夜レンタカーがどうのとか言っていたけど朝の時点でもう出発してしまっていて会いそこねた。
わたしは今日は帰るだけなので、いつ帰ってもいい。山から降りるタイミングを合わせて、マルノのバイクに乗せてもらって下山した。マルノは私のことをだいぶ歳下だと思っていたらしく(むしろ、わたしのほうが4つくらい歳上だった)年齢を言ったらびっくりしていた。アホさで若く見えるんだよ……と情けなくなっていたら「あなたはホント強くて元気だよ」と笑いながら褒めてくれたので、強くて元気でいこ…と思い直した。ありがとう
10時半くらいにバス停からバスに乗り、来た時と同じ、スマラン市内のBalai kota(市役所)のバス停で乗り換え。この時点で11時くらい。そこからTrans jatengに乗り換えて、お馴染みのTerminal Bawenまで。ここで一回お昼ご飯を食べた。駅のスタッフもそこで飯を済ませる感じの小さい売店みたいなワルン(食堂)で、白いご飯にkacang panjangの炒めたのとテンペの甘辛炒めと卵焼きを載せてもらった。駅のスタッフらしきおっちゃんが外に通じる窓から顔と腕だけで登場してご飯を買っていて、その声がものすごいしゃがれ声で、食堂のおばちゃんもすごいチャキチャキで「ハイハイいつものね」みたいな感じのやりとりをしていて、いいシーンだった。
 
駅のトイレの床が、掃除したてなのかビショビショに濡れていて(よくある)、荷物が多いので入れなくてちょっと困った。さすがにトイレの濡れた床にギターケースを置きたくないけど、荷物を任せられるほど信頼できる人もいない。一人旅だとこういう細かいところが時々しんどい。結局、飲む水分を抑えて、帰るまで我慢しよう、と決めてその通りにした。お腹を壊したりしていなくてよかった。
もう疲れたし乗り換えはダルいのでジョグジャ直通のバスに乗りたい。バス停の人に教えてもらったりして(誰か一人に聞いた情報だとなんとなく不安なので、お兄さん、お姉さん、おっちゃん、の3人に聞いて確証を得た)結局1時間くらいベンチでお菓子(透明の袋にKacang atom、gajah(象)と大きく文字と象のイラストが描かれた豆菓子が、どこにでも売っていて安くて美味しくてめっちゃ好き)を食べ、小さいオレンジジュース(なけなしのビタミンC)を飲みながら待って、やっときたバスに乗った。バス停でいろんな人とちょっとした会話ができて、なんだかそれがスムーズだったのが嬉しかった。山で散々インドネシア語に揉まれて、だいぶ聞き取れるようになった気がする。これに「英語をインドネシア語訛りっぽく発音する」という謎スキルと、車の走行音に負けない大きい声も併せて、けっこう普通にやりとりができた。
 
14時半くらいに出発。バスは70,000ルピアだった。1時間くらいでマゲランまで来て、夕方にジョグジャ市内に入った。夕日が右手に見えていて、曇っていたけどきれいだった。もう全部終わったような達成感でいっぱいだったけど、また来週もあの山に行けるのがうれしかった。
前回、終点の駅から帰るのに苦労した(バス停にタクシーを呼べなかったり、人通りがなさすぎて怖かったり)のを思い出して、「より滞在場所に近い、ルート上の途中の路上で降ろしてもらう」という上級者テクを使った。もう他の乗客がほとんど降りていていなかったし、バスのスタッフのおっちゃんが外国人のわたしを気にかけてくれていたので、あ、次の交差点で降ります!と言って降ろしてもらった。けっこう大胆にいったと思う。おかげですんなりタクシーに乗り換えられて、スッと帰れた。夜の20時くらいに帰宅。ウンガランの山、普通にめっちゃ遠いな…。墨田区のレジデンスにいるのに小田原に通ってるくらいの感じ…(適当)
 
夕飯は近所のワルンで食べた。Nasi Godogという、お粥みたいなスープ飯。飲み物とあわせて20,000ルピアだった。お店の人がチャーミングなお姉さんで「ナシゴドーーーーッ♪」と言ってノリノリで皿を持ってきてくれてキュートだった。わたしの他にはマダムが二人組で来ていた。
 
 
5/14(火)
今日は休日なので目覚ましをかけずに眠り、昼ごろに起きた。洗濯物をランドリーに出した。野菜が食べたいのでGoogle mapで調べて、Lotekを食べに行った。ここで食べたのがめっちゃ美味しかった!「これこれ〜!」という味のピーナッツソースだった。ここ数日、確実に食べ過ぎなので、ちょっとでも歩こうと思って徒歩で帰ったが、途中でグァバジュースを買ったし急にソフトクリームも食べたので全然カロリーオーバーだった。
日本の人とオンラインミーティングがあったので、夕方はWi-Fiのある冷房の効いたカフェで過ごした。来週からの旅程を色々と整理して、スマランへのバスを調べたりサラティガの宿やバリへの飛行機を取ったりした。そういうのを色々やっているだけでこの日は終わった。2週間後の帰国まで全て見通しがたったし、インドネシア語でググって目的の情報を得られたりするのが誇らしかった。遅めの夕飯は、スーパーで買ったカットスイカプロテインドリンク。
 
 
5/15(水)
今日はジョグジャでライブです!!!!
5年前にジョグジャに来た時に一緒にセッションに参加したラジプタが、友人のカフェの奥の中庭を貸し切って不定期で開催している音楽のイベントで、演奏に本人のトークを交えて進めていくという、語学やばめの外国人が出演するにはややハードルの高い企画だが、こちらに来てだいぶ早い段階でやりとりして出演が決まっていた。ツーマンライブで、もう一人の出演者はチェリストのラリャさん。
 
昼前に起きて、もうジョグジャにいる日数も限られているので何の迷いもなく昨日の「これこれ〜!」なLotekを食べに、同じ店に行った。お店のお姉さんは奥の自宅で1歳くらいの子の面倒をみながら店をやっていた。わたしは、マジで食欲が爆発し始めていて、揚げ物を2つ追加して食べてしまった。食い過ぎだ〜。昨日とても美味しかったからまた来ました、ありがとう、とちゃんと伝えて帰った。ジョグジャでゆっくり過ごせるのは今日が最後かもしれないので、散歩しながら帰宅し、帰ってからちょっと練習した。
 
夕方ごろにライブ会場へ出発。19時からスタートだから19時くらいに来てね!と最初に連絡をもらって、そんなわけないだろwwwwと思ったのを思い出しながら17時半くらいに行ったらそれで正解だった。めっちゃおしゃれなカフェだった。タマンサリというとても有名な宮殿のある、白い壁が美しいエリアの一角だった。広々としていて、雑貨を売っているコーナーもあって、建物の奥に会場となる中庭があった。奥の会場も、このエリアの白い壁にあわせたような白壁に囲まれていて、都会的で手入れの行き届いた空間だった。
着いて速攻、サウンドチェック。先日の山のライブでもそうだったけど、毎回このタイミングで、私が使っているギター用マイク(OBANA MICROFONEという名で友人が制作・販売している)が「何これめっちゃ良い」と注目を浴びるのが本当に勝手に鼻が高い。あと、わたしがギターのストラップの部品を紛失していたので、紐とかないかな、と相談したら、PAを担当してくれたファイザル(普段はベーシスト)が、結束バンドを買ってきてくれた……。マジでありがとう。(でもこれは演奏一曲目の途中で弾け飛んでしまった。内心ウケながら平然と演奏して、思い出になった…)
 
だいたい音OKですね、ということになってから時間があったので、ラジプタがカフェのメニューをおごってくれた。お言葉に甘えて、野菜炒め(米ナシ)とWedang Uwuhをいただいた。Wedang Uwuhは、木の根や色々なスパイスを煮出して作るジャワの赤いハーブティーのようなもの。おいしいです。ありがとう。
 
テーブルがめちゃくちゃ斜めで、紙コップを置くのにヒヤッとしたけど、そこでしばらくのんびりした。少しして、お客さんやもう一人の出演者のラリャさんや彼の弟さん、そしてなんと先々週にソロでも会った日本人の友人、岸さんがほんとに来てくれた。ラリャさんたちと、ソワソワしながらガタガタの言語で自己紹介したりしているうちに演奏が始まる時間になった。ラリャさんのフィールドレコーディングのサンプリングや深めのディレイとリバーブを駆使したチェロの演奏と合間のトークで合わせて1時間弱の後、わたしの出番だった。4曲演奏した。
けっこうビックリしたんですが、この日すっごく演奏しやすかった。振り返って書いているけど、今回の滞在で演奏したなかではこの日が一番演奏しやすかった。変にハウったりモコモコしたりせず、すーっと気持ちよい白壁のリバーブも感じながら演奏できて、すごく嬉しかった。実際に何がどう効いたのかわからないけど、ファイザル氏の手腕によるところだろう、本当にありがとうございました。わたしのトークはボロボロだったけど、どんな時期に何を考えてこの曲を書いたのか、というのを一つずつ頑張って話したうえで演奏を終えたので、終演後に話しかけてくれたお客さんたちは感想に加えて具体的な質問をたくさんしてくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。司会を担ってくれたジタさん(彼女もシンガー)のコミュ力にも助けられまくった。(あとで気づいたけどわたしこの人が歌っていたのをソロのダンスフェスティバルで見てた……世の中が狭過ぎる〜〜!)
 
そして友人のギャリーがジャカルタから来てくれていた。ギャリーとも5年前に出会っていて(スマランで行ったライブの主催者の一人)、彼が日本に来た時に「ここだったら演奏させてもらえるかも」と場所を紹介したり(わたしが鬼忙しい時期であんまりサポートしきれなくて申し訳なかった…)もした仲である。昼間、彼のインスタグラムを見て「なんか…ジョグジャに向かってない?この人(※でも寝過ごしてソロに着いてしまっている)」「もしかして……」と思っていたので、めちゃくちゃ嬉しかった。「てか来る時がっつり寝過ごしてたっしょwww」「うん超焦ったww」みたいな話も笑いながらできた。今回ジャカルタには行けそうになかったので会えないと思っていた。まず会えて嬉しい。ギャリーは以前からわたしの曲をインターネットごしに聞いてくれていたらしく、「あの曲やって」と客席から声をかけてくれた場面もあった。盛り上げてくれてありがとう…!
 
演奏を終えて、23時くらいに岸さんと一緒に帰宅。空いている部屋に一泊してもらう。明日の朝、けっこう早い時間にソロで用事があるとのことだったので、一緒にソロまで行き、わたしはそこからサラティガへ行く、というプランだ。さらっと水浴びを済ませ、二人ともさっさと寝た。
 
 
5/16(木)
サラティガへ、友人と恩人に会いに行く日!
ちゃんと早起きしてサクッと荷物をまとめ、岸さんと二人でタクシーに乗り、ジョグジャの駅へ。数年前から、日本の一般的な電車のような形の、指定席のないタイプの電車がジョグジャからソロまで運行しているらしいので、今日は岸さんに案内してもらってそれに乗る。以前ソロに行った時にはこの電車のことを知らずに指定席のある電車に乗ったけど、こっちのほうが安い。かかる時間も1時間程度なので、全然これでいい!次からは毎回これを使いたい。
電車に乗る前に、ちょっと時間あるね…?と言って近くのワルンで朝ごはんを食べた。ナシクニンと飲み物で27,000ルピア。美味しく食べていたらけっこう時間ギリギリになってしまって、急いで電車に乗った。
電車はマジで普通だった。車内に警備の人がいて、荷物は上の棚に置いて、と言われた。めちゃくちゃ冷房が強くて凍えたこと以外は快適だった。岸さんはかなりインドネシア語ができるので、隣の席にいて話しかけてきたおっちゃん(大学の先生らしい)と急に知り合って連絡先を交換していた。すごい…
 
電車が無事にソロに着いて、電車に乗っているあいだに教えてもらったSIMカードのギガの補充をするため(ちょうどいい使い方がまだよくわかっていません…)コンビニに行くのに付き合ってもらったりしてから解散。短いあいだにこれでもかと色々助けてもらっちゃった。ありがとう…。日本でまた会いましょう。
 
そして、ソロのバス停から乗ったサラティガに向かうバスを、わたしはめちゃくちゃ寝過ごした。思い出のTerminal Bawenまで来てしまった。20分〜30分くらいで取り返せる距離の寝過ごしなので、そんなに焦るようなことじゃないのに、なんだかこの時、すごく焦ってしまって、サラティガへ向かうために呼んだバイクタクシーでめちゃくちゃ手間取ってしまった。まず運転手と合流するのに手間取ったし、最初に設定したアプリの目的地が間違っているのに途中で気づいて「???」になったしで、結局、約束の時間より1時間くらい遅く着いてしまった。
 
集合場所は、友人のアンドリャンの営むワルン(食堂)だ。彼は5年前にスマランで一緒に演奏した仲で、シンセサイザーを主に操るミュージシャンである。そして(本当にわたしは常々こういうところがあるんですが)Andriさんもここに呼びつけていた。(二人の名前が似ているのは偶然)
Andriさんは、わたしが5年前に働きに行っていた高校の音楽の先生だ。わたしが担当の日本語の先生と何となくうまく行かずにくすぶっていたところに「大野一雄わかる?(この時、カゾーノ、と言われて数秒ほど考えてしまった。韓国でナムジュンパイクって言っても通じなくて、パク・ナムジュンと言ったら伝わったのと似た現象…。)」と話しかけてきてくれて、その後の全てを完全に良い方に導いてくれた重要な人物である。彼は、職場でも持ち前の朗らかさでわたしの心を支えてくれたし、AmbarawaやここSalatiga、そしてSemarangにまで至る広いエリアの文化的な場所へ連れて行ってくれたり、自身の出演する演劇やバンドのライブに連れて行ってくれたりした。彼のおかげで、わたしはカルトゥンさん(先週の山へ連れて行ってくれた)やアディット(今回の序盤でも一瞬会った、イラストレーター。バリ編で登場します)に出会えた。5年前の滞在が素晴らしい日々になったのは完全に彼のおかげなのだ。絶対に会ってお礼を言いたくて、今回、彼の住むSalatigaまで来たのだった。
 
彼ら二人には共通の友人がいる。まず、アンドリャンの店の内装を担当したのが、Pak Men氏である。そして、そのPak Men氏のバンドでAndriさんはパーカッションを担当している。だから、きっと二人は友達だろうと思っていたら、この日が初対面だったらしい。だいぶ雑に人と人を引き合わせてしまった。(これを機に仲良くなってください...)
アンドリャンの店は、いわゆるワルンで、価格も手軽で店もそれほど大きくないのだけど、すごく良い空間だった。店の壁に、アンドリャンの人脈やセンスでセレクトされた若手アーティストのペインティングやテキスタイルの作品が多く飾ってあった。どこかから輸入してきたような漠然としたオシャレを目指すんじゃなく、庶民的で風通しの良い感じの店にカジュアルに若手作家のアートが置かれているの、素晴らしく良い。というかわたしの好みだ。こういう、地に己の足のついたやり方で芸術と親しんでいる人と場所って信頼しちゃうな…。
 
店には、Andriさんが連れてきてくれたようで(先々週にも会った、気まずくなかったほうの)日本語の先生も来てくれていて、再会を喜びながらバナナの花の炒め物やコロッケみたいなのや、色々食べた。急に彼女だけ日本語で話しかけてくれるので、ちょっと頭がバグる。
日本語の先生は、仕事があるからと早々に帰ってしまったけど、わたしは予定がないので「今日これからどうすんの」「え、どうしよ」とか言ってひとしきりぐだぐだした。アンドリャンが「うちのメニューには最近チキンカツが加わったんだけど、日本人の舌で美味しいかどうかジャッジしてくれないか」と言って、お腹いっぱいなのにさらにチキンカツを2枚出されてしまった。しっかり美味しかった!さすがに食べ過ぎなので1枚は包んで持ち帰らせてもらった。ついでにわたしが「これうま過ぎる」と言って食べる手を止められずにいた、シジミみたいな形の小さなクッキーのようなお菓子も包んでくれた。ありがとう…食べ過ぎててすみません…
 
夕方から日本の人とオンラインミーティングがあり、その後さらにもう一つ別のミーティングがある日だったので、もう今日はこれでおしまい、ありがとうin Salatiga!解散!と思っていたが、Andriさんと相談した結果「一度ホテルで休んでから、一つ目のミーティングに出席し、それが終わる頃にPak Menのアトリエに遊びにいこう、そんでそこから二つ目のミーティングに出席したらよくない?すぐ近くにインターネット早いWi-fiもあるよ」ということになった。ハードスケジュールすぎるけどPak Menには会いたかったので、迷わず決行することに。
 
ホテルは、前回のソロの安い臭い宿の反省を活かして、ちょっと良いところにした。部屋は白っぽくて清潔で、全く臭くなくてホッとした。サンダルの底が剥がれかけていたので、フロントのお姉さんに助けを求めたら強そうな接着剤を貸してくれた。ギターケースを重しにして接着した。一旦シャワーを浴びて仮眠をとり、ミーティングに出た。約束の時間に再びAndriさんと合流し、Pak Menのアトリエへ。
 
Pak Men氏とは5年前にも会っている。彼は、色々な形の笛や口琴のみならず、謎の弦楽器や家具、内装まで作る、かなり腕の立つ楽器職人であり、ミュージシャンだ。かの有名なSenyawaのWukirの竹の楽器も、設計をWukirが担当して、実制作はPak Men氏が担ったという。(聞き違いだったらすいません)遊びに行くと、家は前回お邪魔したのと同じ場所だったけど、家の周囲のアトリエの機材や物の配置が変わっていた。もうすっかり日が暮れていたが、Andriさんも参加しているバンド”Saung Swara”の面々が集まってばりばり音を出してセッションしていた。住宅街だけど関係ないんだ〜!?
 
Pak Men氏が相変わらずのハイテンションで「Aoi〜!やるか〜!?」とノリノリで自分の楽器(名前がわからないんだけどすごいかっこいい自作弦楽器、ギターと琴とSiter(ジャワのガムランアンサンブルで使う楽器)のあいだみたいな)をわたしに持たせてくれたので、適当に鳴らし始めたら、ハサンという青年(高校生くらいに見えたけど年齢不詳)が手作りの二胡のような楽器をすぐに合わせてくれて、さらに他のメンバーの笛や太鼓も加わって、いきなりむっちゃ楽しかった。全員が手練れだ〜!ギターを持ってきていたので、それを出して自分の曲も聞いてもらった。そんなこんなしていたら、Aulia氏がやって来た。彼とは、5年前にジョグジャの即興のライブで一緒になった。コテコテのエレキギターを弾いててウワ〜好きだわ〜と思っていたオッチャン…。え?!会ったことあるよね?!そう!ジョグジャのKomboで!うおお〜なんでSalatigaにいるんだ〜!(なんでだったんだろう)と、喜びの再会だった。
 
Auliaが私のギターを弾いて、なんか日本の曲やろう、といって「宇宙刑事ギャバン」を演奏してくれた。一緒に歌った。まさかの選曲があまりに渋すぎて(わたしがアニメ好きじゃなかったらポカンとしていたと思う、全く世代じゃない)その時点で爆笑なのだけど、Pak Menやハサンの楽器による、東南アジアっぽいサウンドが輪をかけてツボで、本当に楽しかった。ありがとう。
ほどなくしてミーティングの時間になってしまったので、奥の部屋を借りて通話会議をした。7月に東京でやるライブの打ち合わせだった。
 
わたしが1時間半くらい抜けていたタイミングで、どうやらアンドリャンが差し入れに揚げ物を持って遊びに来ていたっぽくて、私が彼とAndriさんを急に引き合わせたことが変な間違いじゃなかったっぽいことがわかって、ホッとした。よかった。
 
ミーティングを終えて戻ると、みんなで楽器をがっつり演奏する時間は終わって、アンドリャンの差し入れを食べたりコーヒーを飲んだりして、ぐだぐだタイムになっていた。明日ジョグジャに帰るんだあ、適当にバスに乗るよ、と言っていたら、「DayTrans」っていう直通のミニバスがあるからそれに乗りなよ、と全員に強くおすすめされたので、その場で進められるがままにバスを予約した。75,000ルピア。先日のTerminal Bawenからの直通バスとそれほど変わらない値段で、ここから直通なんだったらけっこう良いんじゃないか? バス停までは、明日の朝にファジャルが送ってくれるって。え、ありがとう…。このバンドメンバーの多くは楽器を作るようで、ファジャルも笛職人だった。わたしのインスタを見てだったか「ああ、タフタんとこ行ってきたんだ」みたいな反応だった。そこ繋がってんだ〜!世間ほんとうに狭いな!彼はファゴットみたいな形の大きな自作の笛を吹いていた。もうちょっとよく見せて貰えばよかったな〜
 
眠くなってきて、ほどなく解散。Andriさんに送ってもらった。ファジャルんちは、わたしがとったホテルのガチ近所だった。「ここがファジャルの家だよ」なるほどそういうことか…!それにしてもありがとうございました…。さすがにヘトヘトだったのですぐ寝たと思う。この日ホテルに戻ってからの記憶がない。
 
 
5/17(金)
ジョグジャに帰る日。バスは9時発なので、朝8時半にファジャルと待ち合わせる。朝ごはんを食べるため、8時くらいに部屋をあとにしてホテルのフロントに荷物を一旦預け、Google Mapで見つけた近くのワルンまで5分くらい歩いて行った。
ワルンに入ると、メガネをかけたおしゃれな感じのお姉さんが店番していて、メニュー表もしっかりデザインされていた。なんかSalatigaっぽい。そう、Salatigaは中部ジャワのなかでは、外国人にとって全く有名ではない町(たぶんこれといった観光スポットがないから)だけど、わたしはけっこう良い街だと思っている。キリスト教系の総合大学(音楽学部もある)があり、教会もあり、もちろんモスクもあるが、ムスリムじゃない人の割合が他の町よりも高くてなんとなく雰囲気が違う。学生の多い街だからか、飲食店の価格も比較的安く、オシャレな店構えのカフェが非常に多い。そして、街灯と小綺麗に舗装された歩道がけっこうしっかりあって、歩いて回って楽しめる街並みなのもけっこうすごい。なんならジョグジャより歩きやすい。あと、標高が高めなのでやや涼しく、街全体が坂になっているので要所要所で眺めが良い。そして、個人的にはジルバブ(ヒジャブ)を被っていない、髪を見せて生活している女性がたくさんいるというのも、なんとなく気が楽だったりする。個人的には「もし何年か住むんだったらここかもな〜」とすら思っています。長めにジャワへ行く機会がある人には、是非一度訪れてみてほしい街です。
 
そんなSalatigaっぽいワルンでSoto Ayamを食べた。ミニサイズがあって、お茶漬けみたいな感覚でサラッと食べられて良かった。食べた後は少し遠回りしながら散歩の足取りでホテルに戻った。朝の光が強くて、うっそうとした茂みに木漏れ日がキラキラと落ちていてすごく綺麗だった。家の庭を鶏が数羽歩いていた。少し開けたところからは、遠くに山と、モスクの屋根が見えた。大きな道沿いでも、ちょっと路地にはいるとすぐに山の雰囲気になるのが、このへんのエリアの楽しいところだ。
 
ファジャルと無事に合流した。彼は全くヘラヘラニコニコしないタイプなので、こちらはけっこうソワソワする。話題がなさすぎて気まずかったので、思いついて絞り出すように「タフタとどこで会ったの」と聞いたら、リマ・グヌン・フェスティバルで会った、と言っていた。これはマミさんの夫・タントさんが中心になって企画している大きなダンスフェスだ。ジャワ島のみならず、インドネシアじゅうのダンサーが集まって、各地方の踊りが披露される。たまにコンテンポラリーダンスもあり、地元の子どもたちのダンスもあり、すごい密度のプログラムが2日にわたって開催される。中部ジャワの「リマ・グヌン(5つの山)」の村をローテーションしていくので、毎年会場が変わる。
個人的には、わたしが初めて一人でインドネシアに来た時に「山は寒い」と身を持って学ぶことになった(硬くて埃っぽい2階の床で凍えながら二泊した)思い出がある。伝統芸能や色々な芸術に広くアンテナを張っている中部ジャワのインディーズのミュージシャンやアーティストたちはきっとほとんど全員が知っているし関わりを持っている、といって過言ではない、と思っています。(わたしがオーバーグラウンドのアーティストたちと全く縁がないので、一般的な認知度がどれくらいなのかは不明。)
 
リマグヌンフェスティバルか〜、いいね〜、ですぐに会話が終わったけど、無事、ファジャルにバス停まで送ってもらった。彼は「この人は9時のジョグジャ行きのバスに乗るから」とバス停の人に伝えるまでしてくれて、それでもう解散すると思っていたら、バスが出るまで一緒に待って、最後まで見送ってくれた。紳士じゃん…。バスを待つ間、わたしが話題を広げられなさすぎて、彼は近くにいたカリマンタン島帰りだというおっちゃんと話し始めてしまったりして、正直気まずかったけど、心強かった。本当にありがとう…。
バスは10人乗りくらいのサイズで、わたしのギターが大きくて恐縮だったが、窓際の席に座れて、快適だった。ウトウトしていたらあっという間に着いた。9時出発で、12時くらいにジョグジャに着いた!早い!最高!
 
到着したバスの事務所が明日乗るのと同じ場所のようだったので、「明日ここからバスに乗ってスマランに行くんだけど、大きいスーツケースがあるんだ。乗るか心配なんですけど、追加料金とかいるんですか?」というのをスタッフに確認した。わたしは言語がダメだったし、スタッフのお兄さんもそれほど英語が達者ではないようだったので、お互いにスマホを取り出して翻訳アプリを噛ませまくってなんとかした。優しい人でよかった。明日の朝、早めに来て重さを測ってお金を払えば大丈夫そう。飛行機とかもだけど、こういう交通機関で、誰かの荷物が大き過ぎて乗りきらなかったらどうなるんだろう…。まあ落ち着かないけど、なるようにしかならない。
 
OK、ということにして、お昼ご飯を食べに行く。バス停(というかDayTransの事務所)の近くのワルンに、Nasi Pecelがあった!ここのも「これこれ〜!」という味のピーナッツソースで、美味しかった。ちょっとムニャムニャになった天ぷらとピーナッツソースと米を一緒に口に運ぶのがマジで美味しくて、一皿のNasi Pecelを食べているあいだのいろいろな一口のなかで最も好きです。わたしが食べている途中で「ここ美味いんだよ」みたいなことを言いながら二人組のお兄さんが来店して、ちょっと嬉しかった。
 
帰宅すると、停電していた。電気がつかない。妙に静かだと思ったら冷蔵庫も動いていない。明日からスマランで、ジョグジャにいるのは今夜が最後なのに、タイミングが悪い…。クーラーは元々ないけど、夜はちょっと困る。ここの管理をお願いしているPさんに連絡をしたけど、原因はわからないので待つしかないということだった。
 
夜、アーティストの先輩である北澤潤さんと、友人のランガと会う約束をしていたので、夕方になってから家を出た。「完全に私のワガママで会いたい人に同時に会うやつ」第二弾である。本当にごめん過ぎる。今日しかなかったので許してください。
ランガは、7年前にインドネシアに来た時に仲良くなったアーティストで、当時は音楽学部生だったけどその頃から制作と発表をずっと続けてきていて、今はプログラミングを使ってビジュアルやサウンドを作っている。ライブも時々やっている。彼よりも早口の人にまだ会ったことがない、というくらい、すごい早口のオタク口調で喋る。賢くてめっちゃ気遣いができる。大変できた人です。わたしが予定を勘違いしていて今日しか会える日がなくなってしまい、無理やり会ってもらった。潤さんは、もう10年近くインドネシアに住み、アーティストとして活動している先輩だ。この人も、わたしが7年前にインドネシアに来た時からの縁で、その時はジャカルタのスラム(これ、「スラム」と簡単に言い切りたくない複雑な事情があるんですが泣く泣く省略…、※拙ブログの2017年の記事に書いてます)のリサーチに連れて行ってくれた。今はジョグジャにある大学で授業を持っている。インドネシア語で授業やってるの凄過ぎる…。わたしに文化人類学的な視点をくれたのはこの人です。
 
二人ともコンテンポラリーアート界隈の人だし、どっかで今後、接点があるかもしれないし、まあ、会っとこ?というわたしの雑なノリにより、ランガのガールフレンドと一緒に謎メンツの4人で会うことになった。ジャワ料理の店に行った。わたしは現金が尽きかけていたので、近くのガソリンスタンドのATMでお金をおろして、やや遅刻で向かったけどまだみんな着いていなくてホッとした。
ごはんは美味しかったし、みんな変わってなくて嬉しかった!ランガはコンブチャを飲んでいた。コロナのせいで、俺ら前に会ったの5年前っていうけど3年くらいの体感じゃない??とランガが言っていた。本当にそうだよね〜。5年前、アディットと友達と4人でジョグジャの海に行ってみたけど風が強くて何もできずに帰って来たことがあったね……。もうわたしは元気な彼らに会えただけでだいぶ満足で、主に潤さんとランガがお互いの作っているものについて紹介しあって、ものすごい勢いのインドネシア語を交わしているのを「ギリギリ内容がわかるけど入る隙がないな」とニコニコ聞いていた。俺らが喋ってばっかりでAoiぜんぜん喋れてないけど大丈夫?!みたいに言われたけど、本当に顔が見れただけで嬉しかった。ありがとう。
 
帰り、潤さんが滞在先まで送ってくれた。わたしは途中でMartabakを買わせてもらった。Martabakというのは、ムニャムニャした食感の卵多めの分厚いパンケーキのようなものにマーガリンやチョコレートやピーナッツ(選べる)を挟んだ、ものすごいハイカロリーの屋台菓子だ。なぜか昼に屋台が出ることはほぼなく、夜にしか手に入らない。友達にもらったことは何度かあったけど自分で買ったことないな…どっかで食べたいな…と思っていたので、バイクに乗り込んでから「Martabakの屋台を見つけたら寄ってもらえませんか」と潤さんに頼むのに迷いがなかった。ちゃんと良い感じの屋台に出会えたので、ワクワクしながら買った。紙の箱に入っていて、ずっしり200gくらいだろうか。重くてあったかい。家についてから食べた。一切れは潤さんが食べてくれたけど、甘過ぎぃ〜、一切れでいいわ…、という感じだったので、あとは全部わたしが食べた。これがペロっと食べきれてしまうのはけっこう恐ろしいことだ。留学生がこれにハマって10kgくらい太って帰る、というのがあるあるらしいです。
 
潤さんは、もうすっかりここでの生活に慣れてきて、飽きてきたかもしれないくらいにこれが日常になってきたけど、「まだ普通を作ってる途中」と言っていて印象に残った。真剣に考えながら、自覚的に人生をやっていないと出てこない言葉だ。文化人類学的には、むしろここから、なのだろう。
 
住む場所や生き方など、自分の人生の「普通」は自分で選んで作れるって、そういえばそうだ。自分の生活とかって、自分で選んで作れるし、作るもんなんだ。それが結果的に、振り返ったら暮らしや人生になっている、みたいな。
わたしは、この春のタイミングで、食べていくためにやっていた仕事を辞めたし、しばらくお世話になっていたシェアアトリエも離れることにして、Slackのアプリを消した。ここ3年くらいやっていた「普通」が一度リセットされるようなタイミングで、ほぼ何も決めずにここへ来てしまった。正直に言ってめちゃくちゃ不安で、帰るの怖いなと思っていたけど、そっか自分で選ぶんだよなあ。実際、選べるほど選択肢があるのかどうかは怪しいけど、自分がこれからどうしていきたいか、ちゃんと考えよう、と素朴すぎるけど素直に思った。
 
潤さんとしばらくおしゃべりして、解散。明日、ここを発ってスーツケースごとスマランへ行くので、部屋を掃除したり色々整理して、あとは明日、というところまで雑務をやっつけて、2時くらいに寝た。
 
 
 
 
 
 

インドネシア滞在日記⑦ 5/11〜5/12

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑦ 5/11〜5/12
 
5/11(土)
最悪な気分で眠ったのに朝4時に目が覚めてしまって(寝れていたのかもよくわかんない)、そういえば昨夜「明日の朝は6時に近所のお父ちゃんお母ちゃんの家へご飯を食べに行こう」みたいなこと言ってたな、いや〜さすがに無理…なので、タフタに「わたしはもう少し休みたいので朝ごはんはみんなで行ってきて…」とメッセージを送ってから二度寝した。
 
が、結局8時半くらいにみんなで出発した。わたしは昨夜のことがあったので正直ハラハラしていたが、道すがら、ルイージが「わあ〜っ!Aoiの髪、青いんだね!昨日は気がつかなかった〜、好きな色は何?」と(ここまで一気)聞いてくれた。気圧されつつ、まァ青っすねと答え、Aoiって名前の意味は青色のことなんだけど…、と話そうとしたらタフタが「海の色だよね」と言ってくれた。え、や、やばいメッチャうれしい、先週した話を覚えてくれている…。どうも、空じゃなくて海の碧です…
昨夜の悪口事件の真相は謎のままだったが、ルイージが普通にしているので、とりあえず気にしないことにした。今朝まで凄いバッドだったけど、天気もいいし、なんか大丈夫かも…
 
到着したらお父ちゃんが家の土間のあたりの天井の屋根瓦を外していた。すごい埃だ!!何してんの?!びっくりして聞くと、瓦を支える梁が古くなったので新しい木に交換するらしい。ここの屋根は瓦一枚で天井になっている。これ自分でメンテナンスするもんなんだ…と驚いた。すぐにアントとタフタが、お父ちゃんがハシゴの上から受け渡す瓦をきれいに床に並べるのを手伝いに入った。全員手際がいい。それがひとしきり行われて、蒸した芋やとうもろこしをつまみながら(これは朝ごはんではない…?)のんびりして、ようやく朝ごはんをたべた。
 
ルイージが、庭のグァバ(先週初めて来た時にも食べた)見たよ!あんなにたくさん成ってるのに!食べないの?!もったいないよ!食べよう!と大きな声で提案し、全部ジュースにすることになった。アントとルイージが2人がかりでほとんど全部収穫して、少しずつミキサーにかけて、ほどなくしてバケツいっぱいのグァバジュースが完成した。なかなか圧巻だった。おいしかった。
ルイージは「砂糖いれなくてもおいしいよ」「インドネシア人は砂糖を使いすぎだよ!」としきりに言っていたが、それに対してタフタとアントは「いや甘い方がおいしいじゃん」と相手にしない。こういう一連が、どうやらお決まりになっているらしい。
ルイージは(わりと強めの)自然愛好家で健康志向でビーガンなので、人工甘味料や過剰な砂糖を摂らないし、海や川は汚染されているしマイクロプラスチックなどが入っているという理由で魚を、劣悪な環境下で育てられていてかわいそうだしCO2が以下略などの理由で動物の肉や卵を食べない。わたしが(わかっていてちょっと意地悪で)「鯨はおいしいよ」と言ったら、めちゃくちゃ悲しい顔をされてちょっと申し訳なかったが、彼は周囲にそれを押しつけようとはしないし、周りの人たちは全然真面目に聞いていないので、バランスが取れていると思う。
 
昨日たくさん蚊に刺されたところが全て水ぶくれになっていた。腕も、背中に近い脇腹も大きく腫れて汁が出ていて気持ち悪いし痛いぐらい痒い。他の人がいない時にTシャツをまくってお母ちゃんに見せて「何か薬ないですか?」と聞いてみたけど、痒み止めしかないという。痒み止めならわたしも持っているけど、それじゃ気休めにしかならないので、う〜んどうしようかなと思っているところに、ルイージが戻って来て、わたしの腕を見て「これは細菌が原因だと思うから、抗生物質を飲んだ方がいい」「僕は毎日これを飲んでるよ」といって、イタリアの薬をくれた。(後で判明するけどこの見立てはたぶん合っていて、適切な処置だった。ありがとう)でも、抗生物質って毎日飲んでいいやつじゃなくない?この薬学生の「自然派」のバランスわかんねえな〜、と内心ちょっとおもしろかったけど、ありがたく受け取った。薬の名前をググろうとしたけど電波が弱くてダメだったので「まあいっか」と開き直って飲んだ。
 
朝ごはんのような昼ごはんのような感じで食べたり飲んだりしながら、ぐだぐだ過ごした。ルイージはお父ちゃんお母ちゃんとマシンガントークしていたが、速すぎて私は会話に入れず、タフタはいつのまにか奥の部屋にひっこんで寝てしまったしアントはなんかいないしで、つまんなくなったので外に出た。
家の前には大きなアレンの木があって、風になびく巨大な葉っぱが音を鳴らしていて、かっこよかった。大好きな眺めだ。この村は、風の質がとんでもなく良い。家の裏に行くと、お茶の葉っぱが燻されていた。釜戸で炭が燃えていて、30センチ×60センチくらいの大きな箱が二つ、そこに大量のお茶っぱが入って、静かにうっすら煙をあげていた。この村に来るといつも飲んでいるとてもスモーキーなお茶があるのだけど、それはこうして作られていたんだ!と製造過程を見れたのが嬉しかった。だいぶグッと来たので写真を撮ったりしてしばらく眺めていたらお父ちゃんがやってきて、「こうやるんだ!」と両手でガサガサ混ぜる工程を見せてくれた。
 
今日は、夜にカルトゥンさんと一緒に街のスタジオに行くことになっていて、それまで時間がある。暇だし、なんかもう寝てしまいたいけど、奥の部屋ではすでにタフタが寝ていて、その横に寝に行くのは変なので、どうしたもんかなと思っていたらお母ちゃんが別の部屋の自分のベッド(床に敷いたマットレス)で寝ていいよ〜と言ってくれた。40分くらい横にならせてもらった。そんなふうに昼過ぎまでいて、優しい甘さの焼きそばをいただいてからやっとお暇した。
 
14時くらいに家に戻って来た。近所のキッズがルイージについて来て、2人で2階で寝ていた。みんなは下の階でおしゃべりをしていて、わたしはなんとなく所在なく、庭でギターを弾くことにした。ここの庭には、ちょっとした広場がある。その中心には大きな岩があって、広場を囲む二辺は壁みたいな角度の斜面で、その一辺にちょっと石段が作ってある。斜面の上が家の2階やトイレなどがある階で、下がキッチンと広場の階だ。(説明が難しい)いよいよ明日に迫ったホームパーティーではこの小さい広場と岩をステージにする予定である。お客さんは2階の高さや斜面の途中の石段に座って、岩のステージを見下ろす、という想定だ。
石段に座り、歌とギターを練習した。ってか明日が本番なんだ。ここで歌ったら、キッチンや家の2階にいるみんなに聞こえないはずがないので、初めはなんだかソワソワしたが、そっちを見ないようにして歌い続けていたら、だんだんどうでもよくなってきて、でもって、歌っていたらなんだか昨夜のムシャクシャも思い出してきて、ちょっとヤケクソ状態になり、小一時間ほど自分の歌や人の歌などを次々歌い続けてしまった。
 
お騒がせしてごめん、と思いながらキッチン(居間?)に戻ると、みんなお茶を飲んでいて、ルイージが勢いよく褒めてくれた。いや2階で寝てたらすっごい綺麗な声が聞こえて来てさ!天使かと思ったんだけど!Aoiは歌手だったんだね?‼︎ さっきのはAoiの曲なの?動画撮っちゃったんだけどインスタにアップしていい?‼︎(ここまで一気)やっぱり圧がすごい。でも今ならやっと自分がここに来ている経緯を説明できると思って、拙い英語でゆっくり話した。わたしは歌をやってて、カルトゥンさんがここに連れて来てくれて…。ルイージはカルトゥンさんがミュージシャンだということも今知ったようで驚いていた。
タフタが「一緒に歌おう」と言ってくれて、改めて居間で、今度はみんなの輪のなかで歌った。夕日で空がオレンジ色になっているのを眺めながら声を重ねてゆったり歌っていると、昨日、ルイージとあんまり仲良くなれなくて、しまいにはあんな言葉まで聞いてすっかり硬くなっていた心が、じんわり解れていくみたいで気持ちよかった。
 
無事に、ルイージのAoiの評価はだいぶ良い方に塗り替えられたようで、相変わらず圧はすごいけど「なんか当たりがキツいな」という感じがなくなった。よかった…。わたしが気にしなくなっただけかもしれないし、実際のところはわからないけど、でも、ほんっっっとうにわたしはこういうことに助けられてきた。というか、歌で人との距離が縮んだ経験がありすぎて、もう歌なしだと、下手すると「アホな女」になってしまうんだと今回よーくわかった。初めて会う人にはなるべく早い段階で歌を披露したほうがいいのかもしれない(それはそれでアホな女か…?)
 
そんなこんなで夕方になり、日が沈んだ頃にカルトゥンさんが来てくれて、市内のスタジオへ出発した。今日も、先週と同じくベーシストのジョハンとカルトゥンさんと、あと明日の演奏会に巻き込むことになった(カルトゥンさんが誘った)ヴァイオリニストのマルノが来る。(事前に音源を送って聞いておいてもらった…ありがとう)あと、明日の記録撮影をする映像屋が来るとのこと。
明日の演奏会に出演する人としない人がいる(明日出演するけど来てない人(=タフタ)もいる)、というちょっと謎のメンバーだったので、曲を練習したいけど、ジョハン明日いないのにごめん、と最初思った。が、彼はめっちゃ演奏力があるのですぐ馴染んでくれて、2時間あっという間だった。
スタジオのスタッフが先週と同じ人で、めちゃくちゃ日本語が上手だったのでちょっと仲良くなった。彼は「自分の曲に日本語の歌詞をつけたんだけど、この部分の表現に違和感がないかどうか聞きたい」と、めちゃくちゃしっかり完成させてある歌詞を手描きした紙を見せてくれた。まず平仮名とカタカナに加えて漢字が書けているのがすごすぎてちょっとクラクラした。ここまでできる人に初めて会った。2ヶ月くらいかかったという。該当箇所は、まあ確かにちょっと不思議な表現(「夜空見ながら両手を合わせて最善を祈る」)だったけど、歌詞だからOKじゃない?参考にならなくてごめん、いや〜、すごかったな…(アニメが好きで一時期日本にいたらしい)
 
スタジオを出る頃に、映像屋のアルゴも合流した。この人が、どう〜しても「東京のアート界隈で会ったことある人」っぽすぎて、わたしは最初からなんか馴れ馴れしかったと思う、すみません。初めて会った気がしなくて……。明日のイベントに関わるメンバーは今日の夜から山に泊まるので、このあとみんな山に帰る。
先週と同様に、同じワルンで食事した。ここはワルン(食堂)と屋台のあいだくらいの感じの店で、買った串焼きを炭火で焼きなおして出してくれる。美味い。今日も繁盛している。そして、本当にラッキーなのだけど、ちょうど良くこのワルンの向かいに薬局があって、食事の後に寄ることができた。カルトゥンさんが一緒に来てくれて超ありがたかった。ちゃんと薬剤師っぽい人がいて、わたしのグジュグジュの腕を見て「これにはこの薬ですね」という感じで、飲み薬・塗り薬・肌に塗る粉薬を出してくれた。まっっっじで助かった。おそらくヘルペスとかとびひの類なので、なるべく清潔に保ち、飲み薬をちゃんと飲むのが取り急ぎやれる対処だった。さすがに疲れがでて、免疫力が下がっているとみえる。頼りにしていたビタミンCのサプリメントもない。あの温泉に入ったのはマズかったかもしれない。でも発熱とかじゃなくて皮膚で済んでいてラッキーだ。
 
カルトゥンさんはガールフレンドのニサを迎えに行ったので、わたしはマルノのバイクに乗せてもらって山の家まで帰った。マルノは「気のいいニイちゃん」という感じで、すごく話しやすくて助かった。わたしは眠かったので(※バイクの後ろに乗ったまま居眠りをすると転げ落ちて死ぬ)すごくどうでもいい話をずっとしながら山まで帰った。確か「インドネシアはメロンが安い、なんで?」みたいなことをずっと言っていた(やっぱりアホ女かもしれない…)。
山の家はこれまでで一番人が多い雑魚寝だった。たぶん8人。大学生の時にしていたシェアハウスでパーティーをやった日の感じを思い出した。寝る前、アルゴが咳が止まらないみたいだったので心配になってプロポリスキャンディーを2つあげた。
 
 
 
5/12(日)
ホームパーティー(コンサート)本番の日。
今日の朝ごはんはアルゴが担当したナシゴレンだった。ルイージとは既に面識があるようで「味付けにMasako(インドネシアで最も有名な粉末の便利な調味料、味の素が作っている。ルイージはこれを食べるのをなるべく避けている)使ったよww」と言って意地悪な感じに笑っていた。仲が良い。今日のナシゴレンにもSintrongの葉っぱが入っていて嬉し・おいしかった。
朝ごはんの後ひとしきりのんびりしてから、大掃除と模様替えが始まった。コンロを載せて使っている棚の位置を少しずらしたり、笛作りの道具をどけたりするだけでたいぶ広くなった。火を起こす時に使っている木屑の入った大きな白い袋を4つ並べて、その上に長い板を置いてベンチを新設した。
わたしの日本の友人がインスタごしにオーダーしていた笛が完成したので、タフタに友人の名前の漢字を解説することになった。わたしのものと同様、笛に彼女の名前を彫ってもらうのだ。わたしが漢字の書き順を書いた紙を作って渡したら、ルイージがそれを覗き込んで、中国語読みを教えてくれた(留学していたらしく中国語もできる!)。一文字ずつの意味も説明しよう。山本の「山」は「Mountain」、山本の「本」は…「Base !」と、ここで同時に声を出したわたしとルイージがハモって、笑いが起きた。嬉しかった。なーんだ、わたしたち大丈夫そう〜!
 
草むしりや掃き掃除もして、だいたい良い具合になった。ポテチ(※先日、この日のためにと言って村のおばちゃんの手作り店で買ったTalasのチップスを、結局パーティーが始まる前に我々はほとんど食べきっている)を食べながらお茶を飲んで休憩し、お昼はあそこのワルンにSotoを食べに行こう、という話を1階でしていたら、2階にいたアルゴが降りて来て「昼あそこのワルン行こうよ」と良い提案がある!みたいな感じで言うので「いま同じこと話してたよ」と言って笑っていたら、タフタがさっき言ってたんだよ、な〜んだ、とまたみんな笑っていて、もうなんで笑ってるのかよくわからないんだけど、そういうシーンがいちいち楽しかった。
 
すぐ行くわけじゃなさそうだったので、わたしは2階の掃き掃除もした。実はほぼ毎日やっています。松の葉とかネズミのフンとか死んだ虫とかがちょいちょい落ちてくるので、毎日掃除しないとけっこうすぐ無理な感じになりそう、というのがしばらくいて分かってきていた。
12時半ぐらいに出発。バイクが微妙に足りないので、アントとルイージが徒歩、わたしとタフタとアルゴがバイクで行った。ワルンは一年前に新しくできたばかりだそうで、とても綺麗だった。屋外に竹を編んで造られた屋根のある高床の座敷席からは、青々とした田んぼが一望できた。歩いて来た二人もほどなくして合流し、サクッと食事を済ませた。もう少しのんびりするメンバーもいたけど、タフタが買い出しに行くと言ってひとり先に立ち上がった。サンダルを履きながら、誰か一緒にくる?と尋ねるが、誰も志願しないので、じゃあわたし行こうかな…と思っていたら「Aoi, Mau ikut?」と名指しで声をかけられたので「Mau !」と即答した。なんかちょいちょい子供とお父さんみたいなんだ…
 
カチャンヒジャウ(緑豆。そのおしるこ)を作るらしい。緑豆を手に入れたいので、村中の色々な小さいワルン(売店)を次々に訪れて有無を訪ねるも、売り切れていたり扱っていなかったりして、結局見つからなかった。途中、接着剤(笛用)を買ったり、お母ちゃんちでGula Aren(砂糖、これもおしるこに使う)を分けてもらったり、家のすぐ外に生えているPandanを引っこ抜いたり(黒いナメクジがいたのではたき落とした)した。わたしは手に入れたものを持つ係で、たぶん不要な人員なんだけど、なんか余計な奴として一緒にいるのが可笑しくて、子供みたいな気分だった。片手にPandanの葉っぱをひと束、片手に重たい砂糖などが入ったビニール袋を持って得意げにバイクの後ろに乗っているの、ちょっと可笑しかったと思う。
 
緑豆は見つからなかったけど、とりあえず手に入れたものを置きに家へ戻ると、カルトゥンさん達が支度を始めていた。Lonton sayur padanを作るらしい。スマトラ島のパダンという地域の料理だ。パダン料理は「おいしい」のと「料理を載せた皿を積み上げて提供する(ググってみて)」ので有名で、ジャワの町中にもたくさん店がある。わたしは実は以前ジョグジャで食べたLonton Sayurがなんとなく偽物っぽい雰囲気だな…と思っていたので、今日ついにリアル・ロントンサユールが食べられそうで嬉しい。(調理場に立っているニサさんはパダン出身)
手分けして買い出しに行っていた人たちが戻ってくるたびに食べ物が集まる。アルゴが揚げ物を持って戻って来て、手伝いするのかなと思っていたら普通にのんびり食べ始めたので、わたしも堂々と一緒に食べた。ちょっと時間がたってムニャムニャになったGorengan(天ぷら)を青唐辛子を齧りながら食べるの、ほんと美味しい、大好き、太る
ニコンサートで演奏する曲の、順番はもう決めていたけど、あいだに歌詞の意味をざっくり紹介したかったので、揚げ物片手にそのMCの台本を作った。翻訳ソフトでバーッとたたき台を作ってから、カルトゥンさんに見てもらった。昨日くらいに思いついて「やったほうがいいけど面倒だな…」とウダウダしていたが、やってみたら10分くらいで終わった。ありがとう…
 
16時から本番ね、と言っていたけど、サウンドチェックとリハ(記録映像のためにいくつかマイクを立ててくれたのと、ギターだけアンプにつないだ)のつもりで曲をゆるく演奏しだした頃には、手伝いで来てくれているのかお客さんなのか、もうすでにけっこう人がいて、曲が終われば拍手もしてくれるしスマホでめっちゃ動画撮ってくれるので、何が何だかという感じだった。だいぶネタバレしているけど一回ちゃんと仕切り直そうと、わたしは化粧を直してから本番に向かうことにした。
家の2階で化粧を直しているあいだ、音響スタッフとして来てくれていたお兄さんがわたしのギターを弾いて、それで自分以外の全員でセッションが始まっていて、しっかり盛り上がっていた。あれぶった切って登場するの緊張するなあとか思っていたけど、これはホームパーティーだ。友達と、せいぜい近所の人たちしかいない。わたしのカンペ読み上げインドネシア語MCも究極にたどたどしかったと思うけど、カルトゥンさんがほどよく茶々をいれてくれたりもして、ライブは終始なごやかに進んだ。
 
聞きに来てくれた人たちから前向きな気持ちとか好奇心が伝わってくるみたいで、歌いながらそっちを見渡すと胸がギュッとなった。村のお父ちゃんお母ちゃんとか、先週ここで会った村の人とか、その友達とか、アントのバイクが壊れているので運転手を担わされていた友達とか、先週スタジオで会ってご飯の時に治安悪い話をした、バンドのボーカルやってるいかついお兄さんとか、全然知らない人もいたけど、みんな客席にそろって熱心にこちらを向いてくれていて、この村に滞在した短い期間の最終回みたいだった。(来週もあります!)
 
最後にタフタとのデュオで『The invisible sea』を演奏し始める頃にはもうだいぶ日が暮れて暗くなってしまったので、前の方に座っていた何人かの仲間、アントやルイージや友人たちが、スマホのライトで我々を照らしてくれた。ちょっと泣きたくなるくらい美しい時間だった。良い月も出ていた。
演奏した広場と石段には草がたくさん生えているし、基本的に土だし、音は吸われちゃって響かないだろうと想像していたけど、演奏してみると思いのほか良いリバーブがあった。音がまろやかになる感じがして心地よかった。本当に奇跡みたいな場所だ。いや、この庭と家を設計して作ったのは、かのタフタ氏であり、どれくらいまでが狙って作ったものなのか分からないけど、いやあ、ほんとうにすごい…。
 
演奏が終わったら、皆で準備した料理を食べるパーティーになった。Lonton Sayur は、ロントンにカレーみたいなスープをかけて食べる料理だ。ロントンというのは米を蒸してバナナの葉で包んで蒸した筒状の、粗挽きの餅みたいなものなのだけど、この日はこれの現代簡易版ーーバナナの葉ではなくプラスチックの袋を使ったもの(プラスチックの袋なので、葉っぱのいい香りもつかないし本物よりもベチョベチョしている)ーーを食べていて、みんな「Lonton Plastic 笑」といって何度もおもしろがっていた。そんな感じなんだ。
そういえば、タフタと探し回った緑豆はあの後なんとか見つかった模様で、とてもおいしいカチャンヒジャウ(のおしるこ)になっていた。Pandanの葉っぱの香りと、Gula ArenとJahe(生姜)の甘酸っぱい爽やかさとココナッツミルクのまろやかさ、そして小粒の豆の小気味良い食感、全部バッチリ調和していて本当に美味しかった。あまりに美味いのでおかわりを狙ってしばらく鍋のそばにいた。レシピを聞いたら、↑に加えて塩もちょっと入れると言っていて、日本のおしること同じだった。作りたいなあ
 
みんなお酒を飲まない(多くがムスリムだしバイクで来ている)ので、誰もぐちゃぐちゃにならずにちゃんと帰って行くのが、とても良かった。でも、お酒もないのに宴会はゆうに2時間は続いた。衣装不足だったのでわたしはバティック(インドネシアの伝統的な臈纈染めの木綿の布、ジョグジャで買った安いのを、寝る時に掛け布団シーツとして使っていた)を腰に巻いてスカートみたいにしていたのだけど、巻き方が自己流すぎて変じゃないか不安でさ、といったら先週も会った村のニイちゃんが伝統的な巻き方を教えてくれた。延長コードで電灯を増やしたりしていたのだけど、それに誰かが毎回引っかかりそうになってオウオウ気をつけて、みたいな場面とか、なんだかよく覚えている。そしてだんだん人が減り始めた頃、誰かが火を起こしてくれた。
スマホをいじっている人、おしゃべりしている人、黙ってぼんやり火を見ている人、皆思い思いに過ごしながら、なんとなくまだここにいたいので、いる、という感じが、すごく幸せだった。お腹いっぱいだし、気温も心地よい。ついさっき素晴らしい景色のなかで歌ったことはもうすでに夢のように遠くに感じた。
 
22時半にはもう寝る体制だった。わたしは2時半くらいに目が覚めたりした。
夢の中の言語がインドネシア語だった、ってメモしてあるけど、どんな内容だったか忘れてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 

インドネシア滞在日記⑥ 5/9〜5/10

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑥ 5/9〜5/10
 
5/9(木)
朝、マミさんの夫の弟・サントさんがバイクでバス停まで送ってくれることになった。ありがとうございます…!でも「バス停」まで行くのだと思っていたらそうではなく、「目的のバスが確実に通る路上で手を上げて乗る」という上級者の乗りかたに挑戦することになった。灼熱の路上にバイクを停めて、バスが通りかかるのを二人で待った。
とはいえ、そうすぐには来ないので、今だ!と思って「食べるもの買ってきていいですか」と言って、荷物は見てもらっておいて、近くに見えていた屋台へ小走りで向かい、8000ルピアで小さい朝ごはんの包みを買った。Bungkos(持ち帰り用に包む)という言葉がすっと出てこなくて、え〜っととなっていたら屋台に座っていた周りのお客さんがフォローしてくれて優しかった。サントさんが何か食べたいかどうか聞き損ねたので、ペットボトルの水だけ一本買って行った。
戻ったら、バイクのシートに乗せていたわたしのリュックが消えていた。めちゃくちゃギョッとした。えっ、スられた?!と思って、いっきに心臓がバクバクした。まあでも貴重品は自分の小さい鞄に入っていて、リュックに入っていたのは着替えや化粧品ぐらいで…あっでもICレコーダーが…最悪ハードウェアは売っても良いからSDの中身だけは返してほしいですっていうかリュックそのものも気に入っていて…、ウワーッ!とほんの一瞬で頭の中が忙しくなったが、サントさんが自分の足元に(それこそ絶対にスられないように膝下に挟むような形で)置いてくれていただけだったとすぐに判明した。本当に息ができないくらいびっくりした…。サントさんは笑っていた。
その後、なんとかサントさんに助けてもらって乗り込んだバスは、かなり小さめの古そうな車で、これで長距離移動するのけっこうしんどいぞ、と思っていたら「Magelang(ここからすぐのバス停)で乗り換えだよ」と言われた。スマランまで行くっていうから乗り込んだのに乗り換えを提案されたし、不当に高い運賃を請求されたと思ってしまったりして(真偽不明)ちょっと気分が荒んだ。
バス停で乗り換えた大きめのバスが出発するまでのあいだ、他の乗客(子連れのお母さん2組)がオヤツを食べていたので、わたしもさっき買った朝ごはんを食べた。美味しかった!名前を忘れたけど、ちょっと独特の臭みのある空豆みたいなのとホルモンの炒め物と白ごはん、あとゴレンガン(天ぷら)with青唐辛子。全体的に辛い朝ごはんになった。
今度こそ行き先がスマランだったので安心してひとしきり揺られた。途中、Ambarawaという5年前に住んでいたエリアをバス停が通って、よく買い物していたLarisというスーパーマーケットの前を通った時、ちょっと嬉しかった。前回はここを通らないルートだった。9時くらいに出発したけどこの時点でもう12時前。
スクンというバス停(ここも大きな道沿いの路上だけどちゃんとバス停だし、知ってる道ではあって、しかし他に人が誰もいなかったりして不安だった)でバスを乗り換え、スマラン市内へ入る。さらに乗り換える予定のバライコタというやや大きいバス停まで来て、昼の13時過ぎだった。けっこう時間がかかった。でも不安な行程は乗り切った!座っていただけだけど、すっかりお腹が空いたので、バス停の近くのモールに入った。
スマラン市内はコンクリートジャングルかつ北(インドネシアの太陽は北を通る)の港町なので、ありえないほど暑いが、モールは寒いくらい涼しい。モールの一番入り口の近くにあったバーガーキングに入った。日本にいた時もこちらへ来てからも、ここ数ヶ月はパレスチナに連帯を示す不買運動を地味にやっているつもりだったのだけど、荷物も重たいし、ヘトヘト過ぎてどうしようもなかったし、なんかストレス発散が必要な気がしたので、コーラとフライドチキンとハンバーガーとポテトという、なかなか強めのジャンクフードをがっつりいった。なんだかオラオラした感じの元気が湧いた。
 
さて。着替えのTシャツと、夜の山でも凍えずに済むように、長ズボンか何かを買いたい。そして、わたしは一度でも多くタフタの家からの夕日(※しつこいようだけど、本当にすばらしいViewなの…)が見たいので、16時くらいには確実にあちらに到着しておきたい。つまり、ここで買い物したり休んだりできるのはあと1時間半くらいだ。よし。「夕日を見ること」に照準を合わせて行動するのは自分にとって新鮮で、なんかワクワクした。
 
疲れていたし荷物は重いけど、ジャンクフードのオラオラ元気とエアコンの涼しさのおかげで、グイグイ歩けた。なかなか妥協できなくて、かなりの早歩きで次々に店を見た。あと10分くらいで決めなきゃ…というタイミングで、これならまあ着ても良いと思えるTシャツ2枚と、ジムに行く人が着るような厚めのレギンスを買った。長ズボンよりも荷物にならないし洗濯したらすぐ乾くし、これは賢いんじゃないか!レジのお姉さんにタグを全部切ってもらって、それらをギターケースの外側のポケットに押し込んでモールを後にした。
そこからまた1時間弱バスに乗り、カルトゥンさんと待ち合わせているバス停に到着。今回は何の問題もなく合流して、バイクの後ろに乗せてもらい、再び山へ!
道中、自分がここから山の家までの道の景色を見覚えつつあるのを実感した。途中に、広い田んぼが広がっているところと、右手に渓谷があるところと、開発されてニュータウンみたいになっているところがある。あと、小学校と、街の名前を書いた看板と、モスクと…。それらが自分の記憶と同じ順番でちゃんと現れるのが嬉しかった。
 
無事に到着。わたしたちが着くと、タフタは道から敷地へ入るところの、いつもバイクを停めているスペースで火を焚いていて、庭の手入れでもしたのだろう、枝や葉っぱを焼いていた。火のそばにしゃがんだまま「Selamat datang〜(ようこそ〜)」とニコニコしている。う、うれし〜。わたしはインドネシア語でなんて返せば良いのかスッとわからなかったので「きたよ〜(※日本語)」みたいなことをぼんやり言った。なんか声を出しておけば気分ぐらいは通じる気がしている自分の甘えた態度に「再訪」の感があった。
 
週末のホームパーティーに向けてひとしきり掃除をしたようで、庭やキッチンが少しきれいになっていた。2階に荷物を下ろして、また来れた、やっと着いた、案外遠かった!という達成感で少しぼーっとしていたら、ほどなくして、Aoi、お茶飲む〜?と階下から声がかかった。
 
お茶を飲みながら夕日(雲が多くていまひとつだった)を眺め、カルトゥンさんと3人でおしゃべり。タフタは話の傍ら笛を作る作業を進めている。わたしの日本人の友人から、Instagramごしに「笛を買いたい!」と申し出があったので、そのオーダーのものだ。なんかわたしのより大きくてゴツゴツしていてかっこいいぞ…!
日本語では朝の太陽と夕方の太陽に違う名前がついてるんだよ、というような話をした。あと、週末のホームパーティーのこと。そして、俺たち来週の満月にあわせてこの山の裏側へ一泊のキャンプに行こうって話をしてるんだけど、Aoiも来なよ!と言ってくれて(ニュアンスとして、来る?じゃなくて来なよ!だったのが嬉しかったよね…)、来週もまた来ることが早くも確定した。タフタが「満月を理由にキャンプの日程を決める」のがあまりにキャラ立ちしていて内心めちゃくちゃツボだった。満月のパワーを受け取りに行きたいらしい。スピっている…
 
その後、カルトゥンさんが夕飯の買い物ちょっと行ってくるけどいるものある〜?と上の階から声だけ聞こえて、わたしが「ない!」と即答したりしていて、なんか仲良かった。(こういう細かい瞬間に嬉しさがいっぱいあって、わたしは逐一それを書き留めていました。)
昨日Senyawaの演奏を観に行った時にもらった野菜を夕飯に使った。インスタント焼きそば(Indo mie)と、切った野菜を一緒に茹でて混ぜて、あとちょっとニンニクや唐辛子も足したりして、目玉焼きを乗せて食べる簡単な夕食だった。
 
マツボックリが落ちていたので「これよく燃えるんでしょ」と拾ったら「焼いてみよっか」とタフタが火を起こしてくれた。どんどん燃やすものを持ってくるので、しばらく火の面倒をみる時間が続いた。肌寒かったのでちょうどよかった。タフタがふいに「火にあたるAoi」をわたしのiPhoneで撮ってくれたけど、こちとらすでに寝る体制のすっぴんメガネであり、別に可愛く写っているわけでも何でもなく、マジでなんで今…?と思った。
ひとしきりたって、帰るカルトゥンさんと入れ違いで、先週も来ていたアント(わたしと同い年の絵描き)とその友達が来た。アントは、めちゃくちゃ絵の具を盛ったり切り抜きをコラージュしたりしてデコりまくったギターを持って来ていて、お茶を飲みながらみんなでおしゃべりするあいだ、静かにきれいなアルペジオを弾いていた。彼らが持ってきてくれたバナナを火で炙って食べた。
 
 
 
5/10(金)
23時くらいに寝て、7時過ぎに起きた。朝ごはんは優しい味のナシゴレン。もはやお馴染みのSintrongの葉っぱが入っていて、良い香りだった。(以前この香りを「春菊よりもっと薄くてあっさりした感じ」と書いたけど、調べたらこれもキク科でした!あってる)これホント旨いよねえ〜。「さっきそこで採ってきたんだよ」とのことです。本当に豊かな生活…
 
朝ごはんを食べてから、水浴びをした。ドライヤーがないので夜になってから髪を洗うと体を冷やしそう、という理由でここでは朝に髪を洗うようになった。頭がスッキリした。昨日ヘトヘトだったけど、ちゃんと寝られたので元気だ。
ジョグジャに帰らなかったので、もうさっそく洗濯したい、ランドリーじゃなくて手洗いでいい、といったらタフタが洗濯洗剤をくれた。「トイレのとこの」「黒い」と「Strage」が単語で聞こえたけど、パッと意味が掴めず、倉庫に黒いタライがあるってこと?倉庫なんてあったか?と思いながらトイレのある建物へ行き、あ、多分トイレで流す水を溜めておくために使っている黒いバケツのことだ!と気づき、若干のヤダみが一瞬よぎったけど、すぐ気を取り直して隣のカマルマンディ(水浴び部屋、シャワールーム的な)で服を手洗いした。
洗濯物は家の北側(太陽あるほう、玄関のすぐそば)に干すのだけど、ズボンの絞り方が甘くて、水がポタポタ垂れてしまった。ごめん、と思ったけど、よく考えたらここは外で、常に雨晒しなので全く問題なかった。
 
お昼には、ココナッツミルクやレモングラスを入れて炊いたご飯に、Telangという青い花(バタフライピーと呼ばれるお茶になるやつ)で色をつけたものを食べた。青いご飯だ…!一度も見たことがない料理だったけど優しい味でとても美味しかった。オムレツと一緒に食べた。Telangのお茶にライムを絞ると色が変わるのをタフタが実演してくれた。生の花でバタフライピーを淹れたことはなかったので、ちょっとした感慨があった。「東南アジアのおしゃれなお茶」の、この様がまさにガチ現地…!最近これの苗を庭に植えたのだそうで、見せてもらった。ツルがもう少しで近くの木に到達する、というところだった。
 
ランチの後、イタリアから留学に来ているという大学生(大学院生?)のルイージが遊びに来た。薬学系の勉強をしていてハーブに興味があってインドネシアに来たという。タフタたちとは1〜2ヶ月前くらいに出会っていて仲が良いみたいだし、ルイージはめちゃくちゃ声が大きくて早口でよく喋る、いわゆる陽キャで、すぐに会話の中心になっていた。わたしは勢いについていけなくてちょっと小さくなっていた。一休みしてから、週末のパーティーの準備のため、いつのまにか食べ切ってしまったTalasのチップスを買いに、みんなで歩いて近所の村へ出かけた。ルイージは近所の村の子供達とも面識があるようで、ハイテンションで挨拶しまくっていた。
ルイージが今度インドネシア語のスピーチ大会に出場する(イタリア語、英語、中国語が話せる彼だが、さらにインドネシア語を勉強中で、わたしより断然ちゃんと喋れる、すごい)にあたって、ちょっとした映画を作るというので、地元の人の案内で、山奥の倒木のあるところに行った。めちゃくちゃ大きな木がバーンと倒れていて、見応えがあった。材を切り出している段階っぽかった。ただ、そこは、崖っぷちにも程があるというほどの崖っぷちだったので、わたし含む3人は崖から降りるのはやめておいて坂で待った。腕だけ出演するタフタとそれを良いiPhoneで撮るルイージだけが絶壁を滑りながら降りて、必要なシーンを撮影していた。わたしは完全に油断した服(昨日買ったクロップド丈のTシャツと、ステテコ)で来てしまって、たくさん蚊に刺された。
 
夕飯を近所の、先週とは違う大きなお家でご馳走になった。その後、ぞろぞろ(6人)連れだって、バイクに乗って、Air Panas(温泉)に行った。インドネシアの温泉というのは、体をきれいにするような日本の風呂に近いものではなくて、水着で入るアウトドアアクティビティである。話には聞いたことがあって、かねてより怖いもの見たさがあったので、先週だったか、「温泉あるけどいく?」と聞かれて即答で「行きたい!」と答えたのだった。満を辞していざ!
 
夜の20時をまわって、完全に日は暮れている。バイクで15分くらい行って、駐車場からさらに片道30分近く歩くという、しっかりめのナイトハイキングだった。女性の友達にも声をかけてくれたらしいんだけどその人は来なかったので女はわたししかいないし、真っ暗だしで、なんとなくうっすら不安になりながら夜の山を進んだ。スマホで足元を照らすが、電波はない。というか全員うっすら不安なようで、会話を途切れさせまいとしていて面白かった。実際、野生動物との遭遇を避けるためには有効だったと思う。タフタに「山にもおばけっているんですか」と聞いたら「良い魂の人のところには悪いおばけは来ないから大丈夫」と言っていて、我ながら子供とお父さんみたいな会話だな…と思った。
 
だいぶいったところで、蛍をみた!kunang-kunangと呼ぶらしい。語感がかわいすぎる。(ちなみに、インドネシア語では、蝶々のことをKupu-kupuと呼び、海亀のことをKura-kura、イカのことをcumi-cumiと呼ぶ。チュミチュミて。かわいい)
蛍を見てだいぶ気持ちが明るくなってからさらに歩いたところに、ようやく温泉があった。無人だし何の灯もない。日本の山奥の、小銭をポストみたいなところに入れて入る無人の天然温泉にいくつか行ったことがあるけど、あれよりも「公園の池」に近い。塀とかは何もなく、コンクリートで型取られた大きさの違う丸いプールが2つあり、広い方はライトで照らすと脂みたいな汚れが浮いていたし温度が低かったので、比較的きれいで熱めの、小さい方に入ることにした。ここまでがんばって歩いたらもう、どんなんでも入る気概である。
 
わたしは、こういう時に「水着がないからなあ」といって大人しくしているよりは「下着で入っちゃえ!」というほうのノリノリ人間でいたいし、おそらく気を遣って(互いの顔も見えないくらい暗い)夜に来てくれたんだと思っているので、迷わず服を脱いでブラとパンツでざぶんと入った。ルイージだけはドン引きしていて足をつけるだけに留めていたけど、ほかのメンバーはみんなちょっと迷ったりしつつも入っていた。タフタはすぐ肩まで浸かってハァ〜〜ってなっていたし、アントは広い方を独占してじゃぶじゃぶ泳いでいて、「いつメン」さすがだな…と思った。
湯加減はほどよくて、しばらく肩まで浸かっていたら顔が熱くなった。(さすがに目にこのお湯が入るのはヤバそうだったので絶対に顔は濡らさなかった。)見上げると、空にたくさん星があった。たまに低いところを蛍が飛んだ。いま、地球にいるんだなあ、と思った。いってしまえば「ただ遠い場所に来ている」ってだけなのに、ほとんど夢みたいだ。でもって確かにこの体でいまここにいるんだ、という実感もある。こういう特別な場面は、人生にいくらあってもいい。
 
写真を撮ったり(魔女の窯で茹でられているみたいな不気味な写真になって可笑しかった)、持ってきたバナナを食べたり、毛虫の行方を見守ったり、タフタが笛を吹くのをみんなが静かに聞く時間が発生(※よくある)したりして、20分くらいで引き上げる雰囲気になった。
近くにトイレと併設された水が浴びられるところがあって何人かはそっちへ行ったけど、暗くて汚そうなのはさすがに気が引けたので、帰ってから明かりのあるいつものカマルマンディ(シャワールーム的な)で体を洗うことにした。わたしはもうだいぶ日本的な衛生観念が破壊されつつあり「なんとなく手拭いで水気を切って上から服を着といたらなんかだいたい乾くっしょ」というナメた態度で湿った服のまま帰路についてしまい、夜風ですっかり凍えた。せっかく温まったのに…
 
 
家に戻ってきて、体を洗って着替えてさっぱりした状態で母家の扉をあけようとした時、中の話し声が聞こえた。ルイージの声だ。「あんな愚かな女にはこれまで会ったことがない」って言った。英語で。
 
ん?なんて?急に心臓がバクバクしてくる。女って今日わたししかいなかったし、彼らは1〜2ヶ月ぶりくらいに会ったみたいだし、共通の別の知人について愚痴っている可能性は低い…?あ、さっき温泉に下着で入ったことについて言ってる?待って、そんなことで?昼間、英語もろくにできないの?何しにインドネシアきたの?と聞かれ、圧の強さにひるんで全然ちゃんと答えられなかったのを思い出した。え?やっぱりわたしのこと?「愚かな女」っていうか「アホのビッチ」って訳が適切?? すっげえディスるじゃん?? ルイージは誰が見ても明らかなくらい「タフタの兄貴が大好き」なので、大事な友達に近づく変な女としてウザがられているんじゃないか、だから今日わたしに対してやや当たりがキツかったのか……?などの困惑が一気に頭を駆け巡り、その速さが熱に変わったみたいに頭がカッカしてきた。胸が狭い。そんなん言われる筋合いない。信じられない。聞き間違いであってほしい…
 
その発言に対してタフタもアントも何も言っていなかったのが「同意しない」という意思表示のように思えて、いや、そう思おうとした。それがギリギリ救いだった(今思えばフォローしてくれよという感じだが、少なくとも、一緒になって誰かの悪口を言ったりしないでいてくれて本当によかった)けど、とにかく一瞬で最悪な気分になった。
(※ルイージの名誉のために書いておくけど、さっきのフレーズが一言ポンと聞こえただけで、完全にわたしの勘違いだった可能性は、おおいにある)
 
 
それ以降の会話に真相のヒントがありそうなものだけど、もう何も頭に入ってこない。とりあえず、聞こえなかったふりをして玄関をあけ、のろのろと部屋へ行き、床に座っている彼らのあいだを消えそうな声で「permisi...(ちょいと失礼)」と言いながらぬけて、すぐ壁のほうへ行って横になって眠ろうとしたけど、怒りに似た感情でなかなか寝付けなかった。途中から涙がぼろぼろ出てきた。自分が勉強不足なのも、たまたま女なのも、情けなくて悔しかった。ルイージがすごい正統派の美形なのもめちゃくちゃ気に食わない…などという余計な感情さえ湧いてくるが、今のこれは疲れが溜まって心にキてるな、という冷静さも一応あった。
 
ほんとに勘違いであってほしい。明日どんな顔でみんなに会えば良いのかわからない。でも喧嘩するのも誤解を解くのも上手くやれる気がしなかったし、っていうか、これは、誤解というわけでもないんだ。ただただショックだった。近視と乱視と涙で何も見えない目で天井を眺めたり、壁のほうを向いたりしながら、魂が痩せていくような心地だった。
 
 
 
 
 
 

インドネシア滞在日記⑤ 5/6〜5/8

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑤ 5/6〜5/8

5/6(月)
9時くらいに目が覚めた。イヤホンを失くしていて不便なので、今日は、まず心当たりのあるカフェに行ってみる。イヤホンがあったらそこで朝ごはん、なければイヤホンを買いに行って、その近くで食べよう、と何も食べずに家を出た。
カフェの人は親切に対応してくれたけど、イヤホンはなかった。そりゃな…。出国直前に買ったばかりだったし、良いイヤホンだったし、それを入れていたポーチも気に入っていたので、けっこう凹んだ。ひとまずショッピングモールへ向かう。すでに日は高く、よく晴れていて日差しがとても熱い。(バイクタクシーの人が貸してくれるヘルメットは大抵あまり清潔ではなく、ひょっとしてこれのせいで普段できない耳たぶの上部や頭皮にニキビができたりしているんじゃないか?と思って、この頃から、帽子や頭に手拭いを載せた上からヘルメットを被るようになった。おそらく正解で、これ以降は耳たぶも頭皮も無事…)

滞在場所からバイクタクシーで15分くらいのところにマリオボロというお土産屋がひしめく賑やかな通りがあり、そこに大きなショッピングモールがある。店内はめちゃくちゃ冷房が効いていて、ごちゃごちゃギラギラしていて大音量でポップスがかかっていて、昨日まで過ごした山とギャップがありすぎてチカチカクラクラした。
モールの吹き抜けのエスカレーターのあたりで「さてイヤホンはどこで買えるかな…先に腹ごしらえかな…」とふわ〜っとあたりを見渡していたら、若いお兄さんに声をかけられ、立ち話になった。友達がサッカー選手で、日本のチームにいるらしい。へー。会話の流れで「芸術に興味があるならこの近くでバティックと絵画の展示をやっているから見に行きなよ、案内するよ」と言われ、いやそれよりお腹すいてるんですけど、と思いながら徒歩三分くらいのところにあるギャラリーにしぶしぶ連れて行かれた。

ギャラリーには作家のおっちゃんがいて、少し立ち話をした。が、まだ朝から何も食べておらず、空腹のせいで全く会話にも展示にも集中できないので、話を遮って「ごめんかなりお腹空いてて」と言ったら近くの路上にあるローカル屋台ご飯屋さんを案内された。そこでNasi Rames(出来ているものから好きなおかずをいくつか選んでご飯と一緒に食べる、定番の料理のひとつ)を食べた。今日ぐらいはモールでイタリアンとかハンバーガーとかそういうものを食べるのも悪くないな、と思っていたのに、結局ローカルフードを食べていて「インドネシアが大好きな人」みたいで可笑しかった。まあいいや。こういう屋台にしてはやや値段が高かったけど、おいしかった。
さっきギャラリーでわたしがした中途半端な自己紹介が、ご飯屋さんの周辺にいた人たちに微妙に変形しつつ一瞬にして広まっていて、「歌手なの?」「あの人、Dandut(ジャワの演歌みたいなもの)の歌手らしいよ」と背中越しに聞きながらご飯を食べた。食べ終わって会計をする時に店のお姉さんに「Dandut歌うの?」と聞かれたので「いや違くて、笑」とまごついていたら、近くにいたおっちゃんが「Kokoro no tomo!(「心の友」という五輪真弓の歌が、なぜかインドネシアでは最も有名な日本の歌として幅広い世代に認知されている)」と叫んだので、間髪を容れずに「愛はいつもララバ〜イ」とサビのワンフレーズをけっこうな声量でしっかり歌ったらその場の全員が「イエ〜イ」ってノリになって楽しかった。我ながら、そのとっさの陽気な対応が「滞在3週間目」という感じで可笑しかった。とはいえ長居は無用なので、その笑いを別れのきっかけのようにして、さっさとモールに戻った。

いわゆるオーディオ屋とか電気屋は見当たらず、スマホ屋にイヤホンがあった。ここで一番クオリティの高いイヤホンはどれですか?と聞いたらソニーの2,000円くらいのを出してくれた。箱を開けて試聴させてくれて、さして良くもないが他に選択肢もないのでそれにした。いくつか細かい買い物をした後、PCでやりたいことがあったので、カフェに入ってWi-Fiを借り、アイスカフェオレで2時間くらい粘った。

日が傾きつつあるのが窓から見え、帰り道の方角へ少し歩いて適当なところでご飯を食べてそこからバイクタクシーで帰ろう、とモールを出た。冷房で冷えた体に、暑い外気が心地よかった。この辺りは特に外国人(わたしもだが)が多いし、国内からの観光客っぽい人たちもたくさんいた。昼間より夕方の今の方が過ごしやすいからか、人が多かった。
そういえば、Nasi Gudeg(ジョグジャカルタの名物、ジャックフルーツを甘く煮たものと一緒にご飯を食べる)を、着いてすぐに一度アディット(5年来の友人)と食べたきりだな、と思い出した。ジョグジャにいるうちにもう一度くらい食べておきたいかも。Googleマップで検索をかけると、Nasi Gudegの店が集まっているエリアがあるとわかったので、そのあたりへ向かった。
馬車が通ったり、路上でライブをやっている人がいたり、道でセルフィーを撮っている人たちがいたり、お土産屋の人に声をかけられたりしながら、夕方の賑やかな街をひとりでスタスタと歩いていると、ああ、1人だなあ、という感じがした。1人で、自分の足で、誰も私を知らない街を自分の好きなように歩いている。こういうのは思えば久しぶりで、清々しい心地だった。山にいた数日間は「誰かに連れられて」じゃないと、どこへも行けなかった。友人たちがかなり連れ回してくれたから、そんなことは考えもしなかったし不満があったわけでは全くないけど、自分で決めたペースとルートで好きに動ける、というのはやっぱり気持ちがいい。

夕飯。Nasi Gudegの店の人から英語のメニューを渡されたが、それだと一周回ってよくわからないので(見栄とかではなく本当に)、現地語のメニューをくださいと頼んでインドネシア語でオーダーしたら、Bahasa(=言語、ここではインドネシア語の意)ができるのね!とちょっと喜んでくれた。ここも、昼の屋台と同様おそらく観光客向けに、やや高めの値段設定という印象だったが、Nasi Gudegはやっぱりおいしい。好きです。



5/7(火)
ビザの更新をしなくちゃいけない。インドネシアは通常の観光ビザで滞在できるのはMAX30日までで、お金を払って延長の申請をすると、さらに30日いることができる。今回は50日くらい滞在する予定で飛行機をとっているので、ここできっちりやっておかないと面倒なことになる。
ジョグジャカルタから車で約1時間ほどのところにボロブドゥールという世界遺産に登録されている大きな遺跡がある。その公園の入り口のチケット売り場のすぐ近くに「観光ビザをサクッと1時間くらいで延長手続きできるカウンターがある(去年くらいからそういう制度が始まったらしい)」という情報を得ていたので、今日はここへ行く。
 
ボロブドゥールの近くには、8年前くらいに初めてインドネシアを訪れた時からの、年上の友人・マミさんが住んでいる。その場所は、めちゃザックリ言ってしまうと自宅兼スタジオで、長年多くの芸術家が出入りし、バティック・絵画・踊り・音楽・映像など様々な実践が行われてきた素晴らしい場であり、彼女たち家族の生活拠点でもあり、最近はカフェを営業している。今回、来てすぐ、しばらく熱を出していた時に連絡をとりあって、今日から2泊3日、空いている部屋に滞在させていただくことになった。加えてビザの更新も助けてもらう。本当に本当にありがとうございます………
 
朝。まずジョグジャからボロブドゥールに行くルートで一苦労した。ネットの情報でこの辺にあるはずと思っていたバス停が見つけられなかったので人に聞いて、バイクタクシーで正しい場所へ行ってもやっぱりないと言われ、さらに移動し、3ヶ所目でようやく目的の乗り合いバスに乗れた。10人くらい乗れる車に4人の客だったので過ごしやすかったけれど、かなりクーラーが寒く、何も食べていなくて腹ペコだった(バス停のそばに屋台とかあるっしょと思っていた)し、とんでもなく揺れるしで、かなり酔った。吐き気はないけど頭がぐらぐらしたので、バスを降りてからも15分くらいポカリスエットを片手にボーッとベンチに座っていた。(どこへ行くの、と絡んでくるタクシーか何かのおじさんたち(全てのバス停に必ず現れるのでもうNPCみたいに見える…)がこの時ばかりは本当にしんどくて、1人にしてくれ、と合っているかわからないインドネシア語で強めに言い放ったらちゃんと伝わってしまってなんかつらかった…)そんな体調だったので、マミさんちに着いてから、1時間くらい寝させてもらった。
 
1時間ほど寝て起きたらだいぶ回復した。さっそく、マミさんに車を出してもらってビザの手続きに行った。が、受付に人がいない。「この時間に戻ります」という旨の書き置きがあったのでランチ休憩なのかな〜と、おしゃべりしながらのんびり15分くらい待った。しかし時間を過ぎても誰もこないので、近くのスタッフに尋ねると「ここの担当者は今日は休んでいる。待っていても来ないと思うから電話かけてみて」とのことで、担当者の電話番号をくれた。どういうこと?代わりの人を配置したりしないんだ??
マミさんに電話をかけてもらい「明日の朝8時半に別のオフィスに来てください(ごめんねってことで、本来は今日できたはずの手続きを別のオフィスで承って)1時間くらいで終わるようにします」という返事をもらった。わたし1人じゃ絶対に電話でここまで辿り着けないので、本当にありがとうございます…なのだが、マジでどういうことなんだ!公的機関そんなんでええんか!ともかく、明後日は祝日で、わたしのビザが切れるのは来週なので、なんとしても絶対に明日うまくいってほしい。
 
心が落ち着かないけど今日やれることはもうないので、ボロブドゥールを後にする。マミさんが車で眺めのいいカフェに連れて行ってくれた。朝から何も食べていないのにもう午後16時とかなので、わたしはかなり腹ペコだった。眺めのいいカフェはマジで最高に眺めが良かった。ほんとうになんでもない感じの、知らないと絶対に行けないような村の奥、プロゴ川のほとりの崖の上だった。テーブルと椅子は重くて大きな木製で、バーベキュー場みたいに屋根も何もなく野晒し状態だった。キッチンやお手洗いのある建物が奥にある。カフェっていうよりも、お金持ちの友達の家のかなり広めの庭、みたいな印象で、実際、オーナー家族は敷地内のおしゃれな一戸建てに住んでいるとのことだった。
マミさんは「わたしは実は昨日も来たんだけどすごく景色がいいから連れてきたくて」といっていた。ありがとうございます……。わたしはインドネシアの大きな川を見渡したのは初めてだったので、その景色はとても新鮮で、初めて見る感じの景色だ〜っという感動をしていた。水はそれほど深くなさそうに見える。明るい青緑色の水面で、陸にはヤシの木々が、遠くには山があって、空はよく晴れていた。気持ちのいい場所に、気持ちのいい気候だった。対岸に、1人で釣りをしている人影があった。
メニューにはないけど庭で採れた葉で淹れる体に良いお茶があるらしく、料理に加えてそれもいただいた。中途半端な時間帯というのもあって、客はわたしたちしかおらず、ゆっくり過ごせた。暑いけどホットの飲み物が体に優しくて沁みた。風が穏やかに吹いていて、すごく小さいツバメがたくさん飛んでいた。お店のお姉さんがわたしたちへの気遣いなのだろうか、日本語のポップスをかけてくれていた。おそらく00年代のプレイリストで、「犬夜叉」のEDだった曲がかかった時に内心だいぶ「きゃ〜!」ってなった。(5年前に来た時、お世話になった日本語の先生が教えてくれてインドネシア語字幕つきの「犬夜叉」のアニメを見ていた時期があったのと、普通にわたしはドンピシャで世代)
 
店の裏には墓場と竹林があって、そこから川のほうまで降りられるというので少し探検しに行った。大雨で水位が上がった時に流れてきたと思われるたくさんのゴミが、頭よりもかなり上のほうまで、崖や木の枝に絡みついていた。
眺めのいいカフェをあとにして、またもう一軒、眺めのいいカフェへ行った。Eloprogo Art Houseというところ。ここも川に面した崖の上にあり、ジャングルみたいに木々が生い茂るあいだを縫うように、ツリーハウスのような小屋が2階建規模でいくつも建ててある。敷地が広く、テーブル同士の距離があるので、人が多くてもワイワイのびのびできる、かなり雰囲気のいいカフェだ。わたしたちの他にも数組の、家族連れとカップルがいた。インスタグラムで話題になってグッと客が増え、今ではすっかり人気店らしい。そう、来てから気がついたけど、わたしは5年前にもここに来ていた。店の奥にある広場やあいている部屋を使ってサウンドアートと音楽のイベントが開催されていて、その時もマミさんが連れてきてくれた。うわー懐かしい。でもその日は夜だったし雨だったし、人も多かったので見通しがきかなくて(なぜか天井のない、人が通ったら頭が見えるくらいに低めの壁しかないトイレで雨に打たれながら心底「なんだこの状況?????」と思いながら用を足した思い出がある)あまりカフェの様子を覚えていなかった。こんなにいい場所だったんですね…何度でも遊びに来たい。(ちなみに、ちゃんと建物の中に普通のトイレもあった。5年前のあれはなんだったんだ…。)
マミさんは、インドネシアに30〜40年くらい?住んでいて、とても顔の広い人なので、カフェに着くと当たり前のように友人グループと遭遇して「やっほ〜」みたいな感じでその輪に加わっていた。ここのオーナーの家族とその友人たちらしい。わたしはインドネシア語の会話に全然ついていけないので、あ、今こういう話してるっぽい、くらいの理解を味わいながら、目の前のいろいろなスナックを口に運び続けていた。チーズ味の甘くないクッキーと、ピサンゴレン(揚げバナナ)が甘酸っぱくてさっぱりしていてめっちゃ美味しかった。他にもファンタに漬け込んだ緑色の木の実ーーkolang kalingという、椰子の木になる実の中の、つるんとした種。碁石に似ている。いま調べて知ったけど、これArenの木の実だったんだ!ーーそれも食べた。
 
カフェですっかり話し込んだら日が暮れてしまって、暗くなってからマミさんちへ帰った。この日の夕方ごろだったか、マミさんがWukir(わたしがインドネシアに行くきっかけをくれた音楽ユニット・Senyawaのメンバー。マミさんはWukirと仲がいい)から連絡をもらったらしく「明日Senyawaのライブがあるみたいなんだけど行く?」と提案してくれた。明日の夜、ここからほど近い山の村で開催されるという。わたしは「エッッッゼッタイ行きたいですっっっっ!!!」と強めに返事をした。現地でSenyawaのライブを観る、というのは密かに長年の夢だったので、思わぬタイミングで突然叶うことになって、飛び上がるほど嬉しかった。あまりにもラッキーすぎる。この時ばかりはさすがに、世界ってひょっとして自分を中心に回っていますか?と思った。この日は、全然お腹もすいていないので、水浴びをしてからかなり早めに寝た。
 
 
 
5/8(水)
朝、早めに起きてマミさんと家の近所を散歩した。パジャマで行こうとしたら、草の中を歩くから長ズボンのほうがいいよ、と言われて半ズボンから長ズボンに着替えた。庭の裏のほうから、道なき道を少し進むとふいに視界が開けて田んぼに出る。よく歩く散歩コースらしい。マミさんは、もう長年ここで暮らしているはずなのに「この時間帯(朝7時)の田んぼって好きなんだ」「外国のお墓ってあんまり怖く感じないし静かで良い」「ここでJeruk(ライムのジュース)を飲んでから帰るルーティンなの」と、そこにあるものを飽きることなく自然に好いていて、その穏やかなキラキラをキラキラしたまま教えてくれる。こういうところ、素敵な人だな〜、と思う。でもって、マミさんはそういう素敵なことだけじゃなくインドネシア特有のあれこれや社会についてや、もっと身近な愚痴もたくさん聞かせてくれる。いや、むしろこっちの方が多いまである。なんにせよ、好きと嫌いの振れ幅をはっきり、でもユーモアをもってたくさん見せてくれるので、わたしは一緒にいるとリラックスできるし楽しい。
 
実際、この季節の田んぼ、しかも朝のは、素晴らしく美しかった。田植えをしたばかりの水面が鏡のようになっていて、晴れた空や山が映る。インドネシアの朝の日差しは、鮮やかで透明で、強い。日本の感覚でいうと夏の朝っぽいけどそれよりもう少し彩度が高い。わたしとマミさんは1時間くらいかけて、途中にある民家の庭先のようなところで野菜を買ったり、また別の小さな店でスパイスの効いた焼き魚を朝ごはんとして食べたりしてから一度家に帰った。
ほどなくして出発して、無事にビザの手続きを滞りなく終えた。昨日の滞り方にはいまだに納得がいかない(電話した昨日の担当者は今日もここにもおらず、マミさんと面識のあるらしいお兄さんが受付してくれた、彼女は本当に顔が広い)けど、ともかくうまく行ってよかった。係の人が、たぶん本来ならメールで送られてくるのであろう支払い用のQRコードを「あなたのケータイでこれを写メって」といってPCの画面のままで提示することでメールの段階や印刷などをスキップしていて、あまりに実用的でウケた。すごい。頭がやわらかい。日本だったらゼッタイない。メールが残らないのがやや不安に感じたけど、実際なんの問題もなかった。
 
ランチはマミさんのおすすめのSoto Ayamの店に行き、しっかり食べた。地元の人に愛されているタイプのすごく良い店だった…!その後、カフェのための買い出しに行くとのことなので、車で数軒の店を回り、テイクアウト用の紙の箱や食材などを買った。買い物のあと、一度冷蔵庫に食材をしまってから「田んぼの真ん中にあるカフェがあって、すごいから行こう」と、連れて行ってくれた。まだ始めたばかりのカフェの今後のために、リサーチも兼ねているのだろう。昨日、二軒のカフェをはしごした時も、マミさんは店のレイアウトや諸々について観察していた。それにしても今日のカフェもすごかった。日本人の学者の方がオーナーらしいのだけど、もともと趣味で始めたというガーデニングがあまりにもすごいクオリティなのでカフェと勘違いされて人が来るようになってしまったので、いっそカフェ本当にやるか…という流れでオープンしたらしい。そんなことあるんだ…。でも実際、センスのいいリゾートホテルのような、あるいは本格的な植物園のような、すばらしい庭だった。照明もきれいに配置されていて、木々が生い茂る道はジャングルの中を歩いているみたいな雰囲気なのに当然歩きやすく、敷地も広い。スタッフもしっかりしていて雰囲気がいい。夕方ごろ、マミさんもすっごく驚いていたし周りの客も全員が目を見張っていたんだけど、池のそばに急に大きめのワニが現れて、静かに歩いて去って行ったシーンもあった。おもしろかった…。
ココナッツウォーターとピサンゴレン(揚げバナナ)とレモンスカッシュをオーダーして少ししたら、雨がかなり強めに降ってきた。途中で濡れにくい席へ移動したりもしたけれど、体も冷えてきたので、そこそこで帰った。
 
少し休んでから、19時ごろ、Senyawaのライブを観るために出発。マミさんの大きめの車で、夜の山道をガンガン登っていく。20〜30分くらいで到着した。山の上なのできっと寒いだろうと上着をもって出て正解だった。さすがに学んだ。インドネシアといえど、山の上は普通にしっかり寒い。もしかして日本の山と街よりも気温差がある?わたしが無自覚にすごい標高差を移動しているだけかもしれないけど…。(今後は標高を数字でメモしようかなと今回の滞在を経て思いました)
 
この村には、国内外からアーティストを受け入れているレジデンススペース的なものがあるらしく、この日のライブも海外から来ているミュージシャン3名とSenyawaの2人とのコラボレーション企画の成果発表のようだった。入口で入場料を払うと、来場者特典みたいな感じで小さめのビニール袋に入った生野菜のセットをもらった。演奏会などのイベントに行くとお土産がもらえる率が日本よりも高い印象があるが、野菜というのは初めてで、なんだかうれしかった。
一番手の人の演奏が始まる直前にSenyawaのボーカリストのRullyに会えたので、久しぶり〜!覚えてますか〜〜!とかいって(自慢じゃないけどしっかり面識があります)握手をして、ミーハーなノリでツーショットを撮ってもらった。この後はタイミングがなくて話せなかったので、ここで撮ってもらってよかった。尊敬しているアーティストに会って話せるって、ものすごい幸せなことだ!と最近よくわかってきたので、けっこう全力でいった。
ライブは、わたしが期待していたSenyawaの2人の曲の演奏ではなく、5人でのセッション(曲だったのかもしれない)だった。集まった人たちも彼らのファンというよりは地域の人たちが多そうで、あっそういう感じか〜、とやや肩透かしだった(わたしの夢は厳密には<現地のファンたちとのノリも含めた彼らのライブがみたい>なので)けれど、彼らのパフォーマンスのクールさはしっかり炸裂していて、さすがだった。客席を見ると、ジョグジャカルタの某映像系コレクティブの人(多分そう/その界隈でめっちゃ見かける人)がカメラマンとして撮影しに来ていて、界隈の感じが垣間見えて、そしてそれが判っちゃうのが密かにちょっぴり嬉しかった。
演奏が終わった後にトークイベントが始まったけど、わたしは言葉があんまりわからないし、マミさんは疲れているようだったし(当然のようにこの村にもマミさんは友人がいて、開演前、わたしもどさくさに紛れてステージ裏で食事をいただいた。マミさんは客席ではなくてその部屋で休んでいた模様)、帰ることにした。なんかここ数日めっちゃ元気なんだよねえ、あのお茶が効いてる気がするんだ!と言っていたけど、いやいや疲れていないはずがないっす…。ほんとうに感謝でいっぱいです。
 
 
当初は、明日わたしはマミさんちを出発したら、一度ジョグジャの滞在先へ戻り、いくつかの荷物をピックアップしてからスマランへ向かい、カルトゥンさんやタフタたちのいるUngaranの山へ再び登って、また数日いよう、というプランだった。しかし「どう考えても、このまま直接スマラン(Ungaran)に行ったほうが時間も体力もお金も、ロスが少なくない???なんで一回帰るの????」と、マミさんにもカルトゥンさんにも(メッセージで)同じことを言われた。確かに。いや、本当に、確かにそう。あれ〜〜、なんで一度帰ることにしていたんだっけ?明日、ここから直接スマランに行くほうがいいに決まっている。頭がまわってないな。
 
幸い、ギターは「歌うチャンスがあるかも」くらいの気持ちで持ってきていた。問題は下着が足りないことと、おそらくこの装備ではまた山で寒い思いをするだろうということ、毎日飲んでいるビタミンCのサプリメントが足りなくなること、そして、使い捨てのコンタクトレンズが足りなくなること。そう、それくらいだ。
マミさんは、「服がない…」などと軟派な弱音を吐いているわたしに「ボロブドゥールの近くの露店とかでさ、ほら、なんかペラペラの安いお土産Tシャツいっぱい売ってるから、朝そういうの買って行ったらいいんじゃない?パンツはコンビニで買えるしさ」と楽しく説得してくる。コンタクトレンズの洗浄液があればワンデーのコンタクトも2日くらい使える、と思ったけど、たぶん手に入らないので諦めることに決めた。
 
 
ここで急に内面の話なんですが、わたしがコンタクトレンズを日常的に使っている理由の大半は「メガネの自分があんまり素敵に思えないから」です。同時に、そんなしょうもない自意識は本当に捨ててしまいたいとも強く思っていて、だからこの時、帰らないで行く、と決めたのは、自分にとってはほんの少し大胆な選択であり、確かな前進だった。
 
思い返してやや大袈裟に言葉にするなら、そう決めたのは、友人たちに対して自分の心をもっと開こうとするような、柔らかい気持ちを差し出したり思い切って甘えたりするような、期待とか願いでもあった気がする。
それは、具体的でわかりやすい言葉にしてしまえば「わたしがメガネの似合わないブスでも彼らは友達を続けてくれる気がする」という、あまりにも卑屈な発想の希望である。言うまでもないが、彼らはそんなことで人をバカにするような人間ではない。わかってる。でも、わたしは自分だけのめちゃめちゃショボくてダサくてしんどい卑屈なこだわりを手放すのが下手くそで、しょうもないことが気になる。それを捨てて会いに行くというのは、ちょっと思い切った選択だった。ドキドキするというほどではないけど、信じると決めたみたいな、目を見開いて前を向くようなこと、自分の心の薄くて脆いところを彼らに少し委ねるようなことだった。ただ自分だけにとって、そういうことだった。
 
補足すると、日記には登場しなかったけど、山を降りてからの数日間も、SNSでテキストをやりとりすることでカルトゥンさんとタフタとのコミュニケーションは続いていた。主に、週末のプライベートコンサートをどんなふうにやろうか、さらに仲間を増やしてバンドで演奏しちゃおうよ、スタジオにはこの日に入ろう、記録映像を撮りたいな、あ、すでに腕の良い友人に打診してます、など、完全にワクワクMAXの相談だった。第三者の介入とわたしの不手際によるトラブル未満の出来事もあったが、その気まずさも乗り越えた。彼らへの信頼はすっかり確かなものになっていたし、シンプルに、早く再会したかった。
 
 
マミさんにそんな話はしなかったしここまで明確な言葉にはなっていなかったけど、思いは直感的に「帰らないで行く」にまとまったので、コンビニに寄ってもらって、2枚セットのパンツを買ってから帰った。やっぱりインドネシアのコンビニには日本みたいなコンタクトレンズの洗浄液は売っていなかった。
 
 
 
 
 

インドネシア滞在日記④ 5/1〜5/5

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記④ 5/1〜5/5

※Ungaran山編-1ですが、ここから先、帰国までの1ヶ月は嬉しいことの増え方がエグく、急に分量が増えすぎて現地で挫折したので、思い出しながら書くフェーズに入ります。短く書く心がけだけど思い出せすぎて短くならない!!
 
※前回までのあらすじ。5年前に偶然が重なって出会い、かなりお世話になったカルトゥンさんというパーカッショニストのおっちゃんに連れられて、スマラン県Ungaranにある山奥の村を訪れたAoi。その山奥にアトリエ兼自宅を構え笛を作って暮らしているタフタと、近所の家族と、入れ替わり立ち替わり遊びにくる彼らの友人たちとのんびり過ごすことになりました。
 
 
5/1(水)
朝、寝坊!起きたら部屋にはもう誰もいなかった。さっと水浴びをして台所へ行くとタフタがご飯を作ってくれていて、カルトゥンさんと3人で食べた。食べ終わったらすぐ皿を洗う、というのが昨日から徹底されていて非常にいい。皿を洗う場所は単なる野外で、雨曝しのバケツにパイプ(川から引いた水をシュロの皮の繊維を使って三度濾過する自作の水道)からの水を溜め、ココナッツのお椀ですくって使うという、これまでの人生で見たなかでも最もワイルドなスタイルだった。間違いなくかなりワイルドだが、でも、全然汚い感じはしなかった。水浴び場とトイレでも思ったけど、山のなかと町とでは、清潔さに対する感覚が全然違う。土が汚れをもらってくれるのが、本当に本当に便利だし、心地よい。バケツには、たまに葉っぱやボウフラが浮いていたが、すくって捨てればいいだけなので気にならない。
 
今日は昼間に市内の音楽スタジオに遊びに行く。カルトゥンさんのバイクに乗せてもらって山を1時間くらい降りた。5年前に一緒にライブもやったベーシストのジョハンに会えた!セッションは「大丈夫かな」と思いながらも気合で楽しんだ。(バンドがいる状態でギターを即興で弾きながら歌って音楽らしきものを成立させるの、むずすぎるけど気合いでやった)終わった後にみんなでごはんを食べた。どうやらジョハンは今バイクが故障中らしく、セッションの途中で友達がきて、彼を送ってくれた。今回、2件そういうのを見たんだけど、仲良くていい。友達、暇かよ!と思ってしまうけど、助け合いなんだろう。いいなー。
ごはんを食べながらのんびりおしゃべり。ジョハンが、日本のアニメが好きだからバンドの名前を日本語にしたんだ、と言っていたのが気になっていたので深掘りしたら、しっかりアニメオタクなことが判明して楽しかった。作品の名前を出したら同じ制作スタジオの別の作品の名前がスッと出てくるのが、日本の友達と話している時と同じスピード感で、あまりにも嬉しく、他のメンバーを置き去りにして「『響け!ユーフォニアム』の新しいの始まってるよな!」とか「CLANNADすばらしいよね、でもめっちゃ泣いちゃって一周しかできてない」などとわかるアニメのタイトルを互いに出し合っては「いいよねえ〜」を繰り返した。Satoshi Konいくつか観たと言っていたので『妄想代理人』を勧めたら、すぐYoutubeで調べて「えっOPがSusumu Hirasawaじゃん」と前のめりになったりしていて、マジで話が早かった。ポップカルチャーは本当に偉大だ!ありがとうアニメと音楽…!
 
夕方の帰路は、あまりにも眠くて、でもバイクの後ろに乗っていて居眠りしたら転げ落ちて死ぬので、すごく眠いがめちゃめちゃ怖いという、初めて経験する状態だった。本当に一瞬だけど眠気で意識が飛んでハッと我に返った時があまりにも怖すぎて、以降は眠くならなかった。再び山の家に帰った。
おやつ的タイミングでご近所さんの家に行ったら、ココナッツを割って取り出したココナッツウォーターと、ココナッツの内壁を削いで得たココナッツミルクのジュースに、Gula Arenを加えた甘い具沢山ドリンクをご馳走してくれた。これにさらにアボカドをいれると美味いぞ!とお父ちゃんがアボカドを持ってきてくれて、混ぜて飲みながら食べた。ぐちゃぐちゃの見た目だけどめちゃくちゃ美味しかった!
そして、どうやらここに住んでいるのはタフタの家族ではなくて、めっちゃ仲がいい他人ということがだんだんわかってきた。ほぼ家族同然の距離である。家を建てる時にお世話になってそれからのご縁だとか。
ヤギの声がふいに聞こえて、ヤギがいるんですか?と聞いたら、ここのお父さんがヤギを飼っているというので見せてもらいに行った。めちゃくちゃいっぱいいて全員元気だったし、昨晩生まれたばかりという小ヤギがいた!Aoiが来た晩に生まれたからこのヤギはAoiって呼ぼう、ということになって、巷に聞く「ストーリーのある名付け」をリアルに目の当たりにして、しかも当事者にしてもらっちゃって、ワロタと思いつつもなんだか嬉しかった。(生まれた日に雪が降ってたから雪ちゃんみたいな)カンビン・アオイ、マジで絶対に元気で生きて欲しい…。(※ kambing=ヤギ)あと、タフタが小ヤギの声真似をしていて、すごく上手くて地味におもしろかった。
 
のんびりしているうちに夕方。タフタの友達が2人遊びにきて、カルトゥンさんは用事があって帰った。メンバーは入れ替わったけどやはりご近所さんのお家で夕飯をいただき、やっぱり今日も「寝るっしょ」というタイミングで歌でも歌おうということになった(夜に歌いがち)。タフタが「昨日歌った歌を歌いたい」と言ってくれたので、拙作『においだけの海』の歌詞をローマ字でガーッと書き出して、とりあえずサビだけ一緒に歌ったら、すぐ覚えてギターを弾きながら歌ってくれた。すご〜い!いいメロディーだよねえ、と言いながら何度も歌ってくれるのがあまりにもうれしすぎて、ちょっと頭や心がどうにかかなりそうだった。
4日に、日本人のわたしの友達が(ゴールデンウィークを利用してジャワに来ていて、偶然タイミングが合った!)来ることになっていたので、彼女がきたらこの歌を聞かせたいね、などと言いながら、歌詞の意味を説明したりしつつ、わりとがっつり練習し、就寝。
 
 
5/2(木)
朝、タフタと「ちょっと山を降りてPasar(市場)に行って朝ごはんの材料を買おう!」といって出発したはいいものの、村の人に道を聞くと「市場は土日のみで、今日はやってない」とのことだったので、ちょっとしたジャワのローカルおやつと野菜だけ買って、洗濯物を洗濯屋さんに託してさくっと帰ってきた。洗濯は、ジョグジャや東京の感覚で「3時間くらいあれば終わるっしょ」と思っていたら、普通は2日かかると言われたので、お急ぎで明日の午後に仕上げてもらうように頼んだ。けっこう露骨に嫌な顔をされて、やや凹んだ。帰りにそのままご近所のお家へ行くと、誰もいない。でも残り物がキッチンにあって、それを普通に食べた。マジで家族の距離感すぎてちょっとすごい。この時のおしゃべりで、タフタの年齢がわたしより1つ若いことが判明して「え?ほぼ同い年じゃん」などといって、それからお互いになんとなくちょっと態度が雑になって、よかった。気兼ねなく名前が呼べるようになったら、もう大丈夫、親しさを作っていける、という気がする。
 
昼まで各自思い思いに過ごした。タフタは笛作り、わたしは2階の縁側のようなところで、セミの声の音程をひろってメロディのヒントにできないかな〜とギターを弾きながら苦戦していたら午前中が終わって、お昼はさっき買った野菜でスープを作って食べた。
 
日が暮れて夕飯も終わった頃合い。星がもう少しよく見えるかも、といって山の上の方にバイクで行ってみた。5分くらい上ったところの道に、光る町が見下ろせる絶景の崖があって、そこに手作り感のあるテーブルと椅子を置いただけの非常に簡単な作りの展望エリアがあった。昼間はカフェになっていたりするような感じだが、夜遅いので人がいない。でも我々はそこでバイクを降りて夜景を堪能するとかはしなかった。そう、スペシャルな感じは特になく、ただ行って帰ってくるだけの短い時間だったけど、星の見える数だって村とたいして変わらなかったんだけど、寒いくらいの山の空気はひたすら美味しくて、わたしはめちゃめちゃ嬉しかった。空気を吸い込むだけで心が潤うみたいだった。
帰り道を降りながら、タフタが「もう他の土地に住めないくらい、自分はこの山で暮らすのが好きだ」と言っていたけど、もうすでに、わたしも好きだよ、ここが!!!
 
我々はとても真面目で練習熱心なので、また寝る前に歌った。ひとしきり練習して、寝る支度のタイミングでわたしが洗面所に行って戻ってくる時、ずっと歌っていたのの延長という感じでタフタが1人で練習しているのが聴こえた。わたしの歌だ!あまりにも嬉しすぎて、もう……泣いてしまいてえな………と思いながら、玄関のところでしばらく立ち止まって、ひとしきり歌声を盗み聞きしてから、ニコニコ顔で戻った。
言葉が下手だけど嬉しい気持ちや感謝は可能な限りフルで伝えたいので、ここへ来てからというもの基本的に顔芸と声色がオーバーなんだけど、この時はそれを差し引いても2000%くらいのニコニコをしていたと思う。そして、ニコニコ顔をしたらたいていニコニコ顔が返ってくるもので、うれしい連鎖に終わりがない………もうこころがいっぱいです
朝も昼も夜も、ずーっとあらゆる虫や鳥が鳴いている声が聞こえ続けていて、この小屋は静かな時がほとんどないのに、なぜか寝付けるので不思議だ。借りた寝袋と持参した布を体にかけて壁の近くで仰向けになっていたら、屋根の瓦の手前の梁のところをネズミが歩いているのが見えてちょっと嫌だった。
 
 
5/3(金)
朝、ご飯を食べて軽く掃除をしてから、タフタが提案してくれた「川のほうまで行って、練習した歌を演奏している動画を撮る」という遊びをしに出かけたが、早朝過ぎて草が全部濡れていて荷物も置けないし座れないので、出直すことにした。でも朝の川辺はめっちゃ気持ちよかった。真夏みたいな日差しで、岩も水も草も木々も、キラキラしていた。
時間をおいて再度川辺へ。三脚が足りないので木の枝にテープでiphoneを固定して動画を撮った。タフタ、すでに歌をかなり覚えていてすごい…。雲がどんどん動いて、日差しがギラギラになったり穏やかになったりを繰り返していておもしろかった。
3テイク録って満足したので、腹ペコでお昼を食べに、またまたご近所さんの家に行くと誰もおらず。やっぱり残り物を勝手に食べた。ほんとにいいの?どういう関係なの…?と思っていたら「ごはんのお礼に野菜や果物を買って夕方に届けよう」と言われてホッとした。
少し山を降りて買い物して、そんで昨日出した洗濯物を回収して帰ろう、ということになったけど、まだ出かけるには暑すぎるので家でお茶を飲んで気温が下がるのを待った。
 
買い物を終えて帰ってきて、近くの畑にあるグァバをとってきて食べた。白いグァバだった。これは初めて見た!さっぱりしていてほとんど甘みがなく、でも美味しかった。その辺にあるものを採って食べられるのは本当に良いし、ちょっとおもしろい。家の近くの道端で、タフタがふいに草をひと束ひっこ抜いていたので、何それ?と聞いたらレモングラスだった。レモングラスは根っこに近いほうを使うので、根っこごと引っこ抜いて持って帰る。無事にその日のスープと次の日のごはんに使われた。日が暮れる前、少し雨が降った。雨が降ると寒いくらいの気温になる。
夕方、タフタが新しく完成した笛の演奏を録音したいといって、部屋(※ほぼ外)でレコーダーを回して少し吹いていたら、町のほうからアザーンが鳴り響き出して、あっ…、うーん、終わるの待つか……。といって中断していたのが印象的だった。15分くらい、ぼんやり待つ。そうせざるをえないワケだが、それにしたって寛容だよなあ、こういうのが国民性を作るだろうなと思った。今、インドネシアじゅうのミュージシャンたちが待ってるね、と英語っぽい(気がする)冗談をわたしが言って、ちょっと笑った。ここは川が見下ろせる谷の岸壁みたいな場所なので、町からの音が反響して、ちょっと意外な方から音が聴こえたりする。
 
 
5/4(土)
今日の朝ごはんは Nasi Godoでした。ココナッツやレモングラスと一緒に炊いた白いごはん、テンペや野菜と一緒に食べる。これがめっちゃ美味しかった〜!小分けの袋に入った粉状の、ココナッツミルクのもとを使っていて、なるほどコレってこういう時に使うと便利なんだ、と思った。日本でも作りたいな〜。レモングラス大好きだからベランダで育てようかな。
タフタ、あなたの手は料理も笛も家も作れる、すごい手ですね!と褒めたら「近所に食堂が全然ないし、食堂はいつも同じメニューしかないし、時間があるから、料理に関してはここに住み始めてから勉強して覚えた」と言っていました。時間と学ぶ心があるって大事だな…と当たり前のことを思った。当たり前だけど簡単ではないことをこの人はしっかりやっていて偉いな、、
キッチンと居間(土をかためた床にゴザが敷いてあり一階の屋根が天井になっているが、壁はなく、実質、外)の脇に、石を積んで作った炉がある。たまにここでゴミを焼くんだ、と言っていたけど、マジでプラスチックとか焼いてて、それは大丈夫なのか…?と心配になった。話を聞くと、地域のゴミ収集が全然うまく機能していなくて、もはや来ないらしい。だからこのへんの人たちはみんなプラごみは各自の庭で焼いている!なんてこった…。もはや来ないってヤバすぎるだろい!そういえばジョグジャカルタにいた時も、聞いていた曜日にゴミ収集車が来なくて、本当に気まぐれみたいな謎タイミングで回収されていくので、どうなってんの…?と思っていた。インドネシアのゴミ問題は今けっこう深刻だと他の日本人からも聞いた。なんとか改善されて欲しい。でも、プラスチックの袋を焼いた炎は青や緑に光っておもしろかったし、煙があがると、真上にあるアボカドの木から落ちる木漏れ日が、何本も光の線になって見えて、とても美しかった。
 
ゴミを焼いていたら近所の家のお父ちゃんがふらっとやってきて、急に雑草をむしっては谷へ捨て、むしっては谷へ捨て、という掃除を楽しそうに、しかし黙々と始めたので、つられてわたしも草むしりに参加した。タフタは地面がちょっと斜めになっているところの土を鍬で掘って水平にする作業を始めた。わたし、草むしりのバイトしてた時期が3年くらいあるんだ、だからこういうの得意だよ!と言いたかったけど、ぱっと言葉が出てこなくて諦めてしまって悔しかった。山の虫や土の汚れが手につくことが全然気にならなくて、むしろなんだか誇らしい気分で素手で作業した。インドネシアの人って驚くべきことにビーサンで工事現場の作業をやったりするくらい作業時の身の安全管理ガバガバなので、つられて油断している…。
 
タフタの作っている笛を買う約束をしたので、午後にお金をおろしにATMに行こう!ということになった。現金は本当は足りていたんだけど、海外で使えるデビットカードでATMから現地通貨をおろす、というのを本当にできるのか不安だったので誰かと一緒に行きたかったのだった。嘘ついてごめん。そしてめっちゃスッとできて、なんの困難もなかった。よかった。ありがとう。
夕方にカルトゥンさんがガールフレンドのウニさんと一緒に遊びにくると聞いていて、ATMに行く道すがら彼らと偶然すれ違ったので「お!」という感じで道で鍵を渡し、先に行ってもらった。我々が帰ってきたら、2人ともすっかりリラックスした様子で、床に寝そべってお菓子を食べていておもしろかった。人ん家でゴロゴロしたり普通に寝てたりする感じ、あんまり日本では見ない気がする。ご近所さんとの距離感といい、なんかみんな仲良くて、こっちまで嬉しくなる。
カルトゥンさんとは、当初「サラティガ(こことジョグジャカルタの間くらいにある街)でライブをやろうよ」という話をしていたけど、諸事情によりできなくなっちゃったので、Aoiはここが気に入ったなら、来週また来なよ、そんでここの庭でプライベートミニコンサートやろうよ、という提案をしてくれた。え〜!絶対やる〜!とノリノリで返事。
加えて、水曜日にスタジオに一緒に入ったジョハンが「来週もスタジオ入ってセッションやろうぜ!」と言ってくれているとのことで、嬉しいのみならず、めっちゃホッとした。
 
昨日くらいから、わたしの日本人の友人・光さんの到着をみんなが「いつ来るの?」としきりに訪ねてくれるのだけど、わたしにもよくわからず、結局20時半を過ぎて連絡をとってなんとか合流した。
彼女と連絡をとっていたわたしのスマホのアプリが不調で、急に再インストールが始まってしまい、しかし電波が非常に弱いので全然進まず、連絡手段がなくなってけっこう困った。異国で連絡がとれなくなったらさぞかし不安だろうと光さんのことが気がかりだった。みんなが夕飯を食べた後のんびりしているタイミングで、わたしだけが不安がって1人で外へ出て電波を探してオロオロしていたら、タフタが電波のあるところまでバイクを出すよ、と言ってくれた。最初に寄ったところのWi-Fiは強度が足りなかったので、さらに降って「シグナルきた!!」といって道端で連絡をつけて、戻った。光さんの迎えは顔のわかるカルトゥンさんが行ってくれた(5年前にも会ってる)。なんだか大変だったけど、ご近所さんのお家に、なんとか光さんを迎え入れられた。みんなありがとう…
山なので、夜は本当に寒い。わたしはうっかり薄着で電波を探すバイクの旅に出てしまったので、戻ってきた時には夜風ですっかり凍えてしまって、体を縮めながら「上着を取りに一度タフタの小屋に戻ります…1人で行けます…」と言っていたらお父ちゃんがめちゃくちゃ分厚くて重いレザージャケットを貸してくれた。着た途端にかなり暖かかったし、「これ借りられたからもういいよ!」と止めたのにタフタがわたしの上着を取りに行ってくれて、なんかもう全員が優しすぎて、またしても「泣いていいかな……」という気分だった。
今回きてくれた友人は、光さんというわたしと同い年くらいの女性で、5年前にわたしがジャワに半年いた時、近くで同様の仕事をしていた仲間だ。かなり久しぶりに、しかも急にインドネシアで会えて、嬉しかった。2日くらい前に急に「ジャワ行くんだけど〜」と連絡をくれて、「え?‼︎わたし居るんだけど!会うしかないし山にぜひきて」ってなったのだった。光さんは、ここのお母ちゃんのご飯に加えて持参したカップラーメンまで食べていて、胃がタフすぎて見ていておもしろかった。時間が遅かったけど、アボカド+グラアレンも食べ、とにかくおしゃべりした。インドネシア語と英語と日本語がぐちゃぐちゃに飛び交いまくっていて、わたしは頭が混乱した。
寝る前に、カルトゥンさんとウニさんと、タフタと光さんとわたしの5人で、名前の話をした。キラキラネームの概念を説明するのがめっちゃ難しかった。名前の流行りとかはインドネシアも同様にあるらしかった。あと、苗字が同じ人同士は他人でも結婚できない地域があるらしい。タフタの名前を意味も音も合う漢字表記にするのに難航して、眠気が勝ったので途中で諦めてみんな寝た。
 
 
5/5(日)
朝起きて、わたしが光さんに「太陽の軌道と方角の関係が日本とはちょっと違ってて…」という話をしていたら、タフタがノってきて、季節で太陽の沈む方角がかなり変化するよ、というのを教えてくれた。なるほど赤道直下に位置していると、太陽の角度が急なので、季節によって日の出・日の入りの方角が大きく変わるのだ。
このへんから段々ハッキリしてくるのだけど、タフタは自然大好き+ややスピリチュアルな思想を持っていて、太陽や月や山や草木、瞑想などの話題になると、ノって色々教えてくれる。そのバランスがちょうど良くて、あ〜友達になれる〜、と思った。
初日、初めてここでタフタに会った時、Gula Aren(黒糖のような現地のパームシュガー)と現地のお茶と、そして近所の人が揚げたTalas(の根っこ)のチップスでもてなされて、あっ、この人、めちゃくちゃストイックに自然派の人なのかな、と思って少しハラハラしたのをよく覚えている。わたしは、Ambarawaで再会した時に日本語の先生たちがくれたコンビニの袋菓子がたくさん入ったビニール袋を「お土産です…」といって差し出しながら「こんな人工甘味料と添加物だらけのお菓子をこの人はもしかしたら好きじゃないかもしれない…」と思った。が、その中にあった、チョコレートのかかったウエハースにココナッツをまぶしたお菓子(日本でいうブラックサンダーみたいな感じで個包装になっていてコンビニとかでよく見かける)を、彼が無言で次々に食べていた時があり「あっこれ好きなんだ笑」と思ってホッとしたし、その後も、もう雑なメシで済まそうという感じでインドミーという即席ミーゴレンをおかずに白米を食べた日もあったし、スープに化学調味料をちょっと足すのにも躊躇いがなかった。過激なくらいの自然派とか、アンチ現代生活みたいな感じだったら、ちょっとついていけないけど、このくらい肩の力の抜けた取り組み方だったら共感できる。スマラン市内(※名古屋ぐらい都会)の出身で、都市生活に飽き、山に憧れるようになってここで生活しはじめたという話を聞いて、めちゃくちゃわかる〜と思った。彼の雰囲気が村の人たちと違っていたのにも、深く納得した。東京から地方に移住してイイ感じの暮らしをしている人たち(そのほとんどがクリエイティブな仕事をしている)が知り合いに何人かいて、そういう人たちのことを思い出した。わかる、わかるなあ〜、わかるぞ〜、、
 
朝ごはんは、またご近所さんちにお邪魔した。先日わたしがいただいた、ココナッツウォーター+ココナッツミルク+グラアレン+アボカドの具沢山ドリンクに、さらにライムを絞るとめちゃ美味い、というのを教えてもらった。ほんとうにおいしい。日本でもやりたい。
ここのお父ちゃんはいろんな商売をやっているようで、ヤギやお茶も仕事だが、電気を使ったマッサージ?を最近再開したらしい。ひとしきり説明の後、やってみるか!と聞かれ、なんかよくわかんないけど面白そうなので、上半身だけやってもらうことにした。部屋へ上がらせてもらって、Tシャツを脱ぎ下着だけになって椅子に座り、ウニさんと光さんが見守るなか、施術開始。電気を出す機械をお父ちゃんが足で踏んで、わたしも踏んで、オイルを馴染ませた指で肩や背中をスーッと撫でるとビリビリする、という、お湯なし電気風呂みたいなものだった。鍼や整体やマッサージガンの刺激に日常的に晒されているわたしの体には物足りないくらいの弱い電気刺激だったが、額や目の周りを電気の指でグーッとやられると、痺れと同時に、閉じた瞼の裏に雷のようなものが見えて、それがめちゃくちゃおもしろかった。わたしが終わった後に光さんも顔だけやってもらっていた。Hikaru は Aoiよりも首肩が凝ってる、と言われていた。お仕事マジでおつかれ…
みんなで写真を撮ったり、なぜか急にバイクに3人乗りする遊びをして家に戻ったりして散々笑って、わたしと光さんは山を後にすることに。カルトゥンさんとタフタにバイクに載せてもらい、15分くらい山を下ると、最寄りのバス停があった。ここからスマラン市内へ行くことができる。
わたしと光さんはスマラン市内のバス停まで着いた。ここで乗り換えてAmbarawaまで行くのだけど、けっこう疲れたので、近くの食堂で串焼きとナシゴレンを食べて休んだ。5年くらい会ってなかったので、互いの近況を改めて話したりした。
さらにバスに乗り、数日前と同じTerminal Bawenに向かった。このルートの赤いバス(Trans Jateng)に、わたしは5年前にも散々乗った。懐かしい。3500〜4000ルピアくらいの破格で乗れるのだけど、この日わたしは荷物が大きかったので2人分の料金を払った。(今回、同様の荷物量(ギターとリュック)で何度も乗ったが、2人分の料金を払う時と払わない時があって、このあたりはスタッフの裁量らしかった)
光さんと別れて、ソロ経由でジョグジャに戻った。山からスマラン市内までのバスは初めてだったが、それ以降は全て乗ったことのあるバスなので気持ちは余裕だが、とにかく時間がかかった。15時くらいに山の村を出て、ジョグジャに着いたのは夜の22時くらいだった。途中、ソロでバスを乗り換えた時に「このお兄さんもジョグジャに行くから一緒にいきな!」とスタッフに言われて、路上で降ろされ、えっ路上なんだがwwwと思っていたらそこはバス停の出口の近くで、バス停を出てきたバスがスピードを緩めてくれて乗せてもらえた。あまりにもカルチャーが違いすぎる…。でも、一緒にいきな!と急にわたしを任されたお兄さんは終始なんとなくうっすら気にかけてくれていて、ほんのり心強かった。ジョグジャで降りる時に会釈して別れた。
ジョグジャのバス停(Terminal Giwangan)だが、この周囲は利用者も少なく(ひとつ前のバス停で多くの人が降りる)暗くてめちゃくちゃガランとしている上に、アプリで呼ぶタクシーがターミナル内に入って来られないルールになっているらしく、ひとしきり離れたところまで夜道を歩いてタクシーを呼ぶ、という方法をとることになった。ちょっと怖いしドキドキしたけど、なんとかなった。よかった…。
ジョグジャの滞在先に帰ったら、出国直前に買ったそこそこ良いイヤホンを紛失していたことが確定してひとしきり凹んだ。
今日の昼間、光さんが帰る前に、タフタと一緒に拙曲『においだけの海』を演奏したのだけど、その動画がめちゃくちゃ美しくて、これは完全に宝物だな…、と思いながら、寝る前にiPhoneのカメラロールで2回再生した。