沖縄本島北部ひとり旅 ~後編/後記(蝶が気になる)~

(前回「沖縄本島北部ひとり旅 ~前編~」の続きです)

海沿いの国道から山の方へ道を入るとすぐ、平家の住宅が多く並ぶ集落だった。道がとても細い。借りたのが小さい軽自動車でよかったと思いながら二度、対向車とゆっくりすれ違った。家々はどれもこぢんまりとしていた。村とか集落と呼ぶ感じの地域(地名としては大宜味村(おおぎみそん)、長寿の里だそうです!)だった。そのへんに生えている植物がどれも南洋のものばかりで、ジャワ島(わたしがこれまでに何度も訪れており半年間住んでいたこともあるインドネシアの好きな島)を彷彿とさせた。そのへんの木や草花と暮らしの距離が近い感じって、なんて言えばいいのかわからないけど、雰囲気として確かに滲み出る。

滝のための「駐車場あります」という看板があるのに気がつけず(停めてから気づいた)できるだけ道の端に車を寄せて停め、路駐している後ろめたさと滝が見れる喜びがかけあわさって、岬の時と同様、わたしは走って滝の方へ向かった。走り出してみたら、冬の空気の冷たさと、滝がある地域特有の(今思えば、それに加えて「山の北側の」)日陰の湿度の高さがうれしくなってしまって、誰もいないのをいいことに、どんどん走るスピードを上げた。スニーカーの靴底が経年で薄くなっているので舗装の道の硬さが体に直に伝わるのすらなんだか嬉しい!車を運転しているとその土地にいるという実感が薄いから…
1分くらい走ったら石の鳥居があったので、そこでようやく立ち止まり、呼吸を整えながらキャップを脱いでちょっとお辞儀をしてくぐった。

滝の周りの植物は、どれも葉の色が濃く見えた。北側だから涼しくてやや薄暗く、湿度が高い。鳥居をくぐって左右に分かれた道を左へ下って行き止まりになったところに岩壁と透明な水の美しい滝壺があり、滝が注いでいた。これが喜如嘉の七滝…
水の流れが落ちるまでに7回曲がるから「七滝」なのだそうだ。わたしはなんとなく、良いものであれなんであれ、パワーみたいなものを受け取りすぎるのが怖く思えて(個人的に神に祈りたいことは今のところ特にない)水には触れずにおいた。注ぐ音のそれほど大きくない、穏やかな滝だった。わたしはしばらくそこに立ち止まって、息をしたり音を聞いたりした。ひんやりした空気が美味しかった。

鳥居から右手へ登る方には拝所があった。ここまで巡ってきた聖地でわたしは一度も小銭を出していなかったが(沖縄に来てからなんとなくずっとスピリチュアルな影響が怖いんだけど恐らく何もしないより小銭を出したほうが作法としてはベター)自然保護的な観点もあるよな、と自分を説得して、ちょっと小銭を入れて挨拶した。空気がとても気持ちよかったので「めちゃくちゃいいな〜」「最高だな〜」とかなんかひとりごとを言っていた気がする。元気のみならず路駐とレンタカーの焦りも手伝って、また涼しい山道を一気に走って車のところへ戻った。走って息が上がると空気のおいしさがよくわかって嬉しい。


時間がないけど、ここまできたら行きたい場所は全部行こうと開き直り、慶佐次(げさし)湾のヒルギ公園は諦めない決心をして出発。この30分くらいの道のりがけっこうよかった。まずは島の西側を南下して、島を西から東へ横断する時に、塩屋湾というところを通った。とても見事な入江だった!この日の曇り空と小雨でもじゅうぶん美しかったが、晴れていたらかなりの絶景だったろう。湾沿いに道がカーブしているので、運転しながらでも正面に絶景が見れる瞬間があって良かった。

その後は山を越えるので、登りや下りの急な坂やカーブをぐいぐい走った。車が少ないので気が楽で、ドライブとしても最高に楽しかった。地図の設定を間違えていてうっかり知らない墓地へ入ってしまったりしたけど、ほどなくしてヒルギ公園へ到着した。ガラガラの駐車場に車を停めて、一人だと自分の写った写真があまり撮れないのがもったいないような気がしていたので、ヒルギ公園入り口の大きなカニの像と一緒にセルフタイマーで写真を撮ったが、曇り空だしローアングルだしでイマイチ盛れなかったのでお蔵入りになった。

ヒルギ(漂木)というのは熱帯〜亜熱帯地域の汽水の河口に生える、泥の上で生きるためのおもしろい根っこの形をした樹木のこと。支柱根というのをにょきにょき生やして体を支えていて、まるで「土に埋まった木を上へ持ち上げて引っこ抜くのを途中でやめて、根についた泥を洗って落とした」みたいな状態で生えていて見た目がおもしろい。いわゆるマングローブというやつだ。落ち着いた水面の川が大きく開けたところに橋があり、両岸に沿ってヒルギが群生していた。
見れたというだけでけっこう満足したし、あたりになんとなく動物園ぽい臭さが漂っているので、すぐ出発してもよかったが、せっかく来たので、ヒルギの林の東側の、一部はその根の上を歩けるように設置された遊歩道(橋)を歩いてみることにした。

が、レンタカーの時間が気になるので、ちょっと歩いて、意外と先が長いことに気づいてからは小走り。ぐるりと一周できるわけではない一本道だったので、出口までいって引き返した。戻りは全力で走った。なんかずっと走っている…
公園にはわたしと、管理棟のようなところに誰かがいるのみと思っていたが、駐車場に戻るとカヌーをこいで帰ってきた人たちがいた。
車に乗り込んでレンタカーを借りた宿に電話をかけ「帰るの遅くなりそうです」と謝って(この数日お世話になってきたおばちゃん、呆れつつ温かく笑っているような声で、心が助かった)、ようやく帰路についた。

もう日が暮れかけていたし、眠くならないことが最優先事項だったので、昨日までフェスで聴いてかなり好みだった韓国のバンド(Asian Spice House)のアルバムを爆音でかけながら帰った。が、途中でなかなかの渋滞に巻き込まれてしまった。幸い海沿いの道だったので景色は悪くなかったが、すぐ日が暮れて真っ暗になったし、さすがに眠いし、お腹も空いていた。午前中に買ったスコーンと、辺戸岬を出る前にカフェでテイクアウトしたコーヒーのすっかり冷たくなったものを飲んで、あとは歌ったり独り言を大きい声で言ったり、音楽に合わせてハンドルを叩いて一人で盛り上がったりして、なんとかやり過ごした。

海を過ぎ、坂を越え、いつのまにか車が増え、車線が増え、関東でも見慣れてきたような「いわゆる郊外」っぽい道をぐんぐん走った。おすすめされたちょっと安いガソリンスタンドで給油して(2分の1の確率なのに給油口の左右を間違えた)、時刻は19時45分。大遅刻で車を返して、多分明日の朝には会わないので、宿のおばちゃんにお礼を伝えた。本当にいい滞在になりました…
けっこうヘトヘトだったし化粧も崩れていたが、荷物を部屋に置いて財布だけ持って、すぐに再び出発した。宿から徒歩5分くらいの場所で、フェスティバルでも観たマレーシアのバンド(Straw)がアコースティックライブをやるというのでそれを観に行った。タイムテーブルが押していたみたいでほぼ間に合ってよかった。
演奏を聴いていると、「日常に帰ってきた」という感じがした。音楽のライブというものは、解釈次第でハレにもケにもなるだろうけど、この時の会場はカフェみたいな場所でステージや大きなスピーカーはなく照明も明るかったし、わたしにとっては、大きな音がバリバリ鳴る場所よりもこういう親密なライブのほうが今のところ身近だ。人間の世界、それも、普段の自分の生活している圏内と思えるところに無事に帰ってきた…。心のスピードが緩んでいくのがわかった。アコースティックバージョンだったのもよかった。リーダーのボーカリストと笛の奏者とは2日前にも少し話したので「また会えたね!」と言う感じで少し喋って「また会おうね!」と言ってあっさり別れた。

とにかくお腹が空いていた。あたりは飲み屋が多く集まるエリアなので、22時でもやっている店はないかと見渡すと小さな居酒屋の明かりがついていたので迷わずそこへ入った。寒かったので「焼酎のお湯割りって、メニューに載ってないけどできますか?」と聞いたら、若い店員さんに「えっ?」と聞き返されたのがちょっとおもしろかった。沖縄でお湯割りってあんまり飲まないのかな…?

炒め物や、明太子の入っただし巻き玉子、焼き鳥などを軽くつまんで、シークァーサーサワーも飲んで、一人でけっこうダラダラした。SNSを開くと昨日までのフェスティバル関係の人たちや友達からの連絡など通知がいくつか溜まっていた。ぽちぽち返したりしながら、そういうことと今日の一人で過ごした時間とが、全然違う次元に、でもどちらも確かにあるのが妙に嬉しかった。そうして、ひとしきり過ごして、お腹も膨れて会計を済ませて機嫌よく店を出たら、すぐ頭上に、かなり明るい満月があった。ピカピカだった!

「暦ではこの日が満月だから、見られるといいなあ」と数日前からしっかり期待していたけど、今日は一日中小雨だったから「残念」と思って、でもそう思っていたことすら忘れかけていたところにニュッと現れたものだから、けっこうギョッとした。

そういえば去る10月に沖縄へ来た時にも、帰る前の日に満月が見れたのだった。しかも海に浮かぶ満月だった。とても美しかった。思い返せば、10月の時は、サガリバナという一晩しか咲かない(らしい)花もたまたま見れたりして、ツイてる気がしていた。今日の予想外の満月も、吉兆だってことにしようと思う。
沖縄とはフィーリングが合いそうだなあと以前からうっすら思っていたけど、このひとり旅で、すっかり大好きな場所になった。今回ようやく少し、土地と一対一で向き合うことができた気がするし、そのうえで大好きだと思えたので、ほんとに大好きなんだと思う。まだまだ知らないものや見ていない部分がたくさんあるので、またよろしくお願いします。

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というところまでが旅行記で、帰ってきてからあっという間に3週間くらい過ぎて、所感が更新されたので、それも書いておきます。主に「蝶が気になる」ということについて…。

沖縄の滞在中、眺めの良い公園(古い城跡)が宿のすぐそばにあったので、着いた日や本番の前などにそこのベンチでギターを弾いて歌ったりしていたのだが、その時に蝶と出会ったのがとても印象に残っている。

わたしが歌っていると一匹ふわふわと飛んできて、また違う色のが飛んできて、また違うのがやってきて…ということがあったのだ。たったそれだけだけど、三匹もくることある?!歌いながら、めちゃめちゃ笑顔になってしまった。かわいい〜。なんで蝶々ってあんなにかわいらしいんだ!蝶も歌が聞こえるのか気になって調べると、一応、空気の振動を感知する器官が翅の付け根のところにあるらしい。ひょっとして、わたしの歌が聞こえていながら、そこへいてくれた、あるいは、近づいてきてくれていた、ってこと…?これは完璧に思い上がりですけど、例えばそうだとしたらあまりにも嬉しいし、愛しい。わたしがたまたま彼らの蝶道(蝶には毎日のように通るお決まりの道が空中にあり、それをそう呼ぶ)に座ってしまっていただけかもしれない、というか確実にそれだが、、、、

わたしはその邂逅があまりに嬉しかったために、沖縄から帰ってきてからも、しばらく蝶のことばかり考えていた。わたしにとっての歌は、蝶の翅のようなものです、と、言ってみたくなった。

というのも、わたしは、かなり端的に書くと「声が空間に物理的に響くこと」に大いに感動して歌を歌っている。歌を歌うことは、感情の吐露やアウトプットでもいいけど、それ以上に、空間を知るためのセンサーとして、インプットの方法のひとつとしてあるといいな、という考え方をずっと前からしている。実際に、歌詞のある歌というのは、歌われた時、それがどのように(音として、あるいは意味として)客席に響いているのか、魂みたいなところと空間を物理的につないで教えてくれるようなところがある。魂とか言ってしまうけど、これはさすがに実体験として確実にあると言い切りたい。遠くのあの人に呼びかける、みたいなことと同様に、声を使ってできることとして、ある。

そして、蝶にとっての翅は、まずもって身体なので生き物としての生命活動のための大切な基盤だし、人間からすると美しいし、そして今回わかったけど、センサーでもあるらしい。え、めっちゃ(わたしにとっての)歌じゃん…。その儚さや、色や形があるということ、世界に何も影響を与えられないという無力感も含めて、なんだかすごく似ている気がするのだ。しばらく、"Singing is to me what wings are to a butterfly."というのを提言として持っておこうと思った。なんで英語なのかというと最近がんばって勉強中だからです。


また、「蝶にとっての」ということを考えた時、そこには擬人化の感性がある。東アジアで生まれ育った人間としては「胡蝶の夢」がすぐ思い浮かぶわけだが(自他の区別や、夢と現実の区別がないように思われる、人生も現実も儚いよね、みたいな話だと理解しています)、これってもしかしてめちゃくちゃすごい(かなり深くてものすごく美しい)故事成語なのではないか、、、、と思って、ついでみたいに荘子もちょっと気になる。

ともかくそんなわけで、沖縄から帰って1週間ほどがたった今月某日、東京・多摩動物公園内、昆虫館のエリアのなかの、蝶が大量に放し飼いにされている巨大な温室へ、蝶を観に行った。10年以上前に訪れた以来だったが、相変わらず本当に見事な展示だった。そして、この10年ちょっとのあいだに色々な場所へ行き、色々な知識を蓄えたわたしには、あの温室がどれだけすごいものなのかが、以前よりもずっとずっとよくわかった。

行ったことのない人のために丁寧に説明したい。その巨大な温室は(高さ16mほどあるらしい)山を生かした地形、崖に片側がくっついたような形になっており、入り口は地上だが、建物でみると上のほうに設置されている。その入り口のところでは空調による強い風がずっと吹いていて、蝶が外へ出られないようにしてある。崖のほうは崖で、空のほうは天井と壁が大きなガラス張りになっており、非常に明るい。ゆったりと曲がる舗装されたスロープがあり、鑑賞者はそこを歩いて降りながら、たくさんの蝶が飛び回るのを生で見ることができる。蝶たちに触ろうと思えばそうできるが、そうしようとは到底思えない迫力と完成度のある空間だ。

蝶というのは基本的に温かい土地の生き物だ。沖縄以南では一年を通して見ることができるが、それより北の地域では春〜夏に限られる。そして、蝶は花や木と一緒に生きる。だから、温室のなかには南洋の植物が大量に持ち込まれ、丁寧に管理されて生い茂っていた。つい1週間ほど前に沖縄で見たのと同じようにブーゲンビリアが咲き、ガジュマルや月桃が植っていて、その他、名前はわからないけど見覚えのある草木にたくさん再会した。わたしは10年ぶりにここへ来るまで、そしてこれを書くために調べるまで確信がなかったけど、この温室は沖縄や南西諸島の環境を再現するように設計されているんだそうです。どうりで!!

沖縄に行って帰ってきたばかりだったから、それが体感としてよくわかったし、大学生の頃に植栽管理の会社でバイトしていた時期があるので、ここの草木がいかにしっかり手入れされているかも一目でわかったし、2月の東京の気温から、ひとたび温室へ入っただけで湿度も気温もまるで南国で、体が緩む感覚が嬉しかったし、もう、こんなのほとんど芸術作品じゃないか!と、人間はこんなことができるのか、と、とにかくめちゃくちゃグッときた。もし万が一もの凄い大金持ちになったら、これくらい大きな温室を自宅の庭に建てて、蝶の館として地域にも開いて、その事業をちゃんと遺して人生を終えたい…(???)また、わたしは沖縄から帰ってきたその日に、フェスで知り合った台湾のミュージシャン(百合花 / Lilium)のライブを東京で観て、それが超素晴らしかったという理由ですっかり台湾に行きたくなって色々調べている、ということもあったりして南国への憧れがいっそう増しており「温かい場所で、美しい生き物たちが大切に愛されながら生きている」ということが、あまりにも胸に響いた。わたしも温かい土地で生きて美しく死にたい…。

その日はちょうどオオゴマダラ(白と黒の大きな翅の蝶。日本最大らしいし、調べたら沖縄県の県蝶だそうです)がたくさん羽化した頃合いだったらしく、クラクラするほど大量のオオゴマダラが出迎えてくれた。彼女たちは(この昆虫館の治安がいいおかげだと思う)人を恐れないので、時々、顔の横、わたしのすぐ耳元を通っていく。もうすっかり蝶々大好きなのでそれだけで笑顔になっちゃうんだけど、その羽ばたきの微かな音が聴き取れる!ということに気づいて、わたしはますます嬉しかった。空調のガーッという音を気合いで脳内マスキングして蝶たちの羽ばたきに耳を澄ませ、花から花へ花びらが飛んでいるかような美しい光景に目を遊ばせ、花の蜜をせっせと吸う姿を観察し、なんで蝶ってこんなに嬉しそうに飛ぶ(そんなふうに見える)んだろうとか「もしいつか台湾や沖縄に住めたなら、こんな空調のない本当の木陰で、蝶たちの羽ばたきを聴きながら歌を歌って暮らせるかもしれない」と想像し、胡蝶の夢など(故事としての深さもそうだけど、大昔から人は蝶が好きだ、ってことに感動する)がよぎり、息を吸ったり吐いたりして、気がついたら目から涙がさーっと流れていた。いろんなことが頭の中を渦巻いていて、一言では到底表せない感じだったが、自分が本当は蝶だったことを思い出したみたいだった。もう蝶に狂わされて変なことしか言えない……

一緒に来てくれたパートナーは、わたしが涙を拭いている時に振り向いたので気がついていなかったと思うけど、顎から滴るほどの涙だった。感性が豊かすぎてワロタと自分で思いながら、でも、なぜか子供の頃からずっと持っている、南洋への大きな憧れがなおいっそう強くなった。なんとかして温かいところと親しみながら生きていきたい…。少なくとも、また沖縄に行きたいし、台湾やインドネシアや、あったかいところへ蝶を観に行きたい…、いう決意を新たに、温室を後にした。



ともかく蝶はやばい。あの、埃や花びらのような軽さの、風や光よりも脆そうな、魔法みたいな生き物が実際に生きていて、しかもとても精巧で美しくて可愛い、ということが、その事実だけでほとんど奇跡的に思える。大昔からその姿に人間たちが美しさを感じて愛でてきたというのも、重要なことだ。地球上にすでにあるものに対して美しさを感じ取ることができる、というのはとてつもなく不思議で、人間にとってほんとうに大切なこと…。(書ききれないので書かないけど、最近「平成たぬき合戦ぽんぽこ」を見ていっそう強くそう思う)そして、もしわたしが見てきた全てが、目の前の蝶の見ていた夢だったとしたら、と想像した時のこの世の儚さがいかほどか…、胡蝶の夢、あまりにも美し過ぎる。とんでもないことです…………大き過ぎる感動はあまりにも普遍的で、もう言葉にするのも野暮なんだけど、それでも書かずにいられなかった。


個人的には、驚くべきことに他にも、この沖縄滞在をきっかけに気づいたことや、始めたことなどが多くあって、次に作りたいものの輪郭が少し見えてきたりとかもしていて、書いておきたいことはいっぱいあるけど、ともかく沖縄・後編と、後記from多摩動物公園の沖縄のような温室、ということで、これにて完!

沖縄という場所、そして今回そこへ向かって導いてくれた色んな人たち、ありがとうございました。1人で行ったけど、全然1人じゃなかった。これからも1人じゃない一人旅を、ずっと続けて生きていきたいです。










沖縄本島北部ひとり旅 ~前編~

この1月末〜2月初旬の6日間、ひとりで沖縄に滞在した。Music Lane Festival Okinawa という国際的なショーケースフェスティバルに出演できることになったので、そこでの演奏とプレゼン等が主な目的だった。これについても書きたいところなのだけど、ここでは演奏を終えた次の日の、沖縄本島最北端への旅(日帰りひとり旅)の記録と、付随する雑感だけを書きとめます。少し人生が進んだと思えたくらい、良い1日だったので!

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その日の朝は意外とすんなり起きられた。昨晩はフェスの最終日だったのでアフターパーティーがあり、お酒も飲んだしベッドに入ったのは2時くらいだったけど、7時半くらいにスッと目が覚めた。最低限の身支度を済ませて近所のスーパーへ行き、オニギリとアンパンと、ペットボトルのお茶を2本買った。今日はおそらくあまり時間がないので、出先で食事できなくても困らないように、という備えだった(これは完璧な見通しだった)。戻ってきて軽く朝食もとった。

沖縄本島の北、やんばる(山原)エリアの自然公園は、かねてより行ってみたかった場所だ。このあたりは「琉球神話の神が最初に作った聖地」として知られる。そういう視点でもおもしろそうだし、国内最大級の亜熱帯照葉樹林でもあり、南洋の樹木や草花が茂り、ヤンバルクイナなどの絶滅危惧種も生息しているということで「やんばる国立公園」はユネスコ世界自然遺産に登録された特別保護区となっている。
とはいえ自分は「でっかい自然があってよさげ、イキタイ」くらいの認識のど素人だ。事前に入念なリサーチをしてきたわけでもなかったから、博物館か植物園か、山岳ガイドか、何せよ案内してくれる人や場所を頼りたい。そこで、今日の目的地は「アスムイハイクス」にした。ここは、やんばる国立公園の一角、最北エリアの岩山、安須森(あすむい)を音声ガイドと共にハイキングできるという施設。WEBを見ると「Asumui Spiritual Hikes」と書かれており「ここは聖地です」というのを押しまくっているので、もしめっちゃチャラかったりスピってたり、ヒーリングとか瞑想みたいなことがプログラムに含まれていたりしたらしんどいかも…、音声ガイドがあるって言ってるけどこれにヒーリングっぽいBGMとかついてたらめっちゃ嫌かも…、、という懸念をしつつも、素人が急に「聖地×原生林」というハイコンテクストな場所に分け入っても何もわからず失敗しそうなので、多少スピっててもチャラくてもいっか…、ということで、とにかく行くことにした。

今回わたしが滞在していた沖縄市内から最北の安須森までは車で2時間弱ほどの道のりである。レンタカーは軽自動車だったし高速道路を使っても15分くらいしか変わらないみたいなので、下道で海を横目に見ながら行くことにした。島の北西側を通って行って、帰りは東側を通ったらかなりいいじゃん(東側にマングローブの見れる公園があるのでできれば寄って帰りたい!)、という気持ちで、民宿のレンタカーの最も早く貸してもらえる時間に手続きをし、10時過ぎに出発。

カーステにはBluetooth機能がついていたが、乗った時からついていた沖縄のローカルラジオが心地よかったので、たまに局を変えながらも道中はずっとラジオを聞いていた。沖縄弁のおしゃべりとか、たまに民謡がかかったり、地元の企業の元気なCMが聞けたりするのが景色にしっくりきた。もう自分は1ヶ月くらいここにいて、この車ももうずっと借りてしばらく生活しているみたいな気分になれた。


海沿いの信号の少ない道をずっと進み、途中、風の強い曇り空のビーチと名護市の自然食品のお店(Instagramで情報を求めたら教えてくれた方がいました、ありがとう!)とで軽い休憩を二度はさみつつ、運転の合間にオニギリをふたつ食べ、13時前。ようやく「アスムイハイクス」に到着した。国道から細い道へ入り、かなり急な坂をぐいぐい登ったところに、白っぽい新しげな建物と、意外にもそこそこの数の車が停まった駐車場があった。車を停めて受付へ行くと、シャトルバスの出発が15分後だった。音声ガイドのアプリをダウンロードしておいてください、とのこと。

シャトルバスを待つ部屋はかなり暗くなっていて、壁にかかったディスプレイでは山の四季を美しく撮影した映像が流れていた。この時点でまだ「チャラい感じにスピっていたらしんどいかも」が払拭できず、なんとなく居心地が悪かった。
シャトルバスの乗客はわたし一人だった。せっかくなので、なるべく大きな窓のそばがいいと思って助手席みたいなところに座り、整った道沿いの木々が通り過ぎるのを眺めた。運転手のおじさんが「貸切ですねえ」と声をかけてくれたので「ですね〜」「月曜日だから空いてますね」「天気がやや残念かもですね」くらいの無難な会話をして5分くらいでハイキングの出発地点についた。到着の時、運転手のおじさんが車のスピードをゆるめながら「お客さん、今からあなたが行くのは聖地ですよ」と決め台詞みたいにドヤアッと言ったので、またちょっと不安になった。

出発地点には小さな山小屋のような平屋の建物があった。建物の手前にはよく手入れされた植栽があって、友達と来ていたらまずここで写真を撮っただろうなと思った。ここで10分くらいの導入ガイドがあるらしい。20代半ばくらいのお兄さんが出迎えてくれた。客がわたししかいないのにガイドのお兄さんが決まったセリフで全てを案内してくれてちょっと申し訳なかった。ショートコースもあります、と案内されたが「全部歩くつもりです!(=ショートコースの案内は不要です)」とアピールしたり、建物を出て少し歩く場面では「これアジサイの仲間ですか」と聞いてみたりもしたが「オオムラサキシキブという植物です」(※全然違った)とのことだったりして、せっかくだから客とスタッフというよりも普通に人と人として話せたらいいのに、という気持ちが完全に上滑りしてちょっと切なかった。

いよいよ一人になってハイキング開始。道は想像以上に整えられていた。平坦な道には駐車場みたいな小石が撒かれていたし、ところどころにきれいな階段があった。ぼろぼろのスニーカーで来ているのであんまり山道だったら困るところだったけど、楽勝だった。
一番の懸念だった音声ガイドは「ポケット学芸員」という、日本各地の博物館や美術館の音声ガイドに使われているアプリだった。森のそこここに設置された小さな看板に番号が書かれていて、それをアプリに入力すると文章が表示され、読み上げる音声も聞ける、というシンプルなもの。自分で読めば音声を再生する必要もないのだけど、この音声がとてもよかった!余計なBGMなどは一切なく、「山が好きで視力のいい30代男性」みたいな、走ったら足が速そうな印象のさっぱりした知的な声で、端的な解説をしてくれるのみだった。ありがてえ〜〜!最初だけイヤホンで聴いたけど、せっかくの山で耳栓をしたくなかったし他に誰もいないので、二つめ以降の案内は手に持ったスマホのスピーカーで聞いた。地質・生物学的な視点の解説がメインかと思いきや、そのリサーチのなかで無視しては通れない歴史や人類学的な視点も織り交ぜられていて、そのバランスがよかった。科学的な解説に混じるスピ要素について「不思議ですねえ」とか「僕はこの岩が守ってくれてる気がするんです」とか言ってくれるのが、無理なく人間っぽくてほどよかった。


木々や岩々を眺めながら、山頂を目指して少しずつ登っていく。途中、この沖縄滞在の2日目に海辺の公園へ行った時にも見た大きな葉っぱに再会し、名を「クワズイモ」というのだと知った。食べられないからクワズイモ、というのが覚えやすい。クワズイモの葉は、ツヤツヤとしていて、わたしの手のひらの5倍以上の面積がある。ここまで大きい葉っぱの植物は少ないので、たぶん見たら「これか」ってわかると思います。
わたしは、特定の地域に少し長く滞在する時、気になる木や植物に出会ったらしつこくそれを愛でる、というのをよくやる。というかこの数年、結果的にそうなってきて、最近はちょっと意識的にそうしている。インドネシアのジャワ島に長期滞在した時はPohon Ketapangと縁がある気がしていた(よく行く場所に複数あり、それを使った染め物の布も偶然手に入れた!)し、2024年に再び訪れた時にはArenの木(ヤシの仲間、見た目がとにかく大きくて立派だし、美味しい砂糖が作れるし、実もシロップ漬けで食べた)が大好きになって滞在の終盤に撮影したMVにも映してもらった。2025年の春に東北ツアーへ出た時は、カヤの木だった。大きなカヤを見に行った時、その細長くて硬い葉は風に揺れる音がほとんどしない、ということに気がついて衝撃を受けた。風が吹いたら遠くの竹林のほうが騒がしいなんてこと、想像できますか??ビックリだよね。わたしが見たカヤは樹齢が長く御神木みたいになっていたので、なんだか説得力があった…懐かしい。元気かなー
ともあれ今回の「気になる植物」はクワズイモかもしれない。わたしは、植物というものは一本ずつで生きているのではなくて「面」で命をやっていると思っている。根で実際につながっていなくても、彼らはある程度同じような条件の地面に育ち、文字通りそこに根を張りほぼ移動しないので、垂直なひとつずつの命というよりも生き方が地続きで水平っぽい。特別な御神木などはその限りではないけど、草などはその気が強い。たとえば島の中部と北部で同じのが生えている時に「また会ったね」と思える。そうやって人間とは違うスケールで生きているものに会うのはなんとなく嬉しい。


ハイキングコースはかなり整えられていて歩きやすかったので、序盤でわたしは「な〜んだ、山じゃなくて庭じゃん」と思ってしまった。しかし、中盤に現れた立派なガジュマルのある広場の解説に「昔この場所で人々が集まって祭りや儀式がおこなわれていたのではとされている」とか「ここには理由のはっきりわからない石積み(石垣のようなもの、畑を猪から守るために作ったりするけどここの石積みは聖地とそうではない場所を分つものだったのではと言われている)があります」などと聞いて、あ、聖地って庭なのか、と気がついた。そう気がつくと、昔の人と同じように人間としてここに立っているのは嬉しいかも。落ち葉の積もった地面にあぐらをかいて座ってみた。座ると自分がちっぽけな感じがした。ガジュマルは気根を下ろしながら横へ横へと広がっていくので、木の下と呼べる地面が広い。広場を作るのが得意な木なのかもしれない。木の下にいられる、というのはなんかいいし、人々がガジュマルに親しみを感じやすい理由のひとつかもしれない。

聖地は庭である、という気づきは、自分にとってけっこう大きなものだった。「聖地」というものへの理解がひとつ深まったと思う。わたしはなんとなく全く手付かずの森であればあるほど神聖なような気がしていたけど、むしろそれとは真逆なのだ。ちょっと考えてみればそりゃそうなのだが、聖地には人が出入りする。太古の昔から、ここは多かれ少なかれ、ある程度の人が出入りしてきた、生活や祈りの場として機能してきた山および森だ。いうなれば庭のようなものだ。そして、一般的な意味での庭にも、聖地ではないにしろ、そういう機能があることに同時に思い至る。縁側に座って自宅の庭を眺めるというようなことを現代でもやれている人は少ないかもしれないけど、そうして物思いにふける時間と「祈り」とは、さして遠くないだろう。
わたしはいつか庭のある家に住みたいとずっと思ってきたけど、ますます庭が欲しくなった。蛇足だが、バリ島の伝統的な家のことも思い出した。彼らの家は、壁で囲まれた敷地のなかに、機能ごとに細かく分かれて建てられる。母屋と先祖の墓と、御祈りのための東屋と、台所と…といったように。そして、それらの配置は東西南北に依拠するのではなく、島の中央にある聖山・アグン山と、島の周辺の海を基準にして向きが決まっている。庭が、祈りの場として聖地とリンクしているのだ。ここ安須森(あすむい)は、4つの特徴的な岩山が連なってできており、その尾根のひとつずつに名前がつき、祈りの対象になっているという。今回のツアーのなかで見たいくつかの岩は、それに対峙すると四峰のうちのひとつがその先に認められるようになっていたり、真東の陽が登る海を向けるようになっていたりして、祈りのための羅針盤のような機能をもっていた。ある岩の前に立って顔をまっすぐに前方へ向けると確かに、音声ガイドの示すように遠くに尾根が見えた。太古の昔から変わらずここにあった、人々に守られ続けてきた庭であり、人々を守り続けてきた庭…。

また、祈りに使われたという岩のなかには、空洞(珊瑚の堆積した海底が隆起してできたという石灰岩で、口の中で飴が溶けるような感じで雨風によって造形され、大きな穴がいくつも空いていた。薄くなったふちはエッジが効いていた。飴だと舌を怪我するやつ)に人が入りこむ想定のものもいくつかあった。実際に入ってみていいのかどうか迷って、頭だけ覗き込ませて、オワ〜とかワア、とか軽く声を出してみると、岩に囲まれた特有の響きがあるのがわかった。

民族音楽の研究者・中川真さんが著書のなかで「神社に入るとその外とは音の聞こえかたが変わる」といっている(ざっくりすぎてすいません)のを学生時代に読んでからすっかり感化されているわたしは「神聖な場所には特有のサウンドスケープがある」という提言を彼から勝手に引き継いで持っているんですが、まさにそれだった。
人ひとり分の空間が岩によって作られていて、その中に入ると周りの音は少し遮られ、自分の出す声がよく聞こえるようになる。ドライブしながら歌うとフロントガラスに声が反響してモニターしやすくなってめっちゃ練習がはかどるのと、乱暴にいえば同じです。ひとが自分と向き合う時間は、当時なら祈りで、今ならドライブなのかもしれない。少なからず、自分の声を(内側の心の声とかじゃなくて、リテラルに物理的な声を)聞くことに人は重要な意義を見出してきたはずだ。

付け加えると、このハイキングコースにはよくない響きもあった。コースの終わりに近い地点に特別に巨大なガジュマルがあり、それがこのハイキングのハイライトとして紹介されていた。実際かなり立派な木で、木は本当にすばらしかったのだけど、そのふもとにウッドデッキが敷かれていてガイドいわく「コンサートや結婚式をやったりMVの撮影をしたりしていて今でも人々に親しまれています」とのことだった。へえ、と思って、自分ひとりなのをいいことにその場で軽く声を出してみたら、意外にもよく響いた。意外だったので気になって、少し動き回りながら声を出し続けるうち、ガジュマルの幹を囲んでぐるりとすり鉢状に設られたウッドデッキによって、ちょっと響きが生まれているっぽい、とわかった。(多分ね)
個人的にはそれがやや残念だった。ウッドデッキは見た目にも聖性を欠いていたが、おそらく音響的にもかなり削いでしまっているのではないかと思った。音、響けばいいってもんではマジでない…。それよりも、さっき少し座ってみていた「昔から広場だった」という場所のほうが、わたしは好きだった。


岩の形や色、木々の様子にいちいち感動しながら歩いて2時間くらいの行程だった。途中で一番高いところから最北端の岬・辺戸岬(へどみさき)と海が見えたのもよかった。ああ〜あれが島の最北端なんだへえ〜と思うけど曇り空だし風も強くて寒いので、あまりゆっくり眺めなかった。レンタカーを返すのは18時ということになっていて、もうすでに15時に近い。少し足早に駐車場のある施設まで戻った。

施設には売店があった。いいハイキングだったな〜とホクホクした気持ちだったが、あまりにも自分の他に人がおらず、またうっすら不安になった。この場所を応援したい気持ちがあったので、ささやかながらヤンバルクイナのステッカーと沖縄名物らしい黒糖の蒸しパンを買うことにした。黒糖蒸しパンを「温めますか?」と聞いてくれた売店のお姉さんが、蒸しパンが温まるのを待つあいだに「同じ色の仲間ですね」と話しかけてくれたのがなんか動物みたいでおもしろかった。(山へ行くとたまに、狸や狐が化けているのか…?と思うような、不思議な愛嬌のある人に出会うことがあるよね…)(わたしが黒いウェアに黄色いジャケットを着ていて、お姉さんも黒いポロシャツに黄色い上着だった)

施設を後にして、温かい蒸しパンをかじりながら運転席に乗り込み、上着と鞄を助手席に投げてスマホを確認するともう15時をまわっていた。できれば17時くらいに帰りたいので、ちょっと急いだほうがよさそう。出発!
だが、山をぐいぐい降っていると「1.0km先 辺戸岬」みたいな看板が現れた。さっき山の上から見た岬だ。えっ…1km先なら行っちゃうか……と、当初は「行けたら行こう」くらいに思っていた岬へ、ノリで寄り道することに決めた。

ここが、ノリで決めたのだけどめっっちゃくちゃよかった。この日一番よかった!

沖縄本島最北端の辺戸岬は、よくある他の岬と同じように、ちょっとした公園のようになっていた。展望が可能な窓の大きい建物(二階にレストラン)と、駐車場とトイレと記念碑と、みたいな、よくある構成だ。車を停めて降りると風がとにかく強い。わたしの着ていた上着はスキーウェアだったけど、フードをかぶって頭と耳を守ってもなお寒かった。やや急いでいるし元気がありあまっていたので、思い切ってダッシュで岬へ向かった。大きな岩が立っていたのでとりあえずそこを目指す。

近づくと、その大きな岩は、沖縄の本土復帰を記念して立てられた石碑だった。碑文はけっこう長い文章で「全国のそして全世界の友人へ贈る」と題されて書かれたものだったのだが、これが、すごく強くて厳かな、重みのある文章だった。最初のパラグラフがかっこよかったので引用する。

 吹き渡る風の音に耳を傾けよ
 権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
 打ち寄せる波濤の響きを聞け
 戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ

(全文を書き起こしている人がいたのでご興味あればぜひ)(https://monumen.to/spots/5215

こんなにパワーのある言葉を書かせる戦争というのがどれほどのものか、というのを想像させるに十分な強度の碑文だった。「大きい声で叫んでいる文体」というものがある…。文字そのものもかっこよかった。こんな文章なかなか書けないよな、書かなくてもいいのが一番いいけど…

つられて勇ましい気分のまま駐車場の方へ引き返すと、右手に、土が踏み固められてできた細い道があった。しばしば人が通っていると思われる道で、今朝からの小雨で土がぐちょぐちょしていたが、なんとなく勢いづいていたので走るようにそこを下った。両足の幅くらいしかない細い道の両側には、膝くらいの高さのクサトベラが生い茂っている。クサトベラは、硬い緑の葉っぱの、ごつごつした珊瑚のような枝をもつ低木だ。風が吹くとカラカラと音が鳴った。本州の海辺ではまず見ない木なので、見慣れなくてソワソワする。異境に踏み込みつつあるような感じ。ものの1分くらいで、海が見えなくなるほどの、人の身長を超えるくらいの高さの黒っぽい岩壁が現れた。(約2.4億年前のかなり古い石灰岩らしい、さっき山で見たものと色が全然違う)
その岩沿いにまだ道が続くので先へ進んだ。進むにつれて、海風と波の音がいつのまにか静かになった。わたしはこういう時に「ああ、岩が遮音してんだ」と思ってしまうけど、それでもなお「あっ、多分この先は聖域だ」と思わされる雰囲気があった。
行き止まりには、特別かっこいい形の岩と、ちょっとした祠のようなものがあった。具体的なモチーフのある石像などはなかったが、文字を読むにどうやら龍と火の神を祀っているらしい。白っぽい石の祠のところに小銭が行儀良く並べられたりしていた。さっきまで耳がボウボウ鳴るくらいの風と波の音を浴びていたのに、あたりが静かなのが少し怖かった。

あまり長居するつもりもなかったので、辺りをちょっと見渡して、お辞儀だけして、すぐ元の道を戻った。また波の音が聞こえ始める。風が体に当たる。公園っぽいエリアに戻ると、さっきまでよりも人が増えていて少しホッとした。南東のほうに道があったのでそっちへ行ってみると、とてつもなく大きい断崖絶壁が見えた。すっげ〜!道沿いの柵から身を乗り出して、強い風をごうごう浴びて目を見張る。眼下には珊瑚礁か岩かわからないけど茶色っぽくて硬そうな浅い水底が見え、その上を透明な波が寄せ、足元の岩壁に当たって砕ける音がした。

ものすごい轟音だった。「強い波が岩壁に打ちつける音」というのは、多分これまでにも聞いたことがあったけど、浅い岩の上をサーッとなぞる音が混じって聞こえるのがかっこよくて、寒くなかったらいくらでも聞いていたかった。今まで自分が聞いたことがない波音だった。それと同時に、音ってすごいんだと思った。わたしの体があるところよりも、さらに下方の岩壁がより深くえぐれているのが、音を聞いてわかった。足元から垂直に下へ降りた地点よりも内陸で波が砕けているのだと、直感的に、なぜわかるのかわからないけどわかった。音っておもしろい!音も音響もかっこよかったし、目で見た時の岩壁と波と水面の美しさおよび迫力もすさまじかった。圧巻とはこのこと…

すっかり感動して、海風と轟音を浴びながら「時間と場所の記録」くらいのニュアンスでこだわりのない写真を撮ってその場を後にした。膝下くらいの高さのごつごつした岩がたくさんあるところを戻る時、写真を撮っている知らない人の画角に入らないようにと少し急いで動いたら、向こうずねを岩に強打してめちゃくちゃ痛かった。その後の運転中もずっと痛かったが、すごい音を聞いたという興奮と、急に静かな聖域が怖かったということを受けて「音って言葉よりも速いんだよナ」「聖性は言葉以前の感覚に訴えかける」「鼓膜も広く言えば皮膚であり触覚なのでは」みたいなことを整理したくなり、しばらくぶつぶつ喋っていたが、もともと知っていること以上の論の展開はできませんでした。


もう大満足だけど、わたしは島の東側の海岸にあるという広大なマングローブの林が見たかったので(マングローブ自体はジャワ島で見たことがあったけど、沖縄のマングローブがどんなものだか知りたかった)沖縄本島最大規模だという天然記念物のヒルギ林があるという慶佐次川(げさしがわ)河口の公園へ向かった。
最北端までの往路は西側の海岸沿いを走ったので、島の東側を南下していけたらいいな〜と思っていたが、やや遠回りだったし、GoogleMapもなかなかその道を案内しようとしないので、おとなしく途中まで来た道を戻り、塩屋湾のところで島を横断して東へ抜け、慶佐次湾へ向かう、というルートに決めた。

車を走らせていると、「比地大滝」という看板が見えた。事前にチェックしていた名前だ。確か、すごく立派な滝…!時間はあんまりないけど見れるなら見たいので向かってみた。しかし、国道から道を入ったところに「比地大滝みれません!」と書かれた看板が立っていた。なんで…?車を停めてどうしようか決めかねていたら、クジラのように大きなトラックがクラクションを軽く鳴らしてズワーッとわたしの車のそばを通り過ぎて山のほうへ入っていき、なんか怖くなったのでやめた(あとで調べたら、豪雨災害の影響で土地が崩れたりしているために閉鎖中らしい。怖いとかではなく普通に「みれません」だった)。でも、なんらかの滝は見たかったので、GoogleMapに「滝」と入力したら近くにあるとわかった「喜如嘉(きじょか)の七滝」へ向かってみることにした。


続く!

静かな埃

一昨年の年末からずっと、ここに書きたいと思いながら書きそびれていることがあって、そのまま1年以上たってしまった。これだけ時間がたってもなお書いておきたいという気持ちが強くあるので、信じられないくらい些末なことだけど書きます。書かせてくれ!

突然ですが。ちょっと今、トイレットペーパーのホルダーと、それが設置されている壁のことを思い浮かべてみて欲しい。稀にペーパーホルダーを使っていないトイレもあるが、たいていの場合、トイレットペーパーはなんらかの方法で壁に取り付けられていることだろう。そして、ほとんどの人はそこに目を凝らしたことがないと思うが、わたしは一昨年の年末、あることに気がついてから、自分が入ったトイレの個室のその部分を見るようになってしまった。

そこにはーートイレットペーパーホルダーがついている壁のあたりにはーー、トイレットペーパーの紙の繊維が散った白い埃が溜まっていることがある。
そう、トイレットペーパーホルダーがついている壁のあたりには、トイレットペーパーの紙の繊維が散った白い埃が溜まっていることが、時々、ある!!!!!!!!!!!

初めてこれに気がついた時、わたしはけっこう驚いて、なんならちょっと感動した。2025年のまる一年ずっとこれを頭の隅に置いたまま言葉にしそびれ続けてきて、やっと今こうしてノリノリで文章にしているくらいには、この発見は自分にとって鮮やかなものだった。
あれは、友人の家に集まって年越しをした日だったから、2024年の12月31日だ。友人宅のトイレの壁は、大きめのタイルが貼られていて全体的にツルツルだったが、ペーパーホルダーの取り付けられた壁のあたりだけはなんだかモケモケしていた。それがふと目について、一瞬「?」が頭に浮かび、しかしちょっと考えたらすぐ「トイレットペーパーを引き出す時に繊維の一部が細かい埃になって空気中に散って、近くの壁につくんだ」とわかった。わかって、わかったことが嬉しかったしおもしろいと思ったのでダイニングに戻ってすぐ興奮気味に友人一同に伝えた気がするが、もう全員忘れていると思う。なお、その友人宅は常識的に掃除がされている普通に清潔な家であることも申し添えておきます。
そして、帰ってから自宅のトイレの壁、というかペーパーホルダーの背みたいな部分を確認すると、かなりうっすらとではあるが同じような埃が溜まっているのが見つかり、「あれはトイレットペーパーを引き出す時に〜」という自分の推測が間違っていないことがわかってもう一度嬉しかった。


埃ってけっこう気になる。あれって物質だけど、けっこうな割合で痕跡でもあって、そういう意味では現象にも近いような佇まいをしている。

気になるといっても、自分は「きれい好き」というわけではない。電気ケトルやブリタ(水道水を飲用にするために濾過するポット)のフタを開けっぱなしにして使って同居人に「埃が入るから閉めるようにして欲しい」と指摘されるくらいには、わたしの埃感覚はガバガバだ。それに、最近すっかりロングヘアになったので床に落ちる髪の毛には以前にも増して存在感があるが、その床をまめに掃除できているとは胸をはって言えない。髪の毛とホコリ、あるな…と思いながらただ見ている時がけっこうあります。ごめん。だが、そういうゴミや汚れや生活の垢みたいなものと、わたしが気になる埃とは少しだけ違う。わたしが気になるのは、誰もそれを気に留めなかった、という時間が一緒に積もった、いうなれば「静かな埃」だ。

地下鉄の駅のエスカレーターに乗っている時に目につく、何も置かれていない段差のような梁のような棚のような部分を思い出して欲しい。たとえばああいうところには、大抵なかなかの厚さの埃が溜まっている。掃除しようとすると人の動線と交差してしまうし道具がないと届かないので、日々エスカレーターや床をきれいに拭いている清掃員もそこまではやらないのだろう。わたしはどうもああいうのを「汚ね〜w」と思いながらなんとなく見てしまう。たまに、誰かが手や指で埃を拭って線を書いていたりすることもあるし、場所によってはその手法で落書きが残されていることもある。ああいうところの埃は、全く誰も気になっていないってことはないはずだけど、そのまま疎かにされていて静かだ。

まれに、かなり掃除が行き届いた、埃のない場所というのもある。昨年の一時期、仕事で出入りしていた美術館の収蔵庫がまさにそうだった。作品を適切な温度と湿度で保管し、虫や菌なども遠ざけておく必要があるので常にじんわり寒くて乾燥していたし、収蔵庫内では埃が舞わないように設計された特別な掃除機を使用していた。入り口すぐの床には、外の汚れを持ち込まないように、靴や台車の裏をきれいにするための(弱い鼠取りのような)全面がシールになった粘着仕様のマットが置かれていた。週に一度の掃除は掃除というよりも手入れで、埃はほとんど溜まる余地がなかった。ふわふわのハンディモップでさらっと撫でるだけで、埃はどこかへいってしまうみたいだった。あれって、埃はどこへ行っているんだろう。ある程度はモップが静電気で回収しているんだろうけど、全部を拭き取れているとは、なんとなく思えない。舞って、そして落ちてない?そのへんに……

ともあれ、埃はよく手入れされた空間には残らない。だが、誰にも触られずに放っておかれたところには、たちまち溜まる。言葉にしてしまえば当たり前だが、すっかり溜まるまではほとんど目に見えないという特性が、うっすら不思議だ。生活のそば、気づかないほど近くにあるのに、人間ひとりひとりの実生活とは異なる次元にあるような印象を受ける。静かな埃は、わたしたちと同じ空間にいながら、わたしたちの目や手の届かないところでひっそりと、いつのまにか育つ。



最近、中古のギターを買って、買ったその日に自分で手入れをした。店の棚の高いところにかけてあったギターは、しばらく誰にも触られずにいたのだろう、うっすら埃をかぶっていた。店頭では次々に他のギターを手に取って比べながら試奏していたのであんまり気にしていなかったけど、家に持ち帰って抱えてみたら、あらあら拭いてあげなくちゃねという薄汚れかただった。全体を拭いて、指板もフレットもきれいにして、新しい弦に張り替えたら、お金を払った時のぎこちなさ(わたしはお金を払っただけなんだけど、本当に持って帰っていいんだ…?みたいな、嬉しい買い物あるある)がようやくほどけて、一段階「自分のギター」らしくなった気がした。

手入れというのはあったかい。自分の肌や髪を手入れしたり、部屋を掃除したり、日々の道具をきちんとメンテナンスすることは、優しくてあったかい。あれは、体の一部や道具が自分のものであり、ちゃんと大切にすべきものです、という確認作業だ。手入れを怠るとどんどんガサガサしていくのは、肌も髪も部屋も心もそうで、日頃の身辺の手入れと気分の良し悪しはひとつの仕組みのなかにある。

ただ、身の回りの全てを大切にして丁寧に生活しよう!そんで素敵に生きよッ(ハート)というのだけだと、わたしにはちょっと意識高すぎてだるい。ので、わたしはトイレットペーパーホルダーを取り付けてある壁の部分には、モケモケの静かな埃をいけるところまで溜めてみたい。誰にも迷惑をかけないし、自分の観察からの発見をもう一度観察に戻して自分との関係を引き延ばすという選択は、静かなままではあれど、すでにただの放置ではない。少しあったかいことのような気がする。この一連に気づく前に壁のあの部分を拭いたことは正直いって一度もなかったけど、気づいて気にするようになって1年以上がたった今も、わたしはそれを一切触らずに生活を続けて、あの埃を育てています。





景色は全ての過去を抱いて

 
わたしは、景色を見て言葉と歌にしていく、というのを自分の表現の大きなテーマのひとつにしているのだけど、「景観」という考え方が全く頭のなかに無かったことに、最近気がついた。
景観、というのはわたしの理解では、景色とか風景よりも、だいぶ資本主義社会のコードにのっとった新しい概念だ。土地の開発や建物の建設などに際して「景観を壊す」とか「景観を保つ」とかいう使われ方をする。誰かひとりの視点というよりも、社会的や客観的な眼差しでみる景色のことを景観と呼ぶ。
 
春先に読んでいた本のなかで(わたしには全く自分の専門分野ではない本を分からないまま読んでみるという雑な趣味があり、その本は「社会経済学的な問題を民俗学的な視点で追うinインドネシアカリマンタン島」といった概要)その「景観」という概念の理解を個人的に少し深めたので整理しておきたい。
 
そこが住宅地になるにせよ、プランテーションになるにせよ、土地が新たに開発される時、そこには全く違う二つの視点が必ずある。
これまで、わたしが見てきたのは、ひとりの人間として出会う私的な「景色」だった。ひとりひとりの人間の生活と当たり前に密接な景色ーーたとえば毎朝仕事へ出かける時に曲がる道の角のところにあるあの木、といったようなミクロな物語と詩性に、わたしは惹かれてきた。ジャカルタで見た、都市開発のいざこざをうけて集落ひとつぶんの家家が更地にされてしまったスラムのことや、自分の家の近所の古い中華屋が更地になって白い塀が建ち、工事が進められていることなど、偶然出会った都市開発も、私的な視点によって、これまで自分の表現の源泉になってきた。歌う人間がわたしひとりであり、詩を書く人間もわたし個人である、ということと、普通に地続きだし、バランスが取れていて適切だと思う。
ただ、そういう視点ばかり採用してきた自分にとっては、更地になったスラムのことを「キレイになった方が普通にいいじゃん、あいつら汚いもん」と悪びれもせず言う友人のことが理解できなかった。けっこうショックだった。でも、8年くらいたってようやくわかった。あれは「景観」の思想からくる言葉だったのだ。
 
「景観」という考え方で景色を見ることは、支配的で、資本主義的だ。景観のことを考えて街をどうこうする、というのは開発者の視点であり、かなり大きな経済が動くような事業に拠る。そして、開発者というのは、者という形の単語だが、個人的な存在ではない。ひとりの欲望ひとつではなくて、それが寄り集まってできた、もっと巨大なうねりのようなものが動力源になって進行する営みだ。
読んでいた本のなかに、フロンティア(開拓地)は、開拓者にとっては何もない土地、まだこれからなんでもできる白紙の土地なのだろうが、すでにそこで暮らしてきた人間にしてみれば、いつもの木や道や過去の記憶が蓄積された複雑な場所だ、というようなくだりがあった。本当にそうだと思った。開拓って、知るとか理解するとか、そういうことから隔絶された精神だ。フロンティアは翻訳を必要とし、外部からやってくる…。
 
4月に『No Other Land』という映画を観た。これは、パレスチナ人の青年と、イスラエル人でジャーナリストの青年が(画面に写っていない仲間も合わせて確か4人のチーム)一緒に作ったドキュメンタリー映画だ。乾燥した田舎の町で、理不尽でえげつない破壊(家財は破壊しない(住民はテレビやベッドを家の外へ持ち出すことを強要される)が家を重機で粉々にしたり)を強行するイスラエル軍の姿と、それに抵抗する地元住民のパレスチナ人たちの様子が、極めて近い距離で撮影されていた。物事はなにも解決しないまま映画は終わる。
見終わって、わたしはそれまで正直あんまりピンときていなかった「地元」というものが、いかに人が人らしく生きるために重要で、手放せないものなのかが、ようやく少しわかった気がした。土地の空気や景色、暮らしてきた人々のあらゆる営みが自分を形成していて、それが己を確かなものにしてくれる。手放す・手放さないじゃなくて、それ自体がもう自分という人間の一部なのだ。それを他人に破壊されるというのは、めっちゃきつい。
 
急に卑近な例に聞こえるかもしれないが、最近、ゲーム原作とアニメ作品の有名な『CLANNAD』を見返していて、似たことを思った。主人公たちは高校生なので素朴に「地元」という感覚が作品世界の全体にあるのだが、物語が進んでいくと、地元に縛られている人と、才能があって土地を離れていく人、という二項が浮かび上がるくだりがある。(※特に今回ハッとさせられたのは本編に加えて制作された番外編 『もうひとつの世界 智代編』)
その土地で暮らし、その景色のなかで、その地域の人たちと一緒に生きていくつもりでいる主人公と、この街の外へ出て「上」を目指せる可能性と才能にあふれた智代。智代のほうが新進的でかっこいいような気がするし、主人公もそう思ってちょっと卑屈になったりしているが、作品全体を見ていくと、大事なことが他にあるというのがわかる。行ける人は外へ行けば良い。それはもちろん個人の自由だし選んで咎められるようなことでは絶対にない。でも、その土地に根を張って生きていくことの強さ、たくましさ、切実さは、違った重さで確かにある。人間が一人で生きていない感じ、というか、正直あんまり理論とかないんだけど、地元とか土地は、生活してそこで成長していく人間と分かち難くそこにある。
 
 
わたしは、生まれと育ちが別の土地だったり、地元の中学に行かなかったことなどもあり、どちらかといえば「地元」への帰属意識が低いタイプの人間だ。むしろ身一つでどこへでも行きたいし、いろんな土地に住んだらそのぶんおもしろいと思う。きっとどこへ行ってもなんとか生きていけるという自負すら正直あるけれど、最近やっと、全然その限りではないとわかってきたのでこうして言葉に残しています。
 
今年の2月末〜3月初旬にかけて、わたしは東北地方の南のエリアに少し滞在していた。三ヶ所を巡る自主企画の演奏ツアーだった。そのなかで、何の経緯も意味もない景色・景観なんてものはないのだ、という事実にバンバン直面した。演奏とは一見関係なく見えるが、これが、10日あまりの日々の中で、わたしにとって最も大きくて重要な気づきだった。
 
わたしが主に滞在していたのは、浜通りと呼ばれる福島県の海沿いのエリアだった。そこは2011年の東日本大震災と福島の原発事故の被害を大きく受けた地域でもあり、10年以上がたった今、その過去が深くそこにあるということをむしろいっそう強く感じさせるような「景観」を多く湛えていた。
津波の被害を受けた地域は、すぐにそうだとわかるほど住宅がなく、泣けてくるほど見晴らしがよかった。山のほうの町も、放射能の除染がようやくすっかり済んで(すなわち町中の建物が取り壊されて)更地になり、ほとんどの土地は新しい家がまだ建たないままだった。夕方に訪れた夜ノ森地区で、自分たちの普通の話し声がどこまでも響くほど静かだったのには、重い衝撃を受けた。
もちろん復興は進んでいて、新しい駅や商業施設や新しげな家も多少できていたし、大きな公園を作る工事も進められていた。地域には人が戻ってきつつあるとも聞いた。だが、色んな人の話を通じて、復興それ自体が破壊でもある、ということも同時に知った。数々の痕跡が、つるりとした質感で上書きされていく…。以前・以後でまるきり姿の変わった土地で、しかし、とにかく前を向いて進むしかないというような、多くのことが保留されたままのような、複雑な状況がそこにはあった。
 
わたしは、行きの電車に乗っていた時にはまだ、この旅で見た景色から歌を作ろう!とけっこう素朴に思っていたのだが、到着後この目で見たシンプルな現実の景色の先に、あまりにも多くの意味や理由、生々しいほどの過去があって、「見たものから作るって、こんなに複雑で難しいことだったのか」と衝撃を受けた。自分がやろうとしていることの大きさや深さが、自分の想定をはるかに超えていた。初日、富岡町に到着してすぐにそのことに気づいて「これはハードだな」と正直思った。
 
福島の滞在中とても世話になった友人から聞いた話が印象に残っている。海が見える場所に新しく文化的な建物をつくることになり、その事業のトップの、偉い人を案内した時のこと。自分の事業に相応しい土地を探して他所からやってきたその人が、「我々の新しい建物と海のあいだに民家などがないのがいい」と要望したという。その瞬間、俺びっくりしちゃってさ、そのことがこの土地においてどんな意味を持つのか、アンタは考えたことがないのか!? って…、あまりにも無自覚で無神経な発言だよね!と、友人は語気を強めて怒っていた。
本当にそうだと思った、が、わたしは、その怒りを理解するのにほんの一瞬、時間がかかってしまった。そのコンマ数秒の思考の時差があったこと、即座に「そうだよねえ!」と言えなかったことが、かなり強く記憶に残った。
 
あえてはっきりと書くが、つまり、ここは津波で流されて人も家屋もなくなった土地で、10年以上たってもまだ、そこに新しい家が建てられていないのだ。この状況で「それがいい」とケロッと言ってしまうのは、端的にいって配慮に欠ける。まあそれくらい無神経でなくては、フロンティアスピリットでガシガシ開発とか新事業とかやっていくなんてできない、ということでもあろう。
 
滞在中、わたしは近くの他の町へも、車を借りたり案内してもらったりして見に行った。資料館(役所が主体になって震災の記憶を残している地域ごとに設えの異なる資料館、東京電力の反省を伝える資料館、福島の地質や化石の研究成果を展示する小さい博物館、反核運動家たちの活動をまとめた資料館など)にも行ける限り足を運んだ。そのなかで、景色と景観には必ず、そうなった理由があるのだと知った。実際にわたしが訪れたいくつかの街は、もともと坂道だったところが埋められて全然違う地形になっていたり、名前がつくほど親しまれていた巨大な岩がなくなっていたりしていた。津波の被害の後、もう今後は人の住む家を建てるのをやめてしまった町だってあった。そこは、今後は工場や公園になる。大規模な工事が進められていて、夕方のコンビニではその仕事に就いているらしい男たちとすれ違った。海沿いには、まだ赤ちゃんみたいな背丈の松の人工林があった。あまりにも広い空と2月の冷たい空気と、山に沈む美しい夕日のなかに一人でいると、どうしようもない気分になった。「なんでもない風景」なんてものは実際にはない、ということを、繰り返し肝に銘じた。
 
そうしたら、自分がこれまでやってきたこと、やろうとしていることが、ハードどころか、とんでもない(すごく陳腐か、あるいは傲慢で暴力的な)ことのように思えてきて、勝手にプレッシャーを感じて、わたしは気分が静かになってしまった。旅から帰ってきてからも、重く捉えてしまって曲が作れなかったけど、4月に山に登って、ようやく少し心が進んだ。
 
 
登山といっても、登ったのは日本でも有数のチョロい山「高尾山」である。わたしは、なんとなく3年前くらいから、新年の気分で登るのが気持ちよくて毎年恒例みたいに1月に登ってきていて、今年もそうしたのだけど、4月の高尾山は初めてだった。
 
3ヶ月たっただけで、4月の山は、1月とは全く様子が違った。あらゆる枝の先で新芽がゆるみ、蕾が膨み、いくつかはすっかり咲いていた。細長い穴の奥から蛙の声を聞いた。茂みの奥のほうにきれいな色の羽の小さい鳥も見た。桜はもう散りつつあって葉っぱが青かった。水の流れがトロトロしていた。この日は、そういうのが目や耳に入るたびに「見て見て!」と立ち止まるメンバーばかりだった(5人で行った)こともあって山頂までいくのには思ったよりも時間がかかったけど、そのぶん、木々の合間から差す日差しの華やかさも、空いた腹の情けなさも、全部が全身に染みていくようだった。
下山してから入った駅のところの温泉とその後の夕飯も、とても幸福な時間だった。春というものを毎年のこととして30回ぐらい通過して、すっかり知ったつもりになっていたけど、この日、新たに味わった気分だった。全然知らなかった気がした。春ってすっごい季節なんですね!
 
それはシンプルな喜びだった。季節が進んで景色が変わるというのはうれしい。よくぞこうして、色々なものが生き残り、あるいは生まれたものだと思う。春のきらきらした山の景色ひとつずつに、数ヶ月前の冬の様子というのがあって、その続きに4月があった。すごく当たり前のことだ。過去を持たない景色はない。
 
季節の変化と自然災害と侵略と土地開発を等しく語ることはできない。だが、その全てが、景色と景観を変化させる因子という点では共通していて、地球の表面で絡み合っている。そして、誰かの目の前の景色というのは、あらゆる変化の先にたったいま存在し、たった今、観察されることでそこに現れ、居合わせた人間によって、読み解かれたり愉しまれたり、悲しまれたりしている。一人一人は、点のように小さくて短い機会で、そこに居合わせている…。
 
大きく捉えてみたら、少し気が楽になったというだけの話を長く書いてしまった!けど、つまりそういうことだ。大きく捉えたり個人的に凝視したりしながら、真剣にぶつかることでしか、真摯に表現なんてできねえのだ。本当に時間がかかるけど、わたしにできることを引き受けていきたいと思います。ということで急に終わります。
 
 
 
※表現に関して「引き受け」が必要、というのは以前にも書いているので補足的にリンク載せてみます
 
2023-05-27
『どんどろ人形との出会いと、「自分で作る」ということ』
 
2024-02-21『自分とこの世の最前線』
 
 
 
 
 

速い移動とでっかいview


わたしは、声と言葉を手法に、風景を主なモチーフに歌の作品を作ってきた。ヴォーカリストとかアーティストという肩書を名乗ることが多いが、やっていることはほぼシンガーソングライターだ。
自分の歌のモチーフは多くが「この目で見たもの」で、風景からヒントを得て歌を書いてきたし、それらを歌う時にも、この場の風景のなかにこの体で在るのだ、という感覚が頼りというか、根拠というか、礎みたいにある。もはや自分の表現と風景とは、切り離せない関係にあると思っている。
そんな人間として、先日みた現代美術の作品がとてもおもしろくて学びがあったので雑感を書いておきたい。


それは、加藤広太による《あなたにではない、何かに向けて》という作品だった。これは、取り壊し予定の数件の古い家屋を使った、若手美術作家を多く集めたグループ展「150年」に出展されています。会期は2025年1月27日(月)まで…。この記事に詳しいかも https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/150years-report-202501)(今回の文章はわたしが勝手に書いているもので、企画や他の作品については言及しません)(何か間違ってたらこっそり教えてください)

この作品は、3階建の建物の眺めの良い屋上に設置された巨大なディスプレイに映されている映像と、作品の解説をしている音声(1分程度の音声がメディアプレイヤーでループ再生され、トランスミッターを使って数メートル離れたところに置かれたラジオから聞こえるようになっている)で構成される。ただし映像は、人の身長を超える高さに設置された大きなディスプレイに写されているらしいのだが、画面はすぐそばを走る首都高速道路のほうに向けられている。観客にはディスプレイを支える金属製の什器の鏡のような裏側が見えるだけで、ここから映像を見ることはできない。わたしも見ていない。
解説の音声によれば、これは首都高速道路を走る車の中から見えるように設置された映像であり、風景を撮影した数秒を会期(たしか10日間)時間ぶんにまで引き伸ばす編集が施されている。つまり、ほとんど静止画にしか見えない映像なのだという。

作品の要素はこれで全てだ。とてもシンプルながら、わたしはかなり感動してしまった。


風景というものに、わたしは自分の身体で対峙することしかできないと思ってきたし、むしろそれがおもしろいと思ってやってきたけれど、加藤さんの作品は「車の身体」から発想されていた。(本人のことを少しだけ知っているのだけど、彼は車の運転が好き)
車は人間の足よりもずっと速く走る。運転手が車窓から見る景色は常に一瞬だが、そこで見られている景色というのは、人がそこを車で通ろうが通るまいがずっとそこにある、風景でもある。都市の風景は、里山の四季のような変化には乏しく、ほとんど止まった写真のような状態に見えながら、しかし、視点をかなり遠くに置き、広く都市を眺めるならば、ゆっくり動いている。まずこのことにだいぶハッとした。速い視点から巨大を経て、ゆっくりしたもの、長大な時間感覚に想像力が至るのがシンプルにおもしろい。

そう、速いということは遠くまで行けるということで、遠くまで行けるということは、土地の距離や広さがわかる、つまり巨人のような視点を獲得できる、ということでもある。

人間サイズのわたしの視点では、都市は全てのスピードが速いはずなに(特に夜は)季節感が薄く、ある意味では止まってるみたい、というイメージだったが、なるほど車の速さと距離をもった巨人の視点で見てみれば、人には観測できない速さでゆっくりと変化していると想像できる。

自分の足で歩いて立って、目で見て肌で感じる都市と、速くて巨きな「車の身体」で出会う都市とは、全く質が異なる。わたしにとって後者はかなり新鮮に感じた。
美術家をやっている別の友人が「車の免許をとった時に僕の父が言っていたんだけど」といって聞かせてくれた言葉を思い出す。曰く「車に乗る生活に慣れると、歩いたり自転車に乗ったりしていた時の視点やその時に見えていたもの・感じていたことが分かりにくくなると思うけど、そうならないように気をつけろ」と。そんなアドバイスをする父親ってなかなかいない(し、良い)と思う。交通事故に気をつけろとかじゃないんだ、と笑って言っていたけれど、すごく印象に残っている。また、わたしが最も影響を受けたアーティストの1人に村上慧さんがいるが、彼も、歩いて移動することを基点にして家や生活をテーマに制作していた時期が長い。他にもいろいろなものごとに感化されて、わたしにとって「身体感覚を大切にしないと色々なものを見落とす」ということは、かなり揺るぎない考え方だった。今も基本的にはそうだ。

だが、確かに、車に乗った身体からしかできない発想、生まれないアイディアというのはある。加藤さんの作品はそうだった。わざわざラジオを使って音声を電波に載せているのもおもしろくて、(本人の意図は聞いてないので想像だけど)これがわたしには「都市には人が目で見るのとは違うレイヤーが重なっていて、これは今そういうもののひとつにアクセスしている」というような表現に見えた。ちょっとSFっぽい想像力につながり始めるのがアツい。

加藤さんの作品を前にした屋上で実際に鑑賞者が目で見れるのは、彼の作った映像ではなく、屋上からの現実の景色だ。周りの多くの鑑賞者も「あっ映像みれないんだ」とわかるとすぐ景色を眺める方に移行していた。それは普通に眺めのいい都市風景だけど、作品を通して新しい視点を獲得すると、まるで違って見えてくるのだった。景色がこれまでとは違ってみえるというのは、良い表現にしかできない、しかしお決まりの、わたしの大好きな偉業です。



ところで、昨年の夏、千葉の山に遊びに行った時に見た現象が忘れられなくて、昨年の「ベストオブきらきら」だった。
山から降りていた時のことだ。歩いていた道の右手にあった、椿か何かの、濃い緑色の光沢のある葉っぱの表面に、ぎらぎら照りつける青空を伴った日差しが当たって、空色に光っていた。葉っぱの表面が鏡みたいにつやつやしていて、その程度が甚だしく、また、光も強烈だったから、空の青が写って見えていた。
椿の葉っぱの表面がそのように光を返すことをわたしはずっと前から知っていたし、歌ったこともあったくらい好きな現象だったが、青い色までもが映るというのはこの時に初めて知って「こういうことあるんだ!!」とかなりグッときた。

あまりに感動したので、それ以降も晴れた日はツヤツヤした葉っぱの木を気にして見ていたが、先日、また別の山に登った時にも、同様の現象が観測できた。「わりと普通にあるんだ」とわかって若干熱が冷めたが、素敵なもんは素敵である。木漏れ日、みたいに、なにか名前がついていそうなものだけど、その言葉をわたしは知らない。なんていうんだろう。これってたぶん、けっこうリテラルに「逆木漏れ日」なんだけど(太陽からくる光のうち木の葉にあたって溢れているものが木漏れ日なので、溢れずに木の葉の上に湛えられている光の姿は、逆木漏れ日といえそう…、あるいは木漏れず日?)全然詩的じゃなくてひどい。悔しい。木漏れなかった光…葉っぱ反射光……うーん


ともかく、わたしはこういうことに言葉をさくのが好きだし、こういう小さな気づきは風景をこの身体で確認しているからこその賜物だと若干誇りにすら思う。でも、それとは全く真逆の、むしろ巨大な都市を巨大なまま、圧倒的な時間的スケールを持った空間、飛行機から見下ろすようなどでかいフィールドとして捉えるような視点があって、そこからおもしろい表現がうまれることがあるんだ、というのが、今回は感動的だった。加藤広太さんありがとう。勉強になりました…。
 
私の場合だと、都市を前になにか作ったものといえば、数年前にこの曲(「モーターリバー(https://youtu.be/HmeVePU5XkE?si=wjw3-ZRD2t6TXxdr)を書いたけど、同じようなモチーフ(都市、高架高速道路)を据えておきながら、こんなにも違う視点が、あるんだ〜〜っ!という喜びがあった。表現って本当におもしろい。



また、何かを写真や映像に撮るとか描写したりする、などという表現の根本的な営みについても、加藤さんの作品には批評的な視点があったように思う。

ついさっき、わたしは先日やった焚き火の映像をiPhoneで撮影したのを見返していて、撮った映像のなかで火はいつまでも燃え続けるなあ、と思ったのだけど、ちょっと考えたらマジで全然そうじゃなかった。映像に撮ったら永遠になるんじゃなくて、永遠にある現実から、それこそcaptureしているだけ、切り抜いて扱い可能な状態にしているっていうだけなのだ。手に取れるようにしているだけ。
でも先日の加藤さんの作品は、そもそも観られない(作った本人さえ10日間にわたる映像を全編観てはいないだろう)構造で制作し、それを現実の都市に開いた屋上で提示することで、都市のでかさ、手に取れなさを教えてくれていたと思う。
 
焚き火も、都市も、山も海も、あらゆるすべての現実が、人間に切り取られようと切り取られまいと、言葉を持たないカオスとしてそこにただ在る。何かを撮ったり記録したり描写したりする時、目の前の現実はびくともせずにでっかくそこにあるんだぞということに、今回あらためて思い至った。


自分の話につなげてばかりで恐縮だが「歌をその場に起こすのでみんなで聞いてみませんか、というスタンスでいたいと思っているんです、火を囲んでるみたいに」というようなことを、昨年うけたインタビューで話したことがあった。(https://x.gd/cBIgP)これは正直ちょっと友人の受け売りだったのだけど、今回のことを通して、一段階深く自分のことにできた気がする。

現実に歌を起こす。それは町がそこにあるとか、火がそこで燃えているとか、山がこのようにそびえているといったことと同じ地平に投げ出された「生きている」という事実の延長に、どうやらあるみたいだ。

歌は、パッと考えるととても短くて刹那的なもののように思える。だが、わたしのような末端の音楽家が作った歌であっても、なんだかいつのまにか友達の口先で歌われていたり、会ったこともない人が演奏してくれていたり、海を越えた遠い国で録音が再生されたりしている現状をみると、どうやら短い現象ではないようなのだ。
歌はこの世に生まれて、歌われ聞かれ再生されるなかで、山とか家とか、海とか都市とか、そういうものみたいに、なにかどーんとしたものになれるのではないか。そして、たまに演奏されるたび、我々はその「どーんとしたもの」にアクセスしている……みたいなことなのかも。歌には大きさがない、と勇気を出せば言ってしまえるような気がする。歌には大きさがない!!

そう思うとやはり、風景について考えることと、歌を扱うことは、かなり親和性が高そうだ…ぜんぜんまとまらないけど、ともかくわたしは「歌」のほう、担当させていただきます!というところで〆ます。
 
 
 
 



インドネシア滞在日記11 5/25〜5/30(完)

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記11  5/25〜5/30(完)

5/25(土)

気合いで起きた!時刻は4時。まだ日の出前。目だけ洗ってマスクをして身支度ってことにして、荷物をまとめた。すでにカルトゥンさんも起きていて、他のみんなが寝ているので、わたしたちは黙って「ニヤリ」という感じで目だけ合わせて、悪巧みでもしているみたいにサッと出発した(こういうノリがいちいち良い…)。全員を起こすのはさすがにできないにしても、一番お世話になったタフタには挨拶したかった。が、なぜか姿が見当たらなかった(※ほんとうに謎)ので諦めて、やや過積載ぎみのバイク1台で山の家を後にした。

明け方の、暗い時間帯なので空気は冷たかった。Dingin(寒い)!!と叫んでそれで笑ったりしながら、1時間ほどかけてカルトゥンさんの家に到着。カルトゥンさんが玄関の外のタイルのところ(ジャワの家って高確率でこういうスペースがあって、日本で言う縁側みたいな役割を果たしている印象)にわたしのスーツケースを持ってきてくれた。ご実家の他の家族を起こさないように家の外で黙々とパッキングし直した。山の家に持って行っていた一週間分の荷物と、カルトゥンさんの家に置かせてもらっていた大きなスーツケースを組み合わせて詰め直すのだ。すでに時刻は5時過ぎ。飛行機は7時なので、国内線とはいえ、ちょっと焦る。大急ぎで荷物をまとめ、なけなしの梱包材でギターを包む。(ガムテープを借してもらった)荷造りが終わる少し前にアプリでタクシーを呼んでおいたら、ちょうどいいタイミングで来てもらえた。

カルトゥンさんとは、2018〜19年にわたしがスマランに半年いた時にかなりの偶然で知り合って、その時も今回も、本当にあらゆる世話を焼いてもらった。おもしろい場所にたくさん連れて行ってくれたし、すてきな人たちに会わせてくれたし、楽しいことを一緒に計画して実行した。わたしのボロボロの英語とノリしか合ってないインドネシア語に、いつでも最も辛抱強く付き合ってくれたのは彼だ。本当に感謝しかない。今回マジであなたのおかげでサイコーでした、と言ってハグして別れた。「Aoiのインドネシア滞在はいつでも最高でしょ!」アハハまじでそう、ほんとまた会おう。絶対に元気で!みんなにもよろしくお伝えください!

カルトゥンさんの家は空港からかなり近いところにあって(純粋にラッキー)、タクシーに乗ったら13分くらいで着いた。チェックインカウンターで自分の搭乗する便を探すと、Boading timeが06:33と表示されていた。は???早まっている………?!??しかも発券したら06:30と書かれていた。ええ〜??遅れるならわかるけど国内線が早まることあるんだ????それともわたしが何か勘違いしている????

とにかく、間に合うけどギリギリだし朝ごはんを食べる時間は完全にない。悲しい。しかも、わたしはうっかりハサミを手荷物に入れたままにしてしまっていて、保安検査でひっかかり「そのリュックにハサミをしまって、追加料金を払って預け入れ荷物にしたら乗れる」と係員からアドバイスをもらったので、大急ぎでパソコンなどの機器をエコバッグ(あってよかった)にいれて手荷物にし、ハラハラしながらカウンターに戻って経緯を説明し、リュックも預けた。一応なんとかなったけど、この時に英語でどう言ったかマジで思い出せず奇跡のように感じる…。

飛行機には間に合った。座ってすぐに寝て、目が覚めたらバリだった。

今日はホテルをとっておらず、友人のいない友人のアパートに一泊させてもらう。アディット(同い年の友達。5年前に知り合った時は大学卒業直後でジョグジャカルタに住んでいたけど、現在は就職してバリ勤務。銭湯で演奏した時のライブ音源(サブスク配信中です)のジャケットのイラストを描いてもらいました!)にバリに行く日付を伝えたら「その日だとまだ出張から帰ってきてないや、ってか俺の部屋せまくて汚いけど使って良いよ!」とのことだったので、ご厚意に預かることにした。一泊でも宿代が浮くのは正直いって助かる。明日アディットが帰ってくるので、それからは帰国の日までホテルに泊まる計画だ。

ひとまず、朝ごはんが食べたい。預けた大きな荷物をベルトコンベアーから引っ張り上げて、ゴロゴロ引きずりながら食べ物にありつけそうな店を探して歩く。いろんな店があんまりしっくりこなくて、すぐに空港の建物の外まで来てしまった。道を渡ったところに商業施設があって、その一番手前に窓の大きなA&Wがあった。山から急に空港に来た時点で、あまりの環境の違いと焦りと疲れで何かが狂った感じがあり、急に都会的なハンバーガーと変なコーラ(※ルートビア)とポテトに強烈に惹かれてしまい、それらを朝食とした。朝9時。五感がグラグラした。ハンバーガーには、スナック菓子みたいにカリッカリに焼かれたベーコンが挟まっていて、これはインドネシアっぽいアレンジなのかもと思った。※インドネシアの人たちはサクサク食感が好きすぎるため、食事にすらスナック菓子を添える。(タイ料理とかにもついてくるエビせんべいみたいなアレです、総称をクルポックといいます)


今日は本当に移動するだけの日で、他に予定がない。全然急いでいないので、タクシーの値段を比較して慎重に選んで乗ってみようと思い、いくつかのタクシー会社のブースで値段を聞いて回った。ングラライ空港オフィシャルタクシーの先払いシステムが無難な感じがしたので、それで向かうことにした。

タクシーの運転手がとてもフレンドリーに話しかけてくるタイプだったので、疲れていたけど色々喋った。バリ出身だそうだ。普通に良い感じの人だな、と思っていたが、終盤で「道がわからないから案内して」と言われ(出身地ちゃうんか〜い、アプリ見てくれ)、わたしだって全然わかんないのに気合いでナビした。降りるタイミングでチップを要求され、いくら欲しいのか聞いたら50,000ルピアという。昨日まで、一食10,000ルピア未満で満足な食事ができるジャワの田舎にいた人間からすると、それはあまりにも外国人観光客向けの価格で、なんかかなりムカついてしまった(※今思えば、ムカつくようなことではない)ので、30,000ルピアだけ払って降りた。疲れと緊張で気が立っていたし、飛行機に乗る時に重量の超過料金と後から加えた手荷物などで既に2700円くらい払っていたし、ハンバーガーも高かったし、急にビュンビュンお金が飛んでいっていて気持ちが乾いていた。


ともかく無事にアディット宅に着いた。敷地の入り口の重たい門を開けると、ちょっと広くなった庭のようなスペースに数台のバイクが停めてあった。建物は2階建てで、10戸くらいの単身者向けアパートだった。自分と同い年くらいの女性が庭に出ていて目が合ったので「アディットの友達です」というと「上の階だよ」と教えてくれた。

最後のひと頑張りで2階に上がる外階段を二往復して荷物を上げた。玄関先のすみっこに、メッセージで送ってもらった写真と同様に丸っこい石が置かれていて、その下に鍵があった。若干建てつけが怪しかったけど、ドアが開いた。ほんとに寝るためだけに帰るような、小さなワンルームだった。生活感が残りまくっていて、なんだか泥棒に入ったような気分だった。作り途中のミニラグ(かわいい)とか、描いた絵(リソグラフの作品、かわいい)とか、デザインしたピザ屋の箱(かわいい)、大量の服などが所狭しと、貼られたり置かれたり積まれたりしていた。アディットに「着いたよ、部屋お借りします」と自撮りを添えたメッセージを送った。


いくつか買い物がしたいし洗濯物も溜まっているので近くのランドリーに行きたいが、だいぶヘトヘトなので一旦、仮眠を取りたい。その前にシャワーを浴びよう…と靴下を脱いだら、足首の水脹れがビー玉くらいの大きさになっていた。

ここまであんまり書いてこなかったが、一週間前くらいから良くなったり悪くなったりしていた「腕と足の虫刺されが水脹れになったところ」は、この時、最もひどい状態になっていた。このコンディションで昨日の(昨日の?!)MV撮影を乗り切ったのは、かなりの頑張りだったと思う。実はあんまり映像に写っていないほうの腕が悲惨な状態だった。(※わたしも頑張ったけど、アルゴも完全に正しい気遣いと共に撮ってくれていました、ありがとう…)

ズキズキするなあと思ってはいたが、足首のこれは見た目がかなりキモい。足首にビー玉くらいのサイズの、体液で満たされた球がくっついている。キモすぎる。さすがにこのサイズの水膨れが知らないあいだに潰れると困るので、安全ピンで潰して、よく洗って薬を塗って絆創膏を貼った。ジョグジャからスーツケースに入れっぱなしにしていた大量のティッシュ(到着してすぐ買った、1kgくらいのBIGサイズのもの)をだいぶ消費したし、キャンプの帰りに買い足したボディソープも大活躍した。水脹れの中身を触った手で唇や目に絶対に触りたくない(先週、おそらくそれでウイルスだか菌だかが移って唇が腫れてしまったのだけど、焦って朝からビタミンとか飲んでいたら当日中に引っ込み、ライブ直前に鏡をみたら大丈夫になっていた/やっぱりわたしはコンディションを間に合わせる才能がある…)ので、ここからの数日は<患部をまめに石鹸で洗い流す><薬を塗ったら手を洗う>を徹底した。(後日談:帰国後すぐ治りました、痒みだけ1ヶ月残ったけど)


体をきれいにして、ちょっと寝て、15時過ぎに歩いて町へ出た。Googleマップで調べた最寄りのランドリーに服を預け、Babi Guling の店が近くにあったのでそこへ向かった。Babi Gulingというのは、バリ風の子豚の丸焼きである。ジャワは90%くらいの人がイスラム教徒なので、豚を食べる習慣がない。しかし、バリには「バリヒンズー」と呼ばれる独自のヒンズー教文化があり、伝統的な豚の料理がある。儀式の一環として豚の丸焼きを作ってみんなで食べたりすることも度々ある。これが普段の食事にも食べられるレストランが、街中にたくさん見られる。

せっかくバリに来たからバビグリンを食べようという気持ちで、たまたま近くにあった店に入っただけだったのだが、ここのBabi Gulingがめちゃくちゃ美味しかった。豚の皮とその下の脂身をパリパリに焼いたのとか、肉ももちろん美味しかったけど、付け合わせの野菜も美味しくて、一皿の栄養と味のバランスがとてもよかった。
閉店間際で串焼きがないけどいい?と聞かれて、頷くしかないので頷いたけど、明日きたら完全な状態のセットが食べられるってことか…。また来ようかなあと思いながら店を後にした。


腕や脚のビー玉水膨れなどをなんとかする飲み薬や絆創膏などを薬局で買い足し、暇なのでなんとなく海に向かった。道すがら、お祈りをした痕跡(チャナンと呼ばれる、花などの御供物が載ったバナナの葉の小さなお皿。一日に数回、これと一緒に線香を炊いて祈る)がいくつか見られた。バリだな〜。カイトがたくさん上がっていて、空をふわふわ浮かんでいた。

海に着くともう夕方で、風がやや肌寒いくらいだった。屋台が出ていたので、天ぷらのピーナッツソースがけを買った。可もなく不可もない味だった。道中で買ったスポドリとタバコと板状のプリッツみたいなお気に入りのお菓子(5年前ずっと食べていた)もあったので、ひとしきり石の上に腰掛けて、家族連れや若者のグループがワイワイ、海水浴や凧揚げをしているのを眺めて30分くらいモグモグぼんやり時間を潰した。


帰り道にフルーツジュース屋があったので、店頭でグァバジュースを飲み干した。もう今日の夕飯はこれでいいや。水浴びの時に髪をあげておくためのバンスクリップが壊れていたので、途中にあった化粧品などを売っている店で100円くらいのを買った。その後、路上でおばあちゃんに話しかけられ、そのままジャガイモ粉で作った40円くらいのドーナツを半ば強引に買わされたのだけど、これがものすごい甘さで凄まじかった。美味しいとか不味いとかのずっと手前に「甘い」がくるくらい甘かった。わたしは嫌いじゃないです。ランドリーに預けた服も無事に回収できた。山の日々から一転、急に買い物しまくってたくさんお金を使った。不思議な感じがした。



5/26(日)

朝のつもりで起きたらもう昼前だった。遅めの朝ごはんは昨日のバビグリンにしようと思い、日焼け止めだけ塗って家を出た。かなりしっかりと暑くて、時々立ち止まっては昨日買っておいたペットボトルの水を飲みながら歩いた。観光客っぽい感じに見られるのを承知で日傘をさした。

バビグリン屋のおばちゃんたちは、昨日来たばかりの外国人がまた来たからだろうか、なんだかフレンドリーだった。昨日は閉店間際で無かった串焼きも今日は載っていて、この店のフルバージョンの一皿にありつくことができた。ここ、何気に名店な気がするので、バリのサヌールに行くことがあればぜひ行ってみてください(https://maps.app.goo.gl/hpuiED21PB5vZTyMA
美味しいから今日も来ちゃったんだ、と言ってニコニコ会計して店を後にした。

明らかにゴミだろうというものは一緒に捨てておく、くらいのざっくりした掃除をして、アディットのアパートを後にし、さくっとホテルに移動してチェックイン。ホテルはめっっっっっっっっちゃ快適だった。家族経営の小さなホテルで、上品なおばちゃんが対応してくれた。室内はとても清潔で、ひとつの建物の1階と2階がひとつずつ客室になっているスタイルだった。私の部屋は一階で、フロントの目の前の部屋だったので防犯的にも荷物運搬的にもベストだと思った。感謝…。よく効くエアコンと真っ白で全然臭くないシーツとタオル、そしてドライヤーがあった。うおー!1ヶ月ぶりのドライヤーだ!
シャワー(1ヶ月ぶりくらいにお湯のシャワー!)を浴びて、ひとしきりボンヤリ休んで、もう早めの夕飯くらいのタイミングだったので、出張から帰ったアディットと合流することに。なんとギャリー(ジョグジャとスマランのライブにも来てくれた、ジャカルタ在住の友人)も来ている!というので、3人でご飯を食べる。有名な夜市があるというので、そこに集合することになった。わたしはバイクタクシーで向かった。久しぶりに友達に会えるのも、久々にドライヤーが使えて髪の毛がサラサラなのも嬉しかった。

屋台村で二人と合流して、とりあえず腹ごしらえをした。ギャリーはもはや「ひさびさ」感がないし、アディットにもすでにジョグジャについてすぐ会えているので、この日の再会にはたいした感慨はなく、普通に「ヨッシャ〜〜」みたいな感じだった。
食後、ちょっとつまめるものを買い足して、なんとなく浜辺に行った。二人はゆるいムスリムなので、普通にビールも飲む。近くの屋台で「高っ」と小声で言いながら瓶のビンタンビールを買って、真っ暗でなんにも見えない海の近くにあるベンチに座ってちょっと凍えながら3人で飲んだ。夜風はけっこう寒かった。ギャリーは数年前に日本に来たことがあって、わたしは東京でライブできそうな場所を紹介したりそれを聴きに行ったりしていたのだけど「あの日のライブの後、オーナーと飲みに行ったら飲みすぎてベロベロになってしまって次の日に乗った大阪行きの新幹線がとてもつらかった」「日本の人、お酒強すぎ……」という笑い話を聞いたりした。あと、先月のジョグジャであった音楽フェス(わたしは山にいて行きそびれた)で暴力沙汰に巻き込まれてやばかったという話の真実など……(彼が無実だとわかるまで警察署でスマホを取り上げられて一週間過ごしたらしい)(そういえば彼は東京のライブ当日もなかなかトラブル満載だった)(色々と心配)

そばに海亀の子供を保護して育てている施設があったので、3人でそれをちょっと見て、アディットは明日も仕事だし、ということで健康的な時間にサクッと解散した。明日はライブです!



5/27(月)

海からのぼる朝日が見てみたかったので、頑張って早起きした。わたしが滞在している宿は、ビーチまで歩いて5分くらいだ(ただしオーシャンビューではなく、そのぶん安い)。が、一番の近道を行こうとしたら、路上に野犬が2匹いて、野犬は病気を持っていそうで怖い(アディットにも「君が走ると犬も走るから怖くても走っちゃダメだよ」と言われていた。私が走ると犬も走るの、ちょっとおもしろい、やらないけど…)で到底近づけず、だいぶ回り道をすることになった。やっとの思いでたどり着いたビーチは、まだ暗いけどはっきり諦めがつくくらい雲が多く、朝日なんてとうてい拝めそうになかった。一応、遠回りついでにコンビニで買ったパンをかじって砂浜にあったブロックに座って待ったが、少し明るくなってきた頃に宿に戻って二度寝した。

この日のランチは、仕事の昼休みのアディットと合流することになった。せっかく来てるから!というシンプルな理由で、いちいち一緒にご飯を食べてくれるのがただただ嬉しかった。彼はいま仕事でバリに滞在しているけど、ジャワ出身なので、結局ここがおいしくてさあと、ジャワ料理の食堂に連れて行ってくれた。この店もほんとに美味しかったです!(https://maps.app.goo.gl/D8LcFpnLZErh6DH38
普通にちゃんと美味しいジャワ料理屋だった。できているおかずの大皿がカウンターのガラス越しにずらりと並んでいて、そこから好きなのを選んで、お店の人に米と一緒に皿に盛ってもらって食べる王道のスタイルなのだけど、盛り付けた人が値段の書かれた札(カウンターの内側の柱に値段ごとに色の違う札が何種類もバーッとかけてある)をレジの人に渡して仕事を分担しており、このシステムがとてもわかりやすくてよかった。外国人観光客に向けて仕組みを作ったのかもしれないけど普通の納得価格だったし、とても賑わっていて雰囲気のいい店だった。

ランチを済ませて、アディットが「僕の仕事場を案内する!」というので彼の仕事場に向かった。食堂からバイクで2分くらいの場所だった。海の環境保全と観光プランナーを兼ねているような会社で働いているようで、敷地のなかにいくつか建っている建物のうちの一つに、この辺りに生息している海の生き物や、環境保護のためのさまざまな取り組みを紹介する展示があった。ちょっとした博物館みたいな感じだ。海洋廃棄物を使った美術作品などもいくつかあった。小中学生が校外学習で来たりするらしい。展示のなかにはアディットが担当したコーナーもあって、ワクワクした感じでひとしきり説明してくれた。たくさん写真を撮った。

わたしは、出会った5年前当時、音楽とアートとたけし映画が好きなおしゃれ大学生だった彼が、ペンタブがないのでマウスで絵を描いていたあの彼が、絶対に暑いのにたぶんオシャレってだけでセーターを着てきてすぐ脱いでいた彼が、今じゃこんな立派な仕事を、しかも楽しんでやってんだ、というのが感慨深かったし、その姿を見せてもらっている状況がまるで親戚か何かみたいで、とてもうれしかった。誇りを持って楽しんで働いているみたいで何よりです本当に……
アディットは海洋生物のなかではマンボウ(Molamola)が一番好きらしく、展示や映像でマンボウが登場するたびにニコニコして「いつか海でマンボウに会いたいんだ〜」と言っていた。たまに仕事のリサーチや趣味でダイビングをやるらしい。インドネシアの海、良さそう〜!わたしはまだ潜ったことがない(海はこの国の観光資源のひとつのはずなのに、5年前も今回も山ばっかり行ってる)けど、次こそは…

ひとしきり案内してもらって解散。彼は仕事に戻り、わたしはおすすめされた美術館とアイスクリーム屋さんに行くことだけ決めて、徒歩で散策を開始した。

サヌールのビーチ付近はかなり観光地エリアで、本当に白人が多い。アジアからの観光客はほとんど見かけなかった。ここはヨーロッパか??と思うほどだ。アイス屋に入った時、一人だけ日本人らしき女性が同行者と英語で話しているのを見かけたくらいで、ここはどこ?という気分だった。どこも同じようなお土産屋や自然派っぽくて微妙に高価なブティックなどが並ぶばかりだ。少し歩いたけど、こういう場所は1人ではあんまりおもしろくないので、すぐミュージアムに行くことにした。Le Mayeurという画家の記念ミュージアムで、ここがとてもよかった!

Le Mayeurはベルギーの画家で、1932年にバリを訪れてその文化や自然に魅せられて移住し、こちらで出会った女性と結婚した。ミュージアムは、生前に彼が住んでいたバリ式の古い建物を敷地ごと使っていた。壁や内装などは当時のものをなるべく残しつつ整備され、壁にいくつもの作品が展示してあった。
それらの絵画は、日本の美術館やギャラリーで見るようなきれいな状態では全くなく、けっこうボロボロだった。キャンバスに描かれたものが大多数だったが、網目の荒いゴザのようなものに墨一色で描かれた作品なども多くあり、全ての作品の保存状態が、はっきりいって悪かった。こんな浜辺にあってガラスケースにも入っていないし部屋の湿度や温度の調整も特にしていない様子なので、今後もどんどん劣化していくだろうというのがじゅうぶんに察せられた。しかし、そんなこととは全く関係なく、そこに残った跡━━それはもう絵画というより「痕跡」に近かった━━から、わたしは目が離せなかった。短く言えばとても良い絵で、描いた人も描かれた人も、確かにそこに生きていたんだ、という感じがした。

彼の絵には、たくさんのバリの人々の姿が描かれていた。踊り子の姿も多かったが、祭りの儀礼の様子や、たしか農作業の姿もあったと思う。そして、その筆致が、いわゆるバリの伝統的な絵画とは全く違って、西洋の、いわゆるデッサンが基本にあるような描き方なのだった。わたしはこちらのほうがかえって見慣れているし、こういう描き方だと、筋肉のつき方や動きをコマで割った時の前後の像みたいなものが、映像的にいきいきと捉えられる。わたしがアジア人なのに西洋絵画風の筆致にしっくりきちゃうのとか、まあモヤモヤする部分もあるんだけど、でも、かなり感動した。ちょっと目の奥がツンとした。わたしの他にお客さんがいなかったのもよかった。時間がちょっと止まって、自分の態度が切り替わるというか、心が動かされているのがわかった。

うれしいような気持ちだった。今わたしは外国人として異国で過ごしていて、見るもの聞こえる音、すべてが新鮮に感じ、それがすごく魅力的で心底楽しいが、その反面「これって外国人の視点なんだよなあ」という気分があった。ずっとうっすら寂しく、少し後ろめたいように思っていた自分のモヤモヤについて、そういうもんだよ、それでいいよ、と言ってもらえた気がした。
ヨーロッパからアジアへやってきたこの画家も、きっと「おれの目はベルギー人の目でしかない」と思いながら自分なりの感動を、自分なりの筆致で残したんだろう、と勝手に想像して、わたしもこの目でここで見たものを、自分なりの筆致で残していいんだ、と思った。そうするしかできない…。否、そうすることならできるはずだ。


古いバリの家は、かなり扉が小さく、部屋も狭かった。天井も低い。かなり太った人だったら本当に通れないくらいの、細長い両開きの扉で部屋同士が仕切られていて、部屋ごとに「当時は〜に使われていた」といった解説があった。そういうのを含めてばーっと観て、閉館時間が迫っていたので外に出た。建物を出るとすぐビーチだ。

ミュージアムでの体験がなかなか重いパンチだったので、その興奮をスマホのメモ帳やSNSに書き留めるなどした。
今日はもうすでにだいぶ充実しているが、夜に違う街まで行ってミニライブをやらせてもらうことになっているので、一旦ホテルに帰った。

夕方。アディットとはすぐ約束の時間に合流できたのだが、あとの2人(ライブに出演予定のギャリーと、アディットの友人のアッコさん)がなかなか現れなくて出発が大幅に遅れた。そのうえ道が混んでいて、ゴリゴリに遅刻した。会場は、アディットの友達の友達くらいの距離の人の所有している、めっちゃいい感じのスタジオだった。2階が音楽スタジオ、3階がダンススタジオになっていて教育機関でもあるらしく、主にそこの教え子たちがお客さんとしてきてくれた。凍えるくらいクーラーが効いていた。
到着して早速準備にとりかかるのだけど、足元に置いてくれていた返しのスピーカーのそばにチャナン(バリのお祈りに使う、バナナの葉っぱでできたお盆にお花や小さいお菓子やタバコなどのお供物がのったもの)が置かれていて、あまりにもバリだった!これにはかなりグッときた。あと開場中だったか、何かのタイミングでSENYAWAの曲がかかっていて、わたしへの目配せみたいなものを感じた。多分わたしがルリーの知り合いだってアディットが伝えたんだろうな…

演奏は、かなり集中してけっこう良い感じにできたのだけど、MC(カタコトインドネシア語とオワった英語)に全く反応がもらえなかった気がしてめちゃくちゃ不安だった。が、終わってみたら大丈夫だったっぽかった。何人かのお客さんは終演後に話しかけてくれたし、アディットは目を真っ赤にしてウルウルしていた。こっちが泣きたいくらいだよ!!ありがとう…
イベントが終わった後、もう22時くらいだったけど喫煙所みたいなところに溜まってグダグダ過ごしたのが心地よかった。わたしもタバコを持っていたので、PAを担ってくれたジャヌさんと「銘柄が同じだ〜」とか言って喫煙者として振る舞った。

わたしの前に短い演奏を披露してくれたギャリーと、今回ほんとうに忙しいなか企画してくれたアディット(当日の18時まで例のオフィスで働いていた)と、アディットのイラストレーター仲間で日本とバリのダブルだというアッコさん(日本語が少しできる)とで、来た時と同様、Grabタクシーで帰路についた。みんなお腹が空いていたので、深夜24時だったが、アッコさんおすすめの店でカレーを食べて帰った。「辛いけど大丈夫?」とみんなに散々言われたので恐る恐る食べてみたら全然たいした辛さではなく、とても美味しい鶏カレーだった。みんながヒー!辛い!となっていたが、わたしはぺろっとカレーを食べ切って、みんながまだカレーを食べているあいだにアッコさんがプレゼントしてくれたそこそこのサイズのチーズケーキも平らげた。食欲が狂っている…(Aoiはそんな大食いには見えない…とアッコさんがびっくりしていた)

そこからサヌールまで帰る途中、タクシーの運転手に「へえ君たちライブの帰りなの」「どんな音楽やってるの」と聞かれる場面があった。助手席に座っていたギャリーが、良くぞ聞いてくれましたといわんばかりに、自分のスマホBluetoothでカーステにつないで、Spotifyで聴けるようになったばかりのわたしの曲「Urban Port」をかけてくれた。
歌詞のなかに月が登場するあたりで、ちょうど窓の外を見たら月が出ていた。わたしは「あ、ちょうど月がきれい、でも彼らは歌詞の意味で聴いてくれているわけじゃないんだよな…、いや、むしろこれは、多分すごいことだ……」と思いながら黙っていた。ギャリーはわたしが以前一緒に対バンで演奏したΣ°))))∈の曲もかなり気に入っているといって、次にかけてくれた。この曲のここ、いいよね〜!と言っててまじわかる〜〜って思った。タクシーで曲かけさせてくれるの、あったかいな〜

無事に深夜に帰宅。



5/28(火)

昨日はかなり遅くに帰ったので、朝は10時くらいに起きた。今日ものんびり過ごす。バリ滞在はもうバカンスでしょ!とは思っていたが、あまりにもバカンスで慣れない……
ほぼ昼の時間だが、朝ごはんを食べに出発。昨日アディットが教えてくれたジャワ料理の店にもう一度行った。相変わらずおいしい。近くに若いインドネシア人男性のグループがいて、なんとなく会話内容がわかるなあと思いながら食後の一服など吸い、けっこうのんびりした。その帰り、途中にあるオシャレカフェに寄って、さっきのメシよりも高いアイスカフェオレと、ブランデーの効いたナッツのパウンドケーキ(大きい)も買った。絶対に食べ過ぎなんだけど、この時期わたしは完全に食欲がバグっていて、ほとんど食の化け物になっていました!

ホテルにいると、気が向いたらちょっとギター弾いて歌っちゃうとか、笛吹いちゃうとか、そういうことができない、ということにふと気づいて、あ〜〜山のあの家、本当に最高だったんだなあと思い知った。ビーチだったら歌っていても大丈夫そうだけど、なんかちょっと違う気がしてやらなかった。

ホテルにいてもしょうがないので、1人だけど果敢に海へ。といっても1人ではしゃげるほど豪胆じゃないし、水着もないし、することもないので、浜でビールを飲むことにした。多くの人が気持ちよさそうに寝ているパラソルとベンチは、やたら値段が高かったので諦めて、地元のおっちゃんぽい人が仕事の息抜きに来ている感じの小さな売店のそばのところの固い椅子に座って、ぼーっと過ごした。屋台のお姉さんに「灰皿ありますか」と聞いたら、ちょうど自分が使っていた竹を切っただけの灰皿を、友達みたいにスッと手渡してくれてちょっとおもしろかった。

大きな流木が波に打たれていたので撮ってインスタにアップしたら、タフタ(そういえば、バリへ出る朝に挨拶しそびれてごめんねってメッセージきてた、また会いに行くんで全然いっす…)が「流木いーなー」みたいなDMをくれて、めっちゃ2024年のコミュニケーションだな……と思った。距離ってなんだっけ、ないみたいじゃん。でも山の空気はここにはない。ああ、それが距離か。


この時に屋台で買ったBIGサイズのビンタンビールが本当にでっかくて、おそらく600mlくらいあり、強いタバコと一緒にグビグビ飲んでいたら全部飲み終わる頃には悪いほうに酔ってしまった。頭がものすごく痛い。調子に乗ってすんませんでした…と思いながら、真っ青な顔でビーチを後にした。なんか今日のわたし、ずっと愚かすぎないか?ホテルが徒歩5分の場所でよかった。でも、この旅の全てのイベントが昨夜で済んで、ぜんぶいい感じに終わって、本当に本当によかった!その安堵があったので、己の多少の愚行は許せた。部屋に戻ってベッドで休んだ。ベッドに横になった時はけっこうしんどかったけど、ちょっと寝たらあっさり全快したので、また散歩に出ることにした。

夕飯は、アディット情報のバリ風お粥(Bubur Bali)を食べに出かけた。もしかして売り切れてるかも…と思ったが、ありつけた。ビーチにある屋台で、けっこう賑わっていた。水着姿の家族連れや若者たちが周囲に座り込んで食べている。編んだ浅めのカゴに、片面にロウかビニールかがコーティングされている紙のお皿を載せ、そのうえにお粥を盛っていた。サラサラのスープみたいな食べ物を浅い紙皿に載せて提供されるのにはだいぶ違和感があったが、なんとかこぼさずに食べられた。カレーっぽい味の、でもさっぱりしたお粥だった。ピーナッツが載っていて美味しかった。

今日は実はひとつだけやるべきことがあった。ギターの梱包材がボロボロなので、明日の夜の飛行機に乗るまでに新調したい。まあ最悪エアパッキンはなくても、丈夫な楽器ケースだから平気だろうけど、あったほうがベターだ。

梱包材屋さん(ここもアディットに教えてもらった)へ、バイクタクシーで向かった。バイクタクシーの運転手も道があんまり分かっていなくて、わたしも分かんないのでちょっと行き過ぎた。降りて10分くらい歩いて目的地まで戻ることにした。元気なので全然問題ないです。が、戻る道中で「Molen(バナナの包み上げ、ジャワで食べたものとちょっと違うスタイルだったので気になって…)」の屋台を見つけてしまい、ごま団子とハーフ&ハーフになったセットをひと箱(Rp.10000)買った。絶対に1人で食べる量ではないんだけど、これを1人で食べちゃうんだあ〜…フハハ…

この道が、ジャワで親しんだ田舎っぽい街と似ていてなんだか気分が落ち着いた。たとえば「日本の郊外の国道沿い」みたいな、みんなが「ああ、あの感じね」と思い浮かべられる、お決まりのなんでもない、よくある感じの路上というのがインドネシアにもあって、わたしはいつのまにかそれが好きになっていたんだ、ということに気づいた。

梱包材屋に向かう途中、さらにまた寄り道してしまった。バビグリンを出している店があったのだ。バナナの皮でじょうずに三角に包んである大きめのオニギリくらいの量のものがたくさん積み上げられていて、歩道に面したカウンターの向こうには、ちょっとした屋根の下に、買ったものを食べられる簡易テーブルと椅子もあった。バビグリンの隣にはCumiと書かれたのもあった。えっ「イカめし」ってこと⁉︎ 食べたい!でもここのバビグリンも気になる!こちらへ来てすぐ食べたバビグリンとは違うかもしれない!あんまり迷わずにどっちも買った。
Cumiのほうだけ、ここで食べていくことにして、お茶も頼んだ。開けると、なんとイカめしじゃなかった。白米と小さいエビの甘辛いのだった。パッケージ(バナナの皮に、文字が印刷された白い紙がホッチキスで留めてある)にCumi Suna Cekuhって書かれていて、Suna Cekuhいうのが何かわからないけど(後日調べ:にんにくとウコンを使ったバリの調味料)それのCumiのやつかなと思ったんだけど違いました。なんで〜

なんで〜?と思いつつ美味しくいただいた。ひとりで食べていたら、店のおばちゃん2人が話しかけてくれたのでインドネシア語で返事をしたら「あらインドネシア語ができるの〜」という感じであたたかく接してくれて、しばらくインドネシア語でお喋りが続いた。どこから来たの、とか友達に会いに来てて、くらいの内容だったし、半端な言語だったけど、わたしが落ち着くのは観光地エリアじゃなくてここだ……としみじみした。会計はRp.23,000だったけど、財布にちょうどのお金がなくてモタついていたらRp.22,000に負けてくれた。あ、ありがとう…ここのおばちゃんがあまりにキュートだったので「ノリノリでセルフィーを一緒に撮って別れる」という陽キャインドネシア人みたいなムーブを繰り出してしまった。

さあ!やっと梱包材屋についた!と思ったら、すでに店が閉まっていた。えっ、Googleマップに書かれた営業時間だとまだまだ営業中のはずなのに……、食べ歩きとかしてたわたし、本物のバカか???と情けない気分でもう一度スマホを確認すると、目的地はもう少し先の別の店だった。ほんとうにすぐの距離だった。エアパッキンを見つけたので声をかけたら、ちゃきちゃきした感じのお姉さんに「何メートルいるの」と聞かれ、ほんの一瞬だけ考えて、でも最初からそう決めていたくらいに迷いなく「3m」と答えた。彼女のちゃきちゃきのテンポを崩さずに答えられたのも、「ちょっとそこ持ってて(切るから)」と現地語で言われて「ほい」ってすぐ動けたのも、嬉しかった。


すっかり前向きな気分で、帰りのバイクタクシーに乗った。明日の夜には飛行機に乗ると思うと、何度か通ったホテルまでの道にも眺めがいがあった。

ホテルに戻り、部屋の外の縁側みたいなところでさっき買ったバビグリンを食べた。昨日のと全然ちがっていて、これも美味しい!豚のレバーがメインの一皿だった。残りのMolenと胡麻団子も完食した。なんか今日、ずっと食べてるな……。
食べ終わってタバコを吸っていたら、ホテルの人が話しかけてきて、タバコだめだったかなと焦ったが全然そんなことではなく、日本に妹が行きたいって言ってて〜みたいな話で、社交辞令かなとは思いつつ、マジの時はぜひご連絡くださいという感じでちょっと距離が縮み、そのままバビグリンのおいしい店情報を引き出すことに成功した。二軒教えてくれた。飛行機が?明日の夜の便ということは?朝と昼に行けば二軒とも食べられるな〜…ということで、明日の朝ごはんと昼ごはんのメニューがバビグリンに決まった。開店と同時に入ろうという気概で、シャワーを浴びて荷物を少し整え、ほどなくして寝た。



5/29(水)〜5/30(木)

ついにインドネシア滞在の最終日です。
朝9時オープンのバビグリンの店が、ホテルからけっこう離れた場所だったので、8時半くらいに家を出た。その店は、昨日のようないわゆる「国道沿い」みたいなのよりももっと車道が大きく、歩いている人間は誰もいないような、モールが立ち並ぶエリアにあった。新しげな大きい店だった。店の入り口を入ってすぐのガラスの向こうの厨房に、見せつけるように丸焼きの豚が一頭でんと置かれていた。すでに他の客も数組いた。

せっかくなら本気で「バビグリン食べ比べ」をするぜ!という理念をもとにメニューに載っているスタンダードな感じのものをざっくり網羅したら、中々の量が運ばれてきてしまった。インドネシアでありがちなミスなんですけど、この国で串焼きを注文すると、5本とか10本くらいの単位でくることが多い。日本みたいに一串単位で買うことはあんまりない(個人的体感)。ここでは5本だったのでセーフだった。米と、野菜などと一緒に数種類の部位の肉が盛られたスタンダードセット(※ここにも串焼きがあった)に加えて、5本の串焼きとパリパリになった皮(これは量的にはペロリだが脂質が非常に高い)を食べた。朝から食い過ぎだ〜!

あまりにも満腹なので、次の目的地のモールまで15分くらい歩いた。「スマホの保護フィルムはインドネシアのほうが安いので替えて帰るのがおすすめ」と岸さん(今回ソロとジョグジャで会えた日本人の友人、ソロに滞在中)から聞いていたので、保護フィルムを貼るのをやってくれそうなモールに向かう。一軒めのモールには服しか売っていなかったので、さらに少し歩いて二軒目へ。徒歩で移動している人間が全くいないエリアなので、なんか目立ちそうでイヤだなと思いながらさっさと歩いた。
10時くらいに着いたら、モールは開店したばかりで空いていた。ほどなくしてスマホ関連のグッズを売っている店を見つけたので店員に聞くと、あなたの機種は古いので商品がないという。が、この場でレーザーカッターで出力したフィルムを貼ることができるらしい。店頭におかれたレーザーカッターには、古今東西のあらゆるスマートフォンの画面サイズにあわせたデータが保存されており、ガラスのような強いものではなくビニールっぽいフィルムでよければ、これでできる。えっ、これは良いハイテクなのでは…?日本にもあってほしい。珍しいので面白半分でやってもらった。いままで貼っていたガラス製の保護フィルムがバキバキだったので、張り替えたら新品さながらになった!

そうこうしているうちに意外と昼になっていた。そんなに腹ペコではないけど食べられそうだったので、おすすめの店②にバイクタクシーで向かった。12時半くらいに到着。こちらは先ほどの店とは対照的に、古そうな店だった。地元の食堂っぽい雰囲気、なのだが、完全に外国人観光客向け価格だった。そのパターンがあるんですね……!だが、味は(たぶん)本物だった!付属のしょっぱいスープは、ご飯や肉と一緒に(お茶漬けみたいにして)食べるんだよ、と店の人が教えてくれて、こんな最後で正しい食べ方を知るなんて失態だったが、次回からは!(これまでスープ単体で飲んで毎回「しょっぱいな…」と思っていた)
ここのバビグリンは、まさに「豚の全身から食べられる部分をちょっとずつ集めてきました」といった様相で、さながら豚パフェだった。他の店ではなかった野菜と和えたミミガーっぽいのもあったし、メインの肉も、部位ごとの肉の特性に合わせた調理法がそれぞれの良さをバッチリ引き出していて、味も食感もバラエティに富んでいた。毛の残った皮(尾?)もあった。これは流石にキモすぎたので、見た瞬間にウヒャーッと勢いで食べてしまい写真を撮りそびれた。口の中がもしゃもしゃした…。バビグリン、というと、特にジャワの人は豚を食べないというのもあるし「え〜、アレ好きなんだ」という微妙な反応をされることがたまにあったけど、納得した。たしかに、グロかったりキモかったりするような要素がバビグリンにはある。というか、食肉文化全般にそういう部分が本来あるし、きっと儀礼の時に調理されて出てくるバビグリンって、これくらい全部食べるんだろうな(だから地元の人も苦手な人は苦手)と想像できたりもして、この店での食事にはひとつの経験と呼べる重量があった。リアルでかっこいい一皿だった。
ここです(https://maps.app.goo.gl/bNww3JFd6XPshXtx5


ここでもしっかり完食して、さすがに満腹だ。夕方にアディットとご飯たべよ〜とは言っているが、まだ時間がある。お腹を空かせたいので少しでも歩きたい。Googleマップで見ると、伝統的な衣装やお土産の卸売をやっている市場があるようなので、行ってみることにした。朝のバビグリンの店のほうにだいぶ戻ることになるが、まあいいやとバイクタクシーで出発。

そこは「いわゆる」なインドネシアの市場だった。その一角にある建物のなかに、衣類やお土産がたくさんガサッと陳列されていた。品物が山積みで、人が通れる通路がとても狭い。サヌールの観光地価格と比べるとたしかにだいぶ安い印象だった。でもそんなにスーツケースに空きがあるわけでもないし、こういうザ・お土産をあげる相手も思い浮かばなかったので、眺めるだけ、という気持ちでぶらぶらした。小さくてかわいい貝のお皿を2枚だけ買った。観光地と違って、店の人があんまりしつこく話しかけてこないので歩くのが楽だった。

だいぶひとしきり、全フロア見終わったので、建物を出て、路上の市場のなかを歩いた。この臭さ〜!と思ってそちらをみるとやっぱり肉が売られている。こういうのともしばらくお別れだ。山のように積まれた野菜や果物。狭すぎる道を無理やり進む過積載のバイク。とにかくたくさんの人。人。人…。さすがに息が詰まるし少し疲れたので、少し抜けたところへ逃れて、ちょっと調べたらそばにカフェがあったので行ってみた。一階が文房具屋になっていて、二階がカフェという作りで、おしゃれで清潔だった。若者がパソコンを広げたり宿題を広げたりして思い思いに過ごしており、なかなかいい場所だった。のどが乾いていたのでアイスコーヒーと迷ったけど、GulaArenの文字を見つけて恋しくなって、Gula Arenの入った甘いコーヒー牛乳をのんだ。それほど冷房が効いているわけじゃないけど、かなりマトモなお手洗いも借りられたし日焼け止めも塗りなおせたしスマホも充電できたし、一階の文具売り場でガムテープも手に入った。最後の最後で現金が足りなくなりそうだったので調べたら、ATMがこのカフェのすぐそばにあった。すっごい順調だ〜!できればここでお金を下ろさずに乗り切りたかったけどまあ、また来るだろうから、現金が余っても問題ないです!


ここで一度、宿に戻った。軽くシャワーを浴びて着替えて、パッキングを完成させてチェックアウト。スーツケースの隙間に、山で食べた思い出のあるココナッツウエハースのお菓子(近所のワルンで箱買いした)がぴったり収まって嬉しかった。夜の飛行機に乗るので、それまで荷物を置かせてください、とホテルの人にお願いして、再び軽い装備でビーチへ出かけた。アディットの仕事が終わるまで浜を北の方へひたすら歩いて過ごした。途中の屋台で買った瓶のジュースがあんまり美味しくなかった。

夕方、日が暮れる頃に無事にアディットと合流。最初にバリに来た夜に行ったのと同じ安くて賑やかな屋台村に行って、そこで思い思いのものを食べた。わたしは野菜が食べたかったのでGadoGadoみたいなの(野菜とピーナッツソースon米)が食べられて嬉しかった。フルーツジュース屋で、ミックスジュースのカスタマイズをアディットがやっていたのでわたしも真似した。そういえばギャリーはジャカルタに帰ったの?と聞くと、さあ?という感じだった。距離感わかんないなwwと思いつつ、3人いると2人が喋っちゃってわたしは黙ってる、になりがちだったので、2人で話せてよかった。

もうぼちぼち行かなきゃね、そうだお土産があるから!一瞬うちに寄っていいかというので、ホテルに戻る前にアディットの下宿先に寄った。わたしは門のところでバイクと一緒に待った。慌てて階段を降りてきたアディットの手には、かき集めてきた!!という感じでステッカーやキーホルダーやTシャツ(ぜんぶ彼の作ったもの)が抱えられていて「好きなの選んで!」ってことかと思ったら全部くれた。多いwwwと笑っちゃいつつも、ここ数年ずっとSNSごしにみていた絵柄の変遷と、最近作っていたTシャツ、あーこのステッカーもインスタで見た!などがいっぱいあって、うれしかった。でも、あんまり時間がないので喜ぶのもほどほどにして、全部をTシャツの入っていた袋に慌てて詰め込んで、ホテルまで送ってもらった。

車道からホテルの敷地へ入るところの道で、またね〜!と挨拶をして別れた。が、何歩か歩いたら、さっぱりしすぎていた気がして、戻ってハグした。普段あんまり考えない自分の背の低さがよくわかる。絶対にまた会おうね!と言って顔を見たら、アディットはめちゃめちゃ泣いていた。ちょっとおもしろいくらい号泣していて、そんなびしょびしょに泣かれるとこっちはなんか笑っちゃうんよ、、、Sampai jumpa lagi(また会おうね)と、言葉はもうシンプルなのしかわかんないけど、繰り返すことと声色で、なんとか気持ちを伝えたつもりにして、ちょっと急いでいるのを言い訳みたいにして、小走りでホテルの門へ、細い路地を小走りになって去った。
自分に「去った」っていうのは変だけど、そういう感じだった。けっこう爽やかに去れたと思う。


実際、そんなに急ぐ必要はなかったのだけど「行かなきゃ!」という気分で妙に心が急いていて、慌ててタクシーを呼んだ。呼んだらすぐに来た。ホテルの人に穏やかに見守られながら、あっさり車に乗り込んだ。このくだりが一瞬すぎてスポーツみたいだった。

タクシーに乗ってからは、もう、あっけないほど早かった。そもそもサヌールはデンパサールの空港までとても近いし、道も混んでおらず20分くらいで着いた。そのままの勢いでチェックイン、保安検査、と行きたかったが、飛行機が遅れていたんだっけ、それとも全然焦る必要なんかなかったんだっけ、忘れちゃったけど1時間くらい、チェックインカウンターの近くで待つ時間が発生した。座れる場所がなくてつらかった。夕方に買ったお菓子を食べて空腹を(空腹の才能ありすぎ)しのいだ。なんだっけ、待っているあいだに左にいた人に話しかけられた。子連れの、ちょっと感じの悪い(失礼)家族に列を抜かされたけど別にいいやと譲ったら意外にも感謝された。その後のチェックインや保安検査場をぜんぶインドネシア語で突破できて嬉しかった。お土産もサクッと買ったけど、乗る直前で飛行機が遅れているとアナウンスがあり、1時間半のロス、ビールを飲んで待った。ゲート変更もあるというので空港の絨毯の上をひとしきり歩いた。来た時もこんな感じだったな〜と思い出した。その後、無事に飛行機に乗れたけれど、誰かの食べ物の匂いがキツくて食欲がなくなり、ぐだぐだの体調のまま着いたマニラでの乗り換え。ビール好きな友達にお土産にしようかな〜と思ってバリの空港で買ったクラフトビールはマニラからの機内に持ち込めず没収された(解せない)(そしておそらくここでお気に入りのサングラスを落とした…)。しかも次の飛行機は遅れに遅れ、最終的に半日くらい待たされ、情報が新しくなるたびにお菓子や水やサンドイッチをもらった。いつどのように変更になるかわからないので空港内を動き回ることもできず、ひたすらベンチで待ったのでとても疲れた。ともかく、やっとの思いで5月30日、日付もいつのまにか変わった夕方、日本に着いた。

たまたま近くで仕事をしていたパートナーが空港まで車で迎えに来てくれた。とても疲れていたのでかなり助かった。車でちょっと行ったところの彼の現場をちょっと見て、コットで休ませてもらって仕事の終わるのを待ってからスーパー銭湯に行って、そこのレストランで山菜の載った温かい蕎麦を食べてから帰った。5月末の日本はインドネシアよりもだいぶ寒かった。帰国後即、風呂と蕎麦、大正解でした!ありがと〜!ただいま〜!





インドネシア滞在日記⑩ 5/21〜5/24

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑩ 5/21〜5/24

5/21(火)

わたしは昨夜というか今朝というか、朝4時のアザーンで一度目が覚めてしまったりしていたので、堂々と寝坊した。今日の夜にMVに向けたレコーディングが敢行されることになっている。

2階のわたしが寝ているエリアのそばの壁には、小さな窓(ガラスなし)があるのだけど、その内側に、麻でできた空色の布がカーテンのようにかかっている。今朝は、窓の外から手を入れてこの布をヒラヒラさせながらタフタが「Sarapan(朝ごはん)だよ〜」と声をかけてくれた。こういう細かいチョケに親しみがあって、いちいち嬉しい。あれ?カーテンあったっけ、と思って聞いたら、前からずっとあったよと笑っていた。

今朝は、先日タバコを買いに行った村でカフェを営んでいるというバリスタ(タフタの友人)がカップルで遊びに来ていた。たぶん20代半ばくらいの、若くておしゃれな二人だった。タフタのキッチンにはその友人からの差し入れのコーヒーがあって、それをすでに幾度となく飲んでいたので、ああ!この美味しいコーヒー、あなただったのか!!ってなった。いただいてます!と伝えた。

タフタは完成した笛をしまうための袋を作っていて(今日の夜に3本納品しに行くのでそれまでに仕上げなければならないらしい)、Aoiはこういうの得意?と手伝わされかけたけど、いや、それはあなたの作品だから…というのと、同じ縫い方を教わるのが面倒だったので手伝わなかった。(今思うと薄情だわ、ごめん)

バリスタ氏のガールフレンドが差し入れに持ってきてくれていた、バナナのシロップ漬け、Setup(ストゥップ)と、パリパリした薄い煎餅みたいなおやつをいただいた。もうこれ朝ごはんってことでいいね、と思っていたけれど、みんなでナシゴレンを作る流れになった。
相変わらず、ナシゴレンを作る段になるとタフタがいつのまにか姿を消して、シントロン(さっぱりした春菊みたいな香草)を摘んで戻ってくる。毎回シントロン入りで作ってくれるの、本当にうれしい。まずめちゃ美味しいし、いつのまにか摘んで戻ってくるお決まりの一連がおもしろすぎて、わたしはずっとツボです。ほどなくナシゴレンは完成したが、ガールフレンド氏がぜんぜん食べないのでわたしがほぼ二人前の量を食べた。

食後ののんびりタイム。バリスタカップルがわたしの曲をSpotifyでかけてくれていて、嬉しいけどなんか気まずいので、ひとり少し離れたところで山を眺めながら覚えたてのタバコを吸って時間をつぶしたりした。その後、2階でぼんやりしているとタフタが階下で笛を吹いているのが聞こえ、あっ…これはわたしの曲だ…という瞬間があり、嬉しすぎてこっそりiPhoneで録音した。


ここの庭でのんびりしていると、いろいろなものに気づく。料理に使うために庭に植えたんだけど、どんどん食べちゃうからすぐなくなる(笑)という唐辛子の花が下に向かって咲いているのがかわいかったり、コーヒーの白い花が先週はつぼみだったのに、もうすっかり咲いていたり。「コーヒーすごい咲いてるね〜!」と喜び伝えると、タフタが「ジャスミンみたいな香りするでしょ、お茶にできるよ!」というので、ひと握り摘んでみた。摘んだ花びらを皿に広げると虫がたくさんいたので、それを潰しまくって(グロ描写ですが、小さい虫なので指で潰してそのまま皿に擦りつけると消失する)から、天日に干した。あとで飲んだが、そんなに印象に残る味ではなく、その場にいたみんなで回し飲みして全員「まあこんなもんか…」というリアクションだった。


起きたのがほぼ昼だったので、髪を洗ったりのんびりしたりしているうちに時間が過ぎ、バリスタカップルはほどなくして帰っていった。今夜の録音、間に合えば2曲やりたいね、と言って、笛作りの休憩がてら、ちょっと練習した。拙曲『湾岸行々(Urban Port)』のラスサビをタフタがオクターブ下で歌ってくれて、かなり美しかった。彼は耳が良いし真面目なので、日本語の発音を繰り返し確認して、すぐに上達して、「航空障害灯がまばたきをしてる、透明になって山が寝ている」という一節を完璧に歌えるようになっていた。(この録音はわたしのiPhoneのボイスメモにしかないのだけど、嬉しすぎて飛行機とかでずっと聴いていました。宝物データ…)


夕方、暗くなる少し前にアントとルイージが遊びにきた。Bubur Pecelという、ピーナッツソースがけのお粥の美味しい店があるというので、そこへ一緒に夕飯を食べに行って、そのまま録音スタジオ(カルトゥンさんの友人が働いているという大学の音楽室)に向かう。バイク2台で、4人で山を降りた。

Bubur Pecel はめちゃくちゃ美味しかった!!Nasi Pecel と違って、これなら温かいし、胃にも優しいし、安いし、最高なのではないか!?3日に2日くらいこれ食べたい!!!と大興奮してしまった。ルイージは以前にもここに食べにきたことがあって今日ここへくる提案をしてくれたようで得意げだった。ありがとう。
インドネシアの庶民的な食堂の多くは、すでにできている揚げ物がテーブルや店の一角にどんと置いてあって、自分で好きなものを選んで皿に盛って食べるようになっている。この日はアントが揚げ物を山ほど皿に積み上げていて面白かった。そんなに食べるの?!と驚いているうちに食べ終わって2杯目のBubur Pecelをおかわりしていた。

さらに1時間弱ほどバイクを走らせ、4人で大学に到着。駐輪場にバイクを停めたあと、ルイージとアントはフルーツジュースが飲みたいからちょっと行ってくる!と街へ消えた。わたしは水だけ買って、大学内のモスクの前でタフタと一緒にカルトゥンさんを待った。

ほどなくしてカルトゥンさんとは合流できたが、録音の準備がまだらしいので、引き続き3人でそこにいた。月がすごくきれいに出ていた。わたしはムスリムではないので、モスクに来たことはほぼない。ミーハーな気持ちで入っていくのは失礼だし、特に用事もないのでいつも通り過ぎるだけだったけど、この日は建物の入り口のタイルの階段に腰掛けていて、ソワソワした。髪を隠していない女だけど大丈夫だろうかという気持ちと、一緒にいてくれる友人たちへの心強さと、そういえば、彼らの生活のなかのこの部分はわたしには遠いな、という寂しい気分も少しだけあった。

もうすぐ満月を迎えるようで、見上げると月が丸かった。スマホを見ていたタフタが、わたしが明け方に起きてしまった時にしていたインスタグラムの投稿を見て「え、今朝4時に起きてたの?全然気が付かなかった」と言って笑っていた。


さらに別の場所(校舎の玄関)に移動して、またドアの外のところのタイルの床に座って待った。アントとルイージがいつのまにか戻ってきていて、チョコレートのぱりぱりした薄いクレープ巻きみたいなおやつを分けてくれた。近くで工事をやっていて、この音が入っちゃうんじゃないの、と思った。通りすがりの学生らしき男の子が、5年前にスマランでやったライブに来ていた人だったらしくて「え?!」ってなりつつ握手した。そんな世間せまいことある…?

だいぶ待ってようやく、違う建物へまたまたみんなで移動した。
録音をする場所は、いわゆるスタジオというわけではなく、普通の講義室に手作りの防音を施したような一室で、20人ぶんくらいの椅子と机が置いてあった。細長い部屋を横向きに使っていて、長いほうの壁にホワイトボードや教壇がしつらえてある。入口から一番遠い奥のほうの、スポンジの貼られた壁のそばにパイプ椅子が置かれ、マイクスタンドを立てている人たちがいた。

ウスマンさんという人が、カルトゥンさんの紹介で今日のエンジニアをやってくれる。あと2人、助手みたいな感じで若い男の子がいた。よくわからんけど1人は途中で帰った。ただでさえ時間がおしているので、我々はすぐに楽器を出して、エンジニアたちの準備が終わるまでダメ押しでさらにちょっと練習した。
マイクを立ててPCにつないで、Aoiが普通に1人で演奏したものにあとからタフタが笛とコーラスを重ねる、というとてもシンプルな録音なので、何にそんなに手間取っていたのか不明だったが、録音が始まったのは22時をまわっていた。マイクスタンドは、言ってはなんだけど安い作り、かつ年季が入っていてボロボロだったけど、力一杯ねじを締めてなんとか使った。

わたしは一発でOKテイクを撮り(最後の1分くらいヘッドホンが頭からずれ落ちてきて焦ったが、耐えた)、すぐタフタに交代した。タフタもめちゃくちゃ優秀なので笛は2テイクで決めていたし歌もすぐで、始まってからはあっという間だった。聞きなおしてチェックしながら進めるので時間はかかったが、23時過ぎに終わった。2曲録る余裕はなかった!

レコーディングは楽しかったけど、タフタの表情が少し固くて気になった。山の家で何度も一緒に遊ぶみたいに演奏した時とか、バイクに乗って歌った時とか、ああいう時のほうがやっぱり圧倒的に輝いていたな、と思ってしまった。わたしは、ああいうふうに人が輝きながら奏でているのを「音楽」だと思っていて、そういうのを一番信じているし好きだ。タフタも「録音って緊張しちゃうからライブのほうが好きかも」と言っていた。わかる。超わかるよ。
今回の録音は、山の家で一発録りでやるアイディアもあったけど、自分たちの録音技術の限界と、後の編集のしやすさ・最終的な出来を考えてスタジオ録音にしたのだった。そう決めたのはわたしだったし、結果よかったと思っているけど、この日はまだちょっと不安だった。
振り返って聞いてもあの日の録音は素晴らしい出来だし、積み上げた輝きの先にあった演奏だったと思う。でも、奇跡みたいな瞬間そのものではなかった気がして、ほんの少し寂しかった。あの日わたしはマイクの前でひとりで1テイク歌っただけだった。それじゃあ日本にいる時とか、いつもと同じだ。ほんとは同時に、一緒に歌いたかった!

録音を終えて、空腹のまま帰路についた。まっすぐ帰ると思っていたら、途中から見物にきたマルノ(先週一緒に演奏したヴァイオリニスト)とタフタと3人で、彼らの友人のミュージシャンの家へ向かった。そうだった。笛を3本納品するというミッションがあった。ミュージシャン氏は気のいい若いニイちゃんで、笛を無事に渡した後も、ひとしきりタバコを吸いながら3人のおしゃべりが続いたので、わたしは完全に眠くてほとんど会話に入らずぼーっとしていた。トッケーが鳴いているのが聞こえた。その後の帰り道はすっごく眠かったことしか覚えていない。



5/22(水)〜23(木)

今日はキャンプに行くというので朝早いんだろうと思っていたら全然そんなことはなかった。月を見る(浴びる)のが主目的なので夕方に出発するらしい。
起きて階下へいくと、タフタとアントとルイージがのんびりしていた。めずらしくアントが朝食担当のようで、台所に立っていた。が、別に料理上手というわけじゃないらしく、おっかなびっくりという様子でなんとなくモタモタしていた。他のみんなは、居間のようなスペースのほうに座ってお茶を飲みながら待っていて、タフタはアントのギターを弾きながらゆったり歌っていた。黒い小さな蝶がそのまわりを飛んでいた。朝ご飯は、焼いた小さな魚とテンペと、野菜のスープ、白ごはんだった。スープの野菜の切り方がなんか下手くそな感じで愛しかった。

食べ終わってもなんとなくさっきまでみたいな時間が続いていて、タフタが引き続き知っている歌を次々歌っていたのだけど、急に知っている曲が聞こえてきてめちゃくちゃびっくりした。す、好きな曲だ!!!!Fleet Foxes の "Blue Ridge Mountains" という曲だった。一年くらい前に友人に教えてもらって聴いていて、これはアルバムのあとのほうに入っている超いいリフのある曲……英語の歌詞は覚えていなかったのでメロディーを一緒に鼻歌で歌った。この曲いいよね〜!ってこんなところでこんなふうに言い合えるのが嬉しすぎて、胸がいっぱいだった。しかもめっちゃいい声なのであった…。アントとルイージは知らない曲だったようで反応が薄かったけど、わたしがめちゃくちゃ嬉しそうにしていたら、タフタはもう一度はじめから歌ってくれた。


そろそろ出発かなあと思い始めたお昼すぎ、一度村のお父ちゃんたちの家に寄って、15時過ぎくらいに出発。1時間弱ほどかけて、この山を東の方へ移動する。(今いるのは山の西側)
途中、何度か屋台のお菓子(バナナをクッキーっぽい生地で包んで揚げたお菓子Molenがめちゃ美味しかった)や、天ぷらなどを食べる小休止を3回くらい挟んだ。どう考えても食べ過ぎだし、景色もふつうに郊外の街のままなので、3回目の休憩の時にルイージが大きい声で「これがインドネシアの登山ってわけ?!」と冗談めかして言っていた。そうだぜ、これが世界一歩かない国の登山だ!byカルトゥンさん

それでも道を進むにつれて少しずつ標高が上がって肌寒くなり、うっすら小雨に降られたりもしつつ、広大なバラの畑のあいだの道をぬけて、ようやくキャンプ場に辿り着いた。バラの畑は見事だったし、植生がはっきり変わったのがわかって嬉しかった。

キャンプ場はかなり混み合っていた。満月だし連休だからね…とみんなが言っていたけど、満月って理由で山が混むんだ…?ともかく暗くなる前にテントを張る。ほどよい場所をスッと見つけて、3チームに分かれてそれぞれのテントを建てた。テントは3つ、人は6人だ。わたしはカルトゥンさんのガールフレンドであるニサが自分と一緒に泊まってくれるのかな、と思っていたが、2人はカップルでテントを使うようなので、ちょっと戸惑っていた。散々家に泊めてもらってきたけどタフタの持ってきているテントは明らかに1人用サイズだし、これに2人で寝るのはさすがに仲良すぎっていうか物理的に無理がある。それをどう伝えたものか迷いながら近くで作業を眺め、たまに手伝った。タフタは、これは中国の友人がデザインして作ってくれたテントなんだ、といって迷いなく組み立てていた。(友達デザインのテントをもらうの、建築科出身エピソードって感じがする)
白くて形のいいテントが完成して、さすがタフタはセンスがいいね、君に似合ういいテントだ、とルイージも誉めていたが、やっぱりこれどう見ても1人用だ。うーーーん、と思っていたら、じゃあAoiはこれ使ってね!と言い残して、タフタはお茶を淹れるためにお湯を沸かし始めた。いやいやいやお前はどこで寝るんだ!とやっとツッコミみたいな気持ちで問うと「俺は外で寝て、満月のパワーをダイレクトにチャージする!一度やってみたかったんだ!」という。えええ〜〜?寒くない…?気の遣い方おもしろすぎなのか、ガチスピなのか、どっちもなのか……。でも代案がないので、ともかくお礼を伝えた。

とはいえ、満月と朝日を目当てに来ているキャンプなので、寝る時間はあんまりなかった。我々は食堂(キャンプ場までの道のりでたくさん食べていたのは、山に着いたら食べるものが何もないからなのかと思っていたが、全くそんなことはなく、食堂もいくつかあるし売店もトイレもちゃんとあった)で軽い夕飯を済ませた後、起こした焚き火でテイクアウトしてきた揚げ物をリベイクしたり、タフタとわたしは火のそばで笛を吹いて遊んだりした。こないだ吹いたデュオの曲みたいなのを思い出しながら演奏して、楽しかった!

ここはタフタの家よりもずっと電波がよく、インターネットも快速だった。我々の場合、もはや普段の日々のほうがずっとキャンプなのでは……。そんな電波状況のなか、昨日のレコーディングのラフミックスが届いた。爆速助かる〜!それをカルトゥンさんがBluetoothスピーカーでかけてくれて、みんなで聴いた。
わたしは、渡航前にアルバムの録音をしてきたばかりだったこともあって、ミックスの要望をまとめるための試聴だ…、というシャッキリした気持ちで聴き始めたが、みんなが口々に歌いだすしまあそもそも外だしで、全然そんなふうには聞けなかった。それがあまりにも嬉しくて、聞こえないじゃん〜!と指摘しながら大笑いしてしまって、それでもみんな歌うのをやめなくて、わたしはそのまま笑いが止まらなくなった。嬉し笑いしながらちょっと涙が出た。こんな幸せなことがあっていいのか……


朝日のタイミングを狙って山に登るため、夜中の3時に起きて4時に出発ね!ということで、わたしは22時くらいにはテントに引っ込んだ。みんなの話し声がまだ聴こえていたし、地面が斜めであんまり眠れなかったうえに、2時くらいに目が覚めてトイレに行って戻ってきたら、アントとルイージが元気にそのへんにいて、もう出発しようぜ!と言われた。ええ…4時間しか寝てないよ……(あと今書いていて気づいたけど、この2人も寝てないな)そしてタフタは本当に外で寝ていた。テントのそばに横になっていて完全に闇に溶けていたので踏みそうになった。タフタは、アントとルイージに起こされて急かされても「そんな急がんでも」という感じでのんびりタバコを吸って、お茶飲んでからにしよ〜、とゆっくり動いていた。ほぼ寝ていないので無理もない。アントとルイージはなぜかずっと元気だった。

あたりは真っ暗だ。他にもたくさんいる登山客が、みんなライトを手に持ったり頭につけたりしていて、その明かりしかないが、その明かりがかなりたくさんあるので迷ったりするような困難さはない。登山客の列は途切れることなく続いていた。そこにすっと加わって、4人で出発した。カルトゥンさんたちは普通に日が出てからちょっと登るにとどめるとのことだった。

わたしはカルトゥンさんのヘッドライトを借りて持たせてもらった。山道はかなりハードだった。夜なので視界が悪い。それに加えて、日本でわたしが登ったことのあるような整備された山と違って、道に手すりや階段がほぼない。ほとんどずっと「人間が歩いてできただけ」みたいな道を登り続けるので、かなりきつくて、早い段階で大汗をかいて上着ヒートテックを脱いだ。先頭をタフタが進むが、身長180超えムキムキ山男のペースに、20センチ以上体が小さい上に最近運動不足の登山ペーペーがついていけるはずがなく、たびたびAoi ストップが発生した。途中から、これは積極的に止まらないとマジで膝を壊す、という危機感が出てきたので、本当に無理になる3段階手前くらいで「休みたい!」と言うようにした。

登山客は若者が多かった。信じられないくらい軽い装備で来ている人もいれば、しっかりした格好の人もいた。ポータブルスピーカーから粗悪な音でガチャガチャした音楽をかけている人がなぜか一定数いて、それを見るたびにルイージが「信じられない、こんなに素晴らしい自然のなかに来ているのにバカなのか」と憤慨していて、わたしもこれには同意だった。あと、理解不能なのだけど、急に雄叫びをあげるのが山全体で流行っていた。誰かが急に「うぉうぉうぉうぉうぉ」などと吠え出すと、他の若者も応えて吠える、という、お前ら猿なの⁉︎ と言いたくなるような遊びがあちこちで多発していた。なんだったんだろうあれ…。日本で登山に行くと静かに爽やかな気持ちになるが、この日の登山は、せっかく夜登山なのにかなりやかましくてがちゃがちゃしていて、変な感じだった。わたしの知ってる登山とはニュアンスがだいぶ違っていておもしろかった。

登山中、アントが最後尾を守ってくれていてありがたかった。タフタは自分のペースでガンガン登っていくし、ルイージもそれについて先へ行ってしまったが、アントはわたしが休憩というほどではないにしてもたまに立ち止まるたびに、一緒にその場にいてくれた。ありがとう…。時々みんなで少し休んで、Gula Arenのかけらを分けて食べたり持参した水を飲んだりしたが、気持ちとしてはひと息に、上まで登った。


山頂付近にさしかかると、遠くに他の山と、街の明かりが少し見えた。若者がウホウホ叫んでいて耳は若干しんどいが、月が雲でぼやけて見えていて、とても美しかった。満月の1日前だ。

タフタがふいに「この景色、Aoiの歌にあったね」と言った。えっっ、はい!「透明になって山が寝ている」という一節がございます。そういえば、ここを一緒に歌いたくて歌詞の意味を話したことがあった。わたしの名前の漢字の話をした時もそうだった(「(碧の漢字は)空じゃなくて海の色だよね」)けど、何日か前の話なのにちゃんと覚えてくれていたことがまず友達として嬉しかった。それに、歌詞の描くイメージが目の前の景色と今まさにリンクしている、それも、異国で、外国人の友人の頭の中で!というのが、とてつもなく嬉しくて、めっちゃ感動した。これはさすがに一生忘れたくない。世界のどこへ行っても、夜になれば、山々は遠くで透明になって闇に溶け、横たわって朝を待っているのだ……………


頂上は寒かった。汗で体が冷える。山頂にはもう人がいっぱいで、みんな思い思いの場所に敷物を敷いて、何か食べたりしながら朝日を待っていた。満開の頃の上野公園の花見くらい混んでいた。ポータブルスピーカーで音楽をかけている人はここにもいて、アニメ"serial experiments lain"のOPの曲が聞こえてきた時はかなりおもしろかったけど、同行者の中に伝わる人がいないと思ったので黙ってニヤニヤしていた。わたしたちは留まれる場所を探しながら移動し、最終的に大きめの岩の近くにいることにした。敷物を持ってこなかったし、そこらは夜露でびしょびしょに濡れていて座り込む気になれず、ただ突っ立って日の出までの時間をつぶすことになった。

40分くらい立っていただろうか。ようやくあたりが明るくなってきた。が、霧だか雲だかが濃くて、日の出の時間を過ぎてもぼんやり明るくなっただけだった。タフタはちょっと草を分け入ったところで、みんなに背を向けて黙って立っていた。たぶん瞑想していたんだと思う。

朝日は見られなかった。しょうがない、帰ろう。少し道を進み「ここが頂上です」の看板のところで4人で写真を撮った。寒さに凍える我々に、タバコ吸えば寒さを誤魔化せるんじゃない、とめずらしく紙巻き(でも両切り)のタバコをタフタが差し出した。黒地に金の文字が押されたリッチなデザインの箱に、一本ずつ金色の紙に包まれたタバコが入っている(Dji Sam Soe のタール39mgくらいある激重タバコ)。ルイージはそれを珍しがって写真を撮っていたが、喫煙はしたくないようで、わたしがちょっともらっただけだった。山頂で吸うタバコはたしかに美味しかったが、それより寒すぎてとにかく早く下山したかった。出発した時にも寒かったので持っている布を全て体や首元に巻き付けてきたが、また同じ装備になっていた。わたしたちは、ルイージの提案で、心無い登山客が捨てていったゴミを見つけるたびに拾いながら降りた。途中で拾ったコンビニサイズのビニール袋がいっぱいになった。

降り始めてから、雲が晴れて太陽が出てきた。山頂エリアから山道にはいって少し行った頃、信じられないくらい美しい光景に出会った。あたり一面にうっすら霧がかかっていて、生い茂った木々の枝の隙間から太陽の光が何本も差していた。遠くで若い登山客の鳴き声もしたが、虫や鳥の声も多く聴こえた。湿度が高く、ああ、これは東南アジアの山だ!と思った。びっしり苔むした太い木の幹や枝や大きな葉っぱに、恵みのような強い輝きの太陽光がまばらに落ち、ところどころに小さな花が咲き、蜘蛛の巣や細い草についたしずくが立体的にキラキラしていた。美しかった。360度、目に映る全てが美しかった。わたしたちは立ち止まって、しばらくその場を味わった。

わたしは膝がかなり限界にきていて、もう老人のようにゆっくりとしか歩けなかった。スマホで動画を撮影するためにルイージはたびたび足が止まっていたし、それに付き合ってアントも下山ペースが落ちていたため、4人だった我々一行は2:2に分裂して、わたしはしばらくタフタと2人で歩いていた。たまに膝休憩をもらっていたが、次第に「まあ、もう道わかるっしょ」みたいな感じでタフタは振り向かなくなり先に消え、わたしは最終的に1人で帰った。途中で、登ってきたカルトゥンさんとニサと会ったので写真を撮った。

行って帰ってくるまで、だいたい6時間くらいの登山だった。高尾山くらいのノリっぽいのだけど、道が極悪なのと夜なのと完全に寝不足なのとで、かなりきつかった。みんな何となくバラバラにもどってきて、合流できたメンバー(タフタとアント)3人でSoto(お茶漬けぐらいの感覚で食べられて本当に助かる、米入り鳥スープ)を黙ってサッと食べ、テントのほうに戻って各自眠った。


そのまま昼過ぎまでだらだら過ごした。タフタはテントの近くの岩場みたいなところに薄いキャンプ用のマットを持って行って、そこでかっこよく片膝を立てて濃い色のサングラスをかけて寝ていて、ふざけているわけじゃないと分かっているんだけど、なんかめちゃくちゃおもしろかった。わたしはちょっと寝たら案外元気になったのでテントから出て、でも何かやるほどの体力はないので、昨日の夜に袋を開けてすっかり湿気てしまったお菓子をボーッと食べていた。ルイージが、びっしりの文字と少しの絵による日記っぽいものをイタリア語でノートに描いていて、けっこう絵が上手だということが判明した。タフタのテントを描いていた。わかる〜。外国に来て紀行みたいなのを書くの、楽しいよね…わたしもめっちゃやります。
お菓子をまとめて置いていたゾーンに、ニサかカルトゥンさんが買ってきたと思われる丸い小ぶりの菓子パンがあって、ものすごく甘いマーガリンとチョコレートの挟まったアンヘルシーなものなのだけど、全然美味しくないのに妙に旨くてついつい二つ食べてしまった。こんなに日々アクティブに過ごしているのに、わたしはだいぶ太りつつあった。

帰る段になり、テントをたたんで荷物をまとめていたら、寝袋がひとつ足りないことがわかった。わたしが借りていた(けどなんか使わなかった)のが、なぜかない。来る途中で撮った写真には写っていたので、途中で落としたのだろうか。カルトゥンさんが、え〜どうしたんだろう、と色々考えてから「……Jatuh(落とした)?」と言っていたのが妙に印象に残っている。Jatuh、なんか二度と見つからなさそうな語感で凹む…。借り物を失くすなんて酷い話だ。ほんとうに申し訳ない。ひと通り近辺を探したが、なく、諦めるしかないので、どんまい、という感じでみんなでバイクで出発した。


バイクの道中、わたしの口数の極端な少なさから凹んでいるのがバレていたみたいで、タフタが振り向きもせずに「もうそのことは考えないで」と言ってくれた。古かったし、手放すタイミングだったんだよ、みたいな励ましをもらった。本当にすみません。次に彼らを訪ねてここへ来る時には、絶対に寝袋を買って持参して、必ず弁償しよう、と密かに心に誓った。

帰り道、途中で少し雨が降ってきた。ざあざあ降りになる頃に、田んぼのなかにぽつんと立っているWarung(食堂)でお昼を食べつつ雨宿りすることになった。明日、MVの撮影をするので(MVの撮影をするので???)カメラマンのアルゴとここで合流して一緒に帰る。

午後15時半くらいの中途半端な時間だったので他に客はいなかった。Warungにしてはちょっと珍しく2階席があり、大きい建物だった。みんなNasi Rames(自由に選べるおかずwith白米)にした。わたしは知らないものを積極的に食べていく方針なので、Buletという小さいうなぎみたいな魚の、スパイス和え焼きみたいなものにトライした。Buletは骨が多くて食べにくかったが、味は美味しかった。

この日は本当〜に、全く雨が止まなかった!わたしたちはここで3時間くらい足止めをくらった。寝ていた人もいたし、ルイージが、アプリを使ったお題当てゲームみたいなのをやろう!と言ってみんなを集めてくれた場面もあったが、あんまり盛り上がりきらなかった。ルイージのイタリア語っぽい発音がおもしろいらしく、タフタが「マス・アントォー(アントの兄貴、の意)」と、ルイージのモノマネを連発していた。疲れて変にテンション高いみたいなのあるよな…

もはや外も暗くなってきて、あまりに長居して申し訳ないのでみんな2杯目のドリンクを注文した頃、タフタが口笛で拙曲『湾岸行々(Urban Port)』の二度目のサビのところ「冷たくない、なんていったの、なに、え?」の部分(ここです)(https://youtu.be/7CDhc-0-rMk?si=UIrSQutenk732auv&t=231)を口笛で吹いていて、ここ好き、と言ってニコニコしていた。え〜、うれし〜〜〜。カルトゥンさんに「なにそれ」みたいな反応をされ「え、Oishii song(※=いい曲、の意で二つ名がついていた)のあそこだよ〜」と歌って説明して「ああ〜」ってなったりしていた。


19時過ぎにようやく雨脚が弱くなり、アルゴも着いたので、全員で再出発。ボディソープなくなったので買いたいです!どっかでコンビニあったら寄って!というのだけ伝えて、タフタのバイクに乗った。

が、ちょっと進んだらまたすぐ大雨が降ってきた。とりいそぎコンビニの用事は済ませたが、その後もまだまだ雨脚が強く、途中で雨宿りすることにした。インドネシアには町の夜警のおっちゃんが常駐してテレビを見ている小屋みたいなのがあるんですが、それが無人なのを見つけたのでバイクを停めた。屋根の下にいると、すぐアントとルイージが追いついて、もうこれしばらく無理っしょ、ということで、靴を脱いで小屋のなかに入ってそこで休んだ。でも全員、登山で疲れているしずっと一緒にいすぎてもうお喋りする話題もなく、この場にいない人とメッセージをしたり、SNSを眺めたり、みんなほぼ無言だった。

しばらく待って、そろそろ行けるかな!と出発したが、やっぱり無理だった。また少し行った先で同じように雨宿りした。店のシャッターが閉まっている屋根の下に、なぜか置いてあったテーブルと硬い椅子で休む。ルイージが「なんでまだ降ってるのに行く判断したんだ!さっきのところのほうが居心地がよかったよ!」と笑いながら文句を言っていた。タフタが「これみんなで分けよう」と、とても小さい(5センチ四方くらい)袋に入った小さなアラレを鞄から出して、みんなでちょっとずつ食べた。アントもコーヒー味の飴を出してテーブルに置いてくれたが、なんかみんな飴って気分ではないらしく誰も食べなかった。
ひとしきりそこで時間を過ごしてから、ようやく再再出発。したが、タフタがバイクを30mくらい走らせてから「あっ鞄おいてきた!!!」と言って、我々は慌てて戻った。気づいてよかった。鞄は無事にそこにあったが、ずっと持っていた鞄を忘れる&それに気づかないって、わたしもこの人も相当疲れている。

カルトゥンさんたちは先に帰り着いたらしく、夕飯を買って来てほしいと頼まれたのでなんか買ってくよ、俺たちもなんか食べよう。ということで、家の最寄りの村のひとつ手前くらいのエリアの焼き鳥屋さんに向かった。が、目の前で売り切れたので、道を少し戻って、Bubur Pecelは?こないだ食べたおいしいやつか!いいね!最高!と向かったが、そこも閉まっていて、結局さらに別の屋台へ行き、ココナッツミルクぜんざい(Kacang Hijau)を食べた。冷えて疲れた体にあったかいぜんざいはすごく美味しかった。タフタと2人で外でご飯を食べているのが妙な感じだった。ご馳走してくれたので甘んじた。(ガソリン代はわたしが出したので…)

Kacang Hijauを食べている間に、隣の屋台でオーダーしておいた惣菜ができたので、それを持って帰る。わたしは疲れ切っている友人を前に、絶対ケンカしたり気まずくなったりしたくないのでもうずーっと空元気で笑っていて「これ持ってるとあったか〜い!」と明るく言って惣菜を抱き込んでみせたりしていた。ふざけていたけど切実だった。服が濡れていて寒い。とにかく無事に帰りたい。

雨もほとんど止み、すっかり見慣れた道を登って家に着くと、すでに21時半だった。雨で予定が狂うのはインドネシアあるあるだけど、ここまで大幅に狂ったのは初めてだった。かなりクタクタだったが、明日MVの撮影をするので(MVの撮影をするので???です、この時点でもいまだに)その打ち合わせをする。

アルゴはお土産を持って来ていて、わたしたちより一足先に着き、カルトゥンさんとお菓子をつまんでお茶していた。タフタは寝にいった。わたしは22時までに打ち合わせを終わらせて、そんで寝るんだ、と心を決めて、ロスタイムゼロですぐその輪に加わった。アルゴもカルトゥンさんもやる気十分だ。

アルゴは、タブレットを取り出して、イメージボード作ったんだけど、とPDFを見せてくれた。この完成度がめちゃ高くて、かなり驚いた。すごい!わたしが「やる」と決まってからすぐに送った歌詞の英訳に沿ってフリー素材の写真を並べ、ここはこんな画にしたらいいんじゃないかというアイディアを具体的に載せてくれていて、それが曲のはじめから終わりまで、ひと通り出揃っていた。
この短時間で、仕事が早すぎないか⁉︎という驚きと、けっこう長い曲なのに、曲のコンセプトまで汲んでここまで組み上げてくれたことに感動した。これならかなり話がしやすい!
「明日絶対に撮りたいシーンはこれとこれ、あとは良いロケ地があったら即興的に撮る。それ以外はAoiが居なくても撮れる映像と、俺の持ってるフッテージで構成する作戦でいこうと思う。」「いいね!これはあくまでインドネシアバージョンだから、歌詞に全て意味をあわせてモチーフを並べるよりも、インドネシアのこの地域の空気感とかそういうのを前面に出した方がいいものができると思う。ここで演奏していたんだっていう空気感を抽象度高めに見せたほうがいい。風とか吹いてるとなお良い。ここにはない海のにおいが風に乗ってやってくる、という歌なので…」
 
けっこう端的に要望を伝えられて、自分の成長を感じた。それに、アルゴは「日本で会いました?」ってくらいフィーリングが合うというか、見てきた映画や触れてきたカルチャーみたいなものが共通している、というような印象がふるまいの端々にあって話しやすかった。2人とも慣れない英語でがんばって話しているけど、なんとなく言葉の中身のようなところはちゃんと届いているような安心感があった。ここで最初に会った日、寝る前に咳が止まらなそうにしていたのでプロポリスキャンディーをあげた時は、こんな急に一緒に作品つくることになるなんて思ってなかったよ……。具体的に好きなバンドや映画の話をするような場面はなかったけど、なにか「わかる」感じがあって、表現という共通言語があってよかった、と思った。最初の週、カルトゥンさんが言ってた「俺らの信頼してるシネマトグラファーがいる(ので記録とってもらおう)」は本当だった。

わたしたちは時間どおりに打ち合わせを切り上げた。明日は6時に出発するという。容赦ないな〜と思いつつ、最低限の水浴びを一瞬で済ませた。昨日は水浴びできていないし登山で汗をかいていたので髪以外は普通に洗ったが、死ぬほど寒かった。頑張った。

タフタの小屋はめちゃくちゃ混み合っていて、あったかい気持ちになった。みんなで雑魚寝するのも今日と明日で最後だ。



5/24(金)

朝の光が必要だから6時に出発!と言われていたので5時に起きた。服はどれがいいか相談したりしていた(といってもTシャツの、白・黒・れんが色の三択しかない)ら、結局出発したのは7時前だった。誰かが買ってきてくれていた片面にチョコレートのかかった全粒粉クッキーを2枚だけ食べた。

バイクで山をぐんぐん登る。アルゴ・カルトゥン・タフタ・わたし。アントとルイージも、なんか手伝うことあればやるよ!という感じで朝早いのについてきてくれた。朝の光のなかをみんなでバイクで走り抜けていくのは爽快だった。天気は、昨夜の雨から一転、晴れ寄りの曇り、といった感じで、非常に良好だった。アルゴがめっちゃ高そうなカメラ(会社の)を、ゴロッとそのまま薄手の木綿のトートバッグに入れて抱え、重そうな三脚を肩に担いだ状態でカルトゥンさんのバイクの後ろに乗っていて、その雑な危ない感じが若々しくて良かった。アルゴとカルトゥンさんは、わたしよりは年上っぽいけど年齢不詳だ。


まずはお茶畑で撮影。空が広く抜けているので、ローアングルから撮影すると、曇り空がちょうどスタジオの白い背景で撮ったみたいになる。主に合成したりして使ったショットだ。また、お茶畑を映したショットも撮った。昨日届いたラフミックスをカルトゥンさんのスマホBluetoothスピーカーでかけて、アルゴが撮影の指揮とカメラマンを兼任した。必要なカットがどんなもので、どんなふうに撮ればそうなるかが全て決まっているし分かっているという様子で、とても順調に進んだ。かなり手際が良かった。

わたしは、ここまできてもまだ「タフタは本当にこれをやりたいと思ってくれてるのかな」とうっすら不安だったので、撮影中、彼が普通に楽しそうにしているのを見てけっこうホッとしていた。今回の曲はゆったりしたテンポの歌だけど、たまに待ち時間が発生すると、すごいノリノリな調子にアレンジして歌いながらふざけた動きで踊ったりしていて(カメラをセッティングしながらアルゴも一緒に踊り出していた、そのセッティングを待っているんだけど)、現場の雰囲気はずっとよかった。『The invisible sea』のDandut(インドネシアのノリノリ演歌みたいな音楽)アレンジ、聴きてえ〜

わたしとタフタの出演するところは全てリップシンクなので、何度も繰り返し音源に合わせて演奏した。レコーディング同様、ほとんどNGを出さずにサクサク撮影は進んだ。タフタは、おそらくほぼ即興で吹いた笛のフレーズをすんなり完コピして音源と同じ運指で映像に写っていて、サラッとさすがだった。あと、彼はとてもまつ毛が長くて、撮った映像を小さなモニターで見てもわかるくらいなのだけど、それをルイージとわたしが「タフタまじで絵になる」「まつげ長っ」とワイワイしていたら「みんなが起きる前にこっそりまつげ植えてんだ」と言っていた。アントは青い花を摘んできて、それをルイージとわたしの頭に載せたりしていた。思い返すとずっとふざけているな……

ひと段落したので、11時くらいに早めの昼休憩をとった。撮影した畑のそばにワルン(食堂)があって、みんなでぞろぞろそこへ行った。店内に、床から天井くらいまで積み上げられたでっかいコンピューターみたいなのがあり、店主がそれを指して「Wi-Fiあるよ!」と自慢げにパスワードを教えてくれておもしろかった。
わたしは目玉焼きをインドネシア語でなんて呼ぶのかいまだに覚えられなくて、炒り卵か目玉焼きどっちにするか?と聞かれてえーっと、となっていたところをみんなに口々に助けられたりしつつ、Nasi Rames(白ごはんとおかず各種を好きに盛って食べる)をいただいた。ここの料理はとても美味しかった!一緒に写真を撮ったり、インターネットが繋がるのでそれをすぐに送ってもらったりした。
食堂の一角におやつが並んだ棚があったので、ちょっと食べ足りない人たち(全員)はそれぞれ好きなものを選んでとってきて食べた。揚げ物もそうだけど、食べ終わってから自己申告でお金を払うシステムで上手くいっているの、すごい平和で好き…。
タフタが、青いパッケージの「Kalpa」というお菓子(チョコウエハースにココナッツがまぶしてあって激甘、ひと口サイズのものと、ロングバージョンがある)を食べていて「それ好きなんだ」「これめっちゃ好き」「一番最初、初めて来た時にわたしが持ってきたの、めっちゃどんどん食べてたよねww」「そうだっけwww」というくだりがあって、けっこう嬉しかった。そうです、わたしは3週間前、コンビニで手に入るタイプのお菓子をたくさん持ってこの山に来てしまって、ガチ自然派のタフタさんの舌には合わないんじゃないかとハラハラしていました。懐かしい。懐かしいと思える共通の過去が好きな友人とのあいだにある、というのは、ほんのちょっとしたことであればあるほど、温かくて嬉しい。


しっかり腹ごしらえを済ませて、次はどこへ撮りに行こうかという相談。わたしはずっとAren(ヤシの仲間で、大きいのは20mを超えるほど高くなる。この木から作られるGula Arenという砂糖が村で作られていてかなり美味しい)が気になっていて、今回いろいろな場所で出会ってすっかり好きな木になったので、映像にはぜひいれてほしいと要望していた。アルゴはこの辺に住んでいるわけではないので(彼の住むのはTemanggungというところ、わたしが5年前に住んでいたところの隣町で、タバコの名産地)タフタやカルトゥンさんにロケーションのアイディアを出してもらい、行き先が決まった。一旦、タフタの小屋へ戻り、服を着替えてから出発。戻ったらお客さんが来ていて、その女の子2人もなんかついて来た。

すっかり空は晴れていて、かなり日差しが強かった。田んぼを抜けて、先週タバコ屋に向かった道だ、と思っていたら知らないほうへ曲がった。ちょっとヒヤッとするような細い道を抜けると、川があり、そのそばに大きなArenの木があった。風に揺れるたびに影が大きく動いて、日差しがキラキラしていた。

アルゴがその木を撮影しているあいだ、わたしはいいロケーションを探して近くを散策した。人気のない林の奥へ進むとさらにArenがあったりして楽しかったが、静かすぎてちょっと怖かったのでほどほどにして戻った。カルトゥンさんとアントは川の舗装された岸辺で昼寝して待っていたが、タフタとルイージはもっと先まで探検してくる!と言い残して消えた。

風がとにかく気持ち良い午後だった。この場所で撮ろうか、と入った茂みで、ギターを取り出してカメラを回して歌った。風が吹くたびにざあざあと木々が鳴った。MVではちょうど「鼻から吸ったら海のにおい」という歌詞を歌って鼻から息を吸う場面で大きな風が吹いて、それがとても歌にあっていて一番気に入っています!

ここです、ざあざあという葉音が聴こえてくるようですね
https://youtu.be/r-OidvrDX5E?si=Ii_nU6A5K_2kEiTz&t=307

すでにできている音源にあわせて演奏しなくてはいけないので、木々のざわめきにかき消されないように画面に入らないぎりぎりのところにスピーカーを置いて撮ったのも、わたしのギターのストラップが壊れていたので、ちょっと無理して腕で抱えて弾いたのも、足元の悪いなか「もうちょっと右」「いきすぎ」と言われながら立ち位置や体の向きをあわせたのも、めっちゃ眩しいし暑いけど耐えたのも、細かい頑張りがいっぱいあった。いい風と、いい撮影だった。


ひと段落したので、再びタフタの家へ戻った。タフタとルイージは探検にいったままはぐれたので、わたしはアントのバイクに乗せてもらって、アルゴとカルトゥンさんと一緒に先に戻った。ついてきた女の子2人に「川に入って遊ぼうよ!」と誘われたが、まだ撮影があるのでさすがに無理ですごめんと言って断った。アントは遊びにいった。

朝早く起きてヘトヘトなので、家でちょっと休んだ。あとは夜のシーンだけ。一旦休憩。夕方17時くらいにみんなで村のお父ちゃんお母ちゃんちにご飯を食べにいった。このメンバーでわいわい食べるのも最後かあ、という感慨があった。お父ちゃんは明日バリへ出発するわたしに、Gula Arenと手製のお茶を1kgずつくれた。圧縮していないお茶の葉の1kgがけっこう大きな袋で、夏祭りの綿菓子くらいのボリュームだった。買うつもりだったのに頂いてしまった。たくさんお礼を言って、一緒に写真を撮った。

最後の撮影は19時くらいから、タフタの家の縁側のような場所で行った。そういえば、初めてここへ来た日の夜に自己紹介みたいに歌ったのもここだったし、次の週に日本人の友人・光さんが来て、タフタと2人で演奏したのを聴いてもらったのもここだった。(※これです- YouTube)期せずして思い出のグランドフィナーレじゃん…
準備をしているあいだにどんどん雨脚は強くなり、カメラが回り始めてから雷まで鳴り出した(MVにも写っている)けど、撮影は無事に済んだ。特別な照明機材はないけど、スマホのライトも動員して、あるものでいい画面を作ってくれた。アルゴは、こう撮りたいというビジョンがかなりはっきりある、そしてそこへの最短ルートもわかる人で、一緒に動いていてほんとうに頼もしかった。信頼できる作り手だ。

あ〜終わった終わった!すぐ水浴びして寝る〜!というタイミングで、着替えをまとめて家を出よう(水浴びとトイレの建物は家の外、歩いて10秒のところにある)としたら、先にさっぱりして戻ってきていたタフタが、カルトゥンさんと一緒にスマホでダンスっぽいビートをかけて、ノリノリバージョンの『The invisible sea』を歌って2人でふざけ始めた。なんなんwww早く水浴びしに行きたいんだけどwwwwと思いながら、わたしもその場で一緒に軽く歌って踊って、無事に撮影が終わったのを喜んだ。
 
戻ってくると、タフタがギターを弾きながらゆったり歌っていた。わたしはタフタの歌ラストチャンスだ!もう一回"Blue Ridge Mountains"が聴きたい!とリクエストもしたけど、取れた映像を確認しながらアルゴとも話すことがあって、完全にキャパオーバーしてどっちも聞けなくなってなんかぐちゃぐちゃしていた。

引き続きとても人が多い雑魚寝だが、荷物をまとめなければならない。寝ている人もいるので、スマホのライトでちょっと手元だけ明るくして、荷物を整理した。いうほど散らけているわけじゃないけど、本当に限界の疲労状態なので脳が働かなくなっていてすぐには手が動かせなかった。ただ座ったまま、3分くらいジッと荷物を眺めていたら、遊びに来ていたけどほとんどおしゃべりしそびれていた女の子のひとりが、何か手伝うことある?と言ってくれてマジ優しかった。が、ないので、ごめん大丈夫と答えて、でもその声かけのおかげで手を動かし始められた。ありがと…

たぶん22時くらいに寝た。明日は4時に起きて、1時間で山を降りて空港へ行って、7時の飛行機に乗る。一生に二度とないようなハードスケジュールの、でも、とんでもなく楽しくて美しかった一週間が、ついに終わる。