言わない心

最近、人に話を聞いてもらっていた時に、わたし今「言わないこと」を選んでいる…、と思った。
それは決して悪い感じではなくて、積極的に分かりやすく伝えるためでもあったし、これ以上は開示し過ぎだ、というラインを破らず守ったまま話せた感触があってよかった。自信があるように見えただろうし、なんだかこちらとしても、具合がよかった。
 
 
余計なことを言っちゃう、ということが、私は、めちゃくちゃ多い。対人関係の失敗は大体それだ。言わなくていいことを言ってしまう。なぜか心がオラついていて不適切に粗野な言葉が出てしまうこともしばしばある。考えていることをSNSやブログにだらだらと赤裸々っぽく書く習性もある。だからこそ、「言わない(書かない)」と線引きするということに意識的なつもりだし、普通に口は堅い。まあ誰にでもあると思います。人に言えないこと、言わないこと。一部の人にだけ打ち明けたいようなこと。
なお、知った秘密を守れるほう、という自負と、なんでも思ったことがすぐ顔に出る、は、全く矛盾しない。さては秘密にしているな〜?ということが人にバレてもなお沈黙を決め込み続ける意思があれば、それで秘密は守れるから。(証拠があって嘘をついているとかは別の話)
 
 
以前、それで失敗した。珍しく、沈黙を守って失敗した!具体的には書かないし聞かれても答えないけど、ある場で、わたしは自分の意思で「言わないと決めた」ことがあって、それを「制約と誓約」(※漫画『HUNTER×HUNTER』に登場する概念)みたいな気持ちで強めに守って、最後の最後まで守りぬいたのだけど、それがまずかった。わたしは、自分が秘密を守ったのではなくて、「伝えるのを諦めていた」のだ、ということに、一連の出来事が終わるまで気がつけなかった。
 
その沈黙は、事をスムーズに進めるためには有効だった。でも、それでは自分の心を守りきれず、わたしは深く後悔した。沈黙をつらぬいた自分が分身になって後ろから襲いかかってきて、刀で背中を深く切られ、でも切れ味が鋭過ぎて痛みを感じるよりも熱いみたいになって大量の血がドバドバ……あれっこの血は……ゴプッ……ズシャァ(地に伏す)………、みたいな後悔で、体がどっぷりと重くて、頭のなかは全部それに持っていかれて、数日のあいだ、普段比2割くらいの活動しかできなかった。
 
心にある「これ」をどうするか、というのを、わたしは大人になっても、まだまだ間違える。
意志を持って思いを留めておくのと、伝えるのを諦めるのとは全然違うのに、秘密にしておいた方がいい心と、なんとかして伝えた方がいい考え、というのの区別をつけるのは難しい。いま「心」と「考え」と、言葉を変えることができてちょっとすっきりしたけど、この冷静さは、渦中にいながら持てるものではない。
 
それに、悲しいかな、なんとかして、どうやってでもこちらの思いや考えを伝えたいと自分が思えない相手、というのはいて、それはもう、その相手がその相手で、わたしがわたしである以上、仕方がないのかもしれない。あの時、話せば伝わる、と、最終的に思えなかった。身勝手な話だけど、誰かを諦めるのってつらい。その人のことが嫌いならいいけど、そうじゃない時は、とても悔しい。
 
 
 
他者に期待しながら手を伸ばし続ける、名前を呼び、確かめ続ける、それがわたしにとっての歌です、小さい失恋を繰り返すんです、みたいなことを、先日のソロライブの曲の合間で話した。
他者が他者のままそこにいることを認めるのが、わたしには大切なことで、歌と言葉はそれに一役買ってくれる。たとえば景色を言葉で表す。風が吹いたらただ風が吹いたというだけ、電車が走っていったなら電車が走っていたというだけ、水面はただゆくだけ、というようなことを、でもあえて言葉にすることで、確かなものにするという感覚がある。それは、自分の存在を肯定することでもある。出した声の届いた先で振り返るイメージを持つと、自分が、声のこちら側の端っこにいるのがわかる。
言葉がまだ身についていない幼い頃、手を伸ばして触ったり、口に入れて確かめたりすることを繰り返して、自分の輪郭を少しずつ得ていっていたらしい、今もああいうことをやっているような気がする。
 
 
もうだいぶ前のこと。旅先で、もうそろそろ寝ようという時、友人が歯を磨いていて、その音が、わたしのよりもずっと遅かった。それに気がついた時、なんか嬉しかった。
 
今そこに、そのような、聞き慣れない速さで歯を磨く人物がいる。その人の歯を磨く速度は、その人に似合っていたし、わたしのなかで、一段階、その人が確かになった感じがした。
 
それを、かなり時間がたっても、まだまだずーっと覚えている。毎晩、歯を磨く時に思い出すといっても過言ではない。これだけ長く覚えていたら、もうこれから先も覚えているような気がする。でも本人には言わない。
あ、思いつきだけど、あともう少しで歌になりそうかどうかで、心の中のそれが「心」なのか「考え」なのか判断できるのかもしれない。もし、いつかわたしが歯を磨く音のことを歌にしたら、心だったんだな…と思ってください。
 
しばらく生きていると、だんだん、諦めたことや、諦めた人が増えてくるみたいだ。減らないので、数えたら増える一方で、なかなかやるせない気分になる。
でも、多分、全ての人といい感じになるのは無理だから、意識的にカラッとしていきたい。そうするしかできないです。風を通しておけば血は乾くし、生きていれば怪我だって治るはず。