歌って、歌って?


最近した会話のなかで「(歌は)余韻が一番大事」と自分で言っといて、あ、これだな〜と思った。

歌って、もしかして歌い終わった瞬間が「完成」なんじゃないか、という気分が最近ある。ここ数ヶ月のライブを通してそういう考えに至った。そして、歌がそのような一瞬の「完成」へ辿り着くまでの道のりは、決して一本の道ではなく、成立するための要素やプロセスはほぼ無限に存在し得る。録音ではなく演奏に関して言えば、同じ歌であっても「完成」の形はひとつに定まるものではない。今回は、歌を演奏する・その場に起こす、ということについてのいくつかの所感をざくざく書きます。


2023年は、それまでよりもずっと多くのライブの機会があった。自分で企画したものがほとんどだったけれど、それに加えて他所からお声がけいただけることも増えて、そのたび喜んで歌いに行った。一生覚えていたいような出来事がいくつもあるし、ちょっと扱いきれないくらい大きい喜びと感謝があるけど、ここでは歌に関する考えが深まるヒントを与えてくれた出来事に絞って書く。

まず最も大きな1つは、毎月開催させていただいてきた「屋上」というバーでのアンプラグド(生音)弾き語り企画。これは2022年に「これからは弾き語りをやっていってみよう」と決めてからずっとやりたくて、個人的な満を辞して2023年3月から始まった。ベストなタイミングで始められたし、終わるなあ、と思う。本当にありがとうございます。(今度の2月と3月、あと2回でおしまいです!)
この企画について特筆すべきは、やはり「毎月同じ場所で演奏する」ということだ。音楽のライブというのは(少なくともわたしが関わるタイプの音楽に関して言えば)本当に色々な場所で開催される。昨年は、大きさや設備の異なるいくつかのライブハウス、公園、河川敷、街中、地下空間、レストラン、ギャラリー、バー、土間、美術館の一角、小学校の教室・体育館、校庭、など、とてもいろいろな場所で歌わせていただいた。こうして「バー」と書いてしまえばひとつの言葉にまとまってしまうようだけど、ひとつひとつのバーはそれぞれに全く違った響きを持っていた。歌は、美術の展覧会や演劇の公演よりもずっと身軽に、1つ1つの機会を作っていける。かなりどこへでも、作品を持ち運んで発表することができる。わたしは歌のそういうところが好きだし、とてつもなく面白いと思う。

でも「毎月同じ場所で歌う」というのはその逆で、そしてそれはわたしにとってすごく難しいことだった。色々な場所でいつもと同じように歌を届ける、という考え方のほうが、正直、挑戦としてはわかりやすい。異なる条件を受け入れながら工夫して対応していくのは「完成形が思い描ける」という出発点があるので、だいたいなんとかなる。でも、同じ場所で、違うことを公演としてコンスタントに続けていくことは、私にとって新しくて、やってみたらすごく難しかった。

ちょっと思い切って書いてしまうけど、たぶん9月だった、わたしはこの企画を今後どうしていったらいいのか、一度わからなくなった。3月から毎月ちょっとずつ違う内容を準備してきたけど、もうアイディアが尽きたな……と自分のなかでハッキリ思って、これはやばいんじゃないかとハラハラしながら会場へ行って、演奏した。初めていらっしゃるお客さんはありがたいことに毎月いるけれど、いつもカウンターに立ってくれているスタッフや頻繁に来てくださっているお客さんにとって、そろそろ新鮮さに欠けてくるんじゃないかと、不安だった。この時期はバンドの遠方でのライブを企画したり、いろんな場所に行ったり並行していくつかのプロジェクトに参加したりしていたので、その準備や余波でいっぱいいっぱいになってもいたし、何よりも、自分が自分の企画に飽きてしまいそうで怖かった。
しかも次の10月には、具体的に何か新しいことを準備するのもままならず、半ば開き直るように愚直に、これまでのレパートリーを演奏することになった。本当にヤバい気持ちだった。しかし、その日は、自分で書くけど、なんかよくて、拍子抜けした。あれ?楽しいじゃん!そして、この回を終えてから「これでいいのかもしれない」と思えるようになった。

言葉にすれば当たり前に聞こえるが、同じ歌を歌っても、季節が1ヶ月進むだけで色々なことが全然ちがう。一曲ずつの印象は演奏する順番によって変わるし、その日の気温や湿度や時間によって演奏する人間や楽器のコンディションも変わる。合間に話す内容にもおおいに影響を受けて、歌は変化する。違う土地で歌うことに比べたらかなり微細ではあるけれど、こういう違いは確かにある。そういうことを感じながら楽しめるようになったら、毎月同じ場所で歌うなかでも何かに気づき続けられるのではないか…、つまり、細かな違いに対して自分がもっと解像度を上げて取り組めるなら、同じ曲を同じ会場で、もし同じ順番で歌ったとしても違う「完成」が表れるのでは、と思うようになった。自分のパフォーマンスに対する解像度を自分自身がぐっと上げて、それまで気づきもしなかったような些細なことも「違い」としてクッキリ意識していくことは、かなり大事なことのような気がしてきた。


さて、ここまでで言及したのは、物理的・身体的「違い」(会場や演者の状態の変化)だが、同じ歌を色々な場所で歌うということをさらに一歩踏み込んで考えると、もっと大きな「違い」が見えてくる。
リアリティとイメージの問題とでもいえるだろうか。言語表現を上演・演奏という形で現実に表す時に出てくる「ズレと一致」が、わたしは気になる。何年も前から考えていることでもある。
 
ここからは音楽というよりも言語表現の話になる。言葉のもつイメージと、それが現実と関わる時の反応(≒鑑賞)について考えたい。具体的には、歌の歌詞には意味やそれが描くイメージがあって、それが現実と対応したりズレたりする、ということだ。
例えば、わたしが千葉県北西部や東京近郊の景色を想定して書いた歌に「ここから少し南へ行けば埋め立てられた海があるって、地図いわく、そう」という歌詞がある。これはざっくりいって日本の太平洋側、関東以西の土地で歌うならば普通にハマるのだけど、例えば石川県金沢市で歌うと、その場のリアルな現状(金沢近郊の土地の形)と、歌のイメージは矛盾する。金沢においては、海は北側にあり、南は山だ。
 
そんなことは、書かれた言葉や録音された歌においては、たいした問題にならないだろう。ライブで演奏される歌であっても、それを問題にする人はきっとほとんどいない。お客さんも、実際あんまり気にしていないと思う。でも、わたしは<声になった言葉は、その瞬間にその場の空間と混ざり合って現象を起こしているのだ>ということに、驚きながら希望を感じて歌ってきた。昔はこんなにクリアに言葉になってはいなかったけれど、10年前くらいからずっとそういうことを考えてきた人間としては、この小さな違和感は無視できない。
 
いま目の前にいる歌い手が違う土地のフィクションを歌っている、という状況と、まさにこの土地のリアルを歌っている、というのとでは、観客にとって言葉の聴こえかたは大きく異なるはずだ。歌を聴く時にそんなこと気にしている人はほとんどいない、というさっきの一文とさっそく矛盾するけれど、わたしの観測上、こういうことは演劇や美術の表現においては、けっこう重要な要素として使われていると思う。実際の土地と、上演や展示の内容が分かち難く結びついた作品をサイトスペシフィックな作品とか呼んだりする。その土地でしか成立しない、その土地でこそ成立する作品、というニュアンスで。
 
そもそも言葉というのは、根源的にめちゃめちゃサイトスペシフィックなのだ。概ね同じ言語を使う人間社会と特定の地域が国という単位になっていて、そこで生活しているとつい忘れてしまうけれど、言葉はかなりの堅さで土地と結びついている。例えば南半球で「北」といえば、温かい風が吹いてくるほうを指す。北半球で生まれ育った私は、これに気づいた時、かなりびっくりした。辞書的には例えばインドネシア語の「北」は「Utara」だが、おそらく「Utara」のイメージはどちらかといえば北半球の人間にとっての南の印象に近いはずである。これは極端な例だが、国を隔てた時、あるいは国が同じでも地域が異なると、言葉の意味とイメージは、実は辞書のようには一致しない。虹色の色の数は国や文化によって異なる、みたいなことは世界に無限にある。
 
わたしには先述の曲の他にも、サイトスペシフィックに作ってしまった歌がある。「モーターリバー」という曲だ。そのなかに「いや、(あれは)飛行機だよ、たぶん羽田に向かうやつ」という言葉が出てくる。具体的な地名だ!これを、石川県や青森県に行って歌うと、なんか、パッケージされたものを持ってきたという感じがして、ちょっと違和感があった。それでいい、それでこそ歌でしょう、と思いつつも、ある時には、取り繕うように「いや、飛行機だよ、ほら空港近いから」と言葉を換えてみたりしたこともあった。やってみたけど、それはそれで、我ながら何でそんなことしちゃうのか、よくわかんないのだった。ただ、どうしてもわたしは、目の前で紡がれる言葉、つまり演奏されたり上演されたりする時の言葉「が」何か「を」描く時の現実との距離が気になる。

2018年にインドネシアに半年間いた頃、自分のなかにある日本語と、自分の外にあるインドネシア語およびそれが染み込んだ風景とのギャップに驚いた。わたしの日本語はインドネシアの景色には届かない、というようなもどかしい感覚(景色に言葉が通じないような)と、その少し後、インドネシア語で景色を描写できた!と初めて思えた時の感動とを、わたしは原体験のように持っている。

「まだ呼べない」
https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2018/10/03/102240
「木を見ることについてと、景色を見たことについて」
https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2018/11/29/215446

やはり、「呼ぶ」という言い方が大きなヒントになっているのだと思う。呼ぶというのは、誰かの名前を呼んだり、ここにはいないものを呼び寄せたりと、何かに向かって言葉を放つ行為だ。向かう先とこっち側とが明確にある。この時、言葉は声を伴って現実と具体的に関わっている(呪文とか祈りというものがあるように、ここでいう現実は必ずしも物理的な世界だけではない)。
言葉は、文字じゃなければ音声として顕現するのだ。音声になって体の外へ出て、空気の振動になって目の前の景色と物理的に混ざる時、言葉が起こせるあらゆる現象のなかの、特に「歌」というやつが、わたしはおもしろくて気になっている。(なお、このへんのことを考えて作品にしたのが2020年の『触角が無限にのびる虫』だった)(https://aoitagami.bandcamp.com/album/-


さて、話を昨年に戻します。2023年の10月29日に、十和田市現代美術館のカフェスペースの一角で歌う機会があった。これは、単にわたしのライブだったわけではなくて、その秋に同美術館の企画で個展を開催していた三野新さんによる『外が静かになるまで』という作品の「ミュージカルバージョン」の上演だった。
三野さんの作品は、映像や写真で構成されたインスタレーションだが、その制作の元には彼の書いた戯曲があった。わたしは声の出演というか、その戯曲を声に表す役割を担当していて、複数の展示会場にまたがって展開されるインスタレーションのなかに、録音された私の声がたくさん登場している、というような状況だった。
その制作の過程で三野さんと盛り上がって「やってみようよ」ということになり、なんとか実現に漕ぎ着けた10月のパフォーマンスは、わたしが戯曲を朗読し、その合間にわたしの曲の演奏を挟んでいく、というけっこう大胆なアレンジの効いた上演だった。ここでは、もともと無関係に作られたはずの作品同士が、偶然しっくりくる形に混ざり合って上演の形になっていた。多くを端折って書いてしまうけど、この上演のなかで、わたしの歌は、まるで二つの国の関係を歌っているように聴こえたり、続いている戦争を見ないようにして明るく振る舞っている人の歌のように響いたりしていた。
 
わたしは、歌ってこんなふうに作者の個人的な文脈から自由になって、新しい意味を背負うことができるんだ、ということに心底驚いたし感動した。過去に書かれた有名な歌が時代を超えて異なる文脈を担って政治運動に使われた例などは知識としていくつか知っていたけれど、自分の作品でもそれに似たことが成立するというのは、けっこう大きな衝撃だった。自分の歌はかなり具体的な歌詞で、さきほど書いたようにけっこう土地と結びついていたりするのにも関わらず、メロディによる抽象化は、こんなふうに作用することがある。
 

一度、話をまとめます。同じ場所で繰り返し歌う、違う土地で歌う、違う文脈で歌う、という3つの経験から、わたしが惹かれている歌というものには、2つの大きな相反する特徴があるといえる。言語表現や上演的な考え方から「持ち運べない」サイトスペシフィックなものとして捉えることもできるが、音楽としては、意味がメロディによって抽象度を獲得するので「可搬性が高い」とも言える。ここにはない、見えない風景を運んでくる装置として機能しながら、この土地のリアルを歌っているということでもあり得る。つまり、わたしは歌「が」描くものを運ぶことはできないけれど、歌「で」描くことで、イメージを運んでくることはできる!



ここからは音楽の話に戻ります。時間を巻き戻して次にピックアップしたいのは、わたしのライブではなくて「東郷清丸彡」ワンマンライブinツバメスタジオ(10/22)だ。この日はわたしは2人のコーラスの1人として参加していたので、非常に心に余裕があった。イベントは清丸さんのトークの分量多めでゆったり進む回で、そういう感じを知っていて味わいに来ている、温かい雰囲気のお客さんが多い印象だった。
この日は、いろいろな条件がそろって、わたしは演奏しながらウットリするくらいの余地を残してその場で歌っていた。それが功を奏したようで、音の立ち上がりから残響が消えていくまでのひとつの波を全員が聞き入っているみたいな状態が、幾度も訪れた。少なくともわたしにはそう思えて、演奏しながら「うわ〜〜っこんなに気持ちいい瞬間がたくさん、っていうか、ああ!!これって音楽の良さだ!!」と心がじわーっと温かくなった。

音楽って何なのか、なんてあんまり考えてこなかったけど、やっぱり音楽ッちょっとほんとスゲエ〜!と思った。音楽でしか実現できないことというのは、おそらくたくさんあって、あの日の感じはそのうちのひとつだった。居合わせた全員が聞き入ってウットリしているようなひとときは、ちょっと呪術的というか儀式的ですらあって、わたしは若干ビビりつつも感動していた。誰かの演奏を聴いているみたいだったけど、自分もそのなかで一端を担っていたというのがまた、不思議な感じがした。

そして、「そういうこと、あるんだ〜」と知ってからも色々な機会に恵まれて、有り難く忙しなく年の瀬まで過ごし、12月23日に墨田区の銭湯でライブを開催した。2023年の4月から度々一緒に演奏してきたヴァイオリニストの北澤華蓮さんがご縁を繋いでくれて、曳舟の銭湯「電気湯」の定休日を利用させていただいた。お湯のない銭湯、つまり、ハチャメチャに音が響く空間での音楽のライブだった。
企画として考えたことや、言いふらしたいくらいの頑張りや、関わってくださった方々への色々な感謝はこの場では大胆にも割愛‼︎させていただき、わたしは、やっぱり天然のリバーブ、残響ってすっっごくおもしろくて大好きだ!!という点に絞って書きます。

そう、場所の響きというものは、本当に色々なことに気づかせてくれる…。声をポン、と出した時、それがマイクを通してスピーカーから鳴って(という部分もありつつ生音の部分も確かに)ワン!と響いてそしてひゅるんと消える一連の出来事が、いちいち嬉しかった。歌の途中で声だけが跳ねたり伸びたりするところがいくつかあるたび、響きがいっそうよくわかって、肩のあたりからハートがいっぱい飛ぶくらい嬉しかった。一緒に演奏している二人の楽器の音も、そういうふうに鳴って混じっては消えていった。10月のツバメスタジオで、演奏するたびに生まれて重なっては消えていく音にみんなで耳を澄ます喜びを「音楽の良さだ〜!」と思った人間には、空間のリバーブがそれを引き伸ばしてくれるのが有り難かった。特徴的な音響空間なんで…、という我々のプレゼンの甲斐もあってか、心なしか、客席の数多の耳も、いつもより少し開いていたような気がした。


わたしは、ずっと同じことをやっているだけなのかもしれない。2021年の終わりと2022年の初めに、東京と仙台で川を見ながら歌を歌って「これだなあ」と思った時(『全部がある!』https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2022/01/23/154519)と、2023年末の銭湯ライブの時の嬉しさは種類が似ていた。自分が、歌い手というよりも「聴く生き物」としてそこにいて、視野を広くとり、耳を開いて、たまたま鳴くように歌ったり奏でたりしてんだ、というような、素朴に、ただそこにいられる時が本当に楽しい。環境から肯定されている感じがする。あ、いるね、いていいよ、と。

ただ、あの公園と最近のライブが全く違うのは、そこに、その場で起きている出来事や現象を観聴きしに足を運びチケット代を払って客席にいてくださるお客さまがいらっしゃる、ということだ。これは本当にすごいことだ。わたしは、同じ場所でその場に現れては消える音に耳を澄ますというのを、奏でるわたしも聴く人も同様に味わっている、ということの、良さ、驚き?喜び?みたいなものが、凄まじいなと思っていて、とにかく嬉しい。これはもう体感が魔法に近い。

銭湯で演奏した曲のなかで、鳴る音が声だけになるところがあった。昼間の陽がさす明るい窓のあたりを軽く見上げて声を放ったら、ゆるやかにカーブした天井や白いタイルが作る響きが、機嫌がいい時にお風呂で歌っている時のそれと似ている気がして「ああ、わたし今お風呂で歌ってんじゃん」と思って、つい笑顔になった。(演奏に集中しろ!と思う反面、わたしはそれくらい気が散っている時のほうが調子がいい)実際の響きは、家の風呂と大きな銭湯じゃ多分ぜんぜん違うのだけど、なんだろう、あの瞬間「ウケるな〜」みたいなニュアンスも含むおもしろさがあった。

わたしは、表現がどうこうとかいう以前の子供の時から、家の風呂で歌いまくっていた。小4くらいまでは学校で習った歌じゃないポップスを歌うのを恥ずかしがる気持ちがあったけれど、小5くらいからだんだん「練習(※なんの?)」と称して堂々と歌うようになった。本当に家族はよく容赦してくれたな…と思うが、ほぼ毎日、これでもかという声量で歌いまくって遊んでいた。その時には、出した声が響いて消えていくなあ…、なんて繊細なことは1ミリも考えたことがなかったけど、銭湯のステージ(でもない。ステージ?)で歌ったあの時、あんなに非日常的な状況なのに、日常に確かにあった素朴な喜びを思い出せた。
完全に大人になった今でも、わたしはあえて銭湯の閉店間際に入りに行って、他にお客さんがいなくなるやいなや、すかさずこっそりフワフワ歌っている(小声でも案外ちゃんと響きがわかるので楽しいです、おすすめ)くらいなので、声が響くって楽しいな〜というめちゃくちゃ素朴で個人的なものだと思っていた楽しみを、あんなに大勢の人と一緒に、しかも真っ当に音楽のなかで味わえた、ということが、本当に嬉しかった。

この一年くらいで、声が響くのをちゃんと聴く、ということを、技術としてしっかり抑える・ばっちりやる、というより、純粋に心から楽しめるようになった気がする。これまでもおもしろい響きの場所に出向くと声を出して遊んだし、ライブでも楽しんできたつもりだけど、最近輪をかけて「ク〜ッやっぱりたのしいぜ〜〜」です。何度でもいうけれど、歌ってほんとうに無限に楽しい。
誰かと一緒に演奏する、ということについて今回は全然書かなかったけど、2023年のわたしは、一方ではある種孤独に「歌とは…」などぐるぐる考えつつも、もう一方では「バンドたのし〜!」「一緒に奏でるってすげ〜!」というバカほどシンプルな喜びで駆動していたと思う。そっちのほうが比率としては高かったまである。一緒に奏でてくれた皆さんありがとう…
(銭湯ライブの様子はすばらしい記録を録ってあるのでそのうちリリースします、ご期待ください……)


昨年、たくさんの人に歌を聴いてもらって、ああ、聴いてもらうと完成するんだ、と何度も思った。新しい歌も増えたけど、ずっと前に書いた歌も、聴いてもらう場面ごとに新しく生まれていた。最初のほうに書き殴ったように、ある土地ごとに、ある機会ごとに、ある文脈ごとに、歌は変わって響いた。それを経て思うに、もしかして、歌が完成するのって、聴かれた言葉やメロディや楽器の音が人の記憶のなかに積み重なって、イメージが浮かんでは消えを繰り返して、やっと曲が終わった、その瞬間なのではないか………。そうだとしたら、歌い終わった響きが消えるまでの短い時間と、そのあと、わたしが「ありがとうございます」と言ったり誰かが拍手をし始める前の一瞬、あのあたりまでが、歌が完成になって満ちている状態なのでは………。

そういうことで冒頭の言葉に行き着く。「歌って余韻が一番大事」だ。そこにひとつの完成がある。でも、同時に、その一瞬の完成は瞬く間に消える。一番大事だけど、かなり儚い。
 
でもそれがいい。歌なんて、それくらい何でもないものなのだと思う。友人宅にて、夕方に差し掛かる頃、友達が作るカレーが出来るのを待つ間に、ポロポロとギターを弾きながら即興で歌っているのをそばにいたもう1人が意外と聴いていて「いい」と言ってくれて驚いたりする、ああいう何でもない瞬間は、いちばん歌が歌の姿をしているといって過言ではない。そして、緊張しながら人前に立って歌うライブでも同様に、歌い出した歌は、流れる季節のように引き止めることができない。
曲の完成は歌詞が定まった時かもしれないし、歌を何らかのメディアに記録することはできるけど、それはあくまでも曲とその録音であって「歌そのもの」ではないような気がする。
 
わたしは、やっぱりシンガーソングライターというよりはヴォーカリストだ。曲ももちろん大切に作っているけど、言葉を歌う行為のほうに重きを置いている。歌うということそのものにやっぱり惹かれている。火や風の類と同様に、歌は現象であって、その場で起きて、なくなる、ということにグッと来ている。




最後に、伝わるという部分について。
 
言葉のある歌を歌っていると、意味が伝わるって何なんだろうか、ということを考えざるを得ない。ここから先で書くのは、わたしが歌について考えたことというよりも、他者とのあいだに生成される歌の体験について考え中のことになります。まとまってません。
 
秋、あるリハーサルをしていた時、一緒に演奏していた2人が「田上さんの曲、たくさん一緒に演奏してるしさんざん聴いてるはずだけど、あんまり歌詞の内容わかってない」とケロッと言ってきた。何よりも歌詞を一生懸命書いている作者としては「ええ〜〜っ(ズコーッ)!?」である。2人が当たり前のように悪びれもせずに言うので続きを聞くと、メロディと一緒に声の質感とかを聴いてるだけでかなり成立していて、そのうち後から少しずつ意味がわかってくる、という感じらしい。そういう聞き方をする人もいるんだ!と新鮮に思った。

というのも、夏ごろにライブを聴きに来てくれた友人が「さっきの曲、ゴミなのかなんなのかわからないような腐ったほにゃほにゃ〜、って歌詞の、ほにゃほにゃ〜の部分が、メロディの音が低くて聞き取りきれないけど、聞き取れなさが、ゴミなのかなんなのかわからないそういうもの、というのを描写してておもしろかった!」という感想をくれたことがあった。彼女は演劇を長年やってきた俳優である。わたしは、初めて聴いたばかりの初見の歌の歌詞をそんな深くまで汲み取れるってすごい…と思った。考えてみれば、そういえば俳優というのは、たいていの観客が一度しか見ない演劇というメディアで、基本的に一度しか聞かせることができないセリフを、その意味をなるべく確実に届けるという仕事を普段からしている。裏を返せば、彼らも何らかのパフォーマンスを見聞きする時には着実に意味を汲むような見方をするのかもしれない。もちろん全然ちがうタイプの演劇人もたくさんいるだろうけれど、個人的には、演奏の直後に歌詞の意味に関する感想を聴かせてくれる人の演劇人率はちょっと高いような気がする。

その会話のなかだったか、違う人との会話だったかいまいち思い出せないが、やはり俳優の友人と「言葉が届いた瞬間、みたいなのってなんかわかるよね」という話をしたこともあった。これは本当に全くうまく言語化できないのだけど、客席の後ろのほうであろうと前の方であろうと、物理的な距離はあまり関係なく(つまり表情が見えるとかはあんまり関係なく)、今の自分のパフォーマンスが、あの人に到達した、あの人の琴線に触れた、みたいなことが、ふとわかる瞬間というのが、たまにある。勘違いとか思い込みかもしれないけれど、今のところあんまり外れている感じはしない。

あの感覚って、なんだろうな、全然わからないけど、上演とかライブという形の表現を夢中でやっている人間たちにはある程度共通のあるあるなんじゃないかと思う。

大昔に大学に捨ててあった雑誌を拾って読んだ、誰だか忘れた落語家の名人のインタビューにあった言葉を最近思い出した。
「自分の芸がちゃんとウケた時、客席のみんなが一斉に笑うほんの一瞬前、全員が息を吸う短い沈黙がある。それがたまらなく好きだ」と彼は言っていた。カッケー!(もともと落語には疎いのでそれが誰だか覚えられなかったのが本当に申し訳ないですが)ウケた瞬間そのものじゃなくて、その手前の沈黙にグッと来ている、というのが、いかにも実際に現場でやっている人間の発言らしい。わたしが最近少しずつ感じられるようになってきた、歌の、歌そのものじゃなくて、それが消えゆく時の感じとか、残響とか、何より、積み上げた歌が終わった瞬間の余韻とか、そういうものを味わう感覚と、近いような気がする。

歌は余韻が1番大事などと冒頭で宣ったけれど、歌って、つまり、聞かれた時に、一瞬だけ完成するものなのかもしれない。歌い終わった時ではなくて、聴かれ終わった時だ。聴く人が耳を澄ましているなかで、音が終わった、あの沈黙。昨年たくさんライブをやった、とわたしは思っていたけど、そんなんじゃない。たくさんの人に聴いてもらったのだ……。マジで謙遜とかでなく、わたしは歌のこっち側の半分しかやっていない、ということが、やっと、はっきり実感として迫ってきた。

この場を借りて急にお礼を書きます。昨年いっぱい歌ったわたしのいくつかの歌は、聴いてくださる人の数だけ、新しいイメージを浮かべ・消え、を経験して、すごく育ったと思う。
 
通りすがりや偶然で耳にした人もきっと大勢いた。そういえば金沢の犀川沿いで歌った(※10/9『原っぱ運動会2023』)時は、近くのアパートで窓を開けていたら歌声が聞こえたので急いで聴きに出てきました!という方がいらして、感激した、あまりにも嬉しかった。ありがとうございました。毎月の弾き語り企画に繰り返し足を運んでくださる方がいたり(これも本当に筆舌に尽くし難い感情で、大袈裟でなく生きる力になっています)なんとなく聞いてくれていた人もいたし、ほとんど感想を告げずに去った大先輩がいてわりと凹んだこともあった。終演後に客席に行ったらボロボロに涙している方がいたこともあった。めちゃくちゃ笑顔で踊っていた方も、言葉はわからないけど、と熱心に聴いてくださったアメリカの人も、ああ〜寒い公園で半ばしょんぼり練習していたのを近くでいつのまにか聴いていた知らないお兄さんに英語で褒められたこともあった、11月だ、涙が出るほどうれしかった…。

わたしは、思い出せば書ききれないくらいの人たちと、歌を介して一緒の時間を過ごしていた。本当にこれは、すごいことが起きている。歌ってこんなふうに出来事を起こせるのだ、ということ、に、驚く機会が、あまりにもたくさんありました。一曲5分くらいっていうほどほどな単位が、一緒に過ごしやすいんだろうなあ、ずるいぐらい良くできたシステムじゃないですか……?先人たちいつもありがとう


長々になってしまったけどそろそろ終わります。引退するんか?みたいな熱さで書いてしまっていますが、今年も続けていくので、どこかでお会いできたら嬉しいです。

ちなみに4〜5月頃はライブをやらずに過ごす予定なので、3月までに一度、是非ライブにお越しくださ〜い!遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。