バッド全部おいてく大晦日

今朝は、12月31日ってだいたい晴れるよね、って感じの東からの朝日に起こされて、久しぶりに朝から実家の近くの桜並木をジョギングできて嬉しかった。寒かったけど、アスファルトじゃない土の地面は踏むたびに心地よかった。人も少なかった。
 

先日、友人のライブを聴きに行った時に会った人(共通の知人が多い)に「こないだのnoteを読みました」と言われた。noteじゃなくてブログだよ〜んと思いながら、アハハありがとうございますお恥ずかしいですえへへ…なんてとりあえず言ってみたりしたのだけど、正直、けっこう嬉しかった。

このブログは、だいぶ前(2015年)から地味に続けている。自分の魂の救済のために書いているという、かなりの純度でただそれだけのものだけど、意外と人に読んでもらえているっぽいらしい。「更新しました」とツイッターに書いても毎回それほど反応がないので、たいして読まれていない感じがしているけど、会うと、ツイートに反応していなかった人からも「読んでます」と言ってもらえることがある。これは、正直「ツイッターみてます」より10000倍くらい嬉しい。というかツイッター見てますは別に嬉しくない。

そう、そのツイッターに散々、苦しめられています。わたしはいつしかツイッターをやめたいと思い続けている。でも、私は何かをする時にしっかり心が納得しないと行動に移せないし力を発揮できないタイプ(カリスマ整体師に言われた)なので、いまだに「何がそんなにしんどいのか」考え続けて、やめられずにいる。それで、今回は自分が思うツイッターの悪い部分を書いていたらアホほど長くなったので、一回全部消して、ブログと比べながら箇条書きにしました。


ツイッターには、文章ごとにアイコンが表示される。あれによって全部「その人の発言」みたいに響いてしまう。自分自身もそのように錯覚するため、自分が思ってもないことを書いたりすると、心を蝕まれる。

→ブログにはアイコンがないため、テキストは独立したコンテンツになれる。よって、多少の嘘をついてもバレないし罪悪感もなく、自由に書ける。

・2021年のツイッターには凄まじい正しさの圧力があるため、あらゆる観点からみて適切な発言が求められる。これに晒されながら言葉を記し続けていくと、ツイッター的な正しさ(もはや社会的な正しさではない)が思考回路にまで侵食してきて、何かを考える時に足枷になる。(正しさチェックは最後でいい。考える時はエゴ全振りでいかないと思考が進まない)

→ブログは、たいして拡散しないし、誤読が怖くなるほどまでに短文を強要されることもないため、そういった圧力がない。恐れずに書きながら考えることができる。


あんまりきれいな箇条書きにならなかったけど、ブログのほうが精神衛生に良いということだけははっきりしている。

過去にわたしは、たいしてやりたくないことを無理にやって心が死んだ体験が何度かある。一番ひどかった時はそれによって人生最大に体調を崩したので、もう二度とそんなことはしない、というつもりだった。でも、いつとは言わないけど今年、あんまり良くないと思いながらある企画に関わった時、そのことについて人間関係に気を遣って有意義な時間だった雰囲気でツイッターに書いたのをきっかけに、かなりバランスを崩して相当長く引きずった。これはツイッターがなければ起きなかった事件だけど、でも、よく考えたらこれは仕事を選ぶ自分と、仕事をやる自分の問題だ。ツイッターがうまくいっていないというよりも、仕事がうまくいっていなかったのだ。

音楽とか美術とか、そういうことをやっている人たちにとって、ツイッターは宣伝と営業、社交の場のひとつだ。仕事だと割り切って、ニコニコやったほうがいい。こんな片隅で、個人的なブログをだらだら書いているのは論外だ。オワッている。でもわたしにとっては、音楽とか美術とかがおもしろくて切実で、かっこいいものだから、それを扱う自分の言葉に実感が載っていなかったり嘘があったりすると、本当に許せなくて、なんて言ったらいいんだろう。自分が音楽や美術に対して抱いている畏敬の念とか信頼の透明度が、ざーーっと凍って濁っていくような感じがする。

ツイッターは、そういうことを強要してくる一面があってやっぱりつらい。そう簡単にいろんな複雑さを言葉にできないです。つまり広報が下手ということなので、そこは考えなくちゃいけないのだけど、でも広報よりもずっと大事なはずの、自分が作ったり歌ったりすることに支障が出るのは本末転倒だ。ツイッターに書き込んだ「しばらくログアウトします」と言った期限の一月末まで、約1ヶ月あるので、今度こそちゃんと対処します。宣伝とか、どうしたらいいのか絶望的にアイディアがないけど…。とりあえずインスタグラムかな。アイディアやアドバイス募集中です。


今日はもう31日なので、実家に帰ってきていて、リビングから紅白歌合戦が聞こえてくる(今はもうゆく年くる年)。さっきBUMP OF CHICKENがめっちゃ懐かしい曲を演奏していた。氷川きよしはちゃんと聴いた。今年もめっちゃ良かった。
今年は、環境の変化とか体調の悪さとかを言い訳にしょんぼりしたりへとへとになったりして、もう辞めようかなあとか口走ってしまっていたが、そんなのは2021年に置き去りにします。
 
これまで、いろんな12月31日があった。バリで1人でいた時は、なんか、寂しかったけど、誰もわたしのことを知らない街角で花火があがるのを、同様に立ち止まっていた知らない人たちと一緒に見上げたりして、清々しかった。Tシャツ着てました。両親と姉と実家で正月を過ごすこともだんだん当たり前じゃなくなってきてしまって、人生が進むにつれてどんどん複雑になっていくのを実感する。来年はどうだろうな。

2022年は、本当におもしろいと思えることを厳選して本当に最高!と自分で言える仕事をやる、さもなくば死、という気分です。楽しいことを、ふたつは具体的に考えてる。あとは来年になってから考えます。あと、進行中のめっちゃ楽しいやつも暖かくなってきた頃にお知らせできそう。こういうこと一緒に企んでくれる仲間がいて本当にうれしい。

あと少しで、また知らない1月1日が来ます。今年は友人とぞろぞろ連れ立って寄席に行くことになっているのでめっちゃ楽しみです。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。ジャジャーン!