「夏の最後」と「この秋最初」の混じる道


最近ちょっと贅沢な息抜きをするようになってしまった。家で色々やることがある時に、おもむろにiPhoneだけ持って家を出て、交差点を渡ったところにある近所のセブンイレブンに行き、そこでコーヒーだけ買って帰ってくる、というものだ。ペイペイがあると財布を置いて行っても買い物できるのですごい。

セブンのコーヒーマシンは「濃いめ」「ふつう」「軽め」と、味が選べる。今まで「普通」しか選んでいなかったけど、金沢でお世話になったUさんが「あると「濃いめ」選んじゃいますね…」と言っていたので試しに飲んだらおいしかったので、わたしも「濃いめ」派になった。あのセブンのマシンって、カップをセットしてボタンを押した後の、豆を挽いているっぽい時のにおいがうれしくて、個人的にはドトールとかスタバでコーヒーを買う時よりも満足度が高い気さえする。(コーヒーが紙コップに注がれているあいだ、マシンについている透明の扉が開かないようにロックがかかるのだが、それをわたしがクイクイと指で軽く引っ張ってマシンを急かしている(マシンを急かしている…?)のを一緒にいた友人に見られて「それやる人、初めて見た(≒田上お前はせっかちすぎる、落ちつけ)」と言われて恥ずかしかったのも、最近の記憶だ。)

ともかく、セブンコーヒーに関しては、うちから7分くらいで行って買って帰ってこられる。一杯110円なので「贅沢」と呼ぶにはささやかなものだが、これは実際めちゃくちゃ都会ムーブだと思うし、そんなことにお金を使っている場合じゃないだろうと我ながら呆れるし、コーヒーぐらい家で自分で淹れろやという感じもするのだが、その後ろめたさではかどってしまう。好きなミュージシャンがエッセイに「毎朝、起きてすぐコーヒーを買いに家を出るとしゃっきりするのでハマってる」と書いていたから、その真似っこ気分もちょっとあるが、朝一番ではないので普通にぜんぜん下位互換ルーティーンだ。

そんないつもの交差点を今日もコーヒー片手に通りがかった時、プラタナスキンモクセイが同時に香っているのに気がついた。驚いて歩調が緩んだ。交差点をもう少しで渡りきるあたりで、ほとんど立ち止まりそうな遅い歩みになって、鼻の感覚に集中する。えっ!?こんなこと本当にあるんだ!!季節の香りの交差点じゃん!!!詩的すぎる!!!とテンションがあがった。その勢いでこれを書いている。なんか全然すてきに詩的に書けないんですけど、夏の終わりと秋の始まりが、同時にしっかりそこにあった。



今年の6月、ある用事が済んで場が解散した後、帰る駅が同じだった仲間の一人と、コンビニでビールを買って飲んだことがあった。
その友人の「ワンカンの機運ある?」という提案の仕方が初めて聞いたフレーズで、ほんの一瞬だけ間をおいて「あっ、1缶ってことか」と理解したのが印象に残っている。私たちは夕飯も食べ損ねていたので、なんか焼き鳥くらい買うか〜という感じでセブンに向かった。粋なんだかダメな大人なんだかわかんねえなと思いながら、人通りの少ない路上のちょっと奥まったところで、電車がまだあるかとチラチラ時計を確認しながら、1時間くらいだろうか、おしゃべりしながら飲んでいた。

6月のその日は「外が寒くないってマジで嬉しいね」と、まだ新鮮に言いあうような頃だった。ただ屋外でのんびりできるってだけで最高だよなあ。別に空気がおいしいってわけじゃないんだけど、外気ってうれしいよね。行き交う車も人通りも、もうそんなになくなった時間帯の路上は、まさしく都市の隙間という感じで、ちょっと得意な気分になった。そういえば路上で飲酒しても捕まらない国というのはすごく少ないらしい。

そのおしゃべりをしていた場所の、すぐそばに街路樹が植わっていた。わたしはその時、なぜかそれをカツラの木だと思って、これはもうちょっと季節が進むと秋にいい匂いがするやつだよ〜^^と、聞かれてもいないのに友人に向かってドヤ顔で説明していた(「ちょっといいセリフ」みたいに言ってた気がする)。しかし後日、なんか違う気がするな………という気がフッとよぎったので、あの日路上飲みしていた場所をグーグルストリートビューで確認した。すると、やはりわたし(状態:酔っ払い)の樹を見る目は全然ダメで、それはカツラの木ではなかった。プラタナスだった!(※本当に全然違う)
わたし嘘ついてるじゃん!と知って恥ずかしくなったので、その日一緒にいた友人に「あの木、違いました」とLINEを送ったが、そもそも、その晩にもたいして膨らまなかった話題を後からわざわざ掘り返していて、最初から最後まで自己満足にもほどがあった。すみません。そして、その時に「プラタナスは、夏にもっと臭いやつ」「どんなにおいだっけ」「ヨダレみたいなにおいの」「ふーん」みたいな短いやりとりをして、ああ、そういえば、そうだ、プラタナスのにおい、次にみつけたらちゃんと嗅いでおこうと思った。

そんなことがあったので、この夏は、そこここでプラタナスのにおいをかぐたびに「あ〜〜これこれ」と、思い出だけが少しあるなんでもない路上のことを何度か思い出した。6月のその晩にはまだプラタナスはにおっていなかったはずだから、これは思い出のにおいですらない。しかも、わたしが本来したかった話は、このプラタナスの臭いようなにおいではなくて、秋のカツラの木の甘いにおいの話で…、要するに、なんだかわたしのなかで絡まってぐちゃぐちゃになっている。「木の匂い」というところでだけ、ひとつの網にかかっている。



そういう風にプラタナスの匂いをずっと気にしてこの夏を過ごしていたが、つい数日前、いっせいに街中のキンモクセイが香り始めた。たまたまその日は東京のなかの3つの街を1日で移動したのだけど、どの街でもキンモクセイが香っていた。あれは、イチョウの銀杏に次いで、秋の木の香りの代表格だろう。多くのファンを擁するその香りは、プラタナスやカツラよりもずっと多くの人に認識されているため、人に「キンモクセイの香りだね!」というとたいてい伝わる。今のところ全員「ね〜」と言ってくれる。

そんな秋の香りと、夏に散々かいだプラタナスのにおいが、うちの近所の交差点で交わるということに今日気がついて、めちゃくちゃグッときたのだった。

雨上がりの午後のキラキラした光のなかで、アスファルトの白く塗られたところを踏みながら、プラタナスは目視で確認できたが、キンモクセイは、あ〜あのへんにあったと思うけど、あんな遠くから届くんだ、すごい。など、心の中でぶつぶつ言いながら、ゆっくり渡った。

わたしは、以前からこの交差点を渡る時、たいていちょっと気分がいい。自分が車を運転するようになり、信号で止まっている車の先頭の運転手からは歩行者の姿がすごくよく見えていると知ってからというもの、わたしは、自分が歩行者として横断歩道を渡る時、なんだかちょっと見せびらかすような、得意な気分でかっこよく歩いてしまう。
これを人に話すと「パフォーマーすぎるw」といって笑われるけど、でもやっぱり、あの交差点は特に、大きな片側2車線ぶん、最大4台、それに後続車も全部止まるから、夜なんて特に、わたしの歩く道をヘッドライトが左右から照らして、まっすぐな車道は右を見ても左を見ても、景色がひらけるようにぐーっとのびていて、良いんだ。
そんな交差点に新しい発見が加わった、というご報告でした。気分がいいと、気づけることが増えます。