被暴言体験と反省


寒さのせいかなんなのか、最近とても心が厳しい。
 
二週間くらい前に限界の精神状態で帰っていた自転車で、暴言に近いひとりごとを絶叫しながら帰ったら、なんかちょっとスッキリしたということがあって、それからちょっとそのハードルが下がってしまった。以後、ひとりごとを大声で言う、ちょっとでもムカつくことがあったらすぐ舌打ちをしたり人を睨む、など、1人でいる時限定で、しばしば別人みたいに感じ悪いヤツになっていた。それがちょっとクセになりかけていることを思い悩んでパートナーに話したら「やめたほうがいいよ」と言われた。ですよね。でも、そうでもしないと、なんかぶっ倒れそうというか体が爆発しそうで、物とか壊してしまいそうなんだよ、簡単にやめられたら苦労しないぜ…、と思っていたけど、今日、さすがにマジでやめたほうがいいと思った出来事があった。


昼に近所をジョギングしていた時のことだ。ランニングコースのある大きな公園までチャリで15分行くのが億劫だったので近所の、わりと長くまっすぐな比較的走りやすい道を走っていた。自転車用と歩行者用で半分に色が分かれている幅の広い長い道だ。そこをひとしきりいって、折り返して帰る向きで走っていた時、道沿いの家の玄関に座って路上を眺めていたおばあさんが、突然、明らかに私に向かって「〜〜勘違いしてんじゃねえぞバカが」みたいなことを言った。びっくりして振り返ると、目が合った。まさか振り返られると思っていなかったんだろうか、しっかり目があって、向こうも驚いていたように見えた。そして、そんな暴言を吐くにしては、おばあさんはずいぶん小さくて、自信のなさそうな姿勢で、それが輪をかけてわたしを混乱させた。

とりあえず顔を前に戻して走り続けた。突然のことで衝撃ではあったけど戻って問い詰めるほどではない。あの人が言っていたのは、ここは運動場じゃないんだぞ、勘違いしてんじゃねえぞ、ってことだろうかと想像して、わりと幅の広い道だし人通りの少ない時間帯だけど、迷惑かけてることになるのか…?と釈然としないまま、少なからずイライラしたので、「ふざけんなクソババア」ととりあえず言ってみた。

でも、口喧嘩なんか普段やらないし、おばあさんが言い返してくるわけでもないので後が続かず「可哀想なやつだな」とか、キレの悪い下手くそな暴言しか言えなくて、自分の声もやたらモゴモゴ濁っていて、ぜんぜん気持ちよくなかった。
それでも、もうひとこと、ふたこと、くらいまで、ひどい言葉をひどい声色で声に出していたら、情けなくなってきて、ボロボロ涙がでてきた。音を出さずに息を強く3回くらい吐き捨てて誤魔化そうとしたけど無理だった。手に持っている家の鍵をぶん投げたかったけど、昔祖母にもらった木製のキーホルダーが壊れたら困ると思って我慢した。何かものを殴りたいと思ったけど、それも、どうせ手が痛くなるだけだからとやめておいた。もっとスピード上げて走ってやろうか、もっと大きい声で叫んでやろうかとも思ったけど、全部我慢した。でも涙は止められなかった。


走ったらきっと気分よく1日過ごせるぞ!と思って走りに出たのに、なんであんなこと言われなくちゃならないんだ!ジョギングも気持ちよくできない町はクソだ!ええい!子供の頃は「おばあさん」って皆やさしいような気がしていたけど、全然そんなことない!歳は関係なくロクでもない奴はロクでもねえ!老人の精神病ってめちゃくちゃしんどそうだな、何があのおばあさんをあんなクソババアにしてしまったんだ………、というところまで考えたら、わたしもおばあさんも同じだと気づいて、走れなくなってしまった。

人のことを悪く言ったり軽々しく暴言を吐いちゃだめだなんて子供でもわかるのに、ぜんぜん自分をコントロールできないで他人を巻き込んでいるのは、最近のわたしもそうだった。きっとあのおばあさんも色々しんどくて、自分をコントロールできないくらい疲れていて、元気に走っている若い女が恨めしかったんだろう。そういうことにしよう。ていうか、元気に走れるくらい元気なはずの自分がぜんぜん元気じゃないのは、なんで?とか、トボトボ歩きながらボロボロ泣いて、そういうことをぐるぐる考えた。日除けのためのマスクみたいな布を顔に巻いていたので、その頬のところがびしょびしょになって冷たかった。とりあえず、1人で悪態をつきながら歩いたりするのは、人に迷惑をかけるというレベルを超えて、普通にすごい暴力行為になりうるので、金輪際やめよう、ということだけは心に誓った。



家に帰って、あまりにショックだったので床に座って数分じっとしていた。後のほうは歩いていたので心拍数はけっこう落ち着いていたけどそれなりに早くて「これだと毒が回るのが早い」とぼんやり思った。そして、さっきまで動き続けていた脚の筋肉がじわじわと熱を持っているのを感じながら、シャワーを浴びようとのろのろ立ち上がって、あ〜、と息を吐いて、「歌うこと」の真逆のことをやってしまっていたんだなと思い当たった。大袈裟にいったら呪いみたいな、そんな声の使い方をやっていた。情けない。歌も暴言も、人に聞かせるとか聞かせないとかいう以前に、ひとつ残らず自分が聴いているわけで、そこで乱暴なことをやって自分に良い影響があるわけがない。
もしすっごく疲れていたら、心がバッドでいっぱいになってしまったら、ハッピーな歌を歌ったほうがいい。まあ、それもよくやっていて、ハッピーな歌ほど苦しい気持ちになるのは実証済みなので、しょんぼり帰り道のためのセットリストはちょっと真剣に考えたほうがいいかもしれない。いっそ、どちゃくそに暗い歌謡曲とか歌うのもいいかな。


ただ、なんでこんなに毎日つらいのかは正直よくわからない。憂鬱と元気の高低差が、常に見上げるほどあって、そこを駆け上がったり急に転げ落ちたりを1日の中で何度も繰り返していて、気圧の変化とか重力みたいに体に負荷がかかっている。見上げるほど、と書いてしまうあたりに、我ながら表現力がある。常に憂鬱のほうの底にいるイメージです。

寒さのせいかな。まだあと4ヶ月も寒い季節が続くことを思うと、ちょっとなんとかしないとな。
あと、こういう人間にはデジタルデトックスがマジで有効なので、限界まで耐えてからiPhoneを柔らかい布団の上にぶん投げるのはやめて、外から帰ってきたら引き出しにきちんとしまったりしてみようと思います。