ようこそのおどけ

先日、ずっと憧れていた人(ボカして書く意味がほぼないけど以下Kさん)と会って話した。
Kさんはアーティストで、わたしは端的にいって彼のファンだ。4年半前に知ってからずっと、最新作が発表されるたびに嬉々としてチェックし、SNSもフォローして活動の動向をワクワク追っていた。そして、話をめっちゃ端折るけど、近々そのKさんと一緒に取り組む企画があるので、いっちょ顔合わせ的にお茶でもしましょうということになった。夢にも想像しなかったような展開なので驚きが大き過ぎてもはや嬉しいのかどうかもよく分からないけど、とにかくはちゃめちゃな気持ちになった。それだけで一万字くらい書けそうだけどここでは割愛します。

お茶当日。わたしはかなり動揺していた。何を話せばいいのか全然わからない。朝ふと「そういえばお茶するってなんだっけ?」と思い電車の中で一回ググってみたが、ググったところで何も解決しなかった。面接試験の前みたいな緊張。いや、準備や対策のしようがないので、試験よりも怖い。自信もない。今度のプロジェクトに関して聞くんだろうという見当はつくけどそれ自体は15分もかからないはず…、個人的にこちらから聞きたいことは正直そんなにない(アーティストのファンとしては作品があればそれで充分)。嫌われたくないとか余計なことを考えておしゃべりすると失敗するから気をつけないと、これでいきなり喧嘩とかして全部おしまいになったらヤバいな、もう、そうなったらそうなったで悲しいけど仕方ない!行くしかない!と、かなり余分な覚悟まで決め、全力で涼しい顔を作ってエイヤッという気分で待ち合わせの喫茶店に行った。

店の前に着いた時にちょうど向こうのほうにKさんの姿が見えて、彼もこちらに気づいて手を振っていたのでわたしも手を振り返して合流した。
店内は昭和からあるような雰囲気で、いい意味で誰かの実家みたいだった。まあまあ混んでいた。席に座る時に店を見渡したら、キッチンとホールを隔てるカウンターの、キッチン側の壁に設られた腰くらいの高さの棚に、透明の袋に入った食パンがたくさん詰めてあるのが見えた。サンドイッチの看板メニューでもあるんだろうか。わたしは、完全に緊張している+とりあえずなんか笑ってほしい+話すことない+えっ何あれw、が全部まざって、なんの脈絡もなく「食パンがいっぱい…」と口走った。
それに対してKさんは、今座ったばかりの椅子からヒョイと腰を上げて(でも完全には立ち上がらない中腰で)、たくさんの食パンを目で確認し、「ほんとだ笑」みたいな感じのことを言ってすぐ腰を下ろしてリアクションとしたのだけど、わたしはそれをみて、こんなタイミングで完全に変なんだけど、ワッと嬉しくなった。

そのヒョイとした一瞬の動作にはうっすらと、おどけた気分が滲んでいた。ノリが良かった。それはカジュアルな動きだった。こちらのぎこちない冗談未満の発言に目の前のKさんがノってくれた…という事実が、あっけなく現前していた。
ばかみたいに大袈裟に書いてしまったけど、これは至極マジで普通のどうでもいい会話の断片で、Kさんのリアクションも真っ当で妥当、なんてことないんだけど、彼に対して「ファン」だった時間のほうがずっと長い自分にとっては、そのほんのちょっとした運動神経のよさみたいなものが、舞台上で見てきた軽やかなパフォーマンスや、作品のすっきりとした印象や随所で読んできた言葉と、繋がっている気がしたのだった。あ、同じ身体だ!と思った。当たり前に本人だった。

それからの会話は、極めて正しく前向きな話題ばかりで、本当になんの心配もいらなかった。あんなに緊張していたのが嘘みたいだった。
 
そして、その時はすごく普通に喋っていたけど、わたしには「一致した目的のために人と人が仲良くなってみようとする」ということが久しぶりすぎて、後で1人になってからその尊さを思い返し、深くてあったかい気持ちで泣きたくなった。ちゃんと友達になれそうだということが素直に心底嬉しかった。


仲良くなるってなんだっけと思う。どうやってたんだっけ。
例えば大人になると、今までこうやって仲良くなった、という経験値がだいぶ溜まってきているから、かつてやったのことあるコミュニケーションの手法をそのまま使ってみたりする。こう書くと愚行っぽい感じがするけど、でも初対面の人と良好に時間を過ごそうとするとどうしてもそうなる。Kさんと話していた時も、わたしは、こういう感じで冗談を言われたら多分これぐらいの感じで笑っていい、の加減を推し量っていて、心はずっと中腰だった。いつでも走れるし左右にも前後にも素早く重心移動できます。これぐらいの馴れ馴れしさOKでしょうか?OKっすか!ありがて〜!あっ、ここツッコミいれるとこですね?!よし!いくぜ!「(ツッコミ的発言)!」キマった〜!田上碧選手、決めました!わたしは内心ハイになっている一方で「今自分は手持ちのカードを適切に出している」という戦術的な感覚もあり、しかし持ち前のパフォーマンス力(ぢから)で平静を装っていた。
 
そんなふうに見えないと良いな、と思いながら正直かなり真剣だった。余計なことを言わないようにとマスクの内側で口をピッと閉じて黙ったりもしていた。わたしは慣れない人と話す時、会話の沈黙を埋めようと余計なことまでペラペラ喋ってしまって失敗することが多いけど、真剣に口を閉じる作戦が功を奏してか、この日は多分大丈夫だった。Kさんも変にペラペラ喋ったりしない人だったので、たまに2人とも黙ってシーンとしていたけど、ピリピリしているわけじゃなく、あれはそんなに悪くない時間だったような気がする。

むしろお互いのそういう丁寧さが新鮮で嬉しかった。ひとつひとつ順調に言葉が交わされ、少しおどけたところに小さな笑いが起きていくたび、話せることが増えていくみたいだった。「話したこと」が増えると「これから話せること」が増えるんだ、と思った。

午前中「14時50分に新宿…」と頭をいっぱいにして緊張で気持ち悪くなったり脚に力が入らなくなったり手が冷たくなったりしていたのに、気づけばあっけないほど普通に喋っていた。こうやって他の友達と喋るのと同じように喋って笑えたら、もうこの人とも友達なのでは?とさえ思った。Kさんのコミュニケーション能力の高さで見事に調子に乗せてもらっていたような気も大いにしているけど、でも自分としては、ちゃんと話すというシンプルなことを久しぶりに頑張った日だった。大人として仕事の話をちゃんとしただけ、と言ってしまえばそうかもしれないけど、気持ちは、人間として歓迎されているみたいでうれしかった。



8月の終わりくらいから一緒に作品を作っているHさんとも、最近ようやく、かなり普通に喋れるようになった。ほぼ初対面で、最初の頃はオファーをいただいたという光栄さで妙に気負って「かっこいいこと言わなきゃ」みたいな気分があったけど、それでは知っていることしか話せないような感じで、しんどくて、途中で意識的に気負うのをやめた。
ちょっと歳上の彼女がわたしを「あおいさん」と呼んでくれるのを受け取ってわたしも彼女を名前で呼ぶようにしてみたり(まだ慣れなくてたまに苗字呼びと名前呼びが混ざってしまっていた頃のソワソワが懐かしいほど、今ではすっかり名前呼びが定着した)、ご飯を一緒に食べたり映像作品を一緒に見たりして、もちろん制作がメインだけど、同じ時間をたくさん過ごして、好きなものの話をして、関係ない話もして、やっぱり笑いあうたびに何かが開いていった。ここ数日の稽古なんてもう、何もなくても細かいふざけで笑っている。Hさんもふざけてくれるようになって、先日ついに彼女の顔芸で笑う、なんてことも起きて、いよいよ仲良い。うれしい。そうなったらアイディアもかなり出しやすくなって、単に段階が進んだからかもしれないけど、制作自体も作品もグングン面白くなってきている。(12月11日が本番です!きてね)(吉祥寺ダンスLAB.5『千年とハッ』|吉祥寺シアター


どうやら、おどける、ってすごい威力がある。笑う、も当然必要だけど、おどけて笑わせにいくのは、もっと効く。おどけるのは優しさのひとつの形だと思う。別に中身はおもしろくなくてもいい。ただ、状況をおもしろくしたいという態度は、君の色々なことを許すよ、なんでも言っていいよ、という優しさに繋がっていて、目の前の人を柔らかくするらしい。
 
どちらからともなくおどけるようになってから、「いちご味のポッキーは昔から売っているけど美味しくリッチになってきているような気がする」とか「アライグマはあんドーナツが好物らしいよ」とかいった情報が、ちょっとした笑みと一緒に、ひとつひとつ「Hさんが言ってたこと」として自分のなかに増え、記憶になっていく。こういうことの真偽なんて本当にどうでもよく、つまり会話は必ずしも内容ではないということですが、そういうコミュニケーションってすごく尊い



そういえばわたしは自分の周りの好きな友人たちと、なんで、どうやって、いつのまに仲良くなったんだっけ、と思い出していたら、やっぱり彼ら彼女らは、めっちゃ一緒に笑ってくれていた気がしてきた。たくさん笑わせてくれたし、わたしもなかなか笑わせにいった。最終回みたいな気持ちになってきた!!ともかく、おどけると人間が油断するのは間違いなさそう。そして油断を重ね、相手に委ねていくことで人は仲良しになるっぽい。

一緒に住んでいるパートナーはもう10年くらいの付き合いだけど、朝から晩まで基本的にずっと楽しそうにしていて(めっちゃ良くない?マジで生涯を共にしたい)、あれは、実際本当に楽しいのかもしれないけど、何割かはあえておどけてみせてくれていると思う。おどけてみせるって優しさの最上級の態度だ。敵意のなさを示し、笑っていいよと両腕を広げて許してくれている人を前に、攻撃なんかしようと思わない。もちろんわたしもおどけて返す。おどけにおどけを返すとずっとふざけて笑うことになる。仲がいいから笑うのか、笑っていたら仲良くなるのかわからないけど、そのOKな基盤ができてしまえば、いろんな具体的なことをスムーズに進めていける。

わたしが先日「食パンがいっぱい…」と言った時にKさんがひょいと立った「ひょい」の感じが嬉しかったのは、こういうことだったような気がする。ほんとにあのKさんだ〜!という不躾なファン的感想は表面的なもので、実際はこういう嬉しさだったんだと思う。おどけてみせてくれたら、こちらもおどけていいのかな、と思える。ようこそ、ちょっと一緒に笑ったりしてみませんか?という表明をもらって嬉しくないわけがない。わたしが犬だったら尻尾を振っていました。

そういえば、後から何を話してたんだか忘れちゃうくらい、会うとお互いずーっと喋ってしまう友人がいて、一日二日一緒にいたくらいじゃ話題が尽きないし(なんなら同じ話を平気で何度もしてさえいる)近くまで行く予定があるから会おうよ!といって1時間だけお茶とかもする仲なんだけど、いつの間に、こんなに何でも話せる感じになったんだっけ。
多分、こんなことも話してみちゃおうという一歩を踏み込ませてくれる「ようこそ」が、どこかにあったはずだ。わたしが、というよりは、彼が先に「ようこそ」という開けた態度で接してくれたような気がする。いくつかの歓迎にためらわずにノれたのはわたしの勇気と自負したいけど、「ようこそ」ができる人は愛されますね。わたしも見習いたい。
 
人と人、まずはおどけて開いてみせることなんだ、というのが今回の気づきでした。おどける優しさと、ノる勇気。こうやってまとめると、頭では知っていたようなことだけど、でも、笑いのほうが先だと思ってたから難しかったのかもしれない。つまり、スベってもいいんです!
 
最後の最後で、インドネシアに行った時、仲良くなりたくても言葉ができなさすぎたので、動物の声真似(近所のギエェーって鳴く変な鶏、夜に登場するトッケーという巨大ヤモリなど)を上手に披露して笑いをとりにいっていたことを思い出した。
 
いやいやそんな原始的な方法?って感じですが、ちょっと考えてもみて…。言葉が通じるうえで奇声を発するくらいのユーモアはあったほうが豊かじゃない?というか、かなりトラディショナルな手法では?歌や踊りもそういうことかもしれない。毎日のように歌って踊っていると疲れていても笑えるから、体がヘトヘトでも気分は強くて元気だ。
なんだか楽しく人生をやっていけそうな気がしてきた。ありがとうみんな、わたしもおどけて生きていきます。ギエェー
 
 
 


自分用の雑な温もりと可笑しみ

いろんな事情が重なって経済的な余裕がなくなったので、この頃はなるべくお金を使わないように、特に食べるものを工夫している。そんな日々を共にしている「弁当」とは呼びにくいような雑な食糧があるのだけど、これがなんだか可笑しいので、今回はそのことから書いてみる。


わたしには「弁当を作る余裕なんてないけどお金もない!という場合であっても食べない(or空腹に耐える、量を減らすなど)という選択肢は1番最後までとらない」という覚悟に似た意思がある。短く言うと食いしん坊で、たくさん食べたいし食べないのはつらい。だから余裕がない時はなんとかして「食べられる何か」を持って出かけることになる。

「食べられる何か」とは。例えば「昨晩タイマーをセットして朝に炊いたけど寝坊して時間がなかったのでとりあえずラップで一食分を包んだだけの白米」。これは、味も食感も特に面白くなく、食事というには物足りないし弁当と呼ぶには手抜き過ぎるけど、確かに食糧ではある。
わたしは、こういうものが鞄から、財布やノートと同じような調子でヒョイと出てきて、でも口に入れちゃうんで〜す!というのが時々なんだか妙にツボだ。自分でやっておいてウケてしまう。全然そんなことはないんだけど、ちょっと手品みたいだと思う。同じ鞄に入っていても財布やノートは食べないけど、これだけは!なななんと!食べられるんです!

ラップに包んだ120gくらいのゴハンは、鞄の中のあらゆる持ち物のうちの食べられるもの、「食べられる持ちもの」なのだと改めて思ってみると妙な感じがしてくる。こんなのは到底「お弁当」ではない!(弁当なんか作るマメさアタシにはない!)という自虐もちょっとあるけど、わたしは「食べられる持ちもの」のことがけっこう可笑しくて気に入っている。


まさに先日、慌てていた朝、ラップで包んだ白米をポケットに入れて家を出た。目的地へ向かう道すがら隙をみてマスクを外し、そのゴハンをかじって朝食とした。これがなんだか1人でふざけているみたいな気分だった。ポケットから温かい食べ物が出てくるっていうだけでちょっと変な感じだし、一口だけかじってモグモグしながらまたポケットにしまうのも、けっこうふざけている。アニメに出てくる食いしんぼうのキャラみたいなマヌケな趣がある。
食事とか、歩行とか、そういうはっきりした動詞になっていないような行動をとる時はワクワクする。いわゆる食べ歩きというのはもっと観光とかデートで発動する楽しくて特別なやつ、ハレの場でのことを指すとして、私があの朝やっていたのは、もっと個人的で、ちょっと情けなくてしょうもないケの場面だ。可笑しいけど(可笑しいから)あんまり人に見られたくはない。

でもなぜか、朝炊いただけの何の味もつけていないオニギリ(?)って妙に美味しい。嫌いじゃない。乗り換えの駅のコンコースにある小さい売店で迷わずに選んで手に取ってSuicaを使って全行程10秒くらいで適当に買うオニギリは、あまりに現実的すぎてヒリヒリするけど、ラップ白米はなんかちょっと可笑しい。
可笑しい時は、気持ちがキラッとする。「空腹を克服する」というミッションを秘密で上手くこなしているような得意な気分になって「フフフ…」までいかない、「フw」くらいの笑いが一瞬だけ心に咲く。



かつて、屋外で庭の手入れのバイトをしていた頃は、よく弁当を持って行っていた。コンビニなどが現場の近くにないことがままあったので必要に迫られて弁当を持参していたのだけど、現場も色々で、コンビニもレストランも近くにある都市部で仕事をすることもあった。そういう日もクセで弁当を持っていくことになるのだけど、「食べられる持ちもの」の可笑しみは、こういう時に真価を発揮する。

お金を使うことを楽しむように仕向けられた都市のなかで、おしゃれなカフェやナチュラルローソン(時々気まぐれに入ると見慣れないものばかり売っていてしかも高価でびっくりする!)には目もくれず、土っぽくなった作業着で公園のベンチに座り、川の向こうのビルなどを眺めながら水筒の温かいお茶を飲み雑な弁当を頬張るのには、独特の良さがあった。もちろん天候に恵まれる日ばかりじゃない。春先の砂嵐のなか食べるはめになったり、冬の風が頬にピリピリしたこともあったし雨がひどくて業者さんの車の後部座席にお邪魔したこともあった。でもそういう環境の厳しさは納得できて諦めがつく。わたしは、都市の変なルールや狭量さのほうにはあんまり納得できない。だから、都市の想定からちょっとずれたところで、空気を読まずに安上がりで雑な食糧をモグモグ食べるのが好きだった。こういう時には(資本主義をはぐらかしているとまでいうとまあ嘘で、全然逃れられていないんだけど、それでも)ちょっとずるく、消費社会の激しさや厳しさの隙をするりと抜けて、ケロケロ笑っているみたいな感覚があった。気のせいだけど、好き勝手に生きていられているような。


多分、社会のなかでの食べ物ってけっこう意味のない限定をされている。定番があって、様式がはっきりしていて、普通やらないでしょ、がたくさんある。だからちょっとふざけるとすぐ変な感じになって可笑しい。

わたしたちは、各々程度の差こそあれ、ルールのなかで動く楽しみ方や安心と、自分勝手な振る舞いとを使い分けながら生活していると思う。レストランで食事をする時と、ポケットにラップ白米をいれて歩きながらかじったりすることとは、同じ食事といっても全く違う。前者の食事には、テーブルがあってきちんと皿があって食器があって、というような様式があるけど、自分用の「食べられる持ちもの」には、そんなルールはない。家に1人でいる時、即席ラーメンを鍋で作ってそのまま食べるのとかもこっちだ。ドンブリに盛る、という様式に従うのが楽しい時もあるけど、生活者には「そんなんどうでもいいよ!」というちょっとした怠惰や知恵もあって、これって少し可笑しくてイイのだ。ほんのうっすらとした反抗とか工夫とか、そういう独立っぽい気分が染み込んでいる。

ルールを破る、というと語弊があるけど、決まったこととか思い込みとか、そういうのを疑ったりグニャっとさせること、ユーモアみたいなエネルギーの逃し方を試していくのはけっこう健康的で、生活的で、もしかしたらちょっとだけ創造的なのかもしれない。

インドネシアや台湾に行った時、屋台や出前でラーメンをテイクアウトで頼むと、ビニール袋にピチピチに入れて口を縛ってくれた。あれはふざけているわけじゃないけど、最初はその見た目のイケてなさに「ゴミみたいw」と笑ってしまった記憶がある。家で食べる前提なわけだけど、これなら絶対にこぼれないし、食べた後に捨てるものが嵩張らなくて機能的だ。新大久保でも同じスタイルに出会った時にはなんだか嬉しかった。逆に、東京に引っ越してから近くの店でラーメンをテイクアウトしてみたらドンブリみたいな形の蓋つきのプラケースに入れられて、自転車で家までの3分くらいの間に袋の中がベシャベシャになった時にはちょっと残念だった。様式を優先させた結果しょうもないことになってバカみたいだと思った。

ちょっとヘンでもいい、みっともなくてもいい、という姿勢はけっこう大事だ。実はこっちのほうが気位が高いかもしれない。様式や常識などの、ほとんど意味がないものに疲弊させられている時、わたしは自分なりの「食べられる持ちもの」がそばにあると、何かが少しほぐれる気がする。


最後に変な話。わたしは大学受験の本番の筆記試験の時、丸くなった消しゴムと、ミルキーを並べて机に置いていた。ミルキーというのは白くて丸い形の、キャラメルと飴の中間のような食感の小さなお菓子で、消しゴムと並べて置くとどっちも同じく消しゴムに見える。わたしは当時、受験勉強のストレスを発散するために毎日飴を大量に食べていたので、常に「ミルキー」と「小梅(梅味のキャンディ)」が鞄やコートのポケットに入っていて、ええと、つまりそれは計画的な犯行ではなかった。

これをわたしが試験中に口に入れるのをもし試験官が目撃したら「あいつ消しゴム食べたぞ!!」って思うかもしれない、と期待してそうしていた((マジで意味がわからない))ような気がするが、ただ単に一人でふざけていたのか、そうやってワクワクすることで緊張を紛らわせていたのか、めちゃくちゃ動揺して奇行に走っていたのか、何かの反骨精神だったのか、18歳の自分の真意は今となっては謎である。でも「あいつ消しゴム食べたぞ!!」って思われるかもしれない、と想像してこっそり「フw」ってなったことだけは覚えている。試験に集中しろよ!食べたタイミングは忘れてしまったけど、まあ、やってみたらあっけなかったから覚えていないんだろう。


大人同士でルールを守って働いたりして真面目に社会生活をやっていると忘れてしまうけど、そういえばわたしなんてこんなもんなんだった。
ああ〜そうだったね!自分がこういうふざけた奴であるということは毎日思い出したほうがいい!

包み紙を剥がしたミルキーをすぐに食べずに机にちょこんと置いちゃってみるとか、ポケットにホカホカの白米を忍ばせているなんてことは、全然たいしたことではないのになんだかちょっとだけ可笑しくてイイ。「善い」ことじゃなくて「イイ」ことって感じ。おすすめです。別に何にも悪いことをしていないのに、食べ終わると「証拠隠滅」みたいになるのも脈絡はないけどテンションがやや上がる。イイ。(そういえば「名探偵コナン」に冷凍した魚だか氷だかで人を撲殺する回があったような気がする)(嘘かも)

食べ物で遊ぶな!と小さい頃に言われたような気がするけど、自分が大人になってしまったら、そのあと自分で食べるんだから別にいいだろう。適度にふざけてグニャッといこう。生活の端々は、ちょっと変なくらいが楽しくてイイ。



星と星をつなぐもの

一年くらい前に東京へ引っ越してから日頃よく通るようになった大きな交差点がある。そこは駅前の繁華街の一角で、最近は閉店したデパートを解体している。

夜にその辺りを通ると、若い酔っ払いやキャッチ、手に紙とスマホだけを持った女の子などがたくさんいる。早朝に通ると昨日の続きを起きている人たちがタクシーに乗り込んだり体を支え合ってふらふらしたりしていて、その間を縫うように仕事へ向かう様子の人がサッサと歩いている。開店前のスーパーの前に客の行列がある。もうちょっと遅い昼になると急に人が少なくなる。Tシャツに雑なサンダルをはいた地元っぽい人がどこからか急に現れて、目的がよくわからないけどなんか居る。ここはアジアの一角だな…という気分になる。時間帯によってかなり雰囲気が変わる界隈である。いつもなんとなく臭いし、決して気持ちの良い区画ではないけど、毎日のように通っていたらなんとなく親しみを感じるようになった。

もうひと月近く前になる。夜、いつもの大きな交差点を自転車で通りかかり、信号待ちをしていた時。車道から一段高くなった歩道の、ガードレールのようなものの車道側に、誰かの吐瀉物がぶち撒けられているのに気づいた。オエーッ最悪!という気分になるにふさわしい鮮度と量だった。わたしは自転車に跨ったままのそのそ後退してソレからちょっと距離をとって、信号が青になるのを待った。某感染症の流行の勢いがかなり増していた頃だったのもあって、他人のそういうものを見るのは輪をかけて不愉快だった。

次の日もその道を通ると、同じものがまだそこにあった。まじまじ見たわけではないけど、明らかに昨日からほったらかしで、真夏の強い日差しで少し乾き始めているのが分かった。あーあ、誰も掃除しないんだあ、と他人事って感じでそう思った。こんなにハッキリと目の前のことを他人事だと認めたのは自分にとって珍しかった。
その後、雨が少し降ったことで吐瀉物は溶けて流れたようで、数日たって三度目に通った時には、ほぼ跡形がなくなっていた。それでも、「数日前にここで誰かが吐いた」と知っている人間が見れば、まだギリギリわかる程度に痕跡があったのが意外だった。一度の雨ではきれいにならないらしい。


そんなことが、究極にどうでもいい一コマが、なぜだか忘れられないまま夏も終わろうとしている……。あれは別にいい記憶でもなく、悪い記憶ですらない真に瑣末なことだというのに、わたしはあの道を通るたびに、数日続けて視線をやっただけの他人のゲロを何度も思い出すようになってしまった。いらな過ぎる記憶だ。こういうことで、脳のストレージをかなり無駄に食っているような気がする。

そういえば「あの道と吐瀉物」と同じようなことは考えてみたらいくつかある。街の中で日頃から目にする看板や標識やら建物やらから一度連想してしまったことを、それ以降毎回思い出す。困るようなことではないけど変な感じだ。
例のゲロ交差点から、飲み屋で一度しか会っていない人のあだ名と同じ表記のアルファベット二文字の看板が見えて、そのたび必ずその人を思い出してしまうというのもある。その人は多分もう会うことのない友人の友人なんだけど、失礼ながら、こんなにどうでもいいこともなかなかない。その人に対して好きとか嫌いとか、なんらかの感情が一切ない。そこまで考えて、「いらないこと」かどうかって、どうやって決めてるのか?という反論が頭をかすめるんだけど、いや、でも、さすがにいらないでしょ、そんなのは。思い出すのが大切な人とか好きだった人とかだったらわかるけど、こんなに軽い記憶はなくなっても困らない。

最近一緒に制作している人と話していて、わたしはいろんなことを、捨てて捨てて捨て続けてそれでも残ったもので何か作ろうとしているんだというのが言語化されたが、捨てる必要を感じるほど一旦手もとに(頭もとに?)残してしまうものが多いのかもしれない。

でも、これは日々の全てを緻密に覚えているとか、そういう天才っぽいことでもない。記憶の点と点同士をつなぐ回路が安易に繋がってしまいがちなだけだ。想像の回路はすごく短絡的だ。あの日ゲロを見た場所!とか、あの人のあだ名と一緒じゃん、みたいなしょうもない連想。たぶん多くの個人にとって、記憶と連想なんてそんなもんだとは思うけど、本当に、見えているものとそこから想像するものって、必ずしも適切な繋がり方をしていない。ああ、でも、だから面白いのか。

見たものと連想はどうとでも繋がれる。表現ってそういうことを担うんだと思う。
そういえば最近、これとは全く逆のあり方で夜景を見たことがあって、それが良い体験だった。見えているものが判然としなくて、それがなんなのか当てようと想像を巡らせる遊びだった。だいたいの時、見えているもののほうが想像よりもはっきりと確かだけど、夜の船から見る街や橋の星座のようなキラキラはもっとずっと漠然としていて、それを解読するみたいに想像力を使った。あの時は見えているもののほうがぼんやりしていた。順を追って書きます。


先日とある仕事で、船に乗って東京都の大島に行った。夜行便で出て朝に着き、午前中にミッションを終えて午後3時半のジェット船で帰る、というほんの短い旅程だった。

行きの船が出発する時刻は夜中の23時。JR浜松町の駅を出た時からすでに周囲にはキャリーケースを転がす若い男や女のグループが目立った。たまに家族連れや、大きなバックパックにフィンをくくりつけたダイビング目的らしき人もいたけど、おそらく大学生の旅行客がいちばん多い印象だった。
出発30分くらい前、同行する2人と竹芝の船着場で合流して、チケットに住所氏名など書き込んでいるうちに時間がきて、船に乗り込んだ。人生初の夜行船だ。船はメチャクチャでかくて、たしか6階建て?くらいで、小さいショッピングモールくらいの規模があるような気がした。
チケットに書かれた番号と案内板を見比べながら船内を進み、該当の部屋に着いた。番号ごとに指定の座席があるのかと思いきや、カーペットの床の8畳くらいの小さい部屋の左右の壁に四人分ずつ、人間ひとりの幅を想定した浅い仕切りがつけてあった。乗船前に「雑魚寝みたいな部屋」って言ってたのコレかあ、と知ってちょっと覚悟を決めた。部屋にはすでにマリンスポーツガチ勢っぽい夫婦の先客がいた。玄人っぽい2人はすぐに寝る体制に入っていた。私たちはそこに荷物を置いてから、3人で夜風がごおごお吹く甲板へ出た。

甲板からは東京の湾岸の夜景が見えた。近いビル群、おそらくオフィスビルタワーマンションの大きな影と窓の明かりが手前と奥に折り重なっているのをみると、わたしは昔テレビの自然番組で見た、ブラジルかどこかにあるという夜半になると光る蟻塚のことを思い出す。人間もここから働きに出て、帰ってきて眠り、また働きに出るんだからまあまあ似ている。

周りには、その景色と自分たちを写真に収めんとする若くて声の大きい乗客が大勢いて、風が強い屋外とはいっても、最近コロナにビビっているわたしはなんとなく近寄りたくなかったので、甲板の東側の通路へそれて、遠めの夜景を眺めていた。最近ちょっと健康に気をつかっているので、もうすぐ寝るんだしってことでお酒は飲まずに、ただ手すりに体重を任せて立っていた。一緒にいた2人はお酒を飲んでいて、少し喋ったり、代わり番こにお酒を買いにどこかへ消えたりしていた。

まもなく船が動き出す。声の大きい若者がチューハイの缶をこぼしそうにしながら何をそんなに、というくらい盛り上がって大笑いしている。小ぶりのミラーレスを持っている男の子が写真係みたいになって仲間を撮っている。

船が動き出すと、さっきまでどっしりそこにあった夜景もじりじりと動き始めた。手前と奥のある夜景が動くとけっこう複雑な立体感が出て、立ち止まって見る夜景とは全く趣が違った。これから東京湾を南下していく船の東側からは大量のコンテナを積み上げるクレーンが休んでいるのがたくさん見えた。
こういう景色自体は、初めて見るわけじゃなかったし、もうちょっといくと幕張とか千葉のほうが見えそうだな〜、くらいに思って、心の温度はわりと低めで引き続き海の向こうを眺めていると、今回の仕事の案内をしてくれているTさんが「あっちのほうがたくさん光ってるのに、そんな暗いところばっかり見て何が楽しいんだか」と言う。ちょっとムッとしたけど、大学生が大騒ぎしている甲板のほうに行きたくないのでわたしは「いえ、けっこうおもしろいですよ」と返して、7割は実際おもしろく、3割くらいは意地っぱりでその場に居続けた。船がレインボーブリッジの下をくぐって、また歓声があがった。

Tさんの言う通り、そこから先も景色はほとんど真っ暗だった。でも「あの建物は東京ビッグサイトじゃないか?」「あれは去年なんとなくのノリで歩いて渡った橋だ、葛西臨海公園にいけるやつ!」と気づいたくらいから、景色の楽しみ方が変わった。地図アプリを参考にして自分のいる場所と向きを確認しながら、いま見えている光の群れとそれを支えるシルエットがなんの橋や建物なのかを解明していくゲームみたいになってきた。船はぐんぐん進むので風が強くメガネを飛ばされそうになったけど、顔を前に向けて目を凝らした。あたりは真っ暗だけど海は平らなので遠くのほうまで見通すことができたし、テクノロジーの力を借りれば、目の前の景色の解像度が想像上でぐっと上がるのがおもしろかった。暗い遠くを本物の街が、ゆっくり通り過ぎていく。

あたりは真っ暗なので、基本的には光っているもの、というかほとんど光そのものしか見えない。そして、その光は空の星座みたいに実際の建造物のフォルムをかなり抽象化したような線を描いている。そこから想像しながら目を凝らすと、橋の向きや大きさがわかってくる。画像検索した橋の形と見比べると、もっとよくわかる。これは都市の星座だ!湾岸に浮かぶ星の向こうには、伝説じゃなくて自分たちの本当の生活と現在があるんだ!と思ってワクワクしたけど、ちょっとロマンチックな比喩表現で恥ずかしかったので一緒にいた2人には言わずに黙っていた。昔の人が星と星のあいだを線でつないで、その形から色々な想像を膨らませて動物などに例えた時とは全く逆の仕組みで、今わたしは遊んでいる。都市の星と星のあいだをつなぐ線は想像ではなく現実そのもので、でもその現実が暗くて見えない。けっこう詩的なんじゃないかと思うけどあんまり詩的に表現できなくて悔しい。


去年、友人となんとなく歩いて渡った葛西臨海公園のほうへ向かう橋は「荒川河口橋」という名前だった。かの有名なアクアラインの「アクアブリッジ」も見えたし、その近くにある「風の塔」というのも見えた。(「風の塔」は、アクアラインの換気のための施設だけど観光スポットとして登れるようになっているらしい、けっこう気になる。)それは真っ暗な海の上、けっこう手前に何やら怪しげな建物のようなものが浮いている…?という感じで現れ、赤いランプが点滅しているのが悪の組織のアジトみたいだった。向こう側が透けて見えているようだけど壁もあるみたいで、実際の形がうまく想像できず、検索してみるとやっぱりけっこう変な形の建造物だった(検索してみてね)。船の反対側に行ったら「横浜ベイブリッジ」も見えた。橋マニアの人とかは、きっとこんな夜景で極度に抽象化された状態でも、これがあの橋で、とかヒョイヒョイわかったりするんだろうなあ。楽しそう。そういえば羽田空港から離陸する飛行機も見れました。

そうやって1時間くらい夜景を見て、その印象をまだまだ体に残したまま、船の揺れとモーターの振動が直にくる固くて寒すぎる床で一睡もできず島に到着し、朝から数時間めちゃめちゃ頑張って諸々が終わり、帰りの船に乗った。

帰りの船は夕方のまだ陽がある時間帯だったので、行きの夜行で見た景色の答え合わせができた。「風の塔」も、ネットで検索して見た画像の通りの青と白のしましま模様だった。暗闇のなかで大きな面に光がぬらぬらと反射していて不気味だった建物は、その大きな面がぜんぶガラス張りになっていたのがはっきり見えた。昨夜は「あれはガラスなのかな〜?」というところどまりだったので、正解して嬉しかった。一緒に行った2人は帰りの船に乗るなりすぐに寝てしまったので、わたしは1人で黙って窓の外を見ていて、小学生の時の夏休みが終わっていくみたいな気分だった。こんなふうに黙っていると心だけこっそり社会性から離脱できる時がある。でも、帰りは友人と新橋で飲んだりしたので急に社会で生きてる大人っぽくて、さっきまでの幼いような柔らかくて鮮やかな気持ちがはっきり終わったのを感じた。楽しかったけど寂しかった。新橋の小さい飲み屋で、お酒も手伝って、ちょっと強い言葉で喋ってしまっていたような気がする。


東京湾を航行する船には過去にも何度か乗ったことがあるけど、その度に楽しい。移動目的ではなく遊びで乗ることの方が多いから、船は自分にとって日常の乗り物ではなくてアトラクションだ。でもテーマパークとは違って、景色はいつも見ている東京の景色なので、そこにグッとくる。観覧車の楽しさに近い。そうか、東京湾クルーズも伝統的なデートスポットだし、昔からあるようなデートスポットってつまり景色がいいんですね。いい景色のことを多くの人が好きだというのはなんだか心が和む真理です。


最後に近況
ここ最近ちょっと時間があるので、読みたかった本・漫画、観たかった映画などを積極的に摂取していて楽しいです。船からの東京湾の眺めは、そのモードの入り口になってくれた。知らない場所に行ったり知らないものを見たりすると、けっこうすんなりとちゃんと頭が冴えてる状態になれる。何かに夢中になる時の冴えた集中、あの状態に勝る身体的快感はないと思う。狩りに似ているんだろうか。なかなか調子が良いです。やっていこ〜



新鮮な音量

わたしのこれまでの人生には、夏休みが31日で終わりだった頃と、9月末まであった頃があって、そのどちらの日々もとっくに終わったというのにいまだにこの季節になるとそわそわと淋しくなってくる。
自分にとっての晩夏は、こっぴどい失恋をしたり、めちゃめちゃ恋に落ちたりした季節という印象で、でも冷静に思い出すと半分以上は気のせいなんですけど、とにかく夏の終わる頃はなんだか一度しっかり眠ったりしたい。落ち着いて深呼吸がしたい。風が熱くなくなったな、とぼやぼやしているとすぐに空気が冷たく甘くなって、呼吸の旬、秋と冬がやってきますから、楽しみですね。

最近かなり準備を頑張っていたライブが終わって、あとひとつ29日に演奏をしたら後はちょっとゆっくり過ごす、という時期に今、います。この夏は「自分の曲」と呼べるものが増えていわゆるライブの形で演奏する機会が多くあった。というか自分でどんどん機会を作って、作りすぎてちょっとギリギリだった。心底楽しかった。それに、1人じゃなく人を巻き込んで一緒に自分の曲を演奏できるようになってきたりして、それがすごく嬉しかった。書けない楽譜を書いた!コード譜?だけど。思い出しても胸があったかくなります。本当に嬉しかった!ありがとう。


4月末以来、新しい歌が生まれかけては途中でしぼんだり、メロディが定まっても詩がなかなか決まらず完成させられないままだったりして、そのまま夏になったから、ここ数ヶ月はこれまで以上に同じ歌を何度も歌うことになった。それで、同じ歌を何度も歌うのってやっぱりかなりおもしろいことだと何度目かの再確認をした。
3年くらい前に、ジャワの伝統舞踊家の方に話を聞いた時、同じ型を長年踊り続けているとどんどんディティールが見えるようになってきて無限に解像度が深まるばかりで終わりがない、ずっとおもしろい、というようなことをおっしゃっていた。その時は、ただただ「スゲ〜」という感じで、今だってこんなことを言うのは超おこがましいんだけど、近いことなのかもと思った。
歌詞を間違えたりギターを難しいと感じたりする「抵抗」が、練習と本番を繰り返すなかで少しずつ減って、歌うこととそのディティールに神経がすんなり行き渡るようになっていくと、歌っているというよりは聴いているという感覚が優位になる。以前にもここに書いたことがある、ほどよく気が散ってリラックスしている状態だ。そういう時は自分の歌の細部に新鮮に驚いたり気づいたりできて、素直にめっちゃおもしろい。のだけど、加えて、この聴いている感覚は、聴いてもらう感覚にも直結してくるのでは、というのが今日の本題だ。

先日、名古屋のON READINGという小さな本屋さんで演奏をさせてもらった。この日は「アンプラグドチャレンジ」と題してスピーカーを一切使わずに生音で演奏することにして、灯りについても、へぼへぼの手回し発電機に繋いだ小さなランプが頑張ると点いて疲れると消えるという仕組みをつくって部屋の電気は消してもらった。一緒にパフォーマンスをした岡さんもかなり小さい音量だったので、わたしも歌うなら小さい声のほうがいいと思って、そのようにした。本当に消えそうなくらい小さい声〜普通の声くらいの、かなり狭い範囲のなかで歌った。
それくらい小さい声で歌うと、空間に響く、ということよりも、ここで鳴っている音が直接どこまで届くのか、これ以上速度を落とすと手前で減衰して聴こえなくなってしまうギリギリはどこか、と探ることになる。それがかなり新鮮でおもしろかった。
わたしはしょうもないマッチョ精神の持ち主なので、人が歌っているのを聞くと「腹から声が出ているか?警察」になってしまうところがある。そんなことじゃない部分でいろんな表現が達成されているなんてモチロンわかっているし囁くような声で歌う好きな歌手もいるけど、歌を聴く指針のひとつとして、気持ちよく体が鳴っているかどうか、空間まで響いているかどうかが、どうしても気になる性分である。だから、自分が歌う時にも、ちゃんと体が鳴っているか?と自分に問うような感覚があるし、10年くらいずっとそういう気持ちで歌ってきているので、〈歌う=全身を使って声を空間へ波及させる営み〉というのが、ほぼ固定概念といっていいほど己に深く強く刻まれている。

だから、あえてそれを抑え込んで小声で歌うのは本当に新鮮だった。そして、家で小声でこっそり歌うとかじゃなく聴いてくれている人がいる場でそのように歌うとなると、小さいまま届けるために、声の先のほうまで考えや感覚を巡らせることになる。これまでなら、空間に響かせればみんなに聴こえるだろう、と思っていたことが、まあなんと呆れるほど「漠然」であったか!ということに気付かされた。音がひとりひとりの耳に入っていくルートがきっとあって、それはめっちゃ大事なことなのに、考えが及んでいなかった。そして、聴こえるギリギリの小さい声で演奏するのは「漠然」の真逆で、ちゃんと狙って距離を測って投げないと、手前で落ちたり過剰になったりする。その塩梅を探るのが本当に難しくて、どれくらいうまくいったかは正直わからないけど、とにかくおもしろかった。
かなり感覚的だけど、声の先端の照準をどこにどう合わせてどんな速さで空気を送り出して音にするのか、というようなことを、これは研鑽を積めばいつか適切に操作できる技術になりそうだ、という予感があった。歌を探求するという果てしない地平が、前方だけじゃなく左斜め後ろにも広がっていたのに気づいたみたいな気分だ。


名古屋に行く前、東京(八丁堀・七針)でも演奏をした。この時には、ちゃんと「返し」のスピーカーがあるとめっちゃ演奏しやすい、ということ(すっごく基本だけどこれまでいわゆるライブハウスじゃない場所で演奏しがちだったので)が新鮮だった。でも逆に、自分の音がよく聞こえすぎて、もしかしたらお客さんにはそんなに大きく聞こえてないのにこちらで音量を控えすぎていたりしたシーンもあったようだった。とはいえ「返し」の重要性は確かだったので、この次の名古屋・パルルでの演奏の時には、一緒に演奏した岡さんのスピーカーを借りて、モニターできるようにした。実際やりやすかった。そして2日後に全然ちがうアプローチの「アンプラグドチャレンジ」だった。

これらの3回の演奏をへて、何か基本ぽいことが腑に落ちてきた。電気の力を借りてわたしたちがやっているのは、やっぱり体の、感覚器官を拡張しながら一部の機能を削っていくことだ。聴く人の耳へ「まあそりゃ届くよね」っていう十分な音量でスピーカーから音が出ていって、演る人はここで鳴らす音に集中できる、というシステムがあるのはとてもいいことだけど、耳は本当は単に自分の音をモニターするだけじゃなくてもっと器用に空間を感得する力を秘めているし、声はマイクを通すとただの音色になるけど、空気を直に伝うなら、触覚を伴った感覚器官になれる。


薄暗くて、特に音がよく響くわけでもない小さな本屋さんで、自分の腹にかかえたギターの振動をわずかに感じながら、前方に腕を伸ばして手探りするように声をそっとのばした時の体感は、自分にとって確かに新しかった。いつもは太めのサインペンで一気にぎゅっと描いていたちょっと乱暴なくらいのストロークが、0.3ミリのHBのシャーペンでフリーハンドで直線を描こうとする慎重な運動に変わったみたいだった。個人的な質感があった。誰かが言っていた受け売りだけど、やっぱり大きい声は公共を帯びて、小さい声は個人に還元される比率が多い。

演奏した次の日だったか、体感がおもしろかったな〜と思って、Twitterには「コンデンサーマイクで丁寧に録音する時に似ている」と書いてみたけど、特に穏やかな朗読を録る時のそれに似ていると思う。大きい声をその空間に響かせる必要はなく、このマイク、ひいては将来誰かの耳になる予定の点、複数あるそこへ向かって、本当だったら100出したい息を60くらいまで抑えて、勢いより正確さに神経を使って…、というあの感じ。2020年、コンデンサーマイクなど宅録環境整え始めた当時のわたしは、口の中で鳴ってしまうクチャ、みたいな音がイヤで、あの音をソフトウェアで消せるって知らなかったので、あれをいかに減らせるか頑張っていて異様な緊張感があった。なつかしい。


そういうことが、最近おもしろかったです。繰り返し歌ってきた歌も音量をめっちゃ下げると全然ちがう演奏体験になりますね。簡単に文章にするとあまりに普通のことだけど、今後の演奏に活きていくことのような気がして、ワクワクしています。
去る8月21日も生音ライブだったので小声を探ってみたりもしたけど、キッチンの音を聴くほうに神経がいってしまったところがあって、小声の実践に関してはやりきれないまま途中でライブを成立させるほうにシフトしてしまったのが本音です。ともかく、小声での演奏は、まだまだ想像のつかない伸びしろがある。歌、マジで無限におもしろいです。


今回は夜中につらいことを考え出して眠れなくなってしまったので書きました。近況としては冒頭の通り、名古屋with岡さんデュオめちゃ楽しかったし、その後もknofというカフェ+美容室でほぼ生音の演奏をさせていただき、これは29日にもありますのでよかったら(宣伝)

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お付き合いいただきありがとうございました!おやすみ〜


手の向こうに人、命ある味方

最近、架空の人物と手をつなぐ瞬間、というちょっと変な夢をみた。自分でも引くくらいディティールの感受に全振りした夢で、時間も引き伸ばされたようだった。自分の人差し指の親指側の側面と親指の腹のあたりの皮膚表面の、指紋や細かいシワの凹凸の摩擦のあるなかに、相手の手がするりと触れて、その皮膚表面の質感や全体の質量や密度や湿気を感じつつ、指の付け根のあたりをまとめて握る力の加減や指の形を少し調整しながら、相手もそうしているのがわかった。そうやって互いの出方をみるような、探りあうような、手が離れたところから繋いだ状態まで辿り着くまでの一瞬が、その夢の覚えている限りの全体だった。
触れるということを深く味わおうとすると時間が止まるみたいだ。相手の手の存在感が濃かった。まるでマクロレンズとハイスピードカメラで撮影した昆虫のドキュメンタリー映像のような解像度で瞬間を引き伸ばしたような味わいで、ただ手を繋いだ。自分たちが立っていたのか座っていたのか寝ていたのか歩いている途中だったのかもわからないし、相手は自分の夢にしばしば登場する、色んな人が混ざったような架空の人だった。お互いに人間であることだけが確かだった。なんとなく、良い夢だったような気がする。でも、あんなに繊細な夢で、たぶん湿度まであったのに、相手の手の温度がどれくらいだったかはいまひとつ覚えていない。それが今になって妙にしっくりくる。やっぱりあれは誰の手でもなかった。

私は人の手を見て「いいなあ」と思うことが多い。羨ましいということはなくて、ただ好きだな〜というシンプルな「いいなあ」だ。
手がけっこう大きい女性の友人がいる。彼女が音楽をやる時にその大きい手の指先で機材をさらさらと操作する様が良い。一緒に写真撮ろ!とスマホを構えるとノリよくサッと指で韓国式のハートを作ったりしてくれるのだけど、それもいつも似合っている。
とあるダンサーの友人も良い手の持ち主で、彼女の手は、手のひらの「平!」って感じがする。指をいっぱいに開いたり、しっかり床についたり、シャキッと型を作ったりする姿が直線的でかっこよくて、普通の人の足くらいの強度を感じる。すごく好き。
その人とはまた全然違う質感で踊る友人の手も良い。ネコの背みたいな柔らかそうな姿の良さに加えて、その少し大きい爪に最近マニキュアを塗っていて、めっちゃ映えている。がしっと何かを掴むというよりは、微細な空気の質の変化を察知するような手の甲の印象が強い。
楽器の演奏を仕事にしているある友人の手は、意外と丸い。脂肪が多くついているのではなくて骨や関節のトゲのなさでそう見えるという感じ。爪も短くしていて、河原の角の取れた石みたいで似合っている。何かの拍子にこんな手なんだと知った時、この手があの鮮やかで騒やかな演奏をしているというのが、やや意外だというのも含めてすごく腑に落ちて嬉しかった。
たまに2人で会うことがある女の子の、強く握ったら壊れてしまいそうなくらい細くて繊細な手が細い腕の先にあって、さらに細いフォークをつまんでいて、ああ似合ってるなと思ったのとか、やや神経質なところのある友人の指の爪が薄そうだったのとか、婚約したんだと言って指を見せてくれた友達の、細く光る指輪よりも、ふんわりした白い指とすべすべの手の甲があまりに可愛くて、ああ!そりゃ婚約もするわ(?)!と思ったこととか…、ほかにもいっぱい、キリがないくらい「あの人はあんな手をしている」という確かな記憶が、けっこうしっかりとわたしにはある。ラッキーなことに、良い手の持ち主が周りに多いのかもしれない。みんなそれぞれに、それぞれの手の姿がよく似合っているし、手のことを思い出すと、彼らが各自の手をどう使っているのかという仕事や生活までついてくるのでおもしろい。

そうやってなんとなく思い出せる手を思い出せるだけ思い出していたら、他人の手の姿は、いつも爪と手の甲の側の印象ばかりだということに気づいた。手に表と裏があるとしたら、たぶん、こちらを表と呼ぶべき面。指輪の飾りも表、マニキュアの色も、表にある爪につく。そして、手という器官の使い方からすると、手の甲と手のひらって、表と裏どころか、外側と内側なんじゃないかとも思えてくる。


そこまで考えて、ただ1人だけ、手の外側ではなく内側の印象が真っ先にくる人がいるのに思い当たった。10年くらいの付き合いになるパートナーだ。その手の内側は何故だか一年中ぽかぽかしていて、この手の向こうにしっかりした命がある、という感じがする。ちゃんと生きていて、頼もしくて優しい。間違いなく好きな手だ。でも、さっき並べたような友人たちとは違って、この手に関しては、「好きな手」という言葉がよそよそしく思える。

わたしはその手の、目で見た外側の姿よりも、皮膚でわかる内側のことを、そのあたたかさを好いているんだと思う。多分、あの手の向こうに続くひとりの人間の、過去も未来も含む人生全体のことを愛しく思っていて、命ってたぶん有限だなあ、とかにもしょっちゅう思いを馳せている。それが全部、あたたかさや厚さや重さに集約されているみたいな。仕事で酷使していつもボロボロになっていたりする手だけど、わたしが知っているあたたかさは、そういう仕様とは別の次元にある。手というよりも、もっと親密な、その人自身がそこにあるような。


自分に触れた誰かの手に命の存在を知るというのは、手を姿や言葉で観察している状況とは全然ちがう。手の内側には、その人間そのものを総合的に代表する感触というか、(マジでうまく言えなくていきなりスピるんだけど)生命エネルギーを練ったり発したりする仕組みがあるような気がする。「手」よりももっと他の呼び方がありそう。「相手」という言葉の一部でもある「手」は、実感しているあたたかさや命の印象と一致しない。なんか距離がある。わたしにとってパートナーの手は、もはや「相手」じゃない。命ある仲間?味方?みたいな…。なんて言えばいいんだろう。ああでも、小さい鳥を飼い主が手で包み込んでいる時の手は、きっと鳥にとって、手と呼んで名指せる、視覚で捉える距離の相手というよりも、大きくてあったかい肉と骨と血でありながら同時にそのどれでもないような、ただのあたたかさ、大切にしてくれる味方の気配なんじゃないかと想像する。あれに近い気がする。わたしは手のなかの小鳥なんて可愛らしいもんではないですが…。


話が漠然としてしまったけど、つまりは、手の内側はけっこう特別だということ。そのすごさにやられた出来事があったので書いておきたい。だいぶ前、とある企画で一緒になった憧れの先輩が、本番の前に「自分いまめっちゃ緊張してる!手が冷たい、ほら」と言って突然わたしの手を握ったことがあった。確かに、冷え性のわたしよりもその手はヒンヤリしていて、こんな人でも緊張するんだなあと素朴に思った。そして、イベントが無事に終わった帰りの別れ際で「今日はありがとう」と手を差し出されたので握手をしたら、さっき冷たかった手が、とてもあったかくなっていた!!
かなり「ウワーーッ!?!?」ってなった。数時間前の手の冷たさとの差もあいまって、今はとても気分が良いです、リラックスしています、というようなその人の心と体の状態が急に皮膚ごしに流れ込んできたことのヤバさに、脳がクラクラした。まるで相手の心の一部を直視してしまったようで、完全にドキドキしてしまった。そして屈託のない笑顔。なんて素直な人なのか。他人の体温≒心の変化を、こんなにダイレクトに感じることって滅多にない。加えて、わたしはチョロすぎるので、ついウッカリ歳上のその人をなんとなく可愛く思ってしまった(好ましい人の生理現象は愛しく思えるというの、ありませんか?わたしはあると思っています!)。
乗り換えの駅で降りたその人に、動き出す車窓越しにふらふらと手を振りながら、わたしは「凄まじいモテテクを行使されちまった……」とかなり失礼な感想と共に呆然としていた。ちょっとあれは、反則というか、半分は偶然かもしれないけど、なかなか素人に真似できることではなかった。完敗です。

そう、大人の手は、わたしの手もそうですが、そんなふうに色んな、素直さや緊張やら下心やら誤魔化しやらなんやらにまみれて、冷えたりあったまったりしてどうも複雑みたいだけど、もしかしたら小さい子供の場合は、全然そんなことないのかもしれないと思ってて。

半年くらい前、友人の娘に会いに行ったことがあった。たぶん生後3ヶ月〜半年くらいだったと思う、そのあたりを全く正確に認識できないくらい赤ん坊に対する知識や経験値がないわたしは、その小さい小さい手がひんやりしていたことに、けっこうびっくりした。とても意外だった。体は普通にあったかくて、両脇を抱えて踊らせてみたりして遊んだらちょっと汗を感じるくらいだったし彼女は元気だったけど、ミニチュア細工みたいに精巧な小さな爪の指先はしっとりしながら常温以下で、神秘的というと言い過ぎだけど、なんか不思議だった。冷え性とかでもなくて、そういうものなんだと思う。その手で包めるものがまだほとんどない小さな手は、誰かに包まれるものとしてそこにあって、だからほんのり冷たくてもいいみたい。

その子は友人夫婦によって、あえて書くのも野暮だけど大切にされていて、可愛がられていて、そして可愛かった。あの時、周りの大人はみんな、小さい妖精みたいな娘ちゃんにメロメロになっていて、わたしもその1人だった。こんなに小さくて、生きてるだけで笑ってもらえた頃があったんだよな、きっと自分にも、と思った。「かわいいね〜」「できまちたね〜」と子供に対して甘くて高い声で話しかける大人ムーブがいまだに恥ずかしくてできないくらいには自分は何かをこじらせた大人だけど、自分なりにその子と遊ばせてもらって、楽しかった。その場には母である友人も含めて大人が4人いたのに、なぜか娘ちゃんはわたしのほうばかり振り向いて笑うし、抱き抱えたらミルクも素直に飲んでくれて、好かれているみたいで嬉しかった。こんな場所でこっそり自慢しちゃうくらい嬉しかった!やっぱりわたしはチョロい。

この手を離したら、まだ1人では立てないこの子は転んじゃうんだ、転んだら痛いからそうあってはならん、という責任感を両手に感じながら、そもそもこの子を産んで、ここまで育ててきて、これからも育てていく友人夫婦、本当にすごいと思った。「ずっと大切にする」って月並みなようなフレーズが、今まさに、ぎょっとするほど目の前に生々しくあった。



さて、ではわたしはこの手で、何を大切にしているのか。やっと自分の手のひらを見てみる。アイシャドウか何かのラメがついて、微かにキラキラしている。わたしの手はよくこうなっている。今日は親指の付け根のところの筋肉が硬くなっている。ここが腫れるのは、消化器系が疲れているサインらしいので、胃を休めてよく寝た方がいいっぽい。

わたしのこの手は、果たして誰かにとってあったかいのかどうか。生きている、命ある味方になれているのかどうか。自分ではよくわからない。物理的に言えば、冷え性のわたしの手はたいていの時に冷たい。8歳くらいの時に工作していてカッターで派手に切ったのは左手だったなとか(綺麗に治ったけど)、11歳くらいの時にペンを強く握りすぎる癖がついてからというもの親指の真ん中にシワが入るようになってしまったのとか、18歳の時に階段から落ちて剥離骨折した痕跡が右手の中指に残っていたりとか、最近は楽器のために右手の爪は伸ばして左手の爪は短くしているのとか、写真に映る自分の手はなんだか思っているより手首が細くて弱そうだなあとか、自分の表の手、姿としての手のことは、色んな具体的な出来事や要素で形容できるのだけど、内側の手のことは全然わかんないや。手相を見てくれた占い師に「お金持ちにはなれないけど幸せになれるね、あと、社長に向いてる」って言われたことがあります。矛盾…

まあ手相とかもあるにはあるだろうけど、手の内側の生きてる感じは、目でわかる話じゃない。自分の顔を肉眼で見ることができないことと似ていて…、目って便利だし大事だけど、便利なだけの役立たずだなって思うことがしばしばあります。目ぇ!そうじゃねえのよ!手のひらでわたしたちがやっていることは、多分あんまり言葉になっていないことだ。目に見えず、言葉にならないこと。手と手がぎゅっとしている時、それぞれの手の奥で同時に起きていることを想像できないなりに想像すると、たまらない気持ちになる。



ハグとか握手って、わたしの場合かなり調子に乗っている時とか、酔っ払って感極まっている時とか、完全に今がクライマックスだと共通認識がある祝いや別れや再会のシーンとかじゃないと滅多にできないのだけど、実はハグも握手もけっこう好きだと、ここ5年くらいで思うようになった。言葉があんまり通じない外国にいた時に、フツーに便利な言語だったし。

個人的には、なんかもっと気軽に普通に、そういう意思疎通の手段を選べたらいいのになと思う。コロナ禍に見た演劇の終盤で(範宙遊泳って劇団の『バナナの花は食べられる』っていう作品なんですけど)、もうどうしようもなくなってしまった別れ際、一度去りかけた人が戻ってきて、黙って相手をハグするシーンがあって、あ、こういうコミュニケーションってそういえばあったんだった、と思った。その頃わたしがうまくいかなかった人と、もしハグとか、握手ができたなら、もうちょっとなんとかなっていたんじゃないかと、なかった可能性を想像したりした。同じ作品のなかにあった、人間関係に優劣はあるの?残念ながら優先順位はあると思うよ、というようなセリフが、その時の自分にはすごく重かった。

多分、わたしはもっと人に触れたい。自己中な考え方だけど、他人の皮膚が遠い社会様式で生きていると、自分も自分の皮膚やエロスから後ずさってしまうような感じがする。触れることってどうしても暴力と隣り合わせだし、慣れと勇気と礼儀と、その他色々必要だし、一方的にどうこうできることではないけど、それでもどうにかこうにか、がんばってでも触れていった方がいいような気が、やっぱりします。

最後に、これは今さら何も恥ずかしくないので本気で思っていることを書いておくんだけど、わたしは、10年超一緒にいるパートナーに対しても、出会って何年もたつ何人かの友人たちに対しても、かなりわたしを知っているであろう実の母に対してさえ、きっと私たち、これからもっともっと仲良くなれるはず、ってずっと思い続けている。好きな人たちに関していえば、もう十分に仲がいいという飽和状態は、わたしが思うに多分ない。皮膚がそれぞれの皮膚である以上、諦めながら目指し続けられる。

「限りなく0に近づく」っていう、高校の数学の二次関数?かなんかで出てきた考え方が好きで、当時の先生が楽しそうに語っていたのが印象的だったこともあって、今でもよく思い出す。グラフ上のある値が、0に接近し続けるけれど、絶対にそれにはならない。ただただ長い線が、ずーっとXやYの軸に近づき続けるあれ。
ああいう感じでわたしたち、もっと仲良くなれる気がすんのよね。


救われたいね

時々、顔が痛い。外傷も、ぶつけた記憶もないのに、ふいに鼻の横のあたりや頬や顎がビシッ!っと、陶器にヒビが入ったような鋭い強い痛みに襲われる。痛いのは数秒だけだから普段は忘れて生活できる。いつからこんな風になったかは忘れたけど、いわゆる「ストレスがある」っぽい瞬間に痛むので、わからないのにわかりやすくて、自分のことなのに漫画みたいだ。
 
先月の初め、仕事から帰る途中にまた例の痛みに襲われたが、その時はいつもよりずっと強い痛みだった。痛過ぎて歩けなかったので、駅のホームの壁際で立ち止まって目をぎゅっと瞑って耐えた。
少しするといつものように痛みは引いたが、あんまり痛かったのでさすがに怖くなって、その足で医者にかかった。何科へ行けば良いかわからなかったけど遅くまで開いていた駅前の内科に駆け込んだら問診の後「GWが明けたら大きい某病院に行ってね」と紹介状を書いてくれて、先日、やっとその紹介先の神経内科へ行った。
 
結論からいうと何も分からなかった。病院に行けば解決するだろうと期待していたので、なかなか絶望感があった。
 
その日は、医者も多少カンジが悪かったけど、わたしがまあまあキていたことによって良くない診察になってしまった。神経のチェックのために先の尖ったミニチュアの剣のようなもので腕などを軽く叩かれるシーンが怖すぎて(目の前にいきなり尖った金属の棒を黙って向けられたら誰だってビビる。なんか言って欲しかったよね〜)、そのあたりから感情が乱れていたのだけど、座っている仕事が多いという話の流れで「日頃から運動はする?」と聞かれ「時々走ったりします」と答えたら「それは肩こりには効果ないよ〜」と半笑いで言われた時、なにかがキレてしまった。
わたしが大切にしていることを!そんな「効果」みたいなしょうもない物差しで測って笑うな!!お前は!!公園を走る時の風の気持ちよさを!!木々のざわめきを!!散歩する犬とすれ違う可笑しさを!!太陽の明るさを!!季節のにおいを!!色を!!音を!!形を!!脚や腰や肺が踊るような喜びを!!走り終えた達成感を!!知らないから!!そうやって笑うんだ!!!!!こら〜〜!!!!という怒りが急激に膨れ上がって、破裂しそうになった。
 
でも怒りは全然うまく表明できず(しなくてよかった)、わたしはいつのまにか「すいません」と言いながら泣いていて、「君のいう症状は神経科的には矛盾が多くてよくわからない、MRI撮っても薬だしても意味ないと思うけど、撮る?MRI」と言う医師に「意味がないならもう帰ります」と精一杯の怒気を込めた声で言い捨てて診察室を出た。自動精算機に診察代の数百円を乱暴に投げ込んで、歯を食いしばって、ぼろぼろ出てくる涙を拭きながらバス停まで早足で歩いた。
 
なんでこうなっちゃうんだろう!医師のおじいさんは考えてみれば至極まっとうな対処をしていて、無駄に薬を出したりしないし普通に信頼できたのに、わたしの情緒がオワっていてひどい患者だった。病院にはこんな人は時々いるんだろうけど、でも自分がそれになるのは嬉しくない。
 
1人でいる時、わたしはしばしば乱暴で我儘な別人になっているような気がする。いや、そんな言い方は大袈裟で不誠実な言い訳で、これも自分だ。わたしは1人でやりたいことがたくさんあるし、大勢よりも1人でいるほうが落ち着くけど、信頼している人と一緒にいることで保っている何か、その人たちの優しさが制御してくれているものは、確実にあるな〜と思った。
 
 
そんなことと同時期に、なんとなく読んでいた本がある。それは、こっくりさん千里眼の起源やそれが流行した時代背景などを研究している本だった。(一柳 廣孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉・増補版 日本近代と心霊学』(1970年01月))19世紀のアメリカやイギリス、フランスなど欧米各国で「テーブルターニング」という呼び名で流行っていた遊びが日本にも輸入され、「こっくりさん」に変形して日本でも流行った、というようなことらしい。(長くなるのでここでは書かないけど、その後、1900年代に日本で新聞の普及と相まって「千里眼」が流行って廃れていったストーリーとか、フランスで「わたしは特別な医者なのでわたしが触れるとあなたの身体に流れる電気が変化して病気が治ります」といって病気を治しまくった人が人気になりすぎて手が回らなくなったので巨大磁石を持ってきて「これを各自で触ってくれればおk」とか言い出していたらしい話、アメリカで話題になったポルターガイストと意思疎通ができる大家族は実はポルターガイストを自ら演じていたことが後日判明してなんじゃそりゃ〜ってなった話などがあり、笑っちゃった)図書館で背表紙が目について、もともと探していた本と一緒に借りたらこっちのほうがおもしろかった。
 
たぶんこれはオカルト好きにとっては基礎知識なのだろうけど、1882年にイギリスで発足したSPR(The Society for Psychical Research---心霊現象研究協会)という組織があるらしい。創設時の支持者にコナン・ドイルルイス・キャロルユングとかもいたらしく、心霊現象の仕組みを解き明かす!という機運が、研究分野を問わず時代の最先端の感覚として盛り上がっていたことが伺える。そういえば大学院のゼミの伊藤先生も、この頃の心霊写真に関する講義をしていた時があった。あのくらいの時代って、宗教と科学と芸術と、新しく発明された各種テクノロジーが、みんなゴチャゴチャに混ざって様々な言説が生まれていた、すごくおもしろくて重要な時期だったようだ。いい。そしてそういった研究は人を救ったり癒やしたりすることとも直接的につながっていて、人々にとって切実だった、ということも腑に落ちてきた。
そして、当時は科学と宗教のどちらが世界の真実なのか、という争いがまだあった頃。SPRは、科学のさらに上の科学として心霊的な世界やエネルギーがあるという仮説をもっていて、これをもってすれば神を否定せずに進化論(自然淘汰の考え方をすると人間が特別な生き物ではなく他の動物と同じになってしまうので宗教的にまずかった)も肯定して、宗教と科学の融和が目指せる、ということだったらしい。そのなかで、当時の科学は「自然を対象とする物理的な、唯物論的な解釈装置だった」という指摘がすごく大事だと思った。あくまでも科学はひとつの考え方の指針であって、世界の真実ではない。特に19世紀の日本にとっては、欧米のような宗教との軋轢すらなく、ただ世界の解釈装置として思想だけが輸入されたのでなおさらそうだったはずだ。
 
何年か前まで、わたしは日本でそれなりの学校教育をまあまあ真面目に受けた身として、本当に素朴に(心霊現象は一旦置いておくとして)世界の全ては科学で説明できると思ってきた。コロナの流行の初期の頃や、福島第一原発の事故の後など、世間が目に見えないものの恐怖に大騒ぎになってあちこちで真偽の疑わしい諸説がどんどん生まれたタイミングでは、一応、科学のことを信じておくか…と思ってきた。今も概ねそうだ。でも、最近そうとも限らないというか、何かを説明できるということに、そんなに価値があるのか?という気分がけっこうある。社会をやっていれば説明責任とかはまああるんだけど、もっと生活や命に近いところでは、興奮とか、喜びとか、言葉にはある程度なるけど説明は全然できないものがたくさんあって、わたしたちはそういうことに救われながら生きているんじゃないか。
 
先日、上野の科学博物館で宝石をテーマにした特別展にふらっと入ってみた。本当になんとなく入ったのでなんの心の準備もしていなかったけど、宝石は鉱物だから科学で全部説明しますよ〜ッ!という姿勢の隙間に、周りの鑑賞者の小声のおしゃべりの端々に、宝石に憧れる人間達の説明し難い信仰のような、土着的で感情的でスピリチュアルなものを感じて、なんだか新鮮だった。職人によって見事な細工が施された金と宝石の装飾品の数々も展示されていて、いくつかの本当に見事なものには目が吸い込まれた。えっ今ちょっとアタシの目も宝石みたいにキラキラしてるんじゃない?!って気がしたけど、1人だったのでわからない。「宝石をこんなふうに磨くとこんなふうに光が反射して、キラキラして見えるんですよ〜」という説明ができても、キラキラすると嬉しい、という気持ちは説明できない。すごいものはすごい。
あと、数万人規模の巨大な会場で行われたコンサートも最近たまたま聴きに行って(あいみょんだったんですけど)やっぱりすごいものはすごい!と思った。遠すぎて小さいけど確かにそこにいる姿に、バチバチのレーザービームや強力な照明と大音量で鳴る音楽に、それらを全部背負った歌声と言葉(あいみょんは本当に滑舌が良くて、言葉がシャキシャキ耳に入ってきたしMCも達人だった)に、ちょっと怖いぐらいみんなが心を洗われているのがわかった。わかったって、今思うと、え?なんで?具体的な根拠は?って感じだけど、わかっちゃったんだから不思議だ。それに、わたしもうっかり救われてしまった。わたしなんて、周囲のほとんどの観客のような熱心なファンじゃないのに、ただミーハーな気持ちで聴きに行った不躾な観客なのに、こんなわたしさえ救ってくれるあの空間と、そんなふうに導いてしまうポップスター、ヤバくない?
 
そんな色々があって、今のわたしは、スピリチュアルな方法に頼る人の気持ちが本当に心底すごくよくめっちゃ鮮明に想像できる。冒頭で書いたことだけでもないんですが、去年ぐらいから体の謎不調がずっと気になっていて、病院でも「そんなに健康なのになんで来たの?」(こっちが聞きたいんだが)みたいな態度で診察されるし、「ストレスですね〜」なんて言われ飽きていて、もう、お祓いとか行ったほうがいいんじゃないかと思っている。なんか、病人になるために病院に行っているみたいで嫌になってきた。わたしは患者ではないです。ちゃんと寝て、お米と納豆をしっかり食べて、ちょっと運動していればきっと大丈夫。
これは個人的な見解ですが、納豆とかヤクルトとかは、おまじないだと思っておいた方が、というか、薬みたいな飲み方ではなくて「これを飲むと…、効くらしいぞ〜!ワクワク」って思いながら摂ったほうが、体だけじゃなくて心にまで効く気がしている。プラシーボ効果とかはじゃんじゃんおこしていったほうがいい。巨大磁石を触って病気が治るんだったらそれでよくない?思い込みや直感には多分けっこう力と信頼性がある。怪我をする前に「あ、ちょっとなんか嫌な感じ」と思ったのにそれを無視して、直後にやっぱり怪我をした、という経験が自分は過去に何度かある。理由はなくても意味があるんだと思う。
 
 
 
ある友人にしばしば「あなたは信仰する才能があるから、宗教を持つと少し楽になれるのかもしれない」というようなことを言われる。彼は熱心にキリスト教の勉強をしていた過去を持っていて、曰く、疑り深い人ほど聖書を研究し続けられるし、君は思い込みが強いから、と。勧誘されているわけでは全然ないけど、本当にそうだと思う。インドネシアにいた時、周囲の多くの人がムスリムとして毎日祈っていて、その習慣は美しく見えたし、けっこう羨ましかった。
 
何年も前だけど、フィリピンのトランス儀礼の研究のため現地で医者になる勉強をしている(違ったらすいません)という先輩が大学院のゼミに来てくれたことがあった。あんまり正確に覚えていないけど、彼らは村のなかで悪魔に取り憑かれてしまった人が出た時に、村人全員で儀礼を行うのだそうだ。先輩の解釈だと「周囲が彼を1人にしたから悪魔にやられてしまった」ということらしく、全員で儀礼を通して1人のケアをすることで再び共同体の中に連れ戻すという仕組みだそうだ。実際に科学的に根拠があるかないかとかとは別に、自分のことを気にかけて支えてくれる人がここにいる、と再確認することで、気持ちがめちゃくちゃ救われたりするんだろうなあということは想像にかたくない。
 
人間に必要なのはそういうことなんだと思う。おまじないでも、宗教でも、何らかの共同体でも、なんでもいいから、根拠なく頼れるものがあるということ…。世間的に風当たりの強い「救い」でいうと、パワーの入った水やツボが有名ですけど、ああいうふうにお金が絡んでくると雲行きが怪しくなってくる理由がわかったかも。お金をこんなに積んだんだからよくなるはず!っていうのは、根拠で信じようとしていて、心で信じていないからだね。買うことと信じることの相性、すごい良いだけにめっちゃ良くないね。お金で買えないものを信じたいね〜。迷っている時は「ね」っていう音を、人から聞きたいかもね〜。そうかもね。ねー。
 
医者に「よくわかんないっす」と匙を投げられても、整体で「がんばってるね」と言ってもらうだけで肩はほぐれるし体は軽くなる。これが人間の実際だ。わたしは病院のアンチではないけど、ここ最近は、もっと違う方法で人って救われるじゃんね、という実際が、骨身に染みて仕方がない。愛とか優しさ、それに似たものが大切だね…。いつだったか、数年前なんとなくサブスクであいみょんを聞いてみた時に、なんて優しい声で歌うんだろう、こんな感じなんだ、ちょっと意外だなあ、と驚きながら好感を持ったことを、先日のさいたまスーパーアリーナで思い出した。優しさに似たものは、それでもうじゅうぶん優しいから、けっこうそれでいいかもしんないね。30代に突入しつつある、あるいは30代以上の、女性の知人友人が、次々にタロットカードを始めたり占星術ガチ勢になったりスピリチュアルに目覚めたり宗教を勉強しだしたりする感じ、ほんと正直すごいわかるんだよね。雑に一緒くたにするなって言われそう、自覚しています、ごめん!でも、それ的なもの、あるよね、ということが言いたい。教科書で習った科学じゃない、怪しくて面白くて、優しいもの。
 
わたしもそれにハマったりしたいという気持ちがありつつ、それこそ宗教をもつのもいいと思いつつ、でもなにか、プライドに似た感覚が邪魔をしていて(これって自分がまあまあアカデミックな場でベンキョーしてきてしまったこととか、ジェンダーまで含む問題のような気がしていて、これはこれでちゃんと考えたい)、とりあえず折り合いをつけて保留するために今は、歌と納豆に落ち着いている。歌を歌ったり納豆を食べたりしていればだいだいOKという俺の教えです。紙の本にもすごく救われていて、最近は↑みたいな全然知らない分野の本を軽率に読んでみるブームです。図書館は最高!
 
あっ、これは単にミーハーなんですけど、おすすめの対面の占いがあったら教えてください、行ってみたい。いっぱい悩んでいるので、プロの占いに感動したり救われたりしてみたいです!
 
 
 
 
 

ラブい口元

日頃から口元を隠すことがすっかり当たり前になってから、人の口元にドキッとすることが増えたような気がする。

もう1年くらい前になるけど、夏くらいの季節の頃、親しい女性の友人と久しぶりに会ってレストランで食事をした時にドキッとしたことを、今でも鮮明に思い出せる。
席に案内され、置かれたコップの水を飲もうと彼女がマスクを外したら、唇のルージュがすごくきれいだったのだ。たったそれだけのことなのだけど、すごくドキッとした。それは茶色に近い艶のない渋い赤で、彼女の白い肌に似合っていた。主張は強くなく、でも存在感のある上品な色だった。その日は朝から一日じゅう曇っていて少し雨が降っていたのだけど、そんな気圧の低い空気感にも、今思い返すと似合っていた。こんなジメジメした日にマスクをして来たのに化粧が全く崩れていないことへの尊敬みたいな気持ちもちょっとあった。
でも、「そのリップかわい〜」というような女子っぽいコミュニケーションがわたしには照れ臭くて、咄嗟に言えなかった。そして、言いそびれたからだろうか、まるで秘密でそう思ったみたいに意識してしまって、その日、彼女と別れるまでずっとそれが印象に残っていた。後から「さっき思ったんだけど」とわざわざ言うほどのことではないというかそれは不自然な気がして尚のこと言えないまま、レストランを出て観劇したりお喋りしたりしながら、白いマスクの向こうのきれいな色の口紅のことが、一度だけ見た美しさが、ずっとほんのり頭の中にあった。もしわたしが彼女にガチ恋をする人だったら、あの瞬間にめちゃくちゃ惚れの気持ちが加速してどうにかなっていただろう。というか、まあ、誤解を恐れずにしっくりくる言葉で言えば、友達にだってわたしはおおいに惚れている。


他の好きだった口元もある。それは男性の友人と会った時に、やはり食事の場面で、隣に座ったその人がひょいと外したマスクの下の、頬と顎のあたりに無精髭があったのを目撃して、気持ちがギュッと温かくなった。
自分に対して気を許されているというか、油断されているような気がした。でも、女友達のルージュと同様、見つめたり言及したりはなんとなくできなくて、前に向き直って気づかなかったみたいに会話を続けた。彼はしばしば人前に出る仕事をしている人で、そういう時には普通に髭を剃っているし、マスクをする日常がくる前からも「髭の人」という印象はなかった。だから、その無精髭はけっこう新鮮だった。
本人にとっては理由も何もないだろうけど、でも、わたしと会うことは彼にとってそれほど「オン」ではない時間、なんなら「オフ」なのかもしれないということが妙に嬉しかった。なんというか、その年の夏の始め、今年初めてサンダルをはいた友達に会った時に「この人はこんな足の指の形をしているんだ」と思うような、「まだ日焼けしてないな〜」みたいな、そういうのに似た、なんでもないけどちょっと新鮮な横顔が、親しくて嬉しかった。


ドキッとしたというのはつまり、この心の中でだけ起きた勝手な爆発なので、自動的に小さい秘密みたいになる。それが生まれた瞬間は、たとえ一瞬でも強く印象的で、わたしの場合は景色の記憶になって残っていることが多い。その時していた会話の内容はボンヤリとしか思い出せないけど、わたしの右手、あなたの左手に窓があって、店内は冷房が効いていて薄いシャカシャカした上着を脱がないでおくくらいの気温だったとか、蚊がまだいない公園のベンチに座って、ツツジの植え込みの山を越えた先の空のあたりで地面に竪穴を掘る重機がゆらゆらと変な動きをしているのを笑って見ていたのとか、そういうことは、秘密でも内緒でもなんでもないのに、ひっそりしっかり覚えている。

こうして言葉にしてみると「誰にでもすぐドキドキしてしまうチョロい奴」みたいですけど、誰にでもってことはない。性別や関係性を問わず、わたしは好きな人のことがとことん好きなのだと思う。だから綺麗な唇に目を奪われたり、油断した横顔にグッときたりする。きれいに手入れが行き届いていても、そうじゃなくてもいい。というか、きっと本人の何かがどうこうってことでは全然ない。たぶん本当に何でもよくて、こちらが勝手にドキッとする口実を探している、といったほうがしっくりくる。好ましい人と一緒にいる時の小さい色んなことーー灯りに近いカウンター席でこちらを向いて笑うと大きな瞳がキラリとして、うわ、きれいだ!と思ったりした、ああいうことーー忘れたくない小爆発がいっぱいある。


この頃、親しい人と約束をして会えることが多くて、とても嬉しいです。いろんなことを頑張れそう。SNSにアップしない写真をたくさん撮って、時々ただ見返したりしている。今日も友人と集まって、地元の友達とやるみたいなユルユルとした遊びかたをした。バッティングセンターに生まれて初めて行きました。もっとやりたかったな。まるで来月あたりから長期間すごく遠くへ行ってしまうから細切れに自主壮行会を開催しているみたい。否、これは先月の自分が「会いたいけど来月にならないと」と言って予定をたくさん詰めたんです。褒めたい。
こういう文の終わりに、ラブ!とか書いてしまうやや旧い長文SNS文末仕草(?)のことを、恥ずかしいなって数年前は思っていたけど、やっぱり歳をとったんだろうか、確かに書きたくなりますね、ラブ!とか。高校生の頃、文末に時々「ちゅ」って書いてたギャルっぽい同級生からのメールに、まんまと(?)ドキッとしたりしていました。わ〜い!ラブ!ちゅ