6 第2章の終わる明け方

7月30日

朝、「遅くとも9時には起きよう」といってかけていたアラームで起きた。それまで爆睡していたっぽい。
一緒に寝ていた2人はわりとサッサと行動開始していたのだけど、わたしはなんだか体がグッタリしていた。寒いし、でも水を浴びなければ…と心の中でウダウダしながら布団の上にしばらく座っていた。わたしはいつも目が醒めるのに人より時間がかかる気がする。

温かいお茶を飲み、二度目にしてだいぶ慣れてきた水浴びを終えて、さてどうしようかなーと荷物を整理したりしていたら、「今ステージの準備を見て来たけど、次やる人たち面白そうだよ、廃材をパーカッションにしてた」と友人に言われ、観に行くかあという気持ちになり、朝ごはんを食べそびれたままフェスティバルを見に行った。
心なしか昨日までよりも派手な衣装、凝った衣装や化粧、ボディペインティングが多い気がした。最終日だから気合いが入っているのだろうか。

午前の部が終わって、完全に腹ペコだったので、絵の展示してある建物の向かいあたりにあって今日まで食べていなかったご飯屋さんで何か食べることにした。でも何が食べられる店なのか分からないので、ちょっと躊躇していたらアスルがたまたま近くにいたので「あの店のメニューのこれって何?」と聞けた。ナシチャンプルを食べることにした。これ、見てから「ああこれのことね!」となったんだけど、ご飯に味の濃いオカズを載せる、みたいな感じのインドネシア料理で、今回村に来てからもジョグジャでもかなりよく食べている。オカズのバリエーションがあるので飽きない。
店の人はこの山の村の人で、英語が通じない。わたしもインドネシア語はほとんどわからない。でもナシチャンプルの食べ方はわかる、自分でご飯をよそって同じ皿にオカズを載せるのだ。ジェスチャーで乗り切った。
テーブルにつく時、そばに座っていた眼鏡をかけた男性に「どうもー」みたいな感じで曖昧な挨拶をしたら、「おう、どこからきたの」から会話が始まって、facebookのアカウントを検索して「ここインターネットないね、下山したら申請送るわ」というところまでいった。わたしのコミュ力が上がったように錯覚したけどたぶん相手の、言語能力というよりはコミュ力が相当高かった。
この人もエコという名前だった。写真を撮るのが好きで、このフェスティバルはこの付近の山で毎年場所を変えて行われるけどだいたい全部自分の家からそこそこ近いから毎回来ているらしい。来年日本に写真を撮りに旅行に行くけど大阪と東京どっちがいいかなあ?と聞かれたりした。大阪のことはよく知らないけど街の景色のバリエーションがあるのは東京かな?と言っておいた。彼の友人夫妻も一緒にいて、全員カメラ仲間だった。インドネシアの悪魔のお面や彫刻の顔がマジで怖いんスという話からサダコの話になったりして普通に結構長々とお喋りが続いた。友人夫妻もノリのいい人たちで、セルフィーとか撮ったりした。帰りの車の心配までしてくれた。
お喋りをしていたら、山の上の方から太鼓の音が聞こえてきた。聞いていると近づいて来たので、観に行こう、と慌てて席を立ち財布を出したら、セルフィーを一緒に撮った奥様が「あーーいーーのいーーのいーーの!!!」みたいな感じでお代を払ってくれた。村に来てからほとんどお金を使っていないな。

パレードはめちゃめちゃ派手だった。子供達が顔に体に絵の具で模様をたくさん描いて、打楽器を叩いたりただ歩いたりしているのが先頭で、その後ろからもう少しお兄さんたちの楽隊がくる。巨大な鬼の頭部らしい、獅子舞の頭だけを2倍くらいに大きくしたようなものが一ついて、口は動くし目がLEDの緑色で光っていてかつちょっと動くので、かなり迫力があった。パレードはフェスティバルの舞台の方へ向かうようだったので、わたしとカメラ仲間たちはそっちへパレードの後ろをついて行った。
カメラ仲間たちは他にもかなり沢山いて、舞台の正面最前列付近にすでに大勢で陣取っていた。Canon率が高かった。エコ氏が、なんとそこにわたしを混ぜてくれた。写真撮らないのに。いい奴すぎる。仲間たちも「ようこそ~」みたいに迎え入れてくれて、わたしはそのまま午後の部を特等席で見ることができた。周りにつられて、ついiPhoneでたくさん写真を撮ったけど、だんだん撮らずに見つめるほうが自分の性に合っていて楽しいのを思い出して撮らなくなった。

脛に鈴を沢山つけて足を踏み鳴らしながら踊るダンスが、何回か出て来たのだけど、かなり良かった。ドンドンドッダーンってリズムに中腰でノるのがかなり良い。「現地」感が絶大。大勢で踊るので、みんながステップを早く踏めば踏むほど鈴がうるさくなってしかし勿論ちゃんとリズムになっていて、最高にエキサイティングだった。かなり近くで観ていたので、手作りの舞台が軋む音も聞こえた。
そして彼らの衣装がすごかった。ほとんど着ぐるみと呼んでいいほど作り込んだ、鳥や、虫の形をした悪魔たちで、ワラとかマツボックリとか大きい枯葉とかをかなり上手に使っていて、衣装だけ観てもかなり見応えがあるだろうなとちょっと思った。しかし、お面や真っ赤に塗ったボディペインティングのあいだにチラッと見える素肌の首とか目とか、着ぐるみくらいゴテゴテの衣装から覗く膝とか、衣装を体にピッタリ合わせるためにとめたマチ針とか、足の指の反り具合、筋肉やそれらがつくる体の表情を観ていたら、この踊り全体は、こういうものから出来ているんだと思えてきて、衣装だけって想像してみたら、なんだかスッカリ抜け殻に思えた。音だけだってそうだし、踊りだけだってそうだ。こうやって分けて呼んでいることに違和感があるくらいだ。ダンサーも脛の鈴や足の裏で演奏に参加していたし、ガムラン奏者の叩きまくる腕や前かがみになる体をわたしは味わって観ていた。
普通のことなんだけど、博物館とかで展示されてるこういう衣装は、本当に衣装でしかなかったんだ、あれじゃ半分も観たことにならないんだと思った。CDで聴く民族音楽だってそう。今では残っていない踊りとか音楽は、本当にもうないんだなと思ったらめちゃめちゃ切ない。そのぶん半分残っているのは嬉しいけど。そして同時に、今日の段階のこの芸能を、こうして観られて嬉しい。この踊りとか音楽とか衣装を、やる人が続いていて、まるごと芸能として観れた、ということに感動した。やってる人がみんな若かった。
インドネシアのあらゆる地域から、あらゆるダンスや音楽が集まっていて次々に演奏が行われるフェスティバルなので、司会を注意深く聞いてるとどこの地域のものと言ってくれているのだけど、わたしが超エキサイトしていた踊りがどこのものなのかは聞きそびれた。たぶんジャワだと思うけど


あとダンスの話ばかりだけど
やはり昨日までと同様、コンテンポラリーダンスがちょこちょこあいだに挟まるのだけど、印象的なことがあった。
かなりゆっくりジックリ動き少なに展開していく作品で、観客が飽きていて、それがきつかった。隣の友人が「みんな飽きて、いつ終わるんだ、って言ってる」と教えてくれたのだけど、ヤジがめちゃとぶ。たまにでんぐり返しとか仰け反るとか、ちょっとした動きがあると冷やかしに違い感じで「おお~」と歓声があがる。
作品に力がなかったと言えばそれまでで、わたしもその作品が面白いとは思わなかったけど、興味ない人たちって悪気なく残酷できついな~と、演者側の気持ちでこわかった。
汗だったかもしれないし見間違いかもしれないし理由が違うかもしれないけど、ダンサーの1人の左頬に涙のあとがひとすじ見えてしまって、そんなことを思った。
昨日の色水を投げつける時も、投げつけられたダンサーが演出で悲鳴をあげるからわたしはそう感じたし、多分それを狙った作品だったんだと思うけど、今日もちょっと似た感じ。観客は残酷だった。誰かを大勢で笑うというのは怖い。


午後の部が終わって、カメラの皆さんと別れて、だいたいみんなが集合しているところに夕飯を食べに戻ったら、日本人一行と合流できた。毎晩ちがう人たちが来るのでわたしもちょっと「ようこそ」みたいな現地の人の気持ちになりかけているのを感じた。帰りの車の話が出て、ようやく帰れるのかとちょっとホッとした。
ムティアと再会してとても嬉しかった。一緒に観にいこうと言うと「お弁当もってこう」と彼女が提案してくれて、わたしたちは食事と一緒に無料で提供されているバナナをひとつずつ持っていくことにした。ビスケットも持っていこうとして、袋が手近になかったのでノートのページを千切ってビスケットを包んで、鞄にいれた。あとでバナナを食べた後に皮を包むのに使えて、超便利だった。紙すごい。というかノートすごい。完全に旅に必携(いきなり似顔絵を描くとかいう展開にも耐える)

ほどなくして夜の回を観にいった。絶対に途中でトイレに行きたくないのであまり水を飲まないでいたらめちゃめちゃ喉が渇いた。6時半くらいから11時半くらいまでぶっとおしなので、弁当(バナナとビスケット)持参は正解だった。
最終日の夜の回はバンドが多かった。ウキルのバンドはかなり最後のほうだった。端的にいってめちゃカッコよかった。日本に帰って昨日買ったCDを聞くのがさらに楽しみになった。ウキルはアコギにテープでピックアップ的なものを貼り付けて強引にエレアコにしていて流石だった。センヤワとはボーカルのタイプが全然ちがっていて、エコーさんはちょっと演歌みたいな声で朗々と歌い上げていた。あと例の朽ちかけたギターの人が、かなりかなりかっこよかった、リハの時も思っていたけど、わたしはあの人のことなんか結構好きみたいだ、ほぼ話せなかったから次回に持ち越し



ウキルのバンドが終わるとすぐにマミさんの合図が見えて、わたしたちは帰ることになった。車に乗って、ジョグジャまで行かずにボロブドゥールの近くのホテルに泊まることになった。みなさんがそうされるのでわたしも便乗させていただくことになった。
3日ぶりに乗った車とデコボコじゃない道が新鮮に感じた。車、ソファ柔らかいし移動してるしハイテクすぎる。デコボコじゃない道は滑って行くみたいでちょっとハラハラする。山のあの村にいたんだなあ、と車窓の景色を眺めながら思った。今回の旅の、第2章が終わるみたいな感触だ。(第1章はジョグジャの街をミーハーに遊んだ)

ホテルに着いたら、昨日までとあまりに違う生活環境にかなり感動した。たぶんこんな感覚今夜だけだろうから大事にしたい。シャワーヘッドのあるシャワールーム、文明すぎる、やばい。お湯が出たら最高だったんだけどそうは行かなかったので潔く水シャワーを浴びた。寒い。
ホテルというのが嬉しくて、嬉しさのあまり、つい、山にいる間に使ったタオルや手ぬぐいや下着を手洗いで洗濯してしまった。ちょっと文明に触れるとすぐこうだ、わたしはまだまだ日本の几帳面な女である。雨が止むように、と米だか塩だかわからないけど白いものをステージや隣の建物の屋根に向かって投げたり、謎の草を炊いてあたりを煙だらけにしたりなんてしない町で、暮らしてきたし、これからもきっとそう。

洗った洗濯物をかなり強引に室内に干して、昨日と今日の日記を書いていたら朝の6時半になってしまった。書いていてお祈りの声を二回聞いた。
2時間半睡眠になっちゃうけどベッドなら、寝たぶんだけちゃんと回復するだろう。