鼻とリンゴ、耳とゼンマイ式の出会い

昨日、夜遅くに家に帰ってきた時、甘いにおいがした。

原因はよくわかっている。その日、家を出る前にリンゴを煮て食べたのだけど、はちみつを少し焦がしてしまった、あの残り香だ。鍋は洗ったのに、においはまだ残っていた。いやではない不意を突かれた。

ここは自分ひとりが暮らす家だから、この中で起こる出来事はほとんどすべて把握している。あそこの角に埃がたまっている(→明日掃除機をかける)とか、使い切った化粧水の霧吹きのボトルを昨晩洗ってから乾かしている(→内側の雫がなくなったらプラゴミの袋にいれる)とか、排水溝の掃除はいつやったからそろそろまたやろうとか。使いかけの野菜をどう食べようとか賞味期限とか。その把握の実感はけっこう悪くない。調子のいい時は、部屋の中のあちこちへ意識の糸がのびて、それぞれがちゃんと絡まらずに結ばれているような感じがする。だから、時々、姉と母の暮らす実家に帰ったりすると、自分ではない誰かが散らかした服とか、使って洗っていない皿とか、そういうのに出会って、「ああ、人と暮らすあるあるだ」と思う。友人と四人でのシェアハウス生活から打って変わってのひとり暮らしだからか、未だにいちいち実感してしまうのだけど、この生活にはあの煩雑さがない。片付けて外出すれば、帰ってきた時には片付いた部屋が待っている。逆も然りだ。ひとり暮らしにとっての「帰宅」とは、「家を出た時の状態に再会すること」だ。淡々としていて悪くない。

しかし、案外、ひとりで暮らしている家でも予想外の出来事に出会える時があって、そのひとつがにおいだ。

あの日、家を出る時には、はちみつを焦がしたにおいなんて意識していなかった。焦げている、と思った時にはちょっときついくらいのにおいがしたからその時だけ換気扇を回したけど、ずっと回していると寒いしうるさいから、少ししたら止めた。それで換気されきらなかったにおいが、数時間かけて、ちょっと驚くくらいやわらかくなって、嬉しい不意打ちの香りになっていた。

一度に沢山もらったリンゴを、戸を隔てたキッチンではなく、寝ている部屋の机の上に置いていた時も、小さい驚きがあった。カバンから出してポンと置いてそのままにしていただけなのだが、後になってその部屋に入ったら、とたんに、ふわりと微かだが爽やかな香りがした。いいじゃんと思ってしばらくそこに置いていたけど、知って狙ってしまうと、もうあの爽やかには出会えなかった。

鼻の体験は、内側に吸い込む息と共にあるせいか、どうも秘密の質が強いと思う。普通、鼻から意思を発するということをあまりやらないせいもあるだろう。自分から語らないという点と空気を媒介とする点で耳と似ている。加えて、たとえば鼻の速さと目の速さは違っている。人を相手に出会う時には、お互い目を見たりするから、鼻よりも先に物理法則とは違う次元で出会ってしまう。体が近づくよりも先に、目の出会いは生まれる。しかし、鼻がにおいに出会う時は、体はもうそこにある。言い換えると、鼻はここに来る空気を吸うだけだ。目や声みたいに、少し遠くへ伸びることはできなくて、ここへ来たものにだけ、ひとりだけで、受け身で出会う。

ただ、空気は、自分の手や風によって、動く。鼻が付いている自分の顔だって、動く。動ける。そうして動いて、ドアが開いたり、風がふいたり、すれ違ったりグッと近づいたりした時に、鼻は、出会う。空気が変わった時に出会うのだから、それはドラマチックだ。まわりの空気の動きによる変化、それを選り好みせずにとにかく一先ず捉えるのが、鼻だ。鼻は慣れやすいから、一度出会った空気を確かめ直すのは苦手だ。つまりそれは逆を返せば、鼻が「出会うための器官」だということだ。顔のいちばん先頭で、密かに堂々と「出会う」のを待っているのだ。

ひとりで、疲れと空腹でフラフラの状態でレストランに入って、待ちに待った料理が届いた時に、つい、ウエイターが今まさにテーブルに置くか置かないかという皿を覗き込んで、鼻から思い切り深く息を吸ってしまったことがある。後で恥ずかしくなったけど、その時は、ようこそ!ペペロンチーノ!という気分が羞恥心よりも先に前に出てしまった。あの時、ペペロンチーノが目の前に登場した感動と、空腹に染み渡るようなにおいはよく覚えている。鼻から吸った空気は肺に入っていくのに空腹に染み渡るんだから可笑しい。まあでもあれは間違いなく、鼻から「出会った」瞬間だった。

人との出会いにもある。緊張しながら待っていた人が現れて、目を合わせて会釈したあと、椅子に案内された時に、その人の香水がふっと香って、あ、と思った。香水なんて完全にずるいのだけど、見事に効いた。その人が違う空気を持ってきたみたいで新鮮で、その後その人と話をするあいだ、自分が妙に集中しているのがわかった。つまりその時は、目と鼻とで、わたしにとって二段階の出会いが発生していて、なるほど人と会う時に香水をつけるのはこんなに有効なのだと、わたしは深く学んだのだった。(実践できていませんが)

部屋に帰ってくる時は、必ず扉を開ける。扉の外と中では、当たり前のように何もかもが違っている。その、王道ドラマチックな行為には、文字通り、空気が変わるということが織り込まれている。そういう意味で、やはり出会っているのだ。

つまり、わたしが毎日帰宅する時に出会うのは、「家を出た時の状態」ではなかった。そこから数時間を経た、「家を出た時の状態’」だったのだ。だから、例えばにおいが、変わったり分かったりするのだ。そしてわたしも、「家を出た時の状態’」だ。外の空気のなかを歩いてドアの前まで帰ってくるのだから、当たり前だ、全然違う。

リンゴは、沢山あるので日持ちさせてくて、冷蔵庫に入れてしまった。冷蔵庫からはブーンという音だけが発されていて、においはしない。なんのにおいもしない台所は静かだ。家で料理をする楽しみは時にはもしかして、それを食べ終わって家を出て、帰って来た時にまで長くのびうるんじゃないかと思えてくる。

今は部屋にいて、わたしにはこの部屋のにおいがわからない。ただ、今までなかったものがある。昨日、世田谷のボロ市にでていた店で出会って、つい心惹かれて買った、古いゼンマイ式の置き時計だ。その、音である。

その時計は、古いけれどとてもマトモに動く。台所にいる時に時計が見えないのがいつも気になっていたから、台所から見えるところに置いたのだけど、けっこうチクタク音が大きい。戸を一枚隔てた部屋で、自分が少し動くのをやめて音をたてないでいると、すぐにせわしない音が聴こえだす。

まあ、思っていたよりも音が大きいってただそれだけなのだけど、台所のチクタクが聴こえると、家のなかが前よりも静かに感じる。彼は時間を知らせること以上に、夏の窓辺の風鈴みたいな仕事をしれくれているのだ。わたしは好きです、そういう仕事。これから、宜しくお願いします。

冒険の咀嚼、作品の感想

イッキに東に帰ってきた。

行きで贅沢に新幹線を使ったし、予定を急遽変更したので、とにかく安さを優先して夜行バスで帰った。10時間も乗るとやっぱり脚はむくむし尻は痛くなるし、新宿に着く頃には空気も身体も冷え切ってしんどかったけど、昨晩1時間くらいゆっくり銭湯にいたり、バスの中では目を温めるアイマスクを2回使ったりと抵抗したおかげで、少しマシのような気がする。

夜行バスに乗る時は、なんとなく満腹が嫌なので、乗る前の夕飯は早めに食べるか少ししか食べない。だから数えてみると昨晩の夕飯から今朝までで14時間くらい経っている。お腹が空いているので輪をかけて寒い。駅の地下にあるお粥屋さんで朝食をとってから家へ帰る電車に乗った。

岡山芸術交流は、おもしろかった。映像作品がとても多くて、少しは絵とか見せてくれ…という気持ちになったけど、それでも真剣に見てしまうような魅力があるものばかりで、ズッシリシッカリおもしろかった。でも映像は観るのに時間がかかるので、迫る閉館時間に、この先にある作品を観られないかもしれないと気が気でなくて、つい焦って、疲れた。途中、映画の上映を1時間半寝ながら観てしまったのと、昼食をしたお店でお喋りなおばちゃんにつかまったのが原因だ。なんとか、ぎりぎり、全会場、観れた。

ピエール・ユイグさんの、「Human mask」という映像作品(猿が人間の女のお面をつけている)が、期待どおり凄く良かった。人間は、一瞬写る写真にボンヤリとしか登場しない。かつて(おそらく写真の)人間たちが使っていた家の中(どうやら居酒屋をやっていたっぽい)に放置されている物や、そこにうごめく虫や猫といった生き物たちのあいだを、異様な姿の者ーーー実際には普通の猿、人間の女のお面をつけて服を着た猿ーーーが、ひとり、歩いたり座ったり、爪の先をいじったりして時間を過ごしている。その姿はちょっとユーモラスだけどかなり不気味で、わたしには、人間でも猿でもない何かに見えた。

人間が何かを作ったり、作ったものが失われることに思いが巡った。そしてそういった人間の活動の隙間で、ただ普通に生き続ける人間以外の生き物がいる、というのは、大事な事実だと思う。加えて、人間がいるからそこがたまたま隙間に見えているだけで、彼らにとっては、隙間ではなく普通のスペースでの通常運転なのだ。この、それぞれな感じって勇気が出るけど、絶望的なような変な気分にもなる。やっぱり人間たちは恐ろしいものを作ったりしているし、何かをやらかしている、という気がしてならない。例えばこんな変な映像とか作ったりしちゃうし、福島の避難区域で撮影されているという情報をチラと聞いていたものだから、具体的にどこに、というのも難しいんだけど、見ている自分のなかには勝手に人類レベルの罪の意識があった。その壮大すぎて笑える感じというか愚かさも含めて作品に先回りされて語られているような気がした。

そのあとに続くレイチェル・ローズさんの絵本みたいなアニメも、宇宙に関する映像作品も、そういう想像力を続けて観れて、非常に良かった。

ピエールユイグについては、ヤドカリの作品とか、庭にあった蜂の巣を使った作品とか、東京で展示していた、白いペンギンの作品とかも(映像は見ながら寝てしまったけど)思い出しながら観れたのも効いている気がする。

あと、荒木悠さんのタコと悪魔の作品もおもしろかった。途中から見始めて、ふと、これ長くなるかな、他の作品が見れなくなるな、などと愚かにも考えてしまい、途中で抜けて隣の部屋の作品を見ていたら、荒木さんの作品の部屋から、クライマックスっぽい音楽が漏れ聞こえてきて、どうしても気になったので戻り、再び頭から一周観た。クライマックスっぽい音楽はエンドロールだったんだけど、それも含めてイントロから全部みて、インスタレーションも見直したらとてもとても良かった。映像やインスタレーションの中には具体的なモノがたくさん登場するし話の軸は現実の宗教と歴史だけど、ところどころ嘘っぽくフワッとしていて、それが引き込まれる魅力だった気がする。壮大な物語と、現実的な映像やモノと、それらをもとにした自分の想像とが頭の中に共存するバランスが心地よかった。なにより、ナレーションの語り口と声が非常によかった。正確に記憶していないけど、その人の普段の役職がエンドロールで知れて、ちょっと納得した覚えがある。

この話を自分なりの表現にして演じたいと思うくらい良かった。というか頭の中でフワフワとそういう妄想をした。

と大満足の作品が2つあったので、月曜の休館はマヌケな災難だったけど、一晩期待を寝かせた甲斐は存分にあった。

(ちゃんと、というのも変だしどうでもいいけど、月曜休館の美術館を火曜に観たり、火曜定休のお店で月曜に買い物をしたり、月曜定休のラーメン屋で火曜に食べたりしていたことに後で気がついた。)

朝に帰ってきた疲れは、熱いシャワーと見たかったアニメ(ガンダム最新話)と久しぶりに自分で淹れたコーヒーによって、数時間で簡単にリセットされて、気分はすっかり日常に戻った。でもこれが全然残念じゃないのだ。何かがひと段落した時に、サッと未練のない素振りで次の章へ行くのが、むしろ気持ちよくて好きなのだ。

いつも旅みたいに、地図に気に入ったことを書き込むような感じで暮らせたら、それは、けっこういいような気がしている。富士山を東から見る地点と、南から見る地点が、同じ地図上と同じ人間の経験上にあるのは、地に足のついた冒険のような、ただの生活というような感じで、いい。

朝のグラグラするような曇りはどっかいってしまって、すっかり快晴で、空気が冬っぽい。

岡山の幼稚園で月曜日にやっているのが見えたんだけど、わたしも焚き火がやりたい。

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まぬけな始まりかたの冒険

結果オーライなのだけど、一人旅になった途端に大きな失敗をした。

昨日、岡山芸術交流を観るつもりでワクワクで到着したのだけど、なんと「月曜休館」だった。ちょっと自分がバカすぎて動揺した。

「????」となったまま、なぜかクリームぜんざいを食べた。美味しいと少しホッとする。

一時間くらい迷ってから、夜行バスのキャンセルの電話をした。やっぱり目的のものを観ずに帰れない。想像していたよりもキャンセル料がかからなくて、少しホッとしながらさらに安いバスを予約し直した。近くのネットカフェも探して見当をつけて、よし、あとはもう歩こう、と決めたらかなり気分が楽になった。天気が最高に良いのが本当に救いだった。

岡山芸術交流の会場マップは、どうやら何種類かあるらしい。展示作品のもの以外に、町のちょっとオモロイものを載せた「オルタナティヴマップ」というのをたまたま手に入れたので、それに自分のオモロイと思った看板や人やモノを書き込みながら歩いていたらあっという間に日が暮れた。

地方のちょっぴりレトロな商店街は、わたしは惹かれてしまってダメだ。すごくのんびり歩いて色々見てしまうし、おばちゃんと話せたりすると元気になってしまう。今回「ポリボックス」という言葉を生まれて初めて聞いた。おばちゃん独特の交番の呼び方かと思ってその時笑ってしまったのだけど、調べたらそういうものがあるみたいだ。

とにかくこういう場所は魅力がいっぱいゆえに、絶対にタダでは抜け出せない場所だと分かっているので、地図に載っている店や看板を見たらすぐに川の方へそれた。それでも腕を一本もっていかれた(可愛い買い物しちゃった)

川沿いをしつこく歩いて、道から見える家々や景色に飽きてきたころに陸の方へ曲がると「伊勢神社」がある。そこには樹齢500年を超えるという古いクロガネモチの樹があって、これは地図で知って目的にして向かったのだけど、確かに一見の価値ありだった。たくさん支柱で支えてあって、夕暮れの空に逆光だったので黒いおばけみたいに見えて、相当かっこいいんだけど、ちょっと畏れるような気持ちになって、その場にしゃがんでしばらく見ていた。秋っぽい風と快晴の空が葉を揺らしていて、その続きみたいにスルリとわたしの肌も通り抜けていく気がした。駐車場に車が入ってきて我にかえった。

その神社から、さっき歩いていた川沿いの道の何本か陸側を、美術館のほうへ戻っていく。古い店や看板やその名残がいろいろあって、おもしろかった。おしゃれカフェみたいなのもあった。

途中、火事があって焼け崩れたのをそのまま放置しているような場所があった。立ち止まってよく見ると、大きい猫が落ち着いたりしている。あたりには、高温でドロドロになった何かがブチュリと固まったような、黒い、ブローチくらいの大きさのものが地面に散らばっていて、手にとってみたらなんだか想像以上に気味が悪くて、すぐ投げ捨てた。その気味悪さが自分でもよくわからないことに、さらにビビった。人に教えたくて写真を何枚か撮ったけど、もうあまり長く居たくない、でももうちょっと見てみたい、いややっぱり気味が悪いよとグラグラしながら、ジリジリ振り返りながら、その場を後にした。

夜になって、外にいると無駄にお金を使ってしまいそうだったので、すぐにネットカフェに入った。町にあった良さげな銭湯は今日は我慢して、明日の夜行バスに乗る前に入ろうと決めた。旅先で突然計画を変更して立て直す時、我慢したりしなかったりの程度を調整するのにワクワクする。

ここで入ったネットカフェは、浜松で入ったものとは雲泥の差だった。店員さんの話す言葉がまず聞き取れないところから始まり、シャワールームが全体的に黒ずんでいるとか、全体的にドンヨリして古いとか、階段が薄暗いとか天井が汚いとか、いわゆるネカフェのイメージそのままで、最初はちょっと後悔した。シャワールームの壁にあいた釘の跡の穴が不気味に見えてしまって、そこにティッシュをちぎって詰めるくらいにはビビっていた。

なんとか無事に夜を明かして、昨日良さそうだと思っていた、ツタで壁が全く見えない小さな喫茶店でモーニングを頂いた。昨晩の夕飯を肉まんだけで済ませたぶん、と自分に言い聞かせる。コーヒーでしゃっきりする。

今日こそ岡山芸術交流を観る。

もう、この、ほんの30メートル先だ。

東海道新幹線の旅 2

今日もさらに西へ向かう。

昨日は、大阪からぐーっと日本列島を真北へ向かう特急列車に乗り、兵庫県日本海側にある出石というところに行った。海沿いではないけど、山を越えて日本海側だ。

出石には、永楽館という、現存するものでは日本最古といわれる劇場が、山のなか(と言っていいと思う)にあり、そこで年に一度行われている歌舞伎が、今回の目当てだ。誘ってくれた友人(母くらい歳上のひとだけど出会い方が友人なので友人と呼びたい)はこの永楽館歌舞伎が行われるようになってからほぼ毎年通っているそうで、9年も通うと役者が次第に成長していくのがわかって(声変わりしたり急に色っぽくなったり)とても面白いと言っていた。

わたしはそもそも歌舞伎自体、生で見るのは記憶にある限り初めてなので、始まる前も見終わってからも、ツウの彼女の話にはフンフン頷くしかできないのだけど、かなり長い年月を経てきた日本式の劇場で、隣の人にスイマセンネとか言いながら座布団に小さく座って、超間近で見る歌舞伎は、とにかくめちゃくちゃ最高だった。駅から会場近くまで行くバスの運転手さんは、「高尚なものは僕にはわからない」と笑っていたけど、歌舞伎が好きな人がよく言う「歌舞伎って全ッ然高尚じゃない」ってやつを、わたしは聞いてはいたけど、実際に体験してみたら本当にワッハッハだった。語彙が足りないみたいだけど、まじでワッハッハだった。

一部は義太夫狂言、二部は口上、三部は喜劇。一部はかなりかっこいいのだけど、三部はとにかくお笑いだった。でも要所要所でメチャクチャ魅せてくるし泣かせてくる。そして、全体を通して、言ってしまえばダサいくらいのお決まりな演出ばかり、それがワッハッハだ。

素直に自分の好みだったのは、20年の年月がたち、シーンがはさまってさらに20年が経つ、という時間の経過を、絵本みたいなお日様とお月様がでてきて会場をぐるりと踊りながら周るという演出。二度目は、みんなもうわかっているので、会場はおきまりのワッハッハである。時間が経ったり場所が変わったりする表現は全部、舞台とは分かれて客席のほうで起こるので、それがより一層、概念ぽいというか、頭の中で設定を共有していくような感触で良かった。

とにかく、愛しくなってしまうような距離だった。目の前の肉体も、演技のなかの言葉も仕草も、物語も、近いというだけじゃなくて、いい遠さを兼ね備えていた。

ちゃんと目を開くと乱視が効いてしまうので、ずっと目を細めて、少しでもクリアに観ようとした。小学生の頃に日曜の夕方だったか、テレビでやっていた時代劇コントをなんとなくいつも見ていたのを思い出した。書き割りの背景もセットも、「あの」ワッハッハな不自然さだった。

幕間に弁当を食べるのも、「特に腹ペコでもないけどマァとりあえず食べるっしょ」という感じでみんなモグモグしだすのとかも面白かった。

(観劇前に皿蕎麦を食べた。美味しい蕎麦の味がした。)

帰りは、また山を越えて大阪まで戻り、友人宅へお邪魔して、彼女から聞いていてずっと会いたかった黒い柴犬くんをさんざんモフモフしてから寝た。とても静かなところにあるお家で、暗かったので、かなりよく眠れた。寝て起きたら朝だった。自分の普段住んで寝ている部屋は、外のコインパーキングの看板の光とか酔っ払いの声とかがガンガン入ってくるから、もしかしていつも寝過ぎるのはあんまり寝れてないからなんじゃないかとさえ思った。

朝ごはんをいただいて、駅へ向かう道がてら、紅葉の始まった朝の道を犬を連れて散歩した。彼女もこのあと仕事へ出かける。次に会う予定は決まっていないけど、本当にいい時間を過ごさせてもらって、全身がポンと軽い。彼女としばらく話したりして時間を過ごして別れた後は、いつもそうなる。それぞれ生きている、というような軽さだ。

さっき、新大阪の駅について新幹線の改札へ向かっている時、昨日の昼頃に、まさにこの改札を出てこっちの別のホームに降りて兵庫へ向かう列車に乗りにいったのと、同じ場所にすぐまた来て、またすぐ別のところへ行くことがなんとなく面白くて、一人でニヤニヤした。

山陽新幹線で、岡山へ。

特にそのつもりもなかったのだけど、音楽→演劇→美術という流れの鑑賞旅行になっていることに昨日気がついた。これから『岡山芸術交流』を観る。

東海道新幹線の旅\x87@

西に来ている。

いつもよりも少し遠くに出かけると、いる場所の位置関係を東西南北で形容するのが不自然じゃなくなる感じがあって、これが好きだ。

東京から乗った東海道新幹線で、右手に富士山が見える区間があった。最初に見えた時は頂上付近が白く冷えていたが、少し行って新幹線が富士山の南側を通る時には、雪らしき白が全くなくなっていて、自分が移動しているのがよくわかった。そしてそれもすっかり通り過ぎて、浜松だ。列車を降りると、凄まじい快晴とビル群の白い壁が眩しくて目がくらむ。昨日の昼に到着して新幹線を降りた時も、今朝もだ。

昨日は『世界音楽の祭典in浜松』という音楽祭にいった。数ヶ月前に知人に勧められて、学生料金がメチャ安かった(1000円)のでノリノリでチケットをとり、何も知らないまま興味だけで来てしまった。我ながら何故そんなに惹かれたのかよく分からないけど、7時間もあるコンサートはけっこうカオスなプログラムだった。とにかく次々にあらゆる異国からのミュージシャンが来て、どんどん演奏を聴かせてくれた。いわゆるジャンルとか、国とか、色々どうでもよくなるほど、振れ幅とか混じり合ってできたような個性があって、面白かった。でも惹かれた時の期待に応えるほどの出会いはなかった。数日間滞在して、音楽祭の全日程に参加するくらいできたらもう少し別の面白みもあったかも。いろんな国の食べ物がズラリと並んだ屋台は楽しかった。一昨日の夜のプログラムと今日の夜のプログラムには普通に興味があったから見損ねてちょっとだけ悔しい。(一昨日は授業があって来ることを諦めたけど、信じられないくらいつまらない授業、授業って呼びたくない午後だったのでこの後悔は忘れたい。)来年もあるといいな。

夜はネットカフェに泊まった。浜松に来る前にネットで浜松駅付近の宿を探したが、朝食バイキングとかインテリアとか風呂がウリのちょっとリッチなビジネスホテルばかりで、お金が沢山あるわけじゃないし一晩くらい床でいいんだ…とランクを下げたら、オープンしたてのネットカフェが見つかり、そこに決めた。

ネットカフェを利用すること自体が初めてだったのでワクワクしてしまって、コンサートが終わるとすぐに向かい、かなり早めの時間に入ってシャワーを借り、5時間くらい漫画を読んでから寝た。シャワーは1人が使うごとに綺麗に掃除が入るようでとても快適に使えたし、変なBGM(有名な曲のメロディをひたすら繋ぎ合わせたようなもので笑えた)の音量が少し大きくて気になること以外は全体的にきれいで静かで、加湿器もドライヤーも無料で貸してくれたし、食事は一切しなかったけど、いくらでも長居できてしまう恐ろしい場所だという噂が本当だとわかった。居場所にしてもらった小さなブースには、正面にドンとコンピューターが置いてあって、すでにブラウザが起動してあったけど、1分くらいしか触らなかった。東京にもこういうネットカフェはたくさんあるんだろうから、浜松まで来てネットカフェの感想になってしまうのは旅行者としてどうかと思うけど、おもしろかったんだ…

自分が小柄なおかげでなんとか脚を伸ばして寝ることができたし、床はビニールだけど布団みたいにふわふわだったし、エアコンがかなり高めの温度に設定してあったので、想像していたほど悲惨な朝ではなく、でも贅沢でもなく、ちょうどよかった。体はけっこう普通に軽い。住んじゃう人がいるのも納得だ。

今日もさらに西へ向かう。

(50分くらい並んで、むつぎく、というお店で浜松餃子を食べた、とても美味しかった)

面としての命

少し長めの旅行に出るので、部屋で世話している観葉植物を3つ、人に預けた。そのうちの1番大きい木、といっても鉢をいれても20センチくらいの高さの、小さなガジュマルに関して。

そのガジュマルは、春に、引越し記念みたいに買ったものだ。丈夫だから育てやすいし可愛いからオススメ、と人に聞いて、あまり観葉植物へのこだわりも無かったので、フーンナルホドという感じでホームセンターに行った時に一式買った。鉢を割らないように気をつけながら肌寒い曇りの日に1人で自転車をこいだのを覚えている。

それが、買って窓辺に置いてから1ヶ月ほど、新芽も出るのだけど、葉っぱが黄色くなって落ちたりするのを繰り返していて、植物に詳しくガジュマルを薦めてくれた知人に話したら、「環境に慣れるのに時間がかかるよ」とのことだったので、ひとまず1ヶ月は様子を見て、そのあと一度、液体肥料をやってみた。

6、7月くらいになって気温が上がってくるとグイグイのびるようになった。片一方へばかり伸びたりしてバランスが悪くなってきたので、一度強めに剪定してみた。切ると、その傷口から白くてペタペタした液体が、指を針で刺してしまった時みたいにプク、と出てくるので、ワー、生きてんなァ、と思った。けっこう坊主寸前くらいまで切ったのが幸いしたのか、その後はさらに勢いよくグイグイ芽を出し枝を伸ばして育つようになった。

ただ、葉っぱがまだらに黄色っぽくなったり変な形に縮れるのがいつまでも治らない。わたしの植物の世話は基本的に詳しい友人に聞くかググるところから始まるのだが、今回はネットで調べた。それによると“ハダニ”の仕業らしい。葉っぱの裏を見てみると、確かに何か白い点のような粒がある。

ハダニは水で溺れるので、風呂で強めにシャワーを浴びせると良い、というのを見つけて、何度かやってみた。葉裏への霧吹きも毎日やった。それでしばらく様子を見ていたところ、一部の葉っぱは黄色かったりマダラになったりして引き続きダメだけど、全体的には成長している。大丈夫そうなので、油断してシャワーはやらなくなった。

そうして1ヶ月くらい経って、ふと見ると、たしかに葉っぱが増えて育ってはいるものの、やっぱり色がところどころ汚い。暇というよりは忙しいなかでの現実逃避や気分転換だったけど、ハダニを本気で駆除することにした。

ガジュマル ハダニ 薬剤

ハダニ 駆除

ハダニ 片栗粉

ハダニ 全滅

などとワードを変えながら検索する。色々な情報が次々にわたしを通過していく。

薬を散布するのが一番手っ取り早く確実らしい。薬を使いたくないなら牛乳や片栗粉を溶いた水も効くとか。とにかく水やりのタイミングで強めのシャワーをやるのは根気がいるけどお金もかからなくて良い、とか、とにかく、色々な意見が出る中、

セロテープで物理的に引き剥がす

というのがあった。薬剤も牛乳も片栗粉さえもこの家にはないが、セロテープはある。やってみることにした。

葉っぱを傷めないように気を遣いながら、白いのがついている全ての葉っぱの裏と表をペタペタした。まだ小さい木でよかった、これが大きな木だったら相当な仕事だっただろう。ハダニはクモの仲間らしいが、脚の数を確認したりする気にはぜんぜんならず、こびりついた汚れくらいの気持ちでどんどん取った。これがけっこう楽しくて、窓辺で1時間くらい没頭した。そうして目視できるハダニを皆殺しにし、もう取り返しのつかなそうな黄色い葉っぱは全て剪定し、霧吹きをこれでもかとかけ、数日たつと、ガジュマルはかなり綺麗になった。

そのタイミングで、2週間ほど家を開けることになり、先日、人に預けてきたのだった。

引っ越してきて、1ヶ月後くらいに、5日ほどの旅行から帰ってきたら、新居と思っていた部屋が「自分の家」と思えるようになった時と似ている。人に預ける、となって初めて、自分がガジュマルたちに色々な世話を焼いていたことに気づいた。旅は日常を鮮明にする。

2週間のあいだにこんな世話を焼く必要は多分ないから、Kさんは気にしなくていいんだけど、ハダニはこの季節は元気でドンドン増えるので要注意だそうです。みなさんご注意を。

そう、この時、けっこう印象的だったのだけど、Kさんに植物を預けにいった時、彼女は袋から出た3つのグリーンを見て、「かわいい〜」と言った。

わたしは、彼らを好いてはいたけれど、そう言われて初めて、彼らについて「かわいいよね」と口に出した気がした。

観葉植物の世話をする時に、ペットみたいな気持ちで育てる人と、生物の実験みたいな気持ちで育てる人とに分かれる気がしていて、わたしはずっと後者のつもりでいたのだけど(初めはペットみたいに話かけるつもりで買ったけど一切話しかけていないし、剪定する時にゴメンネとか思わないし、眺めて仲良くするというよりは姿をキレイに保つために試行錯誤するのが楽しい)、そこにも、当たり前だが、けっこうちゃんと愛がある。

植物は、生きる速さと仕組みが動物とは全然違っているし、特に屋内で育てる観葉植物は、人が世話をしないとすぐ死んでしまう。でもこれは、本来の生まれた場所でならば1人で生きていけるはずのものを勝手に連れてきて、彼らにとって過酷だったり不適切な環境に閉じ込めたうえで世話ごっこをしているようなものだ。庭の木もそうで、ここにあったらキレイだな、といった基準で、本来は山にあるような種の木を、海の近くの埋め立て地に植えたりしてしまう(これはバイト先の人が言っていた)。

それでも、彼らは、わたしたちに世話をされていてくれる。

1年以上前、バイトで雑草を抜く時に、一本一本抜くたびに一つ一つ殺している気がした、というようなことを書いた気がするのだけど、続けていく中で、それへの感覚が全く変わった。

植物、とくに、雑草と呼ばれるような強い草たちは、たぶん、一本一本がひとつの命ではない。彼らの命のありかたは、点ではなくて、面のようなありかたなのではないかと思う。垂直というよりは水平。抜いても抜いても生えてくるし、地下茎で繋がっていたりもする。感覚としては菌に近い。そう思うと、雑草むしりが精神的にかなり楽になった。終わりのない作業だけど、その終わりのなさが彼らの確かなあり方なのだと信頼できるようになった。彼らは強い。その強さは筋肉とか骨の強さではなくて、もっと長い時間感覚と、大きい空間を持った強さだ。

種、くらいの単位で命を考えると、手塚治虫火の鳥みたいな精神性に切り替わって、わたしは自分の立つのが楽になる。垂直な立ち方よりも水平な立ち方の方が心地よい時はある。今あるこのひとつの命だけではなくて、過去にあった命とかこれから生まれる命まで幅を広げてみると、自分の生きているのがただの現象だと思えるような気がする。

そのために窓辺で植物を育てているのかも知れない。わたしが世話をしてあげないとこの子ダメなの、じゃなくて、個人の世話ごっこの遊びに付き合ってくれてありがとうございます、という気持ち。

全然知らないけど、ひょっとすると盆栽に近いのかもしれない。

手料理へのいばら道

付き合って5年になる恋人がいる。

出会って1年めの頃、彼は初めての一人暮らしを始めたばかりだった。確か、料理をしたことがあんまりないと言っていて、自炊に関しては、一応食べられればとりあえずなんでもいい、という人だった。お金は他のもっと大事な活動に使いたい、とも言っていた。食の優先順位が低いのだった。お金がなかったというのも大いにあったと思う。

わたしは、食べること自体好きだし、美味しいものを食べることに時間やお金を費やすことを辞さない両親のもとで育っていたこともあり、(自分が料理下手であることは棚にあげて)「そんなの人間らしくない、つまんない」と、ひどい文句を言った。わたしは彼に比べると「もっと大事な活動」にお金がかからないから、そんな余裕こいた、かつ失礼なことが言えたのだろう。ちょっと喧嘩もしたかもしれない。ともあれ、「食べて生きのびられれば一週間くらい同じものを食べ続けてもいい」くらいのことを言ったり、その割には信じられない量のチョコレートや甘いものを毎日のようにバクバク食べる偏食ぶりを見るにつけ、「食」に関してこの人と分かりあうのは大変かもしれないと思った。

それが、数年たって、つい昨日のこと。深夜にお互いそれぞれの作業をしていて、お腹が空いたから何か食べようという話になった。彼は「こないだ一緒に行ったあの店の焼きそば美味かったなー、作れないかなー」と言う。食べに行ったら早いじゃん、とわたしは言ったが、彼は「麺がないなー」と言いながら台所に向かい、わたしがボンヤリしているうちに、さっさと調理を始め、ほどなくして、チャーハンのようなものを平たい皿に乗せて戻って来た。

見た目は、茶色くて、玉ねぎ以外の具材はぱっと見当たらないし、決してリッチではない「男料理」といった風だが、口にいれた瞬間、わたしも一緒に食べた「あの店の焼きそば」の味、に、よく似た雰囲気の味が、わっと広がったのだった。麺じゃなくて米なのに。油をどのくらい入れるとか先に何を炒めるとか少しマーガリンを入れるとか、なんだか細かい工夫やこだわりを説明してくれた気がするけど覚えていない。空腹に濃い味がうまくて、わたしはどんどん食べた。少し大袈裟に書いたかもしれない。でも、その焼きそば食べたさに「深夜だけどあの店へ行くか?」という話さえしていた矢先であったことと空腹のせいで、焼き飯はとてもうまかった。美味しいというよりは、うまかった。

わたしは悔しかった。どうしてこんな風に味真似ができるのか。野菜を切るのも皿を洗うのも下手くそで、効率が悪くて、見ていると危なっかしいような彼が、わたしなんかより断然レベルの高い料理を作って、前向きな自炊の日々を送っている。別に競い合っていたつもりもないが、下手くそ風なのに美味しいなんてずるい。というかわたしは全然料理が得意じゃない。わたしだって、料理ができる人からしたら、見ていて危なっかしいような調理をしているくせに、なぜか彼より料理ができると毎回ステレオタイプの男女の性質みたいなものを想定しては裏切られ、悔しい思いをしている。とっても愚かだ。女であることと料理ができることを結びつけるなんて古い考え方だし、料理ができる男の友人だって実際にたくさんいる。男女とか関係ない。考え方自体を改めたい。飲食店で2年くらいバイトもしていたのに皿ばっかり洗っていたからだ。なんて惜しいこと、無駄なことをしていたんだ自分は。

そして、わたしがこうしてモヤモヤと悔しがっているのをよそに、どんどん彼の料理は上達していくのだ。きっと。そう思うと、「味真似」ができない、どう料理を上達していったら良いのかが、まだ分からないでいる自分を、余計に惨めに思った。

ただ、そのことを話してみると、わたしたちは、まったく違う方向性で「自炊」に向き合っているのだということもわかった。

彼は、以前にも、「日暮里の某中華屋で食べたニラ豚炒めの味」を家で再現しようと試みて、何度かの試作の結果、それらしいものをうまく作ったことがあった。「外で食べた美味しいものを家で食べられたら安いし最高だから」と言っていたけど、本当にその通りだ。いやしかし、簡単なことではなさそうだ。

わたしは、味というよりは、摂りたい栄養素、食べたい野菜や肉、という感じでその日に食べるものを決めるので、あの店の味、といったことは意識したことがなかった。濃い味も好きではないから、鶏肉とカブをじっくり茹でて塩を少しふれば十分、みたいな、これ以上ないくらい素朴な料理しかやらない。しかしその塩加減さえ、塩を入れすぎるという失敗を恐れすぎて、究極に薄味のまま食べていたりする。そういうんだから、たまに狂って凝ったことをしようとすると必ず失敗して、後でどっぷり落ち込んでしまうので、わたしは、正直なるべく料理をしたくない。落ち込まないようにすれば良いのだけど、今の所、自分よりも料理の下手な人に会ったことがないので、落ち込まないようにするのがけっこう難しい。(最近、目玉焼きとゆで卵はできるようになったけど、パスタを茹でることに失敗した。)

料理なんてやらなくていいなら、やりたくない。でも、しっかり生きようと思ったら、周りの、料理を普通にできるひとたちを見たら、やはり悔しくて諦めたくなくて、後退だけはしないように、わたしは台所に立つ。プロみたいな味、を目指してようやく母の味にギリギリ追いつかないくらいだと思う。

冷めたら美味しくもなんともないのが自炊で、冷めても美味しいのが手料理なのだ、とだいぶ前にふと思ったことを思い出す。いつかわたしが「手料理」をひとに振る舞える日がくるだろうか。失敗ばかりするのは、諦めていないからなのだ、諦めない限りは戦いは終わらないのだ。と、せめて意識だけは高く保って、今日は、ニンジンを食べる。