冒険の咀嚼、作品の感想

イッキに東に帰ってきた。

行きで贅沢に新幹線を使ったし、予定を急遽変更したので、とにかく安さを優先して夜行バスで帰った。10時間も乗るとやっぱり脚はむくむし尻は痛くなるし、新宿に着く頃には空気も身体も冷え切ってしんどかったけど、昨晩1時間くらいゆっくり銭湯にいたり、バスの中では目を温めるアイマスクを2回使ったりと抵抗したおかげで、少しマシのような気がする。

夜行バスに乗る時は、なんとなく満腹が嫌なので、乗る前の夕飯は早めに食べるか少ししか食べない。だから数えてみると昨晩の夕飯から今朝までで14時間くらい経っている。お腹が空いているので輪をかけて寒い。駅の地下にあるお粥屋さんで朝食をとってから家へ帰る電車に乗った。

岡山芸術交流は、おもしろかった。映像作品がとても多くて、少しは絵とか見せてくれ…という気持ちになったけど、それでも真剣に見てしまうような魅力があるものばかりで、ズッシリシッカリおもしろかった。でも映像は観るのに時間がかかるので、迫る閉館時間に、この先にある作品を観られないかもしれないと気が気でなくて、つい焦って、疲れた。途中、映画の上映を1時間半寝ながら観てしまったのと、昼食をしたお店でお喋りなおばちゃんにつかまったのが原因だ。なんとか、ぎりぎり、全会場、観れた。

ピエール・ユイグさんの、「Human mask」という映像作品(猿が人間の女のお面をつけている)が、期待どおり凄く良かった。人間は、一瞬写る写真にボンヤリとしか登場しない。かつて(おそらく写真の)人間たちが使っていた家の中(どうやら居酒屋をやっていたっぽい)に放置されている物や、そこにうごめく虫や猫といった生き物たちのあいだを、異様な姿の者ーーー実際には普通の猿、人間の女のお面をつけて服を着た猿ーーーが、ひとり、歩いたり座ったり、爪の先をいじったりして時間を過ごしている。その姿はちょっとユーモラスだけどかなり不気味で、わたしには、人間でも猿でもない何かに見えた。

人間が何かを作ったり、作ったものが失われることに思いが巡った。そしてそういった人間の活動の隙間で、ただ普通に生き続ける人間以外の生き物がいる、というのは、大事な事実だと思う。加えて、人間がいるからそこがたまたま隙間に見えているだけで、彼らにとっては、隙間ではなく普通のスペースでの通常運転なのだ。この、それぞれな感じって勇気が出るけど、絶望的なような変な気分にもなる。やっぱり人間たちは恐ろしいものを作ったりしているし、何かをやらかしている、という気がしてならない。例えばこんな変な映像とか作ったりしちゃうし、福島の避難区域で撮影されているという情報をチラと聞いていたものだから、具体的にどこに、というのも難しいんだけど、見ている自分のなかには勝手に人類レベルの罪の意識があった。その壮大すぎて笑える感じというか愚かさも含めて作品に先回りされて語られているような気がした。

そのあとに続くレイチェル・ローズさんの絵本みたいなアニメも、宇宙に関する映像作品も、そういう想像力を続けて観れて、非常に良かった。

ピエールユイグについては、ヤドカリの作品とか、庭にあった蜂の巣を使った作品とか、東京で展示していた、白いペンギンの作品とかも(映像は見ながら寝てしまったけど)思い出しながら観れたのも効いている気がする。

あと、荒木悠さんのタコと悪魔の作品もおもしろかった。途中から見始めて、ふと、これ長くなるかな、他の作品が見れなくなるな、などと愚かにも考えてしまい、途中で抜けて隣の部屋の作品を見ていたら、荒木さんの作品の部屋から、クライマックスっぽい音楽が漏れ聞こえてきて、どうしても気になったので戻り、再び頭から一周観た。クライマックスっぽい音楽はエンドロールだったんだけど、それも含めてイントロから全部みて、インスタレーションも見直したらとてもとても良かった。映像やインスタレーションの中には具体的なモノがたくさん登場するし話の軸は現実の宗教と歴史だけど、ところどころ嘘っぽくフワッとしていて、それが引き込まれる魅力だった気がする。壮大な物語と、現実的な映像やモノと、それらをもとにした自分の想像とが頭の中に共存するバランスが心地よかった。なにより、ナレーションの語り口と声が非常によかった。正確に記憶していないけど、その人の普段の役職がエンドロールで知れて、ちょっと納得した覚えがある。

この話を自分なりの表現にして演じたいと思うくらい良かった。というか頭の中でフワフワとそういう妄想をした。

と大満足の作品が2つあったので、月曜の休館はマヌケな災難だったけど、一晩期待を寝かせた甲斐は存分にあった。

(ちゃんと、というのも変だしどうでもいいけど、月曜休館の美術館を火曜に観たり、火曜定休のお店で月曜に買い物をしたり、月曜定休のラーメン屋で火曜に食べたりしていたことに後で気がついた。)

朝に帰ってきた疲れは、熱いシャワーと見たかったアニメ(ガンダム最新話)と久しぶりに自分で淹れたコーヒーによって、数時間で簡単にリセットされて、気分はすっかり日常に戻った。でもこれが全然残念じゃないのだ。何かがひと段落した時に、サッと未練のない素振りで次の章へ行くのが、むしろ気持ちよくて好きなのだ。

いつも旅みたいに、地図に気に入ったことを書き込むような感じで暮らせたら、それは、けっこういいような気がしている。富士山を東から見る地点と、南から見る地点が、同じ地図上と同じ人間の経験上にあるのは、地に足のついた冒険のような、ただの生活というような感じで、いい。

朝のグラグラするような曇りはどっかいってしまって、すっかり快晴で、空気が冬っぽい。

岡山の幼稚園で月曜日にやっているのが見えたんだけど、わたしも焚き火がやりたい。

iPhoneから送信