まぬけな始まりかたの冒険

結果オーライなのだけど、一人旅になった途端に大きな失敗をした。

昨日、岡山芸術交流を観るつもりでワクワクで到着したのだけど、なんと「月曜休館」だった。ちょっと自分がバカすぎて動揺した。

「????」となったまま、なぜかクリームぜんざいを食べた。美味しいと少しホッとする。

一時間くらい迷ってから、夜行バスのキャンセルの電話をした。やっぱり目的のものを観ずに帰れない。想像していたよりもキャンセル料がかからなくて、少しホッとしながらさらに安いバスを予約し直した。近くのネットカフェも探して見当をつけて、よし、あとはもう歩こう、と決めたらかなり気分が楽になった。天気が最高に良いのが本当に救いだった。

岡山芸術交流の会場マップは、どうやら何種類かあるらしい。展示作品のもの以外に、町のちょっとオモロイものを載せた「オルタナティヴマップ」というのをたまたま手に入れたので、それに自分のオモロイと思った看板や人やモノを書き込みながら歩いていたらあっという間に日が暮れた。

地方のちょっぴりレトロな商店街は、わたしは惹かれてしまってダメだ。すごくのんびり歩いて色々見てしまうし、おばちゃんと話せたりすると元気になってしまう。今回「ポリボックス」という言葉を生まれて初めて聞いた。おばちゃん独特の交番の呼び方かと思ってその時笑ってしまったのだけど、調べたらそういうものがあるみたいだ。

とにかくこういう場所は魅力がいっぱいゆえに、絶対にタダでは抜け出せない場所だと分かっているので、地図に載っている店や看板を見たらすぐに川の方へそれた。それでも腕を一本もっていかれた(可愛い買い物しちゃった)

川沿いをしつこく歩いて、道から見える家々や景色に飽きてきたころに陸の方へ曲がると「伊勢神社」がある。そこには樹齢500年を超えるという古いクロガネモチの樹があって、これは地図で知って目的にして向かったのだけど、確かに一見の価値ありだった。たくさん支柱で支えてあって、夕暮れの空に逆光だったので黒いおばけみたいに見えて、相当かっこいいんだけど、ちょっと畏れるような気持ちになって、その場にしゃがんでしばらく見ていた。秋っぽい風と快晴の空が葉を揺らしていて、その続きみたいにスルリとわたしの肌も通り抜けていく気がした。駐車場に車が入ってきて我にかえった。

その神社から、さっき歩いていた川沿いの道の何本か陸側を、美術館のほうへ戻っていく。古い店や看板やその名残がいろいろあって、おもしろかった。おしゃれカフェみたいなのもあった。

途中、火事があって焼け崩れたのをそのまま放置しているような場所があった。立ち止まってよく見ると、大きい猫が落ち着いたりしている。あたりには、高温でドロドロになった何かがブチュリと固まったような、黒い、ブローチくらいの大きさのものが地面に散らばっていて、手にとってみたらなんだか想像以上に気味が悪くて、すぐ投げ捨てた。その気味悪さが自分でもよくわからないことに、さらにビビった。人に教えたくて写真を何枚か撮ったけど、もうあまり長く居たくない、でももうちょっと見てみたい、いややっぱり気味が悪いよとグラグラしながら、ジリジリ振り返りながら、その場を後にした。

夜になって、外にいると無駄にお金を使ってしまいそうだったので、すぐにネットカフェに入った。町にあった良さげな銭湯は今日は我慢して、明日の夜行バスに乗る前に入ろうと決めた。旅先で突然計画を変更して立て直す時、我慢したりしなかったりの程度を調整するのにワクワクする。

ここで入ったネットカフェは、浜松で入ったものとは雲泥の差だった。店員さんの話す言葉がまず聞き取れないところから始まり、シャワールームが全体的に黒ずんでいるとか、全体的にドンヨリして古いとか、階段が薄暗いとか天井が汚いとか、いわゆるネカフェのイメージそのままで、最初はちょっと後悔した。シャワールームの壁にあいた釘の跡の穴が不気味に見えてしまって、そこにティッシュをちぎって詰めるくらいにはビビっていた。

なんとか無事に夜を明かして、昨日良さそうだと思っていた、ツタで壁が全く見えない小さな喫茶店でモーニングを頂いた。昨晩の夕飯を肉まんだけで済ませたぶん、と自分に言い聞かせる。コーヒーでしゃっきりする。

今日こそ岡山芸術交流を観る。

もう、この、ほんの30メートル先だ。

東海道新幹線の旅 2

今日もさらに西へ向かう。

昨日は、大阪からぐーっと日本列島を真北へ向かう特急列車に乗り、兵庫県日本海側にある出石というところに行った。海沿いではないけど、山を越えて日本海側だ。

出石には、永楽館という、現存するものでは日本最古といわれる劇場が、山のなか(と言っていいと思う)にあり、そこで年に一度行われている歌舞伎が、今回の目当てだ。誘ってくれた友人(母くらい歳上のひとだけど出会い方が友人なので友人と呼びたい)はこの永楽館歌舞伎が行われるようになってからほぼ毎年通っているそうで、9年も通うと役者が次第に成長していくのがわかって(声変わりしたり急に色っぽくなったり)とても面白いと言っていた。

わたしはそもそも歌舞伎自体、生で見るのは記憶にある限り初めてなので、始まる前も見終わってからも、ツウの彼女の話にはフンフン頷くしかできないのだけど、かなり長い年月を経てきた日本式の劇場で、隣の人にスイマセンネとか言いながら座布団に小さく座って、超間近で見る歌舞伎は、とにかくめちゃくちゃ最高だった。駅から会場近くまで行くバスの運転手さんは、「高尚なものは僕にはわからない」と笑っていたけど、歌舞伎が好きな人がよく言う「歌舞伎って全ッ然高尚じゃない」ってやつを、わたしは聞いてはいたけど、実際に体験してみたら本当にワッハッハだった。語彙が足りないみたいだけど、まじでワッハッハだった。

一部は義太夫狂言、二部は口上、三部は喜劇。一部はかなりかっこいいのだけど、三部はとにかくお笑いだった。でも要所要所でメチャクチャ魅せてくるし泣かせてくる。そして、全体を通して、言ってしまえばダサいくらいのお決まりな演出ばかり、それがワッハッハだ。

素直に自分の好みだったのは、20年の年月がたち、シーンがはさまってさらに20年が経つ、という時間の経過を、絵本みたいなお日様とお月様がでてきて会場をぐるりと踊りながら周るという演出。二度目は、みんなもうわかっているので、会場はおきまりのワッハッハである。時間が経ったり場所が変わったりする表現は全部、舞台とは分かれて客席のほうで起こるので、それがより一層、概念ぽいというか、頭の中で設定を共有していくような感触で良かった。

とにかく、愛しくなってしまうような距離だった。目の前の肉体も、演技のなかの言葉も仕草も、物語も、近いというだけじゃなくて、いい遠さを兼ね備えていた。

ちゃんと目を開くと乱視が効いてしまうので、ずっと目を細めて、少しでもクリアに観ようとした。小学生の頃に日曜の夕方だったか、テレビでやっていた時代劇コントをなんとなくいつも見ていたのを思い出した。書き割りの背景もセットも、「あの」ワッハッハな不自然さだった。

幕間に弁当を食べるのも、「特に腹ペコでもないけどマァとりあえず食べるっしょ」という感じでみんなモグモグしだすのとかも面白かった。

(観劇前に皿蕎麦を食べた。美味しい蕎麦の味がした。)

帰りは、また山を越えて大阪まで戻り、友人宅へお邪魔して、彼女から聞いていてずっと会いたかった黒い柴犬くんをさんざんモフモフしてから寝た。とても静かなところにあるお家で、暗かったので、かなりよく眠れた。寝て起きたら朝だった。自分の普段住んで寝ている部屋は、外のコインパーキングの看板の光とか酔っ払いの声とかがガンガン入ってくるから、もしかしていつも寝過ぎるのはあんまり寝れてないからなんじゃないかとさえ思った。

朝ごはんをいただいて、駅へ向かう道がてら、紅葉の始まった朝の道を犬を連れて散歩した。彼女もこのあと仕事へ出かける。次に会う予定は決まっていないけど、本当にいい時間を過ごさせてもらって、全身がポンと軽い。彼女としばらく話したりして時間を過ごして別れた後は、いつもそうなる。それぞれ生きている、というような軽さだ。

さっき、新大阪の駅について新幹線の改札へ向かっている時、昨日の昼頃に、まさにこの改札を出てこっちの別のホームに降りて兵庫へ向かう列車に乗りにいったのと、同じ場所にすぐまた来て、またすぐ別のところへ行くことがなんとなく面白くて、一人でニヤニヤした。

山陽新幹線で、岡山へ。

特にそのつもりもなかったのだけど、音楽→演劇→美術という流れの鑑賞旅行になっていることに昨日気がついた。これから『岡山芸術交流』を観る。

東海道新幹線の旅\x87@

西に来ている。

いつもよりも少し遠くに出かけると、いる場所の位置関係を東西南北で形容するのが不自然じゃなくなる感じがあって、これが好きだ。

東京から乗った東海道新幹線で、右手に富士山が見える区間があった。最初に見えた時は頂上付近が白く冷えていたが、少し行って新幹線が富士山の南側を通る時には、雪らしき白が全くなくなっていて、自分が移動しているのがよくわかった。そしてそれもすっかり通り過ぎて、浜松だ。列車を降りると、凄まじい快晴とビル群の白い壁が眩しくて目がくらむ。昨日の昼に到着して新幹線を降りた時も、今朝もだ。

昨日は『世界音楽の祭典in浜松』という音楽祭にいった。数ヶ月前に知人に勧められて、学生料金がメチャ安かった(1000円)のでノリノリでチケットをとり、何も知らないまま興味だけで来てしまった。我ながら何故そんなに惹かれたのかよく分からないけど、7時間もあるコンサートはけっこうカオスなプログラムだった。とにかく次々にあらゆる異国からのミュージシャンが来て、どんどん演奏を聴かせてくれた。いわゆるジャンルとか、国とか、色々どうでもよくなるほど、振れ幅とか混じり合ってできたような個性があって、面白かった。でも惹かれた時の期待に応えるほどの出会いはなかった。数日間滞在して、音楽祭の全日程に参加するくらいできたらもう少し別の面白みもあったかも。いろんな国の食べ物がズラリと並んだ屋台は楽しかった。一昨日の夜のプログラムと今日の夜のプログラムには普通に興味があったから見損ねてちょっとだけ悔しい。(一昨日は授業があって来ることを諦めたけど、信じられないくらいつまらない授業、授業って呼びたくない午後だったのでこの後悔は忘れたい。)来年もあるといいな。

夜はネットカフェに泊まった。浜松に来る前にネットで浜松駅付近の宿を探したが、朝食バイキングとかインテリアとか風呂がウリのちょっとリッチなビジネスホテルばかりで、お金が沢山あるわけじゃないし一晩くらい床でいいんだ…とランクを下げたら、オープンしたてのネットカフェが見つかり、そこに決めた。

ネットカフェを利用すること自体が初めてだったのでワクワクしてしまって、コンサートが終わるとすぐに向かい、かなり早めの時間に入ってシャワーを借り、5時間くらい漫画を読んでから寝た。シャワーは1人が使うごとに綺麗に掃除が入るようでとても快適に使えたし、変なBGM(有名な曲のメロディをひたすら繋ぎ合わせたようなもので笑えた)の音量が少し大きくて気になること以外は全体的にきれいで静かで、加湿器もドライヤーも無料で貸してくれたし、食事は一切しなかったけど、いくらでも長居できてしまう恐ろしい場所だという噂が本当だとわかった。居場所にしてもらった小さなブースには、正面にドンとコンピューターが置いてあって、すでにブラウザが起動してあったけど、1分くらいしか触らなかった。東京にもこういうネットカフェはたくさんあるんだろうから、浜松まで来てネットカフェの感想になってしまうのは旅行者としてどうかと思うけど、おもしろかったんだ…

自分が小柄なおかげでなんとか脚を伸ばして寝ることができたし、床はビニールだけど布団みたいにふわふわだったし、エアコンがかなり高めの温度に設定してあったので、想像していたほど悲惨な朝ではなく、でも贅沢でもなく、ちょうどよかった。体はけっこう普通に軽い。住んじゃう人がいるのも納得だ。

今日もさらに西へ向かう。

(50分くらい並んで、むつぎく、というお店で浜松餃子を食べた、とても美味しかった)

面としての命

少し長めの旅行に出るので、部屋で世話している観葉植物を3つ、人に預けた。そのうちの1番大きい木、といっても鉢をいれても20センチくらいの高さの、小さなガジュマルに関して。

そのガジュマルは、春に、引越し記念みたいに買ったものだ。丈夫だから育てやすいし可愛いからオススメ、と人に聞いて、あまり観葉植物へのこだわりも無かったので、フーンナルホドという感じでホームセンターに行った時に一式買った。鉢を割らないように気をつけながら肌寒い曇りの日に1人で自転車をこいだのを覚えている。

それが、買って窓辺に置いてから1ヶ月ほど、新芽も出るのだけど、葉っぱが黄色くなって落ちたりするのを繰り返していて、植物に詳しくガジュマルを薦めてくれた知人に話したら、「環境に慣れるのに時間がかかるよ」とのことだったので、ひとまず1ヶ月は様子を見て、そのあと一度、液体肥料をやってみた。

6、7月くらいになって気温が上がってくるとグイグイのびるようになった。片一方へばかり伸びたりしてバランスが悪くなってきたので、一度強めに剪定してみた。切ると、その傷口から白くてペタペタした液体が、指を針で刺してしまった時みたいにプク、と出てくるので、ワー、生きてんなァ、と思った。けっこう坊主寸前くらいまで切ったのが幸いしたのか、その後はさらに勢いよくグイグイ芽を出し枝を伸ばして育つようになった。

ただ、葉っぱがまだらに黄色っぽくなったり変な形に縮れるのがいつまでも治らない。わたしの植物の世話は基本的に詳しい友人に聞くかググるところから始まるのだが、今回はネットで調べた。それによると“ハダニ”の仕業らしい。葉っぱの裏を見てみると、確かに何か白い点のような粒がある。

ハダニは水で溺れるので、風呂で強めにシャワーを浴びせると良い、というのを見つけて、何度かやってみた。葉裏への霧吹きも毎日やった。それでしばらく様子を見ていたところ、一部の葉っぱは黄色かったりマダラになったりして引き続きダメだけど、全体的には成長している。大丈夫そうなので、油断してシャワーはやらなくなった。

そうして1ヶ月くらい経って、ふと見ると、たしかに葉っぱが増えて育ってはいるものの、やっぱり色がところどころ汚い。暇というよりは忙しいなかでの現実逃避や気分転換だったけど、ハダニを本気で駆除することにした。

ガジュマル ハダニ 薬剤

ハダニ 駆除

ハダニ 片栗粉

ハダニ 全滅

などとワードを変えながら検索する。色々な情報が次々にわたしを通過していく。

薬を散布するのが一番手っ取り早く確実らしい。薬を使いたくないなら牛乳や片栗粉を溶いた水も効くとか。とにかく水やりのタイミングで強めのシャワーをやるのは根気がいるけどお金もかからなくて良い、とか、とにかく、色々な意見が出る中、

セロテープで物理的に引き剥がす

というのがあった。薬剤も牛乳も片栗粉さえもこの家にはないが、セロテープはある。やってみることにした。

葉っぱを傷めないように気を遣いながら、白いのがついている全ての葉っぱの裏と表をペタペタした。まだ小さい木でよかった、これが大きな木だったら相当な仕事だっただろう。ハダニはクモの仲間らしいが、脚の数を確認したりする気にはぜんぜんならず、こびりついた汚れくらいの気持ちでどんどん取った。これがけっこう楽しくて、窓辺で1時間くらい没頭した。そうして目視できるハダニを皆殺しにし、もう取り返しのつかなそうな黄色い葉っぱは全て剪定し、霧吹きをこれでもかとかけ、数日たつと、ガジュマルはかなり綺麗になった。

そのタイミングで、2週間ほど家を開けることになり、先日、人に預けてきたのだった。

引っ越してきて、1ヶ月後くらいに、5日ほどの旅行から帰ってきたら、新居と思っていた部屋が「自分の家」と思えるようになった時と似ている。人に預ける、となって初めて、自分がガジュマルたちに色々な世話を焼いていたことに気づいた。旅は日常を鮮明にする。

2週間のあいだにこんな世話を焼く必要は多分ないから、Kさんは気にしなくていいんだけど、ハダニはこの季節は元気でドンドン増えるので要注意だそうです。みなさんご注意を。

そう、この時、けっこう印象的だったのだけど、Kさんに植物を預けにいった時、彼女は袋から出た3つのグリーンを見て、「かわいい〜」と言った。

わたしは、彼らを好いてはいたけれど、そう言われて初めて、彼らについて「かわいいよね」と口に出した気がした。

観葉植物の世話をする時に、ペットみたいな気持ちで育てる人と、生物の実験みたいな気持ちで育てる人とに分かれる気がしていて、わたしはずっと後者のつもりでいたのだけど(初めはペットみたいに話かけるつもりで買ったけど一切話しかけていないし、剪定する時にゴメンネとか思わないし、眺めて仲良くするというよりは姿をキレイに保つために試行錯誤するのが楽しい)、そこにも、当たり前だが、けっこうちゃんと愛がある。

植物は、生きる速さと仕組みが動物とは全然違っているし、特に屋内で育てる観葉植物は、人が世話をしないとすぐ死んでしまう。でもこれは、本来の生まれた場所でならば1人で生きていけるはずのものを勝手に連れてきて、彼らにとって過酷だったり不適切な環境に閉じ込めたうえで世話ごっこをしているようなものだ。庭の木もそうで、ここにあったらキレイだな、といった基準で、本来は山にあるような種の木を、海の近くの埋め立て地に植えたりしてしまう(これはバイト先の人が言っていた)。

それでも、彼らは、わたしたちに世話をされていてくれる。

1年以上前、バイトで雑草を抜く時に、一本一本抜くたびに一つ一つ殺している気がした、というようなことを書いた気がするのだけど、続けていく中で、それへの感覚が全く変わった。

植物、とくに、雑草と呼ばれるような強い草たちは、たぶん、一本一本がひとつの命ではない。彼らの命のありかたは、点ではなくて、面のようなありかたなのではないかと思う。垂直というよりは水平。抜いても抜いても生えてくるし、地下茎で繋がっていたりもする。感覚としては菌に近い。そう思うと、雑草むしりが精神的にかなり楽になった。終わりのない作業だけど、その終わりのなさが彼らの確かなあり方なのだと信頼できるようになった。彼らは強い。その強さは筋肉とか骨の強さではなくて、もっと長い時間感覚と、大きい空間を持った強さだ。

種、くらいの単位で命を考えると、手塚治虫火の鳥みたいな精神性に切り替わって、わたしは自分の立つのが楽になる。垂直な立ち方よりも水平な立ち方の方が心地よい時はある。今あるこのひとつの命だけではなくて、過去にあった命とかこれから生まれる命まで幅を広げてみると、自分の生きているのがただの現象だと思えるような気がする。

そのために窓辺で植物を育てているのかも知れない。わたしが世話をしてあげないとこの子ダメなの、じゃなくて、個人の世話ごっこの遊びに付き合ってくれてありがとうございます、という気持ち。

全然知らないけど、ひょっとすると盆栽に近いのかもしれない。

手料理へのいばら道

付き合って5年になる恋人がいる。

出会って1年めの頃、彼は初めての一人暮らしを始めたばかりだった。確か、料理をしたことがあんまりないと言っていて、自炊に関しては、一応食べられればとりあえずなんでもいい、という人だった。お金は他のもっと大事な活動に使いたい、とも言っていた。食の優先順位が低いのだった。お金がなかったというのも大いにあったと思う。

わたしは、食べること自体好きだし、美味しいものを食べることに時間やお金を費やすことを辞さない両親のもとで育っていたこともあり、(自分が料理下手であることは棚にあげて)「そんなの人間らしくない、つまんない」と、ひどい文句を言った。わたしは彼に比べると「もっと大事な活動」にお金がかからないから、そんな余裕こいた、かつ失礼なことが言えたのだろう。ちょっと喧嘩もしたかもしれない。ともあれ、「食べて生きのびられれば一週間くらい同じものを食べ続けてもいい」くらいのことを言ったり、その割には信じられない量のチョコレートや甘いものを毎日のようにバクバク食べる偏食ぶりを見るにつけ、「食」に関してこの人と分かりあうのは大変かもしれないと思った。

それが、数年たって、つい昨日のこと。深夜にお互いそれぞれの作業をしていて、お腹が空いたから何か食べようという話になった。彼は「こないだ一緒に行ったあの店の焼きそば美味かったなー、作れないかなー」と言う。食べに行ったら早いじゃん、とわたしは言ったが、彼は「麺がないなー」と言いながら台所に向かい、わたしがボンヤリしているうちに、さっさと調理を始め、ほどなくして、チャーハンのようなものを平たい皿に乗せて戻って来た。

見た目は、茶色くて、玉ねぎ以外の具材はぱっと見当たらないし、決してリッチではない「男料理」といった風だが、口にいれた瞬間、わたしも一緒に食べた「あの店の焼きそば」の味、に、よく似た雰囲気の味が、わっと広がったのだった。麺じゃなくて米なのに。油をどのくらい入れるとか先に何を炒めるとか少しマーガリンを入れるとか、なんだか細かい工夫やこだわりを説明してくれた気がするけど覚えていない。空腹に濃い味がうまくて、わたしはどんどん食べた。少し大袈裟に書いたかもしれない。でも、その焼きそば食べたさに「深夜だけどあの店へ行くか?」という話さえしていた矢先であったことと空腹のせいで、焼き飯はとてもうまかった。美味しいというよりは、うまかった。

わたしは悔しかった。どうしてこんな風に味真似ができるのか。野菜を切るのも皿を洗うのも下手くそで、効率が悪くて、見ていると危なっかしいような彼が、わたしなんかより断然レベルの高い料理を作って、前向きな自炊の日々を送っている。別に競い合っていたつもりもないが、下手くそ風なのに美味しいなんてずるい。というかわたしは全然料理が得意じゃない。わたしだって、料理ができる人からしたら、見ていて危なっかしいような調理をしているくせに、なぜか彼より料理ができると毎回ステレオタイプの男女の性質みたいなものを想定しては裏切られ、悔しい思いをしている。とっても愚かだ。女であることと料理ができることを結びつけるなんて古い考え方だし、料理ができる男の友人だって実際にたくさんいる。男女とか関係ない。考え方自体を改めたい。飲食店で2年くらいバイトもしていたのに皿ばっかり洗っていたからだ。なんて惜しいこと、無駄なことをしていたんだ自分は。

そして、わたしがこうしてモヤモヤと悔しがっているのをよそに、どんどん彼の料理は上達していくのだ。きっと。そう思うと、「味真似」ができない、どう料理を上達していったら良いのかが、まだ分からないでいる自分を、余計に惨めに思った。

ただ、そのことを話してみると、わたしたちは、まったく違う方向性で「自炊」に向き合っているのだということもわかった。

彼は、以前にも、「日暮里の某中華屋で食べたニラ豚炒めの味」を家で再現しようと試みて、何度かの試作の結果、それらしいものをうまく作ったことがあった。「外で食べた美味しいものを家で食べられたら安いし最高だから」と言っていたけど、本当にその通りだ。いやしかし、簡単なことではなさそうだ。

わたしは、味というよりは、摂りたい栄養素、食べたい野菜や肉、という感じでその日に食べるものを決めるので、あの店の味、といったことは意識したことがなかった。濃い味も好きではないから、鶏肉とカブをじっくり茹でて塩を少しふれば十分、みたいな、これ以上ないくらい素朴な料理しかやらない。しかしその塩加減さえ、塩を入れすぎるという失敗を恐れすぎて、究極に薄味のまま食べていたりする。そういうんだから、たまに狂って凝ったことをしようとすると必ず失敗して、後でどっぷり落ち込んでしまうので、わたしは、正直なるべく料理をしたくない。落ち込まないようにすれば良いのだけど、今の所、自分よりも料理の下手な人に会ったことがないので、落ち込まないようにするのがけっこう難しい。(最近、目玉焼きとゆで卵はできるようになったけど、パスタを茹でることに失敗した。)

料理なんてやらなくていいなら、やりたくない。でも、しっかり生きようと思ったら、周りの、料理を普通にできるひとたちを見たら、やはり悔しくて諦めたくなくて、後退だけはしないように、わたしは台所に立つ。プロみたいな味、を目指してようやく母の味にギリギリ追いつかないくらいだと思う。

冷めたら美味しくもなんともないのが自炊で、冷めても美味しいのが手料理なのだ、とだいぶ前にふと思ったことを思い出す。いつかわたしが「手料理」をひとに振る舞える日がくるだろうか。失敗ばかりするのは、諦めていないからなのだ、諦めない限りは戦いは終わらないのだ。と、せめて意識だけは高く保って、今日は、ニンジンを食べる。

日記 2016/06/06

曇り。気温は少し低く、半袖だと寒い。少し風が吹いていた。

遮光カーテンを閉めて寝ていた。昼過ぎに目が覚めた。

昨日まで、五日間毎日本番があって、とくに土日は一日に二回の公演で、たいして体を動かしていたわけでもないが疲れるには疲れていたみたいだ。いや、疲れていなくても、遮光カーテンが閉まっていなくても、(時には予定があったとしても)わたしはけっこう長く寝てしまうたちなので、関係ないかもしれない。電車で40分くらいのところへ行く用事がひとつだけあったので、ちょっと急いで家を出た。朝ごはんは食べそびれた。

電車に乗る。六月の月曜日の午後だ。2時台の電車はそんなに混んでいない。はじの席に座れた。わたしは音楽をイヤホンで聞きながら向かいの窓の景色を眺める。一駅いったところで乗ってきた男女が、日本ではないアジア圏のどこかの人で、わたしの右隣のひとつあいていた席に女性のほうが座った。その女性のさらに右に座っていた若い男の子が、それを見てすぐにひとつ席をずれて、立っていた男性のほうも、お辞儀をしてそこに座った。二人が何を話していたか全然聞いていなかったけど、途中の駅で、女のほうだけが電車を降りていった。あ、二人は目的地が違ったんだ、と意外に思ったので印象に残った。

用事は30分くらいで済んだので、どこかに寄り道でもしようかと考えながら、駅前をいつもよりもゆっくり歩いた。

最近、足裏にクッションの効いた新しい運動靴ばかり気に入ってはいていたから、今日は久しぶりに気分を変えてちょっと古いけど気に入って長くはいているゴムのペタンコの靴にした。もうかなり靴底が平たくなっているようで、かかとの骨がアスファルトに当たる衝撃が直接ひびく。太ももの筋肉痛も手伝って、「今歩いている」と意識させられ、遠くまでとか、長く歩く気分にはならなかった。

寄り道したい場所も思いつかず、空腹と、それを満たしたいと思える飲食店も思いつかず、お金があるわけでもないので、ゆっくり歩いているまま、駅まで戻った。階段を上ると太ももの筋肉がちょっと痛い。たいていの時に自分の体のどこかが筋肉痛になっている気がする。三日くらい前にも、劇場の控え室にある鏡の前で変な顔をして遊びすぎて、首筋が筋肉痛になった。筋肉痛というか筋を痛めているのか。二日前とかは肩凝りがかなりひどくて、友人が触って驚いた顔で「両肩硬いけど右が特にひどい」と言っていた。確かに右肩は触るだけで痛いようになっていて、その日はずっと気になってしまったけど、サロンパスを貼って寝て起きたら平気になっていた。

下の前歯が抜ける夢とか、喉がかれて思うように声が出ない夢とかばっかりここ数日見ているので、やっぱり体が疲れているのかもしれない。でも体のことはよくわからない。

家に帰ると空腹を思い出した。

二食入りの冷麺を買ったうちの一食がまだあったので、茹でて、作っておいたニラのお浸しと、モヤシのナムルと、ゆで卵をのせて食べた。なんかけっこう美味しくて嬉しかった。そのあとはほとんどずっと漫画(ジョジョ)を読んでいた。(最後のほうにいくにつれ雑になっていくの日記っぽい)

ようやくきた朝

昨夜の話。

 

23:30

いつもより早く布団に入る。目を瞑って過ごす。明日は、さっき作った茹で卵を持って行こうとか、朝ごはんはあれを食べようとか考える。

00:00

眠れないことがわかったので、やはりいつも起きている時間には寝られないんだと思って、ロウソクだけ点けて、本を読み始める。

00:30

本をキリのいいところまで読んだので再び目を閉じる。吹き消したロウソクのにおいが好きなので、リラックスして寝られるような気がするが、なかなか寝る姿勢が決められない。姿勢を次々変えながらぼうっとする。

01:00ごろ

外で変な音が鳴っている。1秒に1回くらいのテンポで、プー、プー、という電子音。相当な音量で鳴っていて、町に響いているような印象だ。なんの音なのか全く想像がつかなくて、1秒に1回ということは何かをカウントしているんじゃないかと思い始める。こういう不安な時にいつも「時限爆弾だろうか」と考えてしまう自分が子供っぽいなと思いつつ、様子を見に行っても大丈夫なのかどうか、待っていればいずれ音が止むのかどうか、警察を呼ぶか迷いに迷う。車が駐車場を動く砂利の音や、酔っ払った人の声が聞こえるので、みんなにはこの音は聞こえていなくて、わたしの幻聴なのだろうか、という気分にさえなってくる。

01:15

変な音がやまず、全く眠れない。枕元のメガネをとってかける。窓から外の様子を見てみることにする。豊かな妄想のせいで、事件かもしれないと思っているので、ゆっくり動く。もし外から誰かに見られていても気づかれにくいように、低い姿勢で窓のそばまで行く。しばらくは何もないが、少しすると白い車がやってきて止まった。白いジャンパーを着たおじさんが出てきて、手持ち無沙汰な様子で道を行ったり立ち止まったり戻って来たりしている。それをこっそりカーテンの隙間から見て、話しかけに行っても大丈夫な人かどうか計りかねていると、別の車がやってきて、おばさんが降りてくる。どうやら知り合いらしく、笑いながら何か話している。話している内容が聞こえるかと思って、これもかなりゆっくりと窓を開けるが、内容までは聞き取れない。この時まだ、音が、自分の住んでいるマンションの北西側の壁か角のあたりから聞こえてると思っていて、死角でわたしの部屋からは確認できないあのあたりに、何か音の鳴りそうな物があったかどうか、思い出せなくてモヤモヤする。おじさんとおばさんの様子からして、事件ではなさそうだと思い少し安心する。寝られるかなと思い、窓のそばを離れて布団に戻る。

01:30

音が鳴り止まない。眠れない。嫌になってきて、音楽をかけて目を閉じることにする。それでも、音楽の音が小さくなったり途切れたりする瞬間に外からの謎の音が耳に入ってきて、かなり滅入る。明日は公演の最終日で、寝坊できない予定なのに、睡眠不足になるのは困る。

02:10

CDが一周してしまう。2枚組のライブ盤だったので、2枚目をかける。

02:30

まだ音が鳴っている。もう我慢できないが警察へ電話をかけるのも面倒なので、おまわりさんがいるかなあと期待して、駅前の交番へ歩いて行く。音はどうやら、マンションの南東側ではなく、南側の道を挟んだ向こう側にあるパーキングに停められた車から鳴っているようだとわかる。建物が密集していて、急な坂もあるので、音が跳ね返ってどこから聞こえているのか判りにくくなっていたのだろう。電子音は、鳴っている音の様子と音源の様子が見た目では結びつきにくいので嫌だなと思う。車の近くには、2、3人ほど、おそらくさっきのおじさんたちがいる。ぼうっとそれを眺めてることからして、彼らは音の鳴っている車の持ち主ではない様子。

02:35

交番には人がおらず、電話してくださいと書いてあったので、しばらくそこに立ち止まって迷う。駅前には土曜日の深夜らしく酔っ払った人や、それを商売相手にするタクシーたちがいて、あまり寂しい雰囲気ではないので、少し気が楽になる。

02:40

音が鳴っている駐車場を遠目に眺めていると、そこへ車でまた違う人物が現れて、車から降りた時に落とした何かをその場にいた何人かで探したり、音の鳴っている車になにかしたりし始める。音が止まるか、と期待するが、音の鳴り方が少し変わるだけで、あまり解決する気配がない。でも事件ではないと確信したので、うるさいけど頑張って寝ようと思い、部屋に戻る。

02:45

CDをさっきより少しだけ大きい音量でもう一度かけて、目を瞑る。好きな曲が終わる頃、音の鳴る感覚が広くなってくる。

 

07:30

やがて音が鳴り止んで、わたしはいつのまにか眠っていたようで、目覚まし時計で目がさめた。ずっと暗くして目を閉じたりじっとしていたので、寝不足でダルいような感触もそれほどなく、ホッとしてゆっくり起きる。

 

朝ごはんを食べて身支度をして家を出た。

昨晩つくった茹で卵を塩と一緒に持って行って昼に食べることにしたので、それが少し楽しみ。