静かな埃

一昨年の年末からずっと、ここに書きたいと思いながら書きそびれていることがあって、そのまま1年以上たってしまった。これだけ時間がたってもなお書いておきたいという気持ちが強くあるので、信じられないくらい些末なことだけど書きます。書かせてくれ!

突然ですが。ちょっと今、トイレットペーパーのホルダーと、それが設置されている壁のことを思い浮かべてみて欲しい。稀にペーパーホルダーを使っていないトイレもあるが、たいていの場合、トイレットペーパーはなんらかの方法で壁に取り付けられていることだろう。そして、ほとんどの人はそこに目を凝らしたことがないと思うが、わたしは一昨年の年末、あることに気がついてから、自分が入ったトイレの個室のその部分を見るようになってしまった。

そこにはーートイレットペーパーホルダーがついている壁のあたりにはーー、トイレットペーパーの紙の繊維が散った白い埃が溜まっていることがある。
そう、トイレットペーパーホルダーがついている壁のあたりには、トイレットペーパーの紙の繊維が散った白い埃が溜まっていることが、時々、ある!!!!!!!!!!!

初めてこれに気がついた時、わたしはけっこう驚いて、なんならちょっと感動した。2025年のまる一年ずっとこれを頭の隅に置いたまま言葉にしそびれ続けてきて、やっと今こうしてノリノリで文章にしているくらいには、この発見は自分にとって鮮やかなものだった。
あれは、友人の家に集まって年越しをした日だったから、2024年の12月31日だ。友人宅のトイレの壁は、大きめのタイルが貼られていて全体的にツルツルだったが、ペーパーホルダーの取り付けられた壁のあたりだけはなんだかモケモケしていた。それがふと目について、一瞬「?」が頭に浮かび、しかしちょっと考えたらすぐ「トイレットペーパーを引き出す時に繊維の一部が細かい埃になって空気中に散って、近くの壁につくんだ」とわかった。わかって、わかったことが嬉しかったしおもしろいと思ったのでダイニングに戻ってすぐ興奮気味に友人一同に伝えた気がするが、もう全員忘れていると思う。なお、その友人宅は常識的に掃除がされている普通に清潔な家であることも申し添えておきます。
そして、帰ってから自宅のトイレの壁、というかペーパーホルダーの背みたいな部分を確認すると、かなりうっすらとではあるが同じような埃が溜まっているのが見つかり、「あれはトイレットペーパーを引き出す時に〜」という自分の推測が間違っていないことがわかってもう一度嬉しかった。


埃ってけっこう気になる。あれって物質だけど、けっこうな割合で痕跡でもあって、そういう意味では現象にも近いような佇まいをしている。

気になるといっても、自分は「きれい好き」というわけではない。電気ケトルやブリタ(水道水を飲用にするために濾過するポット)のフタを開けっぱなしにして使って同居人に「埃が入るから閉めるようにして欲しい」と指摘されるくらいには、わたしの埃感覚はガバガバだ。それに、最近すっかりロングヘアになったので床に落ちる髪の毛には以前にも増して存在感があるが、その床をまめに掃除できているとは胸をはって言えない。髪の毛とホコリ、あるな…と思いながらただ見ている時がけっこうあります。ごめん。だが、そういうゴミや汚れや生活の垢みたいなものと、わたしが気になる埃とは少しだけ違う。わたしが気になるのは、誰もそれを気に留めなかった、という時間が一緒に積もった、いうなれば「静かな埃」だ。

地下鉄の駅のエスカレーターに乗っている時に目につく、何も置かれていない段差のような梁のような棚のような部分を思い出して欲しい。たとえばああいうところには、大抵なかなかの厚さの埃が溜まっている。掃除しようとすると人の動線と交差してしまうし道具がないと届かないので、日々エスカレーターや床をきれいに拭いている清掃員もそこまではやらないのだろう。わたしはどうもああいうのを「汚ね〜w」と思いながらなんとなく見てしまう。たまに、誰かが手や指で埃を拭って線を書いていたりすることもあるし、場所によってはその手法で落書きが残されていることもある。ああいうところの埃は、全く誰も気になっていないってことはないはずだけど、そのまま疎かにされていて静かだ。

まれに、かなり掃除が行き届いた、埃のない場所というのもある。昨年の一時期、仕事で出入りしていた美術館の収蔵庫がまさにそうだった。作品を適切な温度と湿度で保管し、虫や菌なども遠ざけておく必要があるので常にじんわり寒くて乾燥していたし、収蔵庫内では埃が舞わないように設計された特別な掃除機を使用していた。入り口すぐの床には、外の汚れを持ち込まないように、靴や台車の裏をきれいにするための(弱い鼠取りのような)全面がシールになった粘着仕様のマットが置かれていた。週に一度の掃除は掃除というよりも手入れで、埃はほとんど溜まる余地がなかった。ふわふわのハンディモップでさらっと撫でるだけで、埃はどこかへいってしまうみたいだった。あれって、埃はどこへ行っているんだろう。ある程度はモップが静電気で回収しているんだろうけど、全部を拭き取れているとは、なんとなく思えない。舞って、そして落ちてない?そのへんに……

ともあれ、埃はよく手入れされた空間には残らない。だが、誰にも触られずに放っておかれたところには、たちまち溜まる。言葉にしてしまえば当たり前だが、すっかり溜まるまではほとんど目に見えないという特性が、うっすら不思議だ。生活のそば、気づかないほど近くにあるのに、人間ひとりひとりの実生活とは異なる次元にあるような印象を受ける。静かな埃は、わたしたちと同じ空間にいながら、わたしたちの目や手の届かないところでひっそりと、いつのまにか育つ。



最近、中古のギターを買って、買ったその日に自分で手入れをした。店の棚の高いところにかけてあったギターは、しばらく誰にも触られずにいたのだろう、うっすら埃をかぶっていた。店頭では次々に他のギターを手に取って比べながら試奏していたのであんまり気にしていなかったけど、家に持ち帰って抱えてみたら、あらあら拭いてあげなくちゃねという薄汚れかただった。全体を拭いて、指板もフレットもきれいにして、新しい弦に張り替えたら、お金を払った時のぎこちなさ(わたしはお金を払っただけなんだけど、本当に持って帰っていいんだ…?みたいな、嬉しい買い物あるある)がようやくほどけて、一段階「自分のギター」らしくなった気がした。

手入れというのはあったかい。自分の肌や髪を手入れしたり、部屋を掃除したり、日々の道具をきちんとメンテナンスすることは、優しくてあったかい。あれは、体の一部や道具が自分のものであり、ちゃんと大切にすべきものです、という確認作業だ。手入れを怠るとどんどんガサガサしていくのは、肌も髪も部屋も心もそうで、日頃の身辺の手入れと気分の良し悪しはひとつの仕組みのなかにある。

ただ、身の回りの全てを大切にして丁寧に生活しよう!そんで素敵に生きよッ(ハート)というのだけだと、わたしにはちょっと意識高すぎてだるい。ので、わたしはトイレットペーパーホルダーを取り付けてある壁の部分には、モケモケの静かな埃をいけるところまで溜めてみたい。誰にも迷惑をかけないし、自分の観察からの発見をもう一度観察に戻して自分との関係を引き延ばすという選択は、静かなままではあれど、すでにただの放置ではない。少しあったかいことのような気がする。この一連に気づく前に壁のあの部分を拭いたことは正直いって一度もなかったけど、気づいて気にするようになって1年以上がたった今も、わたしはそれを一切触らずに生活を続けて、あの埃を育てています。