沖縄本島北部ひとり旅 ~前編~

この1月末〜2月初旬の6日間、ひとりで沖縄に滞在した。Music Lane Festival Okinawa という国際的なショーケースフェスティバルに出演できることになったので、そこでの演奏とプレゼン等が主な目的だった。これについても書きたいところなのだけど、ここでは演奏を終えた次の日の、沖縄本島最北端への旅(日帰りひとり旅)の記録と、付随する雑感だけを書きとめます。少し人生が進んだと思えたくらい、良い1日だったので!

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その日の朝は意外とすんなり起きられた。昨晩はフェスの最終日だったのでアフターパーティーがあり、お酒も飲んだしベッドに入ったのは2時くらいだったけど、7時半くらいにスッと目が覚めた。最低限の身支度を済ませて近所のスーパーへ行き、オニギリとアンパンと、ペットボトルのお茶を2本買った。今日はおそらくあまり時間がないので、出先で食事できなくても困らないように、という備えだった(これは完璧な見通しだった)。戻ってきて軽く朝食もとった。

沖縄本島の北、やんばる(山原)エリアの自然公園は、かねてより行ってみたかった場所だ。このあたりは「琉球神話の神が最初に作った聖地」として知られる。そういう視点でもおもしろそうだし、国内最大級の亜熱帯照葉樹林でもあり、南洋の樹木や草花が茂り、ヤンバルクイナなどの絶滅危惧種も生息しているということで「やんばる国立公園」はユネスコ世界自然遺産に登録された特別保護区となっている。
とはいえ自分は「でっかい自然があってよさげ、イキタイ」くらいの認識のど素人だ。事前に入念なリサーチをしてきたわけでもなかったから、博物館か植物園か、山岳ガイドか、何せよ案内してくれる人や場所を頼りたい。そこで、今日の目的地は「アスムイハイクス」にした。ここは、やんばる国立公園の一角、最北エリアの岩山、安須森(あすむい)を音声ガイドと共にハイキングできるという施設。WEBを見ると「Asumui Spiritual Hikes」と書かれており「ここは聖地です」というのを押しまくっているので、もしめっちゃチャラかったりスピってたり、ヒーリングとか瞑想みたいなことがプログラムに含まれていたりしたらしんどいかも…、音声ガイドがあるって言ってるけどこれにヒーリングっぽいBGMとかついてたらめっちゃ嫌かも…、、という懸念をしつつも、素人が急に「聖地×原生林」というハイコンテクストな場所に分け入っても何もわからず失敗しそうなので、多少スピっててもチャラくてもいっか…、ということで、とにかく行くことにした。

今回わたしが滞在していた沖縄市内から最北の安須森までは車で2時間弱ほどの道のりである。レンタカーは軽自動車だったし高速道路を使っても15分くらいしか変わらないみたいなので、下道で海を横目に見ながら行くことにした。島の北西側を通って行って、帰りは東側を通ったらかなりいいじゃん(東側にマングローブの見れる公園があるのでできれば寄って帰りたい!)、という気持ちで、民宿のレンタカーの最も早く貸してもらえる時間に手続きをし、10時過ぎに出発。

カーステにはBluetooth機能がついていたが、乗った時からついていた沖縄のローカルラジオが心地よかったので、たまに局を変えながらも道中はずっとラジオを聞いていた。沖縄弁のおしゃべりとか、たまに民謡がかかったり、地元の企業の元気なCMが聞けたりするのが景色にしっくりきた。もう自分は1ヶ月くらいここにいて、この車ももうずっと借りてしばらく生活しているみたいな気分になれた。


海沿いの信号の少ない道をずっと進み、途中、風の強い曇り空のビーチと名護市の自然食品のお店(Instagramで情報を求めたら教えてくれた方がいました、ありがとう!)とで軽い休憩を二度はさみつつ、運転の合間にオニギリをふたつ食べ、13時前。ようやく「アスムイハイクス」に到着した。国道から細い道へ入り、かなり急な坂をぐいぐい登ったところに、白っぽい新しげな建物と、意外にもそこそこの数の車が停まった駐車場があった。車を停めて受付へ行くと、シャトルバスの出発が15分後だった。音声ガイドのアプリをダウンロードしておいてください、とのこと。

シャトルバスを待つ部屋はかなり暗くなっていて、壁にかかったディスプレイでは山の四季を美しく撮影した映像が流れていた。この時点でまだ「チャラい感じにスピっていたらしんどいかも」が払拭できず、なんとなく居心地が悪かった。
シャトルバスの乗客はわたし一人だった。せっかくなので、なるべく大きな窓のそばがいいと思って助手席みたいなところに座り、整った道沿いの木々が通り過ぎるのを眺めた。運転手のおじさんが「貸切ですねえ」と声をかけてくれたので「ですね〜」「月曜日だから空いてますね」「天気がやや残念かもですね」くらいの無難な会話をして5分くらいでハイキングの出発地点についた。到着の時、運転手のおじさんが車のスピードをゆるめながら「お客さん、今からあなたが行くのは聖地ですよ」と決め台詞みたいにドヤアッと言ったので、またちょっと不安になった。

出発地点には小さな山小屋のような平屋の建物があった。建物の手前にはよく手入れされた植栽があって、友達と来ていたらまずここで写真を撮っただろうなと思った。ここで10分くらいの導入ガイドがあるらしい。20代半ばくらいのお兄さんが出迎えてくれた。客がわたししかいないのにガイドのお兄さんが決まったセリフで全てを案内してくれてちょっと申し訳なかった。ショートコースもあります、と案内されたが「全部歩くつもりです!(=ショートコースの案内は不要です)」とアピールしたり、建物を出て少し歩く場面では「これアジサイの仲間ですか」と聞いてみたりもしたが「オオムラサキシキブという植物です」(※全然違った)とのことだったりして、せっかくだから客とスタッフというよりも普通に人と人として話せたらいいのに、という気持ちが完全に上滑りしてちょっと切なかった。

いよいよ一人になってハイキング開始。道は想像以上に整えられていた。平坦な道には駐車場みたいな小石が撒かれていたし、ところどころにきれいな階段があった。ぼろぼろのスニーカーで来ているのであんまり山道だったら困るところだったけど、楽勝だった。
一番の懸念だった音声ガイドは「ポケット学芸員」という、日本各地の博物館や美術館の音声ガイドに使われているアプリだった。森のそこここに設置された小さな看板に番号が書かれていて、それをアプリに入力すると文章が表示され、読み上げる音声も聞ける、というシンプルなもの。自分で読めば音声を再生する必要もないのだけど、この音声がとてもよかった!余計なBGMなどは一切なく、「山が好きで視力のいい30代男性」みたいな、走ったら足が速そうな印象のさっぱりした知的な声で、端的な解説をしてくれるのみだった。ありがてえ〜〜!最初だけイヤホンで聴いたけど、せっかくの山で耳栓をしたくなかったし他に誰もいないので、二つめ以降の案内は手に持ったスマホのスピーカーで聞いた。地質・生物学的な視点の解説がメインかと思いきや、そのリサーチのなかで無視しては通れない歴史や人類学的な視点も織り交ぜられていて、そのバランスがよかった。科学的な解説に混じるスピ要素について「不思議ですねえ」とか「僕はこの岩が守ってくれてる気がするんです」とか言ってくれるのが、無理なく人間っぽくてほどよかった。


木々や岩々を眺めながら、山頂を目指して少しずつ登っていく。途中、この沖縄滞在の2日目に海辺の公園へ行った時にも見た大きな葉っぱに再会し、名を「クワズイモ」というのだと知った。食べられないからクワズイモ、というのが覚えやすい。クワズイモの葉は、ツヤツヤとしていて、わたしの手のひらの5倍以上の面積がある。ここまで大きい葉っぱの植物は少ないので、たぶん見たら「これか」ってわかると思います。
わたしは、特定の地域に少し長く滞在する時、気になる木や植物に出会ったらしつこくそれを愛でる、というのをよくやる。というかこの数年、結果的にそうなってきて、最近はちょっと意識的にそうしている。インドネシアのジャワ島に長期滞在した時はPohon Ketapangと縁がある気がしていた(よく行く場所に複数あり、それを使った染め物の布も偶然手に入れた!)し、2024年に再び訪れた時にはArenの木(ヤシの仲間、見た目がとにかく大きくて立派だし、美味しい砂糖が作れるし、実もシロップ漬けで食べた)が大好きになって滞在の終盤に撮影したMVにも映してもらった。2025年の春に東北ツアーへ出た時は、カヤの木だった。大きなカヤを見に行った時、その細長くて硬い葉は風に揺れる音がほとんどしない、ということに気がついて衝撃を受けた。風が吹いたら遠くの竹林のほうが騒がしいなんてこと、想像できますか??ビックリだよね。わたしが見たカヤは樹齢が長く御神木みたいになっていたので、なんだか説得力があった…懐かしい。元気かなー
ともあれ今回の「気になる植物」はクワズイモかもしれない。わたしは、植物というものは一本ずつで生きているのではなくて「面」で命をやっていると思っている。根で実際につながっていなくても、彼らはある程度同じような条件の地面に育ち、文字通りそこに根を張りほぼ移動しないので、垂直なひとつずつの命というよりも生き方が地続きで水平っぽい。特別な御神木などはその限りではないけど、草などはその気が強い。たとえば島の中部と北部で同じのが生えている時に「また会ったね」と思える。そうやって人間とは違うスケールで生きているものに会うのはなんとなく嬉しい。


ハイキングコースはかなり整えられていて歩きやすかったので、序盤でわたしは「な〜んだ、山じゃなくて庭じゃん」と思ってしまった。しかし、中盤に現れた立派なガジュマルのある広場の解説に「昔この場所で人々が集まって祭りや儀式がおこなわれていたのではとされている」とか「ここには理由のはっきりわからない石積み(石垣のようなもの、畑を猪から守るために作ったりするけどここの石積みは聖地とそうではない場所を分つものだったのではと言われている)があります」などと聞いて、あ、聖地って庭なのか、と気がついた。そう気がつくと、昔の人と同じように人間としてここに立っているのは嬉しいかも。落ち葉の積もった地面にあぐらをかいて座ってみた。座ると自分がちっぽけな感じがした。ガジュマルは気根を下ろしながら横へ横へと広がっていくので、木の下と呼べる地面が広い。広場を作るのが得意な木なのかもしれない。木の下にいられる、というのはなんかいいし、人々がガジュマルに親しみを感じやすい理由のひとつかもしれない。

聖地は庭である、という気づきは、自分にとってけっこう大きなものだった。「聖地」というものへの理解がひとつ深まったと思う。わたしはなんとなく全く手付かずの森であればあるほど神聖なような気がしていたけど、むしろそれとは真逆なのだ。ちょっと考えてみればそりゃそうなのだが、聖地には人が出入りする。太古の昔から、ここは多かれ少なかれ、ある程度の人が出入りしてきた、生活や祈りの場として機能してきた山および森だ。いうなれば庭のようなものだ。そして、一般的な意味での庭にも、聖地ではないにしろ、そういう機能があることに同時に思い至る。縁側に座って自宅の庭を眺めるというようなことを現代でもやれている人は少ないかもしれないけど、そうして物思いにふける時間と「祈り」とは、さして遠くないだろう。
わたしはいつか庭のある家に住みたいとずっと思ってきたけど、ますます庭が欲しくなった。蛇足だが、バリ島の伝統的な家のことも思い出した。彼らの家は、壁で囲まれた敷地のなかに、機能ごとに細かく分かれて建てられる。母屋と先祖の墓と、御祈りのための東屋と、台所と…といったように。そして、それらの配置は東西南北に依拠するのではなく、島の中央にある聖山・アグン山と、島の周辺の海を基準にして向きが決まっている。庭が、祈りの場として聖地とリンクしているのだ。ここ安須森(あすむい)は、4つの特徴的な岩山が連なってできており、その尾根のひとつずつに名前がつき、祈りの対象になっているという。今回のツアーのなかで見たいくつかの岩は、それに対峙すると四峰のうちのひとつがその先に認められるようになっていたり、真東の陽が登る海を向けるようになっていたりして、祈りのための羅針盤のような機能をもっていた。ある岩の前に立って顔をまっすぐに前方へ向けると確かに、音声ガイドの示すように遠くに尾根が見えた。太古の昔から変わらずここにあった、人々に守られ続けてきた庭であり、人々を守り続けてきた庭…。

また、祈りに使われたという岩のなかには、空洞(珊瑚の堆積した海底が隆起してできたという石灰岩で、口の中で飴が溶けるような感じで雨風によって造形され、大きな穴がいくつも空いていた。薄くなったふちはエッジが効いていた。飴だと舌を怪我するやつ)に人が入りこむ想定のものもいくつかあった。実際に入ってみていいのかどうか迷って、頭だけ覗き込ませて、オワ〜とかワア、とか軽く声を出してみると、岩に囲まれた特有の響きがあるのがわかった。

民族音楽の研究者・中川真さんが著書のなかで「神社に入るとその外とは音の聞こえかたが変わる」といっている(ざっくりすぎてすいません)のを学生時代に読んでからすっかり感化されているわたしは「神聖な場所には特有のサウンドスケープがある」という提言を彼から勝手に引き継いで持っているんですが、まさにそれだった。
人ひとり分の空間が岩によって作られていて、その中に入ると周りの音は少し遮られ、自分の出す声がよく聞こえるようになる。ドライブしながら歌うとフロントガラスに声が反響してモニターしやすくなってめっちゃ練習がはかどるのと、乱暴にいえば同じです。ひとが自分と向き合う時間は、当時なら祈りで、今ならドライブなのかもしれない。少なからず、自分の声を(内側の心の声とかじゃなくて、リテラルに物理的な声を)聞くことに人は重要な意義を見出してきたはずだ。

付け加えると、このハイキングコースにはよくない響きもあった。コースの終わりに近い地点に特別に巨大なガジュマルがあり、それがこのハイキングのハイライトとして紹介されていた。実際かなり立派な木で、木は本当にすばらしかったのだけど、そのふもとにウッドデッキが敷かれていてガイドいわく「コンサートや結婚式をやったりMVの撮影をしたりしていて今でも人々に親しまれています」とのことだった。へえ、と思って、自分ひとりなのをいいことにその場で軽く声を出してみたら、意外にもよく響いた。意外だったので気になって、少し動き回りながら声を出し続けるうち、ガジュマルの幹を囲んでぐるりとすり鉢状に設られたウッドデッキによって、ちょっと響きが生まれているっぽい、とわかった。(多分ね)
個人的にはそれがやや残念だった。ウッドデッキは見た目にも聖性を欠いていたが、おそらく音響的にもかなり削いでしまっているのではないかと思った。音、響けばいいってもんではマジでない…。それよりも、さっき少し座ってみていた「昔から広場だった」という場所のほうが、わたしは好きだった。


岩の形や色、木々の様子にいちいち感動しながら歩いて2時間くらいの行程だった。途中で一番高いところから最北端の岬・辺戸岬(へどみさき)と海が見えたのもよかった。ああ〜あれが島の最北端なんだへえ〜と思うけど曇り空だし風も強くて寒いので、あまりゆっくり眺めなかった。レンタカーを返すのは18時ということになっていて、もうすでに15時に近い。少し足早に駐車場のある施設まで戻った。

施設には売店があった。いいハイキングだったな〜とホクホクした気持ちだったが、あまりにも自分の他に人がおらず、またうっすら不安になった。この場所を応援したい気持ちがあったので、ささやかながらヤンバルクイナのステッカーと沖縄名物らしい黒糖の蒸しパンを買うことにした。黒糖蒸しパンを「温めますか?」と聞いてくれた売店のお姉さんが、蒸しパンが温まるのを待つあいだに「同じ色の仲間ですね」と話しかけてくれたのがなんか動物みたいでおもしろかった。(山へ行くとたまに、狸や狐が化けているのか…?と思うような、不思議な愛嬌のある人に出会うことがあるよね…)(わたしが黒いウェアに黄色いジャケットを着ていて、お姉さんも黒いポロシャツに黄色い上着だった)

施設を後にして、温かい蒸しパンをかじりながら運転席に乗り込み、上着と鞄を助手席に投げてスマホを確認するともう15時をまわっていた。できれば17時くらいに帰りたいので、ちょっと急いだほうがよさそう。出発!
だが、山をぐいぐい降っていると「1.0km先 辺戸岬」みたいな看板が現れた。さっき山の上から見た岬だ。えっ…1km先なら行っちゃうか……と、当初は「行けたら行こう」くらいに思っていた岬へ、ノリで寄り道することに決めた。

ここが、ノリで決めたのだけどめっっちゃくちゃよかった。この日一番よかった!

沖縄本島最北端の辺戸岬は、よくある他の岬と同じように、ちょっとした公園のようになっていた。展望が可能な窓の大きい建物(二階にレストラン)と、駐車場とトイレと記念碑と、みたいな、よくある構成だ。車を停めて降りると風がとにかく強い。わたしの着ていた上着はスキーウェアだったけど、フードをかぶって頭と耳を守ってもなお寒かった。やや急いでいるし元気がありあまっていたので、思い切ってダッシュで岬へ向かった。大きな岩が立っていたのでとりあえずそこを目指す。

近づくと、その大きな岩は、沖縄の本土復帰を記念して立てられた石碑だった。碑文はけっこう長い文章で「全国のそして全世界の友人へ贈る」と題されて書かれたものだったのだが、これが、すごく強くて厳かな、重みのある文章だった。最初のパラグラフがかっこよかったので引用する。

 吹き渡る風の音に耳を傾けよ
 権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
 打ち寄せる波濤の響きを聞け
 戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ

(全文を書き起こしている人がいたのでご興味あればぜひ)(https://monumen.to/spots/5215

こんなにパワーのある言葉を書かせる戦争というのがどれほどのものか、というのを想像させるに十分な強度の碑文だった。「大きい声で叫んでいる文体」というものがある…。文字そのものもかっこよかった。こんな文章なかなか書けないよな、書かなくてもいいのが一番いいけど…

つられて勇ましい気分のまま駐車場の方へ引き返すと、右手に、土が踏み固められてできた細い道があった。しばしば人が通っていると思われる道で、今朝からの小雨で土がぐちょぐちょしていたが、なんとなく勢いづいていたので走るようにそこを下った。両足の幅くらいしかない細い道の両側には、膝くらいの高さのクサトベラが生い茂っている。クサトベラは、硬い緑の葉っぱの、ごつごつした珊瑚のような枝をもつ低木だ。風が吹くとカラカラと音が鳴った。本州の海辺ではまず見ない木なので、見慣れなくてソワソワする。異境に踏み込みつつあるような感じ。ものの1分くらいで、海が見えなくなるほどの、人の身長を超えるくらいの高さの黒っぽい岩壁が現れた。(約2.4億年前のかなり古い石灰岩らしい、さっき山で見たものと色が全然違う)
その岩沿いにまだ道が続くので先へ進んだ。進むにつれて、海風と波の音がいつのまにか静かになった。わたしはこういう時に「ああ、岩が遮音してんだ」と思ってしまうけど、それでもなお「あっ、多分この先は聖域だ」と思わされる雰囲気があった。
行き止まりには、特別かっこいい形の岩と、ちょっとした祠のようなものがあった。具体的なモチーフのある石像などはなかったが、文字を読むにどうやら龍と火の神を祀っているらしい。白っぽい石の祠のところに小銭が行儀良く並べられたりしていた。さっきまで耳がボウボウ鳴るくらいの風と波の音を浴びていたのに、あたりが静かなのが少し怖かった。

あまり長居するつもりもなかったので、辺りをちょっと見渡して、お辞儀だけして、すぐ元の道を戻った。また波の音が聞こえ始める。風が体に当たる。公園っぽいエリアに戻ると、さっきまでよりも人が増えていて少しホッとした。南東のほうに道があったのでそっちへ行ってみると、とてつもなく大きい断崖絶壁が見えた。すっげ〜!道沿いの柵から身を乗り出して、強い風をごうごう浴びて目を見張る。眼下には珊瑚礁か岩かわからないけど茶色っぽくて硬そうな浅い水底が見え、その上を透明な波が寄せ、足元の岩壁に当たって砕ける音がした。

ものすごい轟音だった。「強い波が岩壁に打ちつける音」というのは、多分これまでにも聞いたことがあったけど、浅い岩の上をサーッとなぞる音が混じって聞こえるのがかっこよくて、寒くなかったらいくらでも聞いていたかった。今まで自分が聞いたことがない波音だった。それと同時に、音ってすごいんだと思った。わたしの体があるところよりも、さらに下方の岩壁がより深くえぐれているのが、音を聞いてわかった。足元から垂直に下へ降りた地点よりも内陸で波が砕けているのだと、直感的に、なぜわかるのかわからないけどわかった。音っておもしろい!音も音響もかっこよかったし、目で見た時の岩壁と波と水面の美しさおよび迫力もすさまじかった。圧巻とはこのこと…

すっかり感動して、海風と轟音を浴びながら「時間と場所の記録」くらいのニュアンスでこだわりのない写真を撮ってその場を後にした。膝下くらいの高さのごつごつした岩がたくさんあるところを戻る時、写真を撮っている知らない人の画角に入らないようにと少し急いで動いたら、向こうずねを岩に強打してめちゃくちゃ痛かった。その後の運転中もずっと痛かったが、すごい音を聞いたという興奮と、急に静かな聖域が怖かったということを受けて「音って言葉よりも速いんだよナ」「聖性は言葉以前の感覚に訴えかける」「鼓膜も広く言えば皮膚であり触覚なのでは」みたいなことを整理したくなり、しばらくぶつぶつ喋っていたが、もともと知っていること以上の論の展開はできませんでした。


もう大満足だけど、わたしは島の東側の海岸にあるという広大なマングローブの林が見たかったので(マングローブ自体はジャワ島で見たことがあったけど、沖縄のマングローブがどんなものだか知りたかった)沖縄本島最大規模だという天然記念物のヒルギ林があるという慶佐次川(げさしがわ)河口の公園へ向かった。
最北端までの往路は西側の海岸沿いを走ったので、島の東側を南下していけたらいいな〜と思っていたが、やや遠回りだったし、GoogleMapもなかなかその道を案内しようとしないので、おとなしく途中まで来た道を戻り、塩屋湾のところで島を横断して東へ抜け、慶佐次湾へ向かう、というルートに決めた。

車を走らせていると、「比地大滝」という看板が見えた。事前にチェックしていた名前だ。確か、すごく立派な滝…!時間はあんまりないけど見れるなら見たいので向かってみた。しかし、国道から道を入ったところに「比地大滝みれません!」と書かれた看板が立っていた。なんで…?車を停めてどうしようか決めかねていたら、クジラのように大きなトラックがクラクションを軽く鳴らしてズワーッとわたしの車のそばを通り過ぎて山のほうへ入っていき、なんか怖くなったのでやめた(あとで調べたら、豪雨災害の影響で土地が崩れたりしているために閉鎖中らしい。怖いとかではなく普通に「みれません」だった)。でも、なんらかの滝は見たかったので、GoogleMapに「滝」と入力したら近くにあるとわかった「喜如嘉(きじょか)の七滝」へ向かってみることにした。


続く!