ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑧ 5/13〜5/17
最後のジョグジャ滞在と、一瞬のサラティガ編です。
5/13(月)
朝、目が覚めたらもう皆とっくに先に起きて1階にいるようだった。顔など洗ってから降りて、昨日の残りのロントンサユールを米で食べた。アニサが、フライパンになみなみの油に卵を落として作る、ほぼ揚げたみたいな目玉焼きを作って載せてくれた。ありがとう。
タフタとアントは、今朝からJeparaという木彫で有名な街(ここから東へ片道半日くらい)で開催される勉強会に招待されたらしく、二泊三日の旅に行ってしまった。昨夜レンタカーがどうのとか言っていたけど朝の時点でもう出発してしまっていて会いそこねた。
わたしは今日は帰るだけなので、いつ帰ってもいい。山から降りるタイミングを合わせて、マルノのバイクに乗せてもらって下山した。マルノは私のことをだいぶ歳下だと思っていたらしく(むしろ、わたしのほうが4つくらい歳上だった)年齢を言ったらびっくりしていた。アホさで若く見えるんだよ……と情けなくなっていたら「あなたはホント強くて元気だよ」と笑いながら褒めてくれたので、強くて元気でいこ…と思い直した。ありがとう
10時半くらいにバス停からバスに乗り、来た時と同じ、スマラン市内のBalai kota(市役所)のバス停で乗り換え。この時点で11時くらい。そこからTrans jatengに乗り換えて、お馴染みのTerminal Bawenまで。ここで一回お昼ご飯を食べた。駅のスタッフもそこで飯を済ませる感じの小さい売店みたいなワルン(食堂)で、白いご飯にkacang panjangの炒めたのとテンペの甘辛炒めと卵焼きを載せてもらった。駅のスタッフらしきおっちゃんが外に通じる窓から顔と腕だけで登場してご飯を買っていて、その声がものすごいしゃがれ声で、食堂のおばちゃんもすごいチャキチャキで「ハイハイいつものね」みたいな感じのやりとりをしていて、いいシーンだった。
駅のトイレの床が、掃除したてなのかビショビショに濡れていて(よくある)、荷物が多いので入れなくてちょっと困った。さすがにトイレの濡れた床にギターケースを置きたくないけど、荷物を任せられるほど信頼できる人もいない。一人旅だとこういう細かいところが時々しんどい。結局、飲む水分を抑えて、帰るまで我慢しよう、と決めてその通りにした。お腹を壊したりしていなくてよかった。
もう疲れたし乗り換えはダルいのでジョグジャ直通のバスに乗りたい。バス停の人に教えてもらったりして(誰か一人に聞いた情報だとなんとなく不安なので、お兄さん、お姉さん、おっちゃん、の3人に聞いて確証を得た)結局1時間くらいベンチでお菓子(透明の袋にKacang atom、gajah(象)と大きく文字と象のイラストが描かれた豆菓子が、どこにでも売っていて安くて美味しくてめっちゃ好き)を食べ、小さいオレンジジュース(なけなしのビタミンC)を飲みながら待って、やっときたバスに乗った。バス停でいろんな人とちょっとした会話ができて、なんだかそれがスムーズだったのが嬉しかった。山で散々インドネシア語に揉まれて、だいぶ聞き取れるようになった気がする。これに「英語をインドネシア語訛りっぽく発音する」という謎スキルと、車の走行音に負けない大きい声も併せて、けっこう普通にやりとりができた。
14時半くらいに出発。バスは70,000ルピアだった。1時間くらいでマゲランまで来て、夕方にジョグジャ市内に入った。夕日が右手に見えていて、曇っていたけどきれいだった。もう全部終わったような達成感でいっぱいだったけど、また来週もあの山に行けるのがうれしかった。
前回、終点の駅から帰るのに苦労した(バス停にタクシーを呼べなかったり、人通りがなさすぎて怖かったり)のを思い出して、「より滞在場所に近い、ルート上の途中の路上で降ろしてもらう」という上級者テクを使った。もう他の乗客がほとんど降りていていなかったし、バスのスタッフのおっちゃんが外国人のわたしを気にかけてくれていたので、あ、次の交差点で降ります!と言って降ろしてもらった。けっこう大胆にいったと思う。おかげですんなりタクシーに乗り換えられて、スッと帰れた。夜の20時くらいに帰宅。ウンガランの山、普通にめっちゃ遠いな…。墨田区のレジデンスにいるのに小田原に通ってるくらいの感じ…(適当)
夕飯は近所のワルンで食べた。Nasi Godogという、お粥みたいなスープ飯。飲み物とあわせて20,000ルピアだった。お店の人がチャーミングなお姉さんで「ナシゴドーーーーッ♪」と言ってノリノリで皿を持ってきてくれてキュートだった。わたしの他にはマダムが二人組で来ていた。
5/14(火)
今日は休日なので目覚ましをかけずに眠り、昼ごろに起きた。洗濯物をランドリーに出した。野菜が食べたいのでGoogle mapで調べて、Lotekを食べに行った。ここで食べたのがめっちゃ美味しかった!「これこれ〜!」という味のピーナッツソースだった。ここ数日、確実に食べ過ぎなので、ちょっとでも歩こうと思って徒歩で帰ったが、途中でグァバジュースを買ったし急にソフトクリームも食べたので全然カロリーオーバーだった。
日本の人とオンラインミーティングがあったので、夕方はWi-Fiのある冷房の効いたカフェで過ごした。来週からの旅程を色々と整理して、スマランへのバスを調べたりサラティガの宿やバリへの飛行機を取ったりした。そういうのを色々やっているだけでこの日は終わった。2週間後の帰国まで全て見通しがたったし、インドネシア語でググって目的の情報を得られたりするのが誇らしかった。遅めの夕飯は、スーパーで買ったカットスイカとプロテインドリンク。
5/15(水)
今日はジョグジャでライブです!!!!
5年前にジョグジャに来た時に一緒にセッションに参加したラジプタが、友人のカフェの奥の中庭を貸し切って不定期で開催している音楽のイベントで、演奏に本人のトークを交えて進めていくという、語学やばめの外国人が出演するにはややハードルの高い企画だが、こちらに来てだいぶ早い段階でやりとりして出演が決まっていた。ツーマンライブで、もう一人の出演者はチェリストのラリャさん。
昼前に起きて、もうジョグジャにいる日数も限られているので何の迷いもなく昨日の「これこれ〜!」なLotekを食べに、同じ店に行った。お店のお姉さんは奥の自宅で1歳くらいの子の面倒をみながら店をやっていた。わたしは、マジで食欲が爆発し始めていて、揚げ物を2つ追加して食べてしまった。食い過ぎだ〜。昨日とても美味しかったからまた来ました、ありがとう、とちゃんと伝えて帰った。ジョグジャでゆっくり過ごせるのは今日が最後かもしれないので、散歩しながら帰宅し、帰ってからちょっと練習した。
夕方ごろにライブ会場へ出発。19時からスタートだから19時くらいに来てね!と最初に連絡をもらって、そんなわけないだろwwwwと思ったのを思い出しながら17時半くらいに行ったらそれで正解だった。めっちゃおしゃれなカフェだった。タマンサリというとても有名な宮殿のある、白い壁が美しいエリアの一角だった。広々としていて、雑貨を売っているコーナーもあって、建物の奥に会場となる中庭があった。奥の会場も、このエリアの白い壁にあわせたような白壁に囲まれていて、都会的で手入れの行き届いた空間だった。
着いて速攻、サウンドチェック。先日の山のライブでもそうだったけど、毎回このタイミングで、私が使っているギター用マイク(OBANA MICROFONEという名で友人が制作・販売している)が「何これめっちゃ良い」と注目を浴びるのが本当に勝手に鼻が高い。あと、わたしがギターのストラップの部品を紛失していたので、紐とかないかな、と相談したら、PAを担当してくれたファイザル(普段はベーシスト)が、結束バンドを買ってきてくれた……。マジでありがとう。(でもこれは演奏一曲目の途中で弾け飛んでしまった。内心ウケながら平然と演奏して、思い出になった…)
だいたい音OKですね、ということになってから時間があったので、ラジプタがカフェのメニューをおごってくれた。お言葉に甘えて、野菜炒め(米ナシ)とWedang Uwuhをいただいた。Wedang Uwuhは、木の根や色々なスパイスを煮出して作るジャワの赤いハーブティーのようなもの。おいしいです。ありがとう。
テーブルがめちゃくちゃ斜めで、紙コップを置くのにヒヤッとしたけど、そこでしばらくのんびりした。少しして、お客さんやもう一人の出演者のラリャさんや彼の弟さん、そしてなんと先々週にソロでも会った日本人の友人、岸さんがほんとに来てくれた。ラリャさんたちと、ソワソワしながらガタガタの言語で自己紹介したりしているうちに演奏が始まる時間になった。ラリャさんのフィールドレコーディングのサンプリングや深めのディレイとリバーブを駆使したチェロの演奏と合間のトークで合わせて1時間弱の後、わたしの出番だった。4曲演奏した。
けっこうビックリしたんですが、この日すっごく演奏しやすかった。振り返って書いているけど、今回の滞在で演奏したなかではこの日が一番演奏しやすかった。変にハウったりモコモコしたりせず、すーっと気持ちよい白壁のリバーブも感じながら演奏できて、すごく嬉しかった。実際に何がどう効いたのかわからないけど、ファイザル氏の手腕によるところだろう、本当にありがとうございました。わたしのトークはボロボロだったけど、どんな時期に何を考えてこの曲を書いたのか、というのを一つずつ頑張って話したうえで演奏を終えたので、終演後に話しかけてくれたお客さんたちは感想に加えて具体的な質問をたくさんしてくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。司会を担ってくれたジタさん(彼女もシンガー)のコミュ力にも助けられまくった。(あとで気づいたけどわたしこの人が歌っていたのをソロのダンスフェスティバルで見てた……世の中が狭過ぎる〜〜!)
そして友人のギャリーがジャカルタから来てくれていた。ギャリーとも5年前に出会っていて(スマランで行ったライブの主催者の一人)、彼が日本に来た時に「ここだったら演奏させてもらえるかも」と場所を紹介したり(わたしが鬼忙しい時期であんまりサポートしきれなくて申し訳なかった…)もした仲である。昼間、彼のインスタグラムを見て「なんか…ジョグジャに向かってない?この人(※でも寝過ごしてソロに着いてしまっている)」「もしかして……」と思っていたので、めちゃくちゃ嬉しかった。「てか来る時がっつり寝過ごしてたっしょwww」「うん超焦ったww」みたいな話も笑いながらできた。今回ジャカルタには行けそうになかったので会えないと思っていた。まず会えて嬉しい。ギャリーは以前からわたしの曲をインターネットごしに聞いてくれていたらしく、「あの曲やって」と客席から声をかけてくれた場面もあった。盛り上げてくれてありがとう…!
演奏を終えて、23時くらいに岸さんと一緒に帰宅。空いている部屋に一泊してもらう。明日の朝、けっこう早い時間にソロで用事があるとのことだったので、一緒にソロまで行き、わたしはそこからサラティガへ行く、というプランだ。さらっと水浴びを済ませ、二人ともさっさと寝た。
5/16(木)
サラティガへ、友人と恩人に会いに行く日!
ちゃんと早起きしてサクッと荷物をまとめ、岸さんと二人でタクシーに乗り、ジョグジャの駅へ。数年前から、日本の一般的な電車のような形の、指定席のないタイプの電車がジョグジャからソロまで運行しているらしいので、今日は岸さんに案内してもらってそれに乗る。以前ソロに行った時にはこの電車のことを知らずに指定席のある電車に乗ったけど、こっちのほうが安い。かかる時間も1時間程度なので、全然これでいい!次からは毎回これを使いたい。
電車に乗る前に、ちょっと時間あるね…?と言って近くのワルンで朝ごはんを食べた。ナシクニンと飲み物で27,000ルピア。美味しく食べていたらけっこう時間ギリギリになってしまって、急いで電車に乗った。
電車はマジで普通だった。車内に警備の人がいて、荷物は上の棚に置いて、と言われた。めちゃくちゃ冷房が強くて凍えたこと以外は快適だった。岸さんはかなりインドネシア語ができるので、隣の席にいて話しかけてきたおっちゃん(大学の先生らしい)と急に知り合って連絡先を交換していた。すごい…
電車が無事にソロに着いて、電車に乗っているあいだに教えてもらったSIMカードのギガの補充をするため(ちょうどいい使い方がまだよくわかっていません…)コンビニに行くのに付き合ってもらったりしてから解散。短いあいだにこれでもかと色々助けてもらっちゃった。ありがとう…。日本でまた会いましょう。
そして、ソロのバス停から乗ったサラティガに向かうバスを、わたしはめちゃくちゃ寝過ごした。思い出のTerminal Bawenまで来てしまった。20分〜30分くらいで取り返せる距離の寝過ごしなので、そんなに焦るようなことじゃないのに、なんだかこの時、すごく焦ってしまって、サラティガへ向かうために呼んだバイクタクシーでめちゃくちゃ手間取ってしまった。まず運転手と合流するのに手間取ったし、最初に設定したアプリの目的地が間違っているのに途中で気づいて「???」になったしで、結局、約束の時間より1時間くらい遅く着いてしまった。
集合場所は、友人のアンドリャンの営むワルン(食堂)だ。彼は5年前にスマランで一緒に演奏した仲で、シンセサイザーを主に操るミュージシャンである。そして(本当にわたしは常々こういうところがあるんですが)Andriさんもここに呼びつけていた。(二人の名前が似ているのは偶然)
Andriさんは、わたしが5年前に働きに行っていた高校の音楽の先生だ。わたしが担当の日本語の先生と何となくうまく行かずにくすぶっていたところに「大野一雄わかる?(この時、カゾーノ、と言われて数秒ほど考えてしまった。韓国でナムジュンパイクって言っても通じなくて、パク・ナムジュンと言ったら伝わったのと似た現象…。)」と話しかけてきてくれて、その後の全てを完全に良い方に導いてくれた重要な人物である。彼は、職場でも持ち前の朗らかさでわたしの心を支えてくれたし、AmbarawaやここSalatiga、そしてSemarangにまで至る広いエリアの文化的な場所へ連れて行ってくれたり、自身の出演する演劇やバンドのライブに連れて行ってくれたりした。彼のおかげで、わたしはカルトゥンさん(先週の山へ連れて行ってくれた)やアディット(今回の序盤でも一瞬会った、イラストレーター。バリ編で登場します)に出会えた。5年前の滞在が素晴らしい日々になったのは完全に彼のおかげなのだ。絶対に会ってお礼を言いたくて、今回、彼の住むSalatigaまで来たのだった。
彼ら二人には共通の友人がいる。まず、アンドリャンの店の内装を担当したのが、Pak Men氏である。そして、そのPak Men氏のバンドでAndriさんはパーカッションを担当している。だから、きっと二人は友達だろうと思っていたら、この日が初対面だったらしい。だいぶ雑に人と人を引き合わせてしまった。(これを機に仲良くなってください...)
アンドリャンの店は、いわゆるワルンで、価格も手軽で店もそれほど大きくないのだけど、すごく良い空間だった。店の壁に、アンドリャンの人脈やセンスでセレクトされた若手アーティストのペインティングやテキスタイルの作品が多く飾ってあった。どこかから輸入してきたような漠然としたオシャレを目指すんじゃなく、庶民的で風通しの良い感じの店にカジュアルに若手作家のアートが置かれているの、素晴らしく良い。というかわたしの好みだ。こういう、地に己の足のついたやり方で芸術と親しんでいる人と場所って信頼しちゃうな…。
店には、Andriさんが連れてきてくれたようで(先々週にも会った、気まずくなかったほうの)日本語の先生も来てくれていて、再会を喜びながらバナナの花の炒め物やコロッケみたいなのや、色々食べた。急に彼女だけ日本語で話しかけてくれるので、ちょっと頭がバグる。
日本語の先生は、仕事があるからと早々に帰ってしまったけど、わたしは予定がないので「今日これからどうすんの」「え、どうしよ」とか言ってひとしきりぐだぐだした。アンドリャンが「うちのメニューには最近チキンカツが加わったんだけど、日本人の舌で美味しいかどうかジャッジしてくれないか」と言って、お腹いっぱいなのにさらにチキンカツを2枚出されてしまった。しっかり美味しかった!さすがに食べ過ぎなので1枚は包んで持ち帰らせてもらった。ついでにわたしが「これうま過ぎる」と言って食べる手を止められずにいた、シジミみたいな形の小さなクッキーのようなお菓子も包んでくれた。ありがとう…食べ過ぎててすみません…
夕方から日本の人とオンラインミーティングがあり、その後さらにもう一つ別のミーティングがある日だったので、もう今日はこれでおしまい、ありがとうin Salatiga!解散!と思っていたが、Andriさんと相談した結果「一度ホテルで休んでから、一つ目のミーティングに出席し、それが終わる頃にPak Menのアトリエに遊びにいこう、そんでそこから二つ目のミーティングに出席したらよくない?すぐ近くにインターネット早いWi-fiもあるよ」ということになった。ハードスケジュールすぎるけどPak Menには会いたかったので、迷わず決行することに。
ホテルは、前回のソロの安い臭い宿の反省を活かして、ちょっと良いところにした。部屋は白っぽくて清潔で、全く臭くなくてホッとした。サンダルの底が剥がれかけていたので、フロントのお姉さんに助けを求めたら強そうな接着剤を貸してくれた。ギターケースを重しにして接着した。一旦シャワーを浴びて仮眠をとり、ミーティングに出た。約束の時間に再びAndriさんと合流し、Pak Menのアトリエへ。
Pak Men氏とは5年前にも会っている。彼は、色々な形の笛や口琴のみならず、謎の弦楽器や家具、内装まで作る、かなり腕の立つ楽器職人であり、ミュージシャンだ。かの有名なSenyawaのWukirの竹の楽器も、設計をWukirが担当して、実制作はPak Men氏が担ったという。(聞き違いだったらすいません)遊びに行くと、家は前回お邪魔したのと同じ場所だったけど、家の周囲のアトリエの機材や物の配置が変わっていた。もうすっかり日が暮れていたが、Andriさんも参加しているバンド”Saung Swara”の面々が集まってばりばり音を出してセッションしていた。住宅街だけど関係ないんだ〜!?
Pak Men氏が相変わらずのハイテンションで「Aoi〜!やるか〜!?」とノリノリで自分の楽器(名前がわからないんだけどすごいかっこいい自作弦楽器、ギターと琴とSiter(ジャワのガムランアンサンブルで使う楽器)のあいだみたいな)をわたしに持たせてくれたので、適当に鳴らし始めたら、ハサンという青年(高校生くらいに見えたけど年齢不詳)が手作りの二胡のような楽器をすぐに合わせてくれて、さらに他のメンバーの笛や太鼓も加わって、いきなりむっちゃ楽しかった。全員が手練れだ〜!ギターを持ってきていたので、それを出して自分の曲も聞いてもらった。そんなこんなしていたら、Aulia氏がやって来た。彼とは、5年前にジョグジャの即興のライブで一緒になった。コテコテのエレキギターを弾いててウワ〜好きだわ〜と思っていたオッチャン…。え?!会ったことあるよね?!そう!ジョグジャのKomboで!うおお〜なんでSalatigaにいるんだ〜!(なんでだったんだろう)と、喜びの再会だった。
Auliaが私のギターを弾いて、なんか日本の曲やろう、といって「宇宙刑事ギャバン」を演奏してくれた。一緒に歌った。まさかの選曲があまりに渋すぎて(わたしがアニメ好きじゃなかったらポカンとしていたと思う、全く世代じゃない)その時点で爆笑なのだけど、Pak Menやハサンの楽器による、東南アジアっぽいサウンドが輪をかけてツボで、本当に楽しかった。ありがとう。
ほどなくしてミーティングの時間になってしまったので、奥の部屋を借りて通話会議をした。7月に東京でやるライブの打ち合わせだった。
わたしが1時間半くらい抜けていたタイミングで、どうやらアンドリャンが差し入れに揚げ物を持って遊びに来ていたっぽくて、私が彼とAndriさんを急に引き合わせたことが変な間違いじゃなかったっぽいことがわかって、ホッとした。よかった。
ミーティングを終えて戻ると、みんなで楽器をがっつり演奏する時間は終わって、アンドリャンの差し入れを食べたりコーヒーを飲んだりして、ぐだぐだタイムになっていた。明日ジョグジャに帰るんだあ、適当にバスに乗るよ、と言っていたら、「DayTrans」っていう直通のミニバスがあるからそれに乗りなよ、と全員に強くおすすめされたので、その場で進められるがままにバスを予約した。75,000ルピア。先日のTerminal Bawenからの直通バスとそれほど変わらない値段で、ここから直通なんだったらけっこう良いんじゃないか? バス停までは、明日の朝にファジャルが送ってくれるって。え、ありがとう…。このバンドメンバーの多くは楽器を作るようで、ファジャルも笛職人だった。わたしのインスタを見てだったか「ああ、タフタんとこ行ってきたんだ」みたいな反応だった。そこ繋がってんだ〜!世間ほんとうに狭いな!彼はファゴットみたいな形の大きな自作の笛を吹いていた。もうちょっとよく見せて貰えばよかったな〜
眠くなってきて、ほどなく解散。Andriさんに送ってもらった。ファジャルんちは、わたしがとったホテルのガチ近所だった。「ここがファジャルの家だよ」なるほどそういうことか…!それにしてもありがとうございました…。さすがにヘトヘトだったのですぐ寝たと思う。この日ホテルに戻ってからの記憶がない。
5/17(金)
ジョグジャに帰る日。バスは9時発なので、朝8時半にファジャルと待ち合わせる。朝ごはんを食べるため、8時くらいに部屋をあとにしてホテルのフロントに荷物を一旦預け、Google Mapで見つけた近くのワルンまで5分くらい歩いて行った。
ワルンに入ると、メガネをかけたおしゃれな感じのお姉さんが店番していて、メニュー表もしっかりデザインされていた。なんかSalatigaっぽい。そう、Salatigaは中部ジャワのなかでは、外国人にとって全く有名ではない町(たぶんこれといった観光スポットがないから)だけど、わたしはけっこう良い街だと思っている。キリスト教系の総合大学(音楽学部もある)があり、教会もあり、もちろんモスクもあるが、ムスリムじゃない人の割合が他の町よりも高くてなんとなく雰囲気が違う。学生の多い街だからか、飲食店の価格も比較的安く、オシャレな店構えのカフェが非常に多い。そして、街灯と小綺麗に舗装された歩道がけっこうしっかりあって、歩いて回って楽しめる街並みなのもけっこうすごい。なんならジョグジャより歩きやすい。あと、標高が高めなのでやや涼しく、街全体が坂になっているので要所要所で眺めが良い。そして、個人的にはジルバブ(ヒジャブ)を被っていない、髪を見せて生活している女性がたくさんいるというのも、なんとなく気が楽だったりする。個人的には「もし何年か住むんだったらここかもな〜」とすら思っています。長めにジャワへ行く機会がある人には、是非一度訪れてみてほしい街です。
そんなSalatigaっぽいワルンでSoto Ayamを食べた。ミニサイズがあって、お茶漬けみたいな感覚でサラッと食べられて良かった。食べた後は少し遠回りしながら散歩の足取りでホテルに戻った。朝の光が強くて、うっそうとした茂みに木漏れ日がキラキラと落ちていてすごく綺麗だった。家の庭を鶏が数羽歩いていた。少し開けたところからは、遠くに山と、モスクの屋根が見えた。大きな道沿いでも、ちょっと路地にはいるとすぐに山の雰囲気になるのが、このへんのエリアの楽しいところだ。
ファジャルと無事に合流した。彼は全くヘラヘラニコニコしないタイプなので、こちらはけっこうソワソワする。話題がなさすぎて気まずかったので、思いついて絞り出すように「タフタとどこで会ったの」と聞いたら、リマ・グヌン・フェスティバルで会った、と言っていた。これはマミさんの夫・タントさんが中心になって企画している大きなダンスフェスだ。ジャワ島のみならず、インドネシアじゅうのダンサーが集まって、各地方の踊りが披露される。たまにコンテンポラリーダンスもあり、地元の子どもたちのダンスもあり、すごい密度のプログラムが2日にわたって開催される。中部ジャワの「リマ・グヌン(5つの山)」の村をローテーションしていくので、毎年会場が変わる。
個人的には、わたしが初めて一人でインドネシアに来た時に「山は寒い」と身を持って学ぶことになった(硬くて埃っぽい2階の床で凍えながら二泊した)思い出がある。伝統芸能や色々な芸術に広くアンテナを張っている中部ジャワのインディーズのミュージシャンやアーティストたちはきっとほとんど全員が知っているし関わりを持っている、といって過言ではない、と思っています。(わたしがオーバーグラウンドのアーティストたちと全く縁がないので、一般的な認知度がどれくらいなのかは不明。)
リマグヌンフェスティバルか〜、いいね〜、ですぐに会話が終わったけど、無事、ファジャルにバス停まで送ってもらった。彼は「この人は9時のジョグジャ行きのバスに乗るから」とバス停の人に伝えるまでしてくれて、それでもう解散すると思っていたら、バスが出るまで一緒に待って、最後まで見送ってくれた。紳士じゃん…。バスを待つ間、わたしが話題を広げられなさすぎて、彼は近くにいたカリマンタン島帰りだというおっちゃんと話し始めてしまったりして、正直気まずかったけど、心強かった。本当にありがとう…。
バスは10人乗りくらいのサイズで、わたしのギターが大きくて恐縮だったが、窓際の席に座れて、快適だった。ウトウトしていたらあっという間に着いた。9時出発で、12時くらいにジョグジャに着いた!早い!最高!
到着したバスの事務所が明日乗るのと同じ場所のようだったので、「明日ここからバスに乗ってスマランに行くんだけど、大きいスーツケースがあるんだ。乗るか心配なんですけど、追加料金とかいるんですか?」というのをスタッフに確認した。わたしは言語がダメだったし、スタッフのお兄さんもそれほど英語が達者ではないようだったので、お互いにスマホを取り出して翻訳アプリを噛ませまくってなんとかした。優しい人でよかった。明日の朝、早めに来て重さを測ってお金を払えば大丈夫そう。飛行機とかもだけど、こういう交通機関で、誰かの荷物が大き過ぎて乗りきらなかったらどうなるんだろう…。まあ落ち着かないけど、なるようにしかならない。
OK、ということにして、お昼ご飯を食べに行く。バス停(というかDayTransの事務所)の近くのワルンに、Nasi Pecelがあった!ここのも「これこれ〜!」という味のピーナッツソースで、美味しかった。ちょっとムニャムニャになった天ぷらとピーナッツソースと米を一緒に口に運ぶのがマジで美味しくて、一皿のNasi Pecelを食べているあいだのいろいろな一口のなかで最も好きです。わたしが食べている途中で「ここ美味いんだよ」みたいなことを言いながら二人組のお兄さんが来店して、ちょっと嬉しかった。
帰宅すると、停電していた。電気がつかない。妙に静かだと思ったら冷蔵庫も動いていない。明日からスマランで、ジョグジャにいるのは今夜が最後なのに、タイミングが悪い…。クーラーは元々ないけど、夜はちょっと困る。ここの管理をお願いしているPさんに連絡をしたけど、原因はわからないので待つしかないということだった。
夜、アーティストの先輩である北澤潤さんと、友人のランガと会う約束をしていたので、夕方になってから家を出た。「完全に私のワガママで会いたい人に同時に会うやつ」第二弾である。本当にごめん過ぎる。今日しかなかったので許してください。
ランガは、7年前にインドネシアに来た時に仲良くなったアーティストで、当時は音楽学部生だったけどその頃から制作と発表をずっと続けてきていて、今はプログラミングを使ってビジュアルやサウンドを作っている。ライブも時々やっている。彼よりも早口の人にまだ会ったことがない、というくらい、すごい早口のオタク口調で喋る。賢くてめっちゃ気遣いができる。大変できた人です。わたしが予定を勘違いしていて今日しか会える日がなくなってしまい、無理やり会ってもらった。潤さんは、もう10年近くインドネシアに住み、アーティストとして活動している先輩だ。この人も、わたしが7年前にインドネシアに来た時からの縁で、その時はジャカルタのスラム(これ、「スラム」と簡単に言い切りたくない複雑な事情があるんですが泣く泣く省略…、※拙ブログの2017年の記事に書いてます)のリサーチに連れて行ってくれた。今はジョグジャにある大学で授業を持っている。インドネシア語で授業やってるの凄過ぎる…。わたしに文化人類学的な視点をくれたのはこの人です。
二人ともコンテンポラリーアート界隈の人だし、どっかで今後、接点があるかもしれないし、まあ、会っとこ?というわたしの雑なノリにより、ランガのガールフレンドと一緒に謎メンツの4人で会うことになった。ジャワ料理の店に行った。わたしは現金が尽きかけていたので、近くのガソリンスタンドのATMでお金をおろして、やや遅刻で向かったけどまだみんな着いていなくてホッとした。
ごはんは美味しかったし、みんな変わってなくて嬉しかった!ランガはコンブチャを飲んでいた。コロナのせいで、俺ら前に会ったの5年前っていうけど3年くらいの体感じゃない??とランガが言っていた。本当にそうだよね〜。5年前、アディットと友達と4人でジョグジャの海に行ってみたけど風が強くて何もできずに帰って来たことがあったね……。もうわたしは元気な彼らに会えただけでだいぶ満足で、主に潤さんとランガがお互いの作っているものについて紹介しあって、ものすごい勢いのインドネシア語を交わしているのを「ギリギリ内容がわかるけど入る隙がないな」とニコニコ聞いていた。俺らが喋ってばっかりでAoiぜんぜん喋れてないけど大丈夫?!みたいに言われたけど、本当に顔が見れただけで嬉しかった。ありがとう。
帰り、潤さんが滞在先まで送ってくれた。わたしは途中でMartabakを買わせてもらった。Martabakというのは、ムニャムニャした食感の卵多めの分厚いパンケーキのようなものにマーガリンやチョコレートやピーナッツ(選べる)を挟んだ、ものすごいハイカロリーの屋台菓子だ。なぜか昼に屋台が出ることはほぼなく、夜にしか手に入らない。友達にもらったことは何度かあったけど自分で買ったことないな…どっかで食べたいな…と思っていたので、バイクに乗り込んでから「Martabakの屋台を見つけたら寄ってもらえませんか」と潤さんに頼むのに迷いがなかった。ちゃんと良い感じの屋台に出会えたので、ワクワクしながら買った。紙の箱に入っていて、ずっしり200gくらいだろうか。重くてあったかい。家についてから食べた。一切れは潤さんが食べてくれたけど、甘過ぎぃ〜、一切れでいいわ…、という感じだったので、あとは全部わたしが食べた。これがペロっと食べきれてしまうのはけっこう恐ろしいことだ。留学生がこれにハマって10kgくらい太って帰る、というのがあるあるらしいです。
潤さんは、もうすっかりここでの生活に慣れてきて、飽きてきたかもしれないくらいにこれが日常になってきたけど、「まだ普通を作ってる途中」と言っていて印象に残った。真剣に考えながら、自覚的に人生をやっていないと出てこない言葉だ。文化人類学的には、むしろここから、なのだろう。
住む場所や生き方など、自分の人生の「普通」は自分で選んで作れるって、そういえばそうだ。自分の生活とかって、自分で選んで作れるし、作るもんなんだ。それが結果的に、振り返ったら暮らしや人生になっている、みたいな。
わたしは、この春のタイミングで、食べていくためにやっていた仕事を辞めたし、しばらくお世話になっていたシェアアトリエも離れることにして、Slackのアプリを消した。ここ3年くらいやっていた「普通」が一度リセットされるようなタイミングで、ほぼ何も決めずにここへ来てしまった。正直に言ってめちゃくちゃ不安で、帰るの怖いなと思っていたけど、そっか自分で選ぶんだよなあ。実際、選べるほど選択肢があるのかどうかは怪しいけど、自分がこれからどうしていきたいか、ちゃんと考えよう、と素朴すぎるけど素直に思った。
潤さんとしばらくおしゃべりして、解散。明日、ここを発ってスーツケースごとスマランへ行くので、部屋を掃除したり色々整理して、あとは明日、というところまで雑務をやっつけて、2時くらいに寝た。