嬉しいこと!


先日、3ヶ月ぶりくらいにライブをした。
とても規模の小さい演奏会で、荒いところもあったしMCを完全に失敗してしまった(ごめんなさい…)けど、本当にやらせてもらえてよかった。こんなに軽い足取りで終電に乗るのなんていつぶりだろうか、と思った。そうだ、3ヶ月ぶりだ。帰りの電車で1人になってから、わたしはああいう場での振る舞いと、自宅(実家)にいる時の振る舞いが、表情が、体の軽さが全然違うな、こっちのほうが好きだな…と自分で思った。本当にありがとうございました。


ここ数ヶ月のあらゆる中止に、思っていた以上に自分がダメージを食らっていたのが、この日よくわかった。
自分の企画やワンマンライブ(!)や演奏予定が中止(延期)になったことだけではなく、自分が観客として楽しみにしていた舞台やライブがなくなったり、仲間に会って一緒に練習することさえできない時間が続いていて、とにかく「できない」という圧が、じわじわとかかり続けていたらしい。それでも家でできることは沢山あって、それなりにやったし、まだまだこれからも家でできることはあるし、やるんだけど、それでも結局つらかったみたいだ。まあそうだよね…。



その日に一緒に演奏した友人とも話したけど、ライブで演奏している時の一番いい時間は沈黙だと思った。
録音では、演奏していない時間は編集してしまって完全な無音を生成したりするけど、ライブの時の沈黙は、その場にいる全員が作る時間だ。演奏している人だけではなくて、聞いている人もそこに加担している。感想がにじむ終演後の拍手とは性質の違う、もっと愚直な、生きた時間だ。好きだ。
中止や延期や、練習できない、という日々をやっとくぐり抜けて、できる、できている!と一番に実感できた時間が、音を出している時間ではなくて沈黙だった、というのはちょっと自分でも意外だったけど嬉しい。

実は今回のライブも、もし当日まで予約がゼロだったら中止にします、会場の方から言われていて、しかも直前まで予約が入らなかったので、当日までハラハラしながら準備していた。当初から内容を変更したのもあって告知が遅かったし、まだまだ都内の状況は良くないので、ちょっと人を誘いにくい、仕方ないのかもしれない、でも、もしまた中止になってしまったら、めちゃくちゃにショックを受けてしまいそうで、立ち直れないとまではいかないまでも、だんだん「中止」に慣れてしまうんじゃないか、それでは何かが麻痺していきそうだ、という恐怖があった。でも規模の小さいところから少しずつでも再開していかなければ取り戻せないので、もうしばらくは、こういうハラハラを感じながらやっていくのだろう。



ついでに、ライブの前の数日、カラオケへ行き楽器を持たずに歌う練習をしたのだけど、それがものすごくよかったことも書いておきたい。久しぶり一度めで、気持ちが高ぶり過ぎて4時間くらいカラオケで歌い続けてしまった。それくらいずっと立って動きながら歌っていると、わたしは一番最初に脚がへばってしまうのだが、この日は全然へばらなかった。感動した。ここ3ヶ月くらい、イマイチ体の変化を感じないまま季節の確認か動物の習性みたいにジョギングを続けていたのとか、ここ2年くらいなんとなく続けていた歯を磨く時に腰を落とす筋トレなどが(?)ついに報われた気がした。これはさすがに成果だ。嬉しい。

でかいステージを端から端まで走りながら歌う、みたいなライブを自分がやることは当分なさそうだけど、高校生の頃に憧れていた歌手はそういう人だった。彼女は陸上部出身とのことだったので運動を全然していなかった当時のわたしは「かなわねえ」と思っていた。今だって全然、何もかもかなわないけど、その後、事故で足首を痛めたり、頑張りすぎて膝を痛めたり腰痛に悩んだりして、足腰が弱いのが悔しい悔しいと思い続ける大学生時代を過ごしたので、やっと今「まあまあ丈夫」ってことでもいいんじゃないのと思えたことがすごく嬉しい。嬉しい、で終わる文章ばっかりになったけど嬉しいんだから嬉しい。