2 バイク移動につぐ移動と帰宅

7月26日
寝坊した。起きたら10時とかで、少し慌てて支度をした。でも朝ごはんはのんびり食べた。昨日の晩にコンビニで買ったパパイヤと、いただいた屋台の揚げ物と、お米の茶色い羊羹みたいなお菓子を食べた。ココナッツウォーターも飲んだ。ココナッツの具が入っていた。
食べた後、家主の女性のバイクの後ろに乗せてもらって町の両替所へ連れていってもらった。町のほうがレートが良いとのことだったので到着した空港ではほんの少ししか替えずにおいて、ここでまとまった金額を両替した。たしかにだいぶレートが良かった。つい信頼して数えずに仕舞おうとすると、ちゃんとここで数えて確認するんだよと隣から教えてくれて、その場で数えた。ケタが多すぎて混乱する。

洗濯のお店にも寄った。わたしのぶんの服はないけど、洗濯機がない場合こうしてキロ単位でまとめて洗濯に出すんだよというのを教えてもらった。

そのあと日本人アーティストたちが展示をしているというギャラリーへ連れていってもらった。今回この時期に此処にくる一つのきっかけだったイベントだ。バイクで向かう途中、道を歩いている友人に会った。この人、日本で普通に友達で、まさかここで会うと思っていなかったので、再会にメチャメチャびっくり嬉しくて、今日は彼女と行動を共にすることにした。

彼女はもう1ヶ月くらいこの展示を手伝ってジョグジャに滞在しているらしく、こっちでできたインドネシア人の友人2人を紹介してくれた。大学で建築をやっている女性と作曲をしている男性。4人で遊ぶことになった。
インドネシア人の2人のバイクにそれぞれ乗せてもらって、片道20〜30分くらいの道のりを走りに走って、プランバナン寺院に行った。道中、バイク同士はぐれたりしながらなんとか辿り着いた。サラックを売っているお店が道中やたらたくさんあるね、と、どうでもいい話をしたかったんだけど難しくて、サラックたくさんあるね、と言ったら「買いたい?」と返されてしまった。そうじゃない〜と言った上で、独り言で「サラックまたあらあ」みたいなことを言う演出でなんとなく伝えた。伝わった気がするけどコミュニケーションがギリギリすぎる

プランバナンは前回の旅行の時にも見に来た場所だったけど、その時はどうも急いでいてあまりゆっくり見られなかったし全然二回観れた。二回くると、前は少し夕方で暗かったせいもあって全体のシルエットで認識していたひとつひとつの棟が、どういう部分で構成されているのか、以前よりだいぶ見えて、おもしろかった。4人で「このレリーフどういう意味?」といって話し合うのが楽しかった。わたしは英語もろくに話せないので意思疎通がガタガタだったけど、インドネシア人の友人の1人ムティアは日本語がわかるので、たくさん助けてもらった。ちょっと英語できなさすぎて情けなさすぎて、自分これは失敗②だ。4人でジャンプして写真を撮ったりしてはしゃいだ。

作曲を勉強しているランガ(カタカナで書くとなんか合ってない感じ…)は、わたしが歌を歌うというとどんなのと聞いてくれて、ガタガタの説明だけど色々話をしたりiPhoneに入っていたのを聞いてもらったりした。共通の知ってる日本人が何人かいる(わたしが去年の春に鳥取に行った時にたまたまそこで知った瓦を叩いて演奏する人とか)ことがわかって盛り上がった。ジャワ島の伝統的な歌唱に、ポエトリーリーディングと歌が混ざったようなものがあるそうで教えてくれた。マチャパ。モンゴルにホーミーがあるみたいに日本にも伝統的な歌唱のテクニックがあるの?と聞かれたけど、どれのことなのかわからず、一番庶民的に知られているのは演歌のコブシかなあと答えた。

プランバナン寺院をひととおりみて、お腹が空いた!ということで、もう夕方だし、帰り道でナシゴレンを食べることにした。またバイクの後ろに乗せてもらう。さすがに一日中乗せてもらっていると慣れてきて、最初は腕が痛くなるくらい緊張して持ち手を掴んでいたのが、片手を離して膝に乗せていても平気なくらいにはなった。腕よりも脚で支えたほうがちゃんと乗れる感じ。運転手の背中に寄りすぎてヘルメットをゴツゴツぶつけてしまうのは直りきらなかったけど、顔に風が当たるのには慣れて来て、日が暮れはじめてからはヘルメットの顔のカバーもあげて景色を楽しんだ。

寄ってもらったお店は、かなり地元っぽいところだった。お腹も空いていたし、あまり迷わずナシゴレンを頼んだ。氷でお腹を壊すことがあるよと聞いていたけどウッカリ冷たいオレンジジュース(ジュル)を頼んでしまった。
調理している様子を見ていたら、これにはビックリしたんだけど七輪に炭を入れてそこに小さい鉄のフライパンを置いて作っていた。ガスどころじゃなかったし、七輪と同じくらいの大きさの小さい扇風機で、炭に風を送っていた。扇風機はいろんな油やカスでドロドロにコーティングされてしまっていて、年季を感じた。
ナシゴレンは、とても美味しかった!!少し辛いのにしてもらったら丁度よかった。ジュルはあまり甘みのないオレンジジュースに底の方にザラザラと砂糖が入っていてなかなか斬新だった。氷を警戒してさっさと飲んでしまったけど美味しかった。ナシゴレンとジュルで、日本円にして130円くらいだった。空港で飲んだスープの値段のバカ高さがわかってきた。

またバイクに乗って、日本人の友人(もう1ヶ月いるけど明後日あたり帰ってしまう)がお土産を買いたいとのことで、マリオボロというところに行った。立体駐車場の坂をバイクで登る頃には「ンァーー!(きついの意)」と2人で言って盛り上がったりできるくらいにはなった。
マリオボロは渋谷とか原宿か、あるいは浅草みたいなところだった。お店がたくさん並んでいて、人で賑わっていて、屋台も出ていて馬車が走っている。映画館のあるショッピングモールもあった。わたしたちはバティックを物色して、それぞれ目当てのものを購入した。めちゃめちゃたくさんバティックの店があった。安いものから信じられないくらい高価なものまであった。

最後にジェラートを食べようといってまたバイクでひとっ走りしてもらった。あとから聞いたら地元の人にも観光客にも人気のお店らしい。名前はたしかテンポジェラート、店内にはイケイケな音楽が大きい音量で流れていて若いお客さんがたくさんいた。わたしはレモングラスラズベリージェラートをあんまり迷わずに頼んでしまったけど、友人たちは一口味見システムを使って色々試していた。アッしまった、と思った。ジェラートは200円くらいして、さっきのナシゴレンが二回食べられる…と思ったけど、かなり美味しかった。

ジェラートを食べてLINEのIDを交換して、帰路に着いた。自転車を借りることになっていたのでギャラリーに一旦戻り、そこで1人解散して3人で日本人の友人が泊まっているというお宅へ(なんとなく)向かった。バイクの後をチャリで追いかけて車道を走った。こんなヤンチャして大丈夫なのかとだいぶハラハラした。
少しスーパーマーケットで買い物をして、友人宅でそこの家主のお兄さんと少しお喋りもして、ようやく帰路に着いたのだけど、夜で1人で、あんまりわかっていない国の街で、チャリである。1人になった途端かなり不安になった。しかも借りたチャリにはライトが付いていなかった。でも、日本で家を出るときに玄関でなんとなく手に取った、自分の自転車用のLEDライトが鞄にはいっていて、試したらかなりアッサリ取り付けられた。すごく助かった。奇跡だと思った。本当に持って来てよかった。

「治安はぶっちゃけクソいい」と聞いてはいたものの、あんまりわかっていない風でいると悪い人に狙われる気がしたので、さも分かっている感を醸し出しながらグイグイ走ったら案の定、道に迷った。
グーグルマップで確認しながら修正して、なんとかこっちかなというふうに家に近づいていく。ここのような気がするという道を曲がって走っていたら、道のはしにあるお店の角にお婆さんが座っていて、わたしに向かって片手を挙げた。?!?!!と心底ビックリしたけど、よく見たら昨日の晩に、家主のお姉さんと晩御飯を食べようとして混んでいたからやめたお店のお婆さんだった。家主のお姉さんが、「この子は日本から来たのよ〜」みたいに少し話をしてくれて、「そうなのね〜」「そうです〜」みたいに笑顔をかわした、あのお婆さんだ。
なんと言ったかあんまり覚えていないけど、わたしは「ワァー!サンキュー!ちょっと道に迷ってたの本当にほっとした!テリマカシー(ありがとう)!!」みたいなことをチャリを止めずにお婆さんに向かって叫んで、お婆さんも「イェア〜」みたいな返事をくれた。わたしは手を振って家路を急いだ。もうすぐそこだ大丈夫だ、という安心で元気になっていた。



家に着いたら家主のお姉さんはまだ帰宅していなくて、わたしはやっと(昨日浴びそびれた)シャワー、はないので水を浴びて体を洗って、ついでに服を脚で洗濯して、すっきり眠りについた。

また明け方の3時にお祈りの声に起こされたけど今度は電気をつけたまま寝落ちしていたから助かった。ちゃんと支度してちゃんと寝直した。

インドネシア1 移動

7月25日
日本から飛行機に乗って、インドネシアのジャワ島の、ジョグジャカルタに来た。

初めて1人で海外に行くので、早朝からけっこうハラハラしていて、リアルに自分の心臓の音がうるさかった。胸と腹のあたりをドクドクと血が流れていくのを感じた。
そんな調子でいるところへ追い討ちをかけるように、成田空港が混んでいて思いのほか搭乗予定時刻ギリギリになってしまい、出国審査のゲートの向こうで最終呼び出し?ですよ、お客様〜と声をかけている航空会社のお姉さんにむかって挙手をして「はい!デンパサール行きます!」って大きい声で伝えることになって恥ずかしかった失敗①をやった。

約7時間のフライトは、本を読んだり眠ったり、近くの席の家族連れの2〜3歳くらいの女の子がメチャメチャに泣いて騒ぐのを聞いたりしていたらあっという間だった。でも、けっこう尻が痛くなったりして、体は7時間を感じていた。エアアジア機内食は買わないと無いというのが、意外と全然耐えられなくて、周りの乗客の食べる匂いにつられて、高い割に美味しくない弁当をアッサリ買ってしまった。
わたしの左隣の席をひとつあけて、そこにはお爺さんが座っていて、彼の足元には杖が横たえてあった。時々、熱心に小声で何か唱えてお祈りしていたり、わりと大きい声で通路を挟んだ席に座っている知人と会話していたので印象に残っていて、空港に降りてから見かけた時も「あの人だ」とわかったのだけど、彼は車椅子に乗っていた。健康でも足の具合が良くなかったりしても、とりあえず飛行機に乗ったら海外に行けるんだなあとシミジミ思った。

バリ島デンパサールの空港で、乗り継ぐ次の飛行機まで5時間くらい時間があった。でもそれもけっこうあっという間だった。
国際線から国内線までの移動距離がけっこうあって、でも春に旅行に来た時にも一度歩いた道なので迷わずに進めた。この旅の帰り、一番最後の飛行機だけEチケットが印刷できなかったので大丈夫なのか不安だったのを窓口で聞いたり(英語が出てこなさすぎて困ったけど「アイハブ ディス ペイパー オンリー OK?」で確認をとれた、OKだった)、本屋でバリの家屋の写真集やホコリまみれになった旅行用の小さい辞書を眺めたり、薬局でユーカリオイル?を見つけて何に使うのかiPhoneで調べたり、牛の内臓のスープ(メニューを指差して店員さんが説明してくれる中であんまりオススメしてなかったものをつい頼んでしまった)を飲んだり、本を読んだり、絶対に買わない服とか鞄とかオモチャとか香水とかを眺めたりしていたらあっという間だった。時差があるので自分の体感よりもさらに1時間長く暇だったけど、朝の成田空港の時みたいに走らなくて済んだからよかった。空港が基本的に寒い。
デンパサールからジョグジャカルタへの国内線は、さっき乗った国際線よりもちょっと良い航空会社だったので、頼んでいないけど機内食のパンが食べられた。美味しかったし、寝ていたのに隣の空いている席に置いておいてくれたのが嬉しかった。

ジョグジャカルタに着いてからが、一番未知の行動計画だったので、かなり緊張するだろと思っていたけど、疲れも手伝ってか、もはや全然ハラハラしなかった。両替も難なく済んだし、トランクも問題なく回収できたし、タクシーも事前に聞いていたやり方で予約というか前払いに成功し無事に乗り込み、夜のジョグジャカルタの町を車窓から眺めているうちに、今回お世話になるお宅に着いた。相当ほっとして泣くぐらい感動するだろうなと思ったけど、疲れのせいもあって感動どころではなかった。(大感謝をしてます)

家主の女性(日本人)と少しお喋りをしてから近所のレストランへご飯を食べに、バイクの後ろに乗せて連れて行ってもらった。 バイクのヘルメットを何故かわたしが変な付け方をしていて、そのせいでコメカミがメチャメチャにキツくて痛くて、これの持ち主の人、小顔過ぎでは?と思っていたけど途中で間違いに気づいて直した。普通の大きさのヘルメットだった。バイクの座席のふちを右手で掴んでバランスをとっていたのだけど、バイクの風のせいだけじゃないと思う、町は静かでちゃんと暗くて、とても涼しい夜だった。日本の夏よりも涼しくて過ごしやすい気がする。

レストランではさっき空港で飲んだスープの半分くらいの値段で美味しいナシゴレンが食べられた。屋台やもっと庶民的な店はさらに安いらしい。その帰りにコンビニに寄ったら、レジがトラブっていて少し待たされた。カットパパイヤとフルーツジュースを買った。わたしは今回こそ果物を沢山食べるつもりだ。南国に来たからには南国の果物を食べたいのに、台湾に行った時も前回インドネシアに来た時も、食べたには食べたけどあまり満喫しきれなかったので、今度こそと、フルーツに関しては初日から意識を高くもつことにした。


お世話になるお家はインドネシアらしい一戸建てで、床や壁が白くてかたい。天井も高い。開けないタイプの天窓もついている。
風呂はお湯が出ないしシャワーもない。風呂場の隅に設置されている50×50×100くらいの大きさのタイル張りの水槽に水を溜めて、そこから手桶で汲んで使う式だ。トイレは、和式のさらに簡易版みたいな便器が床についていて、使用後は手桶で水を汲んで便器に注いで流す、という人力水洗式だった。こういうトイレは使ったことがなかったので、最初こそ「こんなのわたしにできるのか?!」と思ったし緊張したけど、やってみたら案外なんてことない。数年前に山小屋で経験した、用を済ませた後に自転車を漕いでおが屑と混ぜる式のものよりも、ずっと分かりやすくてやってみたらスンナリ腑に落ちる仕組みだった。

わたしがお借りしている部屋は背の高いベッドがある。足の裏が真っ黒なのにベッドにあがることに、この時は気が引けていたけど、次の日にはどうでもよくなった。
そのベッドで寝ていたら夜中、否、早朝3時くらいにご近所さんのお祈りの声が聞こえてきて、目を覚ますことになった。寝ぼけていてあんまり覚えていないけど、確かに起きた。
日本とは違う国に来たなあと思った。

床からの雑感

 
わたしは、床のことが好きみたいだ。
好みのタイプがあるし、しょっちゅう気にしてしまう。
 
床にはいろんなものが置けるし、人も立ったり座ったり寝たりできる。
一番安定していて可能性の開かれた場所だと思う。それなのに、一番「低い」というだけで、見下ろされたり、汚いものとされることもあるのはどうも不思議というか、物理的に実際汚いことが多いとわかっていても、汚いって曖昧でよくわかんないし、それが当然だとはあまり思えない。
地面については、生き物が死んで行き着く先、の、実際のほうって感じに思っている。物質としての肉体が、ただ物質として地面に還っていくその先。で、その地面と、生きた我々を隔てているのが建物の床だ。床のしている仕事はどうやらかなり多い。
 
 
 
まずは、床に関して自分の印象に残っている出来事をいくつか書いてみる。
わたしの印象に残っている床は、たいてい、板張りの床ではなくて、畳も絨毯もない、石やピータイルやリノリウムの床だ。硬い床。そこに雑に座った時の、接地面が少し汗ばむ感じが好きだったりする。
硬い床に雑に座った自分の記憶はいくつかあるけど、けっこう思い出せる。たぶん床に座るってたいてい「座り込んでしまった」ということで、その時の自分は、激しい疲労だったり超ゴキゲンだったり、体調が悪いなどの、ちょっと普段と違う状態にある。そんな状態の自分も、避けたりしないでバッチリ受け止めてくれる最後の相手が床だ。重力のあるこの地球においては。
だからいろいろ覚えている。大失恋して、ひとりで数時間めちゃめちゃに泣き続けた時も、自分の部屋の床にへたりこんでいたし。貧血で立っていられなくなって電車を降りて駅のホームに座り込んだら少しほっとしたということもあった。
特に自分にとって印象的なのは、高校の文化祭で初めてバンドをやって人前で歌い、終わったあとのこと。丸一年くらい準備して臨んだ本番だったから、終わったら完全に燃え尽きてしまっていた。高校一年生の秋で、その時とても仲良くしていた女友達(今も仲いい)が、黙って隣にいてくれていてとても安心したのをすごく覚えている。
高校の校舎の、木の床とリノリウムの床のちょうど変わるくらいの場所で、たしか白いリノリウムのほうに座って、次のバンドの演奏が始まるか始まらないかくらいの雰囲気のガヤガヤを、息をしながら聞いていた。汗をかいていて、でも秋なので空気はわりとすっきりとしていて、裸足で。火照った体を休めるのに、床は圧倒的に味方だったと思う。その友人もわたしと同じ高さの同じ床にいてくれて、たしか彼女はしゃがんでいた。
 
床に座ると椅子が邪魔をしないので、人と近くにいられるというのも実感としてある。最近、人の家で、床に座ったり寝そべったりしてワイワイごろごろ映画を見ていた時、椅子に別々に座っていたらこうはならないな、と思う距離感で隣に友人がいて、実際仲良いと思うけど、それ以上になんか姿勢が仲が良いような感じがして、ちょっと照れくさかった。
むしろ姿勢から仲良くなっていったりする部分あるんだろうか、あるんだろうな、と思ったら、床に座って多人数で演奏するインドネシアとかあの辺の音楽と人の感じが思い浮かんだりした。
 
 
 
 
床というより地面だけど、高さの話でまずひとつ。わたしは肉体労働と呼んでいいタイプのバイトをしていて、その仕事の一環で地面に生えた雑草をむしる(手取り除草と呼んでいる)というのがあって、この作業の日はマジで地面の高さにほぼ丸1日いることになる。基本的に楽しくてやっているのだけど、たまに犬かなにかのフンに遭遇したり、ゴミが落ちていたり、ごくごく稀に、道行く人の見下したような視線を感じることもある(ほとんどの 通りすがりの人は「ご苦労様〜」と言ってくれる)。この仕事をやらせてもらうようになって小学生以来にこんなに低い目線を得たら、いろんな感触が興味深くて、もうバイトも三年目だけど、低いということが気になり続けている。
 
高さについてもうひとつ、高校の部活で吹奏楽をやっていた時のこと。クラリネットを吹いていたので楽器を組み立てる段階があるのだけど、先輩が「楽器は机や椅子の上ではなくて床で組み立てろ、 万が一手が滑って落とした時のダメージが最小で済む」と言っていたのが印象に残っていて、まあ慣れてくると椅子に座ったまま膝の上で組み立てたりしてしまうんだけど、自分が先輩になって後輩に教える時にもそう伝えていたと思う。その時、そうか、確かに床ならそれ以上下に落ちないな、というのがおもしろかったので覚えている。
「それ以上落ちない」ということは、「それより高い」のほうが多いということで、地面に近いところから見上げると木や空はとても高く見えるし、人や建物はすごく大きく見える。地面のことを仮に大地とか地球って呼べるのだとしたら、その地球の実感に近いのは、高いところからよりも、低いところからの景色や触感のような気がする。低いと近いから触ることができる、高いと遠くて触れない。地球のことを自分の命の側だと思うか、対象だと思うかという考え方の違いなのか。
 
 
 
 
まだ床について気になっていることがある。
 
わたしには好きな床のタイプがある。硬い床が好きだ。そのなかでも特に、白くて光ってるのが好みで、出会うとつい嬉しくなる。
 
自分は何故かピカピカの床に惹かれるようだ、と自覚したのは一年か二年くらい前だと思う。近所のSEIYUに行くと、ちょっと間の抜けたBGMもあいまって、いつも楽しくなってしまって買い物しながらこっそりちょっと踊ったり音楽に合わせて床と靴でキュッキュッと音を出しながら歩いたりしてしまうのを、よく一緒にいく人に指摘された。
それで、わたしはなんでああいうの嬉しくなってしまうんだろうと思ってずっと気にしていたら、ピカピカの床はSEIYUだけじゃなくて、いろんな場所にあるのがわかってきた。ドラッグストアとか電気屋さん、コンビニ、ディスカウントスーパー、ホームセンターなどの商業施設で特によく見られる。たまに地下鉄のホームなんかもそうだったりするのだけど、とりあえずピカピカの床は、清潔に保ちやすいということと、蛍光灯の光が床で反射するので空間が明るくなって気分がアガる、ひいては購買意欲を高める効果?がたぶんあるような気がする。(この説でいくならライブハウスやクラブの壁や床も、黒じゃなくて白のほうがみんなバカになれるのでは、なりすぎちゃうのかな)
 
さらに、台湾やインドネシアに旅行に行った時、ホテルやアパートの床を始め、村の中にある半屋外の寺のようなところも、王宮の伝統的な踊りが行われる広い舞台も、床が白っぽい石やタイルでできており、日本よりもピカピカの床にたくさん出会えたことから、ピカピカの床は冷たくて涼しいので南国に多いのではないか、という風にも思っている。
 
まだこれについては、「南国のピカピカの床で、陽気な音楽を聴いたら、完全に最高な気分で踊れるしなんでも買っちゃう気がする」というところまでしかわかっていないけど、現段階の、ピカピカの床に対する雑感はそんなところだ。
 
 
 
あと、音の響きについても、高さが低いと変わってくる。(低くても高さっていうの不思議)
先日、耳にバイノーラルマイクをつけて自分の声や環境音を録音していた時、声を出したりしつつ床にねそべったら、途端に音の聞こえ方が変わって、おもしろかった。まあ普通に頭の後ろからの音が少なくなったり変わってくるから、そりゃ当然なんだけど、普段、布団にはいって眠りにつく時に、立っている時よりも少し静かになるってことを考えたことがなかったなと思った。
さらに床と自分のあいだに布団を敷くことによってますます音を吸収するから、耳に届く音にはけっこうな差があるような気がする。あんまり乗ったことがないけど、ハンモックってマジで相当落ち着かないと思う。
 
 
 
で、そういった雑感をふまえて、建物の機能から逸脱する楽しみについて、
 
以前、なぜだったのか完全に忘れたのだけど、家のキッチンの床に座って足の爪を切ったことがあった。それを知人に話したら「なんかエロい」という感想をもらった。何がエロいのかはよく分からない(し、たぶんその人もあんまり考えていないと思う)んだけど、キッチンの床で爪を切るっていうシチュエーションは自由でいいなとわたしは後から思った。
風呂場で歌を歌うとかと似ていて、家や部屋の本来の機能から少しずれたことをするのは基本的に楽しい。果汁がこぼれてしまうから、と台所の流しに立ったままプラムをかじるのとかも、なんとなく楽しい。「なんかエロい」ってそういうことなのかもしれない。ちょっと本能とか動物に近いような行動。理性的にいったら、足の爪を切るなら ---(…足の爪ってみんなどこで切ってるんだろう?)ーーー寝室の床とかだろうか、わかんないけど少なくともたぶんキッチンの床ではないし、ものを食べる場所は本来は台所の流しではないし、べつに家のどこで歌を歌ったっていいけど風呂場はそのための場所として作られてはいない。押し入れで寝る子供やドラえもんがちょっと可愛いのとかもそれな気がする。あらかじめ定められた目的からさりげなく逸脱するのはエキサイティングだ。
 
床をはじめ家をもっと自由に使うっていうのは、定住に抗う方法のひとつなんじゃないかと思う。なんで定住に抗いたいのかというと、いろいろあるけど、まず定住によるクセみたいなものが、わたしは自覚しないまま自分の体にどんどんついていくことがなんとなく嫌だというのがある。毎日自分の右側にある窓から朝日が入る向きで眠るとか、右手でトイレのドアをあけるとかいったこと、それ自体は別に悪いことではないんだけど、なんだろうこれと思う。
知らないうちに建物や環境から影響をただただ受け続けるのに抵抗がある。実は自分の今寝ている部屋の床が、地面から何十メートルも高いところにあるとか、そいうこと考えたら、わたしなら怖くてタワーマンションになんて住めないんだけど、都内の巨大なタワーマンションの高層階に住むことがステイタスみたいになっていたりする世界観の人は、一体、こわくないんだろうか。階段を走って降りられないレベルの高さって、え〜?って感じだ。
 
でも、そういうわたし自身だって、実際、生まれた時からマンションとアパートと、最も低くて一戸建ての二階にしか住んだことがない。今までの自分の生活に違和感があったわけではないけど、ここ地面じゃない、浮いてる、と、ある時に思ってから、怖くなった。津波で窓がすっかり流されて、壁に四角い大きい穴が空いているだけの建物になった家を、写真でだけど、見たらすごく怖くて、なんだ、壁とか床とか天井とか、たまたまあるだけじゃん、と思ったこともあった。
 
動物は自分で自分の生活する巣を作るけど、わたしは自分で自分の生活をする家を建てない。たまたま出会って住み着いてしまった巣の形に、どうしてもなんらかの影響は受ける。床や歌を使って抗うにせよ、その巣を愛して暮らすにせよ、だ。
 
 
あと、床でPCとかの作業や勉強をするのがわりと苦手なので、床はやっぱり少なくとも自分にとっては理性より本能に近いんだろうなと思ったりもする。床の高さで勉強したり論理的に考えようとしたりすると大体いつのまにか寝ている(この文章はテーブルの高さで書いている)
 
 
雑雑と書こうと思って書き出したらきりがないことがわかったのでここらで切り上げます。
 
床については引き続き考え続けたい。が、床や町と関わることを考えるにあたって、脚が気になっていて、絶対必要だと思っていて、だけど床だけでこんな感じだから脚のことも考えようと思ったらますますまとまらない気がする、先は長い…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

言葉を歌う感覚のこと

もうひと月近く前のことだけど、友人と話をしていて、言葉の、発語の時の認識みたいな感覚を再確認することがあった。
 
わたしは歌を歌ったり、詩を読んだりすること、言葉を発することをしばしばやっていて、それを日々の根本的なモチベーションにしている。その、歌を歌ったり詩を読むような、意識的な発語をする時、それらの言葉に対して自分の持っているすごく具体的なイメージを、逐一持ち出しているような感覚があることに気がついた。(意識してやっている時もあるけど、あまり意識しないでそうなっていることも多い。)
 
「言葉に対する自分なりのすごく具体的なイメージ」というのは、たいていの場合、誰しもが持っている。そもそも、言葉とイメージが結びついていないと、言葉というもの自体が成立しないんだから、これはごく当たり前のことだ。(それをどの程度の緻密さで、どれくらい頻繁に呼び出しているかどうかは、かなり人によると思うけれど。)
幼い頃、言葉を覚え始めた頃に、きっとわたしたちは、ひとつひとつの言葉に初めて出会っている。例えば「春」という言葉に初めて出会う。その瞬間のことは、今ではもう全く覚えていないけど、「これが春と呼ばれるものだ」といつかの時点で知って、それをその後何度もあらゆる場面で確認して、体感して、体得してきたのは確かだ。その期間を経て、今わたしは「春」という言葉を使えている。使うといってもあらゆるレベルがあるけど、少なくとも普通の意味で、他人と同じように「春」という言葉を、意味をわかって適切に使うことができる。そして、「春」についてのあらゆる記憶やイメージを、春に出会うたびに、今も繋ぎ加え続けている。更新し続けている。
 
もうひとつ例をあげて、「僕」とか人称を表す言葉について考えてみる。人称代名詞は、他の名詞と比べて出会う頻度が高いし、代名詞なので、「春」と違ってことが少し複雑だ。今までに読んだあらゆる文章の中の「僕」の数だけ、いろんな僕を、わたしは「僕」に代入してきている。これが、小説を読むときにいつも気になってしまう。全然ちがう小説を読んでいるはずなのに、単に「僕」という記号で人称代名詞が使われているというだけなのに、他の今まで出会ってきた「僕」が、チラチラ見えてしまうのだ。「僕」に今まで託してきたたくさんのイメージからなる影のようなものだ。わたしが小説を読んでいる時の「僕」は、わたししか知らない「僕」として、いつのまにか輪郭を、独特の質感を持ってしまっている。
 
この仕組みが、たぶんほとんどすべての言葉に当てはまる。人称代名詞の質感はどうもひっかかるけど、この仕組みは基本的に好ましい。わたしは、今までの人生のなかで、自分とその言葉が出会うたび毎に紡いできた関係とかイメージといったものが、だんだん更新されたり累加されたりしながら、ただの記号ならざる言葉をつくっていくんだと思っている。とてもエキサイティングだ。それに、歌の歌詞は、音のレベルで記憶に残っているものが多いから、他の場所で出会った時に、この感じのこの言葉はなんの歌で出会ったんだっけ?と脳内で検索を始めてしまうことがあって、楽しい。自分の口からでた「〜でしょ」という語尾が、あの歌の「〜でしょ」に似ていた、みたいな細かい気づきが時々あって、歌う気持ちがつのる。
ただ、わたしは記憶喪失になったりしたことがないから、経験が積み重なっていくことを疑っていない、それゆえの楽しみだろうと思うから、将来、ボケるのが怖い。
 
 
さて、こんなふうに言葉にたくさんの、自分の経験に基づくイメージが具体的に結びついていると、特に歌を歌ったり、意識的に発語をする時に、自分の心に湧き出てくるものが強い。単語ひとつひとつの容量が大きいような感じだ。見えはしないけれど確かに強めに心に現れてくる。どこからともなく季節が香る時みたいなキュンとした強い感触。これは、現れさせるように意識してもいるけど、勝手にうまくいっていることもある。そういう発語はとても楽しい。歌が自分の歌として「歌えている」と感じるし、言葉が自分の言葉として「話せている」と感じる。
 
逆に、自分には歌えない歌というのがやっぱりあるということに、ここ数ヶ月のいろいろな本番を経て気付かされた。最近、他人の書いた歌や、他人の書いたセリフを歌ったり読んだりする機会がたまたま続いた。「この歌は歌える」「歌えない」という判断をしてコンサートで歌う歌を選んだり、セリフにおいてこの言葉はなんか引っかかってうまく言えないからこう書き換えてみよう、と手を加えてみたりした。手を加えずそのまま読んだ時は、そのまま読むつもりでいたのに、自分の読みやすいように読み間違えてしまったこともあった。
歌える歌えない、読める読めないというのは、技術的にこの音が出ないとかそういうことではなくて、その言葉の組み合わさった織物に、うまく自分のイメージが乗らないということなのだと思う。
 
例えば「地球の夜更けは淋しいよ、そこからわたしが見えますか」という歌詞がある。(「冬隣」という歌、吉田旺氏の作詞でちあきなおみの歌、最近のお気に入り曲です)これを歌うとなった時、この「地球」とか「夜更け」とか「淋しい」とかいう言葉たちが、それぞれのイメージを持ち寄るみたいにして、景色のようなものをわたしのなかに作る。それも、全部、隣の言葉と溶けあっているので、たとえば「淋しい」は単体ではなくて「淋しいよ」まで含んでそのイメージを作ってくる。今までの人生のなかで出会ったあらゆる「淋しいよ」を参考にしながら、地球の夜更けは淋しいよ、という言葉がそこに居られる景色を作るのだ。そうして、言葉と景色がちゃんと腑に落ちている時は、歌うことができる。腑に落ちる落ちないが何で決まるのか、まだよくわかっていないけど、わたしはこの歌詞の一節はとても好きで、いつ本当に歌えるようになるかはまだわからないけど、ぜひこのまま歌いたいと思う。
 
ここまではよい。ここまでは、歌を歌う人として何の問題もない。むしろこれからも言葉と付き合うにおいて、大事にしたい感覚だ。だけど普段の会話は、なかなかこんなに丁寧にできない。丁寧にできないけど、多かれ少なかれこの感覚があって、それがちょっと喋りにくさに繋がっている気がする。
 
わたしは、発語することは好きだけど、人と話すのが苦手だと感じることが多い。
会話のなかで、今思っていることを伝えるために使いたい的確な言葉(的確、という時点で厳しい、相手に伝わって失礼じゃなくて自分の伝えたい意思や意味も満たすなんてすごい条件!)が見つけられなくて、それを探してしまって次の言葉を出すのに時間がかかる、ということがよくある。だから、会話としては、ゆっくりになるのだけど、その速さで考えているわけではない。めちゃめちゃ考えている。だけど、言葉で考えているというよりイメージに合う言葉を探している状態だ。言葉って少なすぎるなとビシビシ思う。たくさん使って、どんどん補足していくこともできるけど、パーーーッと、次々に言葉を出して、合っていないイメージを持った言葉をどんどん上塗りし続けて近づけようとするのは(そういうスタイルの人もいる)なんだかゴテゴテしてみっともなく思えてしまって、完成形がすっきりしないような気がして苦手だ。これは完全に話し方の趣味の話で、そういう人が苦手ということでも、ないんだけど。
 
こういう時、歌だったらいいのにと思ってしまう。その会話の中で、突然出せない言葉ってけっこうたくさんある。唐突すぎて自分さえ戸惑ってしまうような言葉だけど、いま心に浮かんでいて、イメージとしてはそれなんだ、というような時。そういう時、歌だったら、詩だったら、それをもう少しすんなり出せる気がする。人との会話を芸術だと思ってしている人はあんまりいないと思うけど、歌や詩だったら、戸惑いながらも受け入れてもらえそう。もっと人とうまく話せていたら、きっとこんなに歌ったりしていない。人と普通に話すんじゃうまく伝えきれないものがあって、わたしはそれを歌に任せている。
こうやって言葉と声が使えるうちは、なるべく納得のいく形で使っていたいと思う。限りある限り。
 
 
 
 
 

わざとの確かな眺め

歯磨きをする時、洗面台に付属している鏡の両脇にあるプラスチックの棚を眺めていることが多い。

プラスチックの棚はだいたい同じ大きさのものが左右に二つずつ、上段、下段、というふうにわかれて、計4つだ。

左上は、イソジンと保湿クリーム

左下は、化粧落としと保湿オイルと化粧水

右上は、ドライヤーと綿棒とヘアワックス

右下は、箱ティッシュを立てておいて、隙間の空いているところには歯磨き粉とコンタクトレンズの洗浄液がある。

他にも細かいものが隙間にさしてあって、あと少しで使い切りそうな頬紅のコンパクト(持ち歩かないで家で使う用)とか、カミソリとか、ヘアブラシとか、パックとか。

家には似た場所がもうひとつある。台所だ。

わたしの家の台所は正面の壁が大きめのタイルになっているので、そこに吸盤でフックをたくさんつけて、道具をぶらさげている。

一番左は丈夫な吸盤で、大きな中華鍋

その右隣は、小さいフックで、軽量カップ

さらに右は、タコ足的に複数のフックがまとめられていて、そこにはトング、おろし金、缶切り、計量スプーン、茶こし、木べら、箸、菜箸、おたま

その隣はまた丈夫な吸盤で、小さいまな板、ざる、小さいフライパン

一番右は、小さいフックに、水筒を洗う用の、柄のついたスポンジが下げてある。

時々、あんまり使っていないと判断した道具は、ベンチへ下げて、常にスタメンのプライドと士気を保っておく。これがうまくいっていると、なんとなく具合がよい。実際、棚へしまわれて月一回くらいのペースで顔をだす選手もいるくらいのほうが、緊張感があってきりっとする。今のキッチンでは、トングと缶切りが、ギリギリしがみついている状態で、彼らが下がると計量スプーンのすわりが良くなるだろう。これはダジャレだけど全てがわたしのさじ加減で決まる。

まあ、ともかく歯を磨きながら、これらの壁面や棚を眺めるのである。これがけっこう良い。

というのも、今ではない時間軸にも自分が、かつて居た、あるいは、これから居ることになるのがわかって、道具たちの道具っぷりがわかるのだ。変な表現だけれど、コトン、という感じでそれらの道具は確かにそこにあってくれる。そうすると、過去にそれを使ってもとの場所に戻した自分を思い出せる今の自分が、トン、とここに立てる心地がする。もとの場所に戻した、という過去がちゃんと今につながっていることが、腑に落ちるような。足と足が床に立っていることと、棚にドライヤーが収まっていることとが、同じ空間に着地していることにホッとする。

今は、歯を磨いているから、イソジンもヘアワックスもカミソリも使わないわけだけど、たまたま今そうなだけで、イソジンでうがいをしている時は歯ブラシは用無しだし、ヘアワックスを手に出している時にカミソリは持たない。でも、きっとまた自分の順番が巡ってくるのがわかっているから、喧嘩もしないで整然としていてくれる。まずそれが好きなのだと思う。

でもおそらくもう一つ好きな理由がある。

「誰かがわざわざそうしないとそうならない、という物のあり方」は、家のなかの多くのものに当てはまるが、特に使用頻度の高い道具置き場には、めちゃくちゃ濃密に詰まっている。上記の台所の壁なんて最たるものだ。そして、そのあり方が詰まっていることが心地よく思える時、そこにはキッチリとか趣味とかユーモアとかが効いている。たとえば柄のあるスポンジを下げるためだけの小さいフックなんて、割とふざけているし、置物や花瓶を置いたり、壁に絵を飾ったりすることは、こういう行為のいちばんリッチなやつだ。キッチリが1に対してユーモアとか趣味が9ぐらいあると思う。ああいうものに実用的機能はない。というかそもそも図る単位が違う。

以前、デザインの仕事をしている人の家にお邪魔した時、家の隅々まで、飾ったり置いたりといった、「わざわざそうしないとそうならない物のあり方」をコントロールする意識が行き届きすぎていてびっくりしたことがある。実用においても装飾においても、なんか全部ちょうどいいのだ。色も形も、パーフェクトみたいだった。でもそれは息苦しいものではなくて、肩の力が抜けたユーモアのある妥協のなさだった。明らかにちょっと普通じゃないセンスの人が住んでいる空間だったけど、「誰かがわざわざそうしないとそうならない」を楽しんでいる気配がした。いい場所だった。

わたしの部屋はああいうタイプには絶対なれないけど、箱ティッシュを立てて棚に置くのはナイスだと自分で思っているし、キチンの洗い場の右の水が飛ぶとちょっと嫌なところに開いた牛乳パックでカバーをしつつそれを砂糖のビンで抑えるのもこうして字面にするとかなり貧乏くさいけど見た目はそんなに悪くないし汚くなったらいつでも交換可能という機能性もあってこれもベリーナイスだと思っているし、国立奥多摩美術館の鉄のチケットを棚のふちギリギリのドアとの微妙なデッドゾーンのきわに置いてそこに傘の持ち手がちょうど引っかかって具合良く収納できているのとかも正直天才だと自負している。

そういうナイスは、ナイスだった日から決め事になる。そうしたら今度は、日々、それが決めポーズみたいに、こちらを合わせていくのだ。

計量カップのためだけのフックに計量カップを戻す。ドライヤーのためだけのスペースにドライヤーを戻す。

ちょっとしたキッチリは、わたしにとっては手グセでありユーモアですらあって、そうやって描いたのが、例えば洗面所と台所の道具の並びなのだと思う。時々、洗った皿やスプーンをそのまま乾かせるように隙間をあけながら積んでいてかっこよくキマると嬉しくて写真を撮ったりしてしまう刹那的なパターンもあるけど、洗面所と台所はもっと長いスパンで作られて更新され続けている。

それがわたしにとっては時々、眺めるに値するのだ。

絵画や窓の外の世界には到底かなわないし、小さくて見逃しそうなほどの、しかし、とても確かな眺めだ。

鼻とリンゴ、耳とゼンマイ式の出会い

昨日、夜遅くに家に帰ってきた時、甘いにおいがした。

原因はよくわかっている。その日、家を出る前にリンゴを煮て食べたのだけど、はちみつを少し焦がしてしまった、あの残り香だ。鍋は洗ったのに、においはまだ残っていた。いやではない不意を突かれた。

ここは自分ひとりが暮らす家だから、この中で起こる出来事はほとんどすべて把握している。あそこの角に埃がたまっている(→明日掃除機をかける)とか、使い切った化粧水の霧吹きのボトルを昨晩洗ってから乾かしている(→内側の雫がなくなったらプラゴミの袋にいれる)とか、排水溝の掃除はいつやったからそろそろまたやろうとか。使いかけの野菜をどう食べようとか賞味期限とか。その把握の実感はけっこう悪くない。調子のいい時は、部屋の中のあちこちへ意識の糸がのびて、それぞれがちゃんと絡まらずに結ばれているような感じがする。だから、時々、姉と母の暮らす実家に帰ったりすると、自分ではない誰かが散らかした服とか、使って洗っていない皿とか、そういうのに出会って、「ああ、人と暮らすあるあるだ」と思う。友人と四人でのシェアハウス生活から打って変わってのひとり暮らしだからか、未だにいちいち実感してしまうのだけど、この生活にはあの煩雑さがない。片付けて外出すれば、帰ってきた時には片付いた部屋が待っている。逆も然りだ。ひとり暮らしにとっての「帰宅」とは、「家を出た時の状態に再会すること」だ。淡々としていて悪くない。

しかし、案外、ひとりで暮らしている家でも予想外の出来事に出会える時があって、そのひとつがにおいだ。

あの日、家を出る時には、はちみつを焦がしたにおいなんて意識していなかった。焦げている、と思った時にはちょっときついくらいのにおいがしたからその時だけ換気扇を回したけど、ずっと回していると寒いしうるさいから、少ししたら止めた。それで換気されきらなかったにおいが、数時間かけて、ちょっと驚くくらいやわらかくなって、嬉しい不意打ちの香りになっていた。

一度に沢山もらったリンゴを、戸を隔てたキッチンではなく、寝ている部屋の机の上に置いていた時も、小さい驚きがあった。カバンから出してポンと置いてそのままにしていただけなのだが、後になってその部屋に入ったら、とたんに、ふわりと微かだが爽やかな香りがした。いいじゃんと思ってしばらくそこに置いていたけど、知って狙ってしまうと、もうあの爽やかには出会えなかった。

鼻の体験は、内側に吸い込む息と共にあるせいか、どうも秘密の質が強いと思う。普通、鼻から意思を発するということをあまりやらないせいもあるだろう。自分から語らないという点と空気を媒介とする点で耳と似ている。加えて、たとえば鼻の速さと目の速さは違っている。人を相手に出会う時には、お互い目を見たりするから、鼻よりも先に物理法則とは違う次元で出会ってしまう。体が近づくよりも先に、目の出会いは生まれる。しかし、鼻がにおいに出会う時は、体はもうそこにある。言い換えると、鼻はここに来る空気を吸うだけだ。目や声みたいに、少し遠くへ伸びることはできなくて、ここへ来たものにだけ、ひとりだけで、受け身で出会う。

ただ、空気は、自分の手や風によって、動く。鼻が付いている自分の顔だって、動く。動ける。そうして動いて、ドアが開いたり、風がふいたり、すれ違ったりグッと近づいたりした時に、鼻は、出会う。空気が変わった時に出会うのだから、それはドラマチックだ。まわりの空気の動きによる変化、それを選り好みせずにとにかく一先ず捉えるのが、鼻だ。鼻は慣れやすいから、一度出会った空気を確かめ直すのは苦手だ。つまりそれは逆を返せば、鼻が「出会うための器官」だということだ。顔のいちばん先頭で、密かに堂々と「出会う」のを待っているのだ。

ひとりで、疲れと空腹でフラフラの状態でレストランに入って、待ちに待った料理が届いた時に、つい、ウエイターが今まさにテーブルに置くか置かないかという皿を覗き込んで、鼻から思い切り深く息を吸ってしまったことがある。後で恥ずかしくなったけど、その時は、ようこそ!ペペロンチーノ!という気分が羞恥心よりも先に前に出てしまった。あの時、ペペロンチーノが目の前に登場した感動と、空腹に染み渡るようなにおいはよく覚えている。鼻から吸った空気は肺に入っていくのに空腹に染み渡るんだから可笑しい。まあでもあれは間違いなく、鼻から「出会った」瞬間だった。

人との出会いにもある。緊張しながら待っていた人が現れて、目を合わせて会釈したあと、椅子に案内された時に、その人の香水がふっと香って、あ、と思った。香水なんて完全にずるいのだけど、見事に効いた。その人が違う空気を持ってきたみたいで新鮮で、その後その人と話をするあいだ、自分が妙に集中しているのがわかった。つまりその時は、目と鼻とで、わたしにとって二段階の出会いが発生していて、なるほど人と会う時に香水をつけるのはこんなに有効なのだと、わたしは深く学んだのだった。(実践できていませんが)

部屋に帰ってくる時は、必ず扉を開ける。扉の外と中では、当たり前のように何もかもが違っている。その、王道ドラマチックな行為には、文字通り、空気が変わるということが織り込まれている。そういう意味で、やはり出会っているのだ。

つまり、わたしが毎日帰宅する時に出会うのは、「家を出た時の状態」ではなかった。そこから数時間を経た、「家を出た時の状態’」だったのだ。だから、例えばにおいが、変わったり分かったりするのだ。そしてわたしも、「家を出た時の状態’」だ。外の空気のなかを歩いてドアの前まで帰ってくるのだから、当たり前だ、全然違う。

リンゴは、沢山あるので日持ちさせてくて、冷蔵庫に入れてしまった。冷蔵庫からはブーンという音だけが発されていて、においはしない。なんのにおいもしない台所は静かだ。家で料理をする楽しみは時にはもしかして、それを食べ終わって家を出て、帰って来た時にまで長くのびうるんじゃないかと思えてくる。

今は部屋にいて、わたしにはこの部屋のにおいがわからない。ただ、今までなかったものがある。昨日、世田谷のボロ市にでていた店で出会って、つい心惹かれて買った、古いゼンマイ式の置き時計だ。その、音である。

その時計は、古いけれどとてもマトモに動く。台所にいる時に時計が見えないのがいつも気になっていたから、台所から見えるところに置いたのだけど、けっこうチクタク音が大きい。戸を一枚隔てた部屋で、自分が少し動くのをやめて音をたてないでいると、すぐにせわしない音が聴こえだす。

まあ、思っていたよりも音が大きいってただそれだけなのだけど、台所のチクタクが聴こえると、家のなかが前よりも静かに感じる。彼は時間を知らせること以上に、夏の窓辺の風鈴みたいな仕事をしれくれているのだ。わたしは好きです、そういう仕事。これから、宜しくお願いします。

冒険の咀嚼、作品の感想

イッキに東に帰ってきた。

行きで贅沢に新幹線を使ったし、予定を急遽変更したので、とにかく安さを優先して夜行バスで帰った。10時間も乗るとやっぱり脚はむくむし尻は痛くなるし、新宿に着く頃には空気も身体も冷え切ってしんどかったけど、昨晩1時間くらいゆっくり銭湯にいたり、バスの中では目を温めるアイマスクを2回使ったりと抵抗したおかげで、少しマシのような気がする。

夜行バスに乗る時は、なんとなく満腹が嫌なので、乗る前の夕飯は早めに食べるか少ししか食べない。だから数えてみると昨晩の夕飯から今朝までで14時間くらい経っている。お腹が空いているので輪をかけて寒い。駅の地下にあるお粥屋さんで朝食をとってから家へ帰る電車に乗った。

岡山芸術交流は、おもしろかった。映像作品がとても多くて、少しは絵とか見せてくれ…という気持ちになったけど、それでも真剣に見てしまうような魅力があるものばかりで、ズッシリシッカリおもしろかった。でも映像は観るのに時間がかかるので、迫る閉館時間に、この先にある作品を観られないかもしれないと気が気でなくて、つい焦って、疲れた。途中、映画の上映を1時間半寝ながら観てしまったのと、昼食をしたお店でお喋りなおばちゃんにつかまったのが原因だ。なんとか、ぎりぎり、全会場、観れた。

ピエール・ユイグさんの、「Human mask」という映像作品(猿が人間の女のお面をつけている)が、期待どおり凄く良かった。人間は、一瞬写る写真にボンヤリとしか登場しない。かつて(おそらく写真の)人間たちが使っていた家の中(どうやら居酒屋をやっていたっぽい)に放置されている物や、そこにうごめく虫や猫といった生き物たちのあいだを、異様な姿の者ーーー実際には普通の猿、人間の女のお面をつけて服を着た猿ーーーが、ひとり、歩いたり座ったり、爪の先をいじったりして時間を過ごしている。その姿はちょっとユーモラスだけどかなり不気味で、わたしには、人間でも猿でもない何かに見えた。

人間が何かを作ったり、作ったものが失われることに思いが巡った。そしてそういった人間の活動の隙間で、ただ普通に生き続ける人間以外の生き物がいる、というのは、大事な事実だと思う。加えて、人間がいるからそこがたまたま隙間に見えているだけで、彼らにとっては、隙間ではなく普通のスペースでの通常運転なのだ。この、それぞれな感じって勇気が出るけど、絶望的なような変な気分にもなる。やっぱり人間たちは恐ろしいものを作ったりしているし、何かをやらかしている、という気がしてならない。例えばこんな変な映像とか作ったりしちゃうし、福島の避難区域で撮影されているという情報をチラと聞いていたものだから、具体的にどこに、というのも難しいんだけど、見ている自分のなかには勝手に人類レベルの罪の意識があった。その壮大すぎて笑える感じというか愚かさも含めて作品に先回りされて語られているような気がした。

そのあとに続くレイチェル・ローズさんの絵本みたいなアニメも、宇宙に関する映像作品も、そういう想像力を続けて観れて、非常に良かった。

ピエールユイグについては、ヤドカリの作品とか、庭にあった蜂の巣を使った作品とか、東京で展示していた、白いペンギンの作品とかも(映像は見ながら寝てしまったけど)思い出しながら観れたのも効いている気がする。

あと、荒木悠さんのタコと悪魔の作品もおもしろかった。途中から見始めて、ふと、これ長くなるかな、他の作品が見れなくなるな、などと愚かにも考えてしまい、途中で抜けて隣の部屋の作品を見ていたら、荒木さんの作品の部屋から、クライマックスっぽい音楽が漏れ聞こえてきて、どうしても気になったので戻り、再び頭から一周観た。クライマックスっぽい音楽はエンドロールだったんだけど、それも含めてイントロから全部みて、インスタレーションも見直したらとてもとても良かった。映像やインスタレーションの中には具体的なモノがたくさん登場するし話の軸は現実の宗教と歴史だけど、ところどころ嘘っぽくフワッとしていて、それが引き込まれる魅力だった気がする。壮大な物語と、現実的な映像やモノと、それらをもとにした自分の想像とが頭の中に共存するバランスが心地よかった。なにより、ナレーションの語り口と声が非常によかった。正確に記憶していないけど、その人の普段の役職がエンドロールで知れて、ちょっと納得した覚えがある。

この話を自分なりの表現にして演じたいと思うくらい良かった。というか頭の中でフワフワとそういう妄想をした。

と大満足の作品が2つあったので、月曜の休館はマヌケな災難だったけど、一晩期待を寝かせた甲斐は存分にあった。

(ちゃんと、というのも変だしどうでもいいけど、月曜休館の美術館を火曜に観たり、火曜定休のお店で月曜に買い物をしたり、月曜定休のラーメン屋で火曜に食べたりしていたことに後で気がついた。)

朝に帰ってきた疲れは、熱いシャワーと見たかったアニメ(ガンダム最新話)と久しぶりに自分で淹れたコーヒーによって、数時間で簡単にリセットされて、気分はすっかり日常に戻った。でもこれが全然残念じゃないのだ。何かがひと段落した時に、サッと未練のない素振りで次の章へ行くのが、むしろ気持ちよくて好きなのだ。

いつも旅みたいに、地図に気に入ったことを書き込むような感じで暮らせたら、それは、けっこういいような気がしている。富士山を東から見る地点と、南から見る地点が、同じ地図上と同じ人間の経験上にあるのは、地に足のついた冒険のような、ただの生活というような感じで、いい。

朝のグラグラするような曇りはどっかいってしまって、すっかり快晴で、空気が冬っぽい。

岡山の幼稚園で月曜日にやっているのが見えたんだけど、わたしも焚き火がやりたい。

iPhoneから送信