少し古い「いた」「あった」を連れて

12月4日(月)

午前中に自転車で、いつも通らない道を通った。両親の運転する車で通ることがたまにあったけど自分で自転車で通ったことは一度もないところだ。道の片側にだけケヤキが植わっていて、その先にかなり急な下り坂がある。

その並木道はしばらく平坦だ。順調にペダルをこぐ。知らない若い人が、建物の入り口でしゃがんでタバコを吸っていた。地元のある友達に背格好が似ている。その地元の友達とは、3日くらい前に教習所へいく途中でバッタリ、6年ぶりくらいに会った。すれ違いながら「なんでこんなところにいるの」「教習所」という短い会話をして別れたけど、一言目で呼ばれたあだ名が変わっていなくてちょっと嬉しかったのを、空似の他人を見て、パッと思い出した。2秒くらいその人に視線をとめて、また前方に目を戻す。自転車の速度は落とさず進む。

ケヤキの並木道は色んなところで見るけど、そのたびに、見通しの良さに加えて風通しまで良いような感じがする。他の街路樹よりもグッと背が高いし、なんか姿勢が良い。市内のもっと北のほうにもケヤキ並木があるのを思い出す。そこは、ここよりも長さも密度もあって道の両側から内側へ、枝がトンネルのように伸びていて、秋や初夏はかなり良い。先週、母の運転する車でそこを通った時、道の左手にある工場の人たちが敷地や歩道や排水溝の落ち葉を大勢で一斉に掃除していた。母は、この道は引っ越してきてすぐの頃に車で道に迷ったところだと言っていた。それ20年くらい前?やば、と笑った。わたしたちは粗大ゴミの処理とかの面倒な用事が済んだ帰り道で、機嫌が良かった。

坂に差し掛かるところで、木の枝が邪魔をして開ききらない視界ながらも、住宅地をわっと見下ろせる一瞬がある。そのあと、ほとんどひっくり返りそうな角度にスリルを感じながら舗装されたS字の道を下る。
ここを過去に車で登った時の、後部座席にいるわたしさえちょっと緊張するような、重力に勢いよく逆らっちゃう車、頼れるやつ、というあの感じを思い出しつつ、今は重力に任せて下る。ブレーキをかけながら、坂が終わった続きの道を下りの余韻、車輪の仕組みで行く。車の来ない車道の真ん中を走る。ガードレールの内側をお兄さんが2人歩いているのを追い越す。
少し行った突き当たりの建物の壁際に、コカコーラの自動販売機と、同じ色の赤いベンチと、進入禁止の標識が、ひとまとまりになっていた。ぜんぶ赤で可愛いなと思って、自転車を停めてiPhoneで写真を撮ったけど、写真にするとそんなに可愛くなかった。録り直した二枚目の「パシャー」と同時にさっきの2人に追い越された。
そのあと右へ折れて、また坂を登る。坂はこれもとても急だから、ペダルが回らなくなってしまって一度自転車を降りた。1週間くらい前の駅からの帰り道、一本向こうの通りから、ここに救急車が止まっているのが遠く見えたスポーツジムの前だった。



ここまでの2分くらいの走行が、妙に印象的だった。並木道、下り坂、住宅地、上り坂、と次々場面が変わって、ここ最近の記憶がどんどん思い出されておもしろかった。見ているものと考えていることがギリギリ分離しない。やはり自転車に乗っている時は、他の時よりも脳が遊ぶ。

自転車を駐輪場に停めて電車で都内へ出かけた。寒いのに慣れてきて、気持ちいい気温だと思えるようになってくるのがわたしにとっては毎年12月で、ここからが冬だ。
その日の午後は、池袋でかっこいい鉱物を2つ買って、夜は新宿で演劇の稽古だった。





まだ「地元」じゃない


一人暮らしをやめて実家に帰ってきて三ヶ月目だ。11月になってからはバイトしたり自動車学校に通ったりしていて、歌とか演劇とか美術とかと関係のない場所にいることが多く、変な言い方だけど「郊外に住むただの若者」という実感が強い。自覚的にそういう時期ということにして過ごしているようなところもあって、ずっとは耐えられないと思うけど悪くない感触ではある。

最近そういうふうに生活していて、わたしは自分の「地元」のことが、ぜんぜんわかっていなかった、ということがわかった。1歳の時から18歳まで住んだ場所なのに、だ。今月から自動車学校に自転車で通うようになって初めてそう思った。

自動車学校は、自分の住むマンションから自転車で20分くらい行ったところにある。電車に乗ると二駅だが、駅までの距離があったりして、自転車のほうが断然早く着ける。毎回この20分間は、車の多い道とその両側に広がる住宅街をひたすら行くことになる。たまにガソリンスタンドと、広い駐車場があるタイプのコンビニ、ファミレス、牛丼とかうどんのチェーン店があって、排気ガスのにおいがずっとしている。

その往来を繰り返しているうち、つい「こんなに何もないのか」と思ってしまった。
いや、わたしの用事が自動車学校以外にないという前提が大いにあるけど、いい景色とか楽しい坂とかもない。

わたしは大学の近くに住んでいた5年間で、自転車と徒歩による距離の感覚を、それ以前よりはけっこう身につけたつもりだ。だいたい自転車で走ってホムセンやディスカウントスーパーへ買い物に行っていたし、クロスバイクを手に入れてからは、ただ目的地もなく行けるところまで行ってみることもたびたびあった。そうして走る道からの景色は、けっこう多様だった。近所の大きい川沿いは朝も昼も夜も気持ちよかったし、学校へ行く途中にはドカンと田んぼが広がる地域があったり、それを過ぎてきつい坂を越えると墓地と畑があったり、ザ・国道と呼びたくなるような、ラーメン屋が遠くに見える殺風景な空と舗装が続くところもあった。老人が歩いていたりおばさんが自転車で通る道も、大きいトラックが何台もごうごう通る道も、部活の高校生たちがジャージで走っている道も、それぞれあった。かなり遠くまで見渡せたり、坂をがーーっと降りたり、けっこう楽しかった。
歩くことも増えたので、「20分チャリ」という距離は徒歩で50分くらい、都内のあのへんからあのへんまでだ、というふうに捉えられるようにもなった。大学の別の校舎の近くの、日暮里・千駄木・上野・秋葉原・浅草・三ノ輪・南千住あたりとか、住んでもいないけど行くことが多いので横浜の桜木町・日の出町・馬車道・関内・石川町・山手あたりの徒歩の地図が、できつつあったりもする。その身で5年ぶりに帰ってきた地元は、20分チャリに乗ってもほとんど景色が変わらない、均質な町だった。

 

自分がどういう場所に住んで育ってきたのか、最近こうして自転車で走るようになって、やっと分かり始めたような気がする。わたしが住んでいたのはこのマンションの一室でしかなくて、「地元」には住めていなかったんじゃないかとさえ思う。実際、中学から電車通学だったのもあって最寄駅が同じの「地元の友達」はほとんどいないし、このあたりで買い物をするとしたら家族と車でというのが常で、徒歩や自転車で20分もかけてどこかへ行くということはまずなかった。おかげで徒歩や自転車での地理感覚が全然ない。必要がなかったんだろう。つまり、ここは20分の徒歩や自転車では、どこにもいけない、車の町なのだ。

散々書いたけど、悪い町では全然ない。文化的にはパッとしないけど、人がただ住むには良いところだ。若い家族は、おそらくわたしが小さい頃と同じように今もたくさんいて、朝や夕方には子供をよく見る。老人ホームは増えた。いちばん馴染みのあったイトーヨーカドーはなくなったけど、ドライブスルーのマックとか、単体で店舗が建っているユニクロとか、そういうのが新しくできた。活気はそこそこある。

 

 

自動車教習所にあと2ヶ月通って無事に免許をとったら、両親が見ていた運転席からの景色を、わたしも見られるようになる。

車に乗ったら、もうちょっと印象が違ってくるはずだ。ここは車の町だから。田舎にもなりきらない中途半端な首都圏の、ちょっとした郊外・住宅街を車道から見るのは、本来ってやつかもしれない。それはあの頃に家族で住んだ「地元」に、今よりもいくらか近づくだろうか。

 

 

 

帰宅、そして帰宅

引っ越しのカウントダウンをしようとしたけど全然できないまま、なんだかんだ引っ越し終わってもう一ヶ月が経ってしまった。30日とか経つと、引っ越ししたての時とは少し違った気分になってきていて、最近はなんとなく「もとからあった」というようなことを感じている。




5年前に出て行った時から、わたしの部屋はほとんど使われていなくて、時が止まったみたいになっていた。引っ越してきてからは、それを少しずつ整理して、今の自分が使える部屋へ切り替えていく作業をしつつ、平行して今の自分の生活を進めている。それでとりあえず真っ先に思うのは、5年前以前と、5年前以後の、けっこうハッキリした分断を感じるということだ。
例えばあの頃は捨てられなかったいろんなものをどんどん捨てられるようになっていたとか、そういうこともあるし、それ以上に、駅までの少し長い道のりを、自転車で流れていく景色を、いまだに「今」として捉えられなくて、「あの頃あんな気分で歩いた」とかそういう過去をまだまだいちいち思い出してしまっているのがビシビシくる。自分の「今」がここにないみたいといったら大袈裟だけど、まだ旅っぽい感覚が終わらないでいるような気がする。よそに来て間借りしているような。
この感じは、悪くないけど、これでいいんだろうか?とは思っていて、だからやっぱり物でいっぱいになって全然使えない自分の部屋を片付けているんだけど、でも、せっかくのこの旅っぽい感じは、終わらせたくない。なるべく保ちたい。これについてはまだ困惑している。


ただ、ここ一週間くらいで、そういう間借りっぽい旅っぽいなかにも、引っ越しの分断とか時の流れる摩擦にも打ち克ってずっと自分に続いていた部分があったんだと思うようになった。今大事にしていることの一部が、もとから自分のなかにあった。それも意外なほど身近な感じで。

ずっとマンションで暮らしてきた、というそのマンションに実際にこの一ヶ月で戻ってきて生活を進めてみたら、まず「帰宅」ってすごく重要なのではという気がしてきた。
一度家を出て帰ってくるというのを日々繰り返し、主観と客観を行き来することで、ハウスがホームになっていくような気がする。9月の初め頃に友達の家を3カ所ほど転々として2週間くらい過ごしていた時に、帰宅を繰り返すと、人の家でもなんかちょっとホーム感が出てくるのがおもしろかった。一人暮らしを初めて間もない頃に少し旅行に行って、帰って来た時、あ、ここわたしの家だな、と思ったこともあった。その「帰宅」は、最近わたしに二つの気づきをくれた。

ひとつは、建物の外壁と音響的に関わるという現在の自分の興味の、原体験っぽい記憶だ。帰宅していた時に思い出した。
帰ってきて道を曲がってマンションのエントランス前へさしかかると、それまでの道にいた時と音の聞こえる感じが変わる、ということに、小学生当時のわたしは気がついて、楽しくて時々遊んでいた。「背の高い硬い建物の前で声を出したら反響する」という風に言語化してはいなかったけど、マンションの高い外壁がそびえ立っていて、洗濯物とか干してあって、時々そこから顔をだしてる知らないおばちゃんとかいるんだけど、ここで声を出すと響くから楽しい、でもやりすぎると近所迷惑だな、と遊んだり考えたりしたことが、そういえばあの頃あった。一回「あ!」とかいうぶんにはセーフ、というのもその時に初めて実証した。

もうひとつ、このマンションで、もっとよくやっていたことがある。自宅の玄関の外のすぐ横にある45センチくらいの厚めの壁に、ちょうど人の頭がひとつハマるくらいの幅の四角いスリットが、鎖骨くらいの高さから天井へ向かって細長く入っていて、向こうの景色が見える。わたしは、よくそこに頭をつっこんで、7階からの遠い景色を見ていた。帰宅した時に玄関の鍵が閉まっていると、チャイムを鳴らして、家のなかにいる母や姉が鍵を開けに玄関まで来てくれるのを待つのだけど、その少しの間の、遊び未満の行動だった。遠くをみていると眼が良くなるという噂を試していたようなところもあった。
そのスリットは、本当に頭ジャストの幅でできているから、頭をつっこむと両耳を壁で軽く塞ぐような状態になる。そうなると聞こえる音が減って、見えているものに集中できるのが気持ち良かった。風と一緒に、見えている景色へと自分が吸い込まれていくような感覚になる。ただただなんでもない住宅街が、7階の高さからの視界いっぱいに広がっているだけだけど、それでも、ガチャ、と母が鍵を開ける音が聞こえるまでの1分にもならないひと時、そうしているのが好きだった。それを小学生の頃にやりだして、中学に入っても高校を出てからもしばしばやっていて、昨日も普通に自分が同じことをクセみたいにやっていて、あれ、そういえばと思ったのだった。本来と違うけど自分にとって気に入れる家の使い方を勝手に開発していた。
(そういうのを受けて、昨日は洗面所の流しのところに脚まであげて腰掛けて歯を磨いてみたけど特におもしろくなかった。)


マンションの、隣や上下に住んでいる人のことはやっぱり全然知らない。小学校の頃の同級生が何階の何号室に住んでいるとかは知っていて、エレベーターに乗る時にその前をいつも通っているけど、彼らには全然出くわさない。
今の自分の生活は、家とそれ以外になっている。家族は東京や神奈川にいるわたしの友達にほとんど会わないし、わたしの友達だってわざわざこんな何もない郊外に遊びにきたりしない。日常の生活圏と、日中の活動圏が重なっていない。家の近くのスーパーにふらっと買い物に行って知り合いに会う、ということが、今は一切ない。生活と友達のあいだに距離がある。
郊外に住んで都内に通勤している人とかってこういう風に切り替わる感覚なのだろうか、と思ったりするし、なんとなく、生活がこっそりしてくる。ああ、これがマンションの生活だなと懐かしい反面、その懐かしい頃の友達とは今はほとんど関わっていないから、正直いって寂しさのほうが強い。やっぱりずっとこうやって暮らしていくのはつまんないし、なんならけっこうシンドイかもしれない。

一時期、単身赴任ではなくこの家から都内に通勤していた父は、家の近くに友達なんて、いたんだろうか。
いたならいいけど、あんまり見たことがない。勝手な想像だけど、いなかったんだったら、こんな感覚だったんだろうか。けっこう寂しいっていうか、ここは父にとって、本当にただ帰ってくるためだけの家と町だったのかもしれない。聞いてないのでわかんないけど。

でもそのぶん、こんな場所では、家族がとても愛しいものになるのかもしれないということは、僭越ながらちょっぴりわかったような気が少し、した。
何度帰宅を繰り返しても大抵の時ちゃんと家にいる人たち、友達の言葉を借りると、確かにちょっと、好いている猫みたいだ。










1 チッポケになって刻み込む

8月19日
引越しまであと8日
別れる時、手を振って小さくなっていく相手と、同じ速さでわたしも小さくなっていくことが嬉しい


月曜から家族で京都に帰省して、そのまま帰らずにわたしだけ岡山へ行ってそこで親しい人と会い二泊ぶん遊んだり展示を観たりして、さらにその後に一人で広島まで行って、好きな作家の展示とパフォーマンスを観て、いまは帰りの列車に乗っていて、ひとり暮らしの部屋へ帰っている道中で、わたしは黙っている。




京都に行く直前の二日半は、演劇の公開稽古というクリエイティブなイベがあったので、そのあいだはずっと緊張感のある会話のなかにいたし、京都にいた三日半ほどは、久しぶりの友達と会ってたくさん喋ったり家族や親戚(一人増えた!)と過ごしたし、岡山での二日半ほどのあいだも、主に好きな人と二人だったので、ここ一週間ほどは、かなり毎日、よくよく人と喋っていた。どうでもいい話も、大事な話もたくさんした。嬉しくて勢いよくパーッと喋ったりもしたし、ウンザリした気分で雑な返事をしたりもした。
そうして人と過ごして来た旅行の最後の今日、広島へ一人で向かう段になって、いきなり本格的に黙って過ごす時間ができた。

仲のいい人と一緒に電車に乗っていて、お喋りが盛り上がっていたところで相手が途中の駅で先に降りて行った時、パチンといきなり自分が無言になる、ということがよくあるんだけど、あの瞬間って何だか可笑しい。一人で妙な気分になる。他の人のそれを目撃した時もちょっと面白い。この現象の、ちょっと時間の単位の大きい版が、今日は起こっていた。広島に向かう列車の中で、黙ったまんま、一人で選んで一人で買ったオヤツを一人で食べていて、なに黙々と食べてんのわたし…と思ったら笑えた。でも可笑しさを共有する相手がいないので、ニヤニヤ未満くらいをピークにその気持ちは過ぎて行った。
広島ではもしかしたら一切声を発しない可能性がある。話をしたい内容が特別にあるわけでもないし、黙っているのがイヤとも思わないのだけど、言葉を発しないことに口が慣れていないような感触があって、ちょっとソワソワした。 岡山駅まで一緒にいた人と、サクッとサワラ丼を食べて、かなりサッパリと「バイバーイ」と別れたのがちょっと惜しまれた。
ほどなくして列車は広島駅に着いた。わたしは心の中に「広島ついた!新幹線、はや〜!ホームあっつ〜!」とか感想が生まれているのを置き去りにして、無言で改札へ向かっている自分にやっぱり変な気分だった。空いているコインロッカーをなんとか見つけて重い荷物を入れカギをかけた時につい「ッシャ」とか言ってしまったりもした。そんな調子でいたら、思わぬところで人と話す機会を得た。

路面電車を待っていた時だ。
大きなスーツケースを持った女性に「路面電車って、5000円札両替できますかね」と話しかけられた。確かできないよね(したい)、というニュアンスが含まれていた。
わたしは、ちょうど偶然、さっきオヤツを買った時に「1000円札にしておいた方がいいかも」と思ってあえて5000円札を使ったので、1000円札が多めに財布に入っていた。それを確認してから、「…わたし両替しましょうか、1000円札5枚ですよね」と言ってみた。良いんですか、ありがとうございます!助かります、いえなんて事ないです、広島はよく来るんですか、ええ仕事で、大阪から、なんて少しだけ会話をしたけどなんとなくそんなに続かず、短い沈黙へ路面電車が来たので二人とも乗り込んだ。乗車してからは混んでいたのもあってやはり会話はなくて、駅について降りる時にようやく「ありがとうございました」「いえ」という会話をもう一度だけして、その人とは別れた。

インドネシアに行って帰ってきてもうすぐ二週間になるけど、わたしにはまだあの旅の余韻がおおいにあったので、流暢に言葉が使えて会話ができるとこんなことも出来ちゃうんだなあ、と静かに感動した。一人でピョンと遠くに行ったりそこで上手く過ごしたりできるのは、そこが日本国内で、わたしが日本語をけっこうしっかり使えるからだ。(山内さんが勧めてくれた、日本の読み書きのできない人たちにそれを教える活動をしている人とそこで読み書きを覚えた人たちの文章を集めた本、やっぱ絶対に読もう)
旅をすると色んなことに自覚的になると思うけど、人と話すことについては特に敏感になるような気がした。旅先で流暢に話せると、自分の正体も名前も自在に誤魔化せるという変な後ろ盾みたいなものがあるので、他人と楽に話ができる。実際に誤魔化したことはあんまりないけど。




それで
人と話すこととは別の話で 

旅行の楽しみ方っていろいろある。違う人と違うやり方で過ごす旅が連続したから明快になったのだけど、わたしは家族で行く時の「フリーペーパーに載ってたあれが食べたいガイドブックに載ってたここにも行きたい」式、ちょっと忙しくてお金のかかる観光客然としたミーハーな観光旅行も好きだし、年や世界観の近い友人と行く、景色や街や建物が面白いとか、今なんか変なのあったぞとかこっちの路地に入ってみようかとか、そういうところで新鮮を得ることに重点を置く、体力と時間をかける式の旅も好きだ。

この、後者が気になる。

一人だったり気の置けない人と出かけると、後者のようなハードなことになりがちなのだけど、今回も例に漏れず岡山ではけっこう厳しい山道を、親しい人と二人で自転車で走り回った。上り坂の苦しみを下り坂の風の爽快さと高いところからの絶景の喜びで相殺するみたいにして、日差しと筋肉と汗と肺の容量を感じながら走りに走った。すごく疲れたけど楽しかった。
徒歩とか自転車だと、やっぱり自分の「あれなに」タイミングでキュッと止まれるから良い。
3月に、完全に観光ツアーでジョグジャカルタに行った時は、ガイドさんの解説とビュンビュン目的地を点でつないでいくチャーターの車で観て回ったから、気になったものも気になっていないものと同じ速さでドンドン遠ざかってしまっていて、街の印象はかなり漠然としていた。楽しかったけど、資料集っぽさすらあった。
わたしは、あの漠然とした街よりも、今回の7月に行った、道に迷ったり不安になったりしながら、疲労とともに体に刻んだ具体的なジョグジャカルタが好きだ。地理的には同じ場所だけど、心と体にはまるで違うものとして入っている。自分の目や耳や脚が馴染んだ道と、まだ馴染んでいない道が、グラデーションをもって頭の中の地図に染みている。完成度の高い資料集も悪くないけど、自分で色を染み込ませた手書きの地図のほうがやっぱり楽しい。その街における自分の大きさもちゃんとわかる。 

好きになった人の好きな映画とか音楽を片っ端からチェックして相手との具体的なデートを妄想できるようになるみたいなのと似ている気がする。わたしとっては街も人も、具体的にならないと好きにもなりきれない。アクセスもできない。なんでもかんでも好きにならなきゃいけないわけでは、全然ないんだけど。

ともかく街は、資料集じゃなくて街で、わたしは点じゃなくて肉体でそこに立っている。世界中どこだって、点や線でできてなんかいない。街の中には、目的地にしてきた地点とか記憶に残っているポイントはあるけど、そのあいだを埋める距離とか道も確実にそこにある。そこを無視すると資料集になってしまう。この、点を点のまま断片的に覚えるのと、道とか土地の記憶のされ方は、なんか違うと思っていて、道のほうを、体で覚えようとするような感覚が気になっている。

たいてい、道中はあんまり日記にはかかれないって先日の旅を毎日日記にしていて分かったけど、でも、これは確実にある、かなり重要な部分で、それを覚えるのは言葉じゃなくて体の仕事のような気がするのだ。

岡山の牛窓では、狭い範囲をさんざん自転車で走ったので、走ったところに関しては距離感とか地形をけっこう感じることができた。そのうえで、次の日に牛窓の近くの尻海というあたりもちょっと走った。そのあたりは、けっこう最近まで海の底で、江戸時代とか、その後にも数回にわけて、人工的に埋め立てていって今の状態になっているらしい。もともと海産物を養殖していた広い平たい土地で、今はかなり大規模な太陽光発電が行われている。その電気畑の近くを自転車でスーッと通って町へ行き、神社のほうへ階段を登って小高いところから見下ろしたら、町と山の間には、太陽光パネルが、海だったところに海みたいな顔をして広がっていた。視線を少し左にずらせば本当の海と何かの養殖場があった。不思議な景色だった。でも、あそこをあんな風に走ってきて、という地理の体感があったので、その景色を見た後に古い地図を指して少し話を聞いたら、昔は海だったとか、そういう感じがけっこうイメージできた。

自転車で前島というところをグルッと廻った時も、去年の夏に一週間くらい居た犬島(これも岡山県)で見たのにかなり似た、ガシガシ切り立った斜面にチョビチョビと松などのわりとガシャッとした植物が生えたりしている景色が多く広がっていて、このあたりの土地の質をなんとなく再確認できた。前島は自転車ではシンドイくらい、土地の高低差がかなりあった。このあたりの海はきっと、さっきの埋め立て地と距離は近いけど全然違った形の部分で、島が山みたいに急になっていて、島が終わって海になっても、海底へそのまま深く斜面が続いているから、海面を見るとすぐに濃い青色で綺麗なんだろうなと、海底の形をわからないなりに想像したりした。今いる場所から地続きの大きい地形が想像できると、自分がチッポケになれるのが気持ち良い。

そう、チッポケなわたしはいつも疲労とエネルギーと一緒にいる気がする。

わたしは大きい声を出すのが好きだ。その時には、高くて大きい声を広い場所へ、いっぱい!という感じで出していて、この時の自分の体感はとてもチッポケだ。街が大きく感じる。わたしの体は頑張ってエネルギーを使っているので疲れる。その「ぼく一人ではこんなに大きな街には到底敵わないや」という徒労感が、さらにわたしをチッポケにする。エネルギーを使わないとチッポケにはなれないんだと思う。
あれも食べたいここにも行きたい、全部一日で達成するためにバスやタクシーを駆使する、というタイプのリッチで欲張りな旅は、楽しいけど全然わたしをチッポケにしない。むしろ、なんでもお金でなんとかしていくので、ちょっと大きくて強い気分にすらさせる。寺山修司が何かに書いていた「代理の労働」を利用する側にお金の力で立つ。代わりにやってもらう、は、自分でやる、とは使うエネルギーの種類が全然違う。

疲労とか汚れと一緒に技術未満の何かが自分の体に刻まれていく感覚や、この時のチッポケさって、お金とかよりも信頼できると最近とても思っている。それは、体のレベルで実際だから。外国へ行ったって同じように、あって続いて機能する感覚だから。気温に応じて汗腺が開くように。

実際にここにある自分の体で、エネルギーをいっぱい!使って、ちょっと戦うみたいなチッポケの段階を経て刻み込んだものは、ちゃんと肉に残る気がする。お金は使えばなくなっていくけど、疲れは体を使えば使うほど溜まったり肉になったりしていって、脳はたぶん学習していく。 
エネルギーを使おう、汗をかこう、なんてすげー暑苦しい感じで、正直アレだけど。

自分の体で戦って疲れちゃう弱いチッポケでいられれば、街とか光とか匂いとか地形とか時間とか、いろんなものが、ちゃんと体に入ってくる。好きや嫌いという言葉のレベルでは選んだりできないダイレクトさで。

そして一人に一人分のエネルギーと肉体しかない以上、わたしには、できることとできないことがある。観れるもの行ける場所には限界がある。ここについては、ある程度選ばないといけないし、諦めなきゃいけないこともあるんだろう。

だからこそ、岡山駅であっさり「バイバーイ」と別れたこの旅の良い仲間が、わたしとは別の道を通って、別のやり方で東京へ帰っていくことが、なんだかチッポケで可愛い、ちゃんとした希望に思えて嬉しい。
また東京で会う時、わたしたちは同じチッポケも、似た別のチッポケも経ていて、そしてまた、流暢に話ができる。







14 特別じゃない旅

8月7日とその後

目が覚めたら外はすっかり明るくなっていた。飛行機の中から夜明けを見れたら嬉しいなあと思っていたけど、眠ったせいで叶わなかった。北上している飛行機の東の窓側の座席だったのにかなり惜しいことをした気がする。
ガルーダ航空だったので、頼んでいないけど機内食が配られた。洋と和だったので迷わず和食を選んだ。来る時の飛行機でもエアアジアの牛丼を食べたんだけど、飛行機の中で食べる牛肉ってなんか似た独特の硬さがある。嫌いではないけど全然美味しくない。まるで空に生息しているそういう動物の肉みたいだなと想像してみたらちょっとおもしろかった。

またうたた寝したらしくて、気がつけばシートベルトを締めましょうというランプが点いていて、大きな音をたてながら飛行機は降りていき、成田空港の滑走路に着地した。あんなに高いところから無事に降りてきた。何度も使っている交通機関だけど、相変わらず飛行機ってすごい。宇宙とはたぶん呼ばないんだろうけど雲の中とか上まで通って、ちょっと地球から浮いて移動するなんて、夢がある気がする。反面めちゃくちゃ怖いとも思うけど。

空港に着いて、スーツケースを回収したり入国手続きとかをサクサク済ませて、家族に「無事に帰ったよ」と連絡をいれてから電車に乗り込んだ。安心してしまって自分でもどうかと思うほど爆睡していたようで、あっという間に一人暮らしの最寄駅に着いたし、歩いて自分の部屋まで戻った。日本の方が絶対に暑い。地面が熱した鉄板みたい。疲れた体にはかなり厳しかった。
クタクタに疲れているはずなのだけど、今日は午後1時から大学の授業があって、わたしはこれの単位をちゃんと取らないと来年以降の計画が狂う。ので、帰宅した瞬間に全く間髪入れず服を脱いで熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴び、体を強制的にしゃっきりさせ、きれいな服を着て、ちゃんと授業に間に合う時間の電車に乗った。乗れた。

電車に乗ってしまったらいつもの慣れた景色の連続だった。駅から駅までの風景も、駅から大学までの道も、見て知っているのと同じだ。かなり暑くてびっくりするけど、これが日本の8月だ。そう、8月という実感は正直あんまりないけれど。

旅の痕跡がいくつか自分にあった。
ジャカルタで買ったピアスは買った日につけて似合うと言われて嬉しかった時からずっとつけっぱなしにしていたし、鞄も向こうでハードに使っていたものをこの日も持っていて、向こうで買ったちょっといい匂いの痒み止めも、鞄にあったから腕に塗った。行きの空港で気持ちを落ち着かせるべく食べていたけど向こうについたらあんまり食べる気がしなくて残っていたかりんとうも、授業の合間に食べきった。飛行機でもらった小さいペットポトルの水も飲みきった。財布をいつものに戻せていなかったので、昼のオニギリを買ったお釣りにもらった小銭はポケットにいれていた。

そういう、帰ってきた日ならではの少し不慣れなことがいくつかあって安心した。

このグラデーションをちゃんと感じたほうが何か良い気がした。少しのあいだだけどインドネシアにいたことを、夢とか幻とか、非日常みたいに記憶しておくということは、なんというか、したくない。あまりにも強い日常ってやつは、そうではなさそうなものをすぐ非日常って呼びたがる。それに抗いたい。
というのは、それくらい楽しかったから。
そして、飛行機で行ったけど、あそこは海底を通ってここ日本と地続きの場所で、新しい友達ができたり、もともとの友達に会ったりした場所で、バイクに乗せてもらって走ったり笑ったりした場所で、その時は確かにわたしの居る「ここ」だった。
言葉の定義としてはあの日々を非日常と呼ぶのかもしれない。でもあの場所にある日常とか生活を、もう他人事だとは思いたくない。難しいけど、わたしは、「あの日々」と「この日々」を、ぜんぶ「この日々」にしたいんだと思う。

どんな欲望なんだか自分でもよく分からないけど、べつに過去になっていく時間に抗うってことではなくて、あれはあくまでも場所で、場所それ自体は過去とか非日常ではなく現実で現在だってことを、「母」みたいな広さでつかまえていたいし抱きしめていたい、みたいな、感じ。悔しいけどそんな女っぽい感じ。 場所は過去を溜めていくけど、過去になっていくわけじゃない。今もそこにある。


あの日々とこの日々とはそれ以外と同じようにシームレスだ、と考えることは、普通にできると思う。わたしにとっては(場所が違うし人が違うし言葉が違うしあらゆることが違うから)あの日々はたまたま不慣れの連続だったから、なんか特別っぽいというだけだ。
そして、その特別っぽいあの日々と、この日々とを、慣れと不慣れとか、過去と現在とか、日常と非日常みたいにしないで、同じに抱いておきたくて、やり方を探している。 

その時に、何処で誰とどんな日々を送っていても自分に残っている慣れが、きっとあって、これが大事なのかもしれないと思う。

多分、慣れはかなり重要な人間の機能だ。その手前の不慣れによって疲れたりすることで自分をアップデートしていけるという部分もあるし、慣れはいつも体に入って体に現れてくる。
わたしは、色んなことにどんどん慣れるのがわりと得意だったり好きなつもりだけど(習得とは別の話)、あっさり慣れてしまえるものと、なかなか慣れられないものとがある。そうやって、自分が慣れたり慣れなかったりしたことで、少しずつわかるものがある。

たとえば風呂トイレは別がいい、なんて住居に対するこだわりは、しょうもない慣れからきたもので、違う様式に慣れてしまえば本当にどうでも良いものだったのだと今回わかった。あと、意思疎通の時に言葉じゃなくて声のレベルで全力で意思を表現するってことは、慣れに近いところで実践していたけど、やっぱりめちゃくちゃ大事だったと思う。
たぶん恋も同じで、恋人が美女やイケメンかどうかなんて慣れたら関係ないのか、あるいは重要なのかを判断するには慣れが必要だし、ドキドキした気持ちが単に不慣れな時めきなのか、慣れても続く恋になっていくのかだって、慣れに任せてみたらちょっとわかってくる
たいていのことは慣れたらどうでもよくて、慣れてもどうでもよくならなかったり、慣れなかったりするものが、問題にする意味がある。それは自分が続く部分、寝て起きた次の日もその次の日も続く部分だ。

どんな日々を送っていても同じように自分が続く部分があるなら、それはたぶん信じてよい部分だ。そして、たとえば近いけど遠い外国が、海の底を通って地続きだっていう想像力を持つためには、その外国でも自分の続いている部分があるとわかることが必要なのだと思う。実際にそこに行って実感するしか、今のわたしには方法がなさそうだけど。
だって、遠くの外国は外国、じゃなくて、実際の事実として、この北半球の続きにある南半球にある場所だ、って捉えられるようになりたい。場所だと思ったら北海道とかと変わんないじゃん。ちょっと自分でも何を言ってるのか分かりきっていないんだけど、そんな風に思いたい欲望がある。




この日は、授業が始まる前に仲のいい後輩に偶然会ったり、終わってから恋人と会って蕎麦を食べたりして、こういう人たちがグイグイと、慣れたほうへと引き戻してくれるんだなと思った。待ち合わせた賑やかな駅前は雨も降って湿度が高くて、よく知っている日本の夏だった。8月、という数字はまだしっくりこないけど。

たぶんわたしはあっという間に、日本の生活に、いままでしていた生活に慣れていく。体にたまった旅の疲れも、服や鞄についた汚れも、数日で全部きれいに落としてスッキリしてしまう。そしたらまるで終わってしまいそうで、簡単に幻になってしまいそうで、いや、ならないししないんだけど、日常化ってほんとに強いから、ああ、

だからせめてもの抵抗で、物理的に続く部分として、ピアスはしばらく着けたままにしとこうかなとか、おまじないみたいなことを思っている。なるべく旅のつもりで、不慣れと疲れを続けたいとも思っている。旅を帯びた日常生活を。肉体の疲労は、身体に旅を擦り込んでくれるから、わりと信頼できる気がしている。


そうそう、色んな夜があることってかなり嬉しいじゃんと、旅行していて思った。
初めて来た場所で緊張しながら寝る夜も
友達とダラダラと朝まで過ごすような夜も
気まずいまま別れる夜も
さっと夕飯を食べて名残惜しくもなくバイバイする夜も
ひとりですぐ寝る夜も
寝つけなくて掃除を始めちゃう夜も

夜はたいていの場合、帰る先で、出かける手前だから、そこにバリエーションがあるって良い。旅的。
旅を帯びて生きれたら、きっと良い。たとえば夜更かしとか、そういうやつも肯定できそうだし、今まで自分を狭くしてきた変な健康オタクや几帳面さと、いよいよお別れできそうだ。
ああ早速 もう朝が近い。









13 帰る準備

8月6日 

朝、寝坊した気がして、ギャ!と、バッ!と起きたのだけど、時間を確認したらアラームをかけた9時よりも早起きしていた。
ここまでの2週間でなんやかんやと買ってはいたけど、お土産というお土産をちゃんと買っていなかったことに昨晩気がついたので、朝ごはんを食べに行くのと、近くのスーパーやお土産屋さんのある通りをブラブラしてみようと思って早く起きたのだった。でも起きてみたらやっぱり胃はしょんぼりしていたので何か食べるのはやめて、買い物だけにした。
お土産って買うのが難しくていつも困る。この人に買ってあの人にないとかが自分の中でモヤモヤするので、もう「人」というよりも「場」に買うという基準(バイト先とか良く行くシェアハウスとか)にしたら心がすっきりした。
あと、そのつもりでそこへ向かったわけではなかったので偶然が嬉しかったんだけど、ジャカルタへ行く朝に横目に見て通り過ぎ、入りそびれたジョグジャのローカルな朝市場を、ゆっくり見ることができた。何も買わなかったしジャカルタに比べたら地味だったけど、まあジャカルタが派手すぎたんだろう。

予定よりもちょっと遅く帰宅したので集中してテキパキとスーツケースに荷物を詰めた。来た時は半分しか入っていなくてガサガサだったスーツケースが、ちゃんと両側いっぱいになった。作業BGMに昨日の夜にゴタに教えてもらって歌った歌の録音を聞いていたら完全に空間が最終回のエンディング然としだして、1人でたまらない気持ちになった。

たぶん空港は寒いと思って、長いスカートをはいた。来た時は「いざという時に走れる」という今思うとビビり過ぎな基準で半ズボンだったけど、このスカートが持って来た服の中で一番暖かかったので、ポッケもないしちょっと動きにくいけど旅のあいだヘビロテすることになった服だった。寒い時に少しでも体を守れるように、バティックを一枚、スーツケースではなくてリュックに入れた。
アプリでタクシーを呼んだ。ちょっと道が混んでいたので運転手さんは「飛行機の時間は何時?」とわたしの代わりに焦ってくれた。全然余裕なので焦らなくていいよというのを「3 o'clock.」と朗らかに言うだけで伝えられないかなと思ってめちゃめちゃ優しくて明るい声を出したりした。わたしは語学をナメて声のコミュニケーションを信じているようなところがあるな。

飛行場のターミナルも今回は間違えずに到着して、ジャカルタに行った時と同じ手順でさくさくチェックインして荷物を預けた。わたしがあの荷物透視装置をクリアできる優秀なパッキングをしているからなのか、空港の人がアバウトなのかわからないけど、この旅で何度も荷物をあれに通しているわりに、今の所一度も引っかからずにきていてちょっと嬉しい。
完全にお腹が痛いので、やはりこれもジャカルタに行った時にそうしたみたいに腹に着物の帯みたいにバティックを巻いて、温かい飲み物をカフェで購入して痛みをごまかしなから飛行機を待った。なにも食べないのも辛いけど甘いものが食べたくなかったので、少ない選択肢から止むを得ずデニッシュを買ったのたけど、一度食べたビーフじゃないほうにしたら、具がけっこうしっかり辛くて、バリへ向かう飛行機①に乗った時にはもう内臓が瀕死状態だった。寒くて痛い。飛行機に乗ってすぐ眠りについた。

バリの空港に着いてから、一度スーツケースを開いて、リョウさんに借りたカーディガンと大判のストールを出し、まだ一度も使っていないもう一枚のバティックも取り出し、寝る時につけていた着圧タイツとレッグウォーマーも取り出し、全部身につけた。かなり変な格好になってしまったけど今できる最大の防寒だった。
温かい牛乳を飲んでひたすら音楽を聞いたりしてぼうっとして、トイレに行きたくなったらすぐ行く、というのを何度か繰り返して、どんどん体を空っぽにしていったらだんだん元気になって体温も戻ってきた。
そうしているうちに約6時間はあっという間に過ぎた。逆に6時間くらい余裕をもっておいて本当に良かったと思った。もうお土産を見る気力も残っていなかったので全てのお土産屋さんを素通りして、ベンチをたまに移動しながら寝落ちしないようにつとめていた。前回、3月に来た時の帰りに、安心しきって寝落ちしてしまってゲートが変わったことにギリギリまで気がつかず走るハメになったのだけど、結局なぜか今回もそうなった。乗り込んだ飛行機でたまに供給される飲み物は毎回白湯をもらった。

旅のなかで思ったことなどをノートに色々書いたりして眠くなるまで待って、現地時間で夜中の2時、日本は3時の頃、眠りについた。




12 滑り込みセッション

8月5日 

いよいよ今日が今回の旅の、ジョグジャカルタ最後の丸1日なんだけど、疲れていて昼くらいまで寝ていた。ちょっと胃がしんどい。テルリさんが家にいるのにドアの向こうではなくメッセージアプリで「ソトアヤムあるからね」と声をかけてくれて、やっと起き上がって動き出した。お昼をアイコさんと食べる約束をしていたし胃がしんどかったけど、ソトアヤムは食べ始めたらとても美味しくて、けっこうたくさんあったご飯もペロリと食べてしまった。 

自転車でアイコさんたちの居るギャラリーへ行き、その近くの店でご飯を食べた。ローカルな店で、猫がやたら沢山いた。アイコさんは可愛がってちょっとご飯を分けてやったりしていたけど、お店の人はシッシッといって退けようとしていたし、わたしは数が多いのに対してなんかちょっと引いてしまって、ガンガン近寄ってくる猫たちを脚で雑にのけたりしていた。あんまり寄ってくる猫は好きじゃないなと思った。 
2人の日本人の作家が近くのギャラリーでそれぞれ個展をやっているのを見にいったりした。お腹いっぱいで眠かったせいもあるかもしれないけど正直あんまり響いてこなかった。このあたりで、今日わたしダメかもしれないと思ったけど、午後、日本人の絵本作家のワークショップにちょっと参加して作業に集中することで少し元気になって、アイコさんと2人で付近の要チェックアートスペース巡りをした。かなり色々あるのだけどそれぞれの距離が徒歩圏内くらい近くて、良かった。人がいたところでは少し話をしたりして、日本人のあの人とここ繋がっているのか!ということがあったり、楽器を作る作家を集めた展覧会のカタログを見つけて、ウキルが何か文章を書いていたので買ってみたりした。

それを終えて戻って来たらもう夕方で、今回お世話になった皆様と連れ立って夜ご飯を食べにいった。今思い返すと、体調に反してこの日は食べ過ぎていたと思う。ベジタリアンレストランでテンペ(豆を発酵させて寄せてハンバーグみたいにした食べ物、たいてい揚げてある)バーガーを食べた。美味しかった。飲み物も生姜と、名前を忘れた酸っぱいものが入った温かいものを飲んだ。
最後の数日は疲れもあったけど、そもそも薄着しか持たずに来てしまったせいで、今回の滞在中、わたしはほぼずっと寒がっていた。インドネシアだし日本よりも暑いに違いないと思っていたけど、この乾季は全然そんなことはなかった。昼は普通に暑いけど、毎日、夜は日本の秋くらい涼しくなる。洗濯物もたいてい一晩で乾くくらいには空気もカラッとしている。日本の一日中暑くて蒸し蒸しする夏がいかに人間に厳しいかわかった。3月にインドネシアに来た時は、寒いの嫌だから日本が夏になるまで帰りたくないと言っていたけど、8月に来てみたら暑いのが嫌だから日本が秋になるまで帰りたくない。

ご飯を食べてすっかり満腹になってから、もう一箇所、日本人のアーティストが滞在しているアートスペースへ訪ねて行き、わたしはそこのインドネシア人の作家さんが作った苔玉でいっぱいの中庭のような空間がめちゃめちゃ良くて嬉しかったので、彼とアイコさんと3人でお喋りしていた。半年前に苔玉にハマってから、かなりの量を作っているみたいで、最初に作ったものと最新のものを見せてくれて、上達ぶりがすごかった。フニャ、と笑う笑顔のかわいいおじさんで、マリファナに形が似ているからモミジが好きとか言っていてめちゃくちゃ笑った。マリファナで一度刑務所に入っているらしくて出所した時の話も面白おかしく聞かせてくれた。

その後、限界になりつつある体の悲鳴を無視して、アイコさんの彼氏とその仲間で住んでいるというシェアハウスに遊びにいった。彼氏さんの、今まで乗ったどのバイクよりも背が高くて速いやつで連れていってもらった。本当にグイグイ進むので、寒かったけど気持ちよかった。
町を出て川を超えてシェアハウスに着くと、まず入ったところの広い空間にみんなの描いた絵がたくさん置いてあって、1人が今まさに壁にキャンバスを設置してそこに立って絵を描いていた。エプロンをしてガシガシ描いていた。

キッチンと居間は半分ほぼ屋外になっていて、綺麗に整頓されていたし庭には自分が小人になったみたいに思えるあの巨大な葉っぱの植物なども植わっていて、ハンモックもあって良い感じだった。全ての壁に色が塗ってあったり絵が描いてあったりして、芸大の先輩の家を思い出してちょっと懐かしい気持ちになった。
誘ってもらえて嬉しかったけど最初はあんまりうまく喋れなくて、寒いし眠いので、わたしはボケボケでゆっくり喋る人になっていた。インドネシアに来て何がしたいのと聞かれて英語で説明するのが難しくて、諦めたくなったりしていた。つらい。
途中で1人がお菓子を買って来てくれた。食パンに甘〜〜いチョコレートを挟んで揚げ焼きにしたみたいなお菓子だ。たぶんこれ、1週間くらい前に別のインドネシア人に「あのお菓子にハマるとマジで肥るからやばい、基本的にシェアする想定の量で売っているんだけど、ハマるとそれを1人で全部食べたりするようになる、留学生の女の子が15キロ太った、気をつけろ」と言っていたものだと思う。かなり深夜だったけどみんなでそれを食べた。とても美味しかった。

しばらく住人3人とわたしたちでダラダラしていて、ひとしきりたった頃、もう1人の住人のゴタという男の子が帰って来て、彼も歌うのが好きらしくギターを弾いて一緒に歌う流れになった。はじめはアイコさんと日本語の歌を、ゴタにコードを弾いてもらって歌っていたのだけど、ゴタが「俺の好きな歌、簡単だからぜひ覚えて帰ってくれ」といって、わたしにバリの歌を教えてくれた。彼はスマトラ出身だけど家系的にはバリらしく、それを誇りに思っているようで、そういうの良いなと思った。

始めは、iPhoneで検索した歌詞を見ながらやっていたのだけど、カタカナで読みを書き込みたかったので、わたしのノートに歌詞を書いてもらった。Jangerという歌だった。本来は大勢で踊りながら歌うらしい。でも日本の「はないちもんめ」とかよりも、新しそうな感じの素直なメロディだった。歌詞の意味も少し聞いたら、少女が花を摘んだりクネクネ女っぽく歩いたりする描写があって、どうやら可愛い歌っぽかった。
ゴタの指導はわりと厳しくて、わたしがちょっとミスるとすぐ「もう一回最初から」と言うのでなかなか前に進まなかったけど、大サビみたいなところまで覚えられた。めっちゃ嬉しい。
外国語は発音があってるか分かんないから思い切り歌えないなあとか周りにうるさくないかなとか最初は思っていたけど、だんだん気にならなくなった。他の人たちは他のテーブルでお喋りを続行していたし12時を回る前頃にさらに友達が4人くらい増えたりしたけど、わたしたちはかなり集中して練習していた。
そうやって1時間ちかく練習していたような気がする。なんとか歌いきれるようになって、せっかくだからレコーディングしよう、といってiPhoneのボイスメモで録音した。

Jangerをやりきって満足したつもりだったのだけど、「自分の歌作るんでしょ?それ歌ってよ」と言ってくれて、しかしなぜか適当なギターのコードを弾き続けるので、はじめはほぼ無視して歌ってみたのだけど、これじゃ面白くないないので「醤油の町の子」をギターに寄せてメロディを変えながら歌うというのを初めてやってみた。あんまりカッコ良くならなかったけどとても楽しかった。
その後もしばらく適当な鼻歌に時々日本語を混ぜたりしながら、ギターに合わせて即興でたくさん歌った。日本語ならバレないと思ってメッチャエモい今の気持ちばっかり歌った。

でも時間も遅いし帰らないといけない。ゴタはインドネシアの国立芸大の学生で絵を描いていて、ちらっと見せてもらった部屋にはたくさん絵があった。壁にあった油絵はちょっと気持ち悪いような作品が多いのだけど、大きな紙が入った袋から6枚くらい、画用紙に描いた綺麗な花の絵を出してきて、そのうちの1枚をプレゼントしてくれた。花の絵って!おまえ!ロマンチック野郎かよ!と思ったけど素直にとても嬉しかった。ありがとう。
今の芸大を卒業してから日本の芸大に留学したいんだよねと言っていて、そんな形で日本で会えたら超楽しいね、と笑って握手した。

歌と絵を一度にプレゼントされたのは生まれて初めてだったし、わりと歌いそびれ続けてきた(ジャカルタYouTube観ながらオクシと歌ったけどカラオケには行きそびれた。今日会った人に「ジャカルタにいるあいだ喉が痛かったけどジョグジャに帰って来たらすぐ治った、空気そんなに悪いのかな」と言ったらジャカルタといえばカラオケでしょカラオケ行った?と聞かれたりした。)この旅の、最後の深夜にしてこんなに楽しく歌えて、滑り込みセーフだなと思った。この晩を持って帰れることが嬉しかった。

インドネシアに来た時には半分くらいだった月が、今夜は殆どまん丸になっていた。シェアハウスは町から少し離れたところにあったから、かなり静かで、虫の声がして、暗いから月がすごく明るく見えた。空気も埃っぽい町とは違ってシンとしていた。そういえば歌い出してから眠くも寒くもなくなっていた。

せっかく仲良くなったので、家までゴタにバイクで送ってもらうことにして出発した。アイコさんと彼氏さんが見送ってくれた。なんか良いバイクっぽくて全然ガタガタしなかった。さっきの歌をちょっと歌ったり、道がガラガラなので橋を渡る時にヒャッホーとか言ったりしつつグーグルマップを見ながら道を案内して、無事に家の近くで別れた。ばいばーいと手を振った時、ゴタのヘルメットからクチャクチャのロン毛が出ていて変なシルエットになっているのが面白かった。

家に帰ったらすぐ水を浴びて倒れるように寝た。荷造りは明日の朝やることにして、ちゃんと帰るために体調を整えたかった。実は結構限界が来ていて胃が痛い。
帰るのやめたら、あっさり元気になるかもなあなんて思ったりもした。帰るけど。