1 チッポケになって刻み込む

8月19日
引越しまであと8日
別れる時、手を振って小さくなっていく相手と、同じ速さでわたしも小さくなっていくことが嬉しい


月曜から家族で京都に帰省して、そのまま帰らずにわたしだけ岡山へ行ってそこで親しい人と会い二泊ぶん遊んだり展示を観たりして、さらにその後に一人で広島まで行って、好きな作家の展示とパフォーマンスを観て、いまは帰りの列車に乗っていて、ひとり暮らしの部屋へ帰っている道中で、わたしは黙っている。




京都に行く直前の二日半は、演劇の公開稽古というクリエイティブなイベがあったので、そのあいだはずっと緊張感のある会話のなかにいたし、京都にいた三日半ほどは、久しぶりの友達と会ってたくさん喋ったり家族や親戚(一人増えた!)と過ごしたし、岡山での二日半ほどのあいだも、主に好きな人と二人だったので、ここ一週間ほどは、かなり毎日、よくよく人と喋っていた。どうでもいい話も、大事な話もたくさんした。嬉しくて勢いよくパーッと喋ったりもしたし、ウンザリした気分で雑な返事をしたりもした。
そうして人と過ごして来た旅行の最後の今日、広島へ一人で向かう段になって、いきなり本格的に黙って過ごす時間ができた。

仲のいい人と一緒に電車に乗っていて、お喋りが盛り上がっていたところで相手が途中の駅で先に降りて行った時、パチンといきなり自分が無言になる、ということがよくあるんだけど、あの瞬間って何だか可笑しい。一人で妙な気分になる。他の人のそれを目撃した時もちょっと面白い。この現象の、ちょっと時間の単位の大きい版が、今日は起こっていた。広島に向かう列車の中で、黙ったまんま、一人で選んで一人で買ったオヤツを一人で食べていて、なに黙々と食べてんのわたし…と思ったら笑えた。でも可笑しさを共有する相手がいないので、ニヤニヤ未満くらいをピークにその気持ちは過ぎて行った。
広島ではもしかしたら一切声を発しない可能性がある。話をしたい内容が特別にあるわけでもないし、黙っているのがイヤとも思わないのだけど、言葉を発しないことに口が慣れていないような感触があって、ちょっとソワソワした。 岡山駅まで一緒にいた人と、サクッとサワラ丼を食べて、かなりサッパリと「バイバーイ」と別れたのがちょっと惜しまれた。
ほどなくして列車は広島駅に着いた。わたしは心の中に「広島ついた!新幹線、はや〜!ホームあっつ〜!」とか感想が生まれているのを置き去りにして、無言で改札へ向かっている自分にやっぱり変な気分だった。空いているコインロッカーをなんとか見つけて重い荷物を入れカギをかけた時につい「ッシャ」とか言ってしまったりもした。そんな調子でいたら、思わぬところで人と話す機会を得た。

路面電車を待っていた時だ。
大きなスーツケースを持った女性に「路面電車って、5000円札両替できますかね」と話しかけられた。確かできないよね(したい)、というニュアンスが含まれていた。
わたしは、ちょうど偶然、さっきオヤツを買った時に「1000円札にしておいた方がいいかも」と思ってあえて5000円札を使ったので、1000円札が多めに財布に入っていた。それを確認してから、「…わたし両替しましょうか、1000円札5枚ですよね」と言ってみた。良いんですか、ありがとうございます!助かります、いえなんて事ないです、広島はよく来るんですか、ええ仕事で、大阪から、なんて少しだけ会話をしたけどなんとなくそんなに続かず、短い沈黙へ路面電車が来たので二人とも乗り込んだ。乗車してからは混んでいたのもあってやはり会話はなくて、駅について降りる時にようやく「ありがとうございました」「いえ」という会話をもう一度だけして、その人とは別れた。

インドネシアに行って帰ってきてもうすぐ二週間になるけど、わたしにはまだあの旅の余韻がおおいにあったので、流暢に言葉が使えて会話ができるとこんなことも出来ちゃうんだなあ、と静かに感動した。一人でピョンと遠くに行ったりそこで上手く過ごしたりできるのは、そこが日本国内で、わたしが日本語をけっこうしっかり使えるからだ。(山内さんが勧めてくれた、日本の読み書きのできない人たちにそれを教える活動をしている人とそこで読み書きを覚えた人たちの文章を集めた本、やっぱ絶対に読もう)
旅をすると色んなことに自覚的になると思うけど、人と話すことについては特に敏感になるような気がした。旅先で流暢に話せると、自分の正体も名前も自在に誤魔化せるという変な後ろ盾みたいなものがあるので、他人と楽に話ができる。実際に誤魔化したことはあんまりないけど。




それで
人と話すこととは別の話で 

旅行の楽しみ方っていろいろある。違う人と違うやり方で過ごす旅が連続したから明快になったのだけど、わたしは家族で行く時の「フリーペーパーに載ってたあれが食べたいガイドブックに載ってたここにも行きたい」式、ちょっと忙しくてお金のかかる観光客然としたミーハーな観光旅行も好きだし、年や世界観の近い友人と行く、景色や街や建物が面白いとか、今なんか変なのあったぞとかこっちの路地に入ってみようかとか、そういうところで新鮮を得ることに重点を置く、体力と時間をかける式の旅も好きだ。

この、後者が気になる。

一人だったり気の置けない人と出かけると、後者のようなハードなことになりがちなのだけど、今回も例に漏れず岡山ではけっこう厳しい山道を、親しい人と二人で自転車で走り回った。上り坂の苦しみを下り坂の風の爽快さと高いところからの絶景の喜びで相殺するみたいにして、日差しと筋肉と汗と肺の容量を感じながら走りに走った。すごく疲れたけど楽しかった。
徒歩とか自転車だと、やっぱり自分の「あれなに」タイミングでキュッと止まれるから良い。
3月に、完全に観光ツアーでジョグジャカルタに行った時は、ガイドさんの解説とビュンビュン目的地を点でつないでいくチャーターの車で観て回ったから、気になったものも気になっていないものと同じ速さでドンドン遠ざかってしまっていて、街の印象はかなり漠然としていた。楽しかったけど、資料集っぽさすらあった。
わたしは、あの漠然とした街よりも、今回の7月に行った、道に迷ったり不安になったりしながら、疲労とともに体に刻んだ具体的なジョグジャカルタが好きだ。地理的には同じ場所だけど、心と体にはまるで違うものとして入っている。自分の目や耳や脚が馴染んだ道と、まだ馴染んでいない道が、グラデーションをもって頭の中の地図に染みている。完成度の高い資料集も悪くないけど、自分で色を染み込ませた手書きの地図のほうがやっぱり楽しい。その街における自分の大きさもちゃんとわかる。 

好きになった人の好きな映画とか音楽を片っ端からチェックして相手との具体的なデートを妄想できるようになるみたいなのと似ている気がする。わたしとっては街も人も、具体的にならないと好きにもなりきれない。アクセスもできない。なんでもかんでも好きにならなきゃいけないわけでは、全然ないんだけど。

ともかく街は、資料集じゃなくて街で、わたしは点じゃなくて肉体でそこに立っている。世界中どこだって、点や線でできてなんかいない。街の中には、目的地にしてきた地点とか記憶に残っているポイントはあるけど、そのあいだを埋める距離とか道も確実にそこにある。そこを無視すると資料集になってしまう。この、点を点のまま断片的に覚えるのと、道とか土地の記憶のされ方は、なんか違うと思っていて、道のほうを、体で覚えようとするような感覚が気になっている。

たいてい、道中はあんまり日記にはかかれないって先日の旅を毎日日記にしていて分かったけど、でも、これは確実にある、かなり重要な部分で、それを覚えるのは言葉じゃなくて体の仕事のような気がするのだ。

岡山の牛窓では、狭い範囲をさんざん自転車で走ったので、走ったところに関しては距離感とか地形をけっこう感じることができた。そのうえで、次の日に牛窓の近くの尻海というあたりもちょっと走った。そのあたりは、けっこう最近まで海の底で、江戸時代とか、その後にも数回にわけて、人工的に埋め立てていって今の状態になっているらしい。もともと海産物を養殖していた広い平たい土地で、今はかなり大規模な太陽光発電が行われている。その電気畑の近くを自転車でスーッと通って町へ行き、神社のほうへ階段を登って小高いところから見下ろしたら、町と山の間には、太陽光パネルが、海だったところに海みたいな顔をして広がっていた。視線を少し左にずらせば本当の海と何かの養殖場があった。不思議な景色だった。でも、あそこをあんな風に走ってきて、という地理の体感があったので、その景色を見た後に古い地図を指して少し話を聞いたら、昔は海だったとか、そういう感じがけっこうイメージできた。

自転車で前島というところをグルッと廻った時も、去年の夏に一週間くらい居た犬島(これも岡山県)で見たのにかなり似た、ガシガシ切り立った斜面にチョビチョビと松などのわりとガシャッとした植物が生えたりしている景色が多く広がっていて、このあたりの土地の質をなんとなく再確認できた。前島は自転車ではシンドイくらい、土地の高低差がかなりあった。このあたりの海はきっと、さっきの埋め立て地と距離は近いけど全然違った形の部分で、島が山みたいに急になっていて、島が終わって海になっても、海底へそのまま深く斜面が続いているから、海面を見るとすぐに濃い青色で綺麗なんだろうなと、海底の形をわからないなりに想像したりした。今いる場所から地続きの大きい地形が想像できると、自分がチッポケになれるのが気持ち良い。

そう、チッポケなわたしはいつも疲労とエネルギーと一緒にいる気がする。

わたしは大きい声を出すのが好きだ。その時には、高くて大きい声を広い場所へ、いっぱい!という感じで出していて、この時の自分の体感はとてもチッポケだ。街が大きく感じる。わたしの体は頑張ってエネルギーを使っているので疲れる。その「ぼく一人ではこんなに大きな街には到底敵わないや」という徒労感が、さらにわたしをチッポケにする。エネルギーを使わないとチッポケにはなれないんだと思う。
あれも食べたいここにも行きたい、全部一日で達成するためにバスやタクシーを駆使する、というタイプのリッチで欲張りな旅は、楽しいけど全然わたしをチッポケにしない。むしろ、なんでもお金でなんとかしていくので、ちょっと大きくて強い気分にすらさせる。寺山修司が何かに書いていた「代理の労働」を利用する側にお金の力で立つ。代わりにやってもらう、は、自分でやる、とは使うエネルギーの種類が全然違う。

疲労とか汚れと一緒に技術未満の何かが自分の体に刻まれていく感覚や、この時のチッポケさって、お金とかよりも信頼できると最近とても思っている。それは、体のレベルで実際だから。外国へ行ったって同じように、あって続いて機能する感覚だから。気温に応じて汗腺が開くように。

実際にここにある自分の体で、エネルギーをいっぱい!使って、ちょっと戦うみたいなチッポケの段階を経て刻み込んだものは、ちゃんと肉に残る気がする。お金は使えばなくなっていくけど、疲れは体を使えば使うほど溜まったり肉になったりしていって、脳はたぶん学習していく。 
エネルギーを使おう、汗をかこう、なんてすげー暑苦しい感じで、正直アレだけど。

自分の体で戦って疲れちゃう弱いチッポケでいられれば、街とか光とか匂いとか地形とか時間とか、いろんなものが、ちゃんと体に入ってくる。好きや嫌いという言葉のレベルでは選んだりできないダイレクトさで。

そして一人に一人分のエネルギーと肉体しかない以上、わたしには、できることとできないことがある。観れるもの行ける場所には限界がある。ここについては、ある程度選ばないといけないし、諦めなきゃいけないこともあるんだろう。

だからこそ、岡山駅であっさり「バイバーイ」と別れたこの旅の良い仲間が、わたしとは別の道を通って、別のやり方で東京へ帰っていくことが、なんだかチッポケで可愛い、ちゃんとした希望に思えて嬉しい。
また東京で会う時、わたしたちは同じチッポケも、似た別のチッポケも経ていて、そしてまた、流暢に話ができる。







14 特別じゃない旅

8月7日とその後

目が覚めたら外はすっかり明るくなっていた。飛行機の中から夜明けを見れたら嬉しいなあと思っていたけど、眠ったせいで叶わなかった。北上している飛行機の東の窓側の座席だったのにかなり惜しいことをした気がする。
ガルーダ航空だったので、頼んでいないけど機内食が配られた。洋と和だったので迷わず和食を選んだ。来る時の飛行機でもエアアジアの牛丼を食べたんだけど、飛行機の中で食べる牛肉ってなんか似た独特の硬さがある。嫌いではないけど全然美味しくない。まるで空に生息しているそういう動物の肉みたいだなと想像してみたらちょっとおもしろかった。

またうたた寝したらしくて、気がつけばシートベルトを締めましょうというランプが点いていて、大きな音をたてながら飛行機は降りていき、成田空港の滑走路に着地した。あんなに高いところから無事に降りてきた。何度も使っている交通機関だけど、相変わらず飛行機ってすごい。宇宙とはたぶん呼ばないんだろうけど雲の中とか上まで通って、ちょっと地球から浮いて移動するなんて、夢がある気がする。反面めちゃくちゃ怖いとも思うけど。

空港に着いて、スーツケースを回収したり入国手続きとかをサクサク済ませて、家族に「無事に帰ったよ」と連絡をいれてから電車に乗り込んだ。安心してしまって自分でもどうかと思うほど爆睡していたようで、あっという間に一人暮らしの最寄駅に着いたし、歩いて自分の部屋まで戻った。日本の方が絶対に暑い。地面が熱した鉄板みたい。疲れた体にはかなり厳しかった。
クタクタに疲れているはずなのだけど、今日は午後1時から大学の授業があって、わたしはこれの単位をちゃんと取らないと来年以降の計画が狂う。ので、帰宅した瞬間に全く間髪入れず服を脱いで熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴び、体を強制的にしゃっきりさせ、きれいな服を着て、ちゃんと授業に間に合う時間の電車に乗った。乗れた。

電車に乗ってしまったらいつもの慣れた景色の連続だった。駅から駅までの風景も、駅から大学までの道も、見て知っているのと同じだ。かなり暑くてびっくりするけど、これが日本の8月だ。そう、8月という実感は正直あんまりないけれど。

旅の痕跡がいくつか自分にあった。
ジャカルタで買ったピアスは買った日につけて似合うと言われて嬉しかった時からずっとつけっぱなしにしていたし、鞄も向こうでハードに使っていたものをこの日も持っていて、向こうで買ったちょっといい匂いの痒み止めも、鞄にあったから腕に塗った。行きの空港で気持ちを落ち着かせるべく食べていたけど向こうについたらあんまり食べる気がしなくて残っていたかりんとうも、授業の合間に食べきった。飛行機でもらった小さいペットポトルの水も飲みきった。財布をいつものに戻せていなかったので、昼のオニギリを買ったお釣りにもらった小銭はポケットにいれていた。

そういう、帰ってきた日ならではの少し不慣れなことがいくつかあって安心した。

このグラデーションをちゃんと感じたほうが何か良い気がした。少しのあいだだけどインドネシアにいたことを、夢とか幻とか、非日常みたいに記憶しておくということは、なんというか、したくない。あまりにも強い日常ってやつは、そうではなさそうなものをすぐ非日常って呼びたがる。それに抗いたい。
というのは、それくらい楽しかったから。
そして、飛行機で行ったけど、あそこは海底を通ってここ日本と地続きの場所で、新しい友達ができたり、もともとの友達に会ったりした場所で、バイクに乗せてもらって走ったり笑ったりした場所で、その時は確かにわたしの居る「ここ」だった。
言葉の定義としてはあの日々を非日常と呼ぶのかもしれない。でもあの場所にある日常とか生活を、もう他人事だとは思いたくない。難しいけど、わたしは、「あの日々」と「この日々」を、ぜんぶ「この日々」にしたいんだと思う。

どんな欲望なんだか自分でもよく分からないけど、べつに過去になっていく時間に抗うってことではなくて、あれはあくまでも場所で、場所それ自体は過去とか非日常ではなく現実で現在だってことを、「母」みたいな広さでつかまえていたいし抱きしめていたい、みたいな、感じ。悔しいけどそんな女っぽい感じ。 場所は過去を溜めていくけど、過去になっていくわけじゃない。今もそこにある。


あの日々とこの日々とはそれ以外と同じようにシームレスだ、と考えることは、普通にできると思う。わたしにとっては(場所が違うし人が違うし言葉が違うしあらゆることが違うから)あの日々はたまたま不慣れの連続だったから、なんか特別っぽいというだけだ。
そして、その特別っぽいあの日々と、この日々とを、慣れと不慣れとか、過去と現在とか、日常と非日常みたいにしないで、同じに抱いておきたくて、やり方を探している。 

その時に、何処で誰とどんな日々を送っていても自分に残っている慣れが、きっとあって、これが大事なのかもしれないと思う。

多分、慣れはかなり重要な人間の機能だ。その手前の不慣れによって疲れたりすることで自分をアップデートしていけるという部分もあるし、慣れはいつも体に入って体に現れてくる。
わたしは、色んなことにどんどん慣れるのがわりと得意だったり好きなつもりだけど(習得とは別の話)、あっさり慣れてしまえるものと、なかなか慣れられないものとがある。そうやって、自分が慣れたり慣れなかったりしたことで、少しずつわかるものがある。

たとえば風呂トイレは別がいい、なんて住居に対するこだわりは、しょうもない慣れからきたもので、違う様式に慣れてしまえば本当にどうでも良いものだったのだと今回わかった。あと、意思疎通の時に言葉じゃなくて声のレベルで全力で意思を表現するってことは、慣れに近いところで実践していたけど、やっぱりめちゃくちゃ大事だったと思う。
たぶん恋も同じで、恋人が美女やイケメンかどうかなんて慣れたら関係ないのか、あるいは重要なのかを判断するには慣れが必要だし、ドキドキした気持ちが単に不慣れな時めきなのか、慣れても続く恋になっていくのかだって、慣れに任せてみたらちょっとわかってくる
たいていのことは慣れたらどうでもよくて、慣れてもどうでもよくならなかったり、慣れなかったりするものが、問題にする意味がある。それは自分が続く部分、寝て起きた次の日もその次の日も続く部分だ。

どんな日々を送っていても同じように自分が続く部分があるなら、それはたぶん信じてよい部分だ。そして、たとえば近いけど遠い外国が、海の底を通って地続きだっていう想像力を持つためには、その外国でも自分の続いている部分があるとわかることが必要なのだと思う。実際にそこに行って実感するしか、今のわたしには方法がなさそうだけど。
だって、遠くの外国は外国、じゃなくて、実際の事実として、この北半球の続きにある南半球にある場所だ、って捉えられるようになりたい。場所だと思ったら北海道とかと変わんないじゃん。ちょっと自分でも何を言ってるのか分かりきっていないんだけど、そんな風に思いたい欲望がある。




この日は、授業が始まる前に仲のいい後輩に偶然会ったり、終わってから恋人と会って蕎麦を食べたりして、こういう人たちがグイグイと、慣れたほうへと引き戻してくれるんだなと思った。待ち合わせた賑やかな駅前は雨も降って湿度が高くて、よく知っている日本の夏だった。8月、という数字はまだしっくりこないけど。

たぶんわたしはあっという間に、日本の生活に、いままでしていた生活に慣れていく。体にたまった旅の疲れも、服や鞄についた汚れも、数日で全部きれいに落としてスッキリしてしまう。そしたらまるで終わってしまいそうで、簡単に幻になってしまいそうで、いや、ならないししないんだけど、日常化ってほんとに強いから、ああ、

だからせめてもの抵抗で、物理的に続く部分として、ピアスはしばらく着けたままにしとこうかなとか、おまじないみたいなことを思っている。なるべく旅のつもりで、不慣れと疲れを続けたいとも思っている。旅を帯びた日常生活を。肉体の疲労は、身体に旅を擦り込んでくれるから、わりと信頼できる気がしている。


そうそう、色んな夜があることってかなり嬉しいじゃんと、旅行していて思った。
初めて来た場所で緊張しながら寝る夜も
友達とダラダラと朝まで過ごすような夜も
気まずいまま別れる夜も
さっと夕飯を食べて名残惜しくもなくバイバイする夜も
ひとりですぐ寝る夜も
寝つけなくて掃除を始めちゃう夜も

夜はたいていの場合、帰る先で、出かける手前だから、そこにバリエーションがあるって良い。旅的。
旅を帯びて生きれたら、きっと良い。たとえば夜更かしとか、そういうやつも肯定できそうだし、今まで自分を狭くしてきた変な健康オタクや几帳面さと、いよいよお別れできそうだ。
ああ早速 もう朝が近い。









13 帰る準備

8月6日 

朝、寝坊した気がして、ギャ!と、バッ!と起きたのだけど、時間を確認したらアラームをかけた9時よりも早起きしていた。
ここまでの2週間でなんやかんやと買ってはいたけど、お土産というお土産をちゃんと買っていなかったことに昨晩気がついたので、朝ごはんを食べに行くのと、近くのスーパーやお土産屋さんのある通りをブラブラしてみようと思って早く起きたのだった。でも起きてみたらやっぱり胃はしょんぼりしていたので何か食べるのはやめて、買い物だけにした。
お土産って買うのが難しくていつも困る。この人に買ってあの人にないとかが自分の中でモヤモヤするので、もう「人」というよりも「場」に買うという基準(バイト先とか良く行くシェアハウスとか)にしたら心がすっきりした。
あと、そのつもりでそこへ向かったわけではなかったので偶然が嬉しかったんだけど、ジャカルタへ行く朝に横目に見て通り過ぎ、入りそびれたジョグジャのローカルな朝市場を、ゆっくり見ることができた。何も買わなかったしジャカルタに比べたら地味だったけど、まあジャカルタが派手すぎたんだろう。

予定よりもちょっと遅く帰宅したので集中してテキパキとスーツケースに荷物を詰めた。来た時は半分しか入っていなくてガサガサだったスーツケースが、ちゃんと両側いっぱいになった。作業BGMに昨日の夜にゴタに教えてもらって歌った歌の録音を聞いていたら完全に空間が最終回のエンディング然としだして、1人でたまらない気持ちになった。

たぶん空港は寒いと思って、長いスカートをはいた。来た時は「いざという時に走れる」という今思うとビビり過ぎな基準で半ズボンだったけど、このスカートが持って来た服の中で一番暖かかったので、ポッケもないしちょっと動きにくいけど旅のあいだヘビロテすることになった服だった。寒い時に少しでも体を守れるように、バティックを一枚、スーツケースではなくてリュックに入れた。
アプリでタクシーを呼んだ。ちょっと道が混んでいたので運転手さんは「飛行機の時間は何時?」とわたしの代わりに焦ってくれた。全然余裕なので焦らなくていいよというのを「3 o'clock.」と朗らかに言うだけで伝えられないかなと思ってめちゃめちゃ優しくて明るい声を出したりした。わたしは語学をナメて声のコミュニケーションを信じているようなところがあるな。

飛行場のターミナルも今回は間違えずに到着して、ジャカルタに行った時と同じ手順でさくさくチェックインして荷物を預けた。わたしがあの荷物透視装置をクリアできる優秀なパッキングをしているからなのか、空港の人がアバウトなのかわからないけど、この旅で何度も荷物をあれに通しているわりに、今の所一度も引っかからずにきていてちょっと嬉しい。
完全にお腹が痛いので、やはりこれもジャカルタに行った時にそうしたみたいに腹に着物の帯みたいにバティックを巻いて、温かい飲み物をカフェで購入して痛みをごまかしなから飛行機を待った。なにも食べないのも辛いけど甘いものが食べたくなかったので、少ない選択肢から止むを得ずデニッシュを買ったのたけど、一度食べたビーフじゃないほうにしたら、具がけっこうしっかり辛くて、バリへ向かう飛行機①に乗った時にはもう内臓が瀕死状態だった。寒くて痛い。飛行機に乗ってすぐ眠りについた。

バリの空港に着いてから、一度スーツケースを開いて、リョウさんに借りたカーディガンと大判のストールを出し、まだ一度も使っていないもう一枚のバティックも取り出し、寝る時につけていた着圧タイツとレッグウォーマーも取り出し、全部身につけた。かなり変な格好になってしまったけど今できる最大の防寒だった。
温かい牛乳を飲んでひたすら音楽を聞いたりしてぼうっとして、トイレに行きたくなったらすぐ行く、というのを何度か繰り返して、どんどん体を空っぽにしていったらだんだん元気になって体温も戻ってきた。
そうしているうちに約6時間はあっという間に過ぎた。逆に6時間くらい余裕をもっておいて本当に良かったと思った。もうお土産を見る気力も残っていなかったので全てのお土産屋さんを素通りして、ベンチをたまに移動しながら寝落ちしないようにつとめていた。前回、3月に来た時の帰りに、安心しきって寝落ちしてしまってゲートが変わったことにギリギリまで気がつかず走るハメになったのだけど、結局なぜか今回もそうなった。乗り込んだ飛行機でたまに供給される飲み物は毎回白湯をもらった。

旅のなかで思ったことなどをノートに色々書いたりして眠くなるまで待って、現地時間で夜中の2時、日本は3時の頃、眠りについた。




12 滑り込みセッション

8月5日 

いよいよ今日が今回の旅の、ジョグジャカルタ最後の丸1日なんだけど、疲れていて昼くらいまで寝ていた。ちょっと胃がしんどい。テルリさんが家にいるのにドアの向こうではなくメッセージアプリで「ソトアヤムあるからね」と声をかけてくれて、やっと起き上がって動き出した。お昼をアイコさんと食べる約束をしていたし胃がしんどかったけど、ソトアヤムは食べ始めたらとても美味しくて、けっこうたくさんあったご飯もペロリと食べてしまった。 

自転車でアイコさんたちの居るギャラリーへ行き、その近くの店でご飯を食べた。ローカルな店で、猫がやたら沢山いた。アイコさんは可愛がってちょっとご飯を分けてやったりしていたけど、お店の人はシッシッといって退けようとしていたし、わたしは数が多いのに対してなんかちょっと引いてしまって、ガンガン近寄ってくる猫たちを脚で雑にのけたりしていた。あんまり寄ってくる猫は好きじゃないなと思った。 
2人の日本人の作家が近くのギャラリーでそれぞれ個展をやっているのを見にいったりした。お腹いっぱいで眠かったせいもあるかもしれないけど正直あんまり響いてこなかった。このあたりで、今日わたしダメかもしれないと思ったけど、午後、日本人の絵本作家のワークショップにちょっと参加して作業に集中することで少し元気になって、アイコさんと2人で付近の要チェックアートスペース巡りをした。かなり色々あるのだけどそれぞれの距離が徒歩圏内くらい近くて、良かった。人がいたところでは少し話をしたりして、日本人のあの人とここ繋がっているのか!ということがあったり、楽器を作る作家を集めた展覧会のカタログを見つけて、ウキルが何か文章を書いていたので買ってみたりした。

それを終えて戻って来たらもう夕方で、今回お世話になった皆様と連れ立って夜ご飯を食べにいった。今思い返すと、体調に反してこの日は食べ過ぎていたと思う。ベジタリアンレストランでテンペ(豆を発酵させて寄せてハンバーグみたいにした食べ物、たいてい揚げてある)バーガーを食べた。美味しかった。飲み物も生姜と、名前を忘れた酸っぱいものが入った温かいものを飲んだ。
最後の数日は疲れもあったけど、そもそも薄着しか持たずに来てしまったせいで、今回の滞在中、わたしはほぼずっと寒がっていた。インドネシアだし日本よりも暑いに違いないと思っていたけど、この乾季は全然そんなことはなかった。昼は普通に暑いけど、毎日、夜は日本の秋くらい涼しくなる。洗濯物もたいてい一晩で乾くくらいには空気もカラッとしている。日本の一日中暑くて蒸し蒸しする夏がいかに人間に厳しいかわかった。3月にインドネシアに来た時は、寒いの嫌だから日本が夏になるまで帰りたくないと言っていたけど、8月に来てみたら暑いのが嫌だから日本が秋になるまで帰りたくない。

ご飯を食べてすっかり満腹になってから、もう一箇所、日本人のアーティストが滞在しているアートスペースへ訪ねて行き、わたしはそこのインドネシア人の作家さんが作った苔玉でいっぱいの中庭のような空間がめちゃめちゃ良くて嬉しかったので、彼とアイコさんと3人でお喋りしていた。半年前に苔玉にハマってから、かなりの量を作っているみたいで、最初に作ったものと最新のものを見せてくれて、上達ぶりがすごかった。フニャ、と笑う笑顔のかわいいおじさんで、マリファナに形が似ているからモミジが好きとか言っていてめちゃくちゃ笑った。マリファナで一度刑務所に入っているらしくて出所した時の話も面白おかしく聞かせてくれた。

その後、限界になりつつある体の悲鳴を無視して、アイコさんの彼氏とその仲間で住んでいるというシェアハウスに遊びにいった。彼氏さんの、今まで乗ったどのバイクよりも背が高くて速いやつで連れていってもらった。本当にグイグイ進むので、寒かったけど気持ちよかった。
町を出て川を超えてシェアハウスに着くと、まず入ったところの広い空間にみんなの描いた絵がたくさん置いてあって、1人が今まさに壁にキャンバスを設置してそこに立って絵を描いていた。エプロンをしてガシガシ描いていた。

キッチンと居間は半分ほぼ屋外になっていて、綺麗に整頓されていたし庭には自分が小人になったみたいに思えるあの巨大な葉っぱの植物なども植わっていて、ハンモックもあって良い感じだった。全ての壁に色が塗ってあったり絵が描いてあったりして、芸大の先輩の家を思い出してちょっと懐かしい気持ちになった。
誘ってもらえて嬉しかったけど最初はあんまりうまく喋れなくて、寒いし眠いので、わたしはボケボケでゆっくり喋る人になっていた。インドネシアに来て何がしたいのと聞かれて英語で説明するのが難しくて、諦めたくなったりしていた。つらい。
途中で1人がお菓子を買って来てくれた。食パンに甘〜〜いチョコレートを挟んで揚げ焼きにしたみたいなお菓子だ。たぶんこれ、1週間くらい前に別のインドネシア人に「あのお菓子にハマるとマジで肥るからやばい、基本的にシェアする想定の量で売っているんだけど、ハマるとそれを1人で全部食べたりするようになる、留学生の女の子が15キロ太った、気をつけろ」と言っていたものだと思う。かなり深夜だったけどみんなでそれを食べた。とても美味しかった。

しばらく住人3人とわたしたちでダラダラしていて、ひとしきりたった頃、もう1人の住人のゴタという男の子が帰って来て、彼も歌うのが好きらしくギターを弾いて一緒に歌う流れになった。はじめはアイコさんと日本語の歌を、ゴタにコードを弾いてもらって歌っていたのだけど、ゴタが「俺の好きな歌、簡単だからぜひ覚えて帰ってくれ」といって、わたしにバリの歌を教えてくれた。彼はスマトラ出身だけど家系的にはバリらしく、それを誇りに思っているようで、そういうの良いなと思った。

始めは、iPhoneで検索した歌詞を見ながらやっていたのだけど、カタカナで読みを書き込みたかったので、わたしのノートに歌詞を書いてもらった。Jangerという歌だった。本来は大勢で踊りながら歌うらしい。でも日本の「はないちもんめ」とかよりも、新しそうな感じの素直なメロディだった。歌詞の意味も少し聞いたら、少女が花を摘んだりクネクネ女っぽく歩いたりする描写があって、どうやら可愛い歌っぽかった。
ゴタの指導はわりと厳しくて、わたしがちょっとミスるとすぐ「もう一回最初から」と言うのでなかなか前に進まなかったけど、大サビみたいなところまで覚えられた。めっちゃ嬉しい。
外国語は発音があってるか分かんないから思い切り歌えないなあとか周りにうるさくないかなとか最初は思っていたけど、だんだん気にならなくなった。他の人たちは他のテーブルでお喋りを続行していたし12時を回る前頃にさらに友達が4人くらい増えたりしたけど、わたしたちはかなり集中して練習していた。
そうやって1時間ちかく練習していたような気がする。なんとか歌いきれるようになって、せっかくだからレコーディングしよう、といってiPhoneのボイスメモで録音した。

Jangerをやりきって満足したつもりだったのだけど、「自分の歌作るんでしょ?それ歌ってよ」と言ってくれて、しかしなぜか適当なギターのコードを弾き続けるので、はじめはほぼ無視して歌ってみたのだけど、これじゃ面白くないないので「醤油の町の子」をギターに寄せてメロディを変えながら歌うというのを初めてやってみた。あんまりカッコ良くならなかったけどとても楽しかった。
その後もしばらく適当な鼻歌に時々日本語を混ぜたりしながら、ギターに合わせて即興でたくさん歌った。日本語ならバレないと思ってメッチャエモい今の気持ちばっかり歌った。

でも時間も遅いし帰らないといけない。ゴタはインドネシアの国立芸大の学生で絵を描いていて、ちらっと見せてもらった部屋にはたくさん絵があった。壁にあった油絵はちょっと気持ち悪いような作品が多いのだけど、大きな紙が入った袋から6枚くらい、画用紙に描いた綺麗な花の絵を出してきて、そのうちの1枚をプレゼントしてくれた。花の絵って!おまえ!ロマンチック野郎かよ!と思ったけど素直にとても嬉しかった。ありがとう。
今の芸大を卒業してから日本の芸大に留学したいんだよねと言っていて、そんな形で日本で会えたら超楽しいね、と笑って握手した。

歌と絵を一度にプレゼントされたのは生まれて初めてだったし、わりと歌いそびれ続けてきた(ジャカルタYouTube観ながらオクシと歌ったけどカラオケには行きそびれた。今日会った人に「ジャカルタにいるあいだ喉が痛かったけどジョグジャに帰って来たらすぐ治った、空気そんなに悪いのかな」と言ったらジャカルタといえばカラオケでしょカラオケ行った?と聞かれたりした。)この旅の、最後の深夜にしてこんなに楽しく歌えて、滑り込みセーフだなと思った。この晩を持って帰れることが嬉しかった。

インドネシアに来た時には半分くらいだった月が、今夜は殆どまん丸になっていた。シェアハウスは町から少し離れたところにあったから、かなり静かで、虫の声がして、暗いから月がすごく明るく見えた。空気も埃っぽい町とは違ってシンとしていた。そういえば歌い出してから眠くも寒くもなくなっていた。

せっかく仲良くなったので、家までゴタにバイクで送ってもらうことにして出発した。アイコさんと彼氏さんが見送ってくれた。なんか良いバイクっぽくて全然ガタガタしなかった。さっきの歌をちょっと歌ったり、道がガラガラなので橋を渡る時にヒャッホーとか言ったりしつつグーグルマップを見ながら道を案内して、無事に家の近くで別れた。ばいばーいと手を振った時、ゴタのヘルメットからクチャクチャのロン毛が出ていて変なシルエットになっているのが面白かった。

家に帰ったらすぐ水を浴びて倒れるように寝た。荷造りは明日の朝やることにして、ちゃんと帰るために体調を整えたかった。実は結構限界が来ていて胃が痛い。
帰るのやめたら、あっさり元気になるかもなあなんて思ったりもした。帰るけど。





11 疲れと汚れと一緒に変わる

8月4日

ジャカルタ滞在最後の朝、昨晩明け方まで起きていたので当然のように全然起きられなくて、約束の時間を過ぎてジュンさんがドアを叩いて起こしてくれるまで寝ていた。心底ギャァァって感じで飛び起きた。ここにきてから寝坊してばかりで恥ずかしい。大慌てで支度した。完全にスッピンのふやけた顔でお別れするのはどうしても嫌だったので10秒くらいで眉毛だけ描いて庭に出た。
ルフィアンとアイとジュンさんがいてくれていた。渋滞なさそうだから多分そんなに急がなくても大丈夫だよと言われた。そんな。ジュンさん完全にめちゃくちゃ眠そうで本当ごめんなさいありがとうと思った。アイはすでにバイクでどこかへ出かけてきた後みたいで、眠くはなさそうだった。
あまり長く別れを惜しんでもいられないのでさっとタクシーに乗り込んで、門を出て、窓から手を出してたくさん振った。角を曲がって見えなくなるまで手を振ったのが久しぶりで、向こうもそうやって振ってくれるのが嬉しかった。本当に見えなくなる一瞬前の、角の店のひさしの隙間から服だけちょっと見えてるみたいな瞬間まで見ていた。

タクシーに乗り込んで最初の15分くらい、寝不足も手伝ってか、わたしは気持ちがプワァ〜となっていて(語彙)、さっきの別れあんなんで良かったんだろか感謝伝わったんだろか、あれ?本当に帰るのかな?めちゃくちゃ淋しいぞ、とか、冷え切った体にカツーンと響くような呆然を感じていた。ほとんどまばたきもせずにタクシーの外を流れていく大都会を目に流しながら、鼻で静かに呼吸していた。絶対に自力で移動できない精神状態だったから車がどんどん空港へ向かっていくのが有難くも、違和感で裂けそうだった。

高速道路に乗る時に運転手にお金を渡すというアクションがあって、ようやくちょっと我にかえってきた。
空港に着いて、知らない場所だけど妙に落ち着いてチェックインを済ませて、冷房が効いているのと自分の寝不足のせいでまじで寒かったので腹に帯のようにバティックを巻いてレッグウォーマーをつけたりして体温を守った。国内線のほうへ行く道が何故か店と店の細い隙間で、最初分からなくて通り過ぎてしまい、少し迷ったりした。フードコートでソトアヤムを食べた。スタバに行列ができていて、スタバの行列ってインドネシアにもあるんだなと思った。スタバじゃない店で温かいコーヒーを買って、出発まで待った。
コスの庭でダラダラしていた時にオクシが久保田利伸の「LaLaLa Lovesong」を「これ日本の知ってる歌で一番好き」と言ってスマホBluetoothスピーカーにつないで聴かせてくれて、午後のノンビリした空気と気候も手伝ってとても気持ち良かったのが印象に残っていたので、空港のベンチに座って自分のスマホで聴いてみた。ドラマとかが次週へ続く時に、今週の終わりのシーンにかぶせて流れてくるエンディングテーマみたいで、泣かないけど遠い目になったりした。実際、今朝でジャカルタ編が終わって今日から最終章だし、勇気をくれた君に照れてる場合じゃなかったし。


飛行機では窓際の席になって嬉しかった。山が2つポコポコ、と雲の上に顔を出しているのが見えた。わたしのすぐ右隣に座っていた白人が、どう見ても一昨日の動物園で会ったテングザルの写真を撮ったよと見せてくれたおじさんで、ビックリして、話しかけてみようかめちゃくちゃ迷ったけどなんとなくやめておいた。あっという間にジョグジャに着いた。

タクシーを呼ぶアプリをすっかり使えるようになりつつあった(言語能力が上がったのではなくて慣れて度胸がついただけ)ので、空港よりも安いだろうしと思い、アプリで呼んでみた。安いタクシーだからなのか理由はよく分からないけど空港の中には入れないらしく、運転手と文字のチャットをしながら空港の外に出て、近くのガソリンスタンドまで歩いた。正直かなり体は疲れていたけど気持ちが完全にオンになっていたので、暑かったけど気にならなかった。

今回の滞在で知って興味を持ったガジャマダ大学へちょっと様子を見に行く、というふわっとした目的があって、家に帰る前にタクシーで寄ることにしたのだった。けっこうハラハラしながら車に乗り込んだけど、運転手さんが、とにかくめちゃくちゃ良い人だった。
運転手さんに「ガジャマダ大学へ行きたい」と伝えたら、君はガジャマダの学生?というところから始まり、どこから来たのとかいつからいるのとか色々話すことになった。ほとんど勢いだけでペラペラ喋っていて、体感としてはつるつる滑っているみたいだったけど、かなりコミュニケーションがとれて不思議な気分だった。学校のことだけじゃなくて、気候とか地震の話もした。「昨日友達に教えてもらって、インドネシア語で数字が数えられるようになったんです!」と言って嬉々として1〜20とか数えていたので、相当素朴なやつだと思われていたと思う。

やがて大学の敷地内についた。かなり広くて、ちょっとした町だった。さすが総合大学だしさすがインドネシアの京大である。
わたしは、この時まで「大学の敷地内をウロウロして様子を見ることができればいいかな」という、今思えばかなり中途半端な気持ちでいたのだけど、運転手さんに「どこの学部いくの」と聞かれ、そ、そういえば、と焦って、わかんないどうしようウロウロするってなんて言うんだろうと一瞬でかなり色々考え、ハッと思いついて「インターナショナルオフィス…?」と言った。自分で言っといてそんな単語が出てきた自分にビックリした。

運転手さんは、OK、と強く頷いてくれた。何度も車を停めて、学生らしい人や警備の人に道を聞いてくれた。こんなに優しくて英語の通じる人に偶然出会えて本当にめちゃくちゃラッキーだった。アレックスという名前だった。何か困ったら電話してくれよなと紙に名前とワッツァップの番号を書いてくれた。とてもきちんとしているのにメガネのレンズが面白いくらいひどめに汚れていたのが気になってよく覚えている。

ついさっき目的地となったインターナショナルオフィスの前に着いたのは昼の12:55頃で、ドアが閉まっていて一瞬ギクっとしたのだけど掲示板を良く見ると13時まで休憩らしいとわかり、すぐ近くのベンチで時間が来るまで待った。もうハラハラしてしまってただ景色を眺めるしかできなかった。頭の中とお腹がぐるぐるした。
しかし事務の人はとても親切に、こんなに英語の話せない日本人を相手に、わかるまで説明してくれた。わたしが、わかるまでしつこく聞いたというのもあるけど。おかげで手続きの流れは完全に把握できた。念のため、語学学校の建物のほうへも行って、そこでも話を聞いて資料をもらった。この頃にはもう「通じないかもしれないけど取り敢えず思いついたそれっぽい単語を発する」とか「お手上げだと思ったら迷わずアプリを使う」というマインドが完成されていた。


資料を無事に手に入れて、タクシーを呼び、グッタリ休みたい体を家まで届けてもらった。こっちでタクシーに乗るのは日本で乗るよりもだいぶ安いので本当に助かる。(この運転手さんに対しても、調子に乗って「昨日の夜に友達に教えてもらったからインドネシア語で数が数えられるよ!」という話をした)

家に帰ったら、久しぶりに家主のテルリさんに会えた。さっきもらってきた資料に関していくつか話を聞いたりできた。部屋に戻って少し荷物を整理したらもう眠気が限界で、気づいたらベッドで寝落ちしていた。いつのまにか今のわたしにとってそこが帰る場所になっていた。

夜は日本人の仲間たちを中心にワイワイご飯を食べにいく約束をしていたので、テルリさんの運転するバイクに乗せてもらってレストランへ行った。レストランは、かなり観光客に向けた綺麗でオシャレでバカンス感のあるところで、ピザとか食べた。白人の客がたくさんいた。
その席で、ほとんど奇跡的なタイミングで、秋からガジャマダに留学するという日本人の男性に出会えて、彼もアーティストで、作品の話ができた。ジャカルタから直接日本に帰るルートにしなくて良かった。今日は意味的に重要な日になった。アイコさんからも話をたくさん聞いた。

お腹いっぱい食べて帰宅して、すっかり慣れたシャワー(ついシャワーと言ってしまうけど水浴び)を浴びて、ちょっと荷物を整理しようと思ったけど体力が限界だったのでさっさと寝た。  



  

10 野暮でも

8月3日

朝、今日も天気が良い。寝坊こそしなくてちゃんと約束の時間には庭に出られたのだけど、2日前のマフィンをやっと今朝食べた。傷んでないかなとちょっと思ったけど大丈夫だった。アイが温かいお茶をくれて、それを飲んだのだけど時間的にもう行かないといけなくて、飲みきれないまま残してしまった、ゴメンといってコスの門を出た。
ジュンさんについて、交通量のハンパでない道路を渡りバス停へ向かう。3月にバリに行った時も交通量のハンパない道路をヒョイヒョイ渡っていく人たちを見てすごいなと思っていたアレが、自分もだんだん出来るようになりつつあると思って居たけど、ジャカルタのそれはさすがにまだ怖かった。ジュンさんが右から来る車の時は右に、左から車が来る車線の時は左になんとなく手を伸ばして制したりするので、その手の反対側後方にいれば多少安心な気がして、そうやって頼って渡った。
バス停は、道路より1.3メートルくらい高くなっていて、駅の改札みたいなところを通過するときにお金を払うシステムだった。少し待ったらすぐバスがきて、一番後ろの高くなっている席の窓際に座った。景色がよく見える。

まず国立博物館に行った。国立博物館の手前の歩行者用信号が、立ち止まっている人と歩いている人の、赤と青のLEDなのは日本と同じなのだけど、青の歩いている人がアニメーションみたいに動いて歩いていて、おもしろかった。国立博物館は半分くらい工事中らしく、おかげで1時間半くらいしか時間をとれなかったけど一応全部見れた。全く意味不明なオブジェがあったりなんだこれというものが多くて、1人で見ていたけどけっこう楽しかった(ジュンさんはそのあいだに朝食をカフェで済ませてPCで仕事をしていて、なんかちょっと子供のような気持ちになった)。

その後、トロトアートという名で集団で活動している人達に会いに行った。高架下に店を作ったり住んだりしている地域で、ゴミを集めてそれを分別し直したり売ったりする仕事をしたりしている場所がそこだったりする。色々な資材を売っていたり、倉庫が多かったりして、大きな車もたくさん通るのに道は狭く、ここでもまた信じられない狭い幅を通り抜けていくバイクやバチャイ(バイクの変形版みたいなもので三輪車になっていて運転手の後ろに2人乗れる)が見れた。
女性達が内職のような感じでコーヒー豆を選別しているので話しかけると一粒齧らせてくれた。おいしい。
小鳥というか雛鳥をたくさん売っている40×40×70くらいのカゴが置いてあった。5階建てになっていて、極端に低い天井なのでカゴまるごとぜんぶ雛鳥みたいな状態ですごいんだけど、ここで生まれて初めてカラーひよこを見た。一番下の段にはアヒル、その上にはヒヨコ、その上もヒヨコ、その上はピンクや緑のカラーひよこ、一番上の少し広い階にはカナリヤかなにかが、飛ぶタイプの小鳥がこれもピンクなどで雑に塗られて、ぎゅうぎゅうに入っていた。ここ以外にも鳩や鶏がびっしり入っているカゴが、それでひとつの家のように積み上がっているところがあったりして面白かった。食べるのかな。こっちの人は鳥との距離がかなり近い。
高架の近くには家々がこれもびっしり建っていて、どこかから料理のいい匂いがしたりした。子供達がたくさん遊んでいたし鳥かごがたくさん家の前に下げてあったり家兼店のタイプの店があり、駄菓子やタバコが、また多くをぶら下げて売っていて、見上げれば洗濯物や、今度の独立記念日へ向けた旗などがぶら下がっている。ぶら下がっているものが多くて、たまに風に揺れるのが見ていて気持ちよかった。

会うつもりだった人の家の前で待ったのだけど、どうやら違う場所、コタ駅の近くのイベントにいることが判明して、そっちへ向かうことになった。ジュンさんの友達がバチャイを手配してくれた。ここで会った人たちはジョグジャでわたしが会った人たちとは全然違った。たとえば挨拶がフィジカルで、ウェーイと言いながら肩とか叩く感じだった。顔のパーツがぜんぶめちゃくちゃ大きい男性がいて、表情もくるくる動くし、特別なにか派手な動きをしなくてもバレるくらい明らかに身のこなしが軽くてすごくなんというか、良かった。

初めて乗ったバチャイは、かなり揺れるし清潔感はないけど、バイクと車のいいとこ取りだなと思った。バイクみたいに街の風とかにおいとか気温の変化を感じつつ雨や日差しは概ね防げるし、荷物が大きかったりしても乗れるし、車は通れないなという隙間も攻めて通っていったりするので渋滞に若干つよい。

コタ駅の近くでは、ASEAN literary festival というのをやっていて、英語の本を売ったりするブースがたくさんでていた。その一つをトロトアートがやっているらしい。全体的にイベントの趣旨がよく掴みきれなかったのだけど、客席では中学か高校生くらいの子供達が制服でたくさん座っていて、ステージはちょこちょこ盛り上がっていた。
トロトアートのジョニーさんとジュンさんが盛り上がって話していて、頑張ってどういうことなのか分かろうとして聞いていたのだけどまあインドネシア語はほとんど分からず、都度、要約してもらってなんで笑っていたのかとかを遅れて理解した。早く覚えたい。ジョニーさんの息子が4歳くらい?でとても可愛かった。ジュンさんが持ってきてあげた竹とんぼで遊んだりしていた。奥さんが、あんまり言葉も通じ切らないのだけどわたしがイベントのブースを見るのに付き合ってくれて、一緒に歩いた。わたしは英語ガタガタなのやべーと思っていたのもあってインドネシア語の有名な詩が沢山載っている英語の本を見つけて買った。詩の英訳、言ってしまったら野暮かもしれないけど雰囲気や作家の名前だけでも知れるならと思った。いろんな古本も安く売っていたけど買わなかった。

ジョニーさん一家と別れて、次の目的地へ向かうべくコタの駅の近くをちょっと歩いた。バチャイに乗ることにしたけどお腹が空いていたので、その前にそのへんの屋台で名前のわからない混ぜご飯ならぬ混ぜ麺みたなものを食べた。ピーナッツぽいタレがかかっていて、見た目はぐちゃぐちゃで微妙なのだけど味がめちゃくちゃ美味しかった。日本にもこのお店あって欲しい。インドネシアの料理は辛いにせよ甘いにせよ、スパイスやハーブを使ったちょっとニュアンスのある味がして、こっちに来てから毎日なにか食べているけどほとんどの店で美味しい。
バチャイの運転手が若い男の子だったのだけど本当に狭い歩道と車の隙間をギリギリで通っていくのが上手で、時々おお〜と声が出た。

ジャカルタの北の港に着いた。地名が文字で把握できていないので書かないけどもともとそこにあったカンプン(集落)が都市開発の影響で立ち退きになり、告知から10日ほどで元々の家は全て1日で壊され、しかしその後政治のゴタゴタで工事は保留になり、今は元からの住人達が自分たちの手で作った家で住んでいるというところ。ジュンさんはそこには何度も通っているらしく住人達とは親しい挨拶を交わしていた。


かなり訳のわからない状況の場所だった。ここにはもう1人のジュンさんがいて(たまたま名前が同じのインドネシア人)彼が集落を案内してくれた。直接言葉の意味を解れないのがもどかしかったけど、目の前で実際に顔をあわせて話をしているから、日本にいて話に聞くのとは何もかも違った。高くなっていて、海が見えなくなっているコンクリートの堤防に手作りのハシゴがかかっており、それを登って3人で腰を掛けたら辺りが一望できた。
向こう岸に見えている巨大なマンション(これと同じようなものが建つ予定だったらしい)とか、ゴミがたくさん浮いている海の手前にとめてある船(家がなくなってしばらくは、ある十数人の大家族などは船に住んでいたらしい)とか大きな貨物船や小さな漁船を見ながら話を聞いた。そうやって聞いたら、今こうして目に映っているものが、遠くに見える高いビルから、それの左手に広がる今まさに立ち退きの通知を受けている地域から、振り向けば広がる低い手作りの家々から何から、全て今回の事件に関係しているということが、体でじわじわ解ってきた。それはもう情報じゃなくて状況で、ただただ現場だった。 自然災害ではなく、ぜんぶ人間の関係の中で生まれた状況であるということがしんどかった。都市開発を推奨する側の「治安が良くなる」とか「街がきれいになる」という意見も、わたしが今まで通り普通に日本で暮らしていたら、そういうことで良いじゃんと思っていたと思う。コスの仲間やインドネシアで暮らす日本の友人もそっちの立場なのだそうだ。そりゃそうかもしれないけど。目の前に座っている現場の人間の口から、自分の家が壊されるのを見るのは耐えられなくて泣いちゃうから壊される前に家にキスをして別れを告げて、違う場所にいたとか聞いたら、聞いてしまったら、その体と表情と場所に出会ってしまったら、そういうことで良いじゃんなんて、全然思えなかった。「涙」を表現するために、よく日に焼けた自分の頬を自分の指で縦になぞる仕草を繰り返していて、とても印象に残った。 

唯一、このこととは関係も影響もなさそうな空は、ちょうど良い時刻で見事な夕焼けで、鋭く細く建つ大きなモスクのふたつの塔のあいだに太陽が沈んでいくのだけが、わたしにとっては少し頼りだった。

着いてから、ここはすごく埃っぽいところだなと思っていたけど、家をガシャガシャ壊したらこうなるんだというのを、自分は知らなかったんだとわかった。今まで、自分の作品のなかで声を響かせるのに、建物や硬いコンクリートは味方だったけど、粉になったコンクリートは、自分にとっては、いろんな意味でとても強烈だった。徹底して鼻で呼吸していても喉が痛くなるし、音が響くどころではない。コンクリートは、どうも体に対してかなりきつい。ジャカルタに来る前に山でリアルにコンクリ打ちっ放しの建物に2泊したときも、その硬さにかなり体力を奪われたし、喉をやられた。うまく言語化できないけど、コンクリートについて考えるのは自分にとって必要なことのように思った。
 


難しい問題なものだから話を聞いた後、自分はすっかり真剣な顔になってしまったのだけど、彼らはわたしたちに甘いコーヒーやココナッツのお酒を出してくれて、笑いながら一緒にいろんな話をした。17歳の女の子とも話をして、彼女はかなりよく勉強していて、英語が上手だったし日本語も結構知っていた。日が暮れて蚊が出てきたので高い床に座らせてくれたり、爽やかで美味しいお酒を次々コップに注いでくれた。生活の話もしてくれたし、好きな女優の話とか、ほんとにくだらない話も沢山した。天井と屋根の布の隙間にチェス盤が差し込んであるのを見つけて、ああ、時々ここで彼らはチェスをやって遊んだりするんだな、というのを勝手に想像した。


ほどなくして昨日もお会いしたジュンさんの友人のアート関係の人たちが4人来て、わたしたちは彼らと一緒にカンプンを後にして餃子を食べに行った。わたしとジュンさんは「中華食べたくない?」「餃子とか食べたいっすね」と昼に話をしていたので、かなり嬉しかった。俺の餃子という名前の店に行った。餃子は、たぶん美味しかった。

さっき見て聞いて来た話が強烈すぎて、わたしはなんだか横隔膜が下がらなくて、正直味も良くわかんないし食欲が全然でなかった。暗い気持ちになっているわけじゃないんだけど、お腹のあたりがハラハラしてしまって、顔もうまく動かせなくて、つい一点を見つめたりしてしまっていた。手を洗いに行った時にそのまま廊下に立って壁にもたれて、目をつぶってしばらく深呼吸したりしてみたけどダメだった。疲労みたいなのが、脚とかの筋肉じゃなくて、胸というか内臓にきていた。
自分がどういう気持ちになれば自分にとって納得がいくのか全然わからなかった。アーティストとしてどうこうとかいうのは嘘くさく思えてそこは今は閉じようと思った。遠い外国の他人事でしょとは、全然思えないのが、自分で自分に腑に落ちないんだけど、ともかく全然そうは思えなかった。日本だってかつてはそういう勢いで街を作っていたはず、とかそんな野暮なことではなくて、言葉にした端からどんどん取り逃がしそうでわけわかんなかった。それに、カンプンであんな衝撃を受けた後にもこうしてぺろっとタクシーに乗って餃子を食べてビールを飲んだりできてしまうことに、簡単に言えば混乱していた。

味がよくわらかないまま餃子を食べ終えて、半分解散して、ジュンさんと友人(アート関係のバリバリのキャリアウーマン的な女性、気さくで素敵なインドネシア人なんだけど名前を忘れてしまった)と3人になり、わたしがインドネシアに来たけどまだドリアンもマンギス(マンゴスチン)も食べていないと言ったら、果物の屋台が集まっている一帯に連れて行ってくれた。
生まれて初めてドリアンを食べた。正直あんまり美味しくないというか初めて食べる味すぎて美味しいかどうか判断しかねる感じだったのだけど、まあたぶんこれは好きではなかった。それよりマンゴスチン食べなよとジュンさんが勧めてくれたそれはメチャ美味しかった。酸味があって甘くて。
もう一つ見たことのない果物があった。ロンタルというらしく、黒くて硬い皮というかたぶん果肉も含めてどんどん削って、本当にコアの部分の、直径4センチくらいのレンズみたいな半透明でみずみずしいところを食べる。屋台のおっちゃんが手際よく剥いてくれるのだけどその手際が本当に良くて、昨日のミシンで刺繍をするおじさんと通じるものがあった。見ていて気持ちがいいので動画を撮った。味は薄くてココナッツに似ていた。シャクシャクの半透明の内側にさらに水が入っていて不思議な食感だった。
初めて食べるものに触れたら少し気持ちが落ち着いた。この辺りは治安が良くないらしいのもあってタクシーが来るまでのあいだインドマレというコンビニにいた。そこで昨日の晩にジュンさんから聞いていた、インドネシア版レゴのジャカルタ名物屋台シリーズみたいなのを購入できた。めちゃ可愛いくてお土産に最高だし買えたらいいな、でもモールとか行ってる時間ないよね、と諦めていたので、思わぬタイミングで出会えて嬉しかった。

タクシーでコスへ戻るあいだ、ジュンさんと、さっき書いたような葛藤とか感想とかの話をした。

コスに着いた。朝、夜にみんなでドミノ(ゲーム)をやろうねと約束していたけど時間が遅かったので、アイと3人だけでドミノを何度かやり、飽きてからはプレステでゲームをした。コスの門のところに、守衛さんがいるようなちょっとした大きさの壁と床と天井があり、その床にモニターとプレステが置いてあって、ほぼ屋外なので虫とかヤモリとか時々くる。アイはここで門番をやっているから、私たちが遅く帰ってきたりすると心配してくれたりする。
プレステは、わたしは全くできないので、2人がサッカーのゲームで対戦している横で、数字を覚えるためずっと数を数えていて、合ってますかと途中で彼らに聞いたりしながら、ドミノのカードの数字を足したり掛けたり、0から100まで数えたり100から0まで戻ったりしていた。人がゲームをやっているのを眺めているのなんて久しぶり過ぎて、ちょっと懐かしい気持ちになった。わたしは昔からテレビゲームについては眺める側だった。たまにやらせてもらうと下手すぎて笑ってしまって、もっとできない。

眠かったけど、落ち着く時間が欲しかったから、ジャカルタ滞在の最後にそうやって無駄でつまんないけど良い時間を過ごせて、気持ちがだいぶ助かった。明日にはここを離れてジョグジャへ行くというのが淋しくて、淋しいとかあるんだ!と自分でも思うんだけど、淋しかった。別れを惜しんでるんですと口に出して言ってみたら野暮で笑えた。笑って話すってすごい。

結局明け方近くまでそんなふうにしていたから部屋に戻ったのは空港へ向かうタクシーが出発する3時間前とかで、シャワーを浴びたり支度をしていたら1時間しか寝られないことがわかり、それでも寝た。1時間くらいでも寝るのは大事だったし、体は相当疲れていた。



9 食べたり買ったり会ったり

8月2日

朝はわりとノンビリ起きた。昨日までの疲れもあるだろうし今日はタイトに予定を詰めないことにしていたから、午前中は部屋でひとりでダラダラしていた。ドアの向こうからジュンさんの声が「パン置いとくよ」と聞こえ、けっこう二重三重にギクッとして、慌てて支度をした。昨日買ったマフィンとアイコさんにもらったサラックを食べるつもりだったからお気遣いなく!なのになと思いつつ、東屋で休んでいたコスの住人たちに混じって甘いチョコレートを挟んだ食パンを食べた。かなり甘くて喉が渇いたけどアイが飲み物をくれた。
ひとしきりダラダラしたのち、ここの住人であるオクシとアイと彼の息子たちとで、ラグナン動物園へ行った。出てすぐの道で、アイがドラえもんのパッケージのマンゴージュースを買ってくれて、みんなでそれを片手に向かった。
動物園の入り口に「PINTU UTARA」と書いてあって、PINTUが入り口、UTRAが北だよ、と教えてくれた。北ってそういえば前に調べた単語じゃん、とちょっと嬉しくなったのと、グーグルマップで見ていた広い動物園の北、あのあたり、というのがピンと来てよかった。外国語の、自分にとって新しい単語が実際に現地で使われているのを見ると、記憶への残り方が違うような気がした。
動物園は、めちゃめちゃ楽しかった。動物の入っている檻以外の部分が広いのがとても良かった。たくさんの家族が一斉にピクニックできそうな草原とか、かなりたくさんあるベンチとか、色んな種類のカットフルーツを盛り合わせて食品用の白いトレーに乗せてラップした果物セットやお菓子や飲み物を、それぞれ専門に売っている屋台未満の、店というよりそのへんに座って「売っている人」がたくさんいたり、植栽帯がかなり大きかったりして(インドネシアの植物はいちいち大きい)公園としてすでにかなり良かった。動物たちの檻のなかも、植物がかなり積極的に置かれていて、動物園特有のシンドさが少ない気がした。

でっぷりトグロを巻いたサワ(蛇)、たまに後ろ歩きするガジャ(象)、見てみたらかなり地味だったオランウータン、狭い範囲を行ったり来たり歩き続けるマチャン(虎)、サイレンみたいな高い声とガサガサの低音を器用に変えながら鳴くブルン(鳥)、、自分でも可笑しいくらい楽しくて、ずっと目を見開いていたし日常で使わなそうだけど動物の名前をちょっと覚えられた。
途中でアイがタッパーに入ったトウモロコシの天ぷらをリュックから出してきて、みんなで食べた。オクシもフルーツセットを買ってくれて、途中でたまたま会ったドイツ人のカップルと一緒に食べた(世界中を廻る仕事をしているだけあってコミュ力が高い)。
2時間しかいなかったけどかなり満足して、一度コスに帰った。ジュンさんに市場へ連れて行ってもらう約束をしていたので、彼の仕事が済むまで待った。

市場は、強烈なにおいがした。市場へ向かう道路は排気ガスがすごいのでジュンさんがマスクをくれたけど、市場のにおいは嗅ぎたいなと思ってノーガードで歩いた。主に魚とか肉を売っているところがすごいにおいだった。サンダルで来てしまったので足元の汚さのほうがむしろ気になった。
市場には、野菜や肉や果物やスパイスなどの他にも、服とかスマホとか貴金属とか鞄とか靴とか炊飯器のような軽い家電、日用品など、ありとあらゆるものが売っていた。バナナを売っている一帯があったのだけど、なんせ超大量なのでそこらへんの地面にがんがん置いてある。市場の中心になっている建物にも、枝についたままの緑色のバナナを(枝の断面を新しく綺麗に切って、一晩寝かせるらしい)たくさんストックしてあった。
その建物が何階建てかになっていて、ミシンで刺繍をする人たちがいるフロアがあった。その彼らのスキルが尋常でなくて、フリーハンドでミシンを使って、筆で絵を描くようにスムーズに、レースに花の絵を刺繍したり企業のロゴのすみについている®️マークを綺麗に縫っていく。機械じゃないのかよと思った。とても見事な職人技で、見ていてとても楽しかった。話をしてみたら、お金もらえれば今すぐ名前とか縫えるよと言われ、ええー!やってほしいー!と盛り上がって、わたしは鞄に名前を縫いつけてもらった。「i」の点を星にしてくれてなにかのロゴみたいで可愛い。でもあとから冷静になったけど鞄の内側にやって貰えばよかった気がする。小学生でもいまどき鞄の表に自分の名前なんか書いてないよ。嬉しいからいいけど。

大きなスピーカーを置いて、タバコと水を売っているスタッフ休憩所みたいな一角があり、上裸で寝ている人がいたりボロボロのディスプレイでサッカー中継をしていたりして、いい雰囲気だった。そこはたしか3階か4階で、ほとんどイオンの立体駐車場のような外っぽい様相なのだけど、そこから街を見下ろしたらよい夕刻で、景色も抜けていて気持ちが良かった。すぐ目の前の土地で今まさに工事が行われていて、基礎がつくられていた。地平線のほうへ目をやると遠くに高層ビルがシルエットで見えて、手前の市場にはカラフルなテントやパラソルがたくさん並んでいた。夕陽と空が綺麗だった。その後も金のピアスをなかば衝動買いしたりしつつ、だいたいあたりを一周した。

噂の世界一の渋滞というやつの一端を少し垣間見た気がする。そこからの道はけっこう混んでいた。クラクションがほぼずっとあちこちで次々に鳴っている。バイクの後ろに跨っている自分の膝が、ぎりぎり隣の車に擦るか擦らないかくらいの距離を抜けたりしながら、次の目的地へ向かった。ヒヤヒヤしたけど昨日ジャカルタのスピード感を体験したら、今日はもう怖いというより楽しかった。
もともとデパートの倉庫だったところを改装してジャカルタビエンナーレなどに使われるような大きなアート拠点になっているところ(名前を忘れた)に着いてみたらフードコート的なところがあって展覧会をやっていたし10分くらいのパフォーマンスの作品も観れた。ジュンさんの友人がたくさんいて次々に会うのでけっこう長くそこにいた。わたしはガタガタの英語しか出来ないので、たまに話す以外はずっと目を見開いて彼らの会話を聞いていた。途中でいきなりインドネシア語になったり英語になったりを繰り返すので混乱するんだけど英語のところと雰囲気と単語でなんとか理解を試みてはジュンさんの要約と答え合わせをしていた。疲れたけど良かった。
今日の最終目的地はモンドというバーというかライブハウスというか、そういうところで、店主が日本人で凄くインドネシアの音楽シーンに詳しくておもしろい人らしいので会いに行った。実際センヤワの話で盛り上がったりダンドゥのやばい曲とか教えてもらったりもう少し広く観て各々の活動について話し合ったりして、いい時間だった。かなりおもしろい人だった。
建物の雰囲気はちょっと怖いというかアウトローぽい感じだしエレベーターがやばくて張り紙してあるローカルルールでボタン押さないと閉じ込められるらしくてかなり怖いんだけど、24時には閉店するというヘルシーなお店だったので、我々もほどなくして帰った。ちょっと飲み足りないのでタクシーでお酒を売ってる店を少し探したりしたけど、そこはジャカルタで、ぜんぜん売ってなかった。ショッピングモールとかスーパーには普通にお酒が売っているみたいだけど、深夜までやっているコンビニにはお酒がない。帰宅してから缶ビールをちょっと飲んで解散した。タイトに予定を詰めるつもりはなかったのに何だかんだ色んなところで色んな人に会って、疲れたけど楽しかった。

2日目にしてすでに、新しい石鹸と全然あわの立たないシャンプーと、洗面器がないので立ったまま自分の体を洗うついでに今日の服を洗濯することに慣れていて、自分の適応能力がまた高くなったような気がして楽しい。やっぱりお湯が出るシャワーは最高。ただジョグジャに居た時よりも(うがいにしか使わないとはいえ)水に変な味がするのが気になった。喉もちょっと痛い。空気や水のせいなのか単に疲れがきているのかわからないけど。