自分とこの世の最前線

 
数日前、弾き語りのライブを開催して歌った。今年一年間、毎月やってきた企画の12回目だった。このライブの時は、小一時間ほど曲をいくつか歌っていく合間に「演奏と関係があると自分では思うこと」を、概ねこの1ヶ月のあいだにあった出来事ベースで話すようにしている(だんだんそうなった)のだけど、先日はいつにも増して全くうまく話せなかった。
12回やってもいまだに毎回ぜんぜん話上手ではないのだけど、その時は、言葉の出てこなさをもどかしく思いつつ歌っていたら、歌っているあいだにススス…と整理されていく、という少し不思議な感じもあったので、新鮮なうちに書き留めておくことにした。

歌は、意味を含みつつも、全くそれとは別軸の、イメージのようなもの(メロディや声の音色)をよすがにして進む。一般的にいってそうである、とわたしは捉えている。そして、そのイメージのようなものの作用だと思うんだけど、適度に気が散っていて、3人くらいの自分が同時にいるような感覚になることが度々ある。歌の歌詞に準じて大きな想像の世界を前にしている自分と、めちゃくちゃ現実に立って客席や会場の壁を見ている冷静な自分と、このあと食べるもののことを考えているアホな自分、みたいなのがいる。必ずしも毎回そうなるわけではないけれど「3人くらいいる」時というのはいい状態だと思っている。
そういう時は、脳を含む体が日常的な感覚とは少し違う状態なので、何かに思いを巡らせたり、感覚が鋭敏になって新しいことに気づいたり、ぐちゃぐちゃしていたものが整理されたり、といったことが起きる。自分の歌さえ新鮮に聞こえて、何か発見したりする。歌詞の有無とはそんなに関係ないような気がする。ジョギング中とか、自転車に乗っている時、風呂に入っている時に似ている。歌っているのを誰かが聴いてくれていると、そういうことが起きやすい。先日はそういう日だった。そして、ほんとうにめずらしく、やるせなさと、怒りと、悔しさと、そういうのを滲ませてしまった瞬間があって、そこから頭の中がグググとなって、中途半端になってしまった内容が少し整理された。
1曲をそんなふうに歌い終わって「整いました!」みたいなことを言って、話してから、次の最後の一曲を歌ったけど、その時に途切れながら発した言葉が理路整然としていたとは思えず、全然伝えらんなかった……と、帰りにやや凹んだので、こんな場所で補足するのもおかしいけど、書きます。あの日に話したかったこと+αです。



先日、小宮りさ麻吏奈というアーティストの作品を観た。かなりかいつまんでいうと、「生殖」を暴力と支配の手段とする新しい兵器が戦争のなかで使われるようになってしまったとしたら、というSF的想像を、短い映像といくつかの要素から成るインスタレーションにしたものだった。それはSFの体をとっているけれど、現実の戦場で起きていることとそう遠くなく、こんな恐ろしいことがほとんど現実だ…とわたしは思った。(https://taliongallery.com/jp/press/91MCS.pdf)(目白で2/25まで開催)

内容について詳しく書かないけど、その作品は、とても恐ろしい想像力を掻き立てて、単純に鑑賞体験としてもショックな瞬間があったりして、わたしはだいぶ「喰らって」しまった。わたしは、自分のことを肝が据わった大胆で勇敢な人間だと思いたくて大きい声で歌っているようなところがあるのだけど、実際のところは全然そうではない。あらゆることを細かく気にしてしばらく凹んだりすぐ泣いたりする。怖いのが苦手です。それで、ハラハラしながら感想が言葉になる前に会場を出て、地下一階から地上にあがって、外の空気に触れたらボロボロ涙が出てきてしまった。でもこの涙は、このSFをフィクションとして受け取れる状況にいる人間の特権的なものだな…、とも思いながら、一緒に作品を観た人と、ひとつ遠い駅まで少し多めに歩いた。

表現というのは時として暴力になるし、何かを犠牲にして成立している、ということを以前ここにも書いたことがあった。何かを考え、作り、人に伝えるということは、自分の暴力性と特権を引き受けた先にある。(https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2023/05/27/171901 )小宮さんの作品は、そういうことを正面から引き受けに行っていて、だからこそわたしはダメージを喰らったけれど、これは社会にとって必要な仕事だし、いい作品だと思った。



音楽や美術や演劇や、そのほかあらゆる表現が社会的に担えることがあるとしたら、そのうちの大きなひとつが、ここにないもの、かつてあったもの、いつかあるかもしれないものについて、想像力を巡らせる練習を人に促すことだと思う。
想像力は鍛えられるし、それは自分を救う。宗教がすごくわかりやすい例だけど、自分の現実と教えとを照らし合わせ、それによればどうだとか、祈ったりとかして、心の平穏を保てたりする。あれは人の心を支える仕組みだ。想像力を発動させるのが上達すると、心を支えやすくなる。ここにない景色を想像したり、いくつかの出来事を結びつけて思考を前に進めることができる。大昔から音楽や美術は宗教のそばにあったし、瞑想や心理療法などでも言葉から想像力を働かせて心身の状態を変えていったりする。自分が取り組んでいる「歌」も、そういうものにわりと近いところにあると思っている。

こんなにすごい方法を人間はたくさん知っていて、長いあいだやってきた。表現を通して想像力を働かせる、その練習と実践…。これが全部うまくいっていたら、今ごろ世界はすごく平和なはずだ。でも全然そうじゃない。世界はずーっと、ぜんぜん平和じゃないし、誰かに対して酷いことをやってしまう人たちがいる。

大人になって少しわかってきた。何かが起きた時、そこに理由や経緯があるので言葉としては「結果」というふうに言えるけど、でも「そうなった」では、終わらないのだ。良くも悪くも、世界はその先も続く。事件は起きて終わりじゃない。言ってみれば当たり前だけど、結果の先に、まだ未来がある。



数年前から動向を追っている弁護士がいる。田中広太郎さんという人だ。全く面識はないけれど、わたしはインターネット越しに彼の書いたものを読んだりしている。ググっていただければすぐにわかるけれど、歴史のそれなりに長く、世界中に信者がいるキリスト教系の宗教の暴力的な部分について、現代の弁護士の立場から批判し、戦っている人である。
先日、その人のブログ(いくつかあるんだけど、すごく明晰な文章で、非常に読み応えがあるのでどれもおすすめです)に、19世紀から続いているその宗教の細かい歴史的動きについて不信感をもって言及する記事(https://ameblo.jp/exjw-2013/entry-12590440741.html)がアップされた。わたしはそれを読んで、すげえ〜と思った。
ある個人が、世界規模の宗教に対して、異を唱え、戦いを挑んでいる…。ということに、感動した。今は彼は一人ではなく考えを同じくする人たちと協働したりしているのだけど、きっかけは宗教2世としての個人的な経験で、それもブログに仔細に残されている。家族に対する個人的な感情と、弁護士としての職業的視点がどちらも強くある、あんまり読んだことがないバランスの明晰な文章だった。数年前に読んで、とてもグッときていたのを覚えている。
今回の記事を読んで、人間の歴史って、積もりに積もって今日この日に最新版なのだ、ということにわたしは改めて気付かされた。科学技術や医療もそうだし、芸術だって、ありとあらゆる分野が、ものごとが、今が最新だ。そんなの頭でわかっていたつもりだったけど、これを読んだ時すごくハッとした。
田中さんは弁護士の取り組みかたで、きわめて実直な戦いを具体的にやっている。それはアーティストの想像力云々とは全然ちがう手段だ。どちらが優れているとかではなくて、自分にはできない強さを頼もしく思うし、これからも動向を追っていきたい。


ここは最新の地球だ。一番新しい未来、歴史の先端部だ。歴史的な恐ろしいことをどうにかできる可能性も、明日の朝ちゃんと起きられるかどうかも、ぜんぶが「今」にかかっている。シンプルに、字義通りにそうじゃん、と思う。


先日、本当にすばらしい料理を食べた。広尾にある、主に中東〜ヨーロッパ圏のエスニック料理を出す「キッチンファイブ」という店だ。そこは、ゆうこさんというパワフルな女性が40年ひとりで切り盛りしている。(ブログもめっちゃいいです http://magazine.kitchen5.jp/
まず端的に、料理が信じられないくらい美味かった。あらゆる味の解像度が高く、すべてにピントがあっている。酸味ってこんなに色々あるんだ、とか、苦味ってこんなふうに美味いんだ、とか、そういうことに一口ごとに気付かされた。複雑かつ非常に洗練されていた、とか、もう何も言ってないようなことしか言えない……。
わたしは運良く「味ガチ勢」の友人に誘ってもらえてその店を訪れたのだけど、その日のその時はさらにラッキーなことに我々しか客がおらず(基本的に予約いっぱいの店)「う ま す ぎ る 」と感動をそのまま語りまくっている我々をみて、ゆうこさんがいろいろな話を聞かせてくれた。

曰く、「自分がした経験を人に伝えることはできない」。彼女は、何十年も世界中を旅しながら各地の飲食店で修行をして、この店を作ったそうだ。店を作ってからも、度々営業を休んで、研究のために数週間の渡航に出てしまうほど、料理に取り憑かれた熱い人である。現地のコレでなければ出せない味がある、ということで、現地で買った食材をトランクに詰めて持って帰ってくることも多々あるらしいし、玉ねぎを刻むのすらバイトには任せない(給仕だけ頼むスタッフを雇っていた時期もあったらしい)くらい、ストイックに一つ一つの料理を作っている。メディアの取材も「それで忙しくなって料理ができなくなるのが嫌」という理由で片っ端から断る。信じられない量の、料理の名前の書かれたカード(食事のメニュー表ではなく実際にすでに9割できている食事が皿やバットに載って並んでいて、それを目で見てオーダーするシステムなので、レパートリーの数だけカードが、あれ多分1キロぐらいある…)がカウンターに置かれ、旅先で撮った写真の束が店の片隅に、それもまた山になっていた。

彼女は「本当は絵描きになりたかった」と言っていた。広告代理店の仕事をへて現在は料理と並行して焼き物の作品を制作している。作品は店内の棚にたくさん置かれている。色合いの温かく鮮やかな、そしてかわいいモチーフの絵で埋め尽くされたお皿や陶板は、めちゃくちゃよくて、「作品集を作らないかという話をもらっている」らしい。(海底でお魚たちがおしゃべりしたり喧嘩したりしている絵の皿を詳しく解説してくれた)(作品集はほんとに作ってください…)また、彼女の作った陶板は、店の玄関のドアの上の壁に埋め込まれていたり、丸いテーブルに嵌め込んだ作品になっていたりする。内装にももちろん、自らの手とこだわりが詰まっている。「今度移転する先の店の階段にも焼き物を埋め込むつもり」とも仰っていた。これまでに訪れた国の国旗を、箸置きくらいの大きさの小さな焼き物にしたものもすごくかわいくて、ジャラジャラと音が鳴るほどたくさん、箱に入っていた。確かこれが階段につくってことだったと思う。忙しくて全然寝る時間がない!と楽しそうだった。


その人はすばらしい料理人でありアーティストだった。彼女は、その生涯をかけて、自分が見て、聴いて、浴びてきた、あらゆる国の光や音や風を、味を、色を形をイメージを、料理と陶芸にしている。確かに、そんなふうにしてできているあの味を、味だけを誰かに伝える(弟子はとらないらしい)なんてことは、そりゃあできない。経験を伝えることはできない。でも、確実にわたしたちは、ゆうこさんの料理を食べて、何かを受け取っていた。経験そのものは伝えられないけれど、違う形に変換して何かの出来事を新しく起こすことは、できる…。
 
最初はちょっと怖い人かと思ったけれど、喋り出したら止まらない人で、その凄みと厚さと熱さがすごく嬉しくて、眩しくて、話を聞きながらちょっと泣いた。ゆうこさんはマスクをしていたのでほとんど目しかお顔は拝見できなかったけど、その目が、日本のそのくらいの世代の人っぽくない黒い囲み目メイクで、印象深くかっこよかった。

わたしはその日は、本当に大感動してしまって、もうあの日(1月末の水曜日)から3週間が経つのに、いまだに会う人会う人にこの話をしている。3月いっぱいで移転するらしいけど移転先は一戸建てらしくて、ますます楽しみでヤバいです…



その店主が、何の話の流れだったか、声を強くして「今が一番若いんだよ!」と言っていた。
よく聞くような言葉だったけれど、彼女の口から放たれたら、あまりにも説得力があって、心に刻まれた。

人間はみんなが、一人一人それぞれ生きて、たまたま歴史を紡いでいるのだ、ということを、こんな形で目の前にしてしまうと、もう、背筋を伸ばさざるをえない。わたしはすっかり勇気を得て(今月は他のうれしい・たのしい・だいすきも数々ありましたが!)マジでずっとこの3週間キラキラ生き生きと暮らしていた。料理の栄養がこんなに長く作用するなんて、本当に凄まじい。これは、誰かが作ったものから人間が受け取る動きの中で活性化する、なんかそういう名前のない、でも確かにある、人が人として生きるための必須栄養素だ…。ん?勇気ってことか、勇気って栄養だったんだ(?)



このへんで、自らも表現をやる人間の端くれとして、何かできているんだろうかと、わたしは我が身を振り返り始める。さて自分は…。こんな凄い人たちに、そして今回は書いてないけど他にも本当に大勢の、すげえ人たちの表現や仕事に、心がプリプリになるくらいの栄養をもらってきた。もらってきた、のにも関わらず!!!ああもうマジで、自分マジでなにもかも足りねえ〜〜!!!です、でも、「肯定する」ということは、きっとキーワードだと、ちょっと自負みたいなのがこの頃じわじわと芽生えつつある。

長くわたしの歌を聴いてくれている人が、年末ごろにまた聴きにきてくれて「碧ちゃんの歌を聴いている人達を見てると、なんかみんなちょっと肯定されたみたいな、良い表情になって帰ってく」というようなことを言ってくれたことがあった(まず歌っているわたしじゃなく客席をみた感想をくれるところに年月を感じてグッときた)。うれしかった。いろんな謙遜は傍に置いといて、めっちゃ嬉しい。

そして変な言い方だけど、その言葉には心当たりがあった。景色を歌にするということはすなわち「景色を見ているわたしがそこにいることを確かにする」ということなので、それをしっかりした声で歌うということは、いかにも「肯定」らしい。つまり、体がここにあることの肯定。
 
もう8〜9年くらい?たってしまうのだけど、昔、長野県の限界集落と呼ばれるような過疎地域で、友人との制作合宿の最後の日に地域の人たちに場を開いてパフォーマンスをしたことがあった。全然ちゃんとしたアートイベントとかではなくて、わたしたちが勝手にやっているやつだったのだけど、区長?地区の行政的リーダーの人が歓迎してくれて、ささやかながら開催に至った。
わたしはある家の中から外の客席に向かって、自分の今いる場所を言葉にして大声で報告する(「屋根の上にいます」から始まり、「窓の前にいます」「階段です」「玄関です」「庭です」…そうしながら家を出て道をあるいて客席から延々遠ざかっていく)というパフォーマンスをやった。それを見ていた地域の方から「家で一人で黙って過ごしている時間が多いわたしたちは、ただ生きているということを肯定してもらうことって滅多にないんだけど、今日はそういうふうに感じてうれしかった」という旨の感想をいただいた。この辺に住んでいるのは大体が高齢者なので生存確認みたいな概念が日頃からあるんだけど、そういう時に「ここにいます!」と主張することすら、自信をもってやれる感覚があんまりないの、というようなことも言っていた。思い出したら色々考え始めてしまうけど、ともかく、あれは、表現を通して自分にも何かできると信じたくなった原体験かもしれない。
 
この文章の最初の方に、本当は弱々な自分のことを勇敢で頼れる人間だと思いたくて大きい声で歌っているようなところがある、というようなことを書いたけど、まさにそれで、わたしがわたしを肯定して、見た景色を確かにしていくことで、その場の全部を抱きしめられるのかもしれない。声は両腕よりも遠くまで届く、と4年前のステートメントに書いた自分の言葉を思い出す。いいこと言うやんけ…


キッチンファイブのゆうこさんは、「投資は自分の体にする。知識は盗まれない。」と言っていた。ブログにも書いていたし、初対面のわたしたちにも話してくれたので、彼女にとって大切な考え方なのだろう。はっきりした早口で話すその人の、焼き物の作品をひとつずつ手早く並べていく手は爪がすごく短くしてあって、カウンターの明かりでツヤツヤしていた。
 
体ということは、個人ということだ。そこに歴史があり、それは歴史である。
憧れの人が一人、二人と増えていく。これからもそういう人と出会っていける人生がいいし、わたしは、そういう人たちに恥ずかしくない自分でありたい…、と背筋を伸ばしなおし、首を一回まわして、ああ、とりあえず2月のがんばりワクワクウィーク(2日に一度ずつ全然違う全部楽しいライブがあった!HAPPY…)を終えて、ぐちゃぐちゃになった部屋を片付けたり、色々しまーす、あー、えへへ…。






歌って、歌って?


最近した会話のなかで「(歌は)余韻が一番大事」と自分で言っといて、あ、これだな〜と思った。

歌って、もしかして歌い終わった瞬間が「完成」なんじゃないか、という気分が最近ある。ここ数ヶ月のライブを通してそういう考えに至った。そして、歌がそのような一瞬の「完成」へ辿り着くまでの道のりは、決して一本の道ではなく、成立するための要素やプロセスはほぼ無限に存在し得る。録音ではなく演奏に関して言えば、同じ歌であっても「完成」の形はひとつに定まるものではない。今回は、歌を演奏する・その場に起こす、ということについてのいくつかの所感をざくざく書きます。


2023年は、それまでよりもずっと多くのライブの機会があった。自分で企画したものがほとんどだったけれど、それに加えて他所からお声がけいただけることも増えて、そのたび喜んで歌いに行った。一生覚えていたいような出来事がいくつもあるし、ちょっと扱いきれないくらい大きい喜びと感謝があるけど、ここでは歌に関する考えが深まるヒントを与えてくれた出来事に絞って書く。

まず最も大きな1つは、毎月開催させていただいてきた「屋上」というバーでのアンプラグド(生音)弾き語り企画。これは2022年に「これからは弾き語りをやっていってみよう」と決めてからずっとやりたくて、個人的な満を辞して2023年3月から始まった。ベストなタイミングで始められたし、終わるなあ、と思う。本当にありがとうございます。(今度の2月と3月、あと2回でおしまいです!)
この企画について特筆すべきは、やはり「毎月同じ場所で演奏する」ということだ。音楽のライブというのは(少なくともわたしが関わるタイプの音楽に関して言えば)本当に色々な場所で開催される。昨年は、大きさや設備の異なるいくつかのライブハウス、公園、河川敷、街中、地下空間、レストラン、ギャラリー、バー、土間、美術館の一角、小学校の教室・体育館、校庭、など、とてもいろいろな場所で歌わせていただいた。こうして「バー」と書いてしまえばひとつの言葉にまとまってしまうようだけど、ひとつひとつのバーはそれぞれに全く違った響きを持っていた。歌は、美術の展覧会や演劇の公演よりもずっと身軽に、1つ1つの機会を作っていける。かなりどこへでも、作品を持ち運んで発表することができる。わたしは歌のそういうところが好きだし、とてつもなく面白いと思う。

でも「毎月同じ場所で歌う」というのはその逆で、そしてそれはわたしにとってすごく難しいことだった。色々な場所でいつもと同じように歌を届ける、という考え方のほうが、正直、挑戦としてはわかりやすい。異なる条件を受け入れながら工夫して対応していくのは「完成形が思い描ける」という出発点があるので、だいたいなんとかなる。でも、同じ場所で、違うことを公演としてコンスタントに続けていくことは、私にとって新しくて、やってみたらすごく難しかった。

ちょっと思い切って書いてしまうけど、たぶん9月だった、わたしはこの企画を今後どうしていったらいいのか、一度わからなくなった。3月から毎月ちょっとずつ違う内容を準備してきたけど、もうアイディアが尽きたな……と自分のなかでハッキリ思って、これはやばいんじゃないかとハラハラしながら会場へ行って、演奏した。初めていらっしゃるお客さんはありがたいことに毎月いるけれど、いつもカウンターに立ってくれているスタッフや頻繁に来てくださっているお客さんにとって、そろそろ新鮮さに欠けてくるんじゃないかと、不安だった。この時期はバンドの遠方でのライブを企画したり、いろんな場所に行ったり並行していくつかのプロジェクトに参加したりしていたので、その準備や余波でいっぱいいっぱいになってもいたし、何よりも、自分が自分の企画に飽きてしまいそうで怖かった。
しかも次の10月には、具体的に何か新しいことを準備するのもままならず、半ば開き直るように愚直に、これまでのレパートリーを演奏することになった。本当にヤバい気持ちだった。しかし、その日は、自分で書くけど、なんかよくて、拍子抜けした。あれ?楽しいじゃん!そして、この回を終えてから「これでいいのかもしれない」と思えるようになった。

言葉にすれば当たり前に聞こえるが、同じ歌を歌っても、季節が1ヶ月進むだけで色々なことが全然ちがう。一曲ずつの印象は演奏する順番によって変わるし、その日の気温や湿度や時間によって演奏する人間や楽器のコンディションも変わる。合間に話す内容にもおおいに影響を受けて、歌は変化する。違う土地で歌うことに比べたらかなり微細ではあるけれど、こういう違いは確かにある。そういうことを感じながら楽しめるようになったら、毎月同じ場所で歌うなかでも何かに気づき続けられるのではないか…、つまり、細かな違いに対して自分がもっと解像度を上げて取り組めるなら、同じ曲を同じ会場で、もし同じ順番で歌ったとしても違う「完成」が表れるのでは、と思うようになった。自分のパフォーマンスに対する解像度を自分自身がぐっと上げて、それまで気づきもしなかったような些細なことも「違い」としてクッキリ意識していくことは、かなり大事なことのような気がしてきた。


さて、ここまでで言及したのは、物理的・身体的「違い」(会場や演者の状態の変化)だが、同じ歌を色々な場所で歌うということをさらに一歩踏み込んで考えると、もっと大きな「違い」が見えてくる。
リアリティとイメージの問題とでもいえるだろうか。言語表現を上演・演奏という形で現実に表す時に出てくる「ズレと一致」が、わたしは気になる。何年も前から考えていることでもある。
 
ここからは音楽というよりも言語表現の話になる。言葉のもつイメージと、それが現実と関わる時の反応(≒鑑賞)について考えたい。具体的には、歌の歌詞には意味やそれが描くイメージがあって、それが現実と対応したりズレたりする、ということだ。
例えば、わたしが千葉県北西部や東京近郊の景色を想定して書いた歌に「ここから少し南へ行けば埋め立てられた海があるって、地図いわく、そう」という歌詞がある。これはざっくりいって日本の太平洋側、関東以西の土地で歌うならば普通にハマるのだけど、例えば石川県金沢市で歌うと、その場のリアルな現状(金沢近郊の土地の形)と、歌のイメージは矛盾する。金沢においては、海は北側にあり、南は山だ。
 
そんなことは、書かれた言葉や録音された歌においては、たいした問題にならないだろう。ライブで演奏される歌であっても、それを問題にする人はきっとほとんどいない。お客さんも、実際あんまり気にしていないと思う。でも、わたしは<声になった言葉は、その瞬間にその場の空間と混ざり合って現象を起こしているのだ>ということに、驚きながら希望を感じて歌ってきた。昔はこんなにクリアに言葉になってはいなかったけれど、10年前くらいからずっとそういうことを考えてきた人間としては、この小さな違和感は無視できない。
 
いま目の前にいる歌い手が違う土地のフィクションを歌っている、という状況と、まさにこの土地のリアルを歌っている、というのとでは、観客にとって言葉の聴こえかたは大きく異なるはずだ。歌を聴く時にそんなこと気にしている人はほとんどいない、というさっきの一文とさっそく矛盾するけれど、わたしの観測上、こういうことは演劇や美術の表現においては、けっこう重要な要素として使われていると思う。実際の土地と、上演や展示の内容が分かち難く結びついた作品をサイトスペシフィックな作品とか呼んだりする。その土地でしか成立しない、その土地でこそ成立する作品、というニュアンスで。
 
そもそも言葉というのは、根源的にめちゃめちゃサイトスペシフィックなのだ。概ね同じ言語を使う人間社会と特定の地域が国という単位になっていて、そこで生活しているとつい忘れてしまうけれど、言葉はかなりの堅さで土地と結びついている。例えば南半球で「北」といえば、温かい風が吹いてくるほうを指す。北半球で生まれ育った私は、これに気づいた時、かなりびっくりした。辞書的には例えばインドネシア語の「北」は「Utara」だが、おそらく「Utara」のイメージはどちらかといえば北半球の人間にとっての南の印象に近いはずである。これは極端な例だが、国を隔てた時、あるいは国が同じでも地域が異なると、言葉の意味とイメージは、実は辞書のようには一致しない。虹色の色の数は国や文化によって異なる、みたいなことは世界に無限にある。
 
わたしには先述の曲の他にも、サイトスペシフィックに作ってしまった歌がある。「モーターリバー」という曲だ。そのなかに「いや、(あれは)飛行機だよ、たぶん羽田に向かうやつ」という言葉が出てくる。具体的な地名だ!これを、石川県や青森県に行って歌うと、なんか、パッケージされたものを持ってきたという感じがして、ちょっと違和感があった。それでいい、それでこそ歌でしょう、と思いつつも、ある時には、取り繕うように「いや、飛行機だよ、ほら空港近いから」と言葉を換えてみたりしたこともあった。やってみたけど、それはそれで、我ながら何でそんなことしちゃうのか、よくわかんないのだった。ただ、どうしてもわたしは、目の前で紡がれる言葉、つまり演奏されたり上演されたりする時の言葉「が」何か「を」描く時の現実との距離が気になる。

2018年にインドネシアに半年間いた頃、自分のなかにある日本語と、自分の外にあるインドネシア語およびそれが染み込んだ風景とのギャップに驚いた。わたしの日本語はインドネシアの景色には届かない、というようなもどかしい感覚(景色に言葉が通じないような)と、その少し後、インドネシア語で景色を描写できた!と初めて思えた時の感動とを、わたしは原体験のように持っている。

「まだ呼べない」
https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2018/10/03/102240
「木を見ることについてと、景色を見たことについて」
https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2018/11/29/215446

やはり、「呼ぶ」という言い方が大きなヒントになっているのだと思う。呼ぶというのは、誰かの名前を呼んだり、ここにはいないものを呼び寄せたりと、何かに向かって言葉を放つ行為だ。向かう先とこっち側とが明確にある。この時、言葉は声を伴って現実と具体的に関わっている(呪文とか祈りというものがあるように、ここでいう現実は必ずしも物理的な世界だけではない)。
言葉は、文字じゃなければ音声として顕現するのだ。音声になって体の外へ出て、空気の振動になって目の前の景色と物理的に混ざる時、言葉が起こせるあらゆる現象のなかの、特に「歌」というやつが、わたしはおもしろくて気になっている。(なお、このへんのことを考えて作品にしたのが2020年の『触角が無限にのびる虫』だった)(https://aoitagami.bandcamp.com/album/-


さて、話を昨年に戻します。2023年の10月29日に、十和田市現代美術館のカフェスペースの一角で歌う機会があった。これは、単にわたしのライブだったわけではなくて、その秋に同美術館の企画で個展を開催していた三野新さんによる『外が静かになるまで』という作品の「ミュージカルバージョン」の上演だった。
三野さんの作品は、映像や写真で構成されたインスタレーションだが、その制作の元には彼の書いた戯曲があった。わたしは声の出演というか、その戯曲を声に表す役割を担当していて、複数の展示会場にまたがって展開されるインスタレーションのなかに、録音された私の声がたくさん登場している、というような状況だった。
その制作の過程で三野さんと盛り上がって「やってみようよ」ということになり、なんとか実現に漕ぎ着けた10月のパフォーマンスは、わたしが戯曲を朗読し、その合間にわたしの曲の演奏を挟んでいく、というけっこう大胆なアレンジの効いた上演だった。ここでは、もともと無関係に作られたはずの作品同士が、偶然しっくりくる形に混ざり合って上演の形になっていた。多くを端折って書いてしまうけど、この上演のなかで、わたしの歌は、まるで二つの国の関係を歌っているように聴こえたり、続いている戦争を見ないようにして明るく振る舞っている人の歌のように響いたりしていた。
 
わたしは、歌ってこんなふうに作者の個人的な文脈から自由になって、新しい意味を背負うことができるんだ、ということに心底驚いたし感動した。過去に書かれた有名な歌が時代を超えて異なる文脈を担って政治運動に使われた例などは知識としていくつか知っていたけれど、自分の作品でもそれに似たことが成立するというのは、けっこう大きな衝撃だった。自分の歌はかなり具体的な歌詞で、さきほど書いたようにけっこう土地と結びついていたりするのにも関わらず、メロディによる抽象化は、こんなふうに作用することがある。
 

一度、話をまとめます。同じ場所で繰り返し歌う、違う土地で歌う、違う文脈で歌う、という3つの経験から、わたしが惹かれている歌というものには、2つの大きな相反する特徴があるといえる。言語表現や上演的な考え方から「持ち運べない」サイトスペシフィックなものとして捉えることもできるが、音楽としては、意味がメロディによって抽象度を獲得するので「可搬性が高い」とも言える。ここにはない、見えない風景を運んでくる装置として機能しながら、この土地のリアルを歌っているということでもあり得る。つまり、わたしは歌「が」描くものを運ぶことはできないけれど、歌「で」描くことで、イメージを運んでくることはできる!



ここからは音楽の話に戻ります。時間を巻き戻して次にピックアップしたいのは、わたしのライブではなくて「東郷清丸彡」ワンマンライブinツバメスタジオ(10/22)だ。この日はわたしは2人のコーラスの1人として参加していたので、非常に心に余裕があった。イベントは清丸さんのトークの分量多めでゆったり進む回で、そういう感じを知っていて味わいに来ている、温かい雰囲気のお客さんが多い印象だった。
この日は、いろいろな条件がそろって、わたしは演奏しながらウットリするくらいの余地を残してその場で歌っていた。それが功を奏したようで、音の立ち上がりから残響が消えていくまでのひとつの波を全員が聞き入っているみたいな状態が、幾度も訪れた。少なくともわたしにはそう思えて、演奏しながら「うわ〜〜っこんなに気持ちいい瞬間がたくさん、っていうか、ああ!!これって音楽の良さだ!!」と心がじわーっと温かくなった。

音楽って何なのか、なんてあんまり考えてこなかったけど、やっぱり音楽ッちょっとほんとスゲエ〜!と思った。音楽でしか実現できないことというのは、おそらくたくさんあって、あの日の感じはそのうちのひとつだった。居合わせた全員が聞き入ってウットリしているようなひとときは、ちょっと呪術的というか儀式的ですらあって、わたしは若干ビビりつつも感動していた。誰かの演奏を聴いているみたいだったけど、自分もそのなかで一端を担っていたというのがまた、不思議な感じがした。

そして、「そういうこと、あるんだ〜」と知ってからも色々な機会に恵まれて、有り難く忙しなく年の瀬まで過ごし、12月23日に墨田区の銭湯でライブを開催した。2023年の4月から度々一緒に演奏してきたヴァイオリニストの北澤華蓮さんがご縁を繋いでくれて、曳舟の銭湯「電気湯」の定休日を利用させていただいた。お湯のない銭湯、つまり、ハチャメチャに音が響く空間での音楽のライブだった。
企画として考えたことや、言いふらしたいくらいの頑張りや、関わってくださった方々への色々な感謝はこの場では大胆にも割愛‼︎させていただき、わたしは、やっぱり天然のリバーブ、残響ってすっっごくおもしろくて大好きだ!!という点に絞って書きます。

そう、場所の響きというものは、本当に色々なことに気づかせてくれる…。声をポン、と出した時、それがマイクを通してスピーカーから鳴って(という部分もありつつ生音の部分も確かに)ワン!と響いてそしてひゅるんと消える一連の出来事が、いちいち嬉しかった。歌の途中で声だけが跳ねたり伸びたりするところがいくつかあるたび、響きがいっそうよくわかって、肩のあたりからハートがいっぱい飛ぶくらい嬉しかった。一緒に演奏している二人の楽器の音も、そういうふうに鳴って混じっては消えていった。10月のツバメスタジオで、演奏するたびに生まれて重なっては消えていく音にみんなで耳を澄ます喜びを「音楽の良さだ〜!」と思った人間には、空間のリバーブがそれを引き伸ばしてくれるのが有り難かった。特徴的な音響空間なんで…、という我々のプレゼンの甲斐もあってか、心なしか、客席の数多の耳も、いつもより少し開いていたような気がした。


わたしは、ずっと同じことをやっているだけなのかもしれない。2021年の終わりと2022年の初めに、東京と仙台で川を見ながら歌を歌って「これだなあ」と思った時(『全部がある!』https://aoi-tagami.hatenablog.com/entry/2022/01/23/154519)と、2023年末の銭湯ライブの時の嬉しさは種類が似ていた。自分が、歌い手というよりも「聴く生き物」としてそこにいて、視野を広くとり、耳を開いて、たまたま鳴くように歌ったり奏でたりしてんだ、というような、素朴に、ただそこにいられる時が本当に楽しい。環境から肯定されている感じがする。あ、いるね、いていいよ、と。

ただ、あの公園と最近のライブが全く違うのは、そこに、その場で起きている出来事や現象を観聴きしに足を運びチケット代を払って客席にいてくださるお客さまがいらっしゃる、ということだ。これは本当にすごいことだ。わたしは、同じ場所でその場に現れては消える音に耳を澄ますというのを、奏でるわたしも聴く人も同様に味わっている、ということの、良さ、驚き?喜び?みたいなものが、凄まじいなと思っていて、とにかく嬉しい。これはもう体感が魔法に近い。

銭湯で演奏した曲のなかで、鳴る音が声だけになるところがあった。昼間の陽がさす明るい窓のあたりを軽く見上げて声を放ったら、ゆるやかにカーブした天井や白いタイルが作る響きが、機嫌がいい時にお風呂で歌っている時のそれと似ている気がして「ああ、わたし今お風呂で歌ってんじゃん」と思って、つい笑顔になった。(演奏に集中しろ!と思う反面、わたしはそれくらい気が散っている時のほうが調子がいい)実際の響きは、家の風呂と大きな銭湯じゃ多分ぜんぜん違うのだけど、なんだろう、あの瞬間「ウケるな〜」みたいなニュアンスも含むおもしろさがあった。

わたしは、表現がどうこうとかいう以前の子供の時から、家の風呂で歌いまくっていた。小4くらいまでは学校で習った歌じゃないポップスを歌うのを恥ずかしがる気持ちがあったけれど、小5くらいからだんだん「練習(※なんの?)」と称して堂々と歌うようになった。本当に家族はよく容赦してくれたな…と思うが、ほぼ毎日、これでもかという声量で歌いまくって遊んでいた。その時には、出した声が響いて消えていくなあ…、なんて繊細なことは1ミリも考えたことがなかったけど、銭湯のステージ(でもない。ステージ?)で歌ったあの時、あんなに非日常的な状況なのに、日常に確かにあった素朴な喜びを思い出せた。
完全に大人になった今でも、わたしはあえて銭湯の閉店間際に入りに行って、他にお客さんがいなくなるやいなや、すかさずこっそりフワフワ歌っている(小声でも案外ちゃんと響きがわかるので楽しいです、おすすめ)くらいなので、声が響くって楽しいな〜というめちゃくちゃ素朴で個人的なものだと思っていた楽しみを、あんなに大勢の人と一緒に、しかも真っ当に音楽のなかで味わえた、ということが、本当に嬉しかった。

この一年くらいで、声が響くのをちゃんと聴く、ということを、技術としてしっかり抑える・ばっちりやる、というより、純粋に心から楽しめるようになった気がする。これまでもおもしろい響きの場所に出向くと声を出して遊んだし、ライブでも楽しんできたつもりだけど、最近輪をかけて「ク〜ッやっぱりたのしいぜ〜〜」です。何度でもいうけれど、歌ってほんとうに無限に楽しい。
誰かと一緒に演奏する、ということについて今回は全然書かなかったけど、2023年のわたしは、一方ではある種孤独に「歌とは…」などぐるぐる考えつつも、もう一方では「バンドたのし〜!」「一緒に奏でるってすげ〜!」というバカほどシンプルな喜びで駆動していたと思う。そっちのほうが比率としては高かったまである。一緒に奏でてくれた皆さんありがとう…
(銭湯ライブの様子はすばらしい記録を録ってあるのでそのうちリリースします、ご期待ください……)


昨年、たくさんの人に歌を聴いてもらって、ああ、聴いてもらうと完成するんだ、と何度も思った。新しい歌も増えたけど、ずっと前に書いた歌も、聴いてもらう場面ごとに新しく生まれていた。最初のほうに書き殴ったように、ある土地ごとに、ある機会ごとに、ある文脈ごとに、歌は変わって響いた。それを経て思うに、もしかして、歌が完成するのって、聴かれた言葉やメロディや楽器の音が人の記憶のなかに積み重なって、イメージが浮かんでは消えを繰り返して、やっと曲が終わった、その瞬間なのではないか………。そうだとしたら、歌い終わった響きが消えるまでの短い時間と、そのあと、わたしが「ありがとうございます」と言ったり誰かが拍手をし始める前の一瞬、あのあたりまでが、歌が完成になって満ちている状態なのでは………。

そういうことで冒頭の言葉に行き着く。「歌って余韻が一番大事」だ。そこにひとつの完成がある。でも、同時に、その一瞬の完成は瞬く間に消える。一番大事だけど、かなり儚い。
 
でもそれがいい。歌なんて、それくらい何でもないものなのだと思う。友人宅にて、夕方に差し掛かる頃、友達が作るカレーが出来るのを待つ間に、ポロポロとギターを弾きながら即興で歌っているのをそばにいたもう1人が意外と聴いていて「いい」と言ってくれて驚いたりする、ああいう何でもない瞬間は、いちばん歌が歌の姿をしているといって過言ではない。そして、緊張しながら人前に立って歌うライブでも同様に、歌い出した歌は、流れる季節のように引き止めることができない。
曲の完成は歌詞が定まった時かもしれないし、歌を何らかのメディアに記録することはできるけど、それはあくまでも曲とその録音であって「歌そのもの」ではないような気がする。
 
わたしは、やっぱりシンガーソングライターというよりはヴォーカリストだ。曲ももちろん大切に作っているけど、言葉を歌う行為のほうに重きを置いている。歌うということそのものにやっぱり惹かれている。火や風の類と同様に、歌は現象であって、その場で起きて、なくなる、ということにグッと来ている。




最後に、伝わるという部分について。
 
言葉のある歌を歌っていると、意味が伝わるって何なんだろうか、ということを考えざるを得ない。ここから先で書くのは、わたしが歌について考えたことというよりも、他者とのあいだに生成される歌の体験について考え中のことになります。まとまってません。
 
秋、あるリハーサルをしていた時、一緒に演奏していた2人が「田上さんの曲、たくさん一緒に演奏してるしさんざん聴いてるはずだけど、あんまり歌詞の内容わかってない」とケロッと言ってきた。何よりも歌詞を一生懸命書いている作者としては「ええ〜〜っ(ズコーッ)!?」である。2人が当たり前のように悪びれもせずに言うので続きを聞くと、メロディと一緒に声の質感とかを聴いてるだけでかなり成立していて、そのうち後から少しずつ意味がわかってくる、という感じらしい。そういう聞き方をする人もいるんだ!と新鮮に思った。

というのも、夏ごろにライブを聴きに来てくれた友人が「さっきの曲、ゴミなのかなんなのかわからないような腐ったほにゃほにゃ〜、って歌詞の、ほにゃほにゃ〜の部分が、メロディの音が低くて聞き取りきれないけど、聞き取れなさが、ゴミなのかなんなのかわからないそういうもの、というのを描写してておもしろかった!」という感想をくれたことがあった。彼女は演劇を長年やってきた俳優である。わたしは、初めて聴いたばかりの初見の歌の歌詞をそんな深くまで汲み取れるってすごい…と思った。考えてみれば、そういえば俳優というのは、たいていの観客が一度しか見ない演劇というメディアで、基本的に一度しか聞かせることができないセリフを、その意味をなるべく確実に届けるという仕事を普段からしている。裏を返せば、彼らも何らかのパフォーマンスを見聞きする時には着実に意味を汲むような見方をするのかもしれない。もちろん全然ちがうタイプの演劇人もたくさんいるだろうけれど、個人的には、演奏の直後に歌詞の意味に関する感想を聴かせてくれる人の演劇人率はちょっと高いような気がする。

その会話のなかだったか、違う人との会話だったかいまいち思い出せないが、やはり俳優の友人と「言葉が届いた瞬間、みたいなのってなんかわかるよね」という話をしたこともあった。これは本当に全くうまく言語化できないのだけど、客席の後ろのほうであろうと前の方であろうと、物理的な距離はあまり関係なく(つまり表情が見えるとかはあんまり関係なく)、今の自分のパフォーマンスが、あの人に到達した、あの人の琴線に触れた、みたいなことが、ふとわかる瞬間というのが、たまにある。勘違いとか思い込みかもしれないけれど、今のところあんまり外れている感じはしない。

あの感覚って、なんだろうな、全然わからないけど、上演とかライブという形の表現を夢中でやっている人間たちにはある程度共通のあるあるなんじゃないかと思う。

大昔に大学に捨ててあった雑誌を拾って読んだ、誰だか忘れた落語家の名人のインタビューにあった言葉を最近思い出した。
「自分の芸がちゃんとウケた時、客席のみんなが一斉に笑うほんの一瞬前、全員が息を吸う短い沈黙がある。それがたまらなく好きだ」と彼は言っていた。カッケー!(もともと落語には疎いのでそれが誰だか覚えられなかったのが本当に申し訳ないですが)ウケた瞬間そのものじゃなくて、その手前の沈黙にグッと来ている、というのが、いかにも実際に現場でやっている人間の発言らしい。わたしが最近少しずつ感じられるようになってきた、歌の、歌そのものじゃなくて、それが消えゆく時の感じとか、残響とか、何より、積み上げた歌が終わった瞬間の余韻とか、そういうものを味わう感覚と、近いような気がする。

歌は余韻が1番大事などと冒頭で宣ったけれど、歌って、つまり、聞かれた時に、一瞬だけ完成するものなのかもしれない。歌い終わった時ではなくて、聴かれ終わった時だ。聴く人が耳を澄ましているなかで、音が終わった、あの沈黙。昨年たくさんライブをやった、とわたしは思っていたけど、そんなんじゃない。たくさんの人に聴いてもらったのだ……。マジで謙遜とかでなく、わたしは歌のこっち側の半分しかやっていない、ということが、やっと、はっきり実感として迫ってきた。

この場を借りて急にお礼を書きます。昨年いっぱい歌ったわたしのいくつかの歌は、聴いてくださる人の数だけ、新しいイメージを浮かべ・消え、を経験して、すごく育ったと思う。
 
通りすがりや偶然で耳にした人もきっと大勢いた。そういえば金沢の犀川沿いで歌った(※10/9『原っぱ運動会2023』)時は、近くのアパートで窓を開けていたら歌声が聞こえたので急いで聴きに出てきました!という方がいらして、感激した、あまりにも嬉しかった。ありがとうございました。毎月の弾き語り企画に繰り返し足を運んでくださる方がいたり(これも本当に筆舌に尽くし難い感情で、大袈裟でなく生きる力になっています)なんとなく聞いてくれていた人もいたし、ほとんど感想を告げずに去った大先輩がいてわりと凹んだこともあった。終演後に客席に行ったらボロボロに涙している方がいたこともあった。めちゃくちゃ笑顔で踊っていた方も、言葉はわからないけど、と熱心に聴いてくださったアメリカの人も、ああ〜寒い公園で半ばしょんぼり練習していたのを近くでいつのまにか聴いていた知らないお兄さんに英語で褒められたこともあった、11月だ、涙が出るほどうれしかった…。

わたしは、思い出せば書ききれないくらいの人たちと、歌を介して一緒の時間を過ごしていた。本当にこれは、すごいことが起きている。歌ってこんなふうに出来事を起こせるのだ、ということ、に、驚く機会が、あまりにもたくさんありました。一曲5分くらいっていうほどほどな単位が、一緒に過ごしやすいんだろうなあ、ずるいぐらい良くできたシステムじゃないですか……?先人たちいつもありがとう


長々になってしまったけどそろそろ終わります。引退するんか?みたいな熱さで書いてしまっていますが、今年も続けていくので、どこかでお会いできたら嬉しいです。

ちなみに4〜5月頃はライブをやらずに過ごす予定なので、3月までに一度、是非ライブにお越しくださ〜い!遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 



喧嘩も未来も言葉から

わたしは寒いのが本当にニガテなので、この季節は「楽しく過ごす」を目指すよりももっと手前の「落ち込まないようにする」でいっぱいいっぱいだ。加えてなんだか涙が出るほど忙しくて、溺れかけているような、坂を足任せに駆け降りているような感じで、自分の速さを超えた速度で、日々が過ぎていっている感覚がある。
 
いっぱいいっぱいだからだろう、細かいことで気分が浮かれたり沈んだりする。先日、必要に迫られてコンビニで適当に買ったメンソレータムのリップクリームを塗った後に、同様にコンビニで買ったコーヒーでなけなしの暖をとりながらホームで電車を待っていた時、冷たい風が吹いて、口のあたりを冷たさと温かさが同時に通っていって、なんかおもしろくて、気持ちが少し、スッと軽くなった。
こういう些細なことを捕まえて書き留めては「忙しい」だけにならないように、体を見失わないように…と思っています。
 
 
ところで最近、全く細かくないことなのだけど、すごい喧嘩を見た。他人同士のガチ喧嘩だった。ざっくりいうと、おじいちゃんAがおじいちゃんBに対してブチギレるという形の喧嘩だった。

何があったか順を追う。おじいちゃんAは、プロではなく素人だが、その時は(色々端折るので意味不明かもしれないが)15人ほどの若者たちを前に自作の落語を披露することになった。おじいちゃんBは、その落語が終わった直後に進行役の人によって舞台に上げられて、皆の前で感想を求められた。Bの第一声は、「…僕にはよくわからなかったな」だった。それに対してAがキレた、という次第だ。

Aの自作の落語は、正直、面白くはなかった。語り口も非常にたどたどしく、頭の中でかなり補完して考えながら聞かないと、内容が掴めない。たまにメタ視点で喋る(「(落語を今)やってみてはいるけど、ラジオで少し聞きかじっただけなんでね」など、謙遜というか、予防線を引いてくるのがちょっと鬱陶しい)ので、話が頭に入ってこない。ただ、一生懸命やっている、ということだけで場がギリギリ成立しているような有様だった。
しかし、Bの感想「よくわからなかった」という第一声を受けて、Aは「なんてことを言うんだ!」と瞬時にブチギレた。その場にいた全員がびっくりしていたと思う。飛びかからんばかりの迫力で、真っ直ぐ目を見て相手を指差しながらの怒声には迫力があった。
その後の発言は「あなたの態度が気に食わない」とか「あなただってそれなりに年齢もいっているのにもっと言い方を考えられないのか」「配慮がなってない」そして「あなたの言うことは抽象的すぎる」「もう帰りますよ」「あなたと同じ場所にいたくない」など、だんだんめちゃくちゃになっていくのだけど、まあとにかくキレきっていた。部屋中にAの激しい声が響き、場は完全に凍りついていた。Bも、たった一言「ごめんなさいね」とでも言って場を収めれば済むのに、頑なにそれをやろうとはせず、穏やかなようでいて彼は彼で譲らないので、ひとしきり喧嘩は続いた。


結局、耐えきれなくなった周囲の人たちによって無理やり2人が引き離されて喧嘩は終わったが、それをみていた私と友人はすっかりダメージを喰らってしまった。激しい喧嘩、というだけでなく、その登場人物がおじいちゃん2人であったことについてのショックが大きかった。

歳をとるとあんなふうになるのかもしれない、と、安直に、まず思った。私は、おじいちゃんAにめちゃくちゃ共感していた。
 
以前、認知症が進行しつつある祖母の様子を母から聞いた時、「脳はだいぶきてるけど、おばあちゃんは体力はまだまだあるから、かえって大変」と言っていたのを思い出す。自身がこれまでのようにうまく暮らせないことに対して苛立つことが増え、そういう時に感情を表現する体力があるので、大きい声が出たり力が強かったりして、周囲は困るのだそうだ。あの日、喧嘩をふっかけたおじいちゃんAも体がしっかりした人だったし、わたしも、同年代の同性と比べると少し丈夫な体格をしているので、そういう部分が他人事と思えなかった。
 
それに加えて、おじいちゃんAの怒った理由「自分の表現を馬鹿にされたくない気持ち」も、わたしにとっては馴染みのあるものだった。
私は美術系大学の「講評」という文化にどっぷり浸かって10年くらい過ごした過去がある。そこで、自分の作ったものを酷評された時には歯を食いしばって冷静に聞く、あるいは必要ない指摘だと判断したら聞き流す、などの態度を培った。最近はもう、気持ちがズタズタになるまで酷評されるような場面はほとんどないけど、人より批判に慣れているという自負がある。でもそれはヘッチャラなわけではない。その場では耐えても、あとでぐちゃぐちゃになる。
 
あの時のおじいちゃんAの気持ちは、全体的に、すごく「わかる」ものだった。バカにされたと思ってカチンときたのも、大勢の若い人たちの前で恥をかきたくないというのも、一度キレた以上は相手を言い負かすまで引き下がれない、というのも。黙っていて後でぐちゃぐちゃになるんじゃなく、ああしてすぐに怒りを露わにできることに、なんならちょっと憧れたまである。あんなにキレるくらい必死にやってるんだったら、合間で謙遜したり卑下したりするなよな〜と、一緒にいた友人たちは言っていたけど、そういう部分にさえ、わたしは共感が深かった。
 
人前で何かやる、というのは恥ずかしい。自信はないし人の目は怖い。でもそんなのは舞台に立つ時の超一般的大前提で、これを言い出したら始まらないし皆うんざりすると思うから言わない、というだけだ。
わたしもAと同じで、歌う前にも歌っている最中にも、いっぱい言い訳が浮かぶ。今年は自分にしてはたくさんライブをやってきたけど、2回に一度は「これ引き返して家に帰っちゃったらどうなるんだろう」と思いながら会場に向かっていた。リハーサルが終わって開場してから一度外に出て開演時間を待つあいだ、このまま戻らないで家に帰っちゃうことも物理的にはできるんだよなあ…、と思いながら神社の石段で寝ていた時もあった。それでもわたしは会場に戻ったし、これからももうしばらくやっていきたいから、全ての言い訳を飲み込んで、自信のあるふりをしている。
 
話がそれたけど、おじいちゃんAは言い訳をする人だった。わたしとあの人は、まあ、いろいろ全然違う。それでも、あり得たかもしれない、あり得るかもしれない自分の姿を見たようで、あの日はとにかくショックだった。
 
 
 
 
大人になってあんまり怒らなくなったけど、ついキレてしまう、ということが、自分にもないとは言えない。わたしは正直けっこう怒りっぽいというか、いらちだし、怒りに任せて目の前の相手が一番傷つく言葉を探して的確にグサグサ刺すようなことができる。東京に住み始めてからは、処世術?としてなのか毒されてるのかなんなのか、とっさに物凄く感じの悪い舌打ちもできるようになってしまった。ひけらかすようなことではないけど、自分には普通に暴力的な部分がある。今年の夏にパートナーと喧嘩した時、自分の言葉の暴力がそうとう酷かったのを覚えている。
 
でも、その日の喧嘩は、本当に言い方がおかしいけど、すごくおもしろかった。達人同士の居合いのようだった。二人の仲直りまでの持っていき方が、自分で言うのも変だけど、創造的だったのだ。10年もまじめに人と付き合っているとこんなことが成立するんだと、ちょっと感動した。
 
 
時効だと思うので書く。それは初めて行くレストランで、二人で食事をした帰りのことだった。ちょっと創作的要素のある中華風の店で、バーみたいな高さの天板の小さいテーブルが並び、わたしが座ると足が床につかない椅子があり、ウイスキーの種類が豊富だった。お腹いっぱい食べるというよりは、サッとつまみつつスッと飲むような店なのかもしれない。中華風の店だけど、メニューにカレーがあって、その、煮込みと餡掛けとカレーの間みたいな料理が美味しいと聞いて訪れた。いくつか料理を頼んで、二人で分け合って食べた。おいしかった。彼はそのちょっと変わったカレーを評して「やっぱりおもしろいなー」と言っていた。
 
店を出てから「なんかあの言い方、恥ずかしかった」とわたしは少し思い切って言った。「あなたは料理の専門家でもないのに、素人がお店の人に対して評論家みたいに「おもしろい」なんて言葉を使うのは不躾っていうか、わたしはそういうの恥ずかしい」というようなことだった。彼は相当心外だったようで、すぐ言い合いになった。お前と一緒にいると恥ずかしい、という風に言い直せばすぐわかるが、こんな失礼な発言に対して、彼が怒ったのは当然である。
 
だが、その言い合いは、だんだん演劇の稽古みたいになっていった。わたしたちは、最初こそ「は?」「やんのかコラ」という感じで完全にイラついていたが、次第に、相手を言い負かすのではなくて、さっきのセリフで使われていた「おもしろい」という言葉のニュアンスが互いに違っている、とわかって、それを整理するほうへ向かった。
わたしは「おもしろい」というのがちょっと上から目線っぽいと感じて「素人がプロの仕事に対してそんな風に言うのはイタい」と思っていたが、自身も作家である彼にとっての「おもしろい」は、映画を見た時の感想と同様に、あらゆる創作物への「そんな発想があったか!やられたぜ」という驚きと賞賛なのだった。そこには、料理を自分が踏み込めないプロの領域とみるか、我々と同じようなクリエイティブな仕事としてみているか、という違いがあった。
まあでも素人が他業種の仕事に対して「実におもしろい…」とか言ってるのは、確かに恥ずかしいというか、店の人にしたらちょっとウケちゃうダサさあるよな(わたしが店の人だったらそんな客がいたら微笑ましいけど)、わかるわ、というのも含めて確認して、わたしたちの喧嘩は収束した。その仲直りまでの道のりが、ジリジリと慎重に、しかし最短の直線距離をいったみたいで見事だった!と二人とも思ったようで、試合が終わったみたいに、笑い合って握手をしてから半分のハグをして背中を叩き合った。15分くらいで終わったその時間が、正直、わたしは心底おもしろかった。
 
うまく言えないけど「我々は人と人としてここまできた」という感じがした。こんなことで自分たちの関係性を終わらせたりしない、という確信が互いにある上で話せるというのは本当に稀有なことだ。パッと出た言葉が違った時に、ちゃんと調整していくのを怠らずに繰り返していけたら、これをもっと積み重ねたら、他の二人にはできない深さで話ができる関係が、できていくのかもしれない。
 
あの日の喧嘩と解決までの道のりは、人間として、言葉と共に生きていくまっすぐな態度という気がして嬉しかった。ぐるぐると繁華街を歩きながら、低い声でぶつぶつ喧嘩したわたしたちは、人間をやっていくことを諦めていなかった。
 
 
 
最後に今日のこと。
最近、忙しくて人とじっくり話せる機会があんまりなかったので、今日は友人とちゃんと話ができたのが嬉しかった。
待ち合わせた場所に着くと友人がすでにいて、わりと落ち着いた状態とみえるところに、わたしは精神的に息が上がったままのような慌てた状態で辿り着いた。遠くから目があって「お〜」と手を振りながら落ち着いたフリをして、リュックをおろして向かいあう位置に座る。そうしてから、ひとつずつ話すべきことを話していくうち、自分の体とソファがじわじわと馴染むような、空間が自分の延長にあるのがわかるような、体が一つにまとまっていくような感じがしてきた。相手の言葉を待って、考えながら話して、自分のスピードが落ちていく感覚。これから作るものの話をしていて、語り口はテキパキしていたけど、だんだん、それまでの転げるような勢いが落ち着いていった。どんだけ慌てて過ごしてたんだよと今になって思うけど、「人と、ゆっくり話すと、落ち着くのだなあ」と、染み入るように思った。
 
その後、場所を変えて引き続き話していたなかで、彼が「来年はもっと楽しくなる気がするんだ」と言った。それもけっこう迫真な感じで。わたしは、この頃あまりにも慌てた日々を過ごしているせいで、さっきまで自分達が未来の話をしていたことに気づいていなかった。来年は未来でしょ、来年作るものの話をしていたのにバカなのか、と思われるだろうけど、とにかくそうだった。だから、ふいに来年の話を、それも、なんか、漠然とパワフルなことを言われて、なんだか眩しいみたいでびっくりした。
 
えっ、わたし、そういうこと考える余裕が今、全然なかった!ってことに気づいた…!と、自分で言いながら「ウワー」と思った。言葉って未来のことも捉えられるんだった!!元気、でた〜〜
 
 
わたしは「涼しい唇とあったかいコーヒー、ウフフ」みたいなことを、いちいち言葉にしてとっておくような人間だけど、会話の中で人が言った言葉には、そういう描写とか保存とは、全く別種の特別さがあると思う。人から人に渡る時、言葉はメッセージになる。そして、そこには二人の人間の意味づけと意味受け取りが、たいてい非対称にあって、それがおもしろい。
 
3年くらい前に「あなたは音楽に愛されてるよ」と言ってくれた人がいた。言い方としては「そんなに音楽に愛されてるのに!(何を弱気でグダグダしてんのよ)」だったかもしれない。彼女の言葉には少し「わたしはそうでもないのに」というような、ちょっと嫌な、破り捨てるようなニュアンスがあったように思うけど、でも、字義だけとれば、それはわたしが言われたかった言葉だったから、意識的に真に受けることにした。賢くて尊敬している友人からそう言われたら、真に受けたくなる。
そうしていたら、だんだんそれがお守りみたいになってきて、実際に音楽に愛されているとかいないとかはよくわからないことなので置いとくにしても、今は自分がやっていることをちょっと思い切って音楽と呼べるし、率直に楽しい。まるで姉のようなところのあるあの人は、本当にたいしたことをやる…。人が言われたい言葉を短く言いながら、破り捨てるような感じも入れ込んでくるなんて巧みである。彼女とは絶対に口喧嘩したくない。
 
言葉の、こういうところをちゃんと使っていけると、人間をやっていくにあたって良いのかもしれない。言葉の発し手としても、受け手としても、届いた先で違う意味になるということを、ちゃんとわかって遊んで、味わって、読んで、誤読して、未来にする。
 
あの夏のおもしろかった喧嘩もそうだ。さっき聞いたばかりの「来年はもっと楽しくなる気がする」もそう。なんか、たまに会う友人というのはずるいですね。いつも美味しい役をもっていく!
 
 
 
 
 
 
 


「夏の最後」と「この秋最初」の混じる道


最近ちょっと贅沢な息抜きをするようになってしまった。家で色々やることがある時に、おもむろにiPhoneだけ持って家を出て、交差点を渡ったところにある近所のセブンイレブンに行き、そこでコーヒーだけ買って帰ってくる、というものだ。ペイペイがあると財布を置いて行っても買い物できるのですごい。

セブンのコーヒーマシンは「濃いめ」「ふつう」「軽め」と、味が選べる。今まで「普通」しか選んでいなかったけど、金沢でお世話になったUさんが「あると「濃いめ」選んじゃいますね…」と言っていたので試しに飲んだらおいしかったので、わたしも「濃いめ」派になった。あのセブンのマシンって、カップをセットしてボタンを押した後の、豆を挽いているっぽい時のにおいがうれしくて、個人的にはドトールとかスタバでコーヒーを買う時よりも満足度が高い気さえする。(コーヒーが紙コップに注がれているあいだ、マシンについている透明の扉が開かないようにロックがかかるのだが、それをわたしがクイクイと指で軽く引っ張ってマシンを急かしている(マシンを急かしている…?)のを一緒にいた友人に見られて「それやる人、初めて見た(≒田上お前はせっかちすぎる、落ちつけ)」と言われて恥ずかしかったのも、最近の記憶だ。)

ともかく、セブンコーヒーに関しては、うちから7分くらいで行って買って帰ってこられる。一杯110円なので「贅沢」と呼ぶにはささやかなものだが、これは実際めちゃくちゃ都会ムーブだと思うし、そんなことにお金を使っている場合じゃないだろうと我ながら呆れるし、コーヒーぐらい家で自分で淹れろやという感じもするのだが、その後ろめたさではかどってしまう。好きなミュージシャンがエッセイに「毎朝、起きてすぐコーヒーを買いに家を出るとしゃっきりするのでハマってる」と書いていたから、その真似っこ気分もちょっとあるが、朝一番ではないので普通にぜんぜん下位互換ルーティーンだ。

そんないつもの交差点を今日もコーヒー片手に通りがかった時、プラタナスキンモクセイが同時に香っているのに気がついた。驚いて歩調が緩んだ。交差点をもう少しで渡りきるあたりで、ほとんど立ち止まりそうな遅い歩みになって、鼻の感覚に集中する。えっ!?こんなこと本当にあるんだ!!季節の香りの交差点じゃん!!!詩的すぎる!!!とテンションがあがった。その勢いでこれを書いている。なんか全然すてきに詩的に書けないんですけど、夏の終わりと秋の始まりが、同時にしっかりそこにあった。



今年の6月、ある用事が済んで場が解散した後、帰る駅が同じだった仲間の一人と、コンビニでビールを買って飲んだことがあった。
その友人の「ワンカンの機運ある?」という提案の仕方が初めて聞いたフレーズで、ほんの一瞬だけ間をおいて「あっ、1缶ってことか」と理解したのが印象に残っている。私たちは夕飯も食べ損ねていたので、なんか焼き鳥くらい買うか〜という感じでセブンに向かった。粋なんだかダメな大人なんだかわかんねえなと思いながら、人通りの少ない路上のちょっと奥まったところで、電車がまだあるかとチラチラ時計を確認しながら、1時間くらいだろうか、おしゃべりしながら飲んでいた。

6月のその日は「外が寒くないってマジで嬉しいね」と、まだ新鮮に言いあうような頃だった。ただ屋外でのんびりできるってだけで最高だよなあ。別に空気がおいしいってわけじゃないんだけど、外気ってうれしいよね。行き交う車も人通りも、もうそんなになくなった時間帯の路上は、まさしく都市の隙間という感じで、ちょっと得意な気分になった。そういえば路上で飲酒しても捕まらない国というのはすごく少ないらしい。

そのおしゃべりをしていた場所の、すぐそばに街路樹が植わっていた。わたしはその時、なぜかそれをカツラの木だと思って、これはもうちょっと季節が進むと秋にいい匂いがするやつだよ〜^^と、聞かれてもいないのに友人に向かってドヤ顔で説明していた(「ちょっといいセリフ」みたいに言ってた気がする)。しかし後日、なんか違う気がするな………という気がフッとよぎったので、あの日路上飲みしていた場所をグーグルストリートビューで確認した。すると、やはりわたし(状態:酔っ払い)の樹を見る目は全然ダメで、それはカツラの木ではなかった。プラタナスだった!(※本当に全然違う)
わたし嘘ついてるじゃん!と知って恥ずかしくなったので、その日一緒にいた友人に「あの木、違いました」とLINEを送ったが、そもそも、その晩にもたいして膨らまなかった話題を後からわざわざ掘り返していて、最初から最後まで自己満足にもほどがあった。すみません。そして、その時に「プラタナスは、夏にもっと臭いやつ」「どんなにおいだっけ」「ヨダレみたいなにおいの」「ふーん」みたいな短いやりとりをして、ああ、そういえば、そうだ、プラタナスのにおい、次にみつけたらちゃんと嗅いでおこうと思った。

そんなことがあったので、この夏は、そこここでプラタナスのにおいをかぐたびに「あ〜〜これこれ」と、思い出だけが少しあるなんでもない路上のことを何度か思い出した。6月のその晩にはまだプラタナスはにおっていなかったはずだから、これは思い出のにおいですらない。しかも、わたしが本来したかった話は、このプラタナスの臭いようなにおいではなくて、秋のカツラの木の甘いにおいの話で…、要するに、なんだかわたしのなかで絡まってぐちゃぐちゃになっている。「木の匂い」というところでだけ、ひとつの網にかかっている。



そういう風にプラタナスの匂いをずっと気にしてこの夏を過ごしていたが、つい数日前、いっせいに街中のキンモクセイが香り始めた。たまたまその日は東京のなかの3つの街を1日で移動したのだけど、どの街でもキンモクセイが香っていた。あれは、イチョウの銀杏に次いで、秋の木の香りの代表格だろう。多くのファンを擁するその香りは、プラタナスやカツラよりもずっと多くの人に認識されているため、人に「キンモクセイの香りだね!」というとたいてい伝わる。今のところ全員「ね〜」と言ってくれる。

そんな秋の香りと、夏に散々かいだプラタナスのにおいが、うちの近所の交差点で交わるということに今日気がついて、めちゃくちゃグッときたのだった。

雨上がりの午後のキラキラした光のなかで、アスファルトの白く塗られたところを踏みながら、プラタナスは目視で確認できたが、キンモクセイは、あ〜あのへんにあったと思うけど、あんな遠くから届くんだ、すごい。など、心の中でぶつぶつ言いながら、ゆっくり渡った。

わたしは、以前からこの交差点を渡る時、たいていちょっと気分がいい。自分が車を運転するようになり、信号で止まっている車の先頭の運転手からは歩行者の姿がすごくよく見えていると知ってからというもの、わたしは、自分が歩行者として横断歩道を渡る時、なんだかちょっと見せびらかすような、得意な気分でかっこよく歩いてしまう。
これを人に話すと「パフォーマーすぎるw」といって笑われるけど、でもやっぱり、あの交差点は特に、大きな片側2車線ぶん、最大4台、それに後続車も全部止まるから、夜なんて特に、わたしの歩く道をヘッドライトが左右から照らして、まっすぐな車道は右を見ても左を見ても、景色がひらけるようにぐーっとのびていて、良いんだ。
そんな交差点に新しい発見が加わった、というご報告でした。気分がいいと、気づけることが増えます。







ひと思いに腐ってくれ!

先日、自分が働いている事務所に向かう廊下の一角で、手作りの何かが腐っていた。
 
それは、パンのようなものだった。のようなもの、と言わざるを得ないほど、もとの色や形が分かりにくいレベルでカビだらけになっていた。おそらく誰かの手作りか、パン屋で買ったパンだと思われるただの透明の袋だったかラップだったかに包まれて、廊下にいくつか置かれた椅子のうちの一つに、放置されていた。
 
ふと目に止まった日、捨てようか迷った。これはたぶんゴミになるんだけど、勝手に事情を知らない人間が捨てて良いのかどうか、迷った。手作りっぽいものとか、誰かのものっぽいものは捨てにくい。結局それは数日後に見た時にはなくなっていて、誰かが捨てたのだろうけど、事情を知っている人が捨てたのか、そうではないのかはわからない。
 
学生の頃、シェアハウスをしていた時にも、似たようなことがあった。誰かの食材が限界を迎えていて、でも本人も覚えていないので捨てられないまま腐る。腐ってはじめて、他人が捨ててもオッケー、という判断が、確信を持ってできる。
 
腐ったり傷んだりするものは、捨てやすい。わたしは、本当に褒められたことではないのだけど、しばしば冷蔵庫の中のものを腐らせる。自炊があんまり得意ではないのと、時間がないのと、わたしが普段食べないものを同居人が買ってきて使わないまま出張に出掛けてしまった、など、言い訳はいくらでもできるけど、2ヶ月に一度くらいは、ごめんねと思いながら「かつて食べられる状態だったもの」を捨てているような気がする。すごく良くない。すごく良くないことだけど、これは捨てるとはっきり決めて、ゴミ袋へドサッという音と共に投げ込んだ瞬間の、冷蔵庫の澱んだ空気が少し澄むようなあの気分は、スッキリとしていて悪くないのだった。
 
 
わたしは化粧品を買うのが好きだ。にもかかわらずいまいち垢抜けないので、あんまりそういうふうに見えないと思うけど、ドラッグストアやデパートやドンキホーテやPLAZAなどに一人で出向いて、あんまり考えずにコスメを爆買いして散財する趣味がある。ストレス発散なのだと思う。これを繰り返すと、単体で見たらきれいな色だけど全然似合わない500円くらいのアイシャドウとか、3000円くらいしたけど使い所がないパウダーとか、そういうのが少しずつ溜まっていく。加えて、わたしは通販もやる。「おトクな定期便」とか「まとめ買い割引」とか「Buy1 Get1」という言葉にめっぽう弱い愚かな消費者であるわたしの家には数ヶ月同じ化粧品が届き続けて、使うペースより溜まるペースのほうが早いこともある。試供品でもらった化粧品とかも、使わない可能性の方が高い(旅行に便利とか思うけど、普段は使っていない化粧品を旅行に持っていくのは肌に合わない可能性を鑑みるとリスクが高いのでそういう使い方って結局しなくないですか?)のに、なかなか、最初の段階で捨てられない。わたしは、そういうのを全部「冷暗所」と呼んでいるベッドの下の大きな引き出しに、一応、けっこうきちんと整頓して保管している。
 
そういうのを先日、ガバッと整理して、半分くらい捨てた。未開封なら3年、開封した化粧品はスキンケアなら半年、コスメなら2年が限界だろうというなんとなくの肌感覚を基準にして、思い切って捨てた。案外捨てるものは多くない、というのがわかってうれしかったが、結局こういうことをしても「あっじゃあアレ買っとこうかな」という気分になって、結局また浪費してしまうのだった。ないお金をどうやって浪費しているのか自分でもよくわからない。
 
数年前、断捨離が本当に苦手な母と姉と暮らしていた頃は、わたしが「捨てようよ」と提案する役割を担っていた。でもあれは、要請された役割を演じていたような気がする。母はこの絶対にいらないものを「捨てよう」と言ってほしいのだ、というのがなんとなくわかるからそう言っていただけで、わたしも一人になれば、ものが捨てられない、というかうまく使えない、ダメなタイプだ。
 
 
そして、本当に申し訳ないし、ありえないくらい罰当たりな話なのだけど、今年の正月くらいに家族で外食した時に、父にもらった冷凍のカニが、9月も下旬を過ぎた今、まだ冷凍庫にいて、本当にこれを捨てる勇気がない。
 
カニなんてどうやって食べたらいいのよ、いらないよ、と、もらう時点で言った気がするけど、何重にも新聞紙に包まれて実際の2倍くらいの大きさになったカニが保冷剤と一緒にジップロックに入り、それがさらに保冷バッグに入ったものを、そんなわざわざ用意して持ってきたものを、無下に「持って帰ってよ」とは押し切れなかった。もらって帰って、結局、「カニなんて特別な日に食べなきゃね!」というワクワクした気分と「自然解凍8時間ってどういうこと…」というめんどくささと、そんなに時間のかかる食べ物に神経を使って生活できねえよ…という弱音で、まだ食べられていない。早めに「カニパーティーやろうぜ!」といってイベントにしちゃって、友達とか呼べばよかった。わたしのもとへ来てしまったばっかりに、こんなに待たされて、二度死んだようなカニのことを思うとちょっと泣きたくなる。同じ感じで、レトルトの火鍋もまだ食べられていない。
 
本格的に涼しくなってきたら、家で火鍋、やろうか。カニは、こいつはもう9ヶ月経つんだけど(賞味期限が切れてから8ヶ月)どうなってしまっただろうか。腐ってはいないと思うけど、なんか臭くなったりパサパサになったりしているんだろうか。それとも案外いけるのか。腐りかけた豚肉を食べて、しばらくその臭さを引きずって肉が食べられなかった時期があるけど、カニもそうなっちゃったら嫌かも。冷凍庫のけっこう大きな体積をカニが占めているので、こいつがいなくなった瞬間には、かなり風通しがよくなるはずだな………、と、悪いような気持ちが頭をもたげてきた。
 
 
 

すっきりしたロン毛

最近、こだわり方とかカッコつけかたの重心が変わったような解放感がある。気分がすっきりしている。

これはもしかしたらある種の諦めなのかもしれないけど、取り繕うようなことが減った。例えば、洗濯して干したハンガーのまま部屋にぶら下がっていたのを適当にとってきた服を着て、近所を歩くためだけの雑なサンダルをはき、マスカラをサボった手抜きの化粧のままで近所で友達に会って、なかなか充実したおしゃべりをする。こういうことが、この夏はたまたま何度かあった。取り繕いレベルほぼゼロで会える友達がいる、というのがまず何よりも嬉しいし、こういうテキトーさが、自分にとってはちょっと新鮮で、心地いい。家の前までのゴミ出しや近所のスーパーや銭湯に行く時にはく、ナイキのロゴのついたヤンキーみたいなサンダルは、全然おしゃれではない。ここへ引っ越してきたばかりの時に近所のドンキで一番マシだったのをほとんど必要に迫られて買った。もう3年目の夏だ。これをはいている時は、妙に自分が若いような気分になる。

この若いような気分というのは、「おしゃれ」とか「洗練された大人」じゃないことを平気でやっている、ふざけた感じのことだ。はぐらかすような力の抜けた態度。こういうのがクールな気がして、最近ハマっているし、しっくりきている。わたしにとって「おしゃれ」は、長らく、叶わない理想や苦手な課題だったけど、最近ついに、やり負かした気がする。もしかして、肩の力を抜けば、わりとなんでもおしゃれでかっこいいんじゃないか…?はぐらかす、というか、気さくなクールさってかなり素敵で、今まで憧れてきたありようなのではないか…

わたしは元来「ひたむき」だ。地元の中学に行きたくなくて泣きながら受験勉強を頑張っていた小学生の頃からすでに、学生時代も、大人になってからも、なんか、ぜんぶ頑張ってきた。かなり楽しく生きてきたと思うし、真面目一辺倒ではないけど、同時に、ずっと肩の力が抜けないという性格を患っていた(患って、と書きたくなるほど病的に肩の力を抜くのが下手だった)。しかしあえて過去形で書こう。かつて、わたしはそうだった。


歌に関して言えば、肩の力を抜くことと安定した声を出すことはかなり重要な関係にあると、各所で言われ尽くしている。実際そうだと思う。肩の力が抜けていたほうが聴きやすい良い声が出るし、消耗しにくく集中力が続く。でも、時には、肩をこわばらせて緊張させまくった身体から絞り出すギリギリの声が必要な場面もある、というのをここ数年のあいだに関わってきた演劇や即興演奏の現場で学ばせてもらって、なんか、最近かなり楽になった。たぶん一周まわったってやつだ。肩の力を抜く、ということの先に、わざと肩に力を入れる、があって、そこからもう一度、肩の力を抜く、に戻ってきた。肩の力を抜くことを今年の目標にします!とはなから矛盾したようなことを言って憚らないようなヒタムキ人間だったこのわたしが、ついにこれは、もしかして、肩の力が抜けているんじゃないか?と思えるようになってきた。ようやく少しだけ「人生」というものに慣れてきたのかもしれない。


さて。「人生」に慣れてきた、と思っている最近のすっきりとした気分を大いに支えているのが、すっかり伸びた髪である。

わたしはここ10年くらいずっとショートヘアだった。でも、なんとなく飽きてきて、約一年をかけて、三つ編みができるくらいまで伸ばした。たいした理由はなかったけど、大きくて確かな要因はあって、それは、腕の良い美容師に出会えたことだ。いろいろなことを省略するが、彼女が「自分がやりたい髪型にしたほうが絶対にいい、人がなんと言うかは関係ないです!」と力強く言ってくれて、実際に髪が伸びていく過程を見守りながらイケてる感じに整え続けてくれたおかげで、わたしは自分が期待していた以上に、髪を伸ばした今の状態を気に入っている。

なぜずっと髪を短いままにしていたのかというと、「ニュートラルな人間」になりたかったのだった。

わたしは、シスジェンダーの女性である。そして異性愛者で、男性のパートナーがいる。しかし、そういう社会性とパラレルに、自分が女性であるということに対して幼少期からもやもやしていた。できれば性別なんて関係ない次元で、いろんなことを考えたいと思ってきたし、なにか表現をやるという時に、自分の性別がノイズになってほしくなかった。

女性である、ということはわたしにとってずっと余計なことだった。まず身体がポンコツすぎる。毎月バカほど体調を崩す。10代の頃から、出先で立ち上がれなくなったことが数えきれないくらいあり、薬の副作用にやられながら数種類を試す1年弱を経て、ようやくここ数年は、男性にも引けを取らないくらい活発に活動できるようになった。こうなるまでにかけた時間とお金と心労を思うと、ふつうに理不尽で、まじでツイてないと思う。次に、女性であることで社会的に受けるクソな扱いというのが多すぎる。わたしはそういうこと全般が死ぬほどイヤなので、自分の持てる最大の警戒心をもって行動してきたつもりだけど、そんな努力とは残念ながら関係なく、電車やライブハウスの客席での性被害や、クソなナメられ対応等に遭ってきた。人間関係や環境に恵まれて丈夫な自尊心を育んでもらえたおかげで、わたし個人は強気で生きられているけど、まあ端的に言って「女」が被差別ジェンダーだ、ということは残念な現実だ。

そういうことをなるべく自分から遠ざけておきたくて、わたしは「ニュートラルな人間」を目指してきた。自分の女性性を前面に出して表現をやるということは、そういうクソな女体を認めることのような気がして、嫌悪してさえいて、一時期、本当に女性が、というか女体が苦手だった。電車で偶然目にした胸の谷間や、ステージでドレスを着て歌っている女性のやわらかな肉感が気持ち悪く感じてしまっていた頃があって、かなりつらかった。自分にも程度の差こそあれ、そのような身体があるということがおぞましかった。自分の皮膚の薄さと柔らかさが情けなかった。

女である自分が女を憎んでいる、という状態は、ほんとうにしんどい。どうやったら自分の女の部分を認められるのかわからなかった。今思えば、あの頃の自分の髪の短さには、怒りとか、自分が女性であることをうまく認められていない自信のなさを裏返した闘志とか厳しい気分が、なくはなかった。そういう態度も、意識して徹底していたならば、それはそれでカッコよかったかもしれないけど、わたしの場合はそうじゃなかった。中途半端なまま、何度こんなふうに言葉を割いても、結論が出ることはなかった。


そんな長年のしんどさが、なんか、テキトーな気分でなんとなく髪を伸ばしてみたら、ずいぶん緩和したのだった。

もちろん他にもあらゆる要因が絡み合ってそうなっている。2022年ごろから弾き語りで歌を歌い始めたというのも関係があると思うし、声を仕事に使ってもらうことが増えていくなかで、自分の声が完全に女性のそれだという事実に慣れてきたというのもある。性別が関係しない部位で鳴らせる「奇声」と呼ばざるを得ないような声を演奏に使うようになったこともすごく大きい。声というのは明らかに性別が深く関わる表現手段なのに、だからこそだろうか、ここまでくるのに時間がかかった。

実際に髪を伸ばしてみると、驚くべきことに、女性らしさだとかなんだとかいうことと、髪の長さって、いうほど関係なくね………?ということがわかった。肩透かしをくらった。髪はわたしのほうが長くても、隣に並んだらあっけなく髪の短い友人のほうが女性らしかったりして、傷つくとかはもはやなく、あっそんなもんかあ〜!と、妙に腑に落ちたことがあった。そういえば彼氏のほうがわたしより髪が長かった時期があったけど、別に男女逆転したような印象とか、全然なかった。ちょっとおしゃれな二人っぽいね、えへへ、っていうだけだった。なんだ、そんなことなら別に、いいか。気分で好きにすれば。短いのも似合ってたから、飽きたら切ればいいし、また伸ばすのもいいし。仲間由紀恵みたいな黒髪のワンレンとか、やってみたっていいんだ、やりたければ。痩せた力士みたいになると思うのでやりませんが……



ひっそりと心の奥にあった澱んだ巨大な水溜まりのようなものの、南の岸のところが実はダムになっていて、開け方がわかった、みたいな感じがする。あ、ここって開くんだ、じゃあちょっと開けとこうかな、というのが最近のすっきりした気持ちだ。こだわりとかカッコつけ方の重心が変わった、とはじめに書いたように、体の姿勢が変わると肩こりが改善する。テキトーっぽくロン毛にしておくくらいのことを、自分にすっきりと許せる。雑な服で友達に会ってもいい。そんなのヨユーだ。変な色のTシャツも、変なピアスも、楽しいからつけていい。爪を黒に塗ったっていい。そういうのが、たとえ似合ってなくてもいいし、言うまでもないけど、女っぽくなんて、全然なくていいし、たまに女っぽくてもいい。文字にしたら、当たり前だ!でもこんなことが、わたしはなかなか自分に対して許せなかったのだった。本当に、髪を伸ばしてよかった。
 

「女」としての自分はどう生きていけばいいのか、というのは、依然としてデカすぎる課題だ。解決できた感じは全くない。一生どうにもならないだろう。課題という認識自体が大間違いなのかもしれない。でも、わたしのなかで狭い定義だった「女」は、だいぶ緩やかで広い定義に変わってきた。髪がどうあれ、服がどうあれ、体格がどうあれ、肌の質や目や髪の色が、声が、態度が、どうであれ、いろんな女がいる。わたしもその中の一人です。

ニュートラルな人間」という過去の私が想定していた謎概念は、もうすっかり失われた。そんなものはない。わたしはわたしのことを個別に認めて、それと同じやり方で、ひとのことを個別に認める、というシンプルな心がけがあればきっとOKだ。自分にも他人にも、過度な期待をしない。肩の力を抜いて、でもまあがんばるしヒタムキのムキムキですが、汚れても気にならないような服で、適当に地べたに座って何かを眺めたり、しましょう、本当に。できれば一緒に。



長いツイートのようなもの2307

このブログをせめて毎月1回は更新しよう、となんとなく自分に課しているのだけど、7月は、すでに6月から書き始めていた内容が複雑かつ重すぎて、書いて消してを何度繰り返しても全然書き終われなかったので、違う話というか、どうでもいいめの近況を一筆書きのようにばーっと書くことにした。
 
 
順不同。今月は、iPhoneを家に忘れたまま数日間のソウル旅行に行って、美術館を巡る他は食べに食べたり、良い漫画をいくつか読んだり、気になっていた新しいお店でタイ料理を食べたり、弾き語りが以前にも増してググッと面白くなってきたり、めちゃいいライブ見たり、でも新しい曲を作るのはなかなか難航したりしていた。友達とグリーンカレーを作って食べたり、海の近くで強いお酒を飲んだりもした。知り合いの後ろ姿を見つけて走って追いついて挨拶だけして、でもそのまま追い抜いて会話は短く済ませたり、初めてのメンバーでバーで朝までおしゃべりして牛丼(小)を食べて帰ったりもした。最近はジョギングして帰ってきて鏡を見ると自分の顔が真っ赤すぎて心配になる。夜、知らないお兄さんが自転車をこいでいるわたしを遠目に見て「きれいなお姉さん…」と呟いているのが聞こえた時、ちょうどわたしも「今なんか自分かなり良い感じだ!」と思っていたところだったから驚いた、ということもあった。ナンパ的に話しかけているんじゃなくてただの呟きっぽかったのがそれはそれでキモかったけど素直に嬉しかった。マスクをしていた約3年前にも友達と一緒に入った韓国料理屋さんで「美男美女ね〜」とオバチャンに言われた(珍しすぎて覚えている)けど、わたしは3年に一回くらい美女っぽい日があるのかもしれない。あと、通っている病院の用事を済ませたりいくつかのサブスクを見直したり、働いたり、お金を数え直したり、Vログ作ろうと思って撮ったまでは良かったけど編集を始める前からほぼ挫折していたり、壊れた家のドアを直すための材料を買いにパートナーと2人、炎天下を自転車でホームセンターまで走ったり、図書館で全然知らないジャンルの本を借りてみたり、延滞したのを謝りながら返したり、いくつか平行して動いている企画それぞれが活発になってきてオンラインミーティングが増えたり、ジリジリとした重めの口喧嘩から15分で見事に仲直りしたり、映画館で映画を見たり、家族に会ったり、近所に住んでる友達とコンビニの前で2時間ぐらいおしゃべりしたり、家のいくつかの細部をきれいにしたり、ちらけたり、酔っ払ってるのが醒めるのを待ってダラダラと漫画を読んだり、絵がなかなか思うように描けなかったり、なんかいろいろ、こう書くと本当に色々やっているみたいだ。
 
今日は仕事からの帰り「もう今日は21時に寝て明日の朝、5時に起きようかな、それで8時まで頑張って、それから家を出て、仕事いくとか…いやあ厳しいかなー」とぶつぶつ言いながら駅まで歩いた。ちょっと思っていた以上に自分のところに色々な"TO DO"が溜まっていて、ついにひとつ不義理をしてしまった。「まずい感じ、時間配分が下手かもしれない。SNSみんのやめよう」「ほんと無駄!」なども声に出ていて、自分のへとへとを実感した。疲れると、声にしないとやってられなくなってくる。
 
「豆腐麺食べようかなー」
「トマト買って帰って、もうそれでいっか」
「あ、納豆買って、明日の朝を楽しみにして早く寝よう。ちゃんと荷造りしてから寝たら気分いいかも」
「あーーまじで、もう、あー。体3つ欲しい」
「運動して痩せたい」
 
わたしは、夕飯をごく控えめにしておいて、はらぺこで寝ると次の日の朝すごく調子がいい、というのをもう何年も前に発見してから、いつも意識している。が、毎日そのようには全然できない。今日も、寄ったスーパーには豆腐麺はなかったので3倍くらいのカロリーの冷麺をしっかり食べた。寝る前3時間は何も食べないほうが睡眠の質が上がるらしいので、しっかり食べてしまった以上、ここから3時間は寝るわけにはいかない。よって今日21時に寝るというアイディアは却下だ。本当に寝る前の空腹は、次の日の朝の体の軽さ、肌の滑らかさに直結していて、マジで夕飯って概念いらないんじゃないかと思う。でも、人と食べるご飯って美味しいし楽しいよねえ、大好き