朝、普通に寝不足のはずなのだけど6時半に目が覚めた。ドアの外からアミンさんの声がした。起きていたら聞こえるけど寝ていたら起こさないくらいの声量で「Aoi…Sarapan ya...(朝ごはんだよ…)」と告げ、足音が遠ざかっていった。わたしは「ya....」とふんわり返事を返した。このやりとりを5年前にもやっていたのを思い出して、すごく懐かしかった。ここで二度寝すると、アリが大集合してしまい朝ご飯がおしまいになる、というのを経験済みなので早々にドアを開けると、かなり良い朝の日差しのなか、ドアの前の柵の上にお盆が置いてあって、小さな再生紙の容器に入った弁当と、ガラスのコップに入ってプラスチックの蓋がのった、あったかいお茶があった。
昨晩、朝ごはんを用意するからね、と言ってくれたので、「(5年前当時いつも食べていた)Nasi kuningですか?」と目を輝かせて聞いたら、その店はなくなってしまったらしい。残念…。でもこの日の朝に食べたご飯も優しい味でおいしかった。甘めのテンペと煮卵と、Abon(肉を細かくしつつ乾燥させて、でんぶみたいにした甘辛いご飯のお供)と白ご飯のお弁当だった。
今日の昼間は5年前お世話になった2人の日本語の先生と会うことになっていて、それまで時間があったので、ちょっと二度寝したりギターを弾いたりして過ごした。
10時過ぎ、2人の日本語の先生がワイワイしているのが階下から聞こえたので、飛び出ていった。2人とも全然変わってなかった〜!今のところ、5年前に仲良くしていた人たちは全然変わりなくて、住む場所や仕事が変わっても、みんな元気で、それがシンプルにうれしい。R先生の夫の運転で車で来てくれていたので、それに乗り込んで、彼らの同僚の店へ行ってMie Ayamを食べた。わたしはかつてAmbarawaでこれを食べて生きていた、という思い出の味だったので、あえてジョグジャでは食べずにいたのだった。懐かしい甘い味がした。Mie Ayamは甘辛く煮た鶏肉が載った味の濃いラーメンで、なかなかにジャンクフードなのだけど、日本のラーメンよりも量がやや少ないのでスッと食べられてしまう。
食べ終わってすぐ解散というのもなんだか早すぎるし、どっか行こうか、といって、その場で相談して湖に行くことになった。Rawa peningという、わりと大きくて、このあたりの村ならどこからでも見下ろせる湖だ。このあたりは北から南へ、町→湖→山という地形なので、町の坂道からの眺めがとてもいい。初めてここに来た日、先生のバイクの後ろに載せてもらって降った坂道も健在で、車がそこを通った時、すぐわかった。エモいな〜!と思って「あの日の感じ、覚えてます!」と言ってみたけど、当の先生にはあんまりエモさが伝わっていなくてちょっとおもしろかった。
湖のほとりはちょっとした公園になっていた。入場料を払って入った。人がほとんどおらず、がらんとしている。たいして見るものがないけど、龍の形をした建物があったので一周した。地元の子供達が傘に絵を描いたものっぽいのと、ここの来歴が展示されていた。この公園で、今回、セミの声を初めて聴いた!ジョグジャには多分あんまりおらず、山のほうへ行くといるっぽい。
湖の上にはいくつか小屋が建っていたり、笠を頭にかぶった人が船に乗って釣りをしていたりして、けっこう「ザ・東南アジアの湖」という風景で、よかった。船に乗れるというので、みんなでライフジャケットを着て、船代をワリカンして乗り込んだ。
ホテイアオイというらしいんですが(インスタグラムのストーリーズに虫や植物をおもしろがってアップすると名前を教えてくれる人たちが一定数いて楽しい、ありがとう)ものすごくボリュームのある草とかわいい花が水面に広がっていて、てっきり船はそれを避けて通ると思っていたら、正面から突っ込んで行ったので全員びっくりして声を上げた。船尾のエンジンの勢いだけで草を押し退けて進む、というあまりにもワイルドな運転。 途中、さすがにこれは無理だろうという量のホテイアオイに突っ込んで、船がうごかなくなっちゃった時、向こうから同様に突っ切って来ていた船の、先頭に立ってホテイアオイを棒で押し退けていたおじさんたちが、私たちの船とすれ違いざまに2人、船首に乗り移ってきて、目の前で全体重を込めてホテイアオイを退け続けていったのがラストクライマックスだった。向こうの船の乗客も、こちらの船の先生たちも、今にも船がひっくり返って溺れるんじゃないかという恐怖でいっぱいなのがリアクションからわかって、めっちゃおもしろかった。(個人的には恐怖よりもおもしろさが勝っていた)
身体的な負荷をかけたりそれを見せたりすることでパフォーマンスをよりエキサイティングにする、という手法を日本も含めて色々な祭りで見るけど、これもそういう感じがした。身体的な負荷がつくる感動は万国共通…。棒で退けたら盛り上がっておもしろいんじゃないか?って誰かが提案したのかな
船の恐怖でみんな疲れたようで、陸に戻って少し写真を撮って遊んだら全員「もういいかな…」という雰囲気になっていたので、ゲストハウスに帰った。先生たちの帰る方向と、わたしがこの後行きたい方向が同じだったので、車にわたしも乗せてもらって途中まで一緒に行くことになった。助かる〜!昨日から移動づくしで寝不足で、正直ヘトヘトだったので、部屋で休んでから行きたいくらいだったけど、車で送ってもらえるなら行けるっ!と、気合をいれてさっさと荷物をまとめて出発した。今日の夕方に、ソロでも会ったカルトゥンさん(5年前にお世話になったミュージシャンのおっちゃん)と合流して、山に行く約束になっている。
待ち合わせはUngaranのバス停のコンビニの前だったのだけど、連絡に失敗(わたしの連絡が遅れた)して、そこで長く待つことになってしまった。先生たちは心配してくれて、しばらく一緒に待っていたけど、途中で「気をつけてね」と言い残して帰っていった。わたしのせいでカルトゥンさんが「遅れてくるような人」だと思われるのも気まずかったので、帰ってくれてほっとした。アイスを食べて待った。
1日ぶりの再会。カルトゥンさんの運転で1時間弱バイクに乗せてもらい、目的地に着いた。めっちゃめちゃ山の上だった。5年前にも少し訪れたことがある村の、更に少し奥にカルトゥンさんの友人の笛職人・タフタ氏がアトリエ兼自宅を構えているというので、そこへ向かう。
道中、坂のアップダウンがすさまじくて、一瞬でも油断したらバイクから転げ落ちて死ぬ…と緊張していたので疲れたし、ギターを背負っているとバイクの後ろにうまく座れなくて、腰と背中がしんどかった。が、そんなの全部ふっとぶくらい、タフタ氏の小屋からの景色は素晴らしかった!
ほぼ山肌といっていい、急な傾斜の土地に段が作ってあって、そこに小さな小屋が建っていた。そこからは、谷と川と、山々と町と、そして夕日が遠くに臨めた。
小屋は木でできていて日本ぽいデザインの平家だけれど、急な坂になっている地形を生かして床の下は1階というか、天井の高いガレージみたいになっていて、そこに台所と、制作のためのスペース(といっても笛を作るのにそんなに大きな機材は必要ないので、ゴザみたいなものが敷かれていて、壁沿いにこじんまりと刃物などの細かい道具が寄せてあるのみ)がある。
後で聞いたら、タフタは禅とか日本の建築が好きでめっちゃインスパイアされているとのことだった。(「顔つきが日本人ぽいってよく言われるんだけどどう思う?」に「え?そう?ぜんぜんジャワっぽいよ」と返してしまって今更なんかゴメン…)そう、彼はこの家を自分でデザインして仲間と一緒に建てて、住み始めて半年くらいらしい。大学は建築科を出たけど、そこではコンクリートの家しかやってなくて、大学で勉強したことが活きているっていうよりも、この家を建てるにあたって独学で試しながら進めた感じ、と言っていた。え?家って自分でそんな風に建てるものだったか…?
小屋はとてもいい感じでしっかりしていたけど、日本人の感覚で言うとほぼ外だった。風や雨が強い時はけっこう困るだろうなというくらい、窓はガラスを張らずに開いているし、玄関や居間の引き戸は細い木が格子状に組まれているのみ、つまり障子紙を貼っていない目の細かい障子みたいな仕様だった。雨風を防ぐために窓辺にかかるのは、薄い麻の布やゴザのようなものだけ。家財もものすごく少ない。というか、ない。当たり前のようにベッドもテレビもソファも冷蔵庫もないし椅子もテーブルもない。鏡すらなかった。壁に造り付けの小さな棚にドライフラワーみたいなものが吊ってあったり、床の間みたいなスペース(ここが床下収納みたいになっていて服や機材がしまえる、と後日判明)には彼の作った笛や古い木の根がオブジェとして飾られているくらいだ。そんな感じなので、わたしは、まさかここでタフタが普通にがっつり日常生活をしているとは始めは思っていなかった。てっきり拠点が他にあって、仕事場とか別荘みたいなものかと…。(でも、しばらく居てみたらわかったけど、家財マジで必要なく、この小屋はとても快適だった。)
わたしたちは、谷や山が直接臨める、がけっぷちの縁側みたいなスペースで、すばらしい夕日が夜空になっていくのをのんびり眺めた。いろんな虫がめちゃめちゃ鳴いているのが常にうるさくて、音をシャワーみたいに浴び続けるのが気持ちよかった。
日が暮れてから、ご飯食べにいくぞ〜という感じで家を後にする。カルトゥンさんもタフタも、頭にヘッドライトをつけている。わたしはスマホのライトで足元を照らして歩いた。「散歩(jalan-jalan)」と「徒歩で(jalan kaki)」を聞き間違えていたみたいで、わたしは「ハハァさては夜の肝試し散歩だ!?受けて立つぞ」と思って出発したが、全然そんなことではなくて、獣道みたいなところを草を掻き分けて3分くらい歩いたら村に出て、民家がいくつもあった。
目的の家の前にはグァバの木があって、タフタが腕をのばしていくつか捥いだ。背が高いと便利だ…。これをジュースにして飲もうといって家の裏手の勝手口へ回ると、そこには土間とdapur(キッチン)があった。家主と思われるおじさんとおばさんと、もう1人おじさんによく似た顔のどう見ても息子だろうという青年がいて、挨拶をした。初めは、この人たちはタフタの家族なのかなと思ったけど、彼だけ顔も雰囲気も全く似ていないのでモヤモヤしつつ、砂糖も氷も使わないでミキサーにかけただけのぬるいグァバジュース(が、おいしいんだよな〜)を飲み、たくさんおしゃべりをして、夕飯をご馳走になった。
食べ終わって戻ってきて、もう寝るっしょと思っていたらタフタがなぜか日本語で「ギターを弾いてください」と言ってくれた。のだけど、彼がわかる曲(久石譲とか)なんて急に弾けなくて、ごめんと思っていたら「じゃあYour best songを歌って」と言ってくれて、拙曲『においだけの海』を歌った。
カルトゥンさんからは「彼は笛職人」と紹介されたけど、それはつまり笛の奏者でもあるわけで、タフタは曲に合わせてアドリブで笛を吹いてくれた。そのままカルトゥンさん(※パーカッショニスト、小屋には彼が置いたと思われるちょっとした太鼓があった)も一緒になってわたしの曲をいくつか演奏したけど、なんとなくグダグダになって終わった。
少し前の私だったらここで「えっごめん私だけ盛り上がってた?楽しくなかったかな…」とか凹んでいた気がするが、この日はなぜか「まあこんなものだろう」という気持ちでいられて、心は無事だった。
トイレと水浴びができる小さい小屋が、母家から少し離れた(庭の階段を登って15秒くらい)場所にある。トイレは和式( jongkok(しゃがむ)と呼ぶ)だし、手桶で水を汲んで洗ったり流したりするスタイルで、風呂場も貯めた水を汲んで洗う様式(もちろんお湯なんか出ない)だけど、形がシンプルなぶん、むしろ清潔に感じた。普通に使いやすかったし、臭いとか汚いとかは一切なかった。
ドライヤーなんか当然ないので、髪は絶対に乾かないと判断して、この日は顔と体だけ洗って寝た。