インドネシア滞在日記⑦ 5/11〜5/12

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑦ 5/11〜5/12
 
5/11(土)
最悪な気分で眠ったのに朝4時に目が覚めてしまって(寝れていたのかもよくわかんない)、そういえば昨夜「明日の朝は6時に近所のお父ちゃんお母ちゃんの家へご飯を食べに行こう」みたいなこと言ってたな、いや〜さすがに無理…なので、タフタに「わたしはもう少し休みたいので朝ごはんはみんなで行ってきて…」とメッセージを送ってから二度寝した。
 
が、結局8時半くらいにみんなで出発した。わたしは昨夜のことがあったので正直ハラハラしていたが、道すがら、ルイージが「わあ〜っ!Aoiの髪、青いんだね!昨日は気がつかなかった〜、好きな色は何?」と(ここまで一気)聞いてくれた。気圧されつつ、まァ青っすねと答え、Aoiって名前の意味は青色のことなんだけど…、と話そうとしたらタフタが「海の色だよね」と言ってくれた。え、や、やばいメッチャうれしい、先週した話を覚えてくれている…。どうも、空じゃなくて海の碧です…
昨夜の悪口事件の真相は謎のままだったが、ルイージが普通にしているので、とりあえず気にしないことにした。今朝まで凄いバッドだったけど、天気もいいし、なんか大丈夫かも…
 
到着したらお父ちゃんが家の土間のあたりの天井の屋根瓦を外していた。すごい埃だ!!何してんの?!びっくりして聞くと、瓦を支える梁が古くなったので新しい木に交換するらしい。ここの屋根は瓦一枚で天井になっている。これ自分でメンテナンスするもんなんだ…と驚いた。すぐにアントとタフタが、お父ちゃんがハシゴの上から受け渡す瓦をきれいに床に並べるのを手伝いに入った。全員手際がいい。それがひとしきり行われて、蒸した芋やとうもろこしをつまみながら(これは朝ごはんではない…?)のんびりして、ようやく朝ごはんをたべた。
 
ルイージが、庭のグァバ(先週初めて来た時にも食べた)見たよ!あんなにたくさん成ってるのに!食べないの?!もったいないよ!食べよう!と大きな声で提案し、全部ジュースにすることになった。アントとルイージが2人がかりでほとんど全部収穫して、少しずつミキサーにかけて、ほどなくしてバケツいっぱいのグァバジュースが完成した。なかなか圧巻だった。おいしかった。
ルイージは「砂糖いれなくてもおいしいよ」「インドネシア人は砂糖を使いすぎだよ!」としきりに言っていたが、それに対してタフタとアントは「いや甘い方がおいしいじゃん」と相手にしない。こういう一連が、どうやらお決まりになっているらしい。
ルイージは(わりと強めの)自然愛好家で健康志向でビーガンなので、人工甘味料や過剰な砂糖を摂らないし、海や川は汚染されているしマイクロプラスチックなどが入っているという理由で魚を、劣悪な環境下で育てられていてかわいそうだしCO2が以下略などの理由で動物の肉や卵を食べない。わたしが(わかっていてちょっと意地悪で)「鯨はおいしいよ」と言ったら、めちゃくちゃ悲しい顔をされてちょっと申し訳なかったが、彼は周囲にそれを押しつけようとはしないし、周りの人たちは全然真面目に聞いていないので、バランスが取れていると思う。
 
昨日たくさん蚊に刺されたところが全て水ぶくれになっていた。腕も、背中に近い脇腹も大きく腫れて汁が出ていて気持ち悪いし痛いぐらい痒い。他の人がいない時にTシャツをまくってお母ちゃんに見せて「何か薬ないですか?」と聞いてみたけど、痒み止めしかないという。痒み止めならわたしも持っているけど、それじゃ気休めにしかならないので、う〜んどうしようかなと思っているところに、ルイージが戻って来て、わたしの腕を見て「これは細菌が原因だと思うから、抗生物質を飲んだ方がいい」「僕は毎日これを飲んでるよ」といって、イタリアの薬をくれた。(後で判明するけどこの見立てはたぶん合っていて、適切な処置だった。ありがとう)でも、抗生物質って毎日飲んでいいやつじゃなくない?この薬学生の「自然派」のバランスわかんねえな〜、と内心ちょっとおもしろかったけど、ありがたく受け取った。薬の名前をググろうとしたけど電波が弱くてダメだったので「まあいっか」と開き直って飲んだ。
 
朝ごはんのような昼ごはんのような感じで食べたり飲んだりしながら、ぐだぐだ過ごした。ルイージはお父ちゃんお母ちゃんとマシンガントークしていたが、速すぎて私は会話に入れず、タフタはいつのまにか奥の部屋にひっこんで寝てしまったしアントはなんかいないしで、つまんなくなったので外に出た。
家の前には大きなアレンの木があって、風になびく巨大な葉っぱが音を鳴らしていて、かっこよかった。大好きな眺めだ。この村は、風の質がとんでもなく良い。家の裏に行くと、お茶の葉っぱが燻されていた。釜戸で炭が燃えていて、30センチ×60センチくらいの大きな箱が二つ、そこに大量のお茶っぱが入って、静かにうっすら煙をあげていた。この村に来るといつも飲んでいるとてもスモーキーなお茶があるのだけど、それはこうして作られていたんだ!と製造過程を見れたのが嬉しかった。だいぶグッと来たので写真を撮ったりしてしばらく眺めていたらお父ちゃんがやってきて、「こうやるんだ!」と両手でガサガサ混ぜる工程を見せてくれた。
 
今日は、夜にカルトゥンさんと一緒に街のスタジオに行くことになっていて、それまで時間がある。暇だし、なんかもう寝てしまいたいけど、奥の部屋ではすでにタフタが寝ていて、その横に寝に行くのは変なので、どうしたもんかなと思っていたらお母ちゃんが別の部屋の自分のベッド(床に敷いたマットレス)で寝ていいよ〜と言ってくれた。40分くらい横にならせてもらった。そんなふうに昼過ぎまでいて、優しい甘さの焼きそばをいただいてからやっとお暇した。
 
14時くらいに家に戻って来た。近所のキッズがルイージについて来て、2人で2階で寝ていた。みんなは下の階でおしゃべりをしていて、わたしはなんとなく所在なく、庭でギターを弾くことにした。ここの庭には、ちょっとした広場がある。その中心には大きな岩があって、広場を囲む二辺は壁みたいな角度の斜面で、その一辺にちょっと石段が作ってある。斜面の上が家の2階やトイレなどがある階で、下がキッチンと広場の階だ。(説明が難しい)いよいよ明日に迫ったホームパーティーではこの小さい広場と岩をステージにする予定である。お客さんは2階の高さや斜面の途中の石段に座って、岩のステージを見下ろす、という想定だ。
石段に座り、歌とギターを練習した。ってか明日が本番なんだ。ここで歌ったら、キッチンや家の2階にいるみんなに聞こえないはずがないので、初めはなんだかソワソワしたが、そっちを見ないようにして歌い続けていたら、だんだんどうでもよくなってきて、でもって、歌っていたらなんだか昨夜のムシャクシャも思い出してきて、ちょっとヤケクソ状態になり、小一時間ほど自分の歌や人の歌などを次々歌い続けてしまった。
 
お騒がせしてごめん、と思いながらキッチン(居間?)に戻ると、みんなお茶を飲んでいて、ルイージが勢いよく褒めてくれた。いや2階で寝てたらすっごい綺麗な声が聞こえて来てさ!天使かと思ったんだけど!Aoiは歌手だったんだね?‼︎ さっきのはAoiの曲なの?動画撮っちゃったんだけどインスタにアップしていい?‼︎(ここまで一気)やっぱり圧がすごい。でも今ならやっと自分がここに来ている経緯を説明できると思って、拙い英語でゆっくり話した。わたしは歌をやってて、カルトゥンさんがここに連れて来てくれて…。ルイージはカルトゥンさんがミュージシャンだということも今知ったようで驚いていた。
タフタが「一緒に歌おう」と言ってくれて、改めて居間で、今度はみんなの輪のなかで歌った。夕日で空がオレンジ色になっているのを眺めながら声を重ねてゆったり歌っていると、昨日、ルイージとあんまり仲良くなれなくて、しまいにはあんな言葉まで聞いてすっかり硬くなっていた心が、じんわり解れていくみたいで気持ちよかった。
 
無事に、ルイージのAoiの評価はだいぶ良い方に塗り替えられたようで、相変わらず圧はすごいけど「なんか当たりがキツいな」という感じがなくなった。よかった…。わたしが気にしなくなっただけかもしれないし、実際のところはわからないけど、でも、ほんっっっとうにわたしはこういうことに助けられてきた。というか、歌で人との距離が縮んだ経験がありすぎて、もう歌なしだと、下手すると「アホな女」になってしまうんだと今回よーくわかった。初めて会う人にはなるべく早い段階で歌を披露したほうがいいのかもしれない(それはそれでアホな女か…?)
 
そんなこんなで夕方になり、日が沈んだ頃にカルトゥンさんが来てくれて、市内のスタジオへ出発した。今日も、先週と同じくベーシストのジョハンとカルトゥンさんと、あと明日の演奏会に巻き込むことになった(カルトゥンさんが誘った)ヴァイオリニストのマルノが来る。(事前に音源を送って聞いておいてもらった…ありがとう)あと、明日の記録撮影をする映像屋が来るとのこと。
明日の演奏会に出演する人としない人がいる(明日出演するけど来てない人(=タフタ)もいる)、というちょっと謎のメンバーだったので、曲を練習したいけど、ジョハン明日いないのにごめん、と最初思った。が、彼はめっちゃ演奏力があるのですぐ馴染んでくれて、2時間あっという間だった。
スタジオのスタッフが先週と同じ人で、めちゃくちゃ日本語が上手だったのでちょっと仲良くなった。彼は「自分の曲に日本語の歌詞をつけたんだけど、この部分の表現に違和感がないかどうか聞きたい」と、めちゃくちゃしっかり完成させてある歌詞を手描きした紙を見せてくれた。まず平仮名とカタカナに加えて漢字が書けているのがすごすぎてちょっとクラクラした。ここまでできる人に初めて会った。2ヶ月くらいかかったという。該当箇所は、まあ確かにちょっと不思議な表現(「夜空見ながら両手を合わせて最善を祈る」)だったけど、歌詞だからOKじゃない?参考にならなくてごめん、いや〜、すごかったな…(アニメが好きで一時期日本にいたらしい)
 
スタジオを出る頃に、映像屋のアルゴも合流した。この人が、どう〜しても「東京のアート界隈で会ったことある人」っぽすぎて、わたしは最初からなんか馴れ馴れしかったと思う、すみません。初めて会った気がしなくて……。明日のイベントに関わるメンバーは今日の夜から山に泊まるので、このあとみんな山に帰る。
先週と同様に、同じワルンで食事した。ここはワルン(食堂)と屋台のあいだくらいの感じの店で、買った串焼きを炭火で焼きなおして出してくれる。美味い。今日も繁盛している。そして、本当にラッキーなのだけど、ちょうど良くこのワルンの向かいに薬局があって、食事の後に寄ることができた。カルトゥンさんが一緒に来てくれて超ありがたかった。ちゃんと薬剤師っぽい人がいて、わたしのグジュグジュの腕を見て「これにはこの薬ですね」という感じで、飲み薬・塗り薬・肌に塗る粉薬を出してくれた。まっっっじで助かった。おそらくヘルペスとかとびひの類なので、なるべく清潔に保ち、飲み薬をちゃんと飲むのが取り急ぎやれる対処だった。さすがに疲れがでて、免疫力が下がっているとみえる。頼りにしていたビタミンCのサプリメントもない。あの温泉に入ったのはマズかったかもしれない。でも発熱とかじゃなくて皮膚で済んでいてラッキーだ。
 
カルトゥンさんはガールフレンドのニサを迎えに行ったので、わたしはマルノのバイクに乗せてもらって山の家まで帰った。マルノは「気のいいニイちゃん」という感じで、すごく話しやすくて助かった。わたしは眠かったので(※バイクの後ろに乗ったまま居眠りをすると転げ落ちて死ぬ)すごくどうでもいい話をずっとしながら山まで帰った。確か「インドネシアはメロンが安い、なんで?」みたいなことをずっと言っていた(やっぱりアホ女かもしれない…)。
山の家はこれまでで一番人が多い雑魚寝だった。たぶん8人。大学生の時にしていたシェアハウスでパーティーをやった日の感じを思い出した。寝る前、アルゴが咳が止まらないみたいだったので心配になってプロポリスキャンディーを2つあげた。
 
 
 
5/12(日)
ホームパーティー(コンサート)本番の日。
今日の朝ごはんはアルゴが担当したナシゴレンだった。ルイージとは既に面識があるようで「味付けにMasako(インドネシアで最も有名な粉末の便利な調味料、味の素が作っている。ルイージはこれを食べるのをなるべく避けている)使ったよww」と言って意地悪な感じに笑っていた。仲が良い。今日のナシゴレンにもSintrongの葉っぱが入っていて嬉し・おいしかった。
朝ごはんの後ひとしきりのんびりしてから、大掃除と模様替えが始まった。コンロを載せて使っている棚の位置を少しずらしたり、笛作りの道具をどけたりするだけでたいぶ広くなった。火を起こす時に使っている木屑の入った大きな白い袋を4つ並べて、その上に長い板を置いてベンチを新設した。
わたしの日本の友人がインスタごしにオーダーしていた笛が完成したので、タフタに友人の名前の漢字を解説することになった。わたしのものと同様、笛に彼女の名前を彫ってもらうのだ。わたしが漢字の書き順を書いた紙を作って渡したら、ルイージがそれを覗き込んで、中国語読みを教えてくれた(留学していたらしく中国語もできる!)。一文字ずつの意味も説明しよう。山本の「山」は「Mountain」、山本の「本」は…「Base !」と、ここで同時に声を出したわたしとルイージがハモって、笑いが起きた。嬉しかった。なーんだ、わたしたち大丈夫そう〜!
 
草むしりや掃き掃除もして、だいたい良い具合になった。ポテチ(※先日、この日のためにと言って村のおばちゃんの手作り店で買ったTalasのチップスを、結局パーティーが始まる前に我々はほとんど食べきっている)を食べながらお茶を飲んで休憩し、お昼はあそこのワルンにSotoを食べに行こう、という話を1階でしていたら、2階にいたアルゴが降りて来て「昼あそこのワルン行こうよ」と良い提案がある!みたいな感じで言うので「いま同じこと話してたよ」と言って笑っていたら、タフタがさっき言ってたんだよ、な〜んだ、とまたみんな笑っていて、もうなんで笑ってるのかよくわからないんだけど、そういうシーンがいちいち楽しかった。
 
すぐ行くわけじゃなさそうだったので、わたしは2階の掃き掃除もした。実はほぼ毎日やっています。松の葉とかネズミのフンとか死んだ虫とかがちょいちょい落ちてくるので、毎日掃除しないとけっこうすぐ無理な感じになりそう、というのがしばらくいて分かってきていた。
12時半ぐらいに出発。バイクが微妙に足りないので、アントとルイージが徒歩、わたしとタフタとアルゴがバイクで行った。ワルンは一年前に新しくできたばかりだそうで、とても綺麗だった。屋外に竹を編んで造られた屋根のある高床の座敷席からは、青々とした田んぼが一望できた。歩いて来た二人もほどなくして合流し、サクッと食事を済ませた。もう少しのんびりするメンバーもいたけど、タフタが買い出しに行くと言ってひとり先に立ち上がった。サンダルを履きながら、誰か一緒にくる?と尋ねるが、誰も志願しないので、じゃあわたし行こうかな…と思っていたら「Aoi, Mau ikut?」と名指しで声をかけられたので「Mau !」と即答した。なんかちょいちょい子供とお父さんみたいなんだ…
 
カチャンヒジャウ(緑豆。そのおしるこ)を作るらしい。緑豆を手に入れたいので、村中の色々な小さいワルン(売店)を次々に訪れて有無を訪ねるも、売り切れていたり扱っていなかったりして、結局見つからなかった。途中、接着剤(笛用)を買ったり、お母ちゃんちでGula Aren(砂糖、これもおしるこに使う)を分けてもらったり、家のすぐ外に生えているPandanを引っこ抜いたり(黒いナメクジがいたのではたき落とした)した。わたしは手に入れたものを持つ係で、たぶん不要な人員なんだけど、なんか余計な奴として一緒にいるのが可笑しくて、子供みたいな気分だった。片手にPandanの葉っぱをひと束、片手に重たい砂糖などが入ったビニール袋を持って得意げにバイクの後ろに乗っているの、ちょっと可笑しかったと思う。
 
緑豆は見つからなかったけど、とりあえず手に入れたものを置きに家へ戻ると、カルトゥンさん達が支度を始めていた。Lonton sayur padanを作るらしい。スマトラ島のパダンという地域の料理だ。パダン料理は「おいしい」のと「料理を載せた皿を積み上げて提供する(ググってみて)」ので有名で、ジャワの町中にもたくさん店がある。わたしは実は以前ジョグジャで食べたLonton Sayurがなんとなく偽物っぽい雰囲気だな…と思っていたので、今日ついにリアル・ロントンサユールが食べられそうで嬉しい。(調理場に立っているニサさんはパダン出身)
手分けして買い出しに行っていた人たちが戻ってくるたびに食べ物が集まる。アルゴが揚げ物を持って戻って来て、手伝いするのかなと思っていたら普通にのんびり食べ始めたので、わたしも堂々と一緒に食べた。ちょっと時間がたってムニャムニャになったGorengan(天ぷら)を青唐辛子を齧りながら食べるの、ほんと美味しい、大好き、太る
ニコンサートで演奏する曲の、順番はもう決めていたけど、あいだに歌詞の意味をざっくり紹介したかったので、揚げ物片手にそのMCの台本を作った。翻訳ソフトでバーッとたたき台を作ってから、カルトゥンさんに見てもらった。昨日くらいに思いついて「やったほうがいいけど面倒だな…」とウダウダしていたが、やってみたら10分くらいで終わった。ありがとう…
 
16時から本番ね、と言っていたけど、サウンドチェックとリハ(記録映像のためにいくつかマイクを立ててくれたのと、ギターだけアンプにつないだ)のつもりで曲をゆるく演奏しだした頃には、手伝いで来てくれているのかお客さんなのか、もうすでにけっこう人がいて、曲が終われば拍手もしてくれるしスマホでめっちゃ動画撮ってくれるので、何が何だかという感じだった。だいぶネタバレしているけど一回ちゃんと仕切り直そうと、わたしは化粧を直してから本番に向かうことにした。
家の2階で化粧を直しているあいだ、音響スタッフとして来てくれていたお兄さんがわたしのギターを弾いて、それで自分以外の全員でセッションが始まっていて、しっかり盛り上がっていた。あれぶった切って登場するの緊張するなあとか思っていたけど、これはホームパーティーだ。友達と、せいぜい近所の人たちしかいない。わたしのカンペ読み上げインドネシア語MCも究極にたどたどしかったと思うけど、カルトゥンさんがほどよく茶々をいれてくれたりもして、ライブは終始なごやかに進んだ。
 
聞きに来てくれた人たちから前向きな気持ちとか好奇心が伝わってくるみたいで、歌いながらそっちを見渡すと胸がギュッとなった。村のお父ちゃんお母ちゃんとか、先週ここで会った村の人とか、その友達とか、アントのバイクが壊れているので運転手を担わされていた友達とか、先週スタジオで会ってご飯の時に治安悪い話をした、バンドのボーカルやってるいかついお兄さんとか、全然知らない人もいたけど、みんな客席にそろって熱心にこちらを向いてくれていて、この村に滞在した短い期間の最終回みたいだった。(来週もあります!)
 
最後にタフタとのデュオで『The invisible sea』を演奏し始める頃にはもうだいぶ日が暮れて暗くなってしまったので、前の方に座っていた何人かの仲間、アントやルイージや友人たちが、スマホのライトで我々を照らしてくれた。ちょっと泣きたくなるくらい美しい時間だった。良い月も出ていた。
演奏した広場と石段には草がたくさん生えているし、基本的に土だし、音は吸われちゃって響かないだろうと想像していたけど、演奏してみると思いのほか良いリバーブがあった。音がまろやかになる感じがして心地よかった。本当に奇跡みたいな場所だ。いや、この庭と家を設計して作ったのは、かのタフタ氏であり、どれくらいまでが狙って作ったものなのか分からないけど、いやあ、ほんとうにすごい…。
 
演奏が終わったら、皆で準備した料理を食べるパーティーになった。Lonton Sayur は、ロントンにカレーみたいなスープをかけて食べる料理だ。ロントンというのは米を蒸してバナナの葉で包んで蒸した筒状の、粗挽きの餅みたいなものなのだけど、この日はこれの現代簡易版ーーバナナの葉ではなくプラスチックの袋を使ったもの(プラスチックの袋なので、葉っぱのいい香りもつかないし本物よりもベチョベチョしている)ーーを食べていて、みんな「Lonton Plastic 笑」といって何度もおもしろがっていた。そんな感じなんだ。
そういえば、タフタと探し回った緑豆はあの後なんとか見つかった模様で、とてもおいしいカチャンヒジャウ(のおしるこ)になっていた。Pandanの葉っぱの香りと、Gula ArenとJahe(生姜)の甘酸っぱい爽やかさとココナッツミルクのまろやかさ、そして小粒の豆の小気味良い食感、全部バッチリ調和していて本当に美味しかった。あまりに美味いのでおかわりを狙ってしばらく鍋のそばにいた。レシピを聞いたら、↑に加えて塩もちょっと入れると言っていて、日本のおしること同じだった。作りたいなあ
 
みんなお酒を飲まない(多くがムスリムだしバイクで来ている)ので、誰もぐちゃぐちゃにならずにちゃんと帰って行くのが、とても良かった。でも、お酒もないのに宴会はゆうに2時間は続いた。衣装不足だったのでわたしはバティック(インドネシアの伝統的な臈纈染めの木綿の布、ジョグジャで買った安いのを、寝る時に掛け布団シーツとして使っていた)を腰に巻いてスカートみたいにしていたのだけど、巻き方が自己流すぎて変じゃないか不安でさ、といったら先週も会った村のニイちゃんが伝統的な巻き方を教えてくれた。延長コードで電灯を増やしたりしていたのだけど、それに誰かが毎回引っかかりそうになってオウオウ気をつけて、みたいな場面とか、なんだかよく覚えている。そしてだんだん人が減り始めた頃、誰かが火を起こしてくれた。
スマホをいじっている人、おしゃべりしている人、黙ってぼんやり火を見ている人、皆思い思いに過ごしながら、なんとなくまだここにいたいので、いる、という感じが、すごく幸せだった。お腹いっぱいだし、気温も心地よい。ついさっき素晴らしい景色のなかで歌ったことはもうすでに夢のように遠くに感じた。
 
22時半にはもう寝る体制だった。わたしは2時半くらいに目が覚めたりした。
夢の中の言語がインドネシア語だった、ってメモしてあるけど、どんな内容だったか忘れてしまった。