インドネシア滞在日記⑤ 5/6〜5/8

ーーー2024年・春 インドネシア滞在日記⑤ 5/6〜5/8

5/6(月)
9時くらいに目が覚めた。イヤホンを失くしていて不便なので、今日は、まず心当たりのあるカフェに行ってみる。イヤホンがあったらそこで朝ごはん、なければイヤホンを買いに行って、その近くで食べよう、と何も食べずに家を出た。
カフェの人は親切に対応してくれたけど、イヤホンはなかった。そりゃな…。出国直前に買ったばかりだったし、良いイヤホンだったし、それを入れていたポーチも気に入っていたので、けっこう凹んだ。ひとまずショッピングモールへ向かう。すでに日は高く、よく晴れていて日差しがとても熱い。(バイクタクシーの人が貸してくれるヘルメットは大抵あまり清潔ではなく、ひょっとしてこれのせいで普段できない耳たぶの上部や頭皮にニキビができたりしているんじゃないか?と思って、この頃から、帽子や頭に手拭いを載せた上からヘルメットを被るようになった。おそらく正解で、これ以降は耳たぶも頭皮も無事…)

滞在場所からバイクタクシーで15分くらいのところにマリオボロというお土産屋がひしめく賑やかな通りがあり、そこに大きなショッピングモールがある。店内はめちゃくちゃ冷房が効いていて、ごちゃごちゃギラギラしていて大音量でポップスがかかっていて、昨日まで過ごした山とギャップがありすぎてチカチカクラクラした。
モールの吹き抜けのエスカレーターのあたりで「さてイヤホンはどこで買えるかな…先に腹ごしらえかな…」とふわ〜っとあたりを見渡していたら、若いお兄さんに声をかけられ、立ち話になった。友達がサッカー選手で、日本のチームにいるらしい。へー。会話の流れで「芸術に興味があるならこの近くでバティックと絵画の展示をやっているから見に行きなよ、案内するよ」と言われ、いやそれよりお腹すいてるんですけど、と思いながら徒歩三分くらいのところにあるギャラリーにしぶしぶ連れて行かれた。

ギャラリーには作家のおっちゃんがいて、少し立ち話をした。が、まだ朝から何も食べておらず、空腹のせいで全く会話にも展示にも集中できないので、話を遮って「ごめんかなりお腹空いてて」と言ったら近くの路上にあるローカル屋台ご飯屋さんを案内された。そこでNasi Rames(出来ているものから好きなおかずをいくつか選んでご飯と一緒に食べる、定番の料理のひとつ)を食べた。今日ぐらいはモールでイタリアンとかハンバーガーとかそういうものを食べるのも悪くないな、と思っていたのに、結局ローカルフードを食べていて「インドネシアが大好きな人」みたいで可笑しかった。まあいいや。こういう屋台にしてはやや値段が高かったけど、おいしかった。
さっきギャラリーでわたしがした中途半端な自己紹介が、ご飯屋さんの周辺にいた人たちに微妙に変形しつつ一瞬にして広まっていて、「歌手なの?」「あの人、Dandut(ジャワの演歌みたいなもの)の歌手らしいよ」と背中越しに聞きながらご飯を食べた。食べ終わって会計をする時に店のお姉さんに「Dandut歌うの?」と聞かれたので「いや違くて、笑」とまごついていたら、近くにいたおっちゃんが「Kokoro no tomo!(「心の友」という五輪真弓の歌が、なぜかインドネシアでは最も有名な日本の歌として幅広い世代に認知されている)」と叫んだので、間髪を容れずに「愛はいつもララバ〜イ」とサビのワンフレーズをけっこうな声量でしっかり歌ったらその場の全員が「イエ〜イ」ってノリになって楽しかった。我ながら、そのとっさの陽気な対応が「滞在3週間目」という感じで可笑しかった。とはいえ長居は無用なので、その笑いを別れのきっかけのようにして、さっさとモールに戻った。

いわゆるオーディオ屋とか電気屋は見当たらず、スマホ屋にイヤホンがあった。ここで一番クオリティの高いイヤホンはどれですか?と聞いたらソニーの2,000円くらいのを出してくれた。箱を開けて試聴させてくれて、さして良くもないが他に選択肢もないのでそれにした。いくつか細かい買い物をした後、PCでやりたいことがあったので、カフェに入ってWi-Fiを借り、アイスカフェオレで2時間くらい粘った。

日が傾きつつあるのが窓から見え、帰り道の方角へ少し歩いて適当なところでご飯を食べてそこからバイクタクシーで帰ろう、とモールを出た。冷房で冷えた体に、暑い外気が心地よかった。この辺りは特に外国人(わたしもだが)が多いし、国内からの観光客っぽい人たちもたくさんいた。昼間より夕方の今の方が過ごしやすいからか、人が多かった。
そういえば、Nasi Gudeg(ジョグジャカルタの名物、ジャックフルーツを甘く煮たものと一緒にご飯を食べる)を、着いてすぐに一度アディット(5年来の友人)と食べたきりだな、と思い出した。ジョグジャにいるうちにもう一度くらい食べておきたいかも。Googleマップで検索をかけると、Nasi Gudegの店が集まっているエリアがあるとわかったので、そのあたりへ向かった。
馬車が通ったり、路上でライブをやっている人がいたり、道でセルフィーを撮っている人たちがいたり、お土産屋の人に声をかけられたりしながら、夕方の賑やかな街をひとりでスタスタと歩いていると、ああ、1人だなあ、という感じがした。1人で、自分の足で、誰も私を知らない街を自分の好きなように歩いている。こういうのは思えば久しぶりで、清々しい心地だった。山にいた数日間は「誰かに連れられて」じゃないと、どこへも行けなかった。友人たちがかなり連れ回してくれたから、そんなことは考えもしなかったし不満があったわけでは全くないけど、自分で決めたペースとルートで好きに動ける、というのはやっぱり気持ちがいい。

夕飯。Nasi Gudegの店の人から英語のメニューを渡されたが、それだと一周回ってよくわからないので(見栄とかではなく本当に)、現地語のメニューをくださいと頼んでインドネシア語でオーダーしたら、Bahasa(=言語、ここではインドネシア語の意)ができるのね!とちょっと喜んでくれた。ここも、昼の屋台と同様おそらく観光客向けに、やや高めの値段設定という印象だったが、Nasi Gudegはやっぱりおいしい。好きです。



5/7(火)
ビザの更新をしなくちゃいけない。インドネシアは通常の観光ビザで滞在できるのはMAX30日までで、お金を払って延長の申請をすると、さらに30日いることができる。今回は50日くらい滞在する予定で飛行機をとっているので、ここできっちりやっておかないと面倒なことになる。
ジョグジャカルタから車で約1時間ほどのところにボロブドゥールという世界遺産に登録されている大きな遺跡がある。その公園の入り口のチケット売り場のすぐ近くに「観光ビザをサクッと1時間くらいで延長手続きできるカウンターがある(去年くらいからそういう制度が始まったらしい)」という情報を得ていたので、今日はここへ行く。
 
ボロブドゥールの近くには、8年前くらいに初めてインドネシアを訪れた時からの、年上の友人・マミさんが住んでいる。その場所は、めちゃザックリ言ってしまうと自宅兼スタジオで、長年多くの芸術家が出入りし、バティック・絵画・踊り・音楽・映像など様々な実践が行われてきた素晴らしい場であり、彼女たち家族の生活拠点でもあり、最近はカフェを営業している。今回、来てすぐ、しばらく熱を出していた時に連絡をとりあって、今日から2泊3日、空いている部屋に滞在させていただくことになった。加えてビザの更新も助けてもらう。本当に本当にありがとうございます………
 
朝。まずジョグジャからボロブドゥールに行くルートで一苦労した。ネットの情報でこの辺にあるはずと思っていたバス停が見つけられなかったので人に聞いて、バイクタクシーで正しい場所へ行ってもやっぱりないと言われ、さらに移動し、3ヶ所目でようやく目的の乗り合いバスに乗れた。10人くらい乗れる車に4人の客だったので過ごしやすかったけれど、かなりクーラーが寒く、何も食べていなくて腹ペコだった(バス停のそばに屋台とかあるっしょと思っていた)し、とんでもなく揺れるしで、かなり酔った。吐き気はないけど頭がぐらぐらしたので、バスを降りてからも15分くらいポカリスエットを片手にボーッとベンチに座っていた。(どこへ行くの、と絡んでくるタクシーか何かのおじさんたち(全てのバス停に必ず現れるのでもうNPCみたいに見える…)がこの時ばかりは本当にしんどくて、1人にしてくれ、と合っているかわからないインドネシア語で強めに言い放ったらちゃんと伝わってしまってなんかつらかった…)そんな体調だったので、マミさんちに着いてから、1時間くらい寝させてもらった。
 
1時間ほど寝て起きたらだいぶ回復した。さっそく、マミさんに車を出してもらってビザの手続きに行った。が、受付に人がいない。「この時間に戻ります」という旨の書き置きがあったのでランチ休憩なのかな〜と、おしゃべりしながらのんびり15分くらい待った。しかし時間を過ぎても誰もこないので、近くのスタッフに尋ねると「ここの担当者は今日は休んでいる。待っていても来ないと思うから電話かけてみて」とのことで、担当者の電話番号をくれた。どういうこと?代わりの人を配置したりしないんだ??
マミさんに電話をかけてもらい「明日の朝8時半に別のオフィスに来てください(ごめんねってことで、本来は今日できたはずの手続きを別のオフィスで承って)1時間くらいで終わるようにします」という返事をもらった。わたし1人じゃ絶対に電話でここまで辿り着けないので、本当にありがとうございます…なのだが、マジでどういうことなんだ!公的機関そんなんでええんか!ともかく、明後日は祝日で、わたしのビザが切れるのは来週なので、なんとしても絶対に明日うまくいってほしい。
 
心が落ち着かないけど今日やれることはもうないので、ボロブドゥールを後にする。マミさんが車で眺めのいいカフェに連れて行ってくれた。朝から何も食べていないのにもう午後16時とかなので、わたしはかなり腹ペコだった。眺めのいいカフェはマジで最高に眺めが良かった。ほんとうになんでもない感じの、知らないと絶対に行けないような村の奥、プロゴ川のほとりの崖の上だった。テーブルと椅子は重くて大きな木製で、バーベキュー場みたいに屋根も何もなく野晒し状態だった。キッチンやお手洗いのある建物が奥にある。カフェっていうよりも、お金持ちの友達の家のかなり広めの庭、みたいな印象で、実際、オーナー家族は敷地内のおしゃれな一戸建てに住んでいるとのことだった。
マミさんは「わたしは実は昨日も来たんだけどすごく景色がいいから連れてきたくて」といっていた。ありがとうございます……。わたしはインドネシアの大きな川を見渡したのは初めてだったので、その景色はとても新鮮で、初めて見る感じの景色だ〜っという感動をしていた。水はそれほど深くなさそうに見える。明るい青緑色の水面で、陸にはヤシの木々が、遠くには山があって、空はよく晴れていた。気持ちのいい場所に、気持ちのいい気候だった。対岸に、1人で釣りをしている人影があった。
メニューにはないけど庭で採れた葉で淹れる体に良いお茶があるらしく、料理に加えてそれもいただいた。中途半端な時間帯というのもあって、客はわたしたちしかおらず、ゆっくり過ごせた。暑いけどホットの飲み物が体に優しくて沁みた。風が穏やかに吹いていて、すごく小さいツバメがたくさん飛んでいた。お店のお姉さんがわたしたちへの気遣いなのだろうか、日本語のポップスをかけてくれていた。おそらく00年代のプレイリストで、「犬夜叉」のEDだった曲がかかった時に内心だいぶ「きゃ〜!」ってなった。(5年前に来た時、お世話になった日本語の先生が教えてくれてインドネシア語字幕つきの「犬夜叉」のアニメを見ていた時期があったのと、普通にわたしはドンピシャで世代)
 
店の裏には墓場と竹林があって、そこから川のほうまで降りられるというので少し探検しに行った。大雨で水位が上がった時に流れてきたと思われるたくさんのゴミが、頭よりもかなり上のほうまで、崖や木の枝に絡みついていた。
眺めのいいカフェをあとにして、またもう一軒、眺めのいいカフェへ行った。Eloprogo Art Houseというところ。ここも川に面した崖の上にあり、ジャングルみたいに木々が生い茂るあいだを縫うように、ツリーハウスのような小屋が2階建規模でいくつも建ててある。敷地が広く、テーブル同士の距離があるので、人が多くてもワイワイのびのびできる、かなり雰囲気のいいカフェだ。わたしたちの他にも数組の、家族連れとカップルがいた。インスタグラムで話題になってグッと客が増え、今ではすっかり人気店らしい。そう、来てから気がついたけど、わたしは5年前にもここに来ていた。店の奥にある広場やあいている部屋を使ってサウンドアートと音楽のイベントが開催されていて、その時もマミさんが連れてきてくれた。うわー懐かしい。でもその日は夜だったし雨だったし、人も多かったので見通しがきかなくて(なぜか天井のない、人が通ったら頭が見えるくらいに低めの壁しかないトイレで雨に打たれながら心底「なんだこの状況?????」と思いながら用を足した思い出がある)あまりカフェの様子を覚えていなかった。こんなにいい場所だったんですね…何度でも遊びに来たい。(ちなみに、ちゃんと建物の中に普通のトイレもあった。5年前のあれはなんだったんだ…。)
マミさんは、インドネシアに30〜40年くらい?住んでいて、とても顔の広い人なので、カフェに着くと当たり前のように友人グループと遭遇して「やっほ〜」みたいな感じでその輪に加わっていた。ここのオーナーの家族とその友人たちらしい。わたしはインドネシア語の会話に全然ついていけないので、あ、今こういう話してるっぽい、くらいの理解を味わいながら、目の前のいろいろなスナックを口に運び続けていた。チーズ味の甘くないクッキーと、ピサンゴレン(揚げバナナ)が甘酸っぱくてさっぱりしていてめっちゃ美味しかった。他にもファンタに漬け込んだ緑色の木の実ーーkolang kalingという、椰子の木になる実の中の、つるんとした種。碁石に似ている。いま調べて知ったけど、これArenの木の実だったんだ!ーーそれも食べた。
 
カフェですっかり話し込んだら日が暮れてしまって、暗くなってからマミさんちへ帰った。この日の夕方ごろだったか、マミさんがWukir(わたしがインドネシアに行くきっかけをくれた音楽ユニット・Senyawaのメンバー。マミさんはWukirと仲がいい)から連絡をもらったらしく「明日Senyawaのライブがあるみたいなんだけど行く?」と提案してくれた。明日の夜、ここからほど近い山の村で開催されるという。わたしは「エッッッゼッタイ行きたいですっっっっ!!!」と強めに返事をした。現地でSenyawaのライブを観る、というのは密かに長年の夢だったので、思わぬタイミングで突然叶うことになって、飛び上がるほど嬉しかった。あまりにもラッキーすぎる。この時ばかりはさすがに、世界ってひょっとして自分を中心に回っていますか?と思った。この日は、全然お腹もすいていないので、水浴びをしてからかなり早めに寝た。
 
 
 
5/8(水)
朝、早めに起きてマミさんと家の近所を散歩した。パジャマで行こうとしたら、草の中を歩くから長ズボンのほうがいいよ、と言われて半ズボンから長ズボンに着替えた。庭の裏のほうから、道なき道を少し進むとふいに視界が開けて田んぼに出る。よく歩く散歩コースらしい。マミさんは、もう長年ここで暮らしているはずなのに「この時間帯(朝7時)の田んぼって好きなんだ」「外国のお墓ってあんまり怖く感じないし静かで良い」「ここでJeruk(ライムのジュース)を飲んでから帰るルーティンなの」と、そこにあるものを飽きることなく自然に好いていて、その穏やかなキラキラをキラキラしたまま教えてくれる。こういうところ、素敵な人だな〜、と思う。でもって、マミさんはそういう素敵なことだけじゃなくインドネシア特有のあれこれや社会についてや、もっと身近な愚痴もたくさん聞かせてくれる。いや、むしろこっちの方が多いまである。なんにせよ、好きと嫌いの振れ幅をはっきり、でもユーモアをもってたくさん見せてくれるので、わたしは一緒にいるとリラックスできるし楽しい。
 
実際、この季節の田んぼ、しかも朝のは、素晴らしく美しかった。田植えをしたばかりの水面が鏡のようになっていて、晴れた空や山が映る。インドネシアの朝の日差しは、鮮やかで透明で、強い。日本の感覚でいうと夏の朝っぽいけどそれよりもう少し彩度が高い。わたしとマミさんは1時間くらいかけて、途中にある民家の庭先のようなところで野菜を買ったり、また別の小さな店でスパイスの効いた焼き魚を朝ごはんとして食べたりしてから一度家に帰った。
ほどなくして出発して、無事にビザの手続きを滞りなく終えた。昨日の滞り方にはいまだに納得がいかない(電話した昨日の担当者は今日もここにもおらず、マミさんと面識のあるらしいお兄さんが受付してくれた、彼女は本当に顔が広い)けど、ともかくうまく行ってよかった。係の人が、たぶん本来ならメールで送られてくるのであろう支払い用のQRコードを「あなたのケータイでこれを写メって」といってPCの画面のままで提示することでメールの段階や印刷などをスキップしていて、あまりに実用的でウケた。すごい。頭がやわらかい。日本だったらゼッタイない。メールが残らないのがやや不安に感じたけど、実際なんの問題もなかった。
 
ランチはマミさんのおすすめのSoto Ayamの店に行き、しっかり食べた。地元の人に愛されているタイプのすごく良い店だった…!その後、カフェのための買い出しに行くとのことなので、車で数軒の店を回り、テイクアウト用の紙の箱や食材などを買った。買い物のあと、一度冷蔵庫に食材をしまってから「田んぼの真ん中にあるカフェがあって、すごいから行こう」と、連れて行ってくれた。まだ始めたばかりのカフェの今後のために、リサーチも兼ねているのだろう。昨日、二軒のカフェをはしごした時も、マミさんは店のレイアウトや諸々について観察していた。それにしても今日のカフェもすごかった。日本人の学者の方がオーナーらしいのだけど、もともと趣味で始めたというガーデニングがあまりにもすごいクオリティなのでカフェと勘違いされて人が来るようになってしまったので、いっそカフェ本当にやるか…という流れでオープンしたらしい。そんなことあるんだ…。でも実際、センスのいいリゾートホテルのような、あるいは本格的な植物園のような、すばらしい庭だった。照明もきれいに配置されていて、木々が生い茂る道はジャングルの中を歩いているみたいな雰囲気なのに当然歩きやすく、敷地も広い。スタッフもしっかりしていて雰囲気がいい。夕方ごろ、マミさんもすっごく驚いていたし周りの客も全員が目を見張っていたんだけど、池のそばに急に大きめのワニが現れて、静かに歩いて去って行ったシーンもあった。おもしろかった…。
ココナッツウォーターとピサンゴレン(揚げバナナ)とレモンスカッシュをオーダーして少ししたら、雨がかなり強めに降ってきた。途中で濡れにくい席へ移動したりもしたけれど、体も冷えてきたので、そこそこで帰った。
 
少し休んでから、19時ごろ、Senyawaのライブを観るために出発。マミさんの大きめの車で、夜の山道をガンガン登っていく。20〜30分くらいで到着した。山の上なのできっと寒いだろうと上着をもって出て正解だった。さすがに学んだ。インドネシアといえど、山の上は普通にしっかり寒い。もしかして日本の山と街よりも気温差がある?わたしが無自覚にすごい標高差を移動しているだけかもしれないけど…。(今後は標高を数字でメモしようかなと今回の滞在を経て思いました)
 
この村には、国内外からアーティストを受け入れているレジデンススペース的なものがあるらしく、この日のライブも海外から来ているミュージシャン3名とSenyawaの2人とのコラボレーション企画の成果発表のようだった。入口で入場料を払うと、来場者特典みたいな感じで小さめのビニール袋に入った生野菜のセットをもらった。演奏会などのイベントに行くとお土産がもらえる率が日本よりも高い印象があるが、野菜というのは初めてで、なんだかうれしかった。
一番手の人の演奏が始まる直前にSenyawaのボーカリストのRullyに会えたので、久しぶり〜!覚えてますか〜〜!とかいって(自慢じゃないけどしっかり面識があります)握手をして、ミーハーなノリでツーショットを撮ってもらった。この後はタイミングがなくて話せなかったので、ここで撮ってもらってよかった。尊敬しているアーティストに会って話せるって、ものすごい幸せなことだ!と最近よくわかってきたので、けっこう全力でいった。
ライブは、わたしが期待していたSenyawaの2人の曲の演奏ではなく、5人でのセッション(曲だったのかもしれない)だった。集まった人たちも彼らのファンというよりは地域の人たちが多そうで、あっそういう感じか〜、とやや肩透かしだった(わたしの夢は厳密には<現地のファンたちとのノリも含めた彼らのライブがみたい>なので)けれど、彼らのパフォーマンスのクールさはしっかり炸裂していて、さすがだった。客席を見ると、ジョグジャカルタの某映像系コレクティブの人(多分そう/その界隈でめっちゃ見かける人)がカメラマンとして撮影しに来ていて、界隈の感じが垣間見えて、そしてそれが判っちゃうのが密かにちょっぴり嬉しかった。
演奏が終わった後にトークイベントが始まったけど、わたしは言葉があんまりわからないし、マミさんは疲れているようだったし(当然のようにこの村にもマミさんは友人がいて、開演前、わたしもどさくさに紛れてステージ裏で食事をいただいた。マミさんは客席ではなくてその部屋で休んでいた模様)、帰ることにした。なんかここ数日めっちゃ元気なんだよねえ、あのお茶が効いてる気がするんだ!と言っていたけど、いやいや疲れていないはずがないっす…。ほんとうに感謝でいっぱいです。
 
 
当初は、明日わたしはマミさんちを出発したら、一度ジョグジャの滞在先へ戻り、いくつかの荷物をピックアップしてからスマランへ向かい、カルトゥンさんやタフタたちのいるUngaranの山へ再び登って、また数日いよう、というプランだった。しかし「どう考えても、このまま直接スマラン(Ungaran)に行ったほうが時間も体力もお金も、ロスが少なくない???なんで一回帰るの????」と、マミさんにもカルトゥンさんにも(メッセージで)同じことを言われた。確かに。いや、本当に、確かにそう。あれ〜〜、なんで一度帰ることにしていたんだっけ?明日、ここから直接スマランに行くほうがいいに決まっている。頭がまわってないな。
 
幸い、ギターは「歌うチャンスがあるかも」くらいの気持ちで持ってきていた。問題は下着が足りないことと、おそらくこの装備ではまた山で寒い思いをするだろうということ、毎日飲んでいるビタミンCのサプリメントが足りなくなること、そして、使い捨てのコンタクトレンズが足りなくなること。そう、それくらいだ。
マミさんは、「服がない…」などと軟派な弱音を吐いているわたしに「ボロブドゥールの近くの露店とかでさ、ほら、なんかペラペラの安いお土産Tシャツいっぱい売ってるから、朝そういうの買って行ったらいいんじゃない?パンツはコンビニで買えるしさ」と楽しく説得してくる。コンタクトレンズの洗浄液があればワンデーのコンタクトも2日くらい使える、と思ったけど、たぶん手に入らないので諦めることに決めた。
 
 
ここで急に内面の話なんですが、わたしがコンタクトレンズを日常的に使っている理由の大半は「メガネの自分があんまり素敵に思えないから」です。同時に、そんなしょうもない自意識は本当に捨ててしまいたいとも強く思っていて、だからこの時、帰らないで行く、と決めたのは、自分にとってはほんの少し大胆な選択であり、確かな前進だった。
 
思い返してやや大袈裟に言葉にするなら、そう決めたのは、友人たちに対して自分の心をもっと開こうとするような、柔らかい気持ちを差し出したり思い切って甘えたりするような、期待とか願いでもあった気がする。
それは、具体的でわかりやすい言葉にしてしまえば「わたしがメガネの似合わないブスでも彼らは友達を続けてくれる気がする」という、あまりにも卑屈な発想の希望である。言うまでもないが、彼らはそんなことで人をバカにするような人間ではない。わかってる。でも、わたしは自分だけのめちゃめちゃショボくてダサくてしんどい卑屈なこだわりを手放すのが下手くそで、しょうもないことが気になる。それを捨てて会いに行くというのは、ちょっと思い切った選択だった。ドキドキするというほどではないけど、信じると決めたみたいな、目を見開いて前を向くようなこと、自分の心の薄くて脆いところを彼らに少し委ねるようなことだった。ただ自分だけにとって、そういうことだった。
 
補足すると、日記には登場しなかったけど、山を降りてからの数日間も、SNSでテキストをやりとりすることでカルトゥンさんとタフタとのコミュニケーションは続いていた。主に、週末のプライベートコンサートをどんなふうにやろうか、さらに仲間を増やしてバンドで演奏しちゃおうよ、スタジオにはこの日に入ろう、記録映像を撮りたいな、あ、すでに腕の良い友人に打診してます、など、完全にワクワクMAXの相談だった。第三者の介入とわたしの不手際によるトラブル未満の出来事もあったが、その気まずさも乗り越えた。彼らへの信頼はすっかり確かなものになっていたし、シンプルに、早く再会したかった。
 
 
マミさんにそんな話はしなかったしここまで明確な言葉にはなっていなかったけど、思いは直感的に「帰らないで行く」にまとまったので、コンビニに寄ってもらって、2枚セットのパンツを買ってから帰った。やっぱりインドネシアのコンビニには日本みたいなコンタクトレンズの洗浄液は売っていなかった。