勢いづく好き

 
年が明けてすぐ、縄跳びを買った。
こちらに来てからというもの、本当に運動不足だ。それでちょっと顔が丸くなったこととか、明らかに筋肉が落ちたこととか体力が落ちた実感が日に日に増して、だんだん心が厳しくなってきたので、日常的に何か運動をしようと考えた。ジョギングをしている人間がいない町で外国人が走るのは目立ちすぎる気がして嫌だったので、家の前で縄跳びをすることにした。近所のスポーツ用品店に入ったらすぐに見つかった。黄色い紐と木のグリップのが可愛かったので、それを買った。
 
日が暮れて涼しくなった頃に外へ出て、12分くらい跳ぶ。短い時間だけどかなり汗をかく。たまに気が向くと時間をおいて2セット跳ぶ日もある。そして、さすがに1ヶ月くらいほぼ毎日やると、上手くなろうと思っていなくてもなんとなく上達する。程度は低くても何かが上達するのは楽しい。あと、その日の体の重さと足の調子がわかるのも良い。わたしは足首と膝が弱い(筋肉が足りず関節を痛めがち)ので、最初は少し痛かったけど、だんだん慣れて痛まなくなった。
始めた頃は「連続ジャンプ」みたいな間抜けな感じになってしまっていたのが最近は「目的のために体重を落とそうとする人」という雰囲気が出てきたような気がする。気分だけはボクサーだ(何を考えながら縄を飛ぶかは自由だ)。それと同時に、なんとなく抱いていた恥ずかしさも消えた。夜に部屋で飲むお茶のために笛つきのヤカンを火にかけて沸騰を待つ間に縄跳びをしだす、というのがルーティーンになったので、たまに(さっき食べたばかりなどの理由で)縄跳びをせずにぼうっと沸騰を待っていると「今日は縄跳びしないの?」とオーナーがニコニコ話しかけてくる。
オーナーは私よりも背が低くて、まあるい腹とキョロキョロしたインドネシア人らしい目をしているのだけど、最近は特に表情がやわらかくて、生活の面倒をみてくれる妖精みたいだ。おじさんのタイプの妖精。最初の頃は全然うまく話せなくて怖くて、会うのも避けていたくらいなので感慨深い。大雨の日にわたしが部屋にこもっていたら車を出してくれて、奥さんと3人でお昼ごはんを食べ映画を観に行ったりもした。帰りが遅いと心配をされるし、さながらホームステイである。
 
そう、1月は、雨がとにかくたくさん降った。12月よりも降ったと思う。ほぼ毎日大雨が降って気温も気圧も下がるので、日本の6月(6月って初夏の雰囲気があるけどけっこう寒い)に様子が似ていた。学校へ行っても調子の悪そうな先生が多かったし、わたしもなんとなくシンドイ日が多かった。基本的に朝は晴れているけど、昼にもたまに降るし夜は絶対に降る。
12月に人から「1月以降は少し雨が減る」と聞いた記憶があるけど、雨がいつ減るのかについては人によって言っていることが違うので結局よくわからない。この前は「2月の中国正月までは雨が多い」と他の人が言っていた。今日がその祝日だったから、そろそろ減ると期待したい。再来週はついに、友人たちと一泊で登山へ行く。ずっと行きたくて楽しみにしていたので、いよいよという気分で、街に出た時に登山用品店へ行って登山靴を買った。年末ごろから登山靴の選び方をさんざんネットで調べていてようやく買ったので嬉しくて、今日は慣らすつもりで、それをはいて乗馬に行った。乗馬に登山靴が適切だったかどうかは謎だけど、良い感じです。縄跳びとか日々の運動を増やして、登山までにHPの最大値を少しでも上げておきたい。
 
 
 
 
12月に、音楽の先生・Andriさんのおかげでミュージシャンの友達ができて以降、以前にも増して、かなり楽しく過ごしている。彼らの案内のおかげで、1月は、けっこう色々な場所やイベントに行けた。行った先でも、ミュージシャンや何をやっているのかよくわからないけど愉快な若者やおじさんたちに出会えるので面白い。界隈が狭いので、「あいつのこと知ってんの?」「知ってるよ!」「あのフェス行ってたの!?俺いたんだけど!」「まじ?!」みたいな楽しいことも多い。スマランの小さな店へエクスペリメンタルミュージック系のライブを聴きに行ったら、その日の企画をした人がジョグジャのレーベルの人で、一昨年にジョグジャで知り合った芸大の友人が最近そこから音源をリリースしていたので、こことここが繋がるんだ?!と思って嬉しかった。
 
 
また、先週、知らなかったら絶対に行けなかったであろうド田舎で行われたワヤンクリが見れたのも良かった。Andriさんの友人がダラン(人形遣い)をやるという情報をもらって、ちょっと無理をして行ったのだけど、場所とか状況が良かった。
 
まず、会場へ向かう道が真っ暗だった。インドネシアに来てから今までで行ってきたいろんな田舎は、ある程度の店や車通りがあって、たぶんこちらの言語感覚でいうと、なんだかんだいって、kota(町)の範疇だったのだと分かった。この日に行ったところは、完全に「desa(村)」だった。行き先をゲストハウスのオーナーに地図で見せたら「desaじゃんww」みたいな反応をされたので間違いない。ともかく、道中、街灯も何もない道が、左右に真っ暗な森と田んぼを広げて続いていて、わあ、ここで死んだら終わりだなあと思った。Andriさんにグーグルマップのピンを立ててもらった場所へ向かっていたのだけど、さらに暗い森のほうへ道が折れた時にはかなり心配になった。
とはいえ、そんな村にも人はいるので(本当に、どこにでも人がいて、人口の多さを思い知らされる)彼らに道を聞いてなんとか辿り着けた。ビカビカ光るおもちゃや屋台が並んでいて、たくさんの子供が遊んでいて、大人もたくさんいて、だいぶほっとした。そこを抜けた先に、やっと、ワヤンクリの舞台があった。ビカビカの屋台の道から、さらに少し奥まったところにおなじみの形の仮設の舞台が設えてあって、バナナの木の葉っぱごしにそれを見つけた時には、ちょっと感動さえしてしまった。ちゃんと辿り着いたぞ!という達成感も少なからずあった。そして、舞台はわたしが着いた時にはすでに明るくなっていて、白くて大きいスクリーンの左右にズラーッと並んだワヤンの金色がピカピカしていて、すごく豪華というか、迫力があった。目が気持ち良いなあと思った。月も出ていない暗い夜の、田舎の森の雨の中で見たその光景は、魔法の場所みたいだった。少し暖かい色の照明が照らして、所狭しと並べられたガムランも宝物みたいにキラキラしていた。
 
この日は、初めて朝までワヤンクリが観れた。この日のダランは、見習いっぽい若い男の子が2人と、先輩っぽい30代くらいの男性が1人で、見習いの2人は途中で交代した。(あの先輩っぽい人がAndriさんの友達だろうな、いい感じの人だな、と思って観ていたら次の日の夕方に行った全く別の音楽イベントで遭遇した…。5歳からダランの勉強をしてきたと言っていた!)
当然、客席から見るつもりでいたのだけど、始まる直前になってなぜか「そこ座っていいから!」と偉いおじさんたちに急かされて、ガムラン隊のいるステージの真ん中のちょっと下手あたりに座らせてもらってしまった。そんなの初めてだったのでびっくりした。「誰だか分からないよそ者が来たけど、こうしておけば悪さもできまい」という村らしい理由があったかどうかは知らないけど、そうだとしたら超有効だな、と捻くれたことを考えた。でも、そこに座らせてもらえたのと朝までいられたおかげで、今までイマイチなPAのせいで全然聴けないでいたRebabや琴の音がすごくよく聴けた。嬉しかった。嬉しかったし、Rebabや琴を弾いていたメガネのお兄さんは、仲間たちとの機材車でわたしの帰り道を助けてくれた……(明け方4時に終了だったので朝早すぎて帰りのタクシーが捕まえられずにいたところを近くの大きい町まで送ってくれた)。ソロの芸大で勉強している人だった。
 
その次の週には、スマランでワヤンクリを観た。ソロに留学中の芸大の方から情報をいただいて、かなり名人のダランが来るとのことだったので、この日はもう最初から朝までいよう!と決めて、朝7時からの授業を終えたあと家に帰って3時間くらい仮眠をとってから出かけた。それが功を奏して、けっこう良いコンディションで観ることができた。
この日のイベントは、わたしでも分かるくらい明らかに上質だった。全てのクオリティが高かった。今まで自分が地元で見て来たワヤンクリがいかに田舎くさいものだったかがよくわかった。場所も、スマランという都市の中心部で、会場もかなり大きくて立派で、招待客の数も多く、全員ジャワの正装をしていたので、客席も見事だった。ガムランのピカピカ具合も全然ちがった。もはやかえって安っぽく見えるくらいに金ピカだった。テレビもきていて、中継の映像(ダランの横顔とか客席の様子などカメラが4台くらいあった)がずっと舞台の下手にプロジェクションされていたし、PAも当然のようにちゃんとしていて、耳がウッとなるようなこともなく快適だった。
 
内容に関しては、最初から最後まで上品だった。当然のようにダランの(3人いて、短めの別々の演目をやった)パフォーマンスがうまくて、声もそれぞれに良くて、人形が!!生きている〜〜!!みたいな単純な感動がずっとあったし、音楽が次々に変化していくのもかなり楽しかった。「オカマ芸」(と言ってしまうんですが)(派手な化粧と女装をした男性が女の踊りを踊る)も田舎のものと同じく一応あったのだけど、田舎のそれと違って黙って粛々と踊っていて、なかなかカルチャーショックだった。激しいダンドゥをセクシーに踊ったり下ネタを言って会場を沸かせたり客の男をいじったりとかもなかった。ワヤンクリじゃなくてワヤンゴレ(立体の人形)も少し観れた。朝四時に全部が終わった頃には、見事……、大満足っス…、という気持ちになったのだけど、個人的にちょっとそれどころではない演目があった。
 
ワヤンクリが始まる前に、偉い人の挨拶やダンスなどがひとしきり行われたのだけど、そのうちの1つが謎だった。KarindingやcelempungそしてDidgeridooといった、竹でできた口琴や、弦?楽器(竹のボディに切り込みを入れて弦にしている楽器、ボディがシームレスに弦になっていて叩いたり弾いたりして演奏する、かっこいい)と、わたしの身長より長そうな厳ついディジュリドゥー(ほぼ長い竹で、金管楽器みたいに唇を震わせて鳴らしたりする、超低い音が鳴る、くそかっこいい)をたずさえた4人組が現れて、ちょっと演奏をしたのだ。舞台の下手奥の方に座っていて遠かったので、急いで舞台袖へ回って見に行ったけど、口琴1人とCelempungが2人と、もう1人が何を演奏していたのかがよくわからなかった…(Celempungの1人はディジュリドゥと両方やっていたっぽい)。本当に短いパフォーマンスで、レコーダーで録音したものを確認したところ2分もやっていなかった。短すぎる。再び現れるだろうかと期待を込めて朝まで過ごしたけど、結局彼らは最初の一度しか登場しなかった。
短いパフォーマンスだったけど、口琴を演奏した女性が線香を焚いて、なんらかの祈りを捧げていたようだった。彼らは、服装も他のガムランなどの奏者とは全然違っていて、もっとプリミティブな雰囲気だった。ロン毛もいた。口琴を演奏していた女性は紅一点で(ガムランの楽隊にシンデン(歌手)以外の、楽器を演奏する女性がいるのを見たことがない)頭にビーズの飾りを巻いて、かっこいい感じの人だった。なんか魔術とか使いそうな人たちだな…と思うと同時に、楽器職人の友人たちと活動領域がかぶってそうだな…と思った。なんとなく全体的に小汚い感じ(失礼)とかにかなり親近感を覚えた。友人たちに次に会う週末に、彼らが何者だったのか聞きたい。(宮廷音楽と土着の音楽、みたいな違いなのだろうかとぼんやり思っている。)
 
 
どうやら自分は、竹で作られた楽器の音がかなり好きだ。
 
バリのオダランでバロンの踊りを観た時、ガムランの途切れた瞬間に聴こえた竹の笛のかすれた音が、ぞわっとするほど不気味で、うわーー、となったのはよく覚えているし、口琴ディジュリドゥのように口を使う楽器のブリブリした低い音が、泥っぽくて好きだ。竹のガムランもウホウホしていてすごく元気になる。そういえばCelempungに似た自作楽器を演奏するSENYAWAのウキルの演奏も、あの土臭くてウホウホした音だ!あれだ〜〜〜!!と今書いていて気づいた、わああ〜〜
 
この日に目撃(耳撃?)したのはたった2分程度の演奏だったけれど、その時間、わたしは明らかにテンションが爆上がりしていた。やっと「自分はこういうのが好きなんだな」と確信できた。ああいう楽器の伝統的な演奏は、どこでどういう機会で聴けるんだろう。ギターなどの他の楽器と組み合わせたりして新しい音楽を作っているのは時々みる機会があったけど、この日の彼らのような伝統的なスタイルのものがあるなら聴いてみたい。
とりあえず、ネットでわかることは調べるけど、インドネシアの竹製の楽器を調べるとだいたいスンダ地方発祥と言われているので、スンダ地方と、バリのヌガラにあるというジェゴグ(竹ガムラン、ここには巨大なのがあって中に入れるという噂を聞いた……)の博物館に行ってみたい。めちゃくちゃ元気になれる気がする。今回の滞在中に行ける気がしないけど、万が一時間があったらすかさず行きたい。
 
 
 
自分が歌を歌うことと、こういった竹の楽器の音楽の何かが直結する感じはあんまりない。口琴は口を使うのもあってすっかりハマっているしディジュリドゥはやってみたら多分めっちゃ楽しいだろうけど。でも、ともかく好きなので、ちゃんと好いていようと思った。
 
インドネシアに来てからというもの、あまりにも精神的に1人なので、変な自意識みたいなものが削げてきて、なんかもう好きなものを好いていられればいいじゃん、という感じになってきた。東京にいると、自分が好きなものが世間的にイケてるかどうかとか、批評的に価値があるかとかがいちいち気になっていたけど、そういうのって全然、自分の心に関係ない。好きだな〜とニヤニヤできるものを素直に好いている時間というのが一番確かに自分のことを支えてくれる。
インドネシアについても、色々言語化した目的とか興味はあるけど、根本的には好きさでニヤニヤできるから、こうやって何度も足を運んでいるのだと思う。そう、インドネシアに行くことがイケてるかどうかなんて、考えていなかった。自分に合うかどうか、自分がアガるかどうかが全てで、そういうものがあれば、1人になっても心を保っていける。
 
 
 
もうそろそろ帰国する準備とか、帰ってからのことを考える時期だ。2ヶ月後には日本にいる。でもどういう感じで日本にいるんだか、全然想像できない。
ただ、想像できないなりに着々と、4月とか6月とかの、東京や大阪であるライブのチケットをとったりしている。インターネットはつまんないくらい便利だ。
ここへ来る前の9月には、10月や11月に日本である行きたいイベントに行けないの悔しい〜、と思っていたけど、この頃はその逆だ。行けます。嬉しい。絶対に無事に帰る。