わたしが観たワヤン・クリ

年末にバリで観て、やばさがよくわかってスッカリ惹かれてしまっている芸能がある。Wayang kulitだ。カタカナだとワヤン・クリッとかワヤン・クリとか書かれる、影絵の人形劇である。牛の皮(kulit)を切り抜いて穴を開けたり着色したりして作った精巧な影絵人形の数々(125体以上ある)を、ガムラン等の演奏をバックに、ダランと呼ばれる人形遣いが操る。彼は、歌、語り、色んなキャラクターのセリフ、楽団への演奏指示まで、すべて一人で行う。マレーシアにもあるらしいが、インドネシアではジャワとバリのものが有名で、観光ガイドにもよく載っている。
 
このワヤン・クリ、以前から存在こそ知ってはいたものの、実際にちゃんと見たのは今回の滞在が初めてだった。(インドネシアに今まで2回も来ておきながらなぜ観ていなかったのかマジで疑問……)今回は、この滞在の前半で見たワヤン・クリと、多少なりとも関係のあることなどを振り返って全部書く。
 
 
 
 
まず、10月20日。土曜の晩に、家から車で30分ほど行った近場の山あいにある村(Sumowonoという山のJubelanという地域)で結婚式にあわせてワヤン・クリの上演があるという情報を、派遣校の先生から得て、生徒たちと一緒に連れて行ってもらった。
会場は、住宅地のあいまにあるちょっとしたイベントができる広場だった。足元は地面なので土だけど、客席の最前列だけは関係者の偉い人たちが座るソファ、あとは全部プラスチックの椅子が並べられており、80人以上は座れるだけの席があった。結婚を祝うということもあって、ワヤン・クリが始まる前にもダンドゥの演奏・歌唱があったり、地域の高校生たちによる合唱があったりした。(最近はお金がかかりすぎるという理由で結婚式にワヤン・クリを呼ぶことはかなり減ったらしい)
20時ごろから始まるということだったのでその頃に向かったけれど、ダンドゥや合唱があったので、ワヤンクリが始まったのは21時を過ぎていた。楽団はなかなか大所帯だった。低めに組まれたステージに、ガムランや太鼓が所狭しと並べられて、Rebabというバイオリンのような楽器や竹笛など、多くのインドネシアの伝統楽器があった。ステージに椅子はなく皆あぐらをかいて座っている。
肝心の影絵芝居なのだけど、なんと、ここでは全く影を使わなかった。本来は白いスクリーンの向こう側から影を見るのが影絵だけれど、この日のスクリーンは、観客から見て舞台の一番奥に配置され、ダランは終始客席に背を向けて上演をするのだった。幅5メートルはあろうかという大きな白いスクリーンの両側に、美しいワヤンがずらりと並んだ様はとても見事だったけど、影、使わないんだ…??と不思議だった。でも演出がかなり派手で、時々色のついたライトがチカチカしたり、ダランも、ワヤンを投げて一回転させたり、ワヤンの腕を持ったままグルグル回したりしていた。よく壊れないな、と思った。ただ、PAがひどくて(楽器が多くて難しいだろうとは思うけど)、ダランの声をひろうマイクだけが暴力的なほどの音量で鳴っていて、かつ低音がめちゃくちゃきつく効いていて、せっかく演奏しているのにRebabなどの繊細な音はほとんど聞こえなかったし時々顔を後ろに引くくらい爆音になる瞬間があってつらかった。あと、ジャワ語なので、なんて言っているのか全くわからなかった。途中、楽団員たちの休憩のために、紙製の箱に入ったお弁当と水とタバコが配布されるのが見れたのはおもしろかった。基本的にダランはほぼ休みなく人形を動かしたり歌ったりしているのだけど、楽団はずっと演奏しっぱなしではなくて、わりと休んでいる時間がある。
車で連れてきてくれた人の眠気が限界になりかけていたので、引き剥がされるようにして24時半ごろに引き上げた。山の上なのでかなり寒くて、これを朝4時まで観る人はどれくらいいるんだろうと思った。
 
 
その後、ワヤン・クリではないのだけど、12月1日の晩にSalatigaという隣町のTaman Tingkirというおそらく市営の公園で、Kethoprakという演劇を観た。広い公園の一角にテントとステージが建ち、Kethoprakの前には地元の中学生や小学生によるダンスやカラオケも行われた。少しだけだけど屋台も出ていた。見ている人も演じている人もみんな地元の人という感じの小さな催しだった。
Kethoprakというのはジャワの大衆演劇で、時々笑えるシーンがあったり派手な殺陣があったりして、客席も盛り上がってワイワイ見るタイプの芝居だ。ただ、セリフの全てがジャワ語で、しかも王宮で話される丁寧語・謙譲語で話されているという点ではかなり硬派である。ほぼ古語みたいな感じで、インドネシア人にとっても難しいという。もちろんわたしは殆ど何を言っているのかわからなかった。後から聞いたところ、この時のストーリーは、王様の後をつぐ人が必要になり、腹違いの兄弟が家同士でモメるというものだった。最終的には心が清いほうが勝つ。ワヤン・クリでよく上演される「バラタユダ」という物語とよく似ている(が、関係ないらしい)。そして、悪役の顔が赤いのもワヤン・クリと同じだった。俳優は皆、かなり濃い化粧をしていて、悪役の人は顔全体がお面のように赤く塗られていた。怒っているので赤い、ということらしい。(なおワヤン・クリには顔が赤いけど心が清いキャラクター、Baladewaというのもいる)
ちなみにこの時に友人(音楽の先生)が出演しており、主人公を演じていた。悪いやつをバシバシやっつける殺陣とかしててスーパーヒーローみたいなキャラでつい笑ってしまった。始まる前に彼が案内してくれて、テントから少し離れたところでみんなが化粧をするところを覗かせてもらえた。ちゃんとメイクさんがいて、おじさんたち(出演者は全員おじさん)が彼女の手にかかってすごい顔になっていくのはおもしろかった。伝統的な芸能に関しては、上演すると市からお金がもらえるらしい。
 
 
また、12月22日には少しスラカルタ(通称ソロ、バティックやワヤンが盛んに作られているナイスな街)へ行く機会があり、弟さんがワヤン・クリの人形職人だという人に、ワヤン・クリで演じられるラーマーヤナやバラタユダなどのジャワの古典的な物語の、特にバラタユダのことをたくさん教えてもらった。おおまかなストーリーと主な登場人物の名前や性格などを聞いた。
なかでも、特に面白かったのは、Semarの話だ。ジャワの人たちは、この物語のなかに登場するSemarというキャラクター(王家の家臣のひとりで、正義に溢れた教育をする謙虚な性格の太ったおじさん)が好きで、Semarは俺たちのジャワ・スピリットだ!みたいなことを言っていた。mengasuh(養育する、世話を焼く)と、rendah hati(謙虚な心)が大事なのだそうだ。なるほど、ジャワの人(ジャワの人しか知らないけど)はいろんなことを熱心に教えてくれる…。実際どれくらいこういう心意気をみんなが持っているのか知らないけど、「ワヤン・クリは子供達のモラルの教育にもよい」と言っていた。多くの人が子供のうちからこの物語を聴いて育っているのだろう。
また、少なくとも私の滞在している地域に関しては、このSemarというおじさんの彫刻がかなり色々な場所に置いてある。店の前に置かれていて、首から「Buka(Open)」の札をかけていたりもして、愛嬌がある。よく太ったおじさんの彫刻があるけどあれはなんだ、とずっと思っていたけど、これだった。
 
 
そうしてかなりザックリした基礎知識を仕入れて、バリへ行った。
 
 
バリでは、12月27日と28日に、ふた晩つづけてワヤン・クリを観た。
27日に観たほうは、とても小さい会場だった。ウブドの「Pondok Bambu Music」という、楽器と、ワヤンもちょっと売っている店の奥に、壁の一部がスクリーンになっていてその奥に小さな小部屋があるというワヤン・クリ専用のスペースが設えてあった。わたしはネットで情報を得て一人で来た。毎週月曜日と木曜日の夜8時からやっているというが、その日の観客は6人だけだった。スクリーンもジャワで見たものに比べるとだいぶ小さい(三分の一くらい)。上演が始まってしばらくした頃、係のおじさんが「舞台裏もどうぞ見てください」と言って、スクリーンの向こうの小部屋へ続くドアを開けて、観客たちにスクリーンの裏側を観せてくれたが、ガムランの楽団も、たった4人だけだった。ガムランが4人、ダランが1人、ダランの助手(次に使う人形や使い終わった人形を受け渡す係)が左右に1人ずつで、計7人による上演だった。そして一切のPAがなく、完全に生音だった。ダランの頭上(というか顔の前)に釣られたランプの明かりは本物の火で、とても明るかった(ここでは電球も補助的についていた)。この火によって、スクリーンのダラン側の演者たちの手元は照らされ、客席側には影が浮かび上がる。
ダランは、右足と左手に木でできた槌(cempalaという、手のひらサイズの、木槌の先だけみたいなもの、きちんと彫刻してある。)を一つずつ持ち、あぐらをかいて座り、自分の左に置かれた大きな木箱(上演が終わるとこの箱にワヤンをしまう)を時折カッカッカッ!!と叩いてかなり大きい音を鳴らす。これでキャラクターの足音などを表現したり、時々拍子木のように雰囲気を出したりしていた。この音がガムラン隊への指示出しにもなっているらしい。ダランは次々とワヤンを持ち替えて物語を進めていくのだけど、スクリーンに新しくキャラクターを登場させる前に、ワヤンを両手に載せたまま歌を歌っているのが、魂を吹き込んでいるみたいに見える瞬間があって、けっこう魅入ってしまった。
楽器屋の前を通るバイクや車の音がうるさいのが本当にもったいなかったけど、その難をさしひいてもなお、エキサイティングな約1時間だった。ダランの演技はとても激しくて、時折ワヤンでスクリーンを叩くような表現もあった。矢が飛んできて死ぬみたいなクライマックスのシーンでは、普通に「わ!死んだ!」と思った。いつのまにか素直に夢中になって見ていた。
 
 
28日に観たワヤン・クリは、Oka Kartini という、いいホテルに併設された劇場と専属の劇団によるものだった。そこにはワヤンクリの会場のみならず、ワヤンやそれに準ずるあらゆる工芸品が並んだギャラリー(ワヤン作り体験もできるらしい)があったり、お土産屋さんはさながらミュージアムショップで、バタック族(スマトラ島の民族)の呪術のための古い本(木の皮にバタック語で書かれていて蛇腹折りになっている)がおしゃれなアクセサリーやクッションカバーに混じって売られたりしていた。(一緒に行った大学の教授は、こんなとこに売ってて素手で触っていいのかよ、と気にしていた。)
ワヤン・クリは、ステージこそ小綺麗だけれど編成などは同じだった。でも今回は始まる前から、ダランの様子を徹底的に観てみようというつもりで、わたしはほとんどずっとスクリーンのダラン側にいた。この時のランプは、先日のと違って補助の電球もなく、本当に火だけだった。始まる前、チャナン(お供え物、花や線香やお菓子をヤシの葉でできた小さなお皿に載せたもの。毎朝人々がこれを家や店の前に供えてお祈りをするので、バリでチャナンを見ない日はない)を置いて、線香を炊き、お祈りをしていたし、終わった後にワヤンをひとつひとつ箱にしまう時にも、特に重要なものについては、その絵柄を味わうように眺め、クルクルと回したりしてから丁寧に祈るようにしまっていた。ちょっと厳かだった。大きくて、閉めたら中は真っ暗になるであろう木箱は、棺桶みたいだった。しまう前に、ダランは自分の頭上にあるランプの火にワヤンをかざしてクルクル回すのだけど、あれはほとんど炙っているよなと思う。牛の皮でできているんだし、カビとかの予防になっていそう。(ちなみに下手なダランはワヤンを焦がしてしまうらしい)
観光客へ向けたパフォーマンスなので、時々セリフが英語混じりなのは27日に観たものもそうで、若干の惜しさがあったけど、意味がわかるので劇として楽しめるというありがたさもあった。なお、Oka Kartiniでわたしが観たダランは、ドナルドダックみたいな発声が得意技らしく多用していた。
 
この日は、特に印象に残った瞬間があった。ダランが、次に登場させるワヤンを手にとって、いままさにスクリーンに当てようとする直前、間を持たせるみたいに歌声を長く伸ばしていたのだけど、なんというか、当たり前なんだけど焦りは全然なくて、たっぷりとした間をもって腰から上が前かがみになるのが、なんだかすごくよかった。その、名前のない隙間のような時間にも途切れることなく表現が続いていることにグッときた。27日に見たワヤン・クリの時にも思ったけれど、口も両手も足も使って、朗々とした歌と早口の語りと踊り(人形を操作する両手はほとんど踊っている)と演奏(木箱を叩く)をしているのがあまりに凄まじくて、きっとこれは神様だなあというふうに思ったけど、ぴったりくる言葉がない。神様と言ったら違うと言われてしまうんだろう。
 
うまく言えないけど、ダランは、かなりやばい仕事だと思う。その日上演する内容は、始める直前にお祈りをして降りてきたものをやる、という噂も聞いたことがある。噂だけど。ダランをできる人というのはその社会において特別な存在で、とても尊敬される人なのだそうだ。それに、ジャワのダランはこのノリで一晩中やるんだから、やばい、ぶっ飛んでいる。
ちなみに、次々とお面を変えながら演じるトペン・ダンスというのがバリにあって、これは今回観られなかったのだけど、色々な声色を使うという点でダランと共通点があり、ダランとトペンのダンサーを兼ねたり、仕事を変えたりすることはしばしばあるらしい。
あと、この日観たダランの顔の前にあるランプには、よく見ると彫刻が施されていて、どうやら顔のようだった。(この後ジャワで観た時にもよく観たらやっぱり彫刻があって何かを象っていた)なんの顔なのかはまだ不明だけど、顔の前で、顔の彫刻の施されたランプで火を焚いている、という状況を想像すると、まあ熱いだろうし、意味的にも凄みがある。上演中、ずっとその顔と向かい合っているのだ。全てを照らしている火の顔と。それに、あの様子では、ほとんど視界は自分の手元だけだろう。目の前のスクリーンと頭の中の物語と、鳴っている音、自分が鳴らしている音に没入するために、意図して仕組んでいるような気がする。ランプとダランの顔の距離は、見たところ場合によってけっこう違うけど、バリで観た二つはとても顔に近いところで大きな火を焚いていた。
 
 
そうしてすっかりワヤン・クリに感動して、ジャワ島へ戻った。戻ったその晩、1月1日に、滞在中のAmbarawaの近所の村、bejalenというところで、さらにワヤン・クリを観た。
 
バリへ行く直前に、このあたりを散歩していたら玄関先でワヤン・クリをいじっているおじさんがいて、一度は通り過ぎたのだけど、気になって戻って話を聞いたら、彼はダランで、さらに話を聞くと「1月1日にこの近所でやる」とのことだったので、観に来たのだった。こんなことがあるなんて、語学(そうはいってもボロボロ)をやっててよかった、散歩してよかった〜、と思った。ワヤン・クリをいじっていたのは、壊れたのを直していたのだそうだ。支柱の折れたところに接ぎ木をして糸で固定するという直しかただった。なぜ玄関先(外)でやっていたのか謎だけど、ともかくラッキーだった。
 
この日、1月1日は、この村のKadeso(村の誕生日、バリはオダラン、ジャワはカデソ)で、実は29日から4日間続けてお祭りをやっていたのだそうだ。ちなみに29日はkirapというお神輿のようなもの(川魚がとれる村なので魚にまつわるものらしい、魚を積み上げるというようなことを言っていたけど真相は不明)、30日はReog(大きなお面をつけて激しく踊るトランス)、31日はCampur Sari(綴りがあやしい、とにかく歌うと言ってた)、そして1日の今夜が最終日で、ワヤン・クリをやる、ということだった。
ワヤン・クリは20時から始まる、と近所の人が言っていたけど、開会前の挨拶とかそういうのがたくさんあって、本編が始まったのは21時だった。ただ、始まる前の一連のパフォーマンスが大仰でびっくりした。
まず、ステージ含め近くの灯りが突然すべて消えた。停電かな?と思ったけど、どうやら皆後方を気にしている。目線を追って振り向くと、松明を持った村人たちが10人くらい、2列になってゆっくり歩いて来ていて、その先頭では美しく着飾った少年が一人踊っている。彼が踊りながら向かって花道を進み、ステージの手前に辿り着いたところで、村人のひとりがダランであるハルソノさんに、ひとつワヤン・クリを渡し、今回の祭りの実行委員長とおぼしき、仕事のできそうなパリッとしたスーツの若いにいちゃんが「よろしくおねがいします……!!!!」みたいな感じでハルソノさんをがっちりハグし、そのタイミングで楽団がガムランを奏で、美しい音色が会場を包み込み、さあ〜〜!!!いよいよ始まります!!!という雰囲気に染まりきったところでようやくワヤン・クリが始まった。こんなに派手にオープニングがあるのは初めて見たので、笑えるシーンじゃないけど満面の笑顔になってしまった。
この日のワヤン・クリは、やっぱり影を使わないタイプのもので、かなり幅の広いスクリーンの両側にずらりとワヤンが並び、ダランは客席に背を向けている。そこまでは10月に見たものと同じなのだけど、この楽団は人数がとても多く、かつ演奏がおもしろかった。楽器隊のなかにも、インドネシアの伝統楽器のみならず、タンバリンやドラをめっちゃ楽しそうに叩くニイちゃん(あとで楽器を持たずにsinden歌手のマダムのひとりと踊りを披露したりしていて素敵だった)がいたり、時々トランペットも演奏されるし、女性の歌手(sinden)が6人もいた。女性の歌手たちの歌も、表拍と裏拍を1人ずつが担当して「アー」「オー」みたいなのを繰り返していた時があって、そんなのインドネシアで今まで聞かなかったので、斬新だった。ハルソノさんのワヤン・クリも、いきなり手作り感のあるワヤンが登場した時にはつい笑った。キリスト教の教会やイスラム教のモスクとおぼしき「建物ワヤン」だ。この時の物語は(わたしの理解が合っていれば)宗教が違う者同士も仲良くやっていける、みたいなものだった。(ムスリム的にそれってアリなのか?という疑問がある…。)時折スモークがたかれる(スクリーンの前、ダランの手元あたりにスモーク発生装置があった)し、ワヤンクリの合間合間に、地元の小学生や、若い女子や男子による伝統的なダンスがはさまる………地元の人による地元の人のための上演という感じで、小学生のダンスの時には親たちがいっせいにスマホを構えていて可笑しかった。
あまりにも派手で、もはやワヤン・クリの枠に収まっておらず、バリとのギャップも手伝って、わたしは終始笑いが止まらなかった。とても興味深いことが多く、でもそれ以前に笑いまくった。楽しい時間だった。
 
 
 
 
そう、ワヤン・クリの追加基本情報なのだが、あのスクリーンは、あの世と現世を分かっているらしい。ダランと楽団がいるほう、ワヤンの影ではなく鮮やかな着彩が見える明るい側が「あの世」で、その反対側、客席側の黒い影がうつるほうが「現世」だそうだ。女・子供は影を観て、男は鮮やかなほうを観るというようなことも聞いたけど今はたぶんそのルールについてはゆるくなっている。
バリでも、オダランという村の誕生日を祝う祭りがあって、その時に上演されるワヤン・クリは、スクリーンを使わずにぜんぶあの世側で上演することもあるという。ジャワで見た2回のワヤン・クリは、今のところ両方ともスクリーンを使わない、「みんなあの世側」バージョンだった。ひとつは結婚式で、もうひとつは村の誕生日kadesoだったので、やはり「みんなあの世側」はお祝いの意味が強いのかもしれない。お祝いで「みんなあの世側」をやるのってすごいな。あの世で過ごす練習だろうか。
 
 
 
そして、さらに昨日、ワヤン・クリに関してちょっとびっくりしたことがあった。
 
日本語の授業が先週から始まったのだけど、昨日の授業はテーマが「インドネシアと日本の住居の違い」だった。先生はジャワ語の教科書(日本でいう「古文」みたいに「ジャワ語」という科目がある)を開き、そこに載っているジャワの伝統的な建築を「みんな知ってるよね!」みたいな感じで例にあげつつ、日本とはずいぶん違うね〜といった話をしていた。
 
そして、これらの違いに関して気づいたことを生徒たちがノートに書いているのを待つあいだ、ジャワの家、気になるなあと思い、インドネシア語だったらちょっとわかるかも…と机の上に広げられている教科書に視線を落としたところ、どうも全部ジャワ語だった。全然読めなくて残念な気持ちになりつつも文字列をさらっていたら、「Wayang kulit」の文字を見つけた、えっ、えっ、昔は各家庭でワヤン・クリやってたのか?!!とびっくりした。バリかよ?!と脳内で雑なツッコミをいれてしまった(バリ、家によってはガムランのフルセットがあるし大体みんな何かしらの芸能ができる)
 
教科書のそのページには、家の敷地内にある建物の名前と、その機能が書かれていた。先生に確認すると、そのなかの、敷地に入って一番最初に現れる建物「pendhapa」で、しばしばワヤン・クリが行われていたという。でもそれは各家庭でというよりは、その家でお祝い事があると、ワヤン・クリの楽団を呼んで上演をするのだそうだ。ここではダンスもやると言っていた。夜通し自宅の広場(Pendhapaには天井と床と柱はあるけど壁がない)で、地域の人も集まって、影絵劇やダンスを観るの、めっちゃ良い………
 
ていうか、ちょっとバリと似てる(ジャワからバリへ人が移ったりなどもあってジャワ文化が形を変えてバリに残っているともいわれている)んじゃないの!と思って、バリの家は聖山を基準に方角が決まっているらしいけどジャワはそういうのあるんですか?とテンション高めに聞いたところ、日本語の先生には「わからないです」と言われてしまった。インターネットで調べるも要領を得ず、ジャワ文化に詳しい例の音楽の先生に聞いたらめっちゃ詳しく教えてくれた。わたしのインドネシア語が、やっぱり足りなくて時間がかかってしまって申し訳なかったけど、とても丁寧に教えてくれたのでそのうちバリのこととあわせて書くつもりです。