祖父の愛の話


先日、一ヶ月ほどの関西滞在を終えて千葉へ帰る前に、京都市外の祖父母の家に一晩泊まった。


そこは、電車が1時間に2、3本の、まあまあの田舎だ。田んぼと家と学校と病院があって、コンビニもあるけれど大きい商業施設はない。遠くの空は全方位、ビルではなく山に落ちる。

祖父母の家は、わたしが小さい頃に建て替えている。瓦屋根の二階建てだ。和室と縁側と、でも洋間もあって、なぜかトイレが三つある。家の周りには小さい畑があって、祖父はそこで自分たちの食べる野菜を作っている。


その日わたしが最寄りの駅に着いたのは夕方の6時半過ぎだった。日はすでに暮れている。祖父に「駅についたのでタクシーを拾って行くね」と電話をかけた。小雨が降っていて、大きいトランクを持っていたし、疲れていたし、徒歩15分程度の道だけど歩きたくなかった。

しかし、タクシーが駅前にいない。10分くらい待ってから、タクシー会社の看板の電話番号にかけたけれど「今日はもう行けません」「呼ばれて駅前に行くことはできないですがもしかして行くかもしれないので待っていてもらえればあるいは…」などと言われてしまい、理屈はよくわからないがとにかく今すぐに来てくれないということだけはわかった。それからもう10分くらい、偶然に賭けて、小腹が空いたら食べようと思っていたジャガリコを鞄から出してボリボリ食べながら待ったけど、タクシーは来なかった。


ぼちぼち7時になる。タクシーが来てくれないので歩いて行くね、と改めて祖父に電話をいれた。すると祖父は「では自転車で迎えに行くのでそのまま駅で待っていろ」と言う。いやいやいや、自転車で迎えにきてもらってもトランクは大きすぎて載せられないし、雨もほとんど止んだし、道もわかるし、自動車なら助かるけど、自転車での迎えは必要ないです。

そこでわたしがけっこう強めに「迎えはいりません」と言っても祖父は譲らず、何度か「来なくていい」「いや行く」「いらない」「行く」「来ないで」「行く」を繰り返した。祖父は頑固だ。これはたぶん愛だな、と思いつつも正直ちょっとイライラしながら、わたしは歩き出すことにした。駅前のでこぼこした舗装の上でトランクを転がすと大きい音がする。イライラに見合った音量だ。たぶん病院と小学校の前を通る道で、祖父とはちあわせるはずだ。駅舎の屋根を出ると、顔に小さい雨粒が申し訳程度にピトピトあたった。


思った通り、小学校の前の道にさしかかった頃に、向こうのほうからライトが二つみえて、ゆっくり走ってくる自転車だとわかった。自転車のライトに加え、片手に懐中電灯を持っているみたいだ。祖父だ。「迷子を探している人」みたいなスタイルにちょっと笑ってしまった。わたしは手を振って「こん(↑)ばん(↓)わあー(→)」と、祖父母とのあいだだけで使う関西風のイントネーションで、声をかけた。「なんや、歩いてきたんか」といって自転車が止まった。


やっぱり祖父の自転車にわたしのトランクは載りそうもなかった。「機械が入っているから」と念を押して断り、トートバッグだけカゴに乗せてもらった。

祖父は自転車にまたがって先を少し進んで、「あっ、先に行っちゃうのか?!そういう感じ?!」とわたしが思った頃にキュッとブレーキをかけて止まった。ちょっと笑いながら「歩くか」と言って、自転車を降りて、わたしの隣を歩いてくれた。


小雨は止んで、涼しい風に変わっていた。


星の全然見えない真っ暗な空と左右の闇に囲まれて、少しの街頭が照らす道をゆっくり歩いた。

虫の声とわたしのトランクのゴウゴウいう音と、あとは祖父の押す自転車がカラカラ鳴るだけで、まだ七時なのに静かだった。はるか遠くの音も聞こえそうだ。お盆にあわせてほとんど毎年遊びに来ていた町だけど、今はこりゃあ夏じゃないなと思った。日付だって九月の一日で。


祖父は耳が遠いので、わたしはゆっくりと大きい声で喋る。もう、九月だね。涼しいね。

せやなあ、みたいな返事が聞こえたので続けて、ゆっくり、かつ、どんどん喋った。

今度、インドネシアに行くんだ。そのためにちょっと勉強してたの。

テリマカシー、やろ。

え、そうだよ!よく覚えてるね。


祖父は昔、仕事でインドネシアに滞在していたことがある。ジャカルタを拠点にジャワ島各地に調査に行ったりしていたらしい。インドネシアにいたことがあるという話は前にも聞いたけど、細かい話をしてもらったのはこの時が初めてだったし、自分が行くのもジャワ島なので、祖父もジャワ島にいたと知ってちょっと嬉しかった。


家に着いて、祖母と3人で食事をした時も、ビールを飲みながら50年前のジャワの話をたくさんしてくれた。調査で行った村には電気もガスもなかったけど灯油を使った明るいランプが庭にあったんだとか、ロウソクをつけると料理に寄ってくる虫がちょっとだけ減るからそのスキに食べるんだとか、床に落としたものに関しては3秒ルールで食べていたとか、わしは一度も腹を壊さなかった(自慢)(本当に一人称が「わし」)とか、実験器具などを大量の段ボールで持っていった話とか、ボゴールに実験のための施設があったんだとか、ソロ川はずっと濁っていたとかドリアン食べたとか。

話術に長けた話し方ではないけれど、覚えている限りのジャワ島エピソードを次々と得意げに話す姿は、孫から見ても可愛げがあって、好きだな、と思った。祖父に会うとけっこう毎回そう思う。祖父はいつもちょっと斜視なので、笑って目が細くなると顔の印象がずいぶん変わる。


一週間前に「来週、遊びに行くので一晩泊めてください」と連絡をいれた時、「いいよ、気をつけておいで」という電話口の声がなんだか優しくて嬉しかったのを思い出した。遠慮せずに来てよかった。


たくさん昔の話を聞いたら、変な言い方だけど「おじいちゃん」が、1人の人間なのがよくわかった。最近は自分の両親についても、「おかあさん」とか「おとうさん」というのは、単にわたしと彼らとの関係性における呼び名であって、この人たちは「わたしの親」以前にこの人間、という感覚が腑に落ちる。人生が各々にあります。


夕飯になると冷蔵庫から缶のアサヒビールを出してきて、何でもないのに毎度毎度乾杯をするこの人、朝になると近所の猫を餌で寄せて愛でるこの人、ウンコをしてくるぞとわざわざ報告してからトイレに行くこの人、迎えはいらないと言っても行くと言って絶対に来るこの人が、夏休みの自由研究を手伝うというか殆ど全部やってくれたことがあった、この人が、たまたま祖父で、わたしはたまたま孫だ。そして僭越ながら人間と人間でもある。


かなり前に、ことの成り行きで深い意味もなく恋人を連れていった時に、彼に対して祖父がはっきりと言った言葉が、まだ記憶に残っている。

「かわいい娘の娘が、かわいくないはずがない」と。

だから、大事な孫だから、くれぐれも大切にしてくれと、そういうようなことをかしこまって言ったのだ。わたしは、気が早いぞ!!と焦ったけど、でも、そういうことを言ってくれるこの人がおじいちゃんでよかった。その時もそう思ったし、今でもそう思う。