少し古い「いた」「あった」を連れて

12月4日(月)

午前中に自転車で、いつも通らない道を通った。両親の運転する車で通ることがたまにあったけど自分で自転車で通ったことは一度もないところだ。道の片側にだけケヤキが植わっていて、その先にかなり急な下り坂がある。

その並木道はしばらく平坦だ。順調にペダルをこぐ。知らない若い人が、建物の入り口でしゃがんでタバコを吸っていた。地元のある友達に背格好が似ている。その地元の友達とは、3日くらい前に教習所へいく途中でバッタリ、6年ぶりくらいに会った。すれ違いながら「なんでこんなところにいるの」「教習所」という短い会話をして別れたけど、一言目で呼ばれたあだ名が変わっていなくてちょっと嬉しかったのを、空似の他人を見て、パッと思い出した。2秒くらいその人に視線をとめて、また前方に目を戻す。自転車の速度は落とさず進む。

ケヤキの並木道は色んなところで見るけど、そのたびに、見通しの良さに加えて風通しまで良いような感じがする。他の街路樹よりもグッと背が高いし、なんか姿勢が良い。市内のもっと北のほうにもケヤキ並木があるのを思い出す。そこは、ここよりも長さも密度もあって道の両側から内側へ、枝がトンネルのように伸びていて、秋や初夏はかなり良い。先週、母の運転する車でそこを通った時、道の左手にある工場の人たちが敷地や歩道や排水溝の落ち葉を大勢で一斉に掃除していた。母は、この道は引っ越してきてすぐの頃に車で道に迷ったところだと言っていた。それ20年くらい前?やば、と笑った。わたしたちは粗大ゴミの処理とかの面倒な用事が済んだ帰り道で、機嫌が良かった。

坂に差し掛かるところで、木の枝が邪魔をして開ききらない視界ながらも、住宅地をわっと見下ろせる一瞬がある。そのあと、ほとんどひっくり返りそうな角度にスリルを感じながら舗装されたS字の道を下る。
ここを過去に車で登った時の、後部座席にいるわたしさえちょっと緊張するような、重力に勢いよく逆らっちゃう車、頼れるやつ、というあの感じを思い出しつつ、今は重力に任せて下る。ブレーキをかけながら、坂が終わった続きの道を下りの余韻、車輪の仕組みで行く。車の来ない車道の真ん中を走る。ガードレールの内側をお兄さんが2人歩いているのを追い越す。
少し行った突き当たりの建物の壁際に、コカコーラの自動販売機と、同じ色の赤いベンチと、進入禁止の標識が、ひとまとまりになっていた。ぜんぶ赤で可愛いなと思って、自転車を停めてiPhoneで写真を撮ったけど、写真にするとそんなに可愛くなかった。録り直した二枚目の「パシャー」と同時にさっきの2人に追い越された。
そのあと右へ折れて、また坂を登る。坂はこれもとても急だから、ペダルが回らなくなってしまって一度自転車を降りた。1週間くらい前の駅からの帰り道、一本向こうの通りから、ここに救急車が止まっているのが遠く見えたスポーツジムの前だった。



ここまでの2分くらいの走行が、妙に印象的だった。並木道、下り坂、住宅地、上り坂、と次々場面が変わって、ここ最近の記憶がどんどん思い出されておもしろかった。見ているものと考えていることがギリギリ分離しない。やはり自転車に乗っている時は、他の時よりも脳が遊ぶ。

自転車を駐輪場に停めて電車で都内へ出かけた。寒いのに慣れてきて、気持ちいい気温だと思えるようになってくるのがわたしにとっては毎年12月で、ここからが冬だ。
その日の午後は、池袋でかっこいい鉱物を2つ買って、夜は新宿で演劇の稽古だった。