3週目の雑感

朝、水道屋さんのチャイムで二度寝から覚めた。

最近ぜんぜん朝起きられないのを、花粉症の薬のせいにしているけど、昨日、健康診断で「血圧低めですね」と言われた。それなのだろうか。うーん?

水道屋さんは、よく日に焼けた肌の、クマのような大きな人だった。さっそく台所の流しの下の収納スペースが臭いのと、洗濯機の給水の蛇口から水が漏れるなどを説明し、直してもらう。部品が古くなってるのが原因ですね、と、クルクルねじを回して次々に部品を交換してくれる。大きな体で狭い家の細かい修理をやっているのが、なんだか可愛いと、失礼かもしれないけど思ってしまう。

わたしは完全な寝起きでドアを開けたからか、なんだか恥ずかしいとかの気持ちもどこかにいっていたようだ。水道屋さんが作業する手際のいいのを素直に感心して眺めたり、ちょっと話しかけたりしながら、鍋に浸水させていた米を火にかけ、顔を洗い、寝癖(髪が硬いので一度完全にビショビショに濡らしてからドライヤーをかけないと直らない)を直し、化粧を済ませた。水道屋さんが帰って行く時には、自分の首から上のよそ行き仕様がすっかり完成していた。ご飯も炊けた。

引っ越してから2週間ほどが過ぎて、ようやくこの巣に慣れ始めている。(家より巣のほうがしっくりくるくらい狭い。)

朝の身支度の手際、って、とても大袈裟にいったらダンスの振り付けのような、日常のクセのようなものが少なからずあると思う。定位置で待っている、毎日の朝に登場する物たちを、的確な順で手に取り効率よく使っていくのは、習慣になるとちょっと気持ちいい。その振りを、ようやく少しずつ作り始めているような感覚がある。ここに置いた方がいい、みたいな実用感覚で物の配置を決めていく。削がれていってしまうものも感じつつ。

家の中のすべての物の配置の決定権と責任を、自分が持っている、というのがシェアハウスの頃と大きく違う。

他にもたくさん違うところはあるけど、家を出た時と帰ってきた時で、物の配置が変わっていないのとかは、止まっているみたいだ。当然物理的に止まっているんだけど、なにかこう、命のようなものが止んでいる気がする。そして、帰ってきてわたしがパチンと電気をつけるとまた家の時間が始まる。家そのものと自分との関係が深すぎる。今のところ、その一人暮らしらしさはけっこう愛しいけど、病んだ気配もする。

(そういう関係から唯一逸脱してくれているのが観葉植物だったりする)

巣、と呼ぶと、家の機能がわたし限定に向けて絞られる感じがして悪くないので、これからもしばらく、巣、と思って過ごしてみることにする。