歌ったり喋ったりする動物として

 
だいぶ前になるが12月13日に派遣先の高校で文化祭があり、そこで歌を歌った。
歌ったその日とか次の日には、あまり思っていなかったけど、それからあっという間に2週間ほど時間がたって、あれ以前とあれ以後だなという感じがじわじわと強まってきた。
 
ちょっと恥ずかしいんだけど、わたしは人生をやっていて「第〜章が終わった感じがする」とか「〜編が終わった」みたいなことをよく思う。
なにかの上演を準備して本番を終えるとか、旅行に行って帰ってくるとか、所属していた組織を離れるとか、生きていると色々な頑張りに終わりがくる。頑張って何かに集中していた期間がパッタリと終わった時というのはだいたい呆然としてしまうし体には疲れがどっとくるんだけど、でも頭の中では、次にやることをワクワクしながら考えるのがはかどる。そういう時につい、例えば「ああ、2018年夏編が終わったな、次回からはインドネシア編だな」とか思う。章が大きく変わると「主な登場人物」とか「物語の舞台」も変わる。このために上演や旅行をしているわけではないけど、こういう風に捉えることで、ちょっとでもおもしろおかしく人生を自覚している。
 
今回の半年インドネシア滞在は、旅行というには長いけど、終わる日が決まっていることもあって、特にこの「〜編」の気が強い。今が全篇のなかの中盤あたりだ、とかを否応無しに自覚させられる。それで言うと今は第3章だ。ここへ来てすぐの生活に慣れるのが大変だった頃(1)と、慣れてきて景色も見えるし歌も歌えるようになってきた頃(2)と、だいぶ度胸がついて、人と喋る以上に遊んだり勉強したり仲良くなったり心配したり、本当に思っていることを人と話せるようになってきた今(3)とでは、やっぱり過ごしている時間の質が違う。今は、「文化祭バンド以後」の時間を過ごしている。
 
 
 
 
インドネシアの高校での文化祭は、わたしの知る日本の高校の文化祭とは少し違って、運動場に立派な野外ステージが組まれ、そこで音楽やダンスを有志のグループや個人で発表しあい、みんなはなんとなくそれを見たり見なかったりして1日過ごすというものだった。朝の7時30分から始まり、昼の14時ごろに終わる。最後のパフォーマンスは生徒たちが選んで呼んだプロのミュージシャンによるライブだった。
わたしはそのステージで、先生のバンドと一緒に歌を歌わせてもらった。とても陽気で優しいおっちゃんである生物の先生がリーダーになって、毎年先生バンドをやっているらしい。その先生とは一緒にギターを弾いて歌ったり、ギターをちょっと教えてもらったり学校の音楽スタジオでお互いがわかる歌(結局ジャズとかミュージカルのスタンダードになるのでアメリカ強いなと思う)を探してキーボードとベースを弾きながら一緒に歌って遊んだりしてきていて、「来月文化祭があるからバンドをやろう、何を歌う?」と誘ってもらったのだった。わたしはなぜか「ダンドゥをやりたいです!」と言ってしまったので、インドネシア語の歌を覚えることになった。
 
インドネシアに来てから、いろんな人に「好きなダンドゥの歌は何?」と聞いて流行の歌を仕入れてきたなかで、自分でもYoutubeで聴いておもしろかったのが「Jaran Goyang」という歌だったので、それを歌うことにした。
歌詞の内容は、恋人にフられた女が相手の男を呪術の力を借りてもう一度魅了して取り戻そうとする、というもの。去年リリースにも関わらず、いまだにダンドゥのテレビチャンネルやラジオで流れているので、ワルン(地元っぽいご飯屋さん)やアンコット(小さなバスだけど時々テレビがついている)でもよく耳にする。この曲はサビで同じメロディを違う歌詞で二回繰り返すのだけど、その最後のフレーズの歌詞が1回目と2回目で「Jaran Goyang」「Semar Mesem」になっている。これは、それぞれ、女が男を、男が女を魅了する呪術の名前らしい。知っていそうな人に五人くらい質問したけど、両者の魔法にそういう差異があると言う人と、ないと言う人がいた。断食が必要かそうでないかなど細かい違いがあるとかないとか。よくわからない。(ちなみにグーグルで「Jaran Goyang Semar Mesem berbeda(違い)」で検索すると、両者の魔法を比較というかぶつけあうみたいな検証?が出てくるので気になってるのはわたしだけじゃないみたい)いずれにしろ、両方ともジャワの恋の魔法で、怪しい呪術で、清く正しく生きている人はそんなことはやらない、というようなことは皆の共通認識だった。
 
そういう歌なので、歌詞のなかに時々ジャワ語が混じっていて、インドネシア語の辞書を引いてもよくわからない部分がままあるのだけど、とにかく音でまるごと覚えた。時々ちょっとラップみたいな感じになるので文字数がべらぼうに多いんだけど楽しい。「わたしの恋心は壊れてしまった」とか「この魔法もうまくいかなかったらあなたに毒をかける」(呪うという意味なのかも)とか、絶対に日常で使わないフレーズばかりだけど、知っている単語が混じっていたり、わかる単語と音が似ているけどジャワ語なのでちょっと違う、とか、いろんな細かい面白みがあった。Ngの発音は鼻濁音になるとか、細かい発音もちょっと教えてもらった。(インドネシア語ではほとんど使わない音だけどジャワ語にはしばしばある。)この歌で覚えた単語に、後になって違う場面で出会うことも時々あって、歌でインドネシア語を覚えるのは自分にとって良いなと思ったりもした。まあ、聖水(air suci)とか呪術師・シャーマン(Dukun)とかいった言葉にバリに来てから再開したくらいで、笑っちゃうくらい日常では使わないんだけど。
 
そう、以前、フランス語の歌を覚えて歌ったことがあった。もうそろそろ丸2年も前になるけど、ライブハウスで何度かシャンソンを歌わせてもらっていた時だ。フランス語なんて習ったこともないので、完全に耳コピの真の丸暗記で、相当メチャクチャだったと思う。でも、そんな、もう自分が何を歌っているんだかわからないような状態の歌のなかでも、「歌詞の意味的にも重要っぽいしメロディとか音楽的にも重要なフレーズ」というのはあって、そこだけは暗記した音を口の運動のように歌うのではなく、言葉として歌えるのが面白かった。歌の美味しいメロディのところに大事な言葉がくるのは言語を問わず同じだ。わたしは歌のこういうところが好きだ。他にも歌について好きな点はたくさんあるけど、わたしにとっては一二を争う好きポイントだ。
 
今回のインドネシア語のダンドゥは、わかる単語の量がフランス語とは段違いに多かったし発音に関しても比較的確信があったので、以前のシャンソンと比べたら、かなり言葉の実感があった。コードも二つしかなくメロディも単純で、歌詞を覚えることが歌を覚えることだった。
 
 
 
演奏は楽しかった。本番まで、バンドでの練習はあまりできなかったけど、生物の先生がかなりつきあってくれて、ギターと歌とか、カラオケとベースと歌だけで練習した日も多くあった。あとはとにかく一人で家で覚えて、当日はたぶん間違えずに歌えた。客席でたくさんの生徒たちが超ノリノリで踊ったりサビを一緒になって歌ったりしてくれて、楽しかった。あとから映像を観たら自分も変な動きをしていたけど、まあダサくてもなんでも、楽しければいいよなあと思えた。それくらい楽しかった。踊れるとか、ただただ楽しい!ってタイプの歌を人前であんな風に歌ったのはもしかして初めてだったかもしれない。
 
とはいえ、達成感というよりも「いつのまにか終わった」という感じが強かった。本番まであと1時間くらいあると思っていたら急に呼ばれて、え!もうやるの?!という気分のまま演奏をしたし、終わった後の余韻にひたる時間も全くなかった(写真すら撮らなかった)ので、とてもアッサリしていて良かった。ただただ歌を歌ったなあという感じ。軽やかだった。
 
 
 
そして、そのステージの終わりはそのまま今学期の終わりだった。文化祭の次の日に生徒たちは成績表をもらって先生と親と三者面談を行い、学校は12月の中旬から年始まで、休みに入る。
 
ここで少し友達自慢なのですが、ステージをへて一定の信頼を得たようで、音楽の先生(わりとしょっぱなで「大野一雄しってる?」と話しかけてきた人、教師以外に俳優や打楽器奏者をやったりしている。文化祭バンドではジャンベやカラカラ鳴るやつを演奏してくれた)とすっかり仲良くなった。職員室で机が近いので、それまでも比較的よく言葉を交わしていたし12月初旬には彼の出演していた演劇(ジャワ語の大衆演劇、kethoprak、コメディーお江戸でござるとか吉本新喜劇よりちょっとだけ硬派、みたいな感じ)も観に行ったけど、授業がなくなって休みに入ってからのほうがよく会っている。そして、彼は音楽の先生と俳優と打楽器奏者だけじゃなく、仲間と本を書いていたりするくらいジャワ文化に詳しい、ということが判明してからは、ジャワ文化に関して気になったことがあったらワッツアップ(LINEみたいなアプリ)で質問して教えてもらったりしている。インドネシア語とジャワ文化を同時に学べてめちゃくちゃ楽しい。また、彼の友達の楽器職人のアトリエに連れて行ってもらったり、仲間のバンドのレゲエを聴きに行ったり、こんど一緒にライブやろうぜとか、仲間と連れ立って音楽フェスへいく計画をしたりなどしていて、すっかり良い友人である。本当に大変お世話になっております、ありがとうございます…。
 
 
わたしは今まで生きてきて、歌(広義の歌、自作のパフォーマンスも含む)をきっかけに人との距離が縮むことが多かった。自分としても、他の何かよりも歌で距離が縮んだ人のことを信頼しがちで、この頃は「歌う動物」として生きているような気持ちがある。鳴く鳥みたいな…。(哺乳類ですが…。)
これ自体は、ただただ、そうだなあという感じなのだけど、いつのまにか、歌がなかったら出会っていなかったであろう大切な人たちがあまりに増えてしまって、もし歌がなくなったら、自分という動物には何もなくなってしまうんじゃないかという気がして時々恐くなる。
 
とはいえ、自分でも残念なのだけど「人のために歌っている」なんてかっこいいことはまだまだ到底考えられない。人と一緒に歌ったり音楽をやるのって宇宙まで飛んでいっちゃいそうなくらい楽しい!というのは半年くらい前にやっとわかったし、誰かに聴いてもらえるのは本当にありがたいし嬉しいけど、そういう風にして人と関わる云々以前に、一人で歌う歌が自分をとても支えている。
こっちのほうが多分、今は大事で、動物、という感じがするのもこれだと思う。繁殖以前に習性として歌っているような感じだ。一人で歌っている時の方が時間的にも圧倒的に多いし、時々それが、とても大事な時間になる。
自分が今までにいろんな場所で一人で歌った時のことは、よく覚えている。あまりにも多いしだんだん増えてきたので全部は覚えていないけど、とても印象的だった記憶はいくつかある。小4の時に部屋で初めて一人でこっそり歌の練習をした緊張感はまだ思い出せるし(学校で習う歌じゃなくてポップスをわざわざ練習するのが恥ずかしかった)、カナダにホームステイしていた時のキャンプ先で何かのタイミングで一人になって、山に沈む夕日の景色が美しくて嬉しくて、ちょっと勇気を出して歌ったこともあった(あれは言語的な孤独がつらくて自分のために日本語で歌ってたのかもしれないと今になって思う)。日頃、家で歌うのとか、自転車に乗って歌っていて一人で感情が振り切れていたいくつかの時間とか、カラオケで一人で歌って泣いたのとか、先日インドネシアに来て初めて部屋で歌った時とかも。ああいう時間があるから生きていける。
歌うとその声の響きで場所の物理的な環境がわかる、とか、自分の体のコンデイションがわかるとか、体内から出た声が環境と交わってまた耳から体内へ入ってくるのがエモいとか、言葉が体を通り抜けていくとか、深い呼吸ができて健康にいいです、とか、いろんなことがその時々で起きているので一概に言えないけど、ともかく、ざっくりいって、日々の中で歌を歌う時間のことが大事だ。
 
インドネシアでは、何かの宗教をもつのが国民の義務なのもあって、たいていの人が毎日お祈りをするので「ちょっとお祈りしてくるね」と待たされることが度々ある。それをはたから見ていて、毎日必ず一人になって落ち着く時間があるというのは精神安定に良さそうだなと思っていたけど、自分にとっては歌がそういう行為なのかもしれない。
 
 
 
そして、今はジャワ島を離れて、バリ島に来ている。
 
バリはジャワとは宗教が違うし、地元の言語も違う。でも、インドネシア語は同様に通じるし、特に今は観光地としても名を馳せているウブドに滞在しているので、むしろみんな英語が得意で、インドネシア語と英語を混ぜて話すというやり方でけっこうコミュニケーションがとれる。
わたしがインドネシア語を全然しゃべれない時から辛抱強く話し相手になり続けてくれた友人たちのおかげで、今まで全くできなかった「気になったことをすぐ質問する」が最近ちょっとずつできるようになっていて、依然としてボロボロながらも、自力で、インドネシア語で、目の前の人から多少の情報を得られるようになった。それが最近かなり活きている。
 
バリへ出発した朝も、とりあえずバスがくるターミナルへ行って、空港まで行くにはどこで降りたらいいのか?と係のオッチャンに聞いて正しいバスに乗れた時には、(本当は事前に調べるべきだけど)多少行き当たりばったりでもなんとかなるようになったことが嬉しかった。バリの楽器屋さんで、店のおっちゃんに、これがどんな楽器なのかを訊ねたり、一緒に弾いて遊んだりしていたらすぐ1時間くらい時間がたっていたのも楽しかった。昨日も儀礼の前に偶然しゃべった人が、ワヤンクリのダラン(人形使い)をやっていて、かつ月曜日に上演をやるという情報と彼の電話番号を得たりした(行きたいけど場所が滞在地からは少し遠いし今回は行けるか不明…)。言葉が通じるだけでできることの幅がめちゃくちゃ広がる。さすがに日本にいる時ほどの自由さはないけど、それでもずいぶん、自分で選んで行動できるようになった。
 
バリに来た、とはいっても、ビーチでのんびりとかスパでゆっくり疲れをとります!ヨガします!みたいな休暇のバリっぽい過ごし方はしておらず、バリの村で長年調査をしている大学のゼミの教授と学者のかたに同行させていただいて、村の儀礼に参列したり礼拝を一緒にやらせてもらったりしている。かなり日焼けしたしけっこう体力勝負だけど、めちゃくちゃおもしろい。地元の彼らにインドネシア語で質問すると丁寧に教えてくれるのもありがたい。また、わたしがジャワで一緒に仕事をしている先生の親戚がバリの人だということで、スマホで連絡をとって彼女たちのお宅へお邪魔したりもした。伝統的なバリの家を案内してもらった後「ちょっと行くと父の田んぼがあるんだけど見ますか?」と誘ってくれて、インディラさんというんだけど、彼女と二人で田んぼを見に行って、そのへんの木(anggurというツル系の木、南国っぽい花が咲く)から果実をもいで、割って食べたりした。酸っぱい!!と笑い合った。涼しくて空気が美味しくて、たまに豚小屋の臭いがするけど、でも気持ちよかった。pisang(バナナ)の木が田んぼの合間に並んで植えてあった。彼女は「ココナッツは、インドネシア語ではKelapaだけど、バリ語ではnyuhだよ」と教えてくれた。通じるからってずっとサボって「ココナッツ」と英語で呼んでしまっていたけど、なるほど、ニュッって呼ぶんだ、かわいい。ニュッと生えてるしな………………
落ち着いた声で英語を混ぜてわかるように喋ってくれるので話しやすくてありがたかった。姿勢のいい素敵な人だった。バイクでここの道を下っていくのが好きで、よく来るんだ、と言っていた。
 
 
地元のバリの様子を見せていただけるのは本当に興味深くて、かつ、先生たちが日本語で教えてくれるので情報量が半端でなく、脳が追いつかない。そのなかで聞いて印象的だったのだけど、詩の詠みあいとか、お面を作るとか、踊るとか、ガムランを演奏するとかワヤンクリを演じるとか、そういったことを、村の人たちは、大抵ひとつやふたつ、できる。複数の特技を持っている人も少なくない。そして例えば村長に求められる素質の1つとして「良い詩が詠める」とかがあったりするらしい。もちろんそれだけではないだろうけど、そういう特技がちゃんと社会的に認められるというのは良いなと思った。彼らは、各個人も芸術と一緒に生きているけど、村という単位でもそうなのだ。それがすごい。芸術が村の仕組みにまで関わっている。
 
ここのそういう世界観はかなり魅力的だ。芸術的な才能がないとしんどいという意味では、かえって厳しい世界かもしれないけど、あらゆる芸術のことを愛して、生活の中で普通に実践している人たちが大勢いるというのは、間違いなく素敵なことだ。これはさすがに言い切りたい。素晴らしいです。
 
今わたしに見えているのはバリのほんの一面だけで、バリにもバリなりの問題が色々あるだろうから、手放しに「バリはサイコーな場所ですね!羨ましい〜!」なんて言うつもりはないけど、興味深いことがとてもたくさんあるし個人的にめっちゃヒントをもらっている。
バリで観ておもしろかったもの、考えたこと、多分また別の記事で書いたりします。(特にワヤンクリがやばい気がしています…)