11 疲れと汚れと一緒に変わる

8月4日

 

ジャカルタ滞在最後の朝、昨晩明け方まで起きていたので当然のように全然起きられなくて、約束の時間を過ぎてジュンさんがドアを叩いて起こしてくれるまで寝ていた。心底ギャァァって感じで飛び起きた。ここにきてから寝坊してばかりで恥ずかしい。大慌てで支度した。完全にスッピンのふやけた顔でお別れするのはどうしても嫌だったので10秒くらいで眉毛だけ描いて庭に出た。

ルフィアンとアイとジュンさんがいてくれていた。渋滞なさそうだから多分そんなに急がなくても大丈夫だよと言われた。そんな。ジュンさん完全にめちゃくちゃ眠そうで本当ごめんなさいありがとうと思った。アイはすでにバイクでどこかへ出かけてきた後みたいで、眠くはなさそうだった。
あまり長く別れを惜しんでもいられないのでさっとタクシーに乗り込んで、門を出て、窓から手を出してたくさん振った。角を曲がって見えなくなるまで手を振ったのが久しぶりで、向こうもそうやって振ってくれるのが嬉しかった。本当に見えなくなる一瞬前の、角の店のひさしの隙間から服だけちょっと見えてるみたいな瞬間まで見ていた。
 
タクシーに乗り込んで最初の15分くらい、寝不足も手伝ってか、わたしは気持ちがプワァ〜となっていて(語彙)、さっきの別れあんなんで良かったんだろか感謝伝わったんだろか、あれ?本当に帰るのかな?めちゃくちゃ淋しいぞ、とか、冷え切った体にカツーンと響くような呆然を感じていた。ほとんどまばたきもせずにタクシーの外を流れていく大都会を目に流しながら、鼻で静かに呼吸していた。絶対に自力で移動できない精神状態だったから車がどんどん空港へ向かっていくのが有難くも、違和感で裂けそうだった。
 
高速道路に乗る時に運転手にお金を渡すというアクションがあって、ようやくちょっと我にかえってきた。
空港に着いて、知らない場所だけど妙に落ち着いてチェックインを済ませて、冷房が効いているのと自分の寝不足のせいでまじで寒かったので腹に帯のようにバティックを巻いてレッグウォーマーをつけたりして体温を守った。国内線のほうへ行く道が何故か店と店の細い隙間で、最初分からなくて通り過ぎてしまい、少し迷ったりした。フードコートでソトアヤムを食べた。スタバに行列ができていて、スタバの行列ってインドネシアにもあるんだなと思った。スタバじゃない店で温かいコーヒーを買って、出発まで待った。
コスの庭でダラダラしていた時にオクシが久保田利伸の「LaLaLa Lovesong」を「これ日本の知ってる歌で一番好き」と言ってスマホBluetoothスピーカーにつないで聴かせてくれて、午後のノンビリした空気と気候も手伝ってとても気持ち良かったのが印象に残っていたので、空港のベンチに座って自分のスマホで聴いてみた。ドラマとかが次週へ続く時に、今週の終わりのシーンにかぶせて流れてくるエンディングテーマみたいで、泣かないけど遠い目になったりした。実際、今朝でジャカルタ編が終わって今日から最終章だし、勇気をくれた君に照れてる場合じゃなかったし。
 
 
飛行機では窓際の席になって嬉しかった。山が2つポコポコ、と雲の上に顔を出しているのが見えた。わたしのすぐ右隣に座っていた白人が、どう見ても一昨日の動物園で会ったテングザルの写真を撮ったよと見せてくれたおじさんで、ビックリして、話しかけてみようかめちゃくちゃ迷ったけどなんとなくやめておいた。あっという間にジョグジャに着いた。
 
タクシーを呼ぶアプリをすっかり使えるようになりつつあった(言語能力が上がったのではなくて慣れて度胸がついただけ)ので、空港よりも安いだろうしと思い、アプリで呼んでみた。安いタクシーだからなのか理由はよく分からないけど空港の中には入れないらしく、運転手と文字のチャットをしながら空港の外に出て、近くのガソリンスタンドまで歩いた。正直かなり体は疲れていたけど気持ちが完全にオンになっていたので、暑かったけど気にならなかった。
 
今回の滞在で知って興味を持ったガジャマダ大学へちょっと様子を見に行く、というふわっとした目的があって、家に帰る前にタクシーで寄ることにしたのだった。けっこうハラハラしながら車に乗り込んだけど、運転手さんが、とにかくめちゃくちゃ良い人だった。
運転手さんに「ガジャマダ大学へ行きたい」と伝えたら、君はガジャマダの学生?というところから始まり、どこから来たのとかいつからいるのとか色々話すことになった。ほとんど勢いだけでペラペラ喋っていて、体感としてはつるつる滑っているみたいだったけど、かなりコミュニケーションがとれて不思議な気分だった。学校のことだけじゃなくて、気候とか地震の話もした。「昨日友達に教えてもらって、インドネシア語で数字が数えられるようになったんです!」と言って嬉々として1〜20とか数えていたので、相当素朴なやつだと思われていたと思う。
 
やがて大学の敷地内についた。かなり広くて、ちょっとした町だった。さすが総合大学だしさすがインドネシアの京大である。
わたしは、この時まで「大学の敷地内をウロウロして様子を見ることができればいいかな」という、今思えばかなり中途半端な気持ちでいたのだけど、運転手さんに「どこの学部いくの」と聞かれ、そ、そういえば、と焦って、わかんないどうしようウロウロするってなんて言うんだろうと一瞬でかなり色々考え、ハッと思いついて「インターナショナルオフィス…?」と言った。自分で言っといてそんな単語が出てきた自分にビックリした。
 
運転手さんは、OK、と強く頷いてくれた。何度も車を停めて、学生らしい人や警備の人に道を聞いてくれた。こんなに優しくて英語の通じる人に偶然出会えて本当にめちゃくちゃラッキーだった。アレックスという名前だった。何か困ったら電話してくれよなと紙に名前とワッツァップの番号を書いてくれた。とてもきちんとしているのにメガネのレンズが面白いくらいひどめに汚れていたのが気になってよく覚えている。
 
ついさっき目的地となったインターナショナルオフィスの前に着いたのは昼の12:55頃で、ドアが閉まっていて一瞬ギクっとしたのだけど掲示板を良く見ると13時まで休憩らしいとわかり、すぐ近くのベンチで時間が来るまで待った。もうハラハラしてしまってただ景色を眺めるしかできなかった。頭の中とお腹がぐるぐるした。
しかし事務の人はとても親切に、こんなに英語の話せない日本人を相手に、わかるまで説明してくれた。わたしが、わかるまでしつこく聞いたというのもあるけど。おかげで手続きの流れは完全に把握できた。念のため、語学学校の建物のほうへも行って、そこでも話を聞いて資料をもらった。この頃にはもう「通じないかもしれないけど取り敢えず思いついたそれっぽい単語を発する」とか「お手上げだと思ったら迷わずアプリを使う」というマインドが完成されていた。
 
 
資料を無事に手に入れて、タクシーを呼び、グッタリ休みたい体を家まで届けてもらった。こっちでタクシーに乗るのは日本で乗るよりもだいぶ安いので本当に助かる。(この運転手さんに対しても、調子に乗って「昨日の夜に友達に教えてもらったからインドネシア語で数が数えられるよ!」という話をした)
 
家に帰ったら、久しぶりに家主のテルリさんに会えた。さっきもらってきた資料に関していくつか話を聞いたりできた。部屋に戻って少し荷物を整理したらもう眠気が限界で、気づいたらベッドで寝落ちしていた。いつのまにか今のわたしにとってそこが帰る場所になっていた。
 
夜は日本人の仲間たちを中心にワイワイご飯を食べにいく約束をしていたので、テルリさんの運転するバイクに乗せてもらってレストランへ行った。レストランは、かなり観光客に向けた綺麗でオシャレでバカンス感のあるところで、ピザとか食べた。白人の客がたくさんいた。
その席で、ほとんど奇跡的なタイミングで、秋からガジャマダに留学するという日本人の男性に出会えて、彼もアーティストで、作品の話ができた。ジャカルタから直接日本に帰るルートにしなくて良かった。今日は意味的に重要な日になった。アイコさんからも話をたくさん聞いた。
 
お腹いっぱい食べて帰宅して、すっかり慣れたシャワー(ついシャワーと言ってしまうけど水浴び)を浴びて、ちょっと荷物を整理しようと思ったけど体力が限界だったのでさっさと寝た。