袖なしで電動キックボードに乗るシーン

 
先日、電動キックボードに乗った。恋人の乗る自転車に先導してもらって、夜の都内を目的地まで10分くらい走っただけだったけど、昔漫画で読んだ未来を今生きているみたいで、まるでひとつ夢が叶ったような気持ちになった。思い描いて望んでいたわけでもないから、夢の中にいたような、といったほうが正しいのかもしれない。でもとにかく、よかった。


最近、さすがに人生のフェーズが変わってきているのを感じる。「アラサー」がいつのまにか自分のことになった。結婚した友達も多くて、子供を育てている子も何人かいて、え?子供を育てている”子”……?子じゃねえ〜〜!親〜〜!!
アラサーって言葉が使われ出した頃に私は高校生だったような気がするので、え、いつの間に、と、ポカンとしてしまう。とにかく、自分の若さの臨界点はぼちぼちこの辺なんだろうな、という感じがしている。
自分なりに鍛えて、手入れをして、気を使って生活をして、ようやく体力とか肌の調子が人並みのところに、自分のなかでは最高の状態に保てている。でも、ちょっと気を抜いたらもう崩れちゃいそうだ。そんな気の張り詰め方をしていたら心がもたないよと、自分でも思うし、たまに人にも言われる。

ここしばらく、いろんなことが全然うまくいかない。こんなんじゃだめだということだけは頭でボンヤリわかるけど、思い切って行動に出ても空回るし、どんどんやるせない気分が押し寄せてくる。負けていられないと奮起したいところだけど、人生の短さや自分の何もできてなさ、これからのできそうになさ、その他いろんなことが情けなく思える!絶望的だ〜!こういう、暗くて卑屈な考えに落ち込んでいってしまうことは本当によくあって、ぜんぜん特別なことではないから、家で肉を焼いて山盛りの牛丼に卵を割り入れて、初めて飲んでみるビール(Asahiの富士山)なんか開けてみたりして誤魔化そうとするけど、当然、それじゃ何も解決しない。ビールは麒麟が好きだな…。

とにかくずっとぼんやりそんな気分で生活を続けていて、なんだか気持ちがアガらないことにも、やばすぎるコロナの状況にも政治のひどさにも、自分自身にも、すっかり飽きてしまったような憂鬱さだったので、生まれて初めて電動キックボードに乗った数分間が、突然、予想外に鮮やかで、特別な何かに思えたのだった。

少しごついハンドルには、右手の親指で操作できるレバーのようなものがあり、これを押すと加速する。ブレーキは自転車と同じ。まがりなりにもナンバープレートのついた、運転免許証の提示が求められる乗り物なのでけっこう緊張する。指だけでレバーを押すとキックボードだけぐーんと先に行ってしまいそうになるので、全身を使って重心をうまく調整してその速さにのる必要があった。初めはちょっとこれは怖いぞと思ったけど、覚悟を決めて道を進むなかで加速と減速を何度か繰り返したらすぐにわかってきた。わかってきてからは、中途半端な速さでこうして車道を、ヘルメットもしないで(義務はない)走っているのはきっと自動車からしたら相当うざいだろうなあという想像を半分くらいしつつも、新しい遊びを、生まれて初めてやる体の使い方をやっていることの新鮮さと喜びのほうが勝っていた。スケボーに乗るみたいに両足のつま先を右に向けて、膝は少し曲げて、腰から上の背筋をすっと伸ばしてボードの上に立つと気持ちよかった。

こうやって新しい遊びにすぐに適応できる自分のちょっとした運動神経の良さが妙に誇らしかった。今まで何人かの友人に「きれいな服だね」「いいね」と言ってもらえた袖のないお気に入りの服から出た生身の腕が、排気ガスやらいろんなもので汚染されたグロテスクな都会のベタベタした空気を、ぎりぎりの感じでかろうじて「キラキラと風を切って」いけることが嬉しかった。
袖のない服はわたしにとって普通にできる格好のなかで一番裸に近い。開放的な気分になって気持ちが良いので夏になるとこれでもかと着てしまうのだけど、これで電動キックボードに乗ったら、こんなんで転んだらすごく痛い思いをするだろうな、という出血の想像と緊張感が肌の表面に魔法をかけて、開放感がMAXまで振り切れてしまった。そして、こんなことを言うのは自分でもどうかしてると思うけど、いろんなリスクの上にやっとのバランスで成立している、ぎりぎりの美しさが纏えているような気がした。きっとあの時の自分は、街に肌を許しているような危うさとともに「キラキラと風を切って」、若くてちょっと美しかった。でっかいバイクにビキニのギャルがまたがっている、みたいなのの超超下位互換みたいな感じ、といったら伝わるでしょうか!

台風の近い夜の、ぬるい風。次々に現れる信号。街灯。言葉は聞きとれない大量の人々の声。漠然としたざわめき、車のヘッドライト、店の明かり、視界には光るものがたくさんある。前方を走っていく自転車に乗った恋人。代々木のはずれから、新宿・歌舞伎町を通り抜けて新大久保まで。こんな状況だけど東京の繁華街には想像以上に大量に人がいて、今この瞬間、自分もその構成員だからとやかく言えないけど、あれはソドムだった。そして、焼かれてなくなってしまえと思うわけじゃなくむしろわたしは滅びゆくオワった都市で生活することを眉を顰めながら面白がっている。あたしに生産性なんかないでーす、と、ワルぶって、カワイくてダサいのを誇って堂々と背すじを伸ばした、明日に続かない、愛すべき新鮮な体。ダメな奴ですがなにか!
次々にすれ違い通り過ぎるあまりにも多くの人たちと決して目は合わないけど、おそらくほんの少しの物珍しさの視線をちらちらと感じながら、中途半端なスピードでぎゅ〜っと進む。さっきテイクアウトして食べた大きくて美味しい、ちょっといい値段のハンバーガー!人のいない駐車場みたいなところで、こっそり悪いことしているみたいに、口内炎を我慢してゆっくり食べたやつが胃の中にある。信号で止まったら、毎週片道1時間半くらいかけて予備校に通っていた高校生の頃にドキドキしながらローファーで歩いた大通りだった。相変わらず高いビルばかりがあって、ハイブランドのショップとか看板とか、カフェとか、電気屋とかごちゃごちゃあって、横断歩道があって、ぜんぜん空気がおいしくない。空なんか見えない。でもこんなに楽しい。わたしはあの10分間だけ、映画の中にいるような、始まれば必ず終わる時間の中にいた。