近況報告

 
11月9日 金曜日 
 
あっというまに11月になった。日毎に日本との気温差が開いていくのを、実感はないけど想像している。カレンダーは11月なのに暑いので、日本で二十数年かけて11月に任せてきたイメージと噛み合わない。日付がただの数字然としてくる。
 
最近ようやく雨季らしくなってきて、毎日雨が降る。夕方や夜に一気にくるのが基本だけど、一昨日の昼間には、バケツどころかプールをひっくり返したような、ものすごい雨が降った。とにかく勢いと音がすごいので、つい楽しくなってしまう。でも昼の雨はすぐにあがる。降る前よりも涼しくなるので、日本の梅雨とは全然違って爽やかだ。
日本から持ってきたものを使い切ったのでこちらで新しく買ったボールペン(種類の違うのを3本買ったうちの一本)も、もうほとんどインクがなくなった。日記や会話の時のメモ、勉強など、紙に文字を書く量が以前よりもかなり増えていて、この感じは心地がいい。シャーペンや鉛筆よりもサラサラと軽い力で細かく濃く書けるのが好きで、そういうボールペンを選んで使っているけど、この半年で何本使うことになるだろう。
 
数えてみたら、もう48日目になるようだし、ぼちぼちインドネシア語の上達を感じていたいところなのだけど、むしろまだまだだという気持ちがどんどん強くなる。
耳が慣れて相手の言葉を聞き取れるようになってきたのはとても実感している。さっき、偶然ごはん屋さんで会ったジャワ語の先生と、かなりギリギリな言葉と身振り手振りと辞書を組み合わせてではあるけど、なんとか途切れずに、したい会話ができて、かなり成長を感じた。でも、聞き取れているだけに、スピーキングが追いつかない悔しさが大きくなってきた。
そういうわけで、もっと真面目に勉強をやろう思う。心や体力の余裕も出てきたし、その日に新しく知った単語を小さいノートに書いて、細かい時間で暗記をしていくのを昨日から(昨日から!)始めた。実際の出来事の記憶と一緒に覚える作戦。あと今日から、インドネシア語の日記もじりじり書く。Google翻訳を使わないで友達のメッセージに返信するのはできるようになりつつある。綴りを間違えるけど。頑張ります。
 
 
自分の滞在している部屋はゲストハウスの一室なので、他の客やオーナーに会うのが怖くて最初は自室に引きこもり気味だったけど、だんだんオーナー夫婦と笑顔で会話ができるようになってきた。もう最近は10分だけの近所の散歩にも出るし、気軽にお湯を沸かしたり冷蔵庫にヤクルトを取りに行ったりもする。日頃インドネシア人とだけ接しているので、自分にとっての日本語が、人を相手に喋って使う言語ではなく、文字で書いたり読んだりするための言語になりつつあって、ちょっと暗号とか秘密みたいだ。引きこもる言語というか、内側の言葉という感触。
 
暮らしに関しては、歯を磨くのを外の手洗い場ですればいいんだ!!と、ある時ふと気づいて、それからは歯磨きが楽しい。風を感じながら歯磨きと簡単な筋トレをするという良い日課ができた。なぜ外で歯を磨くことになったのかというと、自室に洗面台がなく、シャワールームは「トイレの壁にシャワーもついています!」というつくりでバスタブがない(シャワーと同時にトイレもびしゃびしゃに洗われるのでいっそ清潔な感じがする)ため、排水は床の角の排水口一箇所で、歯磨き後のうがいを床に吐くのとトイレに吐くのと、どっちがいいのかわからず、どっちも試してどっちもなんか嫌だったからだ。外で爽やかに歯磨きをするようになって、グッとQOLが上がった。
 
オーナーのおじさんとは毎日顔をあわせる。先日、ついに「ギターいつも弾いてるの聴いてるよ〜」と言われた。やばい、夜も時々弾いてしまっているし、根本的に歌の声が大きい。他のお客様のご迷惑となります、かな、ごめんなさいすみません、、と一瞬でワッと考えて胃がギュッとなった。でも、恐る恐る「ぼ、boleh………?(〜してもいいですか?)」と聞き返したら、「Boleh!Boleh!(いいよ!全然いいよ!)」といい笑顔で言われた。近所の音楽教室とか、アザーンとか、雨とか、かなりうるさいし、ギターと歌くらい、いいだろう!と正直けっこう遠慮なくやっていたけど、よかった。でも、まあ事実としては完全にご指摘だし、夜の音量には気をつけようと思った。インドネシアの人ってこんな音環境で、どのくらい近所迷惑とか思うんだろうか、というのは以前から気になっていることなので、この件に関する第一歩が始まったなと思った。
 
 
かねてから気になっていた、トランスの受け入れられようについては、想像以上に収穫があった。まずは絶対に見たかったジャワのトランスダンスが観れた。
自宅から歩いて5分程度の場所に、家々に囲まれて小さな広場があり、そこでジャティラン(竹製の馬の盾のようなものや鞭をつかって踊る)やレオグ(大きくてグロテスクな被り物をして足に大量の鈴をつけて踊る)といったジャワの踊りをやっていた。日曜日の午後だった。地元の人ばかりが集まっているようで、観客は70人程度で、パッと見た感じ外国人は自分以外に一人もいなそうだった。子供たちも踊りやガムランを披露していた。食べ物の屋台がいくつか出ていて、それの客寄せのための安っぽい電子音楽が踊りの音楽と混ざってしまってうざかったけど、でも、そうだ、こういうとこだ〜と思った。この、無神経な感じは、ここで半年眺めたいと思っていたもののひとつだ。(そうは言ってもあらゆる場で耳にするPAのバランスがことごとく酷くて、それは堪え難いものがある。必ず低音をきかせ過ぎてモワモワしているし絶対的音量もかなり大きいので、テンションの高い司会者が大きく息を吸ったのを見るとわたしはこっそり耳をふさぐようになった)
 
広場には、木のチップを敷いて竹の柵で囲まれた20m四方くらいのアクティングエリアが作られており、その向こうにしっかりとしたステージが組まれ、ガムランの音楽隊が座っていた。トランスにはいるダンスはプログラムの最後で、10代くらいのとても若い男の子たちが七人くらいで激しく踊ってトランスにはいり、術師たちの力をかりて気絶して舞台裏へ運ばれて行く、というのを、ひたすら続け、全員が終わるまで観客みんなで見守った。最後の一人が運ばれて行くとすぐにお開きになった。
トランスにはいっている時は口にものをいれたくなってしまうと2年前にインドネシア人から聞いたことがあったけど本当らしかった。カゴにいっぱいの花(術師がダンサーに向かって蒔いたりする)をムシャムシャ食べだす者、何かの根っこ?芋?のようなものを生のままボリボリかじる者などもいた。トランスにはいっているわけではないんだけど、直径30センチくらいある木ノ実を両手で持って、口で豪快に固そうな皮をバリバリ剥いて中のジュースを飲んでいる男の子がいて(みんなそうしていた)それもけっこう迫力があった。3つくらいそのようにして剥いて食べていた。歯が強い。
途中から来た友人やゲストハウスのオーナーにも「怖かった?」と聞かれたけど、トランスそのものよりもむしろ、術師が男の子たちの額に触れたり首や頭をちょっとグッとやるとスッと気絶するのが一番怖かった。彼らの家族たちはどんな気持ちで見ているんだろう。術師は男の子たちにタバコを咥えさせたり小粒の何か(薬だったのか、謎のまま)をポケットから取り出して一人ずつに手渡して食べるよう促していたりもしていて、厳密に音楽と踊りとお面だけでトランスにはいっていたわけではなさそうだ。帰国までにできればあと二回くらい遭遇したい。
 
あと、派遣先の高校で、悪い霊に取り憑かれてしまった女子生徒の除霊をするという事があった。今週の月曜日だった。授業と授業の合間、図書室の一角で日本語の先生とお喋りしていたら、女子生徒たちが大勢で一人を抱えてやってきて、近くのソファにその子を寝かせた。悪魔が入ったんだという。見ると、夢にうなされている時のように、目はつぶったまま汗をたくさんかいて、ずっと、うーーーーと低い声で唸っている。涙も流している。ここはイスラム教の学校なので女子生徒は全員ジルバブ(ヒジャブ)をしているのだけど、運ばれて来た生徒はそれを外していたので、ジルバブの日焼けのあとがあらわになっていた。目尻から耳にかけての、いつもは人にも太陽にも晒されていない肌はとても綺麗で、ついちょっと見惚れてしまった。ムスリムの女性たちは、きっとメガネ焼けや水着焼けならぬジルバブ焼けをしちゃうんだろうな、ちょっとヘンなの、と勝手に想像してそんな風に思っていたけど、実際にみたらその日焼けのコントラストは美しく思えて、そう思ったことが意外で、こんな時に不謹慎かもしれないけど、密かに嬉しかった。
一緒にいた日本語の先生が、女子生徒の足の指や手の指を爪で強く掴んだり、顔を叩いて名前を呼んだりしたけれど、ほとんど反応がなく、やがてお祈りが始まった。先生がその女子生徒の額に右手を当てて、とても小さい声でブツブツと唱えるのを、周りの生徒たちもみんな真剣に見守っている、かと思うと、そうでもない。普通に冗談を言って笑いあったりどつきあったりしている。どのくらいの深刻さでここに立っていたらいいのか、よくわからない。それでもちゃんと心配はしているようで、30~40分くらい、お祈りをしたり顔を叩いたり鼻をつまんだり、みんなで口々に名前を呼んだり、紙と鉛筆を持たせて名前を書かせようとしたり(今彼女の体に入っているのは彼女ではなくdedemit(妖怪、悪霊)なので、なんとかして本人を呼び戻す必要がある)、お茶を飲ませようとしたり、生徒たちも色々試みていた。その女子生徒は20分くらいしたところでなんとか起き上がって座れるようにはなったけど、先生の力では除霊しきれなかったらしく、授業も始まってしまうので、学校の近所に住んでいるもっと除霊が得意な人に続きを任せることになり、またその女子生徒は運ばれていった。
先生によると「学校にはわたしの他にもう一人、除霊ができる先生がいます」「運ばれていった女子生徒のクラスの教室のすぐ外はお墓になっているからそれかな〜」「去年と一昨年はほとんどなかったんだけど、なぜか今年はもう3人目です」とのことだった。突然取り憑かれてしまう生徒がいる、とは聞いたことがあったけれど、いざ目の当たりにするとさすがにビビるし、普通に高校の教師なのに「簡単な除霊ならできる」なんて、かっこいいけど、どういう感覚なんだろう。同じようなことは日本でもありますか?と聞かれ、あんまりないですと答えた。答えつつ、まあ、日本にもあるんだよなと思った。
 
 
 
 
心に負荷の大きい事件もあった。
最小の文字数で要約すると、ここへ来てすぐ仲良くなったインドネシア人の友人(男性)に恋愛的な好意を寄せられあまりにグイグイ来られ心が限界になり「そういうのは無理です」と伝える、ということがあった。彼の名誉のために言っておきたいのだけど、その友人に落ち度はないし暴力的なことも一切ない。ただ、わたしが勝手に、めちゃくちゃ傷ついて疲れてしまって、丸一日、全ての気力を失って寝込んだ。
彼はその後もケロっと「じゃあ友人てことで今後ともヨロシク!」と今までと変わらない調子のメッセージを寄越すし、会っても普通だったので、わたしが一人で勝手に落ち込んでいるみたいに思ってかなり情けなかった。
 
かなりのダメージを受けてしまっている理由がよくわからなくて散々悩んだけど、理路整然と分析しようとすればするほど嘘になっていくので、そういうふうに理由を考えるのはやめた。わたしからはこう見えていて、あなたからどう見えているのかわからない、という、ただただそれだけのシンプルな断絶って、そういえばこんなに苦しいんだった。そう気づくのに三日くらいかかってしまった。渦中にいると分かっているはずのことが分からない。
(そして今日たまたま「内部(dalam)」という単語を調べたら、深さという意味もあるらしく、ドンピシャっぽいことわざが載っていた。「Dalam laut dapat diduga,dalam hati siapa tahu.(海の深さは測れるけれど人の心は測りがたい)」)
 
 
人からの好意には、圧と呼びたくなるような強いエネルギーがある。自分からにせよ人からにせよ、強い好意が苦しかったことは今までにも何度かあった。(あれってなぜか、言葉で言わなくても、目や肌でビリビリとわかるから不思議だ。)逆に、それが自分の原動力になったことも、たくさんあった。恋愛なんて人間の一番愚かな部分がやらせる困ったものだけど、でも、愚かなぶん、他に拠るところもないので、めちゃくちゃ強い。相手をも巻き込んで愚かにするようなところがある(このように)。
だいたい始まったばかりの時には片思いだし、性的なこととか暴力とかが絡んできがちだし良いことばかりではないけど、とにかく大好きだ、というシンプルなエネルギーが動き出したら向かうところ敵なしで、食べなくても眠らなくても枯渇しない。好きなものは好き、は、すごく強い。そこから始まるものはたくさんある。
 
最近、見知らぬ誰かに配慮をしようとし過ぎたり論理が破綻するのにビビったりして自分の動きが鈍く小さくなっていたので、先週はこの件で理屈抜きのしんどさに身を浸せてよかった。理屈抜きのしんどさにぶち当たって心を削られるのと、理屈抜きで大好きなことに対して根拠なしに勇気が膨らむのとは、たぶん裏表になっている。だから、ああやって寝込んで落ち込んでいたのは今の勇気を出すのに必要な時間だった、と思うことにした。(そうでも思わないと情けなくてやってられない)
 
ちょっとこじつけるみたいだけど、最近はそういう熱をもって、ギターを弾くのがめちゃめちゃ素朴に楽しい。毎日のように弾いていると、抑えにくいコードのうまく鳴らせなかった弦が鳴らせるようになったり、ぎこちなかった手の動きがこなれてきたりするのがわかる。指先も手首も腕もずっと座っているのでお尻も痛くなるけど、上達の楽しさが勝つ。下手なので上達する以外にないというのが実際のところだけど、真面目にやるとちゃんと上手くなる段階は、ただただ楽しい。
昨日、かなり集中できた時間があって、ずっとギターで弾き語りがしたかった曲に頑張ったら手が届く気がして、気がしただけだしかなりダサくてクサいけど、夢が目標に変わったぞという思いでニヤニヤしてしまった。寝る前に頭のなかでめちゃくちゃな歌が鳴りまくるのも久しぶりで嬉しかった。調子に乗っています。
 
昨日と一昨日、夕飯を食べずに空腹で寝たら、朝の寝覚めが最高によかった。多少の睡眠時間の足りなさは気にならなかったし、体が軽いし、肌の調子もたった二日でググッとよくなった。インドネシアに来てから、こんなに体が軽い日が二日も続くのは初めてだ。運動不足とか、油分過多、塩分過多、水分不足、ビタミン不足、など、いろいろ疑って対策を講じていたけど、とても簡単なことだった。
健康を確保する方法が掴めたら、なんとかなる気がする。
 
この、夜ご飯を食べない作戦、実はけっこうこの季節の理にかなっている。夜になると雨が振るから外へ食べに出るよりも空腹のまま寝てしまって、朝早く起きて食べたり遊びに行ったりして、雨を避けて午後には家に帰る。天気のサイクルとばっちり噛み合う。天気を味方に生活を整えられるのは気持ちがいい。