10 野暮でも

8月3日
 
朝、今日も天気が良い。寝坊こそしなくてちゃんと約束の時間には庭に出られたのだけど、2日前のマフィンをやっと今朝食べた。傷んでないかなとちょっと思ったけど大丈夫だった。アイが温かいお茶をくれて、それを飲んだのだけど時間的にもう行かないといけなくて、飲みきれないまま残してしまった、ゴメンといってコスの門を出た。
ジュンさんについて、交通量のハンパでない道路を渡りバス停へ向かう。3月にバリに行った時も交通量のハンパない道路をヒョイヒョイ渡っていく人たちを見てすごいなと思っていたアレが、自分もだんだん出来るようになりつつあると思って居たけど、ジャカルタのそれはさすがにまだ怖かった。ジュンさんが右から来る車の時は右に、左から車が来る車線の時は左になんとなく手を伸ばして制したりするので、その手の反対側後方にいれば多少安心な気がして、そうやって頼って渡った。
バス停は、道路より1.3メートルくらい高くなっていて、駅の改札みたいなところを通過するときにお金を払うシステムだった。少し待ったらすぐバスがきて、一番後ろの高くなっている席の窓際に座った。景色がよく見える。
 
まず国立博物館に行った。国立博物館の手前の歩行者用信号が、立ち止まっている人と歩いている人の、赤と青のLEDなのは日本と同じなのだけど、青の歩いている人がアニメーションみたいに動いて歩いていて、おもしろかった。国立博物館は半分くらい工事中らしく、おかげで1時間半くらいしか時間をとれなかったけど一応全部見れた。全く意味不明なオブジェがあったりなんだこれというものが多くて、1人で見ていたけどけっこう楽しかった(ジュンさんはそのあいだに朝食をカフェで済ませてPCで仕事をしていて、なんかちょっと子供のような気持ちになった)。
 
その後、トロトアートという名で集団で活動している人達に会いに行った。高架下に店を作ったり住んだりしている地域で、ゴミを集めてそれを分別し直したり売ったりする仕事をしたりしている場所がそこだったりする。色々な資材を売っていたり、倉庫が多かったりして、大きな車もたくさん通るのに道は狭く、ここでもまた信じられない狭い幅を通り抜けていくバイクやバチャイ(バイクの変形版みたいなもので三輪車になっていて運転手の後ろに2人乗れる)が見れた。
女性達が内職のような感じでコーヒー豆を選別しているので話しかけると一粒齧らせてくれた。おいしい。
小鳥というか雛鳥をたくさん売っている40×40×70くらいのカゴが置いてあった。5階建てになっていて、極端に低い天井なのでカゴまるごとぜんぶ雛鳥みたいな状態ですごいんだけど、ここで生まれて初めてカラーひよこを見た。一番下の段にはアヒル、その上にはヒヨコ、その上もヒヨコ、その上はピンクや緑のカラーひよこ、一番上の少し広い階にはカナリヤかなにかが、飛ぶタイプの小鳥がこれもピンクなどで雑に塗られて、ぎゅうぎゅうに入っていた。ここ以外にも鳩や鶏がびっしり入っているカゴが、それでひとつの家のように積み上がっているところがあったりして面白かった。食べるのかな。こっちの人は鳥との距離がかなり近い。
高架の近くには家々がこれもびっしり建っていて、どこかから料理のいい匂いがしたりした。子供達がたくさん遊んでいたし鳥かごがたくさん家の前に下げてあったり家兼店のタイプの店があり、駄菓子やタバコが、また多くをぶら下げて売っていて、見上げれば洗濯物や、今度の独立記念日へ向けた旗などがぶら下がっている。ぶら下がっているものが多くて、たまに風に揺れるのが見ていて気持ちよかった。
 
会うつもりだった人の家の前で待ったのだけど、どうやら違う場所、コタ駅の近くのイベントにいることが判明して、そっちへ向かうことになった。ジュンさんの友達がバチャイを手配してくれた。ここで会った人たちはジョグジャでわたしが会った人たちとは全然違った。たとえば挨拶がフィジカルで、ウェーイと言いながら肩とか叩く感じだった。顔のパーツがぜんぶめちゃくちゃ大きい男性がいて、表情もくるくる動くし、特別なにか派手な動きをしなくてもバレるくらい明らかに身のこなしが軽くてすごくなんというか、良かった。
 
初めて乗ったバチャイは、かなり揺れるし清潔感はないけど、バイクと車のいいとこ取りだなと思った。バイクみたいに街の風とかにおいとか気温の変化を感じつつ雨や日差しは概ね防げるし、荷物が大きかったりしても乗れるし、車は通れないなという隙間も攻めて通っていったりするので渋滞に若干つよい。
 
コタ駅の近くでは、ASEAN literary festival というのをやっていて、英語の本を売ったりするブースがたくさんでていた。その一つをトロトアートがやっているらしい。全体的にイベントの趣旨がよく掴みきれなかったのだけど、客席では中学か高校生くらいの子供達が制服でたくさん座っていて、ステージはちょこちょこ盛り上がっていた。
トロトアートのジョニーさんとジュンさんが盛り上がって話していて、頑張ってどういうことなのか分かろうとして聞いていたのだけどまあインドネシア語はほとんど分からず、都度、要約してもらってなんで笑っていたのかとかを遅れて理解した。早く覚えたい。ジョニーさんの息子が4歳くらい?でとても可愛かった。ジュンさんが持ってきてあげた竹とんぼで遊んだりしていた。奥さんが、あんまり言葉も通じ切らないのだけどわたしがイベントのブースを見るのに付き合ってくれて、一緒に歩いた。わたしは英語ガタガタなのやべーと思っていたのもあってインドネシア語の有名な詩が沢山載っている英語の本を見つけて買った。詩の英訳、言ってしまったら野暮かもしれないけど雰囲気や作家の名前だけでも知れるならと思った。いろんな古本も安く売っていたけど買わなかった。
 
ジョニーさん一家と別れて、次の目的地へ向かうべくコタの駅の近くをちょっと歩いた。バチャイに乗ることにしたけどお腹が空いていたので、その前にそのへんの屋台で名前のわからない混ぜご飯ならぬ混ぜ麺みたなものを食べた。ピーナッツぽいタレがかかっていて、見た目はぐちゃぐちゃで微妙なのだけど味がめちゃくちゃ美味しかった。日本にもこのお店あって欲しい。インドネシアの料理は辛いにせよ甘いにせよ、スパイスやハーブを使ったちょっとニュアンスのある味がして、こっちに来てから毎日なにか食べているけどほとんどの店で美味しい。
バチャイの運転手が若い男の子だったのだけど本当に狭い歩道と車の隙間をギリギリで通っていくのが上手で、時々おお〜と声が出た。
 
ジャカルタの北の港に着いた。地名が文字で把握できていないので書かないけどもともとそこにあったカンプン(集落)が都市開発の影響で立ち退きになり、告知から10日ほどで元々の家は全て1日で壊され、しかしその後政治のゴタゴタで工事は保留になり、今は元からの住人達が自分たちの手で作った家で住んでいるというところ。ジュンさんはそこには何度も通っているらしく住人達とは親しい挨拶を交わしていた。
 
 
かなり訳のわからない状況の場所だった。ここにはもう1人のジュンさんがいて(たまたま名前が同じのインドネシア人)彼が集落を案内してくれた。直接言葉の意味を解れないのがもどかしかったけど、目の前で実際に顔をあわせて話をしているから、日本にいて話に聞くのとは何もかも違った。高くなっていて、海が見えなくなっているコンクリートの堤防に手作りのハシゴがかかっており、それを登って3人で腰を掛けたら辺りが一望できた。
向こう岸に見えている巨大なマンション(これと同じようなものが建つ予定だったらしい)とか、ゴミがたくさん浮いている海の手前にとめてある船(家がなくなってしばらくは、ある十数人の大家族などは船に住んでいたらしい)とか大きな貨物船や小さな漁船を見ながら話を聞いた。そうやって聞いたら、今こうして目に映っているものが、遠くに見える高いビルから、それの左手に広がる今まさに立ち退きの通知を受けている地域から、振り向けば広がる低い手作りの家々から何から、全て今回の事件に関係しているということが、体でじわじわ解ってきた。それはもう情報じゃなくて状況で、ただただ現場だった。 自然災害ではなく、ぜんぶ人間の関係の中で生まれた状況であるということがしんどかった。都市開発を推奨する側の「治安が良くなる」とか「街がきれいになる」という意見も、わたしが今まで通り普通に日本で暮らしていたら、そういうことで良いじゃんと思っていたと思う。コスの仲間やインドネシアで暮らす日本の友人もそっちの立場なのだそうだ。そりゃそうかもしれないけど。目の前に座っている現場の人間の口から、自分の家が壊されるのを見るのは耐えられなくて泣いちゃうから壊される前に家にキスをして別れを告げて、違う場所にいたとか聞いたら、聞いてしまったら、その体と表情と場所に出会ってしまったら、そういうことで良いじゃんなんて、全然思えなかった。「涙」を表現するために、よく日に焼けた自分の頬を自分の指で縦になぞる仕草を繰り返していて、とても印象に残った。 
 
唯一、このこととは関係も影響もなさそうな空は、ちょうど良い時刻で見事な夕焼けで、鋭く細く建つ大きなモスクのふたつの塔のあいだに太陽が沈んでいくのだけが、わたしにとっては少し頼りだった。
 
着いてから、ここはすごく埃っぽいところだなと思っていたけど、家をガシャガシャ壊したらこうなるんだというのを、自分は知らなかったんだとわかった。今まで、自分の作品のなかで声を響かせるのに、建物や硬いコンクリートは味方だったけど、粉になったコンクリートは、自分にとっては、いろんな意味でとても強烈だった。徹底して鼻で呼吸していても喉が痛くなるし、音が響くどころではない。コンクリートは、どうも体に対してかなりきつい。ジャカルタに来る前に山でリアルにコンクリ打ちっ放しの建物に2泊したときも、その硬さにかなり体力を奪われたし、喉をやられた。うまく言語化できないけど、コンクリートについて考えるのは自分にとって必要なことのように思った。
 
 
 
難しい問題なものだから話を聞いた後、自分はすっかり真剣な顔になってしまったのだけど、彼らはわたしたちに甘いコーヒーやココナッツのお酒を出してくれて、笑いながら一緒にいろんな話をした。17歳の女の子とも話をして、彼女はかなりよく勉強していて、英語が上手だったし日本語も結構知っていた。日が暮れて蚊が出てきたので高い床に座らせてくれたり、爽やかで美味しいお酒を次々コップに注いでくれた。生活の話もしてくれたし、好きな女優の話とか、ほんとにくだらない話も沢山した。天井と屋根の布の隙間にチェス盤が差し込んであるのを見つけて、ああ、時々ここで彼らはチェスをやって遊んだりするんだな、というのを勝手に想像した。
 
 
ほどなくして昨日もお会いしたジュンさんの友人のアート関係の人たちが4人来て、わたしたちは彼らと一緒にカンプンを後にして餃子を食べに行った。わたしとジュンさんは「中華食べたくない?」「餃子とか食べたいっすね」と昼に話をしていたので、かなり嬉しかった。俺の餃子という名前の店に行った。餃子は、たぶん美味しかった。
 
さっき見て聞いて来た話が強烈すぎて、わたしはなんだか横隔膜が下がらなくて、正直味も良くわかんないし食欲が全然でなかった。暗い気持ちになっているわけじゃないんだけど、お腹のあたりがハラハラしてしまって、顔もうまく動かせなくて、つい一点を見つめたりしてしまっていた。手を洗いに行った時にそのまま廊下に立って壁にもたれて、目をつぶってしばらく深呼吸したりしてみたけどダメだった。疲労みたいなのが、脚とかの筋肉じゃなくて、胸というか内臓にきていた。
自分がどういう気持ちになれば自分にとって納得がいくのか全然わからなかった。アーティストとしてどうこうとかいうのは嘘くさく思えてそこは今は閉じようと思った。遠い外国の他人事でしょとは、全然思えないのが、自分で自分に腑に落ちないんだけど、ともかく全然そうは思えなかった。日本だってかつてはそういう勢いで街を作っていたはず、とかそんな野暮なことではなくて、言葉にした端からどんどん取り逃がしそうでわけわかんなかった。それに、カンプンであんな衝撃を受けた後にもこうしてぺろっとタクシーに乗って餃子を食べてビールを飲んだりできてしまうことに、簡単に言えば混乱していた。
 
味がよくわらかないまま餃子を食べ終えて、半分解散して、ジュンさんと友人(アート関係のバリバリのキャリアウーマン的な女性、気さくで素敵なインドネシア人なんだけど名前を忘れてしまった)と3人になり、わたしがインドネシアに来たけどまだドリアンもマンギス(マンゴスチン)も食べていないと言ったら、果物の屋台が集まっている一帯に連れて行ってくれた。
生まれて初めてドリアンを食べた。正直あんまり美味しくないというか初めて食べる味すぎて美味しいかどうか判断しかねる感じだったのだけど、まあたぶんこれは好きではなかった。それよりマンゴスチン食べなよとジュンさんが勧めてくれたそれはメチャ美味しかった。酸味があって甘くて。
もう一つ見たことのない果物があった。ロンタルというらしく、黒くて硬い皮というかたぶん果肉も含めてどんどん削って、本当にコアの部分の、直径4センチくらいのレンズみたいな半透明でみずみずしいところを食べる。屋台のおっちゃんが手際よく剥いてくれるのだけどその手際が本当に良くて、昨日のミシンで刺繍をするおじさんと通じるものがあった。見ていて気持ちがいいので動画を撮った。味は薄くてココナッツに似ていた。シャクシャクの半透明の内側にさらに水が入っていて不思議な食感だった。
初めて食べるものに触れたら少し気持ちが落ち着いた。この辺りは治安が良くないらしいのもあってタクシーが来るまでのあいだインドマレというコンビニにいた。そこで昨日の晩にジュンさんから聞いていた、インドネシア版レゴのジャカルタ名物屋台シリーズみたいなのを購入できた。めちゃ可愛いくてお土産に最高だし買えたらいいな、でもモールとか行ってる時間ないよね、と諦めていたので、思わぬタイミングで出会えて嬉しかった。
 
タクシーでコスへ戻るあいだ、ジュンさんと、さっき書いたような葛藤とか感想とかの話をした。
 
コスに着いた。朝、夜にみんなでドミノ(ゲーム)をやろうねと約束していたけど時間が遅かったので、アイと3人だけでドミノを何度かやり、飽きてからはプレステでゲームをした。コスの門のところに、守衛さんがいるようなちょっとした大きさの壁と床と天井があり、その床にモニターとプレステが置いてあって、ほぼ屋外なので虫とかヤモリとか時々くる。アイはここで門番をやっているから、私たちが遅く帰ってきたりすると心配してくれたりする。
プレステは、わたしは全くできないので、2人がサッカーのゲームで対戦している横で、数字を覚えるためずっと数を数えていて、合ってますかと途中で彼らに聞いたりしながら、ドミノのカードの数字を足したり掛けたり、0から100まで数えたり100から0まで戻ったりしていた。人がゲームをやっているのを眺めているのなんて久しぶり過ぎて、ちょっと懐かしい気持ちになった。わたしは昔からテレビゲームについては眺める側だった。たまにやらせてもらうと下手すぎて笑ってしまって、もっとできない。
 
眠かったけど、落ち着く時間が欲しかったから、ジャカルタ滞在の最後にそうやって無駄でつまんないけど良い時間を過ごせて、気持ちがだいぶ助かった。明日にはここを離れてジョグジャへ行くというのが淋しくて、淋しいとかあるんだ!と自分でも思うんだけど、淋しかった。別れを惜しんでるんですと口に出して言ってみたら野暮で笑えた。笑って話すってすごい。
 
結局明け方近くまでそんなふうにしていたから部屋に戻ったのは空港へ向かうタクシーが出発する3時間前とかで、シャワーを浴びたり支度をしていたら1時間しか寝られないことがわかり、それでも寝た。1時間くらいでも寝るのは大事だったし、体は相当疲れていた。