ガス会社との約束を守るみたいに

ガス代の払込票をなくした。

わたしは、友人とシェアしている家の、一応家主なので(ってことだったと思う)、月々の光熱費と家賃の回収と払込を、住み始めた時からずっと担当している。時々払い込むのを忘れたりハガキをなくしたりするし、一度はガスを止められてしまったこともあったけど、基本的に問題なくこなしている。

ガス代は青いハガキ、水道はピンクのハガキ、電気代の払込票にはオレンジのラインがはいっている。なんとなく、ガスと水道のイメージカラーが逆のような印象があって、「逆」で覚えている。

先日、同居人の誕生日パーティーを、ここでこういうふうにやるのは最後かもってことで盛大にやって、この家にこのメンバーで住む、おそらく最後の一年が始まっているのを実感した。

光熱費の払込票の控えは、あまり理由もないんだけどファイルにまとめている。それが去年くらいに一度いっぱいになった時にも、長く住んでいるなあと思ったけど、そう決まっている訳じゃないにしても、来年がないって、こんなに落ち着かないのか。ただ、わくわくするから嫌ではない。

小学校六年生の時も、高校三年生の時も、その次に進学するための勉強に追われて、この生活は来年にはないってふうにはあまり考えていなかった。ちゃんと行きたい学校へ行って充実した日々を送るんだ!とか思っていたと思う。期待があった。でも今は先が全然見えない。学校とか、そういう仕組みに対して期待することができなくなった。あるとすれば、人に対して期待している。あの人といつか一緒に仕事がしたい、とか、もっと仲良くなってご飯とか行きたい、みたいなこと。半分以上夢なんだけど。

このまえ、「これからもあなたとは一緒に活動したい」というようなことを人に言われた。その時は何も言わなかったけど、あとから考えて、いつもそういう旨の発言に対してわたしはいい返事ができないな、と申し訳なく思った。例えば友達に「これからもずっと親友だよ」って言われて「もちろんだよ♡」と答えられなくてとりあえずヘラヘラ笑う、みたいな。親友って言葉がしっくりきたことがほとんどない、あの感じ。親友って、今の状態じゃなくて未来も過去も含んでいるな。重たいな。

こういうことを言う人の気持ちが全然わからない。自分の言ったことが、この先ウソになってしまうかもしれないとか、思わないのだろうか。あるいは、「いや、あなたとはせいぜいあと半年のつきあいでしょ、勘弁して」とか言われることを恐れたりしないんだろうか。仕事だからと割りきっているのだろうか。それとも、めちゃくちゃ自信があるのか。

わたしは、今は、結婚はしたくないと思っている。「これからも一緒」に「イエス」と答えてしまったら、未来が、いくつもつぶれる気がしてしまう。体がちっちゃくなっちゃいそう。今のわたしには、結婚のほうが諦めに見える。いつかそれが逆になれば、さくっと結婚したりするんだろうけど。名字が変わるからっていうのもあるかもしれないな。

やっぱり結婚は大人がするものなんだ。いろんなものを諦めて、覚悟と自信を未来へ向けて持てる強い大人。

…えー、うーん。ほんとかなあ。