あなたの食べる音

今日の夜、静かな家の床で、仰向けに寝転がっていた。寝ては居ないけど、一日の疲れを体に感じながら、もうあとひとふんばり頑張れ、という感じで目を閉じて休んでいた。その自分の頭の上のあたりの床にはもう一人ひとがいて、その人は女性なのだけど、なにか食べていた。食べている音がしていたし、お腹がすくころなので、食べているのだと察した。

でもそちらを見なかった。会話も少ししたと思うけど、そこはあんまり覚えていない。
何が印象に残ったかというと、めずらしく、人の出す音が不快じゃなかったのだ。
その後で、あえてあの瞬間を思い出す、ということをしたからかもしれないけど、床の質感と一緒に記憶に残った。食べていたのはサンドイッチだって後で聞いて、せんべいとかじゃなくて良かったなとも思った。

こんどの金曜日に最後の出勤をしたら辞める予定の、飲食店のバイト先に、苦手な人がひとりいる。わたしはその人だけがとにかく苦手だ。彼は、ものを置く時やなんかに、バン!と大きな音をたてる。イライラしている時はそれがさらにきつくなる。それが一番苦手だ。何か言葉で言われるよりもよっぽど嫌だ。
あるいは、今住んでいるシェアハウスのよくある光景だが、自分は別のことをしたりしていて、そのそばで誰かが食事をしていて、咀嚼の音が、なんだかやたら耳に入ってくることがある。気になる時とならない時があるけど、あれもあんまり好きじゃない。どちらかが悪いとかいう話でもなく、どうしようもないので同居人には気にしないで欲しいんだけど。

とにかく自分はそういう耳を持っているので、今日の不快じゃなかったのは何だろうなと思っている。
その人のことがフィーリングのレベルで好きかどうかとか、そういうことなのかな。理性で好いている部分と、心で好いている部分が、自分のなかにはたぶんあるから。
その人が出す音は、その人の体とか吐息みたいなものだ。特に咀嚼の音なんてほとんど体のなかの音だ。好きな人と、シンとしたところで、二人っきりで食事している時なんてもう自分の食べる音や飲む音が気になって仕方ない、なんかもう恥ずかしくて全然味が分からない、ああいう気分になるのは、やはり、咀嚼音が吐息とかに近いものだからなのかな。
声はいつも自分で制御して、狙って音を出しているから恥ずかしくないけど、咀嚼音とかって狙って出したり狙っておさえたりあんまりできないから、とかかな。

 

バイト先の飲食店では、流行の感じの音楽がけっこうちゃんとした音量でかかっていて、ドラムの音とか、ボーカルの声とかが常に耳に入ってくる。お客さん同士もおしゃべりな人が多いから、店員も大きな声を出して仕事をする。店内はけっこう常に騒がしい。もし、お客さんの咀嚼の音がぜんぶ聴こえるような店だったら、それはそれで、ちょっと働くのが面白そうだ。今のバイト先のぐつぐつした鍋は、ぐつぐつという音が実は鳴っているのに、それは、ほとんど目で見るだけで、音はあんまりじっくり聞けない。残念だな。店の趣旨が違うから、全然、いいんだけど、これで。
そういえば、京都の、たぶんけっこう有名な、好きな喫茶店があって、二回くらい行ったんだけど、そこは音楽が何もかかっていない。店にはいったとたんシンとした空気にちょっと特別な気持ちになるようなところがある。お店は広いので、店員さんに咀嚼音やおしゃべりの一部始終を聞かれているとは思わないけど、近くの席に人がいたら、少し小声でしゃべりたくなる。
ああいうところでされるおしゃべりとか、ああいうところに一緒に行く相手は、きっと、大きな声で店員さんが「いらっしゃいませ!」とか「かしこまりました!』とか叫んでいる店のそれよりも、自分にとってちょっと特別なのかもしれない。その人の出す音ごと愛せるようなそういう関係が、あるのかもしれない。
そういうの、一緒にめちゃくちゃ静かな飲食店に行ったらわかるのかもなんてな。