夢と死後と時間認識についての雑記

 
今朝みた夢が美しかった。ちょっと不吉だけどすごく鮮やかで、楽しげで、まるで映画でも観たような記憶の残り方をしていて、今日は一日中その景色のことが頭の中にぼんやりあった。

ものすごい数のいろんな動物たちが、楽しそうにゆるやかな行列になって商店街や町を練り歩き、森を抜けて、はらっぱを抜けて、最後には夜の静かな海辺へ辿り着くのを、人間の主人公が目撃する、というお話を描いた絵本を読んでいる、という夢だった。その動物たちは、途中、主人公が目を擦るとガイコツ姿に見えたりして、どうやらこれまでの地球の歴史のなかで死んでしまった古今東西の動物たちが大集合しているらしい!ということが中盤でわかる。

夢の中でわたしが読んでいるのは、絵本というより、正確には何かの冊子の最後のほうに掲載されていた言葉のない漫画のような絵本のような短編なのだけど、夢の全体が入子状になっていて新鮮だった。その作品はたぶん実在しないけど、夢の中での作者は実在する先輩で、すごく優しくてあたたかい水彩の絵だった。
絵本なのに、途中で列の一員に話しかけられたりして、夢ならではって感じだった。「君たち何かいる?」「僕が何か手伝おうか?」みたいなことを親しげに英語で言われて、一緒にいたパートナーが何故か「21時には引きあげて帰るよ」みたいな返事をしていたけど、わたしは、死者に対して返事をしたり何かもらったりしたら危ないような気がしたので、慌ててその動物に会釈をして、パートナーを引っ張ってその場を離れた。

マンモスとシーズーが隣を歩いていたり、普段なら捕食・被捕食関係にある動物たちが何も気にせず楽しげにしていたりするのがなんとも言えない奇妙さで、全体的にぼんやり光っていて、人間は目撃しているわたしたちしかおらず、全然この世っぽくないのだった。



わたしは、いわゆる霊感はないし、見た夢が予知夢だったと後で知るような恐怖体験も一切したことがない。目が覚めた時には、超いい景色を観れてラッキー、夢ってコスパ最強〜!という気分と、え、怖……不吉すぎる………という気持ちが半分ずつくらいだった。いい夢だったような気がしたので、パートナーに一方的に報告して、記憶に定着させた。そのあと、1人になってから、走りに行ったり食事をしたり洗濯をしたりしながら、この余韻に触発されて色んなことを思い出した。


小学生の時、わたしは漫画を書いていた。そのうちの、一番長く描き続けていた漫画のなかで1人だけ、ストーリーの展開上、死んでもらったキャラクターがいた。冒険ものでありながら基本的には誰も死なない漫画だったのに、当時のわたしは彼を死なせてしまった。その時はそんなに気にしていなかったけど、時間がたって、だんだん後悔するようになった。最終的にあの漫画は完結しないまま、続きを描くのをやめてしまった。多分、普通にほかの漫画を描きたくなったから描かなくなったのだと思う。1人死なせたことと描かなくなったことに因果関係があったかどうかはもう分からないけど、小2〜小5くらいまで、クラスの友達に読んでもらいながら3年ほど描き続けていた漫画は、間違いなく幼少期の「代表作」だったのに、完結させられなかった。漫画に出てくるキャラクターたちは、みんな喋る、ちょっと擬人化された動物で、わたしが死なせたのも犬のキャラクターだったのだけど、今朝の夢で彼のことを思い出した。あいつは勇敢で強い犬だった…

SNSごしに大好きだったトノという名前のアヒルが最近死んでしまったことも思い出した。飼い主が毎日のように動画や写真をSNSにあげていて、わたしはそれを見ていただけだけど、芝犬といつも一緒に散歩していたアヒルのトノは本当に可愛くて、会ったこともないのに大好きだった。トノが死んでしまったのがいつだったか正確には思い出せないけど、たぶん今年の秋頃だった。ある日の「トノはお空に行ってしまったワン(※一緒にいた芝犬視点という設定の語尾)」というツイート以降、そのアカウントに投稿され始めた、かつてトノが生きていた頃の動画をいくつか見て、何度か泣いた。わたしは大人のわりにはかなりすぐ泣く人間なので涙に深みがないと自負しているんだけど、でも、会ったこともない好きだった生き物が死んだのが確かに寂しかった。

思い出したふたつの死は、ひとつは完全なフィクションで、もうひとつはほとんど実質的にフィクションだけれど、わたしのなかでは、彼らはあの世に行ってしまった死者で、かつ、人間ではなかった。彼らが死んだらどこにいくのか、わたしにはわからない。もし今朝見た夢みたいに、似た境遇の仲間たちとキラキラふわふわ過ごしていたら、ちょっと救われるような気がした。
 

わたしは特定の宗教に熱心な人間ではないので、「あの世」については、いろんなところからの又聞きみたいに複数の宗教観がごちゃごちゃに混じった身勝手なビジョンを抱いている。日によって「あの世とかないだろ、死んだら無!」という気分もあるけど、軽薄に「あの世にはじいちゃんがいたりするのかな〜」とも思う。死んだら、今朝みた夢みたいに、動物たちのいる次元に帰っていけるような気もする。そうだ、人間が喋ったりするのは社会的な要請があってそうなっているだけなので、死んだらあんまり喋らなくていいんじゃないか。言葉はぜんぶ詩みたいに響いて、あんまり厳密な意味とか、意義とか、目的とか、なさそうだ。歌いたかったら歌えるのだろうか。わからないけど、あまり強くて大きい声が出せるイメージがわかない。くすぐるみたいな歌なら歌えるだろうか。とにかく基本的には黙ってふわふわした状態でいられそう。黙っていていい、というのはなんか悪くなさそうな気がする。わたしは歌うのが好きだし喋るのも嫌いではないけど、黙っているのも好きです。

わたしは、眠るのは生きるのに必須科目の「死ぬ練習」だと思っているところがあるので、眠っている時にあの世っぽい夢をみると妙にしっくりくる。人間が眠っている時に(基本的に)歌を歌わないのは重要かもしれない。生きているから歌うっていうと単純すぎるけど、でも、今生きて歌っているような歌は、おそらく生きていないと歌えない。わたしは、体が邪魔とか、声だけになれたらいいのにと思っていた時期が長い。今でもしばしばそう思う。以前ここにも「色々なものが蠢き騒ぐ景色の一部に自分自身もなれたなら、それは声だけになることに近い気がする」というようなことを書いた。こういう時、生きながら、歌を通して違う次元にアクセスするみたいなことを夢想する。いつかできるような気がする。たぶん、なんかこれは、語彙がバカすぎるけど「禅っぽい悟った感じ」だと思うし、あの世のこととかを時々考えるのは、たぶん自分には必要なプロセスだ。

霊に取り憑かれたりするのは御免だし多分そういう体質ではないので、降ろしてくるという方向じゃなくて、自分から悟りに行くほうの、巫女というよりは修行僧っぽい発想がわたしには似合いそうだなというところまで考えて、なんかよくわからなくなってきたのでそろそろ終わりにします。

あ、最近Netflixで観てすっごくよかったSFアニメ作品『地球外少年少女』のなかで、
 
 
 
(ネタバレというほどでもないですが気にする人のために少し改行してから書きます)
 
 
 
 
 
 
人間もAIも、思考のリミッターを外してめちゃくちゃ賢い状態になると、過去も未来も同時に存在していると解る、全てを同時に理解できる、みたいなくだりがあって、むしろ文字や、大陸の宗教以前および外の文明で生きていた人間たちはその感性を持っていたはずだという研究を思い出した。めちゃくちゃザックリいうと、時間がまっしぐらに未来へ向かって流れていくものではなくて、全ての時間が同時に存在するような考え方もあるよ!みたいな話だ。(友人が勧めてくれた『時間の比較社会学』という本でも似たような話がされていたので多分ある程度、文化人類学とか社会学のなかで考えられてきていることなのだと思う)
これもSF映画なのだけど『メッセージ』という作品で、とても知能の高い宇宙人が空中に描いていた円環状の文字は原作者のテッド・チャン曰く漢字をモチーフにしていた。それをうけて、現代社会ではマイナーな文字である表意文字だが、あれにはそういう可能性(過去と未来を同時に把握する能力)が秘められていたのかもしれないというような指摘を(アボリジニのチュリンガとかも引き合いに出して)大学院時代のゼミの伊藤先生がしていた。もう4年くらい前のことだけど、かなり自分のツボだったらしく、以降こういう考え方がずっと気になっている。
それで思ったのは、あれを(『地球外少年少女』でいう)「知性が振り切れている」状態だと仮に理解するなら、死んで、過去や現在の概念がある現在の言語感覚に支配された現世から離れて、動物たちの暮らす文字のない次元に還っていく時って、ああいう風になれるんじゃないかということです…。
肝心の「知性が振り切れている状態」って何なのか、ふわふわのままだし、もしかしてめちゃめちゃ知性が振り切れている状態って一周回って何もわからない(言語のレベルを超越してしまうと言語で理解できない)のでは、、と思わなくもないけど、死ぬとめっちゃ賢くなる説はおもしろくて良いかもしれない。死ななくても、こういうことを考えるのがわたしは楽しいし、歌はこういうことにアクセスできる気がしています。他者との共通言語を失うという意味でスピってしまわないように気をつけつつ、健康にも気をつけつつ、これからも生きま〜す
 
 
 

全部がある!

ーー近況

先日、シェアアトリエからの帰り道を自転車で走っていて、あ、ここは10ヶ月くらい前の頃に桜が散っているなかを今にも崩壊しそうなシェアサイクルをぎいぎいいわせながら通った道だ、と思い当たった。引っ越してからもう何度も通っているはずの道だけど、こんな風に思い出したのは初めてだった。空気が似ていたのかもしれない。確かあれは3月、アトリエから家まで、そこそこ近いみたいだからと試しにシェアサイクルで帰ってみようとしたのだった。初めての道の「そこそこ近い」は「まあまあ遠い」で、自転車が壊れそうで怖かったし、汗もちょっとかいて、帰宅した時に達成感があったのを覚えている。

パートナーと新しい町で暮らす計画が動き出してから、ぼちぼち季節が一周する。あの時はまだ地図を見ながら走っては止まってなんとか辿っていたアトリエまでの道も、今はもう、何も見ないで迷わずに進めるようになった。駅までの近道も見つけた。お気に入りの銭湯も、かわいいパン屋も、いい整体も、悪くない美容室も見つけた。住民票も移した。知らなかった町の廃墟みたいだったアパートは、すごく暮らしやすいわけではない(ex.キッチンの水道からお湯が出ない/二箇所から同時に水を出すと水圧がなくなる/ほか)けど、常識外れの工夫の数々(ex.足場がないと登れないほど床が高いベッドを自作/押し入れを改造して防音室を施工/物置にジャストサイズの冷蔵庫を設置/ほか)によって、秘密基地みたいなとびきり楽しい家になった。まだまだやりたい改造は残っているけどやっと一旦けっこういい状態です。


ーー本題

小さい頃から「一年の計は元旦にあり」とよく母が言っていた。1月1日にぼんやり過ごしたり寝坊したりしているのを咎める文脈だったと思う。1月1日こそちゃんとして今年どうするかしっかり考えなさい!というような明るいお叱り。それがすっかり染み付いていて、1月1日はなるべく良い感じにしなきゃ、と毎年ぼんやり思ってきた。

そんな1月1日が今年はとても素晴らしかったので、かなり大丈夫な気がしている。ちゃんと朝に起きて、家族でお節料理を食べて初詣に行き、笑顔で家族写真を撮って、その後、わたしは友人と連れ立って寄席に行って笑って、日が暮れてからそのメンバーで買い出しをして皮から餃子を作って食べた。たくさん笑った。綿密に計画したというよりは、けっこうテキトーなノリでそうなったにも関わらず、あまりに良い元旦だったので、なんかもう今年はいけるぞ!と思った。

そして、その「今年はいけるぞ!」という気分で迎えることができた本番があって、それがちゃんとすごく良かった。1月9日、仙台でのイベントだった。このイベントは、この日までの会期でせんだいメディアテークで開催されていた「ナラティブの修復」という展覧会(https://www.smt.jp/projects/narrative/)にアーティストの磯崎未菜さんが出展していた映像+インスタレーションの作品を一緒に作ったメンバーで「やろう」と言い出して、磯崎さんがノリノリで盛り上げて企画してくれた会だった。展覧会の非公式打ち上げみたいな、半ば身内っぽいイベントではあったけど、とてもいいパーティーだった。
その日は、まず映像に出演していたメンバーで作品の戯曲を朗読し、次にわたしが弾き語りもやらせてもらい、最後に磯崎さんが自分のバンドのメンバーを東京から招集して(!)懐かしい曲や新しい曲を演奏するというプログラムだった。磯崎さんは、わたしが知っている10年前からずっと賢くて強くて明るい人だけど、この日は輪をかけて終始ずっと楽しそうで、みんなそのエネルギーを浴びて楽しくなっていたような感じがした。数年前に引っ越したこの仙台で、わたしは全然知らない街で、この人はしっかり人と出会って、考えて、愛されて、生活をしてきたんだな、というのが垣間見えたような気がして、よかった。好きな友達に良さそうな仲間がたくさんいるというのを目の当たりにすると嬉しい。東京からわたしとも共通の友人が数人来てくれていて、大集合って感じで、ちょっと結婚式みたいで可笑しかった。


あれはとてもいい会だったな〜、という感慨は、それはそれとして大きくあり、加えてそれとは別に、あの日の弾き語りのライブは自分にとっていろんな部分でちょっと特別になった。

まず東京近郊ではない街で自分の演奏をする初めての機会だったし、お酒と軽食を片手に聴けるような場所で自分の曲をギターを弾きながら次々歌うのも初めてだったし、持っていったCDをあんなに買ってもらえたのも初めてだった。終わった後に色んな人に感想をもらえたのも、コロナ以降とても久しぶりで、震えるほど嬉しかった。
正直めっちゃ感動してしまった。やっと自分の歌の弾き語りだけで30分超の「いわゆるライブ」ができるようになった、ということも自分にとってすごく大きな成長だった。演奏難易度とか変な事情じゃなくて、曲の中身を基準にセットリストを作れたのも嬉しかった。あと、今までは歌詞を書いた紙を譜面台に置いていたけど、それを置かずにやれたのも実は初めてだった。こういうことがやりたい、と心を定めてから2年半、やっと一旦、「できる」と思えるようになった。本当にいつも時間がかかる。


そして…、というかこっちが本題になってしまうのが自分の変なところだと思いつつ書くのだけど

イベントの前日、仙台に着いた午後、雪が残る川沿いの公園で練習のつもりで一人でずっとギターを抱えて歌っていた時間が、すごく良かった。

本当に良かった。あそこに、全てがあった!あの場には完全に全部があった。わたしにとっての歌の原初と、ただの現在と、笑顔と怖さと、夢と、寒さと暖かさと明るさと、過去と将来と、他人と動物と、影と、生活と、さみしさと。そういうのがもう、全部あった。生きているということはもうそれだけで「全部」なのかもしれない。そして、あの公園で得た「全部」の体感と、お酒を片手に聴くライブハウスの体感が似ていて、ライブの時に最高な気持ちになった。いや、ライブハウスを公園の体感で解釈して体験できたという感じ、とにかく、ああ!!こういうことです!!と思った。順を追ってもう少し書きます。


少し遡って2021年の12月の初め、円盤に乗る派(https://noruha.net/)という演劇チームの運営しているアトリエ「円盤に乗る場」(https://note.com/noruha)の活動報告会というイベントがあった。わたしはアトリエ利用のメンバーなので出演したのだけど、予想だにせずとても良い日になって、あの日を境にそれまでの落ち込んでいた気分がぐっと持ち直した。
この日はわたしは自分の弾き語りのほかに、作家・演出家の中村大地さんの書いた小説を朗読し、彼が昔作った歌(小説のもとになっている)も一緒に歌っちゃおうということになっていた。その歌の練習をやろうと、本番の前の空いた時間に会場から歩いていける川沿いの公園で、たぶん30分か40分くらい真面目に2人で練習した。中村さんは程よいタイミングで会場に戻ったので、そのあと寒くなってやめるまで、わたしは2時間くらい1人でそこにいた。

その日は、日差しがあって風がなくて、アイスカフェオレなんか久しぶりに飲んじゃうくらい暖かかった。人のそれほどいない川沿いとはいえ、公園で歌うなんてちょっと恥ずかしいような気がしていたけど、歌い始めてしまえば道ゆく人たちは全然自分たちに興味がないとすぐにわかって、気にならなくなった。そんなことよりとにかく天気が良かった!ギターをかかえてベンチに座っていると色んなものが見えて聴こえた。向こう岸の工事中の建物の屋上に人影がゆらりと見えてびっくりした。水面ぎりぎりを低空飛行する鵜みたいな鳥とか、橋を騒がせる電車とか、跳ねる魚、日差しが水面や川沿いの手すりにキラキラ反射していたり、時間がたつにつれてだんだん影が東に倒れて移動していくのとか、そういうのが、歌っているとどんどん現れては過ぎていって、ひとつ認めるたびに目の前が新鮮になっていくみたいで嬉しかった。

あれと性質の似た時間を、仙台の川沿いの公園でも過ごした。仙台の川沿いには、隅田川にはいなかったトンビがいて、わたしが座っていたベンチからは、低くなっている対岸の自動車教習所でゆっくり車が動いたり止まったり人が建物に入っていったりするのが見えた。ベンチは小高くてやや奥まったところにあったので、座っていると水面は見えなかった。対岸は街というよりいきなり郊外然とした雰囲気で、人よりも木や土や岩の勢力が強そうだった。スズメの群れがたくさん木に集まっていた時もあった。みんなずっと大騒ぎしていて面白くて、愛しいような可笑しいような気分で、なんかよくわかんないけど嬉しくてたまらなくなって歌いながら声を出して笑った。ゆっくり旋回しているトンビもたまに鳴く。歌いながら見上げると空が高い。目のピントが、真っ青な空の白い小さい飛行機にバッチリあう。気持ち良い。近くの小綺麗なマンションのベランダの奥にそれぞれのカーテン。対岸の教習所のさらに向こうには、遠くというより近くといったほうがしっくりくるような存在感を湛えて、どっしりと大きな山が寝ていた。上の方は白く雪が積もっていた。山の上にも町があるようだったから、あれは山とは呼ばないのかもしれない。町の建物のうちのひとつの窓が、ぎんぎんに夕日を反射してただの光になっていて眩しかった。地上は風があまりないのに雲の流れていくのはとても早くて、太陽が頻繁に出たり隠れたりしていた。日差しが陰ると一気に寒くなるので、雲の速さが肌でわかるようでおもしろかった。平日だったけど人もたくさん通り過ぎていった。子供が「あの人ずっといる」と言っているのが背中越しに聞こえたりした。誰かの落としたイヤリングをベンチの下の地面に見つけたので、拾ってベンチの座面の隅っこに置き直して帰った。安っぽいけど可愛いイヤリングで、透明の大きなビーズが長く連なってキラキラしていた。

あらゆる生き物や光や風やその音が、どんどん現れては去っていった。景色もどんどん姿を変えていった、と、その時にはそう思ったけど、今思い返すと、あれは、わたしがどんどん気づいていっていたんだと思う。その場にある運動や物体や空間に対して、見つめたり返事をしたり呼んでみたりするような能動的な感覚もあったけど、だいたい80%くらいは聴く気持ちと見る気持ちで、わたしは受動的に歌っていた。聴いたり見たりすることのほうが優位にあって、歌うことはその後ろにほんのりあった。その心地よさ!

ギターを弾きながら歌うといいのは、ギターの音が聴けるところだ。めっちゃ当たり前のことですが、自分の声の音を一本ぎゅーっと放ってそれを聴くのと、ギターの音の束や粒を聴いて声を出すのとは、かなり違う。ギターの音を聴きながら歌うと自分の声も「聴こえて」くる感じがする。声は自分から出ている音だけど、外でギターと混じった時の響きにまで神経が伸びるというか、全然うまく言えないけど。しばらくその「聴く」優位でギターを弾いたり歌ったりしていると、だんだん他の人が演奏しているのを聴いているみたいな状態に近づいていく。演奏している自分は、そのへんをぴょんぴょんしながら騒いでいるスズメたちと同じようにそこに座っていて、聴いている自分の耳には、全部「この場所の音」として聴こえてくる、というような…。

そうやって川沿いの公園で演奏をしていると、聴こえてくる音同士が偶然出会う。ギターとスズメも、わたしとトラックも、対等に出会う。音が重なって混ざって耳に届くってことが、なんかもう、本当におもしろい。心底おもしろい。ギターの音に合う音程でスズメが鳴いた気がした!とか、歌のなかのいいタイミングでトラックが通った!とか、そういうことは、空間で起きるただの足し算なのにこんなに嬉しい。自分も「聴こえてくる音」になれる感じがする。わたしはずっと自分の体のディティールを邪魔に感じていて、できればいつか声だけになりたい、みたいなことを思ってきたけど、これは、一歩近い気がする。

楽器を持たずに声だけで即興の演奏をする時にも聴く気持ちは強いけど、あれはかなり集中している。公園で歌う時って、あれよりももっと散漫で、演奏しているというよりも、散歩している時とかシャワーを浴びている時に近かった。歌が歌えるというより、ここにいて歌や他のいろんな音が聴こえるし見える、という感じ。全部に鋭く気づく必要もないから気持ちも楽だ。
 
まあでもとにかく、何よりもまず、歌がマジで超めっちゃ楽しいということにいまだに素朴に感動できたことがあの日は嬉しかった。



次の日のライブの時、会場は公園と似て、ぜんぜん静寂ではなかった。誰かがグラスを傾けた氷のカランという音、厨房からゴロゴロ製氷の音がしたり、客席の奥の方からひそひそ声がちょっとしたり、ケータイが鳴ったりしていた。人がちょっとたくさんいて、それぞれに息をしていた。初めて見るこの人がどんな歌を歌うんだろうと、それなりに興味を持って静かに聞こうとしてくれているのがわかった。

屋内のライブ会場は川沿いのベンチとはさすがにいろんなことが違うけど、前日に川沿いのベンチであれだけ感動してしまったから、雑雑とした音に混じって歌を歌えることの居心地の良さが思い出されて、今夜のここはすごくいい場所だと思った。真っ黒な壁の緊張感のある劇場とか、静寂を聴くタイプのライブとは違って、みんなよそ見をする余裕があって、きっとそんなに聞く気のない人もちょっといたんじゃないかと思う。そういう場所なら、わたしもよそ見をしていい。よそ見をしていいので、いろんなことに気づける。自分が今まさに歌っている歌のディティールにすら新鮮に気づいたり、それを楽しんだりできる。

川の体感でライブハウスを解釈して感動した、というのはこのことです。シャワーを浴びているような散漫な時に考え事がはかどるみたいなことともちょっと似ていると思う。わたしは、自転車に乗って思うがままに声を出したり歌ったりしている時が一番、純度の高い歌(鳴き声とか叫びとか呟きに近い)だと思っていたけど、ああいうことを演奏の場面でも再現できるってことかもしれない。

声は基本的に音がひとつしかないから、同時にいろいろなことが起きる世界に対しては挑戦者みたいな関係になりがちだ。あの音にこれを返す、あの光をこの言葉で呼ぶ、など。でも、ギターも抱えてベンチに座ってみると、わたしも、同時にいろいろなことが起きている景色のなかの一員になれる。それは心地が良い。わたしは人間の集団に属するのはあまり得意じゃないけど、動物とか木とか赤の他人とかもごっちゃに含めた景色という総体の一部にはすごくなりたい。なんの役割も要請されず、そこに居ていい、好き勝手にしていていい、という気がしてすごく、うれしい。こういうことを信じたい。

仙台で、広瀬川を眼前にして歌っていた時、自分が作った海の歌が、ここで歌うとちょっと違って響くんだと気づいて(※拙作「においだけの海」は2018年に陸前高田に行った時にヒントをもらって書いた歌でもあったのでここで初めて気づいたというと嘘ですが、しばらくそんな気なしに歌っていたので)、さっき見てきたメディアテークの展示の余韻も手伝って、なにか漠然とした切実さのようなものが胸に迫って、さみしいような悔しいような嬉しいような言葉にならない気持ちになって、歌いながらちょっと泣いた。
歌は、ただの音で、言葉で、具体的な色も重さも持たず、ほんとうに何でもないものなので、かえって何にでもなれるんだと実感した。歌のなかで語られる「海」は、いろんなところの海になれる。このことは次の日のライブのMCでちょっと話したけどあんまり上手に言えなかった。でも、何でもないから何にでもなれるというのはすごく大事で、自分にとっての歌う理由かもしれないし、歌がわたしだけのものじゃないってことでもある。歌は、わたしが川で感じたような「全部」を顕現させつつ同時にその一部になれる。

歌が自分だけのものじゃないと気付かされる場面ってこれまでにも時々あって、いつも嬉しい。めちゃくちゃ希望を感じる。友達が自分の歌を口ずさんでいるのを目撃したりとか、自分が歌うことで場が温まったのがわかったりとか。先日の円盤に乗る場の報告会で、しばらく人前で歌っていなかった中村さんに「一緒に歌いましょうよ」と提案できたりしたのは、歌が自分にとって、自分にだけ結びついた特権的で窮屈なものではなくなってきたからだ。昔は、それこそ自分にしか歌えないぐらいのほうがかっこいいと正直思っていたけど、今のこの感じのほうが今のわたしにはしっくりくる。みんなが歌える歌を作ろうみたいな次元はまだほど遠いし特に目指してもいないですが、、とにかく、自分が歌うことが、ひとつ先の段階に踏み込んだような気がする!それもなんかハッピーなほうに。そういうことにしたい。
 
2022年は弾き語りをやっていきますと各所でしつこいほど言ってきたけど、この方針でいくとすごく楽しくなっていく気がする。皆様ご贔屓に何卒…長くなりましたが新年の挨拶と代えさせていただきます(?)
 

バッド全部おいてく大晦日

今朝は、12月31日ってだいたい晴れるよね、って感じの東からの朝日に起こされて、久しぶりに朝から実家の近くの桜並木をジョギングできて嬉しかった。寒かったけど、アスファルトじゃない土の地面は踏むたびに心地よかった。人も少なかった。
 

先日、友人のライブを聴きに行った時に会った人(共通の知人が多い)に「こないだのnoteを読みました」と言われた。noteじゃなくてブログだよ〜んと思いながら、アハハありがとうございますお恥ずかしいですえへへ…なんてとりあえず言ってみたりしたのだけど、正直、けっこう嬉しかった。

このブログは、だいぶ前(2015年)から地味に続けている。自分の魂の救済のために書いているという、かなりの純度でただそれだけのものだけど、意外と人に読んでもらえているっぽいらしい。「更新しました」とツイッターに書いても毎回それほど反応がないので、たいして読まれていない感じがしているけど、会うと、ツイートに反応していなかった人からも「読んでます」と言ってもらえることがある。これは、正直「ツイッターみてます」より10000倍くらい嬉しい。というかツイッター見てますは別に嬉しくない。

そう、そのツイッターに散々、苦しめられています。わたしはいつしかツイッターをやめたいと思い続けている。でも、私は何かをする時にしっかり心が納得しないと行動に移せないし力を発揮できないタイプ(カリスマ整体師に言われた)なので、いまだに「何がそんなにしんどいのか」考え続けて、やめられずにいる。それで、今回は自分が思うツイッターの悪い部分を書いていたらアホほど長くなったので、一回全部消して、ブログと比べながら箇条書きにしました。


ツイッターには、文章ごとにアイコンが表示される。あれによって全部「その人の発言」みたいに響いてしまう。自分自身もそのように錯覚するため、自分が思ってもないことを書いたりすると、心を蝕まれる。

→ブログにはアイコンがないため、テキストは独立したコンテンツになれる。よって、多少の嘘をついてもバレないし罪悪感もなく、自由に書ける。

・2021年のツイッターには凄まじい正しさの圧力があるため、あらゆる観点からみて適切な発言が求められる。これに晒されながら言葉を記し続けていくと、ツイッター的な正しさ(もはや社会的な正しさではない)が思考回路にまで侵食してきて、何かを考える時に足枷になる。(正しさチェックは最後でいい。考える時はエゴ全振りでいかないと思考が進まない)

→ブログは、たいして拡散しないし、誤読が怖くなるほどまでに短文を強要されることもないため、そういった圧力がない。恐れずに書きながら考えることができる。


あんまりきれいな箇条書きにならなかったけど、ブログのほうが精神衛生に良いということだけははっきりしている。

過去にわたしは、たいしてやりたくないことを無理にやって心が死んだ体験が何度かある。一番ひどかった時はそれによって人生最大に体調を崩したので、もう二度とそんなことはしない、というつもりだった。でも、いつとは言わないけど今年、あんまり良くないと思いながらある企画に関わった時、そのことについて人間関係に気を遣って有意義な時間だった雰囲気でツイッターに書いたのをきっかけに、かなりバランスを崩して相当長く引きずった。これはツイッターがなければ起きなかった事件だけど、でも、よく考えたらこれは仕事を選ぶ自分と、仕事をやる自分の問題だ。ツイッターがうまくいっていないというよりも、仕事がうまくいっていなかったのだ。

音楽とか美術とか、そういうことをやっている人たちにとって、ツイッターは宣伝と営業、社交の場のひとつだ。仕事だと割り切って、ニコニコやったほうがいい。こんな片隅で、個人的なブログをだらだら書いているのは論外だ。オワッている。でもわたしにとっては、音楽とか美術とかがおもしろくて切実で、かっこいいものだから、それを扱う自分の言葉に実感が載っていなかったり嘘があったりすると、本当に許せなくて、なんて言ったらいいんだろう。自分が音楽や美術に対して抱いている畏敬の念とか信頼の透明度が、ざーーっと凍って濁っていくような感じがする。

ツイッターは、そういうことを強要してくる一面があってやっぱりつらい。そう簡単にいろんな複雑さを言葉にできないです。つまり広報が下手ということなので、そこは考えなくちゃいけないのだけど、でも広報よりもずっと大事なはずの、自分が作ったり歌ったりすることに支障が出るのは本末転倒だ。ツイッターに書き込んだ「しばらくログアウトします」と言った期限の一月末まで、約1ヶ月あるので、今度こそちゃんと対処します。宣伝とか、どうしたらいいのか絶望的にアイディアがないけど…。とりあえずインスタグラムかな。アイディアやアドバイス募集中です。


今日はもう31日なので、実家に帰ってきていて、リビングから紅白歌合戦が聞こえてくる(今はもうゆく年くる年)。さっきBUMP OF CHICKENがめっちゃ懐かしい曲を演奏していた。氷川きよしはちゃんと聴いた。今年もめっちゃ良かった。
今年は、環境の変化とか体調の悪さとかを言い訳にしょんぼりしたりへとへとになったりして、もう辞めようかなあとか口走ってしまっていたが、そんなのは2021年に置き去りにします。
 
これまで、いろんな12月31日があった。バリで1人でいた時は、なんか、寂しかったけど、誰もわたしのことを知らない街角で花火があがるのを、同様に立ち止まっていた知らない人たちと一緒に見上げたりして、清々しかった。Tシャツ着てました。両親と姉と実家で正月を過ごすこともだんだん当たり前じゃなくなってきてしまって、人生が進むにつれてどんどん複雑になっていくのを実感する。来年はどうだろうな。

2022年は、本当におもしろいと思えることを厳選して本当に最高!と自分で言える仕事をやる、さもなくば死、という気分です。楽しいことを、ふたつは具体的に考えてる。あとは来年になってから考えます。あと、進行中のめっちゃ楽しいやつも暖かくなってきた頃にお知らせできそう。こういうこと一緒に企んでくれる仲間がいて本当にうれしい。

あと少しで、また知らない1月1日が来ます。今年は友人とぞろぞろ連れ立って寄席に行くことになっているのでめっちゃ楽しみです。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。ジャジャーン!




被暴言体験と反省


寒さのせいかなんなのか、最近とても心が厳しい。
 
二週間くらい前に限界の精神状態で帰っていた自転車で、暴言に近いひとりごとを絶叫しながら帰ったら、なんかちょっとスッキリしたということがあって、それからちょっとそのハードルが下がってしまった。以後、ひとりごとを大声で言う、ちょっとでもムカつくことがあったらすぐ舌打ちをしたり人を睨む、など、1人でいる時限定で、しばしば別人みたいに感じ悪いヤツになっていた。それがちょっとクセになりかけていることを思い悩んでパートナーに話したら「やめたほうがいいよ」と言われた。ですよね。でも、そうでもしないと、なんかぶっ倒れそうというか体が爆発しそうで、物とか壊してしまいそうなんだよ、簡単にやめられたら苦労しないぜ…、と思っていたけど、今日、さすがにマジでやめたほうがいいと思った出来事があった。


昼に近所をジョギングしていた時のことだ。ランニングコースのある大きな公園までチャリで15分行くのが億劫だったので近所の、わりと長くまっすぐな比較的走りやすい道を走っていた。自転車用と歩行者用で半分に色が分かれている幅の広い長い道だ。そこをひとしきりいって、折り返して帰る向きで走っていた時、道沿いの家の玄関に座って路上を眺めていたおばあさんが、突然、明らかに私に向かって「〜〜勘違いしてんじゃねえぞバカが」みたいなことを言った。びっくりして振り返ると、目が合った。まさか振り返られると思っていなかったんだろうか、しっかり目があって、向こうも驚いていたように見えた。そして、そんな暴言を吐くにしては、おばあさんはずいぶん小さくて、自信のなさそうな姿勢で、それが輪をかけてわたしを混乱させた。

とりあえず顔を前に戻して走り続けた。突然のことで衝撃ではあったけど戻って問い詰めるほどではない。あの人が言っていたのは、ここは運動場じゃないんだぞ、勘違いしてんじゃねえぞ、ってことだろうかと想像して、わりと幅の広い道だし人通りの少ない時間帯だけど、迷惑かけてることになるのか…?と釈然としないまま、少なからずイライラしたので、「ふざけんなクソババア」ととりあえず言ってみた。

でも、口喧嘩なんか普段やらないし、おばあさんが言い返してくるわけでもないので後が続かず「可哀想なやつだな」とか、キレの悪い下手くそな暴言しか言えなくて、自分の声もやたらモゴモゴ濁っていて、ぜんぜん気持ちよくなかった。
それでも、もうひとこと、ふたこと、くらいまで、ひどい言葉をひどい声色で声に出していたら、情けなくなってきて、ボロボロ涙がでてきた。音を出さずに息を強く3回くらい吐き捨てて誤魔化そうとしたけど無理だった。手に持っている家の鍵をぶん投げたかったけど、昔祖母にもらった木製のキーホルダーが壊れたら困ると思って我慢した。何かものを殴りたいと思ったけど、それも、どうせ手が痛くなるだけだからとやめておいた。もっとスピード上げて走ってやろうか、もっと大きい声で叫んでやろうかとも思ったけど、全部我慢した。でも涙は止められなかった。


走ったらきっと気分よく1日過ごせるぞ!と思って走りに出たのに、なんであんなこと言われなくちゃならないんだ!ジョギングも気持ちよくできない町はクソだ!ええい!子供の頃は「おばあさん」って皆やさしいような気がしていたけど、全然そんなことない!歳は関係なくロクでもない奴はロクでもねえ!老人の精神病ってめちゃくちゃしんどそうだな、何があのおばあさんをあんなクソババアにしてしまったんだ………、というところまで考えたら、わたしもおばあさんも同じだと気づいて、走れなくなってしまった。

人のことを悪く言ったり軽々しく暴言を吐いちゃだめだなんて子供でもわかるのに、ぜんぜん自分をコントロールできないで他人を巻き込んでいるのは、最近のわたしもそうだった。きっとあのおばあさんも色々しんどくて、自分をコントロールできないくらい疲れていて、元気に走っている若い女が恨めしかったんだろう。そういうことにしよう。ていうか、元気に走れるくらい元気なはずの自分がぜんぜん元気じゃないのは、なんで?とか、トボトボ歩きながらボロボロ泣いて、そういうことをぐるぐる考えた。日除けのためのマスクみたいな布を顔に巻いていたので、その頬のところがびしょびしょになって冷たかった。とりあえず、1人で悪態をつきながら歩いたりするのは、人に迷惑をかけるというレベルを超えて、普通にすごい暴力行為になりうるので、金輪際やめよう、ということだけは心に誓った。



家に帰って、あまりにショックだったので床に座って数分じっとしていた。後のほうは歩いていたので心拍数はけっこう落ち着いていたけどそれなりに早くて「これだと毒が回るのが早い」とぼんやり思った。そして、さっきまで動き続けていた脚の筋肉がじわじわと熱を持っているのを感じながら、シャワーを浴びようとのろのろ立ち上がって、あ〜、と息を吐いて、「歌うこと」の真逆のことをやってしまっていたんだなと思い当たった。大袈裟にいったら呪いみたいな、そんな声の使い方をやっていた。情けない。歌も暴言も、人に聞かせるとか聞かせないとかいう以前に、ひとつ残らず自分が聴いているわけで、そこで乱暴なことをやって自分に良い影響があるわけがない。
もしすっごく疲れていたら、心がバッドでいっぱいになってしまったら、ハッピーな歌を歌ったほうがいい。まあ、それもよくやっていて、ハッピーな歌ほど苦しい気持ちになるのは実証済みなので、しょんぼり帰り道のためのセットリストはちょっと真剣に考えたほうがいいかもしれない。いっそ、どちゃくそに暗い歌謡曲とか歌うのもいいかな。


ただ、なんでこんなに毎日つらいのかは正直よくわからない。憂鬱と元気の高低差が、常に見上げるほどあって、そこを駆け上がったり急に転げ落ちたりを1日の中で何度も繰り返していて、気圧の変化とか重力みたいに体に負荷がかかっている。見上げるほど、と書いてしまうあたりに、我ながら表現力がある。常に憂鬱のほうの底にいるイメージです。

寒さのせいかな。まだあと4ヶ月も寒い季節が続くことを思うと、ちょっとなんとかしないとな。
あと、こういう人間にはデジタルデトックスがマジで有効なので、限界まで耐えてからiPhoneを柔らかい布団の上にぶん投げるのはやめて、外から帰ってきたら引き出しにきちんとしまったりしてみようと思います。






ちょっと「目がいい」


今朝は午前指定のギリギリにやってきた宅配便で正午に目が覚めて、思いついて久しぶりに走りにいった。いつもはちょっと遠い大きい公園まで自転車で行ってそこを走っているし、このあたりで何か用事があるといえばそれはたいてい食品などの買いものなので荷物の重さで周りを見る余裕がないし、銭湯に行くのは夜だしで、明るい時間のこのあたりの様子をゆっくり見られるのは休日の特権だ。

昼間って、本当に何もかもよく見える。良い。銭湯に行く途中にあるお宅の庭に、皇帝ダリアが咲いているのを見た。家の2階の窓をゆったり超えていてちょっと感心した。元来背の高さが1番の特徴の花だけど、あそこまで高いのは少し珍しい気がする。ひょろりと伸びた茎とザクザクした葉っぱの先に、これも鋭い形の花びらが薄い紫色をして咲いている。「皇帝ダリア」(コダチダリア)という名前はやっと最近覚えた。たまに電車や車で通り過ぎる時に見つけるとギョッとするほど背が高いので、こんな季節にあんなに背の高い茎で花が咲いているのは妙な感じがするし、ちょっと不気味だなあと思って印象に残っていて、数日前にまた電車から見つけて、一緒にいた人と話題にしたくてやっと名前を調べたのだった。メキシコ辺りからきた外来種らしくて、不気味さの根拠を得たようで腑に落ちた。


最近(前提を省略するけど)初めて会う人と一緒に昼間のほとんど知らない町をのんびり歩いたことがあった。よく晴れていて、各自が見つけたものを報告しあうような会話が1時間くらい続いていて、ふと「花が好きなんですね」と言わた。花だけじゃなくて、イチョウはすっかり黄色くなっているのとまだ緑色のとがあるのとか、木の畑に小さい実がひっそりなっているのを見つけたり、赤い実がびっしりなったサンザシにてんとう虫を見つけたりもしていたので「花」とは思っていなくて、そう見えるんだなと意外だった。シュロとソテツはどっちも「ヤシの木みたいなやつ」だけど違う木です。そして、その人もわたしにとっては意外なところで立ち止まって写真を撮ったりしていて、ああここで立ち止まるんだとそのたび思った。変な言い方だけど、これまでの人生のなかでいろんな人と一緒に歩いたり景色を見たりした経験を振り返ってみても、まあ大抵の人が、いや、たぶん全員、わたしとは全然違うところを見ておもしろがっている。それが重なると嬉しいし、ずれていても楽しい。先日「えっ!」と言ってチカチカしている居酒屋の看板を指さした友人に、気づいていたけど気にしていなかったわたしは不思議な気分で「え?」と返してしまった。つまんないこと言ってゴメンみたいに言われてしまって申し訳なかったけど、えっ!とかあっ!とか思うもの、注視するものが全然ちがうってことが、当たり前だけど素晴らしいことだとしみじみ思う。言葉を使えば互いに共有できるということも含めて。


かなり前に、知人の映像作品の撮影を手伝った時にも、見ているものが違うのを実感した。あれは山での撮影だった。画面に映ってしまう隠したいものがあったので、そのへんで草を摘んできてカモフラージュに使うことになった。カメラが向いている場所は少し日陰になった急な斜面で、一帯はじめっとしており、当然、植物もそういうところで育つものばかりだった。笹みたいなのとかシダとか、色の濃い葉がずっしりびっしり生えている。道がなく足場は悪い。そんななかで、ディレクターが「隠すための草は、そっちで摘んできたら?」と、日向のほうを指して言った。摘んだ跡も絶対にカメラに映らないし坂になっていないから摘むのもラクだよ、という意図があったと思う。しかし、そっちの日当たりの良いひらけた草っぱらは、撮影場所からほんの数メートルいっただけだけど植生が全然違った。細くてサラサラした乾いた葉っぱしかない。この草ではカモフラージュにならない。論外の提案だ!まあ別にそんな草なんかどこで摘んだっていいので「そっちは生えている草が全然違うからダメです」と伝えて、最終的には画角のなかに入る草と同様の草を集めて、違和感なく隠すことに成功した。ディレクターに「植生が違うとか考えてもみなかった、そのディティールが見えてるのは素晴らしい」と言われて嬉しかったのでよく覚えている。


あれから半年。最近、わたしはその頃よりもさらに景色のディティールが見えるようになった(気がしている)!なんか「目がいい」です。音楽を聴くセンスがいいのを「耳がいい」と評するような感じで、ちょっと「目がいい」。それもちょっと異質な目の「よさ」を身につけつつある気がする。草木のディティールがちょっと分かるのは昔やっていた植栽管理のバイトの影響で、景色を見る特定の観点を新しく得たという話だけど、最近のアップデートはそれとはまったく異質だ。多分、双眼鏡のおかげである。Nikonのちょっといいやつを夏の終わりに買ってから、荷物の少ない日は鞄にいれて持ち歩いて時々取り出してみたり、暇な時にそれだけ持って出かけて工事現場を眺めたりして遊んでいたのだけど、その影響を受けて、この数ヶ月で目の使い方が少しだけ新しくなった。

双眼鏡は、視野を一点(と言っていいほど狭い範囲)に絞ることで景色という全体から部分を抽出する道具だ。その感覚が、目にインストールされつつある。どういうことかというと、景色のなかの気になるものに目がいく時の、目が「いく」速さや圧や、見ると決めた点に瞬時に集中する正確さがあるとしたらそういうのが上がっている、といった感じ。目を、景色という反射光を受け取る穴というだけじゃなく、ビームを撃って捕らえにいくように能動的に使う、みたいな感覚が、新しく生成されつつある。

やっぱりこういうのも1人では自覚できなくて、友達と一緒に歩いている時にわかる。並んで歩いていた友人に「少し先のあのローソンに寄ろう」と言ったら伝わらなくて、少し進んでローソンがかなり近くなってから「ここまで見えてたの?!」と言われたりとか、そういう時にわかる。この時は、道が曲がっていたのでまだ思い切り距離がある特定の瞬間にしか遠いローソンの看板は視認し得なかったのだが、わたしは目がビームになっていたので瞬間のローソンが「見え」た。厨二みたいな言葉遣いになってしまうけど厨二みたいな感覚の話なのでしょうがないです。
ともかく、たぶん日常的に、ちょっとだけ人より「見え」ている。でもこれは天然ではなくて意識的に仕組んでいる。何を隠そう、バキバキに度を強くして乱視補正もかけた悪魔的コンタクトレンズの為せる技である。これは普通にお金がかかるし明らかに眼精疲労と頭痛と肩凝りの原因になっていて代償が重いのだが、本当に見ることがおもしろいし眼鏡より圧倒的に邪魔にならないので手放せない。身軽、かつ、視界のほとんどすべてのものにばっちりピントがあうということは、目が「いく」時に大きなアドバンテージになる。
 
これは数字で測れるものではないけど、わたしなんかよりももっともっとすごい鋭さで目が「いく」人が、いる。狂気を感じるほどに「目がいい」人が。知っている中で一番やばい人は、写真家なのだけど、伝え聞くところによると彼は車道を挟んだ向こうの路地の進行方向がわの壁(つまり歩いていく時に自然に視界に入る位置ではない壁)のドアの前に不自然に配置された自販機を、人と歩きながら発見したりするらしい。目、どこについているんでしょうか…。
 
そういう達人もいるけど、まあ、我々のこれは、目ですから、自分が見たいと思うものを見たり見つけたりできればそれで良い。わたしは自分のその力がだんだん、自分の欲しい方向に先鋭化してきているのが嬉しい。成長しています!



少し話がそれるけど、生きていくうちに更新されるのは目だけではない。今朝のジョギングの時に近くを通り過ぎた建設現場で、釘か何かを打ち込む作業をしている音が聞こえた。言い換えると、釘か何かを打ち込んでいるのが音でわかった。
釘を打ち込む時、一回叩くごとに打撃の音と同時に、響く音も鳴るパターンがある(響くほうはあんまり聞こえないこともあって、どの条件がその差異を生むのかわたしにはまだわからない)のだけど、その響くほうの音は、打ち込むごとに音程が高くなっていく。単純な物理法則で。今日は、それが音を聞いて瞬時に想像されることが妙に嬉しかった。自分が過去に釘を打ち込んだ経験と、ものを叩いた時の音は長いものほど低く短いものほど高くなるという実感を伴った知識が、音を聞いてすぐに思い起こされ、今まさに金属棒が打ち込まれて木に埋まっていく、という様がありありと想像できた。打つごとに次第に音が高くなって、最終的には打撃の音だけになって響く音は聞こえなくなるのだけど、一本、また一本と、細長い鋭利な金属が刺さるべきところへ刺さって作業が進んでいくところを、ジョギングの速さで通り過ぎる10秒にも満たない時間で聞いて想像できたのはとてもおもしろかった。


わたしは、こういうことに気づいてウヘヘおもろ〜と喜ぶのをマジで一生やってたい。そのためには好奇心とちょっとの知識、あと、そのベースとして健康が必要だ。ここ一、二週間くらい、そこまで忙しくもないのにめちゃめちゃ体調が悪かったので心が参っていて、仕事中などに、頭の中でずっとなぜか罵詈雑言を絶叫している声のようなものが鳴り響いていた。今にも口から声になって出そうなので歯を食いしばって黙ったりしていたけど、耐えきれず、帰り道で見知らぬ犬に(犬に)吠えたり、会話に夢中で道を通してくれないおじさんに舌打ちしたり、1人で虚空に向かって怒鳴ったり泣いたりしていて、自分じゃないみたいに乱暴者になってしまっていた。でも今日、やっとちょっと余裕があったので朝遅くまで眠った。最近ニュースに聞く数々の凶悪犯罪に、正直ちょっと共感してしまっていたので、休めてよかった。冬の寒さと年末みたいな空気感には、人を焦らせたり狂わせたりする何かがあるんだろう。年が明けたらちょっとは変わるんじゃないかとか、嘘でもそう思いたい。牡蠣たべたい。



今朝は午前指定のギリギリにやってきた宅配便で正午に目が覚めて、思いついて久しぶりに走りにいった。
走るたび、背筋の腰につながるあたりがぶよぶよ動いているのがわかった。冬は、じっとしていると体が石みたいに冷たく硬くなっていってそのまま気分も暗くなっていきがちで、最近まさにそんな感じで落ち込んでいたから、一歩一歩走るたびに意外と背筋とかが軽く動いている!とわかるのが嬉しかった。家に帰ってきてシャワーで汗を流し、洗濯機を回し、オンラインミーティングで来月の企画の話とかして、その人が昔つくった歌を今度一緒に歌おうってことになって、めっちゃいいじゃん、え、楽しい〜なんて明るい気分でぼやぼやしながら、洗濯物こんな午後からで乾くんだろうか?と思いながら干して、ジャンパーの襟元から部屋着のフードを出して一昨日買ったばかりのふわふわのネックウォーマーをして、スボンはスウェットのまま靴下につっかけで牛丼を食べに行った。

もう、ちょっと陽がかたむきだしていて、外の空気はさっきジョギングに出た時よりもヒンヤリしていた。足首だけが寒かった。薬局の前を通り過ぎる時、ガラスに映った自分の姿が、11月の人、って感じだった。

これを書いていて、今はいつもなら夕飯時だけど、変な時間に牛丼を食べたのでお腹が空いていない。楽しいたびに「久しぶりに楽しいな」って思うけど、数えてみたらちゃんと2日に一度以上は楽しい。








路傍の死と詩


1週間くらい前のこと。雨の降っている昼間に1人で赤坂の歩道を歩いていた。大きな道路から少し入った静かな道だった。さっき買った弁当の入ったビニール袋を片手にさげて、借りた傘をさして歩いていると、歩道の真ん中に青虫が落ちているのを見つけた。あと少しで踏みそうだったからギョッとして立ち止まった。左側の生垣から出てきたところを誰かに踏まれたのだろうか。なんの幼虫かはわからないが鮮やかな黄緑色で、体の一部が潰れたような、破けたような形に見え、中身が出てきているっぽくて痛々しくて、しゃがんでよく見る気にはなれなかった。
あの時、立ったままの視点で短いあいだ目を凝らして、破けた青虫だと判断したけど、できればただの太いナイロンの紐とか、わかんないけど何か別のものだったかもしれない。そうだったらいい、と、雨が降っていた一昨日、また思い出していた。

ちゃんと観察しそびれてしまったせいでかえってその出来事が心に残ってしまうことがしばしばある。3日前の夜も、観察しそびれて残ってしまった出来事があった。自転車で帰る道中、坂を下っている時、手のひらサイズほどの密度の高い立体的なものをグンと轢いた感触があった。少し先の路上に何かグレーっぽいぐちゃっとした塊があるのは視認できたのにハンドル操作が間に合わなくて、轢いてしまった。その途端、ドッと心拍数が上がった。すでに死んでいたネズミをさらに轢いてしまったんだと思った。呼吸が浅くなる。動物の轢死体を見ることはしばしばあるとはいえ毎回新鮮にショックだし、今のところはまだ自分で哺乳類を轢き殺したことはない。ネズミかどうか確証はなかったけど横隔膜は下がらないし、ブレーキをかけることも、振り返ることも怖くてできなかった。
結局、どうしようもない気分のまま、やがて上りに変わった坂を今度はぐいぐいのぼって家まで帰った。わたしはこういう感じで生き物の死に遭遇した(と思った)時、とにかく「祟り」とか「呪い」が怖くて、軽薄に「南無阿弥陀」とか唱えたりするんですけど、この時もぶつぶつ声に出して10回唱えていた。帰宅してからパートナーに話したら「ネズミじゃないでしょ」と笑われた。次の日、明るい時間に同じ道を通った時には何も見つけられなかったけど、やっぱりあれは、残念だけどネズミだったと思う。3日たって何もないので多分呪われずに済んでいる。

あと、これは大学の近くに同級生がたくさん住んでいて自分もその1人だった頃、夜に自転車で帰路についていたら、通り過がりのゴミ捨て場に馬の生首が捨ててあったことがあった。茶色っぽい表面が街灯に照らされててらてらと艶をもっていて、生々しくてゾッとした。まさか馬の生首なわけがない、本当にそんなわけがほとんど絶対ないんだけど、わたしは恐怖で冷静さを失って、泣きそうになりながら急いで通り過ぎた。まずいものを見たと思った。事件に巻き込まれたような気分だった。そこは、いつも猫除けの機械の音と思しき高周波が鳴っている一角で、すごく居心地が悪い道だと以前から感じていたから、あそこに馬の生首が捨ててあるという状況は自分のなかで整合性がとれていた。しかし、友人にそれを伝えると面白がられてしまい、説得されて一緒に見に行くことになった。先に正体を知って笑っている友人に急かされながら恐る恐る近づくと、馬の生首は古着が沢山詰まった合成皮革の茶色いバッグだったことがわかった。正体がわかってもなんとなく不気味だった。


路上で何かを見つけたりびっくりしたり謎に出会ったりすると(怖いことが多いし、だいたい間違っているんだけど)頭がフル回転するというか、想像力が総動員されて、脳の普段あまり使わない部分が働き出す気がする。
生活には、まっしぐらに進む基本の流れがある。ある場所へこの時間に行くとかこの日までにこれをやるとか、スケジュール帳に文字として書ける、そういうものがある。その流れに従っているだけの時は、路上がどんな様子であろうと、順調に駅まで行くし家にも帰る。前方、フロントガラスの中央に向かってまっしぐらに、適切なフォームと速度で硬い車体が進んでいく。決めたことはそういうふうに流れていくので、点をつなぐ線の部分にディティールはいらない。でも、ふいに見間違えたり見つけたりすると、色んなことが全く当たり前じゃなくなって、前だけ見ていた視野がバーッと広がる。ディスプレイのように前方だけを写すフロントガラスの外側に、目的地以外のあらゆる上下左右があるのを思い出して、「前だけ見て予定をこなす車体」みたいなのがフワーッと溶けて、生きているわたしが露出する。そして、その生きているわたしが見る景色には、嘘とか想像の入る余地がたっぷりある。横道に逸れるというよりは別のレイヤーを重ねるように、目の前の事実に想像の奥行きが生まれ、「これなに?」「こういうことかも?」と言葉で思索し、イメージを手繰り寄せようとする時、景色は詩情をたたえはじめる。こうなったらもう、事実が実際どうであっても関係ない。太いナイロンの紐は青虫に、濡れて固まった手袋はネズミに、古着の詰まったバッグは馬の生首になる。

1人でいると、こういう発見や思い込みの、速さと深さが強まる精神状態になりやすい。特に旅行している時などは、ほとんどずっとこの感じだ。少し怖いけどワクワクしている。初めて会ってきっともう二度と出会わない人に嘘を名乗ったって良いし、夕飯を食べなくても良いし、いきなり立ち止まっても良い。いつもより女っぽく振舞っても良いし、めちゃくちゃ大人ぶっても良いし子供みたいになってもいい。1時間なんとなくここにいてもいい。景色が鮮やかに見えてきて、地に足がつく。風の温度がわかる。ひとり旅にはそういうのを許してくれる時間があるから、何かに気づいたり驚いたりしやすい。
その心地が欲しくて自分は時々一人で遠出していたけど、最近は時勢的に以前のようには行けていなかった。その代わり、散歩したり、二人くらいの少人数で友人と近場の路上を歩くことが増えた。自分は元々そういう遊びを人よりやっていたほうだとは思うけど、このところ以前にも増してそういうことをやっています。そして、こういう過ごし方を人と一緒にできる、というのがしみじみ嬉しい。

先日そんなふうに友人と高田馬場あたりを歩いていた時だ。道路と私有地を隔てるフェンスの向こうに、大きな細長い白い板が立てかけてあるのを見つけた。細長い穴が規則的に空いていて、暗いのでその穴は黒く見え、ピアノの鍵盤のようだった。しかし良くみると穴だし、まあ全然違って、洗濯板とか排水溝にはめる板に近い。プールに置くベンチみたいな質感?なんだろう。わたしがそこまで考えたタイミングで、一緒にいた友人が「こんなところに鍵盤が捨ててある!」と言ったのでおもしろかった。いやそれわたしもそう思ったけど違うんだよ!!うわ本当だ?!と笑いながらもう一度よく見たけど、2人がかりで観察しても一体何なのかわからなかった。何かの部品だろうか。そのフェンス沿いにしばらく行くと、同じものが同じようにいくつか捨ててあってますます謎だった。

そんな調子で歩くと、例えば滝へ続く山道も、終電後の隅田川沿いも、郊外のショッピングモールも、土曜日の新宿の喧騒も、無法地帯みたいな裏路地も、人の多い公園も、全部それぞれに、それぞれの場所に特有の「なにあれ」があるからすごい。変な色の虫とか、エイゴリアンで見たみたいなキノコとか、マンションのベランダに下がっている万国旗とか、ビルとビルのドアと窓が通路でつながっているのとか、屋上から腕が飛び出たまま止まっているフォークリフトとか、何に使うのか全くわからない売れ残りの生活用品らしきものとか。何なのかわからないもの、なぜそうなっているのかわからないものって本当にいっぱいある。自分で見てその理由や経緯までわかるものなんて実際ほとんどなくて、わかった気分になっているだけだとよくわかる。夜、川が終わって海に開く湾岸の橋を渡りきるあたりで、シュレッダーにかけた細かい紙片が大量にばら撒かれていた時は、事件のにおいがして怖くって嘘みたいで、でも一緒に歩いていた友人とちょうど「事実は小説よりも奇なりですよね〜」みたいな話をしていた時だったから、現実マジ最高に狂っててたまんね〜!と大笑いした。


こうなってくると、目をはじめとした感覚器官はすごい。理解できなくてもとりあえず見て捉えることができる。いや、本当は、言葉と目の前の現実は常にそういう関係だ。ただ、びっくり事故みたいに勘違いしたり、その正解がわからないというだけで一気に普段の言語の運用、日常バイアスが無効化されるのがおもしろい。人間に想像力があってよかったと思う。いつも見ているお馴染みのビルをいきなり「硬そうなでっかい箱!」と表現するのにはちょっと心の準備が必要だけど、見慣れないものは見間違えやすい。もう、何年も前の晩にあのゴミ捨て場にあったのは馬の生首だったし、シュレッダーにかけた細かい紙が小雨で濡れて路面にこびりついているのは誰かが証拠を隠滅しようとして失敗した痕跡だった。犯人どうなっちゃったんだろう。


自分で見たり感じたりした時、その対象と自分は一対一になる。そういう時がわたしは心地よい。そして、幸運なことに、隣にいてもわたしをそういう「ひとり」にしてくれる親しい人が何人かいる。あの人たちは、自身も少なからず「ひとり」でそこに居るのだと思う。油断しながらアンテナを張っているみたいなモードで、知らない路地にふらふら迷い込んでいける、ちょっとした勇気と好奇心のある軟らかい人たち。好きです。

どちらかの「あれなに?」に、「どれ?」と重ねた時から、発見は2人の遊びに変わっていくけど、見つめあったりしない2人は、ふたりというより1人と1人だ。もし突然はぐれても、あっさり次の区画で合流して、あんなの見つけましたと笑って話せる気がする。
全然まとまらないし度々いつも言っているけど、わたしには良い友達がいます。






袖なしで電動キックボードに乗るシーン

 
先日、電動キックボードに乗った。恋人の乗る自転車に先導してもらって、夜の都内を目的地まで10分くらい走っただけだったけど、昔漫画で読んだ未来を今生きているみたいで、まるでひとつ夢が叶ったような気持ちになった。思い描いて望んでいたわけでもないから、夢の中にいたような、といったほうが正しいのかもしれない。でもとにかく、よかった。


最近、さすがに人生のフェーズが変わってきているのを感じる。「アラサー」がいつのまにか自分のことになった。結婚した友達も多くて、子供を育てている子も何人かいて、え?子供を育てている”子”……?子じゃねえ〜〜!親〜〜!!
アラサーって言葉が使われ出した頃に私は高校生だったような気がするので、え、いつの間に、と、ポカンとしてしまう。とにかく、自分の若さの臨界点はぼちぼちこの辺なんだろうな、という感じがしている。
自分なりに鍛えて、手入れをして、気を使って生活をして、ようやく体力とか肌の調子が人並みのところに、自分のなかでは最高の状態に保てている。でも、ちょっと気を抜いたらもう崩れちゃいそうだ。そんな気の張り詰め方をしていたら心がもたないよと、自分でも思うし、たまに人にも言われる。

ここしばらく、いろんなことが全然うまくいかない。こんなんじゃだめだということだけは頭でボンヤリわかるけど、思い切って行動に出ても空回るし、どんどんやるせない気分が押し寄せてくる。負けていられないと奮起したいところだけど、人生の短さや自分の何もできてなさ、これからのできそうになさ、その他いろんなことが情けなく思える!絶望的だ〜!こういう、暗くて卑屈な考えに落ち込んでいってしまうことは本当によくあって、ぜんぜん特別なことではないから、家で肉を焼いて山盛りの牛丼に卵を割り入れて、初めて飲んでみるビール(Asahiの富士山)なんか開けてみたりして誤魔化そうとするけど、当然、それじゃ何も解決しない。ビールは麒麟が好きだな…。

とにかくずっとぼんやりそんな気分で生活を続けていて、なんだか気持ちがアガらないことにも、やばすぎるコロナの状況にも政治のひどさにも、自分自身にも、すっかり飽きてしまったような憂鬱さだったので、生まれて初めて電動キックボードに乗った数分間が、突然、予想外に鮮やかで、特別な何かに思えたのだった。

少しごついハンドルには、右手の親指で操作できるレバーのようなものがあり、これを押すと加速する。ブレーキは自転車と同じ。まがりなりにもナンバープレートのついた、運転免許証の提示が求められる乗り物なのでけっこう緊張する。指だけでレバーを押すとキックボードだけぐーんと先に行ってしまいそうになるので、全身を使って重心をうまく調整してその速さにのる必要があった。初めはちょっとこれは怖いぞと思ったけど、覚悟を決めて道を進むなかで加速と減速を何度か繰り返したらすぐにわかってきた。わかってきてからは、中途半端な速さでこうして車道を、ヘルメットもしないで(義務はない)走っているのはきっと自動車からしたら相当うざいだろうなあという想像を半分くらいしつつも、新しい遊びを、生まれて初めてやる体の使い方をやっていることの新鮮さと喜びのほうが勝っていた。スケボーに乗るみたいに両足のつま先を右に向けて、膝は少し曲げて、腰から上の背筋をすっと伸ばしてボードの上に立つと気持ちよかった。

こうやって新しい遊びにすぐに適応できる自分のちょっとした運動神経の良さが妙に誇らしかった。今まで何人かの友人に「きれいな服だね」「いいね」と言ってもらえた袖のないお気に入りの服から出た生身の腕が、排気ガスやらいろんなもので汚染されたグロテスクな都会のベタベタした空気を、ぎりぎりの感じでかろうじて「キラキラと風を切って」いけることが嬉しかった。
袖のない服はわたしにとって普通にできる格好のなかで一番裸に近い。開放的な気分になって気持ちが良いので夏になるとこれでもかと着てしまうのだけど、これで電動キックボードに乗ったら、こんなんで転んだらすごく痛い思いをするだろうな、という出血の想像と緊張感が肌の表面に魔法をかけて、開放感がMAXまで振り切れてしまった。そして、こんなことを言うのは自分でもどうかしてると思うけど、いろんなリスクの上にやっとのバランスで成立している、ぎりぎりの美しさが纏えているような気がした。きっとあの時の自分は、街に肌を許しているような危うさとともに「キラキラと風を切って」、若くてちょっと美しかった。でっかいバイクにビキニのギャルがまたがっている、みたいなのの超超下位互換みたいな感じ、といったら伝わるでしょうか!

台風の近い夜の、ぬるい風。次々に現れる信号。街灯。言葉は聞きとれない大量の人々の声。漠然としたざわめき、車のヘッドライト、店の明かり、視界には光るものがたくさんある。前方を走っていく自転車に乗った恋人。代々木のはずれから、新宿・歌舞伎町を通り抜けて新大久保まで。こんな状況だけど東京の繁華街には想像以上に大量に人がいて、今この瞬間、自分もその構成員だからとやかく言えないけど、あれはソドムだった。そして、焼かれてなくなってしまえと思うわけじゃなくむしろわたしは滅びゆくオワった都市で生活することを眉を顰めながら面白がっている。あたしに生産性なんかないでーす、と、ワルぶって、カワイくてダサいのを誇って堂々と背すじを伸ばした、明日に続かない、愛すべき新鮮な体。ダメな奴ですがなにか!
次々にすれ違い通り過ぎるあまりにも多くの人たちと決して目は合わないけど、おそらくほんの少しの物珍しさの視線をちらちらと感じながら、中途半端なスピードでぎゅ〜っと進む。さっきテイクアウトして食べた大きくて美味しい、ちょっといい値段のハンバーガー!人のいない駐車場みたいなところで、こっそり悪いことしているみたいに、口内炎を我慢してゆっくり食べたやつが胃の中にある。信号で止まったら、毎週片道1時間半くらいかけて予備校に通っていた高校生の頃にドキドキしながらローファーで歩いた大通りだった。相変わらず高いビルばかりがあって、ハイブランドのショップとか看板とか、カフェとか、電気屋とかごちゃごちゃあって、横断歩道があって、ぜんぜん空気がおいしくない。空なんか見えない。でもこんなに楽しい。わたしはあの10分間だけ、映画の中にいるような、始まれば必ず終わる時間の中にいた。