夜が明けても続くもの

 
3月9日の土曜日の晩、ワヤンクリを観た。ソロの芸大でダラン(ワヤンクリの人形使い)の勉強をしている岸さんという女性に案内をしていただいて(岸さんが招待されていたのに便乗させていただいた形)、結婚式にあわせての、山で行われる上演を観にいった。彼女とは少し前に知り合ってから、ワヤンクリの上演の情報をいただいたり時々一緒に見たりしている。年が明けてからわたしがほとんど毎週のようにワヤンを観に行けていたのは彼女の情報提供や案内によるところがとても大きい。本当にありがとうございます。
 
この日は、岸さんが住んでいるコス(シェアハウスのような小規模の集合住宅。大学生や単身で働きに来ている人などがしばしば住む)に一度お邪魔して、そこから仲間と一緒に車で出発するということになっていた。わたしの家からだとバスを使って計3時間弱くらいのところにある街・ソロは、観光地としても有名でけっこうな都会だけれど、そのコスは大通りから少し入った、静かで落ち着いた雰囲気の場所にあった。
 
着いてすぐ、台所に続くとても広い部屋に案内してもらった。そこには、ワヤンクリのスクリーンやガムランや、その他の太鼓や弦の楽器が置かれていた。びっくりして、つい「わあ〜」と声が出た。これらは、岸さん個人のものではなくて、このコスのオーナーの所有物らしい。ここには他にも彼女と同じようにガムランやダランのことを学んでいる留学生が住んでいて、この楽器や道具は彼らと共有で使って、練習をしているそうだ。彼女は、いつでも練習ができて幸せですと言っていた。文字通り寝ても起きてもワヤン漬けだ。すごい。修行だ。向かう方向や熱量が似ていたり同じくらいだったりする仲間がいつもそばにいるというのも、すごく心強そうで良い。
 
出発までの少しの時間、岸さんが自分の私物のワヤンを見せてくれた。ワヤン専用の鞄(大きくて平べったい、カルトンバッグみたいなもの)というのがあって、それに入っていた。自由に見てください、と言って鞄を広げてくれた。岸さんはすぐ出発の支度にとりかかったので、わたしは1人でワヤンと対峙することになった。数を数えたけど忘れてしまった、たぶん10体くらいあったと思う。自分で買ったり、先生からもらったりして集まったものたちらしい。授業で使う予定のワヤンが手元にない時には、買えれば買うけど、大きさが同じくらいのものを代用して練習したりもすると言っていた。
わたしは、ワヤンを近くで見たことは今までにも一応あったけど、リラックスして触りながら見れたのは初めてで、嬉しかった。服の模様が、ほとんど網のような、かなり細かい透かし彫りになっているものを手にとったら、向こうの壁とかドアが透けて見えて、1人で「うおお〜」と小さく感嘆しながらウキウキ写真を撮ったりした。こんなに精緻な透かし彫りで、繊細なふうに見えるけど、あんなに振り回したり叩いたりしてんだよなあ皮は丈夫だなあ、とか、ただでさえそれ単体で見応えのある人形をさらにパフォーマンスで使うってそりゃ表現として強いよなあと嬉しく納得したりした。人形を支える骨の折れたところが直してあったのにも、今まで人形が使われてきた年月を感じた。
 
 
今晩ワヤンクリを観にいく一行はけっこうな大所帯で、大きな車に7人乗って出発した。途中で、今回の上演に私たちを誘ってくださったマダムたちと合流して車は2台になった。シンガポールとかアメリカとかメキシコとか色々なところから集まった人たちが一緒になっていて、自分が「外国人一行」の一員になっているのが不思議な感じがした。ここへ来てからは、だいたいの場で私1人だけが外国人だったので、それとは居心地がだいぶ違った。みんなだいたい英語とインドネシア語ができるので、おしゃべりは英語になったりインドネシア語になったりを行き来していて、なかなか混乱した。お菓子を食べたり、お喋りしたり、飽きて全員黙ったりしながら、三時間くらい車は走って、上下にグニャグニャ左右にグニャグニャの山道を登って、真っ暗な木々の間を抜けて、ようやく、と思うころ、村にたどり着いた。今まで見た村でのワヤンクリと同じように、道の両側にビカビカの屋台が並んで、大人も子供も沢山いた。ここを抜けた先がワヤンの会場だ。
 
控え室で、今夜のダランであるMantebさんに挨拶をした。彼は、とても有名なダランだ。(相当有名な人らしい。音楽の先生は当然、ゲストハウスのオーナーも名前を知っていて、彼は名人だよねえと言っていた)わたしは正直に言ってあんまり今回の上演の細かい事情を知らないまま半ば強引について来てしまったし、インドネシア語も英語も皆ほど流暢ではないので、ちょっと小さくなってずっと半歩後ろから様子を見ていた。岸さん始め、ここへ来たガムランやダランを勉強している留学生たちは、Mantebさんのことを大変に尊敬している。それは一応知っていたけど、彼らの挨拶の感じとか、岸さんがずっとキラキラした笑顔で「嬉しい…」と興奮気味にしているのとかを見ていて、だんだん今夜の特別具合がわかってきた。
彼女にとってMantebさんは一番好きなダランらしい。というか、大尊敬する師匠なのだそうだ。留学に来る前から映像資料で彼の芸に触れて感動したり勉強したりしてきていて、今はソロの芸大で会うこともあるし名前も覚えてもらっていて、とても嬉しいと言っていた。みんなで写真を撮ろうという時も、一緒に写真をだなんて!と喜んでいて、岸さん、かわいいし、その喜びようや今までの会話から、彼女が歩んできた道を勝手に想像して、かっこいい人だなあ…と思った。あの頃は夢みたいな場所にいた人が今目の前にいる、というのは奇跡的なことだけど、ラッキーなんかではない。これは彼女が自分で積んできた頑張りの続きにある今なのだ、という感動があった。ざっと言うと、多分わたしは人の夢が叶う瞬間みたいな、そういうものを見たのだと思う。
Mantebさんは、とても気さくな感じでお話される方で、横で聞いているわたしでも聞き取れるようなきれいなインドネシア語を話してくださっていたことからしても、お人柄が想像できた。二箱ぶんがくっついたような巨大な箱からタバコを出して吸っていた。タフだ。5歳くらいだろうか、男の子の孫が懐いていた。
今日は、結婚を祝うワヤンクリだそうだけど、こうして結婚式にワヤンクリを呼ぶということは、今時かなり珍しい。とてもお金がかかるのだ。しかも超名人のMantebさんを呼ぶというのは、相当なことだと思われる。きちんとしたバティック(こちらではバティックが正装なのできちんとした格好をする時にはバティックの服を着る)を着てこなかったことを申し訳なく思った。何も考えずに無地の服で来てしまった、Tシャツで来なかっただけ良かったけど…。
 
挨拶を終えて、少し食事も頂いて、Mantebさんが伝統衣装に着替えるのも終わり、いよいよ始まるということで我々はステージのほうへ向かった。留学生である我々(わたしは違うけど)は、ステージの上のガムラン隊の隙間に座らせてもらった。1月にワヤンを見た時、突然「ステージに乗って良いいよ!」と言われた時はビビったが、(もちろん特別ではあるけれど)案外こういうこともアリなんだ、というのがわかってきた。生理中の女性はステージに登れない、という厳粛さはあったけれど、この晩もやはり、私が今まで見たワヤンクリと同様、リラックスした雰囲気だった。ワヤンクリの時、ガムランなどの演奏者が演奏の合間にものを食べたりタバコを吸ったりしているのは、わたしにとってはとても大きな魅力のひとつだ。舞台上での演奏や演技に、観客が不要な緊張を強いないのは健康的な気がする。スーパーマーケットでレジの人が座ってても良いみたいな世界観と通じると思っている。
 
 
ワヤンの上演中、わたしは留学生たちの少し後ろに座っていたので、岸さんや彼らが時々メモを取ったり、ICレコーダーを回していたり映像や写真を撮ったりしているのが見えた。時々、何か確認するように隣の仲間と短い会話をする。そういう熱心な姿を見ていると、ああ、勉強した上で観られたなら、入ってくる情報量が段違いだろうなあ、絶対100倍面白いだろ〜〜、と羨ましかった。そして、さっき岸さんがすごく嬉しそうにしていたことを知っているので、顔が見えなくても、今発揮されているであろう熱い集中が想像できた。誰かが何かに心の底から惹かれて本気で愛したり夢中になったりしている姿をはたから見る機会って、そんなにしょっちゅうない。あれは勇気をくれる背中だった。好いて学ぶというのは勇敢なのだと思った。
 
この日は英語の字幕がスクリーンに映されていた。そんなの初めて見たので、びっくりしてインドネシア人の友達に写真を送ったら「わたしも初めて見たwww」とウケていた。おそらくリアルタイムで誰かが打ち込んでいた。誰だか知らないけどめっちゃ凄い。わたしは最初は「これならお話がわかる!!」と喜び勇んで文字を追ったけれど、ジャワ語とガムランを聴きながら英語を読むのはなんだか変な感じがしたし、かなり速いしそもそも英語下手なので大変すぎて、なかなか内容が頭に入ってこず、途中で諦めた。文字を集中して読んでしまってワヤンも見えずガムランも歌も聴こえなくなるのは本末転倒だ…、と思って、頑張って追うのはやめた。それでも、チラチラ目に入る英文から今キャラクター同士がどういう会話をしているのかがざっくりでもわかるのは大変ありがたかった。
いつもは、打ち上げ花火を見るみたいな鑑賞しかできない。音を聴き、スクリーンや舞台上の景色を眺めながらボウっとしていて、ワッと演奏や演技が変わったりすると嬉しい!楽しい!という見方だ。話がわかっていないので、次に何が起きるのか全然予想できないけど、何が起きても楽しいのだ。こんな素朴すぎる観客でも十分楽しいんだからワヤンクリは凄い。この日も基本的にはそうだったけど、そこにちょっとだけ「今は結婚の話をしている、彼は彼女を愛している」などの情報が入ると、人形の表情まで想像できて、見え方が深くなって良かった。
 
 
わたしは基本的に、なにかの鑑賞に関して貧乏性というかガメツイので、観るなら全部観たい。演劇などを観に行ってつまらなかった時にも、耐えて座り続けてしまうし、できるだけ最初から最後まで観たい。映画のエンドロールが終わって明かりがつくまで立ち上がりたくない。そういう性格なので、この晩も、留学生たちは玄人なので力の抜き方を知っていて各自一度はトイレに立つのだけどそれが真似できず、朝まで一度もトイレに行かずに座り続けた。素人っぽいしダサいな…とちょっと思いながらも、やっぱり立ちたくなくて、時々座り方を変えたり、水分摂取をちょっと控えたりしながら過ごした。というか、もしかしたらこの滞在で最後のワヤンクリ鑑賞になるであろう晩だったこともあって、だんだん終わっちゃうのが悲しくなってきて、もっとずっとここにいたい、この晩は終わらなくていい、、と、夜が朝に近づくにつれてヒリヒリした気持ちになっていた。
 
だって、あまりにも良い心地だった。まず、過言でなく絶えず目から脳へ快感が流れ込んでくる。
この日に使われていたグヌンガン(山などを象った抽象的なワヤン)は、彩色があるのは片面だけで、もう片面はすべて金一色に塗られたものが使われていた。「全部金色なんて職人の手抜きでは?」という超失礼な気持ちが若干あったのだけど、金色のワヤンって、実は視覚的な快感がすごいのだとこの晩よくわかった。まず、金色ってあれ、色じゃないです。光だ。わたしは今、光を観ている!という快感がある。目が気持ちいいのだ(赤とか青とかの色も光といえば光なのでこれはバカ発言なのですが、でかくて金色というだけで気持ちよくて、俺は今!光を観ているぞ!と言いたくなる)。そして、普段は画面の左右の脇に固定されているそれら(木や山なので?基本動かない。物語の最初と最後、またはシーンが変わる時や登場人物が死んだ時などにフワフワと動き出す)が、ダランの手によってダイナミックにはためく段になると、透かし彫りの精緻な影が突如ユラユラッと画面をいっぱいにする。スクリーンにぴったり当てて固定されている時は影が出ないので全部がただただ金色で、透かし彫りはよく見えないのだが、スクリーンを離れて踊りだした途端、かなり大きな、そして美しく複雑な形の影が現れて、全然違う美しさを見せてくれるのだ。これはけっこうグッとくる。こういうギャップを狙って全面金色のやつを作っているのか!?!と勝手に納得した。さっき、岸さんの私物のワヤンを見せてもらった時に、透かし彫りスゴイ!と感動したばかりだったので、余計に嬉しかった。始まる前、会場に並んだワヤンを観た時だったか、岸さんが「Mantebさんの私物の上等なワヤンばかり並んでいる…、凄い…」とため息をつくようにおっしゃっていたので、目に快感が流れ込み続けていたのも頷ける。良いワヤンはやっぱり良いし、名人がそこにさらに魔法をかけているんだろう……
 
もちろん、目だけではなくて耳も気持ちいい。演奏それ自体も、だんだん聴き慣れてきて曲を聴いている感じで聴けるようになってきていたし、好きなアンサンブルになるとついニヤニヤしたり(Rebabの音が好き)、力一杯ガムランを叩いてウワーッと演奏が加速する時にも「そんな全力で叩くか!」と心の中でツッコミながらニヤニヤしていた。合唱みたいに歌がたくさん重なる時も嬉しくなってしまう。つまりずっとニヤニヤしている。そして、大きなうねりを鋭く刺すようなシンデン(女性歌手)の歌声にギューッと興奮する。
演奏の静かになった時に、すぐ隣の暗い木々のほうから虫の声がたくさん聞こえてくるのにもかなり感動した。最初それを認識した時、嬉しくて、ちょっと泣きそうになった。演奏ではなく環境音が耳に入ると、自分がここに座って、今まさにここで鳴っている音を聴いているんだという事実がひしひしと実感される。どこだよここ、というくらいの、始めてくる遠い場所の山の中で(※グヌンキドゥルなのでここはジョグジャカルタ)、夢みたいな時間だけど、でも確かに座ってんだ物理的に今ここに、と、思う。それが嬉しかった。
今日まで生きてきて今晩はここに在るこの体で、観て聴いている、異国のこの場所で、こんな夢とか魔法みたいな時間を過ごしている、という事実が、特別すぎる現実が、染み込むみたいに心にくるのだ。生きているのが嬉しかった。足は痺れるし、タバコの煙は臭かった。
 
 
 
 
 
さすがに一晩山の上かつ屋外で過ごすのは寒いだろうと思い上着を持ってきていたけど、それほど冷えず、むしろ途中で暑くなってきて脱いだくらいだった。過ごしやすくてよかった。
 
朝4時前くらいに演奏は終わり、素早く撤収作業が始まった。私たちはまたしても軽い食事をいただいてしまった。本当にありがとうございます…でも、一晩じゅうなんとなくイモやお菓子をつまんでいたのでお腹は空いていなくて、むしろ体は疲れて重く、ほんのちょっとだけ食べるにとどめた。他の留学生たちがモリモリ食べていてタフだなと思った。
 
チャーターしている車の到着を待つあいだ、村の道を、みんなで少し歩いた。来た時にはあんなに沢山あったビカビカの屋台が全部すっかり片付いて、違う場所のように静かだった。岸さんたちと「さっき車で通ったのはこんな道だったんだ…」などと話しながら、きつい坂を、疲れた体に鞭打って登った。まだまだ暗いので、足元に気をつけながら歩くのだけど、星がちょっと見えるので、上にも気を取られながら歩いた。そうやってフラフラともう少し進むと、左手にトウモロコシの畑があった。
 
トウモロコシ畑の向こうは空だった。山の上で景色が開けているから、見上げなくても空が見えるのだ。すごい。見上げずに星を見たのは初めてかもしれない。むしろちょっと見下ろすくらいの感じだ。星座の名前はわからないけど、細かい星が、色の違いとか大きさの違いとかまでよく見えた。ここにくる前にメガネを作り直して本当に良かったと思った。虫の声がたくさん聴こえる。色々なのが鳴いている。皆そこでしばらく車を待つようだったので、わたしはもう少し先へ道を歩いて、ちょっと怖かったけど街灯のない真っ暗なほうまで行ってみた。木々が茂っていたので星は隠れてしまったけど、レコーダーを手に持って虫の声を録音した。静かに息をしながら、真っ暗な木々の合間を眺めたりした。手前の木々のほうが真っ黒で、その向こうの空の方がぼんやり明るい。小雨が降り始めていた。遠くで何度かニワトリが鳴いた。
 
 
 
 
車に乗ってから少しした頃、日が昇って来た。でもピカピカの日の出ではなくて、雲が滲みながら色を変えていくような空だった。さっきまで星を見ていたのに、天気がどんどん変わる。ソロへ戻る道のりは、来る時よりもだいぶ速かった。寝て起きたらもうソロの市街にはいっていて、眠い頭のまま「このままバスターミナルから直接帰ります」と岸さんと仲間たちに伝え、ターミナルまでちょっと遠回りになったりしながら送ってもらった。ちょっとくらい自分で歩けばよかったのだけど、若干お腹が痛くて体も重かったので甘えてしまった。いたバスにすぐ乗って帰った。
 
 
バスを降りると、もう日が高かった。眩しいし暑いし体が重い。排気ガスにむせそうになる。車の音が煩い。あまりにもさっきまでと空気感が違って、雑雑とした日常に帰ってきたことが無性に情けなく思えて、誰も何も悪くないのにちょっと不愉快な顔になった。マスクと帽子で隠しつつ、ひどい顔のまま早足で歩いた。
途中でコンビニに寄って、グァバのジュースとポカリを買って帰った。寝不足の時は固形物は食べずにしばらく内臓を休めると疲れを持ち越さない気がしているので、この日はほとんど何も食べなかった。
 
 
わたしは、楽しかったことの後に体がグッタリしている状態って証拠っぽくて、信用できると思っている。これは誰かに提出するための証拠ではなくて、自分が、自分自身のさっきまでの体験をより深く自分のものとして体に刻んで覚えておくためのヒントだ。今の自分にとって、さっきまでの自分は、油断するとすぐに他人みたいになってしまうし、楽しかった時間ほど嘘みたいに思えてきてしまうので、さっきまでの自分と疲れている今の自分がつながっていると思うために、疲れる体は一役買ってくれる。疲れてんだからホントだろ、と思える。
 
疲れると一時的に憂鬱になったり不機嫌になったりするから、疲れること自体は全然好きではない。でも、疲れは体験の余韻であり証拠だから、本当に楽しかった日は、そこまでを「楽しかったこと」に含めてしまいたい。夢みたいに楽しかった時間も、それに起因する疲労をちゃんと味わうことで、確かな現実として噛み締められる気がする。
 
 
もうあと1週間くらいでインドネシアを去るのだけど、帰国した時に、朝の羽田空港で味わう疲れを想像してみる。寝たら取れるような疲れにそんなに多くのことを託せないし、疲れるためにやってるんじゃないけど。お腹を壊したりしていなければ、きっと爽やかだろうな。というか、なるべく爽やかに帰りたいので、ここからは輪をかけて体調管理に全力を投入していきます。