夜に息をしている

 
もうだいぶ前になるが、ジョグジャカルタにあるワヤンクリ博物館に行った。さすがに何度もワヤンクリを観ていると、「あの時のあれか!!」というのがたくさんあった。物がただ置いてあるだけで何の解説もなかった(追加料金でガイドを頼む仕組み)ソロの王宮博物館とは違って、一応英語とインドネシア語のキャプションもあったので、小さい博物館だったけれど時間をかけて楽しく見て回った。連れて来てくれたインドネシア人の友人は、わたしが度々ジャワの魔術の名前とか女神の名前を出して「アレのコレですね?!」と言うので「なんでそんなの知ってるんだw」と笑っていた。今わたし「変なガイコクジン」みたいな感じなんだろうな〜と思った。
 
そのワヤンクリ博物館で、色々な「ワヤン・なんとか」を紹介しているコーナーがあり(ここにあったような伝統的なもの以外も含めれば「ワヤン・なんとか」はほぼ無限にありそうだ。ゴミで作ったワヤンで上演をするワヤン・サンパとかもやってる人がいる)そこに、ワヤン・カンチルというものの展示があった。
ここへ来る直前に「今度ワヤン・カンチルがあるけど観に行く?友達がダラン(人形使い)やるんだ」とAndriさんから聞いて、よく知らないまま「行く」と即答していたので、あ!これが!今度観るアレね!と、思えて嬉しかった。情報を得るタイミングがベストだった。
ワヤン・カンチルは、通常のワヤンクリと違って登場するキャラクターがみんな動物である。主人公は子供のシカで、ストーリーも子供向けのものがかかる。博物館の展示には、シカとカブトムシ?とワニとトラと、他にも色々いたけど、木もいた。日本の学芸会にも時々「木の役」があるよ、同じだね、ガハハ、と友人と笑ったりした。物語は、だいたい、賢いシカがトンチで困難を切り抜けていく、みたいなものらしい。一休さんみたいな感じだろう。でも、学校の先生やゲストハウスのオーナーに「今度ワヤン・カンチルを観に行くよ」と自慢しても「何それ?初めて聞いたけど」と全員に言われたので、けっこうマイナーなのだと思われる。
 
 
 
 
そのワヤン・カンチルは土曜だった。さすがに子供向けの演目を、通常のワヤンクリのように朝までやるわけはないだろうと思いつつ、けっこうしっかり昼寝をして万全のコンディションで夕方ごろに家を出た。
上演の情報をくれたAndriさんに連れて行ってもらうことになっていたので、Andriさんの住んでいる隣町までバスに乗った。家を出た時から向こうの空に黒い雲があって、わたしがバスターミナルに着いたとたん物凄い豪雨になった。肌寒いくらいだったけど、バスに乗っているうちに雨は弱くなり、降りる頃には小雨に変わった。
ほどなくしてAndriさんと合流して、出発した。今日の会場は、グーグルマップで見ると市街からけっこう離れたところにある。さては「desa(村)」だな、と思った。村で行われるワヤンのイベントには、以前もAndriさんに教えてもらって行ったことがあったけど、木々や田んぼに囲まれた夜の村に行く、ということがもうすでに楽しいので、嬉しい。
 
 
出発した頃には小雨だったけれど、それもどんどん弱くなって、いつのまにか日がすっかり暮れ落ちて雨はやみ、わたしたちは田舎の道を進んでいた。
雨が上がったばかりの、まだ霧雨がふんわり続いているような湿った空気にはなんとなくコクがあって、東南アジアにいるのだ、と思い出さされるが、標高が高いので全然暑くない。長袖のシャツにレインウェアを羽織ってちょっと寒いくらいだ。
 
この道すがら、ついに心の底から確信したけど、わたしはこの土地の夜のことがとても好きだ。
 
ここの夜は、東京や千葉の夜と違って、人間ではない動物や植物や、魔術や魔物が優勢の時間、という感じがする。
夜空の手前、ここからは遠い向こうのほうには、山や、背の高いヤシの木が真っ黒な影になって黙って並んでいる。自分たちの行く道沿いの木々は、その大きな葉っぱの裏側や樹皮を、ヘッドライトによって下から照らされて、カメラのフラッシュをたいてピントが合っているみたいな質感でハッキリと見える。でもそれは今この瞬間に照らされているだけ、といった感じで、その葉っぱや樹皮のすぐ裏側はもう真っ暗闇なのだ、という凄みを含んでいる。とにかく葉っぱが巨大なので、葉っぱと自分の距離が近いような錯覚すらする。それらに視線を吸われてつられて睫毛がのびるような目つきになる。
 
目的の村に入る直前、だだっぴろい田んぼのあぜ道を抜ける、1分もないくらいの時間があった。
こんなに暗い夜でも、空というのは真っ黒にはならない。手前の山や森のほうがずっと黒い。遠くで雷が光っているのが見える。ガタガタの道を運転しながらAndriさんが「Sawah sawahだね(田園が広がっているね的ニュアンス)」と言ったので、わたしは「sawah sawah…」とオウム返ししながら、ああ、sawahって二回言う表現もあるんだ、「ざわわ」みたいだなあ、と思った。あれはさとうきび畑だけど…
ちょっとその場に止まって味わいたいくらい、「sawah」という言葉のシックリくる具合が嬉しかった。だいぶ前に、美しい山と田んぼの景色を前に「indah(美しい)」が言えた時のことを思い出していた。広くて遠い景色には、語尾のため息のような「h」がやっぱり似合うと思った。
 
 
迷ったわけではないけど、目印がゼロなので途中で何度も村の人に道を尋ね、本当にワヤンやってるのか?と思い始めたくらいの頃に、ようやく会場にたどり着いた。村の集会所だろう、屋根と床と柱だけでできた(プンドポみたいな)建物に、暗幕で壁を作ってあった。テントのようになっていて、みんな靴を脱いであがり、床に座って見るスタイルだった。ワヤンは椅子じゃなくて床に座って見るのが多分、本来の形式だよなあ、と思っていたので、床だ!!!!!!!!と嬉しくなった。
 
この日の演目は、基本は影絵人形を使ったワヤン・カンチルだったけど、たまにワヤン・オラン(人間がやる演劇)に切り替わったりまた人形劇に戻ったりしながら進んだ。シカが…なんか大変そうだな…、ということ以上のストーリーはわからなかったけど、スクリーンのこちらと向こうでシカとワニが会話をしたり、途中でダランの他の2人の俳優も一緒にスクリーンの前に出て来て踊ったりしていて、けっこう楽しかった。人間が演じる劇を久しぶりに見た。俳優たちが顔をまだらに白く塗っていて体の使い方もコミカルだったので、人間がやっているけど人形劇っぽさがあって、愛しかった。演劇やダンスの上演は、その作品以前に、生きている人間を穴があくほど観つめても良い、という珍しい時間でもある。人間を見つめるのは面白いので、上演の時にはわたしはここぞとばかりに穴があくほど見つめてしまいがちなのだけど、それが許されるような観劇の機会を得たのは、そういえば久しぶりだった。大阪の民俗学博物館で様々な民族衣装を見た後にインドネシアに行き、あそこで観たような衣装を実際に人が着て踊っているのを観て「ああ!中身が!ある!」と感動したのは一昨年のことだ。そう、ここは「現地」…。
 
そして、何より、この上演では、ダランがすごく魅力的だった。彼はかなり小柄(頭が大人の腰の高さくらい)で、顔も丸くて声もハスキーな少年のようだった。小学生みたいな容姿(というかわたしはずーーっとメチャクチャすごい子役なのだと思っていたけど、終わった後に他の人に彼の年齢を聞いたら20歳と言っていた。ソロの芸大で勉強をしたという。)も端的に言って可愛かったし、泣いたり笑ったりする彼の姿や声にずっと気持ちを掴まれていた。時々客席に向かって「そうだろ?」みたいにふって、子供や大人からウェーイとレスポンスをもらったりしていた。スターだな〜と思った。観ていて気持ちが良かった。
 
客の多くは子供だったので、上演中も騒がしくて時々セリフが聞こえないくらいだったけど、リラックスした雰囲気は地元っぽくていい感じだった。大人は後ろの方に少しいる程度だった。ワヤン・カンチルの前に、地元の小学生たちが出演する短い自主制作映画と、彼らによるちょっとした演劇が披露されたのもなかなか楽しそうで良かった。客席は大変盛り上がっていた。ワヤン・カンチルは21時くらいに始まって22時半には終わっていたと思う。途中でみんなに食べ物が配られた。床に落ちていたお米を踏んだりして靴下が汚れたけど、寒かったので脱がないでいた。
 
演目が終わると、大人たちがマイクを順番にまわして、演劇に関しての意見交換会を始めた。ジャカルタで俳優をやっているというお兄さんが来ていて、鈴木メソッドがどうとか(聞き取れず)、今度「第九回シアターオリンピックス」に参加するので8月に日本に行くぜ、日本で会おうぜ、と言っていた。目つきとか身のこなしが都会っぽくて、グローバルな現場の人間です!という感じの勢いがあって、おお、ジャカルタの風…とちょっとタジタジしてしまった。
途中、その20人くらいが見ている前で「なぜインドネシアの数ある芸能のなかでワヤンクリに特別惹かれているのか」という質問をふられて、英語でもいいよと言われたけど余計わけわからなくなりそうだったのでインドネシア語で頑張って答えた。あんまり上手く話せなくて悔しかった。
数回お会いしているダラン(人形使い)のお兄さん(Andriさんの友人)も来ていて、彼は今夜はgender(ふわふわした音の、両手で叩くガムラン、ダランの相棒的な役割で今喋っているキャラクターの声の高さを定める手伝いをしているらしい、ダランがセリフを言っている時に他の楽器がみんな休んでいてもこの楽器だけは常にうっすら鳴っている)を演奏していた。でも楽隊の他の楽器は全然ガムランじゃなくて、genderの他にはウッドベースアコースティックギターがいた。
 
意見交換会は1時間半くらい続いたので、終盤になるにつれて、みんながだんだん飽きてきているのがよくわかって可笑しかった。一人ずつがマイクをもらったら一気にぶわーーっと言いたいことを言う、というスタイルで、あまりディスカッションという感じではなかったのでわたしもよくわからなくて飽きてしまった。それがお開きになると一気にバラシが始まった。さっきの小柄なダランもめちゃくちゃ小柄なのだけどかなりこなれた感じで暗幕をテキパキ畳んでいた。暗幕などがひとしきり片付くと、かえって少し空間が狭くなったような感じがした。
また降り出してしまった雨が止むのを待つため、さらにおしゃべりをして時間をつぶし、ようやく帰った。帰りは少し違う道を仲間たちも一緒に通ったので、「ここは昼間に来たら田んぼが見事で景色がいいんだけどなあ」「おれ昔このへん住んでた」「これは競馬場だよ」など、色々教えてもらった。暗くてあんまり見えなかったけど。
 
 
 
 
 
 
繰り返しになるが、わたしは、この土地の夜のことがとても好きだ。日本の夜も好きだけど、それとは全然違う。ここの夜は時々、人間の時間というよりも、他の何かのための時間という感じがする。
人間よりも圧倒的に大きくて生々しい木々、濃い暗がり、人間ではない生きものたちの声。
 
 
それに、夜には、わたしにとって面白いものや、素敵なことが多い。「なんていい昼なんだろう」と思うことはあんまり多くないけど、「これはいい夜だな」と思うことはとても多い。
 
まず、滞在初日に、真っ暗な村を葬式の行列がゆくのを見て、よりによって夜にやるのかよ、怖いわ!と思ったことがあった。ここの夜の第一印象はそれだった。だから、住み始めてしばらくは、日が暮れたら出かけるのはよしていた。歩道には時々穴が空いているし、街灯も少ないので夜はちゃんと暗くて、霊的なことを抜きにしても怖い。
 
また、部屋の外の水道で歯を磨くようになってからは、毎晩必ず、遠くの山の村の明かりがキラキラするのを見ている。晴れていれば月も見えるけど、雲が多くて山の村の明かりさえ見えない日もある。そして、いつも日本の9月の夜みたいな涼しい風が吹く。時々なんとなく何かがちょっと怖いし、雨の時は歯を磨くのが億劫になるけど、そこでの歯磨きは好きな習慣になっている。部屋でギターを弾いて歌うのもたいてい夜で、その時間の静けさのなかで、笛を吹くみたいにほんのり歌を歌ったり弦を爪弾いたりするのはとても心地がいい。
加えて、家の前でいつもトッケーが鳴く。この声がとても可愛い。先日友達に「トッケーが7回鳴いたらオバケを呼ぶんだよ」と教えられてからは不気味さが加わってしまったけど、むしろちょっと不気味なほうがしっくりくる。だってメチャクチャでかくて全身に斑点のあるトカゲだもんな、そりゃ不気味だ。オバケくらい呼んだっておかしくない、、(以後、トッケーが鳴くのが聞こえるたびに何回鳴いたか数えるようになってしまって、先日珍しく6回目まで聞いた時には恐ろしくて鳥肌がたった。オバケは無理)
 
夜に見て印象的だった芸能もたくさんある。ワヤンクリがあるのは絶対に夜だ。ゲストハウスのオーナーと、「わたしインドネシアの夜がとても好きです」「なんで」「ワヤンクリがあるから」「がはははは」「……(そんな笑う?)」という会話をしたこともあった。
バリで見た、オダランという村のお祭りも夜だった。ヤシの葉でできた白っぽい飾りや大量にぶら下げられたオレンジ色の花や黄色い布などの飾りは、暗い夜空とのコントラストによって、より一層輝きを増し、見事な眺めになっていた。客席もガムラン隊も、全員がギュウギュウに集まって中央でバロンが舞うのを見つめていて、ざわざわしているけれどワアワア騒がしいのではなくて、密度の高いような熱狂があった。明け方までこの祭りは続いて、最後には少女たちのトランスダンスがあるのだそうだ。今回は最後まで見ることが叶わなかったけれど、いずれ見てみたい。
 
そして、これは個人的な話だけど。すっかり仲良くなった何人かの友達が、彼らのアトリエや家に連れて行ってくれるのもだいたい晩だ。音楽のライブがあるのも晩だ。しかも例えば20時スタートと聞いてその時間に間に合うように行くと21時に始まるし、終わった後にみんなたっぷりお喋りをするので、たいてい深夜に及ぶ。
 
夜、友人のシェアハウスの庭の木のランブータンを、長い棒を使ってとってもらっては食いとってもらっては食いしたこともあった。美味しいランブータンだからだろうか、アリがたくさんたかっていて、暗くて見えなかったのでうっかり一匹食べてしまったらすごく酸っぱくて、虫を食べて気持ち悪いとかいう以前に笑ってしまった。酸っぱいというか、唇のごく一部がちょっと痺れた。ランブータンの皮を剥く前に、ゆで卵の殻を剥く時のように床で何度もトントン叩けば簡単にアリが落とせる、という、日本ではまず使わない技を教えてもらった。違う品種のランブータンが一本ずつ植わっているので、それらを食べ比べた。しっかり甘くてやわらかいものと、さっぱりしていて食感もシャキッとしたもの。どちらも美味しかった。
このシェアハウスに来ると、だいたいいつも深夜まで、グダグダとおしゃべりをして過ごすことになる。でもみんなムスリムなのだろう、酒は飲まない。温かいお茶を飲みながら、タバコを吸ったり、時々楽器を弾いたりする。何人かはそのへんで寝る。
 
先日泊まった時は、気を使っていただいて、わたしは部屋とマットレスを使わせてもらった。布団はないので、着てきた上着をかけて寝た。電気を消して、真っ暗ななかでさらに目を閉じ、虫の声と、時々鳴く鶏か何かの声と、まだ部屋の外で友人たちがモソモソおしゃべりをしているのを聞きながら眠りにつこうという時、数年前までしていたシェアハウスのことを思い出して、こういうの大好きだなあ、と気持ちがあたたかくなった。
自分は、さすがに大人なので、一人だと寂しくて寝られない!ということはないけど、一人じゃない生活は心の健康にいいと思う。すごく疲れたりしていても、誰かと少しでも笑いつつ言葉を交わせれば、暗い気持ちに飲み込まれずに済む。
先日、学校でけっこう気持ち的にキツイことがあった後、泣いたり怒ったりしないギリギリの表情(真顔)で職員室に戻ったら、AndriさんがYoutubeで音楽をかけながら歌っていて、わたしもよく聞いている好きな歌だったのと、陽気すぎるだろwwというのとで、一気に気が緩んで、なんか笑えてしまって、すごく楽になったということがあった。ギューと縮んでいた体が軽くなったみたいだった。
 
人と話したり笑ったりするのをうまくやれると心が良いコンディションに保てる、という人生の基本が、こっちにきてからすごく重要になった。1人で外国にいて油断をするとすぐ孤独な気分になるので、言葉や笑顔を交わす相手がいるありがたみがすごく沁みる。
そして、言葉が全部はわからなくても話す時にたくさん笑ってくれる人というのが何人かいる。日本語がよく通じるけどあんまり笑ってくれない仕事先の人よりも、インドネシア語か英語しか通じない彼らのほうが、よっぽど深くわたしの心を助けてくれている。たぶん、人と人の間において、知識とか技術としての言葉はさほど重要じゃない。大事なのは笑顔と優しさ……。
 
 
 
いきなりここで友達自慢タイムですが、最近仲良くなったAditという友人も、そういう感じで心を助けてくれる人たちの1人だ。彼は顔が変形するくらい思い切りのいい笑顔をする。日本語は話せない。ジョグジャに住んでいる彼とはライブ会場で知り合っただけあって(他の人に誘われて聴きに行ったライブの企画に関わっていた)、共通の話題が多い。共通の友人もいて、えっあいつと友達なのかよ!というのもあったし、映画や音楽のこと、ジャワやバリの文化のことなど、いろんなことが話題に上がる。歳も近いし、大変人間のできた頭の良い奴で、話しやすい。多分、彼が日本人で、日本で出会っていたとしても、こういう感じで仲良くなれただろうと思える人だ。
 
その彼と話すようになってようやく、わたしは一人称として最もよくインドネシア人が使う「aku」が使えるようになった。「aku」のほうが、「saya」よりも口が早い感じがする。そして語学の授業で習ってから仕事の場で使っている「saya」というフォーマルな一人称で話す時よりも、ずっとずっと楽しく話せる!!
多分、話している内容が楽しいということも大いにあるんだけど、話している感触が全然違うということに、けっこう感動してしまった。話している相手が自分のことを「aku」と言っているのと同じ温度で、同じ速さで、わたしも「aku」と言えるのが、嬉しい。彼の友人と3人で雨宿りをして喋っていた時、彼らの速さに合わせてパパパパ、と喋れる瞬間が何度かあった。あれは「saya」じゃなくて「aku」の速さだった。「いや、それ違うでしょw」とか「わたしも!」とか、そういう短いコメントをパッと挟みたい時には、ある程度、一人称の速さが必要なのだ。
 
 
最近ようやく2年ぶりに会えたインドネシア人の友人がいる。彼は2年前に会った時の英語も早口だったけどインドネシア語で話すことになったら輪をかけて早口で、すごく聞き取るのがギリギリだった。それでもなんとか「aku」の速さなら会話ができて、すごく嬉しかった。やっと自分が、日本にいる時とあまりギャップなく、自分としてここにいて、自分として人と接することができているような気がした。やっとここまで来た、という気分だ。(とはいえまだまだボロボロ語なんですが)
 
もっと長くここにいられたら、きっともっと楽しいんだろう。でも、彼らのインドネシア人同士での会話とか、SNSでの振る舞いとか、いろんなものを見ていて思うけど、私はまだまだこの人たちの世界の外にいる。一緒に過ごす時間が増えるほど、仲良くなるほど、「それでもわたしは一時的にここにいるだけの異邦人なのだ」という切なさがこみあげてくる。体が二つあれば良かった。
 
「aku」と「わたし」がせっかく一つになってきたのに、変な話だ。でも本当に体が二つあれば、片方はここに住みたい。ひとつなので帰りますが。