深夜、あったものとなかったもの


昨日の夜、家に帰れる最後の電車を、寝てもいないのにボンヤリしていたせいで乗り過ごした。
午前中から都内をあちこち移動した日だったけど、体はそれほど疲れてはおらず眠くもなかった。タクシーで千円くらいの家までの道を歩くかどうか迷う余地がある、そういう程度の疲労で、どちらかというと色んな思いや考えで頭がボンヤリしていることのほうが深刻だった。

改札を出、階段を降り、駅のロータリーに着くと、タクシー乗り場には6人くらいの列ができていた。わたしはとりあえずその最後尾にはいり、iPhoneのアプリで、ここから家まで徒歩何分なのか調べる。30分。たぶん自分の早足なら23分ほどだ。振り返ると、わたしの後ろにもすでに8人くらい、おひとり様たちの列がのびている。やっと一台到着したタクシーに、先頭の1人が乗り込み、列が進み、少し時間をおいてまたタクシーが来て、また次の人が1人で乗り込んで、というのを3回見てから、わたしは歩くことにした。


連絡の不行き届きで人を怒らせてしまった夜だった。その人にこれ以上こちらからマヌケな連絡をしないでおくためにLINEのトークは非表示にしてポケットへ、手と一緒につっこんだ。
夜道を一人で歩くときの、一番本気の早足で進む。坂道を繰り返すが曲がり角のない道だ。右手には車道と、自衛隊の演習場があり、フェンスの向こうは暗い。景色のなかに見えるものが少ない。さっきまで会っていた友人と交わしたやるせない話を思い出し、これから1週間の過ごし方を考え、5年以上先の過ごし方を妄想して、タバコの煙のにおいがして少しの時間差で、火が消え切らないままの吸い殻が舗装のこの足元に落ちていて、それを踏まずに避けてスピードを上げ、タバコの落とし主らしい人を追い抜いた。スーツを着た男性。3日くらい前に会った時に夢を語ってくれた仕事先の大人の友達が本当にかっこよかったなとか、わたしは自分が女だってことと、それなりに上手く付き合っているつもりだけど時々直面するそれを考えざるをえない状況には基本ウンザリで、あれ、こんなところにコンビニあったんだファミマ、と思ったその、200メートルくらい先には、入ったことのない、しかし見慣れたセブンがあって、さらに先のバーミヤンの交差点へ入っていく直前に、あ、この先に、閉店して解体されている最中のイトーヨーカドーがある、と頭をよぎった。けっこう前に閉店したし、そろそろ解体が始まっている頃だろうと。
そして、このまま曲がってイトーヨーカドーの跡を見たら、ちょっとグッと来ちゃうんじゃないかと思った。ショックとかノスタルジーみたいな気持ちを感じてしまうんじゃないかと、見るよりも先に、そう思った。

小さい頃、週末になると家族4人でよく出かけた場所だった。近いけど車に乗って行って、たくさん買い物をした。ポケモンのソフビを買ってもらえた時は帰りの車に乗り込むやいなや開封して遊んだ。なぜかどうしても欲しくて欲しくて泣きついて、魚のロボットのおもちゃを買ってもらったこともあった。最初のブラジャーを買ったのもここだ。初めて自分でマンガを買った本屋も、カーディガンのボタンだけ変えるのがおしゃれだと思っていて金色のボタンを買った手芸屋さんも、ローファーの踵を何度も修理した店も、ここにあった。食品売り場のカートに、一部が車のかたちをしていて小さい子供が乗れるようになっているものが導入された時には、自分はギリギリ乗れない年齢と体格で、密かに悔しかった………

あと少し歩いた先の場所では、過去の思い出のたくさん詰まった建物がきっと解体され始めている。今まで目にしてきた解体中のビルを想像の参考にしながら、そんなものを見たら素直にエモくなっちゃいそうな自分が、簡単で単純でつまらなく思えた。しかもこんなふうに先回りをして「どうせ感動しちゃうんでしょ」なんて斜に構えた姿勢もダサくてウワー、と思っていたけど歩くのをやめなかったので、すぐにヨーカドーの角にさしかかった。ヨーカドーは無かった。そこは真っ暗だった。夜空だった。工事現場で見かけるあの白い仮設の壁で地面は見えないが、どうやら建物はもう完全にない。大きなシャベルカーが黒いシルエットになって広い敷地の向こうのほうで止まっていた。ヨーカドーは想像以上に跡形もなかった。

感情の先回りに失敗したわたしは、結局、グッとくる以前で止まってしまって悲しくも寂しくもなく、ただ何もない暗い空の低いところをしばらく見ていた。


その後の家までの道は、車も人も誰も通らないし暗くて単純に怖かったので、角のヨーカドーがなくなった、と陽気なメロディーをつけて歌いながら帰った。



帰宅して玄関の鍵をあけて、うっかり電気をつけっぱなしだったので部屋が明るくて、ちょっとギョッとした。部屋は朝出た時のままだった。流しには今朝の朝ごはんの皿とコップが、わたしが置いた形で残っている。いろんなものが知っている形でちゃんとあった。生活においては、たいていの物事が、突然なくなったりはしなくて、ある。いつも保存と持続を繰り返している。片付けないと散らかっていく。

お湯を沸かして最近ハマっているハイビスカスのお茶を飲んで、皿を洗って、風呂に入ろうとてきぱき動いている時には、帰りの電車で、普段信じてもいない星座占いなんか調べて無理に勇気をもらったりしていた深刻なボンヤリは、もうなかった。