4 フェスティバルサバイバル

7月28日
ちょっと寝坊したけど、今日は帰ってこないつもりの荷造りをして家を出た。帰るつもりで買ってしまっていたドラゴンフルーツとキウイを慌てて食べて、食パンは冷凍庫に入れた。ちょっと大きい荷物(リュックとバッグ)をしょって、徒歩で20分くらいの友人宅へ向かう。もうすっかり覚えた道なのですんなり到着した。
ムティアと3人でご飯を食べに行った。屋根のあるフットサルコートに併設くらいの距離感で店を構えている、カンビン、たしかヤギの肉の屋台。わたしはカレーみたいなのを頼んで食べた。ジョグジャの屋台の氷はもしかして大丈夫なのかもしれない気がしていて、もう普通に冷たいジュースを飲んだ。カレーみたいなのは、確かナシゴドッというやつ…甘辛くて美味しかったけど、あまりにも量が多くて残してしまった。
お腹いっぱいだったので、友人の家で次の目的地へのチャーターしている車が到着するまで軽く昼寝をさせてもらった。

チャーターしていた車は、30分くらい遅れて来た。運転手さんはお祈りをしていて遅れたらしいのだけど詳しくはよくわからない。その後合流した、インドネシア暮らしの長いマダムたち曰く「二度とこんな運転手を呼んではいけない」とのことだった。いまどき、仕事の時間に遅れてくる人なんて滅多にいないらしい。

車で山へ向かう。リマグヌンフェスティバル、というのが今回の目的だ。リマが5、グヌンが山という意味で、年に一度、5箇所の山村のうちの1箇所の村を会場にして、毎年場所を変えながら行われている、音楽とダンスのフェスだそうだ。今日から三日間開催されるのだけど、マダムの勧めでわたしは三日間とも見ることになった。雑魚寝で良ければ泊まれるしご飯もタダで食べられるよ、息子も行くと思う、と言われて、じゃあ泊まります!と伝えていたのだけど、一緒に来てくれると思っていた日本語もできる息子さんが泊まらなくなったと聞いて内心ビビりつつ、開催地の村へ向かうことになった。

村は本当に山の上にあった。
いわゆる山道は、生えている植物が巨大であること以外は日本の山道とそんなに変わらない。舗装された細い道が続く。車でガンガン登って行くと、藁のようなものでできたオブジェが所々に立ててあった。それが目印になっていて、村へたどり着くと、同じような飾りが沢山あり、メインステージには、同じ素材で作った巨大なガルーダ(鷲)の彫刻が置かれ、向かいの客席背中側にはナガ(龍)の彫刻があった。どちらも巨大で迫力がある。
村は、山なのでずっと坂道がつらぬいていて、両側に家々が並んでいる。けっこうたくさん人が住んでいる。坂の下の方は畑があって、タバコの葉っぱとトウガラシが栽培されているのが見えた。  
フェスが始まるまで待っていたら、低い声でゆっくり話す画家の男性が、わたしたちを湧き水があるところへ案内してくれた。畑のさらに下の方へ石段を降りて行くと、少し広い空間があって、完全に虫の声しか聞こえない、ここが自然か、みたいな場所に出た。両側が湿った土と木々で、ちょっとした谷のようになっているので、全く音が響かず、自分たちの声が妙に近くに聞こえた。湧き水は土の壁の5箇所くらいから出ていて、竹の管と、そこから水を受ける水瓶が置かれていた。水は冷たかった。

再び道を戻る。マダムがフェスティバルの関係者だからなのか、スタッフ控え室みたいな建物に案内され、自由に食べて良いご飯と惣菜があり、わたしたちはそれを食べた。とても美味しかった。お茶を飲んでノンビリしたり、そのへんを散歩してミートボールのカマボコ味みたいなオヤツを屋台で買って食べたりして時間をつぶした。
やがて、ウキルの一行が到着した。去年の夏に瀬戸内芸術祭で友人になった、好きなミュージシャンだ。今回来るというのは今日知ったのでかなりビックリ嬉しくて、ワァーイみたいな感じで挨拶をした。そうしたらマダムが、この子が今夜ここの村に泊まりたいけどロクに喋れないのに1人になってしまうので面倒を見てやってくれと話をしてくれた。そしてあっさり承諾してもらえた。嬉しい。みんなが適当に泊まるところに泊まることになるけど何か困ったらウキルに聞きな、と言ってもらったしウキルのグッドサインももらった。

やがてフェスティバルが始まり、いろいろな演目を次々見た。
途中、やたらギラギラした半袖の衣装にサングラスをかけて、ショートパンツにスニーカー、軍手、という謎の格好をした若い男の子たちが20人くらいで踊り、バンドも大所帯でちょっと間抜けなくらい明るい音楽を演奏、曲は変わってるぽいんだけどほとんど同じ曲調、という謎の演目があった。可愛かった。

伝統的な踊りらしきものも、二つの演目で見ることができた。かなりかっこよかった。
一つが終わった段階で、わたし以外の日本人の皆さんは車に乗って下山していった。わたしはほとんど言葉も通じないところに1人置き去りにされるのが、さっきまでは怖かったけど、いざそうなるとなんかもう面白くなってしまって、ニヤニヤしながら手を振り車を見送った。
1人になってから客席に戻ると、もう日付も変わるるほどの深夜ということもあって、さっきまで鮨詰めだった席がガラリと空いており、かなり前の方で見ることができた。

前の方で見ていたら、自分の近くのポジションによく回って来る踊り手の左足に、ガーゼのようなものが紐でくくりつけられているのが見えた。怪我をしているのだと思う。それを見たら、なんだか途端に、この目の前のすごく煌びやかな衣装と濃い美しい化粧に身を包んだ彼が、性別や性格を持ったひとりの人間という風に思えてきた。そりゃあそうなのだけど、さっきまで遠くの席から見ていたものだから、ギャップがあって、ぐっと見入ってしまった。人種も話す言葉も違うけど、ケガするしそれを我慢して踊ったりするんだよなあと思ったらいきなり勝手に親近感がわいて、それからは彼ばかり目で追っていた。



最後の演目も終えて、30分くらいウキルの友人とお互い(わたしのほうが圧倒的に)モタモタした英語でおしゃべりをしたりした。結構色々話して楽しかった。
そろそろ寝ようかなという時間になって、挨拶をしてその場を離れ、歯を磨きたいと伝えたら、案内されたのがトイレだった。
このトイレ、ジョグジャで滞在していた時に使っていたトイレの、もっとガチなやつで、床にある便器と水を溜めた釜までは同じなのだけど、トイレットペーパーがない。手桶で汲んだ水で洗うスタイルである。しかもそこで歯を磨けという。わたしは化粧をしていたから顔も洗いたい。

結局、奇跡的に持参していたペットボトルの水でうがいをし、顔は諦めて気持ちを切り替えて、化粧落としだけ顔に塗って、ホースから出る水で拭うように洗い流した。なんとかスッキリはできた。
また山小屋と比較するけど、その時も、山の下から上まで背負って運んだ2リットルペットボトルの水でうがいと洗顔をしたのを思い出した。でも、その時は自然の中だったけど今回は中途半端に建物の中なので、不潔指数が圧倒的に高い。まあなんというか、今回を経て、自分がひとつ強くなった気がした。

しかし、さらに強くなってしまう展開が待っていた。わたしが「そこに寝たらいいよ」といってもらえた部屋は、ばーんと広い二階建ての二階で、ゴザが敷いてあるだけのコンクリ打ちっ放しだった。まず寒い。そして、そこへ登る階段が、薄い。登った先の床も、20センチもないくらい薄い。そしてメチャ硬い。何故、よりによって。こんなに硬い床で。

とりあえず持っている布をほとんど全て身につけて防寒し、貴重品の入ったカバンを枕にして寝ることにした。



明日を無事に生きて迎えられますように、と祈るばかりです、おやすみなさい。