手料理へのいばら道

付き合って5年になる恋人がいる。

出会って1年めの頃、彼は初めての一人暮らしを始めたばかりだった。確か、料理をしたことがあんまりないと言っていて、自炊に関しては、一応食べられればとりあえずなんでもいい、という人だった。お金は他のもっと大事な活動に使いたい、とも言っていた。食の優先順位が低いのだった。お金がなかったというのも大いにあったと思う。

わたしは、食べること自体好きだし、美味しいものを食べることに時間やお金を費やすことを辞さない両親のもとで育っていたこともあり、(自分が料理下手であることは棚にあげて)「そんなの人間らしくない、つまんない」と、ひどい文句を言った。わたしは彼に比べると「もっと大事な活動」にお金がかからないから、そんな余裕こいた、かつ失礼なことが言えたのだろう。ちょっと喧嘩もしたかもしれない。ともあれ、「食べて生きのびられれば一週間くらい同じものを食べ続けてもいい」くらいのことを言ったり、その割には信じられない量のチョコレートや甘いものを毎日のようにバクバク食べる偏食ぶりを見るにつけ、「食」に関してこの人と分かりあうのは大変かもしれないと思った。

それが、数年たって、つい昨日のこと。深夜にお互いそれぞれの作業をしていて、お腹が空いたから何か食べようという話になった。彼は「こないだ一緒に行ったあの店の焼きそば美味かったなー、作れないかなー」と言う。食べに行ったら早いじゃん、とわたしは言ったが、彼は「麺がないなー」と言いながら台所に向かい、わたしがボンヤリしているうちに、さっさと調理を始め、ほどなくして、チャーハンのようなものを平たい皿に乗せて戻って来た。

見た目は、茶色くて、玉ねぎ以外の具材はぱっと見当たらないし、決してリッチではない「男料理」といった風だが、口にいれた瞬間、わたしも一緒に食べた「あの店の焼きそば」の味、に、よく似た雰囲気の味が、わっと広がったのだった。麺じゃなくて米なのに。油をどのくらい入れるとか先に何を炒めるとか少しマーガリンを入れるとか、なんだか細かい工夫やこだわりを説明してくれた気がするけど覚えていない。空腹に濃い味がうまくて、わたしはどんどん食べた。少し大袈裟に書いたかもしれない。でも、その焼きそば食べたさに「深夜だけどあの店へ行くか?」という話さえしていた矢先であったことと空腹のせいで、焼き飯はとてもうまかった。美味しいというよりは、うまかった。

わたしは悔しかった。どうしてこんな風に味真似ができるのか。野菜を切るのも皿を洗うのも下手くそで、効率が悪くて、見ていると危なっかしいような彼が、わたしなんかより断然レベルの高い料理を作って、前向きな自炊の日々を送っている。別に競い合っていたつもりもないが、下手くそ風なのに美味しいなんてずるい。というかわたしは全然料理が得意じゃない。わたしだって、料理ができる人からしたら、見ていて危なっかしいような調理をしているくせに、なぜか彼より料理ができると毎回ステレオタイプの男女の性質みたいなものを想定しては裏切られ、悔しい思いをしている。とっても愚かだ。女であることと料理ができることを結びつけるなんて古い考え方だし、料理ができる男の友人だって実際にたくさんいる。男女とか関係ない。考え方自体を改めたい。飲食店で2年くらいバイトもしていたのに皿ばっかり洗っていたからだ。なんて惜しいこと、無駄なことをしていたんだ自分は。

そして、わたしがこうしてモヤモヤと悔しがっているのをよそに、どんどん彼の料理は上達していくのだ。きっと。そう思うと、「味真似」ができない、どう料理を上達していったら良いのかが、まだ分からないでいる自分を、余計に惨めに思った。

ただ、そのことを話してみると、わたしたちは、まったく違う方向性で「自炊」に向き合っているのだということもわかった。

彼は、以前にも、「日暮里の某中華屋で食べたニラ豚炒めの味」を家で再現しようと試みて、何度かの試作の結果、それらしいものをうまく作ったことがあった。「外で食べた美味しいものを家で食べられたら安いし最高だから」と言っていたけど、本当にその通りだ。いやしかし、簡単なことではなさそうだ。

わたしは、味というよりは、摂りたい栄養素、食べたい野菜や肉、という感じでその日に食べるものを決めるので、あの店の味、といったことは意識したことがなかった。濃い味も好きではないから、鶏肉とカブをじっくり茹でて塩を少しふれば十分、みたいな、これ以上ないくらい素朴な料理しかやらない。しかしその塩加減さえ、塩を入れすぎるという失敗を恐れすぎて、究極に薄味のまま食べていたりする。そういうんだから、たまに狂って凝ったことをしようとすると必ず失敗して、後でどっぷり落ち込んでしまうので、わたしは、正直なるべく料理をしたくない。落ち込まないようにすれば良いのだけど、今の所、自分よりも料理の下手な人に会ったことがないので、落ち込まないようにするのがけっこう難しい。(最近、目玉焼きとゆで卵はできるようになったけど、パスタを茹でることに失敗した。)

料理なんてやらなくていいなら、やりたくない。でも、しっかり生きようと思ったら、周りの、料理を普通にできるひとたちを見たら、やはり悔しくて諦めたくなくて、後退だけはしないように、わたしは台所に立つ。プロみたいな味、を目指してようやく母の味にギリギリ追いつかないくらいだと思う。

冷めたら美味しくもなんともないのが自炊で、冷めても美味しいのが手料理なのだ、とだいぶ前にふと思ったことを思い出す。いつかわたしが「手料理」をひとに振る舞える日がくるだろうか。失敗ばかりするのは、諦めていないからなのだ、諦めない限りは戦いは終わらないのだ。と、せめて意識だけは高く保って、今日は、ニンジンを食べる。