12 滑り込みセッション

8月5日 


いよいよ今日が今回の旅の、ジョグジャカルタ最後の丸1日なんだけど、疲れていて昼くらいまで寝ていた。ちょっと胃がしんどい。テルリさんが家にいるのにドアの向こうではなくメッセージアプリで「ソトアヤムあるからね」と声をかけてくれて、やっと起き上がって動き出した。お昼をアイコさんと食べる約束をしていたし胃がしんどかったけど、ソトアヤムは食べ始めたらとても美味しくて、けっこうたくさんあったご飯もペロリと食べてしまった。 
 
自転車でアイコさんたちの居るギャラリーへ行き、その近くの店でご飯を食べた。ローカルな店で、猫がやたら沢山いた。アイコさんは可愛がってちょっとご飯を分けてやったりしていたけど、お店の人はシッシッといって退けようとしていたし、わたしは数が多いのに対してなんかちょっと引いてしまって、ガンガン近寄ってくる猫たちを脚で雑にのけたりしていた。あんまり寄ってくる猫は好きじゃないなと思った。 
2人の日本人の作家が近くのギャラリーでそれぞれ個展をやっているのを見にいったりした。お腹いっぱいで眠かったせいもあるかもしれないけど正直あんまり響いてこなかった。このあたりで、今日わたしダメかもしれないと思ったけど、午後、日本人の絵本作家のワークショップにちょっと参加して作業に集中することで少し元気になって、アイコさんと2人で付近の要チェックアートスペース巡りをした。かなり色々あるのだけどそれぞれの距離が徒歩圏内くらい近くて、良かった。人がいたところでは少し話をしたりして、日本人のあの人とここ繋がっているのか!ということがあったり、楽器を作る作家を集めた展覧会のカタログを見つけて、ウキルが何か文章を書いていたので買ってみたりした。
 
それを終えて戻って来たらもう夕方で、今回お世話になった皆様と連れ立って夜ご飯を食べにいった。今思い返すと、体調に反してこの日は食べ過ぎていたと思う。ベジタリアンレストランでテンペ(豆を発酵させて寄せてハンバーグみたいにした食べ物、たいてい揚げてある)バーガーを食べた。美味しかった。飲み物も生姜と、名前を忘れた酸っぱいものが入った温かいものを飲んだ。
最後の数日は疲れもあったけど、そもそも薄着しか持たずに来てしまったせいで、今回の滞在中、わたしはほぼずっと寒がっていた。インドネシアだし日本よりも暑いに違いないと思っていたけど、この乾季は全然そんなことはなかった。昼は普通に暑いけど、毎日、夜は日本の秋くらい涼しくなる。洗濯物もたいてい一晩で乾くくらいには空気もカラッとしている。日本の一日中暑くて蒸し蒸しする夏がいかに人間に厳しいかわかった。3月にインドネシアに来た時は、寒いの嫌だから日本が夏になるまで帰りたくないと言っていたけど、8月に来てみたら暑いのが嫌だから日本が秋になるまで帰りたくない。
 
ご飯を食べてすっかり満腹になってから、もう一箇所、日本人のアーティストが滞在しているアートスペースへ訪ねて行き、わたしはそこのインドネシア人の作家さんが作った苔玉でいっぱいの中庭のような空間がめちゃめちゃ良くて嬉しかったので、彼とアイコさんと3人でお喋りしていた。半年前に苔玉にハマってから、かなりの量を作っているみたいで、最初に作ったものと最新のものを見せてくれて、上達ぶりがすごかった。フニャ、と笑う笑顔のかわいいおじさんで、マリファナに形が似ているからモミジが好きとか言っていてめちゃくちゃ笑った。マリファナで一度刑務所に入っているらしくて出所した時の話も面白おかしく聞かせてくれた。
 
その後、限界になりつつある体の悲鳴を無視して、アイコさんの彼氏とその仲間で住んでいるというシェアハウスに遊びにいった。彼氏さんの、今まで乗ったどのバイクよりも背が高くて速いやつで連れていってもらった。本当にグイグイ進むので、寒かったけど気持ちよかった。
町を出て川を超えてシェアハウスに着くと、まず入ったところの広い空間にみんなの描いた絵がたくさん置いてあって、1人が今まさに壁にキャンバスを設置してそこに立って絵を描いていた。エプロンをしてガシガシ描いていた。
 
キッチンと居間は半分ほぼ屋外になっていて、綺麗に整頓されていたし庭には自分が小人になったみたいに思えるあの巨大な葉っぱの植物なども植わっていて、ハンモックもあって良い感じだった。全ての壁に色が塗ってあったり絵が描いてあったりして、芸大の先輩の家を思い出してちょっと懐かしい気持ちになった。
誘ってもらえて嬉しかったけど最初はあんまりうまく喋れなくて、寒いし眠いので、わたしはボケボケでゆっくり喋る人になっていた。インドネシアに来て何がしたいのと聞かれて英語で説明するのが難しくて、諦めたくなったりしていた。つらい。
途中で1人がお菓子を買って来てくれた。食パンに甘〜〜いチョコレートを挟んで揚げ焼きにしたみたいなお菓子だ。たぶんこれ、1週間くらい前に別のインドネシア人に「あのお菓子にハマるとマジで肥るからやばい、基本的にシェアする想定の量で売っているんだけど、ハマるとそれを1人で全部食べたりするようになる、留学生の女の子が15キロ太った、気をつけろ」と言っていたものだと思う。かなり深夜だったけどみんなでそれを食べた。とても美味しかった。
 
しばらく住人3人とわたしたちでダラダラしていて、ひとしきりたった頃、もう1人の住人のゴタという男の子が帰って来て、彼も歌うのが好きらしくギターを弾いて一緒に歌う流れになった。はじめはアイコさんと日本語の歌を、ゴタにコードを弾いてもらって歌っていたのだけど、ゴタが「俺の好きな歌、簡単だからぜひ覚えて帰ってくれ」といって、わたしにバリの歌を教えてくれた。彼はスマトラ出身だけど家系的にはバリらしく、それを誇りに思っているようで、そういうの良いなと思った。
 
始めは、iPhoneで検索した歌詞を見ながらやっていたのだけど、カタカナで読みを書き込みたかったので、わたしのノートに歌詞を書いてもらった。Jangerという歌だった。本来は大勢で踊りながら歌うらしい。でも日本の「はないちもんめ」とかよりも、新しそうな感じの素直なメロディだった。歌詞の意味も少し聞いたら、少女が花を摘んだりクネクネ女っぽく歩いたりする描写があって、どうやら可愛い歌っぽかった。
ゴタの指導はわりと厳しくて、わたしがちょっとミスるとすぐ「もう一回最初から」と言うのでなかなか前に進まなかったけど、大サビみたいなところまで覚えられた。めっちゃ嬉しい。
外国語は発音があってるか分かんないから思い切り歌えないなあとか周りにうるさくないかなとか最初は思っていたけど、だんだん気にならなくなった。他の人たちは他のテーブルでお喋りを続行していたし12時を回る前頃にさらに友達が4人くらい増えたりしたけど、わたしたちはかなり集中して練習していた。
そうやって1時間ちかく練習していたような気がする。なんとか歌いきれるようになって、せっかくだからレコーディングしよう、といってiPhoneのボイスメモで録音した。
 
Jangerをやりきって満足したつもりだったのだけど、「自分の歌作るんでしょ?それ歌ってよ」と言ってくれて、しかしなぜか適当なギターのコードを弾き続けるので、はじめはほぼ無視して歌ってみたのだけど、これじゃ面白くないないので「醤油の町の子」をギターに寄せてメロディを変えながら歌うというのを初めてやってみた。あんまりカッコ良くならなかったけどとても楽しかった。
その後もしばらく適当な鼻歌に時々日本語を混ぜたりしながら、ギターに合わせて即興でたくさん歌った。日本語ならバレないと思ってメッチャエモい今の気持ちばっかり歌った。
 
でも時間も遅いし帰らないといけない。ゴタはインドネシアの国立芸大の学生で絵を描いていて、ちらっと見せてもらった部屋にはたくさん絵があった。壁にあった油絵はちょっと気持ち悪いような作品が多いのだけど、大きな紙が入った袋から6枚くらい、画用紙に描いた綺麗な花の絵を出してきて、そのうちの1枚をプレゼントしてくれた。花の絵って!おまえ!ロマンチック野郎かよ!と思ったけど素直にとても嬉しかった。ありがとう。
今の芸大を卒業してから日本の芸大に留学したいんだよねと言っていて、そんな形で日本で会えたら超楽しいね、と笑って握手した。
 
歌と絵を一度にプレゼントされたのは生まれて初めてだったし、わりと歌いそびれ続けてきた(ジャカルタYouTube観ながらオクシと歌ったけどカラオケには行きそびれた。今日会った人に「ジャカルタにいるあいだ喉が痛かったけどジョグジャに帰って来たらすぐ治った、空気そんなに悪いのかな」と言ったらジャカルタといえばカラオケでしょカラオケ行った?と聞かれたりした。)この旅の、最後の深夜にしてこんなに楽しく歌えて、滑り込みセーフだなと思った。この晩を持って帰れることが嬉しかった。
 
インドネシアに来た時には半分くらいだった月が、今夜は殆どまん丸になっていた。シェアハウスは町から少し離れたところにあったから、かなり静かで、虫の声がして、暗いから月がすごく明るく見えた。空気も埃っぽい町とは違ってシンとしていた。そういえば歌い出してから眠くも寒くもなくなっていた。
 
せっかく仲良くなったので、家までゴタにバイクで送ってもらうことにして出発した。アイコさんと彼氏さんが見送ってくれた。なんか良いバイクっぽくて全然ガタガタしなかった。さっきの歌をちょっと歌ったり、道がガラガラなので橋を渡る時にヒャッホーとか言ったりしつつグーグルマップを見ながら道を案内して、無事に家の近くで別れた。ばいばーいと手を振った時、ゴタのヘルメットからクチャクチャのロン毛が出ていて変なシルエットになっているのが面白かった。
 
家に帰ったらすぐ水を浴びて倒れるように寝た。荷造りは明日の朝やることにして、ちゃんと帰るために体調を整えたかった。実は結構限界が来ていて胃が痛い。
帰るのやめたら、あっさり元気になるかもなあなんて思ったりもした。帰るけど。
 
 
 
 
 

11 疲れと汚れと一緒に変わる

8月4日

 

ジャカルタ滞在最後の朝、昨晩明け方まで起きていたので当然のように全然起きられなくて、約束の時間を過ぎてジュンさんがドアを叩いて起こしてくれるまで寝ていた。心底ギャァァって感じで飛び起きた。ここにきてから寝坊してばかりで恥ずかしい。大慌てで支度した。完全にスッピンのふやけた顔でお別れするのはどうしても嫌だったので10秒くらいで眉毛だけ描いて庭に出た。

ルフィアンとアイとジュンさんがいてくれていた。渋滞なさそうだから多分そんなに急がなくても大丈夫だよと言われた。そんな。ジュンさん完全にめちゃくちゃ眠そうで本当ごめんなさいありがとうと思った。アイはすでにバイクでどこかへ出かけてきた後みたいで、眠くはなさそうだった。
あまり長く別れを惜しんでもいられないのでさっとタクシーに乗り込んで、門を出て、窓から手を出してたくさん振った。角を曲がって見えなくなるまで手を振ったのが久しぶりで、向こうもそうやって振ってくれるのが嬉しかった。本当に見えなくなる一瞬前の、角の店のひさしの隙間から服だけちょっと見えてるみたいな瞬間まで見ていた。
 
タクシーに乗り込んで最初の15分くらい、寝不足も手伝ってか、わたしは気持ちがプワァ〜となっていて(語彙)、さっきの別れあんなんで良かったんだろか感謝伝わったんだろか、あれ?本当に帰るのかな?めちゃくちゃ淋しいぞ、とか、冷え切った体にカツーンと響くような呆然を感じていた。ほとんどまばたきもせずにタクシーの外を流れていく大都会を目に流しながら、鼻で静かに呼吸していた。絶対に自力で移動できない精神状態だったから車がどんどん空港へ向かっていくのが有難くも、違和感で裂けそうだった。
 
高速道路に乗る時に運転手にお金を渡すというアクションがあって、ようやくちょっと我にかえってきた。
空港に着いて、知らない場所だけど妙に落ち着いてチェックインを済ませて、冷房が効いているのと自分の寝不足のせいでまじで寒かったので腹に帯のようにバティックを巻いてレッグウォーマーをつけたりして体温を守った。国内線のほうへ行く道が何故か店と店の細い隙間で、最初分からなくて通り過ぎてしまい、少し迷ったりした。フードコートでソトアヤムを食べた。スタバに行列ができていて、スタバの行列ってインドネシアにもあるんだなと思った。スタバじゃない店で温かいコーヒーを買って、出発まで待った。
コスの庭でダラダラしていた時にオクシが久保田利伸の「LaLaLa Lovesong」を「これ日本の知ってる歌で一番好き」と言ってスマホBluetoothスピーカーにつないで聴かせてくれて、午後のノンビリした空気と気候も手伝ってとても気持ち良かったのが印象に残っていたので、空港のベンチに座って自分のスマホで聴いてみた。ドラマとかが次週へ続く時に、今週の終わりのシーンにかぶせて流れてくるエンディングテーマみたいで、泣かないけど遠い目になったりした。実際、今朝でジャカルタ編が終わって今日から最終章だし、勇気をくれた君に照れてる場合じゃなかったし。
 
 
飛行機では窓際の席になって嬉しかった。山が2つポコポコ、と雲の上に顔を出しているのが見えた。わたしのすぐ右隣に座っていた白人が、どう見ても一昨日の動物園で会ったテングザルの写真を撮ったよと見せてくれたおじさんで、ビックリして、話しかけてみようかめちゃくちゃ迷ったけどなんとなくやめておいた。あっという間にジョグジャに着いた。
 
タクシーを呼ぶアプリをすっかり使えるようになりつつあった(言語能力が上がったのではなくて慣れて度胸がついただけ)ので、空港よりも安いだろうしと思い、アプリで呼んでみた。安いタクシーだからなのか理由はよく分からないけど空港の中には入れないらしく、運転手と文字のチャットをしながら空港の外に出て、近くのガソリンスタンドまで歩いた。正直かなり体は疲れていたけど気持ちが完全にオンになっていたので、暑かったけど気にならなかった。
 
今回の滞在で知って興味を持ったガジャマダ大学へちょっと様子を見に行く、というふわっとした目的があって、家に帰る前にタクシーで寄ることにしたのだった。けっこうハラハラしながら車に乗り込んだけど、運転手さんが、とにかくめちゃくちゃ良い人だった。
運転手さんに「ガジャマダ大学へ行きたい」と伝えたら、君はガジャマダの学生?というところから始まり、どこから来たのとかいつからいるのとか色々話すことになった。ほとんど勢いだけでペラペラ喋っていて、体感としてはつるつる滑っているみたいだったけど、かなりコミュニケーションがとれて不思議な気分だった。学校のことだけじゃなくて、気候とか地震の話もした。「昨日友達に教えてもらって、インドネシア語で数字が数えられるようになったんです!」と言って嬉々として1〜20とか数えていたので、相当素朴なやつだと思われていたと思う。
 
やがて大学の敷地内についた。かなり広くて、ちょっとした町だった。さすが総合大学だしさすがインドネシアの京大である。
わたしは、この時まで「大学の敷地内をウロウロして様子を見ることができればいいかな」という、今思えばかなり中途半端な気持ちでいたのだけど、運転手さんに「どこの学部いくの」と聞かれ、そ、そういえば、と焦って、わかんないどうしようウロウロするってなんて言うんだろうと一瞬でかなり色々考え、ハッと思いついて「インターナショナルオフィス…?」と言った。自分で言っといてそんな単語が出てきた自分にビックリした。
 
運転手さんは、OK、と強く頷いてくれた。何度も車を停めて、学生らしい人や警備の人に道を聞いてくれた。こんなに優しくて英語の通じる人に偶然出会えて本当にめちゃくちゃラッキーだった。アレックスという名前だった。何か困ったら電話してくれよなと紙に名前とワッツァップの番号を書いてくれた。とてもきちんとしているのにメガネのレンズが面白いくらいひどめに汚れていたのが気になってよく覚えている。
 
ついさっき目的地となったインターナショナルオフィスの前に着いたのは昼の12:55頃で、ドアが閉まっていて一瞬ギクっとしたのだけど掲示板を良く見ると13時まで休憩らしいとわかり、すぐ近くのベンチで時間が来るまで待った。もうハラハラしてしまってただ景色を眺めるしかできなかった。頭の中とお腹がぐるぐるした。
しかし事務の人はとても親切に、こんなに英語の話せない日本人を相手に、わかるまで説明してくれた。わたしが、わかるまでしつこく聞いたというのもあるけど。おかげで手続きの流れは完全に把握できた。念のため、語学学校の建物のほうへも行って、そこでも話を聞いて資料をもらった。この頃にはもう「通じないかもしれないけど取り敢えず思いついたそれっぽい単語を発する」とか「お手上げだと思ったら迷わずアプリを使う」というマインドが完成されていた。
 
 
資料を無事に手に入れて、タクシーを呼び、グッタリ休みたい体を家まで届けてもらった。こっちでタクシーに乗るのは日本で乗るよりもだいぶ安いので本当に助かる。(この運転手さんに対しても、調子に乗って「昨日の夜に友達に教えてもらったからインドネシア語で数が数えられるよ!」という話をした)
 
家に帰ったら、久しぶりに家主のテルリさんに会えた。さっきもらってきた資料に関していくつか話を聞いたりできた。部屋に戻って少し荷物を整理したらもう眠気が限界で、気づいたらベッドで寝落ちしていた。いつのまにか今のわたしにとってそこが帰る場所になっていた。
 
夜は日本人の仲間たちを中心にワイワイご飯を食べにいく約束をしていたので、テルリさんの運転するバイクに乗せてもらってレストランへ行った。レストランは、かなり観光客に向けた綺麗でオシャレでバカンス感のあるところで、ピザとか食べた。白人の客がたくさんいた。
その席で、ほとんど奇跡的なタイミングで、秋からガジャマダに留学するという日本人の男性に出会えて、彼もアーティストで、作品の話ができた。ジャカルタから直接日本に帰るルートにしなくて良かった。今日は意味的に重要な日になった。アイコさんからも話をたくさん聞いた。
 
お腹いっぱい食べて帰宅して、すっかり慣れたシャワー(ついシャワーと言ってしまうけど水浴び)を浴びて、ちょっと荷物を整理しようと思ったけど体力が限界だったのでさっさと寝た。  
 
 
 
  

10 野暮でも

8月3日
 
朝、今日も天気が良い。寝坊こそしなくてちゃんと約束の時間には庭に出られたのだけど、2日前のマフィンをやっと今朝食べた。傷んでないかなとちょっと思ったけど大丈夫だった。アイが温かいお茶をくれて、それを飲んだのだけど時間的にもう行かないといけなくて、飲みきれないまま残してしまった、ゴメンといってコスの門を出た。
ジュンさんについて、交通量のハンパでない道路を渡りバス停へ向かう。3月にバリに行った時も交通量のハンパない道路をヒョイヒョイ渡っていく人たちを見てすごいなと思っていたアレが、自分もだんだん出来るようになりつつあると思って居たけど、ジャカルタのそれはさすがにまだ怖かった。ジュンさんが右から来る車の時は右に、左から車が来る車線の時は左になんとなく手を伸ばして制したりするので、その手の反対側後方にいれば多少安心な気がして、そうやって頼って渡った。
バス停は、道路より1.3メートルくらい高くなっていて、駅の改札みたいなところを通過するときにお金を払うシステムだった。少し待ったらすぐバスがきて、一番後ろの高くなっている席の窓際に座った。景色がよく見える。
 
まず国立博物館に行った。国立博物館の手前の歩行者用信号が、立ち止まっている人と歩いている人の、赤と青のLEDなのは日本と同じなのだけど、青の歩いている人がアニメーションみたいに動いて歩いていて、おもしろかった。国立博物館は半分くらい工事中らしく、おかげで1時間半くらいしか時間をとれなかったけど一応全部見れた。全く意味不明なオブジェがあったりなんだこれというものが多くて、1人で見ていたけどけっこう楽しかった(ジュンさんはそのあいだに朝食をカフェで済ませてPCで仕事をしていて、なんかちょっと子供のような気持ちになった)。
 
その後、トロトアートという名で集団で活動している人達に会いに行った。高架下に店を作ったり住んだりしている地域で、ゴミを集めてそれを分別し直したり売ったりする仕事をしたりしている場所がそこだったりする。色々な資材を売っていたり、倉庫が多かったりして、大きな車もたくさん通るのに道は狭く、ここでもまた信じられない狭い幅を通り抜けていくバイクやバチャイ(バイクの変形版みたいなもので三輪車になっていて運転手の後ろに2人乗れる)が見れた。
女性達が内職のような感じでコーヒー豆を選別しているので話しかけると一粒齧らせてくれた。おいしい。
小鳥というか雛鳥をたくさん売っている40×40×70くらいのカゴが置いてあった。5階建てになっていて、極端に低い天井なのでカゴまるごとぜんぶ雛鳥みたいな状態ですごいんだけど、ここで生まれて初めてカラーひよこを見た。一番下の段にはアヒル、その上にはヒヨコ、その上もヒヨコ、その上はピンクや緑のカラーひよこ、一番上の少し広い階にはカナリヤかなにかが、飛ぶタイプの小鳥がこれもピンクなどで雑に塗られて、ぎゅうぎゅうに入っていた。ここ以外にも鳩や鶏がびっしり入っているカゴが、それでひとつの家のように積み上がっているところがあったりして面白かった。食べるのかな。こっちの人は鳥との距離がかなり近い。
高架の近くには家々がこれもびっしり建っていて、どこかから料理のいい匂いがしたりした。子供達がたくさん遊んでいたし鳥かごがたくさん家の前に下げてあったり家兼店のタイプの店があり、駄菓子やタバコが、また多くをぶら下げて売っていて、見上げれば洗濯物や、今度の独立記念日へ向けた旗などがぶら下がっている。ぶら下がっているものが多くて、たまに風に揺れるのが見ていて気持ちよかった。
 
会うつもりだった人の家の前で待ったのだけど、どうやら違う場所、コタ駅の近くのイベントにいることが判明して、そっちへ向かうことになった。ジュンさんの友達がバチャイを手配してくれた。ここで会った人たちはジョグジャでわたしが会った人たちとは全然違った。たとえば挨拶がフィジカルで、ウェーイと言いながら肩とか叩く感じだった。顔のパーツがぜんぶめちゃくちゃ大きい男性がいて、表情もくるくる動くし、特別なにか派手な動きをしなくてもバレるくらい明らかに身のこなしが軽くてすごくなんというか、良かった。
 
初めて乗ったバチャイは、かなり揺れるし清潔感はないけど、バイクと車のいいとこ取りだなと思った。バイクみたいに街の風とかにおいとか気温の変化を感じつつ雨や日差しは概ね防げるし、荷物が大きかったりしても乗れるし、車は通れないなという隙間も攻めて通っていったりするので渋滞に若干つよい。
 
コタ駅の近くでは、ASEAN literary festival というのをやっていて、英語の本を売ったりするブースがたくさんでていた。その一つをトロトアートがやっているらしい。全体的にイベントの趣旨がよく掴みきれなかったのだけど、客席では中学か高校生くらいの子供達が制服でたくさん座っていて、ステージはちょこちょこ盛り上がっていた。
トロトアートのジョニーさんとジュンさんが盛り上がって話していて、頑張ってどういうことなのか分かろうとして聞いていたのだけどまあインドネシア語はほとんど分からず、都度、要約してもらってなんで笑っていたのかとかを遅れて理解した。早く覚えたい。ジョニーさんの息子が4歳くらい?でとても可愛かった。ジュンさんが持ってきてあげた竹とんぼで遊んだりしていた。奥さんが、あんまり言葉も通じ切らないのだけどわたしがイベントのブースを見るのに付き合ってくれて、一緒に歩いた。わたしは英語ガタガタなのやべーと思っていたのもあってインドネシア語の有名な詩が沢山載っている英語の本を見つけて買った。詩の英訳、言ってしまったら野暮かもしれないけど雰囲気や作家の名前だけでも知れるならと思った。いろんな古本も安く売っていたけど買わなかった。
 
ジョニーさん一家と別れて、次の目的地へ向かうべくコタの駅の近くをちょっと歩いた。バチャイに乗ることにしたけどお腹が空いていたので、その前にそのへんの屋台で名前のわからない混ぜご飯ならぬ混ぜ麺みたなものを食べた。ピーナッツぽいタレがかかっていて、見た目はぐちゃぐちゃで微妙なのだけど味がめちゃくちゃ美味しかった。日本にもこのお店あって欲しい。インドネシアの料理は辛いにせよ甘いにせよ、スパイスやハーブを使ったちょっとニュアンスのある味がして、こっちに来てから毎日なにか食べているけどほとんどの店で美味しい。
バチャイの運転手が若い男の子だったのだけど本当に狭い歩道と車の隙間をギリギリで通っていくのが上手で、時々おお〜と声が出た。
 
ジャカルタの北の港に着いた。地名が文字で把握できていないので書かないけどもともとそこにあったカンプン(集落)が都市開発の影響で立ち退きになり、告知から10日ほどで元々の家は全て1日で壊され、しかしその後政治のゴタゴタで工事は保留になり、今は元からの住人達が自分たちの手で作った家で住んでいるというところ。ジュンさんはそこには何度も通っているらしく住人達とは親しい挨拶を交わしていた。
 
 
かなり訳のわからない状況の場所だった。ここにはもう1人のジュンさんがいて(たまたま名前が同じのインドネシア人)彼が集落を案内してくれた。直接言葉の意味を解れないのがもどかしかったけど、目の前で実際に顔をあわせて話をしているから、日本にいて話に聞くのとは何もかも違った。高くなっていて、海が見えなくなっているコンクリートの堤防に手作りのハシゴがかかっており、それを登って3人で腰を掛けたら辺りが一望できた。
向こう岸に見えている巨大なマンション(これと同じようなものが建つ予定だったらしい)とか、ゴミがたくさん浮いている海の手前にとめてある船(家がなくなってしばらくは、ある十数人の大家族などは船に住んでいたらしい)とか大きな貨物船や小さな漁船を見ながら話を聞いた。そうやって聞いたら、今こうして目に映っているものが、遠くに見える高いビルから、それの左手に広がる今まさに立ち退きの通知を受けている地域から、振り向けば広がる低い手作りの家々から何から、全て今回の事件に関係しているということが、体でじわじわ解ってきた。それはもう情報じゃなくて状況で、ただただ現場だった。 自然災害ではなく、ぜんぶ人間の関係の中で生まれた状況であるということがしんどかった。都市開発を推奨する側の「治安が良くなる」とか「街がきれいになる」という意見も、わたしが今まで通り普通に日本で暮らしていたら、そういうことで良いじゃんと思っていたと思う。コスの仲間やインドネシアで暮らす日本の友人もそっちの立場なのだそうだ。そりゃそうかもしれないけど。目の前に座っている現場の人間の口から、自分の家が壊されるのを見るのは耐えられなくて泣いちゃうから壊される前に家にキスをして別れを告げて、違う場所にいたとか聞いたら、聞いてしまったら、その体と表情と場所に出会ってしまったら、そういうことで良いじゃんなんて、全然思えなかった。「涙」を表現するために、よく日に焼けた自分の頬を自分の指で縦になぞる仕草を繰り返していて、とても印象に残った。 
 
唯一、このこととは関係も影響もなさそうな空は、ちょうど良い時刻で見事な夕焼けで、鋭く細く建つ大きなモスクのふたつの塔のあいだに太陽が沈んでいくのだけが、わたしにとっては少し頼りだった。
 
着いてから、ここはすごく埃っぽいところだなと思っていたけど、家をガシャガシャ壊したらこうなるんだというのを、自分は知らなかったんだとわかった。今まで、自分の作品のなかで声を響かせるのに、建物や硬いコンクリートは味方だったけど、粉になったコンクリートは、自分にとっては、いろんな意味でとても強烈だった。徹底して鼻で呼吸していても喉が痛くなるし、音が響くどころではない。コンクリートは、どうも体に対してかなりきつい。ジャカルタに来る前に山でリアルにコンクリ打ちっ放しの建物に2泊したときも、その硬さにかなり体力を奪われたし、喉をやられた。うまく言語化できないけど、コンクリートについて考えるのは自分にとって必要なことのように思った。
 
 
 
難しい問題なものだから話を聞いた後、自分はすっかり真剣な顔になってしまったのだけど、彼らはわたしたちに甘いコーヒーやココナッツのお酒を出してくれて、笑いながら一緒にいろんな話をした。17歳の女の子とも話をして、彼女はかなりよく勉強していて、英語が上手だったし日本語も結構知っていた。日が暮れて蚊が出てきたので高い床に座らせてくれたり、爽やかで美味しいお酒を次々コップに注いでくれた。生活の話もしてくれたし、好きな女優の話とか、ほんとにくだらない話も沢山した。天井と屋根の布の隙間にチェス盤が差し込んであるのを見つけて、ああ、時々ここで彼らはチェスをやって遊んだりするんだな、というのを勝手に想像した。
 
 
ほどなくして昨日もお会いしたジュンさんの友人のアート関係の人たちが4人来て、わたしたちは彼らと一緒にカンプンを後にして餃子を食べに行った。わたしとジュンさんは「中華食べたくない?」「餃子とか食べたいっすね」と昼に話をしていたので、かなり嬉しかった。俺の餃子という名前の店に行った。餃子は、たぶん美味しかった。
 
さっき見て聞いて来た話が強烈すぎて、わたしはなんだか横隔膜が下がらなくて、正直味も良くわかんないし食欲が全然でなかった。暗い気持ちになっているわけじゃないんだけど、お腹のあたりがハラハラしてしまって、顔もうまく動かせなくて、つい一点を見つめたりしてしまっていた。手を洗いに行った時にそのまま廊下に立って壁にもたれて、目をつぶってしばらく深呼吸したりしてみたけどダメだった。疲労みたいなのが、脚とかの筋肉じゃなくて、胸というか内臓にきていた。
自分がどういう気持ちになれば自分にとって納得がいくのか全然わからなかった。アーティストとしてどうこうとかいうのは嘘くさく思えてそこは今は閉じようと思った。遠い外国の他人事でしょとは、全然思えないのが、自分で自分に腑に落ちないんだけど、ともかく全然そうは思えなかった。日本だってかつてはそういう勢いで街を作っていたはず、とかそんな野暮なことではなくて、言葉にした端からどんどん取り逃がしそうでわけわかんなかった。それに、カンプンであんな衝撃を受けた後にもこうしてぺろっとタクシーに乗って餃子を食べてビールを飲んだりできてしまうことに、簡単に言えば混乱していた。
 
味がよくわらかないまま餃子を食べ終えて、半分解散して、ジュンさんと友人(アート関係のバリバリのキャリアウーマン的な女性、気さくで素敵なインドネシア人なんだけど名前を忘れてしまった)と3人になり、わたしがインドネシアに来たけどまだドリアンもマンギス(マンゴスチン)も食べていないと言ったら、果物の屋台が集まっている一帯に連れて行ってくれた。
生まれて初めてドリアンを食べた。正直あんまり美味しくないというか初めて食べる味すぎて美味しいかどうか判断しかねる感じだったのだけど、まあたぶんこれは好きではなかった。それよりマンゴスチン食べなよとジュンさんが勧めてくれたそれはメチャ美味しかった。酸味があって甘くて。
もう一つ見たことのない果物があった。ロンタルというらしく、黒くて硬い皮というかたぶん果肉も含めてどんどん削って、本当にコアの部分の、直径4センチくらいのレンズみたいな半透明でみずみずしいところを食べる。屋台のおっちゃんが手際よく剥いてくれるのだけどその手際が本当に良くて、昨日のミシンで刺繍をするおじさんと通じるものがあった。見ていて気持ちがいいので動画を撮った。味は薄くてココナッツに似ていた。シャクシャクの半透明の内側にさらに水が入っていて不思議な食感だった。
初めて食べるものに触れたら少し気持ちが落ち着いた。この辺りは治安が良くないらしいのもあってタクシーが来るまでのあいだインドマレというコンビニにいた。そこで昨日の晩にジュンさんから聞いていた、インドネシア版レゴのジャカルタ名物屋台シリーズみたいなのを購入できた。めちゃ可愛いくてお土産に最高だし買えたらいいな、でもモールとか行ってる時間ないよね、と諦めていたので、思わぬタイミングで出会えて嬉しかった。
 
タクシーでコスへ戻るあいだ、ジュンさんと、さっき書いたような葛藤とか感想とかの話をした。
 
コスに着いた。朝、夜にみんなでドミノ(ゲーム)をやろうねと約束していたけど時間が遅かったので、アイと3人だけでドミノを何度かやり、飽きてからはプレステでゲームをした。コスの門のところに、守衛さんがいるようなちょっとした大きさの壁と床と天井があり、その床にモニターとプレステが置いてあって、ほぼ屋外なので虫とかヤモリとか時々くる。アイはここで門番をやっているから、私たちが遅く帰ってきたりすると心配してくれたりする。
プレステは、わたしは全くできないので、2人がサッカーのゲームで対戦している横で、数字を覚えるためずっと数を数えていて、合ってますかと途中で彼らに聞いたりしながら、ドミノのカードの数字を足したり掛けたり、0から100まで数えたり100から0まで戻ったりしていた。人がゲームをやっているのを眺めているのなんて久しぶり過ぎて、ちょっと懐かしい気持ちになった。わたしは昔からテレビゲームについては眺める側だった。たまにやらせてもらうと下手すぎて笑ってしまって、もっとできない。
 
眠かったけど、落ち着く時間が欲しかったから、ジャカルタ滞在の最後にそうやって無駄でつまんないけど良い時間を過ごせて、気持ちがだいぶ助かった。明日にはここを離れてジョグジャへ行くというのが淋しくて、淋しいとかあるんだ!と自分でも思うんだけど、淋しかった。別れを惜しんでるんですと口に出して言ってみたら野暮で笑えた。笑って話すってすごい。
 
結局明け方近くまでそんなふうにしていたから部屋に戻ったのは空港へ向かうタクシーが出発する3時間前とかで、シャワーを浴びたり支度をしていたら1時間しか寝られないことがわかり、それでも寝た。1時間くらいでも寝るのは大事だったし、体は相当疲れていた。
 
 
 

9 食べたり買ったり会ったり

8月2日
 
朝はわりとノンビリ起きた。昨日までの疲れもあるだろうし今日はタイトに予定を詰めないことにしていたから、午前中は部屋でひとりでダラダラしていた。ドアの向こうからジュンさんの声が「パン置いとくよ」と聞こえ、けっこう二重三重にギクッとして、慌てて支度をした。昨日買ったマフィンとアイコさんにもらったサラックを食べるつもりだったからお気遣いなく!なのになと思いつつ、東屋で休んでいたコスの住人たちに混じって甘いチョコレートを挟んだ食パンを食べた。かなり甘くて喉が渇いたけどアイが飲み物をくれた。
ひとしきりダラダラしたのち、ここの住人であるオクシとアイと彼の息子たちとで、ラグナン動物園へ行った。出てすぐの道で、アイがドラえもんのパッケージのマンゴージュースを買ってくれて、みんなでそれを片手に向かった。
動物園の入り口に「PINTU UTARA」と書いてあって、PINTUが入り口、UTRAが北だよ、と教えてくれた。北ってそういえば前に調べた単語じゃん、とちょっと嬉しくなったのと、グーグルマップで見ていた広い動物園の北、あのあたり、というのがピンと来てよかった。外国語の、自分にとって新しい単語が実際に現地で使われているのを見ると、記憶への残り方が違うような気がした。
動物園は、めちゃめちゃ楽しかった。動物の入っている檻以外の部分が広いのがとても良かった。たくさんの家族が一斉にピクニックできそうな草原とか、かなりたくさんあるベンチとか、色んな種類のカットフルーツを盛り合わせて食品用の白いトレーに乗せてラップした果物セットやお菓子や飲み物を、それぞれ専門に売っている屋台未満の、店というよりそのへんに座って「売っている人」がたくさんいたり、植栽帯がかなり大きかったりして(インドネシアの植物はいちいち大きい)公園としてすでにかなり良かった。動物たちの檻のなかも、植物がかなり積極的に置かれていて、動物園特有のシンドさが少ない気がした。
 
でっぷりトグロを巻いたサワ(蛇)、たまに後ろ歩きするガジャ(象)、見てみたらかなり地味だったオランウータン、狭い範囲を行ったり来たり歩き続けるマチャン(虎)、サイレンみたいな高い声とガサガサの低音を器用に変えながら鳴くブルン(鳥)、、自分でも可笑しいくらい楽しくて、ずっと目を見開いていたし日常で使わなそうだけど動物の名前をちょっと覚えられた。
途中でアイがタッパーに入ったトウモロコシの天ぷらをリュックから出してきて、みんなで食べた。オクシもフルーツセットを買ってくれて、途中でたまたま会ったドイツ人のカップルと一緒に食べた(世界中を廻る仕事をしているだけあってコミュ力が高い)。
2時間しかいなかったけどかなり満足して、一度コスに帰った。ジュンさんに市場へ連れて行ってもらう約束をしていたので、彼の仕事が済むまで待った。
 
市場は、強烈なにおいがした。市場へ向かう道路は排気ガスがすごいのでジュンさんがマスクをくれたけど、市場のにおいは嗅ぎたいなと思ってノーガードで歩いた。主に魚とか肉を売っているところがすごいにおいだった。サンダルで来てしまったので足元の汚さのほうがむしろ気になった。
市場には、野菜や肉や果物やスパイスなどの他にも、服とかスマホとか貴金属とか鞄とか靴とか炊飯器のような軽い家電、日用品など、ありとあらゆるものが売っていた。バナナを売っている一帯があったのだけど、なんせ超大量なのでそこらへんの地面にがんがん置いてある。市場の中心になっている建物にも、枝についたままの緑色のバナナを(枝の断面を新しく綺麗に切って、一晩寝かせるらしい)たくさんストックしてあった。
その建物が何階建てかになっていて、ミシンで刺繍をする人たちがいるフロアがあった。その彼らのスキルが尋常でなくて、フリーハンドでミシンを使って、筆で絵を描くようにスムーズに、レースに花の絵を刺繍したり企業のロゴのすみについている®️マークを綺麗に縫っていく。機械じゃないのかよと思った。とても見事な職人技で、見ていてとても楽しかった。話をしてみたら、お金もらえれば今すぐ名前とか縫えるよと言われ、ええー!やってほしいー!と盛り上がって、わたしは鞄に名前を縫いつけてもらった。「i」の点を星にしてくれてなにかのロゴみたいで可愛い。でもあとから冷静になったけど鞄の内側にやって貰えばよかった気がする。小学生でもいまどき鞄の表に自分の名前なんか書いてないよ。嬉しいからいいけど。
 
大きなスピーカーを置いて、タバコと水を売っているスタッフ休憩所みたいな一角があり、上裸で寝ている人がいたりボロボロのディスプレイでサッカー中継をしていたりして、いい雰囲気だった。そこはたしか3階か4階で、ほとんどイオンの立体駐車場のような外っぽい様相なのだけど、そこから街を見下ろしたらよい夕刻で、景色も抜けていて気持ちが良かった。すぐ目の前の土地で今まさに工事が行われていて、基礎がつくられていた。地平線のほうへ目をやると遠くに高層ビルがシルエットで見えて、手前の市場にはカラフルなテントやパラソルがたくさん並んでいた。夕陽と空が綺麗だった。その後も金のピアスをなかば衝動買いしたりしつつ、だいたいあたりを一周した。
 
噂の世界一の渋滞というやつの一端を少し垣間見た気がする。そこからの道はけっこう混んでいた。クラクションがほぼずっとあちこちで次々に鳴っている。バイクの後ろに跨っている自分の膝が、ぎりぎり隣の車に擦るか擦らないかくらいの距離を抜けたりしながら、次の目的地へ向かった。ヒヤヒヤしたけど昨日ジャカルタのスピード感を体験したら、今日はもう怖いというより楽しかった。
もともとデパートの倉庫だったところを改装してジャカルタビエンナーレなどに使われるような大きなアート拠点になっているところ(名前を忘れた)に着いてみたらフードコート的なところがあって展覧会をやっていたし10分くらいのパフォーマンスの作品も観れた。ジュンさんの友人がたくさんいて次々に会うのでけっこう長くそこにいた。わたしはガタガタの英語しか出来ないので、たまに話す以外はずっと目を見開いて彼らの会話を聞いていた。途中でいきなりインドネシア語になったり英語になったりを繰り返すので混乱するんだけど英語のところと雰囲気と単語でなんとか理解を試みてはジュンさんの要約と答え合わせをしていた。疲れたけど良かった。
今日の最終目的地はモンドというバーというかライブハウスというか、そういうところで、店主が日本人で凄くインドネシアの音楽シーンに詳しくておもしろい人らしいので会いに行った。実際センヤワの話で盛り上がったりダンドゥのやばい曲とか教えてもらったりもう少し広く観て各々の活動について話し合ったりして、いい時間だった。かなりおもしろい人だった。
建物の雰囲気はちょっと怖いというかアウトローぽい感じだしエレベーターがやばくて張り紙してあるローカルルールでボタン押さないと閉じ込められるらしくてかなり怖いんだけど、24時には閉店するというヘルシーなお店だったので、我々もほどなくして帰った。ちょっと飲み足りないのでタクシーでお酒を売ってる店を少し探したりしたけど、そこはジャカルタで、ぜんぜん売ってなかった。ショッピングモールとかスーパーには普通にお酒が売っているみたいだけど、深夜までやっているコンビニにはお酒がない。帰宅してから缶ビールをちょっと飲んで解散した。タイトに予定を詰めるつもりはなかったのに何だかんだ色んなところで色んな人に会って、疲れたけど楽しかった。
 
2日目にしてすでに、新しい石鹸と全然あわの立たないシャンプーと、洗面器がないので立ったまま自分の体を洗うついでに今日の服を洗濯することに慣れていて、自分の適応能力がまた高くなったような気がして楽しい。やっぱりお湯が出るシャワーは最高。ただジョグジャに居た時よりも(うがいにしか使わないとはいえ)水に変な味がするのが気になった。喉もちょっと痛い。空気や水のせいなのか単に疲れがきているのかわからないけど。
 
 

8 違う街

8月1日

 
朝、ちゃんと起きられた。網戸もガラスもない、アリスブルーに塗られた木の窓を、すぐ閉めるので片側だけ開けた。天気が良い。でも体調はベストではない、寝不足が続いている。
顔を洗って紅茶をいれて、冷めていい温度になるまで着替えたり、昨日洗って乾いたタオルなどをたたんで鞄に入れたりして、計画通り8時ごろに家を出た。スカートをはいてきてしまってちょっと自転車がこぎづらい。
名前のある通りへ出て、曲がる方向をちょっと確信をもって選べて、もしかしてと思ったのだけどなんと、やっと、目的の大通りまで迷わず最短ルートで行くことができた。かなり嬉しかった。
大通りを北へ進むと、ちゃんと目的地が現れた。一緒にプランバナン寺院へ行った26日、リョウさんのリクエストでちょっと寄った両替所、ランガがガソリン入れてくるから待っててと言うので、カウンターでもらったウエハースを3人で分けて食べたりした両替所だ。空港よりレートが良い信頼できる両替所②として覚えていた。
ここで、今日からの第3章ジャカルタ編から使うお金を両替した。受け取って、ちゃんと自分でも数えたし「封筒ください」って英語だけど普通に言えた。こんなことだけど我ながら成長を感じた。
 
これはけっこうな大金、という実感が、初日よりも強くあったので、ちょっと緊張しながら来た道を戻った。朝だけやっているという食べ物の市場が開催されているのをやっと見れた。バナナや枝付きのサラックやら売られていて、人で賑わっていた。ちょっと寄ってみる時間の余裕はなかったので、それは横目に見ながら進む。つい行きすぎて若干遠回りの道になってしまったけど、全く迷わずに帰ることができた!!
 
朝の用事①をちゃんとこなせたので自信が生まれて、ハキハキ支度をして、見事、予定の9時にアプリを使ってタクシーを呼ぶことにも成功した。ケータイがちゃんと鳴って、ちゃんと運転手さんから連絡がきたのが嬉しくて、初めて聞く着信音が鳴った時、つい「ヨシ!」と声が出た。運転手さんはあまり英語の得意な人ではなかったけど、名前のある通りまで自分が出ることで難なく乗れた。ただ、何故か昨日日本人の友人にターミナルAだよと教えられていたので、運転手さんにABどっちと聞かれてかなり自信満々に「A(渾身のいい発音)」と答えたのに、着いてお金を払って空港の人に印刷してきたEチケット見せたら
「Bだね」と言われてしまって、そこまでちょっと歩いた。途中、中国人のバックパッカーに話しかけられて「ごめんわたし日本人です」というやり取りがあった。中国人に中国人と間違われたのは生まれて初めてだった。
ジョグジャのアジスチプト空港は国際線のAと国内線のBに分かれていて、両者のあいだは普通の外の道で徒歩3分くらい離れているのだった。知りませんでした。Bのほうが規模が小さい。
荷物は普通のサイズのリュックと斜めがけの貴重品バッグ(今回は毎日ほぼこのカバンで行動していて身軽)だけなので、預けるものもなく何か検査に引っかかることもなく、すんなり「あとは乗り込むだけ」になった。
 
朝ごはんを食べていなかったので、カフェオレとミートパイとブルーベリーのマフィンを買った。かなり搭乗時刻まで余裕があったのでフワフワのソファに座ってのんびり食べた。ミートパイでお腹いっぱいになったのでマフィンは紙袋に入れたまま出さなかった。ハエがやたら来ること以外は快適だったし、そばにあるコンセントを借りて充電しきれていなかったモバイルバッテリーやSIMをいれたケータイを充電した。
 
ジャカルタにいるジュンさんから連絡がきてやっとアレ?と思ったのだけど、印刷してきたEチケットと、空港のディスプレイに表示されている時刻が違った。空港に着いてディスプレイを見て、OKOKヨユーじゃん、と思っていたけどそういえば思っていたより1時間くらい遅い。あんなにハキハキと9時に家を出たのは何故だっけと思った。時差とかないよな?
空港のディスプレイが多分正しいけどちょっと心配だったので空港のお兄さんに確認した。空港のディスプレイのほうの時間で飛ぶようだった。OKOKヨユーです。理由は謎のままだけど。
 
けっこう時間があったはずだけど昨日の日記を書いていたらあっという間に過ぎた。自分が乗るよりも早いジャカルタ行きの便を二本見送ってようやく自分の乗る番が来た。
インドネシアエアアジアの国内線は小さな飛行機で、黒い座席がギュウギュウに並んでいた。白人もたくさんいたしヒジャブを身につけた女性やインドっぽい顔の人もたくさんいた。
 
1時間ほどのフライトは本当にあっという間だった。
空港について、さっそくSIMのケータイを使って空港まで迎えに来てくれているジュンさんに電話をかける。番号を登録する意味もあって電話にしたけど、日本語を声で聞いたら安心感が違った。よかった。わたしが目印に伝えたドーナツ屋さんがどうやら二ヶ所あったみたいで少し時間がかかったけど会えた。美味しいというのでそんなにお腹も空いていなかったけど話もしたくてインドネシア料理のレストランに入った。ナシゴレンスペシャルというのを食べた。美味しかったので食べきった。何も言わなかったのであったかいお茶には砂糖が入っていてすごく甘かった。
インドネシア語の本を持参しているのにあまり勉強できずにいたのを「とりあえず数字を覚えてないのはまずいでしょ」と言われて確かに情けねえやと思った。ジョグジャではほとんど英語(※ガタガタ)と日本語で会話していたし全部みんなに連れて行ってもらっていたから、美味しい!とかおはよう!とかしか覚えてなかった。ほとんど実践で覚えたというインドネシア語で実際に生活しているジュンさんがインドネシア語の本をパラパラ見ながら「これ必須」という言葉をメモした。この国のこの旅の生活自体には少し慣れてきたし、もう最後の5日だけどインドネシア語を少しでも覚えることを目標にしよう。
 
アパートとシェアハウスのあいだくらいの、コスという集合住宅に今回は四日間滞在する。ジュンさんも今回そこの一部屋を借りていて、わたしの3泊ぶんの部屋を手配をしてもらった。空港からそこまでのタクシーのなかで、運転手さんがカーナビのモニターにダンドゥという、ダンスミュージックとか歌謡曲みたいなノリのインドネシア語のポップスの映像を流していて、字幕が出るのでジュンさんと面白がって見ていた。cinta=愛とか全然日常会話で使わなそうな単語を覚えた。歌で単語覚えられるじゃん楽しいじゃんと思ったんだけどそんなに即実用的ではなさそう。でもなんと運転手さんがそのDVDをくれた、2枚もくれた。これは本当にめちゃ嬉しい。インド料理屋でかかっているPVみたいに、自分の部屋でポータブルDVDプレイヤーを使ってこれを流しておく想像が頭をよぎった。いいじゃん…
 
ずっと高速道路をゆく。ジャカルタは世界で一番渋滞する街らしいけど、時間のおかげかスイスイだった。日本の東急がモノレールを作っているらしいのとか見えた。高速道路を降りてからは、とにかくたくさんバイクが走っていた。オレンジ色の作業着を着た男たちがトラックの荷台に大勢のっているのが二台、前方にいて、お互い手を振りあって違う道へ別れていくシーンが見られてちょっと嬉しかった。道端、歩道にギュギュッと観葉植物やそれ用の土が並べられている一帯があって、かなりよかった。そこから程なくしてコスに到着した。門のある入口を入るとすぐに三部屋くらいずつと思われる二階建ての小さなアパートが4棟建っており、壁の色も赤とかモスグリーンとかで、めちゃめちゃ可愛いところだった。芝ではないのだけど短い、日本で見るゼニゴケよりキモくない感じの少し雰囲気の似た草(コケではないけど葉っぱの感じが似てる)が各棟の前に敷き詰めるように生えていて、棟の軒下のタイルのところに住人が腰掛けてタバコを吸ったりしていた。
そのアルフィアンをはじめ、この後も次々にここに住む人たちが現れて自己紹介された。なかなか覚えきれなさそうだけど、昨日までのジョグジャの滞在とはかなり違った日々になりそうでワクワクした。第3章だ。
アルフィアンと3人でのんびりタバコを吸ったり寝転んだりして過ごしたのち、少し部屋で休憩してからメシを食いにいこうということになって一時解散した。わたしも部屋で水浴びをすることにしたんだけど、なんと、なんとここ、シャワーヘッドがあるというだけでなく、お湯が出るという。水浴びじゃない、シャワーだ!!!
一時解散する時にジュンさんの「ここお湯出るから」の言葉にビックリして「ェエ〜!!」と言ってしまった。
そういえば昨日、ボロブドゥールのホテルに自分の石鹸とシャンプーと泡立てネットも忘れてきていたので、シャワーを浴びるなら買いに行きたいなと思ってジュンさんにバイクを出してもらった。薬局みたいな店で、あらゆる日用品やちょっとしたお菓子なんかがたくさん売られていた。楽しい店だった。石鹸とシャンプーをどう選んでいいか迷ったあげくなんとなくレモンの匂いのやつとパッケージが可愛かったという理由と、もはや整髪料もつけていないしコンディショナーまで買いたくないので、優しそうなベビーシャンプーを選んでみた。後で使ったら案の定、泡がぜんぜん立たなかったけど、メイク落としとレモンの石鹸とシャンプーを並べて置いたら全部黄色くて可愛かったのでヨシとすることにした。 
昨日ボロブドゥールの帰りに寄った日本料理屋でゴロゴロしていた時、日本語の本がたくさん並んだ本棚にあった「手ぬぐい洗顔」という本をなんとなく開いてみたら手ぬぐいで石鹸を泡立てて洗うの良いって書いてあって、次の日にさっそくそれを試すことになろうとはその時思っていなかったので、偶然に感謝した。手ぬぐいで、泡は、かなりちゃんと立つ、ということがわかった。手ぬぐいがますます自分の中で神グッズになった。
実際お湯のシャワーを浴びたら嬉しくて、小声で歌い出してしまった。天井も高いので声のよく響くバスルームだった。山にいた時の水浴びはついお腹を凹ますくらい冷たかったし水は勝手に出てこなくて自分で汲んでいるわけで、ぜんぜん鼻歌どころではなかったのを思い出すと、差がすごい。ボロブドゥールでは水シャワーだったし、いい順番で段階をふんでいる気がする。
ついでに服もいくつか石鹸でガシガシ洗った。家でする洗濯も楽しいけど旅の時の洗濯はもっと楽しい。あるもので工夫して干すことについて昨日に引き続き1人で盛り上がっていた。これはハンガーの数と洗濯物の数を考えずに洗って、洗い終えてからハンガーが足りないぶんをどうするか考える遊びです。
天井が高いのでカーテンレールの位置も高くて、椅子にのぼって引っ掛けた。こっちの家の天井の高いの、かなり良い。
 
そうこうしているうちに9時くらいになっていて、どうしようか、と色んなパターンを考えたけど、とりあえずジュンさんのバイクでご飯を買いに道へ出た。ジャカルタはジョグジャよりも道が広くてまっすぐな気がする。みんなかなりスピードを出す。例に漏れず自分の乗せてもらっているバイクも速いので、後ろに乗ることに慣れてきていなかったら悲鳴をあげていたと思う。いい段階をふんでいる②だ。悲鳴どころか風がバシバシ当たるのが笑えてきて「ウェーイ」とか言っていた。走り出したら楽しくて、なんか食べて帰ろうということになった。
クマンという、インドネシアの代官山とか言われたりしている?らしいオシャレ街があるそうで、今回行く予定もないので見るだけでも面白いし通ってみようとジュンさんが提案してくれて、そこへ向かった。規模的には日本で言ったら国道沿いみたいな感じなんだけど並んでいる店がぜんぶめっちゃオシャレで、遠くには巨大なマンションもあった。インドネシアに来てから初めてマンションを見た。
ドイツソーセージの食べれる店で、今回の旅で初めてお酒を飲んだ。生ビールメチャ美味しかった。大事な話もたくさんしたし、こっちの2000ルピアの絵の人の顔が山田孝之に似てるとかしょうもない話もした。アメリカの音楽が流れてて体の大きい白人もたくさんいる店で、ここはどこだジャカルタだという気持ちになった。テレビではサッカーの中継をしていたけどみんなそんなに見てなかった。
 
帰って来て住人たちとひとしきりお喋りして折り紙とかして遊んだ。インドネシア語もいくつか教えてもらった。日本のポップスを一緒に歌ったりした。途中、足元を黒いラットが通り過ぎて気持ち悪かったし蚊にさされたけど楽しく一時ごろまで過ごして、解散した。
 
 

7 もっと話がしたい

7月31日

2時間睡眠になってしまったけどホテルのベッドで寝られたおかげで体はだいぶ回復した。隣のベッドで寝ていたムティアが声をかけてくれて目が覚め、とっさに「何時?!」と聞いて、しかし答えてくれた彼女の言葉を勘違いし、時計を確認しないまま寝坊したと思って大慌てで支度をしてしまった。実際は寝坊していなかったし慌てたせいで日本から持ってきたシャンプーや石鹸をバスルームに置いてきてしまった。まあいいや…
 
昨晩から8人くらい?で移動していて、そのほぼ全員で朝ごはんを食べに行った。ホテルのすぐ近くの道沿いにあるお店で、ソトという具沢山のスープを飲んだ、テンペも美味しかった。串に刺さったウズラのタマゴの味玉みたいなのも美味しかった。睡眠不足のせいでちょっとお腹が痛いので優しい味が嬉しかった。
かなりゆっくり、たぶん1時間以上居座ってしまったけど、周りには一本の道路と広い田んぼがあるだけの場所で天気もよく、そよ風がたまに通り過ぎて行くなか、竹や木でできた東屋で思い思いにゴロゴロしたりお喋りするのは気持ちよかった。
インドネシアに長く滞在したいので留学を考えているという話を、こっちに長くいる先輩たちにやっとできて、かなり情報が更新された。心が引き締まった。
 
その後、マミさんのお店でさらに少し休憩した。あると見てしまうバティックだけど、女一同でワイワイ物色していて見つけて気に入ったバティックは高級すぎて諦めた。3月に来た時にも気になっていた貝のピアスを買った。
 
店を出て、マミさんの友人のアートコレクターが、買ったコレクションを自宅の敷地内にある大きな建物に展示しているそうで、みんなでそれを観に行った。絵や彫刻がたくさん展示と保管されていて、絵と立体から成るインスタレーションもあった。みんなけっこう素朴に作っている印象で、コンセプトを聞いても特別に面白いとは思わなかったけど、自分も素朴モードになったら面白かった。結束バンドを穴を開けたビニールにたくさん結んで縁を装飾している作品があって、こんなふうに使うのキモくていいなとかドクロに花の模様描いちゃうの万国共通のダサさで愛しいなとか思ったり、立体的になっている絵のような作品をこっそりちょっと触ってみたり彫刻の顔を真似してみたりして遊んだ。
ただ、展示室の近くの小さい部屋の本棚に蜂の巣があったり(肩くらいの高さの段の、本の手前なので、ここの本はしばらく出していないんだなと察した)、天井の照明がバチバチいいながら煙を上げ始めたので慌ててブレーカーを落としたり、オーナーが「この絵ちょっと見てよ」と言って重ねて立てかけられていたキャンバスを動かしたら、絵と絵がくっついていたらしくバリッと剥がれる音がしたりして(作品は無事だったけど雑さが笑えた。昔、清里現代美術館に行った時にも思ったけどすっごくたくさん集めているコレクターの人の、ちょっと雑な作品の管理が垣間見える瞬間ってわりと嫌いじゃない)そういうことの方が面白かった。
 
その後、ボロブドゥールに残る人たちと車でジョグジャの南の方へ戻る人たちとに別れて出発し、わたしたち戻る組は途中、大阪出身の人が営んでいるという日本料理屋さんでご飯を食べた。たしか既に14時頃だったので腹ペコだったしみんな疲れていて、庭のよく見える東屋みたいな座敷席で、ゴロゴロ寝そべったりした。わたしは中華丼を頼んだのだけど、菜っ葉かけご飯かな?というくらい野菜たっぷりで、否、むしろ野菜しかなく、特に肉は求めていなかったのでこれは丁度いいやと思ってムシャムシャ食べていたら2割ほど食べた頃に「肉を入れ忘れちゃってた、ゴメン」といってトンカツを一皿出してくれた。サックサクで美味しかった。ソースも、いわゆるトンカツソースよりも少し複雑な味がして美味しかった。満腹になったら疲労がどっときて眠くなった。
 
少し渋滞している道をさらにガリさん(関西弁のはいった日本語を凄く上手に話すインドネシア人の男性)の運転で走り、ジョグジャのほうへ帰ってきて、仲間たちを降ろした後、わたしが興味を持っていたインドネシアの国立芸大のキャンパスに、ケンタさんと3人で、連れていってもらった。学校の様子を話して聞かせてもらい(今朝に引き続き留学に関して色んな情報を得て、構想が大幅に変更されつつある)その後ようやく一時帰宅した。
さっき車に乗っている間に連絡を取り合って決まったのだけど、今日はこの後、19:30ごろランガとアイコさんと待ち合わせて、キリスト教の教会で毎週月曜日にガムランを練習している人たちのところに見学させてもらいに行くことになっていた。正直かなり疲れていて、眠いしお腹と頭がグラグラでシンドかったけど、あわよくばガムランを叩きたいぞという下心のみで力を振り絞って、行くことにした。
明日からジャカルタへ行くので、主に服を洗濯して干し(手洗い+本気絞り+部屋干しでわりと乾く)、軽く荷造りをしてから家を出た。ちょっと仮眠くらいできるかと思ったけどその時間はなかった。
 
道はもう分かる、というつもりでさっそうと自転車で走り出した。夜風が気持ちよくて、走っているうちに疲れも忘れてきたけど、ダサいくらいあっさり道に迷った。慣れない街はずっと景色が似て見えてなかなか覚えきれない。待ち合わせ時間に遅れるのが申し訳なくて、ランガに英語で「道に迷ったからちょっと待ってて」とメッセージを送った。かなり焦っていて、彼の「俺今向かってるとこだけど大丈夫?」に対して夜道の不安さと動揺で頭が働かずかろうじて出てきた単語を「daijobu」「solution」と送ってしまいアホ丸出しだった。
 
ほどなくして合流した。アイコさんとはこの時に初めて会ったのにあまりそんな感じもしない親しい雰囲気で話せて嬉しかった。3人で出発した。アイコさんはバイクは乗れるけど後ろに人を乗せるのはできないとのことだったのでわたしはランガの運転するバイクの後ろに乗せてもらった。
 
わたしが明日の朝に空港までのタクシーをアプリで呼ぶため、あとジャカルタでサバイブするためにSIMカードを買うことになり、それを買えるお店へ、教会へ行く前に寄ってもらうことになった。ランガにほとんど全部やってもらって、無事に買うことができた。SIMカードをプラモデルみたいな枠から外してケータイに挿し込むところまでその場でやってくれた。
言葉が喋れないと1人では全く何もできなくて本当にやばいなとビシビシ厳しい気持ちになった。今回の旅はみんなのやさしさに感謝だけどいつまでも甘えられるわけじゃないぞ自分よ、勉強しろ
 
SIMを手に入れて、気を取り直し教会へ向かう。
ジョグジャに着いて遊んだ最初の日もランガにバイクに乗せてもらって、ムティアとリョウさんと4人でプランバナン寺院まで行ったなあと思い出して、思い出すってレベルで過去になっていることに気がついて、時間が経ったのをしみじみ感じた。
あの時このバイクに乗っていて「サラックの屋台がやたら沢山あるね」とただ無駄話をしたかったのにできなかった件は、今なら「この季節はサラックの旬なんだって今日知ったよ」と言えるのに、なんとなく言いそびれた。人のバイクの後ろに乗る機会はその後も何度かあったので「あの時は筋肉痛になるくらい緊張して座席の縁を掴んでいたけど、今はもうかなり楽にバイクに身を任せられるようになったよ、ちょっとなら手も離せるよ」、と伝えたかったけど難しいので諦めてしまって、実際に手を離して鼻歌を歌ったりしてみた。まあしかしそんなの伝わるわけもなく
「次に会う時はもっと話せるようになるぞ」という去年の夏にも思ったこと、そろそろ実現しないと目標が腐る、自分よ勉強をしろ。
 

到着した教会は、ちょっと不思議な形をしていた。横に入口があって、横に広い。正面の壁にジャワ語の文字で何か書いてある立派な板が貼ってあった。屋根の形がなんとなく面白かった。古さと雰囲気は公民館っぽかった。ガムランの練習の人たちはこの辺りに住んでいる人たちらしい。月曜のこの時間にここに集まって、結婚式やコンサートに向けて練習をしている。でも見ていると厳しいリーダーがいて、とかっていうよりは、ちょっとやっては笑いながらお喋りをし、ちょっとやっては、という感じで、なんて良い練習風景なんだと思った。なんかちょっと羨ましかった。
アイコさんとランガと、その様子を眺めていたら、メンバーのおじさんが、部活の時とか現場仕事の時に使うお茶を沢山入れておいて下の方についている蛇口から注ぐタンクみたいなアレをさして、お茶飲んでいいからね、あっ、コップないね、持ってくるよ、とプラスチックの平たいケースに入れたお茶をもう一段もってきてくれた。中身は温かいお茶で、甘くて嬉しかった。こっちで飲むお茶はたいていかなり甘い。
途中トイレに行ったら何かの制服らしいものを着たおじさんが無言で笑いながらこちらをメチャメチャ見てきて、今回の旅で初めてかなり嫌だなこの人と思った。表現と感じ方の行き違いだったと思うことにする。
ランガのガムランに関する話をアイコさんと聞いていたら、またメンバーの1人が小さいゴマ団子をたくさん、紙の箱でくれて、直前にランガがくれたキシリトールガムがら口の中にあったのでそのまま一緒に食べてみたけどあまり良くなかったので片手にかじったゴマ団子を持ったままガムをしばらく噛んで捨てて、ゴマ団子を食べた。
 
わたしがトイレから戻ってきたら、さっき挨拶した以外の人にも楽団のみなさんに名前を把握されていて、アオイ!やるよ!そこ座って!みたいにワイワイうながされた。ガムランを!!叩ける!!!わたしはワクワクしながらアイコさんとランガの間にある楽器の前に座らせてもらった。ひとり一台ずつ叩かせてもらえるらしい。楽器の前にあぐらをかいて座る。
楽譜は手書きで、手作り感のある製本をされて100ページくらいあった。西洋のあれではなく数字と点で書かれていた。その読み方と叩き方をランガと楽団のメンバーに教えてもらった。左から右へ1〜7と鍵盤に名前が付いている。まずは叩いて、そして次の鍵盤を叩くと同時に、さっき叩いた鍵盤を左手でつまんでミュートする。そのミュートすることにも奏法として名前が付いていたのだけど忘れた。
結構難しくて、見てるほど簡単じゃないんだなあと苦労したけどこういう習得みたいなのは得意ではないが好きなのでかなり楽しかった。まだ覚えきってないくらいの時に「じゃあみんなでやってみようか」ということになり、大勢でいっせいに演奏をした!強く叩くと大きい音がして楽しい!!
オロオロしながら無理やりついていったけど、簡単な曲を選んでもらっているので、だんだん手とメロディを覚えてきて、スピードをだんだん早くしてまた遅くしてというのにもギリギリついていけるようになった。ファイブ、シックス、ファイブ、と隣でランガが歌いながら叩いてくれているのが聞こえた。自分の前髪が目の前に落ちてきて邪魔だった。
 
ひとしきり練習に参加させてもらって、場はお開きになった。みんなと一緒に写真を撮ってもらった。ガムランをたたく木槌を持ってポーズを決めると誰でもちょっと強そうになっちゃうのがおもしろかった。 
 
3人で帰りにご飯を食べることになった。わたしは昼ごはんがかなり遅かったので正直そんなにお腹は空いていなかったけど、2人と一緒にいたかったので食べることにした。
屋台っぽいお店のイートインだったのだけど、話が盛り上がってというか止まらなくなってしまって結構長居した。今日は朝昼晩と全ての食事で長居している。
主にランガの作った作品の話とか、その根本にあるコンセプトとか音に対する考え方とか、そういう話をしていた。ランガとアイコさんそれぞれの環境音を聴くことについての話もよかったし、話の流れでエルメートパスコアールの動画をみんなで見たりした。わたしも自分の作品のこととか友人と作ったバイノーラルマイクで録音した作品の話とかした。
作品の話を「ただメタルバンドやっていた時期」とか「録音した音をMaxで加工しまくっていた時期」とかいう感じで聞いていくと、もうその人の人生の話に片足突っ込んでくるのが、とても良いなあと思った。作品の話を聞くとその人のことが知れる。昨日、山で日本人の友人と「芸術それだけで何かになるとか価値があるとかっていうことよりも、芸術をみんなで見たり話したりして共有する時に何かが起こる気がしていてそれが良いよね」という話をしたのを思い出した。
今晩は、最初はアイコさんと夕飯を食べる約束だったので、期せずして得たランガの提案と思い切って混ぜてしまったのだけど、正解だったように思う。自分が提案した人と人が会う計画がうまくいくと嬉しい。2週間くらい前に日本で、わたしが最近仲良くなりたい友人と会いたいことと、すでに仲が良い別の友人と会う約束があったのを合体させて3人で会うことにしたら、わたし以外の2人は初対面だったけどベストな会になったのを思い出した。
 
 
ランガとは多分これでしばらくお別れなので、3人で写真を撮ってから別れた。すごく楽しかったから、疲れは吹き飛んでいた。
わたしは帰り道も迷うというポンコツながら、なんとか無事に帰宅した。水浴びついでにさらに少しの洗濯を済ませ、明日からの旅支度をした。SIMが使えるか確認しようとケータイを、充電してアプリを立ち上げて今回手に入れた電話番号を登録したけど、実際に今試しにタクシーを呼ぶわけにいかないので、明日の朝ブッツケ本番で使うことになった。ググった感じ大丈夫そうな気がする。
 
明日の朝起きられるかちょっと自信がなかったので、朝7:40に起きて8時に家を出て両替に行って帰ってきて9時にタクシーを呼ぶ、というタイムスケジュールをノートに書いて開いて枕元に置いて寝た。今朝のような寝ぼけた失敗をしたくない。
 
 
 

6 第2章の終わる明け方

7月30日

朝、「遅くとも9時には起きよう」といってかけていたアラームで起きた。それまで爆睡していたっぽい。
一緒に寝ていた2人はわりとサッサと行動開始していたのだけど、わたしはなんだか体がグッタリしていた。寒いし、でも水を浴びなければ…と心の中でウダウダしながら布団の上にしばらく座っていた。わたしはいつも目が醒めるのに人より時間がかかる気がする。

温かいお茶を飲み、二度目にしてだいぶ慣れてきた水浴びを終えて、さてどうしようかなーと荷物を整理したりしていたら、「今ステージの準備を見て来たけど、次やる人たち面白そうだよ、廃材をパーカッションにしてた」と友人に言われ、観に行くかあという気持ちになり、朝ごはんを食べそびれたままフェスティバルを見に行った。
心なしか昨日までよりも派手な衣装、凝った衣装や化粧、ボディペインティングが多い気がした。最終日だから気合いが入っているのだろうか。

午前の部が終わって、完全に腹ペコだったので、絵の展示してある建物の向かいあたりにあって今日まで食べていなかったご飯屋さんで何か食べることにした。でも何が食べられる店なのか分からないので、ちょっと躊躇していたらアスルがたまたま近くにいたので「あの店のメニューのこれって何?」と聞けた。ナシチャンプルを食べることにした。これ、見てから「ああこれのことね!」となったんだけど、ご飯に味の濃いオカズを載せる、みたいな感じのインドネシア料理で、今回村に来てからもジョグジャでもかなりよく食べている。オカズのバリエーションがあるので飽きない。
店の人はこの山の村の人で、英語が通じない。わたしもインドネシア語はほとんどわからない。でもナシチャンプルの食べ方はわかる、自分でご飯をよそって同じ皿にオカズを載せるのだ。ジェスチャーで乗り切った。
テーブルにつく時、そばに座っていた眼鏡をかけた男性に「どうもー」みたいな感じで曖昧な挨拶をしたら、「おう、どこからきたの」から会話が始まって、facebookのアカウントを検索して「ここインターネットないね、下山したら申請送るわ」というところまでいった。わたしのコミュ力が上がったように錯覚したけどたぶん相手の、言語能力というよりはコミュ力が相当高かった。
この人もエコという名前だった。写真を撮るのが好きで、このフェスティバルはこの付近の山で毎年場所を変えて行われるけどだいたい全部自分の家からそこそこ近いから毎回来ているらしい。来年日本に写真を撮りに旅行に行くけど大阪と東京どっちがいいかなあ?と聞かれたりした。大阪のことはよく知らないけど街の景色のバリエーションがあるのは東京かな?と言っておいた。彼の友人夫妻も一緒にいて、全員カメラ仲間だった。インドネシアの悪魔のお面や彫刻の顔がマジで怖いんスという話からサダコの話になったりして普通に結構長々とお喋りが続いた。友人夫妻もノリのいい人たちで、セルフィーとか撮ったりした。帰りの車の心配までしてくれた。
お喋りをしていたら、山の上の方から太鼓の音が聞こえてきた。聞いていると近づいて来たので、観に行こう、と慌てて席を立ち財布を出したら、セルフィーを一緒に撮った奥様が「あーーいーーのいーーのいーーの!!!」みたいな感じでお代を払ってくれた。村に来てからほとんどお金を使っていないな。

パレードはめちゃめちゃ派手だった。子供達が顔に体に絵の具で模様をたくさん描いて、打楽器を叩いたりただ歩いたりしているのが先頭で、その後ろからもう少しお兄さんたちの楽隊がくる。巨大な鬼の頭部らしい、獅子舞の頭だけを2倍くらいに大きくしたようなものが一ついて、口は動くし目がLEDの緑色で光っていてかつちょっと動くので、かなり迫力があった。パレードはフェスティバルの舞台の方へ向かうようだったので、わたしとカメラ仲間たちはそっちへパレードの後ろをついて行った。
カメラ仲間たちは他にもかなり沢山いて、舞台の正面最前列付近にすでに大勢で陣取っていた。Canon率が高かった。エコ氏が、なんとそこにわたしを混ぜてくれた。写真撮らないのに。いい奴すぎる。仲間たちも「ようこそ~」みたいに迎え入れてくれて、わたしはそのまま午後の部を特等席で見ることができた。周りにつられて、ついiPhoneでたくさん写真を撮ったけど、だんだん撮らずに見つめるほうが自分の性に合っていて楽しいのを思い出して撮らなくなった。

脛に鈴を沢山つけて足を踏み鳴らしながら踊るダンスが、何回か出て来たのだけど、かなり良かった。ドンドンドッダーンってリズムに中腰でノるのがかなり良い。「現地」感が絶大。大勢で踊るので、みんながステップを早く踏めば踏むほど鈴がうるさくなってしかし勿論ちゃんとリズムになっていて、最高にエキサイティングだった。かなり近くで観ていたので、手作りの舞台が軋む音も聞こえた。
そして彼らの衣装がすごかった。ほとんど着ぐるみと呼んでいいほど作り込んだ、鳥や、虫の形をした悪魔たちで、ワラとかマツボックリとか大きい枯葉とかをかなり上手に使っていて、衣装だけ観てもかなり見応えがあるだろうなとちょっと思った。しかし、お面や真っ赤に塗ったボディペインティングのあいだにチラッと見える素肌の首とか目とか、着ぐるみくらいゴテゴテの衣装から覗く膝とか、衣装を体にピッタリ合わせるためにとめたマチ針とか、足の指の反り具合、筋肉やそれらがつくる体の表情を観ていたら、この踊り全体は、こういうものから出来ているんだと思えてきて、衣装だけって想像してみたら、なんだかスッカリ抜け殻に思えた。音だけだってそうだし、踊りだけだってそうだ。こうやって分けて呼んでいることに違和感があるくらいだ。ダンサーも脛の鈴や足の裏で演奏に参加していたし、ガムラン奏者の叩きまくる腕や前かがみになる体をわたしは味わって観ていた。
普通のことなんだけど、博物館とかで展示されてるこういう衣装は、本当に衣装でしかなかったんだ、あれじゃ半分も観たことにならないんだと思った。CDで聴く民族音楽だってそう。今では残っていない踊りとか音楽は、本当にもうないんだなと思ったらめちゃめちゃ切ない。そのぶん半分残っているのは嬉しいけど。そして同時に、今日の段階のこの芸能を、こうして観られて嬉しい。この踊りとか音楽とか衣装を、やる人が続いていて、まるごと芸能として観れた、ということに感動した。やってる人がみんな若かった。
インドネシアのあらゆる地域から、あらゆるダンスや音楽が集まっていて次々に演奏が行われるフェスティバルなので、司会を注意深く聞いてるとどこの地域のものと言ってくれているのだけど、わたしが超エキサイトしていた踊りがどこのものなのかは聞きそびれた。たぶんジャワだと思うけど


あとダンスの話ばかりだけど
やはり昨日までと同様、コンテンポラリーダンスがちょこちょこあいだに挟まるのだけど、印象的なことがあった。
かなりゆっくりジックリ動き少なに展開していく作品で、観客が飽きていて、それがきつかった。隣の友人が「みんな飽きて、いつ終わるんだ、って言ってる」と教えてくれたのだけど、ヤジがめちゃとぶ。たまにでんぐり返しとか仰け反るとか、ちょっとした動きがあると冷やかしに違い感じで「おお~」と歓声があがる。
作品に力がなかったと言えばそれまでで、わたしもその作品が面白いとは思わなかったけど、興味ない人たちって悪気なく残酷できついな~と、演者側の気持ちでこわかった。
汗だったかもしれないし見間違いかもしれないし理由が違うかもしれないけど、ダンサーの1人の左頬に涙のあとがひとすじ見えてしまって、そんなことを思った。
昨日の色水を投げつける時も、投げつけられたダンサーが演出で悲鳴をあげるからわたしはそう感じたし、多分それを狙った作品だったんだと思うけど、今日もちょっと似た感じ。観客は残酷だった。誰かを大勢で笑うというのは怖い。


午後の部が終わって、カメラの皆さんと別れて、だいたいみんなが集合しているところに夕飯を食べに戻ったら、日本人一行と合流できた。毎晩ちがう人たちが来るのでわたしもちょっと「ようこそ」みたいな現地の人の気持ちになりかけているのを感じた。帰りの車の話が出て、ようやく帰れるのかとちょっとホッとした。
ムティアと再会してとても嬉しかった。一緒に観にいこうと言うと「お弁当もってこう」と彼女が提案してくれて、わたしたちは食事と一緒に無料で提供されているバナナをひとつずつ持っていくことにした。ビスケットも持っていこうとして、袋が手近になかったのでノートのページを千切ってビスケットを包んで、鞄にいれた。あとでバナナを食べた後に皮を包むのに使えて、超便利だった。紙すごい。というかノートすごい。完全に旅に必携(いきなり似顔絵を描くとかいう展開にも耐える)

ほどなくして夜の回を観にいった。絶対に途中でトイレに行きたくないのであまり水を飲まないでいたらめちゃめちゃ喉が渇いた。6時半くらいから11時半くらいまでぶっとおしなので、弁当(バナナとビスケット)持参は正解だった。
最終日の夜の回はバンドが多かった。ウキルのバンドはかなり最後のほうだった。端的にいってめちゃカッコよかった。日本に帰って昨日買ったCDを聞くのがさらに楽しみになった。ウキルはアコギにテープでピックアップ的なものを貼り付けて強引にエレアコにしていて流石だった。センヤワとはボーカルのタイプが全然ちがっていて、エコーさんはちょっと演歌みたいな声で朗々と歌い上げていた。あと例の朽ちかけたギターの人が、かなりかなりかっこよかった、リハの時も思っていたけど、わたしはあの人のことなんか結構好きみたいだ、ほぼ話せなかったから次回に持ち越し



ウキルのバンドが終わるとすぐにマミさんの合図が見えて、わたしたちは帰ることになった。車に乗って、ジョグジャまで行かずにボロブドゥールの近くのホテルに泊まることになった。みなさんがそうされるのでわたしも便乗させていただくことになった。
3日ぶりに乗った車とデコボコじゃない道が新鮮に感じた。車、ソファ柔らかいし移動してるしハイテクすぎる。デコボコじゃない道は滑って行くみたいでちょっとハラハラする。山のあの村にいたんだなあ、と車窓の景色を眺めながら思った。今回の旅の、第2章が終わるみたいな感触だ。(第1章はジョグジャの街をミーハーに遊んだ)

ホテルに着いたら、昨日までとあまりに違う生活環境にかなり感動した。たぶんこんな感覚今夜だけだろうから大事にしたい。シャワーヘッドのあるシャワールーム、文明すぎる、やばい。お湯が出たら最高だったんだけどそうは行かなかったので潔く水シャワーを浴びた。寒い。
ホテルというのが嬉しくて、嬉しさのあまり、つい、山にいる間に使ったタオルや手ぬぐいや下着を手洗いで洗濯してしまった。ちょっと文明に触れるとすぐこうだ、わたしはまだまだ日本の几帳面な女である。雨が止むように、と米だか塩だかわからないけど白いものをステージや隣の建物の屋根に向かって投げたり、謎の草を炊いてあたりを煙だらけにしたりなんてしない町で、暮らしてきたし、これからもきっとそう。

洗った洗濯物をかなり強引に室内に干して、昨日と今日の日記を書いていたら朝の6時半になってしまった。書いていてお祈りの声を二回聞いた。
2時間半睡眠になっちゃうけどベッドなら、寝たぶんだけちゃんと回復するだろう。