9 食べたり買ったり会ったり

8月2日
 
朝はわりとノンビリ起きた。昨日までの疲れもあるだろうし今日はタイトに予定を詰めないことにしていたから、午前中は部屋でひとりでダラダラしていた。ドアの向こうからジュンさんの声が「パン置いとくよ」と聞こえ、けっこう二重三重にギクッとして、慌てて支度をした。昨日買ったマフィンとアイコさんにもらったサラックを食べるつもりだったからお気遣いなく!なのになと思いつつ、東屋で休んでいたコスの住人たちに混じって甘いチョコレートを挟んだ食パンを食べた。かなり甘くて喉が渇いたけどアイが飲み物をくれた。
ひとしきりダラダラしたのち、ここの住人であるオクシとアイと彼の息子たちとで、ラグナン動物園へ行った。出てすぐの道で、アイがドラえもんのパッケージのマンゴージュースを買ってくれて、みんなでそれを片手に向かった。
動物園の入り口に「PINTU UTARA」と書いてあって、PINTUが入り口、UTRAが北だよ、と教えてくれた。北ってそういえば前に調べた単語じゃん、とちょっと嬉しくなったのと、グーグルマップで見ていた広い動物園の北、あのあたり、というのがピンと来てよかった。外国語の、自分にとって新しい単語が実際に現地で使われているのを見ると、記憶への残り方が違うような気がした。
動物園は、めちゃめちゃ楽しかった。動物の入っている檻以外の部分が広いのがとても良かった。たくさんの家族が一斉にピクニックできそうな草原とか、かなりたくさんあるベンチとか、色んな種類のカットフルーツを盛り合わせて食品用の白いトレーに乗せてラップした果物セットやお菓子や飲み物を、それぞれ専門に売っている屋台未満の、店というよりそのへんに座って「売っている人」がたくさんいたり、植栽帯がかなり大きかったりして(インドネシアの植物はいちいち大きい)公園としてすでにかなり良かった。動物たちの檻のなかも、植物がかなり積極的に置かれていて、動物園特有のシンドさが少ない気がした。
 
でっぷりトグロを巻いたサワ(蛇)、たまに後ろ歩きするガジャ(象)、見てみたらかなり地味だったオランウータン、狭い範囲を行ったり来たり歩き続けるマチャン(虎)、サイレンみたいな高い声とガサガサの低音を器用に変えながら鳴くブルン(鳥)、、自分でも可笑しいくらい楽しくて、ずっと目を見開いていたし日常で使わなそうだけど動物の名前をちょっと覚えられた。
途中でアイがタッパーに入ったトウモロコシの天ぷらをリュックから出してきて、みんなで食べた。オクシもフルーツセットを買ってくれて、途中でたまたま会ったドイツ人のカップルと一緒に食べた(世界中を廻る仕事をしているだけあってコミュ力が高い)。
2時間しかいなかったけどかなり満足して、一度コスに帰った。ジュンさんに市場へ連れて行ってもらう約束をしていたので、彼の仕事が済むまで待った。
 
市場は、強烈なにおいがした。市場へ向かう道路は排気ガスがすごいのでジュンさんがマスクをくれたけど、市場のにおいは嗅ぎたいなと思ってノーガードで歩いた。主に魚とか肉を売っているところがすごいにおいだった。サンダルで来てしまったので足元の汚さのほうがむしろ気になった。
市場には、野菜や肉や果物やスパイスなどの他にも、服とかスマホとか貴金属とか鞄とか靴とか炊飯器のような軽い家電、日用品など、ありとあらゆるものが売っていた。バナナを売っている一帯があったのだけど、なんせ超大量なのでそこらへんの地面にがんがん置いてある。市場の中心になっている建物にも、枝についたままの緑色のバナナを(枝の断面を新しく綺麗に切って、一晩寝かせるらしい)たくさんストックしてあった。
その建物が何階建てかになっていて、ミシンで刺繍をする人たちがいるフロアがあった。その彼らのスキルが尋常でなくて、フリーハンドでミシンを使って、筆で絵を描くようにスムーズに、レースに花の絵を刺繍したり企業のロゴのすみについている®️マークを綺麗に縫っていく。機械じゃないのかよと思った。とても見事な職人技で、見ていてとても楽しかった。話をしてみたら、お金もらえれば今すぐ名前とか縫えるよと言われ、ええー!やってほしいー!と盛り上がって、わたしは鞄に名前を縫いつけてもらった。「i」の点を星にしてくれてなにかのロゴみたいで可愛い。でもあとから冷静になったけど鞄の内側にやって貰えばよかった気がする。小学生でもいまどき鞄の表に自分の名前なんか書いてないよ。嬉しいからいいけど。
 
大きなスピーカーを置いて、タバコと水を売っているスタッフ休憩所みたいな一角があり、上裸で寝ている人がいたりボロボロのディスプレイでサッカー中継をしていたりして、いい雰囲気だった。そこはたしか3階か4階で、ほとんどイオンの立体駐車場のような外っぽい様相なのだけど、そこから街を見下ろしたらよい夕刻で、景色も抜けていて気持ちが良かった。すぐ目の前の土地で今まさに工事が行われていて、基礎がつくられていた。地平線のほうへ目をやると遠くに高層ビルがシルエットで見えて、手前の市場にはカラフルなテントやパラソルがたくさん並んでいた。夕陽と空が綺麗だった。その後も金のピアスをなかば衝動買いしたりしつつ、だいたいあたりを一周した。
 
噂の世界一の渋滞というやつの一端を少し垣間見た気がする。そこからの道はけっこう混んでいた。クラクションがほぼずっとあちこちで次々に鳴っている。バイクの後ろに跨っている自分の膝が、ぎりぎり隣の車に擦るか擦らないかくらいの距離を抜けたりしながら、次の目的地へ向かった。ヒヤヒヤしたけど昨日ジャカルタのスピード感を体験したら、今日はもう怖いというより楽しかった。
もともとデパートの倉庫だったところを改装してジャカルタビエンナーレなどに使われるような大きなアート拠点になっているところ(名前を忘れた)に着いてみたらフードコート的なところがあって展覧会をやっていたし10分くらいのパフォーマンスの作品も観れた。ジュンさんの友人がたくさんいて次々に会うのでけっこう長くそこにいた。わたしはガタガタの英語しか出来ないので、たまに話す以外はずっと目を見開いて彼らの会話を聞いていた。途中でいきなりインドネシア語になったり英語になったりを繰り返すので混乱するんだけど英語のところと雰囲気と単語でなんとか理解を試みてはジュンさんの要約と答え合わせをしていた。疲れたけど良かった。
今日の最終目的地はモンドというバーというかライブハウスというか、そういうところで、店主が日本人で凄くインドネシアの音楽シーンに詳しくておもしろい人らしいので会いに行った。実際センヤワの話で盛り上がったりダンドゥのやばい曲とか教えてもらったりもう少し広く観て各々の活動について話し合ったりして、いい時間だった。かなりおもしろい人だった。
建物の雰囲気はちょっと怖いというかアウトローぽい感じだしエレベーターがやばくて張り紙してあるローカルルールでボタン押さないと閉じ込められるらしくてかなり怖いんだけど、24時には閉店するというヘルシーなお店だったので、我々もほどなくして帰った。ちょっと飲み足りないのでタクシーでお酒を売ってる店を少し探したりしたけど、そこはジャカルタで、ぜんぜん売ってなかった。ショッピングモールとかスーパーには普通にお酒が売っているみたいだけど、深夜までやっているコンビニにはお酒がない。帰宅してから缶ビールをちょっと飲んで解散した。タイトに予定を詰めるつもりはなかったのに何だかんだ色んなところで色んな人に会って、疲れたけど楽しかった。
 
2日目にしてすでに、新しい石鹸と全然あわの立たないシャンプーと、洗面器がないので立ったまま自分の体を洗うついでに今日の服を洗濯することに慣れていて、自分の適応能力がまた高くなったような気がして楽しい。やっぱりお湯が出るシャワーは最高。ただジョグジャに居た時よりも(うがいにしか使わないとはいえ)水に変な味がするのが気になった。喉もちょっと痛い。空気や水のせいなのか単に疲れがきているのかわからないけど。
 
 

8 違う街

8月1日

 
朝、ちゃんと起きられた。網戸もガラスもない、アリスブルーに塗られた木の窓を、すぐ閉めるので片側だけ開けた。天気が良い。でも体調はベストではない、寝不足が続いている。
顔を洗って紅茶をいれて、冷めていい温度になるまで着替えたり、昨日洗って乾いたタオルなどをたたんで鞄に入れたりして、計画通り8時ごろに家を出た。スカートをはいてきてしまってちょっと自転車がこぎづらい。
名前のある通りへ出て、曲がる方向をちょっと確信をもって選べて、もしかしてと思ったのだけどなんと、やっと、目的の大通りまで迷わず最短ルートで行くことができた。かなり嬉しかった。
大通りを北へ進むと、ちゃんと目的地が現れた。一緒にプランバナン寺院へ行った26日、リョウさんのリクエストでちょっと寄った両替所、ランガがガソリン入れてくるから待っててと言うので、カウンターでもらったウエハースを3人で分けて食べたりした両替所だ。空港よりレートが良い信頼できる両替所②として覚えていた。
ここで、今日からの第3章ジャカルタ編から使うお金を両替した。受け取って、ちゃんと自分でも数えたし「封筒ください」って英語だけど普通に言えた。こんなことだけど我ながら成長を感じた。
 
これはけっこうな大金、という実感が、初日よりも強くあったので、ちょっと緊張しながら来た道を戻った。朝だけやっているという食べ物の市場が開催されているのをやっと見れた。バナナや枝付きのサラックやら売られていて、人で賑わっていた。ちょっと寄ってみる時間の余裕はなかったので、それは横目に見ながら進む。つい行きすぎて若干遠回りの道になってしまったけど、全く迷わずに帰ることができた!!
 
朝の用事①をちゃんとこなせたので自信が生まれて、ハキハキ支度をして、見事、予定の9時にアプリを使ってタクシーを呼ぶことにも成功した。ケータイがちゃんと鳴って、ちゃんと運転手さんから連絡がきたのが嬉しくて、初めて聞く着信音が鳴った時、つい「ヨシ!」と声が出た。運転手さんはあまり英語の得意な人ではなかったけど、名前のある通りまで自分が出ることで難なく乗れた。ただ、何故か昨日日本人の友人にターミナルAだよと教えられていたので、運転手さんにABどっちと聞かれてかなり自信満々に「A(渾身のいい発音)」と答えたのに、着いてお金を払って空港の人に印刷してきたEチケット見せたら
「Bだね」と言われてしまって、そこまでちょっと歩いた。途中、中国人のバックパッカーに話しかけられて「ごめんわたし日本人です」というやり取りがあった。中国人に中国人と間違われたのは生まれて初めてだった。
ジョグジャのアジスチプト空港は国際線のAと国内線のBに分かれていて、両者のあいだは普通の外の道で徒歩3分くらい離れているのだった。知りませんでした。Bのほうが規模が小さい。
荷物は普通のサイズのリュックと斜めがけの貴重品バッグ(今回は毎日ほぼこのカバンで行動していて身軽)だけなので、預けるものもなく何か検査に引っかかることもなく、すんなり「あとは乗り込むだけ」になった。
 
朝ごはんを食べていなかったので、カフェオレとミートパイとブルーベリーのマフィンを買った。かなり搭乗時刻まで余裕があったのでフワフワのソファに座ってのんびり食べた。ミートパイでお腹いっぱいになったのでマフィンは紙袋に入れたまま出さなかった。ハエがやたら来ること以外は快適だったし、そばにあるコンセントを借りて充電しきれていなかったモバイルバッテリーやSIMをいれたケータイを充電した。
 
ジャカルタにいるジュンさんから連絡がきてやっとアレ?と思ったのだけど、印刷してきたEチケットと、空港のディスプレイに表示されている時刻が違った。空港に着いてディスプレイを見て、OKOKヨユーじゃん、と思っていたけどそういえば思っていたより1時間くらい遅い。あんなにハキハキと9時に家を出たのは何故だっけと思った。時差とかないよな?
空港のディスプレイが多分正しいけどちょっと心配だったので空港のお兄さんに確認した。空港のディスプレイのほうの時間で飛ぶようだった。OKOKヨユーです。理由は謎のままだけど。
 
けっこう時間があったはずだけど昨日の日記を書いていたらあっという間に過ぎた。自分が乗るよりも早いジャカルタ行きの便を二本見送ってようやく自分の乗る番が来た。
インドネシアエアアジアの国内線は小さな飛行機で、黒い座席がギュウギュウに並んでいた。白人もたくさんいたしヒジャブを身につけた女性やインドっぽい顔の人もたくさんいた。
 
1時間ほどのフライトは本当にあっという間だった。
空港について、さっそくSIMのケータイを使って空港まで迎えに来てくれているジュンさんに電話をかける。番号を登録する意味もあって電話にしたけど、日本語を声で聞いたら安心感が違った。よかった。わたしが目印に伝えたドーナツ屋さんがどうやら二ヶ所あったみたいで少し時間がかかったけど会えた。美味しいというのでそんなにお腹も空いていなかったけど話もしたくてインドネシア料理のレストランに入った。ナシゴレンスペシャルというのを食べた。美味しかったので食べきった。何も言わなかったのであったかいお茶には砂糖が入っていてすごく甘かった。
インドネシア語の本を持参しているのにあまり勉強できずにいたのを「とりあえず数字を覚えてないのはまずいでしょ」と言われて確かに情けねえやと思った。ジョグジャではほとんど英語(※ガタガタ)と日本語で会話していたし全部みんなに連れて行ってもらっていたから、美味しい!とかおはよう!とかしか覚えてなかった。ほとんど実践で覚えたというインドネシア語で実際に生活しているジュンさんがインドネシア語の本をパラパラ見ながら「これ必須」という言葉をメモした。この国のこの旅の生活自体には少し慣れてきたし、もう最後の5日だけどインドネシア語を少しでも覚えることを目標にしよう。
 
アパートとシェアハウスのあいだくらいの、コスという集合住宅に今回は四日間滞在する。ジュンさんも今回そこの一部屋を借りていて、わたしの3泊ぶんの部屋を手配をしてもらった。空港からそこまでのタクシーのなかで、運転手さんがカーナビのモニターにダンドゥという、ダンスミュージックとか歌謡曲みたいなノリのインドネシア語のポップスの映像を流していて、字幕が出るのでジュンさんと面白がって見ていた。cinta=愛とか全然日常会話で使わなそうな単語を覚えた。歌で単語覚えられるじゃん楽しいじゃんと思ったんだけどそんなに即実用的ではなさそう。でもなんと運転手さんがそのDVDをくれた、2枚もくれた。これは本当にめちゃ嬉しい。インド料理屋でかかっているPVみたいに、自分の部屋でポータブルDVDプレイヤーを使ってこれを流しておく想像が頭をよぎった。いいじゃん…
 
ずっと高速道路をゆく。ジャカルタは世界で一番渋滞する街らしいけど、時間のおかげかスイスイだった。日本の東急がモノレールを作っているらしいのとか見えた。高速道路を降りてからは、とにかくたくさんバイクが走っていた。オレンジ色の作業着を着た男たちがトラックの荷台に大勢のっているのが二台、前方にいて、お互い手を振りあって違う道へ別れていくシーンが見られてちょっと嬉しかった。道端、歩道にギュギュッと観葉植物やそれ用の土が並べられている一帯があって、かなりよかった。そこから程なくしてコスに到着した。門のある入口を入るとすぐに三部屋くらいずつと思われる二階建ての小さなアパートが4棟建っており、壁の色も赤とかモスグリーンとかで、めちゃめちゃ可愛いところだった。芝ではないのだけど短い、日本で見るゼニゴケよりキモくない感じの少し雰囲気の似た草(コケではないけど葉っぱの感じが似てる)が各棟の前に敷き詰めるように生えていて、棟の軒下のタイルのところに住人が腰掛けてタバコを吸ったりしていた。
そのアルフィアンをはじめ、この後も次々にここに住む人たちが現れて自己紹介された。なかなか覚えきれなさそうだけど、昨日までのジョグジャの滞在とはかなり違った日々になりそうでワクワクした。第3章だ。
アルフィアンと3人でのんびりタバコを吸ったり寝転んだりして過ごしたのち、少し部屋で休憩してからメシを食いにいこうということになって一時解散した。わたしも部屋で水浴びをすることにしたんだけど、なんと、なんとここ、シャワーヘッドがあるというだけでなく、お湯が出るという。水浴びじゃない、シャワーだ!!!
一時解散する時にジュンさんの「ここお湯出るから」の言葉にビックリして「ェエ〜!!」と言ってしまった。
そういえば昨日、ボロブドゥールのホテルに自分の石鹸とシャンプーと泡立てネットも忘れてきていたので、シャワーを浴びるなら買いに行きたいなと思ってジュンさんにバイクを出してもらった。薬局みたいな店で、あらゆる日用品やちょっとしたお菓子なんかがたくさん売られていた。楽しい店だった。石鹸とシャンプーをどう選んでいいか迷ったあげくなんとなくレモンの匂いのやつとパッケージが可愛かったという理由と、もはや整髪料もつけていないしコンディショナーまで買いたくないので、優しそうなベビーシャンプーを選んでみた。後で使ったら案の定、泡がぜんぜん立たなかったけど、メイク落としとレモンの石鹸とシャンプーを並べて置いたら全部黄色くて可愛かったのでヨシとすることにした。 
昨日ボロブドゥールの帰りに寄った日本料理屋でゴロゴロしていた時、日本語の本がたくさん並んだ本棚にあった「手ぬぐい洗顔」という本をなんとなく開いてみたら手ぬぐいで石鹸を泡立てて洗うの良いって書いてあって、次の日にさっそくそれを試すことになろうとはその時思っていなかったので、偶然に感謝した。手ぬぐいで、泡は、かなりちゃんと立つ、ということがわかった。手ぬぐいがますます自分の中で神グッズになった。
実際お湯のシャワーを浴びたら嬉しくて、小声で歌い出してしまった。天井も高いので声のよく響くバスルームだった。山にいた時の水浴びはついお腹を凹ますくらい冷たかったし水は勝手に出てこなくて自分で汲んでいるわけで、ぜんぜん鼻歌どころではなかったのを思い出すと、差がすごい。ボロブドゥールでは水シャワーだったし、いい順番で段階をふんでいる気がする。
ついでに服もいくつか石鹸でガシガシ洗った。家でする洗濯も楽しいけど旅の時の洗濯はもっと楽しい。あるもので工夫して干すことについて昨日に引き続き1人で盛り上がっていた。これはハンガーの数と洗濯物の数を考えずに洗って、洗い終えてからハンガーが足りないぶんをどうするか考える遊びです。
天井が高いのでカーテンレールの位置も高くて、椅子にのぼって引っ掛けた。こっちの家の天井の高いの、かなり良い。
 
そうこうしているうちに9時くらいになっていて、どうしようか、と色んなパターンを考えたけど、とりあえずジュンさんのバイクでご飯を買いに道へ出た。ジャカルタはジョグジャよりも道が広くてまっすぐな気がする。みんなかなりスピードを出す。例に漏れず自分の乗せてもらっているバイクも速いので、後ろに乗ることに慣れてきていなかったら悲鳴をあげていたと思う。いい段階をふんでいる②だ。悲鳴どころか風がバシバシ当たるのが笑えてきて「ウェーイ」とか言っていた。走り出したら楽しくて、なんか食べて帰ろうということになった。
クマンという、インドネシアの代官山とか言われたりしている?らしいオシャレ街があるそうで、今回行く予定もないので見るだけでも面白いし通ってみようとジュンさんが提案してくれて、そこへ向かった。規模的には日本で言ったら国道沿いみたいな感じなんだけど並んでいる店がぜんぶめっちゃオシャレで、遠くには巨大なマンションもあった。インドネシアに来てから初めてマンションを見た。
ドイツソーセージの食べれる店で、今回の旅で初めてお酒を飲んだ。生ビールメチャ美味しかった。大事な話もたくさんしたし、こっちの2000ルピアの絵の人の顔が山田孝之に似てるとかしょうもない話もした。アメリカの音楽が流れてて体の大きい白人もたくさんいる店で、ここはどこだジャカルタだという気持ちになった。テレビではサッカーの中継をしていたけどみんなそんなに見てなかった。
 
帰って来て住人たちとひとしきりお喋りして折り紙とかして遊んだ。インドネシア語もいくつか教えてもらった。日本のポップスを一緒に歌ったりした。途中、足元を黒いラットが通り過ぎて気持ち悪かったし蚊にさされたけど楽しく一時ごろまで過ごして、解散した。
 
 

7 もっと話がしたい

7月31日

2時間睡眠になってしまったけどホテルのベッドで寝られたおかげで体はだいぶ回復した。隣のベッドで寝ていたムティアが声をかけてくれて目が覚め、とっさに「何時?!」と聞いて、しかし答えてくれた彼女の言葉を勘違いし、時計を確認しないまま寝坊したと思って大慌てで支度をしてしまった。実際は寝坊していなかったし慌てたせいで日本から持ってきたシャンプーや石鹸をバスルームに置いてきてしまった。まあいいや…
 
昨晩から8人くらい?で移動していて、そのほぼ全員で朝ごはんを食べに行った。ホテルのすぐ近くの道沿いにあるお店で、ソトという具沢山のスープを飲んだ、テンペも美味しかった。串に刺さったウズラのタマゴの味玉みたいなのも美味しかった。睡眠不足のせいでちょっとお腹が痛いので優しい味が嬉しかった。
かなりゆっくり、たぶん1時間以上居座ってしまったけど、周りには一本の道路と広い田んぼがあるだけの場所で天気もよく、そよ風がたまに通り過ぎて行くなか、竹や木でできた東屋で思い思いにゴロゴロしたりお喋りするのは気持ちよかった。
インドネシアに長く滞在したいので留学を考えているという話を、こっちに長くいる先輩たちにやっとできて、かなり情報が更新された。心が引き締まった。
 
その後、マミさんのお店でさらに少し休憩した。あると見てしまうバティックだけど、女一同でワイワイ物色していて見つけて気に入ったバティックは高級すぎて諦めた。3月に来た時にも気になっていた貝のピアスを買った。
 
店を出て、マミさんの友人のアートコレクターが、買ったコレクションを自宅の敷地内にある大きな建物に展示しているそうで、みんなでそれを観に行った。絵や彫刻がたくさん展示と保管されていて、絵と立体から成るインスタレーションもあった。みんなけっこう素朴に作っている印象で、コンセプトを聞いても特別に面白いとは思わなかったけど、自分も素朴モードになったら面白かった。結束バンドを穴を開けたビニールにたくさん結んで縁を装飾している作品があって、こんなふうに使うのキモくていいなとかドクロに花の模様描いちゃうの万国共通のダサさで愛しいなとか思ったり、立体的になっている絵のような作品をこっそりちょっと触ってみたり彫刻の顔を真似してみたりして遊んだ。
ただ、展示室の近くの小さい部屋の本棚に蜂の巣があったり(肩くらいの高さの段の、本の手前なので、ここの本はしばらく出していないんだなと察した)、天井の照明がバチバチいいながら煙を上げ始めたので慌ててブレーカーを落としたり、オーナーが「この絵ちょっと見てよ」と言って重ねて立てかけられていたキャンバスを動かしたら、絵と絵がくっついていたらしくバリッと剥がれる音がしたりして(作品は無事だったけど雑さが笑えた。昔、清里現代美術館に行った時にも思ったけどすっごくたくさん集めているコレクターの人の、ちょっと雑な作品の管理が垣間見える瞬間ってわりと嫌いじゃない)そういうことの方が面白かった。
 
その後、ボロブドゥールに残る人たちと車でジョグジャの南の方へ戻る人たちとに別れて出発し、わたしたち戻る組は途中、大阪出身の人が営んでいるという日本料理屋さんでご飯を食べた。たしか既に14時頃だったので腹ペコだったしみんな疲れていて、庭のよく見える東屋みたいな座敷席で、ゴロゴロ寝そべったりした。わたしは中華丼を頼んだのだけど、菜っ葉かけご飯かな?というくらい野菜たっぷりで、否、むしろ野菜しかなく、特に肉は求めていなかったのでこれは丁度いいやと思ってムシャムシャ食べていたら2割ほど食べた頃に「肉を入れ忘れちゃってた、ゴメン」といってトンカツを一皿出してくれた。サックサクで美味しかった。ソースも、いわゆるトンカツソースよりも少し複雑な味がして美味しかった。満腹になったら疲労がどっときて眠くなった。
 
少し渋滞している道をさらにガリさん(関西弁のはいった日本語を凄く上手に話すインドネシア人の男性)の運転で走り、ジョグジャのほうへ帰ってきて、仲間たちを降ろした後、わたしが興味を持っていたインドネシアの国立芸大のキャンパスに、ケンタさんと3人で、連れていってもらった。学校の様子を話して聞かせてもらい(今朝に引き続き留学に関して色んな情報を得て、構想が大幅に変更されつつある)その後ようやく一時帰宅した。
さっき車に乗っている間に連絡を取り合って決まったのだけど、今日はこの後、19:30ごろランガとアイコさんと待ち合わせて、キリスト教の教会で毎週月曜日にガムランを練習している人たちのところに見学させてもらいに行くことになっていた。正直かなり疲れていて、眠いしお腹と頭がグラグラでシンドかったけど、あわよくばガムランを叩きたいぞという下心のみで力を振り絞って、行くことにした。
明日からジャカルタへ行くので、主に服を洗濯して干し(手洗い+本気絞り+部屋干しでわりと乾く)、軽く荷造りをしてから家を出た。ちょっと仮眠くらいできるかと思ったけどその時間はなかった。
 
道はもう分かる、というつもりでさっそうと自転車で走り出した。夜風が気持ちよくて、走っているうちに疲れも忘れてきたけど、ダサいくらいあっさり道に迷った。慣れない街はずっと景色が似て見えてなかなか覚えきれない。待ち合わせ時間に遅れるのが申し訳なくて、ランガに英語で「道に迷ったからちょっと待ってて」とメッセージを送った。かなり焦っていて、彼の「俺今向かってるとこだけど大丈夫?」に対して夜道の不安さと動揺で頭が働かずかろうじて出てきた単語を「daijobu」「solution」と送ってしまいアホ丸出しだった。
 
ほどなくして合流した。アイコさんとはこの時に初めて会ったのにあまりそんな感じもしない親しい雰囲気で話せて嬉しかった。3人で出発した。アイコさんはバイクは乗れるけど後ろに人を乗せるのはできないとのことだったのでわたしはランガの運転するバイクの後ろに乗せてもらった。
 
わたしが明日の朝に空港までのタクシーをアプリで呼ぶため、あとジャカルタでサバイブするためにSIMカードを買うことになり、それを買えるお店へ、教会へ行く前に寄ってもらうことになった。ランガにほとんど全部やってもらって、無事に買うことができた。SIMカードをプラモデルみたいな枠から外してケータイに挿し込むところまでその場でやってくれた。
言葉が喋れないと1人では全く何もできなくて本当にやばいなとビシビシ厳しい気持ちになった。今回の旅はみんなのやさしさに感謝だけどいつまでも甘えられるわけじゃないぞ自分よ、勉強しろ
 
SIMを手に入れて、気を取り直し教会へ向かう。
ジョグジャに着いて遊んだ最初の日もランガにバイクに乗せてもらって、ムティアとリョウさんと4人でプランバナン寺院まで行ったなあと思い出して、思い出すってレベルで過去になっていることに気がついて、時間が経ったのをしみじみ感じた。
あの時このバイクに乗っていて「サラックの屋台がやたら沢山あるね」とただ無駄話をしたかったのにできなかった件は、今なら「この季節はサラックの旬なんだって今日知ったよ」と言えるのに、なんとなく言いそびれた。人のバイクの後ろに乗る機会はその後も何度かあったので「あの時は筋肉痛になるくらい緊張して座席の縁を掴んでいたけど、今はもうかなり楽にバイクに身を任せられるようになったよ、ちょっとなら手も離せるよ」、と伝えたかったけど難しいので諦めてしまって、実際に手を離して鼻歌を歌ったりしてみた。まあしかしそんなの伝わるわけもなく
「次に会う時はもっと話せるようになるぞ」という去年の夏にも思ったこと、そろそろ実現しないと目標が腐る、自分よ勉強をしろ。
 

到着した教会は、ちょっと不思議な形をしていた。横に入口があって、横に広い。正面の壁にジャワ語の文字で何か書いてある立派な板が貼ってあった。屋根の形がなんとなく面白かった。古さと雰囲気は公民館っぽかった。ガムランの練習の人たちはこの辺りに住んでいる人たちらしい。月曜のこの時間にここに集まって、結婚式やコンサートに向けて練習をしている。でも見ていると厳しいリーダーがいて、とかっていうよりは、ちょっとやっては笑いながらお喋りをし、ちょっとやっては、という感じで、なんて良い練習風景なんだと思った。なんかちょっと羨ましかった。
アイコさんとランガと、その様子を眺めていたら、メンバーのおじさんが、部活の時とか現場仕事の時に使うお茶を沢山入れておいて下の方についている蛇口から注ぐタンクみたいなアレをさして、お茶飲んでいいからね、あっ、コップないね、持ってくるよ、とプラスチックの平たいケースに入れたお茶をもう一段もってきてくれた。中身は温かいお茶で、甘くて嬉しかった。こっちで飲むお茶はたいていかなり甘い。
途中トイレに行ったら何かの制服らしいものを着たおじさんが無言で笑いながらこちらをメチャメチャ見てきて、今回の旅で初めてかなり嫌だなこの人と思った。表現と感じ方の行き違いだったと思うことにする。
ランガのガムランに関する話をアイコさんと聞いていたら、またメンバーの1人が小さいゴマ団子をたくさん、紙の箱でくれて、直前にランガがくれたキシリトールガムがら口の中にあったのでそのまま一緒に食べてみたけどあまり良くなかったので片手にかじったゴマ団子を持ったままガムをしばらく噛んで捨てて、ゴマ団子を食べた。
 
わたしがトイレから戻ってきたら、さっき挨拶した以外の人にも楽団のみなさんに名前を把握されていて、アオイ!やるよ!そこ座って!みたいにワイワイうながされた。ガムランを!!叩ける!!!わたしはワクワクしながらアイコさんとランガの間にある楽器の前に座らせてもらった。ひとり一台ずつ叩かせてもらえるらしい。楽器の前にあぐらをかいて座る。
楽譜は手書きで、手作り感のある製本をされて100ページくらいあった。西洋のあれではなく数字と点で書かれていた。その読み方と叩き方をランガと楽団のメンバーに教えてもらった。左から右へ1〜7と鍵盤に名前が付いている。まずは叩いて、そして次の鍵盤を叩くと同時に、さっき叩いた鍵盤を左手でつまんでミュートする。そのミュートすることにも奏法として名前が付いていたのだけど忘れた。
結構難しくて、見てるほど簡単じゃないんだなあと苦労したけどこういう習得みたいなのは得意ではないが好きなのでかなり楽しかった。まだ覚えきってないくらいの時に「じゃあみんなでやってみようか」ということになり、大勢でいっせいに演奏をした!強く叩くと大きい音がして楽しい!!
オロオロしながら無理やりついていったけど、簡単な曲を選んでもらっているので、だんだん手とメロディを覚えてきて、スピードをだんだん早くしてまた遅くしてというのにもギリギリついていけるようになった。ファイブ、シックス、ファイブ、と隣でランガが歌いながら叩いてくれているのが聞こえた。自分の前髪が目の前に落ちてきて邪魔だった。
 
ひとしきり練習に参加させてもらって、場はお開きになった。みんなと一緒に写真を撮ってもらった。ガムランをたたく木槌を持ってポーズを決めると誰でもちょっと強そうになっちゃうのがおもしろかった。 
 
3人で帰りにご飯を食べることになった。わたしは昼ごはんがかなり遅かったので正直そんなにお腹は空いていなかったけど、2人と一緒にいたかったので食べることにした。
屋台っぽいお店のイートインだったのだけど、話が盛り上がってというか止まらなくなってしまって結構長居した。今日は朝昼晩と全ての食事で長居している。
主にランガの作った作品の話とか、その根本にあるコンセプトとか音に対する考え方とか、そういう話をしていた。ランガとアイコさんそれぞれの環境音を聴くことについての話もよかったし、話の流れでエルメートパスコアールの動画をみんなで見たりした。わたしも自分の作品のこととか友人と作ったバイノーラルマイクで録音した作品の話とかした。
作品の話を「ただメタルバンドやっていた時期」とか「録音した音をMaxで加工しまくっていた時期」とかいう感じで聞いていくと、もうその人の人生の話に片足突っ込んでくるのが、とても良いなあと思った。作品の話を聞くとその人のことが知れる。昨日、山で日本人の友人と「芸術それだけで何かになるとか価値があるとかっていうことよりも、芸術をみんなで見たり話したりして共有する時に何かが起こる気がしていてそれが良いよね」という話をしたのを思い出した。
今晩は、最初はアイコさんと夕飯を食べる約束だったので、期せずして得たランガの提案と思い切って混ぜてしまったのだけど、正解だったように思う。自分が提案した人と人が会う計画がうまくいくと嬉しい。2週間くらい前に日本で、わたしが最近仲良くなりたい友人と会いたいことと、すでに仲が良い別の友人と会う約束があったのを合体させて3人で会うことにしたら、わたし以外の2人は初対面だったけどベストな会になったのを思い出した。
 
 
ランガとは多分これでしばらくお別れなので、3人で写真を撮ってから別れた。すごく楽しかったから、疲れは吹き飛んでいた。
わたしは帰り道も迷うというポンコツながら、なんとか無事に帰宅した。水浴びついでにさらに少しの洗濯を済ませ、明日からの旅支度をした。SIMが使えるか確認しようとケータイを、充電してアプリを立ち上げて今回手に入れた電話番号を登録したけど、実際に今試しにタクシーを呼ぶわけにいかないので、明日の朝ブッツケ本番で使うことになった。ググった感じ大丈夫そうな気がする。
 
明日の朝起きられるかちょっと自信がなかったので、朝7:40に起きて8時に家を出て両替に行って帰ってきて9時にタクシーを呼ぶ、というタイムスケジュールをノートに書いて開いて枕元に置いて寝た。今朝のような寝ぼけた失敗をしたくない。
 
 
 

6 第2章の終わる明け方

7月30日

朝、「遅くとも9時には起きよう」といってかけていたアラームで起きた。それまで爆睡していたっぽい。
一緒に寝ていた2人はわりとサッサと行動開始していたのだけど、わたしはなんだか体がグッタリしていた。寒いし、でも水を浴びなければ…と心の中でウダウダしながら布団の上にしばらく座っていた。わたしはいつも目が醒めるのに人より時間がかかる気がする。

温かいお茶を飲み、二度目にしてだいぶ慣れてきた水浴びを終えて、さてどうしようかなーと荷物を整理したりしていたら、「今ステージの準備を見て来たけど、次やる人たち面白そうだよ、廃材をパーカッションにしてた」と友人に言われ、観に行くかあという気持ちになり、朝ごはんを食べそびれたままフェスティバルを見に行った。
心なしか昨日までよりも派手な衣装、凝った衣装や化粧、ボディペインティングが多い気がした。最終日だから気合いが入っているのだろうか。

午前の部が終わって、完全に腹ペコだったので、絵の展示してある建物の向かいあたりにあって今日まで食べていなかったご飯屋さんで何か食べることにした。でも何が食べられる店なのか分からないので、ちょっと躊躇していたらアスルがたまたま近くにいたので「あの店のメニューのこれって何?」と聞けた。ナシチャンプルを食べることにした。これ、見てから「ああこれのことね!」となったんだけど、ご飯に味の濃いオカズを載せる、みたいな感じのインドネシア料理で、今回村に来てからもジョグジャでもかなりよく食べている。オカズのバリエーションがあるので飽きない。
店の人はこの山の村の人で、英語が通じない。わたしもインドネシア語はほとんどわからない。でもナシチャンプルの食べ方はわかる、自分でご飯をよそって同じ皿にオカズを載せるのだ。ジェスチャーで乗り切った。
テーブルにつく時、そばに座っていた眼鏡をかけた男性に「どうもー」みたいな感じで曖昧な挨拶をしたら、「おう、どこからきたの」から会話が始まって、facebookのアカウントを検索して「ここインターネットないね、下山したら申請送るわ」というところまでいった。わたしのコミュ力が上がったように錯覚したけどたぶん相手の、言語能力というよりはコミュ力が相当高かった。
この人もエコという名前だった。写真を撮るのが好きで、このフェスティバルはこの付近の山で毎年場所を変えて行われるけどだいたい全部自分の家からそこそこ近いから毎回来ているらしい。来年日本に写真を撮りに旅行に行くけど大阪と東京どっちがいいかなあ?と聞かれたりした。大阪のことはよく知らないけど街の景色のバリエーションがあるのは東京かな?と言っておいた。彼の友人夫妻も一緒にいて、全員カメラ仲間だった。インドネシアの悪魔のお面や彫刻の顔がマジで怖いんスという話からサダコの話になったりして普通に結構長々とお喋りが続いた。友人夫妻もノリのいい人たちで、セルフィーとか撮ったりした。帰りの車の心配までしてくれた。
お喋りをしていたら、山の上の方から太鼓の音が聞こえてきた。聞いていると近づいて来たので、観に行こう、と慌てて席を立ち財布を出したら、セルフィーを一緒に撮った奥様が「あーーいーーのいーーのいーーの!!!」みたいな感じでお代を払ってくれた。村に来てからほとんどお金を使っていないな。

パレードはめちゃめちゃ派手だった。子供達が顔に体に絵の具で模様をたくさん描いて、打楽器を叩いたりただ歩いたりしているのが先頭で、その後ろからもう少しお兄さんたちの楽隊がくる。巨大な鬼の頭部らしい、獅子舞の頭だけを2倍くらいに大きくしたようなものが一ついて、口は動くし目がLEDの緑色で光っていてかつちょっと動くので、かなり迫力があった。パレードはフェスティバルの舞台の方へ向かうようだったので、わたしとカメラ仲間たちはそっちへパレードの後ろをついて行った。
カメラ仲間たちは他にもかなり沢山いて、舞台の正面最前列付近にすでに大勢で陣取っていた。Canon率が高かった。エコ氏が、なんとそこにわたしを混ぜてくれた。写真撮らないのに。いい奴すぎる。仲間たちも「ようこそ~」みたいに迎え入れてくれて、わたしはそのまま午後の部を特等席で見ることができた。周りにつられて、ついiPhoneでたくさん写真を撮ったけど、だんだん撮らずに見つめるほうが自分の性に合っていて楽しいのを思い出して撮らなくなった。

脛に鈴を沢山つけて足を踏み鳴らしながら踊るダンスが、何回か出て来たのだけど、かなり良かった。ドンドンドッダーンってリズムに中腰でノるのがかなり良い。「現地」感が絶大。大勢で踊るので、みんながステップを早く踏めば踏むほど鈴がうるさくなってしかし勿論ちゃんとリズムになっていて、最高にエキサイティングだった。かなり近くで観ていたので、手作りの舞台が軋む音も聞こえた。
そして彼らの衣装がすごかった。ほとんど着ぐるみと呼んでいいほど作り込んだ、鳥や、虫の形をした悪魔たちで、ワラとかマツボックリとか大きい枯葉とかをかなり上手に使っていて、衣装だけ観てもかなり見応えがあるだろうなとちょっと思った。しかし、お面や真っ赤に塗ったボディペインティングのあいだにチラッと見える素肌の首とか目とか、着ぐるみくらいゴテゴテの衣装から覗く膝とか、衣装を体にピッタリ合わせるためにとめたマチ針とか、足の指の反り具合、筋肉やそれらがつくる体の表情を観ていたら、この踊り全体は、こういうものから出来ているんだと思えてきて、衣装だけって想像してみたら、なんだかスッカリ抜け殻に思えた。音だけだってそうだし、踊りだけだってそうだ。こうやって分けて呼んでいることに違和感があるくらいだ。ダンサーも脛の鈴や足の裏で演奏に参加していたし、ガムラン奏者の叩きまくる腕や前かがみになる体をわたしは味わって観ていた。
普通のことなんだけど、博物館とかで展示されてるこういう衣装は、本当に衣装でしかなかったんだ、あれじゃ半分も観たことにならないんだと思った。CDで聴く民族音楽だってそう。今では残っていない踊りとか音楽は、本当にもうないんだなと思ったらめちゃめちゃ切ない。そのぶん半分残っているのは嬉しいけど。そして同時に、今日の段階のこの芸能を、こうして観られて嬉しい。この踊りとか音楽とか衣装を、やる人が続いていて、まるごと芸能として観れた、ということに感動した。やってる人がみんな若かった。
インドネシアのあらゆる地域から、あらゆるダンスや音楽が集まっていて次々に演奏が行われるフェスティバルなので、司会を注意深く聞いてるとどこの地域のものと言ってくれているのだけど、わたしが超エキサイトしていた踊りがどこのものなのかは聞きそびれた。たぶんジャワだと思うけど


あとダンスの話ばかりだけど
やはり昨日までと同様、コンテンポラリーダンスがちょこちょこあいだに挟まるのだけど、印象的なことがあった。
かなりゆっくりジックリ動き少なに展開していく作品で、観客が飽きていて、それがきつかった。隣の友人が「みんな飽きて、いつ終わるんだ、って言ってる」と教えてくれたのだけど、ヤジがめちゃとぶ。たまにでんぐり返しとか仰け反るとか、ちょっとした動きがあると冷やかしに違い感じで「おお~」と歓声があがる。
作品に力がなかったと言えばそれまでで、わたしもその作品が面白いとは思わなかったけど、興味ない人たちって悪気なく残酷できついな~と、演者側の気持ちでこわかった。
汗だったかもしれないし見間違いかもしれないし理由が違うかもしれないけど、ダンサーの1人の左頬に涙のあとがひとすじ見えてしまって、そんなことを思った。
昨日の色水を投げつける時も、投げつけられたダンサーが演出で悲鳴をあげるからわたしはそう感じたし、多分それを狙った作品だったんだと思うけど、今日もちょっと似た感じ。観客は残酷だった。誰かを大勢で笑うというのは怖い。


午後の部が終わって、カメラの皆さんと別れて、だいたいみんなが集合しているところに夕飯を食べに戻ったら、日本人一行と合流できた。毎晩ちがう人たちが来るのでわたしもちょっと「ようこそ」みたいな現地の人の気持ちになりかけているのを感じた。帰りの車の話が出て、ようやく帰れるのかとちょっとホッとした。
ムティアと再会してとても嬉しかった。一緒に観にいこうと言うと「お弁当もってこう」と彼女が提案してくれて、わたしたちは食事と一緒に無料で提供されているバナナをひとつずつ持っていくことにした。ビスケットも持っていこうとして、袋が手近になかったのでノートのページを千切ってビスケットを包んで、鞄にいれた。あとでバナナを食べた後に皮を包むのに使えて、超便利だった。紙すごい。というかノートすごい。完全に旅に必携(いきなり似顔絵を描くとかいう展開にも耐える)

ほどなくして夜の回を観にいった。絶対に途中でトイレに行きたくないのであまり水を飲まないでいたらめちゃめちゃ喉が渇いた。6時半くらいから11時半くらいまでぶっとおしなので、弁当(バナナとビスケット)持参は正解だった。
最終日の夜の回はバンドが多かった。ウキルのバンドはかなり最後のほうだった。端的にいってめちゃカッコよかった。日本に帰って昨日買ったCDを聞くのがさらに楽しみになった。ウキルはアコギにテープでピックアップ的なものを貼り付けて強引にエレアコにしていて流石だった。センヤワとはボーカルのタイプが全然ちがっていて、エコーさんはちょっと演歌みたいな声で朗々と歌い上げていた。あと例の朽ちかけたギターの人が、かなりかなりかっこよかった、リハの時も思っていたけど、わたしはあの人のことなんか結構好きみたいだ、ほぼ話せなかったから次回に持ち越し



ウキルのバンドが終わるとすぐにマミさんの合図が見えて、わたしたちは帰ることになった。車に乗って、ジョグジャまで行かずにボロブドゥールの近くのホテルに泊まることになった。みなさんがそうされるのでわたしも便乗させていただくことになった。
3日ぶりに乗った車とデコボコじゃない道が新鮮に感じた。車、ソファ柔らかいし移動してるしハイテクすぎる。デコボコじゃない道は滑って行くみたいでちょっとハラハラする。山のあの村にいたんだなあ、と車窓の景色を眺めながら思った。今回の旅の、第2章が終わるみたいな感触だ。(第1章はジョグジャの街をミーハーに遊んだ)

ホテルに着いたら、昨日までとあまりに違う生活環境にかなり感動した。たぶんこんな感覚今夜だけだろうから大事にしたい。シャワーヘッドのあるシャワールーム、文明すぎる、やばい。お湯が出たら最高だったんだけどそうは行かなかったので潔く水シャワーを浴びた。寒い。
ホテルというのが嬉しくて、嬉しさのあまり、つい、山にいる間に使ったタオルや手ぬぐいや下着を手洗いで洗濯してしまった。ちょっと文明に触れるとすぐこうだ、わたしはまだまだ日本の几帳面な女である。雨が止むように、と米だか塩だかわからないけど白いものをステージや隣の建物の屋根に向かって投げたり、謎の草を炊いてあたりを煙だらけにしたりなんてしない町で、暮らしてきたし、これからもきっとそう。

洗った洗濯物をかなり強引に室内に干して、昨日と今日の日記を書いていたら朝の6時半になってしまった。書いていてお祈りの声を二回聞いた。
2時間半睡眠になっちゃうけどベッドなら、寝たぶんだけちゃんと回復するだろう。






5 雨と霧のなかのチル

7月29日
4時くらいにやっと寝たのに、7時半くらいに目が覚めてしまって、もう一度寝ようとしたけど寝られず、しばらく目を閉じてじっとしたりしていた。とにかく埃っぽくて、そのせいで喉が痛かった。マスクはしていたけど、寒いし床は硬いしで、かなり消耗していた。寝た気がしない。
10時からリハをやるよとウキルが教えてくれていたので、それに間に合うように9時には起きようと思っていたけど、かなり早く起きてしまった。時計を見たら2時間くらいしか寝られていないし、寒すぎて動けないのでただそこに座って自分の体を抱いたりさすったりしていた。病気でもないのにこんなにシンドイ目覚め、なかなかない。

やっとの思いで身支度(といってもコンタクトレンズ入れるくらい)をして一階に降りると、そこにいた女性にインドネシア語で何か声をかけられて、わからないのでジェスチャーでやりとりをし「お茶飲む?」と聞かれているとわかった。あたたかいお茶をもらった。ありがたい。「ご飯食べる?」も聞いてくれたけど、それは断って、一昨日にジョグジャのパン屋で買った小さなオニギリやお菓子を、食べそびれていたのが鞄に入っていたのを、よく噛んで食べた。傷んでいたらやだなあと思いながら食べたけど大丈夫だった。

ウキルのバンドのリハを見に行った。ウキルもギターを弾いていたんだけど、もう1人のギタリストの男性が、かなり良い感じの人だな〜と思って眺めていたんだけど、よく見たらギターがやばかった。ボディが、流木かな?くらい朽ちたような状態になっていて、塗装は当然ない。原型はおそらくフライングブイ的なやつなんだけどほぼ流木だった。意味がわからない

ボーカルの男性、エコーと少しだけ話をした。こちらが英語ガタガタなのであまり色々は話せなかったけど、彼らのバンドのCDが買えた。日本円にして600円くらいで、お得すぎるというか良いのかしらという気持ちになった。
片付けをしているのをなんとなく眺めていたら、ウキルに「水浴びした?」と聞かれ、したい!と答えたら、近くにいた女の子が案内してくれるというので、ついていくと、行き先は件のトイレだった。ま、まじか〜
こんなに冷え切っているのに完全な冷水しかないのか、とかなり残念な気持ちになる。
でもウキルの奥さん始めそのへんにいる人たちがみんな髪が濡れていたし、昨日の埃っぽさとかもリセットしたかったし、水浴びをしないという選択肢はなかった。

やってみたら普通になんとかなった。水が冷たいので凍える思いだったけど、終えたらとてもスッキリしゃっきりした。お腹が空いていたので自分のお腹がぺちゃんこで、さらに力を入れてヘコませて、少しでも体温を逃すまいとしたりした。意味があるかわからないけど
こっちに来てから常に脚が筋肉痛だなと気づいた。緊張しているのもあるし普段やらない姿勢でいることが多からだろうか。バイクの後ろに乗るとか毎回トイレがインドネシア式とか町の歩道がやたらデコボコだとか変な姿勢で寝ざるを得ないとか。

雨が降っていたので屋外のフェスティバルを観る気分にならなくて、iPhoneWi-Fiを充電させてもらいながら、絵が展示されているスペースでだらだらしていた。
そこにいたペインターの人とかとお喋りしていたところにジュンさんがきた。彼はこっちで会う予定になっていた日本人の友人(先輩)で数日後の8月からジャカルタに行く時にお世話になる予定なのだけど、今日は山の村の様子を見に来たそうで、フェスティバルは見ずに12時には出発しなきゃいけないらしい。ええ〜すぐじゃーんとか言いながら近くの普通の家の姿をしたご飯屋さんで、ジュンさんのインドネシア人(スマランの人たち、今度一緒にアートの企画をやるらしい)の友人たちと合流してご飯を食べたりした。
その後、一緒に村を少し散策して、ジュンさんは帰っていった。わたしは屋台のミーアヤム(鶏ラーメン)を食べた。偶然ウキルたちに会った。奥さんがベビースターラーメンを棒につけて揚げたみたいな食べ物を勧めてくれて美味しかった。ただ肝心のミーアヤムは味がちょっと薄いし店の周り一帯にハエがたくさんいすぎて若干引いたし大きなバケツに溜めてすっかり濁っている水で皿を洗っていたし地面に置いたガスコンロで肉を煮ていたけど、今までで一番現地っぽくてもはや笑えたので嫌ではなかった。
もう昼過ぎになるのに、まだまだあたりには霧がたちこめていて、20m遠くはもうよく見えないくらいの状態で、ずっと朝みたいだった。タバコの畑が幻想的になっていた。

1人になって、ブラブラ歩いて、また絵の展示してあるところに戻った。絵のあるところはお菓子もサラック(スネークフルーツ)もあって、居心地が良いのだった。
さっきもお喋りをした、ペインターの、同い年くらいの男の子 アスルと、ユスティヌスという名の(メモしたけど一度も声に出して呼べてない)おじさんとお喋りした。喋っているうちに「絵を描こう」ということになり、わたしはアスルのスケッチブックに、おじさんの似顔絵を描いた。彫りが深くて鼻がシュッとしていて普通にハンサムなので、かっこいいなあと思いながら描いたら完成した絵について「ハンサム過ぎない?ははは」と笑われて、つい「いやあなたハンサムでしょ」と日本語で言ってしまった。
今度はアスルの顔を描いた。アスルも彫りが深くて両目が二重で近くてインドネシアや中東系の顔つきで、観察するのが楽しかった。わたしもおじさんに似顔絵を描いてもらった。墨と筆でメッチャ雰囲気ある感じに描いてくれてグッときた。ジャワ語の古い文字とか漢字を書いたりして遊んだ。
その頃にもう1人アスルの友達という同世代くらいの男の子がきて、ぱっと見日本人とか韓国人の顔をしていてちょっと太っちょなんだけど、漫画みたいないいやつだった。ゲームのプログラミングをしているらしく、ゲームやアニメが好きとのことだった。自分はヒキコモリ?だから全然日焼けしてないんだ、と言っていた。ちょっと日本語もわかるらしく、話しやすかった。どうやらかなりインテリぽい。YUI知ってる、とかあの曲が好きとかこのゲーム知ってる?とか共通の話題があったのでいろいろ話した。
雨が止むまでひとしきり喋ってから、3人でフェスティバルのステージを観に行った。

フェスティバルでは、いろいろな演目があるなか、コンテンポラリーダンスもちょこちょこやっていて、いわゆるコンテンポラリーダンスらしい振りって日本と同じやつあるなあーと思いながら観ていたんだけど、印象に残った作品があった。色水が入った袋を客に配って、白いTシャツを着た2人のダンサーにぶつけさせる(Tシャツに色がついていく)シーンがある、男性二人組のダンス作品だ。けっこうショッキングだった。1人がTシャツに蛍光グリーンの網タイツを履いていて、おカマっぽい歩き方をするんだけど甲高い声で「ギェー!」とずっと叫んでいたし、うつ伏せになっている相方の首を前から掴んで持ち上げて、持ち上げられるほうは体を真っ直ぐにしたまま起き上がるという振りがあって、初めてみたのだけど普通にスゲェーと思った。

セリフのある演目などの時にちょいちょい2人に「今なんて言った?」と聞きながら観れたので昨日よりも理解しながら観れて楽しかったし途中でアスルが椅子を手に入れてきてくれて、そこからは座って観れた。雨も降ったけど屋根の下から見られたので助かった。
午後の部が終わって夜の部までのあいだ、休憩時間があったので、また絵のあるところに戻って少ししたら、日本人の友人知人たちが到着して、一晩ぶりの再会を喜んだりした。そのままワイワイ夕飯を食べた。日本から夫婦で来ていたアーティストの2人が、今晩わたしたちもこの村に泊まるけど、あの埃っぽい硬い冷たい床に寝るより、わたしたちの部屋のほうが少しマシっぽいから良かったら一緒に寝ない?と言ってくれて、即答でそうさせてもらうことにした。心の底から嬉しかった。

蜂の子とか蜂のみならず名も知らぬ虫たちを混ぜて甘辛く炒めた料理を食べた。ここ2日ほどでかなり自分の生活に関する価値観を別のモードにしていたので、「虫食べる?」とゲテモノっぽく勧められたけどぜんぜん気持ち悪いとか思わなくて、空気読めないみたいに普通に食べてしまった。美味しかった。あと、竹かなにかの葉っぱでつつんだお酒、甘酒と呼んでいるようなのだけど、米を包んで発酵させてあるそのままなので、固形のその米を食べるというものだった。これがメチャメチャ美味しかった。いわゆるフルーティーな日本酒のような爽やかで甘い香りで、かなり洗練された印象の味だった。ちょっぴり酔っ払った体感があった。おちょこ一杯ぶんくらいだろうか。近くにいた日本人の知人と「うまいよね」と盛り上がった。


夜の部は、太い竹でできたベンチで観ることにした。舞台の正面に2列、この竹のベンチがある。本当にただ太い竹を横向きにして足をつけただけのベンチなのだけど、結構耐久性があるっぽい。
フェスティバルを昨夜と今日の昼みた感じ、ダンスが9割の演目に入っているんだけど、正面性の強い振り付けが多かったので、竹のベンチで正面から観ることにした。昼に横から観ていた時は肝心なキメポーズがのきなみ横向きでちょっと残念だったから、竹のベンチはお尻が痛くなるけど耐えた。昨日も客席でたまたま会って言葉が通じないなりにコミュニケーションをとって遊んだ6歳くらいの女の子が偶然通りかかって、挨拶をしたらまた隣にきてくれた。一緒に観て、時々ちょっかいを出してくるのがかわいかった。
昨日もやっていたあ愉快すぎるダンスはやっぱりあった。少し衣装が違うけどやってることは同じだった。眠すぎてあんまり覚えていないけど、そのグループの名前などが描かれた手作り感のあるシールをもらった。

この日は比較的まともな部屋で、布団と毛布と枕を使ってたっぷり寝られた。わたし以外の2人の「おやすみ」から寝付くまでが早くて、ちょっと羨ましかった。




4 フェスティバルサバイバル

7月28日
ちょっと寝坊したけど、今日は帰ってこないつもりの荷造りをして家を出た。帰るつもりで買ってしまっていたドラゴンフルーツとキウイを慌てて食べて、食パンは冷凍庫に入れた。ちょっと大きい荷物(リュックとバッグ)をしょって、徒歩で20分くらいの友人宅へ向かう。もうすっかり覚えた道なのですんなり到着した。
ムティアと3人でご飯を食べに行った。屋根のあるフットサルコートに併設くらいの距離感で店を構えている、カンビン、たしかヤギの肉の屋台。わたしはカレーみたいなのを頼んで食べた。ジョグジャの屋台の氷はもしかして大丈夫なのかもしれない気がしていて、もう普通に冷たいジュースを飲んだ。カレーみたいなのは、確かナシゴドッというやつ…甘辛くて美味しかったけど、あまりにも量が多くて残してしまった。
お腹いっぱいだったので、友人の家で次の目的地へのチャーターしている車が到着するまで軽く昼寝をさせてもらった。

チャーターしていた車は、30分くらい遅れて来た。運転手さんはお祈りをしていて遅れたらしいのだけど詳しくはよくわからない。その後合流した、インドネシア暮らしの長いマダムたち曰く「二度とこんな運転手を呼んではいけない」とのことだった。いまどき、仕事の時間に遅れてくる人なんて滅多にいないらしい。

車で山へ向かう。リマグヌンフェスティバル、というのが今回の目的だ。リマが5、グヌンが山という意味で、年に一度、5箇所の山村のうちの1箇所の村を会場にして、毎年場所を変えながら行われている、音楽とダンスのフェスだそうだ。今日から三日間開催されるのだけど、マダムの勧めでわたしは三日間とも見ることになった。雑魚寝で良ければ泊まれるしご飯もタダで食べられるよ、息子も行くと思う、と言われて、じゃあ泊まります!と伝えていたのだけど、一緒に来てくれると思っていた日本語もできる息子さんが泊まらなくなったと聞いて内心ビビりつつ、開催地の村へ向かうことになった。

村は本当に山の上にあった。
いわゆる山道は、生えている植物が巨大であること以外は日本の山道とそんなに変わらない。舗装された細い道が続く。車でガンガン登って行くと、藁のようなものでできたオブジェが所々に立ててあった。それが目印になっていて、村へたどり着くと、同じような飾りが沢山あり、メインステージには、同じ素材で作った巨大なガルーダ(鷲)の彫刻が置かれ、向かいの客席背中側にはナガ(龍)の彫刻があった。どちらも巨大で迫力がある。
村は、山なのでずっと坂道がつらぬいていて、両側に家々が並んでいる。けっこうたくさん人が住んでいる。坂の下の方は畑があって、タバコの葉っぱとトウガラシが栽培されているのが見えた。  
フェスが始まるまで待っていたら、低い声でゆっくり話す画家の男性が、わたしたちを湧き水があるところへ案内してくれた。畑のさらに下の方へ石段を降りて行くと、少し広い空間があって、完全に虫の声しか聞こえない、ここが自然か、みたいな場所に出た。両側が湿った土と木々で、ちょっとした谷のようになっているので、全く音が響かず、自分たちの声が妙に近くに聞こえた。湧き水は土の壁の5箇所くらいから出ていて、竹の管と、そこから水を受ける水瓶が置かれていた。水は冷たかった。

再び道を戻る。マダムがフェスティバルの関係者だからなのか、スタッフ控え室みたいな建物に案内され、自由に食べて良いご飯と惣菜があり、わたしたちはそれを食べた。とても美味しかった。お茶を飲んでノンビリしたり、そのへんを散歩してミートボールのカマボコ味みたいなオヤツを屋台で買って食べたりして時間をつぶした。
やがて、ウキルの一行が到着した。去年の夏に瀬戸内芸術祭で友人になった、好きなミュージシャンだ。今回来るというのは今日知ったのでかなりビックリ嬉しくて、ワァーイみたいな感じで挨拶をした。そうしたらマダムが、この子が今夜ここの村に泊まりたいけどロクに喋れないのに1人になってしまうので面倒を見てやってくれと話をしてくれた。そしてあっさり承諾してもらえた。嬉しい。みんなが適当に泊まるところに泊まることになるけど何か困ったらウキルに聞きな、と言ってもらったしウキルのグッドサインももらった。

やがてフェスティバルが始まり、いろいろな演目を次々見た。
途中、やたらギラギラした半袖の衣装にサングラスをかけて、ショートパンツにスニーカー、軍手、という謎の格好をした若い男の子たちが20人くらいで踊り、バンドも大所帯でちょっと間抜けなくらい明るい音楽を演奏、曲は変わってるぽいんだけどほとんど同じ曲調、という謎の演目があった。可愛かった。

伝統的な踊りらしきものも、二つの演目で見ることができた。かなりかっこよかった。
一つが終わった段階で、わたし以外の日本人の皆さんは車に乗って下山していった。わたしはほとんど言葉も通じないところに1人置き去りにされるのが、さっきまでは怖かったけど、いざそうなるとなんかもう面白くなってしまって、ニヤニヤしながら手を振り車を見送った。
1人になってから客席に戻ると、もう日付も変わるるほどの深夜ということもあって、さっきまで鮨詰めだった席がガラリと空いており、かなり前の方で見ることができた。

前の方で見ていたら、自分の近くのポジションによく回って来る踊り手の左足に、ガーゼのようなものが紐でくくりつけられているのが見えた。怪我をしているのだと思う。それを見たら、なんだか途端に、この目の前のすごく煌びやかな衣装と濃い美しい化粧に身を包んだ彼が、性別や性格を持ったひとりの人間という風に思えてきた。そりゃあそうなのだけど、さっきまで遠くの席から見ていたものだから、ギャップがあって、ぐっと見入ってしまった。人種も話す言葉も違うけど、ケガするしそれを我慢して踊ったりするんだよなあと思ったらいきなり勝手に親近感がわいて、それからは彼ばかり目で追っていた。



最後の演目も終えて、30分くらいウキルの友人とお互い(わたしのほうが圧倒的に)モタモタした英語でおしゃべりをしたりした。結構色々話して楽しかった。
そろそろ寝ようかなという時間になって、挨拶をしてその場を離れ、歯を磨きたいと伝えたら、案内されたのがトイレだった。
このトイレ、ジョグジャで滞在していた時に使っていたトイレの、もっとガチなやつで、床にある便器と水を溜めた釜までは同じなのだけど、トイレットペーパーがない。手桶で汲んだ水で洗うスタイルである。しかもそこで歯を磨けという。わたしは化粧をしていたから顔も洗いたい。

結局、奇跡的に持参していたペットボトルの水でうがいをし、顔は諦めて気持ちを切り替えて、化粧落としだけ顔に塗って、ホースから出る水で拭うように洗い流した。なんとかスッキリはできた。
また山小屋と比較するけど、その時も、山の下から上まで背負って運んだ2リットルペットボトルの水でうがいと洗顔をしたのを思い出した。でも、その時は自然の中だったけど今回は中途半端に建物の中なので、不潔指数が圧倒的に高い。まあなんというか、今回を経て、自分がひとつ強くなった気がした。

しかし、さらに強くなってしまう展開が待っていた。わたしが「そこに寝たらいいよ」といってもらえた部屋は、ばーんと広い二階建ての二階で、ゴザが敷いてあるだけのコンクリ打ちっ放しだった。まず寒い。そして、そこへ登る階段が、薄い。登った先の床も、20センチもないくらい薄い。そしてメチャ硬い。何故、よりによって。こんなに硬い床で。

とりあえず持っている布をほとんど全て身につけて防寒し、貴重品の入ったカバンを枕にして寝ることにした。



明日を無事に生きて迎えられますように、と祈るばかりです、おやすみなさい。






3 徒歩によい涼しい日

7月27日
今日はそれほど寝坊ではなかったけど、あまり時間を決めた予定もない日だったので、ベッドでノンビリ昨日の日記を書いたり、朝ごはんに食パンを焼いたり(フライパンで焼いたら加減が分からなくて焦がした)ストレッチや身支度を丁寧にやったりして、かなりゆっくりしてから昼頃に家を出た。
部屋にいる時からちらちら降っていたけど、外に出た時にも雨が降っていて、止むまで待とうかとも思ったけど、それでいつまでも家を出られなくなるのも嫌なので、折りたたみ傘をさして歩き出した。古着で安く手に入れたのでかなり雑にはいているけどお気に入りのスカートを、今日の徒歩ならはけるや、と思って着てきた、それが少し嬉しかった。小雨で曇りなので涼しくて、歩いても平気な気温だった。
しかし、とりあえずの目的地の、昨日訪れた、仲間たちがいるギャラリーの場所がわからなかった。歩き出してみたら、思っていたよりもずっとわからなかった。少し歩いてみたけど思い出せず、仕方なく、昨日の夜にバイクで連れて行ってもらった友人宅へ向かった。その道は途中のスーパーマーケット以降を歩いたりしたし単純に記憶が新しいので大体わかった。
迷わずに、進めたには進めたけど、友人宅に着くまでの道は、やたら長く怖く感じた。ジョグジャはとにかくバイクや車の交通量が多いし歩道がほとんどないか崩れているかガタガタなので、不安な気持ちで歩いているとけっこうマジであらゆることが怖くなってくる。言葉もわかんないし。
それでもなんとか友人宅へ辿り着いた。玄関の前にサンダルが脱いであった。誰かいる。ホッとする①。ドアも開いているので覗き込んでみると水の音がする。シャワー中だったら申し訳ない…と思いつつ「ごめんくださーい」と言うと、ほどなくして、歯ブラシを手にした若い女性が現れた。ホッとする②、でも知らない人だ。
知らない人だけど展示の関係者であることは間違いないので、軽く自己紹介をし、「この会場にいきたくて」と事情を説明したら、iPhoneを使って道を説明してくれたのだけど、この時にマップにピンを立てた上で教えてくれた。こんなに素晴らしい道の教え方があるのか、と学びがあったし心からホッとした。これで歩ける。
 
彼女に御礼を言って別れて歩きだしたら、さっきまでと同じ道なのに、全然ちがう気分になっていて自分の単純さが面白かった。観光地なので、わたしのような明らかに現地の人ではない若い女はタクシーやバイクタクシーやその辺のおじさんにとにかく声をかけられる。それに対して、昨日や今朝はかなり焦りをもって必死さを必死で隠しながら真顔で目も合わせず「ノー、いらない」とか言っていたのが、今はもうニコニコしながらハキハキと「ノーセンキュー!」だ。
昨日の晩に、ここの交差点の角にあるバティック屋さんがオススメ、と聞いていたところの近くまできた。おじさんがなにやらインドネシア語で話しかけてくるのだけど、わたしはあの店に行きたいんです、とハッキリ指をさして断ったりした。
そこは日本人のオーナーがやっている店で、アンティークのバティックを中心におしゃれな雑貨が店内所狭しと並べてあった。わたしは昨日すでにバティックのシャツとズボンを購入済みだったけど、布の状態のもイイじゃんと、けろっとハマって見てしまい、わりと大柄のレトロなものを発見して気に入り、ちょっと迷ってすぐ買った。店のおば様はわたしが日本から来たと言うと「うちのオーナーも日本人です」みたいな感じのことを言って微笑んでくれた。
 
目的地のギャラリーまでの途中に、木彫を中心にあらゆる彫刻作品やテーブル、絵画、アンティーク雑貨などの、作品、というレベルのものたちが売られている店があった。ギャラリーと呼んだ方がしっくりくる雰囲気の店だ。なんとなく入ってみたら想像していたよりも店内が広く、イイ感じの作品もいくつかあったりして、彫刻眺めるの楽しいなあ〜と思いながらけっこうノンビリ過ごした。店内がかなり静かなのがとても心地よかった。たまに店主のおじさんが黙って古いオルゴールのネジを巻いてそれが短いあいだ鳴るだけで、あとは沈黙だった。馬車の形のオルゴールのネジを巻き直し、天板がガラス製で他が流木でできている巨大なテーブル(これも商品)の上に戻すとき、テーブルとオルゴールの接地面四点に、紙を折ってクッションにしたものを挟み、丁寧に置く、その所作がかなり素敵だった。
店の奥の方にあった古い油絵の女の身体つきと肌の色と顔が妙に好きだったのと、古いペンがたくさんあったことと、木でできた剣があった(このあとに見たワヤンオランでも演者が小道具として腰につけていた)のと、流木の、もともとそれなりにゾウっぽい形のものを彫ってゾウにした作品が印象的だった。もともとゾウっぽいので「流木のところどころがゾウ」みたいな状態で、なかなかかっこよかった。流木になってしまったゾウなのか、ゾウになってしまった流木なのかよく分からない感じ。
 
そこを出て、若いアーティストたちのイラストや服や細かい雑貨などの作品たちがたくさんある店に入った。店構えからしておしゃれだった。レストランも併設されていたし池みたいな水を張ったところにはコイもいた。そこの壁に「安全第一」と書かれたイラストがあって、ギャグ的にめちゃめちゃ面白かったのだけど、クリアファイルになっている作品カタログを開いたら「safety first」というタイトルで、二度笑った。外国人の着ているTシャツと違ってこの人は分かってやっている…。
 
そういった寄り道を経て、ようやく朝に目的地にしていたギャラリーに着いた。友人が待ってくれていて、お昼を食べたり一緒に散歩でもしようかということになった。わたしがさっき歩いて来た道を戻ってさらに先まで行くコースだった。もちろん行く。
バイキングみたいに自分が食べたいものを皿に盛って、しかしグラムを測るでもなく目で見て会計してもらう、というザックリしたシステムのお店でご飯を食べた。値段も高くなかったので野菜のスムージーみたいなのも飲んだ。氷が入っていなくてぬるかったけど安心して飲めた。料理も美味しかった。何種類か惣菜をとったうちに、ソーセージの天ぷらを食べたのだけど、ソーセージをソーシスと呼ぶのがわからなくて友達にこれは何?と何度も聞き直してしまった。
パン屋にも寄った。明日の朝ごはんにしようと手のひらサイズのお菓子やら蒸しパンみたいなのやら春巻きみたいなのやらを買ってみたりした。試食をさせてくれて、友達と3人で喜んで頂いた。
その後も雑貨を見たり、歩いて売りに来たおじさんがその場で蒸して作ってくれるココナッツの餅みたいなお菓子を買い食いしたりして過ごした。この一帯は観光客向けの通りらしく、欧米人らしき人々がめちゃめちゃたくさんいた。洗練されたおしゃれな店やホテルがずらずら並んでいて見事だった。商品の座布団や服の上でどうどうと猫が昼寝する店があって最高だった。同じ店にそこそこ可愛い指輪があったけどサイズが今ひとつピンとこず、買うのをためらって結局やめてしまった。
来た道を戻るのもなんなので、一本違う道を戻ることにしたけど、その道中もかなりいろいろお店やらあって、昨日のバイクでビュンビュン飛ばすのとは全然ちがう町の見方ができて楽しかった。やっと、今までバイクに乗せてもらって訪れて来たあの店やこの店が、どういう位置関係にあるのか、頭の中の地図ができてきた気がする。バイクも楽しいけど、わたしはこの方法のほうが慣れている。
 
ギャラリーに戻るともう日が暮れていた。わたしが朝に訪れてバティックを購入したお店の、二号店ができているらしく、そこのオーナーもみんなの仲間だそうで、その店にゾロゾロ行ってみよう、ということになり、タクシーに便乗させて頂いて、お店にいった。
さっきわたしがバティックを購入した時と同じおば様が店にいて、「あらさっきの!youね」みたいに笑顔を交わせた。のんびり眺めていたら好みの色のバティックを見つけてしまって、「これが1000円は完全に安いでしょ、買いでしょ」と仲間のお兄さんにおされてアッサリまた買ってしまった。何に使おう、決まってないけど何にでもできるから良いかなと思う。食費などがとても安く済んでいるので油断して買ってしまう。
 
その後、「ナイトマーケット行く?!」という元気すぎる提案をもらい(すでに19時くらい)、ちょうど家主のお姉さんにも「あの辺で骨董市やってたと思うよおすすめ」とメッセージをもらっていたので、もうノリノリで「いく!」と返し、日本人の友人リョウさん(字で書くと変な感じ)と、ムティアと彼女のお姉さんのバイクに乗せてもらって、少し遠くだけど連れていってもらえることになった。ありがとう過ぎてやばい。
 
食べ物の屋台がかなりたくさん出ていて、広場では演劇(お笑いに近い、ワヤンオランというものらしく、ジャワ語で行われるのでムティアもたまに何言ってるのかわからないらしかった。上手でガムランなどの生演奏がシーンに合わせて行われる。客席ではちょいちょい笑いが起こる。途中、殺陣とかやってた)が行われている。そして奥の方では骨董市も開かれていた。年一回のお祭りらしく、お姉さんは「ユーアーラッキー!」としきりに楽しく言ってくれた。めちゃ気さくかつ超気がきく素敵な人だった。合気道を習っているらしい。 
 
4人で、あれ食べる?!なにこれ?!などと言いながらあらゆる初めて食べる食べ物をシェアしながら食べに食べ、奥の骨董市のほうへ行った。というか食べながら進んで言ったら骨董市に辿り着いた。
台湾で行った「それゴミでは?」みたいなものまで売りまくっている市場と雰囲気が似ていたけど、もう少し上質な印象だった。映画などの映像のフィルムを編集する機械らしきものがあって(切ったりやすったり繋いだりできる穴あけパンチみたいな形のやつ)、初めて見たわたしはかなり感動した。それと、鉛筆の芯だけみたいな鉛筆があって、これも初めて見たので嬉しくて、ちょっと高かったけど買った。うる星やつらの二巻のインドネシア語版のかなり古いやつがあって、汚かったけど嬉しくて買ってしまった。など。エンジョイした。店近くには関係者らしき男たちがダラダラ座っていて、商品を見てキャッキャやっている私達を見て「ジャパン?」とか「コンニチハ〜」とか色々やいやい言ってくるのだけど、わたしたちも機嫌がいいので「ありがとうございまーす」とか「こんばんはー」とか言って笑いあった。遠くに手相占いをやっているコーナーがあった。バリバリの音の、でも軽快な音楽のレコードを蓄音機で流しつつ売ったりしているコーナーもあって、かなりよかった。その近くの店にあった指輪が、さっきと違ってサイズが合ったので、あと、ゴツすぎて笑えたので、買ってしまった。
 
 
ムティアのお姉さんのバイクの後ろにわたしは乗せてもらっていた。そして、行きもそうだったけど、彼女はバイクを運転しながら鼻歌を歌う。それが、わたしはとても嬉しくて、聞き取れた音程だけ真似して歌ってみたり、似た音階で適当に歌ってみたり黙って聞いたりしながら楽しんでいた。
 
夜の、あちこち沢山光ってはいるけど全体的には暗い街で、車もバイクもうるさい中を自分もガーッと走ってうるさく臭くしながら、程よい涼しさの風を全身に受けて鼻歌歌うなんて、もう、めちゃめちゃ気持ちが良かった。
 
軽く感動してしまうくらい良かったから、「あなた運転する時に鼻歌を歌うじゃん、わたしそれとても好き」と英語で伝えたりした。
 
今日はわたしはスカートだったから、昨日と違って横向きに座っていたし、慣れてきたのとバイク自体が乗りやすい大きさだったのもあって、片手は楽にして片足も楽にぶらぶらさせて、という姿勢だった。それも手伝って、とっても良い感じだった。
 
お姉さんは、わたしが泊まっている家まで、わたしの拙い道案内だったけど、丁寧に送ってくれた。感謝してもしきれない、ノリのいい人で、こっちまでノリノリになってしまったそのことについても。
 
 
家に帰ってきて、二度目にしてもう慣れてきた水浴びを済ませて、やっと寝る。明日はまた全然違うことになる予定だ。